日本は外国で戦うのが得意ではなかった | |
[政治] | |
2019年11月17日 17時0分の記事 | |
白村江の戦(663年)では大敗北。というよりも国内統一国家建設の為にも豪族どもを外国との戦に向かわせ統一を果たすためという内なる目的があった(大化の改新)。豊臣秀吉の無謀な野心を見かけだけでもかなえんとした朝鮮出兵(1592〜1598)。 そうしてみれば明治維新後の戦に次ぐ戦、日清日露太平洋戦争の時代は如何に帝国主義間戦争が過剰資本の輸出としてやむを得なかったとしても異様な戦争に明け暮れた時代であった。 満を持して、老朽化したバルチック艦隊を用意周到に撃滅したからと言って図に乗りすぎて、アジアをはじめ世界を敵に回し、最後の世界大戦の大敗で多くの犠牲をだすまで止めることはなかった。 戦後の新憲法のもと平和主義を歩む日本国は実はこれが自然でもっともふさわしい道であったのかもしれない。 しかし、なお、敗戦を認めぬ、歴史修正主義者がいて、戦前に戻れとなど、自衛隊を軍隊として公認させ、軍備増強の道を進もうなどそれも戦後最長任期の内閣だなどと、明らかにおかしい、それを許し増長を許してきた国民勢力も猛反省しなければならない時なのだが。
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