このブログのトップへ こんにちは、ゲストさん  - ログイン  - ヘルプ  - このブログを閉じる 
そういう異常な世界を持った人である彼は、自分が魔界の住民であることを知っていたと思うんです。
[森羅万象]
2019年7月21日 22時12分の記事


『仏の発見』
五木寛之 (対話者)梅原猛(哲学者)  平凡社 2011/3/8



<西田哲学の根本には「かなしみ」がある。>
・(五木)疑いから生まれた哲学と、悲哀からはじまる哲学、両方の結論が大きくへだたっている理由がわかります。しかし、ふつう、フィロソフィというと、知を楽しむとか、そんなふうに説明されたりして、非常に乾いた、論理的な空間を想像しますけれども、「人生の悲哀に直面したときに哲学がはじまる」というのは、日本的でもあるけど、私は名言だと思いましたね。そこへ到達したのか、という。
(梅原)そうです。その意味で西田は、まったく日本的な情念をもった哲学者であったと言えるかもしれませんね。やっぱり優れた日本の文学者や哲学者には、必ず人生の悲哀があります。そういう悲哀が逆に、物を書く原動力になっているんですよ。

・(五木)いや、いや。でも、それはもう、ほんとうにそうなんですね。ものすごく力になっていることもあれば、やはりこんな悲惨で残酷な生を、なぜ人は生きなければならないのかと、考えさせられたりしましたから。
(梅原)あなたの場合、お父さんが朝鮮の学校の校長先生で、戦後、朝鮮半島でたいへん苦労して、そこでお母さんは亡くなられたという、悲惨な体験があるわけですね。あなたの書かれたものによると、日本へ帰ってきたのは、15歳ですか。
(五木)はい。
(梅原)15歳で、だいたい一家の長のような仕事をしたというんですね。
(五木) 長男ですから。

<自分は悪人である、許されざる人間であると>
・(梅原)それで、ご自分の本当の人生があんまり悲惨すぎるので、文学の世界に入ったのか、そのへんを伺いたいと思ったんですね。
(五木)いや、そんなドラマみたいな話じゃないです。そうですねー。平壌で敗戦を迎えまして、それまでの植民者の、権力者側の子弟としての生活が一挙に、パスポートを持たない難民の生活に変わる。それから引き揚げてくると祖国では引揚者。いま帰国女子と言いますが(笑)。その当時、引揚者というのは一種の差別語だったんですよ。
(梅原)そうです。そうです。
(五木)ですから水俣のようなところでも、引揚者が条件の悪い汀によく家を構えたりして、台風がくるたびに被害が出るということもありました。ちょうどその時期、13、14、15歳というあたりが、本人にとっては一番しんどい時期でした。
(梅原)そうでしょう。
(五木)これは、何度もくり返して話したことなんで、ちょっと気が引けるんですが、引き揚げて来る途中では、本当に地獄を見た、と言うとおおげさですが、大変でした。ソ連軍が入ってきて、たとえば、日本人がたくさん集まって収容されているセメント倉庫などに、ジープで乗り付けて来て、自動小銃を構えて「マダム・ダバイ(女、出せ)」という。そういうことが、毎晩のように起るわけですね。
(梅原)ああ………。
(五木)全員の死活にかかわることですから、幹部がいろいろと相談をして、あんまり若い女学生はダメだ。あんまりお年寄りでもダメだ、子供を持っている人はやめようとか、それぞれの事情を考えて、ソ連兵に出す女性を選んでしまうわけですよ。
(梅原)ああ。
(五木)前に大塚初重先生との対談集『弱き者の生き方』(毎日新聞社刊)で、くわしく話していますけれど、本人たちが泣いて嫌がったりするのを、結局、みんなで押し出すことになる。翌朝、ぼろぼろになって帰ってくる人もいれば、帰ってこない人もいるというような状態で、そういうことを、くり返しながら生きてきたものですから、自分たちは、そういう人たちを犠牲にして生きて帰って来たという、非常に深い罪の意識がありましてね。
 生き残ってきたものはエゴが強く、他人を押しのけてでも、自分は生き残ろうとするような人間なのだ、だからこそ、引き揚げてくることができて、心やさしき人たちは、みんな現地に残されたか、亡くなったという、深い負い目がいつも付きまとっていました。
(梅原)ええ。
(五木)それから、赤ん坊が栄養失調で死が目前ということになりますと、母親には、二通りあるんです。一つは母子一緒に心中しようという親と、もう一つは子供の命だけでも助けたいというので、現地の人たちに子供を渡したいという人と、相談を受けて、私自身、何人かお世話したことがありました。ということは、ある種の人買い、女を遊郭に売る、女衒のような仕事をやってきたわけですよね。十代のはじめで。
(梅原)ああ。
(五木)だから、そういうふうに、人びとを犠牲にしながら、自分たちは内地へ引き揚げてきたんだ。自分は悪人である、許されざる人間であるという思いが、少年時代からずうっと中年期まで続いていました。

<大乗仏教の創始者は、ぜんぶ女色を犯しとる>
・(梅原)そうですか。そのことは小説に書いておられますか。
(五木)いや、それは書けないですね。

・(五木)だとすると、あとは、つまり娯楽とか大衆文学とか、人を喜ばせるフィクションの道へ進み、自分は捨てるという。いうなれば上座部仏教、修行仏教への断念というものが、スタート地点にあったのかもしれません。
(梅原)それは、たいへん面白い比喩だと思いますよ。だいたい大乗仏教の創始者というものは、ぜんぶ女色を犯しとるんですよ(笑)。大乗仏教の創始者で、空の思想を説いた龍樹(ナーガルジュナ)という人は、若いときに、たくさんの女と交わるのがいちばん人生の喜びだと、仲間と共に身を隠す術で宮廷へ忍び込み、宮女と情を交わすんですよ(笑)。
 宮廷では、次つぎと妊娠する宮女が増えるので、きっと身を隠す術を使って忍び込む奴がいるにちがいないと、やみくもに刀で斬りつけたので、仲間はぜんぶ殺されて龍樹だけが生き残って、女色のむなしさを知ったという話があるんですわ。

<川端康成は魔界の住人>
・(梅原)私は川端康成と親しかったのですが、川端さんが晩年、「仏界入り易く、魔界入り難し」という言葉は一休(宗純)の言葉とされるが、それはほんとに一休の言葉かどうか調べてくれと言った。私はそのときに、川端さんが何で「仏界入り易く、魔界入り難し」という言葉に関心をもつか、わからなかったんです。私は川端康成さんに文学を教えられて、数学少年から文学少年に転向したんです。

・(梅原)そして川端さんが京都に来られたとき、私を呼び出して親しくさせていただいたのですが、晩年なぜ、川端さんはこんなことを頼むのか、わからなかったけど、のちに、川端さんが亡くなってから『みづうみ』なんか読むと、魔界を感じるんです。
(五木)そうです。
(梅原)そして『眠れる美女』も正に魔界の文学です。
(五木)まさに。
(梅原)だからねえ、戦前の川端文学は、たいへん美しい抒情文学だけど、じつは、根底に魔界があったんです。
(五木)よくあの作品を、学校ではノーベル賞作家の代表作として教えると思いますけれど。『雪国』だって、すごい官能小説ではないですか、ある意味では。
(梅原)ええ。あの澄みきった官能の世界というのは、うしろにやっぱり、魔界を秘めている。
(五木)異常な世界ですね。
(梅原)まあ、五木さんも、異常な世界を書いているけど、根底に健康なものがあるけどね。川端文学は、表面は正常に見えるけど、根底に、たいへん異常なものをはらんでいる。
(五木)『伊豆の踊子』みたいな、牧歌的に見えるような物語の中にも、どっか異常な精神を持っている人の作品なんですよ。『十六歳の日記』でもやっぱり異常です。
(五木)そうですね。
(梅原)そういう異常な世界を持った人である彼は、自分が魔界の住民であることを知っていたと思うんです。
(五木)うーん。
(梅原)私の『地獄の思想』を読んで、恐らく自分も地獄の住民じゃないかというふうに思って……。太宰治なんかと一緒に、自分も地獄の住民であると言いたかったのじゃないかと思いますよ。それが、私にはわからなんだ。

・(五木)川端さんが自殺したときは、なぜかとか、どうして?と言われてました。
(梅原)わからん。わからんな。
(五木)わからないですね。
(梅原)ノーベル賞をとったのに。
(五木)そうですよね。
(梅原)ふつうの人だったらば、ノーベル賞受賞で尊敬されて、生きつづけるんです。それがまあ、ふつうの人だと思うんですよ。ところが川端さんはノーベル賞をとってまだ、女の人が通ってくるのを、溝に入って眺めたり、そういうことを平気でやったと思うんです(笑)。それはやっぱり異常な世界ですわ。
(五木)このあいだ、NHKのある女性アナウンサーさんと会ったんです。彼女、わたしも川端先生に触られたと言ってましたよ(笑)。だまって太ももの上に手をのせて、と。

<有名になることを避け、女体を描きつづけた画家>
・(梅原)川端さんはペンクラブでも、男性の事務員はぜんぜん使わない。京都に来るにも女性の事務員に運転させてくるんです。そして川端さんがカネ払って、女性事務員を都ホテルに泊めてやる。そして夜はまたバーへ行って、別の若い女性を呼んでひやかすんですわ。男に対する関心は、ほとんどゼロですわ(笑)。
(五木)そうですか。
(梅原)やっぱり、そういう異常な感性を持っているんですよ。

・(梅原)川端さん、やっぱり私は好きですね。おかしな人だけど。だいたい、おかしな人のほうがいい作家じゃないですか(笑)。いまの作家は、ふつうのサラリーマンになってしまったような気がします。
(五木)いやー、川端さん、変わってましたねえ。加賀まり子さんも、かつて川端先生に触れられたそうですし(笑)。それも黙って、なんにもなしに、無言で向き合ってて、ただ黙って、こう、手を伸ばして、座っている膝にスッと触るというんだから、変わった人ですよ。
(梅原)やっぱり『眠れる美女』は、ほんとうのことですわ(笑)

<川端康成はなぜ自死したか>
・(五木)川端さんは、世間の模範的な国民文学者としてのイメージと、魔界にいる自分というものとの乖離の中で、自ら死を選んだんじゃないかなと、私は思うんですね。
(梅原)そうです。戦前は魔界の民がちょっと、美の仮面をかぶっておったんだ。
(五木)骨董をいじったり、いろいろするけれど、本当は若い女の子のお尻を触っているほうがよかった人なんでしょうね。
(梅原)魔界の人の見た美だったんだけど、戦前はそれをあらわに出さなかった。前後になって、いよいよ「古都」ぐらいから魔界の中に入ってきた。これはやっぱり、すごいですわ。
(五木)ふつう一般は、観光的に言われる『伊豆の踊子』でさえも、魔界がちらちら見える世界です。あの中には、ロリコンみたいな感じの、ふしぎなエロティシズムが横溢していますよ。だけど日本は、作家や文学から、ちょっとそういう不思議なものを消していこうとする傾向があるから、宮澤賢治の評価なんかでも、法華経的なものを抜いていこうとする流れがありますよね。日蓮宗の熱心な信者で、国柱会のメンバーであったとかいうことは、あまり言われない。
(梅原)そうです。川端さんにはノーベル賞の栄光があって、世間的なある種の才能があって、仕事をやりながらもね、やはりものすごい孤独で、魔界にいたんだと思うんです。そういう人だったと私は思う。その矛盾に耐えきれなくなって死んだという気がします。
(五木)そうですね。むかし話で申し訳ないけど、私は新人で、デビューしたのが33歳ぐらいなんです。まだ若いほうだったんですね。大雑誌の編集長なんかに当時の銀座の「エスポワール」とか「おそめ」みたいな、ああいうところへ連れて行かれたりすると、文学全集の口絵みたいに、川端さんからはじまって三島由紀夫さん、松本清張さん、安岡正太郎さんと、わーっと、きら星のごとく並んでいましてね。
 そういう中で端っこのほうに、ちょっともぞもぞして座っていると、川端さんが隣りに来るんです。他の同年配の作家とはあまり口きかないのに、いろいろ話しかけてきて、「きみ、きょう帰りに赤坂へ連れて行ってくれないか」と言うんですよ。「赤坂って、どこか目当てはあるんですか」と言ったら「絨毯バーというところへ行ってみたい」と。
 そのとき絨毯バーというのが結構はやっていましてね。秘密クラブみたいになっていて、靴を脱いで上がるところですね(笑)。他の同業の作家たちに比べると、私なんか中間小説の世界ですし、年齢もうんと離れているものですから、話しやすいと思ったんでしょうか。
(梅原)そうだろうな。気を許せたんでしょう。
(五木)ええ。「ちょっと五木くんね、一緒に赤坂の絨毯バーへ行こうよ」って、行くときに、銀座の園バーの近くに、アクセサリーの店があるんですけど、そこで安い小物を、イヤリングとかネックレスとか、そんなものをいっぱい買うんです。それで絨毯バーに行くと、いわゆる不良少女というか、ハイティーンの女の子なんかがいっぱいいるんですけどね、「あの連中、ちょっと呼ぼう」と(笑)
「あのおじさんが、こんなものくれると言っているから来ないか」と言うと、みんな女の子たちは、「あ、知ってる。あのおじさん、こないだも来た。いろいろくれる人だ」って寄ってくるんですよ(笑)。その女の子たちを相手に「どれがいい?」なんて、あげたりしながら、2時間ぐらい、いろいろ喋ったり観察したりしながら、すごく楽しそうにしていましたよ。そういうことを思い出しますね、いやー、変わった人だったなあと思ってね。
(梅原)三島由紀夫の最後の4部作(『豊饒の海』)。あれは生まれ変わりの物語で、三島由紀夫が私に、それを仏教思想と読めるかどうか教えてくれと言ったんですけどね、私は、仏教思想とちがうと思ったのです。
 いまからみると、三島は仏教へ入ろうとして入れなかったんじゃないか。そして、仏教に入れず、追い詰められて国家神道の信者になったのではないか、ああいう過激なところへ入ってしまったんじゃないかと思いますけどね。むしろ三島がせっかく頼んだのだから、私ももっと仏教を、とくに三島が知りたがった唯識仏教を教えてやるべきじゃなかったかと後悔しているのです。

・(梅原)まあ、太宰にしても、三島にしても、川端にしても、やっぱり異常な人だったと私は思いますよ。そういう異常な人がいなくなってしまって、日本の文学は淋しくなった。

<聖徳太子は一種の両性具有ではないか>
・(五木)仏教の場合、仏とは、普通の人間が、さまざまな因縁の果てになったものということですが、多くの場合、恵まれた境遇の人というより、権力によって迫害されるとか、家族の縁を断たれて孤独を味わった人とか、ともかく、人生の悲哀を強く経験した人が、仏になるような気がします。
 梅原さんが、『隠された十字架』で描かれたのは、何歳くらいのときでした?
(梅原)そう、40代の後半ですね。突如として古代が乗り移ったという感じでね。それで書いたのが『神々の流竄』『隠された十字架――法隆寺論』『水底の歌――柿本人麻呂論』。それは藤原不比等という権力者がいままで隠れておったんですね。隠された権力者が、奈良時代というすばらしい時代の歴史をつくった。しかし、自己の功績をまったく隠した。このような隠れた権力者が明らかになると、その時代が見えてきた。
 聖徳太子の子孫は、不比等の父の、鎌足によって一族が皆殺された。それで太子は怨霊になり時の政府に祟る。それで太子の怨霊の鎮魂が、時の政府の重要な政策になる。そして法隆寺が再建された。また人麻呂も、不比等の権力が増大するにつれて都から追われる。人麻呂は流罪者で殺されたのではないかという伝承は古くからあった。そして万葉集を読み直して、人麻呂は流罪――水死になったのはまちがいないと思い、一気に書いたのが、『水底の歌』でした。
(五木)はい。
(梅原)最初の『神々の流竄』は、ちょっとまちがったところがあってね、書き直して最近『葬られた王朝』という本を出しました。
『水底の歌』の次に出した『隠された十字架』は、法隆寺は聖徳太子の一族が創った寺だなんてとんでもないと。聖徳太子の一族は時の権力に滅ぼされた。その祟りがあるので、その怨霊を鎮める鎮魂の寺が、いわゆる法隆寺だという説で書き上げました。

・(五木)ですから、聖徳太子には、母性と父性と両方の要素がある。あの人は両性具有ではないですか。
(梅原)そうです。
(五木)なにか、そんな感じがします。

<歴史の中に葬られた怨霊の悲しみを語る>
・(梅原)太子一家の不幸な事件があるので、太子の霊の鎮魂が、奈良時代のいちばんの大きな問題だったと思いますよ。聖徳太子のような、仁徳のある人間の一家を滅ぼしたということは、権力を持った皇極天皇の皇子である天智天皇・天武天皇の子孫、および鎌足の子孫の罪悪感になる。
『日本書紀』で太子を、聖徳太子として、特別な聖なる人として扱われているのはそのせい。徳のついた天皇は、多く殺されたか流された人です。崇徳上皇、安徳天皇がそうです。文徳天皇もあやしい。聖徳太子の怨霊は、過去の怨霊の鎮魂です。しかしまた不比等は、また新しい怨霊を作った。それが柿本人麻呂の怨霊です。
 こういう、歴史の中に葬られた怨霊を、私は拾い出して、彼らのかなしみを、まあ、語ったということです。それはどこかやっぱり、五木さんの小説と通じるところがある。『青春の門』も考えてみると、戦前から戦中、戦後にかけて、日本の歴史の表舞台から追いやられた人びとの、怨霊物語なんだな(笑)。

・(梅原)まあ、『神々の流竄』『隠された十字架』『水底の歌』を、3年で書いた。1日に80枚とか、3日で150枚とか書いていたこともある。
(五木)あとがきにお書きになっているのを見て、びっくりしました。1日に80枚書いたことがあると。それはもう、書いたというより、書かされていたという感じですね。
(梅原)ハハハ。
(五木)まさに作家の仕事というのはミディアム、巫女とか霊媒だと思いますね。ある意味では、イタコのような依代となって、お前はこれを語れ、という声が聞こえてきて、その声に揺り動かされて、憑かれたように物を書いていくというふうな。

<丸山や小林を怒らせて>
・(梅原)小林秀雄の悪口を言ったりね、丸山眞男の悪口を言ったりね。
(五木)それは小林、丸山といったら、日本の知性を代表する両横綱ですから。
(梅原)だから右も左も(笑)。私は、小林も丸山も世界に通用する思想家ではない、世界に通用しない日本の思想なんかつまらんと思うて、なで切った。

・(梅原)孤立無援で闘ったんですよ。丸山眞男は『日本の思想』というのを書いて、ものすごい評判になったが、丸山は日本の思想は蛸壺型だ、西洋の思想は簓(ささら)型だと結論づけた。それで私はアタマにきてね。つまり、ヨーロッパの思想は一貫しているけど、日本の思想はバラバラだと。そんなことはない。
 そういう丸山に対して「日本の思想を勉強してないからだ。大乗仏教をちゃんと勉強せよ。勉強したら日本の思想は決して蛸壺型じゃなく、首尾一貫したものがあることがわかるはずだ。丸山の思想のほうが蛸壺だ!」と書いた(笑)。それは丸山の全盛時代でね。丸山はなんとも言わなんだけど、丸山の子分たちが、ずっとのちのちまで憤って、いろいろ私に意地悪したんです。
 じつは当時は、そのことにずっと気がついてなかったんですけれどね。ようやく最近になってそれを教えてくれる人があって、やっとわかった(笑)。

・(五木)たとえば、日本の民俗学の分野で、日本独自の手法で学問を完成させた柳田國男や折口信夫の功績をたたえて、柳田学とか折口学とかいうでしょう。そういう、一般の読者たちの支持の中から生まれてきた学問だから、いまはもう梅原学というのがあるわけですよ。梅原学という、一つの体系というものが確立されたときに、われわれは読むわけだから、読むほうの危険度もあまりないわけだけど、最初のときには、こういう人の本を読んで、だいじょうぶかなといったところもありましたね(笑)。

・(梅原)小林秀雄をやっつけたのは、小林がベルグソンの「笑い」について書いて、笑いとはこういうものだと、ベルグソン理論で得々と説明していた。
「そんなベルグソン理論で説明せんと、お前は笑いを自分で考えよ」と言ったんです。まあ、若いときの小林秀雄は、認められないものを認めて、権威あるものを否定したんだけど、戦後は全然だめで、モーツァルトとかゴッホとか、みんな権威あるものだけを評価しているじゃないか、批評家の精神を失った、と思ったんです。
(五木)うーん
(梅原)これも小林の全盛時代でね(笑)。やっぱり怒っていましたよ。私は「芸術新潮」にはよく書いていたんだけど、新潮は小林秀雄に遠慮をしてか、それ以後、私には註文が来なかった(笑)。そういうやっぱり祟りがありました(笑)。
(五木)じゃ、ひとつ小林神社をつくって、鎮魂されたらいい(笑)。
(梅原)学会は沈黙していましたね。しかし、一般の人が盛んに読むんだ。怨霊の鎮魂は、ふつうの日本人がいちばんよくわかる。いままでの日本の学問は、そういう怨霊のことをほとんど語らなかった。わずかに柳田や折口が語り、『隠された十字架』や『水底の歌』を最初に認めたのは、学者でも和歌森太郎や池田彌三郎などの、柳田・折口の影響を受けたひとだった。

<聖徳太子は虐げられた民衆のヒーロー>
・(五木)しかし、『隠された十字架』には、さっき言われた国の仏教、父性の仏教であると同時に、母性の仏教もあったのではないかとか、ハッとしたことがいっぱい出てくるんですよ。
 たおえば、法隆寺についてです。じつは、奈良の法隆寺のすぐ裏手にある誓興寺という、真宗の小さなお寺があるんですが、そこへ私は『風の王国』という小説を書くあいだ、ずっと通っていたものですから、法隆寺は朝夕散歩しました。あの境内を百回ぐらい歩いたんじゃないかと思うんですが、なにかよくわからない雰囲気があったんですよ。

・(五木)気持ち悪いですよ。聖徳太子の像にしても、子供のときの聖徳太子像とか、みんなきれいな像が多いけど、じつは兵庫県加古川市の鶴林寺には、十何歳のころの聖徳太子の像があるんです。秘仏なんだけれども、それはまさにヒッピー。ざんばら髪で、ほんとにもうアウトローのような、凶悪な像なんです。
 なんであそこまで藤原一族とか、そういう人たちが、聖徳太子の怨念を恐れたり、あるいは聖徳太子一族の扱いかたに対して社会の批判を恐れたのか?聖徳太子というのは、位の高いエリートなんだけれども、エリート層だけじゃなくて、大工さんとか船頭さんとか、いろんな職人層に、ものすごい支持者が多かった人ですね。だから、民衆の中での絶大な支持というのを、ある意味では、やっぱり恐れたんだと思います。

<聖徳太子のブレーンだった渡来人、秦河勝>
・(梅原)太子が重く任じたのは、小野妹子と秦河勝。しかし小野妹子もやっぱり、そんな豪族じゃない。いまでいえば、太子政権の外務大臣をしていましたね。もう一人は大蔵大臣です。太子によって大蔵大臣に抜擢されたのは秦河勝。



『人生は喜劇だ』  知られざる作家の素顔
矢崎泰久  飛鳥新社  2013/11/22



<川端康成、「光る目」の内側>
<「世界に恥かしくない作品を書いて死ぬつもりです」 川端康成>
・鷹の目。間違いなく鷹の目だと思った。鋭く光っている。私は怖かった。
 川端康成に会ったのは、たしかその日が3回目だった。いずれも伯母の佐藤碧子に連れられての面会だったが、鎌倉の川端邸が最初で、次が銀座の資生堂パーラー、そして新宿の洋食店オリンピックである。
「疎開するそうだね。ささいなことはお国の為だと思って耐えなさい。体力をつけるには、好き嫌いは駄目です。戦争は必ず終わるから、その日まで毎日少しでも本を読みなさい」
 私はオムライスとプリンをご馳走になった。東京での最後の外食だった。光る目がずっと見ている。
「祥夫くんは6年生だったね。この本をキミにあげます」
 岩波の少年少女向け文庫の『トム・ソーヤーの冒険』『三銃士』『レ・ミゼラブル』の3冊だった。すべてはじめて手にする本だった。

・敗戦後間もなく碧子は私を鎌倉へ誘ったが、私は熱を出して川端家へは行かなかった。何より鷹の目に脅えていた私はホッとしたことを覚えている。子供に対しても容赦なくジッと鋭い目で内面をえぐる。全体的に尖った印象の川端康成が私はどこかしら苦手だった。
 次に私が川端康成に会うのは、1957年(昭和32年)9月に国際ペンクラブ総会が日本で開かれたときだった。当時は川端が日本ペンクラブの会長であった。私は新米の新聞記者として取材にあたっていた。お目にかかったけれど、個人的な会話はなかった。
 川端康成は翌年、国際ペンクラブ副会長に就任し、1968年にノーベル文学賞を受賞した。日本人作家としては最初の受賞だったが、そのころは目立った執筆活動もなかったことを考えると、論功行賞的な趣が強かった。どうして拒否しなかったのだろうと、不思議に思ったが、私はその意見を公表しなかった。勇気がなかったのである。
 翌年の正月、伯母の碧子と鎌倉の川端家へ行った。彼女の目的はお祝いを伝えることだったが、私は自分の目で川端康成を確認したかったので付いて行ったのである。他に客もいて、ゆっくり話すことはできなかったが、帰りしなに川端は静かな口調ではあったが、毅然と「世界に恥ずかしくない作品を書いて死ぬつもりです」
 と言った。もちろん碧子に言ったのだが、ノーベル賞を重く受けとめている様子であった。

・アメリカのクノップス社の編集長シュトラウスは、文化大革命で中華人民共和国の若者たちが天安門広場で、古い本を反革命的と称して焚書していると説明した。三島と安部は抗議声明を作り、川端、石川、三島、安部の4人で共同記者会見を開いて中国政府にメッセージを訴える計画だったとわかった。
 結局、私も手伝うことになり、会場手配や声明文の印刷などをやった。シュトラウスは手持ち無沙汰にブランデーばかり飲んでいたが、一段落したとろで、青い目をしばたたせながら、クノップス社で発行する次なる日本の候補作家を推薦してくれるように2人に頼んだ。
 即座に、異口同音で挙がった名前は、「野坂昭如がいい。大江健三郎は少しも面白くない」だった。シュトラウスの来日目的は優秀でかつ売れそうな日本作家との契約だったのである。大江はアメリカ文学に近すぎると安部が言い、三島はそれに同調していた。

・その翌日、私は思いがけずに川端康成にノーベル賞受賞後、2度目に会うことになった。疲れている様子だった。
 翌日、中国の新華社通信は、この4人の声明文を取り上げ、毛沢東主席による焚書禁止が発表されている。効果はあった。4人の個人的な忠告が功を奏したのだろう。中国の古典文学は命拾いしたのだった。

・その後、川端康成は執筆に励んでいた様子だが、作品が発表されることはなかった。1972年4月16日夜、仕事場にしていた逗子マリーナのマンションでガス管を咥えて絶命している姿を、警備員とお手伝いの女性によって発見された。警察の調べでは「ガスが充満した室内で中毒死していた」とされ、「自殺、事故死の両面で捜査している」と報告された。それが、自殺説と事故死説に分かれる原因になったのだが、最初の発見者の証言によれば、自殺を疑う余地はまったく残されていない。

・1970年11月25日に市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺した三島由紀夫の葬儀委員長になり、翌年の東京都知事選挙では自民党の秦野章候補を応援して選挙カーにも乗った。
 本来政治的な動きをしたことのない川端には、前者はともかくとして、後者は多くの友人・知人から奇異の目で見られる結果となった。

・とにかく精神錯乱の傾向がときどき現れたとする証言も少なくなかった。秦野章の選挙戦最終日に川端とともに選挙カーに乗った今東光は、「やあ、日蓮様ようこそ」と挨拶されてびっくりしたそうである。その際に「昨日は三島くんも応援にかけつけてくれた」とも言っていたそうである。年齢的にはアルツハイマーだったとしても不思議ではない。
 自殺は間違いないと思うが、芹沢光治良のように死ぬまで川端は事故死だと主張していた友人もいた。しかも、日本ペンクラブ関連の資料は、「自殺ではない」と証言している作家たちの記録だけが現在も保存されている。奇妙な話ではないか。
 川端康成はノーベル文学賞を受けなければよかったのではないかと私は今でも思っている。
 あの時期、日本人作家では川端と同時に三島由紀夫の名前がノミネートされていた。もし三島が受賞していれば割腹自殺もなかったかも知れないし、さらに川端の自殺もなかったのではないか。
 私は二人の関わりの虚実を垣間見る思いがしてならない。川端は72歳で死んだ。

<三島由紀夫、最後のメッセージ>
<「ボクはノーベル賞なんて欲しくない。人は誤解してるんだ。川端さんでよかったと本心から思っているし、もし次があるとしても、ボクは要らない」   三島由紀夫>
・六本木交差点近くに「ミスティ」という男性専用の秘密クラブがオープンした。私はいずみたくに誘われて、会員になった。入会金と月会費が高いので尻込みしたが、毎回の使用料だけ払えば他はいずみたくが負担してくれるというので入ったのである。
 プール、サウナ、マッサージ、各種トレーニング施設の他に、ガウン一枚で遊べるプレイルームがあった。麻雀、ビリヤード、カードテーブルなど、それこそ至れり尽くせりだった。気に入って、ちょっと時間が空くと入りびたっていた時期があった。
 ある日、サウナ風呂の中で三島由紀夫にバッタリ出会った。互いに会員だとは知らなかったので驚いた。

・三島はズケズケ言う。その日は川端康成とのそれぞれの縁について話が弾んだ。
「ボクはノーベル賞なんて欲しくない。人は誤解してるんだ。川端さんでよかったと本心から思っているし、もし次があるとしても、ボクは要らない。太宰(治)と一緒で、もともと賞には向いてないんだよ」
 珍しく内面を吐露してくれた。負け惜しみではなく、ノーベル賞そのものに関心がなかったのだろう。その後もときおり「ミスティ」で会うことがあった。待ち合わせなどしたことはなかったので、いつもまったくの偶然だった。
 1970年11月22日、つまり三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊へ突入する3日前の午後、私が「ミスティ」で麻雀をやっていたら、三島がプレイルームに入ってきて声をかけた。
「諸君の不健康な遊び好きには感銘すら受けるけれど、いざというときのために肉体だけは鍛えておかれることをお勧めする」
 敬礼するや、その一言を残して去って行った。私が三島さんにお目にかかったのは、その日が最後だった。
 3日後、何時間も三島由紀夫割腹自殺のニュースをテレビで見ていた。

・これまでにも自殺を遂げた作家はたくさんいる。しかし、同じ自死でも突発的であるのと用意周到とでは違う。方法は似ていても差異はある。
 有島武郎や太宰治のように女性を道連れにする心中タイプもいれば、突然飛び降りてしまう人もいる。遺書を用意する人も少なくないが、遺族や親族がそれを隠蔽してしまうケースもある。川端康成は錯乱状態にあったのかも知れない。

<大江健三郎の処世術>
<「まだ、その時期ではないと思う」  大江健三郎>
・同世代で同時代を生きた作家として、かつて私が特に注目したのは、小田実、石原慎太郎、大江健三郎の3人だった。
 1956年(昭和31年)、『太陽の季節』で芥川賞を取った石原慎太郎は、まだ一橋大学に在学中だった。ペニスで障子を突き破るという表現も斬新だったが、太陽族ブームを惹き起し、映画化され大ヒットした。
 2年後に東大生の大江健三郎が『飼育』で芥川賞を取り、この2人のデビューは日本の文学界に大きな衝撃を与えたのである。
 その直後に、小田実はアメリカ大陸を貧乏旅行し、帰国後すぐ『何でも見てやろう』を発表、これまた大ベストセラーになった。

・折から日米安保が争点となり、3人はともに「若い日本の会」の発足に参加し、安保反対の姿勢を鮮明にしたのだった。

・しかし、この中にいわゆる革新的なグループに所属している人は一人もいなかったし、全員がノンポリに近かった。ことにリーダーに指名された小田実は純粋なリベラリストだったし、石原慎太郎は思想的には何もない遊び人間だったし、大江健三郎は社会性はあったにせよ個人の枠の中で作家活動に入ったばかりであった。

・小田実はベトナム戦争に反対する立場から市民運動の「ベ平連」を結成した。大江健三郎は作品を通じて、日本社会への警鐘を鳴らしながら文明批評を展開しようとしていた。

・大江健三郎がいつごろから岩波書店に近くなったのかはっきりしないが、緑川亨が社長になる以前だったように思う。いわゆる出版界では岩波文化人と呼ばれる横につながりを持つ学者や作家がいて、日本共産党に近くセクト的な意味で政治色が強いとされていた。その点、緑川はノンポリだった。

・翌年、『文学界』に連載を開始した『セヴンティーン』は、浅沼稲次郎を刺殺した右翼少年山口二矢をモデルにした小説で、政治と性を主題とした問題作だった。この作品は右翼団体から脅迫を受け、出版社側からの意向もあって、大江作品としては完結されたとは言えなかったし、しばらくは私小説的な方向へと舵を切ってもいる。
『セヴンティーン』は女性団体からも差別的との指摘を受け、改訂せざるをえなかった。
 こうした一連の事柄から、大江健三郎の創作活動は少しずつ用心深くなり、ある種の計画性を持つようになった。二重人格的な傾向もしだいに強くなり、家庭的な問題も影響して、作家としてのスタンスはしだいに曖昧になる。
 
・東日本大震災で原発事故が起きたときに大江は反原発の先頭に立ったが、こうした前歴をどこへ棚上げしたのか。忘れてしまったとは絶対言えないような気がする。他の有名人・知識人にも当てはまることでもあるが。
 体制加担への疑問をかねてから大江に抱いていたのが、本多勝一だった。体制・反体制の双方に「いい顔」をしてみせる人物として、大江を鋭く批判した。ノーベル賞を受けたときにも、本多は『週刊金曜日』誌上で大江を徹底的に取り上げ叩いている。

・伊丹十三が仕事場のマンションから駐車場に飛び下り自殺したときには、(義弟である)大江健三郎が一切を仕切った。その対応は、ことに伊丹の友人たちに対して酷いものだった。
 検屍の結果自殺と決まるや、湯河原へ遺体を運び、親族以外の人を閉め出した。

・伊丹の死には何かしら裏があったのではないかと疑いたくもなるではないか。私は今でも他殺または事故死に違いないと思っている。

・井上ひさしが憲法記念日に意見広告を出そうと言いだして、中山千夏と私は市川の井上家に招集された。朝日新聞の全面を格安で使えると言う。
1千万円だったか、2千万円だったか忘れてしまったが、井上のプランでは発起人に私たち3人だけでなく湯川秀樹、大江健三郎を加えて募金を集めようという。

・「まだ、その時期ではないと思う。もっと効果的にやるなら、一般の人たちの危機意識がもう少し高まったころを見計らうべきだ」
 大江の意見が伝えられてきて、もともと井上が全額費用は建て替えると言うことで進めた話なので、大江抜きでやるしかないと、私たちは主張した。ところが、大江の考えはもっともだと井上が言いだして、湯川秀樹を騙したようなかたちで終わってしまった。

・市民運動ですらこのテイタラクなのだから、利害損得のからむ話になればどんなことが起こるか想像もつかない。有名人、文化人にも流行りがあって、名を連ねたい人がひしめいている会などは、どのみち効果はないのである。得意満面は真っ平である。担ぐ側も担ぐ側だが、担がれる人も滑稽千万である。福島原発の事故にしても、それは例外ではなかった。

・まさか神格化はされていないだろうが、大江健三郎の存在の危うさは途方もない。ノーベル賞の授賞式では「あいまいな日本」をテーマに講演をしている。アイマイなのは、そのご当人ではないのかと言いたくなる。前言を翻したり、時と場合で使い分けたり、権威や権力に媚び諂ったり、死ぬまで偽善のパレードを続けたら、それも仕方あるまい。

<五木寛之との10年間>
<「矢崎さん、身なりは貧しいけれど、彼(井上陽水)は大金持ちです。遠慮なくムシってやってください」  五木寛之>
・カルチェラタンで5月革命が起きた。学生たちが街を占拠した。1968年(昭和43年)のことだ。
 パリに滞在していた五木寛之から編集室に国際電話がかかった。
「やっと『話の特集』に掲載いただける素材を手にいれました。まず航空便で写真は送りますが、原稿は帰国してからで間に合いますか」
 突然のことだったので、私は一瞬返答に窮した。原稿を依頼したのは1年以上も前だったが、執筆の約束をもらっていなかった。たしか「考えてみます」という返事だけで、その後の連絡はなかったように記憶している。

・五木寛之は革新的な左翼ではなかったが、革命を志す者を支援したり、活動家にせがまれるとカンパも惜しまなかった。NHKでドラマ化された『朱鷺の墓』の放送権料を重信房子に渡したこともあった。こうした経緯を知った竹中労が脅しがらみで、どれくらい五木から金を受けとったことか。

・『遠くへ行きたい』のロケに五木はときおり「お弁当」をこっそり持ってくることがあった。つまり自分の愛人を連れてくるのである。それをお弁当と言う。スタッフから通知は受けていたが、私は特別な問題とは思わなかった。超多忙の五木が妻に内緒で愛人を連れて歩くのは仕方のないことだし、撮影に支障さえなければとやかく言うつもりはなかった。私だってやりかねない。
 ところが連れの女性が急病で救急車で運ばれる事件が起きた。慌てた五木はその女性を私の妻にしてしまったのだ。深夜私の家に病院から電話があって、事情を知らない私はびっくりする。プロデューサーとしては引き受けるしかなかった。思えば私にだって妻はいるのだ。勝手な奴だと思った。

・私たちは「五木牧場」と揶揄したりしていたが、若い女性読者に人気のあった五木の周辺にはいつも色香が漂っていた。今から思うと、五木には説教癖があって、高級クラブのホステスを学校に通わせたり、読書させたりして普通の職業女性に育てあげる。面倒見もとてもよかった。詳しくは後述するが、仏教に興味をすでに抱いていたのだろうか。

・五木寛之の紹介で関根(高橋)恵子に会って、彼女の原稿を読むことになった。そのころ彼女は20歳前後で大変に端々しく美しかった。内容は十代に受けた義理の父親からのDVを告白した小説だった。私は新進女優の赤裸々な文章に圧倒された。即座に掲載を約束した。そこに五木が現われ、その原稿を持ち去ってしまったのである。
「紹介者としての責任もありますから、私も読ませていただきます」
そのまま、私の手に返されることはなかった。どういうわけか、五木が発表させなかったのである。五木に問うと、「書き直させている」
 と言うだけで、ついに陽の目を見ることはなかった。二人はどういう関係だったのか、私には謎のままだった。あの小説はどこかから発表されたのかどうか、知るよしもない。

・私が戦火のベトナムに取材旅行に出発する直前、五木は箱根で壮行麻雀会を開いてくれた。高いレートの麻雀をやって取材費の足しにでもしないさいという配慮だった。そのとき、五木は井上陽水を連れてきた。穴だらけのジーパン姿の井上を一目見て、私はびっくりしていた。初対面であった。いぶかし気な私を見て、
「矢崎さん、身なりは貧しいけど、彼は大金持ちです。遠慮なくムシってやってください」
 五木はこの高名な歌手と私が知己でなかったことに驚いた様子でもあった。その夜、私は大勝利して、大金を懐にして旅立った。ベトナムが陥落し、サイゴン(現ホーチミン市)からポルポトが支配するプノンペンに連れ去られそうになったとき、この所持金が役にたった。ワイロがものを言ったのである。思えば五木は命の恩人でもあった。
 もちろん話の特集社の株主でもあったし、私の2人目の息子の名づけ親にもなってもらった。親密の度は増すばかりだった。

・それにしても今日の五木寛之はまさに不死鳥のような存在である。『日刊ゲンダイ』に創刊以来一度も休まず連載中の「流されゆく日々」は私もずっと愛読しているが、まったく衰えを知らない。健筆ぶりには私は感心させられるばかりだ。あのエネルギーの源泉はいずこにあるのか。不思議でならない。

<五木寛之への手紙>
<「ボクはやるしかないと思ってる。だから矢崎さんが仲間に声をかけてくれることに期待しているんです」  五木寛之>
・片時も忘れたことはない。それほどの衝撃を受けてしまった。五木寛之が私の前から忽然と姿を消したのだ。それ以前の10年間は、濃密かつ親密な関係が続いていた。そして突然去って行った。それからおおよそ30数年の歳月が流れた。彼は私から巧みに逃げたとしか思えないのである。

・市民政治運動として、革新自由連合(革自連)が発足したのは1977年(昭和52年)6月1日だった。この日、渋谷公会堂に2千人の聴衆(賛同者)を集め、結成イベント『マニフェスト77』が開催された。そこに、五木寛之の姿はなかった。

・前年の夏ごろ、青島幸男(当時・参議院議員)と竹中労に個別に会った五木寛之は、改めて三者会談を持ち、革自連の構想をまとめた。画期的なプランだった。
 次回の参議院選挙(1977年7月)に仲間の知識人及び文化人(著名人・有名人に限る)を10人擁立し、全国区で全員の当選を実現する。青島が所属する二院クラブを法案提出可能な院内で発言力のある会派に発展させ、参議院本来の使命を遂行しようという計画だった。

・市民の政治参加によって、社会党を中心とする革新勢力の拡大は必至だった。目の付けどころは的確だった。五木寛之が登場する舞台は十分あったのである。日本一の流行作家であり、ノンポリの論客であった。彼が重い腰を上げたのだ。

・五木寛之との初対面は1966年の末ごろだった。直木賞を受賞する前だったが、『さらば、モスクワ愚連隊』で高い評価を受け、すでに多忙だった。それでも『話の特集』への執筆を約束してくれた。翌年『蒼ざめた馬を見よ』で第56回の直木賞を受け、流行作家の仲間入りを果たしたのである。

・しかし、出馬を決心したのは、出席者からは鈴木武樹、羽仁五郎(後に辞退)、中村武志の3人だけだった。つまり、大方の期待を裏切る結果となったのである。計らずも五木寛之が危惧したことが現実になった。だが、もしこの日、五木寛之が出席して立候補に踏みきっていたら、野坂昭如、大橋巨泉、大島渚も続いていたかもしれない。実際にはまだ間に合ったのだ。

・新聞もテレビも、大々的に「マニフェスト‘77」を取り上げたが、「革自連不発」の見出しや報道がほとんどだった。さらに週刊誌がそれに追い打ちをかけた。
「カラ騒ぎ」「仲間割れ」「腰砕け」と酷評した上で、しょせんは有名人のお遊びに過ぎないと切り捨てたのだった。私たちは歯をくいしばって、翌月に迫った参院選に向かって10人の候補者を立てるしかなかった。
 むろん、五木だけが悪いわけではないだろう。しかし、自分が中心になって発案し、私をはじめとする多くの協力者をないがしろにして、ついには行方不明になった。こんなことが許されるわけはない。
 ついには事務局長のばばこういちも立候補し、10人揃えて選挙戦では確認団体となったものの、追加公認した横山ノック1人が当選を果たしただけだった。

・私は1977年以来、五木寛之を探し続けた。蜜月だった10年間から、現在に至る長い旅は終わっていない。なぜ私たちを裏切ったのか。五木寛之にいったい何が起きたのか。その真相をどうしても私は知りたかった。

・革自連が惨敗した直後に、文藝春秋の幹部役員から「内緒だけど」と前置きされて、「五木には田中清玄(右翼の大物)からきついお灸を据えてもらった。作家を続けたいなら、政治なんかに手を出すなとね。相当ビビったらしいよ」
 と伝えられた。真偽はいまも不明である。五木が直木賞の選考委員に抜擢されたのは翌年の1978年だった。1979年には日本ペンクラブの国際委員長に就任している。

・五木寛之が社名をつけたと聞く幻冬舎から『大河の一滴』『人生の目的』などのいわゆるミリオンセラーを上梓しているが、同系列の『生きるヒント』『他力』『下山の思想』と立ち読みすれば、そのテクニシャンぶりにいささかうんざりさせられてしまう。ロングセラーの『風に吹かれて』はこれまでに4百万部を売りつくしたと言われている。
 そこで私は改めて問いたくなるのである。なぜ革自連を捨てたのか、何かの圧力を受けたのか、それとも、それからの作家活動のために必要な変身だったのか。利害損得だけで仲間を裏切ってもよいのか、と。

<永六輔と私の「貸し」「借り」半世紀>
<「矢崎さんが死ぬ前にボクは死なない。何を言われるかわからないから」 永六輔>
・「1回でなく連続してずっと書かせてもらいたいんです。もしそれが不可能なら、編集の仕事の手伝いでもいい」
 永六輔は多忙人間とは思えないことを口にした。会社と同じビルの中にある「ニュー・トーキョー」に席を移して、ゆっくり話し合うことにした。彼がすでに用意してきた企画プランが3つあった。時代考証のある「日本乞食考」、開国時代の日本をテーマにした物語「ヤッパンマルス」、それとはまったく違う「アカちゃん」という小説だった。いずれも長期連載向きのものばかりである。私は思わず唸った。
「いいんです。お付き合いするだけでも。それより編集者として使ってくれませんか」
 毎日出社して他の編集者と同じ仕事をしてみたいと言うのだった。そんなことを考えられないし、とうてい無理だと思った。まったくせっかちな人だと驚きながら、乞食の話に興味を示したところ、その原稿なら持参していると言う。さっそく見せてもらって、次号から「われらテレビ乞食」が始まることになった。
 永六輔との長い交流はこの日からである。
 しだいにわかったことだが、自分が興味を持ったことに忠実な人だったのだ。あまりの素直さに私は驚嘆し、信じられない思いでいっぱいだった。それこそ全身を使って行動するパワーが横溢していた。
 約5年間は、永六輔と『話の特集』及び私は蜜月時代だったと言ってもよい。


<●●インターネット情報から●●>
ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から引用。
{日本の自殺}

日本における自殺は、厚生労働省が公開している人口動態統計の年度別・死亡原因別の人口10万人中のシェアとランキングでは、2016年度は1位は癌で298.3人、2位は心疾患で158.4人、3位は肺炎で95.4人、4位は脳血管疾患で87.4人、5位は老衰で74.2人、6位は不慮の事故で30.6人、7位は腎不全で19.7人、8位は自殺で16.8人、9位は大動脈瘤および解離で14.5人、10位は肝疾患で12.6人である。

世界保健機関(WHO)は2015年度の統計では、人口10万人中の日本の自殺率と世界ランキングの高い順は、男女合計は19.7人で18位、男性限定は27.3人で20位、女性限定は12.4人で8位である(国の自殺率順リスト)。

OECDは、日本はうつ病関連自殺により25.4億ドルの経済的損失をまねいていると推定している。

WHOによると2015年の世界の10〜19歳の若者の死因一位は交通事故、二位が大気汚染などによる呼吸器疾患、三位が自殺である。欧州と南アジアを含む地域で死因の1位または2位を占めている。

1990年代後半:戦後最大の自殺者数の急増

1998年(平成10年)にはバブル崩壊後で特に相次いだ国内の金融機関破綻があり、年間自殺者数が32863人(警察庁発表。人口動態統計では31755人)となり、統計のある1897年以降で初めて3万人を突破した。2003年(平成15年)には34427人(人口動態統計で32109人)に達し、現在までにおける過去最大数となっている。

1998年以降から近年まで続いたピークは戦後最大のものであった。それまで約2-2.5万人程度であった年間の自殺者数が3万人以上で推移する状況にあったが、1998年は前年の24391人から8000人以上も急増(前年比約35%増)した。うち25%は45歳以上の層のもので、中高年の自殺増が急増への寄与が大きい。急増した原因として景気の悪化を指摘するものも多く、各種統計や自殺者の遺書などから、今回のピークの原因は不況によるものと推測されている。OECDは90年代後半の自殺増の理由としてアジア通貨危機を挙げている。また読売新聞1999年8月7日付けの記事では自殺の急増、とりわけ男性の自殺者が増えたしたことを報じたが、そこでは「元気ない男性」として、男性が家事や育児に参加して男性の意識改革を図るべきとジェンダー論から自殺原因や対策を報じた。一方、船瀬俊介は著書「クスリは飲んではいけない!?」(徳間書店)にて1998年に自殺が急増したのは新抗うつ剤が出現した時と一致しているとの見解をしている。

不況の影響を受けやすい中高年男性でピーク後の自殺率が特に急増し、遺書から調べた自殺原因では、1998年以降、ピーク前と比べて「経済・生活問題」が急増している。内閣府経済社会総合研究所の統計では、失業要因が安定して有意に男性自殺率を増加させ、1998年以降の30歳代後半から60歳代前半の男性自殺率の急増の要因は、雇用・経済環境の悪化である可能性が高い事が年齢階層別データ分析、都道府県別年齢階層別データ分析の双方において確認できる。女性の自殺率はピーク前とあまり変わらず、男性の自殺率の影響が顕著である。男性は高年齢層で自殺しやすく、高齢化は男性の自殺率増加の原因を2割程度説明する。年齢別で見ると、40〜60代の増加が顕著で、特に60代ではピーク前の3割増になっている。

以上の1998年以降の「定年に至っていない中高年男性の自殺率増加」の背景には、過去のものとは動向が異なり、「経済・社会的な要因」が大きく影響している可能性が指摘されている。2003年(平成15年)には、年間自殺者数が3万4千人に達し、統計のある1897年以降で最大(自殺率も27.0と過去最大)となった。

リーマンショック以降
2009年(平成21年)までほぼ3万2千人台で推移、2010年(平成22年)より減少傾向となって3万人を超える水準は2011年(平成23年)まで続いた。 ただし、厚生労働省発表の人口動態統計のデータでは過去にも2001年(平成13年)と2002年(平成14年)、2006年(平成18年)に3万人を割っている。 「年間3万人」とは一日あたり平均80人以上となり、日本で2012年までの14年間だけでも45万人が自殺で亡くなっており、日本で家族を自殺で亡くした遺族は300万人を超えると推計されている。2012年に清水康之によって、日本で暮らす人の40人にひとりは自殺者の遺族であり、日本人にとっては非常に深刻な問題で、身近にある問題であり、また日本の自殺者数は世界で8番目で、米国の2倍、イギリスやイタリアの3倍となっており危機的な状況と指摘されていた。

2012年(平成24年)以降は減少し3万人を下回った。2012年(平成24年)の日本の自殺率(人口10万人あたりの自殺者数)は21.8人で総自殺者数は27858人である(警察庁発表)。これは同年の交通事故者数(4411人)の約6.32倍に上る。

2013年3月14日、警察庁は2012年の自殺者数を前年比9.1%減の27858人と発表した。

2014年1月の警察庁発表では、2013年の自殺者は27283人で、4年連続で減少した事が明らかとなった。特に経済・生活問題を動機とする自殺者が減っている。経済状況の好転の他、自治体単位での自殺を防ぐ活動による効果が出たと分析された。

2014年版の自殺対策白書では、15歳から39歳の各年代の死因のトップが「自殺」であり、自殺対策白書は「15-34歳の若い世代で死因の1位が自殺となっているのは先進7カ国では日本のみ」としている。ただし、これは死因に占める比率であるため、自殺以外の死因が少なければ自殺の占める比率が上がることに留意する必要がある。WHOの調査によると2015年の世界の10〜19歳の若者の死因1位は交通事故、2位が大気汚染などによる呼吸器疾患、3位が自殺である。欧州と南アジアを含む地域で自殺が死因の1位または2位を占めている。

2017年の自殺数は2万1321人で、史上最多の自殺者数・人口10万人中の自殺率を記録した2003年と比較して、自殺者数は61.9%に減少し、人口10万人中の自殺者率は62.2%に減少した。女性の自殺数は6495人で1969年以後で最少になった。



『仮面の告白』
三島由紀夫  新潮文庫   2003/6



<三島由紀夫の作品における「仮面の告白」の中のフリーメーソン>
・ 「夜、私は床の中で、私の周囲をとりまく闇の延長上に、燦然たる都会が浮かぶのを見た。それは奇妙にひっそりして、しかも光輝と秘密にみちあふれていた。そこを訪れた人の面には、一つの秘密の刻印が捺されるに相違なかった。深夜家へ帰ってくる大人たちは、彼らの言葉や挙止のうちに、どこかしら合言葉めいたもの、フリ−メイソンじみたものを残していた。また、彼らの顔には、何かきらきらした直視することの憚れる疲労があった。触れる指先に銀粉をのこすあのクリスマスの仮面のように、彼らの顔に手を触れれば、夜の都会が彼らを彩る絵の具の色がわかりそうに思はれた。やがて、私は「夜」が私のすぐ目近で帷をあげるのを見た」。



『気の発見』
五木寛之  望月勇(気功家)  平凡社  2004/5



<見えない世界への旅>
<気は見えないから面白いのである>
・(五木)「気」というものの存在について、私はあまり真剣に考えたことがない。いまでもそうである。しかし、見えないから「気」は存在しないなどと考えたことは一度もなかった。また科学的に証明されないから「気」はありえないと考えたこともない。

・とはいうものの、「気」や「気功」といったものに対して、世間は長い間怪しげなものを見るような目で対してきた。いまもそうだろう。
 社会革命の夢が遠ざかったあと、人びとの夢は人間内部の探求へとむかった。身体革命の夢のなかから、「気」や霊的な世界への関心が高まっていったようにも見える。

・中国では国家的なプロジェクトとして、「気」の科学的解明と応用にとり組んでいるという。なにごとも徹底的にやりとげようとする国だから、いずれ目に見える成果も示されるはずだ。

<望月さんはロンドンで気功治療の仕事をなさっている>
・欧米人を相手にエキゾチツクな話をする位ならともかく、治療となるとさぞかし大変だろうと思う。

・私たちが空気の存在をふだん意識せずに自然に呼吸しているように、望月さんの「気」に対する姿勢はとても自然で、こだわりがない。

<気を実感するとき>
・(望月)動物についてですが、じつは犬や猫など、よく気功治療が効くんです。ロンドンで、腰痛の犬を治療したことがあります。
(五木)犬にも腰痛が?(笑)
(望月)ええ、犬が歩きにくそうにしているので、病院に連れていったら、腰のアーセライタス(関節炎)があると言われたそうなんです。腰が下がってしまったので、すぐ尻もちをついた格好になってしまう。その治療には、ずいぶんお金がかかるそうなのです。
(五木)保険がきかないからな。治療費も人間よりも高いみたいですね。
(望月)ええ。じゃあ、本人の治療の前に、10分か15分くらい犬に気を当ててあげるから連れていらっしゃいと言ったんです。まず玄関で犬に気を当てました。そのときはぐったりと横たわっていたんです。そのあと飼い主を治療し終わったときには、もう犬がぴょんぴょん歩き回っているんですね。(笑)
(五木)最近は、自分の子供よりもペットを可愛がっている人が多いから、そんな話を聞いたら大変だろうな。イギリスの愛犬協会の人がやってくるんじゃないですか。

・(望月)犬よりも猫のほうがもっと敏感で、私がちょっと手を近づけると皮膚がピクピク反応してきます。
 前に、英国人の男性のギックリ腰を治療したことがありました。私がどの英国人の家で男性に気を入れると、どこからともなく2匹の猫が現れて私の手の上に乗り、お腹をすりつけるのです。そのとき私は、猫は気の「波動」がわかるのだなと思ったのです。

・(五木)その点、ヨーロッパの人たちには、「気」というものは馴染みがないものですから、納得するのが大変なんじゃないでしょうか。気という英語はあるんですか?
(望月)「気」はないですね。中国語のCHI(チー)とか、サンスクリットのプラーナという言葉を使って説明しています。

<西欧人が気功治療を警戒するわけ>
・(五木)数年前、私がニューヨークで『TARIKI』という本を出版したとき、他力をどう英語に訳すかということが問題になったんです。翻訳家は、『アナザーパワー』とかいうから、それは違うだろうと。いろいろ探したけれど結局しっくりくるものがなくて、TARIKIという言葉を使ったのです。同じように、「気」は「気」ですね。
 望月さんは欧米のセンターのロンドンで、気功家として活躍なさっているんだけれども、ヨーロッパの人たちは、気をどういうふうに理解しているのですか。
(望月)東洋に興味のある人たちは、人間の体の中に生命エネルギーのようなものがあるのではないかと考えているようです。普通の人たちは、いや、そんなものはないと否定するんですね。熱心なキリスト教の人たちは、たとえば気功で治療して治ったというと、それは悪魔の力かというわけです。また、ある人は、いや、これは神の力ではないかと。
(五木)キリストも最初は、めしいたる者を癒し、足の萎えたる者を立たせたり………という奇跡を起こして、人びとをひきつけた。

・(望月)ドイツのミュンヘンに、年2回ほど治療に行っているんですが、12年前に初めて行ったとき、ドイツの人たちは、なんて頭が固いんだろうと驚きました。科学でもって理解できないものは、全部否定してしまうんです。

・(望月)どうしてなのかと思って、いろいろ訊いてみたら、どうも中世のころ、いろいろな村落で、魔女裁判が行われたらしいんです。ちょっとでも、人と違う、並外れた力がある人は、「あの人は、不思議な力を使う」と訴えられて、審問所に連れていかれたそうなんです。そうすると、魔女だということで、火あぶりの刑ですね。

・一つの村落が全滅したこともあったらしいです。そういうことが、歴史にあって、うっかり変なことは言わないということになったらしいんです。

・(五木)ヨーロッパの科学信頼の背後には、魔女的なものとか呪術的なものに対する忌避があるというのは、いわれてみれば、なるほどと思います。それでいながらヨーロッパの人たちは交霊術とか、心霊協会とかやたら好きですよね。とくにロンドンは『ハリー・ポッター』に代表されるように、魔女や魔法使い、ゴーストがうようよしている。
(望月)ロンドンは、不思議と、そういうことが盛んですね。大学でも、サイキック・カレッジとか、霊媒のような超能力を訓練するカレッジみたいなのがありまして。

・(望月)1回治っちゃうと、もう2度と来ません。来ているのは、奥さんが日本人とか、東洋に興味がある人たちです。一般の人たちは、科学でもって厳しく教育されていますから、証明できないもの、科学的でないものは、耳をふさいじゃうか、拒否しちゃうんですね。
(五木)それは魔女裁判のころの恐怖が、やっぱり残っているのだと思う。ともかく物凄く残酷なことをやったわけですから、周りに薪を積んで燃やして、若い女の子なんかを生きたまま、はりつけにして、その光景を大勢の人たちが見ていた。その記憶というものが、DNAに組み込まれて、子々孫々にまで伝えられているんじゃないかと思いますね。

<素直な心が気をキャッチする>
・(五木)ずっと前に聞いた説なんですが、欧米人は肩凝りが分からないというんです。凝るという状態を英語でうまく表現できない。ある専門家はバックペインだというけれど、それは背中の痛みであって肩凝りではないと思う。

・(望月)私はイギリス人やドイツ人など、ヨーロッパの人びとをみますけど、彼らの肩は、最初、触ると柔らかいんです。柔らかいから、凝っていないなと思うんですけど、肩は痛いという。ギューッと押すと脂肪の下に、ピアノ線がぴんと張ったようなところがあるんです。そこを触ると、痛い痛いというんです。彼らは、凝りかたが深いから、あまり自覚しないでしょう。

<初めての「気」はトーストの匂いだった>
・(望月)最初、少林寺拳法をやっていたんです。なかでも特に、整法、体を整えるということに興味をもって、経絡や急所、ツボというものを勉強したんです。

・経絡でつながっているから、反応するんですね。経絡の勉強をしていくうちに、中国の呼吸法や、インドのヨガに興味を持つようになって、自己流でやるようになったんです。

・ある時、ヨガのポーズで体をねじっていたら、背骨の辺りから、プーンとパンを焼いたような香ばしい匂いがしてきたんです。
(五木)自分の体の中から?
(望月)ええ、最初は、てっきり、どこかの家でトーストを焼いている匂いがしているんだと思っていたんですが、いつでも、昼でも夜でもヨガのポーズをすると、匂いがしてきたんです。そのうちトーストの匂いだけでなく、マーマレードやバラのような香りがしてきたり、足の下がむずむずしてきたんです。もしかしたら、これが「気」なのかもしれないと思いました。
(五木)他人に対して、気功治療をなさったのは、どういうきっかけなんですか。
(望月)1986年だったと思います。そのころ、ロンドンで旅行会社に勤めていたんです。たまたま少林寺拳法のインストラクターを案内して、アフリカをまわっていたときです。エチオピアで、その拳法の先生が練習中に首を痛めていたので、治療をしてさしあげたのです。

・(望月)以前にも、整法で肘の痛い人を治していた時、私が患部に触れる前に手を近づけていっただけで、痛みが消えましたと言われたことがあるんです。私はまだ何もしていないのに、不思議だなあと思っていたんですが、そのとき、テクニック以外の何がプラスアルファの力が働いているなどということは、なんとなく感じたんですね。

<気を送るということ>
・(望月)それから、ヨガや呼吸法を熱心にやるようになって、いろいろ不思議な感覚を覚えるようになってきたんです。ああ、これが「気」じゃないかと意識すると、気がどんどん集まってくるんです。
(五木)集まるというのは、実際にどんな感じなのかしら。
(望月)手のひらの中心が、もわっと温かくなるんですね。空気の真綿みたいな感じがするんです。それを相手の気の流れの悪いところに近づけるんです。たいてい、そこは、冷たく感じるので、その部分に気を送ってあげるんです。

<受け手の反応は十人十色>
(五木)なるほど、そういう治療を受けている側の反応はどうですか。私の友人が初めて気功治療を受けたときは、地獄の底からしぼり出したような、グォーという雄たけびを何回かあげたというんです。自分ではすっかり気分がよくなって、寝入ってしまったので自覚症状はなかったらしいのですが、ぼくは、それはきみの体の中から悪霊が出ていったんだという珍解釈をしたんですけど。

・(望月)ええ。ロンドン在住で、ご主人はシティ・ユニバーシティの健康心理学の教授でした。その奥さん、最初は、手足をバタバタさせていたと思ったら、終わりの頃になると声を出して泣き始めましてね。オイオイ、オイオイ子供のように泣きじゃくるんです。
(望月)ご主人の場合は、気を入れると手がピアノを弾くように動いてしまうんです。しばらくしたら、奥さんとは反対に笑いはじめたんですね。最初は小さな声だったんですが、だんだん大きな声で、気持ちよさそうに笑っていました。ご本人、笑いながら、なんで笑っちゃうんだろうといって、笑っていました。

(望月)ロンドンで15年くらい銀行に勤めている女性がいました。背中が鉛のように重くて、いろいろな薬を飲んでも効かない。マッサージや鍼をしてもだめで私のところに来たんです。その人に気を入れたら、突然、涙をポロポロこぼし始めたんです。ティッシュペーパーをいっぱい使って、治療中ずっと涙を流して泣いているんです。
 本人は、勝手に涙が出てくるといっていたので、泣いているという自覚がなかったんでしょう。終わったらまるで痛みがないというんですね。

<気の力>
(五木)望月さんが実際に治療したガン患者さんの例などは、ひとつのケースにすぎない。もっと大事なことは、「気」を扱う人がどういう姿勢で生きているかということだ。
 私は作家シャーマン説を言い続けてきた。書き手はひとつのヨリシロにすぎない、と。望月さんもご自分を1本のパイプにたとえている。なによりも大事なことは、すべてのことに対して謙虚であるということだろう。私は謙虚とはおよそ縁のない不作法者だが、謙虚であることの大切さはわかっている。

<気は宇宙の無限のエネルギー>
(望月)私が感じることは、臓器と臓器、また肉体をと心をつなぐ情報系エネルギーのようなもので、光ファイバーのように、体内には、そのエネルギーを流すシステムができているんじゃないかということなんです。
(五木)ふーむ。情報系のエネルギーですか。日本のホリスティック医学界のリーダー的存在の帯津良一さんは、外科医として、長年、手術の場に立ち会い、ひとつの疑問に駆られたそうです。
 人間の体を開いてみると、臓器と臓器のあいだに、隙間がある。この隙間とは何かと考えていった末に、ひとつの結論に達したというのです。この隙間にこそ、生命エネルギーがひそみ、それが臓器と臓器をつないでいるのではないか、と。

(五木)帯津先生は、中医学や漢方薬を研究された経験から、この隙間に、気があるのではないかと考えて、「気場」と呼んでおられるんですね。

<気功家シャーマン説>
<奇跡的な治癒を体験する>
・(五木)ところで、気功治療では、西洋医学や現代医療に見放された人びとが奇跡的に回復するようなケースが報告されたり、口コミで伝わっていますけど、望月さんご自身も、びっくりされるほどの奇跡的な治癒というものを体験されたことはおありですか。
(望月)いくつかありますけど、最近の例ですと、イギリス人の男性が膀胱ガンで来ましてね。膀胱の中がガンだらけになり、お医者さんから、人口膀胱を覚悟してくださいと言われたそうなんです。それがどうしても嫌で、なんでも効き目がありそうなものをやってみようと、私のところに来たんです。
(五木)どのくらい治療をされたんですか。
(望月)1週間に1回くらい、4、5カ月続けました。そうしたところ、ガンは膀胱からすべて消えて、5年ほどたちますけど、いまも元気です。月に1回ほど、再発防止のメンテナンスといって来ています。

・(望月)3年前になりますけど、日本人の50代の男性が右あごの骨のところに空洞ができ、それがどんどん大きくなって、激痛が走るようになっていったんです。ガンの一種でした。しまいには、あごの骨がなくなってしまうといわれ、病院から大腿骨を削って、あごの骨のところにつけるようにすすめられていたんです。その人はそれを断り、友人から私のことを聞いて、ロンドンに1カ月ほど治療に来たんです。
(五木)日本からわざわざ?
(望月)ええ、それで毎日、1時間半、気を送ったところ、夜も眠れないほどの激痛もだんだんと治まっていって、あごのところにあったこぶし大のこぶが小さくなっていったんです。最後には、とうとう消えて、とても楽になったんですね。それで、ゴルフも楽しんで帰国し、病院で検査をしたら、ガンに冒されていたあごの空洞の部分に新しく骨ができていると言われたそうなんです。いまは、再発もなく、元気に生活しています。

<気功療法が効く人、効かない人>
・(五木)前にお話しした帯津良一さんが、ロンドンのガン専門病院の婦長さんの言葉として、「ガンはミステリアスだ」というものを紹介されていて、とても感動したんです。つまり、ガンというものはどうして発病するのかもはっきりわかっていないし、抗ガン剤が劇的に効くケースもあれば、逆もあり、また、いわゆるオータナティブ・メディスン(代替医療)が功を奏する場合も報告されている。そして、なにもしないのに治るという自然療法といった奇跡的な回復も無視できないというわけですね。
 その意味では、気功治療で、ガン細胞が減少したという例を望月さんは実際に体験されているわけですから。

・(望月)アラブ首長国連邦の、ビジネスマンのケースなんですが、彼はスイスの病院で腎臓ガンと宣告されたんですね。ニューヨークの有名な病院で手術をすることになり、そこに行く途中に、ロンドンで降りて、私のところにやってきたんです。で、彼に気を送ると、左の腰の上のあたりの細胞が、ぱたぱたぱたぱたと動き始めたんです。まるで蝶々が羽を動かしているような感じで、それが手に直接伝わってきたんです。なにか強い反応が起こっているなあという感じを持ちました。

・(五木)それで、そのアラブのビジネスマンは治ったんですか?
(望月)ええ。ニューヨークの病院に行って、手術前の検査を受けたところ、何もないといわれたそうです。
(五木)へーえ。
(望月)その人は、慎重な人でそれだけでは信用できず、セカンドオピニオンを求めて、さらに有名な病院に行き、徹底的に調べてもらったそうです。そこでもなんでもないという診断だったので、喜んで報告してくれました。

(望月)気功療法が効くかどうかに関して、これまでの経験から、5つのタイプに分類しているんです。1つは、もともと気の通りがよくて、心がオープンな人。こういう人はすごく効きます。2番目は身体的に気の通りがよいが、心は閉じている人。こういう人は、気を信じていなくても、唯物論者でも効きます。3番目は、もともと気の通りが悪い体ではあっても、心が自由でオープンな人。こういう人はすぐには効果が出なくても、2回3回と治療を重ねていくうちに、徐々に気の通りが良くなって、治っていきます。
(五木)気功が効かない人というのは?
(望月)4番目の、もともと気の通りが悪くて、しかも、心が閉じている人。こういう人はほとんど何の反応もありません。

(望月)だけど不思議なのは、5番目のケースです。どうして治ったのか、分からない。本人も私もお医者さんも、首をかしげる場合が時々あります。人知を超えた、何か大いなる力が働いているんじゃないかと思うことがあります。
 この第5のケースに関しては、2とおりあります。物理的、医学的にみて、ほとんど無理だと思われても奇跡的に治る場合と、もう一方では、体はよく反応し、気の流れがスムーズにいくようになっているのに、本人の気分がよくならないし、病院の検査結果も思わしくないケースです。
 私がこの5番目のケースを、深く考えることになったきっかけがあります。ずっと以前、ドイツのミュンヘンで、60代半ばのドイツ人の女性を治療してあげたことがあります。その女性は顔面麻痺で、耳の後ろの神経を手術したあと、その後遺症で歩けなくなり、それから何年も車椅子の生活になってしまいました。下半身がぜんぜん動かないのを確かめて、私は心の中で、これはちょっと無理だなと思ったんです。
 半年後、再びミュンヘンへ行ったとき、明るい笑顔の女性が、すたすた歩いて私のところへ来ました。見ると、あの車椅子の女性でした。私は、その変わりように、本当にびっくりしました。なにか人知を超えた力が働いたとしか思えませんでした。それ以来、私は、やってみなければ、治るか治らないかは分からないと考えるようになったんです。

<自利利他の思想が根底にある>
<「気」による遠隔療法>
・イメージ療法のことは、かなり前から耳にしていた。たしかに一理あるとは思うのだが、これも可能な場合と、不可能な場合とがあるに違いない。
 「気」による遠隔治療のこともそうだ。望月さんはごく自然に、ロンドンから気を送ったら東京の人がそれに感応した、と言われるが、私にはまだ実感として理解できないところも多い。

<遠隔治療は本当に効くのか>
(五木)「気功」の治療で一般の人に分かりにくく、誤解されやすいのは、いわゆる遠隔治療ですね。電話治療とか、気功治療の1ジャンルとして、実際に対面しないで、はるか遠くから気を送ると、空間を超えて、受け手はすぐさまキャッチし、体は反応を示すというのがなかなか分からない。望月さんも遠隔治療をなさったことがありますか。
(望月)はい。東京からロンドンに電話がかかってきて、いま、ギックリ腰になってしまって、動けないので、気を送ってくださいとか、よくありますから、そうすると、「では、今から気を送りますから、リラックスして、私の気を受けてください」といって電話を切り、わたしは、その人が元気になって、歩いている様子をイメージしながら、気を送るんです。
(五木)受け手のほうは、何か感じるんでしょう。
(望月)なにか、光のようなものが、部屋に入ってきて、腰の一番痛いところに集まって、その箇所が熱く感じるといいますね。
(五木)それで効果はどうなんでしょうか。実際に手を当てて、気を入れてもらうのと同じなんでしょうか。
(望月)私は変わらないと思います。11ミリの悪性腫瘍が肝臓にできた50代の男性に頼まれて、毎日朝と夕、2回ずつロンドンから東京に気を送っていたんですが、1カ月くらい過ぎた頃、病院の検査があったんです。そうしたら、完全に消えていたんですね。もう3年位経ちますけれど、現在も再発しないで、元気に仕事をなさっています。

<多く祈られた人は早く回復する?>
・(望月)やはり祈りという想念が、距離を超えて、その先に働くんじゃないかというんです。その力が何なのか、現代科学では分からないですけど。

<東洋医学は生きた人間を観察してきた>
(望月)それはおそらく東洋医学と西洋医学の根本的な出発点の違いだと思うんですね。東洋医学は生きた人間を観察してきたんですね。
(五木)むこうは解剖学から出発しているんです。死体を切る事から。
(望月)ええ。中国もインドも、大昔、かなり解剖したらしいんです。だけど、死んだ人間をいくら解剖してみても、気とかなんとか発見できないし、何も分からないので、廃れていったんだそうです。

<先天の気と後天の気>
(望月)気功療法の場合、相手のもっている気も違えば、受け取り方、感じ方も違う。反応はさまざまなので、例えば、頭に10分、お腹に15分、といったマニュアルは作れないんです。その人の必要としている箇所に、こちらの手が自然にいってしまうんです。

<気にはキャラクターがある>
<東洋人と西洋人の精神と肉体の違い>
(望月)前に話したシティ・ユニバーシティの教授ですが、奥さんも自分も「気」というものに反応して、体をバタバタさせたり、泣いたり、笑ったりしてしまったという事実がなんとしても納得しがたいんですね。
(五木)ええ。
(望月)それで、次に来た時、ビデオカメラを抱えてきて、治療しているところを撮影させてくれと言い出したんです。
(五木)いかにも、イギリス人らしい発想だなあ。(笑)

<西洋人は気にどう反応したか>
・(望月)ミュンヘン在住の日本人女性が、甲状腺ホルモンの出すぎでめまいを起こし、一生薬を飲み続けなければならないって言われたんですね。私のところに来たんですが、何回か、気功をしたら、すっかり目眩がなくなったんです。そして、1年経ったら、血液検査の結果も正常に戻り、喜んでいたんです。
(五木)それで、その女性の主治医はなんと言ったんですか。
(望月)なんの治療もしないのに、1年後に検査したら、完治していた。どうしたのかと訊いたら、気功治療を受けていた。どうも納得できないからと、私のところにやって来たんです。

<気に目覚めはじめた西洋人>
(五木)欧米がグローバル・スタンダードを掲げ、また日本もそれに追従しようとしている傾向の中で、一方では、それに疑問を抱いている人たちも確実に増えているように思えます。ニューヨークの歯科医院では、東洋医学のつぼ療法をとり入れたり、大病院で「REIKI」(霊気)という手かざし療法を行っているところもあるそうです。そんななかで、望月さんたちの気功への関心も年々高まっているんでしょうね。

<気はエントロピー増大の法則にさからえるのか>
(望月)五木先生もさっきおっしゃった医学博士の帯津良一さんが、「エントロピー増大の法則」についておもしろいことを書いておられました。
「エントロピー増大の法則」にさからって存在しているのが、私たちの生命であると。生命や生命活動というものは、むしろ無秩序から秩序形成へ向かう性質を持っているというんです。私はそのことを実感していますね。

<吐く息に重点を置く呼吸法>
(望月)ヨガでは、まず吐く息に意識を向けるように教えます。吐く息に意識を集中して、体の中の老廃物、邪気が全部出ていくことをイメージして、すべてを出し切るんです。吸う息の場合は特別意識せずに自然にまかせて、入ってくるだけでいいんです。
(五木)とにかく吐く息をでいるだけたくさん、吐き切るまで全部吐き切る。あとはべつに、吸う努力もせずに、自然に空気が流れこんでくるのにまかせておけばいい。

<宇宙の無限のエネルギーを補給する>
(五木)ただ呼吸法の本なんか読んでいると非常に難しい。たとえば西野式は『足芯呼吸法』といって、足の裏から大地の気をすっと吸いあげて体全体に送り出すイメージでしなさいというんですが、これがなかなかできないんです。

<ヨガの究極の目的は宇宙との一体感>
(五木)ということは、ヨガの3要素というか、3本柱は、ポーズと呼吸法と瞑想なんですか。
(望月)ええ、それはお互いに関係しあい、支えあっているんです。

<居職の人たちが健康なわけ>
(望月)ヨガは体を動かすけれど、厳密にいえば、運動ではないですね。
 おもしろいことがありました。ロンドンでは、いろいろな宗教やカルトまがいの教団がたくさんあるんですけど、いつもヨガに来ている人が、教会の神父さんに注意されたというんです。『ヨガに参加しているようだけど、ヨガエクササイズだけならいいが、ヨガメディテーションはだめだ。異教の宗教行事だから』と。

<●●インターネット情報から●●>
ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から引用。
(西野流呼吸法)
西野流呼吸法(にしのりゅうこきゅうほう、Nishino Breathing Method)は西野皓三によって創始された健康法。

足芯呼吸という独自の深くて長い呼吸法と対気の実践によって細胞のひとつひとつを活性化させるメソッド(出典1,19,20,21)。これによってミトコンドリアの働きを高め、身体知に目覚め、生きてゆくことの気持ちよさを実感しながら快活な生活が送れるとしている。西野流呼吸法により培った生命エネルギー(気)を科学で実証するため、国内外の大学、研究機関と共同研究を行っている。共同研究論文が英国オックスフォード大学出版医学ジャーナル誌“Evidence-based Complementary and Alternative Medicine”(eCAM)に3件発表されている(文献2,3,4)。医学関係の学会から招聘され、創始者西野皓三による講演が行われ(講演1-11)、西野流呼吸法の実践者には医学系大学教授や医師など医学関係者も多い(出典7)。女優の由美かおるや岸ユキも実践している。

行法には身体のすみずみの細胞まで酸素がいきわたる深い呼吸と心地よい動きからなる足芯呼吸を中心とした『基本』と、『基本』で培った生命エネルギーを交流しあう『対気』がある。東京渋谷と大阪寺田町の西野流呼吸法を学ぶ教室・西野塾では1回2時間で『基本』と『対気』を行うクラスが週15回あり、複数の指導員と共に創始者の西野が毎日稽古の指導を行っている。


<●●インターネット情報から●●>
ウェブサイト(望月流プラーナヨーガ気功)プロフィール
(望月勇)
1948年、静岡県生まれ。1973年、25歳の時、社会の閉塞感から逃れるように、会社を辞めて海外へ出かける。その間5年、ロンドンを橋頭保にヨーロッパ各国と中東、インドなど各国を放浪する。イスラエルでは、キブツに参加し、シナイ半島を旅する。その後、陸路でギリシアからトルコ、イラン、アフガニスタンを経て、インド、ネパール、スリランカへ。インドのカルカッタで急性肝炎に罹り、日本へ帰国する。

1979年、アフリカへ旅する。ロンドンから陸路で、フランス、スペイン、モロッコ、アルジェリア、ニジェール、ベナン、ナイジェリア、カメルーン、中央アフリカ、ザイール、タンザニア、ケニヤ、エチオピア、スーダン、エジプトなど放浪する。この7カ月間の野宿とヒッチハイクの旅で、直観を信じ、直観に従う生き方を学ぶ。

1980年、少林寺拳法、さらにヨーガや気功を独学で始める。これがきっかけとなり「気」の世界に目覚める。

1986年、再度アフリカを旅し、エチオピアで、他人を癒す能力があることを自覚。翌1987年、インドの旅に出て、ヒマラヤでヨーガを学び、そのあと南インドへ旅して、サイババのアシュラムなどインド各地のヨーガの道場を訪ね歩く。

1988年、金沢に滞在中、武道家「和道」宗家の故早川宗甫先生より、「気の奥義」を教授される。

以後、ロンドンを拠点に、ドイツ、スイス、スペインなどでヨーガ気功教室を主催し、今までの気功治療とヨーガを教える中で、気功とヨーガを組み合わせた「プラーナ・ヨーガ」を編み出す。ロンドン在住。

現在は、日本で九州から北海道まで、ヨーガ気功教室を主宰している。

<●●インターネット情報から●●>
ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から引用。
(法輪功)
法輪功(ファールンゴン[1]、ピンイン:Fǎlún Gōng)は、中国の気功。1992年に創始され、その後、1993年に国内で開催された気功の祭典『東方健康博覧会93』において最高賞を受賞。1999年に江沢民主席の決定によって法輪功学習者の家、陳情所、職場などあらゆる場所で最も厳しく弾圧された。この問題は世界のメディアや人権団体が注視している。この件でアルゼンチンやオランダ、スペインなどで江沢民らを「人道に対する罪」で起訴する動きがある。2009年にはアルゼンチンで江沢民などに対し逮捕状が出ている。

創始者は、李洪志。音読みで「ほうりんこう」と、法輪功に関するマスコミは中国語読みで「ファールンゴン」と読む。中国古来からの佛家修煉法であり、真・善・忍に則って修煉するものである。簡単に言えば、真・善・忍で日常生活を指導し、人の道徳を向上させ、同時に五式の動作を通じて、体を鍛える気功である。7000万人が修めていたが1999年に江沢民主席の決定によって法輪功学習者の家、陳情所、職場などあらゆる場所で最も厳しく弾圧された。



『治すヨガ!』  沖正弘がのこしてくれた
船瀬俊介    三五館   2015/9/22



<丈夫になるのに重要なことは、いかに少なく食べるかの工夫である。>
<あらゆる健康法はみなヨガの中にある。あらゆる自然療法がある。>
<運命のつくり主は自分です。自分を励ますものは自分以外にありません。>
<呼吸こそ、心身コントロールのカギである。呼吸法はヨガ行法の中心である。>
<ヨガでは「生命が神である」と考える。すべての中に神が存在する。>
<食べないほど幸せである。食べる工夫ではなく、食べない工夫をしろ。>
<腹が減るほど調子が出るのが本当の健康体>
・沖先生の第一声は、忘れがたい。若い私にとって、まさに目からウロコでした。
 だれでも、人並みに食べたい。そうすれば幸せ。そう信じて、額に汗して働いているのですから。それを、ヨガでは「食べるな!」というのです。天と地がひっくり返るとはこのことです。

 しかし――。今、私は確信します。人は、食べないほど、幸せなのです。

「空腹を楽しめ!」
この沖先生の言葉も、ヨガの神髄を表しています。
「腹が減るほど調子が出るのが本当の健康体だ!」
私は断食や一日一食を実践して、まさにそのとおりと確信します。
ファスティング(断食・少食・一日一食)は、万病を治す妙法である――。

これは、ヨガの奥義です。5000年以上の歴史を誇る実践科学、それがヨガです。その到達した結論が、ファスティングなのです。
人生の幸福も治病も“食べない”ことで、達成されるのです。
現代医学も、現代栄養学も、声を揃えてこう叫びます。
「餓死しますヨッ!」
医師たちは誤った西洋医学を学び、栄養士たちは誤った栄養学を学んできたのです。

<命が喜ぶ“至上の幸福”>
・ヨガの究極の目的は「生命が喜ぶ」ことです。ヨガが「食べない工夫」を説くのは、それが「生命が喜ぶ」ことに通じるからです。
 具体的に「食べない智慧」の恩恵をあげてみます。

(1) 万病が治る:これは、万病の原因が“体毒”だからです。それは代謝能力を超えるほど食べたことで、身体に留まります。断食すれば、“体毒”はすみやかに排泄され、身体はクリーンに自己浄化されます。病気の原因の毒素が排出されれば、病気が治るのは当たり前です。

(2) 生命力が高まる:“体毒”が排泄され、自己浄化されれば、身体は宇宙からいただいた理想状態に戻ります。すると、自然治癒力、免疫力、身体能力、精神力、直感力、生殖力……あらゆる生命力が最高レベルに高まるのも当然です。

(3) 精神が安定する:断食や一日一食の人たちに共通するのは、“怒らなくなった”“落ち込まなくなった”“許せるようになった”という心の変化です。

(4) 仕事がはかどる:「たべなきゃ仕事にならんだろう」と思うかもしれません。しかし、逆なのです。心身能力が高まり、身体も頭も冴えて驚くほど仕事が進むのです。

(5) 睡眠時間が短くなる:一日三食なら9時間、二食なら6時間、一食なら3時間の睡眠ですむようになります。食事、睡眠は3分の1、仕事、人生は3倍楽しめるのです。

(6) 食費がかからない:これは、いうまでもないことです。

(7) 子宝に恵まれる:ファスティングは男女ともSEX能力を高めます。

(8) 若返る:長寿遺伝子(サーチュイン)の発見で証明されました。「食べないから若い」、「食べるから老ける」のです。

(9) 感性が豊かに:直感力、創造力が高まるため、学問、芸術、創作活動などの能力が花開きます。

(10) 社会が平和に:「食べない」と心が平和になります。

<身体が教えてくれる食べ間違い>
<丈夫になるのに重要なことは、いかに少なく食べるかの工夫である>
<症状からわかる適した食べ方、栄養素>
▼異常な食欲:やたら食べたい、甘いものが欲しいなどは、運動不足や心の乱れの現れ。

・栄養素は、多すぎても少なすぎても体調に影響します。

 沖先生はこれらの対処法として断食を勧めています。身体がクリ−ンアップし、真に必要な食物が直感的にわかるようになります。

<ファスティング(少食・断食・一日一食)は、万病を治す妙法である――。 >
・沖正弘導師――沖ヨガの開祖であり、ヨガの指導者として、国際的に有名です。沖先生との出会いが、私のその後の人生を決定づけました。

・ヨガは約5000年以上前にインド地方で生まれたと伝えられます。

それは、心身の調和を理想とする哲学であり科学です。その目的は「自分で自分の肉体や精神をコントロールする」ことです。言い換えれば「どんな過酷な環境に置かれたときでも、それに耐えられる肉体と精神をつくる」ことです。つまり「人間という生物の持つ能力を最大限に発揮する方法」なのです。
 ヨガという言葉は、古代サンスクリット語で「つなぐ」という意味です。いったい何と何をつなぐのでしょう?
 それは、「宇宙」と「人間」をつなぐのです。自分が大宇宙の一部であると体得する。そこから感謝と愛が沸き起こってきます。
 ヨガの基本の教えは2つあります。
「いつでも感謝し、いつでも笑える心を持ちなさい」
この教えを体得できれば、あなたの命もいききとよみがえってくるでしょう。

<慢性病の治し方>
<慢性病とは、人格病、生活病なり。生活を変えれば、体質も気質も変わり治ってしまう。>
・ところが、習慣だとか、癖だとか、一つの条件が固定すると、同一状態を続けます。同じ状態が続くから『慢性』という言葉を使うのです。異常が固定したということは、体質が異常な性質になっているということです。このように、慢性病は病気というより、異様な体質と気質が固定化している状態であると考えるべきです。

・「慢性病から救われる第一の方法は、停止している状態を変化させることです。同じ生活、同じような身体の養い方や使い方をしているから、慢性病になるのです。
 だから、救われるには、生活を変えることが、そのカギです。生活を変えれば、体質も変わり、気質も変わります。これにより、慢性病は治ってしまうのです」

<クスリで治らぬなら、「医・食・住」を変えよ>
・「慢性病という言葉の『病』というイメージから、『薬』を連想させますから、治らないのです。薬を飲んで、習慣性が変わるはずがありません。いくら注射をしても、鍼を打っても、癖が治るはずはなく、考え方も変わるはずがありません」

<生活を変えるには、心を変える>
・「今まで、好きなものばかり食べていた人は、嫌いで食べたこともないものも食べてみます。今まで、こういうことばかりしていて、他のことをしなかったという人は、その『しなかった』ことをやってみるのです。生活を変えること、慢性病はなくなってしまうのです。生活を変えるには、心を変えることがそのカギです」

<ガンはこうすれば治る>
<私自身、ガンをわずらい、13年かけて治した。私の指導で筋腫やガンの治った人々が無数いる>
<ガンは血液浄化と延命装置である>
・森下博士は「ガンは血液浄化装置」と言います。ガンも他の病気と同じく、“体毒”から発病します。そして、その毒素が最大限に身体を侵した状態になったとき、発病するのです。そのとき、血液も“毒”で汚れています。放置しておくと敗血症を起こします。敗血症とは血液が腐敗する病気で、発症すると多くの場合1週間以内に死亡します。

・身体は、その最悪の事態を回避するために、自身の弱った部分で、その“毒”を引き受けるのです。早くいえば“ゴミ捨て場”を作るようなものです。すると血液中の“毒”は、そこに留まっていき、血液は浄化されるのです。そして敗血症で急死という最悪のケースを避けられます。「だから、ガンは延命装置でもあるのです」(森下博士)
 つまり、ガンが命を救ってくれ、命を長らえさせてくれている。ガンにも存在する理由があるのです。

・私が敬愛するもう一人の医師、新潟大学名誉教授の安保徹博士の理論も明快です。
「ガンは低血流、低体温、低酸素の場所にできる」。だから、まずはこれらを改善することがガンを快方に向かわせる秘訣なのです。

<断食でガンは真っ先に消える>
・森下博士は、ガンを治すベストの方法はファスティングと断言します。

「身体を飢餓状態にすると、体細胞は血球細胞に戻ります。これを異化作用といいます。身体は、害を受けた組織を血球細胞に戻す働きがあります。だから、断食をすると、真っ先にガン細胞が血球細胞に戻り、排泄されていくのです」(森下博士) 
 私も実際に、わずか4カ月の断食療法によって直系10センチのガンが消滅した事例を知っています。

・断食が病気を治す根本原理は、その排毒作用です。ガンという毒素は、最優先で排毒されていくのです。ただし、ガンが育った背景には、誤った生活習慣があります。それも並行して正すことは、いうまでもありません。沖先生も同じ主張をしています。
「ガンは細胞の弱い所にできるものである。弱っている細胞は萎縮して、血行が悪く、栄養も酸素も不足している。断ち、捨て、離れることで、日常生活の習慣を一度、ブチこわして、違った角度から生活を見直すことが効果的である」
 生活改善とは、当然、心の改善もともないます。
「ガンになりようのない血液と細胞と心を持てば、心配することはないのである」

・われわれは「ガンは治らない」と“洗脳”されています。だから、告知の瞬間から恐怖で落ち込む。すると、ガンと戦うナチュラルキラー(NK)細胞が急減します。
自らガンを完治させた沖先生は言い放ちます。

「私は病人面して寝ることをしなかった。かえって、意識的に、人も驚く超人的な生活を続けることを心がけた。これが治るコツである」
 さて最後に沖先生が勧めるガンを治す食事をご紹介しておきましょう。
「酵素、カルシウム、ビタミンおよび植物酸を多くし、偏食のない少食にする。脂肪を少なく、玄米、海藻、生野菜をとる。手軽で一番良い方法は、生食、自然食、断食をくり返すことである」

<病はチャンスだ>
・ヨガは病や悩みを、自己改造進化の教師と考える。

・「このガンが、本格的にヨガの修行をやってみる決心をつくってくださった」(沖先生)

<胃弱な人の治療法>
・胃弱の人は、胃に無理をかける。姿勢が悪い。神経が苛立つ。この3つに対応する治し方をすればよい。

<万病を治す第一歩はファスティング>
・「胃に無理をかける」とは、早くいえば“食べ過ぎ”です。
 だから、まず「食べなければいい」のです。つまり「胃を休ませる」。このファスティング(断食)で、ほとんどの胃病は治ります。なんとあっけないことでしょう。
 その他、腸炎、下痢などの消化器疾患も「食べなきゃ、治る」のです。

・万病を治す第一歩は、ファスティングなのです。それなくして、いかなる病気も治りません。
まずは、朝食を抜く半断食をお勧めします。これでも、相当胃は楽になるはずです。半断食ができるようになったら、一日一食にしてみます。それをクリアしたら、三日断食に挑戦しましょう。

・ちなみに「食欲が出ない」「疲れやすい」「だるい」のは、ビタミンB₁、B₃などの不足です。これらは、玄米や小麦胚芽などに多く含まれます。つまり、精白した米や小麦粉、白パンなどを食べているために起こる一種のカッケ症状です。
 日ごろから未精白の穀物、雑穀、胚芽パン、さらにゴマ、木の実などを食べる習慣があれば、このような症状とは無縁に過ごすことができます。

<血圧はコントロールできる>
・断食をし、深呼吸を繰り返す。この2つが、血圧調整の決め手である。

<菜食は血圧を下げ、脳卒中などを防ぐ>
・高血圧の人は、まず食生活に問題があります。例外なく過食、美食、肉食の人が多い。食べることが無二の楽しみなのですね。しかし、楽あれば苦あり。今度は、そのツケの高血圧で苦しむことになります。そういう人は同時に糖尿病、心臓病の気もあります。結論からいえば、まず食生活を改めなければ、高血圧は治りません。

・まず過食、美食、肉食を少食、粗食、菜食に変えることです。

とくに、日本人は戦後、欧米型の食生活に憧れ、さらにアメリカの占領政策で、“餌付け”されたため、肉食過多に陥っています。肉食、動物食は、まさに万病の元です。

・菜食が高血圧を劇的に改善する。これは科学的実験からも証明された事実なのです。菜食主義者と一般人を比較すると、肉食などを行なう人は、年齢とともに血圧が上がっていきます。それは、動脈硬化が進み、血管が硬くなっているからです。逆に、ベジタリアンは年齢とともに血圧は低くなっています。それは、血管壁が柔軟であることの証明です。柔らかい血管の持ち主は、脳卒中や心臓病とも無縁の人生を送ることができます。

・「腹八分に医者いらず」「腹六分で老いを忘れる」「腹四分で仏に近づく」……。
これはファスティングの重要性を明快に説いたものです。
 さらに「食べる工夫でなく、食べない工夫をしろ」「空腹を楽しめ」「腹が減るほど調子が出るのが、本当の健康体だ」……。
 まさに、目からウロコ。これらの言葉は、その後の私の人生を大きく変えることになりました。



『世界神秘学事典』
(荒俣宏) (平河出版社)  1981/11



<シャンバラの奇跡>
・シャンバラは、単に仏教の知られざる知恵の隠された聖地と考えるだけでは、足りない。シャンバラはまさに来るべきカルパつまり、宇宙時代への指導原理なのだ。

・ 仏教伝来以前にすでにチベット地方で広まっていたと思われる理想都市信仰と、その伝承である。チベットの古い伝承によれば、広大なる南の中央大陸は六つの地域に分かれ、北から“雪の国”“シャンバラ”“中国”“ホータン”“チベット”“インド”と呼ばれたという。

・ その住民は、マハトマと呼ばれる聖人に支配され、地下の不思議な通路によって世界へとつながり、この世の平和を基礎とした霊的指導原理を信奉している。そして、マハトマは、折りにふれ、シャンバラの使者を世界各国へ派遣するのだという。マハトマの使徒によるシャンバラ幻想王国の建立―これがリューリフの見果てぬ夢、神秘的共同体思想であった。

・ 「私が神秘の土地から始めてヨーロッパに持ち込んだ教えは3つある。一つは、ヨーガの中でも最高のヨーガ<火(アグニ)のヨーガ>。そして次の一つは、<地球内部の空洞世界に暮らす地底人の伝承>。そして第3は、<シャンバラ>である」とリューリフは言った。

・ 「地底の聖なる人々」についての伝承は、造山運動や天変地異を逃れて、地中に移り住んだ人類の祖先を語っている世界各地秘伝の大本(おおもと)である。

・ “未来仏マイトレーヤ”の到達に備える文化的事業こそがリューリフの確信であり、マハトマー霊の指導者―の使徒の役割であった。そしてリューリフは、そのための心の共通語として(美術)を選んだのである。

・ リューリフが伝えたこの伝承に影響をうけて、SF雑誌に<シュエイバー・ミステリ>と云う奇妙な作品が登場した。アメリカとチベットは、地中の空洞を通じてつながっており、異星人が出入りするのだという小説である。



地球アストラル次元
『シャンバラからの超レッスン』 
目から銀河も飛び出す超巨大宇宙情報
By ペガサス  ヒカルランド   2012/12/10



<薔薇十字団/仕組まれた入会>
・「神とはどんな存在でしょうか?」「はい、天敵です!」

・地球独立のため、シャンバラの地球代表になるべくレッスンを受けたエリザベスに、ペガサスが緊急インタビュー。

<ホワイトハウスに入ったアロム!アンドロメダの宇宙人たちの歴史介入>
・「そう、私たちは、4次元に今いるの。アロムたちは、多次元存在、つまり異次元だから、5次元だっていうのね」

・ソビエトの崩壊は、1991年12月25日。ソビエト連邦大統領、ミハイル・ゴルナチョフが辞任し、各連邦構成共和国が主権国家として独立した。これに伴い、ソビエト連邦は解体された。しかし、ベスの話していることが事実なら、1980年代初頭に、『ソビエト崩壊』は、アロムたちによって予定されていたことになる。

<シャンバラは地球のアストラル体(幽体)の中に存在している/そしてあなたも行ける!!>

<シャンバラへ入会/マイトレーヤ、クートフーミ、9人の賢者たちとの交流>
・マイトレーヤは、サンスクリット語で弥勒菩薩、中国では布袋を示す。その姿は、中国の道教の神仙。神仙は神に近い者で、人間がなることは出来ない者と考えられていた仙人を指し、中国の道教においては、仙境に暮らし、仙術を操り、不老不死を得た人を意味した。つまり、道教の不滅の真理である、道(タオ)を体現した人とされた。
 私が、日本に一時帰国をした2008年2月、自宅の居間に神仙が現れたことがあった。

・「私、マイトレーヤって言いづらいから、Mさん、Mさんって呼んでいるの。それで、アロムと会長とマイトレーヤと、クートフーミ大師で、封印の開け閉めをやったのよね」なんともまあ、あっけらかんとベスが話を続けた。

・クートフーミ大師もまた、神智学で、「古代の知恵の大師」と言われるアセンデットマスターの1人だ。

・私たちの肉体は、中に、アストラル体という、幽体と、その中に、メンタル体という、霊体を持ち、肉体の外に、エーテル体という気功でいう気、ヨガでいうプラーナを持つ。そして地球を肉体とするとシャンバラはその中の4・5次元メンタル体(霊体)に近いアストラル体(幽体)に存在する。

・私たちは、自分の内側のアストラル体(幽体)から地球の内側のアストラル体(霊体に近い幽体)に入ることで、シャンバラに入ることが出来る。そこは、私たちの魂のいる場所だ。

<表と裏の2つあるフリーメーソンの組織構造>
・私が、組織図を書いた。一番下に、表のフリーメーソン、その上に、300人委員会、次に裏のフリーメーソンのトップグループ。そして、薔薇十字団、シャンバラ、9人の賢者、さらに、三長老、そして、トップは1人。綺麗な三角形が出来た。

・「そう、フリーメーソンの中で組織だって会社を持っている人たちが、300人委員会に入ってて、この300人委員会に指示を出しているのが、フリーメーソンのトップクラス。でも、そのフリーメーソンのトップクラスに指示を出しているのが、薔薇十字団」

<911/シャンバラのグループがはめられた!?>
・911(アメリカ同時多発テロ事件)は、2001年9月11日にアメリカで発生した、前代未聞の航空機を使った4つのテロ事件の総称である。

・「もう、恐らく、精神世界の本だけで、1000冊以上読んでいるわ。私、日本で最初の本を出すまでの間に、考えられないくらいの数の本を読んでいるのよ」

<会長サナトクマラとブラックマン>
・「アロムのグループ自体が、薔薇十字団だって言うの?」私が聞いた。

・『今回のアセンションの一番上のリーダーが、実は、サナトクマラって、いう人でこの人は、金星から来てます』

<シャンバラへ入会/マイトレーヤ、クートフーミ、9人の賢者たちとの交流>
・「これが、『シャンバラ』だったの」ベスが答えた。

 確かこれも、語源はサンスクリット語だったはず。シャンバラは、チベット密教で伝えらえる不可視の王国の中心地で、肉体を持たず、人の最高に進化した形のエネルギー体。つまり、キリストや釈迦のようなマスターたちの住む場所だった。彼らは、私たちの精神的向上を願い、進化したいと思う人間を援助すると聞く。サナトクマラは、シャンバラと金星を行ったり来たりしているマスターで、彼は、百戦錬磨の戦士だが、本当の姿は、平和を好むやさしい存在、鞍馬ツアーに行ったことで、私には、そんな基礎知識が備わっていた。

・「薔薇十字団の中の9人の賢者、つまり同じ人たちなんだけど、シャンバラの中にある9人の賢者と繋がる世界なのね。シャンバラの中に入る方法は、自分の心の中に部屋を持ち、部屋を持っている人が入って来るの、それから、部屋の外に出ていくと、国があるわ。その国の中で、スタッフ達と一緒に仕事をするのね。丁度、この頃は2000年の世紀末の頃で、シャンバラの中で、私たちの世界と繋がっているアストラル界(幽界)の封印の開け閉めを手伝ってた。もちろん封印の授業も受けたし、黒魔術の使い方、白魔術の作り方、それによる邪気の出し方、仕舞い方とかってね」

・マイトレーヤは、サンスクリット語で弥勒菩薩、中国では布袋を示す。その姿は、中国の道教の神仙。神仙は神に近い者で、人間がなることは出来ない者と考えられていた仙人を指し、中国の道教においては、仙境に暮らし、仙術を操り、不老不死を得た人を意味した。つまり、道教の不滅の真理である、道を体現した人とされた。

<ベスのカウンセリング/石屋の任務を支える>
・「アロムは、ドイツ系アメリカ人なの。ドイツ人の姿、形もしているのね。ドイツにも4年くらいに行っていたから、言葉も喋れるの。だから、ドイツのフリーメーソンの方に入りながら。イギリスとドイツのフリーメーソンの本部。それから、ヨーロッパをずーっと転々としながら、『また新しい任務が入った』って言っては飛び回ってるの。そう言う意味では、しょっちゅう任務が入ってて、彼としては、いつも追われてる感があるんだけれど」

<地球は今、独立国家登録中/かつ、金星保護観察下>
・聞いたことがあった。宇宙人たちは地球のアストラル界にあるシャンバラの許可がない限り、地球での勝手な行動が許されず、それほどシャンバラは地球にとって、とても大きな存在だと。

・「私の場合、マイトレーヤとキリストは良く出て来るなあ。もっとも、2人は同一人物だし、『守護は金星、キリストの船。何かあったら金星が動く』そう言われたのよ」私が言った。

<地球人に埋め込まれた戦いの遺伝子/それは火星人の仕業なのか?!>
・「う〜ん、病んでるというよりもね、基本的に地球人の遺伝子の中に、何者かが、戦闘の道具として、戦闘能力を植え込んだ形跡があるって、アロムが言うの」
 地球人の遺伝子の中に戦闘のための遺伝子が、故意に組み込まれてる。
「それは、金星人は持ってないわ。強いて言えば、火星人は若干持っているって言われてる。だけど、火星人たちが、その遺伝子を私たちに植え付けたのかどうかは、わからないのね」

<地球が金星の植民地>
・「地球を金星は植民地として、今まで支配していたんだけれど、火星もそれが欲しくて、今まで結構、攻防戦みたいのがあったらしいのね」

・「そうそう、でも、人類は滅亡せずに、世紀末を抜けちゃったわ。だけど、今度は、アンドロメダ銀河がぶつかって来るから、地球を独立国家に仕上げたの。地球を金星と共にエネルギー調節するために、シャンバラっていう存在があるのよ。シャンバラって何っていわれると、結局、私、ベスという人間が肉体として存在している幽体でもあり霊体の名前なのね。そして、地球という物の幽体。それが、シャンバラ」
「幽体がシャンバラかあ」
 私たちの肉体は、中に、アストラル体という、幽体と、その中にメンタル体という、霊体を持ち、肉体の外に、エーテル体という気功でいう気、ヨガでいうプラーナを持つ。そして地球を肉体とするとシャンバラはその中の4・5次元メンタル体(霊体)に近いアストラル体(幽体)に存在する。

「私もシャンバラに行ける?」
「うん。自分の内側の中に、意識で部屋を作る。すると、その部屋に、必ず訪問者が来て、その訪問者が案内してくれるわ」

・私たちは、自分の内側のアストラル体(幽体)から地球の内側のアストラル体(霊体に近い幽体)に入ることで、シャンバラに入ることが出来る。そこは、私たちの魂のいる場所だ。

<アンドロメダ銀河との衝突を避けるために、次元を変えるには、人々の意識の周波数を上げる必要がある>
<アンドロメダ銀河>
・でも異次元だと、アンドロメダ銀河が、地球の隣りに来るのね。

・「火星と金星は戦争になって戦った時期があったから、火星からは、アラブ人として生まれ変わったらしいのね。でも、金星の方は、プレアデスから金星に来て、金星から地球に生まれ変わったの」

<ある生き物の細胞壁/それが私たちの生きている場所?!>
・「アロムたちは、私たちのいる宇宙のビッグバン以前から来ているから、この細胞(宇宙)では、『ビッグバン以前の神』と言われてるわ。でも、実際には、光の物理学、つまり、宇宙物理学的な話になるんだけれど、彼らは、他の細胞(宇宙)から、私たちの細胞(宇宙)に入り込んだの。だから、ビックバン以前の人間というよりは、他の細胞(宇宙)
からやって来た面々って言い回しが正解かしら。でも、その彼らの居た、元の細胞(宇宙)なんだけれど、ここの細胞(宇宙)と同じ歴史を持っているのよ」
「つまり、彼らは、私たちの未来を経験したことがあるのよね」私が言った。

「そう」ベスが頷いた。
「彼らは、前の細胞(宇宙)の時に起きた出来事を、私たちの細胞(宇宙)の時には、変化させたい。つまり、歴史を変化させようとしているわ。彼らの細胞(宇宙)の中には、太陽系つまり、天の川銀河にアンドロメダ銀河がぶつかったという歴史があるのね。だから、彼らは、自分たちのいた以前の細胞(宇宙)の歴史にあった事実を、私たちのこの細胞(宇宙)では起こさないようにするために、地球の次元を変えようとしているの。まず、歴史を変化させるために、アロムたちは私たちの細胞(宇宙)に、『宇宙連合』を作ったわ。そして、各銀河との調整は、結構出来上がっているの。彼らは、他にも、自分たちが過去の細胞(宇宙)で体験した、細胞(宇宙)を老化させた原因の一つである、銀河団同士の戦争と、その戦争を起こしてしまった人間を抹消しようとしているんだけれど、とにかく、前の細胞(宇宙)で学んだ歴史を踏まえて、この細胞(宇宙)の歴史を変えようとしているの」

<輪廻転生がこの世の善悪を超越させる!?>
<遺伝子の戦い/それは自らの意志で遺伝子を変えること!?> 
<コーザル体/潜在意識を変え周波数を上げる>
・「コーザル体がある人たちって、10億人くらいしかこの星にはいなかったよねえ。要は、コーザル体がある人たちになれば良いわけじゃない。そのためには、一人一人の潜在意識を変えて、周波数を上げなくちゃいけないわ。周波数が上がらないと、結局、コーザル体が動かないし。道は1つね。教育で周波数を上げるしかないのよ。だから、本を出して101匹の猿現象を目指すわ」私が言った。

<世界はすべて「電気体」で出来ている/オーラ、超能力解説>
<アストラル界(幽界)/それは私たちの世界の雛形>
<本書は宇宙人との遭遇をテーマとするチャネリング情報を、著者の個人的な体験や研究の成果を総合して編纂したものです>
・私は、高い評価を得ているロサンゼルス存在のチャネラーの下で、チャネラー養成のための正式な訓練を受け、1985年から複数の存在をチャネリングするようになりました。

・チャネリングの手順は極めてシンプルです。まず、私は自分の意識を瞑想状態に導きます。この時点で私のパーソナリティーは、日常的な現実から遠ざかっていきます。次に、私と交信する意識体が、私とエネルギー的(テレパシー的)に接触します。意識体はあるテーマについて語るために私の脳を翻訳機として使います。このプロセスは、霊媒が霊に
身体に占領される「憑依」とはまったく異なり、情報提供の作業は、あくまでもチャネラーと意識体との共同作業として行われます。



『この本に真実は何もない しかし、それがまさに現実なのである』
ボブ・フリゼール  ナチュラルスピリット    2000/4



<時空を超えたドランヴァロの軌跡>
・ドランヴァロ・メルキゼデクとはいったい何者なのでしょうか。それについて述べる前に、まずはドランヴァロの5代前にあたるマキアヴィンダ・メルキゼデクについてお話ししましょう。マキアヴィンダは銀河中枢機構より地球での任務を受け、人類創造の瞬間からすでに地球上にいた存在です。

・「大いなる白色同胞団」と、あらゆる手法においてそれに対立するという、2つの「集合意識体」がありますが、便宜上、ここでは後者を「大いなる闇の同胞団」と呼ぶことにしましょう。マキアヴィンダの属する

大いなる白色同胞団が人類の進化を促す支援を惜しまない一方で、大いなる闇の同胞団は、人類に怖れを植えつけ進化を遅らせるためならば、いかなる手段も厭わない立場を取っていました。

・我々の進化が、早すぎず遅すぎず、最も適切な時に起きるのは、それら2つの同胞団の力が相互にバランスを取り合っていたためであり、4次元以上の高次レベルから見た場合、これが意識の統合した在り方となります。この2つの同胞団というのは、調和裡に働く「一なるもの」の異なる2つの側面にすぎません。私たちは2元性を有する意識のただ中にあるため、善悪というものの見方をします。悪とは、はなはだしく無慈悲で嫌悪をもよおす物事を指しますが、それらは単なる学びの課題なのです。

・1972年に起きた驚くべき出来事が原因で、大いなる闇の同胞団は、オリオン星系から新たに4人のメンバーを迎え入れました。彼らにはこれから先、何が起きるのかがわかっていたからです。一方で大いなる白色同胞団も、その対抗措置として自分たちの仲間を4人呼び寄せました。ドランヴァロはそのうちの1人です。彼が選ばれた理由は、13次元の領域におけるメルキゼデク聖師団での長期にわたる経験が評価されたためでした。彼はほぼその集団の結成時から、地球の歳月にして百億年間そこに留まっていたのです。彼には2元性を認識する意識がほとんどなかったので、その2元性に対する無垢を買われて地球に遣わされたのでした。

・ドランヴァロは「ウォーク・イン」と呼ばれる方法で地球に来ています。その準備が整うまで、彼の現在の肉体には別の存在が入っていました。その人物は、後々ドランヴァロが必要とするであろう一定の訓練や教育を前もって受けていました。それらのことも含めて、すべては合意があって初めて成立するのです。双方の合意なくして他者の肉体へ入るという行為は、いかなる理由があったとしても最高次元レベルにおける宇宙の法の道に外れます。ドランヴァロに譲り渡すべく肉体を離れた人物は、非常に特別な何かを受け取っているとのことですが、ドランヴァロはそれ以上は言及していません。

・13次元から3次元に到着するまでの、数々の次元レベルでの体験を、ドランヴァロはどんな瞬間も、ほば完璧に思い出すことができます。ただし、13次元での記憶はあえて思い出さないようにしています。現時点において13次元での生活の記憶を保つのは、あまりに耐え難いことだからです。13次元という世界を完全に記憶していながら3次元で生きる術はありません。しかし彼は、もともとは13次元にいた存在だったこと、そして3次元に来ることを父なる存在から依頼されたことや、「大いなる虚空」の中を進むための移動パターンを授かったことは思い出せます。彼は長い時間をかけて、「大いなる虚空」をその移動パターンに沿って進み、この次元へやってきました。どれだけの地球時間に匹敵するのかは本人にもわかりませんが、かなりの時間であることは確かです。おそらく数百万年という歳月を要したでしょう。

・ドランヴァロは再び光を目にするまで進み続け、光が見えたその時その場所で、マキアヴィンダに迎えられました。それから、星雲の中心に位置し、異次元レベルへと続く主要スターゲートの一つでもある、オリオン・ベルトの真ん中の星を通過しました。我々の銀河には13の主要スターゲートがありますが、なかでもこのオリオン・ベルトの中星は、大いなる光と闇が非常に密接に関わりながら作用し合っている特別なスターゲートなのです。グレイの多くは銀河のちょうどこの辺りから出現しています。

・オリオン・ベルトを通り過ぎた後、ドランヴァロはプレアデス星系へと向かいました。目的地は4次元意識レベルにある、緑の環境を有した類いまれな惑星です。そこでの彼は形をまとわず、完全に目覚めた状態にあり、光の球体そのものとして存在しました。そして胎児の肉体に入り、地球時間でいう約15年の歳月をかけて生育しました。プレアデスは銀河の大学を内包していることを彼はやがて知りました。ここの人々は4次元の高位の倍音域に棲み、学びはすべて喜びと楽しみを通して行われます。あらゆる教育の手段として「遊び」が導入されていたのです。

・プレアデスで必要な知識のすべてを学び終えたドランヴァロは、次にシリウスBから3番目にある星へ飛びました。その惑星はほぼ全域を海でおおわれていました。シリウス人も4次元に暮らしていますが、プレアデス人よりも低い倍音域のため、同じ程度の喜びや楽しみを体験することはできません。間もなくすれば、シリウス人もそのレベルに達するでしょう。

・ドランヴァロは350名の乗組員と共に、すでに設定ずみの地球までの飛行パターンをたずさえて、宇宙船に乗り込みました。この飛行パターンは、シリウスBからシリウスAの中核を貫通して進むというものでした。星と同じ振動周波数に同調することで、熱さを「熱い」と感じることなく通過できるのです。そして90秒後には、太陽を通って地球に出現します。このようなことが可能なのは、私たちとシリウスが密接につながっているからに他なりません。ドランヴァロと乗組員たちはこうした操縦を展開して、金星の軌道域に到達しました。そこには太陽系で最も進化した存在、「ハトホル」と呼ばれる人種がいます。

・激しい硫酸雨に見舞われるなどの現実レベルでの金星の冒険を終え、ドランヴァロら一行は地球を通過し、我々の次元レベルよりも一倍音高い領域に入りました。よって私たちの目には彼らが見えません。
 ドランヴァロはシリウス人の体から脱すると、燃え立つような光の球体へと変容を遂げましたが、これも彼にとっては意識上の変化にすぎませんでした。その後に控えていた、本物の二元性を有する意識への衝撃的な参入に比べれば、すこぶる簡単なことだったのです。

・彼は地球の4次元レベルまで移行し、レベルを上昇させながら生き物の痕跡を探しましたが、4次元には何も見つけることができず、5次元は完全なる虚空状態でした。そして6次元の10〜12番目までの倍音域へ上昇したところで、ようやくマスターたちに出会うことができたのです。ドランヴァロは1819年から1850年までの間、そのマスターたちと共に生き、彼らから学びました。

・1850年、ドランヴァロはニューメキシコ州に暮らすタオス族の女性として地上に誕生しました。そして40年間その女性として生きた後、1890年に覚醒した状態でその肉体を離れています。その時、彼はただ故意に息を止めただけで移行が実現したのです。彼は再び6次元へと戻り、今度は1972年までそこに留まりました。

・1972年4月10日、ドランヴァロは現在の肉体にウォーク・インしました。すべては一呼吸の間に完了しました。入れ替わりに肉体を離れた存在は、息を吐きながらそこを去り、ドランヴァロがそれに続く吸気で
入ったのです。ウォーク・インの方法とはただそれだけの、純粋な宇宙の法に基づくものです。二人の霊はこの決行以前に7、8年をかけて話し合い、このことに関してすべての意識レベルからきちんと許可を得ていたのです。

・ドランヴァロは決して自分が特別な存在だと言いたいがために、こうした話をするのではありません。真意はむしろ正反対で、あなたがその話を聞くことにより、自分がいかに特別な存在であるかを思い出してほしいのです。なぜなら、あなた自身もまた、特別な任務を授かって地球に来ている高次元からの存在であるという可能性がないとは言えないからです。その任務遂行のためには、できるだけ人間になりきる必要があるのかもしれません。つまりそれは眠りに入って記憶を失うことであり、しかるべき時が来れば、己の真の資質が明らかにされるということです。最初に述べた人間になりきる部分に関しては、あなたは完璧にやり遂げています。
そして今や第二段階へと踏み込む時が来ているのです。
 ドランヴァロは記憶をしっかり維持しているという点で、我々と異なっています。彼が地球へ来たのは、人類に目覚めを呼びかける触媒としての役目を果たすためなのです。



『エメラルド・タブレット』
(M・ドウリル)(竜王文庫)   2005/10



<アンタレスにはホワイト・ブラザーフッド(白色聖同胞団)の本拠地がある>
・昔アンタレス(さそり座の赤色の一等星)には、エーテルを活用する住民がいて、地球に降りてきた。彼らは、星から星へと旅行する秘密を解していた。彼等は、物質と肉体を意思の命令のもとに変化させた。また、エーテルから自分の要求するものを何でも創造することができた。

・物質自然界の背後は、アキヤシヤの空間である。アキヤシヤの空間に入っていくことが、本来宗教の極意であって、その方法を教えるのが、ヨガである。宗教はその極意も方法をも喪失して殻になっている。

・ 物質自然界は、アキヤシヤに画かれた、その通りのものが、物質自然界に現れる。



『聖シャンバラ』
(三浦関造)(竜王文庫)   2010/3



<シャンバラには、大師達の“グレート・ホワイト・ロッジ(純正大同胞団)”の中心本部がある>
・ドウリル博士「この大通路には、エネルギーのピラミッドが立っている。ピラミッドは縦250フィート、幅200フィートで高さ500フィートである。ピラミッド頂点には、エネルギーが凝集して、常に太陽の方を向いている」

・「大師たちは、太陽と同じ源泉からエネルギーをとっているので、食物をとる必要がない」
「シャンバラには、大師達の“グレート・ホワイト・ロッジ(純正大同胞団)”の中心本部がある」

・「大師の総数は、144名、各自十名の弟子(チェラ)をもつ。1440名の弟子はメンタル界で働いている。これらの弟子はまた10人づつの弟子をもつ。アストラル界で働く。彼らもまた、各自住人づつの弟子を持っている。総数14万4千人である。この数字は、黙示録に“選ばれたる14万4千人の者がいる”とは、このことである」。

・ 「松果腺の完全なる活動は、大宇宙意識の活動を目覚ましめる」

「ヨガの正精進によらないと松果腺の活動は、開始されない」

・「地球のホワイト・ロッジではなくて、宇宙ホワイト・ロッジがある。その静かな聖所は、プレアデス星座、アンタレス星にある。それが聖書にある“天”である。地球の大ホワイト・ロッジは、チベットから下って行く地下の聖所なるシャンバラにある。地球の聖所は、その他にもある。一つは、ゴビ砂漠の大オアシスにあり、サハラ砂漠のアトラス山中、カナダの荒地、マヤ人がミクトリンといっていたユカタン(ミクトリンとは“真っ暗な家という字義”)、カリフォルニアのシャスタ山の地下、もう一カ所は、ドイツのハルヅ山中である。しかし中央聖所は、地下のシャンバラにある」



『宇宙からの大予言』
迫り来る今世紀最大の恐怖にそなえよ
松原照子   現代書林  1987/1/10



<予言者誕生の物語>
・私は、いつもいろいろなことを見ようとして暮らしているわけではありません。ただ人に質問されると、テレビのスイッチを入れたように、目の前に画像が映し出されます。テレビや映画のように映るのですから、私にとっては別段大変なことではありません。

・私自身、信じきれないところがありますが、私の不思議はまだまだ続きます。私が触ると病気が治るという人が増え、また不思議と良くなる方々が増え始めています。

・それに、眠る前にいろんな方が私を訪ねて来て、この世の不思議を教えて帰ります。そして、その人々が私に「今回のことは発表しなさい」と、ささやくのです。

<ささやく人々の訪問>
<ブルーグレーのおばあちゃん>
・「あなたはだれ?」1982年春のことです。いつものように本を読み、眠ろうとした朝の4時ごろです。ベッドの横に、ロシア系の老婆が立っていました。「おばけ」とよく出会う私は、また「おばけ」かと気にもとめず、眠ろうとしたのですが、老婆はいつまでも私を凝視し続けています。ほほはたるみ老婆の顔ですが、グレーの中にブルーが光るその目は、若々しく燃え、けっして老いた人の目ではありません。

<黒い法衣の僧侶>
・ブルーグレーのおばあちゃんと黒い法衣の僧侶は、たびたび現れますが、いつも決まって5時の鐘音の前に姿を消します。私の5時消灯の習慣も、この二人の時間割に準じてのものなのです。

・いつもはやさしいブルーグレーのおばあちゃんが、怒り顔です。後ろの方々の中に、私は、初めて見る口ひげと顎ひげのある50歳ぐらいのやせた西洋人を見出し、その方に救いを求めました。

<出会い、不思議な世界>
・私は、ブルーグレーのおばあちゃんが率いる皆様に見せられたこと、聞かされたことを『恐怖の大予言』と称する小冊子にまとめ、自費出版しました。1985年10月のことです。

・私の会う“おばけ“の方々は、我々と同じように足もあり、ごく普通に歩きます。その姿は、50年ぐらい前までのファッションで江戸時代や戦国時代のいでたちではありません。

・夜、帰宅途中に"おばけ"に会うと、私は、つい、「こんばんは」と、話しかけてしまいます。
 すると、その方々は、私と一緒に歩き出し、我が家へ一緒に入ろうとするのですが、「南無阿弥陀仏」と合掌すると、私のことを気にしていないという素振りで帰っていきます。

<ささやく人々の正体>
・その方の話によると、ブルーグレーのおばあちゃんは、ブラヴァツキー夫人といって近世に神智学を復興した初代会長、ひげの西洋人はクート・フーミ大師だそうです。彼らは、数千年も古くから密かに伝えられてきた神智学に関係のある人たちでした。

・そして、“地球コントロールセンター”とは、彼らのいるシャンバラであって、ここに地球のそれこそすべてを支配している超人(アデプト)の方々がおられ、ブッダもキリストも、そこから来られたのだというのです。正体を知ったあとも、私は、あの方々に会い続けています。



『人類はなぜUFOと遭遇するのか』
(カーティス・ピ−ブルズ)  文芸春秋   2002/7



<ラージノーズ・グレイが人類を創造した>
・クーパーは、1947年から53年にかけて、27機のUFOが墜落した、と主張した。全部で91体の異星人の死体と、5人の生きた異星人が回収されていた。1948年には2機のUFOが、ニューメキシコ州アズテックの近郊で回収されていた。その円盤の中で、人間の体のパーツが多数発見された。

・空飛ぶ円盤に関する情報は、トップ・シークレットに分類されていた。

・また、クーパーによれば、1953年に、地球へと向かう巨大な物体を天文学者が発見していた。その後その物体は地球上空で、非常に高い軌道に入った。その時、ブロンドのヒューマノイド系異星人のノルデックと呼ばれる異星人が、軌道に乗った巨大な宇宙船内にいる異星人について危険を警告するため、政府に連絡を取ってきたという。

・ノルデックは、人類が自己破壊の道を歩んでいる、ということについても警告した。

・クーパーは、後から、1954年には、「ラージノーズ・グレイ」という種族が、ホロマン空軍基地に舞い降りた、と主張した。彼らは、赤色巨星であるベテルギウスにある惑星からやって来た、と述べた。

・彼らの世界は死にかけていたために彼らは新たな住みかを必要としていたのだった。

・アイゼンハワーも同席の上、二回目の着陸が、エドワーズ空軍基地で行われた。彼とラージノーズ・グレイは、技術交換する条約に基地で署名した。

・クーパーはさらにラージノーズ・グレイのために働いているグレイと、人間に良く似ているが赤毛なために「オレンジ」と呼ばれている二種類の種族についても話をしている。

・1955年には、異星人は条約を破って、自分たちが生き残るため、人間や動物をミューテーションし始め、そのリンパ液や酵素や血液を取り出し、遺伝子実験を行っていたことは明瞭だったと、クーパーは語った。

・人類を創造したのは、ラージノーズ・グレイであり、また長い間、宗教や秘密結社、さらに魔女や悪魔崇拝、魔術やオカルトなどを通して、彼らは人類を操っていた、ということにも気がついた。



『完全アセンション(次元移動・昇天)・マニュアル』
(ジョシュア・D・ストーン博士)
(ナチュラル・スピリット)2001/3/30



<シールドとシャルーラ、マリーン・チェイニーによるメルキゼデク寺院の設立>
・地球内部の空間について述べた章で、自らをシャスタ山の地下約3キロ余りにある地下都市テロスから来た者であると説明している女性について触れている。彼女は名をシャルーラといい、年齢は350歳前後であるという。シャルーラが寺院の女司祭をつとめる、地下文明テロスのメルキゼデク団に関わる情報を持っていた。彼らの教えは、メルキゼデクが、かって地球で暮らしていたことを裏付けるものであり、メルキゼデク団を宇宙レベルの聖職者集団であるとしている。

<●●インターネット情報から●●>

<ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)>
(メルキゼデク)
メルキゼデクとは旧約聖書の登場人物で、『創世記』(14:18)にて「いと高き神の祭司」、並びに「サレムの王」として紹介されている。『詩篇』(76:3)の記述などを根拠に、「サレム」は伝統的にエルサレムと同一視されている。

彼の名前はウガリットの文書に記されていたカナンの神ツェデクに由来しているのだが、この「ツェデク」は王の称号、あるいは異名として代々エルサレムの王に引き継がれていたと見られ、実際、『ヨシュア記』(10:1)にはアドニ・ツェデク がエルサレムの王として登場している。



『アガルタ(虹の都)』 
 (R・E・ディクホフ)(密教科学社)  1961



<アガルタ>
・ ノアの洪水は、約1万1千年前に起こり、壊滅した人類の文明がその後、徐々に復興期に向かったこと。

・ 残存している蛇体人の群れに対して、ラマ僧の集団がこれを攻撃、法術により蛇体人を撃退した。

・ ロードマイトレヤが「アガルタ」を通じて人類に平和と愛の念波を送っていること。

・ ラマ教では、造化三神の代行者ロードマイトレヤ(ミロク菩薩)が、地球の精神的統治者として、崇拝され、ロードマイトレヤは現在も霊体で活動し、地上一切の生類の進化向上発展のプランを持って、指導の任につかれていると信ぜられている。

・シャンバラは、チベットのどこか、または、それ以外の場所にある神秘の都市ではない。それは世界の全仏教徒が霊的な交通を行なう場である。

・アガルタは、6万年前に聖者に指導された民族が、地球内奥部の地底に潜入したときに生まれた。その民族は、数百万人を数えられ、地上のいかなる科学もおよばない高度な科学は、この不思議な王国の地下住民を十二分に活躍せしめているといわれている。交通機関として、まだ我々に知られていない推進原理でトンネル内を走行運転される超速度の車両が利用されている。

<アガルタ伝説と金星崇拝>
・「アガルタは、中国のサンポー渓谷に実在しており、老王マニ・リンポチェによって統治されている。その住民は、数百万に達し、地上のいかなる国にも及ばない高度の科学は、彼らを十二分に活躍せしめている」。

・「人間は200万年前に宇宙船で地球にやって来た火星人によって創造されたという。火星人たちは高度の文明と超能力を持ち、南極に虹の都という7つの都を建設し、そこから世界中をつなぐ地下トンネルを掘った。人間はこの地下トンネルを利用して、南極からゴンドワナ大陸、レムリア大陸、アトランティス大陸へと居住範囲を広げていった。ところが地球の征服をたくらむ悪の化身、金星人は、テレパシーによって人間に邪悪な心を吹き込んだ。そしてついに8万年前、全人類を巻き込んだ大戦争が起こった。生き残ったわずかな人々は例の地下トンネルに逃げ込んだ。あらためて平和の大切さに気づいた彼らは、金星人の魔手に対抗するため、火星人の指導の下にアガルタを建設したのであるー」

・「金星人も火星人を追って地球に到来したが、彼らは身長14フィート、クロコダイルのような形態で直立し、手足には6本の指と水掻きを持つ。邪悪な金星蛇人は人間の精神を操作し、その結果アトランティスとレムリアの間で核戦争が起こり、高度に発達してきた文明は滅び、両大陸は沈没する。しかし、この時までに地下にはトンネルが縦横に走り、地下都市が出来ていたので、避難所となった。その一つが中国のサンポー渓谷の地下にあるアガルタである。チベットのラサの下にはシャンバラという地下都市があり、アガルタとトンネルで結ばれている」。

・「現在なお金星人と火星人の間で、人間の精神をめぐる善悪の闘争は続いている。火星陣営の指導者は、虹の都に陣取る『太古の三聖』であり、対して金星蛇人は仮死状態で地下に隠れている。その状態でも金星人の精神は活動しており、テレパシーを放ち地球人に対し再度核戦争を起こすように好戦的な扇動を行っている。彼らにとって地球人の意味は「生ける飼料」に過ぎないのであり、地球人は『仮死の状態におかれてイワシの缶詰のように加工され、宇宙船で金星に運ばれてから、彼らの食用に供せられる』だろう。

・アガルタも金星人の占領下にあったが、1948年、500人のラマ僧がここを襲撃し、奪還に成功している。少数の者がトンネルを通って逃れたが、ジュニアと呼ばれる三百歳を経た蛇人は、研究と調査のために透明なプラスティック容器に入れて保存されている」。



『秘教真義』
ヨガの大聖堂シャンバラと大白色同胞団の解明
(M・ドーリル)霞が関書房  1952年



<地球内奥部と青色人>
・ 「『では、この道路に沿ってもっと遠いところまで行ってみよう。そして、青色人種の実体をみてみよう』ゼロンが言い終わると、セートンは急速にこの道路を落下させられたように感じ、およそ20マイル(32キロメートル)も下りたところで止まった。止まったところでセートンをみると、内壁に裂け目があるのが分かった。それは急に広くなって入口となっている様に見えた。その入口は末広がりに広がっていて12人ほどが横に並んで通れるほどの広さにまでなっていた。二人はここに入り、少し行ったところでやわらかい黄金色の光で満ちた広い大洞窟に出た。

・洞窟といってもあまりに広すぎて、上部の天上や向かい側の壁が遠くて見えなかった。0.25マイル(4百メートル)ほど向こうに平屋建てや二階建ての家並みで出来た町があった。もっとも“家”といっても屋根のない建物らしかったが、その町の丁度真ん中にチラチラ光る白い石の塔が立っていた。その塔には、頂上にピカピカきらめく水晶の丸天井がのっていた。

・その町の各街角から広い道路が走っており、その内の三本はずっと遠くで消えて亡くなるまで続いていた。ゼロンとセートンから一番近いところにある道路は、この大洞窟の側壁に向かって延びており、その壁の下でポツンと途切れていた。セートンがよく見ると、一番近い道路のところに何か動くものが見えた。それは三人のグループで側壁の方に向かって歩いていた。その人達は、セートンが今まで見てきた人々の中でも最も活気に満ちた人であった。身長は約5フート(150センチメートル)で衣服を身に着けておらず、皮膚の色は特有の青色をしており、丁度、ピカピカに磨いた金属のような皮膚であった。

・彼らの皮膚の色も不思議なものだったが、最も不思議なのは、その顔だった。その容貌は鮮明でハッキリしており、堂々とした広い知性的な顔を持っていたが、その顔には目がひとつもなかった。両眼のあるべきところは滑らかな皮膚だけであった。彼らはセートンに何らの反感も反応も感じさせなかった。むしろ、セートンは、彼らから深い平和と調和の感じをうけるとともに、彼らから注がれる清い愛情が自分の琴線に触れたのを感じた。



『天空人伝承』
(山岡徹・山岡由来)(たま出版)1999/12



<「サンダー・バード物語」>
・北米インディアンのクィラュト族に不足の災難が襲ってきて、異常気象が続き、食物となる魚や作物がとれなくなり、一族は連日のように餓死していった。このとき、一族の酋長が、彼らが名づけた「サンダー・バード」に救いを求めた。そうすると、空飛ぶ円盤が生きた鯨を運んでくれて、一族が救われたという伝説。

・神の仮面を脱ぎ、素顔を見せて、「私はお前たちと同じ人間だ」と語るサンダー・バード。

<アイヌの聖地を訪れた見知らぬ人>
・1969年ごろ、北海道日高平取にあるアイヌの聖地「ハヨビラ」に、早朝、謎の人物が訪れた。当時、この場所は、UFO研究団体CBAインターナショナルによって鉄筋コンクリート製オベリスク、モザイク大壁画、稲妻形パネル、三角池、同心円花壇、太陽のピラミッド、モルタル仕上げの空飛ぶ円盤のモデルなどが、団体の会員による奉仕工事で完成していた。



『大いなる秘密  爬虫類人(レプティリアン)』
デーヴィッド・アイク 三交社  2000/8



<68光年の彼方から火星経由、地球にシュメール文明を打ち立てた金髪碧眼のアルデバラン星人>
・ドイツの研究者ヤン・ファン・ヘルシンクは、その著書『20世紀の秘密結社』のなかで、「ヴリルとトゥーレの両秘密結社は、1919年12月ベルヒテスガーデン・ロッジで、マリア・オルシックとシグルンという二人の霊媒を通じて、異星人との交信を試みていた」と述べている。ヴリエウ・ソサイエティー関連の資料によると、それらの通信は、地球から68光年の距離にある牡牛座のアルデバラン太陽系の二つの惑星からなる「スメーラン」帝国とのあいだで行われていたという。

・同資料の説明を続けて紹介しよう。アルデバランの人々は、明確に二つのタイプに分けられているという。一つは光の神と呼ばれる金髪碧眼のアーリア支配種であり、もう一つは気候変動によって遺伝子的に劣化したいく種かの亜人類である。5億年以上もの昔、アルデバラン太陽は、膨張とともに、すさまじい熱線を放射し始めた。そのため「劣等な種族」は、居住可能な他の惑星へと避難させられたという。そしてついに光の神アーリア人種も、母星からの退去を余儀なくされたのであった。このような経緯で我々の太陽系にやって来た彼らは、まず最初に惑星マローナを占領した。

・惑星マローナはマルドゥクという名でも知られており、ロシア人やローマ人はこの惑星をパエトンと呼んでいた。火星と木星の間、現在のアステロイド・ベルト軌道にあったとされるこの惑星は、古代シュメール人の言う惑星ティアマトに相当している。その後、金髪碧眼のアルデバラン星人は火星に植民し、続いて地球へと下りてシュメール文明を打ち立てた。・・・少なくともヴリル・ソサイエティーの人々はそう信じていた。

・ヴリル・ソサイエティーのチャネラーたちによると、シュメール語はアルデバラン星人の言語であり、その音は「不可解なドイツ語」のようであるという。そして、ドイツ語とシュメールーアルデバラン語は波長が同じであるとも彼らは信じていた。

・彼らのテーマはこうだ。金髪碧眼のマスター・レイス(支配人種)が火星より地球へとやって来て、古代伝説の神々(gods)となった。彼ら支配種は高度なシュメール文明の発祥にインスピレーションを与え、この地球に純粋な血流を植えつけた。以来このgodsは、地下都市から地上の人類をコントロールし続けている。

・しかし、一つ言い忘れていることがある。それは、アーリア人のなかにはレプティリアンの血流が潜んでいるという事実だ。ブラザーフッド内部の者から聞いた話だが、レプティリアンは金髪碧眼の人間の血を必要としており、アーリア支配種の純粋性を維持するというナチスの教義はそのためのものであったという。

・トゥーレ協会の名は、伝説の都市ウルティマ・トゥーレに由来している。このウルティマ・トゥーレは、アルデバラン太陽系からやって来たアーリア人が最初に、入植したという北方の大陸、ヒュペルボーリアにあったと言われている。
 さらにまた、このヒュペルボーリアは、アトランティスやレムリア(ムー)よりもずっと以前の大陸だったとも、アトランティスそれ自体であったとも言われている。はたまた地球の内部にあったという説すらある。



「地球一切を救うヴイジョン」
白峰   徳間書店     2008/11/30



<メーソン最大の秘伝は出口王仁三郎「大本」にあった!>
・五木寛之さんの『風の王国』という小説にも、ちょっと近いことが書いてありますね。サンカの頭領の通称が大本というんです。そして世界政府の頭領の名前も日本語に翻訳すると大本になっちゃう。

<地球は5万年遅れている>
・中丸薫さんが、こんなことをいっていました。
「この間、面白い人に会いましたよ。アメリカで14歳のころからアンドロメダ星にずいぶん行ってきている人です。すごく大きい母船みたいなものが地球上にあって、そこへ行ったり来たりしている。アンドロメダの母船に連れていかれて見た世界は、その1階のフロアだけでも、もう想像を絶する広さだそうですよ。中に湖あり、山ありみたいな感じでね。アンドロメダの人々は、2メートルぐらいの背があって大きいそうです。
そのアメリカ人が言うには、地球というのは精神的なレベルにおいて、アンドロメダよりも5万年も遅れている世界なんだそうです。科学的には1万年遅れている」

<本来宇宙は、半霊半物質が基本>
<鳥インフルエンザを超える超生物兵器と中国分割案>
・中国の砂漠化は、アフリカの4倍のスピードで進んでいます。国土の26パーセント、約3割は完全に砂漠です。それから、砂漠に準ずる、すなわち野菜をつくれない農地が18パーセントだから、全部で44パーセント。この進行率がアフリカの4倍のスピード。アフリカでは7年かけて、砂漠になるものが、中国ではたった2年で同じになっちゃう。

・2020年には中国の4割が砂漠になると予想されています。そうすると、中国は国として機能しなくなる。だから、その前に中国を全部ブロックに分けて、環境立国として再生させる方法がある。
 上海万博の後に、中国を5ブロックに分けて、アメリカみたいに連邦制にするというのが影の政府のプランです。
1、 ヨーロッパ・メーソンで3ブロック。
2、 そして完全な自由主義競争の3ブロック。これはアメリカとインド、ロシアも絡んでいます。
3、 あと、純粋な中国の3ブロック。

<神様の最高表現とはスピード化!>
・神様の最高表現に波長を合わせる為には、<スピード化する>ということが、大事な要点になるのです。高次元の番組は実現のスピードが速いのです。

・日常生活の中で、どんな仕事をするときも<スピード化>を心掛ける事が本心開発に大きく役立つのです。

1、限界を破ろうとする時に、本心は輝き出て来くるのです。
2、スピード化すればするほど高次元波動の番組に波長が合い、それが現実化して来るのです。
3、真剣な心に高級神霊が感応して来るのです。
4、能率的に・効率的にというのは神様の知恵・産物であって、神様の知恵に波長が合うのです。
5、全力を出した時に、神様の力が流れ入って来るのです。
6、働きが増大すれば、与える量が多くなるのです。即ち借りが減り、貸しが増えるのです。換言すれば、業想念の心が消え、本心の心が輝き出てくるのです。


________________________________________
■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■


・三島由紀夫や川端康成などの大物の作家が自死するのは、日本的なものだといわれます。国土の狭小なところで、人が多くて、夜遊びの場所があるというのは、日本的だとも伝えられています。「遊ばない男の作家はいない」のかもしれませんが?
時事ドットコムニュース(2019/1/18)によると、
「2018年の自殺者(速報値)は前年より723人(3.4%)少ない2万598人となり、9年連続で減少したことが18日、分かった。厚生労働省が警察庁の統計を基に公表した。2万1000人を下回るのは37年ぶり。ピークだった03年(3万4427人)の6割弱まで減った。 
 男性は前年比701人減の1万4125人。女性は22人減の6473人となり、統計を開始した1978年以降で最少となった。人口10万人当たりの自殺者数(自殺死亡率)は16.3人と9年連続で低下し、過去最少を更新した」とのこと。状況は少しは改善されたようですが、ここ30年間で何人自殺したのでしょうか?末法の時代なのかもしれません。

・自殺や子どもの貧困の社会問題についても、その背景や原因については私たち一般人は、当然詳しくはありません。関係者は、それなりに努力して、明るい社会にしようとしているようです。政治の貧困が子どもの貧困を創っていると指摘されています。三島由紀夫も川端康成も夜の世界で遊んだりして毒(旧ソ連製の自殺企画の発狂薬)でも盛られたのかと私たち一般人は、妄想してしまうといわれます。川端康成氏は、女性に対する問題を指摘する人も少なくないそうです。「死人に口無し」のようです。
「太宰にしても、三島にしても、川端にしても、やっぱり異常な人だったと私は思いますよ」と指摘されています。『伊豆の踊子』は、売春を扱った作品だという説もあったそうです。文学については知りませんが、性愛とか色恋のジャンルもあるそうです。

・聖徳太子については、実在しなかったという説もあったようです。聖徳太子は「鬼の一族で神人」であったという説もあり、歴史上、不思議な人物として扱われているようです。いわゆる「よく分からない」ということのようです。

・川端康成も三島由紀夫も、大まかにいえば「自殺」ということのようで、私たち一般人は、不思議に思います。著名人の自殺は、昔から非常に少ないとはいえないようで、調べればいろいろと「有名人も自殺している」といわれます。有名人の自殺は、その動機が、よく分からないといわれます。川端康成の自殺も、聞こえが悪くて、警察でも「事故死」扱いとして、処理したかったのでしょうか。amazonの「すべて」のカテゴリーに「自殺」と入れれば6000件以上の事柄がわかるようです。陰険な話なので、勉強したり研究する気もおきませんが。今のニュースでは産後のうつ病で自殺する女性もいるといわれます。政府や民間の研究機関では「自殺」を分析したり対策を考えたりしている団体もあるのでしょう。インタ―ネット情報によると「日本では概算年間3万人とすると17分に1人が自殺している」と指摘されています。正確な出典は分かりませんが、「世界の自殺率ランキング30」によると、第1位がグリーンランド、リトアニア、韓国、ギニア、カザフスタン、スロベニア、ハンガリー、クロアチア、スリランカ、ラトビア、ベラルーシ、ウクライナ、第13位が日本となっています。14位のロシア以下は、モルドバ、ポーランド、セルビア、ベルギー、ウルグアイ、ブータン、フィンランド、南アメリカ、オーストリア、台湾、エストニア、フランス、スリナム、ボスニア・ヘルツェゴビナ、チェコ共和国、キューバとなっています。グリーンランドが1位なのは「アルコール中毒と日光不足による鬱、不眠症」が原因といわれます。東ヨーロッパの自殺率が高いのは、「経済格差とアルコールを飲む習慣」が原因だと指摘されています。韓国はOECD(先進国クラブ)のなかでは自殺率トップでEU諸国平均の2倍以上の数ですが、「そもそも韓国は日本よりも学歴重視で入った大学によって給料も何倍も変わったり、高卒では結婚の可能性も低くなるため、大学入試に不合格になったり、仕事を解雇されたりすると社会から見放されて絶望的になりやすい環境と言われている」といわれます。各国とも深刻な経済問題を抱えているようです。

・「うつ病」による自殺も多いのでしょう。世界中で「自殺」も多いようです。やはり世の中、「現代は末法の時代」なのでしょうか。にもかかわらず、「人生は喜劇だ」ということかもしれません。文学のことは、知りませんが三島由紀夫と川端康成の自殺は気にかかります。当時著名人だった三島由紀夫は、誰かに毒物(旧ソ連製の自殺企画の発狂薬)を一服盛られたのではないかと、私たち一般人は、勝手に妄想したりします。三島由紀夫も川端康成も晩年は「精神的におかしくなっていた」、「精神病だった」のかもしれません。ノーベル文学賞に関係していた、両者のいわゆる「自殺」は、外国人にとって、非常に悪い日本のイメージを残したといわれます。旧ソ連製なのかどうか不明の「自殺企画の発狂薬」については数十年前の新聞に載っていたといわれます。欧米では、「自殺企画の発狂薬」による犠牲者も多いようで、情報はよく知りませんが「米国の国防長官の自殺」もあったといわれます。恐ろしいスパイ戦については、私たち一般人には、理解不能です。三島由紀夫は当時の自衛隊の旧軍の元軍人たちとつきあいがあり、その点からも諜報機関の真の恐ろしさが窺えるといわれます。「年間3万人の自殺」とすると20年で、60万人となり、驚愕します。厚生労働省の「自殺対策白書」も出ており、民間の団体も活動していますが、急激に減らすことはできないといわれます。世界的にも「自殺」は多いのですが、毎日のことで、戦争や紛争ばかり、メディアは注目しています。世界中で毎年、どれくらいの人びとが「自殺」しているのでしょうか?大事なことですが、勉強したくない事柄でもあります。悲劇的なことなのでしょう。

・日本の自殺者の数字の現実も私たち一般人には、理解不能です。自殺者の現状を見ても、決して良い国だとはいえません。国家経営の実務に精通したベスト&ブライテストのテクノクラートのドリームチームによる英知を結集した「自殺者対策計画」「国家改造計画」が求められているそうです。その点については政治家と官僚の認識も自覚もないといわれます。

・人間は本来、楽しいこと気持ちの良いことを求めるもので、気持ちの悪い話とか、嫌な話は避けたいものです。しかし、真面目に「自殺問題」を研究したり、救済のためのNPO法人で活動したりする有難い人々もいるようです。確率的には、家族や親戚関係で遭遇する機会は低くないと指摘されています。よく知りませんが「文学」や保険等ではテーマでもあるようです。有名人や特に政治家の自殺も気味の悪い話だそうです。この面でも「遅れている状態」だといわれます。インタ―ネット情報によると、保険にもいろいろとルールがあるようです。「生命保険の場合、自殺は免責期間(保障されない期間)はありますが、その後は保障の対象となり、保険金が支払われます。免責期間は契約時(または、契約復活時)から、1〜3年間となっています。免責期間は、生命保険契約が保険金の取得目的に利用されることを防止するために設けられています。免責期間中には例外があり、精神疾患で自殺した場合、免責期間内でも保険金を支払う事例があるようです」
「さて、生命保険の場合、免責期間を過ぎれば自殺は保障されますが、損害保険分野の傷害保険の場合は自殺は免責(保険金支払対象外)になっているので、注意が必要です」とのこと。社会の関係機関の実務的な処理は、知りませんが。
・川端康成はノーベル賞受賞者でありましたし、三島由紀夫は「候補者」でしたので、2人の自殺はまことに憐れなことでした。自殺せずに生きていれば、世界的にも多くの業績が作れたでしょうに。国家的損失でした。三島由紀夫の自殺は多くの書籍になっているようですが、私たち一般人は、当然詳しくはありません。日本の自殺者の問題や世界の自殺者の問題も深刻だといわれます。まことに悲惨で陰険な話なので、調べたことはありませんが。
 いわゆる「文化人の政治活動」は、戦後に活発化したようです。時代背景で左翼系が多いようでしたが、今では右翼的な文化人も多いようです。言論人や文化人が政治を批判することは、知識人なので、必要なことですが、選挙に出たり、政治家として活動するということも、近年、目立ってきているようです。タレントといえば石原慎太郎氏が目立ちました。やはりテレビによく出ているような知名度が高い有名人が、選ばれる傾向もあるようです。「政治に関心のないひとはいるが、政治に関係のないひとはいない」といわれます。「民主主義国家においては国民はその程度に応じた政府しか持ちえない」ということで、大いに政治活動をしてもらいたいものです。

・「その生物(透明人と呼ばれる異星人)は、私の思考に直接働きかけ、完全にテレパシーで交信してきた。もはや人間が存在しなくなった遠い未来から来たと述べた」といわれます。また「人類はどれだけ進化しても「神人」にはなれない。「はるかに遠い未来には、長身の神人と“小人に退化した人類”の2種類になる」という説もあるといわれます。マクモニーグルの未来透視に「23世紀と24世紀における2度の大戦で人類の人口が6分の1に大激減する」というのがあります。つまり「人類の自殺」のシナリオを目に見えない高等知性体のイルミナティが計画しているのかもしれません。

・三島由紀夫の作品の『仮面の告白』もよくわからない小説です。これは三島由紀夫が就寝中に異次元に入ったイメージでしょうか。三島由紀夫の作品の全部を詳細に知りませんが、その作品からフリ−メーソンという表現を探ってみましたが、フリーメーソンは難しいようです。「日本の知識人が欧米人を理解できないのはフリーメーソンを知らないからだ」そうです。「諜報機関を始めるために、フリーメーソンを研究することから始めた」と言われるくらい諜報機関と密接のようです。

・五木寛之氏は、今年(2018年)で85歳ですが、息の長い作家として知られているようです。今も週刊誌などには連載があり、名前は、よく見ます。amazonでは1000以上の書籍がわかります。多作の著名な作家のようです。自分の腰痛について書いておられるようです。もちろん、気功の治療を受けておられるようですが、その結果はどうなったのでしょうか。私たち一般人は、五木寛之氏の作品には、当然詳しくはありません。しかしながら、1966年の『さらばモスクワ愚連隊』という書名は今でも印象に残っています。仏教や浄土思想に関する著作も多いそうです。

・「五木寛之さんの『風の王国』という小説にも、ちょっと近いことが書いてありますね。サンカの頭領の通称が大本というんです。そして世界政府の頭領の名前も日本語に翻訳すると大本になっちゃう」そうです。『風の王国』というのは、サンカ小説だといわれます。
ヨーロッパのジプシーは、アガルタの住民の末裔という怪説もありました。ところが日本でも「サンカがアガルタの住民の末裔」という奇説もあったそうです。日本にも「サンカ」という「漂白の民」の一族が、明治時代に小説などにとりあげられましたが、「サンカ」をフリーメーソンの一種にとりあげる説もありました。「スサノオ命は絶対神ヤハウェにほかならない」という奇説もあります。西洋神界はスサノオ神とその系統の神々が1万年ほど前に拓いた地域で、シュメール族は「スサノオ神系」だといわれます。ゲルマン神話の神々は日本の神々だった。まず、主神・オーディンは「須佐之男神」だったという奇説もあります。

・望月勇氏は、気功家ですが、ヨーロッパで気功治療を行っているそうで、興味がひかれます。ヨーロッパ人は、難しい人が多いそうで、気功治療にあたっては、苦労されたようです。自分でヨガを実践していたとき、気功に目覚めたそうですが、「遠隔療法」は、非常に不思議に思います。気功の本をいろいろと読んで、ブログにしていきたいと考えています。気功で難病が治れば、これは愉快で爽快なことでしょう。西洋医学は死体を解剖して発達したそうで、東洋医学は、その死体の解剖の限界から生きている人体を対象にしたといわれます。

・ヨガは異星起源と言われます。気功は見えない生体エネルギーとか、宇宙エネルギーのようです。神の手を持つ気功師もいるようです。西洋医学にも限界があり、東洋医学も多くの人を治療してきた実績があるようです。もちろん、東洋医学も万能ではありませんが、現代では再評価が行われているようです。気功も中国式とは違う、独自な気功も開発されているようです。気功の流派も300以上もあるそうです。中国の気功といえば、法輪功事件を思い出しますが、複雑な政治状況があったといわれます。中国は分からないとよく言われます。現代中国の気功事情は、どうなのでしょうか。

・ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)によれば、「金盾によって、「民主化・ダライラマ・天安門事件」などの定められたキーワードやそれらにまつわるホームページは全て中国大陸で検閲の対象となっており、もちろん「法輪功」もブロック対象に含まれている」といわれます。気功の本も2000以上あり、一般人の関心の高さが窺えます。CDやDVDブックも増えていますので、自分で実践ができます。美容やダイエット、健康のためのヨガや気功も女性には人気のようです。望月勇氏には『実践DVD付 完全版望月流プラーナヨーガ気功』(2018/5/1)があります。呼吸法も昔からさまざまな流派があるそうです。「丹田呼吸法」はよく語られているようです。現代科学では人間の幽体や霊体のメカニズムもよく分からないといわれます。気功で難病が治るなら試してみる価値がありそうです。

・amazonに「ヨガ」といれると3393件、「健康」といれると42914件、「断食」だと、1060件、「食べ物」だと6060件、「美容」だと11653件の本がわかります。現代人にとって、健康・美容は大きな関心事です。それで、それに関するビジネス・マーケットも非常に大きいもののようです。それにつれ、広告宣伝費も多額になっています。毎日の様に「美食」や「食」、「グルメ」のテレビ番組が大きな時間を占めているようです。

・『「医者いらず」の食べ物事典』(PHP文庫)のように、「医者が必要のない」状態にいたいものです。断食やヨガの効果もどの程度なのでしょうか。私たち一般人は、「実践者」ではないので、詳しくはわからないようです。断食でがんが治るのなら、がんで苦しんでいる人は誰でも、試してみたいものでしょうか。敗戦後の食糧不足の時代と違って、飽食の現代では、「美味しいもの」とか、「健康によいもの」が求められています。特に健康を害している人は、健康食や栄養になるものを探します。健康第一の思想が徹底しています。

・私たち一般人は、現代のヨガのことは、よくしりません。インターネット情報によると、「第一生命経済研究所の調査によると、日本のヨガ人口は2004年時点では23万程度でしたが、2013年にヨガ人口が100万人を突破したとみられています。健康ヨガブームの影響もあり、2015年には350万人を超えるという予測もあります」とのこと。ヨガ教室も約6000個の教室が登録されているらしいようです。「美容・ダイエット」から「スピリチュアルの充実」へと、ブームのようです。知る人ぞ知る世界のようです。薬でも治らないのなら、最後の手段として「断食」に頼る人も多いのでしょうか。

・amazonに「船瀬俊介」といれますと221件の本が分かります。
ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から引用。「船瀬 俊介(ふなせ しゅんすけ、1950年 - )は環境問題を専門とするジャーナリスト、評論家。 2009年6月6日に著書『知ってはいけない!?』が第18回日本トンデモ本大賞を受賞した」とのこと。

・異次元世界のアストラル界やエーテル界には都市が存在するといわれます。ヨガは、異星起源のようで、インドに伝えられたようです。ヨガとシャンバラなどの精神世界は結びついているようです。ヨガは、宇宙人の概念のようです。「瞑想」もあらゆる宗教で実践されているようです。現代では、健康法として発展してきますが、本来は、超能力や精神世界のアイデアと結びついているといわれます。

・異世界の体験者は、古今東西絶えないそうです。シャンバラは、都市型の超巨大宇宙船だったともいわれます。おそらく、人類に数十万年(正確に分かりませんが?)も進化しているシリウス星人のものなのでしょうか?

・このような本(『シャンバラからの超レッスン』)は荒唐無稽な内容が多いそうですが、面白い「読み物」として読めばよいのでしょう。内容が「理解不能」という方も多いのでしょうか。「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」という理解の仕方もあるようです。「遥かに進化した高次元の高等知性体・異星人は、人間の肉体や精神体に憑依するので誰も識別できない」ともいわれます。アンドロメダ星雲からも異星人が来ているようです。「アセンディド・マスター(高級教師)がガーディアンより、さらに進化した霊的存在の生命体。7人存在し、7色の虹のように輝いている」そうです。アセンディッド・マスターのコンタクティやチャネラーがいるのでしょうか。マスター(長老)クラスは、シリウスやリラ、プレアデス等の重要な場所にニルヴァーナ(涅槃・天国)から瞬時に移動できるそうです。

・シャンバラは異次元に突入した都市型の超巨大宇宙母船のようですが、時空を超えた異次元では「極大を極めれば、極小になる」「極小を極めれば極大になる」ということですから、アストラル・トリップでもすればシャンバラに容易に行けるのかもしれません。「夢の中でアストラル・トリップをしてクリスタル・シティでキリストに会った」という欧米のチャネラーが多いそうです。「ペガサス」という著者の同様な本は、他にヒカルランド社から『アセンションへの超導き 不可視の王国<<アストラル界>>へ行こう』、『アセンション・ゲームの手引き書 ドリームランド<<地球>>へ行こう』、『アンドロメダ発!宇宙系自己啓発書』等数冊、出版されています。

・リラ星人の超物理学に「極大を極めれば、極小になる。極小を極めれば極大になる」というのがあるそうです。「エイリアン・テクノロジー・リバース・エンジニアリング」もアメリカでは盛んのようですが、エイリアンの超テクノロジーは現代の普通の科学者にとっては理解不能のようです。現代の「天動説」が幅を利かしているそうです。しかし、「エイリアン・テクノロジー・リバース・エンジニアリング」によって、地球製の恒星間飛行技術を持った宇宙船が出来ているのでしょうか。宇宙人情報は国家安全保障上の最高機密(トップ・シークレット)の数段階上の厳秘(アバブ・トップシークレット)扱いのため、私たち一般人には、理解不能なことが多いようです。

・ある雑誌に載っていましたが、「現在のアメリカでは著述業だけで飯が食えるのは300人くらいだ」そうです。それを見たときは、「やけに少ない数字だな」と思いました。アメリカでは、街中の書店が、どんどん消えていっているようです。同様に日本でも書店は減り続けているそうです。私たち一般人には、出版業界の実情については詳しくは知りません。特定のベストセラー作家が出にくくなっているのでしょうか。「出版業は資本主義になじまない」そうですが。インターネットの情報があまりにも膨大なので、私たち一般人には、到底、把握できません。また、一般の書籍の内容を上回るものもインターネット情報にはあるそうです。インターネットを見ていると新聞を見ることも忘れることもあります。

・「全国で2万数千軒あった書店数は、いまや1万5000軒程度まで激減した」そうです。「小説の出版はビジネスとしては終わっている」ともいわれます。小説を買って読む人が減っているのでしょうか。面白い小説も少なくなっているそうです。誰でも素人小説家になりブログに大量に書いているからなのでしょうか。ブログも膨大で見る方が大変です。日本では書店での「雑誌」の販売状況が重要のようです。電子書籍が、様々な面で特に米国や先進国において出版業に影響を与えているようです。Amazonなどの通信販売のディスカウントで町の書店は、消えていっているそうです。通信販売では、古本が格安で豊富に手に入るからのようです。インターネットで古本を探すのも大変便利になりました。

・インターネット情報によると、「日本の出版販売額は、1997年の2兆6563億円がピークで、その後は下がり続け、2013年はとうとう1兆7000億円を下回った。これで市場は、ピーク時の5分の3程度にまで縮小したことになる」そうです。情報化の時代に、驚きの変化です。人口の減少現象もこれからはひどくなってきます。インターネットによる情報量が膨大に伸びていますので、「本を書店で買って読む」という読書習慣が大きく変化しているようです。将来はテレビを見るよりもインターネットで好みの「動画」を見る時間が多くなるようです。本を買って読むよりは、インターネットを見ている時間が増えています。ところでインターネット・ビジネスの動きは、早すぎて分からないことが多いようです。産業や職業が世界的に大きく変化してきているのが窺われます。膨大な文字情報や映像情報があふれるインターネットの影響で、職業作家が成り立つのが難しい時代になりつつあるようです。社会全体の「価格破壊」の勢いで、容易にデフレ傾向はなくならないそうです。

・「ホワイトブラザーフッド(白色同胞団)」と「闇の同胞団」という語は、宇宙人の物語にはよく出てくるようです。「闇の同胞団』も悪の勢力と単純に割り切れないようです。いわゆる聖書の言う「神と悪魔の戦い」なのでしょうか。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズグレイというオリオン星人といわれています。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。オリオン座は「神の故郷」ともいわれますが、『闇の勢力』も経由地にしているようです。「オリオン大戦」やスター・ウォーズの原因や結果も詳しくは分からないそうです。エルダーとよばれる天使のような人間タイプのオリオン星人が小柄なグレイと共に飛来したそうです。

・一万年以上前のベテルギウス(オリオン座の恒星)星人の容姿は現在の「エンジェル」とほぼ同じであったらしいといわれます。彼らは、背が高く金髪碧眼だった」ようです。金髪碧眼のウンモ星人は、ヨーロッパで同化している異星人として知られています。金髪碧眼のノルディックと金髪碧眼のアルデバラン星人がよく混同されるそうです。

・「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」といわれます。「遠野郷の民家の子女にして、“異人”にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。−遠野物語第三十一話」、「黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。−遠野物語第八話」という“異人”はオリオン星人だったようです。日本でも、ホワイトブラザーフッド(白色同胞団)の神人やサンジェルマン伯爵のコンタクティやチャネラーがいるそうで、驚きです。真偽はともかく、与太話として片づけられない話のようです。

・「神々や天使、堕天使が、ワンダラー(転生)やウォークイン(憑依)など、さまざまな形態で、昔から人間の姿を装い地上を徘徊している」といわれます。また「神々や進化した宇宙人(天使)は、背後霊や守護霊となり人間に憑依している」ので誰も分からないそうです。「神々は憑依などで市井のひととなり普通の生活をしているので誰も識別できない」ともいわれます。

・amazonに「松原照子」といれますと36件の本がでてきます。『心を整えて幸せを呼ぶ64の方法』『「不思議な世界の方々」から教わった予知能力を高める法』等があります。ブラヴァツキー夫人やクート・フーミ大師とコンタクトしているという不思議な方のようです。

・インドで発達した(幽体や霊体における)ヨガは、昔、アキヤシヤの空間に入っていくための手段であったようですが、現在は、それ自体が忘却されているようです。しかし、「都内にもインドのヨガ教室はあちこちにある」そうです。現代物理学も非常に細かい粒子のエーテルの秘密を解くことができないでいるようです。リラ星人は人類に3万年進化しているそうです。昔は、宇宙人とフリーセックスの話が結び付けられたこともあったといわれます。リラ星人のエロヒムが「人間を実験室で創った」といわれます。またリラ星人エロヒムのコンタクティであるフランスのクロード・ボリロン・ラエルによると遺伝子操作による「不死の惑星」に行ってきたそうです。

・オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。ですから、あまりに進化しており、現代の科学者には超テクノロジーが理解できないようです。米国は「エイリアン・テクノロジー・リバース・エンジニアリング(宇宙人科学技術工学)」に力を入れており、ロシアやイスラエルもエイリアンとコンタクトがあるそうです。「ロシア人はタウ人との協定を破棄し、同じ協定をリュウ座人の前衛部隊と 交わしてタウ人を追い払ったと考えられている」とも伝えられています。いろいろと宇宙人が存在し、「その彼らは地球から68光年離れた惑星クイントニアに住む宇宙人で母星から「エリア51」まで45分で移動できる」といわれます。またエリア51で白鳥座61番星の異星人とコンタクトしていた日本人科学者もいたといわれます。

・ラージノーズ・グレイといえば、西洋の御伽噺にでてくる「大きな鉤鼻の黒いマントの魔法使い」のイメージを連想させます。「ゼータ・レチクル星人のグレイと、オリオン座のリゲル人の長身のグレイ、オリオン座の有翼のドラコ族、恐竜から進化した地球のレプトイド(恐竜人)」がエリア51等のアメリカの秘密基地で活動しているともいわれます。「宇宙人“グレイ”の故郷もベテルギウス(オリオン座の恒星)なのだ」そうです。

・「小柄なグレイの後に金髪碧眼のノルディックという異星人やオレンジといわれる人間タイプの宇宙人が来て、その後に東洋人タイプが来た」という情報以外に日本で公開されるリークの話はないようです。第2次世界大戦後、宇宙連合が米国政府とコンタクトしたようなのです。東洋人タイプには日本関係する神々(異星人)も混じっていたのかもしれません。

・しかしながら、この分野では、関係者の情報のリークが今後とも、非常に少ないですが、あるように思われます。このような話は、全てが荒唐無稽な話ばかりとはいえないところに不気味さがあります。なお、ベテルギウスは、「オリオン座のα(アルファ)星。冬の空に輝く赤色の超巨星で、0.4〜1.3等に変光する。距離500光年。和名、平家星」です。「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか」(旧約聖書、ヨブ記38章31節)という謎の言葉がありますが、私たち一般人には、訳の分からない話だそうです。米国では異星人に関して様々なリーク話があったようです。

・「地下都市」は、異次元の亜空間に浮かぶ「都市型の超巨大な宇宙船」のことなのかもしれません。「シャスタ山の地下約3キロ余りにある地下都市テロス」とは異次元にある都市なのでしょうか。異次元の都市を地下都市と言っているのでしょうか。「アストラル界にもアストラルの惑星がたくさんあり、アストラル界またはアストラル次元と呼ばれる世界を構成している」そうです。「アストラル界はとても巨大です。ここに存在する全ての世界からおよそ600億人の人間タイプの生物が集まっているといわれる」そうです。シャンバラは異次元に突入した都市型の超巨大宇宙母船なのかもしれません。異星人の進化に応じて、上位の次元に行ける宇宙船のテクノロジーを持っているようです。

・「地下にある」というのを「異次元にある」と解釈すれば、理解がつくのではないのでしょうか。異星人は、見かけ以上に、実際の年齢が老けている場合が多いそうです。人間タイプの異星人の場合は、外見上20歳に見えても、実際は200歳以上だったりするとプレアデス異星人の例では、説明がなされているようです。遺伝子の操作による「不死の惑星」もあるようです。

・ディクホフの『アガルタ(虹の都)』という書籍は、アガルタ関連の本では、特異な内容を持つといわれているようです。原著は、1951年に出版されました。火星霊人や金髪蛇人も異次元でそれぞれ一層、格段に進化していったようです。異星人は進化の速度が早いようなのです。またそれぞれ人間化しており、異次元から人類を操作・管理しているともいわれています。アヌンナキとかサナンダといわれる金星のマスター(長老)が活動の中心ともいわれます。とにかく異星人は宇宙連合としてまとまって動いているようです。火星や金星の異次元に壮大な文明の都市があるそうです。サナンダは神智学では サナト・クマーラより上位の存在として「沈黙の監視者」と呼ばれています。「キリストの転生歴を持つ金星のマスター(長老)、サナンダと宇宙母船上で会見したという日本人がいた」そうで驚きます。

・アシュター(銀河連合の総司令官と呼ばれる存在)という存在がよく米国のスピリチュアルな本で言及されます。アシュター・コマンドというのは、現在、地球周辺の宇宙空間に滞空しているUFO艦隊の司令官アシュターならびに、主サナンダ・クマラという霊的な導きの下に存在する「光の偉大なる聖職者団(グレート・ブラザー/シスターフッド)の空挺部隊のことだそうです。かってイエスであった存在は現在「サナンダ」と名乗っており、アシュタールとともに彼の宇宙船に住んでいるともいわれます。

・「火星人」と「金星人」という名前は昔から馴染みがありますが、近年では、シリウス星人とかオリオン星人とかの具体的な星座や惑星の名前に変ったようです。目に見える金星や火星は、砂漠の様なイメージですが、探査衛星が、さまざまな人工遺物を撮影してきているという説や写真もあるようです。空飛ぶ円盤で目に見える形で異星人が来るケースと、目に見えない霊体や幽霊の形で異次元から観察しているケースがあるようです。幽霊や霊人は昔から存在するようですが、誰も認識できないそうです。火星霊人と金星蛇人の対立・戦争ともいわれています。「火星や金星の異次元に都市があり壮大な異星人の文明がある」といわれます。

・常に対立する二種類の宇宙人が存在し、それが進化を促すというルシファーの論理でしょうか。「ネガティブな宇宙人」と「ポジティブな宇宙人」の存在と対立があり、常に競争によって進化がすすむようです。ディクホフは、この本をある隠れた啓示に従って書いたそうですが、その内容はかなり破天荒で、SF風な印象を与えるようです。

・金星蛇人とは、SF的なようですが、爬虫類的異星人(レプティリアン)がかなり進化しているようです。最近では、火星霊人とか金星蛇人とかの言葉は使わなくなったようです。爬虫類的異星人(レプティリアン)も人間化してイタリアのクラリオン星人のコンタクティ、マオリッツオ・カヴァーロによると「人間タイプは知性的な顔をしている」そうです。爬虫類的異星人(レプティリアン)の地球人化のイルミナティが地球の管理をしているともいわれております。「イルミナティは宇宙人の集団なので強力なのだ」ともいわれます。イルミナティの空飛ぶ円盤はタイム・トラベルができ、「米軍の将軍が同乗していた」ともいわれます。「イルミナティ・エージェントが第三次世界大戦を引き起こす」という不気味な予言もあるようです。

・まるで昔に日本でも放映された米国の連続テレビ映画「ビクター」のような内容です。「ビクター」という映画は、爬虫類的異星人(レプティリアン)の人間化したものを描いていました。善神と魔神の対立抗争は、宇宙戦争の中心テーマで、伝説、神話などで記録されております。人肉食の鬼、宇宙人の話もあったようです。

・青色人の伝承は、インドの絵図に見られる青色の肌の神々と関連するのでしょうか。白人、黄人、青人、赤人、黒人という超太古には5色人と呼ばれた種族が存在したようです。シャンバラは異次元に突入した都市型の超大型母船のようです。地下都市というのは低層4次元とかの異次元のイメージのようです。虚空にシャンデリアのように輝く都市規模の宇宙母船を見たとカナダのコンタクティが報告しているそうです。そのクリスタル宇宙船は、現在「地上の平和」号と命名されていて、我々の太陽系の惑星間のヒエラルキーの最高の旗艦だそうです。

・国内のUFO研究家、研究グループも多いようですが、詳しくは調べておりませんが、さまざまな活動をしているようです。米国の連続テレビ映画「スタートレック」は、SF映画ですが、「全部が空想の産物」とはいえない番組だそうで、リアルな話もあるそうです。膨大な数のUFO関連の洋書を読むとかなりのことがわかるそうですが、私たち一般人は、その時間がありません。

・第2次世界大戦後、米国に飛来した金髪碧眼のノルディックと小柄なグレイは、金髪碧眼のアーリア支配種と遺伝子的に劣化した、いく種かの亜人類でしょうか。リークされた情報によると金髪碧眼のノルディックはプレアデス星人だそうですが、いろいろと説があるようです。

・核兵器などの国家安全保障上の最高機密(トップ・シークレット)を数段階も上回る『厳秘』扱いのため、人間タイプの宇宙人の情報は、米国のマスコミでもつかめないようです。人間タイプの異星人は、テレビ映画のように昔から米軍関係者に交じっていたという話もあるそうです。

・グレイにはいろいろと種類があるようです。「1、(ビーガン)と呼ばれるシリウスA人の遺伝子から作られたグレイ。2、(ゼータ・レティクリ1)地球人監視のためにリゲル人が作ったグレイ。3、(ゼータ・レティクリ2)このグレイは遺伝子操作で作られた爬虫類人への奉仕階級のメンバー」とのこと。「進化した宇宙人は人間の肉体や精神体に憑依するので誰にも分からない」ともいわれます。進化した異星人は、遺伝子操作などでバイオ・ロボットを作れる超テクノロジーを持っているようです。

・フランスのリラ星人のコンタクティ、クロード・ボリロン・ラエルによると「リラ星人のエロヒムが実験室で人間を創った」そうです。サタン(悪魔)といわれるリラ星人は無神論者のようです。リラ星人も人類の源流ともいわれ謎の多い宇宙人種族のようです。

・「中国が種々の理由から分割される」という予言は、極めて少ないそうですが、もしかしたら異星人でタイム・トラベラーの予言となると不気味ですね?

・恒星間飛行の超テクノロジーも持つ異星人の話は、昔はいくらかあったようなのですが、空飛ぶ円盤で別の星座に行くという話も、進化が進んだ異星人になるとウォークイン(憑依)やワンダラー(転生)の形で人間に化体して、人間を装うので見分けるのは大変難しいそうです。



********************************
・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ
日本は津波による大きな被害をうけるだろう
・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド

「神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・
「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」、「ネガティブのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるのだろうか?」
「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャンバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」
「日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔なのか」
「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」
「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」
「UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」
「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」
「イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」「金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けたのだろうか」「フリーメーソン結社はこの大地が創出されるよりずっと前から、さまざまな太陽系をめぐって、存在していたのだろうか」
「国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」
「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」
「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」

グーグルのブロガーにも書いています→UFOパラレル・ワールド





【PR】電話相談システム開発ならイーステム



このブログへのチップ   0pts.   [チップとは]

[このブログのチップを見る]
[チップをあげる]

このブログの評価
評価はまだありません。

[このブログの評価を見る]
[この記事を評価する]

◆この記事へのコメント
コメントはありません。

◆コメントを書く

お名前:

URL:

メールアドレス:(このアドレスが直接知られることはありません)

コメント:




◆この記事へのトラックバック
トラックバックはありません。
トラックバックURL
https://kuruten.jp/blog/tb/karasusan1122/431152
くる天
プロフィール
ヤマドリ1122 さん
日本は津波による大きな被害をうけるだろう  UFOパラレル・ワールド
地域:秘密
性別:男性
ジャンル:ニュース
ブログの説明:
チャネラーやコンタクティの情報を集めております。
森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。
カテゴリ
全て (1729)
UFO (484)
森羅万象 (1203)
アクセス数
総アクセス数: 180905
今日のアクセス: 61
昨日のアクセス: 148
RSS


Copyright (c) 2006 KURUTEN All right reserved