弁護士はなぜ政治に向かないのか | |
[政治] | |
2019年8月24日 13時7分の記事 | |
韓国最高裁大法院の徴用工判決が日韓の安全保障協力GSOMIAにまで亀裂を及ぼした。 文在寅とて弁護士出身。結論は視野も見識も狭きに失し、というよりも、法律は利害の調整を図る目安となるも最終解決が図れるとは限らない。全世界的視野で判決ができるか裁判官の限界を超えている。それも、北の主体思想を信奉する者もいると聞く。上記徴用工判決が出た時、韓国は最高裁が外交を担うやに思えたものである。 ここは司法消極主義、法律判断回避だって正統な手段である。それを正面切ってである。愚かさが際立つ。 それは、利害調整に過ぎない法律が、歴史に踏み入り、国際法があったのだが、海を越えて取り立てを認めるのであるから、最後まで責任を取らねばならないが、それはできないだろう。 韓国に限らずだ、弁護士というだけで、哲学に乏しく、思想にも疎い、もちろん経済学に造詣が深いともいえまい。こんな者がそこここで立ち振る舞っているではないか。他国のことが言えたものではない。 丸太小屋から苦学して弁護士となり凶弾に倒れたが、リンカーン大統領、哲学思索に心費やしていたという。 民族主義は支持率を得る為に煽ってはならない。政治家は国民を民族主義ナショナリズムの愚に誘ってはならない、高い見識が求められる。 なお、裁判官の名誉の為にも、結果妥当性に心を配るのが裁判官の常という、しかし、政治家は結果責任が全てであり、より責任が重いのである。
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