このブログのトップへ こんにちは、ゲストさん  - ログイン  - ヘルプ  - このブログを閉じる 
「遊女の絵筆」
[【時代小説発掘】]
2010年4月3日 12時9分の記事


【時代小説発掘】
「遊女の絵筆」
篠原 景


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)

【梗概】: 

上客の気まぐれで絵のうまさを競いあった遊女たちが手に入れたもの。

【プロフィール】:

篠原 景。2000年より大学で史学に没頭、時代小説の道へ。敬愛するのは東西のロックの神様。

これまでの篠原 景の作品:
かまきりと遊女


↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓   ↓  ↓  ↓  ↓



【PR】システム構築、ソフトウェア開発はイーステムにお任せ下さい


************************************************************
当サイトからの引用、転載の考え方
・有料情報サイトですが、引用は可能です。
・ただし、全体の文章の3分の1内程度を目安として、引用先として「ニュースソース・NewsSource(有料版)」と必ず明記してください。
・ダウンロードしたPDFファイル、写真等は、透かしが入っている場合があります。これは情報管理上のことです。現物ママの転載を不可とします。ただし、そこから情報を引用しての表記は可とします。その場合も、全体の3分の1内程度を目安として、「ニュースソース・NewsSource(有料版)」と引用先を必ず明記してください。
・商業利用の場合は必ず、連絡下さい。
 メールは、info*officematsunaga.com
(*を@にかえてください)

緊急対応/フォレンジック調査 サイバー119

************************************************************

「遊女の絵筆」
篠原 景


(一)染野と雁音

「染野(そめの)さんは、どんな絵を描くのか、決めたのかえ」
 染野の部屋にやって来た雁音(かりがね)が切り出したのは、昼見世と夜見世の間、女たちに与えられた自由時間のことである。
 嘉永五年、吉原角町松枝屋、共に座敷持ちの身分である二人は、日頃から仲が良い。
「ここだけの話、わっちア、女の絵にするよ。絵がどうだこうだと風流ぶって見せたって、女郎屋にせっせと通ってくる男が、一番好きなのア、女さ」
 染野が黒目がちの目に笑いを浮かべて言うと、雁音は、全体的にほっそりとした顔を、袖に隠すようにして吹き出した。
「そりゃ、違いないねえ」
「ほんとは、春画(わらいえ)の一つでも描いてやろうと思ったのさ。すけべ爺には、あれが一番だろう。だが人の体は、腕の付き方、足の付き方、ややこしくっていけないよ。だからと言って、鏡で自分を見ながら春画(わらいえ)を描くなんざ、御免さ」
「あはは、誰かに〈お祭り〉の最中を覗かせてもらったらどうだえ」
「あれえ、雁音さん、わっちを助(す)けてくれるのかえ」
 おどけた染野が、雁音の袖に指先で触れるのを、雁音は大仰に払う。
「真っ平御免」
「そうそう、不思議に思ったのだけれど、男の絵師は、男色にふけってるってんでもない限り、おったってるマラは、てめえのしか見ないわけだろ? なら、春画(わらいえ)描くときア、どう描くか困ったら、てめえのを眺めながら描くんだろうか」
「そういうことになるねえ。……ああ、だから妙ちきりんなのが多いんだ」
「違いない」
 女たちの笑い声が、外の、薄紅と灰が入り交じった春の夕闇へ、ほろほろとこぼれていった。


(二)折口屋重兵衛という男

 事の始まりは、海運業の他、材木の商いなどにも携わり、羽振りの良さで名高い折口屋の隠居、重兵衛の気まぐれだった。
「お前たちには分からないだろうが、絵というものは、見たままを描けば良いなんて、単純なものではないのだ」
 襖を取り払った座敷に居並ぶ、三十人を超える女たちを前にした重兵衛は、声も身ぶりも大きく、上機嫌で語る。
 その日、松枝屋は、重兵衛により惣仕舞(そうじまい)という名の貸し切りになっていた。
 ただでさえ金のかかる吉原で、惣仕舞は、圧倒的な財力を持つごく限られた者のみに許された、贅沢な遊びであり、滅多に行われるものではない。
 しかも吉原は今、昨年、遊女大安売りの引き札が配られ、江戸中の話題になったほど、長く続く不景気のなかにある。多くの見世が頭を抱えるなか、ふらりと現れ、惣仕舞をつける客など、得難い宝、いや、楼主夫婦にとっては神仏に等しい存在かもしれなかった。
 当然、もてなしは丁重を極め、見世中の者に取り囲まれた重兵衛の上機嫌は、とどまるところを知らない。
「絵は、描こうとするものの真実(ほんとう)を見抜き、それを写す、この二つの力がなくては駄目なのだ」
 松枝屋に来たとき、すでに酒の入っていた重兵衛は、向島の料理屋で同業が主催した書画会と、後に続いた宴会の帰りだったという。
 その宴会で重兵衛は、今回の書画会の中心であり、最近名を上げつつある何某(なにがし)という絵師に、持っていた扇子の海老の絵を、「とても素人の方の腕ではない」と、大勢の前で褒められたらしい。隠居暮らしの楽しみとして絵をたしなんでいた重兵衛が、気に入った一枚を扇子に拵えさせて、自ら持ち歩いていた物だった。
 つまりその日の惣仕舞は、絵師に絵を褒められても、風流人を気取って顔色一つ変えなかったであろう重兵衛の、溢れんばかりの喜びを、ようやく、それもおおっぴらに表現出来る場、というわけだったのである。
「あの男、世の中には思いもかけないところに埋もれた才がある、などと言っていたが、それはおかしな言いようだ。いいかね、私のことを言っているのではないぞ。まことの雅びが分かる者は、己の才を手当たり次第にひけらかしたりはしないもの。ならば、世には、埋もれた才の方が多いのが道理ということだ。まあ、あの男はまだ若いから、分からないのも無理はない」
 
 重兵衛が絵をたしなむことや、重兵衛の扇子の絵が彼の手によるものであることは、重兵衛の敵娼(あいかた)である春山や、その周りの者たちも知っていたし、重兵衛が特に見栄を張りたい相手である同業者たちにも、当然ながら知っている者はいたであろう。
 書画会で、間違いなく主賓の一人に違いない重兵衛が、これ見よがしに手製の扇子を使っていれば、誰かが絵師に教えてもおかしくはない。さすれば絵師の方も、当然ながら世辞の一つも言わざるを得ない。
 実際、重兵衛の描く絵は、素人にしてはよく出来た方だ。埋もれた才とまではいかないが。
 廓(くるわ)の外の世界をろくに知らぬ女たちにも、書画会の宴の光景が目に見えるようであったが、それを口にする者などいるはずもない。
「ご隠居、せっかくだから、何か描いておくんなましよ」
「あれ、絵師の先生が認めなすったお方に、そう簡単に頼むのは失礼」
「わっちらに払える画料じゃアありんせんよ、きっと」
と大騒ぎだ。
「ちょっと待て、ちょっと待て」
 集まり来る女たちを、立ち上がった重兵衛が手で制した。
「私が描くより良いことを思いついたぞ。半月後、私はもう一度、惣仕舞をつけよう。その時までに、各々墨一色で好きな絵を仕上げておきなさい」
 瞬時に静まり返った座敷のなかで、重兵衛がまるで芝居のように両腕を広げる。
「絵比べだ。昔の名妓は絵もたしなんだと言うからな。はは、江戸中の評判となって、吉原の歴史に残ること間違いない。もちろん、他の者に頼むなどの不正はならんぞ。一番うまく描いた者に、とびきりの褒美をやろう。この私が、埋もれた才を見つけ出してやろうではないか」
 嬌声のような歓声が上がり、その声は重兵衛が、
「まずは前祝いだ」
と紙を撒き散らした途端に、倍の大きさになった。
 それは松枝屋でも久しぶりの光景であった。撒かれた紙は、紙花と呼ばれ、後で決まった額と取り替えることが出来るのである。
 たった今、手で掴みとった紙花と、半月後に貰えるかもしれない、豪商の隠居が「とびきり」だという褒美。それは途方のない金であるかもしれないし、莫大な富を持つ者の気まぐれだ、突然、身請けの話が出て来てもおかしくはない。
 松枝屋に、おそらくは見世が始まって以来であろう熱気が、立ちこめた。


(三)染野と雁音と梅園

「雁音さん、入るよ。そろそろ描く絵は決まったのかい」
 普段の仲ゆえに、染野が気安く雁音の部屋に入ると、文机で紙に肘をついていた雁音が顔を上げた。
 染野が障子を開けたことで、中庭からの陽の光が、雁音の周りの描き散らしを白く明るくする。
 吉原は今、昼見世前の、もっともゆったりとした時のなかにある。
「あれ雁音さん。だいぶ精を出しておりんすなア」
 からかうような染野の口調に、雁音は困ったように肩をすくめる。
「つい夢中になっちまってたよ」
「まったく、馬鹿馬鹿しいと思いながらも、こう、みんなで熱くなっていると、なんか描いていたくなるねえ。紙と筆があればっていう気安さが、また、いけないよ」
「言う通りだ。どうせ後にも先にもこれっきりのことだろうから、きっと後でいい笑い話になっちまうだろうね」
「ふふ、今も下で、どんな褒美が出るのか、みんなで盛り上がっているよ。一番になった女に因んだ柄あれこれの仕掛けを、天井に届くくらいだ、とか、どこぞに一軒持たせてもらえるだの。あのまま行ったら、誰かが大奥にご奉公で、公方様にお目通りなんて話になりかね――」
 染野が言い終わらぬうちに、一階の広間から、禿たちの声も混じった歓声が聞こえた。
「こりゃア……」
 と雁音が、溜息のような声を漏らす。
「今が一番楽しいかもしれないねえ……」
「違いない。だいたい半分の奴ア、右手で描こうが左手で描こうが、ちっとも変わらないって始末さ。禿の下手っくそな字の方が、まだ見られる。……って、おっと、雁音さん。お前ア存外達者な筆じゃないか。油断ならない」
「ふふ、お褒めいただき、ありがとうござんすよ」
「竹に蔓……これは岩。だいぶ渋いね」
「染野さんには、この前、手の内を見せてもらったから、こっちもご披露といこうか。あのご隠居は風流気取り、だから、女たちの前では、特に渋い絵を選んで見せたいんじゃないかと思ってさ」
「ああ、完全に見落としだア。言う通りだよ。……今更、宗旨替えはしないけどさ。でも、それにしたって、うまいよ」
「これはね……ふふ……みんなの着ている物の柄」
「着ている物?」
「屏風だの掛け軸だの、みんなが食いつくように眺めている絵は、写そうったって難しすぎるよ。それに比べりゃ、帯だの仕掛けだのの柄は、単純なのが多い。じいっと見て、部屋に戻って来て写すと、そのまんまには描けないから、わっちの絵の出来上がりでございますウというわけ。このくらいじゃ、着ている本人もわかりゃしない」
「まいった。雁音さんは策士だア。やっぱり頭の出来が違う。もういっそ、わっちは、褒美のおこぼれを期待して、雁音さんを応援するとしよう」
「そうしておくれ」
 女二人で笑いあっていると、
「もし、雁音さん、おりんすかえ」
 と声がする。
「あれ、梅園(うめぞの)さんかえ」
 雁音が応じている間に、染野は手早く描き散らしを片付ける。
 襖が開き、小作りな目鼻立ちが特徴の梅園が、足取り軽く、部屋に入ってくる。
「昨日借りた手ぬぐいをお返しに。本当に助かりんしたよ」
「いえいえお互い様」
「まア、染野さんもおりんしたか」
「ちょいと梅園さん、この前、春山さんに、ご隠居の好みを聞き出そうとしてたのは、どうなったかえ」
 声に笑いを含んだ染野の口調に、梅園は、目を大きくして口をすぼめる、子供っぽい表情をする。
 
 時折このような子供っぽい仕草を見せる梅園は、同輩たちから、おぼこじみている、うぶなふりして気持ちが悪いと嘲られたりもするが、夢中になって通ってくる客は多い。
 染野はというと、何においてもやさぐれた様子だけは一切見せない梅園が、実は嫌いではなかった。
「春山さんは、はぐらかしてばっかり。でもまあ、わっちが春山さんでもそうしいすが……。けれどけれど、ご隠居のご褒美はわっちのものでありんすよ」
「おや、まあ。たいした自信だ」
と声を張り上げた雁音の横で、染野は腹を両手で押さえながら笑った。
「わっちも絵のことじゃア、そうそう人を笑えないが、それでも梅園さん、お前さんの絵はひどいよ」
「ちょっと……勝手に見なさったのかえ」
「おとつい廊下で、人が近くにいるのにも気づかず、自分の絵に見とれていたのは誰だったかしらん。あの、猿の顔を天日で干したようなのは、もしやご隠居の顔かい?」
「ええ、もう、憎い。……下手でもいいんでござんすよ。一生懸命描いたのが分かれば、ああ、これは私の顔か、梅園よく描いたなあとなりんすよ」
「おや、お前さんらしい」
「なんと言っても選ばれた者が勝ち」
 また子供じみたふくれっ面を見せる梅園に向かって、「そういえば」と手を打ったのは、雁音だった。
「梅園さん、絵師のお客がおりんしたな。教えておくれと甘えてみたら、誰に見せるためだと焼き餅を焼かれるかしらん」
「甘えようにも、なかなか。そう頻繁には来ないお客でありんすよ。第一、今来たら大変だ。いっそ来ない方がいい」
「そりゃそうだ。みんながなんのかんのと理由をつけて、梅園さんのところに押しかける」
「絵師の先生、大損だねえ。今来りゃ、一生に一度あるかないかの、大もてだろうに」
「まっ、みんなみイんな、精を出しなんし。最後に笑うのはわっちだ」
「あの天日で干した――」
「わっちの絵は、そうそうひどくはない。染野さんは遣手がこっそり描いてた絵を見たかえ」
 遣手とは、遊女のしつけや管理、監視を行う、妓楼の憎まれ役である。
「なんだい、あの強欲婆も描いてやがるのか。悪い冗談だ」
「さアさ、聞いて驚きなさるな。実はおかみさん、どこで手に入れたのか、絵の手本みたいなのを、こちらもこっそり眺めておりんしたよ」
「……一体、隠居に何をもらう気だ……」
 染野と雁音は、口を半開きにして顔を見合わせた。


(四)決着

 約束の日、夜見世が開く時間になっても、重兵衛は姿を見せなかった。
 この日に来そうな客には、あらかじめ惣仕舞を告げてはいたものの、それでもふらりとやってくる客は後を絶たない。
 しかも、わざわざ特別な趣向で用意させた、台の物と呼ばれる仕出し料理は、乾いたり冷めたりする一方であるし、呼び集めた芸人たちも、お代はどうなるのかと、心配顔で目配せしあっている。
 「とんだ揚げ干しだ」と頭の痛い思いをした楼主が、散々迷った挙げ句、春山の使いの名目で、若い者を折口屋に走らせたところ、重兵衛は日付の思い違いをしていたという。
 迷惑をかけた分は後で返すから、今日はなしにしておくれと言われ、松枝屋は通りの賑わいも一通り落ち着いてしまってから、見世を開けることになった。
 結局、重兵衛が松枝屋にやって来たのは、約束の日から六日後のことであった。
 惣仕舞をつけるにはつけたが、絵を見に来たのだ、酒や料理も特別の誂えはいらない、芸人も内芸者さえいれば、後はうるさいから集めるなと、廓遊びとしては実に異例の申し付けがなされていた。見世の方も、このうえない上客が相手ゆえに、文句は言えない。
 やって来ても、はなから不機嫌で心ここにあらずといった様子であり、楼主夫婦までもが途方に暮れた。
 
 事情は、重兵衛が普段からよく賑やかしに連れてくる若い噺家が、宴の後、敵娼と二人きりになって、こっそり語った内容から知れた。
「ご隠居はね、今、一つのことで頭がいっぱいなんだよ。ご隠居にはね、商売でもそれ以外でも、目の敵にしてきた、中之原屋って男がいるんだよ。こいつとサ、ご隠居が店を譲りなすった息子、折口屋の今の主だね、この息子の嫁、おやえさんって言うんだが、このおやえさんが、実はつながってたって言うんだから、驚き桃の木なんとやらだ」
「あれまあ、戯作のような筋書きでござんすなア」
 敵娼に感嘆されて、噺家は勢いづいた。
「まったく、お前の噂好きには困るよ。……まあ、いい。つながってるって言っても、ほんとはたいしたことじゃアない。おやえさんの父親の友達がどうしたこうしたで、おやえさんと中之原屋は顔見知り、おやえさんが十になる前くらいまで、よく顔を合わせていたから、おやえさんの方も、おじさま、おじさまって懐いていたってだけの話サ」
「なアんだ。そのなんとか屋が忍び込ませた間諜だったってわけでも、内緒の色事があったってわけでもない、ただの昔話かえ」
「そうサ、ただの昔話。肝心の息子も気にしちゃいない。だが、ご隠居はいろいろと勘繰っているようだ。ご隠居も年かねえ。ここに来る途中も『折口屋は中之原屋に乗っ取られるのかもしれない』なんて呟いていたっけ」
 噺家は、お前と私の仲だから教えたが、他には言っちゃいけないよと、女に固く口止めをしたが、無理というものである。本人でさえ喋りに喋った話だ。重兵衛の心ここにあらずの理由は、すぐに松枝屋中に知れ渡った。
 だが、それも翌朝になってからのことである。
 惣仕舞の宴は気まずいままに続き、重兵衛は女たちが勇んで持って来た絵をろくに見もせず、敵娼である春山の、ひょろひょろとした菊の絵を一番に選んだ。
 もはや女たちの、「とびきりの褒美」への興味は失せていたが、少なくとも天井に届くほどに積み上げた仕掛けでも、身請け話でもないようだった。
 不機嫌な重兵衛が、空きっ腹に盃を重ね、早々と出来上がるのを見届けてから、染野は夜風にあたりに座敷を出た。
 
 まだまだ表通りは、客を呼び込む声や素見(ひやかし)の騒ぐ声などで賑わっており、また、出て来た座敷からは、内芸者の三味線(しゃみ)の音、遣手が重兵衛を大声でおだてる声などが聞こえてくるが、いずれも今の自分に関係ないと思えば、清々しかった。
 だが、やはり、軽い酔いがさめたような虚しさも、どこかにあった。
「馬鹿馬鹿しいなんて言いながら、馬鹿馬鹿しいことに夢中になったもんだ」
 呟けば尚更に、馬鹿馬鹿しい。
 一人っきりで一杯やりたいが、飲んでも不味そうだ。
「ちょいと、染野さん、染野さん」
 いつのまにか、梅園がすぐ後ろにきていた。
「ご隠居、飲み過ぎてひっくり返りそう。だからわっち、今、みんなで、描いた絵をご隠居の袖だの懐だのに入れてきいした」
「どうしてそんなことを?」
「だって、女郎の一生懸命を受け取らないなんて、許されて良いことじゃアありんせん。見る気があろうがなかろうが、しっかり受け取ってもらいんしたよ」
「そりゃア……お見事」
 梅園が柔らかくしなを作って見せる。
 染野は肩のこりがほぐれたような気持ちになった。


(五)絵比べの置きみやげ

 春山がもらった褒美とは、結局、いくらかの祝儀であったらしい。
 すると、褒美は手に入らなかったものの、この絵比べで一番得をしたのは、梅園に違いなかった。
 梅園は、これと思った客と二人きりになると、
「下手でも、笑わないでおくんなましよ」
 と言いながら、「下手でも一生懸命」な客の顔の絵を描くのだという。
 絵を描いてもらった客は、「梅園は可愛い」と大喜びで、間を空けず、また見世にやって来るようになる。
 客への手紙に、雀の絵なんぞを添えることもあるらしい。
 他に真似する女も現れたが、梅園ほどうまくは出来ないようだった。
 それからもう一つ、松枝屋では、ちょっとした事件が起こった。
 絵比べから時を置かずして、松枝屋にやって来て、大盤振る舞いをした三人連れの客が、どうもあちこちで押し込みを働いている一味らしいということで、役人がやって来たのである。僅かな手がかりでも欲しいところであり、「表沙汰の面倒なことにはしない。ちょいとばかり聞かせてくれ」という話だった。
 三人連れの敵娼になったのは、雁音と他に二人の女で、用向きを聞くや否や、おのおの紙と筆を持って来て、自分が相手をした男の顔を描き始めた。
 普通こうしたときには、顔の形はどうだったか、どこぞに目立つほくろはなかったかなどと、思い出し思い出し口で説明するものである。
「なんだ、この見世では、女たちに絵を教えているのかね」
と役人は面喰らった様子で帰った。
 それを見送った雁音は、すぐに染野のもとへと行き、
「ひょっとすると、わっちの絵が、盗人を捕まえるかもしれないよ」
と、役人とのやりとりを面白そうに教えて聞かせた。
「まったく、つまらないことに励んだものだと思っていたけれど、少しは世のお役に立てたと思えば、わっちの絵も悪くはなかったとしようかね」
「あれ、世のお役だなんて、雁音さんらしいや」
「染野さんも、せっかく人の絵を描いていたんだ。何かに使えたらいいねえ。まだ、時々、描いているんだろう?」
「ああ……まあ、描いているというか」
 染野は曖昧に頷いた。


(六)そして、ある月夜のこと

 幾度も洗って磨いたような、真っ白な月が空にかかっている。
 どこかで客の男が、今が盛りの藤を見物に行って、実に見事であったことを話す声が、かすかに聞こえる。
 まださほど遅くはないのに、それ以外は何も聞こえない。
 妙に静かな晩だった。
 染野の部屋で、床(とこ)に腹這いになっているのは、馴染みになって一年ばかりの、料理屋の息子だった。
 すました顔をして、やたらと伝法な物言いをしたがる。しかし、座り方から物の食べ方、襖の開け閉め一つとっても、逐一折り目正しく、それがどこかちぐはぐで面白い。
 顔はいい方だし、体のにおいも悪くない。
 惚れている、と染野は思う。しかし、身銭をきって勤めを休む身揚がりをしてまで会いたいかというと、分からないでいる。
「おい、おめえ、指が墨で汚れてるぞ。手習い中の子供でもあるめえし」
「ああ、これ……」
 染野は、汚れている左手の中指を、なんとなく唇にあてた。
「さっき、絵をね、描いておりんして、つい……」
 絵比べから一月も経つというのに、染野はまだ絵をやめられずにいた。
 なんだかさみしいような、つまらないような気持ちになると、つい筆をとってしまう。
 描くのは目の前にあるもの、以前見たもの、頭のなかの景色。絵になりそうだと思えるものを探し探し描いた。
 腕が上がる気配は一向にないが。
「おめえ、絵なんざ描くのか」
「あい、おかしいですかね」
「ちいと、見せてみねえな」
「あいにく、ちゃんと仕上げたのはありんせんのさ。ただのいたずら描きばかり。とても見せられやしいせん」
 ふうん、と言いながら、男は肘をついて体を染野の方に向ける。
「なんでまた、絵なんざ始めた。女郎はもっぱら、絵に描かれたい方だろうよ。おめえが絵を描くと喜ぶ客でもいるのか」
 男の横で、足を横に投げ出すように座っていた染野は、天井を眺めながら、
「客のために描くのはつまらない」
と言ってみた。
「好きなものを、好きに描くから、いいんでござんすよ」
「へえ、おめえ、何が好きなんだ」
「さあ、分からないから描くのかも。描いていて、好きじゃないって思うこともあるし……よく、分からない……」
「妙ちきりんなことを言う女だな」
「あい、ほんにその通り」
「……なんだか面白そうじゃねえか。今度、好きに描ききったら、おいらにも見せてみねえ」
「考えておこう」
 床に入りながら、染野は、自分が男に言ったことを思い返し、(だから自分は絵を描いているのか……)と思った。
 まだ、絵が好きなのだとは思いきれなかった。
「どうした、何か気がかりでもあるのか」
「わっちが? 嫌な勘繰りはしなさんな。なアんにもありんせんよ」
 とりあえず染野が男の上にまたがり、男は染野の下で徐々に昂っていく。
 その男の体を眺めながら、染野はふと、(今度は本当に、春画(わらいえ)でも描いてみようかしらん……)と思った。
 無論、誰かに見せるためではない。そうだ、そもそも絵でございますと気取らなくてもいい。自分の目に見えるがままを、好きに描くのだ。
 そう思った途端、この稼業で散々見飽きた男の体、自分の太腿、手、布団のしわ、屏風の影、目に映るすべてが急に新しく、美しく見えて、染野は驚いた。
 生まれたばかりの赤子が見る世界も、こうではないかしらん、と思った。

                       了






最終編集日時:2010年12月14日 13時51分

このブログへのチップ   101100pts.   [チップとは]

[このブログのチップを見る]
[チップをあげる]

このブログの評価
★★★★★

[このブログの評価を見る]
[この記事を評価する]

◆この記事へのコメント
コメントはありません。

◆コメントを書く

お名前:

URL:

メールアドレス:(このアドレスが直接知られることはありません)

コメント:


くる天
officematsunaga
速報情報は、オリジナル取材ネタも含めてtwitterで無料公開!
twitter

【オフイス・マツナガのブログ】

【CONTACT/連絡先】

カレンダー
<<2010年04月>>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
マーケット情報
by 株価チャート「ストチャ」


FX経済指標


会員制システム
会費は月額1000円で、すべての記事、すべての連載、バックナンバーを見ることができます。また、一般には入手困難な資料等をダウンロードできます。
 購読の規約に関しては、くる天 よくある質問を参考ください。


会費の支払い方・課金の仕方

1:くる天へ会員登録する。
2:ポイントを購入する。
3:記事を購入する 。
 という手順となります。
 初めての課金の申し込み方

返金システムに関して

なお、会費を支払い購読されて「これは課金に値しない」と判断された方には、すみやかに返金に応じます。詳細は、返金システムに関してを参考ください。

入稿後は加筆・修正しません

有料会員制度のサイトという性格と、くる天さんのシステムから、有料記事に関しては入稿後の修正、訂正はきかないようになっています。そのため誤字・脱字・錯誤が含まれる場合があります。誤字・脱字・錯誤等の修正に関しては、別途、指摘させていただく場合があります。誤字・脱字・錯誤  修正情報

皆様へのお願い

 申し込まれたアクセスコード、パスワードを他人に教えたり、譲渡する行為は犯罪行為です。すでに、第三者におしえてしまった!という方は、すみやかにパスワードの変更をお願いします。やむなき場合は、しかるべき対応をさせていただきます。
皆様へのお願い  
当サイト連載コラム
週刊日程表

本日のマーケット

今週の永田町

永田町レポート

本日のオフレコ情報

遠藤顧問の歴史だよ

時代小説発掘(無料公開)

カテゴリ
全て (3356)
2014衆議院選挙当落予想 (12)
無料公開記事 (7)
週間日程表 (154)
選挙 (26)
政治 (86)
経済 (6)
社会 (17)
永田町レポート (67)
今週の永田町 (326)
本日のオフレコ情報 (71)
本日の日経225 (29)
本日のマーケット (1654)
特オチ最前線 (75)
瘋癲老人のレイジーな日々 (25)
扱い注意 (38)
ネットでメシウマ!ウェブマーケティングの虚実 (32)
伊藤博一の事件の眼 (23)
鬼デスクの酔いどれ日記 (44)
アダルトサイト運営奮闘記 (3)
遠藤顧問の歴史だよ (30)
業界記者の覆面レポート (2)
真名のケーザイ探検 (27)
ホッピー・モツ焼・闇市の世界 (4)
ネットでビビるな!ネット音痴の業界人へ (14)
今週のマスコミがびびったネットネタ by 野次馬 (10)
アラカルター久里&占い軍団 (46)
コーヒーブレイク・エクササイズ編 (64)
コーヒーブレイク・ボイスエクササイズ編 (12)
医読同源 (1)
永田町奥の院を新人記者「僕」行く (12)
アンコール (2)
「永田町に棲んだ女たち」2 (13)
「永田町に棲んだ女たち」 (15)
ぼやき三毛猫 (49)
白川司郎訴訟関係 (4)
動画で go !!!! (7)
縄文だよ!!!! (4)
【時代小説発掘】 (204)
2009年 衆議院選挙  最新調査データ (26)
衆議院選挙 選挙区レポート (4)
島田が行く!報道現場の盲点 (2)
誤字・脱字・錯誤  修正情報 (6)
見落とすな!ネット情報・リンク先・保存先 (3)
「永田町に棲んだ女たち・特別番外編」 (8)
雑誌販売動向 (7)
最近の記事
12/06 12:26 江戸浅草物語14「月こそ心よ花こそ心よ」 (無料公開)
11/15 15:30 〈助太刀兵法46〉北斎蛸踊り(8) (無料公開)
10/26 08:49 「本日のマーケット」(FX編)・・・今週は日米の金融政策イベントに注意。
10/26 08:40 「本日のマーケット」(株式編)・・・ 続伸後に日経平均株価が1万9000円台を回復。
10/21 08:39 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円ちょうどの壁を意識。
10/21 08:25 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、方向感の出づらい展開。
10/19 08:33 「本日のマーケット」(FX編)・・・午前11時に発表される中国の一連の経済指標に注目
10/19 08:23 「本日のマーケット」(株式編)・・・午前11時、中国経済の指標しだい。
10/14 08:48 「本日のマーケット」(FX編)・・・昨日に続き中国の経済指標。米9月小売売上高。
10/14 08:31 「本日のマーケット」(株式編)・・・前日の動きが継続し軟調な展開。
10/13 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円大台を中心に方向感に欠ける動きが当面続きそう
10/13 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・5日線(前週末9日時点で1万8218円)が下値を支え
10/05 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京タイムではドル円やクロス円は押し目買いが優勢
10/05 08:34 「本日のマーケット」(株式編)・・・続伸後、日経平均株価が1万8000円に迫る。
10/04 12:07 江戸浅草物語13「天海僧正の結界が破られる時、魔界の者たちの進撃が始まるのか」 (無料公開)
10/02 08:44 「本日のマーケット」(FX編)・・・米雇用統計を控えた様子見姿勢
10/02 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・週末要因や米雇用統計を前にポジション調整
10/01 08:47 「本日のマーケット」(FX編)・・・9月日銀短観、9月中国製造業購買担当者景気指数(PMI)などが材料。
10/01 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・欧米株式の上昇を受けて買いが先行後、もみ合い。
09/30 08:52 「本日のマーケット」(FX編)・・・日中は119円後半のもみあい
09/30 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・反発後、上値が重い展開。
09/29 08:55 「本日のマーケット」(FX編)・・・株安・円高パターンの継続はドル高圧力を後退
09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
09/20 10:55 〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)(無料公開)
オフイス・マツナガのサイト
[現役雑誌記者によるブログ日記!by オフイス・マツナガ]

[オフイス・マツナガ書籍部]

[今週のキーワードbyオフイス・マツナガ]

[オフイス・マツナガのブログWordPress版]

[週刊日程表(アクセス規制有)]

[調査分析報道・資料倉庫]

【公にされない公の資料を公開】

【その他 オフイス・マツナガweb管理人】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最近のコメント
風雲 念流剣 七 (無料公開)(鮨廾賚此丙郤圈)
宿志の剣 三 (無料公開)(会話スキル★吉野)
週刊・月間誌 販売動向13年3月6-7日(管理人:kitaoka)
週刊・月間誌 販売動向13年3月6-7日(珈琲好き)
■この国の最大の問題点は「スパイ防止法案」がない点。マスコミだけでなく、政党にも外国勢力が跋扈。(珈琲好き)
イチローストレッチが止まらない!(バーバリー 時計)
■あまりにあっけなく、野田民主党惨敗。あまりにあっけなく、安部自民党大勝利(takeshi.komi)
時代小説発掘 !!!!!告知!!!!!()
〈助太刀兵法21〉 尾道かんざし燈籠 (無料公開)(モンクレール ダウン)
薩摩いろは歌 雌伏編(十一)痛撃(無料公開)  (株式の初心者)
ブログ内検索

RSS
携帯からも見られます!
QRコード対応の携帯で、このコードを読み取ってください。

Copyright (c) 2006 KURUTEN All right reserved