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2010年11月30日 0時57分
「孫の二乗の法則〜ソフトバンク孫正義の成功哲学」2007年7月刊
「孫の二乗の法則」は、ソフトバンク創業者の孫正義社長が開発した「孫の二乗の法則」と「事業50年計画」を中心に板垣英憲がまとめた自己啓発書です。

「孫の二乗の法則」と「事業50年計画」は、孫正義社長が、弱冠25歳のときに開発したものです。
 このうち、「孫の二乗の法則」は、「孫子の兵法+孫正義の経営指針」によって作成した「25文字の文字盤」の形にまとめられています。これは、中国・春秋時代(紀元前403〜前221)、呉王・こうりょに仕えた武将・孫武が遺した著書「孫子」からピックアップした言葉に、孫正義が独自に考え出した「オリジナルの言葉」を組み合わせた「25文字」の文字盤で表されています。これをチェックしながら決断し、実戦に応用します。

 また、「事業50年計画」は、戦国武将・織田信長が、桶狭間合戦で勝利するために立てた「長期計画」を参考に、孫正義社長が人生計画と事業計画を重ねあわせて作成したものです。ビジネスに、経営に、人生設計に−2人の「孫」の知恵を大いに活用していただきたいと思います。

*各見出しごとにエントリーしていきます。
*1ヶ月で連載が終るよう、一日5エントリーずつ投稿していく予定です。


孫の二乗の法則‐ソフトバンク孫正義の成功哲学〔目次〕

はじめに 「孫子の兵法」を人生と事業に活かす

「日本の億万長者一位」の孫正義
「二〇〇七年夏・新商品記者発表会」
デジタル情報革命の旗手・孫正義という人間
「事業五十年計画」と「孫の二乗の法則」の意味
「二十五文字」をチェックしながら、決断し、実戦に応用する
ビル・ゲイツも「孫子の兵法」の信奉者
人生や事業に有効な「指針」「マニュアル」である

第1章 まず「事業五十年計画」を立てる
十九歳のときに立てた「事業五十年計画」
子供のころからの天性の「負けん気」
「正義、何ばしよっとか」
玉磨かざれば光なし
アメリカの衝撃
「アメリカに渡って勉強したい」
家族で最初に認めてくれたのは、父・三憲だった
アメリカ留学は司馬遼太郎『竜馬がゆく』の影響
英会話力をつけた米国留学時代
織田信長の「長期作戦計画」に心酔する
今川軍の進攻を予期した織田軍の「長期作戦計画」
「作戦計画の基礎条件の四分の一は不明である」
「桶狭間」を「決勝点」に絞り込む
信長の戦略の立て方を参考にする
「日本一になる」という野望を織り込む
ビジネス上の戦いに「代数的思考方法」を使う
コンピュータを二十四時間好きなだけ使える環境に
ユニソン・ワールドの設立で起業家精神を養う
「I shall return」
統率力のスタート台「みかん箱」の上に乗って演説
準備はいますぐ始めなくては間に合わない
連結売上高が二兆五千四百四十二億円と創業以来最大の業績

第2章 「孫の二乗の法則」とその定義  

病床で「孫子の兵法」にめぐり合う
「孫子は、わが祖先に間違いない」
「孫の二乗の法則」を発明する
孫正義は「アントレ・プレナー学院」で講師を務めていた
「社員の平均年齢は、二十八歳です」
「池のなかには魚がいっぱいいる。これは、絶好のチャンスです」
「先ず勝ちて而る後に戦いを求める」
「不敗の態勢」整えてから戦いに臨まなくてはならない
「彼を知り己れを知れば、百戦して危うからず」
「アメリカでは孫子の英訳本を、すでに読んだという友人が多かった」
「私は、一番になれない事業には、最初から手をつけない」
「私は時代の流れ、時の流れに基本的には逆らわない」
「攻めも守りも同じ重さで必要である」
「リスク分散のための準備を常にしておきたい」
「戦は勝つことが第一義の目的なのだ」
「肝心なことは、理念と志だ」
「M&Åもファイナンスもビジネスに勝つための手段である」
「将たるものの心得」
孫子は「情報収集・謀略活動に力を入れよ」と説く
「七割までの要素が揃ってきたら、とにかくすばやく打ち込んでいく」
「知恵イコール闘いである」
「戦いが終わった後には、平定する仕事が残っている」
孫正義は「密かな活動」と「電光石火」の行動を否定しているのでもない

第3章「一流攻守群」の実践と応用  

一生賭けても悔いのない仕事をリサ―チする
「その世界で絶対に日本一になってみせるぞ」
「継承できるような事業」でなくてはならない
「三つのトレンド」を分析する
「三つのトレンド」から「インフラの提供」を選択する
「ストライクゾーンを狙う」
四十の新事業を徹底的にチェック
二十五の意思決定要因で事業を点数化
「九つの条件」でふるいをかけ新事業を絞るパソコンのパッケージ・ソフトウエアの卸業に絞る
「日本ソフトバンク」を設立する
織田信長の戦い方に強い影響を受ける
会社経営について「三つの鉄則」を守る
「三百年は安定して成長する会社を築き上げる」
新しい経営システム「孫式超計器飛行経営」を編み出す
孫正義自身が「ノーベル賞もの」と自賛する斬新な方法
経営ノウハウの基本は、「チーム制」と「日次決算」の組み合わせ
デ―タをグラフで「見える化」する「千本ノック」
報告や指示は電子メールで済む
孫正義流「超計器飛行」的な経営手法の延長線上にある「JTE」のソフト
業務提携あるいはM&Åにより「群戦略」を展開する

第4章「道天地将法」の実践と応用  

経営トップたる者の「リーダーの条件」
「経営トップは志、ビジョン、戦略を持て」
「志とビジョンと戦略、そしておまけの吉備団子がもらえる」
「図らずもで社長になってはいけない」
「社長の器でない人が社長になると、群れは困ってしまいます」
「何かのラッキーさによって経営トップになってはいけない」
「勝つことこそ経営トップの責務」
経営トップは、事務屋ではない
「金銀財宝を持って帰れるというビジョンを描け」
「役割分担と戦略を立てなければいけない」
「鬼をやっつけたら今度は宝の山を持って帰って、村人に分けてあげる」
感動しなければモチーフも思いつかない
「コンピュータの世界」に「天命」を感じた瞬間
本社を三度移転する
岡田屋五代目・惣右衛門の「大黒柱に車をつけよ」の経営に似ている
「地形を掌握し、部下の統率に意を用いよ」
野村證券の北尾吉孝を右腕としてヘッドハントする
「ソフトバンクグループ役職員・コンプライアンスコード」を定める

第5章「智信仁勇厳」の実践と応用

より高い次元をめざし、自分の器を大きくしていく
「発明を一日一件、一年間続けること」を自分に課す
発明のための三つのパターン
ヤフーBBの個人情報流出事件への対処を指示した
勇気を持って「難敵」に立ち向って行く
不幸や困難、危機には、「原因者」が必ず存在する
問題解決手続き その一=敵・味方を明確化
問題解決手続き その二=衝突構造の把据
問題解決手続き その三=困難克服の方法
戦い方に工夫をこらし、独自の戦法を編み出し、障害を克服していく
「教師の夢」の挫折とアメリカで誕生した「事業家の夢」
「B型慢性肝炎」という障害を「ステロイド離脱法」で克服
事業のパ―トナ―と対立した場合の克服例
パソコン専門誌に広告掲載を拒否されたときの克服策
パソコン雑誌の赤字を黒字へ変えるための改革案
経営の実態をつかむため「チーム制」を導入 

第6章 「頂情略七闘」の実践と応用

「IT革命」の進展を「高見」から把握し、未来展望する
いまは「情報」が「工業」に取って代わる
IT革命のキッカケをつくったビル・ゲイツと孫正義
「デジタル情報革命」が目まぐるしく進行
「テレビ付きPC」「PC付きテレビ」「PC付き携帯」の時代になっている
「敵情探索の秘訣」は、「兆候察知法」にある
「観の目」をこらして、「大局」をも見なくてはならない
「現象」から、その億の「本質」や「実体」をどう察知するか
現象に含まれる「兆候」を察知できれば、危機に強くなれる
「経営の危機」を示す「兆候」 
本業の拡大戦略に球団名「ホークス」を利用する
突然「ソフトバンクモバイル記者会見」案内が報道陣に知らされる

第7章「風林火山海」の実践と応用

「企業は常に進化するべき」
「魅力のある者同士が結びつくと結局その種は栄える」
虎視眈々、「奇襲攻撃」のタイミングを計る
「三つのパターンで攻めよ」
事業拡大のためには「全部やる」
「六つのインフラ事業のプロバイダー」にたどり着く
「流通インフラ」をアメリカに拡大する
ネットワーク・インフラ拡大のためにシスコシステムズ社と提携する
ネットワーク・インフラから、莫大な利益を得られることを察知していた
ジェイ・スカイ・ビー設立で「メディア・インフラ」を制覇しようと目論む
「テクノロジーサービスインフラ」拡大のためにキングストン社を買収する
「展示会インフラ」を支配するためにコムデックスとインターロップを買収する
ビル・ゲイツの言葉に刺激され、ジフ・ディビス社を手に入れることを決める
ヤフーに目をつけて、投資する
ヤフーの二人の創業者
たいていは、ラフな恰好でビジネスをする
「日本式のスタイルで交渉しても、パートナーにはなれない」
孫正義は、織田信長流「退却の名人」である

あとがき 人生にも活用できる「孫の二乗の法則」


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2010年11月30日 0時21分
『孫の二乗の法則』あとがき 人生にも活用できる「孫の二乗の法則」
 
目次

あとがき 人生にも活用できる「孫の二乗の法則」

 「孫の二乗の法則」は、孫正義の実行している「事業五十年計画」の進捗状況を見れば、経営者やビジネスマンにとって極めて有効な「経営指針」あるいは「マニュアル」として役立つことを証明している。
 孫正義はいよいよ「五十代、事業を完成させる」段階に入り、「六十代、事業を継承する」という山頂を目指すことになる。この計画を完遂させた暁に、孫正義は老後をどう過ごすのか。
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2010年11月29日 19時3分
『孫の二乗の法則』 第7章 「風林火山海」の実践と応用―?孫正義は、織田信長流「退却の名人」である
 
目次

第7章 「風林火山海」の実践と応用

孫正義は、織田信長流「退却の名人」である


しかし、孫子は、「軍争篇第七」で「風林火山」とこれに続く、「陰雷」を示した後に、「負ける戦いはしてはならない」との立場から、以下のように「戦争の法則」を教示している。
「故に用兵の法は、高稜には向うなかれ、背丘には逆うなかれ、伴(いつわ)り北(に)ぐるには従うなかれ、鋭卒には攻むるなかれ、餌兵には食らうなかれ、帰師には過(とど)むるなかれ、囲師には遺して闕(か)き、窮寇には迫るなかれ、此れ用兵の法なり」
 これをわかりやすく、言い換えると、次のようになる。
「故に戦争の法則は、山地を占領した敵軍を仰いで攻撃してはならず、高地を背にした敵まともに攻撃してはならず、負けると見せかけて退く敵軍を追撃してはならず、精鋭な敵軍のいるところを攻撃してはならず、敵軍がおとりで我軍を誘っても、その罠にかかってはならず、敵軍が自国に退くときは立ち塞いではならず、敵軍を包囲するときは逃げ道を開けておかねばならず、敵軍を窮地に追い込んでも、(必死に戦ってくるかもしれないので)急いで攻めてはならない。これが戦争の法則である」(『孫子訳注』東方書院刊、訳注:中国軍事科学院副院長、郭化若、監訳:立間祥介)
 危険を察知したら、迷わず「退却」することも大事である。深追いすると敵に叩かれて、壊滅させられてしまう恐れがあるからである。
 織田信長は、桶狭問の合戦で奇襲攻撃によって勝利を収めたばかりではなく、「退却の名人」として名高い戦国武将であった。

 旧日本陸軍士官学校の教科書『統帥綱領』(解説・大橋武夫、建帛串社刊一は、「統帥の源流」のなかの「士二、退却」において、「北陸よりの退却を断行した織田信長」天正五年(一五七-七)について、以下のように述べている。「元亀四年(一五七三)四月十二日、武田信玄が死ぬと、天下は上杉謙信と織田信長の両雄によって争われることになり、北陸地方において、まず両軍の接触が始まった。信長はその京都進出を北方より妨害する加賀越前方面の敵を撃滅するため、天正元年八月、越前(福井県)に進攻し、朝倉氏を滅ぼして、地歩を北陸に進めたが、その後朝倉氏に代わって勢力を奮う一向一撲に対し、天正三年八月、八万の軍を率いて大挙進撃し、今庄(武生)平史地で捕捉討滅して、加賀(石川県)南境に進出した。
 謙信は永禄二年(一五五九)、京都にのぼって足利将軍に謁し、京都進出の大志を抱いて帰ったが、その途上には越中(富山県)、加賀、越前の一向一揆や諸豪族が立ち塞がって、大きな障害をなしていた。
 謙信は永禄三年以来しばしば越中に進攻して、諸豪族や一向一揆の征服に努めたが、彼らの陰の支援者たる信玄の死により、その勢力が減衰したのに乗じて、一気にこれを掃討するに決し、天正元年(一五七三)七月、越中を攻略しも八月には加賀北部に進出していたので、ここに謙信、信長の両雄が加賀平地において対決することになった。両軍の衝突は天正四年(一五七六)、七尾城の内紛によって点火された。七尾城内が二派に分かれ、それぞれ謙信と信長に、援助を求めたのである。
 謙信としては加賀に進攻するために、七尾城を手に入れて背後の安全を図る必要があり、天正五年(一五七七)九月、信長に先んじてこれを攻略した。これを知らない信長は五万の兵力をもって北進を開始し、九月十八日、手取川を渡ってその北岸に進出し、陣を構えた。信長軍加賀進入の報を得た謙信は、これと決戦を企図し、自ら三万五千の軍を率いて南進し、二十三日には織田軍の陣前に到達して、松任に本営を置いた。この夜、信長の陣営に謙信からの手紙が届いた。文面には
『……かねてご高名は承っているが、この度初めてお手合わせできる機会を得て喜んでいる。乱軍の間に行き違っては残念であるから、明日卯の刻、金津川までお出かけください。大将同士で決戦しよう。……』
 とあった。信長の参陣は極秘にしてあり、味方でも知らない者が多かったのに、謙信は早くも嗅ぎつけて決戦状をよこしたのである。いよいよ天下分け目の大決戦である。『勝敗や如何に!』と皆息を呑んだが、意外にもその夜、信長軍は闇に紛れて退却してしまった。夜明けとともにこれを知った謙信軍は、罵り潮りながら猛追撃を敢行したが、信長軍はこれを振り切り、逃げ帰ってしまった。
 信長は七尾城の陥落を知らなかったらしく、上杉軍が陣前に進出したのを見て、初めてこれを察知し、しかも謙信自らこれを率いていることを知って、大いに驚いたが、退却の主原因はこれではない。
 信長は、ここで謙信と決戦することの愚を悟ったのである。彼の本来の目的は京都確保にある。こんなところで川中島合戦のような名人戦をやっていたのでは、たとえ勝っても損害が大きく、時日も無駄になり、そのあいだに、漁夫の利を狙う第三者によって京都を占領される恐れがある。すなわち信長の周りには、流浪中の将軍足利義昭を盟主とし、武田勝頼、毛利輝元、大坂本願寺、紀伊の雑賀衆の宗徒などよりなる反信長同盟があり、また叡山の焼き討ち(一五七一)、長島一向一揆の虐殺(一五七四)、越前加賀征服時の厳罰政策などにより、多くの人の恨みを受けており、少しも油断できない事情にあった。これが信長に退却を決意させたのである。信長の退却は世間の物笑いになり、次のような落書きまで出る始末であった。
 上杉にあうては織田も手取川
 はねる謙信逃げる信長
 追撃途上でこれを見た謙信は、『いかにはねても飛ぶ長(信長)にはおよばぬ』と言い、『信長がこんなに弱いとは驚いた。天下は謙信の手に入ったも同然だ』と笑ったという。しかし、この不名誉な退却が信長に天下を握らせたのである。あの向こう意気の強くて怒りっぽい信長が、よくも我慢をしたものである。長篠における武田勝頼と比べてみると、『さすがは名将!』と、その勇気に感嘆させられる」

 孫正義は・織田信長に学び、やはり「退却の名人」である。その実例を紹介しておこう。
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2010年11月29日 13時32分
『孫の二乗の法則』 第7章 「風林火山海」の実践と応用―?「日本式のスタイルで交渉してもパートナーにはなれない」
 
目次

第7章 「風林火山海」の実践と応用

「日本式のスタイルで交渉してもパートナーにはなれない」


 ヤフーの二人が、日本から来た会社のなかで、ベンチャーだと思ったのは孫正義だけだったのはいうまでもない。結局、ヤフーは最後に来たソフトバンクと提携することになった。
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2010年11月28日 23時9分
『孫の二乗の法則』 第7章 「風林火山海」の実践と応用―?たいていは、ラフな格好でビジネスをする
 
目次

第7章 「風林火山海」の実践と応用

たいていは、ラフな格好でビジネスをする


 アメリカのヤフーは、ソフトバンクが当時、三〇数%の株式を保有し、一番の大株主は、創業者の二人であった。平成七年(一九九五)十一月にジフ・デービスの買収をしたときに、ジフ・デービスの社長は、
「孫さん、面白い会社があるから行ってみるか?急成長している会社だから、ジフ・デービスとして出資しようと思っているのだが、会ってみないか」
 と言って孫正義を連れていった。ヤフーはインターネットではすでに有名だった。
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板垣英憲(いたがきえいけん)ワールド著作集
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性別:男性
ジャンル:ニュース 政治・経済
ブログの説明:
「板垣英憲(いたがき・えいけん)ワールド著作集」は、政治・経済を中心に、教育・啓発分野、社会・宗教・歴史分野に至るまで幅広く執筆・出版して、まさに歴史の証言者として現代社会を活写、その本質に斬り込み、「今を生きる」ために役立つ指針を提示しています。奮ってご愛読下さい。*定期購読月額1000円
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カテゴリ
全て (4594)
◆『田中眞紀子という生き方」(1994年10月5日刊) (10)
◆『孫正義 常識を破って時代を動かす』(1997年4月20日刊) (92)
◆『田中眞紀子が天下をとる日』(2000年11月1日刊) (64)
◆『これが上田流県政改革だ―数字に学び、数字を超える―』(2007年5月1日刊) (124)
◆『株・確実に儲ける投資戦略』(1986年6月25日刊) (93)
◆『株を撃て 株式投資の心理学』(2006年3月22日刊) (97)
◆『今こそ英国で学ぼう』(1995年10月16日刊) (46)
◆『武村正義のマキァベリズム』(1994年3月25日刊) (57)
◆『風切り龍太朗 十番勝負』(1994年2月10日刊) (83)
◆『石原慎太郎の日本を救う決断』(2003年10月10日刊) (99)
◆『テレビキャスターコメンテーターは本当に信用できるか』(2004年10月16日刊) (131)
◆『政権交代 小沢一郎 最後の戦い』(2007年7月12日刊) (88)
◆『 ヤオハン 日本脱出を図る大陸型商法の発想』(1990年12月25日刊) (64)
◆『ユダヤ株で儲けろ!』(2004年7月7日刊) (89)
◆『ユダヤが狙う株で儲けろ〜世界金融筋が注目する40銘柄徹底分析』(1987年2月10日刊) (50)
◆『ズバリ!』眞紀子節〜また言っちゃった!!―愉快痛快猛語録集(1994年11月10日刊) (76)
◆『なぜ…田中眞紀子は吠えるのか』(1993年11月5日刊) (51)
◆『ナスダック・ジャパン』(1999年10月15日刊) (112)
◆『野村證券残酷物語』(1984年8月25日刊) (59)
◆松下幸之助「商売戦術三十ヵ条」(2009年9月刊) (92)
◆『恐るべし野村證券の野望』(昭和61年12月25日刊) (72)
◆『【日本経済新聞】のここをこう読みなさい』(1995年4月26日刊) (75)
◆『なぜ?浦和・与野の不思議』 (2)
◆『誰でも知っている創業者のサクセスストーリー』 (34)
◆『二宮尊徳に学ぶ企業経営』(法人うらわ)1999年新年号より (18)
◆『徳川慶喜に学ぶ経営改革』({法人うらわ」1998年新年号より連載) (18)
◆「渋沢栄一に学ぶ」(「法人うらわ」2000年新年号月より連載) (19)
◆『野村総研』(1988年2月20日刊) (55)
◆『IBM神話の崩壊』(1990年6月20刊) (51)
◆『姓名と日本人 「悪魔ちん」の問いかけ』(1994年5月7日刊) (75)
◆『地球再生銘柄88を狙え』(1989年12月1日刊) (89)
◆『オウム事件と宗教政治戦争』(1995年12月15日刊) (52)
◆『「全員経営」のすすめ』〜グローバル時代に生きる経営理念と実践(2000年3月20日刊) (104)
◆『株式投資 プロの裏読み〜株を制する最強戦法の秘密』(1986年5月21日刊) (61)
◆『小沢一郎の大勝負』(2003年10月1日刊) (71)
◆『角栄と眞紀子 史上最強の父娘』(1994年2月15日刊) (73)
◆『「思いつき」を企画にしてしまう本』(1990年11月8日刊) (85)
◆『企画のアイディアがたちまちのうちに50浮かんでくる本』(1998年8月26日刊) (72)
◆『新聞記事の大ウソを暴く〜誤報・虚報・捏造・癒着を生む元凶とは?』(1990年7月25日刊) (89)
◆『元統合幕僚会議議長・矢田次夫の「日本防衛の構図」』(1986年12月刊) (51)
◆『カルロス・ゴーンに学ぶ改革の極意』(2001年10月10日刊) (79)
◆『村上世彰「私の挑戦」』(2005年12月14日刊) (101)
◆「鳩山家の使命」(2008年10月28日刊) (112)
◆『TPPの本当のネライ―あなたはどこまで知っていますか』(2013年9月25日刊) (80)
◆『高杉晋作が経営者だったら』(2008年3月25日刊) (76)
◆『自民党選挙の秘密』(1987年12月15日刊) (49)
◆『小泉・安倍 VS 菅・小沢 国盗り戦争』(2003年10月25日刊) (36)
◆『スラスラ書ける作文・小論文』(1996年4月20日刊) (52)
◆『目を覚ませ!財界人〜活力ある日本経済再建のための56の提言』1995年9月25日刊 (26)
◆『東京地検特捜部』鬼検事たちの秋霜烈日 1998年4月5日刊 (29)
◆永遠のナンバー2『後藤田正晴 男の美学』1996年2月10日刊 (27)
◆不信の時代なればこそ『誠』の経営学  (12)
◆『忠臣蔵』が語る組織の活性化術Q&A (17)
◆『風林火山』兵法に学ぶ経営学〜人は石垣、人は城 (10)
◆『未来への挑戦「坂本龍馬」に学ぶ経営学』 (10)
◆『人生の達人〜心に残る名言・遺訓・格言』2000年6月11日刊 (22)
◆『細川家の第陰謀〜六百年かけた天下盗りの遺伝子』1994年1月5日刊 (23)
◆『大富豪に学ぶ商売繁盛20の教訓―商機をつかむ知恵と決断』2010年1月20日刊 (30)
◆『内務省が復活する日』1995年10月25日刊 (28)
◆『情報流出のカラクリと管理術』2003年3月10日刊 (28)
◆『利権はこうしてつくられる』1991年3月25日刊1996年2月10日 (31)
◆『「族」の研究』1987年3月9日刊 (30)
◆『愛する者へ遺した最期のことば』1995年6月10日刊 (28)
◆『自民党選挙の秘密』1987年12月15日刊 (23)
◆『小中学校の教科書が教えない 日の丸君が代の歴史』1999年7月8日刊 (29)
◆『大蔵・日銀と闇将軍』1995年5月26日刊 (29)
◆『小泉純一郎 恐れず ひるまず とらわれず』2001年6月15日刊 (29)
◆『戦国自民党50年史』2005年12月15日刊 (25)
◆『小沢一郎 七人の敵』1996年2月6日刊 (28)
◆『小沢一郎の時代』1996年2月6日刊 (27)
◆『小沢一郎総理大臣』2007年11月10日刊 (28)
◆『小沢一郎総理大臣待望論』1994年11月1日刊 (30)
◆『ロックフェラーに翻弄される日本』2007年11月20日刊 (28)
◆『ブッシュの陰謀〜対テロ戦争・知られざるシナリオ』2002年2月5日刊 (29)
◆『民主党派閥闘争史-民主党の行方』2008年9月16日刊 (28)
◆『民主党政変 政界大再編』2010年5月6日刊 (28)
◆『国際金融資本の罠に嵌った日本』1999年6月25日刊 (30)
◆『政治家の交渉術』2006年5月刊 (106)
◆『カルロス・ゴーンの言葉』2006年11月刊 (92)
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