民族は世界史の中でただ一度だけ時代を画する | |
2020年1月22日 16時50分の記事 | |
へ-ゲル(法の哲学)のことばである。世界史の中で支配的民族、ギリシャ民族、ロ-マ民族、ゲルマン民族など世界史を貫く理性によって決定されるという。ロ-マ法ゲルマン法といい現今の法体系の基礎をなしているといってよいだろう。 モンゴル民族イラン民族(ペルシャ)中華民族?そして大和民族(日本など)一時代を画するほどの理念に満ち溢れ理性が尊ばれ世界の尊敬を浴びる民族と国。やはり高い倫理を求められているのではないか。 そうしてみると、軍事力や暴力支配で他民族や自国民を押さえつけさせるというだけではその資格は得られまいし。資本主義的発展で世界に覇を示していても、軍事力で圧倒していてもそこにはデモクラシ-の理念がなければならないし、如何に倫理的価値や倫理的自己意識が求められているかがわかろうというものである。 この民族(国家)は世界史の中でただ一度だけ時代を画することができるだけであるという。開花したこの民族の絶対的権利を向こうにまわしては他の諸民族は無権利であり世界史において物の数に入らないという。 アメリカファ-ストで自国第一主義では理念倫理に対して程遠くはないかと思われるし、むしろ精神の幼児化や退化に親和性がありはしないか。ここに平和主義(戦争放棄)国際協調主義が自国民の手により倫理的自己意識が開花するようになれば世界精神や世界史の中にある理性を手繰り寄せるにはより近い位置にあるように思えてならないのだが。 今も目を覆わんばかりの公文書改竄隠蔽疑惑隠し公的責任スル-不公平な経済ルールは注視すべき倫理的自己意識に程遠く。国力さえも低下させ。国際的地位も損なわれているであろうことを憂うばかりである。
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