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天狗の住む家があった。庭にある注連縄が引いてある松に住んでいるという。天狗は鮭を食べたり、子供をさらうことがあった。(1)
[森羅万象]
2019年10月4日 19時57分の記事



<●●インターネット情報から●●>
ウェッブサイト『怪異・妖怪伝承データベース』
国際日本文化研究センター



<神隠し>
1、■地域(都道府県名)福島県
■要約
40年余り前、熊という男が神隠しにあった。数日後に見つかったが、話を聞くと背の高い大きな鼻の恐ろしい顔をした人に薮へ投げ込まれ、うろついているうちに見つかったと話した。

2、■地域(都道府県名)和歌山県
■要約
初夏、徳松が川で行方不明になった。4日後見つかったが、それ以来、家を空けたりするようになった。徳松は川で天狗に助けられてから天狗と付き合っていると語るので、人々は天狗の徳松、天狗徳兵衛と呼ぶようになった。

3、■地域(都道府県名)奈良県
■要約
12、3年前に、北葛城郡五位堂村で座敷に寝ていた10歳の女の子が、夕方に神隠しにあった。狐の悪戯として村中で探したが見つからなかった。帰ってみると、その子はもとのところで寝ていた。

4、■地域(都道府県名)愛知県 
■要約
神隠しに有ったと思われた人が、ぐるぐる歩き回らされていた。狐の仕業。

5、■地域(都道府県名)山形県
■要約
昭和17年6月頃、少し頭の変な男が行方不明になった。3日後月山で発見されたが、男は狐に騙されて年寄り夫婦と美しい娘のいる家に一晩だけ泊まっただけだと言った。

6、■地域(都道府県名)奈良県
■要約
中学生の頃、ある家の4、5歳の子供が、夕方急に姿が見えなくなり、神隠しになったことがあった。狐に入られたというとことになって、村中総出で、桝の底を叩いて子供を捜しに出かけた。

7、■地域(都道府県名) 静岡県
■要約
男の子が天狗にさらわれた。町内の人々が探したが、10日目に戻ってきた。その後も度々連れて行かれた。

8、■地域(都道府県名)福島県
■要約
親類が神隠しにあった。夜には村の山にいたが、夜明けごろになると子馬のようなものが現れて一緒にこいというので、これについていくと、隣村の山に入った。天狗様が現れて、ここにいては悪いから村へ帰れと掴まれて投げられた。

9、■ 地域(都道府県名)神奈川県
■要約
神隠しにあった人を村中で山に入って探した。神隠しとは天狗にさらわれることで、たいてい木の上で発見される。蕎麦だと思いながらミミズを食べていたりする。

10、■地域(都道府県名)静岡県
■要約
子どもが神隠しに遭い、天狗さんに京都などを連れ歩かれた。その子の大便は木や苔ばかりだった。

11、■地域(都道府県名)和歌山県
■要約
神隠しは天狗の仕業。少し頭の足りない人がいなくなり、3日くらいして帰って来た。遠い所で接待を受け、ご馳走を土産にもらったと言った。土産を出させてみると、木の葉や苔だった。

12、■地域(都道府県名)福井県
■要約
ある家で赤ん坊が泣き止まないので「天狗様にあげてしまおう」といって赤ん坊を窓から外へ出すまねをしたら、「ではもらっていこう」という声がして、赤ん坊をさらっていってしまった。赤ん坊の行方は知れないという。

13、■地域(都道府県名)群馬県
■要約
婦女や子供を拐かす神隠しも天狗の仕業とされた。赤岩の家の先祖に周平という男児がいたが、山に入ったまま行方不明になった。法印に見て貰った処、天狗に掠われて帰れないと言う事であった。

14、■地域(都道府県名)京都府
■要約
西陣辺りの大きな織屋の「少し低能な下男」は時々神隠しにあったり、天狗に憑まれたりする。あるとき突然二三日いなくなったので尋ねると、天狗に連れられて安芸の宮島へ参詣したと話した。詳しく問いただしても返答が事実にぴったり合っていたという。

15、■地域(都道府県名)福井県
■要約
母が田の水を見に行っている間に3歳の女の子がいなくなった。探したら、幼児ではとても渡れない丸木橋の向こうで見つかった。天狗にさらわれたのだろう。

16、■地域(都道府県名)長崎県
■要約
神隠しもヤコのいたずらで、神隠しにあうと木槌に紐をつけ引きずりながら父が子の名を叫んで行く。

17、■地域(都道府県名)北海道
■要約
ドージという老翁が12の男の子と共にいなくなった。ドージが男の子を誘って逃げたとも、2人とも神隠しにあったともいわれた。7年後、男の子が若者になって戻り、ドージに釣の秘法を授けてもらったと語った。

18、■地域(都道府県名)神奈川県
■要約
神隠しとは、テンゴウサマに攫われることであり、蕎麦と見せかけてみみずを食わされたりするのだという。発見されるのは大抵木の上である。

19、■地域(都道府県名)岩手県
■要約
若い娘が梨の木の下に草履を脱ぎ捨てたまま行方不明になり、30年余のち、親類の家に極めて老いさらばえたその女が帰ってきた。女は、人々に会いたかったから帰ったのだとつげ、再びあとをとどめず行き失せた。その日は風が激しく吹く日だったので、遠野では今でも風の騒がしい日にはサムトの婆がかえってきそうな日だと言うとのこと。

20、■地域(都道府県名)香川県
■要約
神隠しにあった少年がいた。部落中で探し回ったが見つからず、4日目に近所の便所の近くに立っているのを発見された。神隠しにあったという評判が立った。それ故に子供たちは神隠しに遭うから夜に外へ出てはいけないという。

21、■地域(都道府県名)鹿児島県
■要約
元暦二年の春、壇ノ浦で敗れた平家一族の何人かは九州から島伝いに南下しある島に上陸、西南山麓の洞窟に居を定めた。食料になるエラブウナギを海岸で捕って携えて帰ったら、兄の松千代の知らない間に松稚が消えていた。恐らくエラブウナギを捕らえた事で氏神の心に背き最愛の子供が神隠しにあったのだろう。

22、■地域(都道府県名)高知県
■要約
昭和25年、若い母親が5歳の長女と3歳の長男を連れて山畑で働いていた。午後七時ごろ、長男が帰りたがるので姉と一緒に帰したが、それきり長男のゆくえがわからなくなった。部落の男たちが捜し歩いたが何のてがかりもなかった。

23、■地域(都道府県名)愛媛県
■要約
法事の帰りに娘さんがいなくなった。捜してみると、竜王様のところに下駄がそろえて置かれていた。何かに誘われたらしい。賢い人か足りない人が誘われやすい。

24、■地域(都道府県名)和歌山県
■要約
天明年中の冬の夜、商家の嬶が行方知れずになった。家人が驚いてさわいでいると、虚空に声がした。夜が明けて海を見ると女が浮かんでいたので、引き揚げると嬶だった。

25、■地域(都道府県名)山梨県
■要約
子供が遊んでいたら、白いひげのおじいさんが現れて、おぶされといい、いう通りにするとやたらと連れて歩かれ、一の宮の階段のところでそのおじいさんはいなくなった。卯月長之さんのおとうさんが子供の時にあった話だという。

26、■地域(都道府県名)神奈川県
■要約
ヤボシタの祖先は、一日中小松谷戸を引きずり回され、馬糞の団子を食わされるという神隠しにあった。

27、■地域(都道府県名) 山梨県
■要約
栄造という男が芋を掘りに行き、神隠しにあって10日隠された。この間に金毘羅様へお詣りに行ったそうである。

28、■地域(都道府県名)山梨県
■要約
神隠しで、昔、子供がいなくなったので、村中捜しまわって、日暮れにイチノミヤ神社にいるのを見つけた。白い髭のおじいさんに連れられていって、気がつくと神社にいたという。

29、■地域(都道府県名)高知県
■要約
泣く子は外へ出すもんではない。もし出しておくと神隠しにあっていなくなるといわれる。

30、■地域(都道府県名)高知県
■要約
3、4歳の子どもが行方不明となり、一里も離れたところで発見された。知らない者が連れていったと語ったという。また、春代という娘が6日間もいなくなり、7日目に押入れで発見されたことがあった。坊主のようなものが連れていったと語ったとのこと。

31、■地域(都道府県名)神奈川県
■要約
何年も病気で寝ていた人が神隠しにあい、二週間ほどしてから武州高尾山の裏から人力車で送られて帰ってきた。その後気がおかしくなった。

32、■地域(都道府県名)長野県
■要約
かくれんぼなどして遊んでいる時、子供の姿が見えなくなる。行者様に頼んで祈ってもらったところ、ひょっこり出てきた。神隠しだといわれている。

33、■地域(都道府県名)秋田県
■要約
夕方の4時頃、2歳の子どもがいなくなった。一晩探して夜中の11時に、山奥のコモウ沢というところで見つかった。コモウ沢に行った男たちは、皆一様に鳥肌が立ち、髪が逆立ったと言う。

34、■地域(都道府県名)栃木県
■要約
話者が8歳の頃のこと。村内の子どもがいなくなり、消防団が一晩中捜してもみつからない。ところが次の日、大木の根本にその子がボーッと立っているのが見つかった。その子は、夕方山道を行ったら白装束で白髭の老人で出て来て自分を背負い、空に飛び上がった。そのあとは憶えていない、と話した。

35、■地域(都道府県名)和歌山県
■要約
坂本佐平の妻・かんは明治30年8月11日の未明に家を出たまま帰らず、村人が探したが見つからなかった。23日に草部屋で見つかり、話を聞くと何とも知れぬ者に北海道まで連れていかれたという。

36、■地域(都道府県名)岐阜県
■要約
神隠しとは、昔、御岳さんにお参りに行って霧に迷ったりして行方不明になったのなんかをそう言ったんだろう。

37、■地域(都道府県名)鹿児島県
■要約
少年団が野営をした夜、ひとりの少年が行方不明になった。その後のある日、白衣の男が、少年は宮崎市にいることを告げた。数日後、行方不明の少年は団服を着たまま宮崎市でみつかった。

38、■地域(都道府県名)福井県
■要約
ある人が山で柴刈りをしていたら、じいさんに「敦賀の祭りを見せてやる」といわれ、目をつぶって明けたら敦賀の町にいた。祭りを見て飲み食いしたあと、また連れてきてもらった。家に帰ると何日も過ぎていて、心配されていた。

39、■地域(都道府県名)埼玉県
■要約
明治35年の秋、7歳の子供が居なくなった。神道様が「南の方角で大きな岩の側に居る」というので探しに行くと、ヘエトオ穴という岩屋の所で見つかった。尋ねると、白い髭のお爺さんと一緒にいたという。「モロコシ」(玉蜀黍)を食べたと言っていたが、口の高さの木の皮をかじって喰ってしまっていた。

40、■地域(都道府県名)静岡県
■要約
女の人が山へ入った。正気に帰って、村人に道を尋ね、村の山を峯伝いに行った、と言った。

41、■地域(都道府県名)兵庫県
■要約
数年前、6〜7才の男の子が神隠しにあった。男子は山の笹の中にいるところを炭焼きに見つけられた。男子はひげの生えた人にきれいな花の咲いた所へ連れていかれ、うまいものを食ったと語った。

42、■地域(都道府県名)神奈川県
■要約
小松の高さんは何年も病気で寝ていたのが、ある日突然神隠しにあった。2週間ほど経ったある日、高尾山の裏から人力車で送られて帰ってきたが、その後は気がおかしくなってしまったのだという。

43、■地域(都道府県名)千葉県
■要約
カミカクシ(神隠し)で、蜂谷市之助さんが4・5才の頃、祭りの日にいなくなったので、村中で捜した。大雨が降った後、松戸隆さんの親のおばあさんが畑に行って、大きな椎の木の根元で泣いている市之助さんを見つけた。

44、■地域(都道府県名)神奈川県
■要約
神隠しにあって出てきた人が、井戸桁の上を跳ね回っていたことがあるという。

45、■地域(都道府県名)高知県
■要約
子守の娘が3歳になる主家の男の子を背負って山で遊ぶうち、数分の間に子どもが行方不明になった。部落の男が探したが見つからなかったが、三日後子どもが裸で歩いているところを発見され、口からコーシバの葉やミミズを大量に吐いたという。

46、 ■地域(都道府県名)山梨県
■要約
女の人が行方不明になり、大勢で探したら岩の上に座っていた。3日間座っていたという。その間のことは何も覚えておらず、神様に連れて行かれたのだといわれた。

47、■地域(都道府県名)茨城県
■要約
夕方にかくれんぼをしていると、神隠しにあって隠されると言う。

48、■地域(都道府県名)岩手県
■要約
農家の娘が、物に取り隠されて見えなくなった。死んだものとあきらめていると、ある日田の掛け稲の陰にこの女が立っているのを見た者がいた。そのときにはすでに気が荒くなっており、たちまち去ってしまい、ついに帰ってこなかったという。

49、■地域(都道府県名)岩手県
■要約
数年前のこと。近所の子供が行方不明になった。帰ってきた後聞いてみると、何かに憑かれて1日中歩き回っていたといった。

50、■地域(都道府県名)静岡県
■要約
子どもがいなくなり、しばらくして宝樹寺の門の上にいるのが見つかった。

51、■地域(都道府県名)和歌山県
■要約
明治37年3月3日、九棚丸の炊夫坂上代五郎が見えなくなった。四五日後、他の炊夫が船上に登ると一陣の風が吹き、代五郎が落ちてきた。話を聞くと3日の朝風が吹き、体が船から離れたという。

52、■地域(都道府県名)岩手県
■要約
6、70年前、医者の家の美しい一人娘が神隠しにあった。数年後に家の流しの口から鮭が飛び込み、それは娘であろうと言われ、それ以来鮭を食べなくなった。

53、■地域(都道府県名)長野県
■要約
ずいぶんと離れた場所に、田畑を開墾して暮らす農家があった。そこの先祖の話で、ある日子供が横着であったことから、父親が子供を木に縛り付けて放置しておいた。朝になって見に行ってみると子供は居らず、縛った紐も無くなっていた。

54、■地域(都道府県名)群馬県
■要約
妹が4つの時、神隠しにあった。姿が見えなくなり探したが見つからない。占ってもらうと、弘法さんに聞いて算盤をはじき、命に大事はないとのことだった。翌日、山の高いところで泣いているのが見つかった。子供に登れる場所ではない。妹に当時の記憶は全くないという。

55、■地域(都道府県名)神奈川県
■要約
ある家の先祖は一日中小松谷戸を引き回され馬糞団子を食わされたそうだが、これも神隠しであった。

56、■地域(都道府県名)神奈川県
■要約
畑久保のおダイさんの妹も神隠しにあった。帰ってきたときには井戸桁の上をぴょんぴょんと跳ね回ったりしたという。

57、■地域(都道府県名)熊本県
■要約
山の神の大木を伐ったら、2,3日大風が吹いた。伐った人の子供と妻が一緒に歩いていたら子供の姿が急に見えなくなった。

58、■地域(都道府県名)高知県
■要約
旧藩の世には神隠しが多かった。そのような時は村中総出で探したが、その方法は藩の規則にしたがって3昼夜に限って、捜索隊の人の帯を互いに縄で結び、行方不明にならないようにして探した。先頭の者は失人の親族で、その名を唱えたり、また山伏先達あるいは神主が先頭となりほら貝などを吹くこともあった。

59、■地域(都道府県名)和歌山県
■要約
文化5年5月19日の夜、宇治屋利兵衛の前髪勘次が、四ツ頃便所に立ったまま行方知れずになり、神隠しに遭った。丑の刻過ぎに蔵の庇に立っているところを発見された。本人が語るところによると、山伏につれてまわられたという。

60、■地域(都道府県名)山梨県
■要約
7歳の子供が神隠しに遭った。ガンガラを叩いて大規模に探し回ったが見つからない。10日ほど後、内廊下にひっそり立っているのが見つかった。それから3日ほど口も聞かず食べ物も食べずにいたが、段々と元に戻っていった。

61、■地域(都道府県名)滋賀県
■要約
伊勢へ行った男が帰ってこない。不動さんの行者の耳うつしで聞いたとおり、東方の宮様の森の上を探すと服が引っかかっていた。

62、■地域(都道府県名)石川県
■要約
神隠しに会ったりすると、幾人もの人がその人の名を呼び、幾つも高張を灯し、太鼓をたたいて探す。狐やむじなや天狗は太鼓の音を嫌うからである。

63、■地域(都道府県名)静岡県
■要約
山に言って神楽が聞こえてきたとき、真似をして負けると神隠しに遭うから、まねしてはいけない。

64、■地域(都道府県名)青森県
■要約
ある家出養子にしていた男の子供が安倍越附近で神隠しにあった。探し回ると、安倍越のヒバ林の中から子供の泣声が聞えたが、養子だから誰も行く人がなかった。

65、■地域(都道府県名)長野県
■要約
山の手入れを良く手伝ってくれたおじがいた。ある時おじが、一週間ほど行方がわからなくなった。帰ってきたときに尋ねてみたが、自分でもどこに行ったか分からない。神隠しだろうか。

66、■地域(都道府県名)愛知県
■要約
ある男が神隠しにあい、幾日かして、大きな木の根株を背負って帰ってきた。白髪で鼻の高い老人に連れられて各地を巡り、別れ際にこれを背負って帰るように言われたとのことであった。この株は燃料にされたがなかなか使い切れないで、5、6年前まではあったという。

67、■地域(都道府県名)奈良県
■要約
近村の某の息子が、田んぼの畦に座る狐が尾を左右に振るとおりに歩き回っていた。どうしたのかと背を叩くと正気に戻り、今までの自分の挙動を知らなかった。

68、■地域(都道府県名)和歌山県
■要約
神隠しの子どもを捜すのに、櫛の歯を折って、桝の尻を掻いて、変な音をたてる。

69、■地域(都道府県名)沖縄県
■要約
物迷い(神隠し)した者は、一旦帰ってきて自分の櫛を持って出て行くと、再び帰宅しないと信じられている。そのため、家族は本人の櫛を隠して取られぬようにするが、締め切った部屋でも入ってきて、知らぬ間に取られる事がある。

70、■地域(都道府県名)長野県
■要約
柿の島という小字の絶壁にある白岩には底なし穴が開いているという。神隠しにあったものはこの穴にはまって地獄に行くのだろうといわれる。

71、■地域(都道府県名)高知県
■要約
国民学校の児童が教師に引率され平家平へ登ったが、6年生の少女が行方不明となり数日後発見された。発見されるまで寒さも空腹も感じなかったという。平家平には平家の落人の怨霊がさまよっているという伝承がある。

72、■地域(都道府県名)高知県
■要約
子どもが奥山へ誘われるときには、同じ年ごろの子どもが現れて、「こうきてこうこい、赤蝉刺しちゃろ」といいながら、しだいに山深く誘いこんでいくものだという。

73、■地域(都道府県名)東京都
■要約
オボスナサマで毎年9月15日に獅子舞があり、その度に7つ8つの子がさらわれる。お母さんと手をつないでお獅子を見ていると、ひとりでに手が離れて、天へあがって、ふわりふわりと飛んで行く。神隠しか天狗がさらうのかわからない。

74、■地域(都道府県名)富山県
■要約
子供の懐に塩鮪を入れておくと神隠しにあわない。天狗は高い松の枝の門のところにいる。深夜に松の下を通ったとき、笑い声が浴びせられることがある。このとき逃げ出さないと1,2町も2,30町も先へ投げ出される。

75、■地域(都道府県名)埼玉県
■要約
吉田屋の親戚の子が三つの時、子守に負われて落合の裏山へ栗拾いに行ったまま一週間見つからなかった。天狗にさらわれたということだがその子は元気に成長している。

76、■地域(都道府県名)富山県
■要約
大正6年に農家の嫁さんが神隠しにあった。2晩も寝ずに村中で探し回った。3日目の朝に見つかった。

77、■地域(都道府県名)福島県
■要約
以前は、七つ森の峠越しでは天狗様のお怒りにあって神隠しに遭うというので、生臭や女気を断って一週間の行をした。明治の頃、ある人が信じずに山仕事に米を背負って出かけて、行方不明になった。山探しをすると20尺(6m)もある木の上に、米を背負ったまま引っかかって死んでいた。

78、■地域(都道府県名)長野県
■要約
神隠しに遭うことを天狗様にさらわれると言う。「鯖食った鯖食った」と唱えると、天狗は鯖が嫌いなのでその難を免れるという。天狗にさらわれて呪いを教えてもらった者がいた。天狗をグヒンサマとも言う。

79、■地域(都道府県名)なし  (伊那史学会より)
■要約
ある男の子が急にいなくなり、神隠しにあったのだろうということで隣組総出で探し回ったが、遂に見つけられなかった。ところが5・6日後の夕方、男の子が二階の庇に立っていて、天狗に連れられて京や大阪を見物したと言ったという。その他、グビン様にさらわれたなど、こうした話は諸方にあるらしい。

80、■地域(都道府県名)岐阜県

■要約
昭和6年7月、ある人が畑に出たまま今に至るまで帰ってこない。天狗に連れて行かれたのか神隠しにあったのだろうと、今でも葬式をせずに帰りを待っている。

81、■地域(都道府県名)島根県
■要約
武五郎という男は神隠しに遭い、一本の杖を携えて帰ってきた。武五郎は空を飛べるようになり、二十年あまり天狗に使えた後隠居したが、天狗との交わりは続き、小判を出すことが出来る杖の力で裕福になった。

82、■地域(都道府県名)富山県
■要約
40年位前の話で、隣村である砺波で一人の子どもがいなくなって村一同で名前を呼んで太鼓を叩いて探したが見つからなかった。2晩いなくて、3日目の朝に川のふちの木の根っこの側に子供が笑って坐っていて見つかった。2日間ものを食べずに、雨も降ったのに着物はぬれていなかった。子どもに尋ねてもさっきから坐っていたという。これは天狗さまの仕業だと言った。また、神隠しで、子どもを粗末にするからだとも言った。

83、■地域(都道府県名)新潟県
■要約
高倉の村に通称「天狗さま」といわれたハッケミがいた。大正年間に台島という村で作男をしていたが、ある夕方に急に見えなくなって、村中で大騒ぎで探したが、わからなかった。それから2週間もたってから、帰ってきて入口に寝ていた。天狗にさらわれて八海山へいって、大木やがけの上に上がったりしていた。天狗からハッケの術をならってきて、よくあたったという。それで、「天狗さま」と呼ばれるようになった。

84、■地域(都道府県名)富山県
■要約
天狗の住む家があった。庭にある注連縄が引いてある松に住んでいるという。天狗は鮭を食べたり、子供をさらうことがあった。

85、■地域(都道府県名)長崎県
■要約
天狗は子供を神隠しにする。それで村中で探しに行くことがある。

86、■地域(都道府県名)愛知県
■要約
天狗にお産の藁を授かったと言う話がある。ひとつの神隠しの例であろう。

87、■地域(都道府県名)高知県
■要約
夢の中に現れた小僧が示した場所に行くと、老僧が待っていて体全体に円を書いた。そして息を三度吹きかけると、病気が治った。

88、■地域(都道府県名)高知県
■要約
年頃の3人の姉妹が、山へたきぎ取りに出かけたが、夕方帰って来たときには3人とも発狂状態で、わけのわからぬことをしゃべり笑い転げたりするだけであった。

89、■地域(都道府県名)沖縄県
■要約
夕方から夜中頃、淋しい道を歩いていると道に迷う。これをムヌマイー(物迷い)という。

90、■地域(都道府県名)沖縄県
■要約
人が神隠しにあったように突然いなくなることをムヌにもたれるという。

91、■地域(都道府県名)富山県
■要約
テンゴサマは大男で、隠れ蓑で姿を隠し夜まで遊んでいる子供をさらう。神隠しの原因だと言われる。さらって行くと、足を引き裂いたり馬糞に小豆をつけて食べさせる。

92、■地域(都道府県名)神奈川県
■要約
神隠しにあった人が3日ほど行方不明になった後に城山のほうから戻ってきた。それからは天狗小僧と呼ばれるようになった。

93、■地域(都道府県名)香川県
■要約
カクシとは神隠しのことである。タネの花は咲く頃には、2〜3才の子供がよくカクシに会うという。

94、■地域(都道府県名)宮城県
■要約
一迫のシズ村に、男性のはやり神様がいた。天神を信仰しているうちに神が憑いたという。方角を見てくれたり、失せ物や神隠しの人を捜したり、病気を治してくれるという。三回流産した人が、拝んでもらって31で初めて男の子を授かったという。

95、■地域(都道府県名)長野県
■要約
子供が神隠しにあって帰ってきて、てんぐ様に連れられて大阪に行ったなどと言う。だいたい3日から5日すると帰ってくる。村中で探したところ、家の庭にいたということもあった。神隠しにあって、帰ってこない人もいたという。

96、■地域(都道府県名)福島県
■要約
おなつという娘が行方不明になり、通りがかりの山伏に祈祷してもらった。山伏が滝で21日の行をして沼の淵を探したら見つかった。温めたら生き返ったが、喋れなくなっていた。その後山伏の奥さんとなったが、口は利けないままだった。死ぬとき初めて「真っ暗で、非常に冷たかった」と言った。

97、■地域(都道府県名)兵庫県
■要約
雇われて住み込みで仕事をしていた娘が、仕事がきついので朝早く逃げ出して家へ帰ろうとした。娘がいないので大騒ぎになり、娘の家のものが苗代でボンボン火を焚いて祈祷した。すると山の中で迷っていた娘は、その煙を見て里へ降りることができた。

98、■地域(都道府県名)東京都
■要約
御蔵島の校長先生が「誰かが招く、誰かが招く」と言って、月夜に行方不明になってしまった。

99、■地域(都道府県名)山形県
■要約
嫁に来た人が山菜を取りに山へ入って帰ってこなかった。探しにいったら山の上の木の下で眠っていた。

100、■地域(都道府県名)千葉県
■要約
夜遅く、ある男が裸で外を出歩いたまま、一月帰らなかった。帰ってきてからどうしていたか訊ねると、「寺の屋根にいた。誰かが握り飯をくれた」と話した。

101、■地域(都道府県名)東京都
■要約
ある家の子供が行方不明になった。三四郎ヶ洞の前の大樹の枝にその子の骨と皮がひっかかっていた。

102、■地域(都道府県名)山形県
■要約
5、6歳の子供が一晩中山にいた。本人は母親と一緒に寝たつもりでいた。

103、■地域(都道府県名)福井県
■要約
夜、人がいなくなった。捜して山で見つけて連れ戻したが、その人は夜になると「今行くぞ、今いくぞ」と言っていたという。

104、■地域(都道府県名)香川県
■要約
神隠しにあったときは、「戻せ返せ誰それよー」と叫びながら、鉦を叩いて山や川を探すという。

105、■地域(都道府県名)沖縄県
■要約
死んだ人の髪を結うときに、櫛を渡すには、後ろ向きになって肩越しに投げてやるという。物迷い(神隠しのこと)した者は、一度帰ってきて自分の櫛を持ち再び出て行き、櫛を持って出ると二度と帰ってこないので、神隠しに遭った者の家族はすぐに櫛を隠すという。夜に櫛を縁先に置いておくと、外から悪い霊が来て櫛を取っていく、取られると災いがあるので、置いてはいけないという。



『河童・天狗・神かくし』   現代民話考1
松谷みよ子   立風書房    1995/7



<日本民話の会>
・1978年、私どもの「日本民話の会」は『民話の手帖』という全国誌を発刊した。そのとき私は天啓のようにこの雑誌に依って現代の民話を集めようと、思いたった。

(原文修正;当ブログ)
<天狗考>
・天狗話の次の出合いは我家に来ていた山形県及位(のぞき)の娘さんから聞いた話で、大正の末頃、新庄の娘が行方知らずとなったが、数年後、新庄の祭りに蓑を着て現われた。天狗のかか(母)になっていたといい、その顔立ちのあまりにも若く美しいのに驚くと、天狗に年一度脇の下から血を吸われるからだ、こんなことをしていると天狗に叱られるとて逃げ去った。娘たちは親の家の炉端に詰めかけて報告したという。

・そして昭和54年、長野市で天狗のオーケストラなる話を聞き、ついで小さな瓢箪(ひょうたん)を持って酒買いに来た天狗の話を聞く。いくら注いでも酒はこぼれることなく瓢箪に入っていく。そのさまを酒屋の幼い娘はまじまじと見ていたのである。古峯原や御嶽の天狗の不思議は昨年聞いた。
 私の出合った天狗話だけでも、明治からつい近頃、昭和という時代に生きた人びとが、真実あったることとして、天狗の話をしてくれる。そして今あげたいくつかの話からでも、天狗の持つさまざまな側面を見る心持がするのである。
 では、天狗とはいったい何者なのであろうか。自ずから問いかけが生じるわけだけれども、いまここでその歴史や性格を述べつくすことができようはずもなく、ほんの概要を記すことでお許しを得たい。

・いずれにしても深山で音もなく打ち上げられる花火、山々をゆるがす笑い声は体験をした者をして深い怖れを抱かせ、神霊の存在を思わせずにはいられなかったのであろう。
 次に山人の存在があった。山人とは山で生活する者をいい、普通の農民とは生活が異なるだけに、村人らはある恐れをいだいた。しかし異民族とはいい難いというのが通念である。昔は各地方に鬼のような山人がいたとされ、役行者に従った前鬼・後鬼もそうだという。

・いたずら好きといえば井口文秀画伯の生家である富山県の光栄寺の天狗は有名で、7年間姿を見せぬままに寺の者を脅かし、ほうき、皿、小鉢を踊らせ、戸障子をばたばた倒し、火をめらめらと走らせ、畳までもしまいに躍らせた。こちらの話は筒抜けで返事の手紙が降ってくる。大変ないたずら者であったという。
 しかし一方では天狗の八つ裂きの例話に見られるように、訳なく首を引き抜き手足をもぎとる。天狗という者は、かなり残酷な妖怪なのであろうか。

<神かくし考>
・私が神かくしの話を初めて聞いたのは昭和28年頃だったか、結核で入院しているときであった。同室の江藤鈴子さんが小学校6年のとき、修学旅行の帰りに友達の姿が見えなくなった。神かくしにあったといって探し回ったが見つからず、翌日川向こうのお宮にいたという。冬のさなか川を渡り歩き回ったのに風邪一つひかず、何かにとり憑かれた様子だった。人びとは狐の仕業かといったという。
 この鈴子さんという人は生来の語り手で幼い日をよく記憶しており、大分でのさまざまの出来事の中にこの話はあった。

・捜索隊の体を縄で全員繋ぎ、これ以上神かくしに遭うことのないよう、点呼をしながら進むというのである。神かくしを怖れる村人の鼓動が聞こえてくるではないか。このたびの話の中にも近い例はあって、千葉の九十九里では晒一本に手をかけて離れぬよう並んで探し歩いたという。
 他の地方の例を見ても、捜索には似た風習が多い。鉦と太鼓をたたく、一升瓶をたたく、茶碗をたたくなどが多く、呼ぶ声も太郎かやせ子かやせ、次郎太郎かやせ、オラバオ、オラバオ、山の神様、〇〇さんを出したもれ、また単にかやせかやせなどであるが、全国にこうした風習があることも、考えなくてはならない点である。

・木樵りの幼女が行方不明になり、探す声をこれも友人の小沢清子さんが聞いている。新潟の出来事で父母は狂気のように探しまわり、狐の穴に赤飯を供えて歩いた。やがて探しつくした頃幼女は眠ったような姿で発見されたが少しもやつれた様子もなくまるまるとしていて、ただ体中にかき傷があったという。既にくり返し探しつくした所に横たわっていた幼女が、行方不明になってから何日も経つのに、何故ふっくらと肥って肌もつやつやとした顔で死んでいたのか。町の人は「子をなくした狐が、あんまりその子が可愛げで、さらっていって養っていたんかねえ」と言いあったという。

・夕方カクレンボしているうちに一人の女の子がいなくなり、探しつかれた頃お堂の下で泣声がした。そこは囲ってあって床下も低く人の入れるはずもない。周りをぐるぐるまわって叫んで、ひょいとみたら泥だらけのその子が泣いていた。どこから出てたか判らない………。
 この話を語ってくれたのは群馬県藤原郷の浜名マサさんである。

・江戸時代の記録では、讃岐高松藩の目黒下屋敷のお庭番が午後二時頃、天狗に連れられて飛行、その夜の八時に高松の父の許に帰された。国と江戸との照会文書ではっきりしているという。江戸と四国では歩くにも歩きようのない距離である。これなども一笑に附せば附せられるかもしれないが、青梅の話などを聞いた私には、作りごとと思われない不思議を感じるのである。
 このように私の聞いた神かくしだけでもさまざまな形があるのだが、もう一つ看過できない神かくしの一面に、山人、または天狗との婚姻があって、これは柳田国男の『山の人生』に詳かである。

・陸中南部の農家の娘が栗を拾いに山へ入って帰らず、親は死んだものとあきらめて枕を形代に葬式をする。2、3年過ぎてから村の猟師が五葉山の中腹で此の女に行逢って驚いた。女の言うには自分は山で怖しい人にさらわれ、一緒に住んでいる。そういう中にもここへ来るかもしれぬ。眼の色が怖しくて背が高く、子供も何人か産んだけれども似ていないとて殺すのか棄てるのか皆持っていってしまうと語ったという。
 また同じく五葉山で同じような話を語り、猟師にすぐ帰ってくれというのに、猟師はここで逢ったからには連れて帰ると手を取って山を降りかかったところを、いきなり後から恐ろしい男が飛んできて女を奪い返し山へ入ったと語る者もいて、これは維新前後の出来事であったらしく娘の父は生存していると家の名まで明らかにした。これは喜善の報告という。

<天狗による神かくし>
〇昭和47年の旧7月25日、盂蘭盆の日、この日は地獄の釜のフタのあく日で、「山川に入ったらいけないよ」というのに子どもは暑いので、前の谷川でボシャボシャはしゃいでいた。家の孫も六つで豊というのが行こう行こうというので連れていった。なかなか遊びをやめんので田の水加減を見に一寸そこを離れたすきに、豊の姿は見えなくなり、部落中の騒動になった。次の日の昼すぎ、佐賀町ごしの峠の近くで見つかった。

・背負って帰ってくる道々「ひだる(ひもじい・空腹だ)かった」といい、誰と来たかときくと「天狗のおんちゃん(おじさん)と来た」と言うたそうだ。   (高知県)

〇福島県南会津郡。星盛氏という人の親類の人が神隠しにあったので山々を捜し歩いたが見付からない。4、5日して親類の者が一人古峯神社へ詣って許される事を願った。ちょうど代参の者が古峯山へ着いたと思われる頃、村近くの山に蒼ざめて立っているのを発見された。その人の後の話に、夜は村の山にいたが夜明け頃になると小鳥のようなものが現れて、俺と一緒に来いというので、これについて行くと隣村の山へ入った。その小鳥のようなものは尻ぺただけ見えて他はわからなかったが、発見される日に天狗様が現れ、汝はここに居ては悪いから村へ帰れと掴まれて投げられ、しばらく飛ぶうちに人々に見付けられた所に落ちたという。

〇群馬県甘楽郡甘楽町秋畑。明治のこと。少々頭脳の弱い子が、ある秋の夕方突然家から姿を消した。村中で近くの山や町を尋ねたが、全然見つからない。次の日も次の日も、と捜したが、矢張り見つからなかった。約半月すぎて、ひょっこり村の辻の所へ着物が少しボロになって立っていた。家へつれて帰って「今迄どこへ行っていたか」と尋ねると、「天狗に突然連れて行かれて、大きな都市のあっちこっちの名所を回ってきた」といったと言う。妙義山の天狗とも、白倉神社の天狗ともいった。

〇群馬県多野郡。昭和のこと。山村のある人が突然行方不明になって神かくしではないかとされていたら、天狗にだまされて山の中で発見された。

〇群馬県利根郡水上町湯原。明治39年8月の話。湯原の須藤長松さんが寝ていた。ところが突然消えてしまい、家の人をはじめ近所から村中の騒ぎとなり、手分で川、沢、山から橋の下まで探した。5日間みてまわったが見付からずついにあきらめた。(省略)その後本人に聞いてみると茶の間に寝ており、起き出して家と倉の間までは覚えているが、その後の記憶は全然ないと言っており、夏の暑い日に5日間も飲まず食べずにいることは考えられない。よく問いただすと食べた覚えはないが、おもゆのようなものを飲まされ、谷を飛べ飛べと言われたようだったと言っており、体には見たこともない毛が何本もついていた。そこで人々は、長松さんは天狗にさらわれたんだろうということになった。その後1ヵ月ぐらいで死んでしまったが、死んだその晩は非常に大きな雷鳴があり、村人は天狗の仕業だと恐れたという。

〇群馬県。明治の頃の話。埼玉県与野市の者が榛名神社へ参詣に行ったが、ある者が急にいなくなってしまった。山中いたる所探したけど見つからず、仕方なくみな帰ってきた、何日かして、うすのろのような状態になってその人は帰って来た。どうしたのかと尋ねると、天狗さんにつれて行かれたという。(中略)それでその人は天狗さんの面を彫って榛名神社に奉納した。今もその面は残っている。

〇埼玉県入間郡。明治のこと、日向和田山の隣りの富士山で知られる小瀬名部落の若者が、ある日突然見えなくなってしまいました。これは天狗がくしにあったのだと、部落中総出で鐘太鼓をたたいて付近の山野をくまなく捜しましたが、どうしても見つかりません。ところがそれから半月もたって、その若者はボロボロの着物で気が抜けたようにひょっこりと戻ってきました。どうしていたのかと尋ねますと、夜は天狗に連れられて山中を歩きまわり、昼は木の上に寝ていて食事は天狗がどこからか草や木の実をもってきてくれたと話したそうです。昔小床(こいか)の人で、子ノ山で茶店を出していたおかみさんも、水汲みに行って天狗がくしにあい、気違いになってしまったといいます。

〇埼玉県入間郡。名栗の森河原の浅見常次郎さんは、実家の青場戸へ行った帰り、夜道になって豆口峠の上にきました。すると見上げるような大きな坊さんがいて、ついて来いと言うので行くと、岩上に立って向こうの山まで飛んでみろと命令するのです。浅見さんは、もし飛ばなくてもどうせ殺されるかも知れないので、死んだ気になって飛んでみるとアラ不思議、鳥のように軽軽と飛べるのです。そうして彼は大坊主と一緒に一晩中あちこちの山を飛び歩き、夜が明けて気がついた時はぐったりと疲れて、もとの豆口峠の上にいたそうです。これも短時間の天狗がくしなのでしょう。

〇千葉県木更津市。鎌足の人なんですけど、子供がいなくなっちゃったんです。探していたんですが、なんか近所の人が寄って探してもですね、分からないと。しばらく日数をおいてたのですが、その間も探していたのですが、そうしたら、あるとき、その子が裏口から入ってきた。それで、その子に「お前はどこへ、行っていたんだ」って聞いたら、お父さんお母さんによく似た人がきて「じゃあ、背中に乗れ」ということで、そして乗ったらね、連れて行かれた。考えてみると、天狗様と同じものだと思えるのですが。

〇東京都西多摩郡奥多摩町。大正の始め山から下駄ばきの子供がぽこっと出てきた。おじさんに連れられて恐い所へきたら目隠しをして歩いたという。身元を調べて青森から家族が引き取りに来た。おじさんというのが天狗だか、なんだか。

〇新潟県東頚城郡松代町池尻。明治初期の話。池尻の「万之助」という屋号の家にオモという若い嫁さんがあった。色白で肉付きがよく働き者であった。ある冬の吹雪の夜、夜なべの藁仕事をして遅くなってから風呂に入り、上って腰巻をつけただけで玄関の近くにある便所へ小用を足しにいった。それっきりオモの姿は忽然消えてしまった。オモは天狗にさらわれたのだということになった。村人の探索にもかかわらず遂に行方が知れなかった。その同じ頃、池尻の隣部落の千年という所の普門庵という尼堂の庵主さんが、寝る前に戸締りをしようと吹雪の戸口に出てみると、庭の大欅(けやき)の上に黒雲が飛んできて一時止まった。その雲の中から「庵主さま!」と助けを求める女の声がしたが、雲はまた東の方へと飛び去った、ということである。天狗が湯上りの半裸体のオモに色情し、さらっていったものと思われた。

〇富山県魚津市。89歳の頃(明治14、5年)と覚ゆ、越中魚津に住んでいた時、1年に1人や2人は天狗に捕まって行かれたものがあった。此の時組内の人々7、8人も寄って、夜10時過ぎより、天狗の棲めると伝わるる火の宮や愛宕の大杉の下へ、迷子の名を語尾長く呼びつつ、太鼓と一升桝の底を敲いて捜しに行った。丁度作次郎と云う子供が無くなったのであろう。或る冬の夜半であった。私は母から呼び起こされて床の上に座った。すると遥か7、8町先の火宮辺へ「作次郎やあーい」デンデンデンと、哀れな恐ろしい声がするのが聞え、彼は天狗に捕まった子を捜しに来たのだと説明された記憶がある。斯くすること7日終に見当たらざるに至って止む。彼の太鼓を敲くのは暗夜の物凄さを忘れる為の附け元気であろうが、桝の底を敲くと、天狗の耳が破れそうになるので、捕った子供を樹上から解放するからだと信じられて居る。今日でも天狗に関する迷信は消えないが、太鼓や桝を敲いて捜しに出る風習は、30年前から廃んで終った。

〇石川県能美郡遊泉寺村。今から20年ほど前に伊右衛門という老人が神隠しに遭った。村中が手分けをして捜しまわった果、隣部落と地境の小山の中腹、土地で神様松と謂う傘の形をした松の樹の下に、青い顔をして坐って居るのを見つけたと謂う。然るに村の人たちが此の老人を探し歩いた時には、鯖食った伊右衛門やいと、口々に唱えたと云う話が、是は何時でもそう言う習わしで、神様殊に天狗は、最も鯖が嫌いだから、かく謂えば必ず隠した者を出すものと信じて居たのである。

〇福井県三方郡美治町佐田。大正の頃のこと。隣家の辻治良八家のおじいさんが家を出たきり何日も帰って来なかった。ほうぼう探したが所在がわからず、家人が嘆き悲しんでいるとひょっこり帰って来た。おじいさんの話では家の前の正覚寺の庭に松の木があり、天狗がいて連れ去られ、何日も山中をさ迷い歩いたとのことであった。

〇山梨県南都留軍道志村。50年ほど前になるが川原畑の金次郎という人が雨の中を蓑笠姿で出たまま行方不明となった。2日目に谷村で村民が見付けたが、何でも川を一またぎに渡ったら、大男から眼をつむれと云われたが、その後はどこをどう歩いたかさっぱり判らぬと答えたまま、宙を歩く気持で家まで連れ帰られた。

〇長野県諏訪市。昭和13年の秋、塩尻峠へ遠足に行った。帰途3年の生徒が1人いなくなり村の人や消防団、警察と八方探したがいない。夕方8時、至急便が学校から届いて伊那の本通りに、ぽかんとうずくまっていたという。塩尻から伊那まで4、50キロ、4時間たらずで行けるはずもなく、担任が迎えに行っても何もしゃべらなかった。ただ下にあかりがチラチラ見えたとか、風がビュービュー吹いたということ位をやっと聞き出した。いい小梨を見つけておいたので、それを採って帰ろうと列から離れたという。ただそれを見た者もなく、神かくしか天狗にさらわれたのかと当時話し合ったものだった。

〇長野県上伊那郡。三峰川谷には幼児・少年の天狗にさらわれた類話はたくさんあります。浦の伝吉という52歳(昭和18年当時)くらいになる人ですが、7、8歳の頃、家の庭先に遊んでいるところを天狗様に連れられて行きました。村中で、「伝やあい。」と呼んで探したことが今でも記憶されていますが、一里ばかりはいった山中で、ことなく発見されました。子供がかどわかされるのは、多くは黄昏時に起こる現象でした。上村中根の45歳の(昭和33年当時)くらいの男ですが、子供のころ、隣家の子供の守りをしていました。夕方、赤子をかえしてわが家に帰る道で、行方不明になってしまいました。グリン様に連れ去られたといわれました。村中で探して歩きましたが、3日後、少年は自宅で寝ているところを発見されました。3日間は、山ばかりを歩いていたそうです。中根や上村の下栗辺で、夕方のかくれん坊遊び、が固くいましめられているのは、こうした災いの故でした。

〇長野県北安曇郡八坂村。八坂村上籠部落の北沢某の家で3歳になる男の子がいなくなった。3日目の朝、家の人が戸を開けてみると、その子が、ぼんやり立っていた。「遠くの山へ行って来た」というばかりだった。天狗にさらわれたのだろうという。

(原文修正;当ブログ)
〇長野県下伊那郡上村。上村と木沢部落との境に、中根という部落があるんだ。ある時、中根部落の息子がどっかへ行っちまって、おらなくなったことがあってなあ。近所の衆は心配して村中探したんだけれども、2日たっても、3日たっても1週間たっても見つからなんだな。とうとうその息子は、それっきり姿をあらわさなんだもんで、みんなは天狗様に連れていかれちまったんだって噂したんだ。

〇長野県下伊那郡上村。今から50年も前の話かなあ。わし(熊谷寛氏)と同い年で大沢某という人がおったんだ。この人が、ある夜、突然どっかへ行っちまったことがあるんだ。それで、2日たっても、3日たってもちっとも出てこないもんで、家の衆は勿論、村の衆も大そう心配して、あっちこっち探したんだけれど、ちっとも見つからなんだ。そうしとるうちに、1週間くらいたったら、その人は、どこからともなく真っ青な顔をして出てきたんだな。家の衆は「どこへ行っとったん。」って聞いたんだけで、本人は「どこへ行っとたのやら、さっぱり分からん」って言うだけだった。そうだもんで、みんなは、こりゃあ天狗様に騙されたに違いねえって大騒ぎしたもんだ。

〇長野県下伊那郡清内路村。明治の中頃、梅の実を採りに行った“おたき”という少女が天狗にさらわれ、7、8日して戻ってきたという話が伝わっている。「7、8日くらい経ってですか。“おたき”が帰ってきたんですね。でボーッとして立っていたから、どこへ行っとったんだ。なんとも受け答えもせずにボーッとしているってんですね。少し歩かせるとトコトコと歩くしまたスコッと立っているからね。あと押したりなんかして家へ連れて来て、で、いろいろと話してみて。どうやって行ったんだってったらね、吊し橋の岩の所へフッと目をつぶれって言うから、もう吊し橋のその恐ろしい山のね、百メーターのその上を登って行ったって言うんです。フッと目を開いたらね。でまた目をつぶせって言うから目をつぶしたら、コウ耳のところでね、風鳴りがさかんにしていて着いた所がね、男の人たちばかりいる山へ行ってきたってね。そして他にどんなとこ見たったらね、おそらく江戸あたりのことを考えれるような所をね、人がいっぱいおる、その所へ行って来たとかね。でまた目をつぶせっていうとね、コウ耳の後ろで風が鳴ってね。こういう話をしたそうです」。

〇滋賀県犬上郡多賀町。明治の中頃、多賀に神島政五郎という大工があった。少年の頃、天狗隠しに遭って以来、時々天狗に呼び出されたり、天狗が家に来て見えないながら三升飯を平らげていったりするのを妻子は見たり聞いたりもし、近所でも評判だった。

〇岡山県上房郡北房町阿口。明治の話。乾から巽方向に見通せる所はキシオジンスジといって天狗の通路である。阿口のキシオジンスジには大きな老木がある。助四郎老人が子供の頃に部落の子供が夕方になっても帰らないので、部落の人が集って「返せー 戻せー、チンカンドン」といって探し歩いた。しかし、どうしてもいなかった。それから数日したらキシオジンスジの杉の枝にその子供のケシコがぶら下がっていた。オウマガトキ(夕刻の人の顔が定かに見分けにくい時刻は天狗や魔物の通る時間であり、その時刻をいう)にキシオジンスジを通ると天狗に掴まれるというが、実際にあった話である。備中地方では子供がいなくなると「返せー、戻せー」太鼓と鐘をチンドンという形が決っている。

〇徳島県小松島市櫛淵町。大正の頃、T家の次男が神かくしに遭った。部落の全家から1人ずつ出て山野を探索したが、3日たっても発見出来なかった。ところが夜が明けてふと家族が門先の柿の木を仰ぐと、14、5歳のその少年が木の上にいるではないか。皆で梯子でかつぎ下すと放心状態で、聞き直したところ、天狗にさらわれて山野を飛び回ったあげく、この柿の木の小枝に掛けたまま飛び去ったというのである。以来、その少年は魂を奪われたようで、学校へ行ってもろくろく口を誰ともきかなかった。そのうちに流行性感冒にかかってぽきと死んでしまった。神かくしにあってから半年足らずで若死にした。

<山の神などによる神かくし>
〇東京都八丈町。昭和の初め頃のこと。八丈島ではテンジ、テッジメという山の怪が、神かくしをするといわれている。中之郷では、テンジが人を神かくしにしたという。ある時、子供が行方不明になって大さわぎになった。いくら探しても判らなかったのに、翌朝、集落の近くの山のふもとに立っていた。子供の話では、一晩中誰かに歩きまわされたという。この話は、赴任していた昭和45年頃、当時70歳のおばあさんから聞いた。

〇新潟県東頚城郡松代町。あのね、今月(5月)8日が松苧神社の礼祭なんですよ。そこへみんな、ホラ、1人で歩けるようになると御参りにいくんですよ。そうすると、その子が、あのしんれいの大工さんっていう家のお父さんの子供の時分でしょうね。なんか迷子してしまって山中へ、奥へはいっちゃって、もう父と一緒に帰らなかったそうです。そしてみんな大騒ぎしたんです。昔のホラガイ、ポッポー、カンカンってね、鉦念仏カンカンってたたいた。私の子供の頃だからポッポー、カンカンってそれだけよく覚えてます。三日三晩も松苧山の山を探したけれども見つからなかった。四日目だったかね、やっとこさ、道でて来たそうです。てつたろうがね。そして「お前どうして三日三晩も何食べてた」て言ったら「女のきれいな人がね、膝枕して、しっぱつ(いがほおずき)っていう、おいしいものを食べさせてくれた」そう言ったそうです。そして無事に家へ帰ったそうです。女の人は白い着物着ていて、それは近くに祀ってあるヌナガワヒメではないかということです。

〇長野県上伊那郡。浦の新三郎猟師といえば、山の神様となれ親しんだ逸話の持ち主として知られています。明治の初年のこと、新三郎は金子勢五郎猟師と連れだって仙丈岳へ猟に出かけましたが、二人は途中の小屋で単独行動をとることにきめ、別れ別れになりました。それから1週間、新三郎猟師は、杳として消息を絶ってしまいました。村人に依頼して山中を捜索してもらいましたところ、勢五郎と別れた小屋に戻っているところを発見されました。新三郎の話では、小屋を出てしばらく行くと、立派な婦人が現われて手招きするのに出会いました。誘われるままについて行くと、苺などの実る場所へ連れて行かれ、たらふくごちそうになりました。こんなわけで、山にいる間は、ついぞ空腹を感じなかったという話でした。村人はその女性を山神であるとみていますが、山神男性説をとるこの地方にも、こうした観方のあることはおもしろいことです。

〇和歌山県西牟婁郡上三栖。紀州西牟婁郡上三栖の米作という人は、神に隠されて二昼夜してから還って来たが、その間に神に連れられ空中を飛行し、諸処の山谷を経廻って居たと語った。食事はどうしたかと問うと、握り飯や餅菓子などを食べた。まだ袂に残って居ると謂うので、出させて見るに皆柴の葉であった。今から90年ほど前の事である。又同じ郡岩田の万蔵という者も、三日目に宮の山の笹原の中で寝て居るのを発見したが、甚だしく酒臭かった。神に連れられて摂津の西ノ宮に行き、盆の十三日の晩、大勢の集まって酒を飲む席にまじって飲んだと謂った。是は60何年前のことで、共に宇井可道翁の璞屋随筆の中に載せられてあるという。

<何ものとも知れぬ神かくし>
<話 一>
・昭和20年頃の話。私の家の近くの男の子(小六年)が昼間、にわとりをいじめたら神かくしにあって大騒ぎとなりました。井戸のそばにしゃがんでいたそうなのに、家人にはその姿が見えず、子供には家人の姿が見えるけど声が出なかったそうです。二昼夜、その状態だったそうですから、神かくしに違いないと、父母が言っていました。 (青森県)



『信濃の民話』  [新版]日本の民話1
瀬川拓男、松谷みよ子  未来社  2015/4/22



<仙人の碁うち(上高井郡) (原文;当ブログ修正)>
昔、菅平のふもとの仙仁という部落に太平さんという木樵りが住んでいました。今日も一日、山で木を切って、さあ帰ろうと、荷股に丁度いい木がぼやの中にあったので、一本引き抜いて杖にし、すたすた下ってきました。
 ふとみると、眼の前をいつ現われたのか1人のおじいさんが歩いて行きます。長い杖をつき、真っ白な髪と長いひげ、着ているものは何やらゆったりしたもので、ただの人とは思われません。
「はて、どこの人だろう。」とついて行くと、仙人岩の辺りでふっと姿を消しました。
「ははあ、ありゃ、仙人かもしれぬ。」
 太平さんはひとりうなずいて岩をそろそろ回りました。仙人岩は中が洞窟になっていて仙人が住んでいるといわれているのです。
 太平さんが覗いて見るとどうでしょう。今しがた眼の前を歩いていた老人と岩窟の主人らしい老人が碁を打ち始めるところでした。どちらも品のよい姿でのんびりと石を置いていきます。静かな山の空気の中にぱちりぱちりという音が澄んでひびきました。
 太平さんは木樵りながら碁好きでした。石の数が増えていくにつれて、すっかり夢中になりました。
「あそこの石はこうしたらいいに。」と思ったり、「さすがに仙人の碁はおら達と違う。」と感心したりしているうちに、どの位たったのでしょうか。はっと気がつきました。
「はて、もうどの位たったろう、家へ帰らねば。」
と我にかえってついていた杖をとり直そうとしたとたん、太平さんはよろよろとよろめいて倒れました、杖の木はいつの間にか朽ちておりました。いいえ太平さんもすっかり年をとって白髪のおじいさんになっておりました。
 ようよう起き上って仙人岩をのぞくと、もう仙人達の姿はなく、しずかな夕暮れの風があたりに吹きわたっていただけだと申します。
<早太郎犬と人身御供 [上伊那郡]>

・昔、正和の頃といいますから六百年余りも前の事です。上伊那郡の宮田の駅にさしかかった一人の旅人がありました。旅人は何か落ち着かない様子であたりを眺めておりましたが、道端の茶店が眼にとまるとつかつかと中へ入っていきました。
「ばあさんや、このあたりに早太郎という人はいないかな。」
「そうでありますなあ、早太郎という人はききませんなあ。」
 茶店のばあさんは茶を汲んでだしながら首をかたむけました。

・すると、端の方で茶を飲んでいた百姓が独り言のようにつぶやきました。
「光前寺に早太郎という犬がおりますが、犬ではお話になりますまい。」「犬? 早太郎という犬……。」
何を思ったか旅人はひざをのりだすと、「それはそんな犬かご存知かな。」
と、真剣に問い詰めました。
「どういう犬というても、わしはようは知らんが、何しろ駒ガ岳に住んでいる山犬が、光前寺の縁の下へきて5匹、子犬を産んだそうでありますよ。(中略)ると、子犬が大分大きくなったある日、1匹だけ子犬を残して山へ帰ったそうで、山犬っちゅうもんは人間の言葉が判るといいますでなあ、その子犬がはあ、でかくなりましてな、早太郎といいますに。」
「山犬の子ならさぞ強いだろうな。」
「強いの何のってあの犬ならイノシシでもかみ殺しますに。それでいて普段は温和しい利口な犬ですだ。和尚様はそれは可愛がっていなさるのだ。」
「うむ、その犬だ、その犬の事だ。」
旅人はひざをたたいて立ち上ると、すぐその足で光前寺を訪れました。
「私は遠江国、府中の天満宮の社僧でございます。和尚様にお目にかかりたくて参上いたしました。」
「はて、天満宮の衆が何しに。」
和尚様が出てみなすと旅にやつれた社僧は手をつかえ、
「御当寺には早太郎という犬がいるとの事でございますが、どうかその犬をしばらくお貸し下さいませんでしょうか。」と申します。
「一体それは何事ですか。」「実は――。」
天満宮の社僧が話したのは次のような事でした。
いつの頃からか誰も知りませんが、天満宮には毎年の秋祭りに娘を人身御供にさしあげるという悪いならわしがありました。もしそのならわしを破ると一夜のうちに田畑は荒され、幼い子供などがさらわれたりするというのです。そういうわけで秋になるとどこの家でも生きた心地もなく、ひたすら娘がおみくじに当たらぬように祈っているのでした。

 この年もいけにえの娘が決められました。娘は唐びつに入れられ、しずしずと社前にささげられました。かがり火があかあかとたかれる中で村人たちは何遍もひれ伏しては、作物の実りが良いように、悪い病が流行らぬように祈り続けるのでした。社僧も村人に混じってひれ伏しておりました。毎年毎年繰り返されるこの光景が、たまらなく不思議になったのです。どんな神様か知らないが、人を獲って喰う神様がいるとは思えないのです。そう思うと矢も盾も耐らなくなり、社僧は村人が立去るとすぐに傍の大木によじのぼり、どんな神様が娘をとってくうのか、みきわめようとしました。
 やがてあたりはしーんと、しずまり返って丑密時になりました。闇の中にかがり火だけが不気味に燃え残っています。と、俄かに一陣の生臭い風が吹き渡り、天満宮の廟がギ、ギイと開かれました。さっと躍り出した怪物の影は三つでした。おきのような眼が真赤に燃えて、長い毛を打ちふり打ちふり唐びつの周りを嬉し気に踊り狂うのでした。
 そのうち一番大きい怪物がぴたりと立ち止まると、「信濃の国の早太郎は、今夜来る事はないか。」
とさけびました。すると他の二つの怪物が頭をさげ、「大丈夫。」とこたえました。聞くより怪物は、おどり上がって唐びつを打ち壊し、泣き叫ぶ生け贄の娘をさらって廟の中へ姿を消しました。ギギ、ギイッと扉は閉ざされました。
 恐ろしさに気を失わんばかりになりながらこの有様を見届けた社僧は、夜明けになるとようよう木をはい降りました。ともかくもこの怪物を退治するには怪物の恐れている信濃国の早太郎という人を捜しだし、その人の力にすがるより仕方がない。そう決心した社僧は、すぐその足で信濃路へ旅立ったのです。しかし、何といっても広い信州の事です。山を越え谷を越えて尋ね尋ねても早太郎というだけでは雲をつかむようで何の手がかりもありません。春もすぎ夏の終りになってもみつからず、途方にくれていたところなのでした。そこへ、「光前寺に早太郎という見事な犬がいる事を宮田で聞き、あの怪物の恐れていたのはその犬だと判り、参上したわけでございます。
 どうか早太郎をしばらくお貸し下され、もうほどなく村祭りの日がやって参ります。このまま戻ればまた、罪のない娘が一人怪物に喰い殺されるのでございます。」
 話終わった社僧の眼には涙が浮かんでいました。

・光前寺の和尚様も、あまりに不思議な話で驚きましたが、ともかく早太郎を庭に呼び寄せて、人間にものを言うように今の話をしてやりました。
「どうだ、お前、言ってやるか?」
 すると早太郎は耳をたれ、尾をふってじっと和尚様の顔を見つめました。それはまるで、「はい、参ります。」と言っているようでした。

・「早太郎が行くというているわ。お役に立つかは知らぬが、どうかお連れ下され。」
 社僧はおどり上がってよろこび、すぐに早太郎を連れて遠江国へと急ぎました。村の祭りはもう日がありません。社僧は眠る間もおしんで歩き続けました。こうしてようよう村へ帰り着いたのは今日が祭りという日の朝でした。生け贄の娘ももう決まって、家の者は娘を取り囲んで嘆き悲しんでいました。
「ああ危いところであった。」社僧は驚き怪しむ家の者に今までの事をすっかり話して聞かせました。
「これが怪物どもの恐れている早太郎じゃ。のう早太郎、しっかり頼んだぞ。」早太郎はりんとした眼でじっと社僧をみつめ、尾をふりました。やがて娘のかわりに早太郎を入れた唐びつが、社前にしずしずと運ばれました。そして社僧をはじめ村人達は木の上にひそみ息をこらして怪物を待ちました。
 丑満時、生臭い風と共に廟からおどり出した怪物は何もしらずにおどり狂っていましたが、足をとめ、「今夜、信濃国の早太郎は来ることないか。」と叫びました。すると愚かにも他の怪物が頭をさげて、「大丈夫。」
と答えたから耐りません。安心した怪物は歓びの声をあげて唐びつにとびかかりバリバリとひきあけました。その瞬間猛然とおどり出た早太郎はガッと怪物にかみつき、たちまち物凄い闘いが始まりました。叫び声は深山にこだまして、その恐ろしさはたとえようもありません。樹の上の人たちは手に汗を握り、ただ神仏を祈るばかりでした。
 やがて、ばったりと叫び声はとだえ、あたりはしーんと静かになりました。少しずつ、少しずつ、辺りが明るくなりました。夜が明けたのです。
 そこに倒れていたのは三匹の年へた大狒々でありました。銀の針をうえたような毛深い体には鉄のような鋭い爪がかくされ、真赤な口は耳まで裂けた恐ろしくも醜い怪物でした。
「こ、こやつがわしの娘を喰いおったのか。」
娘を前の年生け贄に出した村人が泣き崩れました。
「わしらはこの怪物を神とあがめてひれ伏しておったのじゃ。」
村人たちの驚きと憎しみはつきません。その時社僧が叫びました。
「早太郎がおらぬ、皆の衆、早太郎の姿をさがして下され。」
 しかし早太郎の姿はどこにも見えず、 ただ一筋の血のしたたりがまっすぐに、信濃へ向かう道に続いておりました。
 早太郎は傷つき、よろめきながら光前寺に戻ったのです。そして和尚様を見ると一声高く吠えてがっくりと息をひきとったのでした。

<猟師・渋右衛門の話  (北安曇郡)>
・渋右衛門はたいした男だ。身の丈は六尺余り、ひげだらけのあばたづら。太い眉の下ではびっこの目がギョロッと光っている。
 根っこのような足、すねの毛の長さは四寸。それをこきさげて、わらでくくれば脚絆もいらない。
 山へ行く時は山刀を腰に、南蛮鉄四尺二寸と、方外に大きい鉄砲を持って出かける。
 これが南の松本様から、北は越中までなりひびいた大男の猟師渋右衛門だ。
 渋右衛門は北安曇の北城村の貧しい家に生れた。小さい時から猟が好きで、一年中ほとんど山を駆けめぐっていた。山へ行かない時は、一貫二百匁もある大鍬をふりふり、大きな畑を耕していたともいう。

・いい若者になった時、松本の城下に江戸角力があった。
 渋右衛門は見物かたがた力だめしにでかけて、当時、音に聞こえた大力の力士を、苦もなくぐっと抱きしめて土俵の外へ出してしまった。お前は力士になれば江戸一番の男になる。と、その頃みんなからはやされたが、でも渋右衛門はやっぱり山が好きで、猟をやめる気にはならなかった。
 
・あるとき、渋右衛門は山で狼の子を捕まえてきた。それからは、これを飼いならして猟犬の代わりに使うようになった。
 山へ入ったまま何日も帰らぬ時、渋右衛門は白馬岳の奥深くわけいり、鑓ガ岳から唐松山、五龍岳とぬけて、遠く青木湖、木崎湖の方へと渡り歩いていた。

・また、風の向きによっては、ざばざばと姫川をわたり、八方山を越えて戸隠の奥まで足をのばした。ここらあたり八里四方の山々は、いわば渋右衛門にとっては庭の中を歩いているのと同じ気持だった。
それでも、やはり、渋右衛門は神さまでも化物でもなかった。山々を歩くうちには、いろいろと珍しいことや、恐ろしいことに出遭った。
春の山の雪崩れ、夏の森での嵐、冬の峰での恐ろしい吹雪………。
そんなとき渋右衛門は人間の誰も見たことのない化物や巨人にでくわすこともあった。
 そして渋右衛門はやはり人間であったから、ときには死にそうになったり、ひどいけがをしたり、得体の知れぬ熱病にやられたり………。
だが、こうして渋右衛門は、その名を知られた腕利きの猟師になった。
いつのまにか、渋右衛門の本当の名を呼ぶ者はいなくなり、村人たちは「鬼渋」と呼んである者は恐れ、ある者は親しんだ。
 今でも渋右衛門のことは北安曇ばかりでなく、遠い土地にまでなりひびいているが、その物語のいくつかを話してみよう………。

一 二子岩の山の神にあったこと。
山では、人間のはかり知れない不思議な出来事が起きる。
渋右衛門が白馬岳の近くの岩穴で泊ったときがそうだった。星の美しい晩で、空を仰ぎながら弁当の麦焦粉を食っていると、急に山鳴がし、雷がなって、外はものすごい大荒れとなった。
まず、一休みと、渋右衛門は穴の中で横になった。
腰からキセルを抜いて、スポーっと煙草をふかしていると、目の前がかっと明るくなってものすごい落雷があった。渋右衛門が驚いて外を見ると、人間のような化物のようなものが、こちらを覗いている。
渋右衛門は鉄砲を引き寄せた。黒い影、たしかに人間ではない。よし、ぶち殺してやろう!
そっと鉄砲をかまえて片目をつぶると、また激しい落雷。かっと明るくなる。その青白い光りの中に浮んだ16、7のかわいい娘の顔………。
渋右衛門はふーっと息をはいて鉄砲をおろした。娘がにこにこ笑いながら入ってきた。
「渋右衛門、煙草を吸わせてけろや。」
 そういって、娘は四尺もあるキセルを取り出し、渋右衛門の煙草を両手ではかりこむほど詰めて、すぽすぽと美味しそうに吸い出した。そして渋右衛門の方をちらちら見ながらまた云った。
「渋右衛門、お前の食っていた麦焦粉もくいてえなあ……。」
麦焦粉をくれると、娘は三、四升もあるのを片手にうけて、一口にぺろりとたいらげてしまった。渋右衛門はすっかり感心してしまった。
 あんな小さな唇と、一合の麦焦粉ものりかねる小さな手で、よくもまああんなに食えるもんだ。ははあ、これが話に聞く山の神とか山姥とかいうもんだろう………。
 山姥のことなら、渋右衛門も小さい時からよく聞かされた。なんでも小さなとっくりに、三斗ぐらいの酒をつめるというから、これが山姥なら、三、四升一口で食べるのもあたりまえだ………。
 渋右衛門が一人で考えていると、娘は煙草をすい終り、「おごちそう。」と声をかけて出ていってしまった。
 雨はまたひとしきり激しく降り、地鳴もしばらく止まなかった。
 渋右衛門は深い眠りにおちたが、ふと誰かにおこされて目を覚ました。
 そこにはさっきの娘がいた。
 雨はやんで、穴の外の西の山に、大きな月がかかっていた。
「渋右衛門よ。わしは二子岩に住むものだが、これから一緒に行かないか。」
と娘がさそった。さすがの渋右衛門も二の足をふみ、
「用事があるでなあ。」とことわった。
「用事とはなんぞい。」「弾丸がつきたで家へ取りに行かねばならぬ。」
「ああ、弾丸ならわしのところにある。それもただの弾丸ではない。黄金の弾丸をくれるから来なされ。」
 しきりに誘われて、とうとう渋右衛門は腰をあげ、娘の後について二子岩の岩穴にはいった。
「渋右衛門、煙草もどっさりあるで。それからお前の一番好物はなんだね。」
「おらの好きなものは餅だ。」
「そうか、じゃあすぐついてやろう。」娘は岩穴の奥に向かって叫んだ。
「おーい、渋右衛門の好物は餅だとよう。」
 すると、姿は見えないのに何人もの女の声が答えて、うすだのきねだのが、ごとごとと出てきた。かまどに火がつく。餅つきが始まる。そしてたちまち熱いつきたての餅が、皿に山盛りになって運ばれてきた。
 渋右衛門がほおばってみると、そのうまさといったらない。これは土産にいい、と考えていると娘はすぐ気がついて云った。
「渋右衛門よ。この餅はここで食うならいくら食ってもよいが、一つでも外に持ち出すと石になるぞ。」
「むう。」と、生返事をしながら、渋右衛門はこっそりひとつ、懐に押し込んでおいた。
 さて、渋右衛門が帰る時、娘は黄金の弾丸を二つくれた。
 この弾丸はなんでも好きなところへ射てば必ず命中し、左手を伸ばしていると、また、手のひらに戻ってくるという不思議な弾丸であった。
「渋右衛門、この弾丸が返ってこない時があったら、猟師はやめにするがいい。」
 娘は岩穴の出口まで送ってきてそういうと、ふっと姿は消えてしまった。
渋右衛門は山を下りながら、黄金の弾丸をつくづくとながめたが、ふと気がついて懐に手を入れると、昨夜の餅は白い石に変わっていた………。

二 西山の化物を退治したこと。
 渋右衛門には一人の弟がいた。弟は渋右衛門ほど強くもなく、山にもなれていなかったが、それでも兄に負けない猟師になろうと思っていた。
 ある日、二人は連れ立って西山へ猟に出たが、急に夕立ちがきて谷川の水かさが増し、どうしても向うへ渡れなかった。
 と、川上の方から黒い丸太が流れてきて、うまく向う側へかかり、いい橋になった。二人はようやくその上を渡った。
 岸に着くと渋右衛門は黙って歩いていたが、そのうちやっと弟の方を振り向いて、「これさ、さっきの橋をてめえはなんと見たやア。」と尋ねた。
「自分は黒い大木だと思ったが……。」と弟が答えると、
「ふむ、そうだったかなア。」と渋右衛門はなさけない顔をして、またしばらく黙って歩いていたが、急に立ちどまってきっぱりと云った。
「お前、あれの正体を見極めえなかったとすると、これからは猟につれて行くわけにはならんぞ。」
 その太い丸太と見たのは実は大きなうわばみ(大きな蛇)だったということである。
 弟思いの渋右衛門は、それから二度と弟をつれては西の山へいかず、いつも一人で山の奥へ入っていったが、それに深いわけがあったからである。
 ある日の夕暮れ。渋右衛門は西山の奥でついに化物とぶつかった。
 岩の上に大釜をすえ、見たこともない老婆が苧を績んでいる。苧(お)を績むというのは、麻から糸をとることだが、その老婆が渋右衛門の方を向いてにかにかと笑った。口は耳まで裂け、白髪を釜の火の照り返しで朱に染めて笑うその物凄さ………。
 これだ、こいつが俺の狙っていた化物だ!
 渋右衛門は銃をかまえ、十二三発、続けざまにぶっぱなした。
 たしかに手ごたえがあったと思うのに、老婆はやはりこっちを見て笑っている。釜の火は盛んに燃え、湯はがらがらと湧きたち、気味の悪いにかにか笑いは、やがて高笑いとなって深山の闇にこだまする。
 このとき、渋右衛門の頭をふっとかすめたのが、山の神にもらった黄金の弾丸のことだった。「そうだ。あれだ!」
渋右衛門は急いで黄金の弾丸を銃につめ、今度は釜の火に狙いをつけてぶっぱなした。
「渋右衛門、やりよるのう。」
 しわがれた声がしたかと思うと火はぱったりと消えて、苧を績む老婆の姿もかき消すようになくなってしまった。
 次の日、朝日の昇る頃に行ってみると、年老いた大きなむじなが撃ち殺されていたという……。

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)によると、「山梨県西八代郡の富士山麓の「おもいの魔物」や相州(神奈川県)の「山鬼」をはじめ、東北地方、中部地方、中国地方、九州地方など日本各地に、サルのような姿の怪物、または山男、天狗、タヌキなどが人間の心を読む妖怪の民話が伝承されており、これら一連が「サトリのワッパ」として分類されている」とのこと。

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)によると、
「▪見附の裸祭と悉平太郎
静岡県 磐田市、淡海國玉神社の「見付天神裸祭」は台風大雨洪水となっても決行される。これは前述の「白羽の矢」の由来にもなった人身御供の儀式が、決まった日時に遅延なく行わなければならなかったことの名残であると伝わる。 その昔、遠江の見附村では毎年、どこからともなく放たれた白羽の矢が家屋に刺ささると、その家は所定の年齢にある家族(娘)を人身御供として神に差し出差ねばならなかった。ある時、神様がそんな恐ろしい要求をする筈がないと考えた旅の僧侶によって、神の正体が怪物だと発覚。僧侶はその怪物が怖れているのが信濃の山犬、悉平太郎(しっぺいたろう)であると知り、信濃国光前寺から悉平太郎を連れて来て、怪物を退治した。 人身御供の風習を止めた山犬の悉平太郎は、故郷である信濃側駒ヶ根市では「早太郎」と呼ばれている」とのこと。

▪神隠しと人身御供
人身御供は、神が人を食うために行われるとも考えられているが、神隠しと神が人を食う事との関連を柳田國男は自身の著書「山の人生」にて書いている。柳田によれば、日本では狼は山神として考えられており、インドでは狼が小児を食うという実例が毎年あり、日本には狼が子供を取ったという話が多く伝わっているという。これが山にて小児が失踪する神隠しの一つの所以であるとも考えられる。



『大人の探検 奇祭』
杉岡幸徳   有楽出版社   2014/8/10



<奇祭の旅への誘い>
・日本には、恐るべきことに、30万もの祭りが存在すると言われています。これは神社本庁の調べです。それは、我国が八百万の神のいる多神教風土だからです。神が多い分、それを祀る祭りも多くなるのです。一神教のキリスト・イスラム・ユダヤ教文化圏には、ここまで多くの祭りは存在しません。

<杉;杉岡幸徳(作家・奇祭評論家)、担;担当・鈴木(本書の編集担当)>
<おんだ祭   天狗とおかめがベッドシーンを……奈良県:飛鳥坐神社>
<――「じじい」が来りて尻を打つ>
<杉岡と鈴木、奈良県明日香村の中を歩いている。>
<仮面の男、何も言わず立ち去る。>
(杉)あの男は「じじい」(翁)と呼ばれていてね、ああやってこの祭りを見に来た人のお尻を叩くのを生業としているんだよ。

<――正統的かつ奇怪な田植えの儀式>
<二人、明日香坐神社の境内を通り、拝殿の前に辿り着く。>
・そのうち、拝殿に神官が現れ、農作物をお供えし、厳かに祝詞を唱える。その後、翁と天狗と牛に扮した男が現れ、田植えの動作を無言で披露する。牛は、時々寝転がって仕事を怠けたりして、観客を笑わせる。

(担)あ、田植えが終わりましたね。今度は天狗と翁、それとお多福さんが出てきました。三人で並んで座っています。微笑ましい光景ですね。
(杉)結婚式だよ。天狗とお多福が結婚し、翁が仲人というわけさ。さあ、これからが祭りの本番だよ!

<天狗、いきなり立ち上がり、股間に竹筒をあて、何度も執拗に回転させる。>
(杉)男性器に見立てた竹筒から、精液に見立てた酒を出しているんだね。

<――絡み合う天狗とお多福、そして翁>
・天狗とお多福、神主の前から立ち上がる。お多福が拝殿に寝転がり、天狗が覆いかぶさり、腰を振り始める。

(杉)これが「おんだ祭り」のクライマックス、「種つけの儀」さ。

<――子宝成就!股間を拭いた「拭くの紙」>
・天狗の腰の動きが止まる。コトが終わったらしい。お多福がよろめきながら立ち上がる。

<――農業は、セックスだ ⁉>
・祭りが終わり、観客は三三五五帰っていく、杉岡と鈴木は境内の石の上に腰かけている。

(杉)僕は本当のことしか言わないよ。これこそ、正統的で古式ゆかしい御田植祭なのは間違いない。昔の日本人は、農作物の繁殖(五穀豊穣)と人間の生殖(子孫繁栄)を同一視していた。だから、農作を祝う祭りには性的要素がつきものだったんだよ。例えば、農作を祈願する愛知県の田縣豊年祭には、巨大な男性器の神輿が出てくるし、各地の田遊びでも、性交を演じたり、遊女が田植えに参加したりしていたんだよ。それと、こんな決定的な絵もある。(カバンの中から1枚の絵を取り出す)

・(杉)江戸時代に描かれた田植えの絵さ。これなんか、田植えとセックスが結びついていることを見事に表現したものといえるね。それと、実は、農耕とセックスが結びついているのは、実は日本だけじゃないんだよ。これは世界的な現象なんだ。例えば、中央アメリカのビビル族は、種まきの前の夜には、夫婦は必ず交わりを持たねばならなかった。ジャワでは、稲の開化の季節に、農民が夜に水田でセックスをする習慣があった。古代ギリシャやローマでも「種子」と「精液」は同じ単語で表現したんだよ。

<猿追い祭り  猿を追え!しかし追い越すな 群馬県武尊神社>
・そのうち、ようやく神官や村人たちが集まってくる。村人は境内の祠に赤飯と甘酒を供えた後、参道をはさみ、東西に分かれる。

<――ただ、猿を追え!>
・村人たちは赤飯を投げ終え、神社の社殿の中に入り、「高砂」「四海波」を歌いはじめる。歌声は、外まで響いてくる。

<白装束の男(猿役)が本殿から飛び出してくる。口に半紙を咥え、幣束を手にしている>
・猿は走って社殿の周りを回る。村人たちも走り始める。
(杉)猿を追い越すと凶作になると言われているんだよね。

・(杉)この祭りが始まったのは350年ほど前と言われ、起源としてはこんな話が伝わっている。「武尊山麓の猿岩というところに猿がいて毎夜出てきては畑の作物を荒した。そこで村人は困りはて相談した結果、その猿を神様にしようということになった。ちょうどその時、猿が出てきたので村人は猿を追いまわした。これが今のような猿追い祭りになったという」

<猿、社殿を三周し、再び社殿の中に姿を消す>
・(主祭神)穂高見命、日本武尊命

<牛乗り・くも舞 意識不明の男が牛に乗る  秋田県・東湖八坂神社>
<――男は、意識を失っていた>
・(杉)あの男は、「牛乗り」と呼ばれる存在で、いちおう須佐男命ということになっている。

<牛に乗っても、男は目をつむったままである>
<――門外不出の秘儀!その部屋で、いったい何が?>
・神輿に先導されながら、トランス状態の男は牛に乗り、町を練り歩き始める。

(杉)周りの人が牛乗りの体を支えているでしょう。あれは、自力では体を起こせないからなんだよね。この「牛乗り・くも舞」は、僕が今まで見た奇祭の中でも、一番奇怪で神秘的なものかなあ。あの牛に乗っている男は、ついさっきまでは正常な意識があったんだ。ところが、さっきの建物の奥に、ある部屋があってね。そこに入れるのはあの男と「牛曳き」と「酒部屋親爺」と呼ばれる人の三人だけ。で、そこである儀式をした後、男は意識を失い、神がかりになっているんだよ。
(担)なんと、それは不気味ですね。その部屋で、どんな儀式が行われているんですか?
(杉)わからない。その儀式は完全に門外不出で、その三人以外は誰も知らず、誰も見られず、誰にも語ってはいけないんだよ。地元の人も知らないんだ。
(担)語ってはいけない儀式ですか ⁉ 恐ろしいですね。そんなオカルトみたいなお祭りが現代日本にあるものですかね  ⁉
(杉)あるから仕方ないさ。もともと祭りとは神秘的でオカルティックなものだけで、これはその中でも飛びぬけて謎に満ちているよね。

(杉)この「牛乗り・くも舞」は、東湖八坂神社の「統人行事」の中の一つの行事でね。この統人行事というのがまた、異様なまでに複雑な儀式が延々と1年も続く、不思議な行事なんだ。

<牛乗りたち、やって来た道を戻り始める。>
(杉)この祭りはね、八郎潟の豊漁と、疫病退散を祈願したものだと言われている。ちょうど季節は夏だし、かつては八郎潟から疫病が発生して人々を苦しめていたんだろうね。
(担)でも、どうしてお祭りに牛が出てくるんですか?
(杉)東湖八坂神社は、須佐男命を祀った神社なんだ。須佐男命と同一視されている神に、疫病の神の牛頭天王がいる。インドの祇園精舎の守護神であったともいわれる神で、その名からイメージされたのかもしれないね。牛がこの地で昔から農耕に使われた身近な家畜だったことも関係があるだろうね。

・(杉)不思議な祭りでしょう。これほど奇怪な祭りには、なかなかお目にかかれない。なまはげといい、男鹿半島にはまだまだ不可解な事象が隠されていそうだよね。

・(主祭神)須佐男命

<一夜官女祭り  少女をヒヒの生贄に……大阪府;野里住吉神社>
<――この世と別れの盃>
<野里住吉神社から行列が出立する、杉岡と鈴木、後を付いていく。>
(杉)4歳から8歳くらいの女の子が、7人も出てくるんだよ。みんなきらびやかに着飾って、そりゃ華やかなものさ。

・行列が当矢の家に到着し、中に入っていく。杉岡と担当も上がらせてもらう。

・(担)(同じく声を潜めて)ほんとだ!7人の女の子たちがピンクの綺麗な着物を着て、ちょこなんと座ってますね。可愛い〜!

・一人の男が、盃に酒を酌み、少女たちに手渡す。少女たち、盃に唇を少し当て、飲んだふりをする。盃は後ろに控えていた男たちにも廻される。その後、少女を交えて、行列は住吉神社に向かって出立する。

(杉)この「一夜官女祭り」はね、生身の女性を人身御供に捧げる祭りなのさ。
(担)人身御供!つまりあの女の子たちが生贄ということですか ⁉

<――なぜ女は生贄になったのか>
(杉)こういう言い伝えがあってね。この地域は淀川の河口にあり、かつては近くを流れる中津川が定期的な氾濫を繰り返し、村に恐ろしい凶作と疫病をもたらしていた。「泣き村」と呼ばれるほど悲惨な村だったんだ。ある時、困り果てた村人が占い師を呼ぶと、占い師は「毎年定まった日に処女を神の生贄として捧げよ。そうすれば、水害はなくなる」というお告げを下した。村人は恐怖に打ち震えながらも、真夜中、1本の矢を弓につがえ、放った。その矢が突き刺さった家は、娘を生贄として差し出さねばならないとした。1月19日の真夜中、生贄となる娘を、煌びやかに着飾らせて唐橿(かろうど、4本または6本の脚と、かぶせ蓋の付いた箱)の中に入れ、餅、豆腐、干し柿、鯉、鮒などの供え物と共に、次の朝、村人たちが慄きながら池のそばまで行くと、唐橿(かろうど)は破られ、もはや娘の姿はどこにもなかった。辺りには添え物が食い荒らされていた。そしてその年は、不思議にも中津川の氾濫はなく、五穀も豊かに実った。村人たちは、神が娘の生贄に満足してくれたのだと思った。

・(杉)ところが、この人身御供が始まってから7年が経ったある日、1人の旅の者がこの村に現れた。旅人は村人からこの話を聞いて不審に思い、「それは妙な話だ。それなら、今年は拙者が生贄になろう」と言い出した。そして自ら娘の服を着て、唐橿の中に入り、龍の池まで運ばせた。
・(杉)夜が明け、村人たちが恐る恐る龍の池まで行くと、唐橿は破られていた。しかし、旅の者の姿はどこにもなかった。ただ、周囲におびただしい血が流れていた。村人たちが、点々と続く血の痕を追っていくと、それは隣の申村まで続き、そこには1匹の狒々(サルを大型化したような姿をしており、人間の女性を襲う)が血まみれになって息絶えていた。「神」の正体とは、これだったたんだ。そして、この旅人こそ、武者修行中の剣豪・岩見重太郎(安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した剣豪。諸国を放浪し、天橋立で父の仇を討ち、各地で狒々や山賊を退治したことが講釈や立川文庫などで語られている)だったという。この祭りは、この悲劇を後世に伝えるために、娘たちの命日を祭りの日として始められたと言われているのさ。
(担)そう言えば司馬遼太郎の小説のタイトルにもありましたよね。まさか実在する村での出来事とは……。でも、その話はどこまで本当なのでしょうね?

<――揺さぶられる女の魂>
・行列が野里住吉神社の社殿に入っていく。「人見御供神事」が始まる。神官による祝詞の後、巫女たちが舞いを舞う。
・(杉)さっきも言ったように、この地域は淀川の河口にあり、近くに多くの支流が流れている。太古に、人々が洪水に苦しめられ、それを鎮めるために、人間を人柱にしたということはありうるだろうね。さっき、旅人が狒々を成敗したと言ったけど、戦前までは「蛇」を成敗したと言われていたんだよね。蛇は、しばしば大河の象徴と見なされることがある。それと、もう一つの解釈がある。
(担)どんな解釈ですか?
(杉)蛇は、男性器の象徴だという解釈だ。実はこの祭りは、江戸時代には「一時上臈」とも呼ばれていたんだ。「上臈」というのは「遊女」という意味もあるんだよね。かつて、日本のいくつかの地域では、村に迷い込んできた旅人(マレビト)に、一夜妻として女を差し出す風習があった。数少ない村人たちだけで交わり続けると、血が濃くなってしまうから、外部から新しい血を入れる必要があっあんだ。マレビトはしばしば「神」として扱われたから、この祭りは、一夜妻の風習の痕跡を留めたと見ることもできるんじゃないかと思うんだけど。

・(主祭神)住吉三神、神功皇后

<性の祭り――かなまら祭り 女装者たちがピンクの男性器の神輿を担ぐ  神奈川県・金山神社>
<――これは公然猥褻か?>
<杉岡と鈴木、京急大師線の川崎大師駅の改札口から出てくる>
 (担)私、この駅で降りるの初めてですよ。すごく外国の方の多い街ですね〜。
(杉)いや、ここは普段は普通の街だよ。祭りの日だけ、世界中から外国人が押し寄せるのさ。
(担)そんなに世界的なお祭りなんですか?

<二人、若宮八幡宮の境内に入っていく。>
(担)すごい人出ですね!ラッシュ時の新宿駅なみです!半分くらいは外国の方だし、何やら露店も無数に出てて、訳がわからないですね…。あ、あれは ⁉
(杉)これが、今日見に来た「かなまら祭り」のエリザベス神輿さ。
(担)こんなの表に出していいんですか?モロにあれの形ですよね?しかも色はショッキングピンクに光り輝いている……。

・(杉)そう、東京の浅草橋に「エリザベス会館」という女装クラブがあってね、あの神輿はそこが神社に寄進したものなんだよ。神輿を担ぐのも、エリザベス会館の女装愛好家ばかりなのさ。

(担)なんなんですか、この掛け声は ⁉ほとんど放送禁止じゃないですか!

<巫女が神前で優雅な舞いを舞い、神主が神輿の前で祝詞を唱える。>
<――全世界から注目の奇祭>
・エリザベス神輿、街を練り歩き始める。相変わらず女装者は「でっかいまら、かなまら!」と叫んでいる。男性器の神輿はほかにも二基ある。杉岡と鈴木はその後を付いていく。

(担)それにしても、すごい観客ですねえ。半分くらい外国人ですよね?みんなカメラやビデオで撮影しながら、大騒ぎ、それにしても、ものすごい人で…………ううっ、どんどんもみくちゃに……。

・杉岡、踊りの様子を撮影しながらスイスイと人混みをかき分けて行く。
・(杉)この祭りは、海外で“Utamaro Festival”として有名でね。毎年BBC、ロイター、フランスの国営テレビなど、世界中のメディアが取材に来るんだよ。世界でも珍しい祭りなんだろうね。

・(杉)まず、若山八幡宮の中にある金山神社の祭神は、ふいごの神でもあるんだ。ふいごの動きが男女のセックスを連想させるという理由から、性の神でもあるんだよ。江戸時代、この辺りに東海道五十三次の川崎宿があってね。そこには「飯盛り女」という名の娼婦がいたんだ。彼女たちは、劣悪な環境の中で働かされていた。だから、桜の咲く季節に、梅毒などの性病除けと商売繁盛を祈願して、神社の境内にゴザを敷き、神社にあった男性器の奉納物を持ち出し、卑猥なしぐさをして遊んだ。これが、かなまら祭りの起源とされている。その後、祭りは忘れ去られていたが、1970年代に女装クラブの「エリザベス会館」が、あのピンクの神輿を寄進して、現在の祭りが始まったのさ、今でも性病除けの祭りとされている。

<昔は男が女装、女が男装する祭りは結構あった>
(杉)今でも女装する祭りは、神奈川県のお札まき、山梨県のおみゆきさんなど、ちらほら残っている。

<――虐げられた者に桜の降りかかる>
・エリザベス神輿、街を元気にピストンした後、若山八幡宮の境内に還っていく。
(担)桜が輝いてますねえ。さっきはよくわからなかったけど、ものすごく露店が出てますね!しかも、ほとんどがエッチなグッズじゃないですか!男性器の形をしたチョコやキャンディ、オブジェ、「万古」「金玉」という名前のお酒、四十八手を描いた手拭いとか……。変な被り物をした人もいます。まるで出張秘宝館のようですね。

・ゴザの上に、先ほどの女装者たちが集まってくる。そして酒を飲み、料理を食べ始める。

<奇妙かつ不可解な祭り>
<キリスト祭り  キリストの墓で盆踊り   青森県新郷村>
<――まさかいきなり青森の奥地で十字架に遭遇するとは>
<――キリストは日本で死んでいた>
・担;先生がこのあいだ「キリストの墓が日本にある」なんて仰るから、頭ごなしに「ありえない」と言ったのは謝りますよ。でも、まさか本当に青森まで来ることになるとは………!

・杉;それは聖書に書かれている物語だよね。だが、本当は違うんだ。十字架に架けられて死んだのは弟のイスキリであり、キリストは実は生き延びていたんだ。イエスはその後、世界を放浪し、今の青森県八戸港から日本に上陸した。そして「八戸太郎天空」と名を改め、戸来村(現・新郷村)に居を定めた。彼は山に住み、「天狗」と呼ばれて恐れられた。ユミ子という妻を娶り、三人の娘を残した。そして、西暦81年に118歳でこの世を去り、村に葬られた。それが、僕らが今見ている「キリストの墓」なのさ。

・杉;今の話は、高名な超古代文書『竹内文書』に書かれているんだよ。歴史にはいろいろな見方ができることはわかるよね?さらに、こんなことも言われている。戸来とは「ヘブライ」の訛ったものだ。この村では、生まれた子供を初めて外に出すとき、額に墨で十字架を描く習慣がある。足が痺れたとき、人差し指に唾をつけて十字架を3回描くと治ると村では言い伝えられている。また、この地の沢口家の人々はキリストの子孫と言われ、代々赤ら顔で彫りが深い。そして沢口家の家紋は、ダビデの星にそっくりなんだ。これら全てがこの村とユダヤとの深い結びつきを示しているのさ。

・(竹内文書)竹内巨麿が祖父より譲り受けたという、世界の歴史や太古の天皇家を記した古文献。原本は焼失。これによると、古代の天皇は天空浮船(あめのうきふね)という乗り物で世界中を飛び回り、キリスト、マホメット、モーゼ、釈迦、孔子などはみな日本に留学に来たという。

<――ヘブライ語で盆踊り>
<キリストの墓の前で、祭壇が作られ始める>
<浴衣を着た女性たちがキリストの墓の周りに集まり、唄い、踊り始める。>
<♪ナニャドヤラ、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラ……>
・担;盆踊りの唄でしょうか。でも、何を言っているのか意味がわからないですね……。
・杉;わからないでしょう。実は、この歌は、現地の人にも意味不明なんだよ。だから、ヘブライ語の歌だという説があるんだ。
・担;は⁈ヘブライ語の盆踊り唄が青森に⁈
・杉;そう。川守田英二という神学者が、この唄をヘブライ語として解釈している。「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を討伐して 御前に聖名をほめ讃えん」という意味らしい。

・杉;実は、この唄はこの村だけで唄われたものではなくてね、南部地方で広く唄われているものなんだ。民俗学者の柳田國男は、この唄は方言の崩れたものだとして、「何なりともせよかし、どうなりとなさるがよい」という、祭の日に女が男に呼びかけた恋の唄だと解釈している。もともと盆踊りとは死者を供養するほかに性的乱交の場という機能もあったんだよ。だから、こちらの解釈のほうが当たっているかもしれないね。
・担;なんと、盆踊りにそんな意味が⁈

<ナニャドヤラの踊りが終わり、女性たちが解散し始める>
・杉;この近くに、「エジプトのピラミッドより古いピラミッド」が存在するんだよ。大石神ピラミッドと言ってね。そもそも、日本にはエジプトのものより古い、数万年に造られたピラミッドが7基もあるという説があるんだ。その1つが、うまい具合に近くにあるから、ぜひ見に行こう!
・(主祭神)イエス・キリスト

<こじき祭り  岐阜県加茂郡  県神社>
・杉;ここではね、乞食が「神」なんだよ。この祭りは、乞食を崇拝する祭りなのさ。

・杉;それにはね、聞くも涙の物語があるんだよ……。昔、この土地を恐ろしい旱魃が襲った。雨が全く降らなくなり、作物が育たなくなり、村人は飢えに苦しんだ。そんな時、一人のみすぼらしい乞食が忽然と村に現れ、神社の縁の下に住み着き始めた。この村人たちは貧しいながらも親切な人々だったので、食うや食わずの生活を送りながらも、乞食に施しを与えた。するとそのうち、雨が降り始め、田畑は潤い、作物が育ち始めた。村人たちは飢餓から救われた。そして誰ともなしに言い始めたんだ。「ひょっとして、あの乞食は神の使いじゃなかろうか。あの乞食のおかげで雨が降り始め、わしらは救われたんじゃなかろうか」村人たちは乞食にお礼を言いに行こうとしたが、その時すでに乞食の姿はなかった。その後、二度とこの乞食の姿を見たものはなかった。それ以来、村人たちは乞食を神の化身と信じ、乞食を崇め奉る祭りを始めたというわけさ。

・杉;祭り自体は江戸時代の中期に始まったと言われているから、その頃の出来事じゃないかな。

・杉;「マレビト信仰」は国文学者の折口信夫が提唱した概念でね。日本には昔から「外部からやってくる異人が幸福をもたらしてくれる」という考え方があったんだよ。男鹿半島のナマハゲなんかがそうだよね。だから共同体から外れた乞食という存在が神としても崇められても、必ずしも不思議ではない。

・杉;ただ聖と賤は表裏一体でね。愛と憎しみがコインの裏表であるようにね。こういう「マレビト」たちは、尊敬され、崇められると同時に、軽蔑され、憎まれる対象でもあったんだ。旅人なんかが村に迷いこんできたりしたら、崇拝されるどころか、捕まって殺されてしまうこともままあったのさ。

<神ころばしと七五膳  静岡県 若宮八幡宮>
<3年に1度行われる奇祭。ミノムシ男がひたすら転ぶ>
・上半身裸の男たちが、ミノムシ男の周りを固める。ミノムシ男はもみくちゃにされながら境内を疾走する。

<――「小糠三合持ったら婿に行くな」>
・杉;昔は「小糠三合持ったら婿に行くな」と言われてね、入り婿は凄まじい苛めにあったんだよ。かつての日本の村では、「女は村の男の共有財産」という考え方があっから、外部から来て、村の女を奪ってしまう男は、壮絶な嫉妬と苛めに晒されたんだ。例えば、1926(大正15)年に、栃木県芳賀郡清原村で、ある事件が起こってね。その村に入り婿に来た男が、「裸揉み」と称する祭りで、殴る蹴るの暴行を受け、人事不省の重体に陥り、暴力を振るった村人たちは逮捕され、実刑を受けているんだよね。

・杉;ただ、これはたまたま刑事事件になった稀有な例だよね。ほとんどが、誰にも訴えることができず、泣き寝入りだったと見ていい。ほかにも、例えば、雨乞いの祭りで、雨乞地蔵を川の中に放り込む。それを入り婿一人に取りに行かせるんだ。婿が必死になって、思い地蔵を抱えて川から上がってこようとすると、村の男たちが水や泥をかけたり、石を投げつけたりして邪魔をする。当然、婿が大怪我をすることもある。今でも、新潟県の松之山温泉には「むこ投げ・すみ塗り」という行事が残っている。これは、その地区の娘を嫁にもらった外部の婿が、崖の上から放り投げられるというものなんだ。まあ、雪が積もっているから怪我をすることもないし、今は「結婚祝いの夫婦の絆を強くするための祭り」ということになっているが、かつては、村の娘を取られた男たちが腹いせにやったとされているんだよね。

<『泥まみれの怪物の襲撃 パーントゥ 沖縄県宮古島市島尻』>
<――輝く島のタブー>
<タクシーはUターンし、今来た道を戻り始める。>
・杉;今回見に来た祭りは、「パーントゥ」と言ってね。パーントゥというのはこの島のことばで「妖怪・化け物」という意味なんだが、そのパーントゥが誕生する井戸、ンマリガー(生まれ井)という場所を目指していたんだ。しかし、ンナリガーでパーントゥが誕生する瞬間は、現地の人以外は見ることが許されないんだ。だから車の通行を拒否され、引き返したというわけさ。
 鈴木さん、さっき君は「南の島は開放的だ」と言っていたけど、実は沖縄のような南の島ほど、タブーが多いんだよ。だいたいtabooという言葉自体、元は南洋のポリネシアの言葉だからね。「アカマタ・クロマタ」って聞いたことある?

・杉;そうだろうな。あまりにも強烈なタブーだからね。これは西表島などで行われる祭祀なんだけどね。いまだ実態がよくわかっていないんだ。「アカマタ・クロマタ」という神が出現するとされているのだが、よそ者は、まずこの祭りを見せてもらえない。仮に見せてもらえたとしても、写真を撮ることは許されない。メモを取ることも、録音することも許されない。しかも、そこで見たことを一切、外部に漏らしてはならないんだ。ここで密かに写真を隠し撮りした者が、大変な目に遭わされたとも言われているんだよね。
 太陽の光が眩くなればなるほど、影もそれだけ瞑さを増す。明るい南の島だからこそ、隠された何かがあると思っておいたほうがいいよ。

<――襲いかかる怪物>
・担;き、来たって言ってますよ、先生!あっ、不気味な仮面をかぶった化け物が三匹、向こうから近づいてきています。全身ぐちゃぐちゃの泥まみれです!

<――闇に蠢く妖怪>
・闇が濃くなってくる。パーントゥ、野外での男たちの酒宴に招かれ、酒を飲んだ後、男たちを泥まみれにする。また、道行く人にも手当たり次第に襲いかかる。

・担;小さな子供たちは、本気でパーントゥを怖がってますねえ。泣き叫んで逃げ回ってますよ。男鹿半島のナマハゲみたい。

・杉;伝説では、パーントゥの仮面が、クバの葉に包まれて海岸に流れ着いたことに始まるといわれている。かつては、この地域は街灯もなく、闇も今より深かった。だから、暗闇の中で疾走するパーントゥは、本当に恐怖の対象だったというよ。いつ、どこからパーントゥが襲いかかってくるのか、わからないんだからね。そして、かつては、村の掟を守らない者を襲撃していたというんだ。パーントゥは、地域の秩序や規律を維持する役割を担っていたんだろうね。

<ヨッカブイ 怪物が子供を袋に放りこんで脅す 鹿児島県・玉手神社>
・杉;ヨッカブイとは「夜具をかぶる」という意味でね、夜具の綿を抜いて着ているんだ。さらに棕櫚の皮をかぶって顔を隠しているのさ。

・二人も幼稚園の中に侵入する。大きな袋を持ったヨッカブイが、泣き叫びながら逃げる子供たちを追い回している。

<――ヨッカブイと子供、決死の相撲!>
<ヨッカブイ、子供や女性を襲いながら、神社の中に入っていく。>
・杉;河童が相撲好きだという話は聞いたことあるでしょ?ここでヨッカブイと子供が相撲を取るさ。

・杉;これを高橋十八番踊りといってね、これが本来の祭りのメインイベントなんだよ。水難事故から守ってくれる水神(ヒッチドン)を祭る踊りなんだ。歌は変わったけれど、踊り自体は300年ほど前から踊られているそうだよ。
 不気味と言えばね、ヨゥカブイには妙な言い伝えがあってね。祭りの終わった日、夜中にこっそりこの神社に来るとね…。河童たちが密かに相撲を取り続けているという………。

<日本三大奇祭の謎>
・何しろ、私の知る限り、「日本三大奇祭の一つ」を自称する祭りは、全国で百近くあるからである。
 三大奇祭というものは、別に文科省やユネスコが認定するわけではない。言ったらもの勝ちなのだ。

・古来から「日本三大奇祭」と呼ばれていたのは、鍋冠祭り、縣祭り、鵜坂の尻叩き祭りである。これら三つは、どれも性の薫りが濃厚なものばかりだ。

・それから時代が下がり、割と最近まで言われてきた「三大奇祭」には、吉田の火祭り、島田の帯祭り、国府宮はだか祭りなどがある。

・私なら、現代の日本三大奇祭としては、キリスト祭り、笑い祭り、かなまら祭りをそれぞれ知性、ユーモア、エロスの奇祭の頂点として挙げる。だが、これも近い将来、大きく変動するかもしれない。世界は今、激動の時代に突入しているのである。



『もののけの正体』  怪談はこうして生まれた
原田実   新潮社     2010/8



<恐怖の琉球――南国のもののけ奇談>
<アカマタ――魔物の子を宿す>
・ある日のこと、乙女が畑に出て芋を掘っていた。乙女が一休みして、また畑に戻ろうとしたところ、岩のうしろから赤い鉢巻をした若者が顔を出してはまたひっこめたのに気づいた。歩こうとすればまた顔を出し、立ち止まればまた隠れる。乙女がその若者の顔に見入って動けなくなっていた時、乙女の様子がおかしいことに気付いた農民たちがかけつけて乙女を畑に引き戻した。
 乙女が見ていた若者の正体は、アカマタという蛇だった。アカマタは誘惑した乙女と情を通じ、自分の子供を産ませようとしていたのだ・・・。このパターンの民話は、沖縄の各地に伝わっている。

・石垣島の宮良では7月の豊年祭にアカマタ・クロマタという神が現れ、一軒一軒の家を回り祝福していくという(なお、この祭りは秘祭とされ撮影が一切禁じられている)。
 沖縄では同じアカマタという名で、若い女性にとりつく蛇のもののけと、豊作を予視する来訪神の二通りの異界の者が現れる、というわけである。

・さて、蛇ににらまれた女性が動けなくなるという話は、本土の古典でも、たとえば『今昔物語集』などに見ることができる。また、蛇身の神が女性の元を訪れて交わるという話は古くは記紀にも見られ、さらに日本各地の伝説・民話などに見ることができる。ちなみに記紀ではその説話の舞台が大和の三輪山(現・奈良県桜井市)の麓とされているため、神話・民話研究者の間ではそのタイプの説話はその三輪山型神婚説話と呼ばれている。沖縄のアカマタの話はその三輪山型神婚説話に発展する可能性を秘めながら中断させられた話とみなすこともできよう。
実は、沖縄にも三輪山型神婚説話に属する類型の話が残されている。

・これは江戸時代の琉球王府が正史『球陽』の外伝として、琉球各地の口碑伝承を集めた『遺老説伝』に記された宮古島の始祖伝承の一部である。
 この話に登場する大蛇には、娘が魅入られるという点からすれば憑き物的側面があり、夜に訪れるという点からすれば来訪神的側面もある。この話は、憑き物としてのアカマタと来訪神としてのアカマタの関係を考える上で暗示的だ。
 ところで私はかつて、三輪山型神婚説話の起源について、異なる共同体に属する男女間の婚姻がその背景にある可能性を指摘したことがある。

<キムジナー 日本のエクソシスト>
・沖縄ではその昔、樹木に住む精霊の存在が信じられていた(あるいは今でも信じられている)。

・沖縄では古木の精をキムジナー(木に憑く物、の意味)という。また地域や木の種類によってはキムジン、キムナー、ブナガヤー、ハンダンミーなどの別名もある。赤い顔の子供のような姿とも全身が毛に覆われた姿ともいわれ、水辺に好んでよりつくことから、本土でいうところの河童の一種とみなす論者もいる。

・『遺老説伝』の話の全般に見られるように、キムジナーは友だちになれば魚をわけてくれたり、仕事を手伝ってくれたりするという。また、他愛ないいたずらを好む、ともされ、たとえば、夜、寝ていて急に重いものにのしかかられたように感じたり、夜道を歩いている時に手元の明かりが急に消えたりするのはキムジナーのしわざだという。
キムジナーが出没するという話は現在でも沖縄ではよく語られる。ただし、最近では、観光客のおみやげなどでキャラクター化されたかわいいキムジナーが流布する一方、人に憑いて苦しめるような悪霊めいたキムジナーの話が広まる、という形でのイメージが二極化する傾向があるようだ。

<キンマモン――海からの来訪神>
・その昔、屋部邑(現・沖縄県うるま市与那城屋慶名)は幾度となく火災に遭い、多くの家が失われていた。ある日、その村に君真物(キンマモン)と名乗る神様が現れて村人たちに仰せられた。
「ここに火事が起こるのは屋部という村の名が悪いからです。屋慶名と改名すれば火事が起きることはない」
 村人たちがそのお告げにしたがったところ、その後は火事が起きることはなくなった(『遺老説伝』より)

・キンマモンに関する記録は、江戸時代初期の僧・袋中(1552〜1639)の『琉球神道記』にすでに見ることができる。それによるとキンマモンは琉球開闢以来の守護神とされる。キンマモンは、ふだんは海底の宮に住んでいて、毎月、人間の世界に現れて遊んでは宣託を与えていくのだという。

・また、曲亭馬琴の『椿説弓張月』(1807〜1811年)は保元の乱に破れて伊豆に流された源為朝が流刑地から脱出して琉球にたどりつき琉球最初の王朝である舜天王統の祖になったという伝説を読本にしたてたものだが、その中でキンマモンは「きんまんもん」と呼ばれ琉球を守護する神だとされている。ちなみにこの読本に挿絵を付したのは葛飾北斎だが、北斎は「きんまんもん」を、魚の胴体に人間の顔、鱗だらけの手足
があって直立するという異形の姿に描いた。
 キンマモン=君真物で、「君」は君主もしくは神女は君主もしくは神女への尊称、「真」は真実、本物という意味の尊称、「物」は精霊の意味とみなせば、キンマモンは、精霊の真の君主ともいうべき偉大な精霊といった意味になる。「物」はまた本土の言葉で言う「もののけ」にも通じている。

・キンマモンは海から人里にやってくる宣託神であり、典型的な来訪神である。最近の沖縄では、この神について、単に沖縄の守護神というだけではなく、世界の救世神だとして主神に祭る新興宗教も出現している。
 沖縄の習俗伝承には、憑き物系のもののけや来訪神に関わるものが多い。これは沖縄の社会事情とも深く関連している。後述するように、沖縄では、ノロやユタといった神女たちがさまざまな祭祀をとりおこない、庶民の生活に深く関わる存在となっている。
 そして、彼女たちの職掌というのはつまるところ来訪する神を迎え、憑き物を払うことなのである。彼女たちが人々の生活に深く関わっている以上、来訪神や憑き物は社会的・文化的に認知された存在であり続けるし、またそうしたものたちが認知されている以上、神女たちの職掌も必要とされ続けるのである。

<メリマツノカワラ――神女と異神>
・沖縄には各地に御嶽と呼ばれる聖域がある。それらは神がかつて降臨した(あるいは今も降臨する)とされる聖地である。本土でいえば神社の本殿に相当するといえようが、御嶽は神社のような建築物ではなく自然の岩や洞窟をそのまま聖域と見なすものである。
 その御嶽の由来の中には、異形の神の降臨について伝えるものもある。

・13か月が過ぎ、真嘉那志は一人の男の子を生んだ。いや、それを男の子と言っていいものかどうか・・・生まれた子供は頭に2本の角を生やし、両目は輪のように丸く、手足は鳥に似て細長く、奇妙な顔立ちで少しも人間らしいところはなかったからだ。
 目利真角嘉和良(メリマツノカワラ)と名付けられたその子供は14歳になった時、母と祖母とに連れられて雲に乗り、空へと去って行ってしまった。
 しかし、その後、メリマツノカワラは彼らがかつて住んでいた近くの目利真山にたびたび現れ、その度に人々を助けるような霊験を示した。人々は目利真山を御嶽として崇めるようになったという。
 この話は『遺老説伝』や『宮古史伝』に出てくる。

・一部の古代史研究家は、メリマツノカワラの容貌が鳥に似ていたとされるところから、中国の長江流域にいた鳥トーテムの部族が漢民族に追われて海に逃れ、沖縄に渡来して鳥崇拝を伝えたのではないか、と考察している。

<神女が重んじられる文化>
・明治政府の廃藩置県によって王政が廃止された後も聞得大君(きこえおおぎみ)を頂点とする神女制度は存続し、現在は聞得大君こそ空位だが、各地のノロ(祝女、各地域の神を祭る女司祭)は祭祀によってそれぞれの地元の人の精神的なよりどころとなっている。

・一方、正規の神女制度に属さないユタという人々もいる。彼女らは庶民の祖先祭祀について指導したり、憑き物落としをしたりする民間の神女であり、その存在は沖縄の人々の生活に深く根付いている。ユタは祖先崇拝を通して庶民生活における伝統を伝えようとする存在ともいえよう。
 
・ノロやユタが沖縄の人々の精神生活に深く関わっていることを思えば、沖縄の民俗伝承に来訪神や憑き物系のもののけが多い理由も改めてよくわかる。
 ノロの大きな職掌は来訪神を迎えることであり、ユタの仕事の一環には憑き物落としが含まれているからだ。沖縄の異神やもののけは、神女たちの存在意義を支えてきた。
そして、彼女らが沖縄の人々の生活に深く関わっているということは、とりもなおざず、彼女らに関わる異神やもののけが沖縄の人々の生活と密着しているということでもあるのだ。

<もののけ天国・蝦夷地――アイヌともののけ>
<蝦夷地の妖怪や異神>
<コロポックル――妖精はどこにいる?>
・アイヌの伝説で本土の人にもよく知られているものと言えば、筆頭に挙げられるべきは、コロポックル(蕗の下に住む人)という小人族に関する伝説である。彼らはまた、トイチセウンクル(土の家に住む人)、トンチなどとも呼ばれる。この小人族たちは、伝承上、あくまで「人間」とされており、カムイ(神)でもカミムンでもないが、西欧の伝承における妖精などとよく似たところがあることも否めない。

・また、十勝地方の伝説では、コロポックルはアイヌに迫害されてその地を去ったが、その時、川に「トカップチ」(水よ、枯れろ)という呪いをかけた。これがトカチという地名の由来だという。
 この伝説に基づき、コロポックルを北海道におけるアイヌ以前の先住民族とする説を唱える論者も多い。明治20年(1887)には人類学者・坪井正五郎がコロポックルは北海道のみならず日本列島全域の先住民族で、日本民族に追われてかろうじて北海道に残っていたものが、そこからさらにアイヌに追われた、という説をたてた。

<魔女ウエソヨマ――北国の天孫降臨>
・アイヌの伝説を論じる場合に避けて通れないのはユーカラといわれる口承叙事詩だ。その中には、もののけと戦って人間の世界に平和をもたらした英雄たちの物語も含まれている。

<水の精ミンツチ――半人半獣の謎>
・ところでアイヌの信仰で、和人のカミ(神)にあたる霊的存在を「カムイ」ということはよく知られている。

・ミンツチは半人半獣のもののけで小さい子供くらいの背格好をしているという。肌は海亀のようで色は紫とも赤とも言われる。
 川辺に来る人を襲って水の中に引きずり込むとして恐れられる一方で、山や川で働く人を苦難から救うこともあると言われる。

・ミンツチの行動パターンには和人の伝承における河童に似たところがある。さらに言えば、ミンツチは和人との接触でアイヌの伝承にとりこまれた河童とみなした方がいいだろう。ミンツチの語源「みずち」は、水の神を意味する日本の古語(「蛟」という漢字を当てられる)だが、一方で青森県における河童の呼称「メドチ」と同語源でもあるのだ。



『ど・スピリチュアル日本旅』
たかのてるこ   幻冬舎    2014/8/5



<会社を辞めて“旅人・エッセイスト”として独立した私>
<「世界一、スピリチュアルな国」日本をめぐる旅>
・私も、人生のテーマは「お金儲け」ではないので、「うわ、こんなおもろい人に出会えて、ラッキー!」と思えるような出会いを求めて、“人もうけ”をモットーに生きていきます。

・案内された沖縄コーナーには、沖縄の文化や宗教、歴史等の本がズラリ。沖縄では、年間300冊近くの沖縄本が出版され、この店だけでも1万5000冊を取り扱っているのだという。沖縄の総人口は約140万人だというから、沖縄人がいかに故郷を愛し、アイデンティティを大事にしているかが分かる。

<いよいよ“沖縄最強のユタ”と対面!>
・このイシキ浜は、海の向こうにあるとされる「ニライカナイ」を拝む聖地で、毎年、島の祭祀が行われているのだという。ニライカナイとは、東方の海の彼方にあるとされる異界、「神の住む国」で、祖先の霊が守護霊に生まれ変わる場所だといわれているのだ。

・「照屋家庭はんだん」の看板の掛かった鑑定所に着くと、普通の家のような落ち着いた風情の居間に通され、ユタの照屋全明さんが現れた。長身の照屋さんは穏やかな雰囲気ではあるものの、どこか存在感に凄みを感じる人だった。
「取材に見えたとお聞きしましたが、それには私の仕事を見てもらうのが一番なので、たかのさん、ご自身を鑑定させて頂くということでよろしいですか」
「あ、はい! お願いします!」
 思いもよらない展開に、胸がドギマギしてくる。照屋さんは毎日、朝10時から19時まで、30分刻みで1日16名を鑑定しているというのだが、毎朝8時から、その日の鑑定予約を電話で受け付け、たった10分で予約が埋まってしまうほどの人気だと聞いていたのだ。

・「スタンスがフリーですね。一匹狼。自由人。組織はムリです。持っている良さが、フリーだからこそ出てきます。人徳はあり。ボランティア精神で、人材育成もしていくでしょう」
 な、なぜそれを?!私はこの秋から、私立大で「異文化の理解」という講義を週イチで受け持つことになっていたのだ。非常勤の講師料は、目がテンになるほどのボランティア価格。国公立はもっと講師料が安いと聞き、非常勤講師は不安定な派遣社員みたいだなぁと思っていたところだった。

・動揺している私をよそに、怒濤の勢いで鑑定が続く。
「3、4年後、新しい才能が出てきます。それまでは、才能にフタしてる状態ですね。ゆくゆくは経済面も安定します。今はゆとりがないけれど修行だと思って、今までの道は間違いではないです。仕事はイエス・ノー、ハッキリさせていいですが、人間関係は『テーゲー』で、テーゲーは沖縄の言葉で『細かい事を気にせず、大らかに』という意味です。人間関係は突き詰めず、ほどよく適当にいきましょう」

・鑑定中の照屋さんは、物言いはあくまでジェントルなのだが、恐ろしく早口だった。神様からのメッセージはイメージのようにダーッと伝わるのか、照屋さんは神様のお告げを全部伝えたいがために、なんとか早口でしゃべって、そのスピ―ドに追いつかんとしている感じなのだ。
 と、突然、真剣な面持ちの照屋さんから「タバコ、いいですか?」と聞かれ、「あ、はい」と頷くと、照屋さんは鑑定しながらタバコをスパスパ吸い始めた。神様のメッセージがあまりに早口だから、気持ちを落ち着かせるようとしてるんだろうか………。
 その後、私の両親、兄ふたり、義姉たち、甥っ子たちの性質もズバズバ言い当てられ、それぞれの将来まで示唆されると言葉が出ず、「いやはや、恐れ入りました!」という感じだった。
「家族のことまでみて頂いて、ありがとうございます!」
 鑑定後、お礼を言うと、照屋さんが言う。
「お悩みに家族のことが連鎖している場合も少なくないので、私はいつも、来た人の家族全員、鑑定させて頂くんですよ」
これで8千円ならリーズナブルだなぁと思いつつ、鑑定料をお支払いさせて頂く。

・ユタはたいてい家系で継承され、圧倒的に女性のユタが多いのだという。そんな中、男性の照屋さんがユタになったのは、照屋さんの祖母が、祭祀を取り仕切る神職「ノロ」だったことが大きいというのだ。

 ノロが神職のシャーマンなら、ユタは民間のシャーマン。沖縄には古くから「医者半分、ユタ半分」ということわざがあり、これは「ユタの助言で精神的な癒しを得る」という意味で、ユタは生活全般のアドバイザーのような存在なのだという。


<●●インターネット情報から●●>
ユタ ( 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
<概念>
沖縄の信仰において、琉球王国が制定したシャーマンであるノロ(祝女)やツカサ(司)が公的な神事、祭事を司るのに対し、ユタは市井で生活し、一般人を相手に霊的アドバイスを行うことを生業とする、在野のシャーマン・巫(かんなぎ)である。

ユタはいわゆる霊能力者であるが、迷信と考える者も多い。だが、一般にユタの力は古くから広く信じられており、凶事に当たった場合や原因不明の病気、運勢を占いたいとき、冠婚葬祭の相談など、人が人知を超えると考える問題を解決したいときに利用される。こうした行為は「ユタ買い」といわれ、通常、ユタは相談料をもらって問題解決にあたる。医者がユタを勧める例もあり、沖縄には「医者半分、ユタ半分」ということわざが古くからある。

ユタは単なる霊能力者ではなく、信仰上、自らを神と人間の介在者と位置づけており、広義にはノロやツカサなどと同じく「神人(かみんちゅ)」と呼ばれる。沖縄では神に仕えるのは一般に女性と考えられており、ユタもノロやツカサと同じく、大多数が女性である。
ユタは弾圧の歴史を持つことから、隠語として、ユタのことを三人相(サンジンゾー:易者)やムヌシリ(物知り)などと呼ぶこともある。



『うわさの人物』 心霊と生きる人々
加門七海   集英社   2010/3



<『普通の高校生がユタになるまで』(平博秋)(ユタ)>
・それは17歳のことだった。

・母方のお祖母さんがカミンチュ(神人)だったんだから、きっと感じたんでしょうね。

<拝みの言葉は自然に出る>
・はい。お祖母ちゃんのときもあるし、大日(大日如来)さん、天照さんが教えてくれたり。

<神様の生の姿とは>
「ユタの世界や霊感の世界で、ある程度できるようになったら、夢で免許証みたいな、本をもらうんです。「帳簿」と言いますが、聞いたことあります?」
「あります。なんとか長老という方が出てきて、ユタの許可証を渡すんでしたっけ。」
「ウティン長老。白い髭のお爺さんです。」
「それ、本当なんですか。」
「本当です。杖を持っていてね。」
「平さんの許にも現れて?」
「はい。自分はこの神様にいろいろ教えられて、何回も天照さんのお姿も見て。それから弁財天さんも。」
「弁財様。すごい美人なんじゃないですか(笑)?」
「ものすごい美人、真っ白です。大日如来さんは、こっちに赤いのがついていて。髪がね、剛毛で長いんですよ。」

<インタビューを終えて>
・こんなにはっきり神の姿を語る人を、私は彼のほかに知らない。ターリと共に、何よりインパクトがあったのは、容姿や口調、身長まで、平氏が「神様」をすごくリアルに捕らえているということだった。無論、その真偽のほどは、私には計りようがないことだ。だが、氏は神々を親戚や教師であるかのように語った。



『ほんとうは怖い沖縄』
仲村清司    新潮社      2012/6/27



<死霊>
・「別の生き霊がいくつも寄ってきたり、死霊が取り憑くおそれがあります。霊にも人間のようにそれぞれ性格がありますから、悪さをする霊がつくと危険ですね」

<キムジナーとケンムン>
・日本の妖怪といえばワタクシなど、すぐにカッパが思い浮かぶのだが、風土や環境が内地と著しく異なっているせいか、沖縄にはカッパは存在しないようだ。ただし、似たのはいる。
キムジナーと呼ばれる子どものような背格好をした妖怪である。
 全身真っ赤で、髪の毛はパサパサにして茶髪ならぬ赤髪、顔も赤ら顔。ひと頃流行った渋谷系ガングロ女子高生に近いかもしれない。

・しかし、コヤツはどうやらオスらしく、地域によっては大きな睾丸をぶらさげているのが特徴とか。
また、腕はオランウータンのように長く、木の枝みたいに細くふしくれだっているとも。なにやら、やせすぎの老人を思わせるところがあるけれど、これでもやはり10歳ぐらいの子どもらしい。

・興味深いのは………、
実はこのことがキムジナーを特徴づける要素になるのだが、漁師の船にいっしょに乗って魚をとるのを手伝ったり、農家の野良仕事の手伝いを買ってでたりするなど、人間の前にくったくなく姿を現して、人と積極的にご近所づきあいする点である。また、いかにも子どもっぽいのは人間と相撲をとりたがることで、負けると何度も勝負を挑んでくるとされる。
 いうまでもなく、カッパも人間社会と接点をもつ妖怪にして、相撲が大好き。キムジナーが沖縄版のカッパといわれるのは、こうした性格も大きな理由になっているようだ。
といっても、キムジナーには頭のお皿や背中の甲羅がないので、風姿からいえば、カッパの系統とするにはやや無理があるように思える。

<キムジナーに気に入られた家は栄える>
・キムジナーに気に入られた家は栄える、逆に嫌われた家は滅びるという伝承もあることから、民俗学者の折口信夫は座敷わらしの系統をくむものという見方をしているが、ともかくも、人間と深い関係をもつ妖怪であることは確かなようだ。
 ガジュマルなどの古い大木に住んでいるので、「木の妖精」、「森の妖精」などと呼ばれたりもするのだが、その親しみやすいイメージから、いまでは観光みやげなどにキャラクター化されるほどのアイドル的存在に昇格している。

・それらの話を総合すると、キムジナーの生息地は沖縄本島北部、東村、大宜味村など、いわゆるヤンバル地区、背後に深い山を背負う村や、漁村に出没しているようだ。
 なかには、キムジナーが住んでいた小屋もあったと証言する人もいたし、大勢のキムジナーがまるで運動会のように海岸でかけっこをしていた、あるいは、ある時期まで毎晩のようにかまどの火をかりにきたという人までいた。

・ただし、どの目撃談も戦前もしくは昭和20年代のものばかりで、最近の目撃例はまるで聞かない。1975年前後に本部半島を住みかにしていたキムジナーが大宜味村や東村に「集団疎開」したという噂もあるが、その頃はちょうど海洋博ブームで大型リゾート開発があちこちで行われた時期でもある。森を住みかにしてきたキムジナーは住むところを追われたというわけだ。

・奄美諸島にはケンムンが住んでいるといわれている。ケンムンとはキムジナーと類型のものとされる森の妖怪。性質や特徴がキムジナーと酷似している一方、奄美ガッパとも呼ばれ、内地のカッパにも似ているともいわれる。

 その容姿が『南島雑話』という書物に図入りで記されている。幕末の薩摩藩士、名越左源太がお家騒動に連座して奄美大島に遠島を命じられた期間に著したもので、1800年代半ばの奄美の実情をビジュアルで知ることのできる貴重な史料となっているが、そのなかにケンムンに関する記述を見出すことができる。

・それによると、体毛が長く、頭に皿をいただいている様がはっきりとわかる。一見すればカッパのような印象を受けるが、顔は人間の子どものようでもある。人間の大人と仲良く手をつないで歩く姿を紹介していることから、キムジナーと同じく、人間社会と接点をもつ妖怪であることは一目瞭然で理解できる。

・といっても、容姿や性質については諸説あるので、はっきりしたことはいえないのだが、口伝からその恰好を推察すると、全身真っ赤で、おかっぱの髪の毛はやはり赤毛。背丈は子どもぐらいで、いつも鼻をたらし、ヨダレをたらしていることもある。
 また、座るときは膝を立て、頭を挟むようにして座る。そのため、奄美大島では膝を立てて座ることを「ケンムン座り」といって嫌うらしい。
 また、人間が悪さをしなければ敵対したり、危害を加えたりすることもないという。相撲が大好きで、人を見ると勝負を挑む。住むところはガジュマルなどの大木で、好物は魚の目。苦手なものはタコ、おならといった具合に、このあたりの特徴はキムジナーと酷似している。

・しかし、ケンムンとキムジナーには決定的な違いがある。それは、ケンムンが伝承や迷信の世界ではなく、いまも目撃談が絶えない「生物」として存在し続けていることだ。
 数年前、奄美大島の名瀬に出向いて聞き取り調査を行ったことがある。すると、「実在する」「見た人を知っている」「存在を否定できない」という人がぞろぞろいて、あまりの証言の多さにめんくらってしまった。

<ケンムンマチ>
・奄美博物館では「ケンムンマチ」を見たと証言する人までいた。ケンムンマチとはケンムンが発する火の玉のことで、伝承では雨の降る夜に山の尾根伝いに無数に火が灯るという。

 その証言者は「ちょうどあの方向の山女の中腹です」と、名瀬市内のすぐ裏手の山を指して、「揺らめいているような火ではなく、松明ぐらいの火が右左とあちこちにものすごい速さで動き回るんですね。すぐにケンムンの仕業だと思いました」と、毅然としていってのけたものである。

・そのせいか、アイドル的なイメージの強いキムジナーと違って、ときに人間に害を為す歴とした妖怪として、いまもどこか怖れられている部分もある。前述した奄美博物館では1990年頃にこんな事件があったと話す人がいた。
「ある老父が野良仕事に出たまま失踪しました。3日後、その老父はカマのような切り傷を体中につくり、畑の中でうずくまっていた状態で発見されたんです。老父はケンムンにやられたと証言しましたが、出血多量で手当のかいもなく亡くなりました」
 証言者が亡くなっているので真偽のほどは闇の中だが、目撃例が絶えて久しい沖縄と違って、奄美ではアンビリボーな生々しい事件がいまも発生していることになる。

・ほかにも、単に轢断されたケンムンの死体が山道に転がっていたなどの証言が報告されたり、目撃談がたまに地元紙に掲載されたりするという話も伺ったが、奄美の郷土民俗の研究家である恵原義盛は自らの不思議な体験を自著『奄美のケンモン』の中で語っている。

・その話が『南島雑話の世界――名越左源太の見た幕末の奄美』(南日本新聞社刊・名越護著)に掲載されているので孫引きさせていただく。
――1966(昭和41)年1月29日午後2時半ごろ、恵原は名瀬市根瀬部の水源地近くで、水が流れるコモリ(湖)のそばの石の上に子どもが座っているのを見つけた。山仕事をしている人の子どもだろうと、恵原は「そこでなにをしているの」と声をかけた。すると、振り返った瞬間、子どもは「稲妻の速さ」で、左側の渓谷上の方に掛け飛んで消え失せた。

・こちら側を振り向いた一瞬に見たその顔は、髪は伸びてまゆを隠し、着物は文目もわからず、年のころ6、7歳ぐらいで顔は黒かった。集落に下りて心当たりを聴いたが、そんな子は集落にいない、という。この外、恵原は「奇妙というか不思議な、常識では割り切れない現象は数知れない」と書く――。

・恵原はこれがケンムンであるとは述べていない。また、名越左源太が図で表現したカッパ様の生き物とも違っている。なにやら、かつての山間の漂泊民・サンカを思わせるような風貌ともいえるが、ともかくも、明らかに人間に近い姿をしているぶん、この目撃談はいっそうリアルに感じられるものがある。
 この話を読んだとき、僕はすぐに奄美博物館で聞いたケンムンマチのことを思い出したのである。
ケンムンが放つという火の玉のことである。
 もし、その子どもらしきものが、深夜に松明のようなものをかざして山中で動き回るとすれば………。
 尋常でない速度で動いたというあの火の玉と、「稲妻の速さ」で掛け飛ぶという恵原の証言はこの点で見事に一致するのではないか。

・だからといって、ケンムンの正体が明らかになったわけではないけれど、あの山中には何か得体の知れないものがいる――、そう思わせるに十分なほど、奄美の山塊は依然として黒々とした深さを保ち続けていることだけはたしかである。
 恵原は先のくだりに続けてこう結んでいる。

――(ケンモン)はもっと人間の生活の中に入り込んでいて、奄美という空間、広漠なる海に浮かぶ島の、存続と秩序を維持してきた要素の一つであったように思われます。



『未確認飛行物体観測日記』
宮本一聖   湘南社   2011/1



<UFO出現現象>
・本書は九州・長崎県の西方に浮かぶ五島列島において、近年展開されているUFO出現現象の2007年〜2009年迄の出来事をまとめた日記です。

・本書でご紹介するUFOについてですが、目撃時の飛行高度が100〜200mと低空であり、かつ飛行速度が自動車並みの30〜40kmと低速であること等の理由から、通常の飛行物体でないことが推測されています。

・さらに、この長崎県の五島列島という地域は、昔からUMA(河童)の出現で有名な場所で、UFO出現場所と符合することからUFOとの関連も疑われています。
 もしかしたら、これらのUFOはUMAと何か関連があるのかもしれません。  



『2000年5月5日 宇宙人大襲来』
映画インディペンデス・デイはなぜ緊急制作されたのか
アメリカ政府が隠し続けた恐るべき事実
(草刈龍平)(第一企画出版)     1996/12



<地球から520光年にある人類祖先の星>
・またある研究者によると、このベテルギウス(正確には周辺の惑星)を中心とする惑星系こそ「エンジェル」の故郷であると同時に銀河系のすべての宇宙人の故郷でもあるという。この研究者によるともう一つの宇宙人「グレイ」の故郷もこのベテルギウス(オリオン座の恒星)なのだというのである。驚くべきことに「グレイ」の先祖と「エンジェル」の先祖は同じだと言うのだ。彼らの共通の先祖がベテルギウスを中心とする惑星系に住んでいたというのである。

・一万年以上前のベテルギウス星人の容姿は現在の「エンジェル」とほぼ同じであったらしい。彼らは、背が高く豊かな金髪と美しい顔を持っていた。我々人類の先祖にあたるのは、この頃のベテルギウス星人だったのである。

<それは核戦争の放射能だった。>
・ある時を境にベテルギウスの二つの国が互いに対立を深め、ついに大戦争が勃発したのである。ベテルギウスの惑星に核ミサイルが飛び交い、戦いは何年も続いた。多くの人々が死に、かろうじて死をまぬかれた人びとも放射能の影響で原爆病になってしまった。生まれる子供たちに奇形が続出し、世代を経るにつれベテルギウス星人の背は縮んでいった。彼らの目は巨大化し、鼻は縮んで二つの穴を残すのみとなり、美しかったベテルギウス星人は不気味な姿へと変身していったのである。彼らの肌の色は透き通るような白から不気味な青味がかった灰色へと変わっていった。そして、彼らは、肌の色から「グレイ」と呼ばれる宇宙人になってしまったのである。

・放射能に汚染された「グレイ」は声帯をやられ、言葉を声にして喋ることができなくなってしまった。代わりに彼らには声に出さずに言葉を伝えるテレパシーの能力が発達していった。

・また、放射能で消化器官をやられた「グレイ」は、肉などを消化する能力が徐々に衰えていった。代わりに動物の内臓から直接酵素や分泌液を吸収するという方法で、彼らは、栄養を取るようになった。



『最新! 秘密結社の謎』
世界の裏側で暗躍する組織の実態を暴く
知的発見探検隊    イーストプレス   2011/7/15



<エコロジーを実践しカッパとの共生をはかる「下総カッパ団」>
・下総カッパ団は、1724(享保9)年、下総国印旛村の豪農、安田伝兵衛によって設立された人間とカッパの親睦団体だ。大の相撲好きだった伝兵衛が印旛沼で出会ったカッパのシンサクと偶然相撲をとって勝ったことで、意気投合。カッパと人間の共生を目的として旗揚げされた。設立当初は、うなぎ釣りや川相撲、水泳などの各種の催事を開き会員数は増え続け、最盛期には300名もの会員数を誇ったという。

<ナチスを生みだした秘密結社トゥーレ協会>
・ナチスは1926年から1942年まで毎年、チベットや中央アジアに遠征隊や調査団を派遣しました。何を探し求めていたのかといえば、アガルタです。
 アガルタとはフランスのオカルティスト、J・A・サン=ティーヴ・ダルヴェードルが詳しく紹介した一種の桃源郷です。
 彼はその死後の、1910年に出版された『インドの使命』という著書で、世界の中心に当たるアジアの地下深くに不可視の王国があると述べています。

<グレート・ホワイト・ブラザーフッド>
<神智学協会やゴールデン・ドーンを生んだ謎の集団>
<多くのオカルト結社に影響を与えた存在>
・ブラヴァツキー夫人が神智学協会を創立する際、多大な影響を受けたとされているのが、ヒマラヤで出会ったグレート・ホワイト・ブラザーフッドだ。

<未知の上位者との交信で真理に近づく>
・グレート・ホワイト・ブラザーフッドは、太古の昔より天界や宇宙の超存在と交信し、授かった智恵で人類を導き続けてきたという。

・交信できるのは、マスター(導師)と呼ばれる一部の者だけで、そうそうたる人々の名が連ねられている。超存在が何者であるかは不明だが、その導きに従えば、人間の内に秘められた真理に近づけるとされる。

・こうした神秘性を高める構造は、オカルト系秘密結社でよく見られる「未知の上位者」のシステムと呼ばれる。

・オカルト要素に満ちたグレート・ホワイト・ブラザーフッドは、未知の上位者からの情報を伝えることで、そのカリスマ性を維持していた。

<地球外生命体の正体>
<地球を揺るがす秘密をNASAと秘密結社が隠蔽>
<エリア51には宇宙人がいっぱい!?>
・地球には既に知的な宇宙人が到来しているという説がある。そして、宇宙人とアメリカ合衆国とNASA既に接触しているというのだ。

・また、ネバダ州にあるアメリカ空軍の実験施設エリア51周辺ではUFOらしき未確認飛行物体が何度も目撃されている。

・そして、エリア51には極秘裏にロズウェル事件の残骸が運び込まれ、地球外生命体から得た技術でUFO研究が行われ、リトル・グレイと呼ばれている宇宙人が存在しているなど、様々な憶測が飛び交っている。

<信じられている噂>
<地球外生命体を隠し続けるNASA>
・NASAは実は地球外生命体と既に接触しているという噂が後を絶たない。
 NASA中枢には根強い秘密隠蔽派が存在し、秘密結社と結びついて、これまでの発見や地球外生命体に関する情報を隠し続けているというのだ。



『彼岸の時間』 “意識”の人類学
蛭川立  春秋社  2002/11



<聖なる狂気―沖縄のシャーマンの巫病は「精神病」か?>
<人はどのようにしてシャーマンになるか>
・沖縄の精神科の病院には、ときどき、神がかかった女性も診療にくる。そういうときには、この病院ではカルテに「カミダーリ」(巫病)と書いて、近隣のユタを紹介したりもしていた。「ソゾ(精神分裂病)には薬が効くけど、ターリ(巫病)には効かないからね、薬を出してもおさまらないさ」と、ドクターは語っていた。

・人がユタになるとき、沖縄ではだいたいある決まったコースをたどる。まず、「タカウマリ(高生まれ)」という先天的な資質(運命?)があると考えられている。そして、大人になってから「カミダーリ(神垂れ?神祟り?)」とか、「カミブリ(神触れ)」という、心身の異常を経験する。これはだいたい20〜40歳ぐらいの女性に起こることが多い。病気や家庭の不和など、不幸な出来事がきっかけになる場合が多いが、特別なきっかけがなく突然起こることもある。

・医者に行っても治らない。自分でも意味が分からない場合は、ベテランのユタのところに相談に行く、先輩ユタは、お告げの主が誰なのか、何代前の祖先なのか、どういう神様なのかをみきわめ、それを拝むように指令する。守護霊的存在を特定してそれを拝むようになるとカミダーリはおさまり、かわりに必要に応じて先祖や神のメッセージを受け取ったり病気を治したりすることができるようになる。こうしてユタが再生産される。はじめは日本人は戸惑うらしいのだが、必要なことは神の声が聞こえてきて助けてくれるというものらしい。

<巫病・分裂病・臨死体験>
・カミダーリの症状は、妄想型の精神分裂病(統合失調症)の幻覚、妄想状態と似ているが、個々の点をみると違っているところも多い。カミダーリは圧倒的に女性に多いし、同じ幻覚でも分裂病では幻聴が多いが、カミダーリでは幻視が多い。

・アメリカでは近年、こうした巫病状態を霊的危機と呼んで、いわゆる精神病とは区別しようという考えも出てきている。

<神は右側頭葉に宿り給う?>
・1938年、カナダの精神科医は、てんかんの治療の一環として、本人の意識を保ったまま大脳皮質を電気刺激する実験に成功する。側頭葉を電気刺激すると、ある部分では人は過去の記憶をありありと思い出し、ある部分では自分が自分自身やこの世界から離れていってしまうような離人感を体験し、ある部分ではキリストの姿を見るという体験さえ引き起こされたという。臨死体験研究の第一人者、M・モースは、2001年の夏にシアトルで行われたIANDS(国際臨死研究学会)で「神は右側頭葉に宿り給う」と宣言していた。

・全体の8割の社会に脱魂型または憑依型のシャーマンが存在し、しかも、脱魂型と憑依型のシャーマンが同じ社会に存在することはほとんどない。むしろ、脱魂型のシャーマニズムと憑依型のシャーマニズムは、同じ現象の異なる社会的表現だと見ることができる。



『物語の世界へ』 (遠野、昔話、柳田国男)
(石井正巳)(三弥井書店)



<沖縄のニライカナイ>
・南西諸島では、海の彼方や海底に異郷があると信じられている。沖縄本島では、それを「ニライカナイ」と呼び、奄美諸島では「ネリヤ」「ニラ」、宮古諸島では「ニツザ」、八重山諸島では「ニーラ」などと呼んでいる。
この地域には、本土では竜宮に相当する海底の浄土を“ニライカナイ”と考える昔話が幾つもみつかる。例えば、沖永良部島の「竜宮童子」「浦島太郎」「玉取り姫」「炭焼長者」などの中では「ニラ」「ニラの島」と呼び、喜界島の「竜宮童子」「竜宮女房」「竜神と釣縄」「花咲か爺」などの中では、「ネイ」や「ネィーの島」と呼んでいる。これは南西諸島の昔話の地域的な特色であり昔話の宇宙観の特色を考える上でも重要である。

・こうした昔話とは別にニライカナイから初めて稲がもたらされたという伝承もある。稲作の起源を説明する伝承はいろいろあった。
・ニライカナイからは、稲の実りをはじめとする幸福を授けて神々が村落を訪れる、と信じられている。その様子は祭りの中で、村人によって演じられるが、八重山諸島のプーリィという収穫祭にでるアカマタ、クロマタや石垣島川平のシツという祭りに出るマユンガナシなどの神がよく知られている。どちらの神も仮面や覆面で顔を隠し植物を全身につけた仮装の神である。こうした神秘的な神々にヒントを得て、異郷から訪れるマレビトの唱える神聖な言葉から、日本文学の発生を説明しようとしたのが、折口信夫である。



『「伝説」はなぜ生まれたか』
小松和彦   角川学芸出版    2013/3/23



<「生贄」と「異人」、身代わりの論理>
<二つの生贄祭祀>
・ところで、右の事例は、村落共同体とその幻想的な異界(自然)との関係を描いたものである。村落の存亡は作物の出来・不出来であり、それを左右する天からの水を支配しているのは、天界の大蛇(龍神・水神)である。長い日照りが続いたために共同体が危機に瀕している。長者はこれを救うために天竺の大蛇のところまででかけ、「生贄」を求められることになる。
 水を支配する大蛇(異界)が「生贄」を好むならば、日照りが襲ってこないように、定期的に「生贄」を差し出そう。それを提供し続けることで作物の豊穣を確保できる――こうした思想に基づいて行われるようになったのが、「生贄」祭祀である。いいかえれば、これは異界との「富」の交換の物語ということができるだろう。しかも、この異界との交換は、両者ともに満足のゆく結果をもたらす限り、安定した関係といえるだろう。

・ところで、共同体の「長」が共同体内の誰かを生贄として差し出す祭祀を、共同体の外部(=異界)から訪れた者(=異人)が廃止するという説話も伝えられている。『今昔物語集』巻26の第7話と第8話は、その種の物語のなかでももっとも有名な話である。この話はまた、生贄の
祭祀の状況をリアルに描いている点でも興味深い。

・この二つの生贄話は、一見した限りでは、上述の事例と同様の話にみえる。しかし、まことに対照的な構造となっている。すなわち、一方は異界と共同体の間の直接的な交換であるのに対し、他方は、第3項としての「異人」が介在する物語だからである。しかも、二つの話の内容には微妙な差異も見出せる。第8の話は、村落共同体自体が共同体内部からの「生贄」の調達を厭いだし、共同体の外部の者(回国の僧)を「身代わり」に立てる方法で対処しようとしているのに対し、第7の話は、共同体の外部(東国)からやってきた者(猟師)が、「生贄」祭祀のことを耳にし、自分から進んで「身代わり」に立っているのである。

<身代わりに立てられた僧>
・まず、第8の方の話から検討してみよう。この話の概略は、次のようなものである。

 飛騨国の山中で道に迷った回国の僧が、たまたま出会った男に山里に案内され、郡殿(大領)の決定に従って、ある男の家で世話をしてもらうことになり、しかも一人娘を妻としてあてがわれる。8ヵ月ほど経った頃から、家の者が「男は肥えた方が良い」といってご馳走攻めにする。不審に思った僧が妻にわけを詰問すると、妻は「じつは、この郷の者が祀る猿神は、年に一度生贄を求める。この私が次の生贄になることになっていたが、その身代わりとしてあなたを出そうとしているのだ」と教える。
 祭礼の当日になり、村人たちは僧を裸にして俎(まないた)の上に載せ山中の祠の前に運び、神楽を奉納したあと、一人残らず郷に帰っていった。やがて猿神が現れるが、僧はこの猿神を捕縛し村に連れ帰る。そして人びとの前で、二度とこのようなことはしない、という約束をさせて追い払った。その後、この男はたくさんの人を使う「長者」となった。

・この話で興味深いのは、この村落の人びとが村落の外部に「身代わり」を探し求めていたのであって、その外部からやってきた僧は、自分が身代わりの生贄とされるためにもてなしを受けているのだということを知らなかった、ということである。僧の妻となった娘が事前に真相を明かさなければ、僧は生贄として猿神に差し出されて食べられていたのである。さらに推測すれば、この僧が猿神を退治するまで、たくさんの旅の者が身代わりの生贄として猿神に差し出されていたにちがいない。
 いま一つ留意したい点は、この僧は猿神を退治した後、この里に住み着いて「長者」になった、と語られていることである。この「長者」が「郡殿」(大領)をしのぐほどの存在、つまり「首長」であったかどうかはわからないが、共同体の「外部」からやってきた者が土地の女性と結婚してその「王」となるという、人類学で言う「外来王」的な性格をもっている。

<自ら身代わりに立った猟師>
・第7の話の概略を紹介しよう。

・美作国に中参・高野という神がいた。中参は猿、高野は蛇であった。土地の者は、毎年一度の祭りには人間の生贄を差し出すことが決まりになっていて、ある家の、年の頃16、7歳の美しい娘が次の年の生贄に指名された。たまたま東国からやってきた猟師がこの話を耳にし、娘を妻にくれるなら自分が娘に代わって生贄となろう、と申し出る。娘の命が助かるならばと、親は娘を人知れず男に娶らせる。男は飼っている猟犬から二匹を選び出して特別な訓練を行ない、刀をしっかり磨きあげた。
 やがて、祭りの当日がきた。「宮司」(神主もしくは祭司)を筆頭にたくさんの人がやってきて生贄を入れる長櫃を寝屋に差し込んだ。男がこの長櫃のなかに犬とともに入ると、親たちはそのなかに娘が入っているかのようなそぶりをしながら、一行に長櫃を差し出す。祭礼の行列が社に到着し、「祝」が祝詞を唱え、瑞垣の戸を開けて長櫃を差し入れたあと、その戸を閉じ、その外で宮司たちは並んで待機する。
 男が長櫃を少し開けて覗き見ると、丈七、八尺もあるかと思われる猿を中心にたくさんの猿が居並び、俎と刀も用意されていた。この大猿が長櫃を開けると同時に、男と犬がそこから飛び出し、大猿を捕えて俎の上にすえて刀を当て、頸を切って犬にやろうか、と迫った。このとき、一人の「宮司」に神(大猿の霊)が憑いて、「もう生贄を求めない、この男や娘の親にも復讐したりしない。だから助けてくれ」と助けを求めた。これを聞いた宮司たちが社のなかに入ってきて、「神様がこのように申されているのだから、どうか赦してください」と頼んだが、男が「この者と一緒に死ぬのだ」と少しも赦そうとしないでいると、「祝」(つまり大猿の霊)は言葉に窮し、誓いの言葉を何度も述べたので、赦してやると、猿は山に逃げ去る。家に戻った男は末永くその娘と夫婦となって暮らした。

<能登半島の猿鬼退治伝説>
<発掘された猿鬼伝説>
・ここで、その具体的な例として、第1章で詳細な検討を加えた能登半島の輪島市と能都町旧柳田村に伝わる「猿鬼退治」伝説を、「天皇」と「村落」との接続のプロセスを物語る事例として取り上げ直してみよう。
 繰り返しになるが、地元に伝わる「猿鬼伝記書」によって、この伝説の概略を改めて紹介しておこう。

 昔、当目(能登町旧柳田村)という集落に岩井戸という洞窟があって、そこに「猿鬼」と呼ばれる恐ろしい鬼の一党が潜んでいた。当目の村の家々は、次から次へと猿鬼に襲われ、この噂が神々の耳にも入り、日本中の神たちが「出雲の国」に集まって猿鬼退治を相談をし、能登での出来事は能登の神が解決すべきだということになり、気多大明神(大穴持命)と三井の女神の神杉姫という神に、猿鬼退治の命が下される。神軍が猿鬼一党を攻撃したが、猿鬼は不思議の術を使う化生の者なので、なかなか征伐することができないでいたが、神杉姫の策にはまって鬼たちが酒宴を開いていた隙を狙って急襲し、ついに猿鬼の首を切り落とす。
 その後、猿鬼の魂魄が祟りをなしたので、神杉姫が僧に身をやつしてやってきて、その魂魄を鎮めた。

<猿鬼を退治した神は誰か?>
 この猿鬼退治に関する記録が現れた最初は、安永六年(1777)の『能登名跡志』記載の記事である。この記録は、いわば現代の民俗学者や地誌学者が地方を訪問して、地元に伝わる文書や聞き取りから制作した地誌・民俗誌のたぐいである。それには、次のように記されている。

 この当目村方々へ散村になりて蓮華坊いふが往来也。千毒といふ川中に、岩井戸といふ不思議の洞あり。海辺より三四里の山奥なれども、汐のさしひきあり、烏賊など吹き出せしことあり。昔この洞に猿鬼といふもの住みて人を取る。これを大穴持命退治ありて、その霊を祭て今猿鬼の宮とてあり。案ずるにこれは狒々(ひひ)の類なるべし、そのほかこの猿鬼退治ありし時の旧跡色々あり。



『世界不思議大全  増補版』
泉保也     Gakken   2012/8



<ジョージ・アダムスキー  史上最大のUFOコンタクティ>
<驚異の宇宙旅行と素晴らしい宇宙船>
・アダムスキーは、その後数回にわたって異星人とコンタクトすることになるが、そのたびに彼は驚くべき体験をしている。
 1953年2月18日、例によって彼は予感めいた衝動に駆られ、ロサンゼルスのとあるホテルに投宿した。
 夜になって、ロビーにいたアダムスキーにふたりの男が接近してきた。ふたりは普通の服を着ており、話す言葉にも何らおかしなところはなかった。
 しかし、彼らが握手を求めてきたとき、アダムスキーは異星人だとわかった。彼らは特殊な握手をするからである。
 ふたりはアダムスキーを車に乗せ、砂漠地帯に向かい2時間ほど走行。ドライブ中、ひとりは火星からやってきたといい、もうひとりは土星からやってきたと話した。
 車が砂漠に着くと、そこにはUFOが待機していた。近くには例の金星人がいて、アダムスキーをにこやかに出迎えた。不思議なことにこのとき彼は、英語を流暢に話せるようになっていたのである。
 アダムスキーは、彼らに仮の名前をつけ、金星人をオーソン、火星人をファーコン、土星人をラミューと呼ぶことにした。

・UFOは信じられないくらいの高速で飛行し、地上1万2000メートルの高度に達した。そこにはなんと、全長600メートルはあろうかという巨大な葉巻型母船が滞空していたのである。

・アダムスキーを宇宙旅行に招待したのは、偉大な指導者(マスター)と呼ばれる人物だった。

・土星型UFOは、上空に待機している母船に向かった。今度の母船には、20歳前後にしか、見えない人々が大勢いたが、彼らの年齢は、実際には30〜200歳以上にも達するという。

<コンタクティ  異星人からのメッセージを伝える人々>
・コンタクティの証言を「コンタクト・ストーリー」という。

<ハワード・メンジャー>
・アメリカ人。初コンタクトは1932年の夏で、金髪の金星人女性と会見。高校卒業後、陸軍に入隊してからハワイで黒髪・黒眼の異星人と出会い、太平洋戦争時の沖縄戦に従軍した折、沖縄で軍服を着た金星人と会見、「今後もコンタクトが続く」と告げられた。

・退役後の1956年にニュージャージー州プレザント・グローブでUFOを目撃して搭乗員の男女と会う。以後、金星や火星、木星、土星から来たという異星人と何度も会見し、UFOに同乗して金星や月の裏側にある基地を訪れた。妻も金星人の転生者だという。

<安井清隆>
・日本人。岡山市で語学塾を開いていた1960年4月23日の夜、満月の2、3倍はありそうな土星形のUFOを目撃。1週間後の30日午前4時すぎ、テレパシー通信を受けて戸外へ出たところ、3機のUFO編隊を組んで旋回しているのを目撃した。うち2機は姿を消したが、残る1機も導かれるようにあとを追った。

・UFOは総合運動場に着陸し、中から銀色のスーツに身を包んだ、2メートル40センチほどの長身でマスク姿の人間が現れ、両手を差しだしながら安井に近づいてきた。握手後、マスクをはずした男の顔は彫りの深いヨーロッパ系だったが、日本語で話しかけてきた。しばらく、会話を交わしただけで、最初のコンタクトは終わった。

・同じ年の10月30日、「富山県黒部市の宇奈月温泉近くの河原で待つ」というテレパシーを受信。11月1日の夕刻、黒部川で先に会見した男性と金髪の女性と遭遇した。男性はチュェレイと名乗り、それが母星の名でもあると語り、直径5〜6メートルの小型円盤への搭乗を許された。円盤は15分ほどで白馬岳の頂上付近に到着。直径30〜40メートルの円盤に乗り換えた。内部は操縦室、食堂、倉庫、会議室からなっていた。

・その後コンタクトは中断し、再開されるのは1970年2月。岡山市郊外でチュェレイと再会し、円盤で白馬岳の基地を訪問。全長60キロはあろうかという葉巻型の巨大母船の映像を見せられた後に、その母船へ案内された。母船は恒星間飛行に用いられるもので、内部には森や湖、山などがあり、建物が立ち並び、小型円盤が飛び交っていた。1971年2月末には、その巨大母船に乗ってチュェレイ星を訪問した。が、その後テレパシー通信はぱったり跡絶えてしまったという。

<ステファン・デナルデ>
・オランダ人実業家。1967年7月、オランダ南西部ウースタ―シェルトの沖合をヨットで航行中、海面に浮かんでいた異星人の宇宙船(水上艇)に乗り上げて異星人と遭遇し、乗船を許された。

・身長150センチほどの異星人はヒューマノイド型ではなく、顔の真ん中に窪みがあり、手は鉤状で、全身が薄褐色の毛で覆われ、獣じみて見えた。
 会話はテレパシーでなされた。彼らの母星は、地球から10光年彼方にある惑星イアルガで、自転速度は地球よりも遅く、重力は地球の約3倍。窒素やアンモニアからなる大気は濃密で、大気圏の雲が視界をさえぎっており、太陽光は見えない。

・そのイアルガ星へ、小型の円盤から高空に滞空する大型円盤に乗り継いで案内された。イアルガ星は海が大部分を占め、陸地は島だけで、それらは鉄橋で結ばれていた。石油タンクのような形状をした集合住宅が立ち並び、ひとつの建物の直径は約300メートル、高さは約135メートルで、約1万人が居住できる。

 ほかに自動機械化された農園、恒星間飛行用の大型円盤の建造工場なども見学してから、再び円盤に乗って地球へ帰還した。

<R・N・フェルナンデス>
・メキシコ大学教授。原子力委員会のメンバーも務める科学者。1972年11月14日、大学構内で異星人女性とすれ違った。身長190センチの長身で、瞳は緑色、黒髪の美女である。それより先、教授は女性の声で何かを訴えようとするテレパシー通信を受けており、異星人であると直感したのだった。

・その後、2度遭遇したものの、会話を交わすことなく迎えた1974年12月22日、彼女が「テレパシーでは通じないようなので、直接話にきました」と教授を尋ねてきた。彼女はアンドロメダ銀河からやってきたリアと名乗り、知的生命体の調査のために地球を訪れていると説明、近いうちに宇宙船へ招待すると約束した。

・それが実現したのは翌1975年4月22日だった。宇宙船は直径5メートルほどのドーム状円盤で、乗船するや、超高速で大気圏外に飛び出した。リアは宇宙空間に浮かぶ青い地球を見ながら、地球環境の脅威、遺伝子工学、反物質などについて語った。

・リアはその後、近い将来凶悪な異星人が地球に来襲する、という警告を残してアンドロメダ銀河へ帰っていった。

<宇宙飛行士が認めたコンタクトの事実>
・ならば、彼らの主張はすべて虚言や妄想の産物かというと、必ずしもそうではない。宇宙探査によってコンタクティたちの話が真実と判明したケースもあるからだ。

・かつてのアポロ計画にも注目したい。宇宙飛行士と管制センターとの漏洩交信記録から、「道」「ドーム群」「構築物」「トンネル」「テラス」などが月面に存在するらしいことが指摘されたからだ。それらはおそらくUFOの基地だろう。

・アポロ14号で月面に降り立ったエドガー・ミッチェルが2008年7月、「アメリカ政府は過去60年近くにわたって異星人の存在を隠蔽してきた」と爆弾発言したことも、コンタクティに有利に働く。地球へ飛来している異星人が人類との接触を試みないとは考えられないからであり、すべてのコンタクト・ストーリーを荒唐無稽と斬って捨てるわけにはいかないのである。



『女神イシスの降臨』
古代エジプト神話の謎に迫る
大川隆法   幸福の科学出版   2011/8/9



<女神イシスの正体は、琴座、ベガ星出身の神秘の女神であり、古代エジプトの実在の歴史上の初代の王とも呼ばれているホルス王の母でもある>
・また、「オシリスの復活信仰はイエスの復活信仰の原型であり、古代エジプトに流れる、この神秘思想がキリスト教に流れてきた」という考えもありますし、「転生輪廻の思想も、このあたりから始まっていて、それが仏教に入っている可能性もある」という考えもあります。

・ハトホルとこのイシスとを、ほとんど同一視するような見方もあります。

<夫であるオシリスの腹違いの妹だったイシス>
<オシリスとイシスの子ホルスはエジプトの覇権を確立した>
<天照大神(あまてらすおおみかみ)とイシスの深い縁>
・天照大神は日本担当、イシスはエジプト担当として下りた。

・天照大神とイシスは「ベガの女王」。

・プレアデスは“顕教”ベガは“密教”を担当している。

・ケンタウルス座α星人の中には、映画「猿の惑星」に出てくる、猿が人間になったような外見の者もいる。



『妖怪文化入門』
  小松和彦      角川学芸出版   2012/6/22



<異人・生贄>
<「異人」とはなにか>
・「異人」とは、一言で言えば「境界」の「向こう側の世界」(異界)に属するとみなされた人のことである。その異人が「こちら側の世界」に現れたとき、「こちら側」の人びとにとって具体的な問題となる。つまり「異人」とは、相対的概念であり、関係概念なのである。
 ところで、「こちら側」の人びとが想像する「異人」は、おおむね次の四つのタイプに分けられる。

? ある社会集団(共同体)を訪れ、一時的に滞在するが、所用を済ませればすぐに立ち去って行く「異人」。こうした「異人」の例として、遍歴する宗教者や職人、商人、乞食、観光目的の旅行者、聖地への巡礼者などを挙げることができる。

? ある社会集団(共同体)の外部からやってきて、その社会集団に定着することになった「異人」。こうした「異人」の例として、戦争や飢饉などによって自分の故郷を追われた難民、商売や布教のために定着した商人や宗教者、共同体を追われた犯罪者、「異国」から奴隷などとして、強制的に連行されてきた人びとなどを挙げることができる。

? ある社会集団(共同体)が、その内部の成員をさまざまな理由で差別・排除する形で生まれてくる「異人」。前科者や障害者、金持ちや貧乏な人などが、この「異人」の位置に組み入れられることが多い。

? 空間的にはるか彼方の「異界」に存在しているとされているために間接的にしか知らない。したがって想像のなかで一方的に関係を結んでいるにすぎない「異人」。海の向こうの外国人や、はるか彼方の「異界」に住むという「異神」たちが、こうした「異人」のカテゴリーを形成している。

こうした種類の「異人」たちが「異人」とみなされた社会集団の問題になってくるのは、当該集団がその集団としての「境界」を意識し、その集団の構成員とそれ以外の人びとを区別しようとするときである。人びとは「我々の集団・仲間」を作り出すために、その<外部>に「異人」を作り出すのである。この「異人」を媒介にして集団は結束し、その「異人」に対処する作法を編み出し、ときには歓待し、ときには差別や排除に及ぶことになる。

・異人論の先駆的研究として位置づけられる研究は、折口信夫のマレビト論であり、岡正雄の異人論であろう。
 折口の「マレビト」概念は彼自身が厳密な定義をおこなっていないこともあって難解であるが、その概念は二重構造になっていると思われる。一次的なマレビトは来訪神のことであり、二次的マレビトが共同体の外部から訪れる祝福芸能者のたぐいとして想定されている。共同体の人びとはこれと祝福芸能者を「神」そのもの、もしくはその代理人とみなすことによって歓迎し、その祝福を受けることで共同体の繁栄が期待されたのであった。すなわち、共同体の来訪神信仰との関係のなかで「異人」を理解すべきであるということを示唆したわけである。

<異人・生贄・村落共同体>
・すなわち、「異人」をめぐるテーマを検討していくと、その一角に「生贄」のテーマが現れ、逆に「生贄」のテーマをめぐって考察を進めていくと、その一角に「異人」のテーマが現れてくるからである。そして、この二つのテーマを媒介しているテーマが、「人身供犠」(人身御供)もしくは「異人殺害」という説話的・儀礼的モチーフであると言えよう。

・旧来の神に代わって山王社に祀られることになったのは、いかなる「神」なのだろうか、ということである。ここでの文脈で言えば「農耕神」としての山王神ということになるだろう。「しっぺい太郎」の昔話でいえば、外部からやってきた旅の僧などの「異人」や「人間の側の犬」が、そこに祀られていることになるはずである。

<「異人」と「家」の盛衰>
・その物語の一つが最近まで民間に流布していた、次のような物語である。これを私は「異人殺し」伝承と名づけた。「異人殺し」伝承は、怪異・怪談そして恐怖といった要素がたっぷり詰まった伝承である。

 旅人(六部や座頭、巡礼、薬売り)が、とあるムラのとある家に宿を求める。その家に泊めてもらった旅人が大金を所持していることに気づいた家の主人が、その金欲しさに、旅人を密かに殺して所持金を奪う。この所持金を元手にして、その家は大尽になる。だが、殺害した旅人の祟りをうける。





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