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三木成夫氏の著書 2
 
2014年7月9日 14時37分の記事









 ≪羊水と古代海水≫ 
(モノクロのイラストの 上部が1 中が2 下が3)

「1が古生代の水生卵、2が中生代の陸生卵、3が新生代の着床卵。母なる海から母胎のなかへ、生命が海の水と抱き合わせにとる込まれていく過程が見られる」(図に添えられている文)






『胎児の世界』より


「羊水に漬かった胎児がその小さな肺でもって羊水呼吸を営むという図柄は、何かあの太古の海の鰓呼吸を思わせるものがありはしないか」


「あの脊椎動物の上陸のとき、かれらはその古代の海水を「いのちの水」として持って上がったのだ。からだのすべての細胞をその体液にひたしながら。それは「血潮」のことばに如実に表現されているではないか」




(モノクロイラスト図は)「脊椎動物の卵を系統的に並べたものである。上は魚類と両生類の水中に産み落とされる卵。中は、爬虫類と鳥類の陸上に産み落とされる卵。下は、哺乳類の子宮に着床する卵。それぞれ古生代、中生代、新生代を象徴するものと見られる」





 まず、上の水生卵では、その卵膜をとおして、胚を包む「いのちの水」が外の海水と融通無碍に交流する。胚はそこから酸素と水とミネラルを吸収し、炭酸ガスと老廃物をかわりにそこから排泄する。食物といえば、みずからの腸のなかに母親がいっぱいに詰め込んでくれた卵黄顆粒の遺産がそれだ。「卵黄」とよばれるこの胚の食料は、植物の澱粉類を材料として母親が丹精こめてつくり上げてくれた、まさに「栄養の精」とよばれるにふさわしいものであろう。胚は、この蓄えを少しずつ消費しながら刻一刻と大きくなり、しだいに柔らかさを増すと、この卵黄をついに自力で破って、水底の砂の上に静かにその身を横たえる。お腹はまだ布袋(ほてい)のごとく身動きもままならぬ状態だ。胚はしかし、ここで初めて外の海水に肌を露わにし、これと直接交流しながら、その無限のふところに大きく包み込まれることとなる。かれらにとってこの大海原が「母」となることは、だから、もうまぎれもない事実ではないか。太古の海が生命誕生の母胎であることは、これまでおりにふれて述べてきたが、それを端的に物語る一つの情景である。この時期の胚は一般に「幼生」とよばれている。

 次に、陸生卵を見よう。これはもう、母なる海のふところから遠く離れた陸地に産み落とされる。そこでは、胚が固い卵殻で包装されるが、それは、卵管を下がる途中、その壁から分泌された理想の通気性を誇る“防水布”で、母親の最後の心尽くしであろう。ここで、殻のなかの胚を見ると、そこには、まったく新たな二種の袋ができている。透明な薄い膜の袋だ。その一つは、卵黄膜の袋の後ろから出た巨大な膀胱の袋だ。卵生時代の便器の役目を果たすので、「尿膜」とよばれるが、これはまた、その外面を殻の内側に密着させ、その血管を介して殻の外の空気とガス交換をもおこなう。もう一つが、問題の袋だ。それは胎児の皮膚が翻転して、からだ全体をおおったもので、なかにいっぱいの羊水を満たす。したがって胎児は、あたかもこの羊水に浮かぶ恰好となる。古海洋学の成果を参照すると、この羊水の組成は古代海水のそれと酷似する。脊椎動物の上陸が“海水をともなって”おこなわれたことの、それはまぎれもない証拠ではないか。この事実が本書を支える一本の柱となることはいうまでもない。

 終わりに、下の着床卵を見よう。ここでは、胚全体が栄養膜に包まれて子宮の壁にもぐり込む。その付着部では、この膜が無数の絨毛を出し、その場の壁にできた“血の池”に根を下ろす。この部分を「胎盤」とよぶ。ヒトの胎児では尿膜の血管が臍の緒をとおってこの壁に到達し、血の池を介して母胎の血流と交わり、ここでガス交換と併行して栄養物と老廃物の吸収・排泄をもおこなう。したがってここでは、栄養を蓄える卵黄膜の袋も排泄を助ける尿膜の袋も本格的に働くことはなく、ただ遠い卵生時代の名残をとどめるのみとなる。しかしこれに対して「羊膜」の袋は、ここでも満々と羊水をたたえるのである。この羊水は、だから、産み落とされた卵のなかにではなく、いまや子宮のなかを満たす。こうして、ついに母胎のなかにすでに古代の海が宿されることになるのである。「海をはらむ族(やから)」が哺乳類の別名といわれるゆえんであろう。

 このように見てくると、わたしたちは、遠い古生代のむかしだけでなく、胎児の時代においても、同じ海のなかにいたことがうかがわれる。そしてこの海との繫がりは、「上陸」ののちも、また「出産」ののちも、すでに述べたように血液を介して、いまもおこなわれているのであるが、このことは他のどんな陸上動物についてもいえることであろう。それどころか、すべての動物とすべての植物は、かたちこそ異なれ、めいめいのやり方でその遠い海と繫がっているのである。わたしどもは、このような地球の生物の究極の故郷である「海」というものの一つのシンボルとして、ここで躊躇することなく「塩」の結晶をあげるであろう。

 塩。これこそ“海の精”であり、わたしたち地球に棲む生物のいのちの最後の綱を象るものではないか。いつの日にか、宇宙生物たちが一堂に会するとして地球生物の旗印を求めるとなれば、もはやこれ以外にはありえないといえるほどのものではないか。地球を代表するかれらはみな、その胸に故郷のシンボルマーク“塩の結晶”をつけて堂々の行進をおこなうことであろう。それはまさに地球の「関数」ということができる。





「塩はこうして、地球上の生命をいまも支えつづける。かれらにとって、海の水から塩をとり出すその行為は、だから、もっとも厳粛なる生の営みということになる」





ケッショウ  なのですね





  。 。 。



(『胎児の世界』掲載画像などを置いてくださっている方)
http://urushi-art.net/hitokoto/2008/518/heart.html




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