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律しようとすること
 
2017年2月22日 10時22分の記事

『カラマーゾフの兄弟 1』古典新訳文庫/光文社 2007(2006〜)より



「ひとたび」「信じるや」「全身全霊を傾けて」
「自分も」「かかわり」「すぐにでも偉業をなしとげ」

しかもその偉業のためにはすべてを
自分の命さえも投げ出さずにはいられないのだ

しかし不幸にしてそうした青年たちは、命を犠牲にすることが、おそらくこうした多くの場合におけるどんな犠牲よりも易しい、ということを理解していない。たとえば若さにあふれる人生の5、6年を辛く苦しい学業や学究にささげることが、たとえ自分がえらび、成しとげようと誓った同じ真理や同じ偉業に仕える力を十倍強化するためのものであっても、彼らの多くにとってしばしばまったく手に負えない犠牲であることがわかっていない。 65



「…自分に打ちかち、自分を律しようとして…」

最終的には完全な自由、すなわち自分自身からの自由を獲得し、ほんとうの自分を見いださずに全人生を終える人々と同じ運命に陥るのを避けることができる」 69
 


「永遠の懺悔」

(たとえば)次のような言い伝えがある

古代キリスト教の時代、ある見習い僧が長老に課せられた責務をおこたり、シリアにあった自分の修道院を捨てて、エジプトへ出て行ってしまった。エジプトの地で彼は、長年にわたって数々のすばらしい偉業を成しとげ、ついには信仰のために拷問を受け、受難の死をとげることになった。教会は彼を聖者とさだめて亡骸を葬ろうとしたが、「信じない者は去れ」輔祭が一声叫ぶと、殉教者の亡骸を収めた棺はその場からころがり落ち、教会の外へはじき出されてしまった。これが三度までくりかえされたという。 70

『カラマーゾフの兄弟1』ドストエフスキー/亀山郁夫 訳




重い‥ と言いたいところでもありますが

実際 歯止め等を知らぬ 無視するような割合が
多すぎ 確率が高くなりすぎるのならば
その 厳しさは 妥当なのかもしれませんし

あるいは 拒否の姿勢ならば 全体の持続のために
何かは要るのでしょう

本来 「責務」などという堅い言葉を使わずとも
そこそこ暮らせる 進める はず だったのでは








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