西部 邁さん | |
[日本の政治] | |
2018年1月21日 22時0分の記事 | |
評論家の西部邁さんがなくなったと報道されています。 「田原さん「強烈な個性、失われ残念」 西部邁さん死去」(2018年1月21日 朝日新聞) 「安倍首相は『真の保守』ではない!西部邁氏が迷走政治を一刀両断」(2017年10月3日 ダイヤモンドオンライン) 「評論家の西部邁さんが死去 多摩川で自殺か 」(2018年1月21日 朝日新聞)
私が大学生であった1980年代後半から90年代前半、西部さんはテレビにも良く出演し、本も多く出されていたので、よく本も読みましたし、友人達との議論のネタにもなっていました。大学生の私にとっては、西部さんはスターの一人です。 それから時が経ち、私がチャンネル桜に出るようになってから、西部さんとは何度かご一緒する機会がありました。最初はTPP反対のシンポジウムでパネリストとして登壇した時で、その後はチャンネル桜の番組で何度かお会いしました。お会いしたそれらの機会では例外なく、いつも紙コップの中にビールが入っていて、それを飲みながらコメントしていました。面白い人だなと思いながら、西部さんのお話を聞くのが好きでしたので、いつも好奇心とともに耳を傾けていました。 西部さんについての私の印象は優しい人、なぜか良くしてくれる人でした。番組で一度だけ西部さんに反論されたことがありますが、その時も「片桐さんねー、それはねー、・・・」というオブラートに包んだ感じの表現でした。番組の後での飲みの席でも私の前に座られて、色々と話しかけられてこられて、どぎまぎしたことを憶えています。 その席で、西部さんが、先の大戦におけるひめゆり部隊のお話しをされたことを今でも思い出します。西部さんがひめゆり部隊の生き残りの方とお話しをした時、その方が、あの時は本当に楽しかった語っていたことを、涙ながらに西部さんは話されていました。それは、沖縄戦という壮絶な状況とその中での少女の無邪気さとけなげさというコントラストに、愛おしさと悲しみ、はかなさ、情を感じ、涙したのだろうと私は思います。このお話を聞いた時、この方は良い方だなと思いました。 「ファシスタたらんとした者 」(2017年 中央公論新社) 上記リンクは西部さんの遺作となった本だと思いますが、その内容を紹介する文章に、以前、思想的に転向して恥ずかしくはないかと西部さんが罵声を浴びせられたことが書かれています。そして、そのような罵声には、「俺はな、蝶なんだよ。変態してるんだよ」と応じ、ものを考えているとメタモルフォシスしないなんてありえない、つまり考えている限り人間は変ると言うことが書かれています。 このことはとても大事なことだと思います。そして、とても共感します。私を振り返ればやはり知らないことばかりですし、人間、全てを知ることはできません。そして、年を重ねれば、知らなかったことを知るようになりますし、それまでと違う見方を同じことに対しても当然するようになります。考え、学び、探求すれば当然、それまでと考えが変ることは十分あります。むしろそういうことが無いというのは、生まれた時から全てを知るものすごい能力者かもしれませんが、そういうことはまず無いでしょう。実のところ変らない方が結局は学ばず、考えていないと言うことですし、そういう人は必然、思考が硬直し、自説というか、自分の立場にこだわるようになります。ただ、それは社会的に全く生産的なことではないでしょう。 ただ、そのように考えは変っても、その本質的な基点・起点は変らないわけで、西部さんにとってのそれは上記リンクの文章にある「他者と気心を通じたいと考える僕」ということだと考えます。この言葉はありきたりのようで実は非常に大切なものです。それは、このことが社会を形づくっている根本だからです。そして、この感覚があるからこそ政治においては、平和と人々の安寧を考え、経済においては経世済民を考えるようになるわけです。思想家が世の人々の幸福を考えるようになるわけです。 この言葉に西部さんの人なつっこい人間性を感じます。上述した私がお会いした西部さんも、この言葉どうりだったと思います。そして、この人間性が西部思想の根本であったと心から思います。「近代」とは人を分断することにその根本があるからです。 | |
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