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陰陽師(用語解説)
[用語解説(無料)]
2014年3月13日 22時40分の記事

※ここでは辞書にない口伝・秘伝を紹介したいところですが、狭義の「陰陽師」しか知らず、「現代に陰陽師が居るはずがない」と思われている方がいらっしゃいますので、辞書(=一般に知ることのできる知識)の引用と共に加筆いたしました。




【陰陽師】

<読み方>
 主に「おんみょうじ」と「いんようし」の、ふたつの読み方があります。
 古くは、中国のオリジナルのものを「いんようし」と呼び、日本独自に進化したものを「おんみょうじ」と呼び分けていました。しかし、今となっては……その分類は、明確ではありません。
 すべてが日本独自に進化したものに、なりつつありますので……われわれは、「陰陽師《おんみょうじ》」と呼ぶことにしています。


<意味>
 狭義の"陰陽師"と、広義の"陰陽師"があります。

 前者は、陰陽寮に属して占いを行う官人。現代風に例えると省庁に努める公務員の職業名としての陰陽師。中に研修制度があります。安倍晴明公の晩年の活躍が目立っていますが、通常は地味な作業を担っていました。陰陽寮廃止に伴い、血筋や知識を継承する者はあっても、現在、役職名としては存在しません。

 後者は、古より陰陽様々な知恵を持ち、術を扱う者を広く指しました。進化や盛衰、変化をしながら、陰陽寮ができる以前から廃止後も続いています。
 この術(知恵)は、古くは物部の時代に遡り、飛鳥時代から存在したとされる資料があり、それ以前の物部の伝承もあります。かつては陰陽師と呼んでいませんでしたが(御苗字《おんみょうじ》と呼んでいた説あり)、後に、中国の陰陽道が入り、陰陽寮で扱うこの術全般を陰陽道と呼ぶようになり、陰陽師もそれらの方術を使う者すべての名称とりました。


 この陰陽師には、都陰陽師、播磨陰陽師、法師陰陽師など、いくつかの種類があります。それらは、おのおのの「用語解説」の項目でご覧ください。




【参考】辞書には以下のように記載されております。


以下は辞書からの引用です。(一部年号を加筆しています。)


日本国語大辞典

陰陽寮に属して、占筮(せんぜい)、地相を見ることなどをつかさどった人。陰陽五行説に基づいて吉凶を占った。また、陰陽の術を行なう者を広く指す。おみょうじ。おんみょうじ。かんぱら。おんようじゃ。



日本大百科全書(ニッポニカ)

「おんようじ」ともいう。大宝令(たいほうりょう701)の制で陰陽寮や大宰府(だざいふ)に置かれた方術専門の官人。占筮(せんぜい)や地を相して吉凶を知ることをつかさどったが、平安時代(794-1185)になり陰陽寮のつかさどった天文、暦数、風雲の気色をうかがう方術を陰陽道とよぶようになると、陰陽師もそれらの方術を使う者すべての名称となった。平安中期に賀茂忠行(かものただゆき)が出てこれを世業化して賀茂家というが、子の保憲(やすのり917-977)系統は暦道を中心とし室町中期から勘解由小路(かげゆこうじ)家、ついで幸徳井(こうとくい)家とも称した。忠行・保憲の高弟の安倍晴明(あべのせいめい921-1005)の流れは天文道を主とし、室町中期以後は土御門(つちみかど)家という。これを求めたものは古代の貴族層のみならず、中世以後は武家、近世になると庶民にまで広がった。



国史大辞典

特殊な卜占法によって国家・社会もしくは個人の吉凶禍福を判じ、またそれに対応する呪術作法を行う方術士。古く飛鳥時代(692-710)から存在したが、令制では陰陽寮に官人としての陰陽師六人が置かれ、占筮・相地を掌った(職員令)。従七位上の官(官位令)。官人としての陰陽師の初見は『日本書紀』天武天皇十三年(六八四)二月条で、陰陽博士が別に居て陰陽生の教育にあたり、陰陽師は技術をもっぱらとした。陰陽得業生から陰陽師に任ぜられ、陰陽師から陰陽属や允に任ぜられるのが普通の昇進の途であった(『官職秘抄』下・『朝野群載』一五)。このほか大宰府にも一人置かれ(職員令)、正八位上の官であったが(官位令)、元慶六年(八八二)には、陸奥鎮守府に「軍用之用、卜筮尢要」として陰陽師を置き、貞観十四年(八七二)五月には、武蔵国で、出羽国が中央の陰陽生をその国の陰陽師としたのと同じケースでありながら、名称が権史生であったのを陰陽師と改称し、同十八年七月には、下総国の史生を割いて陰陽師を置き(『類聚三代格』五)、おいおい諸国の需要も満たされた。鎌倉時代に入っても、公武ともに陰陽師の官が置かれ、鎌倉幕府の陰陽師は安倍氏(土御門家)の支配下にあった。一方、一般職業名ともいうべき用法は早くから相並んで行われており、この方は民間に多く民衆生活と結び付いた。『今昔物語集』二四にみえる播磨国の智徳は達人として聞え、中世には陰陽師巫(かんなぎ)・陰陽師法師などがあらわれた。江戸時代には、諸国数万の陰陽師が土御門家の支配を受け、諸国に陰陽家触頭や取締を置き、職札を渡し、毎年運上を差し出させた。このうち、特に摂津・河内・若狭などの陰陽師は古来の由緒から「歴代組」と称し、朝廷の陰陽道祭たる天曹地府祭には「具官」として奉仕した。明治維新以後は、これら民間の陰陽師は多くは神道各派の教師などに転じた。

[参考文献]
斎藤励『王朝時代の陰陽道』、村山修一「上代の陰陽道」(伊東多三郎編『国民生活史研究』四所収)、同「宮廷陰陽道の成立」(古代学協会編『延喜天暦時代の研究』所収)、山上伊豆母「陰陽道の伝流と土御門「歴代組」の一考察」(『風俗』一ノ四)
(村山 修一・桃 裕行)



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尾畑 雁多
著者メッセージ
はじめまして、播磨陰陽師の尾畑雁多《おばた・かりんど》です。

 陰陽師には京都系統の「都《みやこ》陰陽師」と、播磨の国の「播磨陰陽師」の二種類の系統があります。  播磨陰陽師は、応仁の乱の時に京の都から播磨に戻った陰陽師達の子孫のことですが、播磨の国はもともとの陰陽師達のふるさとでした。

 播磨陰陽師には、夢に関してや、武術のことなど様々な伝承を持ちますが、今回はその中から「不幸のすべて」に関するお話と私が体験した不思議な体験「近世百物語」を、何回かに分けてしたいと思います。



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