戦争放棄と象徴天皇制 | |
[政治] | |
2019年5月3日 14時28分の記事 | |
実は両者は表裏一体である。天皇の政治的発言はできないから天皇陛下皇后さまで築きあげられた象徴としての行為を通して国民の実際に見るところとなり、広く象徴天皇の啓蒙がなされたといえよう。 先の大戦でアジアの国々に多大な迷惑をかけ、それも、軍部の独走はあっても天皇の統帥権は否定しようもない。敗戦により、なお幣原内閣はGHQマッカーサーに国体護持を譲らなかったというのだから(何が押しつけ憲法であるものか)、象徴天皇制と引き換えに戦争放棄は必須のものであった。でなければジアの人々が日本の国際社会への復帰を認めるわけがなかった。 平成天皇の目指されたものは戦争の遺産を如何に贖っていかれるか、象徴天皇制を如何に形作られるかの難題であったろう。 そういう中、安保法制で自衛隊が海外のどこへでも出かけて戦闘ができるようになり、解釈改憲、集団的自衛権容認となれば、その努力を水泡に帰せしめるものではなかったか。 されど、政治的発言はかなわないのであるから、200数年ぶりの退位も止むを得なかったのではないかと推測するのは誤りであろうか。 ままよ、令和天皇の御代になり、平和国家=象徴天皇制の深化発展は必ずや国民と世界の安寧につながるであろうと、大御心安らかに、新元号を祝いたいものである。
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