マザーテレサにみる本当の勇気とは | |
[つぶやき] | |
2013年6月14日 2時27分の記事 | |
私が高校生だった頃、拳児という漫画が流行りました(笑) 主人公が中国拳法の使い手で、ごく普通の少年なんですけど、すごい師匠に弟子入りを許可されて、門外不出の八極拳という拳法を習い始めます。
で、今日のテーマは中国拳法ではなく(笑)、その拳児という漫画に出てきた詩人ゲーテの詩の一節に関係します。 当時私は17歳くらいだったんですけど、今でも鮮明にその詩を覚えています。 それは、こんな内容です。 財貨を失ったのは---いくらか失ったことだ! 気を取り直して、新たなものを得なければならない。 名誉を失ったのは---多く失ったことだ! 名誉を獲得しなければならない。 そうすれば、人々が考え直すだろう。 勇気を失ったのは---全てを失ったことだ! 生まれなかったほうがよかっただろう。 この詩で最も言いたいのは、勇気の大切さなんだと思いますが、私は勇気というのを行動する勇気と解釈したいと思います。 自分自身の信念を貫いて行動する勇気とでも言いましょうか。 これをもっとも生きながら現実化したのは、私はマザーテレサだと思います。 マザーテレサの最も偉大なところは、その生涯にわたって献身的行為を貧しい人のためにし続けたことです。 単なる思い付き程度では、3か月ももたないでしょう。 それを生涯をかけて貫き通した人物です。 マザーテレサは最初、女学校で地理の教師をしていたといいます。 とてもユニークな授業だったらしく、女生徒からとても人気があったそうです。 19歳で教え始め、約20年務めた後、インドのカルカッタで最も貧しい地域に赴き、そこで貧しい子供達を集め、ボランティアで勉強を教え始めたそうです。 そのうち、マザーテレサを慕う人々が徐々に集まりだし、やがて多くの人がマザーテレサとともに布教活動を行うようになります。 マザーテレサを何度かリーディングしたことがありましたが、もっとも最近したリーディングでは、マザーテレサは今、個別意識での学びの最終段階を迎えつつあるという直観を得ました。 これを超えると、おそらく神に近い領域(7次元以上)に向かうことになると感じます。 最後に、マザーテレサが愛したアッシジのフランシスコの祈りをご紹介したいと思います。 主よ、あなたの平和をもたらす道具として、私をお使いください。 憎しみのあるところには、愛を 不当な扱いのあるところには、一致を 疑惑のあるところには、信仰を 誤っているところには、真理を 絶望のあるところには、希望を 暗闇には、光を 悲しみのあるところには、喜びを 持って行くことができますように 慰められることを求めるよりは、慰めることを 理解されることよりは、理解することを 愛されるよりは、愛することを 求める心をお与えください 私たちは自分を忘れ去ることによって、自分を見いだし 許すことによって、許され 死ぬことによって、永遠の命をいただくのですから 最終編集日時:2014年7月31日 23時26分 | |
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1. はるぱぱ 2013年6月14日 8時27分 [返信する] そうですね。 ”勇気”(=心の力) 現実世界を生きていく上で最も大事なものなのかもしれませんね. 私はそう思っています. とはいえ、勇気を希求しながらも、それを発揮する機会を多々逃してしまっているのが現状ですが(苦笑) それに関連して私のマザーテレサの言葉から好きな一節を 私たちはつつましい仕事から離れてはいけません。 というのは、この仕事を誰もしようとしないからです. 仕事が小さすぎると言うことはありません. 私たちは、とても小さいので、小さいやり方で物事をみているのです. たとえ、私たちが誰かのためにちょっとしたことをしたとしても、 全能の神は、全てを偉大なこととして見てくださいます. 偉大なことが出来る人は世の中にたくさんいます. けれど、つつましい仕事をする人たちは、ほんとうに少ないのです. 2. いみみ 2013年6月14日 11時42分 [返信する] 素晴らしい言葉、ご紹介いただきありがとうございます。 マザーテレサのいう「つつましい仕事」は、無私(わたくしの無い、薄い)行為なのかもしれませんね。 マザーテレサがノーベル平和賞を受賞したとき、その賞金はすべて寄付されたんですが、そのことに関連してインタビューを受けたとき、マザーテレサは「このお金でいくつのパンを買えますか?」と言われたそうです。私はマザーテレサを思うとき、時々この言葉を思い出します。 3. h3813 2014年8月1日 1時21分 [返信する] 今晩は。 マザーについて私が最近関心を惹かれたのは、「マザー・テレサの心の闇」といった題名でだったと思いますが、マザーが生前長期間に渡ってほんの少数の神父方に書き送っていた書簡を公表したものでした。 真摯に生き、奉仕の志を貫き通したマザーが抱えていた心の深奥の苦悩が息苦しい程に切々と伝わってくる書簡でした。 生前のマザーが一般には公表しなかったあの強く深い悩みから、今は解放されていらっしゃるのか。 そして、どの様にその悩みから解放され、どのような心境に到っておられるのだろうと、私は時折思うことが御座います。 4. いみみ 2014年8月1日 19時3分 [返信する] コメントありがとうございます。 その書簡がどのようなものだったかは、私は存じ上げないのですが、ひとつだけ私に感じられるのは、マザーテレサの中に神に対する信頼感の揺れ動きがあったのではないかと感じます。 しかし、私が感じている、20代くらいの若々しいマザーテレサは、毎回の内観の中で徐々に神に対する不信感が払拭されていったと、私に告げてきます。 それは、信頼も不信感も、自分自身が作り出す幻想に他ならないからなんだろうと思います。 マザーテレサは、一枚の枯れ葉を手にもって、笑顔でこんな印象を伝えてきます。 「私はもう、目の前にある枯れ葉を救い上げることに何の迷いもありません。」
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