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さて、全ての山々の中に、神のいらっしゃらない山はなく、また山人のいない山もありません。
[森羅万象]
2019年2月15日 12時4分の記事



『天狗にさらわれた少年  抄訳仙境異聞』
平田篤胤  今井秀和=訳   角川文庫  2018/12/25



<寅吉、謎の老人に出会う>
・その年の四月頃、寛永寺の山の下で遊んでいて、黒門前の五条天神の辺りを見ていた。すると五十歳ほどに見える、長く伸ばした髪をくるくると櫛巻きのように結んで旅装束に身を包んだ老翁がいて、口の周りが四寸(約12センチメートル)ほどあるかと思われる小さな壺から、丸薬を取り出して売っていた。
 その際にとり並べた物は、小さな籠から敷物に至るまで、ことごとくその小壺に入れられ、何事もなく納まっていた。さらに、老翁自らも壺の中に入ろうとした。どうやってその中に入れるのだろうかと見つめていると、片足を踏み入れたと思ったら体全てが入っていて、その壺が大空に飛び上がり、どこに行ったかも分からなかった。

<壺に入って空を飛ぶ>
・寅吉はとても怪しく思って、その後もまた同じ場所へ行き、夕暮れまで見ていると、以前と同じような様子であった。その後にもまた行って見ていると、その老翁は寅吉に声をかけて、「お前もこの壺に入りなさい。面白いことなど見せてやろう」と言った。

・寅吉は常に卜筮(占い)について知りたいという思いもあり、行ってみようと思う心が出てきた。そして壺の中に入ったような気がすると、日も暮れない内に、とある山の頂に着いた。
 その山は、常陸国(現在の茨城県)にある南台丈という山であった。いわゆる天狗の修行場であるという。

・ただ、幼い時のことだったので、寅吉は夜になるとしきりに両親が恋しくなり、泣くのだった。老翁は色々と慰めたが、なおも声をあげて泣くので、ついに慰めかねて、「それならば家に送り帰そう。ただし、決してこのことを人に語ることなく、毎日、五条天神の前に来なさい。私が送り迎えをして、占いを習わせてやろう」と言い含めて、寅吉を背中に背負って目を閉じさせ、大空に舞い上がった。耳に風が当たって、ざわざわと鳴るように思うと、もう我が家の前に着いていた。
 ここでも老翁は返す返す、「このことは人に語ってはいけない、語ればその身のために悪いことがおきよう」と言ってから、見えなくなった。こうして私(寅吉)はその戒めを固く守って、後になるまで両親にもこのことを言わなかった。

<わいわい天王と山の異人>
・あちこちの神社の札を配る者、わいわい天王などというものの中には、稀に山々の異人も混ざっている。

<山での修行>
・毎日のように連れていかれた山は、最初の内は南台丈でしたが、いつの間にか同じ常陸国の岩間山に連れていかれるようになりました。今の師に当たる人に付くと、師はまず百日断食の行を行わせ、それから師弟の誓状を書かせました。

・私は、かねてからの念願である占いを教えてくれるように言いました。師は、それは簡単なことだが、占いは良くないものであるので、まずは別のことを学べと言って、いろいろな武術や書道の方法、神道に関わること、祈祷呪禁の方法、護符への文字の書き方、幣の切り方、薬や武器の作り方、また易卜以外の様々な占いの方法、仏教の諸宗における秘事や経文その他、様々な事などを教えてくれました。

・また、十日、二十日、五十日、百日余りなどにわたって山に居り、家に帰されたこともたびたびありましたが、どういうことか、両親をはじめ家の者たちは私がそのように長く家に居なかったとは思わなかったようでした。
 こうして山を行き来すること、7歳の夏から11歳の10月まで、すべて5年間のことでしたが、この間に師の供をして、また師に従うほかの人にも連れられて、色々な国々のあちこちを見て回りました。

<師、杉山僧正と名乗る>
・師はその有様を見咎めて、「お前は母のことを思っている様子だが、無事だが、無事であるから案じて過ごすことはない。その有様を見よ」とおっしゃっていました。
 すると、夢とも現とも山とも家とも分からない状態になりました。そして、母と兄が無事でいる様子がありありと見えたのですが、話しかけようと思った時に、師の声が聞こえました。
 これに驚いて振り返り見ると、師が自分の目の前にいました。

・ただし仏道をはじめとして、私が好まない道においても、決して決して、人にそれを悪く言って争うことのないように。お前の前世は神の道に深い因縁のある者であるから、そして私はまた影の身として添って守護するから、かねて教えたことなどの、世のため人のためとなることを施し行うように。

<一瞬で浅草へ>
・空中を飛行してしばらくの間に、人通りの絶えない大きな仁王門のある堂の前に至りました。

・空中飛行に伴われてから、ふとこの場所に置かれたので、そこがどこということが分からず、戸惑っていたのです。ここで私は師へと暇乞いをして、一人で家に帰りました。

<山周りのこと>
・「山人は長生きで、ものごとを自在にする力もあり、金の貸し借りをめぐる苦労はありません。しかし世間を助けるのに大変で、あちこちの様子を探るために飛びまわり、暇が少なくて苦労ばかり多いものです。そうすると、どんな立場であっても苦労は免れることができないことのように思えます」
 するとそれを聞いて、一人の門人が言った。「山人というのは、唐土の仙人と同様のものだと聞く。そうであれば、仙人と同じように安閑無為として、神通自在の力をもって好きなように暮らせそうなものを、なんだってそのように忙しくすることが多いのか」
 寅吉は言った。「山人というのは、神通自在で山々に住んでいる点では、唐土の仙人と同じようなものです。しかし、安閑無為というわけにはいきません。その訳を説明するには、まず神のことから申し上げねばなりません。
 師がおっしゃるには、神というものは全て、人から神と崇められているのであれば、理由があって成就が難しい願いであっても、千日祈って験がないときには一万日祈れば験があります。

・まして正しい祈願であれば、よく信心を徹しさえすれば、叶わないことがないものだといいます。しかしながら人間の願うことには、自分では道理に適った祈りだと思っていても、神から見れば多くはよこしまな願いなのです。

・さて、全ての山々の中に、神のいらっしゃらない山はなく、また山人のいない山もありません。山によって、秋葉山、岩間山などのように、世間でも山人がいることを知っていて、これを天狗と呼んで祈り崇めているところは言うに及ばず、世間では山人がいることに気付いておらず、人知れずその山に鎮座なさっている神に祈ったとしても、そこに住む山人は、祈願を聞いてそれを遂げさせてやるものなのです。

<山人の忙しさ>
・たとえば、我が師の本山は浅間山ですが、世間の人は未だかつて師の名を知らないが故に、祈願のある時には、ただただ浅間神社に祈ります。それでも師は人の願いを聞き受けて、神に祈って遂げさせてやるのです。まして、象頭山の御神のように人気のある神であれば、騒がしくて過ごしていらっしゃることは言うまでもありません。
 この山には山人や天狗がことに多いのですが、忙しくて手が回らないために、諸国の山々から山人・天狗が代わる代わる行って山周りをしています。それでもなお手が回らないほど忙しいときもあり、また人間の祈願が種々多様なものであって、それらの山々だけでは祈願を遂げてやるのが困難なときもあります。

・こうした次第によるものですから、山人が忙しく騒がしいというのは申すまでもないことなのです。一つの祈願に対して数百里(1里は約3.9キロメートル)の距離を、数回にわたる飛行で行き来することもあります。常に、どこからどのような祈願の依頼が任せられるか分かりませんから、世の中にあることは何であっても一通り知っておき、準備しておく必要があります。
 物事を幅広く知っているほど、あちこちから依頼が多くなりますが、その分、自然と位は高くなっていきます。我が師は4千歳に近く、知っていることも多いものですから、たくさんいる山人の中でも、とくに用事が多くて忙しいのです。
 師が常に苦行をしているのも、ますます霊妙自在な力を得て、人間の役に立とうとしているためなのです。従って、山人というのは人間よりも苦労が多いものなのです。だからこそ、人間は楽なものだと、常に羨ましがられることになるのです。

<師の名前>
・寅吉は言った。「山周りというのは、自分の山だけに居ることを指すわけではありません。あの山この山と、代わる代わる互いに周っていくので、そう呼ぶのです。去年の十二月三日から今年の正月三日まで、寒の三十日、師が象頭山にいらしたことも、山周りでした。
 象頭山はすでに申し上げたように、たいへん忙しい山である上に、寒中は祈願の人が多くて、とくにこれらの諸願を果たしてやらねばならない時期ですから、毎年、寒中には諸国の山々から大勢の山人が集まってきて、手助けをすることになります。
 山人だけでなく、もと鳥獣であったものが変化した天狗までもが集まって手助けを致します。金毘羅様は山人・天狗全ての長のごとくでいらっしゃるので、このようにする定めなのです。しかし他の山々とは違い、こうした賑わいは毎年の寒中ばかりのことなので、普段は山周りに行く人がいません。また金毘羅様は他山の山人のように、本山を出て他山を周るということもありません。

・その後、岩間山に住んでからは、杉山僧正と称されるようになりました。杉山の称号は、大山にある杉山を用いられたものです。僧正というのは、岩間山の山人の名なのかどうか、それについては知りません。
 師の双岳という号は、唐土(中国)の山に住んでいらした時の名を用いていらっしゃるとのことです。

<女嶋のこと>
・私は寅吉に訊ねた。「ここから□の方角に、夜なる国があるというが、そうした所に行ったことはあるか」
 寅吉は言った。「それはホツクのヂウの国という国でしょう。夏の頃に行きました。太陽の大きさが拳ほど小さく見えて寒かったものの、雪はありませんでした。薄暗くて、八分がたが欠けた日蝕の時はこんなものだろうかと思われました。太陽はちらちらと縦に動きつつ、西に没するようであり、夜ははなはだ長く思えましたが、月の見えない時だったので、月の様子は知りません。
 地面には幾筋も溝川を掘ってありました。この国は太陽の見えない時もあるので、水の光を借りるために川を掘ってあるとのことでした。五穀もそれ相応に収穫できる国と見え、麦を刈ってありました。また稲も出来ると見え、道の間に稲が置いてあるのも見ました。木や草もありました。
 人の様子はだいたいが痩せこけていて背が高く、頭は小さく鼻が高く、口が大きくて手足の親指が2本ずつありました。衣服についてはよく分かりません。家は無く、穴に住むように見受けました。しかし、この国にいたのは長くなく、それから女嶋へ渡ったので詳しいことは分かりません」
 私は寅吉に訊ねた。「女嶋は日本から海上四百里(約1600キロメートル)ばかりの東方にあります。家は作らず、山の横腹に穴を掘り、入り口は狭く、中を広くしつらえて、入り口の所にわずかに木を渡し、昆布を敷いて雨を防いでいます。
 日本の女と違うところはありません。髪はくるくると巻いて束ねています。衣服は、海はばきのようなゆるやかなもので、海にあるのを採って筒袖のように組み織ったものを着て、衣服を着用したままで海に入って、魚や昆布を採って食べています。
 海から上がって体を震わせれば、着物についた水は全て散って落ちるようになっています。これは、火で燃やしても傷まないものだといいます。

・さて、女ばかりの国なので、この国の者たちは男を欲しがり、もし漂着する男があれば皆で打ち集まって食べてしまうとのことです。
 懐妊するためには、笹の葉を束ねたものを各々の手に持って、西の方に向かって拝し。女同士で互いに夫婦のように抱き合って孕むそうです。ただし大抵、子を孕む時期は決まっているとのことです。この国には十日ばかりも隠れ暮らし、様子を見ていました」

<岩間十三天狗>
・寅吉は言った。「古い時代のことは知りませんが、今、世間で岩間山の天狗を指して十三天狗と称していることに関して申せば、実際には十三人の山人がいるわけではありません。
 人の亡霊が変じたものと、生きた身体のままで変じたものとが合わせて四人ばかりあります。そのほかは、鷲や鳶、また獣などの変じたものが多いのです。
 これらのうち、人の形をしたものは長楽寺だけです。長楽寺が首領となったのは、次のような次第によります。最初は、十二天狗たちが長楽寺を手下に引き入れようとしていました。
 ところが、長楽寺はその頃の岩間山の別当(寺院の役務を総括する僧職)の知り合いであり、また、もとより頑強な人で、なおかつ尋常ならぬ霊威の持ち主でもあったため、逆に十二天狗たちは押し伏せられてしまいました。そこで十二天狗たちは長楽寺をとくに敬って第一となし、長楽寺が彼らの首領の座におさまったのです。
 人でなかった物が変じた天狗は全て、人の言語も通じ、様々なことを自在にする術も行えます。しかし人に比べてしまえば、さすがに甚だ愚か物でありますので、長楽寺に押し伏せられてしまったのです。長楽寺は、三十歳余りに見える山伏姿の人です。
 ところで、我が師は岩間山にいらっしゃる方ですので、長楽寺をはじめ、岩間山のそのほかの天狗たちも全て、その命令をきくことになります」

<浜町、使用人の神隠し>
・私は寅吉に訊ねた。「以前聞いた話に、江戸浜町にいる、ある人の使用人が、異人に誘われて二年ばかりも帰らなかったというものがある。帰ってから語ることには、源為朝や源義経などに逢ったということである。お前は、こうした人々、また彼らのほかにも古い人々に逢ったことはないか」
 寅吉は言った。「私はそうした古い時代の人々に逢ったことはありません。しかし、師が語っていた中で、義経などが今も生きているということは聞いたことがあります」

<天狗と大杉明神、弘法大師>
・私は寅吉に訊ねた。「俗に、常陸国の阿波大杉大明神のことを、義経に従った常陸坊海尊だといい、この人は今も生存していて仙人になっているということが『会津風土記』という書物にも載っている。彼の境で、こうした説を聞いたことはないか」
 寅吉は言った。「大杉大明神は、鷲が天狗に変化したものを祀ったということは聞いたことがありますが、常陸坊というものについては聞いたことがありません」
 私は寅吉に訊ねた。「弘法大師は今も生きていて、四国をはじめ諸国を廻っているという。あちこちの土地に、この僧が為したと思われることがあると聞いている。彼の境において、こうしたことは聞いたことがないか」
 寅吉は言った。「弘法大師に関するそうした話は、未だかつて聞いたことがありません。
 ただし、弘法が天狗になったということは聞いたことがあります(原注。弘法が初めて天狗を使ったということ)」

<もう一人の仙童>
・これは私の書いた『玉襻(たまだすき)』に詳しく記した話である。
 寅吉とは異なるある童子が、異人に誘われていなくなったことがあった。両親が血の涙を流して氏神に祈っていると、四、五日経ってから帰ってきた。童子は次のように語った。
 連れていかれた所は、どこの山とも分からなかったが、異人が多くいて、剣術などの稽古をしていた。時々は酒を酌みかわすこともあって、その盃を、遠く谷を隔てた山の頂などに投げて、「いますぐ取って来い」などと言う。
「どうやって私があの山に登り、取ってくることができましょうか」と断ろうとすると、怒って谷底に突き落とされた――と思うと、何ということもなく、やがてその峰にたどり着き、盃を拾って異人の前に戻ってきている。
 全て、このような調子で使われていたのだが、昨日になって「お前の産土神が、ねんごろにお前を返すべき理由を言って寄越したので、留め置くのが難しい」と言われて帰された、と語った。

<神隠しと空飛ぶ盆>
・私は寅吉に訊ねた。「元文年間(1736――1741)のことである。比叡山に御修理があった際に、木内兵左衛門という、神隠しにあった人がいた。その人が帰ってきて、後に伝えたのは次のようなことであった。
 兵左衛門を連れて行った異人は、丸い盆の上に柄を付けたような物を出して、その上に彼を乗せた。肩に両手をかけて押し付けられたように思うと、そのまま地上を離れて虚空へと高く舞い上がったという。
 お前の師は自在の力を持つ身であるから、大空を飛行することもできるだろうが、まだ未熟なお前などが、虚空へ高く舞い上がることはできるはずもない。もしや、兵左衛門が乗った盆のような物などを使って、師に連れていかれたのではないか」
 寅吉は言った。「これまで、そうした器物を使ったことはありません。おっしゃったように、私は自在の力を持たず、何もできません。
 そうした未熟な身でありますが、どのような術があるのか、師に従ってさえいれば、前へと進むのも後ろへと退がるのも、空を行くことが自由になるのです。たとえば、雁や鴨などの一羽が飛び上がれば、残りの群れも自然とその後について飛び上がるようなもので、師に付き従ってさえいれば、どこまでも行くことができるのです」

<悪魔と天狗>
・私は寅吉に訊ねた。「世の中に悪魔がおびただしくあるとは、一体どういうことか。悪魔は天狗とは違うのか。その棲んでいるところはどこなのだろうか」
 寅吉は言った。「悪魔どもがどこに棲むかということは知りませんが、おのおのに群れがあって、その仲間はおびただしく、常に大空を飛びまわって、世の中に障礙をなし、悪しき人をますます悪人にし、善き人の徳ある行いを妨げて悪へと赴かせ、人々の慢心や怠慢を見つけてその心に入り込み、種々の災いを生じてその心をよこしまに曲げさせます。
 仏、菩薩や美女美男にも変じ、地獄極楽やそのほか何であっても、人々の好むところに従い、これらの形象を現してたぶらかし、ことごとく自分たちの仲間に引き入れ、世の中を我が物にせんと企むものなのです。

・神が人を助け給うのも、このようなわけによるものです。世の人に悪魔の多いことを知ったのであれば道徳を積むべし、というのが私の師の説くところです。さて、天狗というものは、深山におのずから出て来たものもあります。また鷲・鳶・烏・猿・狼・熊・鹿・猪、そのほか、何によらず、鳥獣の年を経たものが化ることもあります。鳥は手足を生じ、獣は羽を生じるようになります。また、人の死霊が化ることもあります。生まれながる成ることもあります。ただし、人の成れるものには、邪と正と二種があります。邪天狗は、妖魔の仲間です。
 世の中では、こうした種々のものの仕業を、すべて天狗のわざと言うのです。我が師のような存在をも、世には天狗というのでとりあえず天狗とは言っていますが、実は天狗ではありません。山人というものです。

<鶴に乗る仙人>
・私は寅吉に訊ねた。「唐土(中国)にいる仙人というものは、この国にも来ることがあるのか。また、お前はそれを見たことがあるか」
 寅吉は言った。「我が師などは、唐土やほかの国々へも行くことがあります。同様に、唐土の仙人が、この国に来ることもあるだろうと思います。
 どこの国かは分かりませんが、師に連れられて大空を翔ていたときのことです。我々がいるよりもちょっと下のほうの空を、頭に手巾か何かをたたんで乗せたように見える老人が、鶴に乗って、歌を吟じながら通っていくのを見たことがあります」

<神の御姿>
・私は寅吉に訊ねた。「神の御姿は、山人や天狗、またお前などの目に見えることはないのか」
 寅吉は言った。「師などの目に見えなさることもあるのかどうか。それは分かりません。私たちは神の御姿をかつて見たことはありませんが、時々、金色の幣束のように見えるものが、ひらひらと大空を飛んでいることがあります。これは神のお通りだということです。そのときには、だれもが地に伏せ畏まって拝するものです」

<月に穴のあること>
・私は寅吉に訊ねた。「大空からこの国の国土を見た様子はどのようなものなのか」
 寅吉は言った。「少し飛び上がってから見れば、海や川、野や山、そして人の行き交う様子までが見えて、おびただしく広く丸く見えます。
 もう少し上方へ上ってから見れば、段々と海川や野山の様子が見えなくなり、むらむらと薄青い網目を引き延ばしたかのように見えます。なおも上がっていくと、段々にそれが小さくなって、星のある辺りまで上ってから国土を見れば、光を放っていて、月よりはだいぶ大きく見えるものです」

・私は寅吉に訊ねた。「星のあるところまで行ったということは、月の様子も見たことがあるのか」
 寅吉は言った。「月の様子は近くへ寄るほどに段々と大きくなります。寒気は身を刺すように厳しく、近くへは寄り難いように思えるのを、無理して二町(約218メートル)ほどに見えるところまで行って見たところ、思いのほか、暖かいものでした。
 さて、まず月の光って見えるところには国土における海のようであって、泥が混じっているように見えます。俗に、兎が餅をついているというところには、二つ三つ、穴が開いています。しかし、かなり離れて見ていたため、正しいところは定かではありません」

・すると寅吉は笑って言った。「あなたの説は、書物に書いてあることを以ておっしゃるために、間違っているのです。私は書物に書かれたことは知りません。直接、近くに見て申しているのです。もっとも、師もあれを岳だとは言っていましたが近寄って見れば、まさしく穴が二つ三つあって、その穴から月の後ろにある星が見えたものです。つまり、穴があるのは疑いないことなのです」

<星と大地について>
・私は寅吉に訊ねた。「それでは、星はどのようなものだと理解しているのか」
 寅吉は言った。「星は、我々の地上から見れば、細かいものが多く並んでいるように見えますが、大空に上ってから見れば、いつも明るいゆえに、地上から見たほどには光っては見えないものです。
 空を上がるほどほどに、星は段々と非常に大きくなり、それらは四方・上下に何百里(1里は約3.9キロメートル)あるとも知れず、互いに遠く離れたものが夥しい数あります。地球もその中に交じって、どれがそれとも見分けがたくなります。
 ここでよく分からないのは、星がいかなるものなのか見てみたいと師に言ったところ、見せてやろうと言われてこの地上から見てとくに大きく見える星を目指して空へ上がりましたが、近くに寄るほどに、大きくぼうっとした気に見え、その中を通り抜けることがあります。
 通り抜けてから遠く先のほうへ行き、振り返って見れば、もとのような星の形をしていました。そうすると、星というのは気の凝り固まったものかと思われます」

・さらに、次のように寅吉に訊ねた。「大虚空は、いつも明るいのに、星が光って見えることはない。どういうことか」
 寅吉は言った。「この地上から、昼は星を見ることができないことをもって、そう疑いなさるのでしょうが、(原注。以下欠)」
 また、次のようにも訊ねた。「太陽はどのような成分かということを、知っているか」
 寅吉は言った。「太陽は近くに寄ろうとすると、焼けるようで寄ることができません。しかし、日眼鏡で見るとずっとよく見えるところまで上ってから見たところ、炎々たる中に、雷のようにひらめき飛んで暗く見えるために、どのような成分ということは分かりかねます。
 しかし、何かひとつの物から炎が燃え出ているように見えます。また、試みに手火を灯してみたところ、太陽の近くにおいては、さらに光がなくなり、見ているうちに火炎が次第次第に太陽を半月のように見ることも多く、小さく見えるところもありました。
 夜国のことをホツクのチウといいます。太陽は団子のような大きさに
見えました。太陽の見えない国もあります。そこでは、地上にいくつもの穴を掘って光らせます。その国の人々の鼻は高く、口は大きく、親指が二本あります」(原注・銕胤が言うことには、「ホツクのチウ」とは、北国(北極か)の中)という意味ではないか、とのこと。どうであろうか)
 私は寅吉に訊ねた。「日月(太陽・月)ともに、神々の住み給う国だという説を、山人から聞いたことはないか」
 寅吉は言った。「そうした説を聞いたことはありません」

<女について、男色について>
・私は寅吉に訊ねた。「山人や天狗などが住む境に、女人はいないのか」
 寅吉は言った。「ほかの山のことは知りませんが、岩間山や筑波山などは、女人の入れない山であるため、決して女がいることはありません。女の汚れに触れた人が登山をすれば、怪我をさせ、突き落としたりもします」
 私はまた訊ねた。「そうしたことは師自らが行うのか、寅吉などもするのか」
 寅吉が答えるには、「師が自ら手を下すこともありますが、多くは師に付き従う者たちが師の命令を受けて、遠くから足をあげて蹴るような様子をとり、また手を伸ばして突き落とすような様子をなせば、倒れたり、落ちたりするのです」
 私は訊ねた。「山登りする人が引き裂かれたりすることを、時々耳にすることがある。こうした激しい例もあるのか」
 寅吉は答えた。「山人にも天狗にも、邪悪なものも正しいものもあります。猛烈なものも、温和なものもあります。猛烈な天狗や山人の中には、そのように激しい所業を為すものもあるのです」

・また、次のようにも訊ねた。「彼の境に男色(――訳者注。男性同士の同性愛)はないのか」
 寅吉は答えた。「ほかの山のことは知りませんが、私のいた山などにはそうしたことは決してありません」

・(原注。このことは私が自ら訊ねることができなかったので、門人の守屋稲雄に命じて、寅吉が心を許しているときにこっそりと訊ねさせたのである。
 それは、世の中で天狗に誘われたというものの多くが少年であることの理由が、もしかして僧侶の変身した天狗などが、僧侶であったときの悪しき性癖が治まらず、その用に伴わせるのではないかと、常日頃から疑っていたためである)

・(その用に伴わせる)性欲発散のために少年をさらうこと。当時、天狗は男性、とくに少年をさらうと考えられていた。たとえば松浦静山『甲子夜話』巻49の40は、天狗が尼をさらったという世間話を非常に珍しい例として載せた上で、「是まで天狗は女人は取行かぬものなるが」と記す。

 

『神仙道の本』 秘教玄学と幽冥界への参入
学研マーケティング   2007/3


『図説・仙境異聞』
仙道寅吉の物語
神仙界を探訪した少年の実録


・幽冥界探求にただならぬ情熱を抱く平田篤胤が、神隠しに遭って江戸に舞い戻ってきた少年・寅吉と、ついに運命的な出逢いを果たす――。

篤胤は、寅吉の口から語られる異界見聞譚を巧みに聞き出し、克明に記し、精緻に図像化した。かくして、幽世の民俗誌ともいうべき前代未聞の遺産が残されたのである。

<天狗小僧、異界より現る> 
・『仙境異聞』全7巻には寅吉という異能者の言行が詳細に記録されている。”異界もの”という、いわば眉唾物のジャンルでありながら、この記録にはただごとではない圧倒的なリアリティがある。篤胤の方法論は、頑固までの実証主義だった。曖昧で情緒的な記述は、配され。徹底した聞き取りによって事実として納得できた事柄だけが記されていったのである。

・文政3年(1820)晩秋、江戸に神仙界と人間界とを往還するという少年が現れた。名を高山嘉津間、通称を仙童寅吉という。

<寅吉、神仙の世界を語る>
・寅吉は、神仙界についてこう語った。7歳のころ、上野池の端の五条天神前で遊んでいると、薬売りの翁が目にとまった。その翁は毎日そこで丸薬を売っていたが、店じまいときは決まって、敷物、薬、葛籠などをわずか3、4寸の壺にしまいこんでいる。そして最後は自分も片足からスッとその壺に吸い込まれると、壺ごとどこかに飛び去っていくのだ。寅吉は、この謎の翁といっしょに来ないかと誘われた。卜筮を教えてやるというのだ。そして、この翁について自身も壺中に消える。これがすべてのはじまりだった。

・寅吉が訪れたのは、常陸国の加波山と吾国山に挟まれた難台丈という行場である。翁は、岩間山の神仙で杉山僧正といい、13の眷属をたばねる天狗の首領だった。この眷属は、人の形をした者はただ一人で、ほかは獣のような姿だ。翁も人間界での仮の姿で、本来は40歳くらいの壮健な山人だった。山人とは仙人のことで、もとは人間だったが修行により天狗に昇華した者をいうらしい。

・寅吉はそれから修練を重ね、現界と往還しながら8年の間、仙境の異界に遊んだ。その間、師である杉山僧正とともに、神仙界はもとより世界中、月世界までも遊覧したという。普通に聞けば荒唐無稽というほかない。が、篤胤はこれを信じた。ときに寅吉は神仙界へ戻ることがあったが、このとき篤胤は、竈情僧正にあてた書簡を寅吉にことづけてさえいる。

<寅吉の消息、ふっつり途切れる>
・問うて云わく――『仙境異聞』はほぼ全編、篤胤らの問いに対する寅吉の回答を採録したものだ。
 ときに寅吉は篤胤所持の石笛を見て、神仙界でも見たことのないりっぱな霊物だと判じたりしているが、多くは、神仙界のありよう、山人の服装や料理、遊興などの日常生活、神祀りの方法や祭儀などについて語っている。山人であっても尊い神の姿をはっきりと見ることができない等々。神霊や妖魔の実相を漏らしているところも興味深い。

・住人がごく限られた人数の霊的な求道者たちであることや、細部の若干の差異をのぞけば、神仙界はどこにでもある山間の村落のような趣である。だが、ひとつ大きな違いがある。この異界には女性がいないのだ。詳細を伝えることはできないが、寅吉によればそれには深淵な意味が隠されているという。

・だが、寅吉に関する膨大な記述は、文政11年8月9日の「気吹舎日記」を最後にふっつりと途切れる。この消息を追ったのが近代の心霊研究家・浅野和三郎で、さらに門下の河目妻蔵によって追跡調査がなされ、大正14年の「心霊と人生」誌になんと寅吉の晩年の姿が報告されたのだ。それによると――。

<秘薬の処方を遺し仙去す―――>
・寅吉はその後、千葉県笹河村の諏訪神社で神職となり、俗名石井嘉津間として天狗直伝の病気治しを行っていたという。これが大評判で、遠方からの訪問者がひきもきらなかったらしい。そして53歳のとき、奉公の女中しほとの間に男児が誕生。河目は、その実子・嘉津平(当時70歳)と孫の二世嘉津間(当時46歳)に取材したのである。

・晩年、寅吉は「僧正からの急のお召だ」と言い、惜別の宴を催した。そして日光山を伏し拝みつつ、安政6年(1859)12月12日、眠るように仙去したという。その際、神授秘伝の薬の処方箋とともに薬湯をはじめよとの遺言があり、子孫は銚子で二神湯(通称天狗湯)をはじめた。皮膚病や火傷、冷え性に薬効があり、湯は大いに流行って昭和30年ころまで存続していたとのことである。



『江戸のUMA談』  未確認生物の世界
 にほんの歴史★楽会【編】   静山社  2014/12/5



<河童>
・江戸時代にも、河童に関するさまざまな話が残されています。
町奉行をつとめた根岸鎮衛の随筆集『耳袋』から、塩漬けにされた河童の話です。

・ある日、私(根岸鎮衛)のもとへ、松本伊豆守が、河童の絵を持ってきました。この絵は仙台藩伊達家の河童騒動を目の当たりにした者から松本が話を聞き、それを描いたものでした。

・狙いを定めて鉄砲で撃ち止めてみると……。その正体は河童でした。
この河童は、打ち殺されて塩漬けにされてしまいました。
 この話を聞いている時に一緒にいた曲淵甲斐守は、声をひそめて、「この絵は、昔、自分が河童の絵として見たものとは違わない」と語りました。

・このように河童は人を水の中に引き込む悪さをしますが、失敗して詫び状を書かされる河童もいました。

・九州は他の地域より河童が多く棲んでいます。河童は人間に害を及ぼすといいます。漁師の妻と密通するなど、思いもよらないような嫌なことをするものです。しかし、今回の河童は……。
寛永の頃(1624−44)の話です。
島原の乱を鎮め、有馬直純が陣払いをしている時に、家臣の八座衛門は、「名に聞こえし有馬の蓮池を一目みていこう」と思い立ち、池のまわりをぶらぶらと歩いていました。
 すると、河童が一匹午睡をむさぼっています。八左衛門は、近寄ってこの正体もなく眠りこけている河童を抜き打ちにしました。
 ところが、確かに手ごたえがあって、血のりも刀に残っているのですが、肝心の河童の姿が消えてしまいました。あたりを探し回ったのですが、河童の死骸は見当たりません。しばらくすると、何かが池の中に躍り入る音がしました。

・八左衛門は翌日、主人のお供をして有馬から190キロ離れた日向国(宮崎県)縣の居城へと帰りました。
 さて、それから3年。寛永17年(1640)9月14日の羊の下刻(午後3時頃)に、なんとあの時の河童がやって来て八左衛門に告げました。

「3年前に肥前の有馬でつけられた傷がやっと治った。その恨みを晴らすためにはるばるやって参ったのだ。さあ、外へ出て勝負せよ」
 これを聞いた八左衛門はにっこりと笑って、「遠路はるばるよくぞ参った」といって、刀をとって庭へと出ました。
 八左衛門が斬りかかり、お互いに受けたり返したりと勝負をはじめましたが、彼の母親や女房には八左衛門がただひとりで戦っているようにしかみえません。「これは乱心したのか」と驚き、恐ろしく、近くに住む親類縁者を呼んできて、彼の様子を見せましたが、「これは狂人のようにも見えるが、どうも違うらしい」と、不思議に思い、みな見守るばかりです。河童の姿は八左衛門にだけ見えていて、その他の人には見えなかったのです。そんなわけで、助太刀もなくただ勝負が続きました。
 やがて互いに戦い疲れたので、河童は、「では、今晩は引き分けということにして、また明日参ろう」と立ち去りました。

・その翌日、殿様は八左衛門の家にやって来て、床几に腰をかけて、召連れてきた家来たちに命じました。「河童がやって来たら、その姿は見えなくとも、逃げられないようにまわりを取り囲め」。家来たちは、殿様の仰せに従って、今か今かと待ち構えていたのですが、結局その日は、河童が現れることはありませんでした。殿様は、ちょっと不機嫌な様子で城へと帰ってゆきました。
 その晩のこと。河童が八左衛門の枕元にやって来ました。
「年来の恨みを晴らそうと、はるかここまで参ったけれども、昼間ここにその方の主君がやって来て、戦いを観戦しようというのでは、もはや我の願いは叶えられそうもない。明日、有馬へ帰ることにした。このことを伝えるため、やって来たのだ」
 といって、そのまま立ち去りました。
 この物語は、豊後国(大分県)の永石其孝という人が語ったものです。

・河童は、悪さをするだけではなく、この話のように彼なりの義を持つものや、助けてもらったお礼に秘薬を教えるもの、相撲好きのものなどがいます。そして、その親しみやすさから、草双紙のキャラクターとしても多く描かれましたが、中には「男色趣味の河童」というキャラも登場しました。

<海童 かっぱ>
・かっぱはかっぱでも、こちらは海に棲んでいるので「海童」と書きます。

・打ち殺される時に、河童は屁を放ちました。耐えられないほどの悪臭で、そのご、船頭が病気になるほどでした。棒などにも青臭い臭いがついて、いまだに取れません。屁の音は「スッスッ」というものでした。
 海童には尻の穴が3つあって、全体に骨はないように見えました。うちつけたので、首は胴の中へ2、3センチほどめり込んでいました。胸や肩が張り出していて、背は曲がっていました。
 当地(水戸の東浜)では、海童はたびたび捕まりますが、今回上がったものほど大きいものは今まで見たことがありません。珍しいことなので申し上げました。

・もしも、かっぱと出会うことがあったら「かっぱの屁」には注意しなくてはなりませんね。

長崎平戸藩の藩主だった松浦静山の『甲子夜話』にも2編、海のかっぱの話が載っています。

静山はかっぱ全般も海も川も区別なく「河太郎」と記し、亀の仲間と考えていたようです。
 対馬には河太郎がいて、波よけの石組みの土手に集まって群れをなします。まるで亀が石の上で甲羅干しをするかのような様子です。大きさは70センチほどで人に似た形をしています。幼いものも年がいっているものもあって、白髪のものもいます。髪を下ろにしているものもあれば、天に向かって逆立っているものもあります。彼らは人を見るとすぐに海に入ってしまいます。狐が人に憑くのと同じようにかっぱも人に憑くので、対馬の人々は困っているといいます。

・平戸の海辺の宝亀村にあった話です。
8歳の女の子が墓地で遊んでいると、何かがやって来てその子と交わりました。
すると、その時からその子は妊婦のような体になって、ついには卵を産みました。
「これは狐と交わったに違いない」と村人たちはいったそうですが、私が思うところ、これは河太郎の仕業ではないでしょうか。
 河太郎が女性と交わって子を成したという話は、私の領内の小値加にもあります。また、筑前や日向、豊後などの他国にも、同じような話があり、そこで産まれたのも、やはり卵だそうです。河太郎は亀の属で、背と腹に殻があり、また卵生です。もし、狐であれば、獣類なのでその様子は異なってくるでしょう。
 この卵を産んだ女の子は、それから間もなく亡くなったといいます。また、聞くところによれば、河太郎の子どもを産んだ者は、はじめに高熱で襲われ、その3、4か月後に卵を産みますが、卵は多くの泡に包まれているといいます。そして卵を産んだ者たちは、みんな廃人のようになってしまったと………。   『甲子夜話、異類の子を産む事』

・ちょっと気味の悪い話です。話の真偽はともかくとして、かっぱが人を襲うという話には、海や川にむやみに近づかない、墓場などさびしい場所で遊んではいけない、女性はある程度の年齢に達したら身辺に注意して暮らすなどの教訓が盛り込まれているのではないでしょうか。

<山男 やまおとこ>
・深山に棲み、木こりの仕事を助けてくれるなど、山童と共通点の多い山男ですが、山童とは外見がだいぶ違っていて、大男です。木曽の山奥に入っていく木曽奉行の下役などは、山男と思われる巨大な足跡を折々に見るといいます。
『絵本百物語』に描かれた山男を見てみましょう。

・遠州(静岡県の西部)秋葉の山奥には、山男というものがいて、時たま出て来ることがあります。
 木こりの重い荷物を背負って助け、里近くまで来ては、すぐに山中へと戻っていきます。彼らは家もなく、従類眷属もなく、彼らの常の棲家を知る者はありません。手助けの賃銭を払おうとしても受け取りませんが、酒を好むので、与えると喜んで呑みます。
 言葉が通じないので、身振り手振りで伝えようとすると、その意をすぐさま覚ります。出生のことも最後のことも明らかではありません。背の高さは1.8メートルより低いものはいません。山気が変じて人の形になったという説もあります。

・「深山に多くいて、背の高さは3.6メートルばかり、その姿は鬼のようである。木こりなどはこれに遭遇すると逃げ出すが、それは誤りである。頼めば山男は柴を背負って麓まで送ってくれるのだ。これは山男の力自慢だという」

・昔、同国のしらくに村というところに又蔵という男がいました。
 病人が出たため医者を呼びにいく途中、又蔵は足を踏み外して谷に落ちてしまいました。木の根で足を痛めてしまって歩くことができず、又蔵は谷底でじっとしていました。
すると、どこからともなく山男が現れて、又蔵を背負うと、屏風のような岩をも軽々と登ってゆき、医者の家の前に着くと、又蔵を下ろしてあっという間に消えてしまいました。
 後日、又蔵は助けてもらったお礼をいうために、小竹筒に酒を入れて携え、例の谷に赴いたところ、山男が二人出て来て、酒を呑んでとても喜んで帰っていきました。
 この話は、古老の言い伝えによって、この地では知っている人の多い話です。『絵本百物語 山男』

<くだべ>
・越中国(富山県)立山に突如として現れた人面獣「くだべ」。これから起こる流行病や天災などの予言をする予言獣とされています。文政十年(1827)頃からくだべの話が全国的に流行したらしく、当時の風聞雑談を集めた『道聴塗説』に「流行クダベ」と題して載っています。
越中国立山で薬草採取を生業にしている男がいました。
ある日、男は薬草を探して、山深く入っていきました。

すると、図のように山精が現れて、
「私は長年この山に棲んでいる『クダベ』という者である。今年より3から5年のうちに、名もなき得体の知れぬ病が流行するであろう。草、根、木の皮などいずれの薬草も効き目はなく、どのような名医であろうともなす術はない。けれど、私の肖像を描いて、一度でもこれを見た者は、その災難から必ず逃れることができるのだ」と告げて、かき消すように、姿を消してしまいました。

<天狗>
・松浦静山の随筆『甲子夜話』に書かれている天狗界の様子をのぞいてみましょう。
屋敷の下男に、東上総郡中崎村(現在の千葉県鴨川市のあたりか)の農夫上がりの源左衛門という者がいました。歳は53。この男はかつて2回も天狗に連れ去られたことがあるというのです。
 源左衛門は七五三の7歳のお祝いで、馬の模様を染めた着物を着て、氏神である八幡宮へお参りにいきました。その社の近くにひとりの山伏がやってきて、源左衛門を誘い、連れ去ってしまいました。
 源左衛門はその時から行方知らずとなり、8年が過ぎたので家では仏事を営むことにしました。一方、山伏は源左衛門に、「汝が身は不浄になりたれば返す」といって、彼を相州大山(神奈川県中部にあり、江戸時代に山岳信仰の盛んな山として知られた)に置き去りにしました。里の人が源左衛門を見つけた時、彼は出身地と名前を書いてある札を腰に下げていました。そんなわけで、彼は無事、故郷へ戻ることができました。
 不思議なことに、彼はいなくなった時と同じ着物を着ていたのですが、この着物は少しも傷んでいませんでした。
 それから3年の年月が流れました。源左衛門は18歳になりました。
 そんなある日、また例の山伏が源左衛門の前に現れました。

「迎えにきたぞ。一緒にいこう」
 山伏はそういうと、源左衛門を背負って帯のようなものを掛けました。源左衛門は目をつむって、風の音を聞いたかと思うと、越中の立山に立っていました。
立山に大きな洞窟があり、これは加賀(石川県)の白山まで通じているということです。その途中に20畳もの平坦な場所がありました。ここに僧や山伏姿の天狗が11人座っていました。その中でいちばん偉く、上座に座っているのが「権現」という名で、源左衛門を連れてきた山伏は「長福坊」と呼ばれていました。源左衛門はこの時はじめて乾菓子を口にしました。

・源左衛門は、その後、いろいろな天狗たちのいる場所へ連れていかれました。まず、鞍馬へ連れていかれると、多くの天狗たちが座っています。そこでは、参詣の人々の願い事がまるで自分の体の中から聞こえるかのように聞こえてきます。天狗たちは、参詣人の願いを聞くと「これは叶えてあげよう」「これは愚かな」「笑うしかないな」などといいながら、呪文を唱えたりしています。
 また、別の山に連れていかれた時は、天狗たちが集まって、剣術と兵法を学んでいました。源左衛門もともに習得したのでした。そして、申学(さるがく)や酒宴などもともにしました。
 天狗の頭である権現は、毎朝天下安全を願って勤行を行っていました。彼が源左衛門に、「昔の一の谷の合戦の様子を見せてやろう」というと、なんと源左衛門の目の前に、軍旗が翻り、人馬が群れ走る様子が突如現れました。これは天狗の妖術に違いありません。

・源左衛門は、天狗界にいた間、菓子を一度口にしただけで、食事を摂ることはなかったそうで、よってお通じもなかったそうです。

 自分のところの下男とはいえ、この彼の話は疑わしいところもたくさんあります。しかし、すべてが妄言だとするのもどうでしょうか。この天と地の間には、妖魔の一界があるようです。

・天狗にまつわる話では、天狗にさらわれた、誑かされた、別世界に連れていかれた、人体実験をされたなどいろいろとありますが、これらは現在のエイリアンにまつわる話とよく似ています。もしかすると天狗は別の星からやってきたエイリアンで、古代から人間の生活のそばにずっといるのかもしれません……。

<玃  やまこ>
・ヒマラヤ山脈に棲むといわれる未確認動物にイエティというものがありますが、全身が毛に覆われていて直立歩行をするという特徴がこの玃とよく似ています。江戸時代の百科事典『和漢三才図会』から見てみましょう。

・飛騨や美濃(岐阜県)の深い山の中に棲み、猿のようで、身体は大きくて、黒色の長い毛が生えていて、立って歩きます。また、人の言葉をよく話し、さらに人が考えていることを察する能力があるそうです。人に害を与えるようなことはありません。
 地元の山の人々は、黒坊と呼んでいて互いに恐れることはありません。人がもし殺してやろうなどと考えると、黒坊は先にその意を察して走り去ってしまいます。捕まえようとしても、同じくその意を察してしまうので、捕まえることはできません。『和漢三才図会 玃』
 この玃とよく似た妖怪に「覚(さとり)」というものがいます。というか、これが載っている『今昔画図続百鬼』の絵の横に書かれている怪説を読むとそのまんま玃です。また、手を頭のところへ持ってくるポーズも同じなので、これは『和漢三才図会』を参考にして書いたものと思われます。

・「覚」 解説には、「飛騨美濃の深山に玃がいます。山の人は覚と呼び名をつけています。色が黒くて毛が長くて、よく人の言葉を話し、よく人の意を察します。まったく人に害をなしません。人が覚を殺そうとすると先にその意をさとって逃げ去るといいます」ということが書かれている。



『河童の文化誌』 平成編
和田寛  岩田書院  2012/2



<平成8年(1996年)>
<河童の同類とされている座敷童子(ざしきわらし)>
・ザシキワラシ(座敷童子)については柳田國男の『遠野物語』によって知られていたところである。

<アメリカのニューメキシコ州の異星人の死体>
・回収された異星人の姿は人間によく似ているが、明らかに地球人ではない。身長1.4メートル、体重18キロ前後、人間の子供のようだが、頭部が非常に大きい。手足は細長く、全体的に華奢。指は4本で親指がなく、水掻きを持っている。目は大きく、少しつり上がっている。耳はあるが、耳たぶがなく、口と鼻は小さくて、ほとんど目立たない。皮膚の色がグレイ(灰色)であるところから、UFO研究家は、この異星人を「グレイ」と呼ぶ。

・異星人グレイと河童を並べてみると、素人目にも、そこには多くの共通点を見出すことができるだろう。
 まず、その身長、どちらも1メートル前後、人間のような格好をしているが、頭部だけがアンバランスなほど大きい。
 大きな目に、耳たぶのない耳、そして、小さな鼻穴と、オリジナルの河童の顔は、そのままグレイの顔である。
 最も注目したいのは、その手である。

先述したようにグレイは河童と同じ鋭い爪、水掻きがある。おまけに指の数が、どちらも4本なのだ!。
 また、グレイの皮膚の色は、一般にグレイだが、ときには緑色をしているという報告もある。
 河童の色は、やはり緑が主体。ただ両生類ゆえに皮膚はアマガエルのように保護色に変化することは十分考えられる。

・これらが、意味することは、ひとつ。アメリカ軍は、組織的にUFO事件を演出している。
 捕獲した河童を異星人として演出しているのだ。



『もののけの正体』  怪談はこうして生まれた
原田実   新潮社     2010/8



<人を食らう者としての鬼>
・なにしろ正史として編纂された『日本三代実録』にも、次のような怪談が記されているくらいだ。光孝天皇(在位884〜887)の御代に宮中の武徳殿を歩いていた女房が物陰から現れた美男子に誘われて行方をくらまし、やがてばらばらにされた手足が見つかった。つまりその美男子の正体は人を食う鬼だったのである。

・また、平安時代の権力者にとって、鬼は便利な装置だった。権力者同士の争いに巻き込まれての死者や行方不明者が出た場合、それを「鬼の仕業」にしてしまえば、誰の責任も追及せずにすませてしまえるからだ。この時代、「鬼に食われた」という形で噂された失踪者の中には権力者の間の暗闘の犠牲者も含まれていたものと考えられる。

<定型化していく鬼>
・渋川版御伽文庫の挿絵に登場する鬼は、人間に化けているもの以外は、上半身裸で頭に角を生やした男として描かれている。おそらくこれが私たちが思い浮かべる鬼の原型だろう。版本としての御伽草子の普及にともない、鬼のビジュアル・イメージの定型化は一気に進んだ。

<天狗――天狗の鼻はなぜ高い?>
・また、日本神話で天孫降臨を最初は邪魔し、のちには道案内をかってでたという神・猿田彦が天狗の仲間とみなされた影響もあるだろう。猿田彦は巨大な鼻を持つ神として伝承されていたからだ。

・こうして江戸時代には、天狗の定番、特に大天狗は長い鼻で羽団扇を持った山伏ということになり、昔ながらの鳥の頭で羽が生えた天狗は、天狗界でも下っ端の烏天狗ということになった。

<天狗に弟子入りした少年>
・『仙境異聞』によると、寅吉が仕えた天狗は常陸国・筑波山系に属する岩間山の大天狗・杉山僧正だった。篤胤は天狗の暮らしぶりについてもいろいろと質問している。たとえば天狗の好物は山中でとれたイチゴやブドウなどの果物を岩穴の中で熟成させたもので上澄みの汁を飲んだ後、そこに沈んだ塊を練り固めて常備食にするのだという。
 また、天狗の羽団扇は空を飛ぶときの舵取りに用いられるだけでなく、他の魔物や猛獣を打ちすえるのにも役立つ。天狗はその羽団扇を使いこなすための修行を積むから、みな武術をきわめているのだという。

・篤胤は国学者として、また神道家として記紀などの日本神話を重視していた。神話の世界では、神々が黄泉国(死後の世界)と地上の間や、高天原(天上にあるとされる神々の世界)と地上の間をしばしば行き来している。

・記紀神話に関して、江戸時代には、神話はたとえ話を含んでいるからそのすべてが事実というわけではないと説明した学者もあれば、神々の世界のことだから、人の世で起きないことが起きてもおかしくない、と説明した学者もいた。ところが篤胤はそのどちらの道もとらなかった。

・日本神話はすなわち史実であり、神々は人間の祖先である。したがって、神話の世界で神々が体験していたことなら、現代の人間もまた体験できるはずだ。篤胤はこのように考え、現代(当時)において人が目に見えない世界と往来した実例を捜し求めた。天狗界と往来するという寅吉はその篤胤の希望に応えたわけである。

・なお、篤胤は天保14年(1843)に世を去ったが、その後、彼が開祖となった平田神道の流れをくむ神道家の間から、天狗界に関するレポートがつぎつぎと発表される。参沢宗哲『幸安仙界物語』(『幽界物語』1852年)は和歌山藩士で寅吉同様、天狗に弟子入りしていたという島田幸安からの聞き書きである。また、明治の神道家・宮地水位(堅盤)(1852〜1904)も幕末期に異界に出入りして天狗の教えを受けていたという。後年、水位が若かりし頃の見聞にもとづき、日本のみならず中国や西洋の天狗界の消息について記したメモ書きが『異境備忘録』であり、明治20年(1887)頃にいったん水位自身が編集した本が門人に書写される形で広まった。

<河童――水神はどこから来たか?>
<河童の起源は古代まで遡るか>
・河童というのは古くて新しいもののけである。その伝説上の発祥ははるかな古代にまで遡る。
 現在は『遠野物語』などの影響もあって、河童といえば東北というイメージを持つ人も多いだろうが、実際に河童に関する伝承が濃密に伝えられていた地域といえばまず挙げられるのは九州だ。
 たとえば熊本県八代市には次のような伝説がある。
球磨川支流で八代市街地を流れる前川。この川にかかる新前川橋のたもと周辺はその昔、徳淵津という船着場だった。そして、その徳淵津跡の堤防上には一つの石碑が建っている。これが通称「河童渡来の碑」だ。その碑文に曰く――、

「航海安全 水難消除 河童渡来之碑  ここは千五六百年前河童が中国方面から初めて日本ニ来て住み着いたと伝えられる場所である」(原文ママ)
 この石碑は昭和29年(1954)6月、八代市中島町内会・中島史蹟保護会の連名で建立されたものだ。ちなみにこの地方では河童のことを「ガラッパ」と呼ぶ。

・『本朝俗諺志』『和訓栞』など、江戸時代の文献によると、ガラッパが黄河から渡来してきたのは仁徳天皇の御代のことだった。『日本書紀』によると仁徳天皇の在位は西暦313年から399年、つまり4世紀のことである。仁徳天皇が実在したかどうか、実存したとしても『日本書紀』の紀年が信頼できるかどうかはさておくとして、碑文の「千五六百年前」は、まさに伝承上の仁徳天皇の御代に相当している。

・それら江戸時代の文献に記された伝承によると、八代に住みついたガラッパの群れは、大いに栄えその数9000匹を数えた。その頭領は九千坊と呼ばれた。九千坊と配下のガラッパは長年にわたって、田畑を荒らしたり、人をさらったりと悪事を繰り返した。そのため、彼らは加藤清正公の怒りに触れて退治され、その後は二度と悪事は行わないと誓ってそのまま八代に住むことを許されたとも、筑後川に移住して久留米の水天宮の眷属になったとも伝えられている。いずれにしろ、それ以来、熊本・八代では水難の害はなくなったという。

<畏怖の対象からひょうきん者へ>
・河童といえば誰もが思いだす特徴、頭には皿、その周囲に垂れる髪、背中にはカメのような甲羅、嘴のようにとがった口、人間の子供のように小柄な身体つきで泳ぎが上手、愛嬌があり、相撲をとるのが大好きで、食べ物はキュウリを好む・・・そうした要素は実は、江戸時代に定着したものだ。

・18世紀前半、江戸時代中期までの河童に関する記録や図では、全身毛むくじゃらの猿のような姿とされているものが多く、嘴や背中の甲羅はない。頭頂にも窪みがあるとされる程度で、立派な皿があるとまでは書かれていないことが多い。その典型は正徳2年(1712)に刊行された寺島良安の百科全書『和漢三才図会』に収められた「川太郎」の絵である。

・また、「カッパ」という呼称が全国に広まった時代もやはり江戸時代中期のようだ。河童を意味する方言は一説に全国で400種以上もある。

 先に述べたガラッパは熊本・宮崎・鹿児島の各県で用いられているものだが、他にも、ミンツチ(北海道アイヌ)、メドチ(青森)、カワソ(石川・島根、他)、カシャンボ(和歌山・三重)、ガタロ(奈良・大阪、他)、エンコウ(広島・高知、他)、シバテン(高知)、スイテング(福岡)、ヒョウスベ(佐賀・長崎・宮崎、他)、ケンムン(鹿児島)、キジムナー(沖縄)と枚挙にいとまがない。

・「カッパ」もそうした方言の一つで、もともとは関東地方で用いられたものだった。江戸の出版物が地方でも読まれることで、関東方言にすぎなかった「カッパ」がさまざまな水神の眷属や水の怪の総称とみなされ、その特徴を次第に共有するようになっていったわけだ。言い換えると400種以上もの河童の方言は、もともと400種以上も存在した水神の眷属や水の怪が江戸中期以降、「カッパ」の呼称に統一されていったその名残と考えられる。



『平田篤胤の世界』
子安宣邦  ぺりかん社     2009/10



<『仙境異聞』―江戸社会と異界の情報>
<異界情報事件の発生>
・文政三年(1820)という年の秋の末、天狗小僧寅吉は多種多様の異界の情報を身につけて、まさしく事件として江戸社会に登場した。

・「此の境」(顕界・顕世)とは境を異にする「彼の境」(幽界・幽世)への関心を強く持つ篤胤を中心に、異界へのさまざまな探求的関心をもった人々からなるサークルの中に寅吉少年は置かれることになる。

<異界情報の探究者たち>
・幽界とは「此方の世界」(顕界)と境を異にした「彼方の世界」であり、顕界とともに篤胤の世界像を構成しているもう一つの世界であった。異界(幽界)の情報の伝達者寅吉とは、篤胤にとって珍奇な情報の伝達者であったのではなかった。寅吉とはむしろもう一つの世界がたしかに存在することの生き証人であったのである。

<異界情報と異界の構成><異界―山人の世界>
・その寅吉が師とする杉山々人にしたがって修行し、多くの知恵と術とを伝授され、山の修行者の生活法とそこに蓄積された知識・技術をも修得した「彼の界」すなわち、異界とは、山人の世界である。寅吉が体験したその山人の世界とは筑波山塊の一つをなす岩間山(愛宕山)であった。

・寅吉が「山人天狗」とともに修行し、生活をともにしたという世界は、たしかにこの江戸と地続きの、はるか北東に眺め見る筑波の山地にあるのだ。

・では寅吉が七歳の夏壺中に入って訪れて以来、15歳にいたるまでしばしば往来して修行し、生活したという「彼の界」すなわち山人の世界とは、修業者の世界としての特異性はあっても、江戸と地続きの世界として此の世と変わらぬ同質・同類の世界であるのか。

<異界の表象と異界の構成>
・寅吉がいう山人とは「山人天狗」と天狗=異類的存在と連称されるように、天狗といった異類に無限に接近している超常能力をもった山の修行者たちである。
山人はまた山の修行者として山伏(修験道者)と同様の宗教的な救済能力、呪術的な治療能力と施術の法とを身につけた修行者でもある。その最高の山人は、例えば、寅吉の師である杉山々人のように、諸神の祭祀者・祭事者であるとともに、みずからも神に近い聖性と力とをもった存在とされる。 

・「さて我が師の如きも、山に住む故に山人とは称すれども、真は生きたる神にて仏法なき以前より、現身のまゝ世に存し、神通自在にして、神道を行ひ、其の住する山に崇むる神社を守護して、其の神の功徳を施し、或は其の住する山の神とも崇められて、世人を恵み、数百千万歳の寿を保ち云々」と、神の聖性を具えた神通自在の異類的存在として語られている。

・こうして寅吉が伝える山人の世界すなわち異界を構成するのは、ほとんど天狗に等しい異類的な、しかも神格性を具えた高位の山人から、彼に仕え、そのもとで修業し、それなりの異能を具えた山人たち、そしてその世界の異類性からたえずそこに混入してくる魔性の異類・変化たちである。異界とは聖性から魔性にいたる質的差異を含んだ異類的存在者たちの世界である。

・人々は此の世の衣食住という日常性を前提にして、此方の世界と同じ物が彼方の世界にもあるのかとくりかえし質問する。同じものを食べるのか、同じものを着るのか、そして同じように住まうのか、と。この種の質問に寅吉は常にいらいらと不快さを顕わにしながら対応する。「此方と異なることなし」とは、それらの質問への寅吉のいつもきまった答えである。だが人々のそうした質問は、彼此の同質的な衣食住という日常性のレベルに立ちながら、せいぜいその転倒ないし変形としてしか異質を、そして異界を思い描きえないことを示している。

・「岩間山に十三天狗、筑波山に三十六天狗、加波山に四十八天狗、日光山には数万の天狗といふなり」と、山人の住する山々はまた天狗の山々なのだ。その山人の高位者は諸山の神事を司るものとして、人々の祈願に応じることを「山周り」という。

・そして忙しい時には山から山へと「一事につきて数百里を、数度空行往来する」ことさえある。こうして全国の聖なる山から山へと、その間を超常的な移行力をもって往来する山人たちの異界の交通地図が描かれる。

・寅吉は人々の異界への想像力に応えるように師に従って空を飛ぶ。はるか地の北の果ての「夜ばかりの国」にいけば、また日本より海上四百里ばかり東方の「女嶋」にも飛んでいく。そればかりではない。人々の期待に応えるかのようにはるか天空にも舞い上がる。はるかな上空から地球を見れば、「むらむらとうす青く網目を延へたる様に見ゆるを、なほ上るまゝに段々小さくなりて、星のある辺まで、昇りて国土を見れば、光りて月よりは余程大きく見ゆる物」だと寅吉はいう。

<星は凝縮した気体だという寅吉の説>
・ここには人々の願いや訴えにかかわって構成されるもう一つの異界がある。それはそうした願いや訴えに応えうる救済や治癒の呪術、あるいは医療の法や薬の処方などを自在にしうる異能者からなる世界である。

<異界の意味論>
・人々の祈願に答え、訴えに応じる山人世界は此の現世に対して守護的な世界としてある。杉山々人のような高位の山人は人々の神への祈願に、神に代わって人々に応える存在である。そして守護的世界の山人は現世の悪徳者には懲罰をも与えるのである。

<篤胤的「幽界」の再構成>
・「顕界」が「目に見える世界・此の世」であるのに対して、「幽界」とは「目に見えない世界・彼の世」である。記紀神話のもつ政治的な文脈からすれば、「顕界」は皇孫としての天皇の統治に人々が服する形で構成される「葦原の中国(なかつくに)」というこの現世であり、「幽界」は皇孫の命に国譲りしてこの世を退いた大国主命が主宰する神霊たちの世界、すなわち幽世であり、「顕界」を背後にあって支え、見守る世界として位置づけられる。

・寅吉の語る異界・山人世界は、すでにのべたように、神々とそれと同等の神格性を具えた山人行者を最高の聖性の体現者とし、それから妖怪的な変化者を邪悪な魔性的存在とした価値的な序列を構成する世界である。この異界・山人世界は寅吉の口を通して天狗という異類的存在の世界としても語られた。その天狗たちの間にも聖性から魔性にいたるような多様な質差がある。

・その傾向は『勝五郎再生記聞』にも見ることができる。「彼の勝五郎を伴ひたる翁といへるこそ疑なく産土の神にて在りけめ」と、勝五郎を再生に導く翁を篤胤は産土神だとしている。さらに『勝五郎再生記聞』に付加されている篤胤の文章は氏神・産土神をめぐる事例・見聞集といってもいいものである。



『怪異を歩く』  怪異の時空
今井秀和、大道晴香、一柳廣孝  青弓社   2016/9/30



<なぜ平田篤胤は天狗に会いにいかなかったのか>
・同じ江戸時代の後期の人であっても、鈴木桃野とは好対照の判断をした人物もいる。国学者・平田篤胤(1776―—1843)である。1820年に有名な天狗小僧寅吉と会見した篤胤は、寅吉少年が語る異界探訪談に夢中になった。

・江戸時代には常磐線がなかったから東京(江戸)から日帰りで、というわけにはいかなかったにしても、行って行けない距離ではない。それなのに、彼は自らが現地に赴くか、信頼できる誰かを派遣して調査させてもいいような気もするのだが、そうはしていない。
 これはいったいどういうことか。篤胤自身も岩間山がどういうところかについて、現地を知る人々に尋ねて、そこが天狗信仰の山であることなどの情報を得ていた。それならば、寅吉少年を弟子にした天狗(山人)とは、何者か、現地に行って確かめてみようくらいのことを思い付かないほうが不思議だ。

・おそらく、篤胤が信じる他界観が関係している。篤胤は『霊の真柱』(岩波文庫)で、冥府すなわち幽世・幽冥界は、現世・顕世である日常世界と違う場所にあるのではなく、いま・ここ、この世と同じ場所にあるのだが、あたかも明暗によって空間が隔てられているように「現世とは隔たり見えず」とする。暗い場所が幽冥界なのではない。明るいところにいる人が、暗いところをよく見ることができないように、「見える」と「見えない」という基準で現世と幽世は分割されている。私たちが日常生活を営んでいるこの同じ空間に、私たちに見えていないものたちが存在し、それら見えないものたちで構成されるもう一つの世界が、私たちに見えているものたちで構成される世界とオーバーラップしている。
 だから篤胤は幽冥界研究に現地探訪を組み込む必要がなかった。岩間山に行ってみたところで、そこにあるのはただの山だろう。だが、寅吉が経験してきた数々の不思議はただの山と同じ場所にある見えない世界、幽世の出来事なのだ。見えているものしか見えない人間にはただの山としか見えなくとも、見えない世界を見る寅吉にとっては、そこにただの山であると同時に幽世なのだ。だから、幽世の実情を知るには、見えないものを見てきた人間の言葉を通して知るしかないのだ、と篤胤は考えたのだろう。

<岡本太郎とイタコ ―—<神秘>というまなざし   大道晴香>
・1960年代、日本は空前の「イタコ」ブームを迎えていた。
 イタコとは、青森県から秋田県北部・岩手県北部にかけての地域で活躍してきた、死者の言葉を伝える宗教的技法「口寄せ」をおこなう在野の巫女である。戦前は日本全国に散見された「口寄せ巫女」だったが、社会環境の変化を背景に急速な衰退をみた結果、彼らの存在は巫俗の調査が本格化した1950―—60年代の段階で、既に日本列島の南北両端に片鱗を残すばかりとなっていた。すなわち、「口寄せ巫女」がもはや身近な宗教者ではなくなった世で、イタコには希少性に基づく新たな価値が生じていたことになるだろう。

・岡本の日本文化論に関しては、これまでにも人文系の学問分野を中心に議論が展開されてきた。ただし、彼の才能と人間性から生じる求心力のためだろうか、それらの論述は、著者自体に焦点を当てた「岡本太郎論」に偏っている感が否めない。しかしながら、岡本の日本文化論もまた同時代的な言説空間の一端をなすものであったことは、当時の大衆文化に介在した「日本再発見」の潮流、そして何よりイタコへの言及が如実に物語るところだろう。したがって、岡本の日本文化論を評価するのは、同時代的な言説との比較が不可欠といえる。

<≪イタコ≫ブームと岡本太郎>
<イタコの“発見”>
・現状、表象上では癒着している「イタコ」と「恐山」だが、民俗文化の実態に目を向けた場合、平素のイタコは自宅を構える地域を主要な活動域とし、恐山を訪れるのは年2回の祭典期間中に限られる。要するに、「恐山での口寄せ」は多岐にわたるイタコの巫業の一つにすぎないのであって、両者の結び付きは決して強固ではない。にもかかわらず、大半の記事が恐山を通じて《イタコ》を発見しているという事実は、地域社会に溶け込んでしまえば把握が難しい在野の宗教者が可視化されるに際し、開かれた場の存在が不可欠だったことを物語っている。
 とはいえ、恐山が戦前の時点で一定の認知を得ていた点に鑑みた場合、当地が1950年代になってマス・メディアの目に留まった状況には、一考の余地があるだろう。

・こうした1950年代の黎明期を経て、《イタコ》は60年代を迎えると一大ブームの様相を呈するようになる。記事の件数は60年になると前年比の3倍まで増加し、以降、当該表象は複数のメディアを経由しながら、60年代を通じて再生産され続けていく運びとなった。
 岡本太郎のイタコ論は、一連のブームのなかに誕生した言説である。ただし、彼が生み出した“まなざし”は、あまたの言説がイタコに向けていた視線とは一線を課すものであった。そこで鍵となるのは、同時代の《イタコ》表象に内在していた「自己」と「他者」との対立構造である。

<「非合理」な「他者」としての「地方人」>
・岡部冬彦「三途川の向こう岸」
ホントに死人のタマシイが出てくるなら、あれこれ知人の霊を呼び寄せて見ようと、心ヒソカに楽しみにして来たのだが、イタコの口寄せはすべてかくの如く大同小異。(略)残念ながら骨折り損の終わった次第である。
 もっとも中にはイタコのいうことを聞きながら、「アラマア、あんなことをいって、ズブンのことをズブンで分かんねえのかなア」としごくもっともなことをツブヤイていたオバサンがいたし、東京から見物に来たという女子大生の「なにか形かモノを見せてくれなきゃ、ゼンゼン信用できないワ」という、いたって合理主義的な二人連れもいた。
 しかし、タマシイがあるかないかとなると、我々及びその他少数の人を除いては、恐山に来た人々はタマシイがワイワイいたのを体験した人達ばかりなのでありましょう。

・「死霊を呼び出す恐山の巫女」
 信仰者にとっては、たとえ霊媒が東北弁しかしゃべれないインチキであっても、確かに亡夫に話しかけられたと感ずるし、そのことで心がサッパリしこの農村の精神衛生に役立っていれば、それはそれでいいのです。いうなれば、巫女たちは魔術師ではない。その魔術的な雰囲気の中で、人々の精神に捌け口を与える一種の“カウンセラー”というわけでしょうね。

・ただし、いずれの方策が取られるにせよ、《イタコ》の非合理性は「我々」ではなく、「他者」の領域に帰されたのであって、そこには超えることができない確固たる「自/他」の区別が存在していた。岡本太郎の新規性は、この二者を隔てる壁の突破に求められる。

<「神秘」というまなざし>
・岡本は単行本の出版時に付した「後記」のなかで、「神秘」について次のように述べている。
 民族は固有の暗号をもっている。同質の生活的感動、いわば秘密のようなものだ。それによって、言葉なくお互いが理解しあう。それは隣人愛だとか同胞意識などというような、単純な枠で割り切れない、もっと繊細であり、根深い神秘なのだ。
 それは見えない暗号でありながら、また生活的には、形となったり色となって表現される。(略)
 一見もろく、非論理的で、今日の世界に適用しにくい。しかし現代日本人の思考、モラルを深い底で動かしているのは、やはりそれなのである。

・「我々」=「合理」が体をなさない岡本の輪において、もはやイタコの交霊術が「科学的に証明が可能か否か」は評価基準となりえない。そこで重視されるのは、むしろ、そうした非合理的なものが生きて人間存在を規定している事実である。宗教事象の社会的ないし実在的機能を評価する点では、前節で述べた「「他者」の文脈から事象を読み解く」とも似た印象を受けるが、ここでの機能は「他者」にとっての価値を帯びているのではない。それは「我々」にとって価値を持つ、「日本人らしさの発露」として解されるのである。

・霊が存在するか、しないか。そして霊媒なるものが本当にそれと通じているのかどうか(略)繰り返し繰り返しされる情熱的な課題だ。そしてとかく、本当かウソか、白か黒か、などと分けたがる、どちらにしても同じように素朴だ。

・このように、「神秘」というまなざしは、対象の非合理性を民族性へと変換する装置の役を果たしていたのであって、ゆえに、死者や神といった超自然的次元で認められたイタコの非合理性は、人間存在の非合理性へと読み替えられ、「日本人」を冠したアイデンティティーとしての価値を得ることになった。
 では、岡本が「暗い神秘」と表現した、イタコに見る「日本人」の特異なありようとは、いったいどのようなものだったのか。彼が提示した「神秘」は2つ。1つは浄/不浄から成る2元的な人間観。もう1つは、抑圧の歴史のなかで育まれた女性の内なる呪力である。

・岡本は、旅の終わりに本作のタイトルにもなっている民俗神・オシラサマと出会い、そして、この「幾重にも布片でおおいかぶされ、眼も鼻も口もとざされた」神に、「かつての女の姿」と同じ「呪力」を見ている。そもそも今回の旅の原動力となっていたのは、かつて盛岡の博物館で彼がオシラサマに覚えた、ほうこ人形と同質の感動であった。東北全体の自然を「オシラの気配」が覆っているとの実感を得て、岡本は「東北の神秘への憧れは正しかった」との確信に至るのである。

<「神秘の世界」としての東北>
・非合理性としての「神秘」は、「日本人」を形作る“見えない”暗号と位置づけられていた。しかし同時に、民間信仰などの生きた現象として、「神秘」は我々の眼前に立ち現れてくるものでもあった。岡本は、まさにこうした「非合理」の顕在化を通じて「日本人」の生き方を探ろうとしていたわけだが、ここで一つ看過できないのは、彼が非合理の顕在化した状態を「地方」という空間と接合させて認識していた点である。
 岡本は未踏の地・青森に「埋れ、うずくまり、忘れられた「日本」を直観」する。イタコ、そしてオシラサマのような「素朴で、原始的な民間信仰」を抱える本州最北の地は、岡本にとってまさしく「神秘の世界」にほかならなかった。

<柳田国男の「学問」>
<柳田論からの影響>
・柳田は『遠野物語』(1910年)をはじめとしてオシラ神に関する論考をたびたび発表していて、実際にオシラ神を譲り受けてもいた。1928年3月18日には八戸のイタコを招いてオシラ祭をおこなっており、招待を受けた鏡花がその開催日を1年誤って柳田邸を訪れたのは有名なエピソードである。鏡花は柳田との親交とその著作を通し、オシラ神に関する知識を得たのだろう。「山海評判記」執筆時に鏡花が目を通したと考えられるのは「巫女考」(郷土研究社)、「オシラ神の話」(文藝春秋)、「人形とオシラ神」(民俗芸術の会)だが、実際作中に登場する多くのモチーフにこれらの柳田論考の影響が見られる。

<柳田論との差異とその意味>
・このように柳田論考の要素を作中にちりばめた鏡花だったが、オシラ神と白山信仰を結ぶ論理もまた、柳田の学説を反映したものだった。

・矢野は相良が見た「生首」を「姫神」の「御神体」とし、その神が「オシラ神」であると説明する。何よりここで注目したいのは、「出羽奥州一体」といった東北を中心に信仰されてきたオシラ神の「本地本領」を加賀・白山の姫神とする説が打ち立てられる点である。オシラ神と白山信仰を結ぶ発想は「山海評判記」の核となっていて、これもまた柳田が「巫女考」で提示した説だった。

・しかしここで考えなければならないのは、柳田は1913、14年の「巫女考」ではオシラ神と白山信仰を結び付けているが、『山海評判記』が発表された時期にはこの説を改めていたということである。
 本作品発表時、オシラ神は民俗学者の間で高い関心を集めており、柳田と歴史学者・喜田貞吉による「オシラサマ論争」はその現れといえる。「オシラサマ論争」で焦点が当てられたのは、その起源についてであった。かつてオシラ神の起源を白山信仰とした柳田だったが、1928年9月に発表された「オシラ神の話」では「オシラ神は東北地方では決して蚕を養う者ばかりの拝む神ではない。広く農作人事の全般にわたって、家々の吉凶を論し調え、人をして眼に見えぬ広い国土と遠い年代を、尊崇し愛慕せしむる力の源であった」としてこれを家の神に結び付ける。これに対し喜田は「オシラ神に関する23の憶説」で、オシラ神はアイヌの宅神と「同一起源の物」と発表し、「オシラサマを日本信仰史のなかで普遍化させようと試みた柳田とのあいだに深い断絶」が生じた。日本を一つの共同体とする認識を強めていた柳田にとって喜田の論が受け入れられるはずはなく、翌年4月「人形とオシラ神」では喜田を痛烈に批判している。

<心霊スポットとはどんな場所なのか>
・平田篤胤のような霊界肯定論者や、逆に怪異を全否定する現代の科学主義者は、いずれも現地探訪の必要性を感じないだろう。結論は肯定と否定で正反対だが、確かめるまでもないという点では両者の姿勢は共通している。
 しかし、心霊スポット探訪は鈴木桃野のような半信半疑の姿勢でなければ意味がない。

<地縛霊説の限界>
・心霊スポットは、日本全国にある。ひとしきり話題になって忘れ去られてしまう場所もあれば、幽霊や妖怪を神として祀る寺社ができて伝説を偲ぶ名所になっているところもある。
 従来、心霊スポットの条件は、通俗読み物を通して流布された「心霊学」的知識によって、地縛霊という観念で説明されてきた。すなわち非業の死を遂げた者の霊魂が、命を落としたその場所に思いをとどめている状態を地縛霊と呼び、地縛霊が憑いている場所が心霊スポットである、という説明である。
 ところが、広島市と長崎市には原爆によって非業の死を遂げた者が無数にいるわけだから、街中に心霊スポットが点在していてもおかしくはないのに、そうした話はあまり聞かない。一方で、沖縄の戦跡にはたくさんあるのだそうだ。地縛霊についての説明は、あたかも自然現象が起きる条件についての説明のようになされるが、地域差があるということは、非業の死イコール死亡現場への憑依という図式では語れないことは明白である。

<異界との境界>
・しかし、地縛霊という考え方が登場した事情についてはよく理解できる。本章では現代風に心霊スポットと呼んでいるが、聖地、霊地、または魔所と呼ばれてきたような、何やら俗世とは異なる雰囲気を漂わせ、奇跡や怪異が起きたと伝えられる場所は確かにある。
 そこで地縛霊説を超える心霊スポットの説明理論として注目されたのが、民俗学系妖怪学の境界説である。境界説とは何か、宮田登『都市空間の怪異』にその要約ともいえる文章があるので引いておこう。
 妖怪の出現にあたっては、その場所性というものが、強く影響していることはこれまでも指摘されてきた。具体的には、三辻とか四辻といった道が交差する地点あるいは橋のたもとであるとか、橋の中間部、坂の頂上とか、坂の中途などに独特な境界がある。それは私たちが無意識のうちに伝えている民間伝承の累積として定着している民俗空間の中に位置づけられている。
 ここでは交差点、橋、坂が例に挙げられているが、境界とはそれらだけに限定されるものではない。宮田の意図を忖度するなら、ある空間の内側から見たときの外部と内部を隔てると同時に連絡するような場所が、この世とあの世(異界)の接点と重ね写しされて意識されるときに、その場所が「境界」と理解すべきだろう。

 実際、世の中で知られている心霊スポットのほとんどに境界説が当てはまるのである。実話として伝えられる妖怪の現場を訪ねてみると、そこにはたいてい橋があったり坂があったり、または町外れだったりした。しかしながら、境界説の説明が十分であるなら、その逆も真なりで、その条件を満たしている場所には必ず怪異が起きるかというとそうでもない。この点については地理学者の内田忠賢の批判が既にある。

<●●インターネット情報から●●>
ウェブサイトの「黄昏怪奇譚」から引用
今回は、江戸中期、寛保三年(1743年)に刊行された『諸国里人談(しょこくりじんだん)』という書物から「天狗にさらわれた少年」の話を。

(『日本史怖くて不思議な出来事 中江克己著(PHP文庫)』要約)

江戸で「天狗小僧寅吉」とか、「仙童寅吉」と呼ばれる超能力少年が評判になった。寅吉というのは、文化三年(1806年)12月晦日、年も月も日も「寅」に生まれたため、名付けられたという。
 文化九年(1812年)四月、寅吉が七歳のときのことである。江戸上野の池之端(現・東京都台東区)、五条天神の境内で遊んでいたところ、奇妙な薬売りの老人が仕事を終えたのか、道端に並べていた薬を片付けるところだった。
 じっと見ていると、老人はすべてのものを小さな壺に入れ、みずからも壺のなかに姿を消して、いずこともなく飛び去っていった。

 寅吉は腰を抜かさんばかりに驚いた。しかし、好奇心が旺盛だったから、再び境内にきてみると、例の老人がいた。老人は寅吉に「わしと一緒に壺に入らぬか」と誘った。寅吉は好奇心に駆られ、老人と一緒に壺に入ると、常陸国(現・茨城県)の南台丈という山へ連れていかれた(この山は、いつの間にか岩間山→愛宕山と呼ばれ、獅子ガ鼻岩という岩が突き出ていることで知られてる)。
 こうして寅吉はたびたび老人に連れられ、各地へ飛行した。やがて常陸の岩間山へ飛び、その山中で諸武術、書道、祈祷術、医薬の製法、占術などを四年間にわたって修行した。
 その間、岩間山と家とを往復しながら、超能力を身につけていった。

 しかし、何度も家を留守にするので、世間では天狗にさらわれた少年ということになり、「天狗小僧寅吉」とか「仙童寅吉」と呼んだ。実際、失せ物を探し当てるなど、占術では異能を発揮したという。
 その後、寅吉は文政三年(1820年)から江戸下谷長者町(現・東京都台東区)の薬種問屋長崎屋に身を寄せ、暮らすようになった。それというのも主人の新兵衛が超能力に興味を抱いていたからである。
 新兵衛は自宅で、しばしば超能力会を開くようになったが、そこには幕府祐筆を務めた国学者屋代弘賢、その友人の国学者平田篤胤、農政学者佐藤信淵らが顔をそろえていた。彼らが感心を抱いたのは、超能力少年の寅吉だった。
 寅吉はまだ15歳の少年である。しかし、とくに寅吉の話を聞きたがったのは、平田篤胤だった。色々話を聞くうちに、いっそう「仙界」(仙人の住むとされる世界)への興味をつのらせた。
 やがて長崎屋での研究会だけでは飽きたらず、寅吉を自分の家に招き、寅吉が訪れたという「仙界」について質問を繰り返し、文政五年(1822年)平田篤胤は、『仙界異聞〜仙童寅吉物語』を発表したのである。

 その後、寅吉は二十代後半になると、仙人から授かった異能は消え失せ、平凡な人物になり、晩年は風呂屋の主人になったという。
寅吉が修行したとされる岩間山(愛宕山)〜今も天狗の修行場として知られている。
 天狗と接触し、神隠しにあったり、連れて行かれて修行をさせられたりと、色んな話が各地にはあるようで、この寅吉の話もそのうちの一つです。
 しかし、平田篤胤ら、この時代の著名人たちが興味を抱くだけのものがこの少年にあったということは注目に値すると思います。
 平田篤胤はこの寅吉から仙人界に住む者たちの衣食住や祭祀の仕方、彼らの修行、医療、呪術など詳しく質問を繰り返し、その内容を、『仙境異聞』(全2巻)という書物にまとめました。
この平田篤胤は他にも、『勝五郎再生記聞』という、臨死体験をして前世の記憶を取り戻したという少年の取材の話なども出版しています。

 この1850年代から1900年代初頭までの時代は、西洋でも心霊主義(スピリチュアリズム) が流行りました。しかし、それに先駆けて日本で死後の世界や不思議な話などを調査したり研究しようという流れが先駆けのように起きていることは大変興味深いなと思います。
 江戸時代の文献には面白い話が沢山あります。



『幸せの風が吹いてくる』
木村藤子    主婦と生活社  2013/8/2



<霊能の世界>
・拝殿で長年、いろんな方のお話を聞いて感じることは、「霊能の世界」「透視能力」という見えない世界に対して、多くの人が、誤解や誤った想像をしてしまっているということです。
 その原因は、他人にはあまり触れられない「家庭」という閉ざされた環境にあります。

・戦後の日本は、科学や経済の発展においては、実に目覚ましいものがありました。しかしその反面、スピリチュアルの研究、理解、発展は置き捨てられたがごとく、まだまだ足りない部分が多いのです。

・霊能や透視の世界というものは、普通は目にみえませんから、誤解がまかり通ってしまっていたのは当然といえば当然のことで、仕方がないことも多かったのでしょう。

・そして、私は透視能力者であってカウンセラーではありません。多くの時間をかけて相談者の悩みを聞く必要はないのです。

・透視能力というものは、お話を事細かに詳しく聞く必要がなく、
相談の要点のみお聞きすればよいということが、なかなか理解していただけないのです。

・この世は修行の場、善があれば悪がある。この世の修行として自分の「心の修行」をするとき、あなたのそばに必ず、「善」と「悪」が一緒に存在する。

・私たちが生きていかなければいけないこの人の世は、よいこと、よい人、よい出会いだけではなく、悪いこと、悪い人、悪い出会いも同時にあるのです。それゆえに、この世は修行の場となります。

<「運命」と「カルマ」の関係>
・みなさんが透視能力者と会ったとき、まず真っ先に知りたいと思うのは、ご自分の「運命」のことではないでしょうか。
 実際、私が相談者の方を迎え入れているこの拝殿の前で、「運命」という言葉を耳にしない日はありません。

・「人それぞれ、生まれながらに定められた運命がある」といえるのですが、この「運命」について語るうえで、どうしても欠かすことのできないものに、「カルマ」というものがあります。

・というのも、この「カルマ」は、悪いものだけではなく、よい「カルマ」と悪い「カルマ」の両方があるからです。
 ですから、ここでは「カルマ」の意味をもう少し具体的で、わかりやすい言葉で説明したいと思います。いわば「カルマ」の意味とは、「自分が行ったよい行いと悪い行い」そして、この「カルマ」がどう動くかを説明するなら、「カルマ(つまり、自分が行ったよい行い、悪い行い)にふさわしい出来事が未来において起こり、体験することになる」と、いえるわけです。

・要するに、私たちの運命を形作っているおおもとが、この「カルマ」にあるということなのです。「カルマ」が、現世で体験する出来事や出会う人物などを引き寄せているということです。

・つまり、その人が作った「カルマ」は、まるでピタッとハンコで押されたように、神の世界にしっかりと記録されるのです。
 たとえるなら、「カルマ」のすべて、つまり、よい行いと悪しき行いのすべてを記録する台帳のようなものがあり、それが神によって管理されているようなものです。
 たとえ、どんなに小さな「カルマ」であっても、その人の言動、思考(心の声)が、そのつど台帳に書き込まれていく、といえばわかりやすいでしょうか。

・いずれにせよ、早いか遅いかは別にして、あなたがしたことは、必ずあなたに還ってくる、ということだけは、揺るぎのない事実なのです。

<「カルマ」と「霊障」の違い>
・これまで説明してきた「カルマ」について、特に誤解が多いものに、「霊障」というものがあります。私のところに相談にいらっしゃる方の中にも勘違いをされている方が多く、いわく、「カルマと霊障の違いがわからない」とおっしゃるのですが、そんな誤解を耳にするたびに、私は神の部下として、正しい知識をみなさんに伝えていきたいと思っています。

・「霊障」というのは、みなさんが思っているほど頻繁に起こるものではありません。このことを踏まえ、何か予想外のことが起こったときには、まず“これは「カルマ」によって自らが引き寄せたものなのではないか”という考えを持ち、現実をしっかり見つめて、「カルマ」の清算に励んでいただきたいと思います。

<天から与えられたお役目>
・わかりやすく説明するなら、その人のカルマに合ったお役目として、仕事が与えられているのです。

・というのも、透視能力者として生きていくことは、私が望んだことではなく、神から授けられた使命であり、私のカルマが引き寄せたお役目だということに深く気づくまでには、それ相応の時間がかかったからなのです。

・その日、私は、神からご利益(=霊的な力)を授けていただけることを、あらかじめ母から伝えられていたので、「ご利益をいただいた暁には、どうぞ怠りませんように」と念じながら、拝殿に向かって神に祝詞をあげていました。
 すると、十分ほどたった頃でしょうか、突然、視界の右側のほうからスーッと女性が現れたのです。その女性は笏を持ち、おすべらかし(平安時代の貴族の女性の髪型)の長い髪を垂らし、深紅の十二単をまとっていました。平安時代の女性のような姿、といえばわかりやすいでしょうか。そのような姿恰好をした女性が歩いてくる姿が見えたのです。
 すると今度は、突然、女性の顔だけが、映画のワンシーンのようにクローズアップになって見えます。その女性はとても美しい顔立ちで、純粋なまなざしをしています。
「ああ、なんて美しいんだろう」と思っていると、その女性が私自身であることを神が教えてくれました。
「いやいや、私はこんなに美しくない」と心で否定するものの、まぎれもなく、その女性は私であるということがわかって、唖然としたのを覚えています。
 神は、私の持っている魂を見せてくれていたのでしょう。いわば、魂の世界にいる私の姿、といえるのかもしれません。

・そのようにして、いったい、いくつのふすまが開いたのでしょうか。やがて大広間に出ると、あまたの神々が両脇に控え、部屋のいちばん奥に、男性の神がいらっしゃったのです。

 その神は、私が来るのを心待ちにしてくれていたようでした。まことに畏れ多いことですが、十二単をまとった私は、神を見ても、ただただ懐かしいばかり、怖気づくようなこともなく、まるで、故郷の父親に会ったような気持ちでした。
 すると、その神は私に向かって、「この日を待っていたぞ。もっと近くに来るがよい」と、あたたかいお言葉をかけてくださったのです。その優しい声は、今でもしっかりと私の耳に残っています。そして、私にさまざまなご利益を授けてくださいました。

・神からいただいたご利益は、透視や除霊の際に必要な勾玉や古代の巻物、弓矢、大小の剣などですが、神はそれらの取り扱い方をひとつひとつ丁寧に説明してくださいました。

・このときに授かった弓矢や剣は、除霊をする際に身を守るためのものなのですが、これをいただいたおかげで、私はこれまで数多くの除霊をしてきましたが、霊障を受けたことは一度もありません。

<赤い糸のご縁>
・運命として決まっているものにさまざまなものがありますが、人と人とのご縁というのもそのひとつです。

 夫婦になる男女のことを、俗に「赤い糸で結ばれた運命の相手」などという言い方で表しますが、まさしく、特別なご縁があるからこそ、その一組の男女は出会い、夫婦になるといっていいでしょう。

・また、難病で生まれる子供の親になるために夫婦になるなど、カルマを共有しているご縁というものもあります。



『幸せの絆』
木村藤子   主婦と生活社 2013/6/27



<運命の出会いとは?>
・今になって考えてみると、神のいわれた通り、主人と結婚してよかったと思っています。寛大に、この大変な仕事をする私を見守ってくれています。本当にそのことには感謝しています。若いころに好きで別れた人もいますが、好きになった人だけが縁ではなかったのです。生活をしてみて、いかに協力し合えるか、理解し合えるか、それが大切なのです。
 運命の赤い糸は誰しもが持っているもの。1本ある人もいれば、2本ある人もいる。あせって結婚を急ぎすぎると、間違って黄色い糸を取ってしまう人もいるかもしれませんね。しかし、いくら赤い糸の相手でも、あまりワガママが過ぎると、せっかくの縁を破ってしまうことにもなりかねません。

<スピリチュアルは万能薬ではない>
・でも、そうではありません。多くの場合、不幸を招いているのは、その人自身。私は、その人のどこに問題があるか、そのヒント、気づきのヒントを伝えているだけなのです。そうした気づきをどう生かすか。生かすも殺すも、それもすべて、その人自身の問題です。自らのいたらなさを知って、謙虚に反省し、親や周囲の人から学ぶ。それによって、当たり前の品性や礼儀を身につければ、幸せはおのずと得られるものです。

<スピリチュアルは死ぬまで勉強するもの>
・汚れた生き方をしてしまった場合も、何十年もの歳月をかけて、ゆっくり、ゆっくり変えていくのです。その心なくして、スピリチュアルを学んでも同じことのくり返しです。

・そして、誤解が多いのは、スピリチュアルカウンセラーと透視を混同していること。スピリチュアルカウンセラーはとても大切な仕事ですし、大きな役割を持っています。しかし、一部にはスピリチュアルカウンセラーとは、透視や先祖霊を見ることだと思っている方もいます。それは大きな誤解で、透視ができる方は詳しい話は聞きません。聞くよりも前に、神から見えることをズバリといいます。あまりにもストレートに、ズバッといってしまうので、時には反感をいだかれることもありますが………。

・しかし、この私たちが暮らしている人間の世は、神が人間を修行の場として送り出してよこすところなのです。

・私の透視能力は、魔から人間を守るために授けられた力です。その道では、時には厳しい霊との戦いもあります。しかし、私は霊障を受けたことは一度もありません。霊障を受けるような人では除霊できないのです。

<「気づく」ことでカルマは変えられます。>
・私は当たる当たらないではなく、神から与えられたことを、神の部下として忠実に行動していかなければいけないと思うのです。
「神と私の約束と責任において………」
 そんな神との交流の仕事をする中で、たくさんの苦しみを抱えた方に出会ってきました。そして、何百回、何千回と必ずいってきたことがあります。
 それは「気づく」ことと、過去の自分の行いの中に今の状態を作り出してしまった原因はないか、「振り返ってみなさい」ということです。

・「神が、なぜ私に透視能力を与えたのか」
 私は長い年月その意味を心の中でずっと考えていました。私の母の場合は、透視能力、除霊力を神から授かりました。そして、私も同じように透視能力、除霊力を与えられました。

・幸せになっていただきたい。カルマを変えていただきたい。ただそれだけが私の願いです。



『新・気づく力』
木村藤子   主婦と生活社   2014/6/20



<気づき>
・私達はみな、一生懸命“良かれ”と努力して生きている。しかし、気づかなければいけないことに気づいたつもりが—―、“気づけないでいる自分――に”気づかなければいけない“ことさえ”気づけないで苦しんでいる。

・私が事あるごとにお伝えしてきました“気づき”というものは、不幸を生み出す根源である“自分を変える”ということです。
 自分が変わることで、新たに見えてくる世界があります。私たちが認識する世界はひとつだけではなく、自分自身が変わっていくことでいかようにも変容していきます。

・そうした自分の経験や、人々からのアドバイスを聞き入れて直すべきところは直していかなければ、自分の人生だけではなく、子どもの人生、孫の人生まで自分と似たようなものになります。なぜかというと、子どもというのは似たカルマの親のお腹に宿ります。つまり、似たような運命を背負っているので、自分の悪いカルマを解消していかなければ、自分では要領よく生きているつもりが、自分の人生、子どもの人生、孫の人生をも幸福にすることはできないのです。

・完璧にできなくても、善と悪が5対5のところを、努力をもって6対4に7対3にしていくことは十二分に可能なことで、そうすることで人生をまったく違うものに変えていくことができます。

<愛という言葉の意味とは>
・私は透視能力者として、神との会話の中で、それによる気づきをもたらすことをお役目としてきたわけですが、常に感じているのは、神はあらゆる人に分け隔てなく愛を注いでくださっているということです。

・逆に、心を清め、魂を磨けば(悪いカルマの解消)、愛が常にそこにあるということを理解でき、感じることができるようになっています。

<愛情の反対は何か>
・「愛情の反対は憎しみではなく、無関心」
 なぜ無関心なのでしょうか。
 憎しみとは、特定の相手に対し憎悪を募らせることです。宗教や人種差別といった思想的、盲目的な憎しみは別として、人を憎むにはそれ相応の「理由」があるはずです。

<駄目な人と思われ、人目に止まる人こそ我が師なり>
・「あの人はなんて愚かなんだろう!」と、心の中で人を見て笑っていてはいけない。そういう人からこそ学ぶべきことがたくさんあり、自分の師となります。そうした心を持たない限り、いつまでたっても気づきの道に入れないままでいてしまいます。

・時間を巻き戻して過去を変えることはできませんが、未来の選択はあなたの心次第で自由に進路を変更することができるのです。過去の失敗をバネにして、根気強く一歩一歩進んでいくのです。



『母であるあなたに気づいてほしいこと』
木村藤子  主婦と生活社    2014/9/12



<先祖の霊障>
・たとえば、私が、お悩みについて、「それはご先祖の障りではありませんよ」とお伝えすると、「もちろんです。先祖の障りだなんて、そんなばかなことはありません。私は、自分のどこを直せばいいのか、それを教えてもらいたくて来たんです」というようなことをおっしゃる方がとても増えてきたのです。これは、とても喜ばしい変化だと思っております。
 ご先祖様が霊障と勘違いされる方も以前は多く、このような誤解をなんとかして解きたい、これも私に課せられた役目であると思い定めておりました。

・そこで、すぐに霊障を疑ってしまうのは、古いジンクスや拝み屋とも称される霊能者の誤ったアドバイスなどに問題の根っこがあるということを、私は非難されるのを覚悟のうえで、これまでの拙著ではっきり申し上げてきたわけですが、それを多くの方々が理解してくださってのことと深く感謝しております。

・その方法というのは、悩みや不幸を招いている真の原因は自分の欠点や間違った考えにあると気づき、その誤りを直すことです。
 この「気づいて直す」ことについては、これまでにも書籍や講演などを通じて繰り返しお伝えしてまいりました。その積み重ねによって、「気づいて直す」ことの重要さについては、多くの方々に理解していただけている、という感触を少なからず得ております。

<結婚のご縁>
・また、結婚相手はカルマによる運命で決まっているのですが、本人が自分のカルマを知っているか否かは別として、悪縁の場合、それをかわすことができるか否かを聞きに来る方も多いように思います。
 そもそも夫婦とは、共有するカルマを生まれ持った魂レベルでの修業仲間とも言え、結婚後に様々な問題を生じるのは、それをふたりで乗り越えることで、共に魂を磨くため。そのために一緒になるわけです。

・また、結婚というのは俗に言う赤い糸でつながれたご縁とも言えるのですが、その相手は、ひとりだけの人もいれば、ふたり、3人と複数の人もいますし、中には様々な理由から、ひとりもいない方もいます。
 本人は赤い糸をつかむつもりでも、年齢を気にして焦ったり、理想が高すぎたり、相手の心を見ずに上辺の条件ばかりに目がいってしまうと、間違って黄色い糸の人を選んでしまうこともあるようです。
 ご縁というのは本当に不思議なもので、大恋愛をして交際を続け、あとは結婚式を待つばかり、といったふたりの関係が、結婚式を目前にして破談になってしまうようなことがありますが、これは結婚するご縁ではなかったということです。

<生涯独身という生き方>
・生涯、未婚のまま過ごすという人が、昨今は男女ともに増えてきているようですが、それも人生のひとつの形なのではないかと考えています。

・ただ、独身女性の場合は、ある程度の年齢になりますと、結婚していないことや子どもを産んでいないことに、どこか負い目を感じたり、これからのひとりの人生に不安を感じることもあるようです。

<嫁姑問題>
・女性が抱える普遍的な悩みのひとつに“嫁姑問題”があります。

 昔に比べるとお姑さんと同居するお嫁さんは減りましたが、同居しない場合でも、盆暮れや正月など、家族が一同に会する機会がありますので、そんな場での数少ない接触からも嫁姑のトラブルが起きたりすることもあります。

<離婚について>
・離婚の悩みで私のものを訪れる人は、本当にたくさんいらっしゃいます。

・つまり、離婚すること自体をお互いにひとつの修業として選び、今の人生で出会って結婚するカップルもいるわけです。

・いずれにせよ、結婚はゴールではなくスタート。カルマを共有するがための、まさに新たな出会い(お互いの家族も含めて)なのです。

・そして“和合すること”“協力すること”“感謝すること”“尊重し合うこと”を大切にしていってください。
 私がこのように言えるのは、毎日繰り返される相談の中、神様との会話から私自身も学ぶことができるためだと思います。

<兄弟姉妹との関係>
・同じ“共存し合うカルマ”を背負っているわけですから、それをも乗り越えるべき試練、避けられない修業ととらえて乗り越えていくことができれば、兄弟姉妹やその家族が強い絆で結ばれていくのですが、血のつながった近い関係である分、理解力や判断力が不足な場合、一度こじれてしまうと修復が難しくなってしまうことも往々にしてあります。

・過去、現在、未来を視野に入れて問題の原因を探り当て、兄弟姉妹の絆を切らずにつないでいっていただきたいと思います。

<親の介護>
・介護問題の深刻さは、介護される側もする側も、精神的にも体力的にも、大変な苦痛を伴うものと思います。

・介護のことを考えるときに忘れて欲しくないことは、“介護はされたくないと思いながらも、もしかしたら介護される側になり得る”ということです。

<老年期の心構え>
・心のお手入れをするには、まず、知識を得て学ぶことをおすすめしたいと思います。いろいろなジャンルの本を読んだり、映画を観たり、あまた、興味のある方の講演会に行かれるのもいいでしょう。

<素直な心を保つ>
・“素直な心を保つ”レッスンと聞いたとき、「そんなのは簡単だわ」と思う人が多いのではないかと思います。でも、これが意外と難しいのです。

<心を成熟させる>
・そして、人生そのものが修業の場ですから、60歳になったら、70歳、80歳になったら就業は終わり、ということはありません。死ぬまで修業は続くわけです。

・さらに言うなら、そもそも試練とは、その人を不幸に落とすために訪れるものではなく、その人が背負っているカルマ(前世を含めた過去の行いや言葉の過ち)に気づかせるためのもの、言い換えるなら、その人を幸せな方向へと導く幸福の種のようなものと言えるのです。



『奇跡を起こす 見えないものを見る力』
木村秋則  扶桑社    2011/9/30



<私たちが知っていることは、ほんのわずかでしかない。大切なことは目に見えない>
・そう気づけたのは、私がこれまで、「普段は見えないもの」と何度も出会ってきたからかもしれません。私が出会ってきたのは、龍、UFO、宇宙人など、人に話せば「何を言っているの?」と笑われるような存在です。

<3・11東日本大震災前>
・龍について話したり本に書いたりするようになり、全国にいる龍の研究者や研究会からさまざまな資料や情報をいただきます。それによると、龍は動物のような肉体を持つ存在ではなく、ガス体だと考える説もあるようです。強いエネルギーが凝縮して「気(ガス)」となり、そのエネルギーが象徴する「龍」という存在として、人間の目に映るというのです。
 もしそうであれば、17歳のときに見た龍が細い松に乗っても枝ひとつ揺れなかったことが納得できます。また、私や友人が見たように、龍が水蒸気の集まりである雲に姿を変えて現れることもあるのではないかと考えられます。

<津軽という土地が持つ力>
・津軽に住む人々の「心のふるさと」とも言えるのが、我が家の西に位置する岩木山、別名「津軽富士」です。

・また岩木山では、先祖の霊と交信する「仏おろし」や、神と交信する「神おろし」も古くから行われてきました。津軽で「カミサマ」と呼ばれている中年女性の霊能者を通して、肉親の霊と話したり、神からの言葉を聞いたりする風習です。青森には、全国的にも有名な「イタコ」と呼ばれる女性たちがいますが、イタコは、青森県東部の下北半島、特に恐山で活動しています。主に故人の霊を降ろすイタコとは違い、津軽の「カミサマ」は、故人の霊のほかに、神からのご神託を伝えるという役目を持っています。
 こういった伝統や信仰は、津軽人の心に深く根ざしています。その要とも言える岩木山には、「龍がすむ」という言い伝えがあるのです。

・境内の右手には、龍神様が祀られています。白地に紺で「白雲大龍神」と染め抜かれた幟に導かれて進むと、岩木山の湧き水でできたという池があり、そのなかに龍神様の祠が立っています。荘厳な拝殿とはまた違った趣のある、神秘的な空間です。

<畑に現れる不思議なものたち>
・しばしば自宅近くや畑の上空に訪れていたのが、UFOです。

 無農薬栽培を始めた前後から、時々見かけるようになったのですが、最初に発見したときは家族や隣の人も呼んできて、みんなで確認しました。ですから、私の勘違いではありません。初めは、UFOは月が回転しているように見えました。

<地元で話題になり、「岩木山上空にUFO出現」と新聞記事が出たほどです。>
・UFOが現れ始めた頃は、私も家族も興奮しました。しかし、もう数えきれないくらい見ていますから、今見ても驚くことはありません。

<そんな宇宙からの客人が、私の畑に降り立ったことが2度あります。>
・2度とも彼らは2人組でした。身長は130センチほど、目が異様に大きく光っていたことを憶えています。
 初めて見たとき、彼らはリンゴの木の間をものすごいスピ―ドでビュンビュン動き回っていました。
「何だ!?」と思って目を凝らすと、人のような形をしています。でも、もし人だとすれば、横に貼り出したリンゴの枝にぶつかるはずです。ふたつの物体はぶつかりもせず、右へ左へ素早く動いています。
 走っているのではありません。わずかに浮いていて、横にササッと移動しています。体全体がクロ−ムメッキされた車体のように鈍く光っています。「これは、人間ではないな」と直感的に思いました。動くこともできず、見守っているうちに、しばらくして2人は消えました。どんな目的があったのでしょうか。UFOには慣れていた私も、さすがにこのときは驚きました。

<UFOに乗せられて>
・龍を見たと言うだけでも随分驚かれますが、宇宙人に拉致されてUFOに乗ったというと、ほとんどの人が信じられないという顔をします。私自身、もし自分が体験していなかったら、人から同じ話を聞いても「夢でも見たんじゃないか」と思うでしょう。

・ベンチから左右を見渡すと、どこに壁があるかわからないくらい空間が広がっています。この建物のなかには、いったい何百人が住んでいるのだろうと、私はそう思いました。
 やがて、他の2人が次々に連れていかれました。ひとりになった私は手持ちぶさたになり、ベンチに立って窓の外を見てみました。夜なのか全体は暗くて見えません。しかし、明かりが横に数列並んでいるのが見えます。ビルが横に倒れたような建物です。地球の建物ではないようです。ホテルか何かだろうかと思っていると、宇宙人がやってきたのであわててベンチから降りました。

<子どもの背丈ほどの彼ら>
・そのときもやってきたのは、2人です。子どもの背丈ほどの彼らが大人の私を両脇から抱えるのですが、力が強いのでされるがままになるしかありません。私が立つと、彼らは私の腕を抱えて宙を浮くかたちになります。私は歩き、両脇の2人は床から浮いた状態で移動しました。
 途中にいくつかの部屋がありましたが扉はなく、のぞいてみると先ほどの2人がそれぞれ別の部屋で裸にされ、台の上に寝かされていました。ベルトで固定されていて、まわりをかなりの数の宇宙人が取り囲んでいます。
 みんな目だけが異様に大きく黒っぽい体で、男女の差も顔つきの違いもわかりません。彼らは手術に立ち合う医師のように台のまわりを囲み、目でスキャンするようにじっと横になった2人を見ていました。

・彼らは、もうひとつ興味深いことを話してくれました。「我々は、子どもでも250の元素を使うことができる」と言うのです。地球人が知っているのは120ほどで、実際に使っているのは20〜30にすぎないとも言いました。あとで調べてみると、確かに地球上で認識されているのは118。使われているのは20〜30種類だそうです。
 250もの元素を使って、いったいどんなものを作っているのでしょう。いずれにしても、彼らが桁外れの頭脳を持った生き物だということが言えるのではないでしょうか。

・不思議だったのは、彼らが壁やテーブルなどに触るとすべて透明になったことです。たとえば、壁を触るとガラス張りのようになり、向こう側が透けて見えるのです。触らなければ、ただの金属のように見えます。私が触っても変化は起きません。そのことひとつとっても、彼らの科学や技術は、かなり進んでいると私は思ったのでした。

<老人が見せた地球のカレンダー>
・心の大切さを教えてくれたひとつの出来事があります。といっても、体験と呼ぶにはあまりにも突飛なので、「ある幻想を見た」と言ったほうが正確かもしれません。
 まだリンゴが実らず苦労していた頃のことです。
 私は、ある部屋でひとりの老人と出会いました。肩から白い衣をまとってあごひげを生やしています。古代ギリシャの哲学者ソクラテスのような風貌です。石の椅子に座ったその老人は、私に手伝ってほしいことがあると言いました。

・「これは何ですか?」と私が尋ねると、老人は、このパネルは地球のカレンダーで、1年が1枚分だと答えました。見ると、その数は多くありません。「これ以上はないのですか?」と私は尋ねました。老人は、「ありません」ときっぱり言いました。
 私は困惑しました。その枚数で言うと、カレンダーの終わりは、マヤの暦で地球が滅亡すると言われている2012年よりは多かったのですが、2桁しかなかったからです。
 枚数は今もはっきり憶えています。決して口外してはならないと老人に言われたので、誰にも教えることはできません。老人との約束を守って、私はそのときに見た枚数を妻にさえ話していないのですから。

<自分がリンゴだったら、野菜だったらと考えてみる>
・自然栽培には、マニュアルがありません。作物の特性を生かして、それぞれに合う土壌作りをするのが自然栽培の基本です。そのためには、作物を見て土を見て天候を見て、その場その場で自分自身が判断していくしかありません。
 自然栽培は、畑に何も手を加えない「自然農法」とよく勘違いされます。
 自然農法は福岡正信さんが唱えた農法で、私がリンゴの無農薬栽培を思い立つきっかけとなりました。この農法は、耕さない、肥料や農薬を与えない、除草しないなど自然のままの状態で作物を育てます。
 しかし、私が実践する自然栽培は、ただ何もせず放っておくだけではありません。畑の様子を見極め、ときには草刈りをしたり、剪定をしたりして、作物が一番気持ちいい状態に調整していきます。リンゴを実らせようと試行錯誤するなかで、自然のままに放置するのではなく、「自然を生かす工夫」をすることが大切だと気づいたのです。
 また、自然栽培は、「有機農法」とも違います。

・いろいろな意見があるので、これはあくまでも私個人の考え方ですが、有機栽培は化学肥料の代わりに有機肥料(堆肥)を与え、無農薬で栽培する栽培法です。しかし、有機JAS法では、石灰ボルドー液と呼ばれる農薬など、昔から使われている農薬の使用を認めているので、完全な無農薬とは言えません。
 一方、自然栽培は農薬代わりに食酢を使うだけです。食酢は法律上、特殊農薬として指定されているので、厳密には、無農薬とは言えないかもしれませんが安全です。

<人はヤドカリと同じ>
・こんなふうに思うようになったのは、「あの世」に行く体験をしたからかもしれません。重いインフルエンザにかかり、高熱を出して家でひとり寝込んでいたときのことでした。
 思っていたよりも重症化していたようです。意識がもうろうとして、眠ったとも気を失ったともわからない状態になりました。ふと目を覚ますと大きなシャボン玉のようなものが降ってきて、私は自然とそのなかに入っていきました。
 フワフワと浮くシャボン玉のなかで、ふと下を見ると、知らない誰かが横たわっています。
 私自身なのですが、それが自分だという感覚はありません。上へ上へと昇っていくシャボン玉に身を委ねながら、自分は死んであの世へ行くのだなと思いました。

<シャボン玉に入って昇っていく女性が2人>
・外を見ると、私と同じようにシャボン玉に入って昇っていく女性が2人見えました。この人たちもあの世へ行くのだと漫然と思っていました。
 気がつくと、シャボン玉から出て、私は暗闇の中にひとり立っていました。怖いとも悲しいとも思いません。ただ、いつもの自分ではないような、普段とは変わった感覚がありました。何かに誘われるように、私は歩き始めました。
 どこへ向かっているのかわかりません。でも、目指す方角は知っているような気がしました。砂の上を歩いているような歩きにくい道を、ひたすら進んでいきました。

・ふと「死んだじさま(じいちゃん)とばさま(ばあちゃん)は、どうしているのだろう」と思った瞬間です。目の前に2人が現れました。
 「じさま!ばさま! わぁ(俺)だよ。秋則だよ」
生きているときそのままの姿で現れた2人に、呼びかけました。
返ってきた言葉は、「なぁ(お前は)誰だ」でした。
悲しくなって、自分の名前を繰り返し告げました。でも、2人は困惑して不機嫌な顔のまま立っているだけです。そのうち2人は、現れたときと同じようにパッと消えていなくなりました。
 よく。「あの世で会おう」「あの世で待っているから」と言います。でも、「あの世」では、生きているときの感情はないのだなと、そのとき思いました。

<私以外はみんな同じ白い服を着て>
・2人が消えたあと、しばらく歩いていると少し明るい場所に着き、山や建物が見えてきました。そこで、案内人のような2人連れが現れました。その2人に促され、大きな建物の前に行くと、平屋建ての家がたくさんあり、その家に出入りを繰り返している人や、行列して山へ向かう人たちの姿が見えました。私以外はみんな同じ白い服を着て、性別もはっきりせず、似たような姿形、年齢でした。生まれ変わるために、人が川を下っていく様子も案内人が見せてくれました。
 そのうち、地響きのような大きな音が聞こえてきました。それは、何度も鳴り響きます。よく聞くと、自分の名前のようです。

・「誰かに呼ばれている。どうすればいいのだろう」と思った瞬間、私はまた大きなシャボン玉のなかに入っていました。
 気がつくと私はシャボン玉に入ったまま、自分の家の天井あたりで部屋を見下ろしていました。布団のなかに寝ているのは私ですが、そのときもそれが自分自身だとはわかりません。妻でさえも誰だかわかりません。

・魂が自分の肉体に戻るとき、どんなふうに戻るのかおわかりでしょうか?
 よく漫画などで魂が煙になって口や鼻から入る場面がありますが、実際には違っていました。寝ているときと同じ姿勢を取り、上から重なるようにして戻ります。そのようにして自分の体に戻り、一番先に見えたのが、妻の顔とヘルメットを被った救急隊員の顔でした。
 「この世」に戻って、私は思いました。肉体を抜け出し魂だけになった世界と、今の自分という肉体を借りて住んでいる世界とでは、まったく考え方が違うのだなと。「自分」はなく、何も感じない世界。家族同士の愛や絆もない世界。私が見た「あの世」は、そんな世界でした。それは、今でも鮮明な感覚として残っています。
 そこには、天国も地獄もありませんでした。「あの世」へ行ってみて、生きている「今」が、天国であり地獄だと感じます。

<小さな改革から大きなうねりへ>
・ソクラテス似の老人が教えてくれたカレンダー。その枚数は誰にも言わないと誓いました。しかし、その枚数が終わる日、地球が滅びるとか、大災害が起きるとは思いません。その日に始まるのは、心の革命、意識革命ではないかと考えています。

<●●インターネット情報から●●>

<岩木山>
<光り物、雲>
■ 1571年1月21日夜、光り物が岩木山から出て、東の方へ飛び移った。雷のごとき大音がした。22日夜と23日夜も同じだった。
■ 1605年2月20日午後8時頃、岩木山の南の肩から大きな光り物が出て、空中に輝いたが、まもなく北の方へ飛んで、赤倉の沢へ入った。
このとき、周辺が昼のごとく明るくなって、草木の色まで見分けられ、
堀越城や近辺の村々からも見えた。

■ 1613年9月18日朝、光り物が西から東へ飛び、鳴り渡った。
■ 1624年4月29日夜、光り物が西から東へ飛んだ。
■ 1685年2月23日午後9時頃、雷のような音とともに、光り物が西から東へ飛んだ。3月1日まで毎夜続き、人々は安堵できなかった。
■ 1730年6月23日夜、西の方から東のかたへ光り物が飛んだ。
その形は雁のようで、色は白銀によく似ていた。

■ 1764年10月16日朝6時すぎ、西の方から南の方へ光り物が飛んだ。大きさは約2メートルほど。流星のごとく発して南の空へ入り、その後白い雲になった。
■ 1770年6月14日午後4時頃、岩木山の上空に、甲冑を着た人形のような雲が立った。また2日前の昼頃には、山頂の上に船に乗ったような人形の雲が見えた。
■ 1772年3月19日夜8時過ぎ、光り物が西から東へ飛び、花火を散らしたように御城西坂上の松林に落ちた。形は丸く火の色で、尾はカブの実の色のようだった。
■ 1787年2月2日夜、岩木山から光り物が2つ飛び出した。
大きな爆音がして、百沢付近に住む人々は家を捨てて戸外へ逃げ出した。



『輪廻転生を信じると人生が変わる』
山川絋矢   ダイヤモンド社   2009/9/11



<実はすべてが計画されている>
・こちら側では、多くの精霊や天使たちが一生懸命活動して、人々に覚醒をうながしています。

・私たちの導きによって、すべてがとり行われているのです。
・世の中の動きは、実はすべてが計画されているのです。

<自分に起こることは、全部自分が引き起こしているのです>
<私たちの生は壮大な宇宙の計画の一環>
・あなたの人生のシナリオにそう書いてある。
・そこから何かを学ぼうとして、魂が事を引き寄せている。

・本当の「引き寄せの法則」は、エゴやお金や物を引き寄せるという技術ではありません。「自分のところに来たものは、すべて自分が引き寄せた」と知ることです。シンプルな宇宙の秘密。

・本当の自分は自分の運命を知っている人です。
・本気で思ったことは実現する。

<人生に間違いは一つもない>
・あなたは、自分のすべきことを今この瞬間もしている。

・人はみんな、いつの時点でも、その時にしなければならないことをしています。

・あなたがそこにいるだけで、あなたの人生に起こって来ることが変わる。
・「引き寄せの法則」が意図することなく、自動的に働き始めます。宇宙が応援してくれます。

・「幸せであることを日々、感謝するだけ」なのです。あなたは、特に意図しなくても回りの人を自然に変えていきます。



『新 天使クラブへようこそ、天国はここにあり』
山川紘矢    ダイヤモンド社   2010/6/18



<私たちが体験できる最も美しいものーぼくが「天界」に行ったときのこと>
・さて、いよいよ夢の中で、ぼくが天界に行ったときのことをお話ししましょう。

・トイレの壁をぼんやりと見ていたのですが、そのトイレの壁がスーッと動いてゆくではありませんか!「あれって」と思っているうちに、ぼくの体をトイレからスーッと、どこかへ運ばれていったのです。
―そこはもう、広々とした別世界でした。全体が明るい水色の世界で、白いギリシャ風の柱が立っている大広間みたいなところに着きました。
 そして何人もの白いローブのようなものをまとった人たちが三々五々、楽しそうに談笑しているのです。中には竪琴を持った人もいて、天界のようでした。

・ぼくはズボンをおろしたままの姿ですから、すっかりあわててしまい、ひざを少しまげて前を隠していました。
そこにいる人たちは、おしり丸出しのぼくを見て、みんなして楽しそうに大笑いをしているのです。声は聞こえませんでした。テレパシーの世界のようでした。
 ぼくははずかしくて、やっとズボンをたくしあげたのです。ざわめきが一段落すると、向こうのほうから、とても威厳に満ちたレオナルド・ダ・ヴィンチのような素晴らしい風貌の男性が現れました。ぼくに会いに来たようです。
 彼はぼくの顔をじっと見つめました。その目は、慈愛に満ちているという表現がぴったりです。しかし、なぜかぼくに同情するような顔つきでした。
 ほんの何十秒間のことだった気がします。ふと気がつくと、ぼくはベッドの上に座っていました。トイレに入っていたのも、現実のことではなかったのです。

・あのレオナルド・ダ・ヴィンチのような方は、誰だったのか、あれはいったい、何の体験だったのかー。今でも忘れることができません。

・それから、ぼくはひどい病気を3年間やりました。先ほども書きましたが、ゼンソクです。そのために、とうとう公務員を辞めなくてはならなかったほどでした。発作が起こると動けなくなるのです。いつもベッドの上でうめいていました。


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■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■

・「山人」は西洋で言えば「天使」「堕天使」クラスの宇宙人ということでしょうか。天狗少年こと「寅吉」もオリオン星人とコンタクトして、幽体でアストラル界に出入りし、宇宙旅行もしたのかもしれません。「山人」「異人」「天狗」は、オリオン星人系列の異星人だったと指摘されています。一説では「仏教における天使は童子(どうじ)に当たります。不動明王にしたがう(こんがら童子やせいたか童子)が有名ですが 三十六の童子がいます」という説もあります。天狗もオリオン星人だったようです。
天狗と言えば、高い鼻と赤い顔の天狗面が常識化していますが、普通の「人間タイプの宇宙人」もいたようです。天狗もゲイ(LGBT等)であったといわれます。「天使」の実態はよくわかりませんが、「天使のセックスの形態にゲイ(LGBT等)がある」のかもしれません。天使やゲイ(LGBT等)の実相についてもほとんど分かっていないといわれます。ゲイ(LGBT等)は、現代の医学や精神病理学、心理学でも少しは分析されているのかもしれません。天狗は、アストラル界や「幽界」に似た世界に住むオリオン星人だったようです。一般社会に同化した「天狗」の民話も、探せばあるようです。鬼も異類混血などで、「人間化」していったようです。八瀬童子のように「人間化した末裔」も存在するようです。
荒唐無稽で私たち一般人にはにわかに信じ難い話のようです。荒唐無稽、奇妙奇天烈、支離滅裂、眉唾物で疑念がわきます。当時の天狗小僧の寅吉を「インチキ」扱いする人も多かったようです。

・「はるかに進化した宇宙人が人間の精神体に侵入してくる時代だ」そうです。人間の肉体や精神に自由に憑依したり離れたりする宇宙人は、誰も識別できないといわれます。「あのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」そうです。 「グレイ」は人間の無意識の中に入ってくるといわれます。「宇宙人は幽体として存在する」といわれます。「宇宙人と普通の人間を区別できなくなっている」時代だそうです。「天使」についてもウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)で分かりますが、現在の西洋の「神学」では、「異星人としての天使」の実態については詳しくは分からないようです。
「天使は神の秘密諜報員である」といわれます。天使のセックスについてはよくわかりませんが、同性愛もあるのかもしれません。とにかく天使の数は非常に多いといわれます。天使や大天使の実態も誰もよく理解できないようです?

・インタ―ネット情報(ウェッブサイト;「人類創成から始まる:善と悪の闘い」によると、「仏教ではミカエルは大黒天であり、持国天であるといわれます。ガブリエルが恵比寿と増長天、ファヌエルが毘沙門天で多聞天、サリエルが弁財天、ラグエルが福禄寿、ラファエルが寿老人で広目天、ウリエルが布袋(弥勒の化身)とされています。そうすると「ミカエルである大黒天や持国天」を日本人は、それとは知らずに参拝、崇拝していることになります」とのこと。

・また、「薬師如来は治癒の神様で、多くの奇跡を行われたイエス様です。また、観音菩薩は、母マリヤ様です」といわれました。すると金毘羅は竜神、海神となります。「ヤハウェ=エル・ランティ様が大日如来、ミカエル様が大黒天だ」といわれます。「4人の大天使の方々は、帝釈天に仕えて、四方を守る神を四天王だと推測する」といわれます。

・「夜なる国」というのは、よくわかりませんが、地下王国のアガルタ・ネットワークのことでしょうか?手の指が6本の異星人もいるといわれます。
「アガルタ・ネットワークは地下にある120の光の都市で構成されていて、そのほとんどをハイパーボーリア人が占めています」とも伝えられています。アガルタでは霊的な存在と化した“梵天王(ぼんてんおう)”が最高の指導者として君臨し、シナーキーという理想的な体制を敷いているそうです。またイザナミのいた黄泉の国は地底世界でアガルタ(シャンバラ)であるといわれます。

・人間の肉体や精神に憑依したり物質化する堕天使の生態は分かりません。堕天使が地球の女を狙って降りてくるといわれます。堕天使の性的な能力は異常に高いともいわれます。女を「人さらい」していた「異人」はオリオン星人の「堕天使」だったのかもしれません?堕天使が太古から売春やスパイ、麻薬と関係していたといわれます。現代における「堕天使」「悪魔」の活動も私たち一般人は、分かりません。「堕天使にマインドコントロールされている人間も少なくない」という説もあります。堕天使の世界では「great deceiver」が崇拝されているといわれます。「大天使を崇拝すべきではない」と語られています。神と悪魔の理論的、実際的な混乱は、情報操作により歴史上、随所に見られるといわれます。大天使が大組織や都市等を統括しているといわれます。宇宙人情報を公開すると主権が危うくなるともいわれます。政府の中に政府があってアメリカ大統領といえどもコントロールできないといわれます。フリーメーソンと金星人の繋がりが窺われますが、フリーメーソンの主神は堕天使ルシファーといわれます。フリーメーソン結社はこの大地が創出されるよりずっと前から、さまざまな太陽系をめぐって、存在していたのであるといわれます。

・「建築家・職人の擁護者であるメンフィスのプタハは、最も重要な神の一人に数えられる。彼に冠せられた「宇宙の建築家」という称号は明らかにフリーメーソンとの関連を示している。プタハは太陽系の外からやって来て、トトの指示に従って世界、太陽、惑星、すべての生き物を造ったとされる。となると当然、彼はオシリス一家よりも古い神々のカテゴリーに属することになる」と指摘されています。UFOはフリーメーソンの創作といわれます。「神は最初のフリーメーソンだ」そうです。「日本の知識人が欧米人を理解できないのはフリーメーソンを知らないからだ」そうです。
超太古のフリーメーソンと現代のフリーメーソンは、系列が違うと指摘されています。

・「仙界に出入りしたという紀州のモグリ医者島田幸庵の報告によれば、仙人界と天狗界は同じ系列の特別世界で、その階級は仙人界のほうは神仙、山人(やまびと)、異人(霊人)、山霊(やまのかみ)、山精(こだま)、木精(すだま)、鬼仙(おに)、山鬼(たかがみ)、境鳥(たかとり)、麒麟(ましか)、鳳凰(ながなきどり)、霊亀(おうかめ)と順次し、狗賓(くひん)のほうは大天狗、小天狗、木葉天狗、魔天狗、邪鬼の順であるが、両界通じていえば、大天狗は仙界で山人の階級に相当するという(−『幸庵仙界物語』)」と指摘されています。オリオン人は、地球と直接的なつながりを持つといわれます。古代の伝説に登場する『蛇人』というのは、オリオン人の霊魂が地球に投影されたものと思われるそうです。「オリオン人は宇宙連合に属していない。彼らは、彼らだけの連合を作っている」ともいわれます。オリオンETグループが異次元のモンスター・タイプの生物を創り、人間と異種交配・混淆させ「人間化」させようとしたのかもしれません。「一万年以上前のベテルギウス(オリオン座の恒星)星人の容姿は現在の「エンジェル」とほぼ同じであったらしい」といわれます。奇妙なことに、オリオン人はかっては琴座からの移民である人間らしい存在だったが、その後レプティリアンに征服されてしまったといわれます。「シリウス人はオリオン人と交戦していた。この敵対関係は今でも続いている」と指摘されています。「オリオン大戦」やスター・ウォーズの原因や結果も詳しくは分からないそうです。「オリオン星人は非常に階級意識の強い宇宙人だ」と指摘されています。オリオン星人は、エジプト文明など地球に文明をもたらした異星人だとしても知られているそうです。「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか」(旧約聖書、ヨブ記38章31節)という謎の文句があるようです。

・牛若丸と鞍馬山の天狗の伝承のように、源氏はオリオン 星人との繋がりがあったようです。平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔といわれます。オリオン星人と「源氏の末裔」がコンタクトしていたのかもしれません。源義経の伝説は、いろいろとあるようです。「不死伝説」、「義経北方(北行)伝説」、「義経=ジンギスカン説」等です。荒唐無稽なフィクションの伝説として、「源義経=チンギス・カン説は学術的には完全に否定された説である」といわれます。
しかしながら、鞍馬山の天狗がオリオン星人で不死のテクノロジーを持つ異星人であったとすれば、源義経の「不死説」も現実味がでてくる可能性があるといわれます。今様で言えば、源義経は、オリオン星人とのコンタクティかチャネラーであったのかもしれません。天使クラスのようなオリオン星人は「転生」も自由に操作できるようです。

・オリオン座は「神の故郷」ともいわれますが、『闇の勢力』も経由地にしているようです。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。太古、神人はスバル、北極星、オリオンからやってきたそうです。米国では、エルダーとよばれる天使のような人間タイプのオリオン星人が小柄なグレイと共に飛来したそうです。

・源義経の話は、様々なバリエーションの「フィクション」の話になっているようです。ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より引用。
(義経の話)
御曹子島渡(おんぞうししまわたり)は作者不詳の室町時代の御伽草子。
室町時代の御伽草子。作者、成立年不詳。藤原秀衡より、北の国の都に「かねひら大王」が住み、「大日の法」と称する兵法書があることを聞いた、頼朝挙兵以前の青年時代の御曹子義経は、蝦夷(えぞ)の千島喜見城に鬼の大王に会う事を決意する。四国土佐の湊から船出して喜見城の内裏へ向かう。途中、「馬人」(うまびと)の住む「王せん島」、裸の者ばかりの「裸島」、女ばかりが住む「女護(にようご)の島」、背丈が扇ほどの者が住む「小さ子の島」などを経めぐった後、「蝦夷が島」(北海道)に至り、内裏に赴いて大王に会う。 そこへ行くまでに様々な怪異体験をするが最後には大王の娘と結婚し、兵法書を書き写し手にいれるが天女(大王の娘)は死んでしまう。

・「馬人」(うまびと)の住む「王せん島」は、馬頭のイアルガ星人の異星を連想させます。背丈が扇ほどの者が住む「小さ子の島」は、コロポックルのような小型の異星人の住む異星を妄想します。女ばかりが住む「女護(にようご)の島」というのは、昔の話にいくらか出てくるようですが、雌雄同体の異星人もいるくらいですから、どうなのでしょうか?アマゾネスのイメージです?昔の異人が誘拐した女性は、どうなったのでしょうか?すべて、荒唐無稽なフィクションのようですが。「馬人」の国というのは『ガリバー旅行記』を連想させます。

・寅吉という少年が、翁の姿をした天狗に誘われて、異界で修業した話は、江戸時代の平田篤胤の『仙境異聞』に記録され、後世に伝えられました。神隠しに遭った人間がこの世に戻ってきた珍しい話です。当時の人々は、天狗の存在は知っていましたが、その詳細は誰にも分からなかったようです。寅吉は江戸時代のコンタクティといえるでしょう。現代のコンタクティもその後の話がフォローされていない場合が多いようです。フランスのクロード・ボリロン・ラエルのように、リラ星人に不死の惑星に連れていってもらって、ラエリアン・ムーブメントの運動を起こしたりしています。新興宗教のカルトのようにコンタクティもカルトを作り、様々な運動をするようになります。多くの宗教活動のようにカルトにはトラブルがつきもののようです。

・200年前の寅吉の言葉と、平田篤胤の知識で、どの程度異界が正確に描写できているのかわかりません。しかし、『仙境異聞』は、インターネットで検索すると見ることができます。

・200年前の言葉は解釈には難しいようです。例えば次のようです。
 問ふて云はく、「唐土に居る仙人といふ物は、此方へも来ること有りや。そちは見たること無きか」
寅吉云はく、「 我が師など、唐へも何処の国々へも行くこと有れば、唐土の仙人の、此の国へ来ることも有るべし。何処の国か知らねども、師に伴はれて、大空を翔(かけ)りし時、いさゝか下の空を、頭に手巾か何か、たゝみて載せたる様にしたる老人の、鶴に駕(の)りて、歌を吟じて通れるを見たり。其の歌は符字のごとき物なり。これ仙人なりしとぞ。此の外には見たることなし」
 高次元の異星人の進化の程度は、現代の人間にとっては想像を絶する程度のようです。エーテル界の世界は、ある意味で荒唐無稽な「マンガ」のような世界なのかもしれません。当時から悪魔のような異星人が一般社会に同化して、人間を観察していたのかもしれません。全宇宙を創造したり、太陽系を創造したり、また人間を創造したり、そして人間の死後の世界を創った神か神に近い異星人は、私たち一般人には、理解不能です。

・「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」といわれます。鞍馬山は牛若丸(後の源義経)と天狗の話で有名ですが、天狗は異類異形のオリオン星人だったようです。「寅吉が訪れたのは、常陸国の加波山と吾国山に挟まれた難台丈という行場である。翁は、岩間山の神仙で杉山僧正といい、13の眷属をたばねる天狗の首領だった。この眷属は、人の形をした者はただ一人で、ほかは獣のような姿だ」ということで、羽のある烏天狗はオリオン星人のドラコ人だったようです。普通の人間タイプの天狗、「山人」もいたようです。当時は、ひとまとめにして「天狗」と呼ばれていたようです。

・「遠野郷の民家の子女にして、“異人”にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。-遠野物語第三十一話」という伝承の“異人”はオリオン星人だったようです。「神仙界はどこにでもある山間の村落のような趣である。だが、ひとつ大きな違いがある。この異界には女性がいないのだ。詳細を伝えることはできないが、寅吉によればそれには深淵な意味が隠されているという」ということですが、さらわれた者たちはどこにいったのでしょうか。“異界”も多種多様に存在するようです。

・宇宙人は異類異形の動物タイプが3割程いるといわれます。宇宙母船には多肢のバイオロボットも存在するそうです。人間タイプの「山人」もオリオン星人だったようです。オリオン星人がアストラル界やエーテル界という“異界”とこの世を往還していたようです。天狗達の現象は、現代の宇宙人現象と似ています。天狗は一部が人間化しているのでしょうか。人間も死後には肉体を離れて幽体や霊体となり、幽界や霊界で天使のような異星人、シリウス星人と出会うそうです。見えない幽界や霊界は、異星人が棲むアストラル界やエーテル界と似ているそうです。「シリウス人は、別の非物質的存在の集団であるオハル評議会の創造物である」ともいわれます。

・「ゼータ・レチクル星人のグレイと、オリオン座のリゲル人の長身のグレイ、オリオン座の有翼のドラコ族、恐竜から進化した地球のレプトイド(恐竜人)」がエリア51等のアメリカの秘密基地で活動しているともいわれます。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズグレイというオリオン星人といわれています。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。オリオン座は「神の故郷」ともいわれますが、『闇の勢力』も経由地にしているようです。現代においてもビッグフットやサスカッチのような「獣人」を「空飛ぶ円盤」からオリオンETグループが降ろしているといわれています。

・「“透明人”とシリウスA星人が創造し、りゅう座(ドラコ)に配置した爬虫類人」がとてつもなく進化して、アヌンナキとして神の領域に近づいているそうです。「竜座人(ドラコ)が遥かに進化しており、このレプティリアン型生物の交雑種がイルミナティである。交配人種であるイルミナティが地球を管理している」ともいわれます。「イルミナティ・エージェントが第三次世界大戦を引き起こす」という不気味な予言もあるようです。

・河童も異人の遺伝子操作か異類混血により、人間化していったようです。河童にはUMA(未確認動物)のタイプと人間と交流できるように進化したタイプといろいろとあるようです。図絵を見ても、動物から、遺伝子操作等の異類混血で、人間化している傾向が窺われます。河童もグレイと同じようなバイオ・ロボットの一種のようです。純粋に動物タイプの河童もいたのかもしれませんが? 河童を創造したのは、「異人」なのかもしれません。異人はオリオン星人だったのかもしれません。ルシファーもグレイ(ゼータ星人)を作り神に反抗したとも言われているそうです。密教の本尊の大日如来といわれる盧遮那仏(るしゃなぶつ)は、ルシファーだと言う説もあるといわれます。堕天使ルシファーもオリオンからやって来たそうです。平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔と指摘されています。グレイと人間の交雑種が「エササニ人」といわれます。エササニはオリオンの方向にあります。「時空間を超えてこの地球にやってきて、人類をアブダクション(誘拐)し、受精して、子孫を作りました。それがエササニ人のバシャールです」と語られています。クラリオン星人のコンタクティ、イタリア人のマオリッツオ・カヴァーロによると、「日本の河童はグレイの一種で、現在も海底基地にいる」と述べています。河童も異次元移動ができたようなのです。グレイの進化した異星人は、ゼータ・レチクル星人といわれます。妖怪といわれる現象は、宇宙人の交配実験が関与した現象なのかもしれません。「現代的な解釈ですと堕天使ルシファーとかリラ星人のサタン(悪魔)という言葉は、遺伝子科学者の研究集団の名前だ」と指摘されています。

・「あのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」そうです。グレイには、「ビーガン。シリウスA人の遺伝子から作られたグレイ」、「ゼータ・レティクリ1。地球人監視のためリゲル人が作ったグレイ」、「ゼータ・レティクリ2。遺伝子操作で作られたグレイ。爬虫類人に奉仕」等の種類があるといわれます。宇宙人には動物タイプは3割ほど存在するともいわれます。エリア51で白鳥座61番星の異星人とコンタクトしていた日本人科学者もいたといわれます。「その彼らは地球から68光年離れた惑星クイントニアに住む宇宙人で母星から「エリア51」まで45分で移動できる」といわれます。超太古にシリウス星人が遺伝子操作等でモンスター・タイプの生物を創り神に嫌われたといわれます。しかし、今なお、底層4次元にモンスター・タイプが生存しているともいわれます。人類はどれだけ進化しても「神人」にはなれないようです。「はるかに遠い未来には、神人と“小人に退化した人類”の2種類になると語られています。

・河童やグレイと共に飛来した宇宙連合の神人や異人、遥かに進化した宇宙人たちは、ウォークイン(憑依)やワンダラー(転生)のような何らかの形で人間社会に浸透していると指摘されています。人間を造った遥かに進化した異人の有様は、私たち一般人には識別不能のようです。

・コンタクティの話から、宇宙人の地球におけるネットワークがあるそうです。闇の権力のように高等知性体のネットワークは、現代の知識人にとってタブーのようです。イタリアのコンタクティ、マオリッツオ・カヴァーロによると河童はグレイの一種で、現在も異次元に存在しているそうです。河童とともに飛来した異人のネットワークは昔からあるのでしょうか。かなり異人が人間化して社会に浸透しているのかもしれません。

・バイオロボットといわれるグレイとともに飛来した金髪碧眼のノルディックは、エンジェルともプレアデス星人ともアルデバランからきた宇宙人とも言われています。米国が宇宙連合とコンタクトしてから60年、宇宙でははるかに進化して、「プレアデスからシリウス星人の世に変わる」とも言われているそうです。2012年はアセンション(次元上昇)の時代。アセンディド・マスター(高級教師)が人間の姿を装い地上にでも出てきていたのでしょうか。金髪碧眼のノルディックと金髪碧眼のアルデバラン星人がよく混同されるそうです。グレイの「空飛ぶ円盤」に同乗していた「ナチス」とも言われている金髪碧眼のノルディックは、プレアデス星人といわれていました。ノルディックとオレンジは、両方ともプレアデス星座の“アルテア4・5”から来ているといわれています。

・天国に自由に出入りし、人間への“憑依”や人間の“転生”を自由に操作するシリウス星人はパラレル・ワールド(並行宇宙)に棲んでいると指摘されています。歴史のシナリオを描くというシリウス星人は、どのようなシナリオを描いているのでしょうか。彼らが、人間に憑依しても誰も識別できないといわれます。

・鬼とか天狗、河童は宇宙人だったという説があります。鬼の仲間に美女や美男子がいたという伝承もあるようです。代表的な鬼の酒呑童子も、若い時は美男子だったという伝承も残っているといわれます。鬼のイメージは固定化していますが、人間タイプの伝承も多いといわれます。日本中に伝承があり、400種以上の異名を持つ河童は、当然ながら、全国的に共通性が多いようです。河童=UMA(未確認動物)説が依然として、強いようです。しかし、近年、「カッパ=宇宙人グレイの変種説」が有力になってきたようです。河童も明治の文明開化で全国から姿を消したようです。
河童には全国に多くの伝説がありますが全て「農民たちの作り話」とするわけにはいかないようです。ナンフィクションとフィクションが入り交った、後世には正確には伝わらない当時の人々の奇妙な体験話のようです。

・また河童は人間との関わり合いが多くて、知性があり動物ではないというのです。「河童は中国からの渡来人たちだった」という説もあり、宇宙人と結びつける話はありません。グレイはバイオロボットともいわれています。グレイの特徴のある容姿は、UFOものの書籍で世界中に認識されていったようです。特にハリウッド映画によるグレイのイメージは、世界中の人々の目に焼き付けられたようです。Tシャツにもなり、子どもでも分かるようになりました。宇宙人のモンスター・タイプは昔は多かったようです。天狗や鬼も宇宙人だったようです。天狗はアストラル界の宇宙人だったといわれます。

・宇宙人には動物タイプが3割ほどいるようです。「爬虫類的異星人(レプティリアン)は低層4次元にいる」そうですが、人間タイプは知性的な顔をしているそうです。爬虫類的異星人(レプティリアン)は「龍神」ともいわれ、一方の神としても独自に進化しているようです。クラリオン星人のコンタクティ、イタリア人のマオリッツオ・カヴァーロによると「日本の河童はグレイの一種で、現在も海底基地にいる」といっています。異次元の生物のイメージのようです。河童はゼータ・レチクル星人の一種ともいわれています。グレイには人間タイプもいますが、バイオロボットともいわれています。河童も色々な種族がいたようです。

・「ゼータ・レチクル星人のグレイと、オリオン座のリゲル人の長身のグレイ、オリオン座の有翼のドラコ族、恐竜から進化した地球のレプトイド(恐竜人)」などオリオン星人のグループを作っているようです。鬼や天狗はオリオン星人の系列のようです。「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」といわれ、宇宙人は太古から地球人と関わっているようです。いわゆる「神々」もオリオン星人の系列から進化したようなのです。神々があの世(異次元)から来て、人間の女と交わり、あの世に去っていったという神話が多いようです。「宇宙人は幽体として存在する」といわれます。「はるかに進化した宇宙人が人間の精神体に侵入してくる時代だ」そうです。そうなると人間自身が「変容」、「変性」してしまうそうです。宇宙人情報を公開すると主権が危うくなるともいわれます。アメリカは太陽系の他惑星と外交的対話を続けており、ワシントンには金星・火星・冥王星公使館があったといわれます。政府の中に政府があってアメリカ大統領といえどもコントロールできないといわれます。

・「あのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入していくる」といわれます。異次元に自由に出入りできる高等知性体は恒星間飛行技術をもっており、「空飛ぶ円盤」の時代から、テレポート(瞬間移動)の技術を使っているようです。「異星人にとって、テレポーテーションのテクノロジーはそれほど難しくない技術だ」そうです。「異星人はとうに地球を訪れていて、地球人社会にまぎれ混み、密かに地球と我々の文明を監視調査し社会生活をしている」ともいわれます。社会に溶け込んでおり、「宇宙人と普通の人間が区別できなくなっている」そうです。「神々や天使は、背後霊や守護霊となり人間に憑依している」ので誰も分からないようです。

・江戸時代の少年の寅吉は仙人に連れて行かれた幽界は「地上に似ているが大きく違う異世界」だったようです。江戸時代の寅吉の神隠しの事件は、今様に言いますと「宇宙人のアブダクション(誘拐)」事件といえるのでしょうか。戦後の米国では、あの小柄な宇宙人グレイが壁を透き通るようにして部屋に侵入してくるといわれます。当時は米国のマスコミもアブダクション(誘拐)事件には大騒ぎをしたようです。人間の死後世界の幽界や霊界は割と詳しく情報があるようです。特に幽界は「人間社会と似ていますが、大きく違っている点も、幽界に慣れると分かりだす」そうです。幽界には、自分が死んだと認識していない霊もいるそうです。人間は死後、幽界に入り、天使のような異星人と遭遇して、そこで慣れた後に霊界に入るといわれます。

・幽界や霊界と似ている異次元世界は神智学ではアストラル界やエーテル界といわれています。アストラル界やエーテル界では都市があり、壮大な文明が存在するようです。アストラル界の住人がときどき、ウォークイン(憑依)やワンダラー(転生)やさまざまな形態で人間の姿で地上に現れることもあるようです。「人は皆、記憶喪失の異星人だ」といわれるように非常に多くの回数、いろいろな時代、いろいろな世界で転生をしているそうです。山人は『不死の惑星』から来たのかもしれませんし、神の様な仙人「杉山山人」も今も存在するのかもしれません。

・高度に進化した異星人は、異次元に存在しているそうです。アストラル界やエーテル界は目に見えない世界なので通常、誰も認識してはいません。「量子力学」などを通じて「あの世」の存在が認識され始めています。「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だ」という説もあるようです。「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」という説もあります。また、オリオン星人は異次元移動もできるし、異類混血などをすすめている邪悪な種族ともいわれています。オリオン大戦というスター・ウォーズも起きています。オリオン星人系列の異人が「常陸国岩間山幽界」を構成していたのかもしれません。神の様な山人が現代においても存在しているとしたら何をしているのか誰も分からないようです。

・天狗も異人の異類系列なのかもしれません。天狗は、異人のランクでは最低ランクともいわれ、人間的な感覚のないものもいたようです。爬虫類的異星人(レプティリアン)も人間化しており、知性的な顔をしているそうですが、昔は蛇神といわれていたのかもしれません。天狗はどのようになったのでしょうか。まだ原型が存在するのか異類混血や遺伝子操作などで変形しているのかもしれません。寅吉も仙人の案内でパラレル・ユニバース(並行宇宙)に入ったのでしょうか。

・はるかに進化した異星人にはアストラル・トリップ、幽体離脱が自由にできる能力があるそうです。マスター(大師)クラスは、自由自在にリラ星とシリウス星を往来できるそうです。人間も自由に幽体離脱ができるようになるには、異星人の宇宙船に乗ったりすると可能になることもあるようです。幽体離脱の超テクノロジーも異星人は持っているようです。

・「黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。−『遠野物語』第八話」、「遠野郷の民家の子女にして、「異人」にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。−『遠野物語』第三十一話」ということで、誘拐されて消えた人々はどのようになったのでしょうか。寅吉のようにアストラル界にでも異人により引き込まれたのでしょうか。異人も人間社会に溶け込んで誰も識別できないようになったのかもしれません。産土神の話もあり、神々の世界もパラレル・ユニバース(並行宇宙)にあるのかもしれません。

・平田篤胤は江戸時代にすでに幽界や霊界・パラレル・ユニバース(並行宇宙)の存在を予感していたようです。「霊界ははるか遠いところにあるのではなく地上1メートルのところにある」そうです。「物質地球とともに、肉体の死を迎えた存在のために霊界もつくられた。輪廻転生のシステムも始まった」と語られています。眼に見えない世界は、「感じる」ことのできるチャネラーやコンタクティにとって、リアルですが、その他の人々にとっては「荒唐無稽、奇妙奇天烈、支離滅裂、眉唾物で疑念がわく」世界です。しかしながら、現代では「映像の世界」になり、幽霊のようなものが「監視カメラ」に撮られるようになりました。ボーッとした映像ですが、幽霊の存在を予知させてくれるようです。平田篤胤が、天狗少年が修行したという「岩間山」に行かなかったのも、幽界の本質をよく理解できたからでしょう。この世に現れた人間の姿をとる天狗と、異次元の「あの世」の天狗世界は、現代人にとっても理解不能のようです。テレポーテーションが理解できないからのようです。物質化、非物質化ができた超テクノロジーを持つ宇宙人は、誰も理解できないようです。「幽霊のハンス」にしても、物を投げると体を通り抜けるそうです。「テレポート(瞬間移動)は、人間にとり奇跡ですが、宇宙人にとっては、それほど難しくないテクノロジーだ」といわれます。幽霊現象や心霊現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。アストラル界の住人が地上にも出てくることは秘密結社の最高機密だそうです。アストラル・トリップの現象も現代の科学者ですら、よくわかりません。「日本に最初に降り立ったのは、シリウス人で、彼らは東北地方の青森県を中心に、下北半島、津軽半島、十和田湖周辺から秋田県の一部に展開した」そうですが、青森県にはさまざまな異人や異星人の伝承があったようです。『竹内文書』の内容で特筆すべきは天皇家の先祖が、宇宙の彼方、シリウスから飛来したと記されていることであるといわれます。現代では、世界で初めて無農薬・無施肥のリンゴ栽培に成功した津軽の木村秋則さんの不思議な話があるようです。恐山のイタコの口寄せも不思議な現象のようです。

・「天狗」はオリオン星人系列の宇宙人だったのかもしれません。天狗も詳細な区分があったそうです。「嘴のある烏天狗」は、オリオン座の有翼のドラコ族だった可能性もあります。天狗は、人間の感覚や感情と大きく異なり、当時から「子分にはなるべきではない」といわれていたようでした。欧米イルミナティは、日本のイルミナティは竜座人階層の下等な種の末裔であると主張しているといわれます。リゲル人と爬虫類人の交配人種が築いた国が現在の日本と中国であるといわれます。

・天狗界の大ボス・杉山僧正のもとで修業した天狗小僧こと仙童寅吉は、異界が存在することの生き証人となりました。杉山僧正のような山人を世間では十把一絡げに「天狗」と見なしているが実際は「生きたる神」であったと語られています。「とにかく、その話の内容が尋常ではない。寅吉によれば、常陸の岩間には杉山僧正という天狗の大ボスがいる。配下の13天狗を引き連れて、日々神業に明け暮れている。この天狗のボスは、人間なら40歳ほどの年齢に見えるが、彼の属する山人界(仙界)では、7歳で、杉山僧正の1歳は人間の600歳に当たるからすでに4000年以上生きている勘定になる。ちなみに、天狗はいずれも神通力を備えているとはいえ、境涯は人間より低く卑しい、せっかく人身に生まれながら、天狗に憧れるのは愚の骨頂だ」と寅吉は戒めていたと語られています。

・日本に最初に降り立ったのは、シリウス人で、彼らは東北地方の青森県を中心に、下北半島、津軽半島、十和田湖周辺から秋田県の一部に展開したといわれます。青森県等の東北地方には、シリウス星人の遺伝子を持つ人々(末裔)が多いのかもしれません。平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔といわれます。ある意味では、神々のコンタクティやチャネラーが少なくないようです。リンゴで有名な木村さんも青森の津軽での宇宙人のコンタクティのようです。

・ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)からみますと「木村 藤子(きむら ふじこ、1947年 - )は、霊視・透視能力者。元信用金庫職員。青森県むつ市在住。地元で有名な霊能者だった母親のもとで育つ。30代のとき神の声を聞き、霊視・透視能力を授かる。以来、日々多くの人の悩みを救っている。全国的にその名が知れわたり、『青森の神様』『ヘビの神様』といわれるきっかけとなったのが、1990年の「ヘビ騒動」。地元で行方不明になったニシキヘビが現れる場所・時間を、警察の要請で透視によって言い当てた。その騒動を聞きつけたマスコミが殺到し、全国的な話題となった」とのこと。Amazonに「木村藤子」といれますと65件の書籍が分かります。

・青森県新郷村(しんごうむら)戸来(へらい)という村にキリストの墓があるというオカルト説が昔から言われております。キリストの出身星はアプ星だったそうですが、アプ星人は国際連合の設立に尽力したという話もあるようです。その昔、アプ星人でも飛来していたのでしょうか。アプ星人は現代では南米にも飛来しているようです。霊能力者の語る神々の世界もさまざまな描写があり、木村藤子さんの神々の世界は平安時代のようなイメージですが。また超近代的な神々の世界の報告もあるといわれます。神々の世界は時空を超えて、変貌自在のようです。パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だといわれます。

・岩木山には農業の神さまの伝承があるといわれます。また鬼伝説の鬼神社の伝承もあり、インターネットによると「現在の「鬼沢」が「長根派(ながねはだち)」という地名であった頃、岩木山周辺は阿曽部(あそべ)の森と言われ、弥十郎という農夫が岩木山中の赤倉沢で大人(オオヒト=鬼)と親しくなり、力比べをしたり、相撲をとって遊んでいました。
 弥十郎は大人(鬼)に度々仕事を助けてもらっていました。ある日、弥十郎は、水田を耕しているが、水不足で困っている事を大人(鬼)に話しました。それを聞いた大人(鬼)は、「私が何とかしますから、私の仕事をしている所を見ないでください」と言いました。そして、大人(鬼)は、一夜にして堰(水路)を造り、水田に水を引いてくれました。村人は喜び、この堰を「鬼神堰(キジンセキ)」や「逆堰(サカサセキ)」と呼び、大人(鬼)に感謝しました」という伝説が残っています。

・木村秋則さんがあった小柄な宇宙人は、グレイの一種のようです。「ビーガン。シリウスA人の遺伝子から作られたグレイ」といわれる小柄なビーガンかもしれません。木村秋則さんのように「不思議な体験」をしている日本人は多いのかもしれません。しかし、なかなか本になるような段階にまでいくのは難しいようです。「沈黙のコンタクティ」も非常に多いのかもしれません。誰にでも幽霊体験やUFO目撃体験がある確率が高いのかもしれません。やはりメディアに載らないと、誰も注目できないようです。木村秋則さんのYou Tubeの動画も見れますので、「百聞は一見にしかず」の便利な「映像の時代」になったものです。木村秋則さんの本は当ブログでも数冊扱っています。木村秋則さんは「自然栽培のリンゴの開発者」として有名になった人ですが、宇宙人との「不思議な体験」も密接不可分な関係があったようにも思われます。木村秋則さんは宇宙人とのコンタクトによって「変性」「変容」を受けた可能性もあるようです。それにしてもネット動画では真偽の混じった膨大な情報が流れているようです。その後の「木村秋則」さんについては、私はよく知りませんが、さまざまな困難が起こっていて順風満帆ではないといわれます。

・米国でもアブダクション(誘拐)を受けた人間は、数百万人ともいるという奇説があったようです。米国におけるアブダクション(誘拐)やキャトルミューテレーション(動物虐殺)の騒ぎは、どのような結果になったのでしょうか。米国でもメディアがアバブ・トップシークレットの政府の政策に協力しているようです。エルダーとよばれる天使のような人間タイプのオリオン星人が小柄なグレイと共に飛来したそうです。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズグレイというオリオン星人といわれています。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。ゲイ(LGBT等)などの「人格転換」をしている異次元の宇宙人はオリオン星人なのかもしれません。

・グレイは、さまざまな種類が報告されているようです。グレイには、「ビーガン。シリウスA人の遺伝子から作られたグレイ」、「ゼータ・レティクリ1。地球人監視のためリゲル人が作ったグレイ」、「ゼータ・レティクリ2。遺伝子操作で作られたグレイ。爬虫類人に奉仕」が報告されているそうです。「岩木山のUFO」については、インターネット情報によると、16世紀から多く観察されているようです。現代ではカメラに撮られた写真もあるようです。彼らは時空を超越したテクノロジーを持っているといわれます。異次元移動も容易にできる驚異の超テクノロジーのようです。

・日本に最初に降り立ったのは、シリウス人で、彼らは東北地方の青森県を中心に、下北半島、津軽半島、十和田湖周辺から秋田県の一部に広まっていったといわれます。ですから、木村秋則さんがリンゴ畑で遭遇した「グレイ」は「ビーガン」の種族系統なのかもしれません。とてつもなく進化している種族のシリウス星人のバイオロボットと遭遇したのかもしれません。「ビーガン」の超能力もとてつもないもののようです。青森など東北地方には、宇宙人との繋がりのある現象が何か残っているのかもしれません。イタコなどは、ある意味では宇宙人現象(霊現象)なのかもしれません。「シリウス人は、別の非物質的存在の集団であるオハル評議会の創造物である」といわれます。青森県新郷村(しんごうむら)戸来(へらい)という村にキリストの墓があるというオカルト説が昔から言われております。どうやら青森県は、シリウス星人との繋がりが太古からあったようなのです。「源平合戦はハム系とセム系のオリオン、シリウスと北極星、北斗七星の戦いということになってくる」と述べられています。

・「シリウス星からやってきた宇宙の神である彼らは、今もなおオリオン座との絆を大切にしています。それはひとえにオリオン座が、彼らの祖先である太陽族の故郷であるからです」とも語られています。シリウスのレベルは、もうすでに非物質のレベルです。「シリウスのテクノロジーは、アヌンナキによって地球にもたらされた」そうです。「世界の王はサナット・クマラと共に金星から降りてきた。この神人の一団はシリウス星と繋がりがある」といわれます。金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けた、といわれます。イスラエル政府と契約の「宇宙の商人」がシリウス星人だそうです。平氏の“平”がヘライ(ヘブライ)に由来すると考えると平氏はセム系、ユダヤ系ということになってくる。源平合戦はハム系とセム族の争いともいわれます。平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔だそうです。そういえば源義経と鞍馬の天狗や陰陽師の鬼一法眼の不思議な伝承があります。

・「ゼータ・レチクル星人のグレイと、オリオン座のリゲル人の長身のグレイ、オリオン座の有翼のドラコ族、恐竜から進化した地球のレプトイド(恐竜人)等がダルシ―基地やエリア51等のアメリカの秘密基地で活動しているともいわれます。エリア51で白鳥座61番星の異星人とコンタクトしていた日本人科学者もいたといわれます。「その彼らは地球から68光年離れた惑星クイントニアに住む宇宙人で母星から「エリア51」まで45分で移動できる」と述べられています。「エイリアン・テクノロジー・リバース・エンジニアリング(宇宙人科学技術工学)」は米国の一人勝ちでしょうか。

・「透明人」とシリウスA星人が創造し、りゅう座(ドラコ)に配置した爬虫類人が想像を絶する進化をしているようです。「竜座人(ドラコ)が遥かに進化しており、このレプティリアン型生物の交雑種がイルミナティである。交配人種であるイルミナティが地球を管理している」ともいわれます。イルミナティの空飛ぶ円盤はタイム・トラベルができ、「米軍の将軍が同乗していた」ともいわれます。また牛神がテクノロジーで龍神を圧倒し「低層4次元」に追い払ったともいわれています。太古、地球には「龍神」と「牛神」の2種類の神が来て、人間を創ったそうです。旧約聖書の神が「龍神」で、新約聖書の神が「牛神」といわれます。

・木村秋則さんの「幻想」の中で会った「ソクラテスのような人」は「神人」なのでしょうか。また、山川紘矢さんのイルージョンである「威厳に満ちたレオナルド・ダ・ヴィンチのような素晴らしい風貌の男性」とは「神人」だったのでしょうか。「神人」の世界からは「この世」は、すべて分かるようです。「あの世」の動きが時間を経て「この世」に起こってくるともいわれます。「あの世」も私たち一般人には、訳の分からない奇説だそうです。あの世とこの世が交錯する体験は誰でもが、無意識的にかまたは意識的にも、経験しているのかもしれません。

・「霊界ははるか遠いところにあるのではなく地上1メートルのところにある」そうです。従って、「神人」の世界はパラレル・ユニバース(並行宇宙)で、目に見えないが、すぐ隣にあるといわれます。パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だそうです。パラレル・ユニバース(並行宇宙)は「幽界」のように「この世」に似ている世界ですが実際は非常に大きく違うアストラル界のような世界のようです。

・「引き寄せの法則」は、自己啓発書では大変人気のある「宇宙の法則」のようです。つまり、「感謝するだけで、あなたの人生は変わる」そうです。「アファメーション」という手法は米国では、人気のあるビジネスマンの瞑想法のようです。そして「引き寄せの法則の書籍」も大変多いようです。「夢の中でアストラル・トリップ(幽体離脱)をして、クリスタル・シティでキリストに会った」という欧米のチャネラーが多いそうです。キリストの出身星はアプ星だったそうですが、アプ星人は国際連合の設立に尽力したという話もあるようです。「キリスト(アプ星人)の一族が地球を管理している」という奇説もあるそうです。夢の中で神のような人物に会っても、必ずしも運命が劇的に好転しないのは皮肉な話かもしれません。



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・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ
(日本は津波による大きな被害をうけるだろう)
・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド

「神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・
「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」、「ネガティブのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるのだろうか?」
「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャンバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」
「日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔なのか」
「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」
「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」
「UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」
「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」
「イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」「金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けたのだろうか」「フリーメーソン結社はこの大地が創出されるよりずっと前から、さまざまな太陽系をめぐって、存在していたのだろうか」
「国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」
「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」
「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」

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