憲法9条に自衛隊を書き込む歴史的意味とは | |
[政治] | |
2018年1月27日 14時40分の記事 | |
戦争放棄は日本国憲法の基本理念で平和主義と表裏をなす。日米安保条約があっても、朝鮮戦争以来の自衛隊の存在があっても変わらない。それがどうも安倍以来改正を急がせる動きがある。 各会派改正案を持ち寄れなどととんでもなかろう。 憲法は歴史的なもの、9条は歴史が書き込んだもの。憲法学者の違憲の混乱を整理するものではない。安全保障の分析から書き込むものでもない。憲法改廃、憲法の破壊を目指すものにとっては憲法改正はアプリオリに命題となるものなのだ。 9条に実力組織・戦闘組織である自衛隊が明記されないのは当たり前のことである。書き込むことで戦争放棄は疑念を抱かれ信用を失う。書き込めば、いくら戦争放棄だといっても疑われるわけである。 自衛の為とは歴史上常に戦争の口実にされてきたもので全く信用はない。 国の最高法規である憲法に疑念を抱かれる文言は厳しく制限される。上位に行くほどそうである。おそらく、自民の書き込む分子は憲法をごみ箱と同列に見ていると酷評されても不思議ではあるまい。 憲法9条の書かれた背景には原爆の被災者、焼夷弾空襲によって焼かれた幾十万の死肉の死臭が染みついた。爆撃を終えた米軍機は幾ら洗っても死臭は取れなかったという。 この歴史的な重みは認識されなければならない。
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