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食む(2)
 
2016年8月24日 17時22分の記事

『長靴で歩いたハム・ソーセージ現場35年』より


(仏教伝来)

「かがり火が赫赫と燃え、将軍、副将軍連中は酒肴に満腹し、中には涎を流しながら眠っている者もいる。威勢の良かった巨勢比良夫も、半分眠りながら鹿の肉を食べていた」(「日と影の王子、聖徳太子」黒岩重吾)

その時に鹿肉を食べたという歴史的事実は不明だろうが その時代 動物が捕獲され 特定の武士などの食用にされていたのは事実…約1400年前の話

(仏教の公伝は538年とされている)
674年 天武天皇は仏教の教えにより 肉食禁止令
「牛、馬、犬、猿、鶏の肉を食べてはならない。もし、禁を犯した場合は処罰する」

牛、馬などは、家畜として、朝鮮半島、百済、新羅からの渡来人によって5世紀から6世紀にかけて仏教とともに入ってきた。一方、当時には山野に多くいた鹿、猪、兎、雉、山鳥などは禁止令に入っていないので、理解しがたいという見方もある。一方、動物性タンパクを補うため、山野に入り、動物を捕獲し食用にするよりも、容易に魚介類が捕獲出来ることが、肉食の禁止令につながった説もある。

仏教的な思想が立法や行政 政治理念に取り入れられ 現代に至るまで人々の思想に脈々と影響を与えているという

さらに、殺生禁断というような戒律が数多く生まれ、人々の物の考え方を決め、感化させていく。 147

平凡社の百科事典によれば、縄文式時代は、大きな石皿が使用され、この石皿と石鎚は、食物を調理するのに使用されたらしい。現代の食肉加工場にある筋切りの機械、テンダーライザーの元祖である。また、この石皿は、骨から骨髄を取るために、骨をこの中に入れ、石鎚で砕いて割ったりしていたらしい。 148


聖徳太子以後 仏教はさまざまな形で肉食を禁じてきた

天候の不順で作物の実りが悪ければ屠畜を廃止し、罪人の刑を減らした。家で飼育している豚を山野に逃した。しかし、仏教で禁じられていたが、隠れて肉を食べる習慣がなくならなかったようだ。資料によれば「45代目の聖武天皇(705〜756)は仏教に帰依し、奈良に東大寺を建て、大仏を安置した。畿内(きない)の百姓の豚40頭を買い上げ、これを原野に放して生命をまっとうさせ、かつ、全国に詔して、豚、家畜類の屠殺を厳禁し、犯すものを罰した。また、菜葉汁、豆腐を食べる習慣を作らしめ、わが国の人々を粗食の民とした。

46代孝謙天皇の時代に 1年間 殺生禁止令を出した

そのため海辺で魚を獲る人々でも生活出来なくなるので、人数により、籾をあたえた。つまり、当時の天皇は仏教の慈悲を万人に及ぼすことが政治の要諦であり、天子の道とした。天変地変、天候不順、凶作あるいは吉兆のときには、人々を潤し、恩赦をおこない、さらに、禽獣に放生(ほうじょう 捕らえた生物を放ち、逃がす)をおこない、慈悲を施した。 149


親鸞(1173〜1262)は仏教が日本に入ってきてから約600年後、この菜食の弊を看破したとされる。そのため、親鸞が肉食(にくじき)と妻帯という在家(仏道に入らぬ俗人)の考えを信仰に取り入れたことは現代でも有名である。とにかく、今まで続いてきた仏教の戒律を大胆にも、捨て去り、新しい仏教思想を確立したとされる。

肉食が禁止されて、約1300年たち、今から、約130年位前から食べられ始め、戦後、本格的に食べ始められたのは30〜40年前からではあるまいか。 150

参考資料:平凡社百科事典/米食・肉食の文明-筑波常治/牛肉と日本-吉田忠/日本畜産史/食肉加工百年史


(1543年 種子島島主の時尭は漂流してきたポルトガル人から小銃2丁を譲りうけた 153)

(信長はキリスト教に寛大であったようだ)
当時、仏教の肉食禁止の社会でも、渡来キリスト教では人は神の前で平等としたが、肉食は神より許されているとして、キリスト教が広まるに連れて肉食も広まった。

当時の日本人は公に禁止さられている牛や豚の肉やバター、チーズなどをポルトガル人がたべているのは驚きであった。

一方、彼らの方もまた、日本人が牛や豚の肉を食べないのは不思議に思っていた。宣教師クラッセは次のように書いている。

「日本人は牛肉、豚肉、羊肉を忌むこと、わが国の馬肉におけると同じ。また、牛乳を飲むのは生血をすうがごとしと敢えて用いず、牛馬極めて多いと雖も、牛は農耕等に用い、馬は戦場に持ちうるのみなり。日本人は狩猟の句期において得た野獣肉の外は食せず。山林にカモシカ、野猪、兎の類甚だ多い。鳥獣亦多し云々」。

九州の諸大名も鉄砲等の技術を習得するために、キリスト教には寛容であり、しかも、布教を認めていた。 154


(島原の乱-1636 を契機に鎖国令 155)

参考文献:日本畜産史-加茂儀一/牛肉と日本-吉田忠/百科事典-平凡社


江戸時代は 家畜(牛 馬)などを食べることを認められていなかったが 狩猟による動物や鳥等は食べても良かった

また 武士階級は体力を維持するために肉食をし 特に仏教とか行政に余り縛られない下級武士たちは牛肉を食べていた

公に許されないが 薬餌として牛肉を食べ
朝鮮からの渡来人は自国での肉食の習慣がたちきれず食べていた

牛は当時農家にとって田畑を耕す重要な家畜であり と殺して食べる行為はあり得なかったが 病死した牛などの皮は鎧などの武具に利用されていた 156


江戸時代、獣肉を売り、食べさせる店が多く出来たようだ。「薬食」「養生食」として肉食をしていた。一例として、「山奥屋」といって、江戸城に近いところに肉を食べさせる店があったそうである。猪、熊、狼、狐、狸、兎、猿などを食べさせていた。猪肉は山鯨と、鹿肉は紅葉といったりしていた。狩猟された動物はなんでも食べさせていた。これらは、獣肉鍋となり、江戸から、京、大阪に広まり、以後、牛、豚、鳥などの肉もネギを加えた料理になった。 157


1588 刀狩り令 (令の最後に「牛馬を食べてはいけない」の一条が加えられた)
1685年 生類憐れみの令 を追加
綱吉は戌年生まれだったため 犬猫等の殺生は勿論 つなぐ事も廃止

また、飼育する事が問題を引き起こす事になり、犬を捨てるものが増加し、野良犬が増えたので大久保、中野等で膨大な土地を確保して収用したそうである。罰則が厳しくなり、犬以外の動物、鳥なども殺したりすれば、死罪になったり、遠島などの厳罰に処せられた。

宝永6年(1709)に綱吉が死亡し その法は廃止された 158


江戸時代の初め、武家社会では戦闘のための武具が必要であり、多くの皮革が武具に使われた。武具をつくるためには、厳重の管理のもとで牛馬の屠殺が行われていた。皮革に利用される牛馬は、農耕用の老廃牛が主であったようだが、この時に出る牛肉は密かに食用とされていたようである。

その後 戦乱がなくなると 武具は余り必要ではなくなった

日本では、海岸線が多く、海、川では魚介類が豊富に捕獲でき、山野には狩猟が認められている鳥、動物が多く、敢えて、牛肉、豚肉を食べる必要性がなかった。しかも、仏教の影響を受け、忌避する考えが根強く人々の心にあった。 159

参考文献:日本畜産史-加茂儀一/牛肉と日本人-吉田忠/百科事典 平凡社


 ・


〈資材2〉

最近、食品の原材料が高騰している。企業は競って、利益を上げるために、内容物を小型化する傾向にある。必然的に1個の食品に占めるプラスチックフイルムのウエイトが大きくなる。一方、都市では、家庭から出るごみを再生するために、分別を厳しくしている。

「燃やすごみ」「プラスチック類」「かん びん」「紙 布」「ペットボトル」「小型不燃ごみ」のような種別

一例… 22万人の地方の一都市では
年間のごみ量6万9754tの内 約4.6%がプラスチック類

最終的にはバレット、棒杭、疑木、固形燃料などにリサイクルされるということである。プラスチックフイルムは数々の良点があるが、設備、回収車、人件費などで市役所は、ごみ処理に多大のコストをかけている。

購入者にも包材がプラスチックか紙かわかるようになっていて さらに詳しく記号が表示されている

例えば、3個一緒にした豆腐の容器には、帯にPP、フイルムにはPP、PA。ウインナーでは外装がPE、PP、個装はPVDC、ロースハムはPE、PA、ラーメンはカップがPS、外装フイルムはPPである。 86


「新版食品包装講座 芝崎勲、横山理雄 日報」からの引用と説明

  ポリエチレンフイルムPE、(Polyethylene)透明でヒートシール性に優れており、柔軟性と強度、防湿性に優れているので単体フイルムとして一般食品などに多く使われている。高密度のポリエチレンフイルムには、半透明であるが、マイナス50℃以下の低温にも耐えうることから冷凍食品の包装材料に使用されている。
  ポリプロプレンフイルムPP、(Polypropylene)菓子や加工食品の包装として使用されている。透明性、印刷性がよいのでラミネート基材として使用されている。
  塩化ビニルフイルムPVC、(Polyvinylchloride)軟質塩化ビニルフイルムは、伸度、引き裂き強さが大きいので、ストレッチフイルムとして魚や野菜の包装材料として使われ、硬質塩化ビニルのうち、40%が食品包装材料として使われている。塩化ビニルフイルムは、低温で収縮性に優れているので、熱収縮ラベルに多く使われている。
  塩化ビニリデンフイルムPVDC、(Polyvinylidene Chloride)透明で熱収縮とバリヤー性に優れているので、単体フイルムとして魚肉、畜肉ハム・ソーセージの包装材料として使われており、
  ラミネート基材としてもレトルト食品の包装材料にも使われている。また、塩化ビニリデンラップは、家庭にて食品を包む材料として使われている。
  ポリスチレンフイルムPs、(Polystyrene)は、耐水性、耐酸、耐アルカリ性に優れ、成型品の寸法安定性にもよい。ボリスチレン容器は、乳酸飲料や発酵乳、デザート容器などに使われる。
  ナイロンフイルムNYまたはPA、(NylonまたはPolyamide)強く柔軟であり、破裂に強く、耐ピンホール性とガスバリヤーに優れており、耐寒、耐熱性がよいので、レトルト食品、冷凍食品、液体スープの包装材料に用いられている。
  また、食品包装材料のほとんどが複合フイルムである。これは、2種以上の性質の異なるフイルムがラミネート(laminate)されている。食肉加工に使用されているラミネートフイルムはNY/PEなどが使用され、また、OPP/EVOH/PEとかPET/EVOH/PEは削り節、食肉加工品、乳製品、漬物、お茶カステラの包装材料として使われている。
  エチレンビニルアルコール共重合フイルムEVOH、(Ethylene Alcohol Copolymer)このEVOHフイルムは、バリヤー材としてラミレートや共押出し多層ボトルに使われている。とくに酸素によって変退色するみそ、ケチャップ、マヨネーズの包装容器として使われている。 88

『長靴で歩いたハム・ソーセージ現場35年』2014 藤間能之


…………………………


(「お茶カステラ」? ‥^^ (笑)(笑) ‥‥って何?)



まあ‥いつも数ヵ所直したりしますが
十数回 というのは無いですし ‥まだまだ自信もなく

コンランシタノカ ドウヨウシタノカ

イエナイハズノ ワタシガ イウッテコトハ ソウトウヤバイトオモウ‥

(大きくもなく薄い本は) 販売用?

コレハ‥ アレダ
「ミスシタノハ ダレ?」ノ ナスリツケアイ ガ ムズカシイホドノ アレ‥

ソコハ「、」ジャナクテ「。」デイイノ? トカ
(タンブン ブログフウ?)

アト イイマワシ トカ

コウセイシタノカナ? ガイコク ノ カタガ ヤッタトカ?


…………………………


 ・
最近 表皮-真皮?ではなく 角質層かな 製造されない部分にラップ貼ったりしまして いっときは効果の感じられることもありました (が ‥肉にぴったり とか なんでしょう)
 ・


・・・・プラス  あちこちで透明液が出たり 治りにくい 
長いといっても 諸現場は浅いかもしれない印象で

血が出続けているのではなく そして
私の場合は そこに薄皮がついているんですよね




「傷が深く、肉が見えた。血が止まらなかった」
「右腕には機動隊員の指が残したというあざが赤黒く残った」



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