最古の仏教典を伝えた人物と、 輪廻転生の真実とは | |
[ブッダ] | |
2013年6月21日 11時26分の記事 | |
ブッダの思想で最も優れていると思われるのは、誰かに依存することなく、自分自分を頼りなさいと言ったことです(自灯明・法灯明の教え)。 これは、物事を解決していくためには、結局は自分自身でよく考え、自ら決断していくことが最終的な成功につながるといった、一種の人生訓・成功哲学にも通じてくるからです。 そういった意味では、本格的に宗教化する前の原始仏教の教えというのは、実践的であり、機能的であるのだなと思います。
皆様、応援の方、よろしくお願いします ↓ポチッとお願いします(^0^)/) ところで、ブッダ自身が伝えたところの教えを知るには、今となっては弟子達の残した経典に依らなければならないわけですが、研究者の話では、前々回お話したスッタニパータの韻文部分がおそらく最も成立が古いそうです。 それと関連して、スッタニパータあるいはそれと同程度に古いとされるダンマパダの編者が誰なのかが、ブッダの直接の言葉が残されているかどうかを見極める上で重要となります。 私のリーディングでは、前々回お話したダンマパダ、スッターニタの中で出てくるブッダの言葉というのは、舎利子という弟子が後世に残したものだという印象があります。 仮に舎利子自身が直接の編纂にあたっていなくても、舎利子の伝えたブッダの教えが深くかかわっていると感じます。 ちなみに、舎利子という人がどういう人かよくわからなかったので、リーディング終了後調べてみると、ブッダの十大弟子の一人で、智慧第一と称され、最高の悟りを得た後、ブッダからの信任も厚くブッダの代わりに説法を行うこともあったという人物らしいです(こちらをご参照ください)。 リーディング中は舎利子という人物について予備知識は全くなかったのですが、上にあるように智慧第一で最高の悟りを得た人物という点から考えると、舎利子が中心となって初期のブッダの考えが口伝として残され、それがのちに経典になった可能性があるように思います。 ちなみに、舎利子はブッダより先に亡くなっています。一説では、ブッダより年長であったという説もあるみたいです。 ですから、舎利子とブッダの最期の弟子とされる阿難との間には、相当年齢の開きがあったものと思われます。 当時は、交通手段もほとんど限られていましたから、弟子と言っても常にブッダとともに過ごしているような付き人である僧侶以外は、師であるブッダに会うことはあまりなかったのではないかなと思います。 ですから、弟子達は、師のもとを離れたら、自分の意思で師から学んだことを他人に伝えていったのだと思われます。 ですから、仏教成立当初は、口伝というのが最も大きな役割を果たしていたのではないかと思います。 そして、ブッダ入滅後数百年が経って、ようやくきちんとした形で様々な経典として弟子の系列ごとに思想が残されたと感じます。 ですから、ダンマパダやスッタニパータはその成立年代も古いですが、ブッダをよく知る弟子、特に舎利子の系列の弟子が経典として残したのだと思います。 以下は、スピリチュアルな話となります。 ところで、今回お話したいのは、いわゆる輪廻転生についてで、転生回数の持つ意味についてです。 まず前提として、輪廻転生については、以前ブログでもお話したんですが、私の立場は同一パーソナリティでの転生はないという立場です。 転生するのは、同じトータルセルフ(より大きな「自分」)内の別のパーソナリティです。 まれに再生といって同一パーソナリティが再び地上に表れることもあるみたいですけど、基本的には別のパーソナリティが地上に表れてくると考えます。 ですから、人間は死後も、別のどこかの次元で地上と似たような生活をし続け、進化に応じて次元の階梯を歩んでいくことになります。 これを前提に、以下において転生回数のお話をしたいと思います。 転生回数の多さは、その魂の進化の程度を表わすとは限らないみたいです。 例えば、イエスキリストは、私の感応では354〜480回程度転生していますし、マザーテレサは600回以上転生しています。 つまり、人類から見ていわゆる聖人と言われる存在でも、かなりの転生回数を持っているようです。 逆に、ただ1度だけ地上に転生してきた人物もいると感じます。 私の感応では、その人物の名前は、ラーマ・クリシュナです。 この人物の場合かなり特殊なケースで、リーディングによれば、「人類を救うためだけのために転生してきた」と伝えてきます。 逆に、異常なくらい転生回数の多い人物として、ブッダがいます。 私の観応では、数千〜数万回転生しています。 リーディングによれば、それは(ブッダの)「宿命による」ものなんだとか。 このブッダの最大で数万回という異常なほどの転生回数の多さは、もしかしたら人間以外の生きとし生けるものすべての転生まで含まれているのかもしれません。 転生によって、魂はその浄化や、進化において必要な学び、発展、自己成長などが得られ、魂の成長にとってはなくてはならないもののようです。 これはおそらくは、トータルセルフ(より大きな「自分」)の進化、成長を意味しています。 今我々が自分であると考えている自分ではなくて、さらに大きな意識の上での総体としての「自分」です。 トータルセルフは、転生を重ねるごとに成長していく、そんな印象があります。 転生自体は、それ自体が独立してなされていくものであって、自己成長により、転生を抜け出た後も転生した自己は存続し、転生している状態は継続していくとされています(これはセスからの情報です。) つまりは、すべては同時に起こっているのが霊的真相であって、転生している自分も、転生を抜けてされに進化し続けていく自分も、同時に生命活動を営んでいるといわれています。 ちなみに、ブッダは輪廻転生は否定したと一般には思われているかもしれませんが、ブッダが自身の転生について語ったとされる文献は残されています。 それによれば、ブッダはその誕生前に別の宇宙期において七仏として転生したとされていますし、よく知られるところでは、未来にブッダが再臨すると予言されたことです。 その時のブッダの名前が、弥勒であるとされています。 つまり、世にいう弥勒菩薩です。 弥勒菩薩については、ヘミシンク探求の初期の頃、何度か非物質的に調べたことがありましたが、なにぶん、まだ情報のコントロールができていなかったところもあり、今後また弥勒菩薩についても調べていけたらいいなと思っています。 ただ仏教の布教活動の草初期の頃を伝える文献にほとんどスピリチュアルな話が出てこないのは、それがブッダの布教の方針だったからだと感じます。 ブッダはもっとスピリチュアルな世界について精通していたと感じますし、上の七仏の話などは、その片鱗が伝わっている可能性があります。 しかし、ブッダとしては、誤解を避けたかったというのがあるように思います。 スピリチュアルなことを伝えても、誤解されたり、歪曲されたりして、その真意が伝わらないことがたぶんにあると考えたのでしょう。 それは、現代においてもそうですよね。 人は、見た目の華やかさに惹かれます。 超能力、予知、スプーン曲げ、その他もろもろ、見た目ですごいなと思わせられる「現象のみに」惹かれがちです。 しかし、大切なのは、現実がいかにして作られているのかをそれらの体験を通して知ることであり、またそうであるならば、そういった超能力を「示すことなく」伝えられるという点があります。 だからブッダはイエスとは異なるアプローチをとったのだと思います。 もちろん、時代や国は異なりますが、多次元的にはブッダはイエスの出現を察知していたはずです。 リーディングしたときに得られる、イエスにはないブッダの魂の深淵な感覚。 それは、ブッダのあらゆる体験(過去、未来、すべての時空で)体験された経験によるところが大きいのかもしれません。 Some rights reserved by Flikkesteph 最終編集日時:2014年7月31日 23時17分 | |
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1. アシカビヒコ 2014年8月3日 15時40分 [返信する] ラーマクリシュナ!あの方はたしかに特殊ですね。地上を生きるための世渡りの術みたいな知識をいっさい持たずに生まれてきた方との印象が強いです。一度だけの転生というのはうなづけます。インドが物質への降下のただなかにあるとき霊性の光をともした奇跡的な方。その霊性に圧倒されます。
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