食料自給率のアップは、日本にとって最大の課題ですが、耕地面積は減少の一途をたどり、耕作放棄地は増加しつづけます。このことが一因となり、病虫害や鳥獣被害が増えるのです。 | |
[森羅万象] | |
2019年9月10日 7時6分の記事 | |
『松原照子の未来予言』 松原照子 学研プラス 2019/2/26 <食料の自給率のアップは、日本にとって最大の課題> <2050年までに日本で何が起きるのか> <●進みゆく少子高齢化に歯どめをかける秘策はあるか> ・日本の近未来は、「少子高齢化社会」という現実を直視せずに見ることはできません。 ・若い世代が、次世代を育むことへの意欲を低下させていくのは、私たちがどこかで家族のあり方を間違えたからでしょうか。 少子高齢化にともなう人口の減少はすでにはじまっていて、ピーク時には10年で1000万人もの人口が減少するといわれています。このままいきますと、2100年には総人口が5000万人を割り込みます。 ・この先10年は、なんとか乗りきれるとしても、地方からじわりじわりと少子高齢化のツケが回り、やがて東京にも及びます。人口が集中する首都圏は「老人の街」となり、若者が抱える負担が大きくなるのです。 また、働き手が減るため、人手不足が深刻になります。 ・人口の減少は、他人事ではありません。日本の未来は自分の未来であることを忘れず、将来に希望がもてる社会づくりをお心にとめてください。 <●10パーセントの消費税は庶民の暮らしにとって吉か凶か> ・平成元(1989)年4月1日に、何が起きたかを覚えていますか。この日、消費税の3パーセント徴収が開始されました。 1989年4月、消費税3パーセント。 1997年4月、消費税5パーセント。 2014年4月、消費税8パーセント。 そして2019年10月、消費税は10パーセントになる予定です。 2パーセントの増税は、私たちに何をもたらすのでしょう。 ・消費税率が5パーセントから8パーセントになってから、各家庭の消費支出はマイナスがつづいたそうです。このたびの消費増税は、だれもが思う以上の冷え込みをもたらすと思っています。 ・消費増税後、オリンピックムードを盛り上げて購買意欲を煽ろうとしても、東京都や政令指定都市以外の地域では、所得や消費がアップするとは思えないのが現実です。貧富の差が拡大していくのがわかります。 ・10パーセントの消費税が、消費を低迷させる?はっきりとした答えが出るのは2020年。まずは身近な人たちに対して愛ある行動を。 <●2028年には、4軒に1軒が空き家になる?> ・これから年を追うごとに、消えていく地方自治体が出てきます。すでに予測されていることですが、現実として感じざるをえない日がやってくるのです。 ・日本人の平均寿命は、男性が81.09歳、女性が87.26歳です。 ・人生なんて、過ぎてみれば、あっという間です。 私が感じたり、見えたり、また不思議な世界の方々から教わる日本の未来は、正直に申しましてかなり厳しいのです。 ・これからの50年は、日本のいたるところが様変わりしていきます。どんでん返しのような政権交代も起こるでしょう。 また、空き家が増えていくのが見えています。2028年には、空き家率が25.5パーセントにもなるのです。 商店街はところどころシャッターが降りたままで、マンションも歯抜けのようになっているのを感じます。 都内の家賃は、今よりかなり安くなっているでしょう。 ・更地にすると固定資産税が6倍になることも、空き家のままで放置しておかれる理由でしょう。 ・2028年には4軒に1軒が空き家になります。しかし、その新たな利用法を見つけることができれば、不動産業界には、また花が咲くことでしょう。 <●人口が減少するにつれ、外来種もふくめた野生動物が増える> ・日本列島の自然界は、人口の減少によって大きく変わっていきます。 食料自給率のアップは、日本にとって最大の課題ですが、耕地面積は減少の一途をたどり、耕作放棄地は増加しつづけます。 このことが一因となり、病虫害や鳥獣被害が増えるのです。 ・シカもクマと同じで、人間が生息域に入ってこないため、好き放題に枝葉や樹皮をエサとします。林業への被害は深刻でしょう。 ・かつて不思議な世界の方に、日本は世界一、土壌菌の数が多い国だと教えられたときは嬉しく思いました。でも、植林をしたために、すばらしい土壌菌が死滅したと聞かされ、腹が立ってしまいました。 ・急速な人口減少が、自然界を変える可能性あり。2100年の日本を明るくするには、少子化からの脱却を図るのが最善の策だと思います。 <●リニア新幹線の時代がくるが、陸でも空でも乗客は減少する> ・空の便については、LCCが登場したおかげで、飛行機に乗る回数が増えたかもしれません。でも、日本の総人口を考えると、2020年には1億2410万人でも、日本の総人口を考えると、2020年には1億2410万人でも、2050年には9708万人で、2702万人減となります。空の便の利用者も減ることがわかります。 2702万人という数字が、どのくらいのものか想像できますか?2018年の東京都の人口が1353万人、埼玉県が734万人、千葉権が625万人で、合計すると2712万人です。これに近い人数が減るのですから、驚きです。こんな世界がもうすぐやってくるのです。 ・人口が減少する一方、在留外国人の数は増えつづけます。2018年の時点で、日本の総人口に占める在留外国人の割合は2パーセントですが、30年後、この数字は10パーセントに届く勢いで伸びることでしょう。 東京都だけでも、すでに50万人を超えています。 ・要介護。この言葉を聞くだけでも、自分が年寄りになったことを感じてしまいますが、2000年にスタートした介護保険の利用者数は、増加の一途をたどっています。 団塊の世代が後期高齢者になると、給付に必要な額も増え、介護保険料が値上げされるでしょう。介護の現場では人手不足が深刻になることは間違いありません。 ・在留外国人と高齢者は今後も増加していきます。ひとりひとりが意識を少し変えれば、日本の未来に光が見えてきます。 <●マスコミから建設業界まで、多くの業界で顧客と働き手が不足する> ・人ひとりの生きる力が日本を変えていきます。厳しい現実に直面したときほど、思慮やたくましさが発揮されることでしょう。 <●祖霊信仰と自然神崇拝からはじまった日本の宗教はどこへいく?> ・寺院については、お檀家さんのお布施や喜捨で維持できた時代は遠い昔になり、一部の寺院だけが残る時代が到来します。 ・今後の日本では宗教観が変化していきますが、葬儀は仏式が好まれると思います。イスラム教も日本社会に浸透していくことでしょう。 <●保険制度に垂れ込める暗雲を吹き払う方法はあるのか?> ・消費税は、すぐに13パーセントになり、やがて15パーセントになることでしょう。 国民年金や厚生年金も、人口が減るために、老後の生活の支えとはいえなくなると思います。年金を支給するには保険料を納めてくれる人たちが必要ですが、その数が減少するのですから、日本の年金の未来は、心配の種が花を咲かせそうです。 ・少子化の影響で、大学の経営が厳しくなることから、私立大学は授業料をアップせざるをえなくなり、廃校する大学も出てくるのが見えています。それ以外の学校も、姿を消す数が年ごとに増えていきます。 ・保険制度を維持して暮らしの安心を得るには、働き手を増やし、勤労意欲を高めることが大切です。日本人の学力が下がらないよう、見守る必要もあります。 <●変わりゆく農水産業の世界と、迫りくる「水」の問題> ・10年後の農業界は悲しすぎます。 後継者のいない農家がこの先どんどん増えると、スーパーマーケットに並ぶ生野菜は高値になります。耕作放棄地が増えれば増えるほど、私たちの食が危うくなるのです。 ・水産資源を見ても、海水の温度が上がるため、今までどおりとはいかなくなるかもしれません。来遊量の変動が、水産業界泣かせになるのがわかります。 ・人間は、ほかの生物とは違い、「揚げる、焼く、蒸す、煮る」などの調理法を手に入れています。味付けにもさまざまな工夫を凝らして食を楽しみます。食事の時間は、体と心がひとつになる喜びの時間です。 ・食文化が変わっても、食を楽しむ感性は忘れないでください。食の時間が喜びの時間になれば、心身が健やかさを増し、生きる力が湧いてきます。 <●米軍駐留費の負担割合は、今後も駐留国中でトップを独走> ・防衛費は6年連続で上昇し、過去最大を記録しました。国が税金をどう使っているのか。ひとりひとりが理解し、政治参加をすることが重要です。 <●日本経済を元気にする特効薬はどこにあるのか?> ・日本の借金総額はGDPの200パーセント超。まずは、これを自覚することがスタート地点です。武器輸出をする日本にだけはなってほしくありません。 <●川や山に手を加えたことが、地震の被害を大きくする?> ・2020年から56年後の2076年には、さらに変化していることでしょう。イスラム教徒の人々が日本に増え、日本人との結婚が進み、新しい文化が広がります。同時に、世界中のさまざまな文化が日本中に広がっていきそうです。 ・自然界が、自然界の理論でつくりあげた山や川は、人間が踏み込める領域ではありません。人間同士の絆や触れあいは、未来に向けて立て直しましょう。 <●人の手によって海岸が変貌し、砂浜が消滅の危機に瀕している> ・海岸の変化は、人間に多くのことを教えてくれます。海岸が変わることの意味をしっかりと心に刻んでおいてほしいのです。 <●ゲリラ豪雨には今後も要警戒、盆地では寒暖差がより激しくなる> ・過去に河川の氾濫に見まわれた平坦で低い土地にお住いの方は、今後、豪雨が降ったときの対策をお考えになってください。 ・国が指定した川が一級河川、都道府県が指名した川が二級河川です。日本に河川がどれだけあるのかはわかりませんが、ゲリラ豪雨がいつどこで発生して、河川を氾濫させてもおかしくない時期を迎えました。 ・雨による被害は、日本中のどこかで毎年、発生することでしょう。 ・過去に氾濫したことのある河川の近くや三角州に住んでいる人は、川の状況を調べて豪雨のときの備えをしてください。 <●温暖化や気候変動によって、地球が大きく変わろうとしている> ・森林が伐採され、熱帯雨林が消失しつつあります。砂漠化も深刻化しているのですが、日本人にはなかなか実感が湧きません。これからは気候の変動が長期化することでしょう。 生態系も、温暖化によって変化していくでしょう。 火山活動は活発になり、氷期が日本に到来する日も、遠い未来とはいえやってきます。 それより近未来に、小惑星が地球に衝突する日が、必ずくる気がしています。 地上からの観測で、直径1キロ以上の小惑星なら見つけられるといわれています。小惑星を発見してから、その軌道をなんらかの方法で変えることや、小惑星そのものを破壊することはできるかもしれませんが、地球に住む人々にとっては一大事です。 もしも小惑星が地球に衝突したら、日本列島は消滅します。地磁気の逆転も起きることでしょう。 (※)NASAによれば、直径500メートルの巨大小惑星「ベンヌ」が、2135年9月22日に地球に衝突する可能性があるという。 ・私たちは気づきはじめました。異常気象がもう異常気象ではなく、当たり前になりつつあることに、です。 今、私に見えるのは、時速240キロ以上の風が吹く光景です。地球が人類への警告を発しているかのようです。 中東は大雪に見まわれ、干ばつは深刻な食糧不足を生み、洪水は数千人規模の死者を出し、高温と小雨の地が増え、大地は揺れ、噴火の勢いは増していきます。けっして大げさではなく、このような世界がこれからもつづいていくのです。 温暖化は、休憩してくれそうにありません。温暖化を防止する方法はもちろんありますが、森林はこれからも減少します。森林が伐採された土壌からは二酸化炭素が発生して、温暖化を増進させます。 ・南極のオゾンホールは拡大をつづけています。日本でも、強い紫外線が原因となる病気が、これから深刻化すると思います。 皮膚がんが増加するでしょう。 白内障は、もはや高齢者の病気ではないので、若い世代も気をつけないといけません。 免疫力が低下し、ヘルペスや感染症も増えていきます。 これからの30年に、最も気をつけるべきは紫外線です。この紫外線は、植物プランクトンにも大きな影響を与えるため、海に生息する魚介類も変化していきます。 ・今の世に生まれてきた人たちが、何を感じ、何を学ぶかで未来が変わります。地球人として対策を考えていきたいものです。 <●地震大国・日本は今後も揺れる! 過去の事例から学ぶべきことは?> ・地震警報が鳴り響いた数秒後に、地震が発生します。数秒しかなくても、身の安全は確保できます。頭を守ることが基本です。火をとめるのは、身の安全を確保してからにしてください。避難時には、ブレーカーを落とすことを忘れずに。それと、車へ避難するのは、安全とは限らないことも覚えておいてください。 ・災害時の必須アイテムは、必ず用意しておきましょう。 ・大地震は同じようなパターンでくり返されます。だからこそ、過去の体験から学ぶことができるはずです。いつくるかと怯える前に、事前の備えをしっかりと。 <●海底の動きが活性化している! プレートの境界と活断層に要注意> ・地球を見ると、陸地だけではなく海底でも活動が強まっていることがわかります。 ・アメリカでは超大型ハリケーンが立てつづけに発生し、カリブ海沿岸地域は悲しみに包まれました。竜巻の数も多かったのです。 ・私たちの生活を脅かす自然災害。これからも油断は大敵です。 ・津波に襲われると、犠牲者の数が増えます。 今後、南海地震が発生すると、津波が心配です。紀伊半島沖から四国沖にかけての地域が気になっています。今後このあたりは、小さな地震でも注意が必要です。 高知県では、高さ18メートルの巨大津波が発生したことがあります。南海地震は2040年までに起きる、いえ、もう少し早くなったような気がしているのです。 日本海側も安心できません。 ・この数年、日本の夏は猛暑だったり冷夏だったりと、さまざまな顔を見せています。異常気象が当たり前になってしまいました。 偏西風の蛇行がもたらすものとは何でしょう。これからも自然災害はしばしば起こります。 光化学スモッグや集中豪雨にも気をつけねばなりません。 ・自然災害は、これからも油断大敵です「今、生きている」と自分に強くいい聞かせると、次に取るべき行動が見えてきます。 <世界を見ると日本が見える> <宗教、宗派、民族間の対立は、これからますます過激になる> ・洪水はあっという間に街をのみ込み、大津波は太平洋を越えて日本列島に到達するでしょう。大噴火は恐怖の音を轟かせて人々を襲い、台風やハリケーンは大型化し、竜巻は人家を天高く持ち上げるのです。 ・世界はふたたび戦乱の時代を迎えるかもしれません。宗教戦争の陰で闇の権力者たちが商売をはじめるでしょう。2100年にはイスラム教徒が最大勢力になります。 <アメリカ? 南シナ海において米中間の緊張が高まる> ・歴史をふり変えると、宗教が絡む戦争の多いこと。今後もこの問題はつづくでしょう。憎悪がむきだしにされたテロも多発します。これからの世界は、宗教戦争がさらに激化する時代を迎えるのです。悲しいことですが、宗教には戦争がつきものです。 <アメリカ? リーマンショックより大きな波がくる⁉> ・日本はこれからもアメリカに振り回されるのでしょう。そのなかで日本政府が税金をどう使うのかを国民がしっかり見ていないと、いずれわが身に返ってきます。 ・ローン問題、薬物依存症、貿易赤字……。 日本が巻き込まれて痛手を負うことのないよう、アメリカ経済の今後を注視して対策を講じるべきです。 <アメリカ? 西海岸の「沈み込み帯」で大地震が発生?> ・北米で大地震が起きると、日本を津波が直撃します。太平洋を横断して本州に到達。「まさか」という言葉は、もはや存在しない時代です。 ・アメリカの大災害は、日本にも大きな影響を与えます。大難を小難にするには、自然界や地球への感謝の気持ちを忘れずに。 <中国? 日米が「野望」にのみ込まれる?> ・近未来には中国系アメリカ人の大統領が出現しそう。尖閣諸島周辺からも目が話せません。国民の不満が高まりつつある中国の次の一手は? <中国? 習近平が目指すのは共産党の独裁政権> ・中国が、ますます自由のない国へと歩を進めようとしているのなら、一般国民には自由主義を見せてはいるものの、やはり共産党一色の独裁政権に染めあげることが、政府の目的であるように思います。 しかし、このまま共産主義がまかり通るとは思えません。 ・中国政府が監視の目を光らせるなか、それをかいくぐって新たな天安門事件が勃発?習近平は、アメリカの裏の力を断ち切れないでしょう。 <中国? 人民元とドルが結託して世界を変えていく> ・アメリカや東南アジアの国々に共産党という企業が手を伸ばしています。アメリカの大富豪たちは中国の国有企業と手を組むでしょう。 <中国? 人民元が国際通貨となる日が近づいている> ・習近平の狙いは、中国を世界の中央銀行にすること。巻き返しを狙うアメリカが、裏から人民元の地位を下げようとする可能性あり。 <中国? インタ―ネット時代の到来が一党支配を阻む> ・IT社会に生きる人々が毛沢東思想から離れていきます。習近平が毛沢東の神格化を推進しても、いずれは方向転換を余儀なくされるでしょう。 <ロシア? 平均寿命の短さと少子化が大きな課題> ・ロシアにおいては、平均寿命が最大の懸案事項です。現在の平均寿命は、男性が66歳、女性が77歳。 ・少子化対策を打ちだしたものの、ロシア経済は低迷が長引く気配あり。欧米が射程距離に入る核ミサイル開発の行方は? <ロシア? プーチン大統領の夢は地中海横断!> ・エリツィン大統領の代行をしてから約20年間、ロシア連邦を牛耳ってきました。プーチン大統領の夢は、ヨーロッパからアフリカまで連なっています。 <ロシア? 米中露の裏のつながりが世界を変える> ・人類は、戦争が好きな動物なのかもしれません。 人類の歴史が戦争で彩られているのを見ると、宗教とのアンバランスを感じずにはいられません。 革命という名の戦争であっても、「戦」という文字がついていれば、多くの命が奪われた証拠です。 ・私たちは、国同士の裏のつながりを見ることができませんが、表面だけを見ていると、時代から取り残されます。 ・ソ連とアメリカは裏でつながっていた?ロシアと中国は日米を意識した合同軍事演習を実施。表面だけを見ていると、時代から取り残されます。 <北朝鮮 国の未来を左右するのは闇の勢力か> ・私が感じることはひとつ。「今後、独裁国家は30年以内にすべて崩壊する」 このことに尽きます。 ・孤独を深める独裁者は、わが身だけを守るでしょう。損得勘定で動く闇の勢力が北朝鮮を変えていきます。日本が巻き添えになる可能性もあります。 <未来のための処方箋> <昭和をふり変えることで、日本人が失ったものを思いだせる> ・人類の歴史は、どのような困難でも乗り越えていく人間力のすごさにあふれています。昭和をふり返り、家族のあり方を見直してはどうでしょう。 <自分がどれだけ「不思議」かを知ると、見えない力が実感できる> ・これから先は何が起こっても、ご自分の不思議な底力を信じ、「地球にたったひとりしかいない自分」を自覚してお過ごしください。 あなたが体験することは、すべてあなたしかできない体験で、それこそが不思議な世界なのです。 人生は、終わりがくるまで「不思議」は詰まっているから、面白いのです。 ・地球上の生き物で「思考」を手に入れたのは人間だけ。この世にたったひとりしかいない自分の底力を自覚すれば、不思議な世界の扉が開きます。 <「生きたい」と思う気持ちが困難を乗り越える力となる> ・近未来には試練が待ち受けているとしても、日本の底力は、これからが見せどきです。未来の子供たちのためにも、笑顔の時間を増やしましょう。 <自分が本当は何がほしいのかをじっくりと考えてみる> ・1年なんて、あっと言う間です。生きているから、感じられることばかり。日々の暮らしに必要な消耗品と、私なら、眼鏡と原稿用紙と鉛筆と消しゴムがあればよいのです。音楽も、毎日ご苦労様といいたくなるくらい、聴きたいだけ聴いています。あとは健康なら十分。 ・本当に必要なものは意外と少ないはず。「ほしい、ほしい」という思いに振り回されるより、身近にある品物や自分を生かす食べ物に感謝を。 <今生きていることを喜ぶと、生きる力も運気も高まる> ・自分の運気をいちばん上げられるのは自分自身。人生には「今」というときしかありません。「今生きている」、このことを自覚して過ごしましょう。 『2050年の日本列島大予測』 36年後のニッポンを知れば2014年がわかる 佐藤優 監修 普遊舎 2014/1/17 <2050年までの日本と世界年表> <2019年3月 新国立競技場で建て替え完成> <2020年7月 東京で夏季オリンピックを開催> 11月 国際核融合実験炉(ITER)で、プラズマ実験を開始 12月 小惑星探査機「はやぶさ2」が地球に帰還 (2020年頃)ロシア、日本への天然ガス供給基地を極東に建設の計画 (春)東京オリンピックの開幕前に8K画質のテレビ放送を開始 (年度内)新東名高速道路の全区間が開通 ・首都圏3環状道路が、接続 ・中央リニア新幹線を一部試験開業 ・ゆりかもめを延伸 ・有明などの臨海エリアにスポーツ施設を新設 ・国際宇宙ステーションの運用が終了 ・中国が独自の宇宙ステーションを建設 ・日本のJAXAが「H3ロケット」を初打ち上げ ・新宿駅と駅前の大規模な改良工事が終了 <2021年3月 3・11東日本大震災から丸10年を迎え、期間限定の「復興庁」を廃止> (目処)インドの人口が14億人に達し、中国の人口を上回り世界一に(国連予測) (年度内)福島第一原発で、核燃料デブリの除去作業を開始(予定) <2022年6月 カタールでサッカー・ワールドカップを開催> (以降)在日米軍の沖縄・普天間基地を日本へ返還(辺野古基地への移転が前提) (年度内)ドイツが国内の原子力発電所を全廃 <2023年 (年度内)新名神高速道路の全区間が開通> <2025年(頃)世界の人口が80億人に達する(国連予測)> (頃)国際通貨体制が「ドル・ユーロ・人民元」で3極化する(世界銀行予測) ・中国が名目GDP値でアメリカを抜き、世界1位になる(ゴールドマン・サックス予測) ・大深度地下に新東京駅を建設し、羽田・成田空港と直通(浅草線短絡新線) (年度内)北陸新幹線を「金沢―敦賀」区間まで延伸 ・世界最高層ビルがUAEに完成 (以降)在日米軍の沖縄・牧港補給地区を日本へ返還 <2026年(年度内)渋谷駅と駅前の大規模改良工事が終了> (年度内)日本の人口が1億2000万人を割り込む(総務省予測) (目処)バルセロナの世界遺産「サクラダ・ファミリア」が完成 <2027年3月 国際核融合実験炉でD−T反応による核融合反応を開始> (年度内)中央リニア新幹線が開業 <2028年6月 日韓大陸棚協定が失効> (以降)在日米軍の沖縄・那覇港湾施設を日本へ返還 <2030年(頃)インドが名目GDP値で日本を抜き、世界3位になる(ゴールドマン・サックス予測)> <2035年(頃)「2030年代半ばに有人火星探査を行う」(アメリカ政府)> (年度内)北海道新幹線を「新函館――札幌」区間まで延伸 <2040年(頃)夏の北極海に氷がほとんどなくなる(米国立大気研究センター)> ・人類の夢、核融合炉は2040年の実用化を目指す! <2042年(年度内) 日本の65歳以上人口が最多期【3878万人】を迎え、約4割が高齢者に(総務省予測)> <2045年12月 セヴァストポリ軍港の駐留期間が終了> (頃)コンピューターの知能が全人類を超える(2045年問題) (年度内)中央リニア新幹線を延伸 <2047年7月 香港・特別行政区の設置期間が終了> <2048年(年度内)日本の人口が1億人を割り込む(総務省予測)> <2049年12月 マカオ・特別行政区の設置期間が終了> (年度内)昭和時代に生まれた者が全員60歳以上になり、平成生まれの60歳以上の「高齢者」が出現する <2050年12月 バイコヌール宇宙基地の租借期間が終了> (頃)・各国GDP予測「中国24.5/米国24.0/インド14.4/日本4.1兆ドル」(日本経団連) ・福島第一原発の廃炉作業を完了(予定) ・対策を取らなければ世界の水害被害総額は約98兆円に達する見込み ・日本では温暖化の影響による海面上昇の影響で、台風による高潮と満潮が重なると約4m水位が上昇、水没危機地帯が増す ・日本の再生可能エネルギー発電が占める割合が70%台に ・日本とトルコが同盟国となり、トルコで戦争が勃発、大戦へ発展(『100年予測』より) <「人口問題」が中国を押しつぶす ⁉> <新興国を襲う少子高齢化という病> <2050年にも残る一人っ子政策の影響> ・特に10億を超える人口を擁する中国が少子高齢化問題に直面した時のダメージとインパクトは並大抵ではない。 ・現在、中国の一人っ子政策は全土で規制緩和に向かっている。 ・スタートから30年あまり経った一人っ子政策は、中国に根づいてしまった。その政策の影で、二人目の子として生まれた子どもたちは黒孩子(クロヘイズ)と呼ばれる。 210年に中国国家統計局が行った人口調査では、戸籍を持たない人の数が1300万人に及び、その大半が黒孩子だったという。黒孩子は戸籍上存在しない事になっているため国民として認められておらず、学校教育や医療などの行政サービスを受けることができない。そのため、第2子を作ることは中国でタブー化してしまった。 <外国人労働者増で社会が変貌> <日本語は外国人労働者には最大の参入障壁となる> ・TPPが締結されれば、労働者も国家間を自由に移動できるようになる。その結果、2050年の日本には外国人労働者が大量に流入していると予想される。 <日本は大量の外国人労働者を受け入れることができるか?> ・少子高齢化で労働人口が減少し続ける日本は、海外労働者を受け入れなければ働き手もおらず、介護サービス、工場や建設はもちろん、税金などの収入減で社会保障も維持することが難しくなる。 企業の代表となる経団連は「多様な価値観・発想力による組織の活性化、国際競争力の観点からわが国の多くの企業にとって、グローバルな人材マーケットから優秀な人材を獲得することが急務」と提言。早くから海外労働者の受け入れには積極的な姿勢を見せている。 しかし、現在の日本の体制下で大量の外国人労働者を受け入れることは、経済・政治・文化においても大きな混乱を招くことが容易に予想できる。 ・外国人労働者は、家賃の安い住居を求めて、自然と交通インフラが整っている郊外に集中する。そして街の一角で同じ国や、同じ宗教同士が集まり、独自のコミュニティーを形成することが予想される。 地方自治体や継続的に郊外に住む少数の日本人移住者にとって、変貌する地域社会、経済環境、政治、文化、宗教、教育、犯罪などへの対策はこれからの懸念事項だ。 外国人が多い企業や地域では公用語も問題になる。それに対する抜本的な対策と対応は、当然のごとく国に判断を求めることになる。 2050年にもなれば、一時就労ビザで働く外国人と日本人間の子どもや、日本に帰化した外国人労働者の子どもなど、在日2世問題も多国籍化するだろう。と同時に、税金から社会保障、また保険の問題、そして参政権なども社会問題として浮上してくるはずだ。 <TPP締結で日本は破滅する? 母国なき富裕層と優秀人材の海外流出> ・高額課税を嫌い、ためらいなく母国を棄てる新富裕層、企業や研究所の冷遇を理由に外資系企業やアメリカの有名大学ラボに移籍する高度な知識を持った人材「富と知の海外流出」は、日本の損失でしかない。これを食い止めなければ2050年の日本は有力な武器を失っていることになる。 <低課税を求めて海外へ流出する新富裕層たちが止まらない> ・IT系や金融系事業の起業に成功し、若くして莫大な資産を手に入れた新富裕層たち、彼らの低税率の国々への移住に拍車がかかっている。たとえば、シンガポールは金融機関を通じた運用益は非課税。高所得税率は最大で26%と日本よりも低税率で、高所得者の得る恩恵は大きい。そのため日本からの移住者は年間1000人にも及ぶという。これは当然、日本に収まる税金が減ることを意味している。 <日本の食糧事情 未来はどうなる> <世界遺産になった“和食”は健在なのか> <マグロもウナギも庶民が食べられない幻の魚に> ・豊かな国が増えると魚介類消費も増えていく ・2013年12月、世界遺産に登録された「和食」。素材の味や食感を活かしたヘルシーで伝統的な料理が世界的にも認知された。しかし、この伝統ある和食の素材が、2050年にも現在と同じように入手できるとは限らない。なぜなら世界総人口の増加、次世代新興国の台頭が待ち受けているからである。 ・天然の魚が獲れなくなる!完全養殖技術で需要をカバー ・PM2.5が中国から飛来するようになった日本。2050年には深刻な大気汚染にさらされ、野菜や穀物を安心して食べられないかもしれない。その中国は自国の生産だけでは追いつかず輸入国として金にまかせて食料を買い漁っている。相次ぐ異常気象で世界的な食糧不足が起こった時に備えなければならない! <広大な作付面積が必要な穀物生産は自然環境が左右> ・多様性のなさが招く異常気象等の危機 ・穀物不足は世界的急騰を招く <牛や豚、鶏から野生害獣の肉が食卓の主役になる> ・野生の動物たちは農作物に多大な被害を与え、駆除が追いつかず繁殖するばかり、国もとうとう「鳥獣被害防止特措法」を改正し、広域で連携した駆除と、その肉の食用としての流通・食用にも本格的に乗り出した。シカやイノシシは身近な食肉になる日が来るだろうか? <田畑に深刻な被害をもたらす害獣を食肉として活用する> ・また、野生の獣害の肉を食用として流通させるためには、家畜よりも肉の衛生管理に気を配る必要がある。 <たんぱく質は昆虫と人工肉に> <地球の総人口を賄うだけの肉がない> ・食肉用の家畜として世界中で流通している牛や豚、鶏だが、動物性たんぱくとして品質は良いにしても同じものばかりを食べている状況は異様だ。日本ではあまり感じないかもしれないが、実は先進国でも、栄養不足人口は4200万人にも及び、世界では10億人以上が飢えている。後進国が新興国へのし上がれば、さらに多くの人々が肉を求める。そのニーズは家畜だけで賄えるのだろうか? <2050年は景気頂点の手前か> ・景気には上昇や下落を繰り返す一定のサイクルがあると言われている。その長期的なサイクルのひとつ「コンドラチェフの波」に従って日経平均株価の今後の流れを予想すると、2050年は景気のピーク直前に! <60年周期で繰り返される「コンドラチェフの波」> ・景気には特定周期で好景気と不景気を繰り返す波があると言われる。長期的なものではロシアの経済学者・コンドラチェフが1920年代に提唱した「コンドラチェフの波」と呼ばれる景気の循環理論があり、その周期は50〜60年程度とされている。この理論は初期産業革命当時から続いており、各時代で発明される技術や新産業などの発見・発展を伴うのも特徴だ。 ・古くは1890年頃「松方デフレ」が起こり、日本の株価は底値をつけた。 ・その後、日本の株価は上がり続け、バブル時代に突入、最高値をつけたのは、1950年の大底から約40年がたった1989年だった。ここを頂点に暗い時代に突入していく。そこから「失われた20年」と呼ばれる時代が到来。日経平均はバブル期の3万8915円から2009年には7054円まで下落、低迷期が続いたのだ。この2009年が前回の大、1950年から約60年にあたっている。 そして2013年12月の時点で日経平均株価は1万5000円台まで回復しており、上昇基調に転換した。 <2050年に日経平均がバブル期の最高値を更新する> ・「コンドラチェフの波が繰り返すなら、2009年の安値は、あとから振り返って見た時、大底になっているかもしれない」と指摘するアナリストも少なくない。ということは、今後の世界経済はこの大底から反発し、今後40年は上昇相場が続く可能性がある。実際、日本の株価や円の為替レートに大きな影響を及ぼすアメリカのダウ平均株価はひと足早く11月中頃以降、連日最高値更新を続けている。2050年は、前回の底から数えて約40年後だ。もし、前回の波動と同じく40年間上昇が続くならば、2050年頃が次のピークかもしれない。 ・この長期の波動は大底が前回よりも高いことから、バブル時代につけた日本株式史上の最高値である3万8915円を突破してくる可能性もある。この「コンドラチェフの波」が正しければ、次回の大底が来るのは60年後の2070年頃だ。 ・長期的に見れば、米国株と日本株は別のサイクルで動いている。過去20年間、NYダウは上昇波動、日経平均は下落波動という逆相関の動きが見られた。だが、2012年後半から日経平均も上昇転換した可能性が高い。 <改憲で軍事的役割が増す日本の未来> <安倍政権は改憲で日本の歴史に名を残すのか?> <国民投票は国際感情を考慮 東京オリンピック後に実施 ⁉> ・だが、今回の改憲にもアメリカの意志は働いていないのだろうか? 地政学者でアメリカの戦略を読み解く奥山真司氏によれば、 「僕が聞いている範囲では、強く関与している様子はありません。もちろん、アメリカの一部の政治家には“日本はいつも9条を言い訳にしている”という不満があり、改憲させたい人もいるようです」と言う。 国際的な圧力の前では憲法9条の解釈など念じ曲げられ、たとえば世界的な有事となった時は、日本も「平和憲法」をタテに逃げられなくなるのだ。 実際、日本は憲法9条を国際情勢や外圧によって解釈を都度変えてきた。自衛隊が海外へ派遣されたPKOなどもそのひとつだ。金を出すだけで済まない時代になっていることを反映している。 ・2050年、人々はこの政権をどう評価しているのか。私たちは現在、日本が変わる時代の分岐点を目撃しようとしているのだ。 <集団的自衛権で地球の裏で血を流す日本軍> <国際平和に貢献する血を流す時代に即した改憲> ・改憲後に集団的自衛権が発動されると、自衛隊は「国防軍」として友好国や国連軍や多国籍軍と共に戦うようになる。これまでは平和維持活動が主な役割だったが、日本人が他国のために海外で戦って血を流す日がくるのだ。 <2050年の大国と日本の関係性> <債務超過に苦しむアメリカ> ・日本と関係の強いアメリカでも人口減少と社会保障費の増大による問題が拡大中だ。議会は財支出を巡って激突、債務不履行(デフォルト)直前で回避した。しかし「シェールガス革命」が2020年以降にアメリカを復活させるかもしれない。 <米国の赤字は2020年の中盤以降に急増する> ・2013年9月に開催されたアメリカ議会では、予算の成立と債務上限の引き上げを巡り、茶会党(ティーパーティ)と呼ばれる強硬派が財政支出の増加を嫌い、法案成立に強硬に反対。危うくアメリカ国債が債務不履行(デフォルト)に陥る寸前だった。結果的にデフォルトは免れたが、同国の債務拡大問題が消えたわけではない。 ・危ないのは現在だけではない。2013年9月、アメリカ議会予算局(CBO)は、自国が25年以内に経済的な破滅に直面する可能性を報告している。 <アメリカも少子高齢化の問題を抱えている> ・アメリカ債務の拡大が懸念されるのが、2020年代中盤以降。1945年から1959年までに生まれたベビーブーマー世代が引退し、社会保障費用が経済成長を上回ると、社会保障費の削減や増税を行わない限り、財政が急激に逼迫する。アメリカ国債の価格が急落し、利回りがジャンク債並みに高騰すると、同国の経済活動が麻痺する可能性が高い。 <2020年以降にアメリカは復活する ⁉> ・IEA(国際エネルギー機関)によると、アメリカのエネルギー生産量は、2020年から2020年半ばにかけて、サウジアラビアを抜いて世界1位になり、2030年頃にアメリカ産石油は輸出に転じ、2035年頃にはエネルギー自給率がほぼ100%に達するという。 <中東で2050年までに大戦勃発?―—日本の原油輸入先が集中する地域の安全度> <イスラエルを中心に中東の闘争は止まらず> <これまで何度も戦争の起こった中東はなぜいつも不安定なのか> ・中東は過去も現在も、常に国対国の戦争が勃発する火種がくすぶっている場所だ。それは2050年の未来でも同じなのだろうか。答えを探すには、まず現在の中東が抱えている問題点を見てみよう。 何より重要なのは中東の国々が原油産出国であり、世界中に輸出しているということだ。 ・もうひとつは、中東の国々の大半がイスラム教徒勢力で、キリスト教と真っ向から対立する構図があること。 ・「アメリカ国内でも、ユダヤ系の人々の発言力は強いんです。富裕層も多く、ステータスの高い人が多い。政治にも深く関与しています。彼らはイスラエルのロビー活動どころか、議員に代わって法案の起案や草案を手がけることも珍しくなく、アメリカの内部に潜り込んでいます。そのためアメリカはイスラエルに関与せざるを得ないわけです」 <2050年、地球温暖化は世界の勢力図を塗り替える> ・2050年にネクスト・イレブンの役割を引き継ぐのは、人口が多く巨大マーケットとしての潜在力を秘めるアフリカか?それとも独自の価値観を社会で実践し、共有している北欧諸国か?温暖化が穀倉地帯の大規模な北方移動を引き起こし、新たな勢力の台頭を生むことが確実視されているが、日本はどう関係を結んでいくべきなのだろうか? <温暖化進行で2050年は悪夢の世界> <各地の沿岸部が水没して世界地図が形を変える> <2050年までに地球温暖化による海面上昇は確実に日本を脅かす> ・地球温暖化は、気温上昇だけが問題ではない。近年、世界の海面は年平均約3mmのペースで上昇している。そこにモンスター台風・ハリケーンなどの異常気象が重なり、高潮などによる浸水の危険が世界の都市を脅かしている。 <上方修正された海面上昇予測対策コストをまかなえるのか> ・「今世紀末までの世界平均海面水位の上昇は最大82?」と予想。 ・2014年から2050年までの海面上昇は最大約30?程度となることが研究から明らかになっている。 ・たかだか数十?とあなどってはいけない。海面が30?上昇するだけで日本全国の砂浜の56%、1mなら90%が侵食される。日本の平野部には河川の水面より低いゼロメートル地帯も多い。東京や名古屋、大阪などの大都市もそんな場所だ。周囲を海に囲まれた日本では、海面上昇により海水は河川を遡っていく危険性も高い。 ・また、温暖化で海面水温が上昇すると台風やハリケーンの中心気圧(単位:ヘクトパスカル)はより低くなり、海面を吸い上げる力が強くなって高潮が発生。さらに強風が加わると高潮による浸水被害はより甚大なものとなる。2013年の11月にフィリピンを直撃した超大型で強い勢力の台風30号がレイテ島を壊滅状態にしたのも記憶に新しいが、高潮は時に津波級の被害をもたらすのだ。超大型台風もまた、温暖化による異常気象のひとつと言われていることを忘れてはならない。 <津波対策だけではなく高潮対策も急務となる> ・高潮を防ごうとすれば、1mの水位上昇に対し、必要な護岸のかさ上げは2m80?〜3m50?程度になる。その建設費用は、全国の港湾施設とそこに隣接する海岸構造物だけでも11兆5000億円と試算されている。それ以外の海岸や河川河口部の堤防や下水道なども含めた巨額の費用をまかなう財政的余力が、少子高齢化の進んだ2050年の日本にあるのか? ・「2050年の地球は海岸線が後退し、いくつもの島が海に沈み、世界地図の陸地は小さくなって形も現在に比べて歪んでいるかもしれない」 <北極海の氷が溶けて欧州への最短航路が開通> ・温暖化の脅威を訴える科学者たちの予想を上回るペースで北極海の氷が溶け出した。確かに温暖化は脅威であり、トータルでは負の面が大きいが、それだけでもない。北極海航路の開通はプラス側面のひとつだ。 ・2050年の北極海は海氷が消え、青い海原が広がっているかもしれない。 <北極海の海底に埋蔵される化石燃料獲得競争も加速中> ・北極海には世界の未発掘の石油資源の25%、天然ガス資源の30%が集中している。 <文明興亡 影の主役は気候変動> <古代文明が消えた理由> ・気候変動は、人為的なものだけではない。過去には、自然起源の気候変動が、いくつもの文明の興亡を左右してきた。メソポタミア、エジプト、マヤ文明もまたその例だ。そして現代、CO₂を排出し続け、自然環境を破壊してきた人類は自らの手で地球的な環境を変えてしまった。現代文明も重大な岐路に差し掛かっているのかもしれない。 <水や食糧を巡る紛争> ・現在の環境を大きく変える気候変動が、エネルギー、食糧、水などの自然資源への渇望を引き起こし、軍事衝突の引き金になる可能性を示したのだ。 <人類の活動が気候変動予測をさらに困難にする> ・現代世界は、集約化した農業によって70億を突破した膨大な人口を養い、沿岸部に都市を集積させ、かつてない脆弱性を抱えている。 <潜在的資源と技術力が未来を切り開く> <海底資源の発掘で日本はアラブになれるのか?> <日本の排他的経済水域に眠るメタンハイドレートは100年分> ・アメリカを中心とするシェールガスや日本近海に埋もれるメタンハイドレートは日本の新たなベースエネルギーになりえるだろうか? <資源輸出国への転身> <海洋国家ならではの海底に眠れる資源5000万トン> ・日本近海には、海底熱水鉱床やコバルトリッチクラストなどのレアアースが存在する。採掘できれば、輸入に頼らなくても済み、日本の製造業にはこれ以上ない追い風で、資源輸出への期待も膨らむ。 <近い将来、必ず訪れる日本の大災害> <南海トラフ大地震と富士山噴火に立ち向かう術> <東日本大震災の10倍をこえる被害が発生する> ・これまでの地震発生周期や、南海トラフと駿河トラフという2つのプレートの状態から推定して、いつ発生してもおかしくない状況であると多くの専門家や研究者から指摘され、政府の検討会でも認められている。 ・30年以内にM8〜9クラスの地震が発生する確率は60〜70%であるという。その被害額は220兆円を超えると、内閣府の専門作業部会が発表している。これは東日本大震災の10倍を超える金額だ。 <首都圏を襲う世界遺産の富士山大噴火の被害> ・世界遺産に登録され、名実ともに世界有数の山となった富士山は活火山であり、近い将来に大規模な噴火が予測されている。 <避けては通れない南海トラフ大地震> ・その中で一番の問題は南海トラフ大地震。これは避けては通ることができない。必ず何年かに来るでしょう。被害状況は220兆円くらいになると試算されていますが、これが起これば、世界恐慌を引き起こす恐れがある。日本はアメリカ国債を多く持っていますが、株価や為替の大暴落によって日本経済が破綻寸前になれば、売らざるを得なくなる。そうなると当然、アメリカ経済にも大きな影響があり、それが世界各国に飛び火して、最終的には世界的なパニックになってしまう。それが南海トラフが引き起こす、大きな経済的リスクです。 『天変地異の超暗号』 フォトンベルト+日月神示 岡田光興 徳間書店 2005/3/31 <地球は「超激変の時代」に突入した!> ・「天変地異」、この言葉が昨年2004年ほど人々の脳裏に深く刻み込まれた年は過去になかったのではないだろうか。大地震、津波、火山噴火、洪水そして台風と想像しうる限りの自然災害が2004年私たちに襲いかかった。そして2004年の自然災害の中で世界的に私たちに衝撃を与えたのは、何といっても暮れも押し迫った12月26日に発生したインドネシアのスマトラ島沖大地震・津波であろう。地球の自転速度を狂わすほどのマグニチュード9.0という超巨大地震と最高35メートルにも達した殺人津波の脅威は、まさに天変地異と言う言葉にふさわしい自然災害であった。 <震度7を計測した新潟中越地震が残した教訓とは?> ・一方日本においては昨年2004年の10月23日に、1995年の阪神大震災以来の最大震度7の激震が、日本の原風景を残す新潟中越地方を襲った。余震は阪神大震災の時とは比較にならないほど多く、またその揺れも大きかった。 <首都直下型大地震の経済的損失は国家予算の1.4倍の112兆円!> ・東海地震の想定震源域の真上にある中部電力浜岡原発について、「東海地震で大事故が起きれば、首都圏まで放射能が達する」と訴えた。 ・東海・東南海・南海の3つの巨大地震が同時発生した場合には、午後5時にM8.7の地震が発生した想定で、約2万8300人の死傷者がでる可能性があるとしている。そして遠州灘、紀伊半島、四国の太平洋岸に5〜10メートル。高知県の一部には10メートル以上の津波が襲来すると予測している。 <フォトンベルトは人類覚醒の「光の洗礼」だった!> ・「銀河の中心」から放出される素粒子と波動的属性を持つフォトン(光子)の広大な流れであるフォトンベルト。地球を含む太陽系は、プレアデスの中心星アルシオネを中心とする楕円軌道を2万6000年周期でまわりながら、1万1000年ごとに2000年間だけフォトンベルトの中に入る。そして今地球はフォトンベルトに突入しようとしているのだ。 ・そしてフォトンベルトは、さらに人類に「光の覚醒」への高次元エネルギーをもたらす。その結果人類は火山噴火などの「火の洗礼」、そして津波や洪水などの「水の洗礼」の次にやって来る、フォトンベルトという「光の洗礼」を体験することになるのだ。それは岡本天明に天授された「日月神示」にも示されており、「日月神示」とはその意味で「フォトンベルト神示」であったのだ! <「日月神示」に予言されていたスマトラ島沖大地震、新潟中越地震!> ・さらに驚くべきことには、「日月神示」には、ある場所では明確にまたある場所では「暗号」的に、今回発生したスマトラ島沖大地震そして新潟中越地震の発生がその時期や様相として予言されていたのである。このことから考えても昨年2004年は、これから2012年に至る「天変地異の超暗号」が秘められた最重要の年であったことは間違いないと思われるのだ。人類が「光の世」、「光の時代」へ転位(アセンション)するまで、あとわずか7年余りなのである! <「日月神示」には、次のようなスマトラ島沖大地震・津波を暗示する神示があります。> 「一日に十万人、人死に出したら神の世がいよいよ近づいたのだから、よく世界のこと見て皆に知らしてくれよ」 「一日に十万の人死ぬ時来たぞ、世界中のことだから、気を大きく持ちいてくれよ」 「世界の片端浜辺からいよいよ始まると知らしてあることを近うなりたぞよ」 「龍宮の乙姫殿、岩の神殿、荒の神殿、世界のカタハシ(片端)から愈々(いよいよ)に取り掛りなされているのだから、世界の出来事気付けて、早う改心結構ぞ」 「世界の片端、浜辺からいよいよが起こってきたぞ、夜明け近づいたぞ」 「神示見て居らぬとびっくりが出てくるぞ。この世始ってないことが出てくるのぢゃ、世界の片はし八(は)まべからぞ。判りたか」 「海の津波気をつけて呉れ、前に知らしてやるぞ」 「地(くに)つちの軸動くぞ」 「南の島に埋めてある宝を御用に使う時近づいたぞ。お土の上がり下がりある時近づいたぞ」 ・これらの神示はまさに「スマトラ島沖大地震・大津波」のことを指摘していると思われる。確かにスマトラ島沖大地震・大津波では30万人以上の方が亡くなった。また日本から見ても世界の片端の浜辺で未曾有のM9という巨大地震と大津波が現実に起こった。地球の地軸も先述のようにその自転速度を変えた。 <「日月神示」の中には、来るべき人類未曾有鵜の危機的状況が示されていると共に、一方で私たち人類の救済すなわち「光の世」の到来について、フォトンベルトとも関連する次のような神示があります。> 「この方に任せておきなされ、一切心配なくこの方の申す様にしておりて見なされ、大舟に乗って居なされ、光の岸に見事つけて喜ばしてやるぞ。何処に居ても助けてやるぞ」 「新しき神の世となるのだから、神々にも見当取れん光の世となるのだぞ」 「今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民としてよみがえらす仕組、心得なされよ、神様でさえ、この事判らん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ」 「世の元の神の仕組の現はれて三千世界光り輝く、あなさやけ」 「神の国光りて目あけて見れんことになるのだぞ、臣民の身体からも光が出るのだぞ」 「神の国と申すものは光の国、よろこびの世であるぞ」 「世変りたら生命長くなるぞ」 「世建替へて広き光の世と致すのじゃ」 <日本の東海・東南海・南海地震による津波被害は?> ・この地震と甚大な被害状況は、日本においてはその発生が予想されている東海、東南海、南海地震による津波被害を想像させるものであり、私たちにとって決して対岸の火事として見逃すことのできない被害であると考えられる。 「津波」という言葉さえ知らない人が多かった今回のインド洋大津波の被災国と違い、日本は過去多くの津波による被害を経験してきた。 1771年(明和8年)の「八重山地震津波」(M7.4)では、日本で最も大きな津波が発生し、約85メートルの高さに達し、山岳地帯を残し島全体が海中に没し、溺死者が約1万2000人にのぼったとされている。また、1896年(明治29年)の「明治三陸地震津波」(M8.5)では、三陸海岸の陵里で地震後約35分で波高38メートルの津波が押し寄せ、2万1000人を超える死者を出した。また1933年(昭和8年)の「昭和三陸地震津波」(M8.1)でも、同じ陵里で約29メートルの津波が到来し、死者約3000人の被害となった。 ・1923年(大正12年)の「関東大震災」(M7.9)(死者行方不明者約14万人)でも、津波が太平洋沿岸部に襲来し、熱海では12メートル、三浦半島の三崎で6メートル、相浜で9メートル、洲ノ崎で8メートルに達した。 ・また1960年(昭和35年)5月23日の「チリ地震津波」(M9.5)(死者5700人)は、地球の反対側のチリ沖で発生した津波が、1万6000キロメートルの海路を22時間かかって伝搬し、三陸海岸で5〜6メートルの波高となり、死者行方不明者142名の津波被害となった。東京湾内でも、東京70、川崎73、横浜74、木更津110センチメートルの津波が襲来した。 ちなみに記録に残る世界最大の津波は、1958年にアラスカで発生した地震により、アラスカのリツヤ湾でフィヨルド地形が崩壊した時に発生したものとされ、その高さは私たちの想像をはるかに超える500メートルの高さであったとされている。 ・今回のスマトラ島沖大津波によって新たに注目されることになったのが、前回の発生からすでに60年を経過し、今後30年以内にその発生確率がそれぞれ、50%、40%とされる「東南海地震」(1944年12月7日/M7.9)、「南海地震」(1946年12月21日/M8.0)である。これらの地震はいずれも太平洋岸に多大な津波被害をもたらした。 ・最近の研究によれば、明治以降過去11回震度7クラスの地震があったとされている。 <地震計測器で初めて観測された「新潟中越地震」震度7の恐怖!> ・2004年10月23日。1995年の阪神大震災から10年目の出来事だった。この日は日本全体、特に新潟県の人々には忘れることのできない悲劇の日となった。午後5時56分、新潟県中越地方をM6.8の内陸直下型地震が襲い、その影響は、東北、北陸そして関東にまで及び、震源に近い北魚沼郡川口町では、計測器では初めての震度7を観測した(阪神大震災は推定震度7)。 ・震度7は、地震によるある場所での揺れを表す震度10階級の中でも最も強い揺れである。 <新幹線の安全神話が崩壊した!> ・今回の地震では、1964年の開業以来、乗客の無事故が続いていた新幹線で史上初の脱線事故が発生した。 <ライフライン麻痺と土砂崩れによる住民の避難と孤立> ・また山間部に位置し土砂崩れと道路の崩落、ライフラインの寸断で住民の大部分が孤立した旧・山古志村では、村長以下全村民約2200人が2日かけて長岡市に避難することになった。 <「フォッサマグナ」上で発生した「新潟中越地震」> ・「活断層」とは、少なくとも最近数十万年の間に繰り返し動いており、これからも動くと考えられる断層のことを指すが、スマトラ島沖大地震や関東大震災など、海底を震源とする「海溝型」の巨大地震とはその性質を異にしている。発生感覚も、直下型が時には数千年単位なのに比べて、海溝型は100年単位とその間隔が短い。全国には直下型地震を引き起こす活断層が約2000あり、活断層が複数集まった活断層帯は約260存在するという。 海溝型の宮城県沖地震の30年以内の発生確率は99%で、東南海地震は50%であり、それらに比較して、今回の震源の断層ではなかったが、長岡平野縁断層帯の2%はかなり低いように感じられるが、阪神大震災を引き起こした野島断層も、震災直前の30年以内の発生確率は0.4〜8%に過ぎなかった。 <東京直下型地震の被害想定は112兆円!> ・2005年2月25日、政府の中央防災会議の専門調査会である「首都直下地震対策専門調査会」は、首都直下で大地震が起きた場合に、最悪のケースで死者1万3000人、経済的被害は約112兆円になるという被害想定の最終報告をまとめた。 ・報告によれば、最大で700万人の避難者が予想され、帰宅困難者も650万人(うち都内で390万人)、負傷者は全体で21万人にのぼるという。ライフラインの被害も甚大で、1100万人が断水に見舞われ、下水道機能支障は45万人、停電は160万軒に及ぶとされる。固定電話不通は110万回線、ガス供給停止は120万軒で、高速道路にも中小700ヵ所の被害が生じ、一般道も大被害を生じるという。 <東京は災害リスク世界ナンバーワン!> ・2005年1月11日には、世界最大手の再保険会社(災害時などに保管会社が支払いきれない保険金を引き受ける保険会社)のミュンヘン再保険(ドイツ)が、「メガシティ・メガリスク」という79ページにわたるレポートの中で世界の巨大都市の災害リスクを公表した。 その中で日本の首都東京・横浜のリスク指数は710で群を抜いて1位となっている。 以下サンフランシスコ167、ロスアンゼルス100、大阪・神戸・京都92、マイアミ45、ニューヨーク42、香港41、マニラ31、ロンドン30、パリ25、シカゴ20、メキシコシティー19、ソウル・仁川15、北京15、上海13、モスクワ11、フランクフルト9.5、シドニー6、ブエノスアイレス4.2、ヨハネスブルグ3.9、カイロ1.8、デリー1.5と続く。 ・このリスク指数は災害、脆弱性、経済的重要性の3要素から算出されており、この3要素から分析すると首都東京の現在の状況が浮かび上がってくるのである。 つまり政治経済の一極集中都市である東京は、日本のGDPの実に40%を占め、さらに過去のデータからも災害に非常に見舞われやすい都市であり、長期的展望のない首都圏への人口集中がそれらの危険性に拍車をかけている。言わばリスク分散型思考からはかけ離れた、一極集中型思考の現実化した都市なのである。 この傾向の利点を最大に享受し続けてきた首都東京にも、その評価に急速に変化が見られていると考えられる。 ・ただし、今回の首都直下型地震の被害想定には、その被害想定の甘さを指摘する声も多い。例えば、建物の全壊率、出火率、死者数などは、過去の地震のデータから算出しており、それが江東区や江戸川区、墨田区などの地盤の軟弱な東京にそのまま当てはまるとは限らない。 <地球は「超激変の時代」に突入した!> ・私たちはもはや「天災多発列島日本」に住んでいる限り、「天変地異」から安全な場所は存在しないという現実が、目の前に突きつけられたと言っても過言ではないと思われる。 <3000人の霊覚者たちよ! 人類覚醒に立ち上がれ!> ・「日月神示」という稀有の神書が世に出で60年を過ぎ、地球規模の未曾有の異常現象が多発し、またフォトンベルトという宇宙の彼方からの「光の洗礼」が話題になっている現在、私たちにとって急務は、「光の覚醒」に向けて私たちの意識を、ネガティブな方向からポジティブな光の方向へと、常に向け続けることではないだろうか。 そのような意識の方向性を持ち続けることで、まさに現在の大激変期に私たちが生きていることも、すべて人類に霊的な覚醒を促す大いなる神のおはからいであると、理解されるのではないだろうか。 「日月神示」には次のような「光の覚醒」についての神示が存在する。 「ものの調和が判れば、正しき霊覚が生まれるぞ。神の姿がうつってくるぞ」 ・すなわち、安易な「霊がかり」を戒めつつ、「正しき光の霊覚」を持ち「神の姿」を自己の中に映す、「光の霊覚者」の出現を予言しているのだ。そしてそのためには、「ものの調和」すなわち大宇宙の摂理と法則に即した、霊的調和と統一の必要性を説いている。 ・以上の神示を総合的に解釈すると、この世の大転換期に遭遇している私たち人類に求められていることは、人類が次なる神霊的次元、言い換えれば「光の世」に「転位」するために、「3000人の光の霊覚者の結集」が急務であるということではないかと考えられるのだ。 すなわち、1人の力ではなく「人類覚醒のためのユニヴァーサルな光の霊覚者のネットワーク」の構築が今、求められているのではないだろうか。 <「真中の地」の御用とは?> ・また、大本でもたびたび強調されている「美濃尾張の仕組み・御用」について、かつて岡本天明と北伊勢至恩郷の神業を行なった武智時三郎は、「神代より流れ尽きせぬ長良川 美濃尾張経て伊勢に入るかも」という神歌を作ったと言われている。さらに大本の出口王仁三郎聖師も「霊界物語」で美濃尾張から真の救世主(変性女子)の出現を予言している。 ・以上の神示から、「日月神示」における「尾張の仕組み・御用」は、神の御経綸の「奥の奥」とされる神幽現三界の大立替立直しの「真釣りの御用」、すなわち新たなる次元での統合に係わるものであり、それは「光の世」「半霊半物質の世界」への「転位」に関する重大な仕組みであると考えられる。 <これからの時代現象を読む!> ・そしてその意味で「日月神示」は、現代社会という写し鏡に映った神意を読み解く重大な手がかりが隠されている神書なのだ。 ここで、私が現在考えている「これからの時代潮流」について参考となる事項を提示しておきたい。 1. 時間が加速化しているためなのか、時代の様相が「激変」から「超激変」に変わっている。それは現実的には「カリスマの失墜」であったり、「時代の寵児」の出現、あるいは巨大な社会システムの崩壊などであるだろう。 2. 共時性現象がますます多発化する。 3. 価値を含めた物質、精神面の両極化が益々進んでいくものと考える。 4. 物を食べると指先に形を感じる、人に会うとその人の独特の匂いを感じる、音を聴くと色が見えるなど、いわゆる「共感覚」(シネスシージア)を持つ人が増加する。 5. 日本の「祖型国家」としての使命が、2012年、2013年までにより高まっていく。 6. 文字通り「光の子どもたち」が出現し、まず母親がその子供たちの影響を受け始める。 7. 「激変」から「超激変」の時代の到来の鍵を握るのは、「超際性」ということである。あらゆるものの境界を越えていく力が社会の中に満ちてくると、既存のシステムや組織、既成概念が自然に崩壊していき、新たなシステム等が創造される。 8. いわゆる「神磁場」「光の磁場」における祈りの重要性が再認識されると考えられる。 9. 新たなる次元での「共同体」の発想に注目が集まると考えられる。 <「100匹目の猿的覚醒」から「オセロ的覚醒」へ!> ・さらにそれらの「光の覚醒者」たちがさらなる「裏が表になるオセロゲーム的覚醒システム」によって、全人類を「光の世」へと導いてくれるのだと考えられるのである。この人類覚醒に必要とされる「光の霊覚者」の人数は「3000人」あるいは「5000人」であると、「日月神示」には示されている。 <「裏が表になる時代」> ・2001年以降、時代が世紀末を超え新たなる「超激変の時代」を迎え、「日月神示」に予言されていたことが、次々に「裏が表になる時代」の到来により社会現象化してきた。 ・実際、6月以来日本列島を10個の台風が続けざまに日本列島を襲い、昨年前著『フォトンベルトと日月神示』の出版日の8月31日の翌日9月1日に浅間山が噴火し、6日後の9月5日には紀伊半島沖地震が発生した。そして本文でも述べたように、新潟中越地震をめぐる「日月神示」の予言とその天授者岡本天明との驚愕の共時性、そして世界史を揺るがしたスマトラ島沖大地震・津波に対する「日月神示」の予言、これらはすべて「超激変の時代」の先のヴィジョンを私たちに提示しているのである。 ・今回は「日月神示」とフォトンベルトを分析することで、私たちにさまざまな警鐘とメッセージを投げかける、「天変地異」の多次元的解釈を中心として執筆した。しかし紙面と時間の都合で、「日月神示」に示され、フォトンベルト情報とも共通する「光の覚醒」の実相、そして「人類の神化」という、今後の人類における重大なテーマについては残念ながら簡略にしか触れることができなった。いずれ機会を改めて詳述するつもりである。 <●●インターネット情報から●●> ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から引用。 (日月神示) 日月神示(ひつきしんじ、ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊よる神示を自動書記によって記述したとされる文書である。 原文はほとんどが漢数字、独特の記号、そして、若干のかな文字の混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」も有る。本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられていると主張する「巻」が13巻有り、天明は、この未発表のものについて「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります。」と昭和36年に語っている。 日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初はほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や自身を霊能者する者の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典(1917年(大正6年)11月9日 - 2009年(平成21年)6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたといわれている。 しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的である。そのために、仮訳という副題を添えての発表もあった。 『2011年からの正しい生き方』 天災、人災などの大激変が予想される今後数年間の対処法が分かった 船井幸雄 ヒカルランド 2011/1/10 <11月15日の私の発信文「日本の社会、経済はこうなりそうだ」> ・長年、経営コンサルタントと経営者を業としてきましたので私は、未来予測はもとより、もっとも難しいはずの近未来予測も上手なほうだと思います。それらは、400冊を超える拙著を調べますと90数%以上の確率で当たっていることからでも分かります。 <景気はよくならず資本主義は崩れざるをえないだろう> ・私は、経営の専門家です。大きな社会予測、経済予測を含めて過去40年以上も90数%は未来予測を当ててきました。というより、ほとんど外しませんでした。 ・それは400冊余の私の著書を調べてもらいますとよくお分りいただけると思います。なぜなら、近未来が正しく分からないと経営コンサルタントの仕事などできないからです。 <「東京壊滅説」が波紋を呼んでしまった。本音が伝わる「ミロクの世」へ> ・さて、2010年の7月と8月に私は、自分のホームページ上で、いささかショッキングな記事「東京壊滅説」を書きました。複数の情報源から入ってきたので、これは伝えておかなければいけないな、と思って書いたのですが、波紋を呼んでしまったようです。 ・実際には恐れたようなことが起きなかったのは幸いです。しかし、聖書の暗号や日月神示に照らし合わせても近未来予測としては東京に災難が起きる可能性を否定することはできません。 ・「東京壊滅説」をあえて書いた根拠としては船瀬俊介さんの「東京の超高層ビルに巨大地震が起こったら」と題するレポートがありました。船瀬さんは、巨大地震のさいに予想される液状化現象が首都圏のビルを襲うとどうなるのかをシミュレーションしています。 ・日月神示で思いだすのは、「江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ」 「江戸は人民すめん様な時が一度は来るぞ」「江戸と申すのは東京ばかりでないぞ。今のような都会みなエド(穢土)であるぞ。江戸はどうしても火の海ぞ」という警告があることです。 ・コルマンインデックスの研究家である高島安司さんは、最初は東京がぺしゃんこのようなところまで落ちて、それから立ち上がるだろう、との予測をしていたようです。 ・彼によりますと資本主義システムのように壊れるものは壊れるが、新たな自律的自給自足経済圏のようなものがあちこちに立ち上がることで、上手に破壊と再生が入れ替わるという結論に至ったと言っています。 『魂でもいいから、そばにいて』 3・11後の霊体験を聞く 奥野修司 新潮社 2017/2/28 <旅立ちの準備> ・死者・行方不明者1万8千人余を出した東日本大震災。その被災地で、不思議な体験が語られていると聞いたのはいつのことだったのだろう。多くの人の胸に秘められながら、口から口へと伝えられてきたそれは、大切な「亡き人との再会」ともいえる体験だった。同時にそれは、亡き人から生者へのメッセージともいえた。 津波で流されたはずの祖母が、あの朝、出かけたときの服装のままで縁側に座って微笑んでいた。夢の中であの人にハグされると体温まで伝わってきてうれしい。亡くなったあの人の形態に電話をしたら、あの人の声が聞こえてきた。悲しんでいたら、津波で逝ったあの子のおもちゃが音をたてて動いた……。 ・事実であるかもしれないし、事実でないかもしれないが、確実なのは、不思議な体験をした当事者にとって、それは「事実」であるということである。 東日本大震災の2年後から、僕は毎月のように被災地に通いつづけた。なにやらそうしないといけないような気がして、まるで仕事にでも出かけるかのように通った。ボランティアではない。もちろん物見遊山ではない。それは霊体験ともいえる。きわめて不思議な体験をした人から話を聞くことだった。 <お迎え率> ・「お迎え率って知らねえだろ。うちの患者さんの42%がお迎えを経験してるんだ。お迎えを知らねえ医者は医者じゃねえよ」 ・今から千年以上も前に、天台宗の僧・源信を中心とした結社が比叡山にあった。彼らは亡くなっていく仲間の耳元で、今何が見えるかと囁き、末期の言葉を書き留めたという。死ぬ直前に極楽か地獄を見ているはずだから、最初に何を見たか、死に逝く人は看取る人に言い残すことを約束したのである。このとき何かを見たとすれば「お迎え」に違いない。千年も前からお迎えがあったなら、お迎えは特殊な現象ではなく、人が死んでいく過程で起こる自然現象と考えたほうがいいのではないか。そんな思いを、このとき僕は岡部さんとはじめて共有できたのだ。 ・お迎えの話に導かれるように耳に入ってきたのが被災地に「幽霊譚」だった。 実際、僕が聞いた話にこんなものがある。たとえばタクシーの運転手だ。 「古川駅(宮城県)から陸前高田(岩手県)の病院まで客を乗せたんだが、着いたところには土台しか残っていなかった。お客さん!と振り返ったら誰も乗っていなかったんだよ」 仙台のある内装業者は、一緒に食事をしたときにふっとこんな話を漏らした。 「震災の年の夏だったが、仮設住宅で夜遅くまで工事をしていたら、いきなり窓から知らない人がいっぱい覗いていた。そのとき頭の中に若い女性の声で「わたし、死んだのかしら」なんて聞こえた。驚いてあらためて窓を見たが、年寄りの幽霊ばっかりだった」。 ・またある女子大生の話。 「閖上大橋のあたりに行くと、高校時代にいつもそこで待ち合わせていた親友が立っているんです。でも、その子はお母さんと一緒に津波で流されたはずなんです」 ある婦人のこんな話もある。 「ある日、ピンポンと鳴ったのでドアを開けると、ずぶ濡れの女の人が立っていました。おかしいなと思ったんですが、着替えを貸してくださいというので、着替えを渡してドアを閉めたら、またピンポンと鳴った。玄関を開けると、今度は大勢の人が口々に、“着替えを!”と叫んでいた」 石巻では、車を運転中に人にぶつかった気がするという通報が多すぎて、通行止めになった道路もあると聞いた。まるで都市伝説のような恐怖体験だが、当時はこんな話は掃いて捨てるほどあったのである。 「これはお迎えと同じだよ。きちんと聞き取りをしたほうがいいんだが」と、岡部さんはさりげなく僕の目を見て言う。 お迎えは、僕の中で実体験としてあるが、霊体験となるとそうはいかない。当時の僕にすればUFOを調べろと言われているようなものだった。 ・「柳田國男が書いた『遠野物語』も、考えてみればお化けの物語だよ。ところが、第99話で柳田は、男が明治三陸地震の津波で死んだ妻と出会う話を書いているよな。妻が結婚する前に親しかった男と、あの世で一緒になっていたという話だ。なんでわざわざ男と一緒に亭主の前に出てくるのかわからんが、死んだ女房に逢ったのに、怖いとはどこにも書いていない。恐怖は関係ないんだ。つまり家族の霊に出合ったときは、知らない人の霊に出合うときの感情とはまったく違うということじゃないか?」 沖縄戦のさなかに、北部のあるヤンバルという山中で逃げまどっているとき、先に戦死した兄の案内で九死に一生を得たといった霊的体験を沖縄で何度か聞いたことがある。それを語ってくれた老人は、一度も怖いと言わなかったことを僕は思い出した。 <この人たちにとって此岸と彼岸にはたいして差がないのだ> ・「石巻のあるばあさんが、近所の人から『あんたとこのおじいちゃんの霊が大街道(国道398号線)の十字路で出たそうよ』と聞いたそうだ。なんで私の前に出てくれないんだと思っただろうな、でもそんなことはおくびにも出さず、私もおじいちゃんに逢いたいって、毎晩その十字路に立っているんだそうだ」 <『待っている』『そこにも行かないよ』> <津波はリアス式の三陸に来るもの> ・「今年(2016年)の正月明けでした。これからどう生きていけばいいのか悩んでいたときです。このとき娘はいなかったのですが、これまでと違ってはっきりとした像でした。夢の中で妻はこう言ったんです。 「いまは何もしてあげられないよ」 そう言われたとき、あの世からそんな簡単に手助けはできないんだろうなと、私は夢の中で思っていました。 ・「ええ、父も私もしゃべっています。父が出てくる夢は毎回同じでした。バス停とか船着き場とか電車のホームで、いつも乗り物を待っている夢なんです。父が待っているので私も一緒に待っていると、『まだ来ねえからいいんだ。おれはここで待ってる。おめえは先に行ってろ』と父は言うんです」 ・「今でも忘れない不思議な出来事が起こったのはその頃です。東京に行く用事があったので、震災の年の7月3日に気仙沼のブティックで洋服を買っていました。4人ぐらいお客さんがいて、1人ずつ帰っていき、私も洋服を手にしてレジに向かったら、最後まで残っていた女性のお客さんから『どなたか亡くなりましたか』と声をかけられたんです。びっくりして振り向くと、『お父さんとお母さんでしょ? あなたに言いたいことがあるそうだから、ここで言ってもいい?』 店の人が言うには、気仙沼で占いを職業にしている方で、女性雑誌にも出ているそうです。私はほとんど反射的に『はい』と返事をしていました。私は、その頃、左の腕が重いというか、肩こりでもない、筋肉痛でもない、なにか違和感があってので、原因がわかるかもしれないという気持ちがあって承諾したのだと思います。 「あなたは胃が弱いから胃の病気に気を付けろとお父さんが言ってます。お母さんは、ありがとうと言ってますよ」そこで号泣してしまいました。 ・「父は港町でかまぼこ屋をしながら、船をかけたりしていました。ああ、船をかけるというのは船主になることです。50年もかまぼこ屋をしながら、船主になりたくて、全財産を失ってしまいました。6航海のうち、黒字になったのは1回だけ。赤字で帰ってきても、船主は人件費や燃料費を支払わないといけないから、バクチのようなものです。それでもやってみたかったんでしょうね。市会議員も2期やって、今思えば好きなことをやってきた人でした。借金を抱えて全財産を失ったあと、実家はうちの叔母が肩代わりをして買い取り、下を駐車場にして、2階に管理人として住んでいました」 <兄から届いたメール≪ありがとう≫> ・被災地の不思議な体験で圧倒的に多いのが、亡くなった家族や恋人が夢にあらわれることである。それもリアルでカラーの夢が多い。中には4Kのように鮮明で、夢かうつつかわからないことがあると証言した方もいる。面白いのは、電波と霊体験に親和性があるのか、携帯電話にまつわる話が多いことだ。 たとえば、のちに詳しく紹介するが、余震で家の中がめちゃくちゃになって暗闇の中で途方に暮れていたら、津波で亡くなった夫の携帯電話がいきなり煌々と光りだしたという証言。また、津波で逝った“兄”の声を聞きたいと思って電話をしたら、死んだはずの“兄”が電話に出たという話。 ・「朝8時半でした。役場で死亡届を書いているときにメールを知らせる音が鳴ったんです。従妹が『電話だよ』と言ったので、『これはメールだから大丈夫』と言って、死亡届を書き終えて提出しました。そのあと受付のカウンターでメールを開いたら、亡くなった兄からだったんです。 ≪ありがとう≫ひと言だけそう書かれていました。 ・余談がある。震災の年の夏、陸前高田にボランティアでオガミサマがやってきたという。オガミサマというのは、沖縄のユタや恐山のイタコに似て、「口寄せ」や「仏降ろし」をする霊媒師のことである。沖縄では「ユタ買い」という言葉があるほど、日常生活に密着しているが、かつて東北にもオガミサマは生活の一部としてあった。たとえば誰かが亡くなったとすると、仏教式の葬儀を執り行なう前にオガミサマを呼び、亡くなった人の魂を降ろしてきて、口寄せで死者とコミュニケーションをとったそうである。オガミサマは東北地方の「陰の文化」としてあったのだ。 ・常子さんがこのオガミサマに兄のことをたずねると、口寄せでこう言ったそうだ。 「おれ、死んだんだな。でもよかった。これでよかったんだ。みんなに、自分が動けなくなって寝たきりになる姿を見せたくなかったし、これでよかったんだ」 オガミサマを信じない人にはたわごとでしかないが、信じる人にはあの世に繋げるかけがえのない言葉である。死者とコミュニケーションをとれることは、遺された人にとって最高のグリーフケア(身近な人の死別を経験して悲嘆に暮れる人を支援すること)なのだと思う。 <「ママ、笑って」―—おもちゃを動かす3歳児> ・東日本大震災における宮城県内の死者・行方不明者は1万2千人弱を数えるが、このうち3977人と最大の人的被害を出した町が石巻市である。 ・大切な人との別れは、それがどんな死であっても突然死である。とりわけ津波で亡くなるような場合、死を覚悟する時間がなかっただけに強い悲しみが残る。その悲しみは、幾年を経ても消えることがない。もういちど逢いたい、もういちどあの人の笑顔が見たい、ずっと一緒にいたい、そんな強い思いに引かれて、亡くなったあの人があらわれる。生きていたときの姿のままで、あるいは音になって、あるいは夢の中で、そのあらわれ方はさまざまだが、その刹那、大切なあの人は遺された人の心の中でよみがえり、死者と生きていることを実感するのだろう。 後日、由理さんから電話があり、夜中に康ちゃんがボール遊びをしているのか、黄色いボールが動くんですと笑った。 <神社が好きだったわが子の跫音(あしおと)> ・今回の旅のきっかけは、『遠野物語』だったと思う。あの中に地震の後の霊体験はたった一話しかなかったが、もしも明治三陸地震の直後だったら、柳田國男はもっとたくさんの体験談を聞いていたのではないだろうかと思ったのだ。 ・恵子さんと先に登場した由理さんには共通する点がたくさんある。いや、二人に共通するのではなく、大切な人を喪ったすべての遺族に共通するのかもしれない。たとえば由理さんが、あの子がそばにいると思うと頑張れると言ったが、恵子さんもそうだった。 「迎えにも行ってあげられなかったし、助けてもあげられなかったのに、天井を走ったりして、私たちのそばにいてくれたんだと思うと、頑張らなきゃと思う」 <霊になっても『抱いてほしかった』> ・秀子さんが不思議な体験をしたのは夫の遺体が見つかる前日だった。 「今日は駄目だったけども、明日はきっと見つけてやっからね、と思って2階に上がったときでした。なんだか気になったから、ひょいと下を見たら、ニコッと笑ったひょいひょいと2回あらわれたのが見えたんです。それも鉛筆で描いたような顔でね。そこは支えるものがいから、人が立てるようなところじゃないの。でも、すぐお父さんだとわかったわ。どうしてわかったのかって?私のお父さんだから、雰囲気でわかるわ。だから『あっ、来たのね』って声に出したの。義姉も一緒に住んでいたので、念のために『義姉さん、お父さんの顔見た?』って訊いたけど、もちろん知らないって言ったわ。 2回目は夕方でした。洗濯物を取り入れていたんだけど、ふと見たら白いドアの前に黒い人型の影がぽわっと立っているんです。ゆらゆら動く影を見て、ものすごい鳥肌が立ちました。『お父さん、そばまで来ているんだね。それとも誰かに見つけてもらったかな』って声をかけました」 <枕元に立った夫からの言葉> ・「お父さんは大船渡の出で、あの日はよく行く大船渡のお寺でお祓いをしてもらって帰ったんだけど、寒くてストーブを焚いた記憶があるからお盆ではないよね。あれは夢だったのか、それともお父さんの霊だったのか、いまだによくわからないんだね。私が布団に入っていたから、夜だったことは間違いないけど……、ああ、時計は一時だったね。目が醒めると、白い衣装を頭からかぶったようなお父さんがふわっとやってきて、 『心配したから来たんだぁ』と私に言ったんです。顔は暗くてよくわからなかったのですが、格好はお父さんだし、声も間違いなくお父さんなんです。それだけ言うと、誰だかわからない、同じ衣装を着た別の人が、お父さんを抱きかかえるようにしてドアからすーっと消えていきました。お父さんといえば、ふわふわと風船のように浮かんでいて、まるで風に流されるように離れていくんだね。あれは突然やってきて、突然いなくなった感じでした。お父さんはよく夢に出てきたけど、あれは夢とはちょっと違ったね」 ・あれは遺体が見つかってから2ヵ月経った5月20日……、ああ、発見された日と同じだねぇ……。あの頃の私たちはまだ親戚の家の納屋に避難していましたが、仕事も始まってようやく気持ちも落ち着いてきました。その日は平日でしたね。世話になったおじちゃんだから、なんとなく電話したくなったの。一人でぼんやりしていると、ああ、おじちゃん、どうしているかな、逢いたいなあと思って、軽い気持ちで携帯で電話したんです。 ブルルルルって鳴ったかと思ったら、突然電話に出たんですよ。 「はい、はい、はい」そう言って3回、返事をしました。「エエエッ!」 声は克夫おじちゃんとそっくりです。いやいや、克夫おじちゃんに間違いないです。本当に嘘じゃないんですよ。自分で電話して驚くのもおかしいですが、あのときはもうびっくりするやら、信じられないやらで、怖くなってすぐ携帯を切ったんです。 《誰? なんでおじちゃんが出るの》 ちょっとパニック状態でした。そしてしばらくしたら、というより数秒後でしたが、克夫おじちゃんの携帯から折り返しの電話があったんです。私の携帯に(番号登録した)『伊東克夫』って出たものだから、もう背筋が寒くなって、さすがに出られません。ベルが鳴り終わると、すぐにおじちゃんの番号を削除しましたよ。 ・「霊体験なんてこれまで信じたことがなかったのに、自分がその体験者になって、頭がおかしくなったんじゃないかと思っている人もいます。同じような体験をした人が他にもたくさんいるとわかったら、自分はヘンだと思わないですよね。そういうことが普通にしゃべれる社会になってほしいんです」 とはいえ、困ったのは、これが“ノンフィクション”として成り立つのかどうかということだった。なにしろ、語ってもらっても、その話が事実かどうか検証できない。再現性もないし、客観的な検証もできない。どうやってそれを事実であると伝えるのか。 『創』 2016年5・6月号 『ドキュメント 雨宮革命 (雨宮処凛)』 <「幽霊」と「風俗」。3・11から5年が経って見えてくるもの> ・一方、最近出版されている3・11をテーマとした書籍の中には、「5年」という時間が経ったからこそ、世に出すことができるようになったのだな、と感慨深い書籍もある。その中の一冊が『呼び覚まされる霊性の震災学 3・11生と死のはざまで』(新曜社)だ。 東北学院大のゼミ生たちがフィールドワークを重ねて書いた卒論をまとめた一冊なのだが、その中には、震災後、宮城のタクシー運転手たちが経験した「幽霊現象」の話を追ったものがある。 季節外れのコートに身を包んだ若い女性が告げた行き先に運転手が「あそこはほとんど更地ですが構いませんか」と尋ねると、「私は死んだんですか」と震える声で答え、振り向くと誰もいなかったという話や、やはり夏なのに厚手のコートを着た若い男性を載せたものの、到着した頃にはその姿が消えていたなどの話だ。 ・このような「タクシーに乗る幽霊」に対しても、自らも身内を亡くした運転手たちは不思議と寛容だ。 「ちょっとした噂では聞いていたし、その時は“まあ、あってもおかしなことではない”と、“震災があったしなぁ”と思っていたけど、実際に自分が身をもってこの体験をするとは思っていなかったよ。さすがに驚いた。それでも、これからも手を挙げてタクシーを待っている人がいたら乗せるし、たとえまた同じようなことがあっても、途中で降ろしたりなんてことはしないよ」 そう語るのは、津波で母を亡くしたドライバーだ。 「夢じゃない?」と思う人もいるだろうが、実際にメーターは切られ、記録は残る。不思議な現象は、事実上「無賃乗車」という扱いになっていることもある。 ・さて、もう一冊、「5年経てばこういうことも出てくるだろうな」と妙に納得した本がある。それは『震災風俗嬢』(小野一光 太田出版)。帯にはこんな言葉が躍る。「東日本大震災からわずか1週間後に営業を再開させた風俗店があった。被災地の風俗嬢を5年にわたり取材した渾身のノンフィクション」 本書を読み進めて驚かされるのは、3・11後、震災と津波と原発事故でメチャクチャな地で、風俗店はいつもより大忙しだったという事実だ。店によってはいつもの倍近い客が押し寄せたのだという。 ・そう話した30代後半の男性は、子どもと妻と両親が津波に流されたのだという。妻は土に埋もれ、歯形の鑑定でやっと本人だとわかったということだった。 一方で、風俗嬢たちも被災している。住んでいた街が津波に襲われるのを目撃した女の子もいれば、両親を亡くした女の子もいる。 ・時間が経つにつれ、「3・11」を巡って、私たちの知らない側面が顔を覗かせるだろう。 とにかく、あれから5年という月日が経った。あの時の、「言葉を失う」感覚を、一生忘れないでいようと思う。 『被災後を生きる――吉里吉里 大槌・釜石 奮闘記』 竹沢尚一郎 中央公論新社 2013/1/10 <被災後の行動から理解されること、改善されるべきこと> <被災者の語りは何を示しているのか> ・被災の直後に大槌町の人びとがどのように行動したかの生々しい証言を追ってきた。そのうちいくつかの話は、本当に彼らが危機一髪のところで助かっていたことを示しており、聞いているうちに私たちも手に汗を握ったり、感動のあまり思わず涙ぐんでしまったりするなど、他ではとても聞けそうにない深い内容をもっていた。そのような話を率直にかつ長時間にわたって話してくれたことに対して、深く感謝したい。 ・とはいっても、彼らの体験を再現するだけでは、これまでに書かれた多くの書物と変わりがない。彼らの話を整理していくことによって、被災直後の人びとの行動の特徴として何が明らかになったのか、また彼らがそのように行動した理由は何であったのかを、明確にしていく作業が求められているはずだ。さらに、彼らがそのように行動したのは、個人的な理由からなのか、それともそこには制度的な問題が背後にあったのか。後者であるとすれば、それは今後どのように改善ないし修正していくべきなのか。そこまで議論を深めていかないかぎり、今後もおなじことがくり返されるであろうことは目に見えている。それであっては、今回の地震と津波の教訓を今後に活かしていくこともできなければ、津波で亡くなった方々に対する冥福にもならないだろう。 ・そうした人びとの冷静さを可能にしたのは、三陸沿岸が過去から大きな津波をくり返して経験しており、そうした経験が年配者から語りつがれるなどして、非常時にどのように行動すべきかの情報があらかじめ刻印されていたためであろう。それに加えて、宮城県沖を震源とする巨大地震がくり返されていたことも忘れるべきではない。その意味で、情報が正確に提示され、広く共有されていたことが、今回の多くの人びとの沈着な行動の背景にあったと考えられるのだ。 ・にもかかわらず、以上の話が明らかにしているのは、多くの人びとが地震後ただちに避難行動をとったわけではないという事実だ。つね日頃から用心を重ねていた徳田さんでさえ、車で自宅から避難し、安全な場所に達するのに20分を要している。一方、他の多くの人の場合には、家のなかを整理したり重要書類を取り出したりするなどして、避難開始が遅れている。 ・地域的・地理的に見ると、吉里吉里の住民の多くが地震後すぐに避難を開始したのに対し、大槌町や安渡の人びとは避難が遅れる傾向にあった。 ・また、大槌の町方では津波直後に出火し、プロパンガスが爆発するなどして大火災が生じたために、救助活動がほとんどできずに多くの人命が失われている。そのことは、町方の死者343名、行方不明者325名と、行方不明者の割合が多いことに反映されている。 ・これは大槌町にかぎられるものではないが、情報に大きな混乱が生じていたことも今回の被災の特徴であった。地震直後の午後2時49分に気象庁は大津波警報を出したが、マグニチュード9.0というわが国では前例のない巨大地震であったために、地震計が振り切れるなどして正確な測定ができず、岩手県沿岸部の予測値を3メートルとして発表した。その後、午後3時14分には岩手県沿岸部の予測値を6メートルにあげたが、大槌町では停電でテレビが消え防災放送も機能しなくなったために、最初の数字だけを覚えている人がほとんどだ。また、津波が襲って沿岸部の市街地や集落がほぼ全壊状態になっていたことを、おなじ市町村でも内陸部に住む人は知っていなかったし、となりの市町村ではなおさらであった。そうした情報の混乱や欠如が、人びとの避難行動を遅らせ、救助活動を阻害させたであろうことは否定できまい。 ・さらに、勤務中あるいは職務中であったために逃げ遅れて、津波に巻き込まれた人が多いのも今回の被災の特徴であった。海岸から300メートルほどしか離れていない海抜ゼロメートル地帯に建てられていた大槌町役場では、役場前の広場で対策本部会議を開こうとしていた町長や幹部職員が津波に巻き込まれて亡くなったことは、新聞報道等でよく知られている。しかしそれだけでなく、その時役場のなかでは他の職員が勤務しており、その多くが津波に巻き込まれて亡くなったり、あわやというところで助かったりしたことは、赤崎さんの話からも明らかだ。さらに、停電で操作できなくなった水門を手動で閉めようとして亡くなった消防団員や、避難者や避難の車両を誘導したり、歩くのが困難な方を救助しようとして水にさらわれた消防団員や自主防災組織の役員が多いことも、先の話のなかで多くの人が指摘していた。 ・他にも今回の地震後の避難行動や被災の特徴といえるものがあるだろうが、私としては以上の点に注目して、これからの議論を進めていきたい。まず、それを一点一点整理しておく。 ――過去に何度も津波が襲来した土地であり、今回も大地震と津波が生じることが十分に予告されていたにもかかわらず、避難行動が遅れる傾向があった。とりわけ高台に住んでいた人の多くが避難しなかったり、避難行動が遅れたりして、津波に巻き込まれて亡くなっている。 ――車で避難した人が多く、徒歩で逃げたのは一部にとどまった。車で避難した人の一部は渋滞で停車しており、そのまま津波に巻き込まれて亡くなった人が大勢いる。 ――大槌町では津波後すぐに火災が発生したために、直後の救助活動を十分におこなうことができず、死者・行方不明者の数が増大した。 ――被災直後に停電が発生し、ほとんどの地域で災害放送や携帯電話が不通となったこともあり、情報が混乱して正確な情報が伝わらず、避難行動や緊急救助活動が阻害された。 ――役場で勤務していた職員や、水門を閉めようとして亡くなった消防団員など、勤務中・職務中に津波に巻き込まれて命を落とした人が多かった。 これらの点はいずれも防災上・基本的かつ致命的な点というべきだ。それゆえ、今後に予想される災害に備えて防災・減災を考えていくには、その一点一点について原因を究明し、対策を検討していくことが必要なはずだ。 <地震後の避難が遅れたのはなぜか> ・以上のデータから何が理解できるのか。確実にいえることは、今回の地震がきわめて大規模であり、しかも三陸沿岸のような津波の常襲地帯で、大規模地震の到来が予告されていた土地であるにもかかわらず、多くの人が自宅から逃げずに亡くなっているということだ。理由はさまざまだろう。自宅が高台にあったために、ここまでは津波がこないと過信して巻き込まれたか。あるいは高齢その他の理由で、そもそも逃げることができなかったか。貴重品やペットを取りに戻って流されたというケースがかなりあることも、私が聞いた話から明らかになっている。その理由はどうであれ、多くの人が地震の直後に逃げないで亡くなっているという事実は、基礎的事実として確認されなくてはならない。 ・では、彼らはなぜ逃げなかったのか。くり返し述べてきたが、高台に自宅があったために、ここまでは津波がこないと過信して津波に巻き込まれた人が大勢いるのは事実だ。その意味では、津波の恐ろしさを周知徹底して、迅速な避難を呼びかけていくという作業はどこまでも必要だろう。 ・制度的な問題として第一にあげられるのは、気象庁が発表した大津波警報の過ちだ。気象庁が最初に発表した3メートルという数字が住民の意識のなかにインプットされてしまい、避難行動を遅らせていたことは私が集めた証言からも明らかだ。何人もの人が、3メートルの津波であれば6.5メートルの防潮堤でふせぐことができると考えて、避難しなかったと証言しているのだから。これは早急に改善されるべき点だが、これについては情報の課題の箇所で検討する。ここで取りあげるのは、津波の浸水予測図、いわゆるハザードマップの問題だ。 ・岩手県と大槌町が発表していたこのハザードマップが決定的に間違っていたこと、そのために多くの死者を出す一要因となったことは明らかだといわなくてはならない。間違いの第一は、今回の地震の予測をあまりに低く見積もっていたことであり、第二は、事実の誤認が多く含まれていることだ。たとえば大槌町のハザードマップでは、町方の避難指定場所であった江岸寺は明治と昭和の津波の浸水区域の外側に記載されている。しかし明治の大津波では、浸水が寺の庫裏の根板から1メートル20の高さに達していたことが過去の記録に明記されている。にもかかわらず、それが浸水区域外として記述されていたのはなぜなのか。間違っていることが明らかであるとすれば、誰が、あるいはいかなる部局が、なにを根拠として、このハザードマップを作成していたのかが解明されなくてはならない。それがおこなわれなかったなら、今後もおなじ過ちがくり返されるだろうからだ。 <ハザードマップはなぜ間違っていたのか> ・役所が指定した避難所が津波に襲われて大勢の人が亡くなったケースは、大槌町や釜石市だけでなく、陸前高田市でも宮城県三陸町でも見られている。であれば、役所の出していた想定が多くの箇所で間違っていたことは明らかなのであり、その想定がどのようにして作成され、役所はどれだけの情報をあらかじめ提示していたのか、その全過程が公表されることが不可欠だろう。情報をできるだけ正確に、かつ広く住民に提供するというのは、防災にかぎらず行政が銘記すべきことの第一であるのだから。 <車で逃げた人が多く、徒歩で逃げたのは一部にとどまったこと> ・このように、自宅や勤務場所の近くに避難ビルが適切に配置されていれば、徒歩での迅速な避難が可能になって、多くの人命が救われることができる。 <情報の混乱や途絶があり、被害を拡大したこと> ・被災後に出された情報の内容や伝達方法に関し、今回の震災は大きな課題があることを示した。まず気象庁の津波警報だが、沿岸部の住民の多くは、気象庁が最初に出した岩手県で3メートルという予測値だけを知り、避難行動の目安としていた。その意味で、気象庁の出したこの情報は、人びとの迅速な避難行動をうながすというより、むしろ逆にそれを阻害する要因として働いていたのは明らかだ。 <被災後すぐに火災が発生したこと> ・一方、火災に関しては別の問題がある。先の白澤さんの話にもあったように、車はすぐに発火するという問題だ。彼によれば、大槌町では火のついた車が水に流されて漂い、火をつけてまわったので町方全体が火の海に巻き込まれたというのだ。 <勤務中に津波にさらわれた人が多かったこと> ・大槌町では老朽化した役場の倒壊の危険性があったために、地震直後の役場の前の広場に机を並べて、災害対策会議を開こうとしていた。そこを津波が直撃したために、危険を察知して屋上に逃げようとした町長をはじめとする幹部職員の多くが水に流されて亡くなった。と同時に、役場のなかでは職員が避難もせずに勤務していたのであり、彼らもまた建物のなかで津波に呑まれてしまい、役場職員140名のうち40名もが尊い生命を失った。 <津波がまちを襲う> ・マグニチュード9.0というわが国の観測史上最大規模の巨大地震とそれが引き起こした津波は、東日本の太平洋岸に大きな被害をもたらした。なかでも岩手県の三陸沿岸中部に位置する大槌町は、今回の震災で最大の被害を出した市町村のひとつだ。 ・この本は、その3月11日から1年半のあいだに、吉里吉里をはじめとする大槌町と釜石市の人びとが、どのように行動し、何を語り、何を考えてきたかを再現することを目的として書かれたものだ。 ・宮城県沖地震が30年以内に99パーセントの確立で襲うことが予想されていたにもかかわらず、その地震の規模と津波の予測が大きく間違っていたこと。しかも、地震の直後に気象庁が出した警報さえもが間違っていたこと。避難所に十分なそなえもなく、支援の手もなかなか入らず、住民自身の相互扶助と集団行動だけが秩序の空白を埋めていたこと。そしてまちづくりの現場では、住民の生活の質を向上させたり利便性を高めたりしようという配慮は行政の側にはほとんどなく、あるのはあいかわらず縦割り意識であり、数字合わせと表面的な効率性のみを重視する行政特有のロジックであること。これらのことを告発することもまた、本書が書かれた理由のひとつだったのだ。 『哀史 三陸大津波』 歴史の教訓に学ぶ 山下文男 河出書房新社 2011/6/17 <繰り返される『大量死』の恐怖 「東日本大津波」を体験して> ・すぐる3月11日(2011年)の東日本大津波は、死者2万人以上という過去の三陸津波史の中でも最大級の巨大津波であったことを示している。 ・「三陸海岸は日本一はおろか、世界一の津波常習海岸」とまでいわれた恐怖の津波海岸。 こうした難しい地域事情の中で、実際には観光への否定的影響を考え過ぎて住民への津波防災教育を中途半端、乃至は軽視してきたことが大被害の背景としてまず問題になる。 岩手県の場合、これには誰よりも県当局と行政に責任がある。このことを率直に反省し、腰を据えて防災教育に取り組まなければ、将来、またも同様のことを繰り返すことになりかねないと私は心配している。 ・三陸津波史の特徴は、強烈なパワーによる大量死と遺体の海の藻屑化、そして「体験の風化に伴う悲劇の繰り返し」だと言われつづけてきた。 ・今回も、互いに助けあおうとしての共倒れ、津波のスピードと引き潮の猛威を無視した逃げ遅れ、一度逃げたのに物欲のため家に戻って折角の命を失ったケース(私の親戚などそのため二人も溺死している)等々、明治の津波や昭和の津波の後で数え切れないほど体験した悲劇がまるで新しいことでもあったかのように住民たちによって語られ、連日紙面を埋めている。 今回こそ、こうした風化現象にはっきりとした歯止めをかけなければならない。 <哀史 三陸大津波> <「津浪常習海岸」の「宿命」> ・三陸沿岸一帯を襲った明治以降の初めの大津波は、三陸沖を波源とする明治29年(1896)6月15日の大津波であった。被害数は文献によって異なるが、比較的実数に近いと思われるものによると、死者は岩手県1万8158人、宮城県3387人、青森県343人、合計2万1888人。流出、倒壊、半壊戸数も三県で8200余戸に及んだ。 ・次のものは、それから37年後の昭和8年(1933)3月3日の大津波で、前と同様、波源は三陸沖、この時も岩手県で2658人、宮城県で307人、青森県30人、合計2995人が死亡し、三県で約6000戸が流出・倒壊した。 ・この間、明治30年(1897)8月をはじめ数度にわたる小津波があったと記録されているし、昭和8年の大津波後27年を経過した戦後、昭和35年(1960)5月24日には、今度は遠く太平洋を隔てた地球の裏側の南米チリ沖を波源とする、いわゆる「チリ津波」に襲われている。この時も岩手県で61人、宮城県で54人、青森県で3人、福島県で4人、合計122人が死亡し、4000余戸が流出あるいは全・半壊した。 ・「三陸沿岸地方は古来大津波に襲われることが頻繁」で、貞観11年(869)以来17回も津波に襲われている。これによると平均して60年余に一回襲われている計算になる。 ・1600年から1970年までの370年間の津波を専門的な方法で分析すると「三陸沖では35年周期」が顕著であると指摘している。 ・実に三陸の太平洋沿岸は津浪襲来の常習地として日本一はおろか、世界一なのである。 <狂瀾怒濤一瀉千里の勢い> ・しかも、津波の波高は、低いところでも2〜3メートル、8〜10メートルは普通の方で、なかには20メートル〜30メートルと、まるで今日の7階建てー10階建てビルのような高さの波であった。「山のような波」だった、と表現されているのも、あながち誇張とはいえない。 『未来を透視する』 ジョー・マクモニーグル ソフトバンク・クリエイティブ 2006年12月26日 <日本の自然災害> <2010年、長野で大きな地震が起きる> ・透視結果を見てもうろたえず、注意程度にとらえてほしい。ただし、最悪の事態に備えておいて、何も起こらないことを願おう。こと天災に関しては、透視は間違っているほうがありがたい。 <今後、日本で発生する大地震> 2007年 高槻市 震度6弱 2008年 伊勢崎市 震度6弱 2010年 長野市 震度7 2012年 伊丹市 震度6弱 2018年 東京都 震度6弱 2020年 市川市 震度6弱 2037年 鈴鹿市 震度7 ・噴火や地震にともなって海底では地盤の隆起や沈降が起きる。そして、膨大な量の海水が突然動きだし、衝撃波となって陸地の海外線へと進行する。 ・遠洋ではあまり目立つ動きではないが、浅瀬に入ると、衝撃波は巨大な津波となって陸地を襲い、都市部などを徹底的に破壊してしまう(波の高さはときには30メートル以上になることもある)。 ・内陸へと押し寄せる力がピークに達すると、今度は海に戻り始め、残された街の残骸を一切合財引きずりこんでいく。警告もなしに、突然襲ってくれば被害はとりわけ甚大となる。 ・幸い日本には、優良な早期警戒システムがあるのだが、海底地震が発生して警報が発令されてから、津波が押し寄せる時間は、残念ながらどんどん短くなっている。 <日本を襲う津波> 2008年夏 11メートル 2010年晩夏 13メートル 2018年秋 11メートル 2025年夏 17メートル 2038年初夏 15メートル 2067年夏 21メートル ・日本は津波による大きな被害を受けるだろう(なお、波の高さが10メートル以上に及ぶものだけに限定している)。北海道の北部沿岸の都市部は特に津波に弱い。徳島市、和歌山市、浜松市、鈴鹿市、新潟市、石巻市も同様である。このほかにも津波に無防備な小都市は数多くある。 <土地> ・気象変動とともに、日本の土地問題は悪化しはじめる。沿岸部での海面上昇と、暴風雨の際に発生する大波によって、低地の村落と小都市の生活が脅かされるようになる。堤防や防壁といった手段は効力を発揮しないため、2012年から2015年のあたりまでに多くの人が転居を余儀なくされるだろう。 『口語訳 遠野物語』 柳田國男 河出書房出版社 1992年7月 <『遠野物語』> ・『遠野物語』は、1916(明治43)年に出版された日本民俗学の誕生を告げる記念碑的な本。 <魂の行方> ・土淵村の助役 北川清という人の家は、字火石(あざひいし)にあります。代々山伏で祖父は正福院といい、学者で著作も多く、村のために尽したんです。 ・その清の弟で福二という人は、海岸の田の浜へ、聟に行きましたが、先年(明治29年)の大津波にあい、妻と子どもを失いました。その後は、生き残った二人の子供とともに、元の屋敷あとに小屋を作り、一年ばかりそこにおりました。 ・それは夏の初め、月夜の晩のことでした。福二は、便所に起きましたが、便所は遠く離れたところにあり、そこまで行く道は、波の打ち寄せるなぎさです。 ・霧の一面に広がる夜でしたが、その霧の中から男女の二人連れが近づいて来ました。見ると女は、たしかに亡くなった自分の妻です。福二は思わず、その跡をつけて、はるばる船越村へ行く岬の、洞穴のあたりまで追いました。 ・そこで妻の名を呼びますと、女は、ふり返ってにこっと笑いました。男のほうを見ますと、これも同じ里の者で、津波の難にあって死んだ人です。なんでも自分が聟に入る前、互いに深く心を通わせていたと聞いていた男です。 ・「いまは、この人と夫婦になっています」と、女が言うものですから、「子どもはかわいくないのか」と言いますと、女は、少し顔色を変え、泣きだしてしまいました。 ・死んだ人と話をしているようには思えず、現実のようで悲しく、情なくなりました。うなだれて足元に目を落としているうちに、その男女は再び足早にそこから立ちのき、小浦へ行く道の山陰をめぐって、見えなくなってしまいました。 ・少し追いかけてもみましたが(相手は死んだ人なのに)と気づいてやめました。それでも、夜明けまで、道に立っていろいろと考え、朝になってからやっと小屋に帰りました。福二はその後もしばらくの間、悩み苦しんだということです。 (明治29年の大津波(明治三陸地震)) ・明治29年6月15日(旧暦5月5日)夜8時ごろ、岩手県を中心とする三陸沿岸を襲った大津波のことです。波高は、38.2メートルを記録し、溺死者は2万2千人といわれ、最大級の津波でした。とくに、大槌町では、日清戦争の凱旋記念花火大会が行われていて、一瞬のうちに全滅という惨状だったといいます。 <山田の蜃気楼> ・海岸の山田では、毎年蜃気楼が見えます。いつも外国の景色だということです。それは、見たこともない都会のようです。道路をりっぱな馬車がひっきりなしに通り、人の往来もびっくりするほど多いそうです。家の形など毎年少しも違いがないということです。 <●●インターネット情報から●●> (産経WEST 2018/6/7) <「南海トラフ」被害1410兆円 巨大地震は「国難」レベル 土木学会、長期推計公表> 西日本を中心に大きな被害が想定されている南海トラフ巨大地震が起きた場合、道路など公共インフラの損害で長期的に1410兆円の被害が生じるとの推計を7日、土木学会が公表した。学会は「国難」レベルの災害になるとして、対策の強化や都市機能の分散を進めるべきだとしている。 土木学会の委員会が公表した報告書によると、南海トラフ巨大地震の発生から、経済がほぼ回復するとみられる20年後までの間に、インフラの破損などに伴う経済活動の低迷で1240兆円、建物や工場、個人の資産で170兆円が失われるとした。 南海トラフ巨大地震で政府は経済的被害を220兆円と推計しているが、土木学会の推計はこれを大きく上回り、本年度の国の一般会計予算である97兆7千億円余りの約14倍となった。 このほか、東京周辺を直撃する首都直下地震では計778兆円、大阪湾や伊勢湾の巨大高潮ではそれぞれ121兆円、19兆円と見積もった。巨大災害の経済被害を巡っては、政府が短期的な被害想定を公表しているが、20年後までの長期的な推計は初めて。15年以内に有効な対策を進めれば、南海トラフ巨大地震では509兆円、首都直下地震では247兆円の損害を防ぐことができるとしている。 同学会は今後、報告書を政府に提出するとしており「長期計画を立て、対策の優先順位を検討してほしい」としている。 土木学会の大石久和会長は7日の記者会見で「最大の経済圏である首都圏への人の流入が止まらない。そこに大災害が起これば日本は世界の最貧国になりかねない」と話した。 『「youは」宇宙人に遭っています』 スターマンとコンタクティの体験実録 900人を超える遭遇者の長期取材を通じて記録された実態ドキュメンタリー。 アーディ・S・クラーク 明窓出版 2013/10/1 <アメリカの先住民族たちがその起源をプレアデスの星々に持つという説話の数々> ・ときどき人々の暮らしの中に紛れ込んでくる小人たちのお話、そして地球にいるさまざまな部族の先住民たちの中に脈々と受け継がれているスターピープルの遺伝子の恩寵を伝える魅惑の物語など、天空から舞い降りてきてインディアンの人々と共に過ごしたスタートラベラーの伝承は、やがて私の意識の奥深くに根付いていって、心の遺産のひとつとなりました。 ・自分が幼いころから慣れ親しんできた説話をあらためて見直すことになったのは、1980年にモンタナ州立大学の助教授になったときでした。その最初の年に会った同僚のひとりが彼のいる保留区の村全体を見下ろす場所へ私を誘って、“祖先たち”が来るのを待ってみようと言ったのです。その“祖先たち”とはスターピープルのことだと彼は説明しました。思いもかけない彼の心の内を知らされて驚きを覚えながら私は静かに“祖先たち”が現れるのを待っていました。 ・過去20年のあいだ、私はアメリカ合衆国やカナダをはじめとして、メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、そして南太平洋諸国の先住民族を取材して回り、およそ1千件にもおよぶ体験談を集めてきました。 取材の大部分はテープレコーダーに記録されるとともに、おびただしい量のメモとして残されています。そして大学退職後に、録音テープを聞き直してノートの内容を整理し始めました。そしてアメリカ合衆国とアラスカの大地に暮らすインディアンたちへの取材記録をまとめあげた原稿が本書となったのです。 <失われた時間> ・“失われた時間(ミッシング・タイム)”とは、異星人による誘拐(アブダクション)やUFOとの接近遭遇と一緒に報告されている状況もしくは状態で、基本的に、何かが起きていたにもかかわらず、なかなか思い出せない空白の時間を指します。 <サラとティムの体験> ・「私たちの遭遇事件は2006年11月26日に起きました」サラが話を始めました。 ・「私たちが家を出てからおよそ1時間が過ぎたころのことです」ティムが話し始めました。 「あの2車線の高速道路には州間高速道路に入る前にかなり急なカーブがあるんです。そこにさしかかったとき、道路のわきに家畜の牛の死骸が横たわっているのが目に入ったんです」 「それで警察官のティムは、車を停めて確認しなければいけないって言いだしたんです」 ・そこには、3頭の牛の死骸がありました。なにかただならぬことがあったのは明らかでした。なぜなら動物たちの体のあちこちが切開されていたからです。目玉はくりぬかれ、耳は切除され、2頭は脚部から皮膚がはがされていて、残りの1頭は足が4本とも無く、頭部も切断されてなくなっていました。そして最も奇妙だったのが、そういった一連の大掛かりな作業をした痕跡がどこにも残っていないことでした。切開や切断の現場と思われる地面には、どこにも血のあとが見当たりませんでした。さらにそこには足跡すら残されておらず、不思議だったのは周囲の草木が腰の高さまで伸びていて、なぎ倒された部分がなく、本来あるべき犯人の存在を示すしるしが全くなかったのです」 ・「私たちはその光を数分のあいだ見ていました」ディムが説明をつづけました。 「そのうちに、それはただの光ではないことに気づきました。そこにあったのは大きな円筒形のプロパンガスのタンクのような形をした物体でした。それは私たちの車の上空をきれいな円を描いて一周しました。それはあたかも私たちのことを調べているかのようでした。とても巨大な飛行物体でした。少なくともフットボール場くらいの長さはありました」 そこでウェートレスが食事を運んできたので、3人とも数分ほどは何もしゃべらず食べていました。 ・「ただごとではない状況なのは明らかでした。そして今すぐここから逃げようとティムに言ったんですけれど、彼が何度エンジンをかけようとしても、まったく反応がありませんでした。まさにそのとき、宇宙船が軽トラックの上に覆いかぶさるように下降してきて、そのあまりのまばゆさに私たちは目を開けていられなくなりました。私はティムの手をとろうと腕を伸ばして……それが私の覚えている最後の記憶です。つぎに気がついたときは2人ともトラックの座席にいて、なぜか車は最初に停めたほうとは反対側の路肩にありました。宇宙船の姿はもはやどこにもありませんでしたが、それ以上に私たちをまごつかせたのは、路上から家畜たちも消え去っていたことでした」 ・「私は車外に出て、そこらじゅう一帯を探照灯で照らしながら歩き回ったんですが、どこにも牛たちの姿はありませんでした」そう言ってティムは信じられないという素振りで首を振りました。 「そしてティムはトラックに戻ってきて」サラがつづけました。「これはどういうことだろうと、2人とも狐につままれたような気持になっていました。そしてティムが再びエンジンキーに手を伸ばして回してみると、こんどは直ちにエンジンが掛かり、そのまま再び高速道路の道をビリングズに向けて車を走らせていきました。目的地に着くまで2人とも一言もしゃべらなかったと思います」そのサラの言葉にティムがうなずいて言いました。 ・「たとえ途中で車を道路わきに停めて牛の死骸を調べていたとしても、午後11時までにはホテルに到着しているはずでした。そのときに私たちは自分たちが覚えていない空白の4時間があったことに気づいたんです。ベディ&バーニー・ヒル夫妻の話は聞いていました。あるとき私の生徒の1人が図書館でその古い本を見つけて教室に持ってきて、私にその本について尋ねたことがあったからです。私もそれを読んでみました。確かに面白い話だとは思いましたが、信じるには足らぬものと軽く片付けていました。きっと本を売ったり講演会を開いたりして大金を稼ぐために誰かが持ち込んだ企画だろうと思っていたんです。彼らの話は本当かもしれないなどという思いは毛の先ほどもありませんでした。それどころか、今こうやってあなたに話ししている4時間の失われた時間とか体を切除された家畜などという話自体も馬鹿げたことのように思えてしまっているんです」 『UFOと陰の政府』 世界支配の宇宙的陰謀 (コンノケンイチ)(たま出版) 1990/5/1 <ペガサス座のNGC7078(メシエ15)にある拠点> ・ネットワークの移動範囲には、ペガサス座のNGC7078(メシエ15)にある拠点を含むが、彼らの本拠地はレチクル座にある。レチクル人たちは天体研究と生命の分析に完全に焦点を合わせた文明を持っている。 ・このため彼らの天体天文学の技術は進歩し、その結果、レチクル人たちは探査及び交易ルートを張り巡らし相互接触を図り、星間拠点や宇宙社会を築くことができた。 ・ネットワークに所属する多数の宇宙船がこれまで、地球の上空で大気圏飛行を行ってきた。 ・レチクル座Z1とレチクル座Z2は二重の発進基地で、地球から37光年離れている。宇宙船が分析指令宇宙船と絶えず連絡を取り、突き詰めた討論を行う能力は休みなく発揮されている。 ・証言によると、すでに米政府では宇宙人の種類を4種類も確認しているということです。鼻が大きい「ラージノーズグレイ」、それに使われているクローン生物らしい小人タイプの「グレイ」、人間に似た美しいタイプの「ノルディック」、髪が赤い「オレンジ」というタイプで、中でも「ラージノーズグレイ」という宇宙人とは協定まで結んでいたというから驚きますね。この「ラージノーズグレイ」は、悪いタイプの宇宙人らしく、人間や牛をさらって切り刻んだり殺したりするし、それを米当局は黙認していたというから、いったいどうなっているのでしょうか。 ・アメリカでは多いときには年間1万頭の牛が「グレイ」に殺されて彼らの栄養源になっているといいます。そんな大それたことを国民に秘密にしておくのは危険だといって公表しようとしたケネディは、そのため暗殺されたというから驚いたものです。 『UFOとポストモダン』 (木原善彦)(平凡社新書) 2006/2/11 <エイリアンと陰謀の物語があるそうである> ・ ひょっとすると数百万人の人々がアブダクションされ、インプラントされている。 ・ EBE「地球外生物的存在」は、合衆国政府と秘密協定を交わしている。EBEは自由にミューティレーションとアブダクションを行なうことができ、またニューメキシコ州ダルシーに秘密基地を建造することが許可された。それと引き換えに合衆国政府はハイテク技術と兵器を与えられた。 ・ EBE「地球外生物的存在」が協定に違反し、使える技術や兵器を合衆国に与えなかった。 ・ 1979年、ダルシー基地内の人間を救出しようとして、合衆国の特殊部隊の兵士66人が殺された。(「ダルシーの大虐殺」) ・ 人類を家畜化しようとするEBEと合衆国政府は、既に戦争状態にある。 ・ 「スター・ウォーズ計画」の通称で知られる戦略防衛構想(SDI)は、ソビエト連邦を仮想敵とするものではなく、実はエイリアンと対決するためのものである。 『世界不思議大全』 増補版 泉保也 Gakken 2012/8 <「ダルシィ文書」と異星人地下基地の秘密> <異星人とアメリカ政府が結んだ密約とは?> <明らかになった異星人地下基地> ・1970年代半ばから、アメリカ、ニューメキシコ州アルバカーキに近いマンザノ山地一帯でキャトルミューテレーション(家畜虐殺)事件が続発し、加えてUFO目撃報告も相次いだ。 ・電波の発信源がアルバカーキ北方235キロ、コロラド州境に近いダルシィ付近、ジカリア・アパッチ族居留地内のアーチュレッタ・メサであることを突きとめたのだ。 <博士の行動と報告書がもたらした意外な反応> ・ベネウィッツが受けた衝撃と驚愕は大きく、異星人地下基地が国家の安全保障の重大な脅威になりかねないという深刻な憂慮も抱いた。彼の自宅近くにはカートランド空軍基地があり、アメリカでトップの規模といわれるマンザノ核兵器貯蔵庫エリアが設けられていたからだ。 <「ダルシィ文書」が物語る地下基地の実態> ・彼らの証言はベネウィッツの真相暴露を裏づけるものであり、内部告発者が公開した書類、図版、写真、ビデオなどを「ダルシィ文書」と総称する。 ・基地の広さは幅約3キロ、長さ約8キロ、秘密の出入り口が100か所以上あり、3000台以上の監視カメラが設置されている。 ・基地全体は巨大な円筒形状をなし、基地の最深部は天然の洞窟網につながっている。内部構造は7層からなる。 ●地下1階=保安部、通信部のほか、駐車場兼メンテナンス階。車両は厳重なセンサーチェックを受け、専用トンネルを通行して一般道路に乗り降りする。 ●地下2階=地球人用居住区のほか、地中列車、連絡シャトル、トンネル掘削機の格納ガレージとUFOのメンテナンス階。 ●地下3階=管理部、研究部、メインコンピューター室があり、基地全体を統御している。 ●地下4階=地球人と異星人間のテレパシー、オーラなどの研究、マインドコントロール、心体分離実験、地球人と異星人の心身交換実験などが行われている。 ●地下5階=グレイ族とレプトイド(恐竜人)族の専用居住区、ベネウィッツは居住者を2000人以上と推定したが、カステロは5000人以上と証言している。 ●地下6階=遺伝子工学の実験室が並ぶ。魚、鳥、ネズミなどの異種生物の形質合成、人間の多肢化、グレイ族のクローン化、地球人とグレイ族のハイブリッド化など、戦慄を覚えずにはいられないおぞましい生体実験が行われている。また、さまざまな成長段階のハイブリッド種の胎児の保存槽、培養中の異星人ベイビーを入れた容器も多数並んでおり、“悪夢の広間”と別称されている。 ●地下7階=拉致された地球人やハイブリッド種が何千体も冷凍状態で保存されているほか、地球人を監禁する檻もある。 ・なお、ダルシィ地下基地に居住する異星人は1種族ではなく、次の4種族で構成されている。 ? 標準的グレイ族=身長1メートル20センチ前後。レティクル座ゼータ星出身。 ? 長身グレイ族=身長2メートル10センチ前後。オリオン座リゲル系出身。 ? ドラコ族=レプティリアン(爬虫類人)で身長2メートル前後。肌の色は白くて有翼。オリオン座ドラコ星系出身。基地全体を統括する支配階級。 ? レプトイド族=身長2メートル前後。恐竜から進化した地球の先住民らしい。最下層の労働階級で、掃除や炊事、運搬など日常的な雑用を担当。 ちなみに、実験対象として拉致された民間人以外の地球人(軍人、科学者、技術者、保安要員など)はドラコ族に次ぐ第2の地位にあるという。 <全米各地には200以上もの秘密地下基地がある> ・周知のように、アメリカにはコロラド州シャイアンマウンテンにあるNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)のように半公然的な地下基地はあるが、ダルシィ基地をはじめとする200余か所の地下基地・施設はトップシークレット扱いだ。 <アメリカ政府が結んだ異星人との密約> ・この予備的なコンタクトから約1か月後の1954年2月20日深夜、カリフォルニア州のエドワーズ空軍基地において、異星人と連邦政府は「グリーダ協定」と呼ばれる密約を交わした。 一、異星人はアメリカに関わるいっさいに感知しない。 一、同時にアメリカ政府も、異星人たちの行動に干渉しない。 一、異星人は、アメリカ政府以外のいかなる国とも協定を結ばない。 一、アメリカ政府は異星人の存在を秘密にする。 一、異星人がテクノロジーを提供し、技術革新の支援をする。 ところが、予備折衝では右の5か条で同意していたが、協定締結の段階で異星人側から新たな項目を付け加えたいと申し入れがあった。 ・人間を密かに誘拐し、医学的な検査や遺伝子工学の実験を行いたい。誘拐した人間は体験のすべての記憶を消したうえで無事にもとの場所へ戻す、というものだ。 非人道的な生体実験であり、当然のことながら、アイゼンハワー大統領以下の連邦政府側は躊躇した。だが、両者の文明差は5万年ほどもあり、戦うわけにはいかない。連邦政府は無条件降伏したも同然の状況で、異星人の要求をのまざるをえなかった。かくて、“悪魔の密約”と称される秘密協定が正式に締結されたのである。 ・当初の地下基地は2か所。そのひとつがダルシィの地下であり、もうひとつがエリア51から南へ6キロのところにある。「S−4」というエリア内の地下だった。その後も地下基地・施設の建設は続行されて200か所以上を数え、現在もなお新設されつづけている、というのである。 ・異星人との密約、地下秘密基地――荒唐無稽というか、きわめて現実離れした話だ。トンデモ説と笑殺されてもおかしくない。が、それを裏づけるような証拠や証言が多数存在するという事実を無視するわけにはいくまい。 『竜であり蛇である我々が神々』 (闇の権力を操る爬虫類人の地球支配/管理) (デーヴィッド・アイク) (徳間書店) 2007/8 <ダルシー戦争> ・フイル・シュナイダーは、新世界秩序のアジェンダのために131もの地下軍事基地が平均して地下1.5キロの所に建設されているのを知っていると言った。彼が関わった中に、ネバタ州のエリア51とニューメキシコ州のダルシーもある。 ・ダルシーは、人口が約1000人の小さな町で、標高2100メートルあたりには、ヒカリヤ・アパッチ族の居留地がある。ダルシーやその周辺では、UFOを見たUFOが着陸した、「エイリアン」に誘拐された、人間や動物がばらばらにされた、レプティリアン(爬虫類人)を、見たといった報告が絶えず聞かれる。 ・ダルシー基地では1979年にレプティリアンとグレイが人間の軍隊や民間人と戦った「ダルシー戦争」があったとされる場所でもある。両陣営とも多数死者が出たが、フイル・シュナイダーもこの衝突に参加していたのだそうだ。彼はレーザー兵器で撃たれたといっており、すでに公にされているとのこと、彼の胸には異様な傷跡が残っている。 『日本怪異妖怪大事典』 小松和彦 監修 東京堂出版 2013/7/12 <UFO> ・空飛ぶ円盤、未確認飛行物体(Unidentified Flying Object)の略語。英米ではユー・エフ・オーと発音されるが、日本ではユーフォーという読み方が一般的である。本来は空中を飛行する正体未確認の物体をすべてさすが、現在では宇宙より地球に飛来した地球外知的生命体の乗り物(エイリアン・クラフト)だという理解が大勢を占める。世界中で目撃報告があり、アマチュア研究家も多い。 ・近代以前より空飛ぶ船・人間等の怪異の目撃はあった。「空飛ぶ円盤」の出現は1947年、アメリカのケネス・アーノルドの目撃証言に端を発する。アーノルドは自家用機で飛行中、「投げた皿か円盤が水面を跳ねるように」高速で飛行する9機の奇妙な物体を目撃、マスメディアがその物体を「空飛ぶ円盤(Flying Saucer)」と名付けて大々的に報道した。以降、円盤型のUFOが世界中で目撃されるようになる。 ・初期のUFO伝承においては、地球外生命体は人類を導きに来た長身で優美な金髪の白人男女の姿で描写されていたが、冷戦終結以降は軍や政府と密約を結んで人体実験を行う存在という伝承に置き換わり、目撃譚における宇宙人の容姿も、小柄で体毛がなく、吊りあがった大きな目の「グレイ」タイプが主流となった。現在のUFO伝承は、墜落したUFOをアメリカ政府が隠匿し、秘密を探る者には口封じにMIB(メン・イン・ブラック、黒スーツの男たち)が差し向けられるとするなど、陰謀論的性格を強く帯びている。 ・英米におけるUFO伝承には妖精伝承との共通性が指摘されている。宇宙人による誘拐(アブダクション)は妖精の隠れ里や取り換え子(チェンジリング)伝承と、UFOの着陸地に出現するというミステリーサークル(クロップサークル)は、妖精の踊った跡に出現するという妖精の輪(フェアリーリング)伝承と、UFOが実験のため牛を殺して血や臓器を抜くというキャトルミューティレーションは妖精が家畜を傷つけるという伝承と共通性を持つ。一方、日本におけるUFO目撃譚のほとんどは飛行する発行体の目撃例であり、火の玉やカネダマの伝承との共通性を持つと言える。 ・UFO伝承は妖精・妖怪の遭遇譚・目撃譚の現代的変奏と言いえる特性を持ち、なおかつマスメディアによって伝播・変容・生成される、都市伝説の一領域ということができる。 <鬼> ・鬼とは、さまざまな災厄、邪悪な出来事の原因として生み出された想像上の存在・霊的存在である。 ・鬼は、通常、次のような属性・特徴をもっているとされる。その姿は人間に似ているが、筋骨たくましく、顔は醜悪で、頭には角が生えており、肌の色は赤や青、黒といった原色であって、左右の口から鋭い牙がはみ出ている。虎の皮のふんどしを締め、山の奥や天上界、あるいは地下世界、地獄などに隠れ住んで、夜陰に紛れて人間界に出没し、悪事を働く。 ・例えば、鎌倉時代の鬼と思われる画像をみると、見ただけではとうてい鬼とは判定できない、角がない鬼もいれば、牛や馬のかたちをした鬼もいる。それがだんだんと画一化されていって、江戸時代になって、角をもち虎の皮のふんどしをつけた姿が、鬼の典型的なイメージとなったのであった。逆にいえば、こうした属性をもたない鬼たちは、鬼とはみなされなくなっていったわけである。 ・鬼は集合名詞であるので、たくさんの鬼がいるということでもある。そのなかで、もぅっとも有名な鬼が、大江山の「酒呑童子」である。酒呑童子は、南北時代製作の絵巻『大江山絵巻』のなかに初めて登場してきた、伝説上の鬼である。 ・さらに興味深いのは、鬼が怖ろしい者・否定的なものを表す言葉でありながらも、その子孫と称する人びとが散見されることである。大峰山の麓の洞川は、修験道の祖・役の行者に従っていた前鬼・後鬼のうち、後鬼の子孫の集落であるという。彼らは山で修行をする宗教者や信者の道先案内を勤めたという。また、比叡山の麓の八瀬も、鬼の子孫(八瀬童子)の集落であるといい、彼らは冥宮の従者である鬼の子孫で、天皇や天台座主などの葬送の折に、その柩を担ぐ役を勤めることを特権としていた。 さらにいうと、播磨の国・書写山円教寺の修正会で代々鬼役を務める家も、自ら寺を開いた性空上人に従っていた鬼(護法童子)の子孫であると伝えてきた。 <あくろおう 【悪路王、阿黒王】> ・里の人々を悪事で苦しめていた鬼、または蝦夷の首長を悪路王という。朝廷から派遣された坂上田村麻呂によって成敗された。悪路王の首は玉造郡の鬼頭まで、体は鬼死骸というところまで飛んだと伝えるところもある。悪路王の妻は鬼女である立烏帽子といわれており、鬼女伝説が残っている。 <いぶきどうじ【伊吹童子】> ・酒呑童子の前半生を、近江国伊吹山に生まれた伊吹童子とするもの。お伽草子『伊吹童子』では、酒呑童子が大江山に移るまでが描かれており、異類婚姻や捨子、異常児、伝教大師の験力譚などを含みながら、童子を伊吹山の麓、比叡山の北谷、西坂、そして丹波の大江山へと移していく。 ・また、源親光が伊吹童子を切った太刀は「童子切丸」と呼ばれ、所持者に次々と悲劇をもたらす呪いの太刀として知られている。 <かくれざと【隠れ里】> ・山奥、洞窟、岩穴、塚穴の奥、海底、淵、池、沼などの先にあると思われている理想郷、桃源郷、仙郷をいう。猟師や樵が偶然に紛れ込んでしまった人里離れた別天地。そこは心地よい気候の土地で住む人びとは争いごともなく平和でゆったりと暮らしを営んでいた。異境を訪問した者は歓待され、生まれて初めての心地よい日々を過ごす。日常の生活にもどり、もう一度訪ねてみようと試みるが不可能であった、と多くは伝承されている。 山中で米をつく音や機を織る音が聞こえてきたり、川上から椀や箸が流れ着いたりする話もある。全国各地に分布している隠れ里伝説は、村人が椀貸し穴・椀貸し塚・椀貸し淵などから椀や膳を貸してもらったという椀貸し淵伝説、竜宮淵伝説、平家谷・平家の落人伝説とも共通している点が多い。江戸時代初期の『御伽草子』には「隠れ里」という作品がある。また、柳田國男の『遠野物語』63.64の「マヨイガ」に隠れ里の話が記されている。 ・(秋田県)昔、秋田の田代沢の農民一人が深山に入り木を伐っていると、見知らぬ老翁が現れた。面白い所へ案内してやろうと奥地へ入ったところ、幽蒼な林の中に村があった。鶏や犬も飼われ、麻を栽培し、村人は豊かに見えた。二人はある家へ入り、ご馳走になった。酒はうまく、ヤナで取った魚は美味だった。村人はかわるがわる現れては接待した。どこからか「麦つき歌」が聞こえてきた。この村は麦を作っていた。村から帰った二人は、木切の現場まで来て別れた。その際、農民は「なんという村か」「その道の方向は」と老翁に聞いてみた。老翁は笑いながら「隠れ里だから」とのみ教えて姿を消したという。農民はその後も隠れ里への道を探して出かけたが、その村へ行くことはできなかった。 ・(栃木県茂木町)夜、ドシンドシンと米搗きの音が聞こえる。この音を聞く人は長者の暮らしをすると言っている。この音は「カクレザトノコメツキ」の音である。 ・(長野県松本市)カクレサト。信濃国松本領の猟人が谷底に落ちたところ、武田信玄のために滅ぼされた小笠原長時の一族が籠もる場所に迷い込んだという。人に知られると殺されるというので猟人は逃げて帰った。 『口語訳 遠野物語』 (柳田国男) (河出書房新社)1992/7 <山田の蜃気楼> 海岸の山田では、毎年蜃気楼が見えます。いつも外国の景色だということです。 それは、見たこともない都会のようすで、道路をりっぱな馬車がひっきりなしにとおり、人の往来もびっくりするほど多いそうです。家の形など、毎年少しも違いがないということです。 <マヨイガ(三浦家の話)> 小国の三浦某という家は、村一番の金持ちです。 しかし、いまから二、三代前の主人のころは、まだ家は貧乏で、妻は少し鈍い人でした。 この妻がある日、カド(門前)を流れる小川に沿って、蕗をとりに山へ入りました。が、よいものが少なく、いつの間にか、谷の奥深くまでさかのぼってしまいました。 ふと気がついてみますと、目の前にりっぱな黒い門の家がありました。(おかしいな)とは思いましたが、門の中へそうっと入ってみました。広い庭には紅白の美しい花が一面に咲きほこり、よい香りがしてきます。鶏のたくさん遊んでいるかたわらをとおり、裏庭へ回ってみますと、そこには牛小屋があって、数多くの牛がおりました。また、厩には、なん頭ものみごとな馬がおり秣を食べていました。 女はとうとう、玄関から家の中へ上がってみることにしました。一歩踏み込むと、開け放した次の間には、朱と黒のりっぱなお膳とお椀がたくさん用意されてありました。また、奥の座敷には火鉢があって、鉄びんの湯がチンチンとたぎっています。それなのに、どこまで行っても人影がありません。 ここまで来ますと、この気のよい女も(もしかして、ここは山男の家ではないか)などと思うようになりました。そう思い込むと、女は急におそろしくなり、谷川ぞいの道を、けつまずきながら、一目散に走って家へ帰り着きました。 「とど、とど、おれ、たいへんなもの見で来たや」 女はさっそく、山の中の不思議な家のことを語りました。が、夫をはじめ家の者は、だれ一人として本気にしませんでした。 さて、ある日のこと。女が、わが家の門前で洗い物をしていますと、川上から、赤いみごとなお椀が一つ流れてきました。あんまり美しいので、女は思わず拾い上げてしまいました。しかし、これを食器として使えば、きっとまた「きたない」と、家の人たちに叱られるに違いありません。女は、どうしても欲しくなり、これを拾うと、ケセネギツの中に、そうっとかくしておきました。米や麦を計る入れ物にするつもりです。 ところが、このお椀で米や麦を計りはじめてからは、いつまでたっても、なくなりません。そのうちに、家の人たちもやっと気がついたようでした。不思議に思って女にたずねましたので、女もはじめて、川から拾い上げたことを打ち明けました。家の人の話がほんとうであることを知り、とてもびっくりしたのです。 いずれ、この家は、このことがあってから好運に恵まれ、ついには、いまの三浦家のような大金持になりました。 遠野では、山中の不思議な家をマヨイガといいます。マヨイガに行き当たった人は、かならずその家の道具や家畜、なんでもよいから、持ってくることになっているのです。なぜなら、その人に授けようとして、このような幻の家を見せるからです。三浦家の妻に欲がなく。なにも取ってこなかったので、このお椀は、自分から流れてきたのだろうということです。 <マヨイガ> 山の奥深くに突然のように現われる無人の豪家。一度見た者は、二度と見ることはできないといわれている。 <門前> 家の内と外との境界。門の前を流れる小川に沿って歩いているうちに、いつの間にか、山深く入り込んでしまったという話の設定自体が、マヨイガへの伏線となっています。 川上から流れてきたお椀を拾い上げるのも、この門前のことです。 78話にも、「門の前」で死者の霊魂に出会う話があります。いずれにしても村の人々にとって「門前」とは、生と死、日常と非日常が往還する空間であって、語りのなかでは、重要なキーワードであったわけです。 <椀貸し伝説> 山中を漂泊し、椀や盆、膳などを作って生計をたてていた木地師たちの手によって、全国に伝わっていった伝説。柳田国男は、このマヨイガから流れてきたお椀の話の源は、この椀貸し伝説にあると考えました。 全国に分布する「椀貸し伝説」は、椀貸し淵など、川や池に流れてくることが多いのですが、それは竜宮信仰ともつながって、中国やインド、ドイツ、イギリスなどの話と比較されています。 『口語訳 遠野物語』 (柳田国男) (河出書房新社)1992/7 <マヨイガ(ヤマザキの話)> 金沢村は、白望山の麓にあたり、上閉伊郡の中でもことに山奥で、人の往来のあまりないところです。六、七年ほど前、この金沢村から栃内村山崎の某かかの家では、娘の聟をもらいました。この聟が実家に行こうとして、山中で道に迷い、やはりこのマヨイガに行き当たりました。 家のようす、牛・馬・鶏がたくさんいること、紅白の花が咲いていることなど、すべて前の話のとおりです。同じように玄関に入りますと、膳椀を用意している部屋があり、座敷には鉄びんの湯がたぎって、今ちょうど、茶を入れようとしているところのようにみえ、耳をすますと、どこか便所のあたりに、人が立っているような気配さえするように思いました。 男ははじめ、ぼうぜんとしていました。が、後にはだんだん恐ろしくなり、栃内村へ引き返そうとして道をはずれ反対側の小国の里へ出てしまいました。 小国村では、男からこの話を聞いても、だれ一人本気にする人はいませんでした。 しかし、遠野側の栃内村山崎のほうでは、 「それごそ、うわさに聞いたマヨイガだ」 「すぐ行って、膳椀でももらって来て、長者になるべす」 「さあ、聟殿、案内せじゃ」などと大さわぎになりました。 さっそく、聟を先頭に立て、大勢の人がマヨイガ探しに、山の奥へはいりました。 「このへんに、たしか門があったと思う」というあたりを、念入りに探しました。が、いくら探しても、そのような家はついに見つかりません。人々は、ただむなしく引き返すことになりました。 その後、例の聟殿が金持になったという話は、いまだに聞こえてきません。 『口語訳 遠野物語』 (柳田国男) (河出書房新社)1992/7 <山男は里人にとっては恐怖の対象である異人として語られていた。> <笛吹峠の山人> 遠野郷から、海岸の田の浜や吉里吉里(きりきり)へ超えるのには、昔から笛吹峠という山道があります。山口村(土淵村山口)から、六角牛山のほうへ入る道で、海岸までの道のりも近いため、よく利用されていました。 ところが、近年になって、この峠を越える人は、山中で必ず、山男や山女と出会うようになりました。この山人のうわさが広がると、それを伝え聞いた人々はみなおそろしがって、しだいにこの道を使わなくなり、人の往来はめっきり少なくなってしまいました。 とうとう人々は、境木峠というほうに別の道を開き、和山を新しい馬次場(うまつぎば)として、いまではこちらの峠だけを超えるようになりました。 二里以上もの、回り道になります。 <笛吹峠> その昔から、耳を切るほどの冷たい風が吹くということから耳切峠と呼ばれる峠越えの難所でした。大槌からは海産物を、そして遠野からは米や炭を馬に積み、駄賃付と呼ばれた人々が往き来していたのですが、山男や山女に出会ったという話が増えてから不気味な空間として人々からこわがられてしまいました。車道になった今でも、通る車は多くありません。 『図解雑学 日本の妖怪』 小松和彦 ナツメ社 2009/7/17 <山奥に潜む異世界 隠れ里と神隠し> ・隠れ里、神隠しは、この世ではない「異界」にまつわる概念である。 <山奥や風穴の向こう側にある異界> ・隠れ里は、山奥や塚穴の奥深くなどにあるという理想郷であり、迷い家とも呼ばれる。隠れ里に迷い込んだ者は、美しい景色や美味しい食物を堪能できるが、一度そこを去ると二度と戻れない。しかし、隠れ里で得た椀を持ち帰ると、穀物が湧き出て尽きることがなく、豊かな生活を送れるという。 風穴や竜宮淵といった場所を通して椀を借りる伝承(椀貸伝説)も、直接隠れ里には迷い込まないものの、風穴等の向こう側に異界の存在を想定していることは明らかである。 <隠れ里と神隠しの共通点> ・突然の失踪者があって理由もわからない場合、それはときに「神隠し」と呼ばれた。神隠しには、本人が戻ってくる場合と戻ってこない場合がある。本人が戻ってきた場合にも、失踪中のことを忘却していたり、一部しか覚えていなかったりすることがほとんどである。神隠しに遭う者の多くが子どもである点も、注目すべき点である。神隠しによる失踪期間中は山中の異界を彷徨っていたと考えられており、その原因として最も多く語られたのが、天狗による誘拐であった。心神喪失状態での発見や、場合によっては死体での発見もあることから、神隠しは人々に恐れられる現象であった。 ・隠れ里と神隠しには、異郷訪問譚という共通点がある。隠れ里における異界がプラスのイメージをもっているのに対し、神隠しにおける異界は、死に関わるマイナスのイメージを負っているといえよう。しかし一方で、神隠しを通しての異界への訪問は、子どもたちにとって多少のあこがれを伴うものであった。 <山男・山姥(やまんば) 「山人」と柳田國男> ・山男や山姥を「山人」と称した柳田國男。その実在を強調する論を手放したとき、その関心は「山そのもの」へと向かっていった。 <山男・山姥とは?> ・「山人」と書いてまず思いだされるのは柳田國男の『遠野物語』である。遠野出身の佐々木喜善という青年の話をもとにして、1910(明治43)年に成ったこの著作は、「国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」という印象的な序文から始まる。事実、『遠野物語』には「山人」と「平地人」とが交流する話が数多く収められている。 ・柳田にとって「山」とは中世、さらには古代の習俗がいまだに息づく空間であった。そして彼は「山人」と「平地人」に「山民」を加え、平地人は日本人の祖先とされる渡来人で、平地に定住し稲作を生業とする人々、山人は渡来人に敗れ山へ逐われた先住異民族の子孫であり、山中を漂泊している者、山民は山人を逐って山に入ったのち定住し、狩猟や焼畑を生業として生活する子孫であるとする。 ・さらに、柳田は明治後期から大正期の山に関する論考の中で、山男・山女・山童・山姫・山丈・山姥の総称として「山人」の語を用いているが、自らの生きる現在にも山人は実在しているという考えのもとで論を展開している。しかし、この実在証明への熱気は、積極的に資料を提供してくれていた南方熊楠からの批判によって収束していく。南方は山への信仰や伝承に関心をもってはいたが、山人の実在は信じていなかった。 <山姥の正体とは?> ・数々の昔話に登場する山姥。その正体は人を食べる鬼女なのか、それとも豊穣の山神なのか。 <山に住む女性、山姥の正体> ・山姥は山母、山姫、山女郎などと呼ばれる山に住む女性である。私たちが想像する姿は、大きな口に目を爛々と輝かせ、長い髪を振り乱した老婆ではないだろうか。実際に各地で伝承された目撃談として語られたりする姿は老婆であったり美しい女性であったりする。 昔話には山姥が登場するものが多いが、そこでは、自分のところに迷い込んできた者をとって食べようとする鬼女の姿をみせる反面、自分を手助けした者には財産を与えるといった、豊穣をもたらす山の神の姿もみせている。 ・山姥について柳田國男は、山の神への信仰と自ら山に入った女性たちが実際にいたことにその実在性を見出した。折口信夫は、自身の「まれびと」論につなげて、決まった時季に神の祝福をもって里を訪れる山の神の巫女の姿を見出した。そして、それらを受けて従来の民俗学では、山の神が零落して妖怪化したものが山姥であるとみなしてきた。しかし、たとえば新潟県糸魚川市上路では、山姥は都から旅をしてきた高貴な女性で自分たちの祖先に幸いをもたらした実在の人物であるとして、親しみを込めて「山姥さん」と呼び祀っているなど、山姥には多様な伝承があり、その伝承を伝える人々にもさまざまな認識や意味づけがある。 <山姥と金太郎> ・金太郎の母親としての山姥。山中で生活する山姥だが、まったくの独り身だったわけではない。山姥の息子として有名なのが金太郎、つまり坂田金時である。 中世後期から山姥は文芸作品に登場するが、たとえば世阿弥作の謡曲『山姥』では、越中越後境の山中で旅人を待ち受ける嫗として描かれている。そしてその後、近世初期に「金時は山姥の子である」という文言が登場し、『前太平記』には嫗姿の山姥が、自分が夢中で赤竜と通じて生まれたのが金太郎であると説明する件が入る。そもそも坂田金時は源頼光の四天王の一人として大江山の鬼・酒呑童子を退治するなど、武勇で名を馳せた伝説の人物である。英雄と異常出生と特殊な生い立ちを語る際に、母に選ばれたのが山姥だったのである。 『龍の棲む日本』 黒田日出夫 岩波新書 2003/3/20 <龍穴だらけの中世的(国土)> ・改めて列島の(大地)を見つめなおしてみよう。 すると、無数の穴が開いており、それらは「龍穴」や「人穴」「風穴」などと呼ばれていることに気づくであろう。龍穴とは、龍・龍神が棲むとされる洞穴である。むろん、こうした龍穴という観念も、龍神信仰とともに中国からもたらされたと考えられるのだが、ここでの問題ではない。ともかく、(日本)には無数の龍穴が存在しているのである。 <地下を縦横に走る巨大な穴道> ・実は、中世の人々がイメージした洞窟の奥は、われわれの常識を こえた地下世界となっていた。 <弁財天の穴道> 『渓嵐拾葉集』にはまた、次のような問答が載っている。 尋ねて云うが、弁財天の浄土というのは、日本には幾つくらいあるであろうか。 答え。相伝によると、吉野の奥にある天ノ川、安芸の厳島と江州の竹生島である。この三箇所は、次のように三弁宝珠のようにお互いに穴があき通っているのである。そのほかの所々の霊窟もみな弁財天の浄土である。あるいは本地である仏菩薩の高々であることを表すために、高山の峰に居り、あるいは深い禅定の境地を表して、大海の最低にある。このほか山河大地のことごとくは、これこの弁財天の部類眷属がお住みになっているところである。 とあって、大和の国の吉野の奥の天川、安芸の厳島、近江の竹生島の三弁財天は、互いに地下の穴道(トンネル)で繋がっているとされているのである。同様の記述がもう一か所にある。ちょっと想像してみてほしい、安芸の厳島と吉野の奥の天川と近江の竹生島の弁財天が穴道によって互いに通じ合っているのだということを。弁財天は龍蛇の姿で現れるから、それぞれの龍穴の間の穴道を行き交う巨大な龍蛇をもイメージしなければなるまい。しかも、後半の文意からすれば、この穴道は部類眷属の住まう山河大地にも繋がっていると解釈しなければならないだろう。 それをうかがわせるのは。「六所弁財天のこと」という次の記述である。 天川紀州 厳島安芸 竹生島江州 江島相州 箕面摂州 背振山肥州 已上。 このコスモロジーによれば、この六弁財天は皆、穴道で繋がっていたことになる。 <走湯山の八穴道> ここで、もう一度伊豆の『走湯山縁起』に戻ってみよう。すると、 「八穴道」の地下世界が広がっていた。 ・この山の地底に八穴道有り。一路は戸隠第三重の厳穴に通ず。二路は諏訪の湖水に至る。三路は伊勢大神宮に通ず。四路は金峰山上に届く。五路は鎮西の阿曾の湖水に通ず。六路は富士山頂に通ず。七路は浅間の嶺に至る。八路は摂津州の住吉なり。 ・すなわち、信濃の戸隠山―同国の諏訪湖―伊勢の大神宮―大和の金峰山―西肥後の阿蘇山の湖―富士山―浅間山―摂津の住吉社、これらが巨大な穴道によって繋がっていたのだ。東は伊豆の走湯山から、西は肥後の阿蘇山に至るまでが、巨大な穴道によって結びつけられており、壮大な地下世界の存在が想像・イメージされているのである。注意したいのは、繋がっているのが、聖なる山岳と湖水と霊威のある神社であることだ。 <湖海を繋ぐ穴道> ・このような穴道は、弁財天の龍穴や走湯山、そして熱田社だけのものではなかった。各地の山岳にある龍穴や人穴の真っ暗な奥のさらに奥には、やはり巨大な穴道が延びており、お互いに通じあって巨大な地下世界となっていると想像すべきであろう。これが中世人の抱いた龍穴の奥のイメージなのであった。 ・すなわち中世の(国土)とは、龍の棲む(大地)ないしは龍体の(大地)であり、その地下世界は網の目のように穴道が広がっていた。いったん、(国土)が危機に直面した場合には、龍の姿をした神々は、黒雲に乗って姿を現すだけではなかった。この巨大な地下世界の穴道が神々の通路となり、神は随所に姿を現していたのである。しかも、その穴道は天竺の無熱池などにも延びており、金剛杵で飾られた三国世界のシンボリズムを地下から補完しているのであった。 <龍の棲む(国土)と地下世界遍歴の物語> ・かくして、中世(日本)の(国土)の地下・地下世界が洞穴だらけ、穴だらけであったことがつかめたと思う。そこには縦横に巨大な穴道の世界が延びていた。そこに棲み、あるいは自在に行き来していたのはーもはや明らかであろう。巨大な龍ないし龍蛇であったのだ。 <将軍の洞窟探検> ・このように(大地)にあいた聖なる龍穴や人穴には、役行者や行基菩薩の地下遍歴の物語がいくつも生み出されたのだが、それだけではなかった。 もう一方で、地下を行き交う洞穴のイメージは、中世の支配者の関心を引いたのである。中世東国の武家政権の主である将軍家は、しばしば各地で巻狩りを行ったが、その途次で洞穴を見出すと、その奥の探検を命じたことが、『我妻鑑』に記録されている。 『天孫降臨 / 日本古代史の闇』 コンノケンイチ (徳間書店) 2008/12/8 <シリウス星系(龍)対オリオン星系(牡牛)> ・世界各地の神話や伝説を調べると、BC4000〜3000年ごろ「牛神」と「龍神」という2種の異星人が地球に来ていたようで、流れは大きく二つに分かれていた。 ・牛神が活動した本拠地は、現在の西インドとギリシア地方で、それがインド各地の「聖牛伝説」や「ギリシア神話」として今に伝えられている。 ・メソポタミアの神話にも「天の神」と呼ばれた「牡牛の神々」が登場し、その起源もシュメール文明に始まっている。バビロンの主神マルドゥクも、また旧約聖書にも記されるカナンの神であるバールの父エルも牡牛の神である。この流れは、ギリシアやエジプトにも飛び、ゼウスも牡牛の神である。白い牡牛の姿で美女エウロベに近づいた。豊穣の神ディオニュソスも、エジプトのミンも牡牛である。豊穣の神だけではない。メソポタミアの大地母神イシスも牡牛の姿で現れ、ギリシアの大地母神ヘラも牡牛の目を持つ神で、このようにシュメールからの流れの主神全てが牡牛だった。 ・原始密教(雑密)の発祥地インドでも、インダス文明の時代から現代まで牛は長く崇拝されてきた。モヘンジョダロの遺跡からBC2000年以上と思われる聖牛の印象や図象・彫像が発掘され、当時すでに牡牛への信仰が存在していたことが判明している。 ・彼らは、「驚嘆すべき牡牛なす双神」と表現され、発進母星は65光年先の牡牛座(地球から観測する最も明るく輝く恒星アルデバラン)にあると述べられている。牡牛座の近くにはプレアデス星団(スバル座)もありオリオン星系に属する。 ・一方の龍神はどうだろう。発進母星は地球から約8.7光年離れたシリウス星系でとくに地域を限定せず、全地球規模で活動していたからである。私達の銀河は直径が10万光年あり、その意味では龍神の発進母星シリウス、牛神のオリオンはお隣の星、隣接する恒星といってよい。 ・前記したインド最古の文献『リグ・ヴェーダ』には天上(宇宙)での両者の凄まじい戦闘が微にいり細をうがって描かれている。そこではテクノロジーの差なのか、圧倒的に牛神が優勢だったようである。 『日本霊異記の仏教思想』 小林真由美 青簡舎 2014/5 <『日本霊異記の異類婚姻譚―神話から仏教説話へー』> ・『日本霊異記』中巻第三十三縁は、美しい富豪の娘の身に起きた猟奇的事件の説話である。 鏡作造(かがみのつくりみやっこ)の娘万(よろづ)の子は、高い身分の男たちの求婚にも応じずに年を経ていたが、ある求婚者の「彩帛(しみのきぬ)(染色された絹布)三車」の贈り物を見て「おもねりの心をもち」、求婚を受け入れた。しかし、娘は、結婚初夜に頭と指一本を残して食われてしまった。男は恐ろしい食人鬼だったのである。 ・この説話は、正体不明の男との結婚という点で、『古事記』三輪山伝説を想起させる。崇神天皇記によると、活玉依毘売(いくたまよりびめ)という美しい娘のもとに、見知らぬ立派な男が通ってくるようになり、程なく身ごもった。 母は、娘の夫の身元を知りたいと思い、娘に、床の前に赤い土を散らし、「へその紡麻」を針に通して男の衣の裾に縫い付けさせた。明くる日、その糸をたどっていくと、三輪山の神の社に着いた。男の正体は三輪山の神で、活玉依毘売は神の子を宿したのだと知った。三輪の神官の始祖伝説であり、三輪(三勾)という地名の起源譚である。 ・この型の伝説は、異類婚姻譚に属し、三輪山聖伝説といわれるが、それに類する伝説が、城里晡時伏山の条にある。怒賀毘古(ぬかびこ)・怒賀毘
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