レムリアの1つの蓋然的真実 | |
2013年7月12日 12時38分の記事 | |
今回のお話は、ちょっと難しいかもしれません。 我々がレムリアと呼ぶ時代についてなんです。 情報源は、セスです。 本に書かれていることではなく、独自にチャネリングしたものです。 以下の話を理解していただくためには、意識の表現方法や発現形態は、たったひとつではないのだということを、意識をできるだけ拡大して考えていただく必要があります。
レムリアというのは、ムーとは異なっています。 それは、遠い遠い未来での話です。 異なる次元と置き換えてもいいかもしれません。 ですが、彼らも我々と同じように人類であり、人類の亜種とでもいうべきものです。 実は、進化というのは、直線状には進んでいません。 イメージ的には、無数の箇所で同時期に進化が進行します。 夜空に見える無数の星、様々な星々は、時折、大気の影響で揺らいだり、点滅したりして見えることがあります。 あんな状況かもしれません。 一度に、同時期に、様々な命が点滅しているような状況です。 様々な領域で同時期に、無数の生命活動が営まれ、そこで新たな進化・発展が生まれていきます。 レムリアもその中の一つから生まれました。 レムリアは、未分化の集合意識であり、我々のような個別意識での活動というものをもっていません。 彼らの意識は、階層構造になっていて、互いに密な連絡関係が成り立っています。 そして、全体として一つの意識を形成しています。 さらにいうと、意識の発現の仕方が異なっています。 我々は、今、地球上で生活していますよね? 家があり、道路があり、建物があり、スーパーがあり・・・ それは、もとをただせば、我々の意識の産物なわけです。 言い換えれば、意識の発現した結果です。 我々はそうやって、自分たちの意識を発現する方法を、無数にあるやり方の中から選び出したわけです。 したがって、意識の発現のやりかたは、我々のやり方だけではありません。 レムリアでは、我々とは全く異なる意識の発現の仕方をとっていました。 ですから、彼らには家も、道路も、建物も、スーパーもありません。 我々のような生活形態をとらないのです。 彼らは、意識のなせる本質的な部分に着目していました。 一つ例を挙げるならば、我々の知るところの「喜び」という性質です。 彼らは、喜びを意識の発現を介さずに直に体験する方法を持っていました。 つまり、彼らの生きる生活形態というのは、家や道路や建物やスーパーを作る以前の問題だったのです。 たとえそうであっても、彼らは本質的な喜びとは何かを常に味わっていました。 代表的なものは、「富(とみ)」です。 富というと、我々はお金を想定しますよね? ですが、このお金というのは、意識の発現した結果であり産物なわけです。 レムリアの人々は、心の富を重視していました。 つまり、お金という表象に至る前段階の、意識の中にある状態です。 ですから、レムリアの人々は、個別意識ではなく、集合意識として生きていましたが、何が幸せなのか、我々以上に知っていましたし、集合意識内部で、今の我々の個別意識での生活に影響を与えうる萌芽(ほうが:始まり)も、すでに存在していました。 彼らと我々人類は、意識の上でネットワークとして常につながっていますから、別次元で今でも生きる彼らとは、常に情報のやり取りが我々人類の集合意識レベルでなされています。 レムリアの人々を我々にわかりやすくいうと、彼らは木のようなものです。 木は、服を着たり、勉強したり、スーパーに買い物に行ったりしませんよね。 木は、はたから見るとじっとしています。 でも、間違いなく、生きています。 木の内部では、ダイナミックな生命活動が営まれています。 しかも、意識の上では、木は周りの木々と連携をとり、全体として森を形成し、地球全体の緑を形成し、一つの植物界における集合意識を形成しています。 レムリアの人々は、この状況に似ています。 ですが、彼らも我々人類の亜種であり(彼らから見れば我々が亜種なわけですが)、我々は、互いに仲間として、全体としての進化に貢献しています。 皆様、応援の方、よろしくお願いします ↓ポチッとお願いします(^0^)/) 最終編集日時:2014年7月31日 18時42分 | |
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1. はるぱぱ 2013年7月12日 16時52分 [返信する] こんにちは。 今回の記事には正直言って驚きを隠せませんでした. と申しますのも、以前私の次の転生について聞かされたことがありまして(別に尋ねたわけではないんですが帰宅途中に不意に降りてきたんです)、その中で二つのことを言われました. 一つは次の転生では私は木に例えるなら”幹”のような存在になること. もう一つは、その転生するところはレムリアであるということ. そのことを決めた上で今回生まれてきたことなどです. レムリアに生まれることと幹のような存在になることの意味が、今ひとつよくわからなかったのですが、何となく分かったように思います. まぁ、私の妄想でなければですけどね(笑) 2. いみみ 2013年7月14日 6時53分 [返信する] はるぱぱさん、 非常に興味深いお話ですね。 一般にレムリアというのは、我々の人間に近づけて描写されていることが多い気がします。 確か、レムリアについて書かれた本なんかもありますよね。 私は読んだことがないんですが、読まなくても手に取ってみるとだいたいの方向性を感じます。 ただ、記事の中でも触れましたように、本当のレムリアは我々の想像をはるかに超える可能性があります。
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