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廓の子供
[【時代小説発掘】]
2010年5月30日 10時36分の記事


【時代小説発掘】
「廓の子供」
篠原 景 


【梗概】: 

子供に異常な関心を示す友人。江戸と今をつなぐ物語。

【プロフィール】:

篠原 景。2000年より大学で史学に没頭、時代小説の道へ。敬愛するのは東西のロックの神様。

これまでの篠原 景の作品:
「かまきりと遊女」
「遊女の絵筆」 

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【時代小説発掘】
「廓の子供」
篠原 景 


 
(一)宴

 女のうなじに出来る影が、美しい。
 豪奢な着物の袖口から覗く手首の細さ白さは、二人きりであれば掴みかかりたいほどだ。
 いや、正しくは、後小半刻もすれば、伊兵衛はこの手首を、折れんばかりに掴むのだ。
「まったく……」
と、伊兵衛の口許に我知らず、溜息まじりの笑みがこぼれる。
 「男一度は伊勢と吉原」と誰が言ったかは知らないが、一度で済まず、五度、十度と足を運んでまだなお満ち足りないのが、吉原の神通力、げに恐ろしきところ、と胸の内で呟く。
 文久元年となる今年、二十八になった米問屋の主、伊兵衛は、今日もその神通力にとらわれ、日頃から親しい二人の友人とともに、通いなれた錦屋という見世にいる。そして、上客ゆえの我がままを通しいつのまにか恒例としている、各々の敵娼(あいかた)を見世の座敷に揃えさせての宴席を設けているところだ。
 しかし、幇間、太鼓持ちと呼ばれる男芸人が披露している、「ほれほれ」と掛け声ばかり勇ましい、盃を使った他愛ない芸を眺めている最中、目の端に連れの一人を見てとめ、心のなかに小さな引っかかりがあるのを感じる。
「おい、松之助。飲んでいるか」
「なんだい、急に」
 伊兵衛の連れのうち、一人は喜八郎と言って、大きな魚問屋の跡取りである。まだ若旦那の立場ではあるものの、店の格や、年齢、そして本人の性格から、三人のなかでは兄貴分となっており、毎度吉原行きを提案するのも、この喜八郎である。
 そしてもう一人が、伊兵衛の一つ下で、薬種問屋の主となっている松之助である。
 気が短く何かとおおざっぱな伊兵衛とは正反対の、おっとりとしつつも何かと生真面目な松之助であるが、家の事情で早くに嫁をもらい、家業の問屋の主となったという立場の近さから、いつのまにか親しくなっていた。
 最近、伊兵衛がどうにも気にかかってならないのが、この松之助のことであった。
 松之助のそばには、禿(かむろ)と呼ばれる遊女見習いの少女が二人座っている。「眠くはないかね」「この芸は好きかい」と、松之助が優しく声をかけるので、自然と松之助のそばに座るのだ。
 二人とも、喜八郎の敵娼である花魁に付き従う禿で、切れ長の、笑ったような目をして、姉女郎の言いつけをきびきびとこなす様子なのが〈はるい〉、小さな唇を少し尖らせるようにして無口無表情、目だけが常にあたりを見回しているのが〈こまい〉と言った。年はそれぞれ十と八つのはずだ。
 「ほうれ」と幇間が高く投げた盃が、畳に落ちた。
 女たちが「あれまあ、しくじりだア」と冷やかすのと同時に、声を出して笑ったのは、はるいであった。松之助も笑い声を合わせ、はるいの顔を覗くようにする。
 続けて、転げた盃を追いかける幇間の滑稽な仕草を見ようと、つい身を乗り出したこまいが、松之助の着物を膝で踏んでしまうと、松之助は「これこれ」と言いながら、膝に手をあててそれをたしなめる。
 (やはりおかしい……)確かに吉原にまで来て、嬉しそうに子供の相手をしているのは、お人好しも過ぎるというより、少々場違いである。
 しかし、伊兵衛の引っかかりはそれだけではなかった。松之助の目に時折浮かぶ光のようなものが、どうしても気になるのだ。
 それは、喜八郎が、自身の傍らに座る敵娼の方へ視線を向けるたび、目に隠しきれず浮かぶもの、無論、先程伊兵衛が、女のうなじや手首を凝視していた際に、伊兵衛の目にあったであろうものと、あまりによく似ていた。
 加えて言えば、松之助が、馴染みになって久しい自分の敵娼の方を見るとき、そこにあるのはただ親しげな表情だけである。
 (まさかな……)と、気をとりなおすように、伊兵衛は自分の隣に座る女を見る。愛想がある方では決してなく、気取ったように、少々顎をあげて座る様子など、見ているだけでたまらなくなる女だ。
 宴が終われば、女と二人、このうえない時を過ごそうというのに、余計な考えが頭にあっては台無しである。
 伊兵衛は、膳の上の、あまり好きではない卵焼きを口に放り込むと、無理矢理酒で飲み下した。


(二)探る

 朝夕には風が涼しく感じられるようになったものの、まだまだ暑い。
 手ぬぐいを捻って巻いた額に、大粒の汗を浮かべた車力たちが、米俵を積んだ大八車を引いていく。近くで眺めているだけでも汗の吹き出しそうな光景だ。
 店先にいた手代とそれを見送った伊兵衛が、通りの向かいに目をやると、懐紙で首筋の汗を押さえている松之助の姿があった。伊兵衛と目が合うと、柔らかく笑った。
「おお、どうした」
「なに、知り合いが夏風邪をこじらせてね。どうということはないんだが、見舞いに行った帰り道さ。ちょうど通りかかったんだ」
「この暑さのなか、素通りはさせないよ。少し寄っていってくれ」
 番頭に店を任せ、松之助を奥へと通し、女中に冷やした麦湯を運ばせた。
「おもんは子供を連れて出かけているんだ」
 おもんは伊兵衛の女房、子供は今年三つになる一人息子だ。
「そうかい。私はご亭主と連れ立って悪所通いをする悪い友達だからね。丁度いいときに寄ったわけだな」
 松之助には珍しい軽口に、伊兵衛も笑って、「ああ、今ならどんな悪い相談も出来るよ」と応じた。
「おもんさん、最近、家を空けることが多いって怒っていないかい」
「あいつの親父殿が、まあ、程よく遊んだお人でね。商いをしている家はこんなものと思っているんじゃないかね。お前の方はどうなんだ」
「似たようなものだよ。いつだってにこにこしている、出来た女房だ」
 松之助の女房の、少しばかりふっくらとして優しげな姿が思い浮かぶ。二人は並ぶと実に似合いの夫婦だった。
「まったく、あてられる。……だがそのわりには、ちょいと子供が遅いようだね。まあ、うちもまだ一人きりだが」
 つい、女房から子供の話になってしまい、伊兵衛は少々言いよどんだ。しかし松之助が気にとめる様子はない。
「授かりものばかりはどうしようもない。知っての通り、私もあいつものんびりだから、子供もきっとのんびりだろうよ」
「お前が子供の相手をするのがうまいのは、錦屋で明らかだ。自分の子が生まれたら、それはもう、可愛がるんだろう?」
 一度はただの思い込みだと、心のなかの引っかかりをなかったことにしたはずだった。だが、気づくと伊兵衛は松之助を探っていた。どういうわけか言葉が止まらない。
 しかし肝心の松之助は、おどけた様子で肩をすくめただけである。
「子供を可愛がる証拠が吉原にありとは、どうにも困ったね」
「……なあ、はじめに授かるなら、男と女、どっちがいいんだい。跡取りは必要だが、女の子はそりゃ可愛いってな。この前、同業に自慢されたよ」
「どうだろうね……。どっちでもいいよ。元気に育ってくれればいい」
 天井を眺めながら答える松之助の様子は、いたって普通である。
 けどられぬよう、小さな溜息をついた伊兵衛は、しばらくの間、近所のことなどどうでもいい話をして、そろそろ帰るという松之助を送りに店先へ出た。
 ちょうどその時、「こんにちは」とやって来た者があった。おもんが日頃親しくしている従姉妹で、傍らに、今年八つになる娘を連れている。
「ああ、いらっしゃい」
と言いながら、伊兵衛はとっさに、横目で松之助の様子を窺った。
 なぜなら、今、伊兵衛たちの前にいて、あどけない顔でこちらを見上げている娘は、一度見たら忘れられないくらいに愛くるしいと評判の子供なのである。かつて伊兵衛でさえ、「人形もここまで愛らしくは作れまい」と見惚れたことがあったほどだ。
 だが松之助は、娘が目に入ったはずなのに、母親の方に深々と頭を下げただけで、店を出て行く様子だった。可愛がられることに慣れている娘が、「おじさん、こんにちは」と笑顔を向けても、「はい、こんにちは」と返しただけである。
 松之助を見送った後、伊兵衛は、勝手な思い込みから、親しい友人にあらぬ疑いをかけ、探りまで入れた己を恥じた。全身の力が抜けていくような疲れを覚え、(今度何かで埋め合わせをしなくちゃな……)と思った。


三)影

 久しぶりに伊兵衛が言い出してやって来た吉原だった。しかも、今日の掛かりは多めに出させてもらおうと、予め言ってある。
「一体どうした。何があった」
と肘で伊兵衛を突っつく喜八郎に、
「なあに、商売で予想外にうまくいったことがあってね」
と胸を張ってみせたが、本当は、松之助に対する独りよがりな罪滅ぼしが理由だった。無論、口に出せるものではない。
 一方、今日の本当の主役である松之助はというと、
「そりゃ、景気のいい話だ。伊兵衛には商いの才があるんだねえ」
と、友人として、素直に喜んでいる様子である。
 錦屋に着き、座敷に通され、他に客のついていた伊兵衛の敵娼である女が少々遅れはしたものの、いつもの面々が揃う。
 日頃から可愛がってくれる松之助が来て、禿たちも嬉しいのだろう。こまいは相変わらず無愛想だが、それでもはるいと一緒に、早速松之助の後ろに座っている。
 喜八郎が、苦笑まじりの伊兵衛を指し示しながら、
「こいつは商いで相当うまくやったそうだ。今にこいつの店は二倍、三倍になること間違いない。お前たち、早いうちにこいつの機嫌をとっておけよ」
と声高に幾度も言うのに女たちが応え、宴はいつにも増して賑やかになった。
 そうしてどれくらい飲んでいたかは定かでない。
 喜八郎が、以前芝居を観に行ったときの失敗を、面白おかしく語っている最中、疲れていたらしいこまいが、行儀よく座ってはいるものの、半ば目を閉じて、上体を揺らし始めた。
「まあ、こまい。起きなっし」
 敵娼がたしなめるのを、喜八郎が、「子供なんだ。眠たかろうよ」
と笑いながら制す。
「先に休んでいるがいいさ」
「ほんに、すみません。この子ったら」
 はるいに揺り起こされたこまいは、目と鼻の間をこすりながら、座敷を出て行く。
 ふたたび喜八郎が、話の続きを始めると、松之助が、
「ちょいと、小用」
と立ち上がった。
 酔いに浸っていた伊兵衛は、松之助をちらと見ただけであった。だが、座敷を出て行く松之助の伏せた目を見た途端、不意に胸をつかまれるような嫌な予感を覚え、少し間を置いてから、
「私もちょっと行ってくるよ」
と、急ぎ足になるのをこらえながら、後に続いた。
 「お前たち、そんなに私の話がつまらないか」と、喜八郎が大声で笑う声が、後ろから聞こえる。
 (さて、こまいが休みに向かう先は……)八間(はちけん)に照らされた廊下を、足を忍ばせながら急ぐ。
 迷うかと思ったが、松之助はすぐに見つかった。そして悪い予感は的中し、松之助の歩く先にはこまいの小さな後ろ姿がある。
 松之助が錦屋の小便所を知らないはずはなく、今、松之助が向かう方向に小便所はない。
 松之助は足音を立てぬよう、そろそろと歩いており、後ろ姿まで眠たげなこまいは、自分の後ろを歩く男の存在に全く気づいていない様子だ。伊兵衛が胸の内で(ちきしょう……)と誰に向けたものか分からぬ悪態をついたとき、松之助が後ろを振り向いたので、ちょうど廊下の角にいた伊兵衛はとっさに身を隠した。
 再び顔を覗かせると、松之助は、すぐ横の部屋を少し開けて、中を確認しているところだった。(空いている部屋を確かめているのだ……)と気づき、伊兵衛は、全身が粟立つのを感じた。
 再び、こまいの方を向いた松之助が、大きく足を踏み出した。それに合わせて、八間(はちけん)に照らされた松之助の影が大きく揺らめく。影は禍々しい黒さを今、はっきりと伊兵衛に見せつけている。
 伊兵衛が、松之助の名を呼ぼうとしたそのとき、後ろから、
「こまい、もたもたしないで、さっさと行きなんし」
という鋭い声が廊下を貫いた。
 声ならぬ声をもらし、伊兵衛が振り向くと、目を吊り上げて立っているのは、松之助の敵娼である女だった。一目見て、(この女は松之助のことに気づいて、分かっていたのだ……)と確信した。
 再び松之助たちの方を向くと、こまいは自分の後ろにいた大人たち、特に、自分に覆い被さらんばかりの松之助に驚いた様子だったが、すぐに走っていなくなった。
 そして首だけでこちらを見ている松之助はというと、一瞬で生気を失い、今にも消えそうに、見えた。目も、こちらを見ているようで、恐らく何も見ていない。
 友人がそのまま消えてなくならぬように、思わず伊兵衛は声をかけた。
「おい。戻るぞ。飲み直そう」
 松之助の敵娼は、無言のまま踵を返すと、来た道を足早に戻っていく。
 俯いて動かぬ松之助は、伊兵衛が繰り返し促すと、やっと足を引き摺るように歩き始め、伊兵衛の後に続く。
 まずは女が座敷に戻り、その後、伊兵衛と松之助が入って行くと、宴の席は異様な雰囲気に包まれた。
 座敷に残っていた女二人が、戸惑いつつも場をとりなそうと、顔に笑いを貼りつけて腰を浮かせたり、両手をうったり、慌てた様子を見せる。だが、そんななか、何を考えているのか分からない顔で三人を交互に見ていた喜八郎が、松之助の敵娼に向かって大仰な舌打ちをした。
「おまえ、それでも客商売かい。何があっても丸く収めて、にっこりっていうのが吉原の女の矜持だと、私は思っていたのだがね。なんだい、その顔は」


(四)川

 松之助が帰るというので、伊兵衛も一緒に帰ることにした。喜八郎は泊まっていくという。
 吉原の唯一の出入り口である大門を出るとき、
「軽くもう一杯やっていかないかい。若松あたりなら少しのんびりさせてくれるだろう」
と声をかけると、松之助はその誘いを断らなかった。
 若松は山谷堀にある船宿の名である。伊兵衛たちは、いつも吉原の行き帰りにそこを使う。
 日本堤を歩き若松の前まで来ると、松之助が、
「少し、川を見たいな」
と呟いた。
 日本堤からずっと、傍らには水の流れがあったのだが、松之助の言う川とは隅田川のことに違いなく、伊兵衛は、
「悪くないな」
と応じ、若松の前を通り過ぎた。
 そうして歩みを進め、隅田川の岸まで辿り着くと、強い川風が伊兵衛と松之助の体を叩くように吹いた。二人で思わず身を縮めたが、一瞬のことだった。
「酔い冷ましには、ちょうどいいな」
「……うん」
 まるで暗い海のような川面を、幾艘もの猪牙舟(ちょき)の灯りが行き交っている。その多くが、伊兵衛たちと同じ、吉原通いの客を乗せた舟だ。
 二人で黙って、行き交う灯り、水に映る灯りと、波間に覗く闇の深さを眺めていた。いつもは何も思わない岸を打つ波の音が、やけにくっきりと、まるで形を持つもののように耳に届く。
「私のこと……狂っていると思っているのだろう?」
 掠れ声が、松之助の唇から漏れた。伊兵衛は川面から目をそらさぬままで、
「分からない」
と答えた。
「私はお前の友達だ。だから、話を聞くまで分からない。お前は……その子供が、好きなのか?……その、好きというのは――」
「ああ、そうだ……」
 溜息のような、けれどもおよそ松之助らしくもない、吐き捨てるような口調だった。
「気づいていたのだろう? だから私の後をつけてきたのだろう?」
「……お前の様子がおかしくなるのは、錦屋で、はるいやこまいを相手にしているときだけだった。……なあ、お前は、廓の子供なら、……その……、いつかお前の好きに……だから……」
「……違うよ」
 松之助が手にしている提灯が大きく揺れて、「違う、違うよ」と、絞り出すような言葉が続く。
「私は……私は……廓の子供が好きなのだ」
 しばしの沈黙の間に、また、強い風が吹きつける。
「……廓の子供は、他の子供と違うのか。そりゃ格好や暮らし向きは違うが、客をとっているわけでもない、ただの子供じゃないか」
「大違いだよっ」
 突然、松之助が提灯を持っていない方の手で、伊兵衛の襟を掴んだ。二、三度荒い息を吐いた後、体を離す。
「一度廓に入ってしまえば、晴れて堅気に戻れる女なんて、ほとんどいやしない。あの子たちは、親の都合で売られてきて、生涯、抱え主に言われるまま、男を喜ばせようと、そのためだけに一生懸命に生きるんだ。そう決められているんだ。まだ客をとらない今だって、小さな体で姉女郎の言うままに、くるくると働いて……。あの子たちを見ていると不憫で、泣きたくなる」
「それは子供じゃなくたって、一人前の女郎だって同じじゃないか。いや、客をとる勤めがある分、女郎の方が辛いだろうよ」
「お前は分かっていない。女は、女になると、鈍くなる。ずるくなる。男に求められたり、他人を悪し様に言ったり、そんなつまらぬことを本気で喜ぶようになる。それは素人女も玄人女も変わらない。気持ちが悪いよ」
「……気持ちが悪いって。お前、あんないい女房が……」
「ああ、気持ちが悪いよ。終始にこにこして、実家(さと)の母親から簪をもらっただの、新調した着物を誰々に褒められただの、そんなことばかり口にする。夫婦らしいことはほとんどないが、『早く跡継ぎを産みたい』にもうんざりだ。自分が満たされることを当然と思う女なんて、うんざりなんだよ」
「おい、松之助……」
 思わず伊兵衛は、松之助の肩に手を置こうとしたが、こちらを見た松之助の目に、白い熱が満ちているのを見た途端、その手を引っ込めた。
「なあ、伊兵衛。本当の女っていうのは、純で、まっすぐで、不憫で、見ているだけで涙が出るくらいじゃなきゃいけないって思わないか。私にとっての女は、あの子たちだけだ。なにがおかしい」
「……不憫というなら尚更……お前はその不憫な子供に、手を出そうとしたじゃないか」
「ふん。おかしなことを言う」
 松之助が唇をゆがめて笑う。提灯に下から照らされた顔は、いたるところに深い影を作っている。
「伊兵衛、さっきお前は言ったじゃないか。女郎は辛いと。じゃあ何故お前は、廓などに行くのだ。どうして女郎は客に不幸な身の上を語りたがり、客はそれを喜ぶのだ?」
「それは……」
「ふふ、私はあの子たちが可愛くて仕方ない。どうしようもなく可愛くて仕方がない。一日中、あの子たちのことばかりを考えて、どうにもならなくて、苦しくって、死んでしまいたいのだよ。なあ、私とお前たちと、どれほど違うと言うんだ。私のどこが特別なんだ」
 思わず顔を背け、黒い川面を見ながら、伊兵衛は奥歯を噛みしめた。


五)仲之町

 その夜が、伊兵衛にとって松之助を見た最後となった。
 二人で黙ったまま別れて、十日ほど経ったある日、いつも必ず誰かに声をかけて外に出るはずの松之助が、突然店からいなくなったと知らせが入った。伊兵衛も奉公人たちに手伝わせて、思いあたるところを探したが、とうとう見つけることは出来なかった。
 一月と少しが過ぎた頃、松之助が主であった薬種問屋は、親戚の密かな話し合いの末、松之助の女房の従弟にあたる男がその女房と夫婦になり継ぐと、内々に決まりかけていた。
 松之助だけが抜け落ちて、日々の暮らしは穏やかさを取り戻した。
 おっとりとしつつも生真面目だった松之助は、伊兵衛とあまりに性格が違った。そしてあの夜、松之助が打ち明けた心の内は、伊兵衛には到底頷きえぬものだった。
 だから、松之助がどうしていなくなったのか、どうなったのか、伊兵衛には想像もつかない。ただ伊兵衛は、松之助を探している最中、まさかと思いながら、一度だけ吉原に足を向けた。日が暮れ、夜見世が始まったばかりの時間だった。
 大門をくぐり、いつも通り錦屋への道筋を行こうとしていた伊兵衛は、ふと足をとめて、まっすぐに前を見た。
 大門から吉原の中心を貫く大通りは、仲之町と呼ばれ、吉原で最も華やかな場所である。
 通りの両側に軒を連ねる引手茶屋の灯り、そして、通りを行き交う大勢の男たち、男たちの表情、賑わいを改めて見渡したとき、不意に伊兵衛の耳に、松之助の声が蘇って来た。
 ――私とお前たちと、どれほど違うと言うんだ。
 伊兵衛の胸を、締めつけられるような痛みが襲った。
 (違う、まったく違う、違う……。私は決してお前のことなど、分かってやりはしない……。お前など、友人ですらない……)
 仲之町の光景に背を向けた伊兵衛は、足早に吉原を後にした。


(六)付記 2010年、夏

 西暦2009年、二人の男が、東京のある大学に入学した。二人の名前は悠太と健介。それぞれ伊兵衛と松之助の生まれ変わりなのだが、無論、二人はそんなことを知る由もない。
 悠太と健介は、入学と同時に、映画サークルに入り、すぐに親しくなった。十五分程度の地味な短い映画をいくつか撮り、二年生になった今、二年生が事務の中心になるというサークルの慣例に従い、部長と副部長の座にある。
 遅めの梅雨明け、そしてテスト週間明けのある日、二人は夏本番の陽射しと熱気に早くもうんざりした気持ちで部室にいた。
 部室のなかは、部員たちが「何かの撮影に使える」と拾い集めてきた、古いちゃぶ台や太い木の枝などが散乱しており、そのなかで、一台きりの扇風機が、時々きしみながら首を動かしている。
「なあ、次の、どんなのにする?」
 悠太が扇風機に合わせて首を振りながら聞くと、健介はめくっていた機材カタログから顔を上げた。
「……実写って、面倒くさいよなあ。結局学生ばっかりで作るから、登場人物も撮影場所も、みんな似たようなのになる。自由がない」
「お前みたいな特殊なオタクに好きに作らせたら、何が出来るか分かったもんじゃないじゃん。とりあえず、女の子オーディションだろ。ロリコン。そんでいろんな境遇のけなげな女の子たちが、いろんなエロと、いろんな不幸に見舞われるのが延々と続くんだろ」
「軽く言うね。俺に本気で作らせたら、すっごいよ。お前もこっちの世界になっちゃうよ。っていうより、俺のツボが分かるだけで、お前素質あるし」
「絶対ないない。俺、昔っからアネゴ系にしか興味ないもん。つか、お前、部屋にあるマンガ、マジ処分しなきゃヤバイよ。彼女できないどころの話じゃないって。人としてヤバイね」
「知ってる? 俺のコレクションって、アメリカじゃ持っているだけで罪になったりするんだよ。俺、今の日本に生まれてきて良かった。幸せ」
「うわっ、話通じねえ。……なあ、犯罪起こすなよ」
「平気。俺、今んとこ現実の女の子興味ないから。だって、フィクションで、けなげな子って設定だったら、本当にけなげだけど、現実はそうとも限らないじゃん。」
「ああ、もう分かった。お前、性格はすげえいいのに、趣味だけがなあ……。お前とつるんでると、俺まで女運なくなりそうだし。……なあ、たとえば時代劇に出てくる花魁みたいに、本当はすげえ大変なことばっかなのに顔色変えないで、しゃきっとしてて、でも俺だけにちょっとだけ弱みを見せてくれるようなアネゴ系って、一体どこにいんのかね」
「だから、こっちの世界」
「それはもういいって。……最近分かってきたんだけど、自力で地道に探すのって結構無理」
「ちょっと先輩たち、そんな濃い話、外に垂れ流されると余計暑いし、映画サークル、ヤバイって言われちゃいますよ。階段上ってきたときから、超聞こえてるんですけど」
 笑いながら、唇を尖らせて入ってきたのは、一年生の新入部員、玲奈だ。とにかく明るい性格で、よく喋る。
「第一そんな、性格とかだけじゃなく境遇まで揃ったファンタジー追っかけてると、先輩たちどっちも、延々と童貞ひた走っちゃいますよう」
「おい、お前……」
 悠太と健介は、自分たちが江戸時代に友人であった伊兵衛と松之助という男の生まれ変わりとは知らなかった。
 だから勿論、玲奈は、自分が江戸吉原で、無口なまま大人にならずに死んだ、こまいという少女の生まれ変わりだとは知らなかった。

          了







最終編集日時:2010年12月14日 13時43分

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10/21 08:25 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、方向感の出づらい展開。
10/19 08:33 「本日のマーケット」(FX編)・・・午前11時に発表される中国の一連の経済指標に注目
10/19 08:23 「本日のマーケット」(株式編)・・・午前11時、中国経済の指標しだい。
10/14 08:48 「本日のマーケット」(FX編)・・・昨日に続き中国の経済指標。米9月小売売上高。
10/14 08:31 「本日のマーケット」(株式編)・・・前日の動きが継続し軟調な展開。
10/13 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円大台を中心に方向感に欠ける動きが当面続きそう
10/13 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・5日線(前週末9日時点で1万8218円)が下値を支え
10/05 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京タイムではドル円やクロス円は押し目買いが優勢
10/05 08:34 「本日のマーケット」(株式編)・・・続伸後、日経平均株価が1万8000円に迫る。
10/04 12:07 江戸浅草物語13「天海僧正の結界が破られる時、魔界の者たちの進撃が始まるのか」 (無料公開)
10/02 08:44 「本日のマーケット」(FX編)・・・米雇用統計を控えた様子見姿勢
10/02 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・週末要因や米雇用統計を前にポジション調整
10/01 08:47 「本日のマーケット」(FX編)・・・9月日銀短観、9月中国製造業購買担当者景気指数(PMI)などが材料。
10/01 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・欧米株式の上昇を受けて買いが先行後、もみ合い。
09/30 08:52 「本日のマーケット」(FX編)・・・日中は119円後半のもみあい
09/30 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・反発後、上値が重い展開。
09/29 08:55 「本日のマーケット」(FX編)・・・株安・円高パターンの継続はドル高圧力を後退
09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
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