政治は商品を選ぶ(消費行動)と言うことではない? | |
[日本の政治] | |
2016年7月24日 22時56分の記事 | |
昨日の本ブログ「政治は商品を選ぶ(消費行動)と言うことではない」(2016年7月23日)の続きです。
現在の政治に対する考え方や投票行動が、実は消費者の行動原理に基づいているという本質が、現在の政治の風景の本質であると考えます。だから行列ができるお店には、さらに行列ができるということと同じことが、当然、投票行動などに表れます。そのお店の中味よりも、行列ができることの方が人々の関心を引くわけです。行列ができているのだからきっとそのお店の品物は良い、料理はうまいと考えるわけです。それがテレビで流されれば、爆発的に人が殺到するわけです。 しかし、その中味が実際にはたいしたものではなければ、人はさっと引きますし、口コミで悪い評判も立ちます。そうなれば、行列ができているお店は一気に下降線をたどります。実際にこのことは、これまでの都知事選挙とその後の選出された都知事の行く末そのものでしょう。 実のところ人は、その「行列」を見ているわけです。だから、人が何を買っているかランキングが情報になるわけです。人の行動を見て、自分は選択に失敗しないようにということがその背後にあると考えますが、このことの本質は自分で考えているようで実は考えていないということです。 消費行動においてこのようなことが生じても、その選択において失敗するのは基本は個人ということになりますが、これと同じことを政治においてすれば、間違った為政者を選ぶことが当然、生じます。この結果は、個人においても、また社会全体にも影響が確実に及びます。 政治や選挙などにおいてこの行列にあたるのが、世論調査です。このことが提示されると当然、そのことによって世論の動向が変わります。世論調査というのは、主権者・有権者がどのように考えているかということを調査するものですが、それを公表して主権者・有権者がその結果を見るというのは、実はおかしなことです。主権者・有権者が「自分」は一体、何を考えているのかということを知らされるというのは、良く考えれば実に滑稽なことなのです。 もちろんプロは有権者が投票において消費者として行動していることは知っています。 ただ、そのことを利用するかしないかは政治に対する考え方、良心などによって変わります。ただ、このことを知っているからポスターの写真は一流の写真家や風俗専門のカメラマンが使われたりします。それは、政治家が商品と認識されていることを知っているからです。世論調査や報道もこの消費行動に焦点を合わせています。 だから、実際、有権者は考えて投票しているようで、実の場合、乗せられていることの方が多いと経験的に考えます。消費者としての性質を利用されているということです。しかし、その選択のツケはいずれ有権者に確実に降りかかります。 以前、山本七平氏が貞観政要という帝王学についての著書で、かつては国の主は帝王学を修め、修練を積んでいたが、今の主である主権者はそのようなことをしているのかと疑問を呈しています。今から30年程前の著書です。国において、組織において主が迷走すれば、国は傾きます。それなら主権者が迷走すれば、当然、国は傾きます。民主主義は否定しません。しかし、今あるろくな候補者がいないという感覚ととも、選ぶ側の主権者はどうなのかということも、そろそろ考えてみる時期に来ているのだと考えます。主権者は何を考え、どのように考えるべきかということに関して議論を深め、認識を新たにしていくと言うことも、政治の成熟に必要な時期に来ているものと考えます。 (つづく) | |
このブログへのチップ 0pts. [チップとは] [このブログのチップを見る] [チップをあげる] |
このブログの評価 ★★★★★ [このブログの評価を見る] [この記事を評価する] |
◆この記事へのコメント | |
コメントはありません。 | |
◆この記事へのトラックバック | |
トラックバックはありません。 トラックバックURL https://kuruten.jp/blog/tb/katagiri/357169 |