◆『角栄と眞紀子 史上最強の父娘』(1994年2月15日刊)―はじめに まさに巨星そして今太閤、ついに墜つ? | |
[◆『角栄と眞紀子 史上最強の父娘』(1994年2月15日刊)] | |
2017年7月2日 4時17分の記事 | |
|
|
はじめに まさに巨星そして今太閤、ついに墜つ? 学歴、門閥、閏閥などに一切無縁でも、裸一貫、奮闘努力すれば、総理大臣も夢ではない。どんな分野に進もうとも、努力はかならず報われる。田中角栄は、そんな千本を示した立志伝中の大丈夫だった。人生の夢、すなわちライフ・ドリームと希望と勇気を下積みの多くの人々にあたえ続けた巨星・田中角栄は、ついに神に召された。 時代背景こそ違え、やはり貧農の小倅という同じような境遇に生まれて天下人を極めた人物としては、田中角栄は、豊臣秀吉(一五三六〜一五九八年)に次いで、二人目の偉大な歴史上の人物だった。 田中角栄は、豊臣秀吉が死して三百二十年後に生まれ、総理大臣にまで昇りつめた。めざましい立身出世ぶりは関白・豊臣秀吉にあまりにも相似している。このことから、「昭和の今太閤」と呼ばれた。まさに三百年に一度現れるか現れないかの傑物であった。病床での最期の言葉は、 「眠い、眠い」 の一言たった。そしてそのまま永遠の眠りについた。一九一八年(大正七年)五月四日生まれ、干支は「戊午」、九星は「一白水星」。まさに奔馬の如く、定められた星の下で、真っしぐらに戦後の日本政治の舞台を激しく立ち回り、慌ただしく一気に走り抜けていった。 雪深い越後の国(新潟県)から出て、馬車馬のように働いたスピーディな"出稼ぎ人生"は、ついに幕を閉じたのだった。 血液型はB型、星座は牡牛座。見えざる天運と先祖・父母からの遺伝子に左右されながら、日本の権力中枢まで上昇し、病に倒れ、闘病八年を経て、天寿を燃焼し尽くした。享年七十五歳だった。
目次 (転載・引用厳禁) 板垣英憲『勉強会』開催のご案内 くる天 ブログランキング 板垣英憲マスコミ事務所 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」 板垣 英憲(いたがき えいけん)情報局 最終編集日時:2017年7月2日 12時29分 | |
  |
このブログへのチップ 0pts. [チップとは] [このブログのチップを見る] [チップをあげる] |
このブログの評価 評価はまだありません。 [このブログの評価を見る] [この記事を評価する] |
◆この記事へのコメント | |
コメントはありません。 | |