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夜が明けたように明かるくなり、広々とした国へ出た。家もあり、人もいる。けれども人の姿は鬼のようにおそろしい。(1)
[その他]
2017年8月18日 17時40分の記事


『越後の民話 第二集』   日本の民話70
水澤謙一 編  未来社  2017/3/21



<昔話を追って>
・「越後の民話」が刊行されたのは、昭和32年。あれから、すでに20年が過ぎて、その第2集(昭和53年8月)がでることになりました。この20年間、越後の昔話に徹して、上中下越地方の村や町に、昔話を追いつづけてきました。

<かくれ里(1)  【長岡市麻生田町】>
・あったとさ。
 ある山に、大きなほら穴があった。そのほら穴の前に、いっつも牛をつれてきて、仕事している男がいた。
 ある日、男はまた、ほら穴の前に仕事にきて、一休みしているうちに、眠ってしもた。目をさまして見たら、牛が、何万何千という、たくさんのアリに、ほら穴のなかへひっぱりこまれるところだった。男はたまげて、「おっ、おれの牛、どこへひっぱっていぐ」と、牛のたづなをひっぱるども、とても自分の力では、ひっぱり返すことができん。そして、ひきずられて、ほら穴のなかへはいってしもた。なかは広い野になっていて、畑が、見渡すかぎりつづいていた。一人の男がいて、
「お前の牛だかい。どうか、この畑を打ってもらいたい。ちっとばか、牛をかしてくれ」というので、「ああ、なじょも、使ってくれ」というて、牛をかしてやった。きれいに、畑打ちがすむと、ほら穴の男は喜んで、
「牛をかりたお礼に、このかねをやろう。かねのほしいときは、いつでもきてくれ。ただ、人にはけっしてこのことをいうな」というて、かねをくれた。それから、男は、かねがなくなると、ほら穴へもらいにいった。ある日、ほら穴のことを、つい、友だちに話してしもた。そして、二人で、ほら穴へいって見たれば、口がしっかりととじられて、もう、ほら穴のなかへはいることができなかった。
                下条登美(62)昭和42



<かくれ里(2) 【北蒲原郡豊蒲町切梅】>
・あったとさ。
 ある村に、たいそう働きものの男がいた。いっつも朝早くから、馬にくわせる朝草を、馬をつれて、山へかりにいった。
 ある朝げ、山でサクサク草かっていたれば、ツルクサのところから、白いひげのじいさんが出てきた。
「お前、頼む。その馬をつかって、おらの畑も、田も打ってくったせや」「あ、こっちだてば」というて、戸のようにかぶさっていたツルクサをとると、なかは大きなほら穴だった。穴のなかには、畑と田が、見渡すかぎりつづいていた。田はひろびろとして、畑には、モモやブドウの木が、たくさん植えてあった。おじは、「おらも、こぅけなどこに、住んだらよかろうな」と思っていた。白いひげのじいさんは、
「こやしをいれて、田と畑を、よう打ってくれや。」
「はあ、そうだかねす。」
 そして、こやしのあるところへいったら、刈ったほし草が、たくさんあった。男は、穴のなかの田打ちと畑打ちをして、
「じじさ、じじさ、おれば、ここのむこにしてくったせや」
「お前さえ、その気だば、なじょも、そうしてくれや。じつは、おなごももろてあるすかに、それを嫁にして、住んでくれ」
といわれ、おじは、その穴のなかの、かくれ里で、一生あんらくにくらした。村の人たちは、男が行方知らずになって、
「あの男は、あんまり働きもんで、馬といっしょに、神様に召しあげられた」と、うわさしていたそうだ。
               波多野ヨスミ(58)、昭和44

<風の神と子ども    【小千谷市朝日】>
・あったとさ。
秋の日、山の村の子どもが3、4人、お宮で遊んでいた。そこへ、よその男が、フラリときて、「お前たち、ねら、食うもんが、いっぺあるどこへいぎたくねえか。ねらに。うまいもんを、いっぱい食わしてやるがな。」
「ほんねかい、おら、いぎたいな。」
「ほうせば、おらが、つれてってやらや。」
 その男は、尻から、しっぽのような長いもんを、ズーと出して、
「さあ、ねら、これにまたがれ。それ、いぐど」
というて、ゴーッと、ひと風吹かせて、空へまいあがった。しばらくすると、クリやナシやカキの、いっぱいあるとこへ、おろしてくれた。また、ゴーッと、ひと風吹かせて、クリやナシやカキの実を、バタバタと、おとしてくれた。子どもたちは大喜びで、腹いっぱいたべて、遊んでいた。
 夕方になると、その男は、
「ねら、ねら、おれ、忘れていたや。おら、これから、よそへいがんばならないから」
というて、まだ、ゴーッと、風にのって、どこかへいってしまった。子どもたちは、
「あっ、これはたいへんだ。村へかえりたくても、かえらんね」
と、泣いていた。もう、山は暗くなって、むこうに、あかりが、ピカンピカンと見えた。そこへいったれば、一けんのうちがあって、バタバタした、大きいばあさんが、火をたいていたって。
「ねら、どっからきたや。」
「おら、よその男の人から、長いしっぽのようなもんにのせられて、風にのって、ここへきた。クリやナシやカキを、たくさん、ごちそうになったども、その男の人が、どっかへいってしもて、おら、うちへかえらんねえ。」
「そうか、その男は、おらどこの、きかんぼうの弟の南風で、ほんね、気まぐれの子だ。おらは、風の神の親どんだ。兄の北風というのに、ねらを送らせるすけ、しんぱいするな。」
 そして、子どもたちに、白いマンマとトウフ汁をしてくれた。こんど、そのばあさんが、「あんにゃ、起きれ、起きれ」
と、北風を起こした。そして、子どもたちは、北風の長いしっぽにのって、ゴーッと、風にのって、村へかえってきた。村では夜になっても、子どもたちが、かえってこないので、大さわぎして、そこらをさがしていたとこだって。
            平沢キヨ(76)、昭和50



『若狭・越前の民話  第二集』    日本の民話73
杉原丈夫・石崎直義 編     未来社   2017/4/20




<地底の国  【敦賀市】 >
・敦賀市の横浜に岡崎山という山がある。この山が海に面したところは、高いがけになっていて、その下に岩穴がある。ここにはじゃ(蛇)がいるといって、だれも近寄る者がない。
 むかし、八蔵(はちぞう)というさむらいがいたと。ウという鳥を捕らえようと思って、この岩穴の上のがけを、つたい歩きしていると、あやまって、さしている刀を落としてしまった。刀は海の水の中をひらひらとただよいながら、この岩穴の中へ流れこんでしまった。
 八蔵は、刀を失うのをおしく思って、海を泳いで、岩穴の中へはいった。穴の口は小船がやっとはいるほどの大きさである。曲がりくねった水路を泳いでゆくと、やがて広い所へ出た。海の深さは人のたけぐらいで、底には玉をしいたように石が一面にならんでいる。
 さらに進むと、穴が狭くなり、明かりもない。牛の毛がはえたような岩があり、ふく風も生ぐさい。そこを通りすぎると、水がなくなった。人が身をかがめてくぐれるほどの小さな穴があるので、その中へはいっていった。
 このようにして、暗やみの中を三日三晩ばかり歩いたら、向こうの方に少し明かりが見える。その明かりを目あてに行くと、夜が明けたように明かるくなり、広々とした国へ出た。家もあり、人もいる。けれども人の姿は鬼のようにおそろしい。
 八蔵は、「さては、地獄へ来たのか」と思うた。
 それでも、どんどん進むと、広場があり、宮殿が建っている。「ここは国の役所やろう」と考え、中へはいった。
 正面の上座に大将らしい人がすわっており、左右に随身がふたりいて、そのほか多数の役人らしい人が列座している。大将らしい人は浄衣(白い狩衣、神主さんの着ているような着物)を着、立えぼし(かんむり)をかぶっている。
 大将は八蔵を見て、「ここは人間の来る所ではない」といってしかり、家来の者に、「この男をすぐとらえて、ろう屋に入れよ」と命じた。
 八蔵は、「ちょっと待ってください。わたしがここに来たのは、刀をさがしに来たのです。先祖から持ち伝わったたいせつな刀が海に落ちて、この岩穴にすいとられたから、それを取りもどしに来たのです。刀さえ返していただければ、すぐ出ていきます」と弁明した。
 それでも大将はききいれず、八蔵をなわでしばりあげた。八蔵は、
「こうなっては、日ごろ信仰している観音さまにおすがりするよりほかはない」と考え、普門品を声高らかに読み上げた。
 すると大将をはじめ、一座の人は、急に姿勢を正し、上座からおりて、八蔵のなわをとき、「観音信者とは知らず、失礼しました」といって八蔵に敬礼をした。失った刀もどこからか持って来て、八蔵の前に置いた。
 八蔵は、刀をもらって、宮殿を出たけれど、帰り道がわからない。
「どうしよう」と思いながら、あちこち歩いていると、奥の方からかすかに鐘の声が聞こえる。それをたよりに走って行くと、大きな野原に出た。右左に道があったけれど、ただ鐘のひびきをしるべに、まっすぐ走っていった。あまり走ったせいで息が切れた。ちょうど小さい池があるので、水を手でくみあげて、息をついた。しばらく休んで、あたりを見回すと、山の姿や川の流れが、まぎれもなく、自分の国の杉津浦のお寺のほとりである。
「やれやれ、仏のおかげで助かった」と、むねをなでおろした。八蔵は後に、岡崎山のふもとに神社を建て、その刀を神さまとして祭った。

<百本の五徳   【敦賀市】>
・敦賀市の奥麻生の入り口に、おとめの滝というたきがある。むかし、このたきの淵にじゃが住んでいたと。
 そのころ、この村にかじ屋があったかじ屋のむすめは美しいので近所に知られていた。おとめの滝のじゃは、このむすめにほれこんだ。
 それでじゃは、若者に化けて、毎晩かじ屋をおとずれ、「むすめさんを、ぜひわたしのよめにくれ」とたのむやと。
 かじ屋が、若者を注意して見るに、この若者は、ともし火で照らされても、かげがうつらない。かじ屋は、「さては人間でないな」と気づいたのやと。「相手がじゃでは、へたな断り方もできない」と思って、断る口実を考えたすえ、ある晩、
「そんなにいうなら、むすめをやってもよい。だけでわしの家は代々かじ屋や。かじの腕ききでないと、わしんとこのむすこにはできん。おまえがむこになりたいなら、一夜のうちに百本の五徳(火ばちの中にいれ、鉄びんなどをかけるもの)を打ってみい。一本でも足りなければ、だめや」と、若者にいうたのやと。
 若者は、「そんなことなら、わけはない」といって、すぐ仕事場におり、五徳を打ち始めた。トンテンカツ、トンテンカンと打って、九十九本になってしまった。
 かじ屋はおどろいて、鶏小屋へ走った。にわとりは、かじ屋が手にしていた明かりを見て、夜が明けたのかと思い、一声高く一番どり鳴いた。
 若者は、「あと一本というのに」とくやしがったが、そのまま姿を消して、二度と来なかったと。
 
<竜宮城の入り口   【大野郡】>
・和泉村に穴馬というほら穴がある。今は白馬洞と称して、観光地になり、人が中へはいって見物しているが、むかしは、おそろしくて、中へはいる人はだれもなかった。穴馬というのは、大むかし、この穴から馬が出て空を飛び、またこの穴にもどって来たので、この名がある。
 あるとき、七左衛門という人が、この穴の奥がどれだけ深いか調べようと思って、たいまつや弁当を用意して中へはいった。穴の入り口は、人が腹ばいになって、ようやくはいれるほどの大きさである。入り口の所に、むかし馬がとび出したときの足あとがある。
 中へはいると、穴は少し広くなっている。道はしだいに下り坂になっていて、とちゅうにいくつも横穴がある。馬の頭の形をした岩や、つりがね形の岩もある。やがてさいの川原という所へ来る。ここは石ころがゴロゴロ転がっている。次に白堂という所がある。ここは両側のかべも天じょうもまっ白である。

・われ目の向かい側にも、また穴が見える。七左衛門は、容易してきた板をかけて橋にし、向かい側に渡って、穴の奥へ進んでいった。
 むかしは時計がないので、暗やみの中では時間がわからない。およそ7日間ぐらい歩いたら、急に広い所へ出た。どこからか光がくるのか、少し明るい。
 見ると、大きな川が流れており、川の向こうで女の人が洗たくをしている。女の人は、七左衛門を見つけると、「そこの男の人、この川を渡ってはなりませんぞ」という。七左衛門は、「ここは、どういう所でしょうか」とたずねた。女の人は、
「ここは竜宮城の入り口です。人間の来る所ではありません。もしこの川をこせば、二度と人間界へもどることは、かないません。早くもとの道を引き返しなさい」という。七左衛門は、
「それでは帰りますが、竜宮城の入り口まで来たという証この品を、何かください」とたのんだ。女の人は、川原の石を一つ拾って、
「この穴の出口に小さな谷があることは知っているでしょう。その谷の水にこの石をつけて、飲んでみればわかります」といって、その石を投げてくれた。
 七左衛門は、石をもらって、また7日間歩き、穴の外へ出た。穴の出口にある谷川にその石ころをつけ、水を飲んでみると、塩からい。いまでもそこに塩水の谷がある。この谷の水は、味が悪くて、他の水と異なる。
 


『日本怪異妖怪大事典』
小松和彦 監修   東京堂出版  2013/7/12



<UFO>
・空飛ぶ円盤、未確認飛行物体(Unidentified Flying Object)の略語。英米ではユー・エフ・オーと発音されるが、日本ではユーフォーという読み方が一般的である。本来は空中を飛行する正体未確認の物体をすべてさすが、現在では宇宙より地球に飛来した地球外知的生命体の乗り物(エイリアン・クラフト)だという理解が大勢を占める。世界中で目撃報告があり、アマチュア研究家も多い。

・近代以前より空飛ぶ船・人間等の怪異の目撃はあった。「空飛ぶ円盤」の出現は1947年、アメリカのケネス・アーノルドの目撃証言に端を発する。アーノルドは自家用機で飛行中、「投げた皿か円盤が水面を跳ねるように」高速で飛行する9機の奇妙な物体を目撃、マスメディアがその物体を「空飛ぶ円盤(Flying Saucer)」と名付けて大々的に報道した。以降、円盤型のUFOが世界中で目撃されるようになる。

・初期のUFO伝承においては、地球外生命体は人類を導きに来た長身で優美な金髪の白人男女の姿で描写されていたが、冷戦終結以降は軍や政府と密約を結んで人体実験を行う存在という伝承に置き換わり、目撃譚における宇宙人の容姿も、小柄で体毛がなく、吊りあがった大きな目の「グレイ」タイプが主流となった。現在のUFO伝承は、墜落したUFOをアメリカ政府が隠匿し、秘密を探る者には口封じにMIB(メン・イン・ブラック、黒スーツの男たち)が差し向けられるとするなど、陰謀論的性格を強く帯びている。

・英米におけるUFO伝承には妖精伝承との共通性が指摘されている。宇宙人による誘拐(アブダクション)は妖精の隠れ里や取り換え子(チェンジリング)伝承と、UFOの着陸地に出現するというミステリーサークル(クロップサークル)は、妖精の踊った跡に出現するという妖精の輪(フェアリーリング)伝承と、UFOが実験のため牛を殺して血や臓器を抜くというキャトルミューティレーションは妖精が家畜を傷つけるという伝承と共通性を持つ。一方、日本におけるUFO目撃譚のほとんどは飛行する発行体の目撃例であり、火の玉やカネダマの伝承との共通性を持つと言える。

・UFO伝承は妖精・妖怪の遭遇譚・目撃譚の現代的変奏と言いえる特性を持ち、なおかつマスメディアによって伝播・変容・生成される、都市伝説の一領域ということができる。

<鬼>
・鬼とは、さまざまな災厄、邪悪な出来事の原因として生み出された想像上の存在・霊的存在である。

・鬼は、通常、次のような属性・特徴をもっているとされる。その姿は人間に似ているが、筋骨たくましく、顔は醜悪で、頭には角が生えており、肌の色は赤や青、黒といった原色であって、左右の口から鋭い牙がはみ出ている。虎の皮のふんどしを締め、山の奥や天上界、あるいは地下世界、地獄などに隠れ住んで、夜陰に紛れて人間界に出没し、悪事を働く。

・例えば、鎌倉時代の鬼と思われる画像をみると、見ただけではとうてい鬼とは判定できない、角がない鬼もいれば、牛や馬のかたちをした鬼もいる。それがだんだんと画一化されていって、江戸時代になって、角をもち虎の皮のふんどしをつけた姿が、鬼の典型的なイメージとなったのであった。逆にいえば、こうした属性をもたない鬼たちは、鬼とはみなされなくなっていったわけである。

・鬼は集合名詞であるので、たくさんの鬼がいるということでもある。そのなかで、もぅっとも有名な鬼が、大江山の「酒呑童子」である。酒呑童子は、南北時代製作の絵巻『大江山絵巻』のなかに初めて登場してきた、伝説上の鬼である。

・さらに興味深いのは、鬼が怖ろしい者・否定的なものを表す言葉でありながらも、その子孫と称する人びとが散見されることである。大峰山の麓の洞川は、修験道の祖・役の行者に従っていた前鬼・後鬼のうち、後鬼の子孫の集落であるという。彼らは山で修行をする宗教者や信者の道先案内を勤めたという。また、比叡山の麓の八瀬も、鬼の子孫(八瀬童子)の集落であるといい、彼らは冥宮の従者である鬼の子孫で、天皇や天台座主などの葬送の折に、その柩を担ぐ役を勤めることを特権としていた。
 さらにいうと、播磨の国・書写山円教寺の修正会で代々鬼役を務める家も、自ら寺を開いた性空上人に従っていた鬼(護法童子)の子孫であると伝えてきた。

<あくろおう 【悪路王、阿黒王】>
・里の人々を悪事で苦しめていた鬼、または蝦夷の首長を悪路王という。朝廷から派遣された坂上田村麻呂によって成敗された。悪路王の首は玉造郡の鬼頭まで、体は鬼死骸というところまで飛んだと伝えるところもある。悪路王の妻は鬼女である立烏帽子といわれており、鬼女伝説が残っている。

<いぶきどうじ【伊吹童子】>
・酒呑童子の前半生を、近江国伊吹山に生まれた伊吹童子とするもの。お伽草子『伊吹童子』では、酒呑童子が大江山に移るまでが描かれており、異類婚姻や捨子、異常児、伝教大師の験力譚などを含みながら、童子を伊吹山の麓、比叡山の北谷、西坂、そして丹波の大江山へと移していく。

・また、源親光が伊吹童子を切った太刀は「童子切丸」と呼ばれ、所持者に次々と悲劇をもたらす呪いの太刀として知られている。

<かくれざと【隠れ里】>
・山奥、洞窟、岩穴、塚穴の奥、海底、淵、池、沼などの先にあると思われている理想郷、桃源郷、仙郷をいう。猟師や樵が偶然に紛れ込んでしまった人里離れた別天地。そこは心地よい気候の土地で住む人びとは争いごともなく平和でゆったりと暮らしを営んでいた。異境を訪問した者は歓待され、生まれて初めての心地よい日々を過ごす。日常の生活にもどり、もう一度訪ねてみようと試みるが不可能であった、と多くは伝承されている。
 山中で米をつく音や機を織る音が聞こえてきたり、川上から椀や箸が流れ着いたりする話もある。全国各地に分布している隠れ里伝説は、村人が椀貸し穴・椀貸し塚・椀貸し淵などから椀や膳を貸してもらったという椀貸し淵伝説、竜宮淵伝説、平家谷・平家の落人伝説とも共通している点が多い。江戸時代初期の『御伽草子』には「隠れ里」という作品がある。また、柳田國男の『遠野物語』63.64の「マヨイガ」に隠れ里の話が記されている。

・(秋田県)昔、秋田の田代沢の農民一人が深山に入り木を伐っていると、見知らぬ老翁が現れた。面白い所へ案内してやろうと奥地へ入ったところ、幽蒼な林の中に村があった。鶏や犬も飼われ、麻を栽培し、村人は豊かに見えた。二人はある家へ入り、ご馳走になった。酒はうまく、ヤナで取った魚は美味だった。村人はかわるがわる現れては接待した。どこからか「麦つき歌」が聞こえてきた。この村は麦を作っていた。村から帰った二人は、木切の現場まで来て別れた。その際、農民は「なんという村か」「その道の方向は」と老翁に聞いてみた。老翁は笑いながら「隠れ里だから」とのみ教えて姿を消したという。農民はその後も隠れ里への道を探して出かけたが、その村へ行くことはできなかった。

・(栃木県茂木町)夜、ドシンドシンと米搗きの音が聞こえる。この音を聞く人は長者の暮らしをすると言っている。この音は「カクレザトノコメツキ」の音である。

・(長野県松本市)カクレサト。信濃国松本領の猟人が谷底に落ちたところ、武田信玄のために滅ぼされた小笠原長時の一族が籠もる場所に迷い込んだという。人に知られると殺されるというので猟人は逃げて帰った。



『口語訳 遠野物語』  
(柳田国男) (河出書房新社)1992/7



<山田の蜃気楼>
海岸の山田では、毎年蜃気楼が見えます。いつも外国の景色だということです。
それは、見たこともない都会のようすで、道路をりっぱな馬車がひっきりなしにとおり、人の往来もびっくりするほど多いそうです。家の形など、毎年少しも違いがないということです。

<マヨイガ(三浦家の話)>
小国の三浦某という家は、村一番の金持ちです。
しかし、いまから二、三代前の主人のころは、まだ家は貧乏で、妻は少し鈍い人でした。

この妻がある日、カド(門前)を流れる小川に沿って、蕗をとりに山へ入りました。が、よいものが少なく、いつの間にか、谷の奥深くまでさかのぼってしまいました。
 ふと気がついてみますと、目の前にりっぱな黒い門の家がありました。(おかしいな)とは思いましたが、門の中へそうっと入ってみました。広い庭には紅白の美しい花が一面に咲きほこり、よい香りがしてきます。鶏のたくさん遊んでいるかたわらをとおり、裏庭へ回ってみますと、そこには牛小屋があって、数多くの牛がおりました。また、厩には、なん頭ものみごとな馬がおり秣を食べていました。
 女はとうとう、玄関から家の中へ上がってみることにしました。一歩踏み込むと、開け放した次の間には、朱と黒のりっぱなお膳とお椀がたくさん用意されてありました。また、奥の座敷には火鉢があって、鉄びんの湯がチンチンとたぎっています。それなのに、どこまで行っても人影がありません。 ここまで来ますと、この気のよい女も(もしかして、ここは山男の家ではないか)などと思うようになりました。そう思い込むと、女は急におそろしくなり、谷川ぞいの道を、けつまずきながら、一目散に走って家へ帰り着きました。
「とど、とど、おれ、たいへんなもの見で来たや」
 女はさっそく、山の中の不思議な家のことを語りました。が、夫をはじめ家の者は、だれ一人として本気にしませんでした。

 さて、ある日のこと。女が、わが家の門前で洗い物をしていますと、川上から、赤いみごとなお椀が一つ流れてきました。あんまり美しいので、女は思わず拾い上げてしまいました。しかし、これを食器として使えば、きっとまた「きたない」と、家の人たちに叱られるに違いありません。女は、どうしても欲しくなり、これを拾うと、ケセネギツの中に、そうっとかくしておきました。米や麦を計る入れ物にするつもりです。

 ところが、このお椀で米や麦を計りはじめてからは、いつまでたっても、くなりません。そのうちに、家の人たちもやっと気がついたようでした。不思議に思って女にたずねましたので、女もはじめて、川から拾い上げたことを打ち明けました。家の人の話がほんとうであることを知り、とてもびっくりしたのです。
 いずれ、この家は、このことがあってから好運に恵まれ、ついには、いまの三浦家のような大金持になりました。
 遠野では、山中の不思議な家をマヨイガといいます。マヨイガに行き当たった人は、かならずその家の道具や家畜、なんでもよいから、持ってくることになっているのです。なぜなら、その人に授けようとして、このような幻の家を見せるからです。三浦家の妻に欲がなく。なにも取ってこなかったので、このお椀は、自分から流れてきたのだろうということです。

<マヨイガ> 山の奥深くに突然のように現われる無人の豪家。一度見た者は、二度と見ることはできないといわれている。

<門前> 家の内と外との境界。門の前を流れる小川に沿って歩いているうちに、いつの間にか、山深く入り込んでしまったという話の設定自体が、マヨイガへの伏線となっています。

川上から流れてきたお椀を拾い上げるのも、この門前のことです。
 78話にも、「門の前」で死者の霊魂に出会う話があります。いずれにしても村の人々にとって「門前」とは、生と死、日常と非日常が往還する空間であって、語りのなかでは、重要なキーワードであったわけです。

<椀貸し伝説>
山中を漂泊し、椀や盆、膳などを作って生計をたてていた木地師たちの手によって、全国に伝わっていった伝説。柳田国男は、このマヨイガから流れてきたお椀の話の源は、この椀貸し伝説にあると考えました。
 全国に分布する「椀貸し伝説」は、椀貸し淵など、川や池に流れてくることが多いのですが、それは竜宮信仰ともつながって、中国やインド、ドイツ、イギリスなどの話と比較されています。



『口語訳 遠野物語』  
(柳田国男) (河出書房新社)1992/7



<マヨイガ(ヤマザキの話)>
金沢村は、白望山の麓にあたり、上閉伊郡の中でもことに山奥で、人の往来のあまりないところです。六、七年ほど前、この金沢村から栃内村山崎の某かかの家では、娘の聟をもらいました。この聟が実家に行こうとして、山中で道に迷い、やはりこのマヨイガに行き当たりました。
 家のようす、牛・馬・鶏がたくさんいること、紅白の花が咲いていることなど、すべて前の話のとおりです。同じように玄関に入りますと、膳椀を用意している部屋があり、座敷には鉄びんの湯がたぎって、今ちょうど、茶を入れようとしているところのようにみえ、耳をすますと、どこか便所のあたりに、人が立っているような気配さえするように思いました。
 男ははじめ、ぼうぜんとしていました。が、後にはだんだん恐ろしくなり、栃内村へ引き返そうとして道をはずれ反対側の小国の里へ出てしまいました。
 小国村では、男からこの話を聞いても、だれ一人本気にする人はいませんでした。

しかし、遠野側の栃内村山崎のほうでは、
「それごそ、うわさに聞いたマヨイガだ」
「すぐ行って、膳椀でももらって来て、長者になるべす」
「さあ、聟殿、案内せじゃ」などと大さわぎになりました。
さっそく、聟を先頭に立て、大勢の人がマヨイガ探しに、山の奥へはいりました。
「このへんに、たしか門があったと思う」というあたりを、念入りに探しました。が、いくら探しても、そのような家はついに見つかりません。人々は、ただむなしく引き返すことになりました。
 その後、例の聟殿が金持になったという話は、いまだに聞こえてきません。



『口語訳 遠野物語』  
(柳田国男) (河出書房新社)1992/7



<山男は里人にとっては恐怖の対象である異人として語られていた。>
<笛吹峠の山人>
遠野郷から、海岸の田の浜や吉里吉里(きりきり)へ超えるのには、昔から笛吹峠という山道があります。山口村(土淵村山口)から、六角牛山のほうへ入る道で、海岸までの道のりも近いため、よく利用されていました。
 ところが、近年になって、この峠を越える人は、山中で必ず、山男や山女と出会うようになりました。この山人のうわさが広がると、それを伝え聞いた人々はみなおそろしがって、しだいにこの道を使わなくなり、人の往来はめっきり少なくなってしまいました。
 とうとう人々は、境木峠というほうに別の道を開き、和山を新しい馬次場(うまつぎば)として、いまではこちらの峠だけを超えるようになりました。
二里以上もの、回り道になります。

<笛吹峠>
 その昔から、耳を切るほどの冷たい風が吹くということから耳切峠と呼ばれる峠越えの難所でした。大槌からは海産物を、そして遠野からは米や炭を馬に積み、駄賃付と呼ばれた人々が往き来していたのですが、山男や山女に出会ったという話が増えてから不気味な空間として人々からこわがられてしまいました。車道になった今でも、通る車は多くありません。



『図解雑学 日本の妖怪』
小松和彦    ナツメ社   2009/7/17



<山奥に潜む異世界 隠れ里と神隠し>
・隠れ里、神隠しは、この世ではない「異界」にまつわる概念である。

<山奥や風穴の向こう側にある異界>
・隠れ里は、山奥や塚穴の奥深くなどにあるという理想郷であり、迷い家とも呼ばれる。隠れ里に迷い込んだ者は、美しい景色や美味しい食物を堪能できるが、一度そこを去ると二度と戻れない。しかし、隠れ里で得た椀を持ち帰ると、穀物が湧き出て尽きることがなく、豊かな生活を送れるという。
 風穴や竜宮淵といった場所を通して椀を借りる伝承(椀貸伝説)も、直接隠れ里には迷い込まないものの、風穴等の向こう側に異界の存在を想定していることは明らかである。

<隠れ里と神隠しの共通点>
・突然の失踪者があって理由もわからない場合、それはときに「神隠し」と呼ばれた。神隠しには、本人が戻ってくる場合と戻ってこない場合がある。本人が戻ってきた場合にも、失踪中のことを忘却していたり、一部しか覚えていなかったりすることがほとんどである。神隠しに遭う者の多くが子どもである点も、注目すべき点である。神隠しによる失踪期間中は山中の異界を彷徨っていたと考えられており、その原因として最も多く語られたのが、天狗による誘拐であった。心神喪失状態での発見や、場合によっては死体での発見もあることから、神隠しは人々に恐れられる現象であった。

・隠れ里と神隠しには、異郷訪問譚という共通点がある。隠れ里における異界がプラスのイメージをもっているのに対し、神隠しにおける異界は、死に関わるマイナスのイメージを負っているといえよう。しかし一方で、神隠しを通しての異界への訪問は、子どもたちにとって多少のあこがれを伴うものであった。

<山男・山姥(やまんば) 「山人」と柳田國男>
・山男や山姥を「山人」と称した柳田國男。その実在を強調する論を手放したとき、その関心は「山そのもの」へと向かっていった。

<山男・山姥とは?>
・「山人」と書いてまず思いだされるのは柳田國男の『遠野物語』である。遠野出身の佐々木喜善という青年の話をもとにして、1910(明治43)年に成ったこの著作は、「国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」という印象的な序文から始まる。事実、『遠野物語』には「山人」と「平地人」とが交流する話が数多く収められている。

・柳田にとって「山」とは中世、さらには古代の習俗がいまだに息づく空間であった。そして彼は「山人」と「平地人」に「山民」を加え、平地人は日本人の祖先とされる渡来人で、平地に定住し稲作を生業とする人々、山人は渡来人に敗れ山へ逐われた先住異民族の子孫であり、山中を漂泊している者、山民は山人を逐って山に入ったのち定住し、狩猟や焼畑を生業として生活する子孫であるとする。

・さらに、柳田は明治後期から大正期の山に関する論考の中で、山男・山女・山童・山姫・山丈・山姥の総称として「山人」の語を用いているが、自らの生きる現在にも山人は実在しているという考えのもとで論を展開している。しかし、この実在証明への熱気は、積極的に資料を提供してくれていた南方熊楠からの批判によって収束していく。南方は山への信仰や伝承に関心をもってはいたが、山人の実在は信じていなかった。

<山姥の正体とは?>
・数々の昔話に登場する山姥。その正体は人を食べる鬼女なのか、それとも豊穣の山神なのか。

<山に住む女性、山姥の正体>
・山姥は山母、山姫、山女郎などと呼ばれる山に住む女性である。私たちが想像する姿は、大きな口に目を爛々と輝かせ、長い髪を振り乱した老婆ではないだろうか。実際に各地で伝承された目撃談として語られたりする姿は老婆であったり美しい女性であったりする。
 昔話には山姥が登場するものが多いが、そこでは、自分のところに迷い込んできた者をとって食べようとする鬼女の姿をみせる反面、自分を手助けした者には財産を与えるといった、豊穣をもたらす山の神の姿もみせている。

・山姥について柳田國男は、山の神への信仰と自ら山に入った女性たちが実際にいたことにその実在性を見出した。折口信夫は、自身の「まれびと」論につなげて、決まった時季に神の祝福をもって里を訪れる山の神の巫女の姿を見出した。そして、それらを受けて従来の民俗学では、山の神が零落して妖怪化したものが山姥であるとみなしてきた。しかし、たとえば新潟県糸魚川市上路では、山姥は都から旅をしてきた高貴な女性で自分たちの祖先に幸いをもたらした実在の人物であるとして、親しみを込めて「山姥さん」と呼び祀っているなど、山姥には多様な伝承があり、その伝承を伝える人々にもさまざまな認識や意味づけがある。

<山姥と金太郎>
・金太郎の母親としての山姥。山中で生活する山姥だが、まったくの独り身だったわけではない。山姥の息子として有名なのが金太郎、つまり坂田金時である。
 中世後期から山姥は文芸作品に登場するが、たとえば世阿弥作の謡曲『山姥』では、越中越後境の山中で旅人を待ち受ける嫗として描かれている。そしてその後、近世初期に「金時は山姥の子である」という文言が登場し、『前太平記』には嫗姿の山姥が、自分が夢中で赤竜と通じて生まれたのが金太郎であると説明する件が入る。そもそも坂田金時は源頼光の四天王の一人として大江山の鬼・酒呑童子を退治するなど、武勇で名を馳せた伝説の人物である。英雄と異常出生と特殊な生い立ちを語る際に、母に選ばれたのが山姥だったのである。



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