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慣れ親しんだはずの場所で異空間に足を踏み込んでしまう。それが白い山や青い池だった話は東北地方でも聞いたことがある。大抵の場合は二度とそこへ行くことが出来ない。
[森羅万象]
2018年12月6日 16時12分の記事


『山怪   参 』   山人が語る不思議な話
田中康弘  山と渓谷社 2018/9/10



<山と人と怖いモノ>
・ただし、これが一人で山の中にいる女性となると話が変わってくる。奈良県の例のように普通の恰好をした女性が一人ぽつんと奥山に立っていれば、それはかなりの恐怖なのだ。

<優しい狐と幻の椿>
・「狐火いうのはこの辺では聞かねなあ。狐がよくいる場所はあるんだ。でもよ、この辺りの狐は絶対に命を取らねえもんなんだ」
「騙して酷い目にも遭わせないんですか?」
「そんな話は聞いたことねえもんなあ。大体三日もすれば狐が無事に返すもんだ」

・斉藤さんの近所で一人の老人の姿が急に見えなくなったことがある。集落中総出で探したがなかなか見つからない。しかし誰も慌てる様子はなく………、「まあ、そのうち帰ってくるべ」
そして三日後、件の老人は発見された。
「山さ行ったみたいだったどもなあ、怪我もしてねえし汚れてもいなかったよ」
 彼がどこにいたのかは結局誰にも分らないままである。この方はいわゆる認知症ではなく、しっかりした人だったそうだ。

・「山さ入る時はかならず山神様に手を合せて入るんだ。いつも猟さ行く時、途中さ祠があるんだよ、山神様のな。そこを超えたらもう山言葉しか使ってはいけねえのさ」
 山言葉とはマタギたちが猟で山へ入った時に使う特殊な言葉で、マタギ以外には聞かせてはいけない。またうっかりマタギが山中で里言葉を使えば水垢離を取らされたという。つまりマタギたちは人の支配する世界と山神様の領域をはっきり区別していたのである。

<ミミズ素麵と小さな人>
・平田大六さんの大叔父は村の教育者でしっかりとした人だった。昭和の初めの頃、大叔父が婚礼に呼ばれた帰り、ふと気がつくとなぜか橋の下に佇んでいた。
「その人、七郎さんいうんやが、持っていたご馳走が何も無かったそうですわ。カワウソのせいかも知れん。この辺りじゃあ縞の着物を着た女はカワウソが化けとるいうんですよ。それがご馳走を盗ったんでしょうな」

・やはり大六さんの親戚が山の中で忽然と姿を消したことがある。彼が二十歳の頃、仲間たちと山仕事をしている最中の出来事だ。つい今し方までそこで作業をしていたはずの人が突然行方不明になって、集落中が大騒ぎになったそうだ。
「消防団を中心に捜索したけどなかなか見つからん。あれは三日目やったなあ、考えられんような奥山におったんです。その人が後で言うには、
何でも山の中で立派な家があって、綺麗な女の人から素麺をご馳走になったと。でもそれはミミズやったいうことですなあ」

・奈良県の川上村で行方不明になった女の子が見つかった時に大量のミミズを吐き出した話を聞いた。ミミズ素麺は山の中ではポピュラーなご馳走らしい。知らない人から素麺を勧められたら考え物である。

・大六さんの奥さんは墓場で小人に遭遇した。それは親戚の女性と墓参りに行った時のことである。
「供えてあった古い花を捨てる場所があるんですよ。そこにゴミを持っていったらね、小さな人がね、歩き回ってるんですよ。
 真昼間に二人が見たのは、狐や狸ではなく、完全な人間である。ただ異常に体が小さかっただけだ。先述した胎内小屋でも小さな人が姿を現したように、これは山ではそう珍しくないのだろう。以前に兵庫県の女性猟師が二度山中で見ているから、日本各地にいるのかも知れない。

<浮き上がる人>
・成晃さんが高校生の頃、炬燵でうたた寝をしていると、金縛りにあったことがある。
「あれ、動かないなあって思っていたら、頭のほうから足音が聞こえてきたんです。それが段々近づいてくるんで、これはまずいと思いました」
 必死でもがきながら力を振り絞り、何とか金縛りから抜け出した瞬間………。
「笑い声が聞こえたんです。小さい女の子でしたね、姿は見えません。三人くらいで笑いながら横を駆け抜けていくのが分かりました。この話も誰も信じてくれないんですよ。だからほとんど話しません」

<魂との遭遇>
・その話をそばで聞いていた弟が口を開いた。
「実は俺も見たんだよ、叔母ちゃんが歩いているのを。恰好も姉ちゃんの話と同じだった」
 姉弟は同時に亡くなったはずの叔母ちゃんの姿を見ていたのである。しかしあまりのことに二人とも言葉が出なかったのだ。それがあの時、突然の沈黙が訪れた理由である。

<峠に立つ男>
・雨の山中は本当に暗い。走る車のライトは闇に吸い込まれ、自分が本当にいつもの道を走っているのかさえ時々自信が持てなくなる。そんな中でカーブを曲がると、降りしきる雨の中に何かが浮かび上がった。
「人なんだよ、それが。雨の中で凄い顔して両手を振ってるんだよ。もう背筋がぞーっとしたよ」
 あり得ない光景だった。真夜中の降りしきる雨の中で車を睨みつける一人の男は必死の形相である。
「ひょっとしてそれが山で迷った人かも知れんと思ったけど、そいつが刃物でも持っておったらやられるからねえ」
 兼子さんは迷わずにアクセルを踏むとその場から離れる。しばらくしてバックミラーで確認したが、ちょうどカーブに差しかかり、男の姿は見えなくなっていた。
「あの峠の所ではあるんですよ。誰かが立っていることが」
 その誰かを親切心から乗せるといつの間にか姿が消えているという定番の話である。実際それに体験した人が複数おり、そのことを知っている人は夜中の峠越えは絶対にしない。

<見つけてください――栗駒山>
・秋田・宮城・岩手の三県に跨る栗駒山は広葉樹の森が広がる気持ちの良い山だ。

・「小学校に入るまではここで過ごしましたよ。小さい頃は女の人を時々見ましたね。夜来るんですよ、ここへ」
 人里から遠く離れた山の中の一軒家に時々顔を出すその女性は、この世の者ではなかった。その昔から山越えで各地へと向かう人が通る場所でもある。何かがあったのかは分からないが、宿を目前にして行き倒れた人も少なからずいて、その人たちが顔を出すのだと三浦少年は感じていた。

<不吉な笑い声>
・山の中でどうも嫌な感じがするというのは山人からよく聞く。その時には般若心経や“ふだらく”(ご詠歌)を唱えたりして難を逃れようとする。三浦さんも時々気持ちの悪い思いが急に込み上げることがあるそうだ。
「何か得体の知れないモノに見られているんでしょうねえ、凄く嫌な気持ちになって。少し前なんですが、沢で釣りをしていたら、笑い声が聞こえてきたんです、それも女性の」
 自分しか入っていないはずの沢で突然聞こえてきた女性の笑い声。辺りをよく確認するがそれらしき人はどこにもいない。もちろん鳥や獣、木々のこすれる音とは違う。山で生まれ育った人が間違う訳がなく、明らかに女性の笑い声なのだ。こういう場合、三浦さんは釣りをやめて帰ることにしている。

・感じる体質であり、かつベテラン山人の三浦さんでも、時としては奇妙な状況に入り込む。「呼ばれたことはありますよ。十年くらい前に山菜採りの時です」
 山人にとって山菜やキノコは貴重な食料であり収入源だ。特に宿を営む三浦さんにはお客さんに供する大切な食材でもある。いつものように籠を背負い、山菜を採りながら山の中を移動していると知らない女性に会った。
「その人がこっちのほうが良い山菜がたくさんありますよって教えてくれたんです」
 山菜やキノコのある場所を見ず知らずの人に積極的に教えることなど普通はない。

・「途中からどこにいるかがよく分からなくなって、結局15キロも離れた所まで行ってたんですよ。あれは呼ばれたんでしょうね」
 もちろん女性の姿などどこにもなかった。その女性がいつからいなくなったのかも定かではない。

<山で出会うモノ>
・克二郎さんも登山中に奇妙な人に出会ったことがある。山のなだらかな稜線を歩いていると、向うから一人の男が下りてくるのに気がついた。平日のことでもあり、すれ違う人は滅多にないが、別段不思議でもない。ただ何となく胸騒ぎがする、そんな相手だった。すれ違う時に軽く会釈をしたが相手は無反応。おかしな奴だなと気になり、後ろを振り向いたが誰もいなかった。

<ワープする爺>
・除雪車の前には一人の老人が歩いているのだ。おかしい、誰も歩いてはいなかったはずなのに。
「どこから出たんだ、この爺さんは……」
 ふと気になって後ろを振り向くと、先ほどの爺さんの姿が無い。ほんの3秒ほどの間に除雪車の後ろから前に移動しているのだ。

・「雪の中をとぼとぼ歩く爺さんを見たんだ。何か変なんだよ。そのうちにいなくなったんだけど、次の集落に入ったら婆さんたちが5、6人集まってるんだ」
 何事かと除雪車を降りて話を聞くと、今し方集落の爺さんが死んだと言うのである。それを聞いた吉川さんは悟った、さっきの爺さんに違いないと。
「いや、思い出したんだよ、爺さんが歩く姿を。何か変だなと思った理由もはっきりと分かったんだ。除雪前の道なのに足音が無いんだ。爺さんが歩いてるのに足跡が付かないんだよ」
 吉川さんは急に恐ろしくなった。またあの爺さんが現れたらどうしよう。そこで作業を中断すると除雪車の中で辺りが明るくなるのを待つことにしたのである。

<白神山地近辺>
・弘前市に住む山田兼博さんは長年山と親しんできた。自然遺産に指定される以前から白神山地で山菜やキノコを採り、山の中で夜を明かすことも珍しくはなかった。

・「私は碇ヶ関の出身なんですよ。家は山の中でね、小学校の時に不思議な光を見ましたよ」
ちょうど家の外に兼博さんが出ていると、向うの山のほうに光が見えた。それは何とも妙な光である。遠いのか近いのかはっきりとしない。
「車もほとんど走ってない時代でしたからねえ。まあ明らかに車のライトじゃなかったですがねえ。じつに不思議な光でしたよ。近所の家の屋根から“ばああああっ”って光の柱が立ったこともありましたねえ」

・このように光り物に縁がある兼博さんが白神山地の最深部で見たモノは少し違ったらしい。そこは日帰りが不可能な場所で野営をするのだが、それがまた楽しかったそうだ。

・「夜中の12時過ぎだったかなあ、凄く天気の良い日で星が凄かったんですよ」
満天の星、素晴らしい夜空からは本当に星が降ってきそうに感じた。しばらく星空を楽しんでいると、妙な動きをする星に気がついた。
「最初は流星かなと思ったんですよ。でもね流星ならすーっと流れるじゃないですか。それは縦に動いたり横に動いたり変な動きをするんですよ」
 不規則な動きは典型的なUFOの特長である。実は私も20年ほど前に西オーストラリアで見たことがあった。その時は真っ昼間だったが、働き方は兼博さんが見た物体とまったく同じである。UFOとは何もタコみたいな宇宙人が乗った円盤のことではない。あくまでも未確認飛行物体、つまり何かは分からない空飛ぶ物体なのだ。そう考えると毎度お馴染みの狐火もUFOといえなくもないだろう。

・このように光に導かれた話は四国でも聞いたことがある。暗闇で自分の足元を照らす光に連れられてとんでもない場所まで行ってしまう。山中ではそう珍しくない出来事である。

<甘党の狐>
・恐山に狐に関する話はないかと訊いたところ、或る出来事を思い出してくれた。それは仲良しグループが山菜採りに山へ入った時の話である。
 朝から山菜採りに興じてたくさんの収穫に恵まれ、楽しい1日が済んで仲間たちは車を止めた場所へと集まってきた。しかし集合時間の午後3時をだいぶ過ぎても一人だけ姿を現さなかった。
「結局その人、夕方になっても下りてこなくてね、大騒ぎになったのよ。警察に連絡して、それから消防団の人たちが山狩りして探したの」
 懸命の捜索にも関わらず何の手掛かりをないまま数日が過ぎた。捜索の規模を縮小しようかというまさにその日、遭難者は見つかった。
「なんてこともないような所にいたんだよ。何で見つからなかったんだろうって感じね。それは、その人、口の中にいっぱい草が詰まっていてね、死んでたの……ああいうのは狐の仕業なのかねえ」

・「神楽の人たちはずっと村を回って歩くの。1回りすると神社に集って、また次の村へ異動するんだけど、中の一人がいなくなってね」
 またしても一人いなくなった。そこで仲間内で集落をくまなく探したが見つからない。さらに山のほうまで捜索の手を広げると、すぐに彼の姿は見つかった。
「山の中でね、寝てたの。それがきちんと着物を畳んでね、丁寧に草履を揃えて座敷に上がったみたいな感じで寝ていたの。これも狐かねえ」

・婆ちゃんは山の中で不思議な空間に入り込んだことがある。それは仲間たちと山菜採りに行った時だ。森の中は明るく下草はまだそれほど伸びていない。見通しはある程度利く状態である。
「すぐそこに妹がいるのね。数十メートルじゃないの、距離的には、そこに行けないのよ」少し斜面を下りた所に妹がいるがそこまで辿り着けない。何度行こうとしてもあれあれ?
 いつの間に結局元の場所に戻ってしまうのだ。
「それは不思議だったよ。何回も行こうとしたけど駄目だったもんねえ。あの時はねえ、妹に飴をやろうと思ってたのね。ポケットに飴が入ってたから、きっと狐が騙そうとしたんだろうね」
 焼き魚や生臭いモノが好きな狐の話はあちこちで聞いたが、どうやら下北半島の狐は甘党のようである。

・風間浦村での狐に関する話は多い。基本的には他所とよく似た内容だ。
「近所の人が祝い事の帰りに狐に化かされて田圃を歩かされたんですよ。それで引き上げられた時はお土産を全部無くしていて、狐のせいだと言われましたね」

<狐の警告>
・矢谷さん夫婦が以前、八甲田山の谷地温泉に行った時のことだ。2ヵ月ほどの長逗留で辺りをいろいろと巡っていたある日、宿への帰り道で深い霧に包まれてしまった。
「毎日走っている道でしたから、少々霧が出ても分かるんですよ。道自体も単純ですしね」確かに地図で見ても複雑ではない。しかし二人は辿り着けない。
「はっきりとした分かれ道があって、そこから普通なら20分くらいで着くはずなんですよ。それがいくら走っても着かない。おかしいんです、気がつくとまた元の分かれ道。そんな馬鹿なと何度も行くんですが、やっぱり着かない」
 気がつけば2時間以上が経過している。流れる霧の中を走りながら、背筋がゾクゾクとして鳥肌が立つのが分かった。
「二人で大丈夫、大丈夫って言いながら走ったんです。そうしたら目の前に狐が現れて」
 突然車の前にたちふさがったのは三匹の狐である。

・風間浦村では狐に化かされる話は聞いたが、人を殺すような悪さをするのは狸だといわれている。そこの出身である八谷さんにとっては狐は怖い存在ではないようである。

<丑三つの少女>
・山怪はどこにでも存在すると思う。しかしその状況は国や民族、歴史などの違いで大きく変化するのではないだろうか。そう考えると、北海道にはどのような山怪が存在するのか想像もつかなかった。

・これは今も存在する会社の出来事なので場所と氏名は伏せる。現在北見市の保険事業関係に勤めるAさんが、そこで働いていた10年ほど前に経験した話である。当時勤めていた会社はかなりの肉体系だったそうだ。時には夜中でも緊急の工事に出勤する必要もある体力勝負の職場である。

・真っ黒な山の中に投光器を立てて黙々と作業をしていると、現場無線に妙な連絡が入った。
「おい、子供がいるぞ!気をつけろよ。白い服を着た子供が歩いているから」
 誰もが耳を疑った。それもそのはず、現場は道も無い山の中、おまけに時間は午前2時過ぎのことである。子供が一人で歩いている訳がない。

・「これはおかしいと思って連絡してきた現場へ向かったんですよ。最初は悪い冗談かなと思ったんですがね」
 数人で真っ暗な山の中をその現場に向かうと、10人ほどの作業員が立ち尽くすのが見えた。彼らは真夜中の山中で全員がその少女を見ていたのだ。中には震えの止まらない人もいる。
「昼間でもそこは普通の人が入れるような場所じゃないんです。真夜中に子供が一人で歩いているなんて絶対にあり得ない」
そのあり得ない状況に作業員たちは遭遇してしまったのである。

<ついてきた男>
・「いや、そこに入るとき管理人さんが小声で耳打ちしたんですよ、“ここ出るから”って」実に嫌な情報である。そんなことを聞いても信じない人も多い。Aさんもどちらかというと見えないし信じないタイプだから、そのまま就寝時間を迎えて寝入ったが……。
「目が覚めたんです、ばちっと。3時頃でしたかね、いやちょうど3時でしたね、時計見たら。何か変な感じがして辺りをぐるっと見渡したんです」
 暗い部屋の中で目をこらして辺りを伺う。天井、壁、横、足元、そこで目が止まった。
「誰かいるんですよ、ベッドの足のほうに。座ってこっちをじーっと見てるんですね。顔ですか? それが、こう深く帽子を被っているんで、顔はよく見えないんです」
真夜中に足元に座って自分のことを見つける男、それが誰かは分からないが、声をかける気にはならず、そのまままんじりともせず朝を迎えた。
 感じない、信じないタイプだとはいえ、それが1週間も続くとさすがにAさんも参ってしまう。そこで研修で仲良くなった人に相談しようと思い、話しかけた。
「応接室で話をしていたんです。そうしたらその人が“そっちのベッドは大丈夫”って訊くんですよ。その人も見てるんです、帽子の男を」
 どうやら帽子の男は各ベッドを覗き込んでいるらしかった。

<飛び出す婆>
・この方のお婆ちゃんは霊力の強い人だったらしく、亡くなった後もいろいろとやらかしている。葬儀が済んでしばらく後には、家中の戸をガタガタと激しくならして家族に存在をアピールしている。極めつけは元気な姿を見せつけるという荒技だ。
「飛び出すんですよ、仏壇から。そして仏間からすたすた歩いて次の間の縁側まで行って、外を覗いてからまた仏壇に戻るんです」

・同様に仏間から出てきて歩き回る謎の女の子の話は、富山県山間部でも聞いたことがある。そこの宿の若女将は座敷わらしではないかと言うが、仏間から出てきたことを考えると遠い先祖だったのかもしれない。

<“熊撃ち”久保俊治さんの体験>
・この雪女の話は弟子屈方面でも聞いたから、北海道では珍しくないのかも知れない。本州で白い着物を着た長い髪の女性が山中に姿を現せば、それは間違いなく山の神と認識される。それが北海道では雪女になる訳だから、やはり地域差なのだろう。

<座敷わらしと山の神>
・座敷わらしがいるといわれている旅館が国内には数軒ある。最も有名な旅館は一度火事で焼けてしまったが、今は立派な宿として復活している。以前訪れた富山県の宿では、着物を着たおかっぱ頭のわらしが、ばたばたと走り回っていた話を聞いた、色は無く、すこしぼんやりとした感じだったらしい。

・座敷わらしと宿はセットのような感であるが、個人宅でもたまには現れるようだ。
群馬県の片品村で古民家を改修して住んでいる原紘二郎さん葉子さん夫婦に座敷わらしの話を聞いた。
「台所のほうで作業をしていたら、子供がたって座敷のほうを走っていくんですよ。まだうちに子供が生まれる前でしたから驚きましたね。その頃やっぱりうちに遊びに来ていた友達にも、“子供が家の外を走り回っている”って言う人が何人かはいました。その友達も子供の姿が見える人と足音だけしか聞こえない人に分かれました」

・葉子さんはあまり不思議な出来事は無いと言うが、話をするうちに謎の人物との遭遇を思い出した、鳥肌を立てながら。
「女の人でしたね。私が何かしている時に、はって気がついたら女の人が家の中を歩いていたんですよ」
葉子さんはその歩く女性に目をやった。髪の長い白いふわっとしたような服を着ている。

・古民家の戸は昔のままなのだ。サッシのように音もなく開く代物ではない。“ガタガタガタガタ”っと玄関チャイム並に賑やかなのである。髪の長い女性は戸を開けることもなくすーっと入ってきて、そのまま家の中を突っ切って消えていった。
「それは山の神じゃないんですかね」
「山の神?」
 山の神は髪が長く白いゆったり目の服を着ていると幾人かに聞いたことがある。それとよく感じが似ているのだ。

・片品村は尾瀬への玄関口として有名である。その尾瀬の或る山小屋にも座敷わらしが出るという。

<火の玉ラッシュアワー>
・空中をふわふわと彷徨う光は“人魂”や“火の玉”などと呼ばれている。東北地方では“狐火”と呼称され、特に秋田県の阿仁地区では実に多くの“狐火”体験談を聞くことが出来た。さすがはマタギの里阿仁である。

・景徳寺で出会った婆ちゃんたちから50年ほど前の出来事を聞いた。
「西原いう地区があるんですよ。そこでね、3歳やったかな、男の子が一人おらんようになったんです」
 西原の集落から忽然と姿を消した子供。集落をあげて山狩りをしたが、その小さな体は見つからなかった。4日が過ぎ、集落中に諦める気持ちが強まりかけた頃、その子は見つかる。そこは大人でも行きにくい滝の横だった。まるで辺りを眺めるようにぽつんと突っ立っていたそうだ。いったいどうしたのか、何があったのかを問われて幼子は答えた。
「白い着物を着た女の人に助けてもらった………」
 山の中で迷っていたら、その女性が手を引いて連れていってくれたというのである。命に別状はなく、怪我もしていなかった。しかし助けるのなら集落のほうへ連れていってくれればよいのにと思うのは私だけだろうか。

<山から出られない人>
・何が怖いのか、それには理由があった。
「その人たちがキノコ採りに行った時なんですよ。山から出られんようになったんです」
「険しい谷か何かに迷い込んだんですか?」「いやいや、原っぱです」
「原っぱ?」ご婦人たちが足を踏み入れたのは草原、広々とした場所である。いつもの山道を汗をかきながら登っていくと、突然広々とした場所に出てしまったのだ。
「こんな所があったんやねえ」「そやなあ」
 誰もが初めて来た場所である。そして誰もが話にも聞いたことがない場所である。この謎の場所から抜け出すのに彼女たちは必死で出口を探し回った。
「凄く大変やったらしいです。あっちこっち歩き回っておったら、いつの間にか知った山道に出られたそうです」
 慣れ親しんだはずの場所で異空間に足を踏み込んでしまう。それが白い山や青い池だった話は東北地方でも聞いたことがある。大抵の場合は二度とそこへ行くことが出来ない。もちろん北山村のご婦人たちは二度と行きたいとは思っていないが。

・あれ、どこへ行くのかなと思いながらもベテランのことである。何か考えがあるのだろうとさほど心配はしなかった。ふっと遠くへ目をそらして再度先ほどの山筋を見ると……。
「また先輩の猟師が同じように歩いてきてなあ、開けた所を通りすぎて山へ入っていくんや。何しとるんかなあ思うたでえ」
 二度目である。まあ何かを確認するための行動かと思ったが、さすがに3回目となると話は違ってくる。そして4回、5回……。
「同じ所を何度も回っとるんやなあ。そいで無線取って“お前何しとる、何回も同じ所歩いとるで”言うたんや」
無線に出た先輩猟師は応えた。
「何って、わしゃ山を下りよるだけじゃ」「下りるって、お前さっきから同じ所をぐるぐる回っとるだけやぞ」
 亀田さんに指摘されても先輩猟師には意味が呑み込めない。彼はひたすら山を下りているつもりだったのである。
「いやおかしかったけど、先輩やから笑うに笑われへんかったで」
 いわゆるリングワンデリングの類いなのだろうか。それを遠目に見ていた人の話は珍しい。その先輩は伐採し開けた場所を何度も通っていることに気がついていなかったそうである。

<奥山の女性>
・先に述べたように杉山さんの仕事は立木の買い付けである。山の面積と樹種を把握して持ち主と金額の交渉をしたり、銘木を探して山を一人で歩く。当然、遊歩道や登山道を歩く訳ではない。基本的に人と会うことがほとんどない山行きなのだ。そんな場所に女の人が一人でいるとは考えられないから驚くのである。
「二回会ったことがありますよ。山の中で、その人、普通の格好なんです。山歩きじゃないですね。髪の毛がばさばさで凄く怖かったですよ。精神的に不安定な人なのかなと思いました」
「はあ、二回ですか。それは同じ人なんですか?」
「いや、違う人ですね。場所も全然違いますから」
 この状況は想像するとかなり怖い。限られた山関係の人しか入らないような場所で、彼女たちはいったい何をしていたのだろうか。

<狸話>
・動物が関係する話は狐が多く、特に東北北部では独壇場である。しかしながら狸もなかなかのキャラクターとして度々登場する。そのほとんどが物真似をする程度でたわいもない。それが四国では人を死に追いやるような悪さをしでかすのである。



『鹿と日本人』   野生との共生1000年の知恵
田中淳夫  築地書館   2018/7/2



<シカが獣害の主役になるまで>
<シカの増え方は“シカ算”>
・これまでナラシカの現在と歴史的な経緯を記してきたが、あらためて振り返ると、ナラシカは宗教的な理由で保護される一方で、常に人との間に揉め事を引き起こしていた。その大きな理由はシカの食害であることは言うまでもない。ナラシカを保護すればするほど数が増え、その一部が農地を荒らす。

・1頭のメスが2年目から毎年子を産むというのは何を意味するか。20年生きる場合、単純計算では18頭の子どもを産むことになる。産んだ子どものうち半分がメスと仮定すると9頭が2年目から子どもを産む。親シカ、祖母シカも生み続ける。シカは、自分の子、孫、曾孫、玄孫………が同世代の子どもを産むのである。1頭の寿命が尽きるまでに子孫は何頭になるか計算していただきたい。いわば複利計算だ。もちろんすべてのシカが2歳から毎年出産するわけではないが、繁殖力は決して小さくない。
 実際の観察では、年間増加率は15〜20%に達し、4〜5年で個体数が倍増する計算になる。いわば「シカ算」が存在する。

<シカは飼育しやすい性格?>
・食性は、植物なら何でも食べる。草も樹木も食べる。草も丈の高いものから地面にへばりついたシバまであまり選ばない。ササであろうと平気だ。餌の確保にそれほど苦労はしないだろう。牧草を育てるという手もあるし、干し草や草のペレットも可能となると、飼育時にはあまり困らないはずだ。もっとも「何でも食べる」食欲が獣害となるわけだが………。

・現在、日本には1ヵ所だけ長崎に1000頭規模でシカを飼育し、鹿茸と肉と皮革を商品化するシカ牧場があるが、例外的な経営の成功例と言えるだろう。

・まず有用と言っても役割として小さかったのかもしれない。農耕に使うならウシのほうが力が強く、人が乗ったり荷物を運ばせたりするならウマ」だ。肉はあまり求めなかったし、シカから取れる肉の量は少ない。皮革も牛皮が一般的で、鹿革の需要は狩りで獲る分で十分需要に対応できた。毛が短いので防寒用には向かないだろう。またニホンジカは外国産のシカに比べると小さめで皮革も小さくなる。

<昔から大変だった獣害>
・獣害の主役は、少し前までイノシシだったのだが、近年はシカに交代したようだ。推定生息数もシカのほうが多くなった(シカの生息数はイノシシの約3倍以上とされる)。
 農林業被害額は膨れ上がっており、ピークは2010年の239憶円である。肝心の農林作物を荒らす動物は、イノシシやサル、カラスなどの鳥類もいるものの、もっとも多いのがシカで、ざっと全体の3分の1を占める。
 もっとも実態はそんなものではない、という声も強い。そもそも被害額の算定は、それを農協や自治体などに届け出ないと顕在化しない。それにシカは、農家の作物だけでなく家庭菜園や個人宅の庭木や花壇の草木も食べる。それらの多くは泣き寝入りになるだろう。また植えた苗を食べられたり樹皮を剥がれたりする林業被害もすぐに気づけず表に出づらい。本当の被害額は約5倍、1000億円を超すのではないかという声もある。なお天然林の植生に与えるインパクトも被害額として計算しづらいが、結構深刻である。

・広く農村集落に野生動物が出没して被害を出すようになったのは30〜40年前からである。
 しかし時代をさらにさかのぼり、江戸時代の様子をうかがうと今以上に獣害が苛烈をきわめていた事実が浮かび上がる。

・武井弘一琉球大学准教授の『鉄砲を手放さなかった百姓たち』(朝日選書)によると、江戸時代は武士より農民のほうが多くの鉄砲を持っていたそうだが、その理由は獣害対策であった。多くの古文書から実例を挙げているが、田畑の6割を荒らされたとか、年貢の支払いができなくなったから大幅に減免してもらった記録もあるという。だから、藩や代官に鉄砲の使用を願い出て駆除に当たっていたのである。

・考えてみれば中世から江戸時代でも、ナラシカの食害は大問題だった。奈良近郊の農家はナラシカが田畑を荒らすことに苦しんでいたが、駆除ができなかったからである。追い払っても、その過程でナラシカを傷つけたら人のほうが罰せられた時代もあった。奈良も、古くから獣害被害に苦しんできたのである。
 だから明治になって、四条県令がナラシカを駆除対象にした際に喜んだ農民も少なくなかった。

・シカの分布の変遷を調べると、縄文時代には東北でも多くのシカがいたようだ。貝塚からシカの骨が大量に発見されている。ところが江戸時代の後期に入ると、急に減り始める。その背景に、大規模なシカ狩りを実施した記録が各地ある。1722年に男鹿半島で秋田藩上げての狩りを実施して2万7100頭のシカを獲ったとされる。これも獣害対策の一環だろう。その後も狩りは続き、シカは男鹿半島では絶滅したらしい(近年、再び出没している)。同じくイノシシも獣害対策として東北各地で大規模な駆除を実施した記録がある。
 さらに資料を探っていると、トキを害鳥として鉄砲で追い払った記録も出てきた。

・原因として考えられるのは、やはり明治以降は幕府の禁制が解かれ、高性能の銃が導入されて駆除が進んだことがある。食肉としてもシカやイノシシが狙われた。江戸時代も肉食はこっそりと行われていたが、明治に入って公に奨励されるほどになっていた。そのほか骨や角なども野生鳥獣は資源として追われるようになったのである。
 加えて野生動物そのものが毛皮の供給源として乱獲された。毛皮は欧米への輸出品として大きな割合を占めていたうえ、戦時下では軍用物資だった。大陸へ日本軍が侵攻すると、防寒用軍服などにも毛皮は求められたからだ。1880年代には軍用の毛皮を調達する制度がつくられ毛皮市場も形成された。じつは、猟友会が結成されたのもこの時期である。国の主導で狩猟者の組織化が進められたのだった。

・毛皮の対象となったのは、ツキノワグマにヒグマ、オコジョ、カワウソ、カモシカ、シカ、クマ、キツネ、タヌキ、ウサギ………などである。よい毛皮の取れる動物は、軒並み狙われるようになる。さらにラッコやアザラシなど海の動物も対象になった。
 
・戦後は、焼け野原になった町の復興のため、そして経済復興のために木材が求められ、伐採が加速した。そこに木材として有用なスギやヒノキを植える拡大造林政策も取られた。
 こんな状態では、野生動物も安穏と暮らすどころか生存の危機に陥っただろう。自然が荒れたから獣害も減るという皮肉な関係にある。

<国がシカを保護した時代>
・獣害が出ない時代とは、野生動物が激減した時代でもある。実際、シカの生息数も少ななかった。シカの生息数の長期データが見つからなかったので正確には言えないが、どうも1960-70年代がもっとも少なかったと思われる。

・シカも生息数が減少した時期は保護対象だった。その過程を追ってみよう。
 明治以降、北海道では1877年にエゾシカ猟の一部規制、さらに全面禁猟(90年)措置が取られた。当時エゾシカの肉を缶詰にして輸出する産業が発展していたのだが、そのためエゾシカの絶滅が心配されたのである。

・だから戦後の狩猟行政は変遷があるように見えて、じつは一貫してシカを保護してきたと言って過言ではない。保護策を見直したのは、21世紀に入ってからなのだ。

・ただシカは、ネズミのように1年に幾度も、多数の子を出産するわけではない。いきなり増加するのではなく、何年も前から人間が「近頃増えてきたな」と感じる徴候はあったはずだ。そして増える要因もそれ以前から存在していたと思われる。それらに気づいて早く手を打っていたら、事態の深刻化は防げたのではないか、と感じる。

<間違いだらけの獣害対策>
<シカが増えた3つの仮説>
・一般によく言われる要因は3つある。
まず|狼絏甲伐宗次に⊆輓勅圓慮詐。そしてニホンオオカミという天敵の絶滅。

・◆崋輓勅圓慮詐」だが、これを論じる前に確認しておかねばならないのは、本当に狩猟者は減ったのかどうかである。
 動物の狩猟には、まず資格がいる。そこで狩猟免許(銃猟とワナ猟に分かれる)の所持者数を見ると、1975年には51万8000人もいた。それが90年には29万人となり、2014年には19万4000人と急減している。

・しかも有害駆除数の推移を見ると意外な点が浮かんでくる。1990年と2014年の駆除数を示すと、シカは4万2000頭から58万8000頭、イノシシが7万200頭から52万600頭へと急増している。両年の間に10万人以上も狩猟者が減ったにもかかわらず、駆除数は数倍から10倍以上になっている。狩猟者数と有害駆除数は必ずしも相関しない………というより、逆転しているのだ。
 では、なぜ狩猟者が減っているのに、駆除数は増えたのだろうか。
 その裏には報奨金の値上げがある。有害駆除を行うと支払われる報奨金額は自治体によって違うが、以前は1頭当たりせいぜい5000円だった。それが地域によって2万〜3万円まで上がっている。これまでボランティアに近かった駆除も、頑張りがいが出たのだろう。ハンターの高齢化は進んでいるが、まだまだ猟は行なっているのだ。

<野生動物が増えた最大の理由>
・最初に掲げた3つの要因を考察すると、ことごとく否定的な見解が出るわけだが、じつはあまり指摘されてこなかった、しかし最重要なシカの増加要因がある。シカだけでなく、野生動物全般が増えた理由だ。それは………餌が増えたことだ。

・加えて里山は主に落葉広葉樹林に覆われているが、シカが好んで食べる草木はそれこそ山とある。照葉樹林化している里山も少なくないが、照葉樹の葉も食べられるし、ドングリを実らせる樹種も多くシカに餌を提供する。
 全体として山には野生動物の餌が豊富といえるのではないか。

・山に豊富な餌があり、里にも農業廃棄物がたっぷりある。人が少なくなり農地に侵入しても追い払われない。だから野生動物は、奥山と里山を行き来している可能性が高い。これこそシカを含む野生動物増加の最大要因ではないだろうか。
 環境省によると2013年のシカの推定数は約305万頭、イノシシが約98万頭(いずれも推定中央値)。イノシシは近年横ばいだが、シカはこのままだと23年には453万頭に増えると推定されている。

<有害駆除には向かない猟友会>
・猟友会はあくまで狩猟愛好者の会であり、有害駆除の主戦力には向いていない。有害駆除のプロ集団をつくるべきだとする声も強いが、利害関係が交錯してなかなか進まないのが実情だ。

<獣害対策は「防護」と「予防」にあり>
・じつは駆除より先に考えるべきは「防護」だ。具体的には被害を被るものに防護柵を張ることになる。これは農作物や樹木を単体でガードするものと、農地や林地を囲むもの、そして集落など地域全体に野生動物が入れないように囲むもの、そして集落など地域全体に野生動物が入れないように囲む防護柵の3つの段階がある。これらしっかり設置しておけば、確実に内側の農作物は守れるはずである。
 しかし、いずれも設置の仕方を誤ると効果が出ない。たとえば防護柵の場合は地際をしっかり押さえておかないと、シカやイノシシは簡単に持ち上げてくぐってしまう。

<ジビエ(野生鳥獣肉)が獣害対策にならない理由>
・ジビエの最前線を追うと、シカ肉が人気を呼べば獣害の元であるシカの駆除も進む、というほど単純ではないことが浮かび上がる。ジビエの普及は有害駆除とまったく別の次元であり、連動していないのだ。それどころかジビエを得るための狩猟が獣害対策と相反することも有り得るだろう。
 もし、獣害対策としての狩猟とジビエの普及を両立させようと思えば、現在の有害駆除体制を根本から組み直さないと難しい。専門的に駆除を担当する組織と効率的な解体処理施設、そしてジビエの販売先と綿密な連携を組む必要がある。
 ともあれ補助金目あての有害駆除と流行に乗るだけのジビエを抱き合わせても、決してうまくいかないだろう。

・2016年の処理数は、約1800頭にのぼった。ニホンジカ専門の処理施設としては日本最大級だという。これほどの数を扱うようになったということは、ジビエブームに乗って急成長か……。
「全然、利益は出ません。一時は廃業を考えたくらいです」
 意外や柳川瀬社長の口調は重かった。ようやく話を聞いたジビエ事情からは、この世界の抱える根本的な問題が浮き彫りになる。
まず会社の設立には補助金を使わなかったという。その代わり引き取るシカは選ぶ。質のよい肉を提供することで事業化をめざした。銃猟で仕留めた獲物は、頭か首を撃ち抜いた個体でなければ使えない。銃弾が肉はもちろん内臓に当たったものは商品にならない。とくに胃腸部分に当たると、大腸菌が体内に飛び散るため食用にできなくなる。

・「まずシカは売り物になる肉が少ない。体重で見ると、だいたい肉、内臓、骨と皮で3分の1ずつの割合。その肉もおいしくて売り物になるのは背ロースとモモ肉ぐらい、肉質が良いのはさらに少なくなる。ほかの部位の肉は臭くて人の口には合いません。計測したところ、販売できるのは全体の15%程度でした。だから肉の注文が増えても十分に供給できないのです」
 背ロース肉は100グラム当たり卸値700円前後で取引されるが、これ以上値を上げるのは難しいという。

<人と動物が共生するということ>
・そう考えると、街中にシカが闊歩する奈良の町は、「野生動物との共生」の場として優れものだ。課題は山積みだが、苦労しつつ解決を模索している。ナラシカも、結構したたかだ。人を利用するが、人に依存しない。共生とは「みんな仲良く」ではなく、「みんなスキなく」。適度の緊張を保ちつつ棲み分ける生き方だと考えさせられるのである。




<●●インターネット情報から●●>
(毎日新聞インタ―ネット  2018/8/14)
<仏南部  絶滅回避の「ヒグマ2頭放獣」方針に農家ら猛反発>
【パリ賀有勇】スペイン、アンドラとの国境に連なるフランス南部ピレネー山脈に生息するヒグマを絶滅から救うために、仏政府が国外から輸入したメスのヒグマ2頭を放獣する方針を打ち出し、クマによる家畜被害を恐れる農家との間で摩擦が生じている。
仏政府の計画では、今秋にスロベニアからメスのヒグマ2頭を譲り受け、3000メートル級の山々からなるピレネーに放す。フランス狩猟・野生動物事務局などによると、ピレネーのヒグマは乱獲の末、1940年ごろに150頭まで減少。密猟などにより95年には5頭にまでなった。

 対策として96年から計8頭がスロベニアから輸入され放獣された。専門家は絶滅を回避する最低頭数を50頭と試算しているが、現在では43頭まで回復。だが、メスがいない地域があるために新たなメスのヒグマの放獣計画を打ち出した。

世論調査では7割の地元住民が計画を容認するものの、羊の放牧農家らの猛反発を招いている。ピレネーでは羊乳を用いたチーズが特産品だが、クマに捕食されるなどして年間200頭程度の羊が犠牲に。クマの犠牲になったケースでは政府が損失補填(ほてん)している。インターネット上には、羊飼いとみられる男性らが、覆面姿でライフルを持ち新たな放獣を警告する過激な動画も投稿されている。放牧農家のフェレイさん(65)は「クマがいなくなっても誰も困らない。被害があるのになぜ頭数を増やすのか」と語気を強める。

「絶滅による影響の有無ではなく、われわれに種を絶滅に追い込む権利があるのか。倫理的な問題として考えてほしい」。放獣推進派のNGO「熊の地」のアラン・レネス代表は、ピレネーのクマが25万年前から生息していたことを説明し、クマと共生する意義を説く。異国のクマとの交雑が進むことへの疑問の声もあるが、「同種のヨーロッパヒグマであり、遺伝的に大きな相違はなく、生息環境や生態の類似性などあらゆる調査結果が考慮された」と理解を求める。クマなどの生息は生態系や豊かな環境が保たれていることの証しと力説し、「生物多様性と人間生活の営みの両立は簡単ではないが不可能ではない」と訴える。

<●●インターネット情報から●●>
(千葉日報 2018/2)
<急増キョン駆除へ 千葉県、専門職員を採用>
特定外来生物「キョン」の急増による農業被害の拡大を受け、千葉県は1日、キョンの駆除に特化した専門職員を採用した。県内に推計約5万頭が生息するのに対し、年間捕獲はその20分の1にとどまっており、ノウハウを持つ同職員を中心に効果的な捕獲態勢を構築し、増殖や被害を抑える狙い。

シカ科の小型草食獣のキョンはもともと中国や台湾に分布。県内では勝浦市にあった観光施設「行川アイランド」(2001年閉園)から逃げて野生化、繁殖したとみられ、県の推計で生息数は01年度末時点の約千頭から15年度末には約4万9500頭と爆発的に増加。一方、16年度の県の捕獲実績は2400頭。

 県内で野菜や稲を食い荒らす農業被害額は16年度が132万円で、前年度から37万円増えた。



『クマ問題を考える』
野生動物生息域拡大期のリテラシー
田口洋美     山と渓谷社   2017/4/21



<捕獲と威嚇のメッセージ性>
・現在、私たちが行っているツキノワグマ対策は、出没や被害の現場での「対処駆除」、いわゆる対症療法が主体である。被害に遭えば捕殺し、市街地に出てくれば捕殺する。当然のようであるが、実は肝心なことが抜け落ちている。それはクマの出没を減らすための努力である。その努力は、クマたちにこの一帯から先には行ってはいけない、人間の生活空間に出て行けば極めてリスキーである、ということがわかるように仕向ける努力のことである。

・現在のツキノワグマの推定棲息数(全国に1万6000頭前後が棲息している)がいるとすれば、年間200頭から300頭のオーダーで捕獲をつづけたとしても対処駆除は永遠につづけていかなければならない。それは被害に遭いつづけることを意味している。被害に遭いつづけることが駆除の持続性を保障するという、現在のジレンマから一向に抜け出すことができないのである。このようなジレンマの持続性を喜べる人はほとんどいないだろう。被害に遭うのは農林業に従事する人々に限られたことではない。ランダムである。散歩やジョギング中に、あるいは登下校中にクマと遭遇することもあり得る話である。実際にそのような事故が起こっている。

・問題は、ツキノワグマに限らず、野生動物たちに人間の側のメッセージをどのように伝えるか、なのである。そのための苦肉の策の一つとして行われているのが、新人ハンター(猟師やマタギ)の養成ということになる。東北地方に限って言えば、この5年あまりのなかで地域の窮状を見かねてハンターを志してくれる人々は微増とはいえ増えてきている。しかし、増える以上に熟練猟師たちの引退も増えているのである。このような新人養成は、マンパワーの維持にほかならないが、同時に捕獲と威嚇という手法、しかも野生動物たちに伝わるメッセージ性のある手法をどのように実践するか、が問われることになる。

・例えば、現在、東北地方にはマタギと呼ばれる近世以来の歴史と伝統を有する猟師たちは3000人程度存在すると見込んでいるが。このなかで経験に裏打ちされた高度な現場判断ができる猟師は500人程度に減少しているだろう。いかに東北地方といえども日常の時間を自由にでき、毎日のように山を歩いていられる人はほとんどいない。多くの人は職を持ち、猟で山に入ることが許されるのは土日だけという場合が大半を占めてきている。このような状況で、被害や出没が起きた時に直ちに現場に走れる猟師はわずかしかいない。
 なかには、春のツキノワグマの生息調査や子察駆除の期間に有給休暇を溜めておいて出猟するという熱心な猟師もいるが、極めて少数である。むしろ、いくらそのような有給休暇の取り方を求めても許してくれる企業はまだまだ少ないというのが現実であろう。

・地域の山岳や沢、地名や地形に詳しく、単独で山々を歩け、クマに関する情報を収集し、クマたちの動きの先が読める猟師は育ちにくい時代である。現在、猟友会を支えている熟練した猟師たちは、ほとんど1940年代から1950年代前半に生まれた人たちである。この人たちはかろうじて親の世代の猟師たちが生計をかけて狩猟に携わっていた当時、親や近隣の先輩たちから動物の追い方など、伝統的な技術や地域の山々に関する知識を継承できたぎりぎりの世代である。この人たちが元気な内に、若い新人ハンター付いて学んでいけば10ぐらいの経験で相当の知識と技術をものにすることも可能であろう。しかし、現場を差配し安全を保ちつつ大型野生動物と向き合うにはさらに10年という歳月がかかる。この時間の短縮は難しい。バイパスはないのである。

<遭遇しないために>
・クマ鈴を腰に下げている人をよく見かけるが、遭遇した時にはよい効果をもたらさない。

・山で生きていた人たちは、大なり小なり、クマをめぐる体験を持っている人が多い。この体験の蓄積は、危険を回避するための貴重な知識となる。地域の人たちが歴史的に蓄積し、鍛え上げてきた民俗知(民族知)の世界に多くの人が触れてくれれば、事故などそうそう起こるものではない。自動車事故よりも遥かに確率が低い。もし、そんなにクマが危険な動物であれば、すでに人類は滅んでいただろう。

<東日本大震災>
・この数年来、気が晴れない日々がつづいている。それは、東日本大震災をきっかけに生じた福島第一原発の事故による野生動物の放射能汚染問題のためである。現在も数多くの方々が避難生活をされているなか、避難区域はイノシシなどの野生動物に荒らされ、これを軽減させるために日々奔走している人たちがいる。

・クマ問題の核心は、クマをいかに排除するかではない。出没をいかになくすかである。出没がなくなれば、問題は半減する。そのための努力がまだまだ足りていないと思う。

<狩猟と農耕>
・つまり、農耕によって発展してきた日本社会であるからこそ、狩猟を必要としてきたのである。農耕に依拠する社会には狩猟という営みが必要不可欠な存在であり、狩猟は農作物被害を軽減する抑止力として機能してきたのである。このような狩猟と農耕の相補的な関係は、ヨーロッパ社会にもアメリカにも、アジアやアフリカにも確認することができる。狩猟と農耕はまるで別物であるという理解は明らかに間違った考え方なのである。

・この5年あまり、アメリカを調査しはじめているが、2016(平成28)年にアイオワ州のアイオワ・シティー郊外の農家を訪ねる機会があった。
 訊ねた農家のビル氏が所有する広大な畑の周辺には、隣の耕地との境に幅100メートルほどの森が残されている。その森のいたる所にハイシートやハイハットと呼ばれるシカ猟用の施設が設けられていた。ハイシートというのは日本では据木と呼ばれていたもので、中世の鎌倉時代に描かれた『粉河寺縁起絵巻』などに登場する。樹上から下を通るシカを待ちぶせして弓で射るための台のことである。アメリカではコンパウンド・ボウと呼ばれる弓やボウ・ガンを用いてシカを射る猟が盛んに行われている。そのための施設が森のいたる所につくられている。

・シカに作物を食べられながら養い、シカを狩猟している。訊ねた時、自宅から600メートルほど先の畑のなかで採食するホワイト・テール・ディアの群がいた。彼はまったく興味を示さず、私たちを家のなかに案内し、シカのトロフィーを見せながら猟の話に夢中であった。彼もまた半農半猟の暮らしをしていた。

・ドイツのヘッセン州を訪れた時も同じであった。ドイツには80万人も狩猟者がいる。猟場となるのは農村地帯に設定された猟区であった。農家の人たちが互いに耕地を提供し合って猟区をつくっていた。その猟区を猟師が訪れ、アカシカやイノシシを獲物に猟を展開しているのである。耕地を猟区に提供している農民たちは、耕地内に生息する野生動物を獲って貰うために土地を提供していたのである。
 アフリカのケニアでは、農耕する部族社会の周辺に狩猟採集民の部族がいるという話を聞いた。ラオスでも中国の雲南省でも、黒竜江省でも、ロシアでも聞いた。狩猟と農耕は、これらの国や地域でやはり分かちがたい関係にあった。何という不思議だろうか?



『熊撃ち』
久保俊治  小学館   2012/2/3



<山の魔物との遭遇>
<帰国と再会>
・アイダホ、モンタナ、ワイオミング、ユタ、それにカリフォルニア北部にわたる、3ヵ月間の猟期も終わった。
 各地でいろいろなプロガイドに会うことができた。だが、足跡を的確に読み、距離、時間差を正確に判断してくれる技術を、私の期待通りに示してくれるガイドには会えなかった。いっしょに行動できるガイドの数が、限られていたせいもあるだろう。そしてガイド業が、動物相手というよりも、客相手のビジネスとして成り立っていたせいかもしれない。
 私が北海道でやっていたように、一人対動物という関係は、一部罠猟師や、イヌイットの人たちを除けば、もうアメリカにも存在しないのだろう。本物の猟のプロフェッショナルは、映画の中だけにしか残ってないのかもしれない。
 アメリカでは、北海道の私のようなやり方、自分で獲った獲物を金にして生活するやり方の人間を、マウンテンマンと呼び、ハンターとは呼ばないようだった。

・故国へ帰る飛行機の窓から見えてきた少し雪をかぶった山々は、まさに日本の山々だった。ロッキー山脈ほどの広さはないが、それがかえって懐かしくさえ思えた。

<なくなった林>
・4月も近づき、春の気配に山が黒ずんでくる。待ちに待った熊の季節がやってきた。フチとともに、一年ぶりに標津へ向かう。
 アメリカの山の、乾いたマツくさい香りとはまったく異なる。湿っぽい腐土のような懐かしい匂いを、胸いっぱいに吸い込む。北海道にいることが、アメリカから帰ってきたことが実感される。設営を終えたテントの中で、広げた寝袋の上に寝転び、翌日からの熊猟に思いを遊ばせる。

・やはりフチとの山がいい。
 翌朝、硬雪を踏んで、熊が早い時期から穴を出る山へと向かう。

・解体、運搬し、街に出て売れるものは売ってしまった。このときは熊一頭とシカ二頭で、当時のお金で50万円ぐらいにはなった。山に戻ったころには雪解けも進み、テントのまわりの雪もだいぶ少なくなった。
 体についた熊の匂いは、2週間ほど経っても消えず、焚火の煙の匂いとともに、自分の体臭のようになる。
 
<異様な吠え声>
・4月も末になり、春めいてきた山の中を歩く。8月中には再びアメリカへ行くという思いが、あまり気乗りしないものになってくる。厄介なビザの取得のことを思うと気が重い。フチを連れていけるならともかく、もう置いたままにしてはいけない気持ちが強くなっている。このまま北海道で、自分の猟を完成させることのほうが大事ではないか、と思えてくる。
 アメリカでは、できることはほとんどやり尽くしたような気もする。プロのハンティングガイドとしても、あちらのプロガイドと比べて遜色はなかったとの自負も持てた。まだ行ってみたいと思う州もあるが、ガイドとして、客相手では気が弾まない。

・冷や飯に、熊の脂で炒めた味噌をつけながら夕飯を食う。フチもその味が気に入ったとみえ、旨そうに食う。
 寝袋に体を入れ、オレンジ色の榾火を見ながら眠りについた。
「ウーッ」、フチの異様な唸り声に目覚める。傍らにいるフチが、ぼんやりと白っぽく見えるだけの、星明りもない闇の一点を見つめ、体に緊張感を表わし低く唸っている。焚火も消えている。
 ゆっくりと寝袋から這い出し、立てかけてあるライフルを掴み、懐から懐中電灯を出し、いつでも点灯できる用意をし、闇に目を凝らす。
 フチは低く唸り続けている。ゆっくりと立ち上がり、フチに行けの合図を心の中で送る。暗闇にスルスルと消えていったフチが、突然に吠え出す。吠え声が異様だ。今まで聞いたことがない怯えた吠え声なのだ。懐中電灯を点ける。ほんの一部だけ照らされた闇の中を、ライフルを構え吠え声を目指して一歩一歩と近づく。少し行くと、闇に向かい吠えているフチが、小さな明かりの輪の中にボーと浮かんでくる。尻尾を垂らし、背の毛を逆立て、怯えた声で激しく吠えたてている。熊に対してさえこんなに怯えた姿を見たことがないし、こんな怯えた吠え声を出したことがない。そのフチが闇に怯えている。懐中電灯で照らしてみても、何も見えない。熊ではないのだ。熊だとしたら、寝ている傍らで、ただ唸ったりだけしていたはずがない。足元まで唸りながら戻り、また闇に数歩踏み出しては激しく吠えることを繰り返す。
 
・突然に体の中を恐怖が走った。今までに感じたことのない、得体の知れない恐怖が背筋を昇り、全身の毛が逆立つ。
 ああ、これが山の魔物と言われるものなのか。猟の伝承で言われてきた、「魔物に逢う」という現象なのだ。闇を見つめ、フチの怯えた吠え声を聞きながら思った。犬には魔物が見えると言われている。今フチは、その魔物を見ているのだ。そして私自身、その魔物と言われるものの前に、暗闇で対峙しているのだ。
 得体の知れない恐怖感が重く体を包み込み、押し潰そうとする。まわりの暗闇よりもっと濃い暗いモノがまとわりついてくる。額に冷たく汗が滲み出てくる。今まで、人魂と言われ火の玉も、山の中で数度見たことがあるが、そのときにも感ずることのなかった恐怖感に体が包み込まれている。なんとも言い表せない。はねのけることができないような恐ろしさが感じられる。闇に目を凝らし、耳を澄ましてその恐怖を払いのけようとしながら、ただ佇んでいた。

・落ち着いてみると、地場の変化などによる電磁波を感じたのかもしれないと思う。犬は電磁波に敏感だといわれている。フチにとっては、得体の知れない電磁波の、その感覚に怯え、吠えたのかもしれない。そして私自身も、フチの傍らへ行き、それを感じ取ると同時に、フチ怯えを目の当たりにすることにより、電磁波の感覚が、恐怖という形で現れたのかもしれない。

・山の中でたった一人で生活していると、奇怪なことをたびたび経験する。そして猟の伝承の中で言われていることの一つ一つが自分なりになるほどそういう訳なのかと納得できることがよくある。
 例えば、サンズナワと言われるものがある。
 山で泊まるとき、なんとなく嫌な感じがする場所というところがある。そんなとき、獲物を引っ張るロープなどで、「一尋、二尋、三尋半」と唱えながら3回ロープを扱き、そのロープを寝るところのまわりに張り巡らせて、結界を作れば、魔物が入ってこず安心して寝られると言われているものだ。

・私も一人で山を泊まり歩いていたとき、熊の通りそうなところではよくやってみた。
 何回か扱いたロープを張り巡らすことで、他の動物を寄せ付けない効果は確かにある。解体した獲物の肉を残しておくときに、手拭いや軍手などを肉の側に置いておくことによって、2日間ほどは、キツネなど他の動物が近づかず、肉も食い荒らされることがない。サンズナワを張り巡らすのも、これと同じような理由だと思われる。またキャンプを出るときテントの入り口に唾をつけたり、タバコの吸殻を立てておいたりすると、キツネ、イタチ、テンなどの動物にテントの中を荒らされることがないのも、サンズナワと同じようなことだと思われる。

・山の中では1回だけの呼び声には決して返事を返してはいけない。返事をすると魔物に連れていかれてしまうとも言われている。幻聴を呼び声と間違い、よく確かめもせずに返事をしてしまうという心の弱さ、注意力の乱れが方向を間違い、山に迷ってしまう原因になるのだろう。山での猟、特に単独猟では、何事も確認し直してから行動せねばならないとの戒めと思っている。
 自分なりに理由をつけ納得したつもりになってみると、たわいもないことのようにも思えるが、弓矢の時代の昔から言われつづけている猟人の伝承には、山に対する大いなる畏敬と、深い尊敬の想いが込められ、そこから得られる獲物に対する愛情が感じられる。

・牧場での生活も順風満帆な時ばかりではなかった。牛の販売価格の下落によって、計画した収入が得られなかったり、白筋症という病気で半数以上の仔牛を失ったこともあった。特に全国的に騒がれたBSEの事件は経営に大打撃を与え、長くその影響を受けた。



『山怪  弐』     山人が語る不思議な話
田中康弘     山と渓谷社   2017/1/19



<神様の孫>
・秋田県の森吉山北麓に杣(そま)温泉という一軒宿がある。ここは秘湯として、知られ、登山客も多く訪れる場所だ。温泉宿の主人であり、また地元のベテラン猟師でもある杣正則さんに話を聞いた。
 「私の親父が亡くなった時に人魂は見ましたね。祭壇は大広間に作ってたんですよ。その時、私は何か凄く体の調子が悪くてね、こう首から背中にかけて鉛でも入ったみたいに重くて苦しかったんですよ」
 一週間ほど謎の体調不良が続いた頃、話を聞きつけた住職がやって来た。そして早くこの祭壇をかたづけろと忠告してくれたのである。
「和尚さんがお経を上げてくれて、それを聞いているうちにどんどん体が軽くなっていくんですよ。あれ?不思議だなあと思いながらふと窓の外を見たら………」
 目に入ったのはバスケットボールくらいの大きさの人魂だった。それを見た瞬間に杣さんは分かった、あれは親父だと。

・杣さんのお婆ちゃんはいわゆる地域の神様、拝み屋さんで、さまざまな相談ごとに応じてアドバイスをする霊能力者の類いだった。その力が孫である杣さんにも若干受け継がれているらしい。

・杣さん自身も山の中で迷ったことがある。そこは行き慣れた場所であり、決して迷うような複雑な地形ではない。しかし歩いているうちに妙な感覚にとらわれ始めた。
「あれ?何か変だなって思ったんですよ。自分の前に足跡があるんですね。さっきまで無かった足跡が突然現れたんです。これは変だと思って立ち止まって周りをよく見たんです」
 気持ちを落ち着けて確認すると、それは先ほど自分が通った所ではないか。目の前の足跡は自分の物に違いなかった。
「完全にリングワンデリングなんですよ。そんな馬鹿な、こんな所でなぜだって思いましたね」
 腑に落ちない杣さんが周囲を調べると、やはり多くの狐の足跡を発見したのである。
「やられたな、こりゃ大変だ。さてどうすべ?」
 杣さんは左へ左へとなぜか進んでいるようだった。そこで極端なくらい右へ曲がりながら登り始めたのである。しばらくすると目的地に近い場所へ辿り着いたが、それでも若干左寄りの地点だった。神様の孫と狐の攻防戦はいい勝負のようである。

<マタギの里で>
・秋田県の阿仁地区はマタギの里として有名である。ここには根子、比立内、打当という3ヵ所のマタギ集落がある。現役最古参のマタギで長老的存在でもある松橋吉太郎さんに話を聞いた。吉太郎さんは12歳から狩猟に関わり、16歳で本格的な山仕事を始め、多くの男たちを剛腕でまとめてきた人物である。

・「同じ集落(比立内)のマタギで若いのと年寄りがおってなあ、いつも一緒に入っておったよ。猟だけじゃなくて山菜採りやキノコ採りもなあ」
 歳は離れているが、ウマが合ったのか二人は行動を共にしていた。ところがふとしたことで若い人が寝込んでしまい、そのまま帰らぬ人となったのである。

「あれは可哀想なことだ。順番から行けばおらのほうなのにな」
 年長のマタギは相棒の死を悲しんだ。そして翌年、山菜の季節がやって来るとその寂しさはひとしおである。いつもなら二人で向かう山も、一人では味気ない思いが嫌でも込み上げてくる。
「その人は次の年に一人で山さ行ってな、いつもの場所で山菜を取り始めたんだと。しばらく採ってるとな。後ろのほうで何かガサガサ音が聞こえてきてよ」
 何だろうと振り向くと、昨年亡くなったはずの相棒が自分と同じように山菜を採っていた。ああ、今年も一緒に山へ入ってくれたと少し嬉しくなったそうである。

・「そういえばおらの婆さんは山でひでぇ目に遭ったってなあ」
 それは吉太郎さんのお婆さんがまだ若い頃の話である。ある日、山の畑で作業をしている夫の所へ昼飯と酒を持っていった。夫は午前中の仕事を終えて汗を拭いて一休みしていたが、来るはずの妻の姿は一向に見えない。今なら携帯電話の出番だが、当時は連絡の手だてがないのである。待ちくたびれた夫は妻を探しに山を降り始めた。
「すぐに婆さんは見つかったども、それがあまりに凄い格好でな」
 髪をざんばらに振り乱した婆さんの姿に爺さんはびっくりしたそうだ。彼女が爺さんに飲ませようとした酒やご馳走の天ぷらは跡形もなく消えていた。
 「あれは狐にやられたんだと爺さんは言ってたな」

<青い服の女>
・東京には2千メートルを超える山がある。青梅市から西へ進むと徐々に森が深くなり、本格的な山歩きを楽しめる地域が広がっているのだ。そのような東京の山岳地帯で聞いた話。

・それは熊鈴事件から数日後の出来事だ。
「枝打ち作業をしている時です。現場にね、青い服を着た女の人が歩いてきたんです。それを見つけて、危ないから声を掛けて止めたんですよ。上から枝が落ちてきますからね」
 切られて高所から落ちてくる枝が頭に当たれば大変だ。そこで気がついた作業員が青い服の女性の足を止めたのである。しかも……。
「後で他の奴に“お前何してたんだ”って言われました」
 木に登って枝打ち作業をしていた同僚は、下で声がするのに気がつき手を休めたそうだ。
顔を向けると件の作業員が何やら話をしている、それも身振り手振りで一生懸命に。

「木の上の人には見えなかったらしいんですよ。青い服の女性が。だから私が一人で話をしていると思ったんですね。あいつおかしくなったんじゃないかってね。それ以外にも白っぽい感じのお爺さんが歩いていたりするのも見ましたね。とにかく何とも嫌な感じのする現場でしたよ」
 山で白い服を着た人は時々見かけるものらしい。登山道に近い現場で作業をしていると白装束のお爺さんが歩いてくる。少し足元がおぼつかない。危ないなと思いながら見ていると、その姿が忽然と消える。それが何者かは分からない。
「夕方近くに山に入ってくる人は注意して見ますよ。気になりますよね、かなり」
 何が気になるのか、それは自殺である。実際に自殺者は昔から少なくない場所なのだ。大抵は夕方近くに入るらしい。そこが夜明けとともに動き出す登山者とは違うのである。

<山の中で聞こえる音は>
・道迷いはかならずしもそれらしい場所で起こるとは限らない。天気が良くても複数でいても疲れていなくても、迷う時は迷うのだ。そして誰もが不思議に感じる。なぜあんな所で迷ったのかと、このような場合、東北ではほとんど狐のせいですべて片づくのであるが、どうやら奥多摩には悪さをする狐や狸がいないらしい。

<降りてくる山の神>
・山の神は女性だと言われている。嫉妬深く、若い男のイチモツを好む少しスケベな面も持ち合わせているらしい。古のマタギは初猟の時に最年少の男を裸にして山の神にご機嫌を伺った。そうすると獲物が捕れるというのである。現在でもこれは有効なのかもしれない。

・獲物が捕れますように、怪我をしませんようにとありふれたお参りである。それから猟が始まり、山の中で一日を過ごすと夕方には全員無事に帰路に着いた。
「帰りに3人で車に乗って厚木市内に向かったんです。私は後部座席に乗って2人が前にいました」
 街中に入ると家が立て込んだ住宅地の中を進んだ。後部座席から何気なく前を見ていた服部さんは、不思議な人物に目が留まった。
「あれ?何か変な人が来るなあって見てたんです。少し長めのおかっぱ頭で白い服を着ているんですよ?その服が凄く変なんです」
 彼女が着ている服はやたらと袖が長かった。いや、尋常ではないくらい長い。それは手の長さの2倍以上はあるのだ。2メートル近くはあろうかという長い袖をひらひらさせながら、不思議な女性はこちらに向かってくる。

・3人が同じ方向を見ていたにも関わらず、見えたのは服部さんだけだった。後日その話を知り合いにすると………。
「それは山の神だって言われました。何でも山の神の着ている物はひらひらしているらしいんです。私が山の祠に手を合わせたから、きっと一緒に降りてきたんじゃないかって」
 山の神もたまには街で息抜きをしたかったのかも知れない。お茶目な女性神である。

<幻の巨大石塔>
・五箇山の酒井眞照さんが古い新聞記事のコピーを見せてくれた。日付は明治27年である。その記事は岐阜、富山、石川三県に跨る笈ヶ岳近辺に巨大な石塔が存在することを伝えている。
 内容はこうだ。ある一人猟師が熊を追って山深く入り込んだ。いつの間にか熊を見失い、どこにいるのかさえ分からない状態で彷徨っていると。突然目の前に巨大な建築物が現れたというのである。その規模が尋常ではない。5層の構造で3階までは螺旋階段があり、登れるようになっている。中にはたくさんの仏像が安置してあった。何より石塔の高さが27メートルもあることに驚く。誰もその存在を知らなかった巨大建築物の話に、新聞記者が取材に訪れて記事にしたのだ。

“天然石造り希代の塔”の見出しが、その驚きをよく表している。これが公になると巨大石塔を探しに多くの人が山に入ったが、未だに見つかっていない。NHKが番組の企画として探したこともあったが、わざわざヘリコプターを飛ばしてそれらしき場所を調査した人もいるが、結局現在まで何も分からなかったのである。

・石塔の謎については現在でも諸説入り乱れているが、最近でも見たという人はいる。

「白川で煎餅を作っているお爺さんがいるんですよ。その人は石造りじゃないけど大きな建物を見つけたと言うとりますね」
 そのご老人も山奥に入り込んだ時に立派な建物に遭遇している。こんな山奥になぜあるんだろうと不思議に思い、中へ入ってみると、広間には荘厳な仏像が6体安置されていた。ご老人はしばらくそこで休憩をして、無事に家路についている。もちろん二度と彼はその場所に行くことは出来なかった。
「いやあ、あの辺りの衆もやっぱり言うことがでかいから………」
 酒井さんはそう言うが、これもホラ話なのだろうか。私は彼らが実際にその建物に遭遇したのだと思う。山の中には二度と行けない場所があり、そこへたまたま迷い込んだのだろう。そのような経験者の話は日本国中どこにでもあるのだ。

<最新科学と交差する謎>
・岐阜県の旧神岡町は古くから鉱山の町として栄え、今はスーパーカミオカンデが有名だ。再現された神岡城から眺める四方を山に囲まれた地域である。交通の要衝でもある神岡町で180年続く旅館の主、茂利昌彦さんに聞いた話。

・誰もいないはずの本堂から、子供が楽しそうに走り回り、大人たちが賑やかな話をする様子がはっきり伝わってきたのである。不思議なこともあるものだと、翌日和尚にそのことを話すと……。
「寺には亡者が集まってくるもんだと言われましたね。そういう場所なんだと。それは決して怖いもんじゃなくて、落ち着く安心出来る場所なんだと言われました。自分もそこに最後は入る訳だから、恐ろしい所じゃないんでしょうねえ」
 本堂ではこんなこともあった。それはある夜のこと、茂利さんが本堂で和尚と一杯やっていると、玄関の戸がカラカラと開く音が聞こえた。
「誰か来たんか? こんな時間に」
「ほお、あれが聞こえたか、それは良い経験じゃあ。そろそろ〇〇さんが来る頃だからなあ」
 和尚が言うには、今日明日の命と言われている檀家さんがいて、その人が今し方亡くなったらしい。
「寺はこうしてみんなが帰る場所だから怖くも何ともない。良い所なんじゃあ」和尚に言われて茂利さんは寺がますます好きになったそうだ。

・神岡町は四方を山に囲まれている。朝日が当たる山(西側)には天狗が棲み、夕日が当たる山(東側)は仏の場所であり、南側の山は観音様、そして北側の山は修験の地だと言われている。特に北の山には入ると出られないところがあるので気をつけないと危ないそうだ。
「この西側の山にはUFOがよく出るんですよ。私は何回も見ております」
 茂利さんが初めてUFOを見たのは随分と前のことである。それ以来、空を注視する癖が付き、その結果頻繁に見るようになった。ある時は娘さんと2人で、またある時は家の裏で複数の人たちと見ている。オレンジ色のUFOだったり、銀色で不可思議な動きを繰り返すUFOなど、さまざまな形態があるそうだ。
「この辺りじゃ小学校でたくさんの生徒がUFOを見ているんですよ。ああいうモノは何かは分からんけど当たり前にあるんでしょうねえ。見たことの無い人は信じませんけどね、あるんですよ、間違いなく」

<不気味な声>
・岡山県の北部、鳥取との県境に蒜山高原は位置する。ここは名峰大山を望む高原リゾートとして有名で、夏場は大勢の観光客で賑わう場所である。

・そんな蒜山で長年農林業に従事してきた筒井蒸さんが狐の話をしてくれた。「昔ね、夕方まで野良仕事をしとったんですよ。山のほうの畑で大根を収穫しよった。だいぶ辺りが薄暗うなってきよったんやけど、そいでも荷車に大根を積んでおったら、すぐそばで気持ちの悪い変な声がしよるんですわ」
 その気持ちの悪い声を再現してもらったが、どう表記してよいか見当もつかない不思議な音である。
「“:¥〜%#><$∄∓∢”(表記不能)って山の中からね、聞こえてくるんです。それが気持ち悪くてね」
「それは何ですか?」
「狐なんですよ。あれはよう人の話を聞いとるもんなんですよ。それで話が分かるようになっとるんでしょうねえ。昼間は近くには出てこんですよ。でも夕方になるともう自分たちの時間じゃ、天下じゃ思うんでしょうねえ。そいで“お前ら人間はもう帰れ”言うちょるんや思いますよ」
 その表記不能の不気味な声を出す狐の姿は確認したのだろうか?
「狐を見たか?いや見とらんですよ。もう暗くて姿は見えませんから。ええ、でもそれは狐に間違いありませんね」

<拝み屋と憑きもの封じ>
・体の不調が続いたり家族に不幸が重なると拝み屋の出番となる。以前は各地区に存在した拝み屋も、今ではほとんどいなくなった。とはいえ絶滅した訳ではないのである。東城地区で最高齢の猟師黒川始さんに聞いた。
「災いが続くと拝み屋さんを呼んだもんですわ。大体言うことは同じなんですけえね。家の周りをぐるっと回って水神さんを直せ、竈のろっくうさんを直せ言うくらいですかねえ」
 この場合の水神さんとは家への水の取り口に祀ってある神のこと。ろっくうさんとは水の神のことである。その他には“墓が汚れている”が定番の台詞だったようだ。

・「いや、真っ暗の山の中ですけんなあ、何も見えはしませんよ。でもあれは狐なんです。狐はこうやって人を威かすんですよ。それで驚いて本当は右に行くべき所を左に行ったりして迷うんですなあ。それが狐に化かされたということなんじゃないでしょうか」
 狐の姿は見えないが狐に違いないと思う理由はよく分からない。筒井さんの祖父の時代にはもっと多くの狐話があったそうだが、今はほとんど聞かないようである。

<ヒバゴンの里>
・広島県庄原市の西城地区は、ヒバゴンの里として知られている。地区にはヒバゴン饅頭、ヒバゴン煎餅とあらゆる所にヒバゴンが溢れている。ヒバゴン騒動が起こったのは40年以上前の話なので、元祖ご当地ゆるキャラと言えるかもしれない。

・「小学校6年生の時でしたかねえ、ヒバゴンを見たことがありますよ」
 西条支所に勤める加藤隆さんは、地区猟友会の若手である。加藤さんが生まれた頃はちょうどヒバゴン騒動の全盛期である。
「家の近所の川にゴギ釣りに行っとったんです。あれは夏休みの午後でしたね」
 真夏の日差しの中で釣り糸を垂れながら輝く水面を見ていると、上流部に何か動く気配を感じた。加藤さんは顔をゆっくりとそちらのほうに向けて息が止まる。
「猿のでかいのがいたんです。こう立ち上がってね、かなり長い毛で全身を覆われとるんですよ。ちょうど、そう、そんな頭の感じでね」
 加藤さんが指したのは私の頭である。少し長めの白髪頭はよく似ているそうだ。

・この頃には新たなヒバゴンの目撃談もほとんど無く、話題にもならなくなっている。しかし加藤少年は、これがヒバゴンじゃないのかとすぐに思ったそうだ。ただ話を詳しく聞くと、ヒバゴンとはかなり形態が違うようでもある。もしかしたら、最初の頃に目撃されたヒバゴンが歳を取って老人(老猿?)となった姿だったのかも知れない。

<神船>
・島根県の奥出雲町は旧横田町と旧仁田町が合併して出来た町である。その名の通り出雲地方の奥座敷のような佇まいで、有名な奥出雲おろちループを超えると広島県に通ずる。
 御年取って80歳になる恩田愛吉さんの話。
「もう60年くらい前の話ですね。私が仕事を終わって家に帰りよると途中でした。三所川の上のほうにある中村地区を歩いておったんです。夕方でね、まだ明るい空を見上げたら何か飛んどるんですわ。最初はあれは飛行機かいなと思いましたね」

・ところが行き過ぎたはずのその物体は、すぐに山蔭から姿を現し、戻るように移動する。
「あれ?これはやっぱり飛行機じゃねえの思いましたよ。今じゃUFOなんて言葉もありますけど、その頃は無いですけんねぇ」
 奥出雲町には船通山という山がある。古事記によると、この麓にスサノオノミコトが降臨して八岐大蛇を退治した。古来より神の通り道だと信じる人も多い場所なのである。実際に船通山の頂上はほぼ平地で樹木も無い。恰好の離発着場のようにも見えるが、それが自然の姿なのか人為的なものなのかはよく分からない。
 ちなみに、恩田さんが謎の飛行物体を見たのはこれ一度きりである。

<犬神家>
・四国で憑きモノといえば犬神が一般的だ。いわゆる狐憑きと同じような現象かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。どこから来るのか分からない狐とは違い、その存在する場所(家)を誰もが知っているのだ。この点は秩父地方などのオサキ(オザキ、オサキ狐)と似ている。



『山怪』   山人が語る不思議な話
田中康弘   山と渓谷社   2015/6/16



<狐と神隠し>
・秋山郷は新潟県と長野県を跨ぐ古い集落だ。江戸末期から明治期にかけて阿仁マタギが数人住みついた山里でもある。中津川を挟んだ急峻な地形で、日本有数の豪雪地帯だ。それ故に稲作が始まったのは明治に入ってから。それもごくわずかな生産量で、つい近年まで焼き畑で雑穀類を作り、それと栃の実を混ぜ合わせた“あんぼ”を主食にしていた。そんな秋山郷で阿仁マタギの末裔という人に話を聞いた。
「私は特に不思議な体験をしたことなどねえすなあ……う〜ん子供がいなくなった話くらいかな」
 それは今から50年ほど前のことだ。ある夫婦が農作業のために山へと入っていった。前述したように、この辺りは焼き畑農法で耕地は山の斜面である。
 夫婦は4歳の一人娘をいつものように山の畑へと連れて行った。

・今日中にここの畑を終わらせようと、午後はいつも以上に精を出して働いた。途中で娘の様子が気になり顔を上げたが、姿が見えない。辺りにいるはずだが、いくら名前を呼んでも返事はなかった。
 集落が大騒ぎになったのは、血相変えて夫婦が山から降りてきて間もなくだった。母親は泣き叫び半狂乱状態、父親も顔色が失せていた。
「急にいなくなったか………神隠しでなきゃええが」
 急遽捜索隊が組まれ、畑に近い山を中心に多くの人が探し回ったのである。しかし、いくら探してもどこにもその姿が無かった。少しずつ傾く太陽に誰もが焦り始めていた。夜になると危ない。みんながそう感じ始めた時である。
「帰ってきた、帰ってきたぞ」
 その声に皆が駆け寄ってきた。真っ先に駆けつけた夫婦の喜びようは、それは凄いものだった。娘を見つけたのは奥山に木材の切り出しに入っていた男である。どこで娘を見つけたのかを話し始めると、全員が言葉を失った。
「いや、おらの作業場から帰る途中になあ、ちょっと開けた所があっただろう」
 誰もが知っている場所だった。奥山の入口だが、なぜか平地があって、狐が出るとか天狗が出るとか言われている場所だ。
「そこの大岩の上にちょこんって座ってニコニコしてたんだぁ」
 その大岩は大人でも登るのに骨が折れる大きさなのだ。その上に4歳の子が一人で上がれるとは思えない。いやそれ以前に、その平地まで子供が行ける訳がなかった。

<道の向こうに>
・マタギや猟師たちは、山を縦横無尽に動き回りながら獲物を追いつめる。地元の山を知り尽くした達人であるが、やはり不思議な空間に時々迷い込むことがあるようだ。
 兵庫県朝来市の吉井あゆみさんは、確定申告の職業欄に猟師と書き込むくらいの実績の持ち主だ。小学生の頃から猟師である父と山に入り経験を積んできたベテランでもある。その吉井さんに聞いた話だ。

・「どうも抜けた(逃げられた)みたいでマチ解除いうことになったんですわ。それで、いったん集合して次をどうするか話をしようと言うんで、みんな戻ることになったんです」
 その時、山の上で待機していた一人の猟師が妙なことを言い出した。
「あれ?こんなところに道があるわ。こっちに行くと近いんちゃうか、俺こっちから行くわ」それを全員が無線で聞いていた。吉井さんもそれを聞いて首を捻った。
「道?あんな所に道なんかあったやろか」他の仲間も不審に思ったらしく尋ねる。
「道って?そこに道があんのか?」
「うん、あるよ。真っすぐで綺麗な道が出来とる。これ絶対近道や。白くて新しい道や」

これを聞いて全員が思った。それは変だ、そんな所に真っすぐな道などあるはずがない。「おい、その道、絶対行ったらあかんぞ。おい、おい」
 無線はそこで途切れてしまった。それ以上どうすることも出来ず、仲間たちは集合場所へと降りていった。
・最初のうちは笑い話で片づけていたが、その彼は一向に集合場所に現れない。1時間ほど待ったが、さすがにおかしいと誰もが思い始めた。

・姿を見せた彼はボロボロだった。帽子は無くなり顔中傷だらけ。全身泥だらけで、藪漕ぎしながらも何度も滑り落ちたのは誰の目にも明らかだった。
「お前どこ行っとったんや」みんなは怒り気味で聞いたが、彼は少し惚けたような顔でいった。
「それがよう分からんのや。何でわしここにおるんやろ」

・吉井さんはかなり不思議な体験をする体質らしい。そんな吉井さんの話を続ける。
「山から帰る時のことなんです。ちょっと遅くなって、もう周りが暗くなっとったんですよ。そこで小人に遭ったんです」
「小人?ですか、白雪姫に出てくるみたいな?」「そうです、あんな感じです」それは吉井さんが暗くなった林道を走っていた時のことだ。ぐねぐねと曲がりくねった道は、車のライトがあたる所だけが闇に浮かび上がる。そんな状況下で急なカーブを曲がると、明るく照らされた山際に何かが立っていた。
「何やろ、思うてよう見たら小人なんです。5、60センチくらいでしたね。それがこっちをじーっと見てるんですわ」
 思わずブレーキを踏むと運転席でしばらく小人と見つめ合った。ほんの数分か、はたまた数秒か定かではないが、睨めっこに飽きたのか小人はぴょいと山へ姿を消したのである。

・「いや凄いもんに遭ったなあ思うたんやけど、誰も信じひんのですよ」
 小人に遭った話は、誰にしても馬鹿にされるだけである。悔しくてしょうがない吉井さんは、助手席にカメラを常に置くことにした。これで小人の写真を撮ればみんな信じるはずだと考えたのである。それからしばらくは、夜の山で何ごとも起きなかった。しかしついにその日がやってきた。
「また夜林道を走ってたら出たんですわ、あれが」
 前回と同じく、暗闇の中にライトで照らされた小人の姿があった。吉井さんはかねての計画通りに車を止めると、静かに助手席のカメラに手を伸ばす。そしてドアを開けて外へ出ようとした瞬間、小人はぴょいと森へ姿を消したのである。残念がる吉井さん、しかしそれ以降、謎の小人が吉井さんの前に姿を現すことは無かった。

<山塊に蠢くもの>
・山形県は南に飯豊連峰、北に朝日連峰という山塊を持つ。それぞれに阿仁マタギの文化が残る集落がある。小国町の小玉川地区と鶴岡市の旧朝日村地区だ。
 小玉川地区の前田俊治さんは最近Uターンで戻って来て、現在は地区のマタギ交流館などで働いている。前田さんのお父さんは地区を代表する名物マタギだった。

・小国の各集落は、飯豊連峰から流れ下る玉川に沿って点在する。藤田さんが住んでいる地区から下った所にある新田地区で、半世紀ほど前にあった話である。
 その日、山仕事を終えて父親が帰ってくると家の近所が騒がしかった。何ごとかと集まった人たちに尋ねると、4歳になる我が娘がいなくなったと言うではないか。畑仕事をしている母親のすぐそばにいたはずなのに、それが忽然と姿を消したのだ。
「そんな遠くに行ってねえ。空が明るいうちに探すべ」
涙に暮れる母親を待たせて集落の者が一斉に探し始めたが……。

・「それがなかなか見つからねえんだ。いなくなった時間からしても近くにはいるはずなんだ、川に流されでもしてなきゃ」
 時間が経てば経つほどに最悪の事態が皆の頭をよぎる。すっかり暗くなった集落は重苦しい空気に覆われていた。
「そうしたらよ、川さ探しにいった連中が子供を見つけたんだ。それがな信じられない所にいたんだと」
 彼女が見つかったのは向こう岸の森だった。そこに行くためには丸太を渡しただけの一本橋があるだけで、大人でも渡れない人がいたくらいの場所だ。そこへまだ足元のおぼつかない女の子が一人で行くとは到底考えられない。皆は口々にこう言った。
「ああ、こりゃあ狐に連れて行かれたんだべなあ」

・上流部でもほぼ同じ時期に同様の出来事があった。新田で行方不明になった子と歳も近いその女の子は、少し変わったことを言う子供だった。
「私の後ろには狐がいるんだよ」
それを口癖のように言う女の子は両親が仕事で毎日忙しく、自身は寂しい想いをしていたようである。
 その子が突然集落から姿を消した。やはり集落中が大騒ぎになって山狩りまでしたが、女の子の姿はようとして見つからなかった。
「そこでな、法院様にお頼みして、その子の居場所を探してもらったんだぁ」
法院様とは山伏、修験者のことである。その法院様は印を結び呪文を唱え、女の子の行方を占った。
「法院様が言われたのは水辺だったんだ。その特徴から多分あそこだべって探しにいったら、いたんだよ、そこに」
 暗い森の沢筋で、その子が恐がりもせずに佇んでいた。両親が留守がちで寂しがっていたその子のために、きっと狐が相手をしたのだろうと集落の人は思った。これは50年ほど前の出来事である。

・小国の小玉川で最も有名な狐話を一つ。
ある人がゼンマイ採りに山へ入ったが、夕方になっても帰ってこない。心配した集落の人が山へ探しに行くと、その人は集落からさほど離れていない場所ですぐ見つかった。
「それがなあ、葉っぱさ山ほど集めていたのよ。本人はそれを布団にして、もう寝るつもりだったらしいんだ」
狐に化かされてどこかの家で布団に入ろうとしていたのかと思いきや、
「いやそうではねえ、とんでもない所さ迷い込んで、諦めて野宿しようと葉っぱを集めてたんだぁ。すぐそこの山でな。やっぱり狐に化かされたんだべ」

<巨大すぎる狐火>
・福島県の只見町は、阿仁から移り住んだマタギたちが狩猟の技術を伝えた所である。そこで林業系の会社を経営する渡部民夫さんは、40年に及ぶ猟暦を誇るベテランである。その渡部さんに聞いた話。
「狐ですか?確かにそんな話はよく聞きますねえ。婆ちゃんがぐるぐる同じ所を歩き回って家に帰れなかった話はありますよ。山の中じゃないですよ、すぐそこです。集落の中でね。狐火は知らないなあ、見たこともないですねえ」
 渡部さんも一人でかなりの奥山まで入る人だが、怖いとか不思議だと感じることはあまりないという。

・先に狐火は見たことがないと言った渡部さんだが、実はもっととんでもないものに遭遇している。
「あれは入広瀬のほうから真夜中に戻ってくる時でしたねえ。午前2時頃に田子倉ダムの上のほうの峠があるでしょ。あそこの所を通りかかった時なんです」

 季節は真夏の頃である。すっかり帰りが遅くなって真っ黒な山道を走っていると、渡部さんは妙な光景に出くわした。
「ちょうど左に大きな山が見えるんですが、そこに光が見えたんですよ。狐火?いやそんなもんじゃないんです。山の斜面が光ってるんですよ。大きさは2百メートル以上あったでしょうねえ」

 バレーボール大の狐火とは桁違いの大きさだ。季節は真夏で蛍もいるが、それほどの広さで山に群れるとは思えない。
「あれは何だったんでしょうねえ?やっぱりUFOなのかな」
さすがの渡部さんも、これはまったく分からないらしい。
 只見町の猟師は現在危機的な状況にある。2011年の原発事故以降、熊肉の食用や流通が禁じられているからだ。

<天川村の事件>
・奈良県天川村は吉野町から少しばかり南下した山村である。すぐそばに2千メートル近い山があり、冬場はかなりの積雪地帯だ。歴史は古く、役行者(役小角)が修験道を開いた地として知られている。その中心地である大峰山登山道の入口には未だに女人結界門があり、ここが修行の場であることを物語る。霊場でもあり、日本のみならず世界中からもスピリチュアル系の人々が多々訪れるそうだ。

・近所で遊んでいた男の子がふいに姿を消したこともある。集落は当然大騒ぎになり、近辺をくまなくさがしたが二人の姿は見つからない。夜になっても帰ってこず、誰もが不安を抱えたまま夜明けを持った。翌日はさらに大がかりに捜索をしたが結局見つからず、諦めの気持ちすら漂い始めた。
「2日2晩戻ってこんで、3日目にかなりの山奥で見つかったんです。信じられんような所ですよ。なぜにあないなところまで行きよったんか………あれも狐やろ思いますねえ」

・山菜採りに出掛けた爺ちゃんが行方不明になることも珍しくはない。単なる迷子だとは思うが、やはり地元の人は狐のせいだと感じるようだ。探す時の叫び声が何とも興味深い。
「かやせ〜、かやせ〜」
 かやせ、つまり返せと集落の人々に叫びながら探すのだ。いったい誰に向かって、何に向かってかやせと言っているのだろうか。

<妖怪と山怪>
・山の不思議な出来事で一番多かったのは、やはり狐に関してだ。全国すべてを緻密に取材した訳ではないが、西に行くほど狐の影響力は薄れる感じがする。それに反して、雪深い北東北が狐話は格段に多い。定番の池沼にはまり込む話から何かを盗まれる話、果ては死に至る話までのほとんどに狐が絡む。

<怪異探しは“砂漠の井戸掘り”>
・この本で探し求めたのは、決して怖い話や怪談の類いではない。言い伝えや昔話。そして民話でもない。はっきりとはしないが、何か妙である。または不思議であるという出来事だ。
 これが何とも説明しづらい内容で、取材依頼が実は最も大変な作業となったのである。知り合いの猟師やマタギ、またはその関係者に話を聞くのはさほど難しいことではない。しかし、まったく無縁の地域で取材するのは骨が折れた。
 猟師関係には役所の農林課から猟友会に話を通してもらったり、または地域振興班や教育委員会から地元の方を紹介してもらう。この時に細かく説明をしても分かってもらえず、企画書を送っても結局民話の語り部を紹介されたりと、ちぐはぐな対応は珍しくなかった。対策としてなるべく地元の民宿に泊まって話を聞いたり、そこから人を紹介してもらったりと、ジタバタを繰り返しながらの取材である。それでも動けば動くほどに何らかの話は聞けたから、行動としてはあながち間違っていなかったのだろう。


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■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■

・『山怪』シリーズの3冊は、山での不思議な話を集めてあります。様々な怪異の現象は、オリオンETグループのイルージョンや異次元操作の現象なのかもしれません。ウォークイン(憑依・人格転換)やワンダラー(転生)の現象も自由自在に操作できるようです。ゲイ(LGBT等)の現象も、高次元の宇宙人の、「人格転換」だといわれます。
集団幻覚、集団幻視、集団幻聴、集団ヒステリーで処理される「奇妙な現象」、「山の神」の伝承も多いようです。現代でも話題となる「座敷童子」現象も異次元の宇宙人現象の一種でしょうか。座敷童子には、アストラル界(異空間)の「山の神(宇宙人=幽霊)」がついているようです。

・山でも、昔からUFOのような未確認飛行物体の目撃事例も多いようです。
「不規則な動きは典型的なUFOの特長である。実は私も20年ほど前に西オーストラリアで見たことがあった。その時は真っ昼間だったが、動き方は兼博さんが見た物体とまったく同じである」とのこと。
大昔からオリオンETグループの「異人」が、「河童」や「天狗」、「鬼」、「獣人」、「モンスター・タイプの生物」を、山間部に降ろしていたのかもしれません。山には「異次元空間」もできていたようです。農民たちには恐怖の対象だったようです。「神人」「仙人」の伝承もあります。広大な米国では現代でも「獣人」のビッグフットやサスカッチを「空飛ぶ円盤」から降ろしているという報告もあるといわれます。カナダのコンタクティによると、現代でも少数の地球人が宇宙旅行をしているそうです。

・「幽霊話」も宇宙人がいるという「アストラル界(異世界)」と「この世」が交錯しているのでしょうか?「狐、狸が、悪質ないたずら(イルージョン)をする」という伝承や迷信は多いのですが、「お稲荷様は狐の神様ではありません。 お稲荷様は五穀豊穣を司る収穫の神様であり、 狐は「眷属」と呼ばれるお稲荷様の使いです」とのこと。「天狗」や「お稲荷様(神人)」、「オリオンETグループ(異人)」が「神隠し」でもするのでしょうか?神々が自由に動物に変身するという神話・イメージもよく分かりません。

・オリオン人は、地球と直接的なつながりを持つ宇宙人種族といわれます。太古から、異次元のアストラル界の目に見えない世界から「人間にイタズラやアブダクション(誘拐)」を繰り返してきたようです。狐や狸やムジナに騙されたという話は、非常に多いようですが、グレイタイプのイルージョンなのかもしれません。オリオン星人は、エジプト文明など地球に文明をもたらした異星人だとしても知られているそうです。「ネガティブなオリオン 人が『過去』からあなた方に交信している一方、ポジティブなオリオン人は、オリオン座の『現在』からあなたに交信している」そうです。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。オリオン座は「神の故郷」ともいわれますが、『闇の勢力』も経由地にしているようです。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズ・グレイというオリオン星人といわれています。古代の伝説に登場する『蛇人』というのは、オリオン人の霊魂が地球に投影されたものと思われるといわれます。目に見えない宇宙人種族は、想像を絶する程度に進化しているようです。幽霊現象や心霊現象・憑依現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。
「奇妙なことに、オリオン人はかっては琴座からの移民である人間らしい存在だったが、その後レプティリアンに征服されてしまった」という謎の話もあるようです。
太古、神人はスバル、北極星、オリオンからやってきたと指摘されています。牛若丸と鞍馬山の天狗の伝承のように、源氏はオリオン 星人との繋がりがあったようです。平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔といわれます。「平氏の“平”がヘライ(ヘブライ)に由来すると考えると平氏はセム系、ユダヤ系ということになってくる。源平合戦はハム系とセム系の争いだった」といわれます。ルシファーもグレイ(ゼータ星人)を作り神に反抗したともいわれます。藤原氏の北極星、北斗七星信仰はシャンバラ信仰、物部氏のオリオン信仰はアガルタ信仰となるといわれます。30年前にオリオンに行ってしまった日本人がいるそうで驚きです。「オリオン人は宇宙連合に属していない。彼らは、彼らだけの連合を作っている」そうです。「大本教の出口王仁三郎は自分はオリオン星から来たと語っている」そうです。オリオンやプレアデスに多くの日本人が住んでいるという法螺話もあるそうです。オリオン星人は、地球人と非常に密接な関係がありますが、生体実験や異類混血実験をしているグループもおり、自らの存在を「アバブ・トップシークレット」にしているようです。私たち一般人には、理解不能なことが多いようです。

・天国は、月と地球の間の異次元にあるとか、遥か彼方の高次元の世界だともいわれます。イメージとしては、好ましい神様がいるパラレル・ユニバース(並行宇宙)なのかもしれません。「すぐそこ、あなた方の真下には、まるまるひとつの世界“パラレル・ワールド”が存在しています」と指摘されています。高次元の「天国」は、イメージ通りではなく、よく移動しているという説もあります。「イエスが3日3晩とどまった場所はやはり地下世界の“よみのパラダイス”。預言どおりイエス様は大魚の腹の胃袋の中のような、閉じ込められた暗い空間、よみに3日3晩とどまられたのです。天国本体の所在地は、「第三の天」!そして、注目はイエス様のこのような栄光輝く昇天のとき、実にパラダイス内に住んでいた義人の群れだけでなく、よみ上層部のパラダイス自体も天国本体へと大移動されていたことがわかります」という話もあるようです。「イザヤ書40:22では、「主は地をおおう天蓋の上に住まわれる」とあり、箴言8:26には、「神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれた」ともあり、主は円形で丸い地球のはるか上、「第三の天」に住まわれるお方です」といわれます。

・“甲賀三郎”の物語は、異次元の地下世界を巡り、神の国、維縵国の主、好美翁に会って、そこで10年間生活して、日本に帰り、甲賀三郎が大明神になった話です。「神の国、維縵国=天国」という説もあるようです。地下世界の最下層の地獄の隣に「天国」があるという奇説のようです。「天国」は高次元なので移動しているというか、人間の常識・非常識を超えている世界のようです。
甲賀三郎伝説は、当時の地底王国のアガルタ・ネットワーク(地下にある120の光の都市で構成されていて、そのほとんどをハイパーボーリア人が占めている)を異次元移動(旅行)して、「天国(神の国)」に行って、帰ってきた数少ない者の伝承なのかもしれません。

現代でもクラリオン星人のコンタクティ、イタリア人のマオリッツオ・カヴァーロのように、異星人とコンタクトして、宇宙旅行をして「神の国」に行った話を日本でも数冊翻訳出版しています。
 アガルタ・ネットワークは地下にある120の光の都市で構成されていて、そのほとんどをハイパーボーリア人が占めています。ヤペテ系やハム系の神域がアガルタで、シャンバラは、セム系の神域ということであるといわれます。アガルタでは霊的な存在と化した“梵天王(ぼんてんおう)”が最高の指導者として君臨し、シナーキーという理想的な体制を敷いているそうです。イザナミのいた黄泉の国は地底世界でアガルタ(シャンバラ)であるといいます。ヤペテ系やハム系の神域がアガルタで、シャンバラは、セム系の神域ということであると語られています。日本にもアガルタ・ネットワークにつながるルートがあるといわれます。神の国や、天国、天界も現実的な高次元の、異星人の世界のようですが、「知る人ぞ知る」話なので、私たち一般人は、理解できません。

・「伝説」や「民話」にのこる不思議な話は、オリオンETグループの宇宙人の「地球人との関わり合い」を示しているようです。オリオンETグループは、おそらく人類に5万年以上も進化しており、異次元に関する、その超科学技術は、現代の科学者には理解不能のようです。地球の現代の科学技術でも50年前と今とを比較しても、50年前の科学技術者からは想像を絶しました。プレアデス人は、人類に6千年ほど進化していますが、オリオン星人ほど、「伝説」の宇宙人とはならなかったようです。「プレアデス星人は人類に6000年進化している種族ですが、人類に近く神でも天使のような宇宙人ではない」といわれます。プレアデス星座には6時間で行けるといわれます。現代では、より短時間に行けるようです。米国のコンタクティの情報によると「米国政府がリゲル人に騙されたことに気付いた後、プレアデス人が招聘されたが、過去ヒトラーの人類浄化政策を画策し仏教を堕落させた」という話もあり、米国政府を騙すくらい恐ろしい宇宙人種族のようです。

・イノシシやシカの「食害」がメディアでよく問題にされています。一部の農民にとっては「食害」は死活問題だと指摘されています。電気柵など農家は対応に迫られているそうです。電気柵ではコストがかかりますし、十分ではないといわれます。時折、イノシシが街中に飛び出してきて、人にケガをさせたりしています。やはり有害駆除体制が必要のようです。しかし、ハンターも高齢化で減っているそうです。「昔から大変だった獣害」といわれますが、明治時代以降は、近代政府の対応も熱心になったようです。江戸時代には、どのように農民たちは、生活を維持していたのでしょうか。「時代劇」の映画やドラマでは、時代考証がありますが、私たち一般人は、実際には全く違うイメージが与えられているようです。昔の人々の生活は、ひどいものだったと指摘されています。リアルに理解することは現代人にとって、無理な話のようです。

・「武井弘一琉球大学准教授の『鉄砲を手放さなかった百姓たち』(刀狩りから幕末まで)(朝日選書)によると、江戸時代は武士より農民のほうが多くの鉄砲を持っていたそうだが、その理由は獣害対策であった」といわれます。「泰平の世に死活に関わる鉄砲を、守って奮闘する百姓」がいたそうなのです。意外な話なので驚きます。昔は「獣害対策」が一般の農民までも浸透していたのでしょうか?獣害対策も時代の変遷が影響しているようです。現代の日本では、猟銃の保持者も減っているようです。江戸時代の農民たちは、家族を守るために鉄砲を持っていたのでしょうか?初めて聞く話のようですが興味深いものです。全国的にそうだったのでしょうか?
ついでながら、現代においてブームとなりつつあるジビエ(野生鳥獣肉)が獣害対策にならないともいわれます。

・「刀狩」をウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)でみると
「しかし、百姓に日常帯刀は認めないという秀吉の刀狩りの原則は貫徹していたが、やがて豊かになった百姓により金で帯刀権は買えるようになり帯刀者は増えていき原則は一部崩れていく。だが、二本差し帯刀が身分表象であることは残る。そして、農村と町民には蓄えられた膨大な武器があった。
徳川綱吉の治世で行われた諸国鉄砲改めでは、村によってかなりのばらつきがあるものの、領内の百姓所持の鉄砲数が武士の鉄砲数をはるかに上回るような藩が多くあった。

ただし内戦状態が解消して安定状態がもたらされた江戸時代には、一揆が起きても鉄砲や弓矢といった飛び道具の持ち出しは19世紀前半の幕末になるまでは自粛されており、統治者と民衆の間で一定の妥協が成立していた」とのこと。やはり江戸時代には「鉄砲」が農民の間に普及していたようです。歴史的に見ると農具として「鉄器」が革命的に大きな役割を果たしたようですが、当時のほうが鉄砲の実用性がはるかに高かったのでしょう。

・毎年、夏になると痛ましい「水難事故」が必ず起こります。海や川の恐ろしさを知らない都会の人々が、水の犠牲になるようです。毎年のことですから、本人たちは、ある意味で運が悪かったのでしょう。また年中起っている事故に、交通事故があります。平成27年度の交通事故死者数は4117人、平成26年度中は4113人と、1日平均の死者数は11.3人で、2時間8分に1人が交通事故で死亡しています。交通事故も、自動車文明の必然の結果です。毎年必ず起こる事故ですが、犠牲者は運が悪いのでしょうか?対策は、毎年通りのようです。機械文明の現代は便利なことばかりで「生きることの難しさが無意識のうちに忘れられている時代だ」といわれます。
「山口県周防(すおう)大島町で3日間行方不明だった藤本理稀(よしき)ちゃん(2)」の発見も良いボランティアが探して、運が良かったのでしょう。

・山菜採りがクマに襲われ、亡くなるという事件が毎年数件起こっています。関係する市町村では、さまざまな手を打っていると言われますが、現状のままだと、毎年数名の山菜採りの犠牲者が、残念ながらでるようです。事件の報を聞くたびに、毎年数件の事件ですが何とかならないものだろうかと思います。「熊鈴」も効果がない場合もあるそうです。運が悪かったのでしょうか。熊撃退スプレーも一般的でないようです。山菜取りに猟銃を持たせて、グループで行動するようになるには、銃規制等で実際は無理のようです。護身用の銃と言う概念はありません。またイノシシやシカの獣害で、毎年170億円の被害が出ていますが、対策としてイヌのロボットや電気柵等、役所や企業も知恵をしぼっていますが、被害は拡大するようです。

・狩猟や罠猟でジビエ(野生鳥獣肉)料理とか、イノシシやシカを食べるようにする動き、ブームも起こっているようです。しかしながら、「人食い熊」の恐怖は、昔話ではないといわれます。熊に襲われて、山菜採りの人が外傷性ショック死する場合もあるそうです。関連する市町村は、さまざまな熊対策を練っているようですが、猟銃を農機具のように普及させるしか、方法がないのではないかともいわれます。ハンター文化は日米では100倍以上の格差があると述べられます。狩猟民族と農耕民族の差なのかもしれません。広大な山野の米国では、銃は、ハイカーですら必需品であると語られています。日本では、クマが出るリスクのある山は、猟銃を持って登るという風景は見られないようです。銃乱射事件とか、自殺とか事故とか毎日のように銃による殺傷事件や事故のある米国では、「銃はコモディティである」といわれます。
ヨーロッパ諸国は、昔から狩猟が非常に盛んだったようです。そのせいかもしれませんが現代では、クマが激減しているようです。クマやイノシシやシカを、ワナや狩猟などで絶滅すると、自然の生態系が乱れるといわれますが!どのような悪影響がでるのでしょうか。
猟銃を農機具やツールとして見る伝統は、日本にはありません。しかしながら、江戸時代には「鉄砲」が農民に「獣害対策」のために普及していたとは、驚きです。現代の農家にも「鉄砲」が普及するのでしょうか?

・「山には魔物がいる」といわれます。山に異次元の隙間があるのかもしれません。異人やモンスタータイプの生物が、アストラル界等に存在して、夜などに、現れるのかかもしれません。山々には、不思議な伝説が多いと語られています。「魔物がいる」といってもイヌのみが認識できるような、目に見えない存在ですので、奇妙です。日本の山々には、UFOの目撃談もあります。昔は狐や狸に化かされたという怪異の伝承が豊富にありましたが、異次元の宇宙人のイルージョンなのかもしれません。

・農林水産省のウェブサイトには「鳥獣被害対策コーナー」があります。それによりますと「被害状況の概況
1.鳥獣による平成27年度の農作物被害については、被害金額が176億円で前年度に比べ15億円減少(対前年8%減)、被害面積は8万1千haで前年度に比べ若干下回る(0.3千haの減)とともに、被害量が50万tで前年度に比べ4万6千t減少(対前年8%減)しています。

2.主要な獣種別の被害金額については、シカが60億円で前年度に比べ6億円減少(対前年9%減)、イノシシが51億円で前年度に比べ3億円減少(対前年6%減)、サルが11億円で前年度に比べ2億円減少(対前年16%減)しています)とのこと。有効な対策が望まれています。被害金額は実際には、それ以上という話もあるといわれます。

・『山怪  弐』のような「山人が語る不思議な話」は全国に取材すれば豊富にあるといわれます。『山怪』は「現代の『遠野物語』」ともいわれ、現代人の興味をひきベストセラーとなっています。このような幽霊話や異次元現象、狐や狸の化かされた話等、昔から山間地には豊富にあるようです。このような現象は、宇宙人と繋がりのある現象なのかもしれません。狸も狐も「化かされる話」は小柄な宇宙人グレイのような存在が引き起こすイルージョンなのかもしれません。「あのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」そうです。異次元に存在して、人間に対してイルージョンを仕掛けるのかもしれません。「グレイは未来の人類の退化した姿だ」という奇説もあったそうです。山では、人を避けているような宇宙人によって、UFO現象や「マヨイガ現象」「隠れ里現象」「憑き物のイルージョン現象」「幽霊現象」が起こるという説もあります。単に人間の幻覚や幻想、幻聴と片づけられないようです。

・蒜山(ひるぜん)高原では近年でもUFO着陸の話もあります。また「スイトン」という異次元のグレイのような妖怪の話もあるようです。それは観光案内では「蒜山地方に伝わる妖怪。どこからともなく「スイー」と飛んできて、一本足で「トン」と立ち、悪いことをする人を食べてしまうそう。スイトンは蒜山のいたるところに立っていて、いろいろな種類のグッズも売られています」といわれます。アブダクション(誘拐)でもあったのでしょうか?現代でも山での不思議で奇妙な話は多いようです。

・昔は農村部や街中でも「拝み屋」さんが多かったようです。さまざまな「憑き物」に民衆は悩まされたようなのです。これらの祈祷師の需要が、当時の迷信と共に大きかったようです。異次元のグレイタイプの宇宙人たちが、昔から「憑き物」のイルージョンで人間を悩ましていたのかもしれません。
「ヒバゴン」のような獣人の話は、UFOから降ろされた異類交配の実験動物、UMA(未確認動物)なのかもしれません。米国では、ビッグフットがUFOから降ろされているのが時々、目撃されているそうです。

・グレイには、「ビーガン。シリウスA人の遺伝子から作られたグレイ」、「ゼータ・レティクリ1。地球人監視のためリゲル人が作ったグレイ」、

ゼータ・レティクリ2。遺伝子操作で作られたグレイ。爬虫類人に奉仕」等が存在するといわれます。そのほかにもさまざまなグレイの種族が存在するのかもしれません。ルシファーもグレイ(ゼータ星人)を作り神に反抗したとも言われているそうです。また「グレイと人間の交雑種が「エササニ人」といわれます。エササニはオリオンの方向にあります」と指摘されています。グレイ種も人間化しているそうです。グレイはバイオ・ロボットと言われますが、とてつもなく知能が発達しているようなのです。これらのバイオ・ロボットがアブダクション(誘拐)をしたりするといわれます。エイリアンのアブダクション(誘拐)では、人間をベッドから幽体で「空飛ぶ円盤」の中に引き入れて、インプラント等の生体実験をして、またその人間をベッドの中に記憶を消して戻すというのです。時には、空飛ぶ円盤の中にはグレイを部下としている金髪碧眼のノルディックといわれる人間タイプの宇宙人がいるといわれました。異次元操作ができる超高度な技術を持っているようです。昔の人は憑き物を狐や狸、河童やその他の小動物に結びつけましたが、エイリアンにとって「イルージョン」や「憑依」を起こすことは容易なようです。幽霊現象も、ある意味では異次元の異星人の現象として理解できるように思います。「物質地球とともに、肉体の死を迎えた存在のために霊界もつくられた。輪廻転生のシステムも始まった」と語られています。霊界も高度に進化した異星人(神)が創造したといわれます。「見えない霊界は地上1メートルのところにある」といわれます。またパラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だという説もあります。

・産経新聞社のインターネット情報によると、「長年、マタギや狩猟など山に関する取材を続けてきた著者が、山間部に暮らす人、猟師や修験者などのさまざまな体験談を書きとめた。平成27年6月刊行の前作『山怪』は「現代版遠野物語」として話題になり、9万1000部のベストセラーに。続編に当たる『山怪 弐』も、今年1月の発売前に2刷、発売1週間で3刷が決まり、現在3万5000部と好調だ。
 担当編集者の勝峰富雄さんは、「老若男女を問わず売れている。日本は山国。山独特の閉鎖的な怖さや、科学では解明不能なことを経験している人が多いからでは」と読まれる理由を分析する」と報道されています。

・山間部の不思議な話や現象は、『遠野物語』の舞台である遠野地方、東北地方ばかいでなく、全国的なものです。柳田国男も『遠野物語』は農民の作り話ではないと述べています。たとえば、河童の伝説も全国的で、驚くべき程の数字があるようです。クラリオン星人のコンタクティ、イタリア人のマオリッツオ・カヴァーロによると「日本の河童はグレイの一種で、現在も海底基地にいる」と述べています。「河童もゼータ・レチクル星人系列のバイオロボットの一種かもしれない」といわれます。「下総カッパ団は、1724(享保9)年、下総国印旛村の豪農、安田伝兵衛によって設立された人間とカッパの親睦団体だ」という伝承もあり、人間との関わり合いがあり、UMA(未確認動物)とははっきりと違っているようです。河童や天狗や鬼は、異星人の一種だったのかもしれません。鬼の仲間に美女がいたという伝承もあるようです。フィクションかナンフィクションか内容が混とんとしており、容易に後世の人間には伝承の現実性は分かりません。

・「遠野郷の民家の子女にして、“異人”にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。-遠野物語第三十一話」「黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。−遠野物語第八話」という伝説の「異人」は、オリオン星人だったのかもしれません。平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔といわれます。『遠野物語』は農民の「作り話」ではなく「事実」と柳田国男は主張しているようです。当時の警察も「人さらい」や「神隠し」の現象をどの程度つかんでいたのでしょうか。異人が逮捕されたということはないのでしょう。柳田国男も「警察」までには調べに行かなかったようです。源平合戦はハム系とセム系のオリオン、シリウスと北極星、北斗七星の戦いということになってくるといわれます。「狐憑き」や「憑き物」の現象も異次元の宇宙人の現象の可能性があるといわれます。幽霊現象も宇宙人現象のようです。山間部でUFO目撃の事例も多いようです。ザシキワラシのような者や、小人のグレイのようなものの目撃例もあるそうです。


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・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ
日本は津波による大きな被害をうけるだろう
・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド

「神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・
「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」、「ネガティブのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるのだろうか?」
「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャンバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」
「日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔なのか」
「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」
「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」
「UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」
「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」
「イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」「金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けたのだろうか」「フリーメーソン結社はこの大地が創出されるよりずっと前から、さまざまな太陽系をめぐって、存在していたのだろうか」
「国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」
「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」
「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」

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