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名残酒
[東京魔人学園外法帳(龍斗受)]
2013年1月14日 14時34分の記事
■九角×龍斗:SERIOUS■
菩薩眼の為の囮として連れられた龍斗。しかし九角は…。
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鬼哭村、九角屋敷。
天戒が住まうこの屋敷に、緋勇龍斗がやって来たのはおおよそ一週間ほど前だったろうか。
度々鬼道衆の行く手を阻んできた龍閃組という組織の内の一人、それが緋勇。しかし大元はこの緋勇を連れてくる予定など天戒の頭には無かった。
元々彼が鬼道衆の面々に命じたのは、龍閃組の一人である美里藍という女だったのだが、それが上手く事運ばず、結果何故だかこの緋勇という男が天戒の前に差し出されたのである。
澳継は相変わらずこの「失敗」に対して「でも」だの「だって」だのと言っていたが、同じくこの任務に同行した尚雲はそれよりかマトモな答えを返した。
確かにこれは目的の人物に非ず、しかしこれは大した大駒である、と。
「若、この男はかなりのやり手ですよ。龍閃組には蓬莱寺という男がいて、おそらくこの緋勇と共に組織の要になっているんでしょう。要するに…」
「この緋勇を使えば、自ずと龍閃組は現れる…と。そういう事だな?」
「はい」
なるほど、若しもこの男が要であるというならそれも面白い話かもしれない。
美里藍を攫う事ついては、菩薩眼という理由の他にもある個人的な理由が存在している。それは天戒の口から語られてはいないが、おおよそ尚雲はそれに気付いているのだろう。
だから、そこまで事を運ぶ為にも、この意外な大駒は使えるのだとそう言うのである。その尚雲の意見は、天戒を頷かせた。
「そうだな。この男には暫し我らと共に行動して貰うとしよう。そうすれば自ずと菩薩眼は我が手中に入るというもの…まずはこの男を休ませねばな」
「休ませるって…!御屋形様、そんなヤツどうでも良いじゃないですかッ。どっかに放り込んでおきましょうよッ」
突っかかるようにそう言った澳継に、天戒は静かに笑う。
「我らと行動する以上、蔑ろにする訳にもいかんだろう。いわばこの男は大切な客人という訳だ。なあ、尚雲?」
「はい」
「そッ、そうだけど…ッ」
さっぱり自分に分が無いことに苛立ちつつも天戒がそう言う以上は何も反論できない澳継は、むくれながらもそっぽを向く。それを見ていた桔梗は、ふふ、と笑いながらも澳継をからかった。
「坊やは思春期なのかねえ。まあ、やり手の兄さんがいたんじゃ自分の立つ瀬がないって処かい」
「何だとッ」
相変わらずの二人の遣り取りを見ながら笑った天戒は、目下問題の人物である緋勇龍斗に目を落とし、その表情をすっと変化させる。
龍閃組の要。
しかしそれ以上の何かを思わせる不思議な「氣」…それに気付いていた天戒は、尚雲の提案たる生贄としての価値よりも、その不思議な「氣」の持ち主としての価値を考えていた。
一週間という時の流れ、その中で何度か龍閃組と出くわす場もあった鬼道衆だったが、天戒はその報告を受けても尚、自ら龍斗を出向かせるという指示をしなかった。
澳継などは直ぐにでも龍斗をエサとしてぶら下げるべきだと訴えていたが、司令塔である天戒がそれを良しとしない限り実現は叶わない。だから特別それに批判をするという事は無い面々だったが、それでも何故天戒がすぐにそれをしないのかという部分には多少なりとも疑問を渦巻かせていた。
そして最も疑問であったのは、天戒が龍斗を九角屋敷に置いているという事実である。
普通であれば、澳継の言ったようにどこぞへ放り込むまでしないまでも、適当な家に住まわせるのが常道である。しかし天戒は己の屋敷である九角屋敷の、しかも自室の中に龍斗を置いていたのだ。
まるで寵愛を受けた小姓か何かのようである。
それについては、長年天戒に仕えてきたにも関わらずそこまでを許された事が無い尚雲も大きな疑問を抱かざるを得なかった。当初は頭になど無かったはずの緋勇龍斗が、何故そこまで天戒の心を奪ったのか……そうだ、これは心を奪ったとしか言いようの無い状況である。
しかしそれを、誰も尋ねることは出来なかった。
たといそれがどれ程奇妙な状況であろうと。
ある夜、そんな天戒がどうしても気になって仕方なかった尚雲は、異例ながらも天戒の自室に足を向けた。
澳継はともかく桔梗までもが不思議に思っているこの状況、それを問える者があるとすれば大方自分くらいだろうと思う。嵐王あたりも天戒の信頼は厚いが、彼はどうやらこの事態よりも己の研究が大事であるらしい。
天戒の自室には、灯りがともっていた。
「…若」
障子の向こう側に向けて、尚雲は押さえ気味の声でそう呼びかける。
すると、密やかに続けられていた話し声がピタリと止まり、やがてその障子が開かれた。尚雲がその障子の向こうに目をやると驚いたことにその障子を開けたのは龍斗であったらしく、龍斗は尚雲の顔を確認して一つ頷いたりしている。どうやら天戒の指示らしい。
それを受けて中程まで進んだ尚雲は、其処に晩酌をする天戒の姿を見た。
いつもだったら桔梗あたりが隣にいるはずの場面だろうが、どうやらこの様子だと龍斗がそれに変わる役を務めているらしい。
天戒は、やってきた尚雲に目を移し、この夜分に一体どうしたのだ、と問う。
「…若、今日は失礼を承知でお聞きしたいことが」
「俺に問いたい事?一体どのような事だ」
「……」
尚雲は、すっと龍斗に目を遣った。
龍斗はこれという喜怒哀楽を感じさせない普通の表情をしており、これから尚雲が言おうとしている事など予測できていないふうである。
しかし尚雲にとって、仲間とはいえぬ男とはいえ、正に彼の目前で彼を非難するような言葉を吐くのは、少々気が引ける事だった。とはいえ、天戒がそれを問うのだから言わないわけにはいかない。
「…澳継も桔梗も、この状況には疑問を持っています。このままでは、我ら鬼道衆の覇気にも影響が出るかと」
「この状況とはどういう事だ。具体的に言ってみろ、尚雲」
「しかし…」
言いよどんで、尚雲はまた龍斗を見遣る。
それを見透かしてか、天戒は猪口を手にしたままフッと笑った。
「目は口程に物を言う…とは良く言ったものだな、尚雲よ。お前の言いたいことは分かった、要は緋勇の扱いが不当だと、そう言いたいのであろう?」
「不当だなどと…。…ただ、菩薩眼を手中に収める為にもそろそろ動くのが良策だと思います。あまり長く鬼哭村に置いていても…」
「隠さずとも良い。お前達は菩薩眼よりもむしろこの俺の動向に疑問があるのだろう。緋勇を此処に置き、晩酌をもさせる…つまりは其処が気に喰わんという事だろうが」
「若…」
そこまで分かっているならば何故そうするのか、そう言いたい尚雲の眼を見ながら天戒は猪口を口にやる。まるで今宵の晩酌を例に違わず愉しんでいるという具合に。
それは尚雲にとって、目上の者でありながらも常に親近感を覚えてきた天戒その人とは思えない何かを思わせた。それよりも、どこか遠い存在であるような…そんな感覚。
「…気に病むな、尚雲。やがて時は巡る、さすれば俺も動かずにはいられまい。是はそれまでの間の…名残というものだ」
「名残…?」
聞き返した尚雲に、天戒はそれ以上を返さなかった。その名残が何を意味するのか、それを説明しようという気は無いという事らしい。
その事実はいささか尚雲の心に雲を差したが、それでも当初の疑問への答えは出ていた。天戒は「やがて日は巡る」と言ったのだから、このような摩訶不思議な状況が続こうとやがてそれも終わるということを示唆しているのだろう。但し、それが何時のことなのかは示されていないが。
「…分かりました。俺は若を信じています。…では」
これ以上此処にいても、もう話は続くまい。
そう判断した尚雲は、その言葉を最後にその部屋を後にした。
尚雲の去った後の部屋では、相変わらず猪口を口に運ぶ天戒と、そして龍斗の姿があった。
今しがた去っていった尚雲を思い、龍斗は少し陰をもって天戒を見遣る。
龍閃組である自分が鬼道衆の村に捉えられている現実が何を意味するのか、それは龍斗にも良く分かっていたが、こと天戒のこの甘い待遇には彼もやはり疑問を覚えていた。
鬼の面々と同じく、やはりそれを疑問に思っていたのである。しかしそれは高待遇でもあるのだから文句を言うのもおかしいかもしれない。
「…九桐は本当に納得したのか?」
気に病んだふうにそう聞いた龍斗に、意に介さないといったふうに天戒が笑う。
「納得などできんだろう。俺が九桐であれば、少なくとも納得などせんな」
「だったら何であんな事言ったんだ?九桐は九角を信じて此処に来たんじゃないのか」
「お前は不思議な奴だな。敵であるお前が俺達”鬼”にそのような事を言うとは。…まあ、それだから俺はもたついているのだろうな」
「何?」
思わず首を傾げた龍斗に、天戒はやっとのこと猪口を膳に置いた。そして龍斗に向き直ると、腕を組んで先ほどの言葉を繰り返す。それは、尚雲に言った言葉と同じものである。
「やがて時は巡る、さすれば俺も動かずにはいられまい。是はその刻までのせめてもの…名残だ」
「名残…」
一つ頷いた天戒は、尚雲には説明しなかったその「名残」という言葉についてを、龍斗に向けて語り始めた。
名残とは、”名残惜しい”を意味する言葉。
そう解釈すれば直ぐにも解けてしまう天戒の言葉は、龍斗に少なからず衝撃を与えた。
「お前は不思議な”氣”を持っている…それが妙に心地良い。おかしいであろうな、俺がこんな事を言うのは。―――だが俺はその”氣”に触れるていると…」
その氣に触れていると、まるで解放された気分になる。
何もかもから、解放されたような気に。
それはとても不思議な気持ちで、本来ならば守るべき大切なものや、倒すべき敵など、そういった全ての「こわだり」や「わだかまり」をまるで小さな塵と化してしまうような気持ちだった。
大切なものを守る気持ちと、敵を憎む気持ちは、同じ線の上に存在している。
大切なものを守りたいから敵が憎く、敵が憎いからこそ大切なものは守るべきだと考えるのだ。
しかしそれら全ては常に強い意志を携えて行動を起さねばならないもので、当然無意識の気の張りが出るのは当然だった。
それを嫌だと思ったこともないし、むしろそれは今迄原動力でもあったわけだが、もしそれらが無くなったとしたら恐らくは自分の自分たる所以すら危ぶまれそうな…それ程にそれらは大きなものなのである。
龍斗の不思議な”氣”に触れそれらから解放されると、天戒はそれらを一時的に放棄する事ができた。放棄したいのではない、単にそのような気持ちになるのである。
その中で感じることは、自分が自分たる所以である「こだわり」や「わだかまり」を放棄したとしてもやはり自分は自分だということであった。
それは、想起させる。
もしこのような道を歩まなかったらば自分はどうなっていたか…を。
どこかで安穏とした生活をするにしても、幕府にひれ伏すにしても、どんな状況であれ、自分はきっと――――生きていたろう。
このような茨の道を歩まずとも、恐らくは。
「…解放…そうだな、言い変えればそれは安堵というものだ。俺はお前といると安堵を覚える。それが妙に心地良いのだ」
「……それは、どう受け取って良いのか…」
困ったようにそう言った龍斗に、天戒は声を上げて笑った。
「別に悩む必要などないぞ。俺はお前に何を求めてもおらん。やがてお前は龍閃組に帰る事になろう、あの仲間の元にな」
「帰る?ということは…俺を無事で返すつもりなのか?」
まさかそんな事があるだろうか、そう思っていた龍斗に、天戒は目を伏せる。
菩薩眼を捉える為の大駒である龍斗をそのまま無事に帰す事、それは鬼道衆の長としてはあまり良い選択ではないかもしれない。いずれ大きな問題となろう龍閃組の人間ならばこの機会に始末しておくのが当然良いのは分かっていることだ。
しかし天戒には、薄々感じてきた龍閃組への違和感と共に、こうして知ってしまった不思議な”氣”がある。それを踏まえると、それに対して無碍に手を下すというのはいささか良い選択とは思えなかった。
それは、例え敵対する相手であろうと、大切なもののように感じたから。
その不思議な”氣”があれば、この世にもそのような安堵があるのだと思えるから。
「…まあな。だからそれまでの間は―――その安堵を俺にくれはしまいか?」
「九角…」
「今宵の名残の酒だけで良い。只それだけの事で良いのだ。他には…望まん」
敵である以上それ以外を望めるはずもない。
それを知った上で、天戒はそれを口にする。
明後日…いや、明日にでも龍斗を解放するだろう天戒にとって、今宵の名残酒は最後の晩餐も同様。それからはまた、桔梗の手酌で酒を煽ることになるだろう。
そんな天戒の心境を知って、龍斗は徳利に手をかけた。そして、その中の酒を天戒の猪口に注ぐ。
「じゃあ、この徳利が終わるまでは」
そう言って差し出された猪口を受け取った天戒は、すまないな、と言いながらもそれを口に運んだ。
今宵最後の、名残酒。
「…お前が龍閃組でなければ…否、お前と違う形で出会っていれば…”名残”にもならなかったろうに、な」
「…無理な事を言うなよ」
「違いない」
釘を刺され笑った天戒は、名残ついでにもう一言口にしようとしていた言葉を、猪口の中の酒と共に流し込んだ。
言うべきでは無い言葉は、こうして流し込むに限るのである。今宵の名残酒と共に。
―――――永劫傍に置く事が出来たらば、名残こそ名残惜しかろうに。
END
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