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くる天
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GREATEST TANK BATTLES
2017年9月22日 18時20分の記事
 
マカロンがすごいことになってるw
北は対話ではダメだと言い、若いのに、、、勉強しているのかねw
平昌オリンピックも見送るとフランス、スポーツ相
危ないからね
って、、、その通りです。スポーツ選手に大事な食べ物すら危険水域。
日本でも大々的に宣伝するらしいが、、、お断りっす
Non, c'est bien.
と言えば、東芝も、もうダメやね、、、買わないようにする
Au revoir... 発音がイマイチ難しいw
あ、青森県とに新潟県も、、、
青森県は、ソウル便増やすというし、新潟県知事がひどすぎて。
日本海側に位置し、ロシア、支那領事館、ちょん総連、学校まであって、これでは期待できないな
ちょっと新潟や青森に行くのはやめとくw

あ、そういえば、トランプ大統領がー
国連の昼食会は、安倍の隣じゃなきゃ嫌だ!
って、なんかかわいいんだがw ちょっと痩せたのが気になりますが。
なんかさ、、、日本はいっつもアメポチと言われてきたのに、安倍ちゃんがすぐ
尻尾振って小走りする印象が強かったのに、、、こんなこともあるんだねぇw
北の件だけだけれどね
でも、臨時国会で北非難決議は見送りらしい、、、野党は北だな
やっぱり解散して良かった件

さて、久々に、ディスカバリーでやっていた、チョンWarを少し、、、
対戦車の番組で、たまには見ようかなと録画したら、第1次チョンWar時の
アメ軍の話
1950年6月、北ちょんの戦車が38℃線を超え、南チョンへ奇襲攻撃をかけた
アメリカ軍は兵力不足で戦いの真っ只中へ・・・20世紀の残る壮絶なWarは始まった。
敵が群がってくるので撃ち落とすしかなかった・・・
チョン半島の戦局を左右した、戦車対決とは
GREATEST TANK BATTLESより
当時の映像を白黒、カラーを交え、他はアニメですがね。当時のアメ軍元兵士の
コメントも入るので、とても臨場感あふれる仕上がりで
1950年6月25日、12万人の北チョン兵が、ソビエトの戦車に率いり、南チョンへ侵攻
WW2後チョン半島は二分され、南はアメリカが統治する大チョン民国、北は
ソビエトが後押しする、チョン民主主義人民共和国。南北統一して共産主義国家に
しようとしたソビエトは、北に軍事顧問を派遣、訓練を行い、武器も提供した。
侵攻に先立ち北が集めた大砲1100門、兵士12万人、T-34-85戦車(ソビエト製)
250両、南チョンを優に上回った。
南チョン軍は、大砲230門、兵士6万8千人、戦車0両、南チョン軍はWarの準備が
出来ていなかった
北チョン軍は、38℃線の緩い警備を突破、そして南進、その作戦の元北チョン軍は
烈火のごとく
侵攻してきた、歩兵部隊の真っ只中を突き抜け、前線の背後を混乱に陥れる
それが北チョンの基本的な作戦だった。いわば、超規模の電撃戦
作戦は成功し、北チョン軍は38℃線の南チョンの防衛を破り、3日後の28日には
ソウルを占拠。さらに南進した。国連が介入し、アメリカは直ちに日本の基地から
数百人の先遣隊を派遣した。
その任務は、国連軍の到着までに北チョン軍の進軍を止めること。
7月5日、あら。アメリカの独立記念日。軽装備のスミス機動部隊が、北チョン軍の
進路上の位置に、防衛線を築いた。派遣されたアメ軍はこう考えていたのではないか?
相手はアジアの軍だ、大したことはない、、、ところが実際は、そうとう強かった
 21st Regiment、"Task Force Smith" Cpl.Willam Coe:朝の5:00頃配置に付き、7:00頃敵が来た。我々の任務は、そこを守ることだった。
戦車の後ろに兵士を満載したトラックが見えた。誰かが二個師団いると、、、
冗談じゃない、わずか406人で戦車を要した二個師団と戦うなんて、、、
 北チョン軍が要するソビエト製T-34-85 MEDIUM TANK
全面の厚さ45?の傾斜装甲、85?砲を搭載、WW2では最高傑作という人も・・・
 1人が丘を駆け下りて、戦車のハッチを開け、手榴弾を投げ込みました。自分が
重石になり、敵が逃げられないようにして、そして爆発。旧式のバズーカ砲で、
撃ち続けたものもいました
でもバズーカ砲は、通用しなかった。テニスボールのように跳ね返ってきました。
戦車1両に、20発。無駄でした。敵に包囲されて、まるでカスター将軍の最後だ
抜出そうと必死だった。戦車は丘を登ってきて、砲撃を開始。大勢の仲間を失いました
前線で戦っていた仲間を、、、彼らの顔が浮かんできます。生きるために戦った
だが、敵が強すぎた。部隊の最後尾を、最前線へ呼び寄せ、防衛線を強固にしようとした。前方にはトンネルがあり、工兵たちはそこに穴を掘り、ダイナマイトを
仕掛けました。
敵がそこを通る時が、チャンスです。敵の戦車がトンネルに入るように仕向け、
入ったら、一気に爆発させる作戦でした。ところが軍曹は、今爆破して、
すぐ退却だと、、、
すぐ退却しなければ、孤立すると云うんです。敵は20倍の兵力でしたから。
(ウィリアムさんの話はここまで)
 7時間防衛線を死守したのち、アメリカ軍は撤退。翌日までにスミス機動部隊の
半数が死傷、捕虜となった。北チョン軍は進軍を続けた。アメリカ軍は兵力増強を
急いだ。まもなく数千人のアメリカ兵が到着、M24チャーフィー軽戦車を要する
大隊もあった
M24 CHAFFEE LIGHT TANK 戦闘よりもスピード重視で設計された軽戦車
75?砲で、厚さはわずか、1インチ、25?。T-34-85と対戦するには不利だった
それでもM24は、北チョン軍の戦車を食い止めなければならなかった
 78th TANK Battalion Anthony Lasome Jr.:我々は丘の上に陣取り、下へ
攻めていこうとしていました。谷にはT-34-85が2両、空軍がやってきて、空から
爆撃しました。
1両目が火に包まれました。空軍機は2機いましたが、もう1両も動かなくなったのを見て、飛び去って行きました。ところがその後、1両目が燃えながら動き始めたんです。自力で動けるはずがないと戦車長が確認しに行くと、2両目が押していました。1両目を道から押し出し、2両目が向かってきました。戦車長が割り出した
距離は180M。私は75?砲の照準をT-34に合わせて、撃ちました。操縦士がハッチを開けたので、そこを狙ったのですが、ハッチは閉じられ、弾は弾き飛ばされ、
まるでおもちゃの銃で、撃ったかのように。。。戦車長はどんどん撃てと、、、
2発目も当たった。3発目も。でもすべて跳ね返された。敵は戦車の中で
笑っていたでしょう。向こうの85?砲は、はるかに迫力がありました。来たぞーと叫んだのを覚えています。そして砲弾がこっちに命中。でも幸い、当たったのは
装甲の1番厚い部分75?砲のシールドの部分でした。
少し下に当たっていたら、弾は間違いなく貫通していた、こっちの命はなかった
でしょう。
ほどなくして我々は退却を余儀なくされました。(アンソニーの話はここまで)
続きは後編へ
長いので明日までかかりそうな予感
フム
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