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日本国内で目撃された未確認生物の中で、ヒバゴンもまた強烈なインパクトを残した。
[森羅万象]
2019年8月27日 18時34分の記事


『裏昭和史探検』
風俗、未確認生物、UFO
小泉信一     朝日新聞出版  2019/3/7



<未確認生物をたどって>
<ヒバゴンはいとしく、永遠に>
・日本国内で目撃された未確認生物の中で、ヒバゴンもまた強烈なインパクトを残した。特徴がすごい。逆三角形の顔に鋭くつり上がった目。体長1.5〜1.6メートルほどで全身毛むくじゃら。二本足で歩き、ゴリラのようにも見えたという。
 目撃場所は中国地方の比婆山一帯。広島県旧西城町(現・庄原市)の観光協会に当時の証言記録が残っている。
<自動車の前を、子牛ぐらいのゴリラに似たものが横切ってのう。谷の方へゆっくり、わしの方を見ながら歩いていったんじゃ>(1970年7月20日、最初の目撃者)

・<墓地でのう、草刈りをしとったらカサカサと音がしたんじゃ。異様な顔をしたものがわしの方を見とるじゃないけえ。たまげてのう……>(3日後、2番目の目撃者)
 
・やがて第3の目撃者が現れる。約30メートル前方に見えた黒い人影。「きっと、もらい風呂に来た隣のおばあさんじゃ」と思って声をかけたが返事はない。薄暗がりの中をゆっくり歩いてくる。全身毛むくじゃらで顔は逆三角形の生き物が立っていた。ゴリラがよくやるように両手を肩に上げ、ひじを張っていたという。
 証言も生々しい。
<一目散に家まで逃げ帰ったんじゃが、あいにく家族は大阪の万博見物に出かけた後でのう。家の中は暑かったが、恐ろしいので我慢して雨戸を締め切ったんじゃ。ありゃ見たもんでなけりゃ、あの恐ろしさはわからんよ>

・地元紙が報じるとマスコミ各社が押しかけ、静かな里は騒然となった。子どもたちは集団で登下校し、警察も連日パトロールだ。発見された足跡を広島県警の鑑識が調べたところ、足の長さは約27〜30センチ、幅約15センチだったという。
 役場は住民の相談や外部からの問い合わせの窓口として「類人猿相談係」を設けた。特に目撃情報が集中した住民地区には、目撃した場合には「迷惑料」として5千円を支給した。問い合わせが殺到し、農作業などの手を休めざるをえないからだった。
「足跡を見つけた」との通報を含め、目撃情報は75年までに20件あった。だが情報は次第に途絶え、この年6月、町は「ヒバゴン騒動終息宣言」を出し、係も廃止した。

・担当者として現場を駆け回っていた恵木剋行(72)はいう。「原生林を切り開いて開発がされとった。山の神さまが怒って、使いに出したのがヒバゴンじゃないか、といううわさもあった」。比婆山は、女神イザナミノミコトが眠る信仰の山である。
 21世紀になり、作家の重松清が騒動を題材にした『いとしのヒバゴン』を執筆。後に映画化され、市町村合併に揺れていた2004年、旧町民の約4分の1がエキストラで出演して撮影が行われた。観光協会事務局長の前田忠範(52)は「目撃者の多くはすでに亡くなったが、ヒバゴンは過疎化で失われかけた町民の結束を強めるために現れたのではないか。あの時代に何があったのかを子どもたちに語り継ぎたい」という。
 ヒバゴンよ、永遠なれ。

<木か気か、奄美のケンムン>
・「ケンムン」も同じことが言えるかもしれない。東京から南西へ約1300キロ。鹿児島・奄美の島々に伝わる「妖怪」「木の精」である。

・ページをめくっていたら、全身毛むくじゃらで頭に皿をのせた、かっぱのような絵が出てきた。「これがケンムンです。文献上で最も古い記録です」と博物館職員。

・ケンムンについて書かれた文献があると聞き、奄美市立奄美博物館を訪ねた。

・別のページには人間の手を引いているケンムンの絵があった。「島人迷いし方に山野に引き迷わす事あり」と書いてあるので、人間に危害を加えることもあったのだろう。
 言い伝えによると、ケンムンは魚の目玉が好物。相撲も好きで人間を見ると勝負を挑んでくる。苦手なものはタコ。ガジュマルなどの巨木に棲み、森を荒らしたりすると目をつかれるという。
 子どもを救った話もある。瀬戸内町在住の男性(36)が、小学生のときの事件を教えてくれた。1学年上の先輩が学校の裏山に入ったきり行方不明になった。「神隠しにあったのでは、と大騒ぎになった。でも1週間ほど経ってから先輩はかなり離れた場所で見つかった。ケンムンが食べ物を持ってきてくれたそうです」と男性は言う。

<6人が「実際に会った」>
・面白いデータがある。奄美大島の小学6年の少年が島民106人にアンケートをしたところ、8割以上が「ケンムンはいると信じている」と回答し、実際に会ったという島民は6人いた。
 この調査は2010年1月、優れた地域研究に贈られる東京都板橋区の「桜井徳太郎賞」小・中学校の部で佳作を受賞した。

・調査によると、目撃場所は民家の庭や海の近く、川や田んぼとさまざま。生臭いにおいが漂っていたそうである。共通するのは?背丈は人間より少し小さなサルくらい?全身は毛で覆われ、手足がとても長い――という点だった。

・ケンムンはニュースにもなった。10年2月14日の南海日日新聞。社会面に「ケンムンの足跡?」との記事が載った。見つかったのは、奄美市名瀬の砂浜。竹筒を押しつけたようなくぼみ(直系5センチほど)が、約20センチの間隔で約20メートル先の岩場まで点々と続き、岩の後ろに回ると、さらに山裾まで続いていたという。

・写真を鑑定した元奄美市立奄美博物館長の中山清美(故人)は「明らかに犬や猫の歩幅でもなく、ヤギでもない。どの動物にも該当しない。やはりケンムンだろうか」と述べた。

・ケンムンは、青いよだれが光るという。「火の属性」も持っており、指先から火をともすこともできるそうだ。
 加計呂麻島で民宿を営む中村隆映(62)も学生のころ、山の尾根伝いにいくつもの火が隊列のように連なっているのを何度も見た。

・海上で、赤々といさり火をともしたモーレイ(船幽霊)もケンムンの仕業なのだろうか。その火は蜃気楼のようにいくつにも分かれ、集まってくることもあると伝わる。
 海岸で塩炊きやイザリ(夜の磯漁)をしていると、いつのまにかケンムンが近寄ってくるという話も耳にした。「大きな貝殻が無数に散らばっていることがあったそうです。ケンムンが食べたのでしょう」と奄美市在住のイラストレーター辻幸起(50)。

<UFO伝説をたどって>
<核の脅威を考えた三島由紀夫>
・だが作家の三島由紀夫は表明していた。「空飛ぶ円盤の実在か否かのむずかしい議論よりも、現代生活の一つの詩として理解します」
1955(昭和30)年7月に結成された「日本空飛ぶ円盤研究会」のメンバーだった。名簿の職業欄は「文士」、会員番号は「12」。2002年まで活動を続けたこの会は、作家の星新一や「日本の宇宙開発の父」とよばれた糸川英夫も加わり、一時は1千人の会員を擁したともいわれる。

・三島は「円盤が現れるかもしれない」という情報が入ると、自宅の屋上に上り、双眼鏡を手に空を観測。57年6月、日比谷の日活国際会館屋上で行われた「第3回国際円盤観測会」にも参加した。
 翌58年、米国から帰国。夕刊紙「内外タイムス」の取材に答えた。「アメリカでは円盤を信じないなんてのは相手にされないくらい、一般の関心も研究も盛んですよ。ラジオでも午前1時の深夜放送に円盤の時間があるからね」

・みずからの人生と肉体をもって思想を現実化させようとした三島。およそ純文学の世界になじまないように思われる空飛ぶ円盤に本格的な興味を抱いたのは、フランスの新聞記者A・ミシェルが書いた『空飛ぶ円盤は実在する』(56年、邦訳)を読んでから。だが宇宙に関する「ファンタスティックな興味」はすでに少年時代、新感覚派の稲垣足穂の小説によって養われていた、という。
「空にはときどき説明のつかぬふしぎな現象があらわれることはまちがいない」と三島。

・64年4月、円盤観測の仲間でもあった劇作家の北村小松が亡くなったとき、朝日新聞に寄せた弔文に書いた。「空飛ぶ円盤も無駄ではなく、これら飛行物体が、氏の、人間に対する澄んだ鳥瞰的な見方を養ったのであろう。北村さん、私は今あなたが、円盤に乗って別の宇宙へ行かれたことを信じている」
 『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『豊饒の海』など数々の作品に隠れ、目立たないかもしれないが、三島には異色のSF小説『美しい星』(62年)がある。埼玉県飯能市に住む資産家一家が円盤を目撃したことから、実は自分たちが別の天体から飛来した宇宙人だったことに気づくという物語だ。そして、人類を核戦争の脅威から救うため、さまざまな活動を始める。
 当時は東西冷戦下。破滅に向かって突き進もうとする人類に警鐘を鳴らそうとしたのが『美しい星』だった。作品には、日本空飛ぶ円盤研究会の存在が深くかかわっていた。三島はUFOを探しながら核戦争のことを考えていたのではないか。

<理解されない「高遠なる趣味」>
・熱海(静岡県)でも夏、三島はホテルに双眼鏡を携え、毎晩、夜空を観察していたそうである。「ついに目撃の機会を得ませんでした。その土地柄からいっても、ヘタに双眼鏡に凝っていたりすると、疑われて困ります。世間はなかなか高遠なる趣味を解しません」。

・さて、取材を進めるうちに、実際に空飛ぶ円盤を見たという人に会った。元建設機械メーカー社員の小林一三(81)。75年5月5日夜、妻と2人の子どもを連れ、マイカーで自宅に帰るときだった。前方に、ものすごく大きな赤い光が点滅していた。パトカーかと思い、車を路上に止め、様子を見に行った。
「距離にして数百メートル。浮いていて、大きな窓が三つありました。車に戻ってパッシングすると、物体は急に夜空のかなたに消えていきました」

<空飛ぶ円盤、光るわけは>
・2017年9月、私は福島市飯野町にある「UFOふれあい館」を訪ねた。資料約4千点。「日本空飛ぶ円盤研究会」の会長を務めた荒井欣一(故人)が寄贈した蔵書や、UFOの模型もあり、愛好家にはうれしい。作家の三島由紀夫が双眼鏡を手に、観測会に参加している貴重な写真も展示されている。
 福島市に合併する前の飯野町がUFOでの町おこしをめざし、92年、ふれあい館をオープンした。場所は町の北側にそびえる「千貫森」(標高462メートル)という山の中腹。きれいな円錐形の山で、ピラミッドなどの人工建造物のようにも見える。場所によってはコンパスが正常に働かない磁場があるそうだ。

・「ひかりもの」という発光体が目撃される場所としても知られていた。
 木下は館長を10年にリタイアしたあとも、UFO研究家として子どもたちに科学の楽しさを教えている。

<茶色い顔で「キュルキュル」と>
・木下が目撃したという物体は帽子のようにも見える「ヘルメット型」である。
 25歳だった1972年の夏、安達太良連峰の箕輪山を登っていたときのことだ。山頂付近に銀色に光る物体が30秒ほど空中で停止していた。だが目をそらしたすきに、物体の姿は消えていたという。

・別荘地の管理人などの仕事をしながらUFOの研究をしていた木下は93年、館長として「UFOふれあい館」に招かれた。館内には「主要目撃事件全国図」と書かれた大きな日本地図が展示されている。
<函館市(北海道)S25・8・3 函館駅 助役が青白い光を目撃>
<羽咋市(石川県) S62・6・10 沖合を蛍光灯のように光る葉巻型のUFO目撃>
 場所と日付、そのときの様子が説明されている。UFOが現れた場所は全国に散らばっているものの、やはり人口が少ないところでは、目撃情報もまばらになるようだ。

・甲府市では75年2月23日、小学生が宇宙人に肩をたたかれるという事件があったそうだ。館内を案内してくれた飯野町振興公社の事務局長・菅野利男(67)に聞くと、「甲府事件です」。その日の午後6半ごろ、地元の小学生2人がブドウ畑の近くに着陸しているUFOを目撃したという事件である。
 当時の証言をもとに再現すると、物体の大きさは直径約2.5メートル、高さ1.5メートル。扉が開き、中から「宇宙人」が降りてきたという。顔は茶色、深い横じわがあり、銀色の牙が生えていたという。「キュルキュル」というような声で話しかける。1人は後ろから肩を2回たたかれた。
 怖くなった2人は慌てて家へ逃げ帰る。しばらくして父親と一緒に現場に行くと、すでにUFOはいなかった。何かが着陸したような複数の穴が開いていたという。

・もちろん、この話をそのまま信じていいのかどうかは分からない。70年代は全国で円盤の目撃情報が飛び交い、マスコミ報道も過熱していた。一種のUFOブームの中では、ひとつの目撃談が別の目撃情報を呼ぶようなことが起きたのかもしれない。

・この時代の「伝説」として、いまも語られているのが高知の「介良(けら)事件」。田んぼに落ちていた小型UFOを中学生たちが捕獲したという事件である。

<中学生が捕まえた小型物体>
・高知県東部の介良地区で、1972年8〜9月に起きたとされる「介良事件」である。
 当時の証言を総合するとこうなる。事件の中心は13〜14歳の中学生の少年たち。1人が夏の日の午後、田んぼの上にふわふわ浮かんでいる物体を目撃した。翌日、数人で確かめに行くと、田んぼの真ん中に落ちていたという。1人が袋に詰めて家に持ち帰り、保管した。だが、あとでふと中を見ると消えていた。
 どこに行ったのか。捜すと、物体はまた田んぼに落ちていた。再び袋に入れて自宅に持ち帰ったという。
 物体は手に載るほどの大きさ。捕まえては逃げられるということが、何度か繰り返された。そのうち最後はどこかへ消えてしまった。事件にかかわった少年は全部で9人という。

・介良事件があった70年代は空前のオカルトブームが起きた時代。作家の五島勉が書いた『ノストラダムスの大予言』がベストセラーとなり、スプーン曲げの「超能力者」ユリ・ゲラーや、「人か猿か!」で話題になったオリバー君も来日し、日本中を騒然とさせた。

<天の災い? 漂着の「うつろ舟」>
・UFOはしばしば世の中をにぎわせてきた。米国のメディアが目撃談を報じた「ケネス・アーノルド事件」が起きたのは、第2次大戦後の1947年である。だがこれより、140年以上前の日本でも、不思議な物体の存在が人々の間でうわさになっていた。
「常陸国うつろ舟奇談」と呼ばれる。1803年、円盤のような「乗り物」が現在の茨城県の海岸に漂着。異様な服装の女性が箱を抱え、中から現れたという事件である。
 言い伝えによると、乗り物の幅は約5.5メートル。上部にガラスとみられる窓があり、下部には鉄板が施され、中には不思議な文字も書かれていた。驚いた村人たちは「天の災いだ」と思ったのだろうか。女性を再び乗り物に乗せて沖に押し流し、幕府の役人には内緒にしていたという。
 だが事件は注目を集める。きっかけは1825年(24年とも)、江戸で開催された「兎園会」。一流の文人たちが不可思議なうわさ話を持ち寄って披露する風変わりな会だ。その中で紹介されたのが「うつろ舟奇談」だった。
 会の主宰は、伝記小説「南総里見八犬伝」の作者で知られる滝沢馬琴。馬琴が編者になったとされる風聞集「兎園小説」の中でも、この話は「うつろ舟の蛮女」として絵入りで紹介された。
 民俗学者の柳田国男は論文「うつぼ舟の話」(1926年)の中で、絵に描かれた文字が世界のどこにも存在しないことから「駄法螺」と切り捨てた。だがその後、同じような内容を伝える江戸時代後期の古文書がこれまでに約10点あちこちから見つかっている。しかもほとんどの文書に「舟」と「箱を抱える女性」、解読不能の謎の「異形文字」という3点セットが描かれているのだ。
 UFOマニアの中には「宇宙人が乗り物に乗っていた」と言う人もいるが、さすがにそれは荒唐無稽だろう。とはいえ、何かしらあったのだろう。事件が起きたのは、江戸幕府が鎖国政策を敷いていた時代。開国前だったが、日本近海では外国船がしきりに現れ、日本との通商を求めていた。異国船打払令が出されたのもこのころである。
 
・科学的立場から「うつろ舟奇談」を研究している岐阜大名誉教授の田中嘉津夫(70)は「仮に作り話であったにしても、このような奇怪な形の舟を江戸時代の人たちが空想だけでここまで具体的に描くことは、難しいのではないか。何らかのモデルがあったのではないか」と指摘する。
 乗り物が茨城県のどこに漂着したのか。場所の特定は難しいとされてきたが、実在の地名が記載された史料が、甲賀流忍術を伝える古文書とともに保管されていたことが2014年にわかった。
 そこには「常陸原舎り濱」とある。伊藤忠敬が江戸時代後期に作った地図「伊藤図」にも記された地名で、現在の茨城県神栖市波崎の舎利浜にあたる。鹿島灘の南部。利根川を挟んで、千葉県銚子市にも近い。
 私は現地に向かった。

<言葉が通じない謎の美女>
・乗り物から現れた女性についても書いている。18〜20歳ほどで、顔色は青白く、眉毛や髪は赤い。美人だが、言葉は通じなかった。「鎖国下の日本へ漂着した外国人は、文字どおり異界からの使者でした」と学芸員の林知左子はいう。
 茨城には言い伝えがある。海を越えて養蚕をもたらしたという女神「金色姫」伝説である。鹿島灘に近い星福寺には金色姫の像もまつられている。箱を持っており、中には蚕が入っているという。「うつろ舟」のモデルは金色姫ではないかとの見方もある。

・舎利浜を訪ねたあと、私は再び銚子に戻った。レトロな銚子駅電鉄に乗って関東最東端の犬吠埼に向かう。犬吠埼から徒歩約15分。太平洋の大海原を望める「地球の丸く見える丘展望館」に着く。ここではこれまでに何度かUFOを呼ぶイベントが開かれた。
「夜、開催したこともありました。南の空に発光体が複数出現したのです。合体と分裂を繰り返し、水平線のかなたへと消えていきました」と館長の渡辺博季(59)。
 ところで、犬吠駅の隣駅は「ロズウェル」と愛称がついている。渡辺に尋ねると、「1956年に起きた銚子事件がもとになっています。日本のロズウェル事件と呼ばれているのです」。
 ロズウェル? 一体何のことなのだろう。

<「ロズウェル駅」の由来は>
・太平洋に突き出た犬吠埼(千葉県銚子市)。

・UFO愛好家にとってもロマンチックな場所である。「UFOの目撃情報が多い」と銚子市観光協会事務局長の吉原雅樹(54)。銚子電鉄の君ヶ浜駅には「ロズウェル」という愛称までついている。
 1947年に起きた「ロズウェル事件」にちなむ。米ニューメキシコ州ロズウェル近郊にUFOが墜落し、宇宙人の死体を回収したとされる事件だ。だが米空軍は半世紀後の97年、墜落したのは高度飛行用気球であり、宇宙人とされるのは実験用マネキンだったとの報告書を発表した。

・犬吠埼に近い「地球の丸く見える丘展望館」には、56年に起きた「銚子事件」についての展示がある。9月7日午後7時ごろ、市の上空を飛ぶ物体を多くの人が目撃し、小さな短冊状の金属片が降り注いだという事件だ。
「ちょうど火星の大接近が日本中で話題になり、市民の多くはあの夜も空を眺めていた。ちょっとした宇宙人ブームも起きていました」と館長の渡辺博季は言う。

<あの酒場詩人も……>
・小学5年の時、母親と絵の先生に連れられ、隣町まで映画を見に行った帰り、月明かりを頼りに2人の後ろを歩いていると、山の端から大きな物体がぬっと現れ、夜空を切り裂くように去っていった。赤く大きく光る「火の玉」のようだった。

・北海道南西部の渡島半島にある八雲町もその一つ。函館市と室蘭市のほぼ中間に位置し、太平洋と日本海に挟まれる唯一の町だ。山も多く、天候の変化が激しい。雲がたくさんわき上がるので、自然現象をUFOと見間違える人も多い。うさんくさいかもしれないが、このあたりでUFOがよく消えることから、マニアの間では「UFOの墓場」とさえ言われていた。
 JR八雲駅前の喫茶店の店主が教えてくれた。「すごかったのは昭和50年代。東京からもマスコミが詰めかけ、山の上からテレビ中継が行われたときもあった。最近は静かだね。夜空も見なくなった」

<地球が平和だからこそ>
・県境を越え、JR鹿角花輪駅前に地元ラジオ局「鹿角きりたんぽFM」のスタジオが見えた。
 出迎えてくれたのはサングラスをかけた白衣姿の男性。名刺に「鹿角不思議研究所」と書かれている。「所長のKです」と男性は言う。「光りもの」と呼ばれるUFOの目撃証言が多いとされる鹿角。地元にちなんだ不思議な話題をリスナーに伝える番組を「K」は担当している。「鹿角は東北でも指折りのミステリースポットです」
 Kの案内で「日本のピラミッド」説もある黒又山に向かった。

<テキヤ  口上と芸で稼ぐ職能人>
・1928(昭和3)年、東京の下町で生まれた故・渥美清(本名=田所康雄)は戦後の混乱期、闇市が並んだ上野の「アメヤ横丁」かいわいでよく遊んだ。祭りや縁日があると、テキヤのタンカバイ(啖呵売)を一つひとつノートに書き写し、頭にたたき込んだそうである。
 たとえば「黒い、黒いはナニ見てわかる。色が黒くて、もらい手なけりゃ、山のカラスは後家ばかり……」。

・トントントンと、たたみかえるような七五調のリズム。意味がわからなくても心地よくすーっと耳に入ってしまい、思わず財布のひもをゆるめてしまう。見るからにあやしげなのに、どこか愛敬のあるテキヤが昭和の街にはあちこちにいたのである。

・私が育った門前町の川崎大使(川崎市)でも、祭りや縁日ともなると、そこだけが「異界」のような空間が現れた。

・「テキヤ」は、「香具師」と書いて「やし」とも呼ぶ。単なる露天商ではない。道端での口上や芸をもってカネを稼ぐ職能人である。
 諸説あるが、仏教の教えをわかりやすく説きながら香や仏具を売り歩いた武士が「香具師」や「野士」と呼ばれるようになったのが始まりとされる。薬の行商人が「薬師」といわれ、縮まって「やし」になったともされる。
 それが「テキヤ」と呼ばれるようになったのは明治以降らしい。「やし」は「ヤー的」という隠語として使われるうちに逆さになったという。当たれば大きな利益を得ることから、的に矢が当たることになぞらえ「的屋」になったという説もなかなか説得力がある。
 佐賀に住む古参のテキヤは、バナナの競り売りで財を成した。色つきや形を見せながら「サァサァ買うた、サァ買うた」などと七五調の節をつけ、競るようにして売ったのである。大卒初任給が月1万円強だった昭和30年代、1日2?のバナナを売り、2万円稼いだこともあった。8時間立ちっぱなしで800〜1千房も売ったそうである。
 
・だが雨が降れば雨に泣き、風が吹けば風に泣く。失業保険も退職金もない。明日をも知れぬ人生。そんなテキヤの守り神は、『香具師の生活』(添田知道著)によると、中国の神話上の存在「神農」である。百草をなめて医薬を知り、路傍に市を開いて交易を民衆に教えたとされる。同書が出たのは、東京五輪が開催された64(昭和39)年。都会で暮らす人々にとってテキヤのような生活は「古くさい」とみられていたのではないか。

・とはいえ、舌先三寸で人の足を止めさせるテキヤのすごみに、のちに「フーテンの寅さん」で国民的な人気者になる渥美は魅せられた。私が子どものころに見た「ヘビ女」たちもテキヤの世界では階級が高かった。「タカモノ(高物)」と呼ばれる仮設興行の世界に属し、多くの人を集めるので祭りの花形とされていたのだ。

・寅さん映画にも出てくるが、「ネンマン(万年筆)売り」という商いもあった。路上に並べられた泥だらけの万年筆。勤め先の工場が火事で倒産し、焼け跡から使える万年筆を掘り出してきたという経緯を語り、妻や子を抱えて生活が苦しいという窮状を切々と訴える。客の同情を買い、モノを売るという手段だ。万年筆は粗悪品が多く、すぐに使えなくなった。

<だまされるのは織り込み済み>
・角帽に詰め襟の学生服でしくしく泣いていたテキヤもいた。「どうしたんだ?」と通行人が心配して声をかけると、「ハハキトク」と書かれた電報をポケットから取り出す。「切符を買うゼニ」をせしめるニセ学生である。
「千里眼」という占いのような商売もあった。紙に質問を書かせる。「私はなぜ女にもてないのか」。その紙をロウソクであぶると「鏡をよく見ろ」と文字が浮かぶ。実は、あらかじめ言葉が刷り込んであった。
「そんな遊びを楽しむ心のゆとり、いまのニッポンに必要なんじゃないですか」
 私にそう教えてくれたのは、俳優の故・小沢昭一だった。「だまし」「だまされる」のは織り込み済み。悪質きわまりない「オレオレ詐欺」とは違う。

<大衆文化・芸能担当>
・さて私は朝日新聞の編集委員で大衆文化・芸能担当である。色物芸、放浪芸、旅芝居、演歌・昭和歌謡、酒場、キャバレー、戦後のストリップ史、民俗、怪異伝承………。難しい哲学やお堅い政治問題にも「大衆」の視点で斬り込む。大切なのは権威とは無縁な大衆の情念。これからも「論」ではなく「情」で記事を書きたいと思っている。



『怪異とは誰か』     怪異の時空
茂木謙之介、一柳廣孝   青弓社   2016/12/21



<三島由紀夫とオカルト言説    松下浩幸>
<―—「2・26」表象をめぐって>
<はじめに>
・三島由紀夫という作家が、常にその自決という人生の結末とセットで語られることは、ある意味では物語のような人生を目指した彼の狙いどおりだったかもしれない。劇的なドラマ性によって自己の生と死を演出し、その意味を探ろうとする言説や情報がメディアで再生産されることで、作家・三島由紀夫は奇妙な神格化をされることになる。本章ではそのような三島の奇異なよみがえりの例(霊)を入り口に、三島がその演技性のモデルとして見いだした2・26事件の首謀者の一人、磯部浅一との関わりについて考察してみたい。

<<予言者>としての三島由紀夫>
<呼び出される<三島由紀夫>>

・(太田千寿の「霊界通信」シリーズ)
『三島由紀夫の霊界からの大予言』日本文芸社、1984年
『三島由紀夫の霊界からの大予言 続』日本文芸社、1986年
『宇宙創世と命の起源——三島由紀夫の霊界通信』日本文芸社、1986年
『三島由紀夫の新・霊界からの大予言――1999年8月、北斗七星が地軸を傾けさせる⁈』日本文芸社、1990年
『三島由紀夫の霊界からの大予言』日本文芸社、1994年
『三島由紀夫の(最新)霊界からの大予言』成甲書房、2009年
『太田千寿が解き明かす霊界と天上界の大真実』徳間書店、1996年
『尾崎豊の霊言・夢響き』さくら出版、1995年
『田中角栄の霊言――大いなるドン・平成のなげき』銀河出版、1994年

・小室直樹 『三島由紀夫が復活する』毎日コミュニケーションズ、1985年
・小室直樹『三島由紀夫と「天皇」』天山出版、1990年
・岡弓子『三島由紀夫――英霊の声』大宇宙真理学会、1972年
・辻村興一『追跡!三島由紀夫の霊界通信』日本文芸社、1985年
・アポカリプス21研究会『三島由紀夫と霊界パワー』広済堂1986年
・アポカリプス21研究会『三島由紀夫の死と謎』広済堂、1990年
・濱田政彦『神々の軍隊——三島由紀夫』三五館、2000年
・市村俊彦の『テレパシーの世界』シリーズ(三島の降霊)
・大川隆法『天才作家 三島由紀夫の描く死後の世界』幸福の科学出版
・椎根和『オーラな人々』茉莉花社、2009年(写真集)
・里中李生『成功を引き寄せる男の器量――三島由紀夫に学ぶ、あなたが変わる33のヒント』アールズ出版、2013年
・適菜収『ミシマの警告――保守を偽装するB層の害毒』講談社2015年

・太田は1946年、秋田県生まれ。その後、横須賀で育ち、銀行でのOL生活を経て結婚。一男一女の母となるも離婚し、80年ごろから自動書記や自動描画による霊界通信をおこなうことになる。のちに太田は自分自身が、三島の若くして亡くなった妹・平岡美津子の生まれ変わりであることを三島の霊から伝えられる。その霊界通信の内容は多岐にわたるが、大きく2つに分けることができる。1つは1999年8月2日、午後6時に地球のすべてのバランスが崩れ氷河期が到来し、人類は危機に瀕する。そのとき、人類のなかに善い因子は別の星に飛ぶが、反省できない因子は選ばれず、地獄と化した地球で苦しむことになるという。もう1つは「真秀呂場(まほろば)づくり」と称される人類救済のための魂のユートピアを、三島霊団なるものがオリオンの新太陽系に作るが、その中継ぎ地点が地球であり、さらにどの原点にあるのが日本、そしてその中心が富士山だという。富士山は霊界の神々の魂の砦であり、神と人間が交流することができる魂のよりどころだが、一度、地球は氷河期によって滅びなくてはならず、その後、再生した地球で選ばれた因子は邂逅するという。
 しかし、1999年8月に何も起らなかったからか、太田はその後、「霊的な事情」によって心身のバランスを崩し、三島からの様々な指針があったにもかかわらず沈黙を続け、ようやく2009年11月に『三島由紀夫の<最新>霊界からの大予言』を発表する。

・肉食は控えて菜食にすべき、サタンや悪霊による攻撃を地球は受けていて、三島本人も現世ではサタンに操られ「ホモ体験」をしたというなど(ただし霊的に浄化した現在の三島はすでに魔を克服し、「真のエロス」のあり方を説く)、通俗道徳の域を出ない「お告げ」が多く見られるが、この太田の霊界通信には、先に見たような典型的な2種類の語りのパターンが援用されている。その1つは終末論的なものであり、もう1つは懐古的かつロマン主義的な時間意識による語りである。

・いわゆる終末論とは破壊よりもむしろ救済に本来の意図があり、この世が終わることによって到来する新しい世界による救済への賛美こそが、その本質であるとされる。太田の霊界通信が氷河期による地球の終わりを予言し、その果てに「真秀呂場」たる理想郷を設定しているのは、まさに終末論の定型である。また、終末論を体現する黙示録的な物語は、神に従う義人と神に逆らう罪人との2項図式によって成り立ち、終末時の最後の審判によって罪人と義人との勢力関係が逆転し、神に逆らう罪人は滅ぼされ、神に従う義人だけが新しく始まる喜ばしい世界に救い上げられる。太田の霊界通信もまたサタンや悪霊によって破壊された地球から、神に選ばれた因子とそうでない因子が選別され、選ばれた因子はオリオンにある理想郷へと誘われるというストーリーによって編まれているように、やはり黙示録的な構造を有している。

・黙示とは、隠された神的秘儀が特定の解読者に示される際の啓示を意味するが、太田の自動書記では隠された神的秘儀とは三島由紀夫からの「お告げ」であり、特定の解読者とは太田千寿を意味する。黙示的思考は歴史の終末と解放に至るサインを、社会不安や天変地異などの徴候によって読解し、歴史を予知可能なプロセスとして捉えるが、太田の霊界通信はその意味でも、典型的な終末論や黙示的思考を模倣しているといえる。さらに太田が唱える「真秀呂場」が万葉仮名風の古代和語であり、汚れのない地球を「火水花(ひすいばな)」と訓読みして呼び、「土を元に戻すこと、木による建物の世にすること、菜食生活に戻すこと。石油を掘らぬこと、(略)車を走らせぬこと。足にて歩くこと、(略)全てもろもろ昔の代に戻ることとなり」というように、富士山の霊力によって日本を特徴づけ、現状に対するペシミズムから過去の日本を賛美し、同時に人類の歴史は退廃を続けているというような、その時間意識は、まさに懐古的でロマン的な特徴を有している。

<三島由紀夫をめぐる「神話作用」>
・無論、三島のオカルト化とは、その意味の空白を一方的に埋められたことによって起こったわけではなく、三島サイドにもそのような解釈をもたらす要因があった。例えば、三島のオカルト性を担保する根拠としてよく利用されるのが、三島由紀夫(本命・平岡公威)の実父の手記のなかで紹介されている「家内」(公威の実母・倭文重(しずえ))からの次のような聞き書きである。「公威は処女作以来、発表する前に必ず私に原稿を見せるのがならわしでしたが、『英霊の聲』の原稿を見せに来たときのことです。「夜中にこれを書いていると、2・26事件の兵士の肉声が書斎に聞こえてきて、筆が自分でも恐ろしくなるように大変な早さで滑っていって、止めようと思っても止まらないんだ」と言うのです。何とないかねてからの不安が何とない危機感へと移って参りました」
『英霊の聲』は、青年の霊媒師と老練な審神者によって呼び出された2・26事件の青年将校と特攻隊員の霊が、天皇の人間宣言によって自らの忠誠心が裏切られたという怨念を告げる物語だが、三島自身がその霊に憑依されたかのようだったと身近にいた母が証言する。肉親からの報告でもあるこの言説によって、晩年の三島の異常さ(オカルト性)が信憑性を帯びたものとして示される。さらにもう1人、三島のオカルト性を担保する人物がいる。それは三島の盟友・丸山明宏だが、彼もまた同様に「ぼくは、実は去年、予言していたんです。1970年には三島先生が死ぬかもしれないって。みんな気をつけろ、なんていっていたんです。今年のお正月にも、先生につきものがついてて、ふりまわされている、偉いお坊さんを呼んでとってもらったほうがいい、なんていうことを話してたんです。(略)先生も『英霊の聲』を書いたときは、霊がついているのを感じたとはおっしゃってましたね。『英霊の聲』を書いて、書斎から出てこられたとき、先生に、兵隊の姿をした亡霊がついているといったら、顔色が変わっていましたね」と答えている。

・また、三島と親しかった文芸評論家の奥野建男も、「『英霊の声』を読んだときぼくは肌が粟立つような怖しさと嫌悪を感じた。こういう先品を書く三島由紀夫にはついて行けないという異和をおぼえた。何かに三島由紀夫はとりつかれ、正気を失ってしまったのではないかと思った。(略)その死者たちの言葉はそれまでの三島由紀夫であれば絶対に書くことのない、陳腐で定形的な文章である。激烈な表現を用いながら、そこに文学者としての三島由紀夫の心が少しも入っていない。誰か他人に書かされたお筆先という感じである。(略)もしかすると2・26事件の首謀者のひとりであった、あのすさまじい呪詛と怨念の遺書を獄中で書き綴った磯部浅一 一等主計の霊にとりつかれたのではないかと思いたくなるほどである」と述べている。

・肉親や身近にいた者たちによって報告されるこれらのエピソードが、その後、繰り返し流布されることで、三島のオカルト的特性が強められていく。そして、その際には必ずといっていいほど2・26事件の首謀者の一人、磯部浅一への言及が添えられる。事実、第1節で紹介した太田千寿の霊界通信でも「私、三島由紀夫は20年かかり、夜叉の道を捨て去ることができた。あれは、磯部浅一の憑依で、2・26事件の将校たちの真の命のほとばしりを垣間見ながらの行為であった」「磯部は夜叉王となった。地獄の奥深くまで体験した。だが、御魂はいっさい汚れなかった。私のよき側近だ。今は私を支えてくれる大切な御魂だ」という「お告げ」が紹介されている。

<同時代のなかの2・26事件>
・1966年、磯部の「獄中日記」に影響を受けて、三島が「英霊の聲」を書き上げたことはよく知られているが、その年の秋、仙台で新たに磯部の「獄中手記」が発見される。翌年2月、「文藝春秋」1967年3月号誌上で公開されたこの手記は、北一輝に強く影響を受けた磯部が、処刑までの1年半の間に獄中で記したものだが、事件に同情的だった看守たちによってひそかに外へ持ち出され、戦後、世に出ることになる。

<2・26ブーム>
・この「文藝」編集部の文章で興味深いのは、可否の理由としてともに当時の「2・26ブーム」を挙げていて、さらにそのブームがフィクションによってもたらされているという認識を示していることである。では、その当時の「2・26ブーム」を作ったフィクションとは何だったのだろうか。思うにそれは文芸作品を原作としながらも、広く大衆に影響力を持った映画だったのではないだろうか。表2にあるように、1950年から60年代にかけてはたびたび2・26事件関連の映画が作られている。表3の文芸作品とも相まって、当時はまさに「2・26ブーム」だったのである。
 
・歴史社会学者の福間良明はこの当時の映画を対象に、戦後の2・26事件の表象史を分析しているが、そこにはある特徴的な変化があるという。戦後の2・26映画の先駆けとなる『叛乱』(1954年)では、中心人物は軍の決起に最後までためらいを見せ、青年将校のなかの良心と称された安藤輝三であった。この映画では兵士思いの安藤と妄信的に決起を促す磯部浅一や栗原安秀との対立的構造が描かれている。

・また、フィクションの世界だけでなく現実の社会でも、1960年代は2・26事件の残像がある種の人々を動かす力をまだ持っていた。1961年12月、旧陸軍出身者らによって、のちに「三無事件」(国史会事件)と呼ばれるクーデーター未遂事件が起こる。「三無」とは、財政収縮と公社・公団の民営化による無税、大規模な公共事業の実施によって雇用が確保されるという無失業、そして武器開発によって外国からの侵略を阻止することで可能となる無戦争、という首謀者たちのスローガンに基づくものだが、彼らはひそかに日本政府の要人暗殺を計画していた。このことは当時、2・26事件のような軍事クーデターの記憶が、テロ行為のモチベーションとしてまだ機能していたことを示唆している。

・識者らのコメントでたびたび言及される事柄がある。それは「韓国のクーデター」といった文言である。これは同じ年の5月に韓国で起こった軍事クーデターのことだが、リーダーの朴正煕(のちの大統領)は創氏改名によって高木正雄という日本名を持つ日本陸軍士官学校卒の軍人である。三無事件の首謀者たちに、この隣国で起こった旧陸軍士官学校出身者によるクーデターは、強い影響を与えたことが想像できる。そしてさらにこの三無事件に三島由紀夫が影響を受け、のちの自衛隊市ヶ谷駐屯地の占拠を計画したともいわれている。つまりこの時期、軍事テロは決して絵空事ではないというような状況が、当時の日本にはあったということである。
 そのような同時代的な文脈のなかに、三島の2・26青年将校への模倣という出来事を措いてみると、それが決して三島個人の嗜好や趣味の問題ではなく、また時代から孤立した特別なものでもなかったということが見て取れる。むしろそれは同時代に、広く共有されていたエートスだったのである。

<2・26事件を扱った主な映画>
・『叛乱』新東宝、1954年
・『重臣と青年将校 陸海軍流血史』新東宝スコープ、1958年
・『二・二六事件脱出』 東映、1962年 
・『銃殺』東映、1964年
・『憂国』監督:三島由紀夫、東宝、1965年
・『宴』 松竹、1967年
・『日本暗殺秘録』 東映、1969年
・『動乱』 東映、1980年
・『226』  松竹富士、1989年

<2・26事件に関する書物(文芸作品を中心に)>
・新井勲『日本を震撼させた四日間』文藝春秋新社、1949年
・記録小説 立野信之『叛乱』六興出版社、1952年
・磯部浅一「二・二六青年将校の獄中記」『文藝春秋』1955年3月号
・河野司『二・二六事件』日本週報社、1957年
・武田泰淳『貴族の段階』中央公論社、1959年(同年、大映が映画化)
・三島由紀夫「憂国」『スタア』新潮社、1961年
・三島由紀夫「十日の菊」「文学界」1961年12月号、文藝春秋社
・利根川裕「宴」「展望」1965年7−10月号、筑摩書房
・松本清張「昭和史発掘」「週刊文春」1964年7月6日―71年4月12日号、文藝春秋新社
・「文芸」1967年3月号、河出書房新社→磯部浅一の未公開資料が発表される(発見は1966年)
・沢地久枝『妻たちの二・二六事件』中央公論社、1972年
・かわぐちかいじ「血染めの紋章」青林堂、第1部1973年、第2部1974年。磯部浅一の獄中手記を引用

<おわりに――三島由紀夫のために>
・以上、見てきたように映画という大衆文化のなかで、戦後の2・26事件の表象は安東輝三から磯部浅一へと軸を移し、三島由紀夫の2・26事件への接近も、このような時代の流れのなかにあったといえる。田中美代子は「三島由紀夫のスキャンダリズム」というエッセーのなかで、当時まだ25歳だった三島の「やっぱり、鬼面人を驚かす生活をしたい」という言葉を取り上げ、「三島由紀夫は自らの言葉の通りその芸術的生涯において、極めて意図的なスキャンダル・メーカーであった。醜聞とは市民道徳に亀裂を走らせることであり、くさいもののフタをとることだ」と述べ、三島文学の悪と芸術の関係を論じているが、このような三島の身ぶりが、同時に彼にオカルト的なキャラクターを付着させる大きな要因になったことは確かだろう。

・死んだ<三島由紀夫>はその死の強烈さゆえに、イデオロギーや立場による綱引きにあっているが、しかし、その多くは三島の文学を矮小化する方向に作用しているように思える。はたして三島の<悪>とはその程度のものなのだろうか。



『現代幽霊論』  妖怪・幽霊・地縛霊
   大島清昭     岩田書店   2007/10



<幽霊と妖怪>
・一方、「幽霊」と「妖怪」を区別する立場としては、柳田國男、諏訪春雄が挙げられる。
 日本民俗学の創始者である柳田國男は、最初に「幽霊」と「妖怪」を区別した人物である。昭和十一年に公表された「妖怪談義」で、柳田は「オバケ」と「幽霊」を明確に区別する指標を述べた。前もって知っておかなければならないが、柳田は「オバケ」「化物」「妖怪」という言葉を同じ意味で使用している。従って、ここでの「オバケ」は民俗学では「妖怪」という意味で捉えられている。

・柳田は「誰にも気のつく様なかなり明瞭な差別が、オバケと幽霊の間には有ったのである」として、?出現場所の相違、?対象となる相手の相違、?出現する時刻の相違、という三つの違いを提示する。?は「オバケ」が「出現する場所が大抵は決まって居た」のに対して、「幽霊」は「百里逃げても居ても追掛けられる」という。?は「オバケ」は「相手を選ば」ないのに対して、「幽霊」は「たゞこれぞと思ふ者にだけに思ひを知らせようとする」と述べ、?は「オバケ」が黄昏時に出現するのに対して、「幽霊」は丑三つ時に出現すると定義した。

・柳田の目的は「妖怪」を研究することで「信仰の推移を窺ひ知る」という、所謂信仰零落説の立場を取るものであった。実際、昭和二六年の民俗学研究所が編纂した『民俗学辞典』には、「妖怪」の定義として「多くが信仰が失われ、零落した神々のすがたである」と記されている。
 諏訪春雄は、柳田の定義に対して反証を提示した後、独自の「幽霊」と「妖怪」の定義を展開する。諏訪は「妖怪」も「幽霊」も「広い意味でのカミ(精霊)といえる」とし、「しかも正統に祀られていないカミである」という立場を取っている。

<幽霊と分身>
・「分身」と聞くと、私などは忍者かバルタン星人を想起してしまう。所謂「分身の術」である。しかし、ここで論じるところの分身は、「分身の術」のような特定の手法によって自らのコピーを創造することではない。一般的によく知られている言葉を使用すれば、「ドッペルゲンガー」という言葉もまた、それぞれの論者によって指示領域が異なるものである。「分身」や「ドッペルゲンガー」に深く関わる学問分野は、文字と精神医学が挙げられる。従って、文学では「ジャンル」の問題として、精神医学では病気の症状として、それぞれ指示領域を持っていることになる。殊に文学では、論者やアンソロジーの編者によってその集合の範囲は違ったものになっている。

・例えば、『書物の王国11 分身』(国書刊行会、1999年)は「分身」というテーマに沿って古今東西の小説や詩などとを収録している。ここで「分身」という射程には、自己像幻視、鏡と影、双子、二重人格、内なる他者、などが収められている。

<憑霊>
・憑霊(或いは、憑依)は、容易に定義できるような概念ではなく、民俗学や人類学、宗教学において様々な論者によって議論がなされている。しかし、ここではそのすべてを追うことはできないし、また、幽霊という本書の主題とも大幅にズレてしまうので、簡潔に触れておきたい。
 佐々木宏幹は「憑霊とは、霊的存在または力が人間その他に入り込み、あるいは外側から影響して、当事者その他に聖なる変化を生じさせると信じられている現象である」と述べている。

<場所に固定化した幽霊>
・「?屍体が存在する(した)場所に、幽霊は固定化する」といった場合、当然ながらその幽霊が固定している場所とは墓地や火葬場などが筆頭に挙げられる。そう考えると、これに該当するような事例は、極めてオーソドックスな幽霊と考えられる。

・大阪府貝塚市水間。昨年(1984年)お店でアベックのお客さんに聞いた話。夜、水間(観音さんや今東光さんで有名なお寺)の戦没者のお墓のそばに車をとめていると、ヘルメット(鉄かぶとのことか)をかぶって兵隊のかっこうをしている人が、スーッととんでいるみたいに歩いているのが見えた。他にも見た人が、よくいるという事だ。

・「学校の怪談」では、⒜に該当する事例として学校の建設される以前に、その場所が処刑場であったという事例を示したが、同様の事例は学校だけではなく、その他の建造物にも存在している。ここではその一例としてNHK放送センターに出現する幽霊を挙げておこう。
 渋谷のNHK放送センターに軍人の幽霊が出るというのは、有名な話。体験者は昔から、数えきれないくらいいますね。

・ここは陸軍の練兵場の跡地で、あの「2・26事件」の青年将校たちが処刑された場所なんです。昔、「幽霊が出た」という場所の頻度と、処刑された場所の関係を調べた人がいて、101スタジオという一番古いスタジオのあるあたりがどうもそうらしいと見当がつきました。
NHK横にある2・26事件慰霊塔には、兵士たち(複数)が靴音を鳴らしながら歩いている音が聞こえるらしい。
また、その近くにある小学校の校庭にもその兵士たちが現れるとか・・・。

・この事例では2・26事件で処刑された兵士たちが幽霊として出現しているが、幽霊となるのは日本人の兵士だけではない。次の事例は処刑場ではないが、米軍の兵士が幽霊となって出現するものである。

Iデパートの建っている所は、昔、米軍の病院があった所だったため、今でも閉店後には洋服の間から米軍兵(幽霊)が出てくる。

・ホテルや旅館、或いはアパートの一室において、そこで亡くなった人間の幽霊が出現する事例は枚挙に暇がない。また、病院において亡くなった患者の幽霊が長期的に出現する場合も、ここに当て嵌るだろう。



『FBI超能力捜査官マクモニーグル』    「遠隔透視」部隊の現実
  (並木伸一郎・宇佐和通) (学研)       2007/2



<幽霊のハンス>
・幽霊もよく見る。亡くなった妻の母も会いにきた。陸軍時代、ドイツでも幽霊を見た。長旅を終えて新しい宿舎に着いた夜のことだ。洗濯をしようと地下に行ったが、どの部屋が洗濯室なのか分からずうろうろしていると、年老いたドイツの男性と出くわした。ドイツ人だと分かったのは、民族衣装を着ていたからだ。

・彼に『洗濯室はどこです』かと尋ねると『ああ、こっちだよ。ついて来なさい』といわれ、『ここだよ』と、部屋まで案内してもらった。私は、礼を言って洗濯を始めたが、目をあげると、彼の姿はもうなかった。

・私は、ドアと彼の間に立っていたから、彼が出て行くのに気付かないはずはない。不思議に思って、あちこち探したが見当たらなかった。
 
・同僚たちの部屋に向かう途中で、ふと当り前のことを思い出した。そこは情報関係の建物で、ドイツ人が出入りできるわけがないのだ。部屋に入って、『あのドイツ人は誰だ?』と聞くと『ああ、それは幽霊のハンスだよ』と、あっさりいわれた。部隊では有名な幽霊だったようだ。悪さをしないが、頻繁に姿を見せるという。

・現れたり消えたりしながら、アメリカ兵とのコミュニケーションを楽しむらしいのだ。その建物に取り付いているのだろう。ドアを開け閉めすることや、あるいは皆がいる部屋に入ってきたり、ポーカーをしているテーブルの脇でじっとしていることもあった。兵士の一人が怒って灰皿を投げつけたら、灰皿はハンスの体を通り抜けて壁に当たった。



太田千寿が解き明かす『霊界と天上界の大真実』
人類はサタンに騙されている  「消された記憶を取り戻せ!」
徳間書店     1996/8



<三島由紀夫氏が私のところに来た理由>
・亡くなった三島由紀夫氏が私のところに来たての状況は以前に詳しく書きました。しかし、三島氏がどういう理由で、地上に交信をしてくるようになったのか。さらには、どうして三島氏が地球を救うようになったのかはあまり触れていませんでした。私が知らされていたのは、次の三点です。

1、死んだ直後、指導霊に連れられて富士の裾野に行ったということ。
2、そこには生前「盾の会」のメンバーと何度も体験入隊した自衛隊がある場所だということ。
3、三島氏が生まれる前に、18回転生しているが、彼らは、いずれも富士山の裾野にいたということです。

・――私三島由紀夫は、死んで間もなく富士のホールにいた。巨大なホールであった。あたりは――面真っ暗闇、私の前に『私』と名乗る男女が18人現れたのである。(『空間を超えて道を行く神』)

・では、いったいなぜ三島氏が地球を救うのでしょうか。6年ほど前、三島氏から霊界に行くようになった背景が送られてきて、はっきりしました。なんと、驚くべきことに、そのメッセージによると、三島氏は死の直後、宇宙船に乗せられたというのです。そして、とんでもない出来事に遭遇したのでした。

<地獄からの生還>
・――UFOの中はすべてがガラス張りであった。鏡に映った自分の姿を見て、私は唖然と立ち尽くしていた。あれほど望んでいた背高のっぽになっていたのである。自分でもほれぼれするほどの男前、ギリシャ的な風貌。神が私の望んだとおりにしてくれた。何という奇跡だ。夢にまで見たこの姿。

・赤いボタンがいくつもある映像システムが何カ所も設置されている。『L』と記されているボタンを人差し指で押して見た。すると映像システムが一斉に動き出して、生前の私がはっきりと画像に映しだされている。

・そのとき、神々しき声がした。
『そなたは、この宇宙船で4年間、孤独に耐えるのだ。地獄に落ちたそなたの影は、20年かかって、地獄を制するであろう。もうすぐそなたの同胞が下界からやって来る。引田天功と田宮次郎だ。彼らがやって来たら三人で力を合わせて、この宇宙安寧のために働くがよい。そなたの心は私が全て見てきた。死に急ぎをしたな。しかし、そなたの死が無駄にならない日が必ず訪れる。それを信じて突き進むのだ。この宇宙船は、そなたのためにシリウスで作成したものである。天功と田宮が来たら、三人よく話し合いをして、月の空洞にある宇宙基地に移動するのだ。基地内には歴史上の人物がリーダーを求めて右往左往している。そなたはこの4年間で彼らのトップリーダーになれるよう、一時も無駄にしてはならない。時にはこうしてそなたに交信する。さらばだ』
神の声はこうして消えて行った。

・三島氏が自刃したのは昭和45(1970)年11月25日のことです。私がこのメッセージを受け取ったのは、平成2(1990)年ですから、ちょうど20年目のことです。
まさに清算期間の20年が終わった直後のことです。

<二つに引き裂かれた三島由紀夫氏>
・なんということだ。私が、『生前の私』と『宇宙人としての私』として分離されてしまったのだ。一人は記憶を持ったままの私であり、もうひとりは記憶を失ってしまった私なのである。記憶のある生前の私は、地獄の20年を過ごすことになり、そしてもう一人の私は、宇宙船に乗って旅立ったのである。

<白髭白髪の老人の出現>
・ところで皆様もすでにお気づきのことと思いますが、ここに出て来た「白髭白髪の老人」こそ、サタンのことです。「人間の記憶」を消すために奔走するサタンだったのです。



『アジアの星物語』  東アジア・太平洋地域の星と宇宙の神話・伝説
「アジアの星」国際編集委員会  万葉舎   2014/2



<古代ヒンドゥー天文学の太陽、月、惑星、北極星>
<太陽>
・『リグ・ヴェーダ』では、神々の中でも最も尊い神である太陽は、宇宙を旅する鷲、まだらの牡牛、又は暁の女神ドーンによって育てられた光り輝く白馬(ドーンは白馬の妻)ともいわれる、また馬車で天を駆け巡る神として述べられています。太陽は天空の宝石であり、ディアウス(天空または天国)の息子の役割を務めます。

<月>
・月は、当初から重要な神でした。月を中心とした太陰暦は、古代インドでは最も重要な暦でした。このためインドの神話では、黄道の星座帯は、12宮ではなく27の月宿に分けられます。つまり、地球から見ると恒星に対して27日で1回公転する月は、夜毎に宿りの星座を変えます。各宿りには、互いに姉妹である27人の妻がいるのです。月宿の順序はプレアデスが先に来ますが。お気に入りの妻はアルデバラン(ロヒーニー)です。月がアルデバランを寵愛するあまり、他の妻たちは幸せではありません。そこで、そろって父親に不平を言いました。

<水星>
・太陽のすぐそばを離れずに行ったり来たりする水星は、並はずれた能力を持ち、他の惑星の上に君臨する最高神と考えられました。色は緑です。最も知的な惑星で、水星を崇拝する人々のすべての障害を取り除き、不吉な事象を引き起こすこともありません。

<金星>
・西洋では美の女神として知られる純白の金星は、インドでは死人を生き返らせる方法を知る男性神であり、神々の敵であるアスラ(阿修羅)の師です。中ぐらい大きさで、肉付きがよく、顔立ちも整っていて、男らしく、知的で、官能的です。

<火星>
・火星はその赤い色から中国でも西洋でも戦に結び付けられますが、インドでも非常に残酷で、刃物のように鋭い神です。この神は、傲慢な気持ちで自分を崇拝する人は許容せず、そのような人の家庭を壊し、繁栄を許しません。けれども、儀礼を守って、謙虚な気持ちでいつも変わらなく礼拝する人々に対しては、冨や無病息災などの恵みを与えます。この神を礼拝するときは、赤い服を着て赤い花を供え、赤い色の食べ物を1日1回だけ食べます

<木星>
・サンスクリット語でグル(指導者)と呼ばれる木星は、惑星の中の王で、神々を指導する役目を担っています。色は黄色で、大きな腹と広い胸を持ち、すべての美徳の持ち主です。木星はその変わらない明るさと暖かな色、ゆったりとした天球上の動きから、古代中国でも古代ギリシャでも、天空の貴族、神々の王とされました。

<土星>
・土星は、非常に恐ろしい神です。怒っているときは人を震え上がらせ、喜んでいるときは人に慈悲深くなります。しかし、土星を有名にしているのは、その驚嘆すべき破壊力です。

<北極星>
・北極星は、ヒンドゥー神話ではドゥルーヴァと呼ばれます。ドゥルーヴァはウッタナバーダ王とその王妃サニチの息子で、父王の膝から追われることのないように天空に座りたいと願い、不動の北極星になりました。



『シュメールの天皇家』 陰陽歴史論より 
鷲見紹陽 明窓出版   2007/8/1



<高天原はスバルである>
<太古、神人はスバル、北極星、オリオンからやってきた>
・本書の「陰陽歴史論」とは、高天原の昴(スバル)系の氏族とアースガルトやアガルタの地底系氏族という“陰と陽”の二系統の血脈の関わり、抗争の中で歴史は動いてきたのであり、それが歴史の真相であったことからつけたものである。

・さらにこの“陰陽”の二系列は地底信仰の氏族のシャンバラ(セム)系とアガルタ(ハム、ヤペテ)系の二つにも見られ、後者はさらに親高天原と反高天原に分かれた。

<スバル、北極星、オリオンの三位一体>
・これまでわが国の天皇家の天之御中主神(あめのみなかぬし)やキリスト教の“天の父なる神”がスバル(プレアデス)信仰にあたり、セム系氏族が北極星、北斗七星信仰、ハム系氏族がオリオン、シリウス信仰であることを明らかにしてきた。

・なおヤペテ系氏族はスバルと同じ牡牛座のアルデバラン(ヒアデス星団の赤星)信仰と考えられる。

・この地底世界の実体は不明だが、一部にはプラズマ亜空間説が出されている。空間が歪曲して異空間へとつながっているという説明もあり地底世界というより、別次元の世界と考えられる。

・厳密にはアガルタとシャンバラを区別しなければならないようである。つまり、ヤペテ系やハム系の神域がアガルタで、シャンバラは、セム系の神域ということである。

・藤原氏の北極星、北斗七星信仰はシャンバラ信仰、物部氏のオリオン信仰はアガルタ信仰となる。

・このヤペテ、ハム対セムの対立は天界で天の父なる神に反抗した堕天使に対してヤハウェ(またはミカエル)が天使の三分の二を率いて天の父なる神の側につき、堕天使とそれに従った三分の一の天使を地底世界に落とした事に遡る。セム系対ハム系、ヤペテ系の対立で、後者がヤハウェ側と天使側の半分ずつに分かれたことで、三分の二対三分の一となる。

・セム系民族はエンキの北極星、北斗七星信仰、ハム系民族はエンリルのオリオン信仰であった。

・我が国の神社の大半がスサノオやニギハヤヒ、つまりバールやミトラを祭祀し、その系列神を祭神とした物部氏の神社で、オリオン信仰であり、ハム系の神々を祀ったものであった。

・イザナギの黄泉の国訪問譚はギリシア神話のオルペウスの話がモデルで、途中で約束を破って振り返って見たため永久に妻を失ったエピソードなど同一のものである。なお、イザナミのいた黄泉の国は地底世界でアガルタ(シャンバラ)である。

・大伴氏と物部氏は天皇家をはさんで、セム系とハム系の陰陽の関係にあり、東日本を大伴氏、西日本を物部氏が支配したが、本来は対立関係にあった。

・ハムもセムもノアの子としてアースガルト、アガルタ、シャンバラという地底に起源をもつが、北欧神話などを読むとセム系とハム系の住む領域も異なり(シャンバラはセム系の世界)、元々は対立していたのが、セム系がハム系に服属して和解したことになっている。

・シャンバラとアースガルト(アガルタ)は対立関係にあった。セム系は北極星、北斗七星信仰で、ハム系はオリオン、シリウス信仰で別系統のものが系図で兄弟とされている。

・セム系は“文”の性格が強く、ハム系、ヤペテ系は“武”の血脈である。ハム系の中でもカナン人は、ノアによって呪われ、“カナンの呪い”という言葉が残っているが、聖書の中でもキリストが忌々しきものマムシの末裔として非難している。

・この我が国におけるセム系とハム系、高御産巣日神系(たかみむすび)と神高巣日神系(かみむすび)が、天皇家を間において対立・抗争してきたのが日本の歴史で、しかもそれは国民の一割前後の民族の抗争であったとするのが本書である。

<天孫降臨の地は飛騨である>
・スワティカ(卍)は、もともと宇宙エネルギー発動の神聖な表現である。

・北欧神話のアースガルトがインド神話のアガルタという地底世界への信仰を有するトゥーレ協会という一種の秘密結社で、ヒトラー自身が、その地底世界を求め探検隊をチベットに送ったり、そこで知りえたものと思われる。

・ナチスとアガルタの結びつきについては多くの人が論じている。有名なスウィフトの『ガリバー旅行記』もケルトによる地下世界探検譚を集めて書かれたものである。



『宇宙からの黙示録』   オイカイワタチとは何か
目覚めよ、日本のワンダラーたち!
渡辺大起   徳間書店     1982/1



<この糸は円盤、宇宙人に始まり彼らとのコンタクト、続いて宇宙の偉大な方々からの学びへと進んでいった>
・(本書原本の刊行当時は、1982年。)

・その日、その時、地球を覆うほどに膨大な数の“宇宙船”と“空飛ぶ円盤”が訪れる。地球の人類同胞は、決して慌てたり恐れたりする必要はない。 
彼ら宇宙船と宇宙人は、地球を攻撃に来たのではない!
限りなき愛と真理の援助の手を差し延べに来たのである。

・我々仲間が宇宙に心と目を向け始めたのは1960年前後のことである。我々は、宇宙と存在する膨大なことがらの中から特に一筋の糸を運命という手によって手繰り寄せたのである。
 この糸は円盤、宇宙人に始まり彼らとのコンタクト、続いて宇宙の偉大な方々からの学びへと進んでいった。それは地球への驚くべき警告と、太陽系の一遊星=地球の運命を左右する重要な問題へと続く大切な糸であった。
 また、日本に住む我々には、オイカイワタチという特別な役割が天より与えられていることも知った。

<金星に住む宇宙人サナンダ(AZ)は警告するールシファーと地球のカルマについて>
・ルシファーに与しなかった私達は、光のより高度な段階におけるエーテル状の非物質世界に解脱した神の子として入りました。
一方、ルシファー達(王子ルシファーとそれに与した人々)は、悲しみの暗黒世界に、重厚な物質の中の意識の夢遊状態に堕ちたのです。

・ただ、オリオンやルシファーの力は、イエス(金星の大長老サナンダ)を地球から除き得る(磔のこと)ほどに強いのだということを、お知らせしておかなければならないでしょう。

・我々は、今日に至るまで数えきれぬほど円盤を目撃してきた。多い者は、千回以上にもなろうか。また、直接コンタクトから始まって、より高度なテレパシーコンタクト、サイキック(魂による)コンタクトに至るまで、さまざまな種類のコンタクトを体験してきた。

<オリオンは地球を狙っている!>
<太陽系には惑星が12ある>
・どの遊星にも霊界があり、金星人は霊界と自由に往来して話をしている。

・宇宙人は金星から地球まで10分間(地球の時間)で来ることができる!

・地球には衛星(月)が二つあるのだが、一つは地球のエーテルがないので見えないのである。見えない月の大きさは、見える月の1.3倍くらいである。

・宇宙人によると宇宙に存在する原子は159種で全部天然の原子である。一番大きな原子量を持つ原子はロルムと呼ばれ陽性で個体として存在している。また、水素より小さな原子もあり、クイルと呼ばれている。

<宇宙の奉仕者ワンダラー>
・宇宙のワンダラーは宇宙船に乗って地球にやって来たのではない。彼らは、地球に生まれ変わったのである。即ち、地球人となって使命を果たすのである。

・ワンダラーの中には、地球人の肉体を着けないで、宇宙人の姿のままで働く者もいる。



『21世紀の民俗学』
畑中章宏    角川書店   2017/7/28



<UFO学のメランコリー>
<人は地球外に魅せられる>
・2016年は、「宇宙」にまつわる展覧会、映画等を目にする機会が多かったような気がする。

・「Soleil Noir」店の紹介映像でグラッソは、「パラドックス(反語的)」な表現が自らの作品のキーワードであり、それはタイトルにも反映されていると述べる。「未来の記憶」や「未来の考古学」、さらには現代の神話・伝説を意味する「ancient alien(古い異邦人)」という言葉を口にし、そのうえで、「UFO学」という魅力的な概念を提示するのである。

・美術館にある過去の作品の中に、UFOや奇妙な現象、あるいは異星人といったモチーフをだれかが読み取ったり、妄想を膨らませていたかもしれない。いわば、“UFO学”とでもいうべき可能性を考えてみたかったのです……。

<200年前に漂着したUFO>
・ローラン・グロッソには、1803年(享和3年)に現在の茨城県の太平洋岸に出現した「うつろ舟」を素材にした作品がある。タイトルは「1803、虚舟、常陸国で発見された未確認物体」で、「1803」の文字が光るネオンサイン、舟の形をしたテレコッタ、浜辺に漂着した謎の舟と謎の女と取り囲む人々を描いた油彩画からなる。「宇宙と芸術展」では、この作品を制作した際、グラッソが参照したであろう、江戸時代の奇譚集や瓦版の挿絵も展示され、その不可思議が耳目を引きつける。
 当時の記事や図譜から素描すると、うつろ舟は鉄製で、蓋付きの浅い丼鉢のようなかたちをし、小さな窓があり、箱を持った女性が乗っていた。また船内には、解読不能の文字らしきものが書かれていた。海から漂着した謎の舟を人々は恐れて、再び海に流してしまったという。
 うつろ舟の正体については、未確認飛行物体(UFO)説、潜水物体説、ヨーロッパからの来訪説、謎の神説、噂や伝聞、創作説などがある。民俗学では「かがみの舟」とも呼ばれ、柳田国男は、荒ぶる常世浪をかきわけて本土に到着したと伝わっていることから、「潜水艇」のようなものだったのではないかと想像している。

・茨城県の北部地域で開催された「茨城県北芸術祭」(9月17日〜11月20日)でも、インドネシアのアーティスト、ヴェンザ・クリストが、日立市川尻町の小貝ヶ浜に「虚舟ミニミュージアム」を開館していた。クリストの展示は、開催地周辺に伝承されるうつろ舟の資料を分析するとともに、茨城県在住でUFOを目撃したという人々へのインタビューなどから構成される。

・このミニミュージアムが建つ小貝ヶ浜緑地の南端の高台には、「蚕養神社」が鎮座する。社号が示すとおり、豊蚕祈願に信仰されてきた神社で、「小貝ヶ浜」は「蚕養ヶ浜」でもあったことがわかる。この神社は「日本三大蚕神社」のひとつで、ほかの二つはつくば市の「蚕影山神社」と神栖市の「蚕霊神社」で、三社とも茨城県にあり、しかも「金色姫」の物語が伝承されている。
 その昔、常陸国の豊浦に、繭のかたちを丸木舟が流れ着いた。この舟に乗っていた金色姫は天竺国の王女で、継母のいじめから逃れて、日本にやって来た。地元の夫婦が大切に育てたが、ある日、別れを告げるとともに、養蚕の技術を授けて天に昇った……。まさにうつろ舟伝説を思わせる話である。しかしそもそも、うつろ舟が動力をもち、また「空を飛んできた」と証言する資料は存在していない。

<河童の妙薬>
・日本列島の各地には、「河童の妙薬」といって、骨接ぎ、打ち身、熱傷に効く、河童が人間に伝えた薬がある。日本人には、西洋医学や反西洋医学のお世話にならなくても、山伏や坊主、河童がよく効く薬を与えてくれたのだ。
 柳田国男の少年時代の愛読書だった赤松宗旦の『利根川図志』(1858年)には、河童が貧しい百姓に温湿布のつくり方を教えたという伝承が記されている。利根川河口に貧しい百姓の親子が住んでいた。あるとき、父親が足をくじいてしまうが、貧しい親子には薬を買うお金がなかった。利根川の河童の女親分である禰々子(ねねこ)は、彼らに薬草を渡し、湿布薬のつくり方を教えた。禰々子(ねねこ)に言われたとおり、親子が湿布を十三枚貼り替えると足は完治した。その百姓の村は「十三枚」と呼ばれるようになったという。
 また新潟市の猫山宮尾病院に伝わる「河童の妙薬」もよく知られる。昔々、京ヶ瀬村の「猫山」というところに悪戯好きの河童が住んでいた。河童は馬をいじめたり、作物を盗んでは喜んでいた。それを見かねた宮尾家の先祖が、河童の腕を切り落とし、証拠として持ちかえった。それから7日目の晩、河童は「家伝の薬で腕が元に戻るが、7日を過ぎると薬が効かなくなる。もう悪戯をしないので、腕を返してほしい」と懇願した。河童が腕に塗り体にあてるとみるみる腕がくっついていった。河童はたいへん喜び、お礼に家伝の薬を教え、川へと戻っていった。
 深緑色の粉末を水で溶き、耳たぶくらいの硬さになるまで練ってから和紙にのばして患部に張る湿布薬「猫山アイス」は、1989年(平成元年)に製造中止になるまで、打ち身やくじきの良薬として用いられてきた。

・ワイオミング州ジャクソンホールにある民族医療研究所のエグゼクティヴディレクターを務めるポール・アラン・コックスが、ポリネシアの薬草医は土地固有の病気についての膨大な用語をもつと同時に、ヨーロッパ人から伝えられたものについてはまた別の異なる用語をもっていることをサモアで発見し、論文にしているという。
 また絶滅危惧言語においては、植物相と動物相に関して、西洋科学で知られているより何百種類も多い分類がされていることがよくあり、フィリピンのミンドロ島に住む焼畑農業をするハヌノオ族は、土の種類について40の表現をもつ。東南アジアの森にすむヒーラーは650種類もの薬効成分を特定しているという。コックスらによれば、キニーネ、アスピリンなどは、先住民族に案内され、情報提供された民族植物学者のおかげで一般的な治療薬となったというのだ。
 日本の修験山伏や浄土真宗の門徒も、もしかすると河童も、偉大な科学者だったといえるだろう。宗教や民間信仰は、決して非合理なものではなく、植物学的な知識に基づき病に対処する知性と野性を併せもっていたのである。

<河童に選挙権を!>
<異形の「正義」>
・わたしのかねてからの主張に、「妖怪は実在する」、あるいは「妖怪は実在した」というものがある。そもそも柳田国男の『遠野物語』に登場する河童や天狗、ザシキワラシ、雪女、山男や山女はその目撃談、経験談から、実在したものであることは疑いえない。
 しかし、列島上の妖怪の代表格とみなされる、「河童」と「天狗」とでは、その実在のありようが大きく異なる。

・天狗にかんしては、先住民族や山林生活者とおぼしき「異人」「山人」を常民の尺度からみた生命体であり、また山岳宗教者である修験山伏の性格や能力を反映した存在であるという解釈が唱えられてきた。そうした従来の天狗イメージに対して、天狗の実在を疑う人にわたしがよく話して聞かせるのは、柳田国男の『幽冥談』(1905年)のなかの挿話である。
 池原香雅という歌人があるとき、播州にある宇野の野道を歩いていると、ひとりの旅の僧と出会った。道連れになり、いろいろ話をしながら歩いていたが、「あなたはどこへお出でになるのですか」と聞いたところ、「私はあすこの穢れた村を焼きに行くのだ」と言う。

・それがために今までは普通の旅僧と思って話をしておったが、非常に驚いて物も言えなくなってしまった。かの旅僧は、あれを御覧なさい。あすこに燈火が二つ点いている、右の方の光りは非常に清らかだが、左の方の光りは穢れていると言うから見たけれども分らない。それであの村を焼いてしまわなければならぬというて、ちょいと指したところがたちまち村は焼けた。

・柳田は驚くべきこの天狗の仕業に対し、「これらは事実であろうと思う」とコメントする。さらに池原香雅は、1877年まで生きていたので、天狗と出会ったのもその4、50年前だから、そんなに古い時代の出来事ではないと言う。そうして柳田は、「その時分にもそういう不思議なことを、我々が目撃することがあったのである」と納得している。
 池原が出会った天狗の行動は、山人・異人や修験山伏よりもかなり強烈で衝動的だ。

<「忘れようとしても思い出せない」>
・6年前の3月11日。午後2時46分ごろ、わたしは東京都文京区のファミレスで、これまで体験したことのない強い揺れを、2回感じた。関西出身で地震に免疫がないうえ、阪神・淡路大地震を経験していないわたしは、2度目の揺れで、テーブルの下に潜り込んだ。しかし、周りの客は意外と冷静で、スマホを見て震源や被害を調べているし、店員も「このビルは安全ですから」と触れ回っていた。
 それからしばらくして、靖国通りに出ると、サラリーマンやOLが、ビルから溢れ出ていた。しかしほとんどの電車が止まっているらしく、大勢の人が大通りを歩き出していた。神保町のスポーツ用品店では、店頭でスニーカーの安売りを始めていた。隅田川べりの部屋にたどり着くと部屋中に本が散らばり、その間に猫が怯えたようにうずくまっていた。そうして3日後の月曜日には、まだ余震があるにもかかわらず、ほとんどのOLがハイヒールを履いていた。

・わたしたちはいったい、あの日に何を失い、何を得たのだろうか。非・当事者であるわたしは、何を心に刻みこんできたのだろうか。記憶の風化がとりざたされ、「忘れてはいけない」「思い出すべきである」と、人々は口ぐちに言う。またいっぽうで、「震災のことは早くに忘れて、前に進め」と促す人々もいる。6年前の記憶が薄らいだだけではない。あれから、広島市で土砂災害があり、御嶽山が噴火し、鬼怒川が氾濫し、熊本では地震が起こった。



『幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー』
NHKエンタープライズ   NHK出版    2014/5/30



<江戸時代に現れた謎の円盤と美女>
・江戸時代後半、天下泰平のさなか、鹿島灘(茨城県南部)に円盤型の乗り物が漂着。出てきたのは、日本人とは思えない謎の女性。宇宙からの使者なのか?

<常陸国に「うつろ舟の蛮女」現る>
・アメリカで「空飛ぶ円盤」が最初に話題になったのは、第2次世界大戦終結直後の1947年。日本では、それより120年も前に、円盤型の乗り物と、そこから現れた女性についての記録が残されていた。「うつろ舟の蛮女」と題する記録である。時は享和3年(1803)、江戸時代後期の天下泰平のさなか、江戸からおよそ100キロメートル離れた鹿島灘、現在の茨城県南部の海岸に、空飛ぶ円盤のような乗り物が流れ着いた。

<円盤状の乗り物、船内には解読不能の文字>
・この円盤状の乗り物には、上部にガラス製の窓があった。下部は鉄でできていた。そして、船内には解読不能の謎の文字が書かれていたという。
 乗っていたのは美しい女性で、日本のものとは思えない衣装をまとっていた。髪は赤毛で、腰まで伸びる白いつけ髪をしている。手には大事そうに箱を抱え、誰にも触らせようとはしなかった。

<最新資料を再検証すると………>
・平成24年(2012年)4月には茨城県で、円盤状の乗り物と女性が描かれた江戸時代の絵図が発見された。そのほかにも、実際に起きた事件として報じた当時の瓦版。東北の武士が江戸での噂をもとに記した日記。愛知県では、馬琴のものとはまったく異なる色使いで描かれた風聞集が見つかっている。京都でもメモ書きのように記された資料が発見された。

<古くからの伝承がもとになっている>
・事件から約120年後の大正時代、これらの共通点から謎を解き明かそうとしたのが、民俗学の大家、柳田國男だった。彼は大正15年(1926)に発表した論文「うつぼ舟の話」で、古来日本には、海を越えて漂着し、人々に何かをもたらした神々の伝承が多く、そしてその神が乗る空洞の乗り物を“うつぼ舟”と呼んだと言っている。
 古来からの伝承がもとになっていると推測する一方、絵図については真っ向から切り捨てている。
 舟の中に書いてあったという4つの“異形文字”が、今ではもっとも明白に、この話の“駄法螺なること”を証明する。世界のどこにもない文字だというのだ。
 この乗り物が外国から来たのであれば、実在する文字に似ているはずだと、柳田は考えたのである。

<UFO&宇宙人説が戦後浮上>
・戦後になると、柳田國男の時代には存在しなかった、空飛ぶ円盤の世界的なブームが到来する。そして、乗り物の中に書かれていた文字が地球上にない文字だとしたら、宇宙から来たと考えるべきだ、という新説が登場した。うつろ舟は空飛ぶ円盤であり、乗っていた美女は宇宙人というわけである。
 突飛な話に思えるが、そもそも日本には、1000年以上も前から、空に怪しい物体が飛んでいたという話もある。舞台は、聖徳太子の時代、奈良・飛鳥の里である。飛鳥寺の竣工式が行われているときに異変は起きた。一筋の紫雲がたなびき、蓮の花のような形をしたものが仏堂を覆った。そして、五色の光を放ち、西方に飛び去ったというのである。
 謎の円盤は、昔から日本に現れていたのだろうか。

<1枚の瓦版が出処だった?>
・岐阜大学の田中嘉津夫名誉教授は、史料を整理・分析し、「うつろ舟の蛮女」の真相を探ろうとしている。

・田中名誉教授は、瓦版がかなり初期の資料だとにらんでいる。さらに、瓦版の絵をもとに、謎を解く手がかりとなる資料を見つけだした。瓦版に描かれた女性と、よく似た雰囲気の女性が描かれたお札があるのだ。実は、このお札の女性も、鹿島灘に流れ着いたと伝えられている。その名は金色姫。日本に養蚕をもたらしたと伝えられている女神である。金色姫と円盤漂着事件には、どのような関わりがあるのだろうか。

<円盤漂着事件の裏舞台>
・鹿島灘からほど近い星福寺は、かつて金色姫を本尊としていた寺で、今も本堂の裏に大切に祀られている。その金色姫の像は箱を手にしていて、中には蚕が入っているのだという。
 箱を持つ女神像は、日本ではきわめて珍しい。円盤漂着事件は、この金色姫の話がもとになって作られたものと考えるのが妥当だろう。

<金色姫のお札に馬琴の別名が記されていた>
・さらに田中名誉教授は、金色姫のお札に、もうひとつ謎を解く重要な鍵を見出した。お札に書かれた文章の作者が、「曲亭陳人」となっていたのだ。これは、曲亭馬琴の別名である。
 整理してみよう。1825年、馬琴が人から聞いた噂話として「うつろ舟の蛮女」を書く。話の出処と考えられるのは瓦版だ。そこに描かれる女性のモデルと考えられるのが金色姫。そして、その金色姫のお札にも馬琴の名が書かれている。

・田中名誉教授は、瓦版も馬琴が書いたのではないかと考えている。確かにその可能性が高いのかもしれない。もし、そうだとしたら、すべてが馬琴がしくんだことなのだろうか……。
 馬琴が生きた江戸時代後期、妖怪の話や絵図が出回るなど、人々は日常とかけ離れた異界の存在に、強い関心を抱いていた。鎖国が200年近く続くなかで、人々は海の向こうからやってくる見知らぬものに、想像と憧れを膨らませていたのだ。
 海の向こうから流れ着いた不思議な乗り物に乗った美女――。人々がこのミステリアスな話に熱中し、噂が広まることによって、数多くの記録が残ることになったのかもしれない。
 しかし、当時の人々は、一体どこから、このような奇抜な形の乗り物を発想したのだろうか。



『UFOに乗った! 宇宙人とも付き合った!』
僕のコンタクティとしての半生の記録  
津島恒夫    ヒカルランド   2014/12/17



<「空船(うつろぶね)の事から現在の漂着地名を固定>
・享和3年3月24日、常陸国「原舎浜」というところに、異船が漂着した。その船の形は中が空のお釜のようであり、真ん中あたりに釜の刃のようなものがあった。そこから上は黒塗で、四方に窓があり、障子はすべて樹脂で固められていた。下のほうは筋鉄が施されており、どうやら南蛮鉄の最上品のようであった。

・船全体の高さは1丈2尺(約3.6メートル)、横の直径は1丈8尺(約5.4メートル)。この中に年齢20歳くらいの女性が1人いた。身長5尺(約152センチ)、雪のように白い肌で、長い黒髪が背中に垂れ、とても美しい顔立ちであった。

・これまでは「はらやどり浜」「原舎浜」などの地名の特定ができず、折口信夫や柳田國男の考察では“伝承”とされてきました。しかし、2010年末に茨城県水戸市内の書画収集家が京都で入手した新史料が発見され、そこに「常陸原舎り濱」とあることから、江戸時代の常陸国鹿鳴郡に実在し、伊能忠敬が作製した『伊能図』(1800年調査)掲載の地名で、現在の神栖市波崎舎利浜にあたることがわかりました。

・またその後、田中教授は長野県の古書収集家が所有していた別の史料を発見。絵に関してこれまでの史料と共通点が多く見られるが、事件現場の地名については従来の史料にある「常陸の国」でなく「房州の湊」と書いてあると言います。                                                                                                                                                                                                                                            

・こうして事象が事実となってくれば、あとはそれをどう解釈するかです。そして、私はシャクティと名乗る琴座人から、驚愕のテレパシック・コンタクトを受けました。なんと、彼によれば茨城県から千葉県にまたがった海岸沿いにかつて巨大な秘密基地が建造されていたというのです。そしてここにはたくさんの宇宙人が住んでいたが、1800年から縮小されていき、基地内のほとんどが故郷の惑星に帰りその後、少数の利用があるだけとなったとのことです。


<●●インターネット情報から●●>

『茨城新聞』 2014/5/26
<UFO「うつろ舟」漂流地名浮上「伝説」から「歴史」へ一歩>
1803年(享和3年)、常陸国の海岸にUFO(未確認飛行物体)のような奇妙な物体と1人の女性が漂着したという江戸時代の伝説「うつろ舟奇談」に関する新史料に、漂着地の実在地名が記されていた。地名は「常陸原舎り濱」(現在の神栖市波崎舎利浜)。これまで特定されずにいた漂着地が浮かび上がったことで具体性が増し、「伝説」は「歴史」に一歩近づいたと言えよう。事件の真相解明へ、連鎖的な史料発掘の可能性や検証機運が高まることは間違いない。(鹿嶋支社・三次豪)

■研究のハイライト
「今までの研究の中でもハイライト。まさか実在の地名が出てくるとは」と驚くのは、「うつろ舟奇談」研究で第一線を走る岐阜大の田中嘉津夫名誉教授。三重大特任教授の川上仁一さん(甲賀流伴党21代目宗家)が甲賀流忍術を伝える伴家の古文書とともに保管していた文書について、「うつろ舟奇談」に関わる史料であることを田中氏が発見した。

文学者の渋沢龍彦(1928〜87年)も同伝説をモチーフにした短編小説で「銚子から平潟にいたる今日の茨城県の長い海岸線のどのあたりに位置する村なのか、一向にはっきりしない」と記すなど、これまで漂着地の特定が困難とされてきただけに、今回の発見は研究者らが待ち望んでいた“大きな一歩”と言えるだろう。

■定住者いない浜
それでは、今回漂着地として浮かび上がった舎利浜とは、当時どういった地だったのだろうか。「波崎町史」(1991年)によると「舎利浜は鹿島灘で地曳網漁が発展する明治五年に初めて定住者が現れたというから、江戸期には地字としては分かれていても、定住する者はなかったのであろう」とある。

現在の舎利浜も砂浜続きで人気は少ないが、風力発電の巨大風車が並ぶ風景を望むことができる。近くに、大タブの木、木造釈迦涅槃像のある神善寺(神栖市舎利)がある。また、神栖市内には、天竺から金色姫が流れ着き養蚕を伝えたという伝説の残る蚕霊神社と星福寺(ともに同市日川)もある。

田中氏が、2010年に水戸市内で見つかった「うつろ舟奇談」の史料の中の女性の衣服が、蚕霊尊(金色姫)の衣服と酷似することを発見し、2つの伝説の関連性を指摘していたことも、神栖と「うつろ舟奇談」との結びつきの意味で興味深い。

■当時の大きな話題
事件があった1803年は開国前で、日本近海では外国船がしきりに現れ、常陸国の浜でも小船に乗った外国人が上陸する事件などがあった時代。異国船打ち払い令が出されたのもこの頃で、こうした社会情勢も伝説と関連付けて考えることができる。

田中氏によると、これまで全国で見つかった「うつろ舟奇談」の史料は11編。

田中氏は「これほどあちこちから多くの文書が見つかるということは、当時大きな話題を集めた出来事だったのではないか。舎利浜の発見で、ますます魅力的になった」とし、「米国の『Roswell』(「UFOが墜落し回収されたとして有名な地)のように、『Sharihama』はいずれ世界的に知られるようになるのでは。神栖市、茨城県、日本が世界に誇る民俗資産」と強調する。

★うつろ舟奇談に関わる史料
「南総里見八犬伝」で名高い読本作者、曲亭馬琴の「兎園小説」(1825年)や長橋亦次郎の「梅の塵」(同年)などで、絵入りで伝説が記されている。民俗学の巨人、柳田国男も論文「うつぼ舟の話」(1925年)を書いている。

<●●インターネット情報から●●>

<蚕霊神社>
千葉県小見川町から小見川大橋で利根川を渡り、息栖大橋で常陸利根川を渡って茨城県神栖町に入るとすぐに、県道260号線に向かって右折します。県道260号線をしばらく走り、バス停「萩原公民館」を過ぎると左手奥の方に、こんもりとした森がみえます。それが、蚕霊神社です。
 鳥居の下にある「蚕霊神社由来」によると、“孝霊天皇の5年(紀元前286)の春3月。豊浦浜(日川)の漁夫権太夫は、沖に漂う丸木舟を引き上げてみると、世にも稀な美少女が倒れていた。少女は天竺(インド)霖夷国霖光の一女金色姫。……”とその由来が書かれています。神栖町歴史民俗資料館の資料によると、“神栖町の日川(にっかわ)地区は、欽明天皇の時代(6世紀中頃)に金色姫がインドより養蚕を伝えた養蚕発祥の地と言い伝えられています。この地区にある蚕霊山千手院星福寺と蚕霊神社はもともとは一体のもので、養蚕の神として人々の信仰をあつめていました。『南総里見八犬伝』などで有名な滝沢馬琴も星福寺発行のお札を見て、衣襲明神(きぬがさみょうじん)の錦絵の文章を書いています”とあります。



『大統領に会った宇宙人』  (ペンタゴンの宇宙人極秘報告)
(フランク・E・ストレンジズ) (たま出版)  1996/12



<地表付近に存在する103機のビクター・クラス宇宙船の直径は約90メートル>
<『ビクター・クラス防衛区域』>
・ビクター・クラス宇宙船の直径は約90メートル、ふちの部分の高さは7メートルだが、次第に高くなり中心部では約30メートルになる。常時乗船している乗組員はおよそ2百人。およそ103機のビクター・クラスが地球の地表付近に存在し、約287ヶ所の地点を行き来している。

・最初のビクター・クラス宇宙船が地球を訪れたのは、6千年近く前のことだ。ビクター・クラス宇宙船は、いずれもはるか大型のスター・シップ内で慎重に建造された。他に小型機も多くの種類がある。

・バルと副司令官たちが、イエス・キリストによって直接任命されたことを乗組員たちは知っている。この人間型の金星人は、かってアイゼンハワー大統領と会見したといわれている。



『光のアカシャ・フィールド』 超スピリチュアル次元の探究
よしもと ばなな × ゲリー・ボーネル 徳間書店  2009/7/23



<エイリアンは我々にテクノロジーを与えてくれます>
・−今、よしもとさんが言った話は、異次元から来る異次元人みたいな感じでしょうか。その人のイメージ体系に合わせて出現するみたいな、別の星からではなくて、地球の次元の違う所にいろんな人がいて、それが知の起源というか、文明の起源だという研究が民俗学の方ではあるんです。日本では「異人(まれびと)」といっていた。これは折口信夫が研究していました。そういう違う次元から来る異人(まれびと)と星に起源を持っている宇宙人とは違う気がするんですが、ゲリーさんはそういう区別をつけているんですか。

よしもと;たくさんのテクノロジーをユミットが教えてくれてるのね。

―そう、惑星ウンモ(地球から約14.5光年離れた恒星イウンマの周りを公転)から来た地球外生命体ユミット(=ウンモ星人)のことです。書いた人は、フランス国立科学研究所(CNRS)で主任研究員を務めていたジャン=ビエール・プチさんという優秀な科学者ですけれども、彼は、ウンモ星人からもらった手紙をもとに、いろんな研究を発表して、正統な科学界でも評価されたサイエンティストなんです。その方が、論文のニュースソースはウンモ星人だとはっきり書いている。プラズマ推進の装置やUFOの飛行原理とか、いろんなテクノロジーを宇宙人からの手紙で受け取った。実際にそういう人がたくさんいて、プチさん自身も受け取っています。

よしもと;情報源を明かす勇気ある人もいるわけですね。

―それらの手紙は、45年間6000通にも及ぶと言われています。手紙に書かれていたものすべて難解な情報を分析したその本は、フランスでベストセラーとなり、大論争になりました。

―アメリカ政府もそれもかなり知っている中で、伏せているという話です。プチさんは、手紙から得た情報をもとに磁気流体力学(MHD)という推進原理を論文に発表していますが、アメリカはそれを技術応用して、UFOのような軍事用飛行機を開発済みであることも指摘しています。

ボーネル;エリア51というのは、ご存じですね。そこにはもう「パルセーション・ウェーブ・ジェネレーター」というものがすでに存在しています。イオンを使ったものです。

―航空機よりも上。先ほど少しふれたプチさんの磁気流体力学を応用した飛行体のことです。衝撃波を解消して宇宙空間でも到達できる航空機型の宇宙船なんです。

ボーネル;ふだんから幽霊は見えますし、精霊たちも見えるし天使も見えるんだけど。宇宙船というのはエーテル状のものだと信じていたので、地球物理学というものは応用できないだろうと思いこんでいました。地球物理学に従わないならば、宇宙船というのはエーテル状のものであろうと思っていたんです。でも、はっきりした固形物だったので、まるで幽霊に遭ったような気がしました。

ボーネル;僕は一回だけUFOを見ました。もし一緒に車に乗っていた人がいなかったら、多分、僕はUFOを見たとは思わなかったと思います。非常に伝統的なものでして、音もなく、空中に浮いていてヒュッといなくなりました。



<●●インターネット情報から●●>
一般社団法人潜在科学研究所 The Potential Science Institute
ウンモ星人事件

the Ummo Affairs
《UFO》
【本文】
 1960年代に始まったもので、「ウンモ星人」を名乗る何者かが主としてヨーロッパのUFO研究家、神秘主義者たちに書簡や文書による通信を行っている事件。
 「ウンモ星人」を自称する者がこうした研究家等に送った文書によれば、ウンモ星は乙女座の方向に約14.4光年にあるイウンマ(Iumma)、地球の天文表でいうWolf424の惑星で、重力は11.9グラム(地球は9.8)、最大直径7251.608キロで回転軸は黄道から19度ほど傾斜しており、1日は32時間である。現在の地球の天文学ではWolf424は温度が低すぎるので、その惑星に生命が生じることはないと考えられているが、「ウンモ星人」によると、恒星周辺の宇宙塵のため観測値に誤りがあるという。
 この恒星系の「ウンモ星人」は、外見上北欧系の白人に似て金髪であるが、身体の一部に色が変わりやすい部分がある、脳は灰白質が白質より17%多い、身体の一部に色が変わりやすい場所がある、16歳になるとたいていの場合咽喉が退化して声がほとんど出なくなるため人口声帯を埋め込む、などの特徴を持っており、嗅覚は地球人よりはるかに鋭敏で、手の皮膚は掌で光を感じるほど敏感だが、その反面指や手首に強い衝撃が加わると感覚器官に深刻な衝撃が生じるという。

 「ウンモ星人」は、1934年にノルウェー国籍の船舶が発したモールス信号を1949年になって受信し、1950年4月に、フランス・アルプスのラ・ジャヴィ近くに着陸したという。その後マルセイユに短期滞在した後、スペインや西ドイツ、オーストラリアなど各地に分散したという。
 この「ウンモ星人」なる者からの文書を最初に受け取ったのは、スペインのコンタクティー、フェルナンド・セスマと確認されており、その後、アントニオ・リベラ、ラファエル・ファリオロス、ホセ・ルイス・ホルダン・ペーニャといった、主にスペインのUFO研究家、神秘主義者にウンモ星人から文書が送られるようになり、その後はフランスのジャン=ピエール・プチやジャック・ヴァレも文書を受け取っている。
 「ウンモ星人」の文書には、漢字の王を縦にしたような独特の紋章が記されており、科学や政治、社会など様々な問題を扱っている。また1967年6月1日には、スペインのサン・ホセ・ド・ヴァルディラスで、「ウンモ星人」の紋章を付けたUFOの写真が撮影されている。

 他方、ジャック・ヴァレやエメ・ミシェルは、「ウンモ星人」が身を潜めていた洞窟があるというラ・ジャヴィを訪れたが、そこには洞窟はなく、またサン・ホセ・ド・ヴァルディラスのUFO写真についても、模型を糸で吊るしたものと判明している。
 こうした状況を考えると、ウンモ星人事件というものは、ある程度の規模の人数が関与したいたずらと考える方が自然であろう。ただし、「ウンモ星人」の書簡自体は現在も届けられており、事件の詳細は完全には明らかではない。

【評価】
 基本的に、ウンモ文書を巡る一連の事件は、地球人グループによる捏造と思われる。ただしその首謀者やネットワークの全容は明らかになっていない。 当然ながら、最初に通信を受けたフェルナンド・セスマ、ホセ・ルイス・ホルダン・ペーニャ、さらにはエンリケ・ヴィラグラサ、ラファエル・ファリオルスといった、初期に通信を受けたスペイン人関係者の関与が強く疑われており、実際ペーニャは1993年に自分が主犯であると認めたとも言われる。
 他方、ウンモ星人の文書は、時にはサウジアラビアなど通常の入国が困難な場所から発信されていたり、1954年にスペインのアルバセーテで起きた猟奇事件の真相などにも言及しており、それなりに手の込んだ内容となっている。
 当初事件を作り上げた者たちとは別に、世界各地に模倣犯が生まれている可能性もある。

【参考】
ジャン=ピエール・プチ『宇宙人ユミットからの手紙』徳間書店
マルチーヌ・カステロ、イザベル・ブラン、フィリップ・シャンボン『宇宙人ユミットの謎』徳間書店
ジャック・ヴァレー『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』徳間書店
『NEXUS』,Vol11,No.2



『渋澤龍彦綺讀集2』  (日本文芸社)   1991/11



(うつろ舟)
・ 女は、年のころ二十ほどに見えて、色白きこと雪のごとく、まなこ青く、燃えるような金髪あざやかに長く後ろに垂れ、その顔のふくよかに美麗なることは、譬えんばかりもなかった。唐人のきるような軽羅と袴を身につけているが、これが西洋婦人であることは、疑うべくもないといっても、常州の漁民に一度として、西洋婦人を見たためしとてはなかったから、海の彼方から忽然として現れた金髪碧眼の若い女に彼らは、ひとしく肝をつぶした。むろん、言葉が通じるわけでもないので、いずこの国のものかと女に問うすべもない。ただ遠巻きにして、こわごわと、ガラス障子の中の女をながめているよりほかはなかった。



『江戸『うつろ船』ミステリー』 
  加門正一   楽工社   2008/12



<UFOそっくりの乗り物>
・今からおよそ200年前の江戸時代、享和3年(1803年)に起きた不思議な事件を伝える古文書が残っている。その古文書に記された事件は、常陸国(ひたちのくに)(現・茨城県)の海岸にUFOそっくりの形をした「うつろ舟」が漂着し、船の中には見知らぬ文字が書かれていて、美しい女性が一人乗っていた、というものだ。しかも、同じ事件を伝える文書はひとつだけではなく、現在までに複数のものが見つかっている。

・「なぜ江戸時代の古文書にUFOそっくりの乗り物が載っているのか?」という謎の最終的な解答は、いまだ得られていないのである。


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■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■


・風俗、未確認生物、UFOは互いに関係がないように思われます。しかし、たがいにつながっているという話もあるようです。現代においてもビッグフットやサスカッチのような「獣人」を「空飛ぶ円盤」からオリオンETグループが降ろしているといわれています。広島の獣人「ヒバゴン」も当時はUFOが現地でよく目撃されたといわれます。そうすると、オリオンETグループが獣人「ヒバゴン」を空飛ぶ円盤で運んで降ろしたのかもしれません。最近では獣人「ヒバゴン」も射殺された写真があったという話もあるといわれます。現代でもオリオンETグループが、禁断の生体実験をして、モンスタータイプの生物を創造しているといわれます。太古にはシリウス星人が遺伝子操作等でモンスター・タイプの生物を創り神に嫌われたといわれます。太古の異星人では「単性生殖」もあったといわれます。雌雄同体の異星人や卵生の異星人もいるといわれます。またリラ星にはフリーセックス用の女性のバイオロボットもいたといわれます。高次元の異星人も非常に多く存在し、異星人も多様で、「性生活」についても情報は非常に少ないと指摘されています。

・amazonに「性の風俗」といれますと4000以上の本が分かります。世界や日本の「性の風俗」の話も膨大な量になるようです。そして『江戸の性風俗』等の昔の性風俗の研究書も多いようです。柳田国男は、「性風俗は悪習だ。非近代的だ」といって、意図的に研究しなかったといわれます。しかしながら、「夜這い」に関する資料としては、昭和26年に出版された柳田国男監修の『檜枝岐民俗誌』があります。柳田國男はここ(檜枝岐村)を「桃源郷」と呼びました。
当ブログでは、「性風俗」はほとんど取り上げていません。しかし、「不思議なゲイ(LGBT等)の現象は、宇宙人の人格転換である」といわれます。ゲイの現象も昔からあったといわれます。性的な習俗も異人(宇宙人)が始めて、人々に教えたともいわれます。昔からの性の習俗の裏には、堕天使(宇宙人)が存在するそうです。「性生活」というものは、人間の人生で大きな部分を占めているといわれます。世界や日本の売春問題についても私たち一般人は、当然詳しくはありません。
夫婦生活や家庭生活の形態も太古から大きく変化してきています。が、一夫多妻制度も現代でも盛んです。ゲイ(LGBT等)が死刑になる国もあり、近代化がすすんでいないといわれます。

・堕天使が地球の女を狙って降りてくるといわれます。堕天使の性的な能力は異常に高いともいわれます。堕天使が太古から売春やスパイ、麻薬と関係していたといわれます。堕天使の目に見えない世界のことは、ほとんど誰も分からないといわれます。「あの世」の出来事が、「この世」に時間を経て起こってくるという話もあり、「あの世」については、私たち一般人には、訳の分からない奇説だそうです。大げさに言えば、人間が知っていることは大海の一滴なのかもしれません。イルミナティに関する書物には頻繁に「奴隷化」という言葉が使われますが、私たち一般人には、理解不能です。
「スパイ」といえば、太古から戦争に必須ですし、現代でも諜報機関が「異星人の存在」をアバブ・トップシークレットにして隠していると指摘されています。職業を研究している天使(異星人)もいるといわれますが、「仕事の対価」の研究もしているのでしょう。
「大衆は3S(スクリーン(映画娯楽)、スポーツ、セックス(性風俗))の大衆娯楽で政治を忘れさせよ」というユダヤの「シオンの議定書」は、歴史的に反響があったといわれます。さて日本では、2020年のオリンピック・パラリンピックまで、メディアは「スポーツ」を盛り上げる傾向になるようです。
太古からの歴史を見ても、奴隷売買、アヘン売買、売春や虐殺や長期間の戦争等のあらゆる「残酷な話」の背景には異星人(堕天使)の存在があったといわれます。しかしながら、堕天使(異星人)の正体は誰にも分らないようです。植民地における虐殺や、北米インディアンの虐殺等、白人種の異星人(堕天使)の背景があったといわれます。「人類の歴史は平和な時代よりも戦争の時代が長かった」といわれます。ネガティブ・グループのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるといわれます。「ネガティブな異星人」というのは「残酷な異星人」と訳すべきでしょうか。昔の奴隷売買や女衒のような商売は、普通の人にはできない商売だったといわれます。それにしても「現代でも残酷物語は多い」と指摘されています。異星人が人間を創った時、「さっこう」という相互に殺し合う遺伝子を本能に埋め込んだといわれます。また「人間をゴキブリ以下に考えるエーテリアン(異次元種族)がいる」ともいわれます。そして「神様の中の王様」であるゼウスは魔神の系列だといわれます。

・「二派の対立とは火星由来のアーリア人に対するアヌンナキ・レプティリアン(爬虫類人)の争い、戦争」であったともいわれ、異星人の争いは今でも続いているといわれます。太古には「火星霊人と金星蛇人の対立・戦争」があったともいわれています。北欧神話でもアース神族とヴァン神族は、最終的にアース神族が勝利した長きにわたる戦争の後、和解し人質を交換、異族間結婚や共同統治をしたといわれます。
「この我が国におけるセム系とハム系、高御産巣日神系(たかみむすび)と神高巣日神系(かみむすび)が、天皇家を間において対立・抗争していた」といわれます。「シャンバラとアースガルト(アガルタ)は対立関係にあった。セム系は北極星、北斗七星信仰で、ハム系はオリオン、シリウス信仰であった」という説もあります。
「セム系は“文”の性格が強く、ハム系、ヤペテ系は“武”の血脈である。ハム系の中でもカナン人は、ノアによって呪われ、“カナンの呪い”という言葉が残っているが、聖書の中でもキリストが忌々しきものマムシの末裔と非難している」といわれます。
「オリオン星雲で60万年続くオリオン戦争で、これは何億ものポジティブな人間型生命体とレプティリアンと呼ばれるネガティブなヒト型爬虫類人との間で起こったものだった」といわれます。広い宇宙ではスター・ウォーズが頻繁にあったようです。「ヤペテ系やハム系の神域がアガルタで、シャンバラは、セム系の神域ということである」と指摘されています。奇妙なことに、オリオン人はかっては琴座からの移民である人間らしい存在だったが、その後レプティリアンに征服されてしまったといわれます。

・ヤハウェも「残酷な神」ともいわれ、疫病神もいて、「細菌をばらまく堕天使もいる」といわれます。「ヨーロッパの人口が激減した中世の黒死病の流行は異星人の細菌兵器だった」といわれます。
養蚕の技術や鉄器の製造技術も人間が考えだしのではなく、元々は異星人がさまざまな技術を人間に教えたといわれます。いわゆる「文化神(異星人)」によって、人類は進歩してきたと指摘されています。

・私たち一般人は、三島由紀夫や三島由紀夫の作品については知りません。そもそも「文学」についてもよく分かりません。しかしながら、割腹自殺した最後の日の事件のイメージが強く残っているといわれます。そして、それが外国人に大変悪いショック・イメージを与えたそうです。どれだけ悪い影響を与えたのか、私たち一般人は、当然、全部を把握できません。天才的な三島由紀夫の「クレイジーな行動」については、外国人には「悪霊」が憑依したことは理解できなかったと指摘されています。ノーベル文学賞候補になったこともあり、大変残念な事件でした。「新聞でも報道されていた旧ソ連製の“自殺企画の発狂薬”でもどこかで飲まされたのでしょうか?」とも疑問視されています。また当時の三島由紀夫は精神病の一種だったのではないかという説もあります。日本人として初のノーベル文学賞を受賞した川端康成も72歳でガス自殺しましたが、日本の代表的な作家の虚弱性が窺われると指摘されています。死後の三島由紀夫は「霊界通信」をしていたといわれ、多くの書籍になっています。その「霊界通信」も私は、詳しくは分析していません。内容が荒唐無稽で私たち一般人にはにわかに信じ難いのですが、解釈の仕方に特殊なものがあるのかもしれません。大変人騒がせな三島由紀夫の奇矯な事件でした。

・三島由紀夫の想像を絶する行動には2・26事件で処刑された磯部浅一の霊が憑依した結果という説が多くありました。1936年(昭和11年)におきた「2・26事件」は、その後の日本に大きな影響をあたえたようです。「エロ・グロ・ナンセンス」の時代から「軍国主義化」へと戦争の道を取っていった「暗い時代」へと突入する契機となった事件ともいわれます。そのため、「2・26事件」は多くの文芸作品や映画になったといわれます。戦前も戦争中も、「その時代に生きたくはなかった」ような、非近代的な社会だったと指摘されています。
 
・「コトバンク」から引用すると「エロ・グロ・ナンセンス」
 エロはエロティック、グロはグロテスクの略で、1930〜31年(昭和5〜6)を頂点とする退廃的風俗をいう。この時期社会不安が深刻化して多くの人々は刹那(せつな)的享楽に走った。「ねえねえ愛して頂戴(ちょうだい)ね」という流行歌がヒットし、エロ物・怪奇物の出版が相次ぎ、盛り場ではエロサービスを売り物にしたカフェーやバーが軒を並べた。レビュー小屋では踊り子が脚を振り上げ、扇情的にズロースを落としてみせた。警視庁が、股下(またした)2寸(約6センチメートル)未満あるいは肉色のズロース着用や、腰を前後左右に振る動作の禁止を通達する一幕もあった。昨今のポルノ風俗に比べればその露出度はたわいもないが、ひどい不況、金融恐慌、倒産の続出、失業の増加、凶作による農村の一家心中や娘の身売り、左翼思想家、運動家の徹底的検挙など出口のない暗い絶望と虚無感が背景にあり、当局の取締りは、国民の左翼化よりはましということで手加減された。31年の満州事変以後の軍国主義台頭でこの逃避的流行は消された。[森脇逸男]

・幽霊現象も学者の研究対象になりつつあるようです。幽霊はある意味で異次元現象なのですが、宇宙人の現象と似ているところもあるようです。異星人は、人間の死後の世界である幽界や霊界と似た異次元のアストラル界、エーテル界にある都市に壮大な文明を作っているといわれます。幽霊も異次元の幽界や霊界から出てくるようです。普通の人でも夢の中で自分の家族の幽霊を見たり、この世で幽霊を見たりすることは多いようです。「2・26事件の青年将校の亡霊」といいましょうか、青年将校の亡霊が、天才作家、三島由紀夫に憑依して自衛隊での割腹自殺事件を引き起こしたという説もあるそうです。その事件の詳細はウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)の「2・26事件と“英霊の声”」にも載っています。

・ノーベル文学賞の候補でもあり、海外のファンも多かった著名な作家の割腹自殺は多くの悪影響(非常にクレイジーな印象)を外国人に与えたそうです。それこそ「不可解な日本人」「理解不能な東洋人」といったところでしょうか?「天才作家の気の狂った最後だった」といわれます。amazonに「三島事件」とインプットしますと171件の書籍が分かります。死後の三島からのチャネリングを本にしたものもあったようです。私たち一般人は、三島由紀夫については詳しくはありませんが、作品の研究者も多く「知る人ぞ知るの世界」のようです。
ちなみに、amazonに「三島由紀夫」と入れますと1517件の本が分かりますが、影響力の大きい天才作家だったようです。

・“心霊写真”の話も多く、幽界や霊界は遠く離れた異次元の世界ではなさそうです。もちろん、UFO写真と同じくニセモノも多いようですが。人間の死後世界の“幽界”はこの世とのパラレル・ワールドといわれますし、“霊界”は地上1メートルのところにあるともいわれます。それで、世界中の人間は頻繁に幽霊を見るようです。マスター(大師)やアセンディッド・マスターとのコンタクティやチャネラーがいるので、驚きです。そのような存在が異次元で活動しているとは誰も分かりません。「幽霊」の研究は、まともな学者がするものではないというタブーが近年、変化してきているそうです。「幽霊」を題材にしたりする作家や映画も多く、増えており、見世物の「幽霊屋敷」は消えつつあるようですが、「幽霊」話は依然多いようです。ドッペルゲンガーも不思議な現象です。「ドッペルゲンガーを見た者は、まもなく死ぬ」という不気味な与太話もあったそうです。ゲーテも自身のドッペルゲンガーを見たと言われています。

・ジョー・マクモニーグルが見たという、バハマでのフットボール球場の三つ分はありそうな大きな円形の物体UFOは、『悪魔の船』だったのでしょうか。それとも"神々"でも搭乗していたのでしょうか。「巨大な空飛ぶ円盤」はたびたび話題になったようです。ジョー・マクモニーグルは超能力で知られていますが、どのようにして超能力がついたのかは分かりません。「ゲルマンの神」と遭遇しただけでも超能力がついたのかもしれません。

・幽霊ハンスのようなアストラル界の住人が人間の姿を装い地上の人間とコンタクトする幽霊の話は、日本でも昔から多いようです。通常では見えないアストラル界の住人を幽霊として、変性意識状態で知覚するようです。私たちは、「目に見えない世界」に取り囲まれているようです。あの世が「実相」でこの世が、その反映された世界といわれますので、驚きです。

・空飛ぶ円盤や異星人とのコンタクトを通じて超能力がつく場合があるそうです。異星人そのものが超能力を持っている場合が多いそうです。空飛ぶ円盤や宇宙人の時代から「見えない神々や天使、堕天使の時代」に移りつつあるようです。「異星人はとうに地球を訪れていて、地球人社会にまぎれ混み、密かに地球と我々の文明を監視調査し社会生活をしている」ともいわれます。「宇宙人と普通の人間が区別できなくなっている」そうです。

・また「遥かに進化した高次元の高等知性体・異星人は、人間の肉体や精神体に憑依するので誰も識別できない」そうですし、「遥かに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊になっている」ともいわれます。見えない世界の話で私たち一般人は、理解不能のようです。「神々も市井の人となり普通の生活をしている」ので誰も分からないようです。

・「ドイツ語は悪魔の言葉」だそうですが、悪魔だったら幽霊にでもでるのでしょうか。霊能力者は、通常、人が見ることのできない幽霊も見れるでしょうが、『幽霊のハンス』は、当時の米軍部隊内でも有名だったそうです。ゲルマンの神は、シュメール文明を作った、アヌンナキの系列の神のようです。

・アストラル界の存在で幽霊としてか見えないような存在が人間の姿を装い、地上にワンダラー(転生)やウォークイン(憑依)やその他の形態で出てくることは「アバブ・トップシークレット」のようです。人間の背後霊や守護霊も宇宙人が憑依したものかもしれません。

・『幽霊のハンス』は、ヒトラー・ナチスが崇拝したという金髪碧眼の『アーリアの超人』たちとは関係がないのでしょうか。金髪碧眼のアルデバランの異星人かゲルマンの神々だったのかもしれません。幽霊のような形態であの世とこの世を往復できるようなのです。幽霊と交信して幽霊の正体を正確につかんだという話はあまりないそうです。死んだ人々からのチャネリングを受けたという話は世界的にも多いようです。異次元視力が発達した人か意識の変性状態でないと幽霊は見えないのかもしれません。普通の人でも幽霊との遭遇話は世界的に多いようです。

・天国に自由に出入りして、人間の転生や人間への憑依を自由に操作できるシリウス星人は、『心霊攻撃ができる』といわれています。思念で人間を創ったというシリウス星人だけが『魂のメカニズム』を知悉しているのでしょうか。

・魂のメカニズムは誰も分かりません。『心霊攻撃』ができるシリウス星人に対抗できる異星人は少ないでしょう。「透明人」とシリウスA星人が創造し、りゅう座(ドラコ)に配置した爬虫類人ともいわれ、「龍神」の系列のようです。

・「死後、シリウス星人の宇宙船に乗る」という話は、外国の話でも少なくないようです。シリウス星人は高次元に存在する天使のような、神々に近い高等知性体なのでしょうか。「シリウス人は、別の非物質的存在の集団であるオハル評議会の創造物である」ともいわれ、「龍神」の上に「牛神」がいるそうです。「透明人」についてもよくわかりません。太古、地球には「龍神」と「牛神」の2種類の神が来て、人間を創ったそうです。旧約聖書の神が「龍神」で、新約聖書の神が「牛神」といわれます。牛神がテクノロジーで龍神を圧倒し「低層4次元」に追い払ったともいわれています。

・死後の三島由紀夫がチャネラーに霊界通信の形で、テレパシーで送ってきたそうです。「シリウスの宇宙船に乗った三島由紀夫」のその後とは、どうなっているのでしょうか。ちなみに、死後の三島由紀夫の霊界通信によれば、「自殺者は親に会えず、地獄に落ちてろくな目にはあわない」そうです。日本でも毎年3万人を超える自殺者がでています。しかし、いろいろと行政でも対策の手を打っているようですが、なかなか自殺者は減らず「末法の世」なのかもしれません。その後、関係者の努力で数字は減ってきたようです。

・死後、誰でも天使的な宇宙人のシリウス星人に会うことができるようです。「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だ」そうです。そして、地球はシリウスの植民星であり、「ネガティブ・グループのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こる」ともいわれています。

・神智学では大師といいますと、モリヤ、クートフーミ、ジュワル・クール、セラピス・ベイ、ヒラリオン、イエス大師、ラーコーツィ大師、サナト・クマーラ、マイトレーヤ等の名前があげられています。「マイトレーヤは日本において弥勒菩薩、仏教においてマイトレーヤというブッダ、キリスト教においてキリスト、ユダヤ教においてメシア、ヒンドゥー教において、カルキというアヴァターラ、イスラム教においてマフディーというイマームとしてしられている」とのこと。

・同一の神がさまざまな形態に化身したり、多くの名前を持っているそうです。私たち一般人は、世界の神々については詳しくは知りません。シャンバラの支配者(世界の王)のサナト・クマーラがルシファーであることや、サナンダは神智学ではサナト・クマーラより上位の存在として「沈黙の監視者」と呼ばれています。キリストの転生歴を持つ金星のマスター(長老)の正体も謎が多いそうです。金星のマスター(長老)とのコンタクトの話もUFO物語ではよくでてきます。アセンディッド・マスターについても存在するのだが、私たち一般人は、その力を知らないということだそうです。

・ナチスをはじめ歴史のおぞましい虐殺・戦争の歴史には、ハム系とかセム系とかの血流の対立・抗争が底流にあるという説もあるそうです。宇宙人の憎しみなどの感情は、人間の感情の範囲をはるかに超えているようです。神々の神話でも争いや戦争の話が多いようです。また「シリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こる」ともいわれます。戦争の背景を認識できる知識人は少ないといわれます。「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」ともいわれ、スター・ウォーズが地上の2派に分かれ、争いや戦争を継続することもあるようです。

・堕天使ルシファーが天使団の3分の1を率いて神に反抗したという太古の物語は、現代では「天使と悪魔」、「キリスト教会とイルミナティ」の争いとかの流れになっているようです。「天の戦争」「スター・ウォーズ」は地球上に投射され、人類の歴史は平和の時代よりも戦争の時代が長かったといわれます。今も世界中で殺戮が行われています。

・フランス人のクロード・ボリロン・ラエルというコンタクティで有名なサタン(悪魔)と呼ばれるリラ星人は「実験室で人間を創った」といわれ、一方、神やシリウス星人は「遺伝子操作か思念(?)で人間を創った」ともいわれます。リラ星人は人類に3万年進化しており、多くの他の異星人とともに人間の進化を観察していたようです。また米国が秘密協定を結んでいるオリオン星人は人類に5万年進化しており「人間の魂の交換」ができるようです。

・また、シリウス星人は遺伝子操作で人間がぞっとする生物を作ったので、神に嫌われたそうです。4本足の人間は、嫌悪されたと指摘されています。神が洪水などの天変地異を起こして、それらのモンスター・タイプの生物を全滅させたともいわれます。シリウス星人にはネガティブ・グループとポジティブ・グループがおり、宇宙人の世界を複雑にしています。イルミナティは爬虫類的異星人(レプティリアン)に関係しているグループのようです。

・1970年代には、日本にも異星人との少数のコンタクティのグループなどがあり、活発に運動していたそうです。今も全国に色々とグループがあるそうですが、メディアがとりあげないようです。

・「マスター・クラスの長老などと宇宙船上で会った」という話もあり、当時は宇宙人も街中を徘徊していたそうです。金星のマスター(長老)、サナンダと宇宙母船で会ったという日本人のコンタクティもいるそうです。当時、金星のマスター(長老)が、米ソ核戦争の危機を警告にきていたそうです。ちなみに、キリストはアプ星人で、戦後、アプ星人は国際連合の設立に動いたそうです。

・伝説や民話では、昔から「異人」や「神人」が地上に現われて、活動していたようですが、現代でも同じようなことがあるのでしょうか。空飛ぶ円盤や小柄なバイオ・ロボットのグレイや金星人のように「見える宇宙人」から「目に見えない宇宙人(神々や天使)」の時代に移り、それとともにメディアも騒がなくなったといわれます。

・より進化した宇宙人は、天国に自由に出入りし、人間への“憑依”や人間の“転生”を自由に操作するシリウス星人のように、空飛ぶ円盤に乗ってくるよりも、人間の肉体や精神に憑依したり、転生してくるので、識別ができないようです。「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だ」そうですが、誰も認識できません。

・「人は皆、記憶喪失の異星人だ」そうですので、異星人と地球人との境界がぼやけてしまいます。前世を記憶するアメリカ人が多いそうです。異星人が精神に憑依したりしますと、誰も識別ができなくなります。

・「エーテルの見えないもう一つの月」についても言及が少なくないようです。「地球の月は、永劫の昔、レムリア大陸への入植の時代に、軌道上に設置されたりゅう座人の宇宙船である」そうです。エーテル界やアストラル界のように「目に見えない世界」にいる異星人や神々や天使、堕天使の動きはまったく分かりませんが、「あの世」からの影響力は増大しているそうです。現代でも月面上では、巨大な宇宙船の活動が、アマチュアの天文マニアでも視認できると指摘されています。

・「りゅう座人は、地球に巨大な地下基地、金星にコロニーを持っている。地球には二番目の月が配置されている。1997年にヘール・ボップ彗星に隠れて到達した。そこにいるのは、純血爬虫類人である。交配人種であるイルミナティは地球の支配を行っている」そうです。どこまでが本当の話なのか、真偽のほどは分かりません。が、信じるか信じないかはあなた次第という与太話なのかもしれません。「異次元の話」については、私たち一般人は、理解できません。

・「常陸国に「うつろ舟の蛮女」現る」という伝承は、ウンモ星人だっという説もあります。「うつろ舟の蛮女」の髪の毛も金髪、赤髪、黒髪といろいろと表現されています。ヨーロッパでは同化の進んだ異星人種族として、金髪碧眼のウンモ星人が知られています。ウンモ星の恒星イウンマは実在し、天文学でウォルフ424と呼ばれるといわれます。惑星ウンモ(地球から約14.5光年離れた恒星イウンマの周りを公転)から来た地球外生命体ユミット(=ウンモ星人)からの手紙の話はスペインから始まったようです。ウンモ星人も金髪碧眼で、ヨーロッパにその末裔が多く住んでいるともいわれています。ヨーロッパ人もその顔つきから、さまざまな異星人のDNAが混じっていることがイメージされるといわれます。「うつろ舟の蛮女」も「時空を超えた」異星人だったのかもしれません。はるかに進化した異星人は、語学の問題は、超テクノロジー等で解決しているともいわれます。彼らは第一にテレパシーが使えます。「UFOアート」「UFO絵画」のアート部門も欧米ではあるようです。巨大な空飛ぶ円盤が着陸していて、その中から多数の動物の「つがい」がでてくる絵画もあります。「ノアの方舟」をイメージしたのでしょうか。「百聞は一見にしかず」ということですが、太古から「空飛ぶ円盤」の図絵は多く描かれています。

・金髪碧眼の白人種の「トールホワイト」のような異星人が、「普通の日本人よりもっと立派な日本語、まるでアナウンサーみたいな日本語で、声もそういう調子でした」というような具合に話すのか、テレパシーで流すのか、そういう日本人のコンタクティの話もあります。「トールホワイト」とよばれる2メートルから3メートルの白人種のオリオン星人も報告されているようです。トールホワイトと米政府とは繋がりがあるといわれます。地球では白人種と定義されている「エリエン」のルーツはオリオン星雲にあるといわれます。

・「河童の妙薬」という話も、河童が動物以下の妖怪ではないことが窺われます。河童にも、多くの種類もあったようです。河童と人間との交流話もあり、異星人(異人)の創ったバイオ・ロボットで、異人とともに飛来したのかもしれません。「下総カッパ団は、1724(享保9)年、下総国印旛村の豪農、安田伝兵衛によって設立された人間とカッパの親睦団体だ」という伝承もあります。

・「ゼータ・レチクル星人のグレイと、オリオン座のリゲル人の長身のグレイ、オリオン座の有翼のドラコ族、恐竜から進化した地球のレプトイド(恐竜人)」等がエリア51等のアメリカの秘密基地で活動しているともいわれます。エササニ人は、地球人とゼータ・レチクル人の融合によって生まれる混血種属の一つともいわれています。エササニ人の様にすでに交雑種が異次元に存在しているようです。グレイと人間の交雑種が「エササニ人」といわれます。エササニはオリオンの方向にあります。「時空間を超えてこの地球にやってきて、人類をアブダクション(誘拐)し、受精して、子孫を作りました」と指摘されています。それがエササニ人のバシャールだそうです。クラリオン星人のコンタクティ、イタリア人のマオリッツオ・カヴァーロによると「日本の河童はグレイの一種で、現在も海底基地にいる」そうです。「グレイは未来の人類の退化した姿だ」という奇説もあったそうです。グレイもかなり人間化しているという話もあるようです。グレイに比較して人間タイプの異星人は、「身の安全」のためアバブ・トップシークレット扱いが厳重のようです。

・エリア51で白鳥座61番星の異星人とコンタクトしていた日本人科学者もいたといわれます。「その彼ら(グレイタイプ)は地球から68光年離れた惑星クイントニアに住む宇宙人で母星から「エリア51」まで45分で移動できる」そうです。これでは日帰りが可能のようです。 「グレイ」は人間の無意識の中に入ってくるともいわれます。その超テクノロジーは、現代の科学者も理解不能のようです。ハリウッド映画のように、昔から人間タイプの異星人が社会に同化していて、ネットワークが存在していたという話もあります。

・「遥かに進化した高次元の高等知性体・異星人は、人間の肉体や精神体に憑依するので誰も識別できない」ともいわれます。異星人が人間に、穀物の作り方や、道具の作り方、衣服の作り方や生活の仕方を超太古から教えていたといわれます。空飛ぶ円盤に乗った宇宙人が、原住民により「神」として崇められるようです。「うつろ舟の蛮女」は金色姫で、「養蚕」を原住民に教えた異星人だったようです。渋澤龍彦の小説(うつろ舟)の中の蛮女の描写は、金髪碧眼となっていますが、赤毛であったという話もあるようです。柳田國男の時代には「異星人」や「宇宙人」という概念がなく「零落した神」というような概念があったようです。

・金髪碧眼のノルディックは、人類に6千年進化しているプレアデス星人といわれています。そして金髪碧眼のウンモ星人は、ヨーロッパで同化している異星人として知られています。金髪碧眼のアルデバラン星人とか、金髪碧眼のマスター・レイス(支配人種)が火星より地球へとやって来て、古代伝説の神々(gods)となったとか、金髪碧眼のケルト人とか、とにかく金髪碧眼の種族の伝承が多いようです。同化して混交して純粋な金髪碧眼の種族は少なくなっているのかもしれません。ウンモ星人と「宇宙連合」との繋がりは不明ですが、メンバーなのかもしれません。

・「虚船の蛮女」は「ウンモ星人」なのではないのかという説もあります。金髪碧眼のウンモ星人は、ヨーロッパで同化している異星人として知られていますが、金髪碧眼ばかりではなさそうです。「虚船の蛮女」を研究している人は少なくないようです。宇宙人は物質化、非物質化ができるテクノロジーを有しており、UFOを物質化、非物質化ができたようです。UFOを異次元に突入させて、宇宙人だけが地上に現れることもできるようです。この「物質化、非物質化のテクノロジー」については私たち一般人には、理解できません。「はるかに進化した宇宙人が人間の精神体に侵入してくる時代だ」そうです。そうなると人間自身が「変容」、「変性」してしまうそうです。

・人間の肉体から「幽体」や「霊体」を自由に分離して、アストラル界やエーテル界で活動できるようです。ですから幽霊現象や心霊現象は、「宇宙人現象」とも理解できるようです。「虚船の蛮女」と金髪碧眼のウンモ星人との繋がりがあるのかもしれません。日本神界とインド神界は太古のアーリア人で金髪碧眼のアルデバランの宇宙人、ゲルマンの神々と繋がりがあるのかもしれません。インド人は肌が黒いですが「白人種」に区別されるそうです。ゲルマンの神々も幽霊のような存在です。「ゲルマン神話の神々は日本の神々だった。まず、主神・オーディンは「須佐之男神」だった」という怪説もあります。また「スサノオ命は絶対神ヤハウェにほかならない」という奇説もあります。西洋神界はスサノオ神とその系統の神々が1万年ほど前に拓いた地域で、シュメール族は「スサノオ神系」だといわれます。

・よく「宇宙人もの」の本には、金星人とか火星人という宇宙人がでてきますが、平行宇宙か、異次元の金星か火星であって、探査機が調査し、写真を送ってくる火星や金星とは違うそうです。宇宙人は「あの世」から来るともいえるのかもしれません。異次元の金星や火星には壮大な都市文明、宇宙人文明があるそうです。むしろ「あの世の宇宙文明から飛来している」と理解したほうがよいのかもしれません。「あのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」そうです。原子よりも非常に細かいエーテル質量は現代の科学者では理解できないようです。金星蛇人と火星霊人の対立・戦争もあったようです。金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けた、といわれます。

・「ビクター・クラス宇宙船」をフォース・フィールドで船体を見えなくしていることは、人間には、理解が困難で、進化の程度が数段と上の知的存在、宇宙人なのでしょう。は非物質化され、ラスベガス付近に存在していたそうですが、私たち一般人は、当然、理解できません。「ビクター・クラス宇宙船」の異星人は、キリストの出身母子のアプ星人だったようです。当時のアメリカ大統領はキリストの種族の異星人とコンタクトしていたという話なのかもしれません。彼らは、時たま、人間とコンタクトをとるといわれているようです。「戦後にキリストが米国に来ていた」という与太話があったそうです。キリストの出身星はアプ星だったそうですが、アプ星人は国際連合の設立に尽力したという話もあるようです。

・アプ星人は南米にもよく飛来していたようです。金星人とアプ星人を結びつけても良いのかもしれません。アメリカ合衆国の大統領と異星人の会見は、昔にはあったようですが、現在はどうなのでしょうか。国家安全保障上の最高機密(トップ・シークレット)の数段階上の厳秘(アバブ・トップシークレット)扱いの異星人情報には、大統領は関与しているのでしょうか。政府の中に政府があってアメリカ大統領といえどもコントロールできないといわれます。「いざ大統領に就任すると、この話題には関与せずという概要が出されるのだ。こうした態度は“大統領の黙秘症候群”と呼ばれている」と語られています。

・『ペンタゴンの陰謀』という本では、エイリアンから入手したテクノロジーに関して、元米軍高官からのリークが載っていました。「エイリアン・テクノロジー・リバース・エンジニアリング」によって、米軍は最新兵器を開発しているそうです。

・『エリア51』の米軍のエイリアン秘密基地については、米国では映画になったり、マスコミが騒ぎましたが、最近では、マスコミの追及も下火だそうです。「ゼータ・レチクル星人のグレイと、オリオン座のリゲル人の長身のグレイ、オリオン座の有翼のドラコ族、恐竜から進化した地球のレプトイド(恐竜人)」が邪悪なオリオングループといわれる宇宙人なのかもしれません。人間タイプの異星人は、国家安全保障上の最高機密(トップ・シークレット)の数段階上の厳秘(アバブ・トップシークレット)扱いで、ほとんど分かりません。メディアも当然のことながら、政府に協力するからでしょう。

・ゲリー・ボーネルは、米国の一種のチャネラーですが、米国では、精神世界のチャネラーやヒーラー(治療する人)は非常に多いようです。チャネラーの本だけでもかなりあるようです。amazonの「洋書」に「channelling」といれますと1688件の洋書がわかりますが、個人ではとうてい把握できない量です。「和書」で「チャネリング」といれますと277件の本を知ることができます。アセンション(次元上昇)の年、2012年が経過しましたので、チャネラーも増えているのかもしれません。

・amazonに「ウンモ星人」といれますと20件の書籍がわかります。「ユミット」といれますと6冊の宇宙人ユミットの本が載っています。『宇宙人ユミットからの手紙―30年間2000通の秘密文書の謎を解明』(徳間書店)などが、よく知られているようです。ヨーロッパでは社会に同化した異星人として知られているそうです。「異星人はとうに地球を訪れていて、地球人社会にまぎれ混み、密かに地球と我々の文明を監視調査し社会生活をしている」そうです。またウンモ星人の「エイリアン・テクノロジー・リバース・エンジニアリング」の研究がフランスなどで進められているようです。

・現代ではカシオペア座方面に行った日本人もいるそうですが、欧米と比べて、マスコミに載った日本人のコンタクティの詳しい話は、少ないそうです。何か新しい情報がどこかのブログにでも出ていないでしょうか。人は皆、記憶喪失の異星人だと指摘されています。


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・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ
日本は津波による大きな被害をうけるだろう
・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド

「神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・
「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」、「ネガティブのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるのだろうか?」
「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャンバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」
「日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔なのか」
「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」
「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」
「UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」
「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」
「イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」「金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けたのだろうか」「フリーメーソン結社はこの大地が創出されるよりずっと前から、さまざまな太陽系をめぐって、存在していたのだろうか」
「国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」
「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」
「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」

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