痛い目に合う前に | |
[政治] | |
2018年5月3日 8時17分の記事 | |
憲法記念日に明治150年を祝う?言葉が飛び交っている。明治維新とは天命維(これ)新たなりかどうか。旧体制と徹底的妥協を図ったといわれ、外国との戦争に明け暮れた時代だ。国民皆兵で。これに戻れというのが現在の改憲論者の本流である。 国家主義が結局国民を不幸にした。問答無用の先には何百万人もの屍を晒すことになった。いつの時代にも国家主義がよいという好戦的輩はいる。しかし、結果に責任を取ろうとしないのもそれらの輩の本性。無責任政府の為に幾百万人の命が犠牲になったか。しかし、それが国家主義的ファシズムの本性。戻るべきところではない。 長くなるので。 実力組織(自衛隊)に全面的信を与えてはならないのだ。武力=実力=疑似権力は一人歩きができるからである。憲法容認はもってのほか。 すでに新安保法制で自衛隊の海外派兵は可能になっている、憲法明記はお墨付きを与えるのである。歴史の常識として派兵の名目は常に自国防衛で戦争してきた。 自衛隊文書が隠匿される体質。隠蔽体質は無責任体質を裏書きするようなもの。 明治に帰れと唱える分子は権力を濫用し特定の者に国有財産を安く払下げ国家に損害を与える者。 そんな分子や組織に信を与えることはできるだろうか。 喉元過ぎれば熱さを忘れる。戦争を知らない世代が増えて。戦争を知る世代が減っていく。 しかし、人間が他の動物と唯一違う点は後世に語り継ぎ伝えていくことができる生き物だといわれる由縁である。
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