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第二十七話 「さまよい歩く死んだ者の魂」(近世百物語) |
2009年6月20日 14時0分の記事 |
◎近世百物語・完全版 第二十七話 「さまよい歩く死んだ者の魂」 死んだ者の魂の形を「霊」と呼ぶのなら、生きている者の魂の形は「心」と呼ぶのでしょうか? 心だけの存在としての「霊」。 心を、無くしてまで生き続ける……肉体としての「人間」。 心を持つ自然現象としての「木々」や「石」や「大気」やその他。 「心」と呼ぶ自分自身の「意識」。 心は、言葉の集合体として、存在しています。 でも、「言葉」は、我々が思っているような存在ではありません。 時々、誤解されますが……私の目には、死んだ者の魂の形が見えているのでは、ありません。 生きていようと、死んでいようと、無関係に……ただ「心の形」が見えているだけです。 現実の、その人の顔や肉体の形状を見ているのではなく……その形状が伝える「心の形」を、常に見ているのですから……その人が言葉で何を言おうと、どんなに着飾ろうと、見えている「心の形」は変わらないのかも知れません。 美しい肉体や顔の形状に包まれた「醜い心の形」は、私には不快な印象を持った存在でしかありません。 誤解する方もいるかも知れませんが……人の心を読んでいるのではありません。 ただ、心が、あらわす「形」だけを、見ているのです。 つづきをご購入いただけます(200円) 購入方法はこちら ※今回は、雁多の概念の話が主体です。 |
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[カテゴリ:近世百物語・完全版] |
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