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「両者の違い」(P20) 等 他
 
2018年12月21日 14時9分の記事





加工は12.21/16:50頃
  一枚め:2018/11/23午後1:20:16撮影
  二枚め:2018/11/23午後1:15:55撮影


※ 2020.8.17 追記
その後 館蔵『殷周の青銅器』を手に入れております



饕餮

誰もが 知っている(筈)

中国(日本)の 繊細 かつ 強靭な (加工)技術
似て(もいない)非なる何かも

ふたつの「国」に限らず  何処にでも




根津美術館で「考古」と分類された物たちには
その括りでの書物があるのだそうで(所望)

収蔵されているわけですから「そのうちには‥」
とのことですが 絶版のよう(2018/12月の時点)

‥ということで それらだけが掲載されている
薄いものを もとめることとなりまして

なにしろ選択肢が無くて


一鋳(一括鋳造)
分鋳(分割鋳造)


(『ふたつの双羊尊』より)


【中国殷時代の動物形青銅器について】より

動物文様を 単なる装飾ではなく
「神を具現化したもの、あるいは神に通じる存在」
と考えたのは
青銅器研究者の林巳奈夫(1925〜2006)

「文様としてあらわされた動物には、渦文様など様々な神をあらわすマークが付された」
「体表を写実的にあらわすのでなく、例えば虎では縞模様を表現表現するかわりに、空想上の怪獣や龍などをあらわし、そこに渦文様を表現する。」

異なる動物の間で文様表現が共通する例もあり
「たとえば、双羊尊で体毛を小さな鱗を無数に並べてあらわしているが、これは同じ時期の鳥の羽毛表現と同じである。このような体毛表現の画一性は、この時期の典型的な特徴といえよう。」

動物形文様は 器の表面に平面的に表現されたが
器そのものを立体的に象った動物形の青銅器も製作され
「とくに現在の湖北省、湖南省といった揚子江中流域で多く確認されている。泉屋博古館所蔵の虎卣(こゆう)も湖南省寧郷で発見されたという伝承をもつ。これらは華北の鄭州や安陽にあった殷都の青銅器にはみられない造形で、いわゆる華中型青銅器(中国では南方型青銅器と称する場合がある)を代表するものといえよう」

その動物形青銅器の表面には
「怪獣の顔面文様や龍形文様などが配され」
それら体表には様々な「渦文様が組み込まれており」
さらに「主文様の隙間に渦巻地文が充填されている」
そのような文様表現は
「黄河流域の青銅器と共通する特徴」
4/廣川守



【大英博物館所蔵 双羊尊の製作】より

古代中国の青銅器は、その起原が黄河流域か、あるいは揚子江流域であるのかに関わらず、いずれも「合わせ型鋳造法」で製作されている。

大映博物館が所蔵する双羊尊は
「合わせ型鋳造法で製作されており」
河南省・安陽の青銅器製作と同じ

器の外型はふたつのパーツからできており、それらは少なくとも2組の部分型を組み合わせて形成されたものである。2組とは、胴体の1組、そして脚部の1組である。胴体は、両端の羊頭部の中央を垂直に走るバリが胸部につながっていることから、ここで二分されていたことがわかる。細部の型を作った可能性もあるが、それらは最終段階でふたつの外型に接合されたのだろう。また4本の脚の型は、脚の中心が一線をなすように、胴体の型に繋ぎ合わされており、接合部分に生じる水平の線痕は、外型に繋ぎ合わせる際に注意深く取り除かれている。

青銅は 錫11.6% 鉛4.8% を含む 銅の合金
配合比は「紀元前1000年代後半の中国青銅器に共通」

「銅に含まれた錫は、熔解温度を下げ、硬度を増し、発色を良くする。鉛は、複雑な鋳型の細部までいきわたるよう、流動性を高める」

大英博物館の双羊尊は、熔湯を流し込む際に発生するガスによってできる鬆(凹みや孔)が饕餮文中の瓶型状の角の上端に1箇所だけあるのを除けば、ほぼ完璧といっていいほどの高い鋳造技術で製作されている。器形は、先に述べたように、頭部を含めた本体が1回の鋳造で作られているが、角の部分だけは別鋳である。X線写真や金属の成分分析は、頭部と胴体の銅合金は同一成分であるが、4本の角は成分が異なっており、この部分が分鋳法で本体に接続されたことを示している。

「羊は口を開けている」
口内の奥には青銅の壁が設けられ、背後の部分との仕切りになっている。器に入れた液体が漏れ出ることを防ぐためであろう。

さらに、X線写真によってわかることは、内型の表面に大量のスペーサーがおかれていることである。このことは、安陽から発見される同時代の青銅器と著しく異なる。この大量なスペーサーの使用は、それが鋳造に必要であったかどうかということよりも、この手法が揚子江流域で製作された青銅器に共通する特徴であることに注目すべきである*2。すなわち双羊尊の鋳造技法に関する研究は、その製作地が、河南省安陽ではなく、おそらく揚子江流域であることを裏づけることになる。
12/チュアンユ・ワン(王全玉)

*2

Su,Rungyu.“Study of Casting Technology of Shang Bronzes from Xin'gan Dayangzhou.”In Selected Essays by Rongyu Su,edited by R.Su,Shanghai:Shanhai People's Publishing House,2012,63-116.



【揚子江をめぐる謎_古代青銅器・儀礼・自然の地_】

中国青銅時代の湖南省は好奇心をそそるテーマであるが、その実態はほとんど解明されていないため、この地から発見されたこれら青銅器は、まさしく中国考古学の謎を秘めた作品である。

湖南省では「偶然に、青銅器が1点、あるいは小さなグループとなってばらばらの場所から発見されることが多い」

「誰がつくったのか?」
「なぜそれらは埋められたのか?」
「製作者に何が起こったのだろうか?」
といった謎は「まだ解明されていない」
16/サーシャ・プリーヴァ(裴嚴華)



【二つの双羊尊_根津美術館所蔵品と大英博物館所蔵品の比較_】

泉屋博古館およびパリのチェルヌスキー美術館の
虎ゆう
根津美術館と大英博物館に所蔵されている
双羊尊
前者の虎ゆう は ほとんど双子の如く類似する
2例の双羊尊は いくつか異なる点が存在している
  いずれも2体の羊が背中合わせになり
  背中に広口の壺を担いだような格好

羊は頭部に大きな角を有し、顔面には殷時代後期(殷墟期)に特有の渦状文様を沈線(凹線)でほどこす。羊の首から胴体さらに足にかけては、小さな鱗状文様で体毛を表現する。背中から伸びる壺には、獣面文様があらわされている。

2点の双羊尊は その獣面文様の表現が大きく異なる

両者の違い
大英博物館所蔵品の獣面が、角と眼以外をすべて細い沈線で表現しているのに対して、根津美術館所蔵品の獣面は、角、眼、口などを強調するために、その隙間に非常に細い渦文を地文様として隙間なく充填している。
20/廣川守


『ふたつの双羊尊__根津美術館と大英博物館の名品__』
根津美術館学芸部/2015

目次
Contents
はじめに
Introduction
関連遺跡地図
Map of Related Sites
中国殷時代の動物形青銅器について/廣川守
Animal-Shaped Shang Dynasty Bronzes
大英博物館所蔵 双羊尊の製作/チュアンユ・ワン(王全玉)
Fabrication of the British Museum's Ram Zun Vessel/Quanyu WANG
揚子江をめぐる謎_古代青銅器・儀礼・自然の地_/サーシャ・プリーヴァ(裴嚴華) 
Mysteries of the Yangtze River:Ancient Bonzes,Ritual,and Natural Places/Sascha PRIEWE  
二つの双羊尊_根津美術館所蔵品と大英博物館所蔵品の比較_/廣川守
Two Double-Ram Zun:A Comparison of the British Museum and the Nezu Museum Vessels/HIROKAWA Mamoru
作品データ
Date on the Two Zun
図版
Plates


(4頁 凡例より 一部)
※ 時代および区分について
「殷」は別に「商」とも呼ばれている。実際の歴史書の中でも例えば司馬遷の『史記』では「殷」を用いているが、戦国期に編纂された『書』では「商」を用いており、現在まで「殷」と「商」とが併用されている。本書では「殷」に統一している。
また殷の年代については、これまで様々な説が出されていて、研究者の考えが一致していない。大まかな流れとして、大型建築(宮殿址など)が発見された遺跡の年代によって、二里岡頭期→二里岡期→殷墟期という年代観があたえられているが、近年、中国では二里頭期を夏王朝の時代、二里岡期と殷墟期を殷王朝の時代とする研究者が多くなっている。日本、ヨーロッパおよび北米では夏王朝を定説として認めるに至っておらず「二里頭文化」と称する場合が多い。本書では殷王朝の年代区分として、殷時代前期(二里岡期、紀元前16世紀〜前14世紀)、後期(殷墟期、紀元前14世紀〜前11世紀)の2時期に区分することにする。
※ wine の表記について
この時代の酒については数種が確認されている。本書の英文テキストおよび挿図キャプションに記した“wine”は、ワインだけでなく、米や粟から作る醸造酒を含めたアルコール飲料の総称として用いる。




私の個人的関連頁
http://blog.kuruten.jp/ecru/419972
(http://ka-on.hateblo.jp/entry/2018/12/21/111627)
(等 他)





ふたつの双羊尊
2015年1月10日(土)〜2月22日(日)

「動物礼賛」
http://www.nezu-muse.or.jp/sp/exhibition/past2015_n01.html
左が 大英博物館のもの



緑青(ろくしょう) とは、銅が酸化することで生成される青緑色の錆である。銅青(どうせい)や銅銹(どうしゅう) ともいう。銅合金の着色に使用されたり、銅板の表面に皮膜を作り内部の腐食を防ぐ効果や抗菌力がある。
Wikipedia



さびる ろう


饕餮

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