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2018年3月24日 14時41分の記事



北斎/冨嶽三十六景/甲州三坂水面
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/4th_fujisan/01fugaku/4th_fujisan_01fugaku36_29.htm 
※御坂峠(山梨県富士河口湖町・笛吹市)
…御坂峠は、甲府盆地と富士山麓との間にある鎌倉往還の峠。本図は峠を下り、河口湖畔から富士を望む。中央左よりの湖上の島が鵜の島。その左側の建物は妙法寺と考えられる。中央の集落は勝山村であり、その右手前には河口湖南岸にある大原七郷の鎮守で中世には富士信仰の拠点の一つとなった冨士御室浅間神社の杜が見える。右端の足和田山の麓の集落は長浜村。




・・・・ ・・あと数冊借りていたりもし・・ ・・・・




(当時の「現住所」が掲載されていて)そのころ虎尾氏は佐倉におられた


その一

『延喜式』虎尾俊哉
平成七年新装版第一刷発行(昭和三十九年第一版第一刷発行)

…開始された戸籍作成作業…足かけ三年…

良・賤を確定する法規の必要があったからであり、この詔が出された結果、持統三年末の戸籍作成開始以前に親から売られていた子供は、この「庚寅年籍」ではすべて賤とされたはずである。と同時に、持統四年以後に親から売られた子供は、勿論この持統五年詔によって賤の身分とはなるが、しかし、「庚寅年籍」はすでに持統三年末現在の資料で作成を開始しているので、その事実は戸籍に折りこまれる余裕がない。従って、戸籍の上では依然としてまだ良とされているはずである。そして、後世、良賤の判定の資料としてこの「庚寅年籍」がよく引合いに出される性質のものであった点から判断して、この「庚寅年籍」の良賤記載はみだりに変更しないという原則が、何時からか生れたらしい。勿論、「庚寅年籍」より前に「庚午年籍」があり、これは他の戸籍と違って永久保存の規定もあって、後世時に良賤の判定では重視され、しばしば引合いに出された戸籍である。このような戸籍があるにもかかわらず、特に「庚寅年籍」を同じように重視するのは不審だといわれる向きもあるかも知れないが、実は持統五年三月に良賤に関する詔の出たこと自体が、これ以前の人身売買の規定をこの時変更したか、または、これまで明確な規定のなかったものをこの時期明確化したか、のいずれかであることを示すのであって、人身売買に起因する良賤の判定に関する限り、「庚午年籍」では役に立たないはずである。(…略…)
174-175 刑部省関係の式

雑式(巻五十) 208〜

澪標 みおつくし 211-212(大阪市市章画像は212頁) 

凡そ商賈しょうこの輩ともがら、銭文せんもん明かならざるに依りて嫌いとひて受けざれば、所司笞に決せよ。

これは要するに撰銭えりぜに禁止令に外ならない。 (…略…) 211

凡そ難波津頭の海中に澪標を立てよ。若し旧ふるき標くし朽ち折るる有らば、捜し求めて抜きされ。 211

難波津は今の大阪港である。その頭というのは人口を指す。澪標は澪すなわち水深の深い部分を示す標識であって、要するに航路標識に外ならない。現在の大阪市の市章はこの澪標をそのまま図案化したものである。これは航路の安全を確保するためのものであるから、常に正確な位置に確実に立てられていなければならなかった。したがって、くさったり折れたりして取り換えた際に、古い標識が一部分でも残されていることは許されない。勿論さがし求めて抜き去る必要があった。なかなか周到な規定というべきであろう。日本の内玄関としての難波津の重要性が遺憾なく現わされている。

凡そ太宰、南嶋に於いては牌はいを樹て、具つぶさに嶋名及び船を泊つる処、水有る処、幷びに去就の国の行程を顕はし著けよ。遙かに嶋名を見、仍りて漂着の船人をして必ず帰向する所あるを知らしめよ。

これも海事に関する興味深い細則である。南嶋というのは、太宰管轄のタネ・ヤク・アマミなどの島々で、遣唐使船の南島路に位置する島々である。これらの島には、太宰府の責任で立て札が建てられた。これには島名・淀泊可能地・飲料水のある場所・隣国への行程が記入された。(…略…) 212

凡そ諸国駅路の辺には、菓樹を植え、往還の人をして休息するを得さしめよ。若し水無きの処は便を量りて井を掘れ。

この規定は要するに官道の両側に食用の菓樹を植え、井戸を掘るなどして、暑熱と飢渇とを避けられるように配慮したものである。駅路の利用者は官使を主体としたから、これは一見庶民には縁のない既定のようにも見えるが、実はこの規定の起りは遠く天平宝字三年(759)六月にあり、その発案者は東大寺の普照法師であった。そして普照の奏状を見ると、「道路に百姓の来去すること絶えず」とあって、この文面から見、また発案者が僧侶である点から見て、この規定が庶民をも対象に含んでのものであったことは疑いない。ことに調庸の運搬者や官使随行した駅子などには、この上もないいこいを提供したに違いない。もっとも、これが果してどの程度に実行されたかという点が気になるところであるが、弘仁十二年(821)の大和の国(奈良県)から太政官あての報告には、この菓樹を近隣の人民が伐損して困るから、厳重に禁止して貰いたい、と述べている。これは一面、この植樹が実際に行なわれて旅人を益したことを示し、一面、これを伐損した現地民のいることも示している。苦しいのは旅人ばかりではなかったからである。しかし、とにかく全くの空文でなかったことだけは知られる。

ところで、陸上交通確保の上での最も重要な施設の一つに橋がある。この橋は勿論木橋であるから、その維持ということには、相当計画的な施策がとられていなければならないはずであるが、果せるかな、これについての規定の一端がやはり雑式に見えている。
(……略……)
213-214『延喜式』 

※太字は区別のため(記入者による) 



・・・・・・・・・・
大阪市章“澪標”

(家紋“結び文”http://www.preshion.net/design.php?id=km&page=152&find=#)
“結び文”(箸置き)の折り方 https://handmade3.jp/28.html
(家紋“丸に鋏”は1993の頃とは違い 今は裏返さなくても対称になったらしい)

・・・・・・・・・・

その二
 
『美の幾何学』伏見康治/安野光雅/中村義作
1993-10版(1979初版)中公新書554(のほうの頁)

(紋帖をくりながら)
逆立ちしてやっても「こんなにシンプルなものはできませんよ」
日本中の都市には 一種の紋章がある
なかなかいいのがない 失礼だけれども(安野)

大阪の「みおつくし」とか 神戸の「扇面二つ」とか
いいのがある(伏見)
54


「裏返し対称」:表面だけ見てると対称じゃないけれど
その物を裏返して考えれば ちゃんと対称になっている(中村)

伏見
たとえばこれね。(と結び文をつくる)これは全く平面の中の図形とみれば対称ではない。だけど、これはあくまで紙で追った物だと考えれば、裏返すと重なってしまうから対称なんです。

中村
鋏などもそうですね。手にとってひっくり返すつもりになれば、元の形に重なってしまう。

安野
あれはぼくは「やられた!」とおもったな。立体感覚がすぐれていて、平面に書かれた図形でもおのずと立体的に見える人じゃないと、あれは気がつかない。53


対称性をかぎとる能力

対象というとまず第一に考えるのは左右対称のことですが、それ以外にもいろいろあるので、対称性を調べるのには、その可能性をしらべてかからないといけないのです。北斎の冨嶽三十六景の中に、実に変な図柄がありますね。富士山があって湖があって、その湖面に富士山が逆さかしまにうつっている。そこまではいいのですが、その富士山の影が本当の富士山の真下になくて左に偏っているのです。よく見てみると、どうやら北斎は湖面の富士山を、本当の富士の「鏡映」として描いたのではなく、画の中心を中心として180度回転したものとして描いたとしか思えないんです。北斎はこの絵以外にも対称性があるんだということを教えようとしたんではないでしょうかね。紋の中に茗荷を左右対称にならべた「抱き茗荷」というのがありますが、これに対して左側のが逆さになっていて、「追いかけ茗荷」というのがありますね。対称性からいえば、これも「鏡映」から「180度回転」または「二つ割回転」に移ったことになります。抱き茗荷が本家の紋で、追いかけ茗荷が分家のものだと思いますが、この対象に思い付いたときには、考案者はずいぶん得意だったろうと思いますね。
伏見/9-10


伏見
三輪車で昔、サイドカーの付いたオートバイなんてあったけれども、あれもおそらく安定性が悪いでしょうな。

安野
サイドカー、よくないですよ。あれはカーブを曲がるときに、右へ曲がる時と左へ曲がる時で勝手が違うみたいですね。ですから乗せてもらってる人間がかなり援助しなきゃいけない。

中村
ヨットと同じような恰好……。

安野
そうなんです。カーブにくるとからだを半分乗り出して変な格好してバランスをとるんです。(笑)ぼく、乗ってみてはじめてわかりましたねえ。

伏見
だからそういう意味で、左右対称性というのは、ぼくはスタティックス(静力学)の世界では理解できないんじゃないかと思う。ダイナミックス(動力学)の世界でないと理解できない。だから幾何学といっても純粋な幾何学の問題ではすまなくて、少なくとも運動学を取り入れないとだめですな。

安野
運動を考えに入れてものを見ると、人間の存在とシンメトリーの関係はもっとおもしろいものに見えてくるでしょうね。
12『美の幾何学』



・・・・・・・・・・家紋 追いかけ茗荷 画像が出ませんか
抱き茗荷
むかしむかし 塗りものに金色の塗料でマーキングしていた方が 近くにいたような
・・・・・・・・・・
先日 日中に窓が開放されたまま。。そのまま あれ というときに
ノグチ2〜3枚が その辺に置かれたままになってた。。。。


そちらの湖面 逆さのほうの画像を そのあたりから
以下に

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…例えば、千円札の野口英世の顔を半分に折ると、
向かって右側に描かれている顔は全く別人の顔になります。…




http://sekainoura.net/%e5%8d%83%e5%86%86%e6%9c%ad%e3%81%ae%e7%a7%98%e5%af%86.html


・・・・・・・・・・


そうでしたねえ・・
OCNのころ 折って 身近なふたりに渡したような

ターバン野口

どこかの過程で 「角度が少し難しい」ようだけれども
「裏側」の「N」を「目印にして折ると良い」らしい
http://caboses.seesaa.net/article/45807783.html

 ↓

最近は?

http://tuerbannoguti.blog74.fc2.com/
あー ふたりでジュウタンに乗ってね


どこへやら


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