現実を見る眼? | |
[日本の政治] | |
2017年6月28日 23時59分の記事 | |
昨日の本ブログ「現実を見る眼?」(2017年6月27日)の続きです。
この大内は、前述したとおり法政大学総長を歴任していますが、マルクス経済学者で、財政学者です。しかし、一方で鳩山一郎内閣や吉田茂内閣で大蔵大臣への就任が要請されていますし、1965年には勲一等瑞宝章が授与されています。昔の政治家や学者は器が大きいと心から思います。戦後の一時期(戦後40年くらいまで)、戦争の経験を持った人たちは、何が重要かをよくわかっています。このような時代は、やはり社会も発展し、多様性がしっかりと確保されています。しかし、現在のように器の小さい政治家が政権を握り、曲学阿世の徒が跋扈すると、危うさが頭をもたげ、現在のような政治状況、世相になるわけです。そして、大内の言葉が示すとおり、現状と同じなのが、戦前であるわけです。 大内は、左翼に位置づけられますが、上記一節を読む限り、私からしたら至極まっとうな“保守”です。 上記大内の一節に美濃部の天皇機関説を攻撃したものとして「貴族院の一派の人々、政治界の不良の一味、学会の暴力団」と描写されていますが、まさに現状とそっくりです。政治界の不良の一味、学会の暴力団(曲学阿世の徒)がまた時を超えて現在も跋扈し、戦前回帰の復古主義を標榜しているわけです。これは偶然や歴史の繰り返しという自然な流れのものではありません。この本質は、同じ人々が同じことをやり始めたというに過ぎず、過去も現在も同じ系譜によってなされていることなのです。このことは、本ブログ「政党政治の崩壊」(2017年6月26日)でも書きましたが、だから戦前は大政翼賛会となり、現在は多党制の翼賛体制になっているのです。現状は多党制という形をとって、その背後にもう一つ二つあるのです。この系譜は、先の大戦において、誰がそれを指導したか、誰が責任者であったかを考えれば、すぐにわかることです。当然、この系譜は、戦後、責任を問われていますが、そういうことを見ればすぐにわかります。 戦前は、大内が言うように、このような輩が現れても、誰も抗さず、保身に走ったから、日本は破滅したわけです。もちろん、破滅に至らしめたのは「貴族院の一派の人々、政治界の不良の一味、学会の暴力団」で、戦争を起こしたのもこの人たちです。しかし、そういうものを放っておけば、保身どころか命を失い、家族を失い、国を失うことになると言うことなのです。 美濃部達吉は、東京帝国大学の名誉教授で、貴族院議員であり、大正デモクラシー以後の代表的な理論家であったわけです。その美濃部の天皇機関説は、当時、大内の言うように政府公認の考えでしたが、「貴族院の一派の人々、政治界の不良の一味、学会の暴力団」がそれを攻撃し、美濃部は右翼に襲撃され、大きな問題となっていくわけです。 そのような中で、昭和天皇は、美濃部の天皇機関説に賛意をお示しになり、美濃部への襲撃など、学問の自由が侵害されることを憂いていらっしゃっています。明らかに「貴族院の一派の人々、政治界の不良の一味、学会の暴力団」とは違うスタンスをお持ちであったわけです。そして、これは当然、「貴族院の一派の人々、政治界の不良の一味、学会の暴力団」と右翼が昭和天皇とは別の動きをしていること、もっと端的に言えば、昭和天皇を無視して行動していることを鮮明に意味しています。 戦前は、昭和天皇を中心としたウルトラナショナリズムと考えられがちですが、しかし、それは実相ではないのです。その実相は、天皇陛下万歳と叫んだ右翼が、実際には昭和天皇を無視して、ただその権威を政治利用して、国を破滅に至らしめたと言うことなのです。それが軍国主義、軍の暴走の本質です。もちろん、だからこそ、当然ながら右翼の本質に思想性などあるはずがなく、その本質は利権でしかないのです。それが、満州の阿片であったり、大陸の利権であったり、金であったり、軍需であったり。戦前の右翼の利権にまつわる話には枚挙に暇がありませんし、右翼の言う“思想”なるものは、その利権を肯定する道具以外の何ものでもなかったのが実相と考えます。そして、多くの人がそのことに利用され、国も利用され、だからこそ、国がめちゃくちゃになり、甚大な犠牲を出し、そして破滅をしたのです。 戦前、天皇を持ち上げる勢力が、昭和天皇を無視していたという、論理的にあり得ない、理解しがたいことが生じていたわけです。そして、このことは今も変わりがありません。この天皇機関説を“象徴天皇”に置き換えて考えて見ればよくわかりますが、実に同じことが起きているわけです。今上陛下も、皇太子殿下も、象徴天皇ということを何度も強調していらっしゃいます((2017年6月13日 朝日新聞))。しかし、それを否定し、戦前回帰の動きを右翼が見せています。まさにまた「政治界の不良の一味、学会の暴力団」によってです。そして、この人々が言う“愛国”や“道徳教育”、“富国強兵”のベールを取れば、何のことはない、先の国会の様相が示している通り利権の疑惑のオンパレードであるわけです。 天皇機関説問題は、満州事変以後、その流れの中で発生していますが、これらは連動しています。そして、昭和天皇ご本人がお認めになっている機関説では、この右翼にとっては都合が悪かったということなのです。だから、「貴族院の一派の人々、政治界の不良の一味、学会の暴力団」や右翼のテロまで使って葬ろうとしたのです。そして、これらのことが生じた時期と現在は、同じ様相を呈していますが、それは世代は変わりこそすれ同じ勢力がまた跋扈しているということを意味しているのです。だからこそ、本ブログ「曲学阿世の徒?」(2017年6月19日)で、取り上げたように「陛下 退位議論に『ショック』 宮内庁幹部『生き方否定』」(2017年5月21日 毎日新聞)というように、天皇陛下のご意向が平気で保守と呼ばれる右翼に無視されるという事態が生じるのです。 だからこそ、保守と右翼は厳密に分けなくてはいけないのです。右翼の本質は、戦前も戦後も伝統文化を破壊する革命主義でしかありません。そして、その革命主義の本質は利権と権力の簒奪であることは明らかと考えますが、だからこそその革命主義の本質は破壊主義であり、必然、国が亡びるのです。 拙著『この国を縛り続ける金融・戦争・契約の正体』(2015年 ビジネス社)で書きましたが、2015年の年初に今上陛下が出された満州事変からはじまる先の大戦についてのお言葉は、その短い中に極めて重い意味があるのです(P.161)。今上陛下は以下のようにおっしゃっています。 満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことと思っています。 このお言葉の中には、そして今上陛下、皇太子殿下が“象徴天皇”ということを強調されるお言葉の中には、歴史が凝縮され、そして、平和と国民の安寧を願われるそのお心がぎっしりと詰まっていると私は思います。“象徴天皇”を強調されるそのお言葉の中に、まさに歴史を顧みられたお考えがあるのは、何よりも明らかであるのです。 戦後70余年の間、日本は復興期、高度成長期、バブル期とその後の停滞期と歴史をたどってきましたが、現在はそれらの歴史の連続性とは違うことが起きています。戦前のことを考えなければ、現実を把握できなくなっています。それは、戦前と同じことが生じているからです。 しかし、大変に危険なことに、現在、大方の人々は現状を、高度成長期、特にバブル期及びその後の停滞期の価値観で見ています。大方の人々が社会や経済、政治を考える上で、優先順位が高いと思っていることが、実はそうではないので、この見方を変えなければ、現実にある問題は解決されず、状況は急速に悪化していきます。そして、このことを自覚しなければ、私たちは再び大きな破滅にまた遭遇することでしょう。私は経済活動を否定をしませんが、今の見方は明らかにその経済を破滅させるものです。 人々が右傾化しているから危ないのではなく、実相は人心においてそのようになる素地があることを見抜かれて、つつかれ、利用されているのです。これは、民心の自然の成り行きではなく、そのように仕向けられているのです。もちろん、その仕向けられた先には、誰かの利益があるわけです。 今ある現実に対して焦点を当てるべきポイントは大きく変わっているのです。そのことに気がつかなければ、確実に破滅をもう一度繰り返します。 | |
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