マヤ文明とアトランティス文明との関係性 | |
[古代大陸] | |
2013年8月11日 6時2分の記事 | |
マヤ文明の巨大彫刻発見、グアテマラ National Geographic News August 9, 2013 先月、グアテマラ北部のペテン県にあるマヤ文明の古代都市ホルムルで、漆喰(しっくい)製の巨大なフリーズ(建築物の帯状の装飾)が発見された。 埋まっていたのは、ホルムルの長方形ピラミッドの基礎部分で、全長8メートル、高さは2メートルに及ぶ。マヤ神話の世界観に沿って複数の人物が描かれており、神格化された統治者であることを物語る。
Photograph courtesy Francisco Estrada-Belli 今私は、マヤ文明のピラミッドのそばに非物質的に立っています。 すぐにガイドを呼びました。 このガイドというのは仮の呼称で、私の広大な潜在意識の領域につながる象徴です。 情報源へのアクセスは、このような象徴を使うことでうまくいきやすくなります。 今私が見ているマヤのピラミッドは、今から約1000年前にできたものだと言います。 割と新しいんですね。 当時、マヤでは王の絶対的な支配が確立していたと言います。 ですが、王の上に神が位置していました。 これは、微妙ですが、エジプト文明の王の地位とは異なると言います。 エジプトの場合、王は神の意志を体現するものだったのに対して、マヤでは明らかに王ですら神のしもべに過ぎなかったからです。 神の意志を人々に伝えたのは、シャーマンです。 当時、シャーマンは、マヤの文明においては、絶対的な決定権を持っていました。 神の意志を王にさえ伝える存在だったからです。 ですから、シャーマニズム的な儀式を非常に重視していましたし、生贄もその延長線上にありました。 ですから、別の視点から見れば、神の前には、ある程度ですが、どの民も平等ではありました。 そのため、一般的にみれば、平和な世の中が続いていたと言います。 当時の人々の死生観というのは、ある意味現代とはかなり異なったものでした。 人々はどこかで、肉体というのは魂の仮の入れ物であることを理解していました。 そして、生というものに、ある意味それほど強い執着というのがありませんでした。 ですから、当時常習的に行われていた「生贄」という習慣も、現代の我々とは全く異なり、それ自体ポジティブにとらえていたのです。 つまり、生贄とは、完全に神聖な行為であって、生贄に選ばれた人物は、最も高貴であって、幸運な人物であるとされていました。 なぜなら、神の代理人であるシャーマンの儀式によって、生の修行を切り上げて神のもとへと早々と向かうことができたからです。 このマヤという文明ですが、最終的にはスペイン人によって征服されてしまいます。 マヤ文明の崩壊は、自ら崩壊への道へと進んだのではなくて、スペイン人によって「崩壊へ向かうように仕向けられた」のだと言います。 この今観てきたマヤ文明とアトランティス文明との関係を観ていきます。 スピリチュアルの世界では、この両者は延長線上にあるとされているようですよね。 つまり、アトランティス人の生き残りが、マヤ文明を作ったのだと。 エドガーケーシーのリーディングにもそれっぽい記述があったりしますので。 ですが、この両者を延長線上に見るのは、相当に違和感があります。 なぜなら、アトランティス文明というのは、今の我々から見れば相当に蓋然的要素(存在したかどうか定かではない度合い)が強いからです。 1.間違いなく存在していた。2。存在していた可能性が高い。3.存在していたかどうか微妙。4.存在していなかった可能性が高い。5.存在していなかった。 こんな風に、仮に存在の確かさを5段階に表してみると、アトランティス文明は3に相当します。 この考え方自体、相当違和感が今の我々にはありますよね? それは我々が、物事というのは、白か黒に峻別できるものだとどこかで思い込んでいるからです。 存在しているかもしれないし、していないかもしれないという中間レベルというのを設けることにあまり慣れていないからです。 ですが、日本人に限ってみれば、これが割と得意だったりはします。 死後世界って、あるかどうかわかんないけど、あってもいいかな、みたいにとらえているところがあります。 お墓参りに行くと、親は子供に「(お墓参りしてくれて)お爺ちゃんが喜んでいるよ。」などと言ったりするのは、日本人の独特の死生観が反映されているように思います。 理屈では否定していても、どこかで死後世界を受け入れているんですよね。 そういったいあいまいさというのを日本人は持っていたりします。 話を戻すと、アトランティスは、「存在しているかどうかわからない度合い」の強い文明であって、存在の確かさを仮に距離で言い表してみると、「今の我々から見て」はるかに離れたところにある蓋然的世界です。 それは、日本人にとって江戸時代は間違いなく存在していたので距離的に近いですが、八百万の神々が天孫降臨してきた時代は今の我々にとって距離的には遠いのに似ているかもしれません。 また、事情を複雑にしているのは、アトランティスという国です。 我々は、アトランティスという大きな国があったと考えがちですよね。 でも、私に映るアトランティスは、それとは異なっています。 アトランティスとおぼしきエネルギーフィールド全体を見渡してみますと、その存在領域においてエネルギーの集中度が高いポイントがあります。 これは、人のエネルギーフィールドを観たときに、エネルギーが特に集中している光の点が見えてくるのに似ています。 人の場合、それがその人の過去世につながっていたりするんですが、アトランティスのような国の場合、それがある時代(次元)のある場所における文明につながっています。 それが、エーゲ海付近、クレタ島あたりにかつてあった巨大神殿であったり、あるいはカリブ海海底に沈んでいるとされるピラミッドという形で、部分的に現存していたりします。 他にも、地殻変動によって消失した部分は多いですが、その痕跡は今の地球にも部分的に残っています。 以前私は、こういったアトランティスの遺構を目にするのをネガティブにとらえていたことがありましたが、最近は、これも時代の流れなんだと考えるようになりました。 ムー=アセンション後の世界、アトランティス=ディセンション後の世界と単純に割り切れないところがあると考えるようになったからです。 また我々が、ムーやアトランティスとはまた違った、第三の進化の道を進みつつあることも感じていたりします。 ポジ、ネガという見方をあえてするならば、私は我々が進みつつある方向性をポジティブにとらえています。 アトランティスとひとくちに言っても、その時代(次元)が様々である可能性があり、巨大な一つの大陸として、国として栄えていたとは言い難い部分を持っている可能性があるのです。 ましてや、今の現代の我々から見て、その存在確率は「非常に遠いところに」あります。ですがそれは、存在していないのではなくて。 ですから、今の我々から見て割と「近いところに」位置しているマヤ文明とアトランティス文明を比べること自体、かなり無理があるのだということになってきます。 ですから、リーディングでアトランティス崩壊の時代を観ても、少なくともそれが約12000〜9874年前ぐらいまで絞り込むことが出来ても、 マヤ文明のマヤ歴が基準点とする時期(今から約5000年前)とアトランティス崩壊時期との間には、少なくとも5000年以上のミッシングリンクが存在していて、その溝は埋まらないというのも、上で述べてきたような事情が関係していると感じます。 ただし、高次によれば、マヤ人とアトランティス人には、似ているところがあると言います。 第一に、古代マヤ人とアトランティス末期の人々は意識レベルが似ていたのと、第二に、今の我々から見て進化とは別の路線に両者とも進んでいたことです(文明崩壊はその一つの象徴です)。 どちらかというと、マヤ人とアトランティス人との関係は、「意識の上での」関係性というのに近いです。 たとえば、高次によれば、マヤで有名なさきほどのマヤ歴などには、アトランティス時代の叡智が用いられていると言います。 ですが、この叡智がどこからもたらされたのかと言えば、それは直接的にいわばアトランティス人の生き残りの人々によってもたらされたのではなく、アトランティス人からマヤ人に転生した人物によってもたらされた可能性が高いということです。 Some rights reserved by Ben124. 最終編集日時:2014年7月31日 18時26分 | |
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