ホームスクール で検索した結果 |
シュタイナーは、幼児教育、音楽療法、自然農法などにおいて、ホームスクールやフリースクールなどを中心に、知られていた。
以前にも伝達をした通りであったが、次元移動の8回目が過ぎ、次なる次代へと移り変わりの変化となるのである。
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2016年1月7日 14時14分
時事チャネリング 『多様な教育機会確保法(仮称)案について』のメッセージにて伝達をした通りであり、ホームスクールやフリースクールの流れを伝え続けていたのであった。ここに更なる天順のタイミングを伝えて行く。
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2015年6月2日 15時5分
当協会が以前より強く伝達をしていたメッセージ(一般にも重要なためこの記事は無料)に、ようやく時代が追いついてきた。
※参考記事
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2015年5月28日 14時44分
溜池山王駅付近に高層マンション(80mm2以上)の衆議院議員宿舎が完成した。家賃月9万円余りであり、スカイラウンジまでが最上階に用意されている。
この様な予算が国に存在していながら、子供達の悲鳴は何も解決されていない。あと2年後には母子家庭への補助金も半額となる。
生活保護者へも同様の措置となる。お金のある所には、余裕を持たせる様な優遇措置をしておきながら、母子家庭など時給をはるかに超える保育施設費用を払い、仕事をしていかなければならない現状はどの様に解決していけばいいのか。
離婚後の養育費の支払いも激減している中においてのことであり、気持ちにゆとりも持てない様に国が仕向けている。弱者に対して悪化する様な対処しかしないのである。その様な国家がいじめ問題を解決していけるはずがない。
いじめホットラインですら、教師と大差ない教育委員会が受けているのである。子供達の悲痛な声はそこには届かない。高校生のいじめ問題も教員室に逃げながら、教師達は何も対処出来なかった。教師達も子供達の事が怖いのである。自分には災いが降りかからない様に何事も無かった様に大人しくしているしか出来ないのである。
今では幼稚園にまで存在しているいじめであるが、集団の中において、全員に同じことをさせるという心に歪みが生じる様な教育をしているために、起こる歪んだストレス発散方法なのである。そこには悪気というより、自分がすっきりしたいから、いじめるケースが多い。
子供達は時間割に毎日拘束され、その時間にしたくない事をする様に仕向けられ牛耳られているのである。子供達は外が晴れていれば、自由に外を走り回りたいはずである。その様な本能を押しつぶして、詰め込まれている学校教育なのである。
小学1年生で、家に帰る時間が15時頃になり、その後宿題をしなければならず、遊ぶ時間も殆ど無いという現状が存在する事事態、異常なのである。子供達が心の豊かさを学ぶ時間など、そこには存在しないのである。
それでは子供達は学校ではなく家で心の豊かさを両親から学べばいいではないかと思われるかもしれないが、家にいて、家族団らんの時間は殆ど無いのである。その時間を家庭に持たせようとするのであれば、宿題は無くすことからはじめなければならない。競争社会において、塾に通わなければ学力を向上出来ない様な学校のカリキュラムも欠点だらけなのである。
その中において、子供達が両親とのコミュニケーションによる心の豊かさが育つはずがないのである。時間が無さ過ぎるのである。
さらに、大人たちも働かなければ家計を維持できない苦しい現状も存在しており、家計にゆとりがある家庭との格差が大きく開いているのである。
公には景気は良い状態となっているが、大手企業だけなのである。
資金力のあるところに経済の流れが循環しているだけなのである。
そこから中小へは循環しておらず、大手企業も下請けなどの経費は削減しているのである。そのために賃金格差も激しくなっており、個人商店や個人経営の人達にとっては、将来は何の保障もないのが現状なのである。
この様な状態の中で、子供達は成長しなければならないのである。
教育にも塾通いなどの差が出ているため、同学年においても学力の差が歴然としているのである。勉強をしなければならない、将来就職もできないという強迫観念が子供達の潜在意識に植えつけられ、子供達は、自分の好きなことを探し、それを伸ばしていくゆとりすら無いのである。
ここにある小学1年生の少年が存在しているが、教育委員会と学校との話し合いによりホームスクールにて自由に過ごしている子供がいる。その子供は特に教えている訳ではないが、自分が知りたい事、興味ある事に意識を向けているうちに、自然に漢字も読める様になっている。好きな時間に好きな事が出来るのである学校に行かなくても、自由に自分で必要な事は覚えているのである。
もちろん、子供の個性に合わせて様々なスタイルは必要である。ひとつの例ではあるが、もし、学校にていじめられていたり、思い悩んでいる事があれば 心の整理が出来るまで、学校に行かないというのもひとつの手段である。登校拒否ではなく、フリースクール、ホームスクール(ホームエデュケーション)というスタイルなのである。
登校拒否という言い方は、差別用語でしかなく、子供の気持ちを萎縮させてしまうのである。また、登校拒否という言葉を使用する事により、学校に強制的に戻させるコントロールや呪縛をかける事になり兼ねないのである。子供達には選択の自由、教育の自由が保障されているはずなのである。
義務教育という名のもとに、国から生徒1人あたりかなりの額の年間予算が学校に支払われているのである。ホームスクールを全面的に容認してしまえば、国から生徒に支払われる費用は家庭に支払わなければ意味をなさなくなるのである。
国はどこまで子供達のいじめ問題、学校問題から逃げるのか。これからの日本の未来を築いていく子供達の未来への希望を閉ざしたままで良いのか。未来は閉ざされていく一方なのである。このままでは、福祉関連の予算は削減される一方でありながら、軍事関連への予算は増大され、軍隊が復活するごとく、日本は変貌していくのである。
※ホームスクールはそれぞれの家庭状況にもより難しさは多々ある為、選択肢を広げる必要性がある。
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日本スピリチュアルヒーリング協会
http://www.meraina.org/
ヒーリングショップ天香
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2006年12月8日 2時23分
子供達は今、何を信じていいのかわからない。親達は親なりに心配をしているが、子供の気持ちとは大きなズレが生じている。学校社会の中において、もうその場に居たくないという現状が存在しているという事実を親達は理解出来ないで居る。
2006年11月26日 3時19分
心のデトックスでは、心に纏わる配信をして来た。宇宙観から心の奥に至るまでである。しかし、今の社会を担っている大人達は幼少の頃より偏った歩みとなっており、社会性に乏しくなっている。社会性が乏しいという事は、指導をしていたはずの教師達に社会性が乏しかった事に大きな原因が存在している。
2006年9月17日 4時4分
かつて、年度末になると、全国で一斉に道路工事が始まっていた。
今では、ある程度セーブはされているが、ほとんど変化はない。
これは、それぞれの管轄において、1年間の予算を使わなければ、次年に同様の予算が巡って来ないためである。来年度もいかにして、多く予算取りをしていくのか、そればかりであり、あらゆる部分において必要に思われない多額な費用が使われていくのである。
公共施設においても、ここまで必要ではないという部分があり、完成した後に、何故か第三セクターに譲渡されている場合もある。
例えば水道管の工事などは、ひとつのマンションが増えたり、世帯が増え、ある程度の人数に合わせて、水道管のサイズ基準が存在しているが、人が増える度に、道路を堀り、水道管を交換しているのである。これからもっと増えるであろうと予想をたてて、ある程度のサイズを最初から用意すれば余計な経費を使わずに済むのである。
また、東京都内の都心部のある交差点においては、半年に1度は横断歩道部分のコンクリートが交換されている。これは、アスファルトが疲労するからという理由となっている。しかし、同じ場所では、水道管、電気、ガス、地下鉄などの工事なども入るために、2から3カ月に1度は掘られている事になるのである。公共道路の工事は、ある場所では、1m×1mのサイズにおいて、1日の経費が100万円と言われている。
工事は1日で終了する事は少なく、数日かかり、また1カ所だけではなく、全国のあちらこちらにて行われているのである。これらの工事の中のどれだけが本当に必要な工事なのか、検討もつかない程、杜撰になっているのである。この様に、日本は、あらゆる場所において、無駄な部分に多額の費用を導入しているのである。その一方で、必要な部分への導入が少なすぎるのである。
肝心要な弱者に対する措置が低すぎ、高齢化社会対策も万全ではない。少子化問題にも未来を見据えての対処が全く成されていないのが現状なのである。
平成17年度の、国民年金の老齢基礎年金受給者は、1カ月の支給額が66,208円となっている。現状の物価の中において、この支給額で高齢者が生活をしていけるのか。病気で病院へ行けば、ある程度の費用がかかり、介助が必要になれば、それなりの費用がかかってくるのである。介護保険はあるが、支給の難しさ、手続きの難しさが壁となり、かなりの人達に影響が出ているのである。
病院にて、介護保険担当の市町村担当者と面談となった場合、ある程度の返答が本人に出来てしまうと、それだけで、介助のランクが下がってしまうのである。面談だけで、決まってしまう部分が存在している事から、早急に対処が必要なはずである。高齢者の介助を高齢者がする事となっている現状が多々あり、残念なニュースとなる場合が増加しているのである。これからも、生活していく上で、どうにもならない現状となり、法の壁の厚さに、立ち向かっていく気力も無くなってしまうのである。もちろん、本当に必要な人達なのか、ケースを見ていく必要はあるが、高齢化社会となっている今、国家予算から、改善しなければならないはずである。
更に、自分には、国民年金だけではなく、厚生年金もあるからと安心している人達も多数存在しているが、厚生年金も膨大な数に分散されているのである。ひとつの厚生年金組合が潰れても、周囲からの支援はどれだけあるのかは、当てには出来ないのである。あちこちの厚生年金組合は合併、吸収されて、かろうじて維持しているからである。すでに、あらゆる部分において、過剰に負荷がかかっているのである。
この様に高齢者の問題は、家族だけではなく未来の子供達への負担があまりにも大きくなりすぎるのである。仕事をしても、年金の支払い、介護保険の支払い、これから高額となる消費税の支払い等支払う費用が多すぎ、生活にゆとりが持てなくなるのである。国家予算として、これから予算を導入すべき場所は未来を担っていく子供達のはずである。
子供達へ、自由に選択をし自由に教育を受ける義務と、未来への希望を持たせて上げなければならない。現状では、軍隊と化している学校において、国家に背かないというコントロールを受けてしまうからである。学校の教師達もそのコントロール下にあり、コントロールからの離脱が非常に難しくなっているのである。
この息の詰まった軍隊と化している学校の中で、本能的に学校が合わない子供達が増えてきている。この子供達こそ、未来への打開策を唯一持っていると言っても過言ではないのである。この子供達は、そのほとんどがホームスクール、フリースクールの中において、自分の意志で自分の個性を活かす学びの中に居るのである。公的な学校に通っていれば、普通の諸経費ですみ、周囲の子供達と同じ集団生活のため安価に済むのであるが、ホームスクールの子供達は、自由に学んで行くために、保護者に負担がかかっている現状がある。
法的には、義務教育期間においては、子供達を尊重し、自由に学ぶ権利があるはずなのであるが、学校側、教育委員会側などは、論点をすり替え、保守に走るのである。国家予算では、義務教育期間の子供達は年間で1人ずつ、予算が組まれている。学校にその1人1人の予算は支払われているはずなのである。しかしながら、ホームスクールの子供達には、その予算は廻らない現状がある。
予算がありながら、その子供に使われない現状がある上、子供達に教育を受ける選択の自由がない点、選択の自由をもたらす予算は投じられていない事実がある。高齢化社会、ロボット化社会の未来が待っている中において、オリジナリティがありあらゆる応用、工夫が出来なければ、未来では生き延びては行けない現状が待っている。その未来を見据えて、子供達には、未来が楽しく、愉快に暮らして行ける様に、工夫し、個性を活かしていける学びの場を提供しなければならないのである。
そして、教師達も学ぶ必要があり、教科書通りの学びではなく、自由な発想が生まれて来る教育者、人生の先輩となる教師が必要になるのである。現状では、国家システムそのものが変わらない限り、何も変わらないのである。
2006年8月6日 0時59分
先日、宮崎県にて中学2年生が自殺をした。今までも、沢山の子供達が命を犠牲にしている。いじめ問題、学校との不調和、担任との不調和、家庭での不調和などである。更に大きく重要な問題として、子供達に教育の選択自由を与えていないという事実である。学校に通わなければならない、周囲の子供達と同じカリキュラムで教室に座って勉強をしなければならないという大きな違和感。何十人もいる教室において、全員が同じ速さ、同じ内容で学ぶという無理のある体制。担任をはじめとする教師達も、同様の学校教育を経て今に至っているために、全く応用力が無い。一般の本屋を見れば解るのであるが、教育者向けのコーナーにおいて、教室内のデコレーション方法、子供達の喜ぶネタ本、子供達に喜ばれる遊びの方法、教科書を教える指導の進め方、プリントの作り方に至るまで、参考書が溢れているのである。この様な内容の薄い学校教育の中において、何十人もが一斉に学ぶ意義が何処に存在しているのか。子供達ひとりひとりの個性を抑え込み、周囲と同じ事をさせて行く事による未来を摘み取る罪の重さを感じていないのか。
そして、周囲と同じ事をしていく事へ、魂レベルにおいて拒絶している子供達への対処の無さにより、不登校、フリースクール、ホームスクール体制としている家族への無関心と理解の無さ。総ては、自殺をした子供達の思いも理解しようとせず、学校側は、ありきたりの同じパターンの答え方なのである。
【同中では、1年時の担任や生徒らから事情を聴いたが、○○校長は「(いじめで)悩んでいる兆候はなかった」と話している。○日と○日に保護者会を開き「いじめの事実は確認できなかった」と説明した。】この様に回答している。
この様な答え方しか出来ない学校に、教育をしていると言えるのであろうか。親達は、この様に回答をしている学校に子供達を通わせたいと思うのか。この中学校だけの問題ではない。どの小中学校にも言える事であり、全く同様の回答をするからである。
この様に学校教育の未来は暗い。ワンパターンな大人達を製造しているのである。そして、何か大きな物事があった時、全く対処が出来ずに責任問題から如何に逃れるかを考えるのである。インディゴチルドレン、クリスタルチルドレン、レインボウチルドレンなどと言われている未来を担っていく子供達は、この様な学校教育というシステムや空間には違和感を感じざるをえないのである。学校教育の体制そのものが古く、集団として全員が同じ事をするという軍隊しか生み出さないのである。
これからのフリースクール、ホームスクールスタイルは、自分のやりたい事を見つける事、好きな事、やりたい事を自由にしていくスタイルにより、個性ある子供達を生み出し、様々なトラブルや障害にも立ち向かっていける強い心、強い精神を育てていくのである。
これらの子供達へは、NPO法人を中心として活動している部分も存在している。しかしながら、社会情勢、国家からの支援は程遠く、民間での支援活動でしかないのである。
義務教育において、学校には文部科学省から1人1人の義務教育費が支払われている。しかし、子供が学びたい事を学ぼうとした場合、学校教育という空間は適合出来ないのである。その場合、学校からフリースクールや他の手段への義務教育費の移行は行われていない。自由なスタイルにて子供達が親の元で学ぶ場合、総ての費用を義務教育期間でありながら親が出すという負担しているというのが現状なのである。義務教育期間に関わる教育の費用は無料でなければならないという憲法があるにも関わらずである。学校に通学しないというだけで、その様な差別を受け、卒業時には、学校の校長のさじ加減により、卒業を向かえられるかどうかが決まるのである。まさしく、学校都合主義なのである。
学校でじっと座って居られない子供、授業スピードについていけない子供、学習内容、学習方法が合わず、学校に馴染めないという様な子供達というのは、今までのいじめによる不登校、学校への回帰への道のりというフリースクールでさえ、追いつかない、子供達の現状が待っているのである。いわゆるインディゴチルドレンという代表的な特長として、多動的な子供達は、まさに個性豊かな感性を持ち、通常の固定概念では当てはまらない学習指導が必要なのである。
そして、その子供ひとりひとりに合った内容で自分のやりたい事を見つけ、未来に向かって歩めるのであれば、未来に大きな役割が待っているのである。子供達のニュースは、未来への警告とお知らせであり、学校教育が大きな壁にぶつかっている事実を伝えているのである。そして、これ以上、子供達に、未来を閉ざす様な道のりを歩ませては行けないのである。未来へ導いて行く事こそ、必要なのである。同時に、親達も子供達と同様に心を育てて行かなければならない。
学校の体質、体制が合わないインディゴチルドレン達は、自分の心に正直であり、自分の好きな事、やりたい事を真剣に探しているのである。この心を大切に、育んでいく必要がある。心を育てていくには、親とのコミュニケーションが非常に大切であるが、それと同時にインディゴチルドレン達には、魂レベルにおいての感覚を開いていく作業が大切である。この感覚を開いて行く事により、未来への道のりを見いだして行けるのである。
魂レベルにおいての感覚を開いていくという作業のサポートをしていくには、インディゴチルドレン達にクリスタルがサポートとなるのである。本能的にクリスタルを信じる思いを大切に、幼児から児童、青年に至るまで素直な部分にダイレクトに反応して行くからである。魂レベルにおいて、ダイレクトに反応していく事により、心、身体も感覚として自然に反応して行くのである。そして、自分のやりたい事への道のりを見つける手助けとなって行くのである。
そこには、子供達の本能的な素直な気持ちが現れており、クリスタルを友達だと認識出来るからである。疑う事をしない子供達の素直な気持ちが、前向きな未来へと繋げていくのである。そして、自分を信じて自信を持って歩んで行く事が出来る。
レムリアンは、開花への道のりをサポートするのが役割である。チベットクリスタルは、実質面の過去の歴史からサポートをするのである。他のクリスタルもレムリアン達を中心に様々なサポートをしていくのが役割としてある。
2006年4月23日 15時11分
子供達は今、自分の居場所、自分という個性を育めるスペースを探している。魂レベルにおいて、未来へ向かおう、扉を開こうとしている重要な時なのである。天体レベルにおいても、新生していく個性豊かな御霊達が沢山存在しているのである。非常に重要なタイミングとなっているのであるが、その扉は重く、大人達の都合により
押さえつけられて上手く開けないでいる。
そればかりか、幼稚園や学校が軍隊養成所の様になっている社会に同調する事が出来ず、集団という和になじめない事もあり、魂に傷を負う結果となっている。子供達はひとりひとり、誰もが個性が豊かであり夢と希望を持っているのである。その豊かな個性を活かすには、軍隊養成所の様に全員が同じ事をする教室においてのいっぺん通りの授業では、無理なのである。個性を伸ばすどころか、集団生活に慣れさせ、担任の教師達の都合の良い様に大人しく言う事を聞くいわゆる良い子を作りあげているだけなのである。
学校だから仕方がない、沢山の子供達が一同に学ぶ場だからでは、理由にはならない。もちろん、子供達のコミュニケーションという輪は必要な事である。それは遊びの中で自分達でそれぞれにルールを作り、楽しく過ごせればいいのである。子供達同士での遊びという場ではなく、大人達の都合による学校においては、子供達の魂が成長していけるゆとりは存在していないのである。
教科書通りの教員マニュアルに沿い、教育委員会というバックグラウンドもあり将来の年金も配慮されているという、教師達、国家システムの都合によるコントロールでしかないのである。この様な集団を生み出す社会を作りあげてきたために、今の大人達は1人では何も行動出来なくなっているのである。
そして、大人社会においても個として未来に希望を持ち前進しようとする少ない存在を潰し、自らの未来も閉ざしている事実に気づけないでいるのである。今現在の事しか見えない集団の大人社会となってしまっている事から、これからの未来ある子供達も最初から抑制し、マニュアル化している事すら気づけないのである。自分達が子供だった頃、夢を持っていたはずである。大人になったら何になりたいのか。
心の奥底には希望があったはずである。その夢と希望をいつのまにか失い、気づけば集団というある種の軍隊生活をしているだけとなっている。未来も見えず、ただ将来の保証のために、無いに等しい年金に頼ろうとしているのである。国庫として未来に余力があるのか、それすらも見通せず、理解出来ないのである。この様な中において、今の子供達もまた、どんどんマニュアル化されている。
しかし、中には遠い過去の魂の記憶を蘇らせ、自らの個性を思い出す子供達も多いのである。
・集団になじめない
・親に怒られる様な事ばかりしている
・学校で教師の言っている事に賛同しない
・自分が自分がと自我を強調している
・口を閉ざしている
・教師の話しを聞かない
周囲からみて、この様な子供は魂の記憶を取り戻している場合が多いのである。もしくは魂レベルにおいて、記憶を取り戻そうとしているのである。そして、学校というある種の軍隊養成所に馴染めず、学校や周囲の人達のコントロールに違和感を感じ、コントロール下にならない様に本能的に防御しているのである。今の教師達も幼少より集団の中で集団で行動する様に成長をし、個性を持たなかったため、子供の心の声、心の叫びに耳を傾ける事すら出来なくなっているのである。(総ての教師というわけではない。)
すでに、コントロール下にあり、それ以外の流れは止める事しか出来なくなっているからである。個性を伸ばしていきたい、自分という存在を理解してほしいという子供の希望はこの様に流れを止められ、潰されていくのである。子供が学校や他において、友達、クラスメイトを叩いてしまうという行為があったとしても教師は平等に見る目を持ち、叩いた方も、叩かれた方も話しを聞かなければならないのである。
叩く方に叩く理由があるからである。叩かれた方もそれなりの理由があるはずなのである。平等に扱うという子供の個を尊重する行為を怠るために、子供も教師に対して不信感を持ち、不信感を持った子供はその教師に対して、話しても理解してもらえないと心を閉ざすのである。心を閉ざした子供に対して、教師は言うことを聞かない悪い子供だという思いを持ち、抑圧していくのである。
つまり、教師は学校において何も問題が起きない様に生徒達をコントロールしているのである。叩く方が悪い、叩く行為を無くし、喧嘩もさせない、これらが平和だと勘違いするのである。暴力を振るった方が悪いとし、抑圧しているのである。もちろん暴力を振るう事は良くない行為ではあるが、そうなる原因を解決しなければ子供の気持ちはクリアーにならないのである。
結局は、教師は自分の身を安定化させるために子供達を都合の良い様に大人しくさせてるだけなのである。そして、無事、定年退職出来るまで学校にいられる様に、子供達を静かにさせているのである。教師も学校という名前の一般企業同様に就職をしている意識が根底にあるために、子供達の真の魂の成長に至れないのである。
原因は教師も幼少より魂が成長していないからである。今の社会そのものにおいて、ほぼ総ての人達の魂が成長していないのである。
これらは、過去から今現在において、個性を伸ばそうとする存在の魂を抑制、封印してきたというカルマの存在もあるからである。今現在の集団という名の軍隊生活がほとんどの要因となっており、そこに過去の抑制したカルマが作用し、堂々巡りとなっているのである。
ここから、離脱するには、学校という集団を養成する場所から、個性を生み出す空間へと根底から変えなければならない。全員が同じ教科書、同じガイドラインの学び、科目では個性は伸ばす事はできないのである。
そして、教師は安定した何事もない学校生活に仕向ける事なかれ主義に温存していてはいけないのである。親達も経済状況が良くない現在の日本の経済状況において、共働きを強いられているが時間の加速に加え、時間のゆとりが持てないという現状から子供の気持ちを犠牲にしてはならないのである。
忙しいからという理由から、子供との心の交流を他人まかせにしていてはいけないのである。今、親も教育者も抜本的な教育のありかたを見直すべきなのである。子供が自分の未来に希望を持てず、自ら命を断つという事は、その大きな警告である。テレビの影響も悪い。いつの頃から小学校5年生に自殺という概念が入り込むという事が備わったのか。不明であるが、これもテレビが多大に影響を及ぼしているのは事実である。
義務教育とは、子供に自由に学ぶ権利があり、親や行政がその権利を保障する義務があるという意味合いが義務教育の本来の意味である。学校に行かないということが義務教育違反と勘違いしている教師が多すぎるのである。
このように子供達に権利としての義務教育が存在しているわけであり、子供達に不利益があってはならないのである。従って義務教育期間に出席日数が足りないという理由で進級できない、卒業できないなどということはありえないのである。ホームスクールは、不登校が理由ばかりではないのである。義務教育においての子供の選択の自由の権利の一つである。
文部科学省も各自治体に民間施設やグループへの出席を学校の出席に認める通達を出しているのである。つまりは親たちや地域単位での義務教育の定義やあり方などの認知がもっと必要であるということなのである。不登校にしても誰にでも起こりうることであり、特別な問題ではないのである。選択の自由を子供達に惜しみなく与えてあげ、安心し、延び延びを個性を伸ばせる環境作りが必至である。この取り組みがこれ以上引き延ばされると、少子化に伴い、貴重である次世代が滅亡してしまうのである。
教師は不登校の生徒達に悪い評価をつけてはいけないのである。教師との話し合いで評価をつけないでもらうことは可能なのである。ここが親側も認知できれば教師の顔色を伺い、子供をコントロールせずにすむのである。 子供の将来がかかっているからと妥協した結果悲劇が起こるのである。これでは本末転倒である。
繰り返し伝えるが、問題児が不登校なのではない。選択の自由を尊重すべきなのである。不登校を否定するのは差別であることを認識することである。これからの時代はこの義務教育のあり方、選択の自由という認知が加速して広がりを見せていくであろう。そうなっていかなければ次世代は滅亡してしまうのである。
子供の数よりも教師の数の方が圧倒的に多くなる時代はすぐである。既にそうかもしれない。教師のリストラに脅えている時間があるのであれば、もっと情熱ある豊かな教育現場を作り上げていく事にエネルギーを投じて頂きたい。抑圧された魂は、子供が自分の心の内を話し始める事により、扉が開いていけるのである。この子供の感覚は、今の学校の集団生活においては扉が重すぎて開けないからである。家庭での親が子供とのコミュニケーションを軽んじていた事から始まるのである。
親子関係を見直す時はとっくに過ぎているのである。すべては、警告なのである。これ以上、大人の都合で子供の未来の個性ある選択肢を狭めてはいけないのである。集団という軍隊しか出来上がらないからである。
子供が、教師に不振感を持ったと親に伝えたのであれば、教師は自分の子供を親身に思っていないという事を瞬時に見抜き、それならば、行きたくなければ学校に行かなくても良いと、子供の自由にさせれば良かっただけの事なのである。そして、子供がのびのびと、自分の個性を活かして行ける様に、未来選択を広げてあげる努力を子供と共にしていけば良かったのである。
親も学ばなければならないのであり、親は生活のために仕事をしなければならない、忙しいからでは、済まないのである。フリースクーリングという日本ではあまり知られていないが、その様な教育の選択肢もある。子供達の個を活かし、夢のある豊かな未来へ繋いでいこうという数は少ないながら、今の学校の問題に気づいた親子達が存在している。
フリースクールとは(子供が学びたいという権利を存分に活かすという義務教育本来のあり方の一つの選択)
・子供が自分自身で決めて、家庭において自由に学ぶ
・学齢期にある子供が、あるタイミングにより不登校になり学ぶ
・親側の選択として子供と相談をし、最初から学校に行かせない家庭で自由に学ぶ
これらは、子供が自由に自分を活かして行ける本来の教育を推進していく形態なのである。いっぺん通りの教育に不安や疑問を感じている親子にとって、心強い教育のあり方である。今までは、不登校は悪い印象を与えていたが、学校だけが総てではないという事と不登校にも様々な理由がある事を人々は知る必要があるのである。子供の夢と希望を活かしていく手段としてフリースクールという手段があるのである。
そして、義務教育は学校に行かなければならないという事ではなく、その旨は、憲法にも記載がないのである。
【参照】
義務教育とは小学校6年間+中学校3年間、計9年間の事を示す。
国民は自由という権利を持っていると同時に義務を課せられている。職業選択の自由や社会的生活を営む権利を持っていると同時に
「仕事について働く義務」(勤労の義務 日本国憲法:第27条)
「税金を納める義務」(納税の義務 日本国憲法:第30条)
「子供に教育を受けさせる義務」(教育の義務 日本国憲法:第26条)等の国民の三大義務を始めいろいろな義務がある。
そして、国民三大義務の内の1つ「子供に教育を受けさせる義務」というのが義務教育の事となっている。
・すべての国民は、法律の定まる所により、その能力の応じて、等しく教育を受ける権利を有する。
・すべての国民は、法律の定める所により、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う 義務教育は、これを無償とする。(日本国憲法:第26条の第1項、第2項)
・国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う。(教育基本法:第4条)
2006年3月15日の満月より、太陽系の各惑星レベルにおいて、新たな御霊達が新生を始めている。特に学校にまだ通っていない子供達を中心として、魂レベルでの新生が始まっている。それに合わせて、親達も対処し、心豊かな未来へと導いていかなければならないのである。
子供達は本来の自我に目覚め始めているからである。やっと芽を出し始めたところなのである。その芽を潰してはならないのである。一粒の小さな砂が砂から未来ある種になり、そこから芽を出したのである。ホームスクールだけとは限らないが、未来へ繋いでいく芽を育てるスペースを子供達のために環境を整備しなければならない時なのである。
これ以上、未来ある子供達を犠牲にしてはならないのである。
小学校5年生で自殺をしてしまった少年は、今あるセレスタイトで魂を癒している。共に次元移動をして、未来に託したのである。自殺という行為は良くない事であるが、少年は行き場を失っていたのである。やっと、癒しの場を見つけた所である。
この様な事はもう二度と繰り返してはいけない。この少年は、セレスタイトを通して、自分の思いを伝えてきたのである。クリスタル達も共感している。そして、スターキッズのレムリアン達が新生している今、これからの未来を担う子供達をさらに強化し、守ろうという意志がレムリアンに固まったのである。
太陽系の全惑星、衛星、銀河レベルにおいて、スターキッズの新生した魂を持つ子供達を守って行くのである。そして、未来に希望を持った子供達は自分の個を活かしていける様、夢を大きく持っていける様、サポートをしていくのである。レムリアン達は夢の中で希望ある未来へと導いて行くが、実生活においてもそれらが役立っていける様に、強い心を持って行ける様、サポートをして行くのであ
る。
大人達の都合主義によって、子供達の自由な未来を奪ってはいけないのである。大人達も気づきを得て行かなければならないのである。
小学校5年生で人生を閉じてしまった少年に捧ぐ。
合掌
日本スピリチュアルヒーリング協会
2006.3.19
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日本スピリチュアルヒーリング協会
http://www.meraina.org/
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2006年3月19日 21時32分