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出納に関する軋轢
 
2018年7月17日 9時1分の記事

9世紀の後半になると
卜部だけではなく
陰陽師の占いにも
「祟り」が登場してくる
『三代実録』元慶二年(878)二月二十七日条

越前国敦賀 気比(けひ)神宮で起きた火災の原因を
「祟り」であると陰陽寮が占ったのである
16

気比神宮側は、火災は失火ではないという。このことを越前国司は中央に言上したが、中央では陰陽寮の占いによって、神社の穢が原因で祟りがあらわれたと認識する。つまり、太政官や神宮司が関与していない。神宮司は代々大中臣氏が世襲しており、神祇官との結びつきが深い。そこで、あえて卜部ではなく、陰陽師に命じて神の「祟り」を認知しているのではないだろうか。つまり、国司と気比神宮司との対立が、陰陽寮に祟りを認識させるきっかけとなったということになる。
17『亀卜』臨川書店

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