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花魁のねずみ
[【時代小説発掘】]
2010年7月25日 15時24分の記事



【時代小説発掘】
花魁のねずみ
篠原 景 


【梗概】: 
行方知れずになった花魁のねずみ。巻き起こる騒動とは。

【プロフィール】:
篠原 景。2000年より大学で史学に没頭、時代小説の道へ。敬愛するのは東西のロックの神様。

これまでの篠原 景の作品:
「かまきりと遊女」
「遊女の絵筆」 
「廓の子供 」

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【時代小説発掘】
花魁のねずみ
篠原 景 



(一) 小雪、消える

「小雪(こゆき)がっ、小雪がおりんせんっ」
 妓楼の看板花魁、深山(みやま)の悲鳴が見世に響き渡ったのは、まだ夜明けまで少し間があろうかという頃で、見世の女たちは泊まりの客を送り出したり、二度寝の床につこうとしている最中であった。
 安政六年秋、江戸吉原角町、丸岡屋でのことである。
 掃除その他の雑用を勤める中郎として丸岡屋に住み込んで三年、今年二十三になる庄太は、ちょうど小用に向かう途中、「誰かっ、誰かっ」と取り乱す深山の金切り声を聞いた。
(小雪って……ああ、あの白ねずみか……)
 吉原では、基本的に、遊女が動物を飼うことを禁じておらず、何と言っても多いのが猫であった。そして禿と呼ばれる、まだ遊女にならない少女たちには、小ねずみの人気が高い。
 深山の場合は、禿のときからずっと、小ねずみを飼い続けており、今、彼女の居室には、ねずみを入れるための大きな瀬戸火鉢が置かれている。上にはわざわざ人を呼んで作らせた金網の蓋をつけたもので、中には毎日取り替える新しい藁と吟味された餌、遊べるようにと小さな雛道具まで入れられている。
 深山に言わせれば、
「わっちが勤めに精を出し、うんと稼げば、わっちのねずみは、うんといい暮らしが出来るでござんす。それが嬉しい」
ということらしい。
 ねずみの寿命はせいぜい二年くらいのものだから、深山がこれまで何匹のねずみを飼っていたのかは、誰も知らない。だが、深山が小雪と名付け、今飼っているねずみは、なんでも毛の色艶、顔立ち、なつき方と、どれをとってもとびきりのねずみらしい。深山の可愛がりようも尋常ではない。
 (ねずみがいなくなりゃ、そんなのどっかで猫に食われてるに決まってら。でもしばらくは花魁が騒ぐかねえ……)心の中で呟いた庄太は、まだこの一件に自分が関わらされるなどとは、小指の先ほども思っていなかった。


(二) 深山、泣きじゃくる

「深山が頑固で、しょうがないんだ。だから、頼んだよ」
 おかみのおきたが、簪の足で耳の横を掻きながら、面倒くさそうに言う。
 昼の掃除の最中、内所に呼び出された庄太が命じられたのは、深山の飼いねずみ、小雪を探し出す仕事だった。
 おとついの朝、小雪がいなくなったと知ってからの深山の慌てよう、嘆きようは、すさまじいものであった。小雪の好物を持って見世中を駆けまわり、主人夫婦にも、自分の助けを待っているに違いない小雪を探す人手を貸してくれと訴える。
 位の低い遊女なら、「頭を冷やせ」と怒鳴りつけ、飯抜き、折檻とでもするところだが、深山は丸岡屋の看板である。客の相手が上の空になっては本当に困るのだ。
 結果、見世の下働きでも一番若い庄太が、この厄介な仕事を押し付けられることになった。
「まっ、気が済むようにしてやってくれってことさ」
 庄太は両手を膝に置いて、「へえ」と応える他にない。
 深山の部屋に鍵の一つでもあれば話は別だが、そもそも妓楼は、人の出入りも見世の中の人の動きも激しい。あてがないにもほどがあるが、それを言ってもどうしようもない。
 内所を出て、憂鬱な気持ちで深山の部屋に向かった。
「花魁、失礼いたしやす」
 部屋に入った庄太を迎えたのは、せっかくの美貌も台無しの泣き腫らした様子で、大きな火鉢にもたれていた深山だった。
 深山がねずみを飼うのに使っていたそれは、物を見る目など全くない庄太にも一目で相当な物と分かる品だ。つやつやと輝く白い器肌全体に青色で緻密な山水画が描かれている。
「お前……お前が小雪を探してくれるのかい」
「へえ。そう言いつかりやした」
 庄太が小さく頭を下げた途端、深山は大きな音をたてて庄太のところへ這ってくると、両方の腕を強く掴んだ。
「頼みんすっ。小雪はきっとどこかで、助けを待っているんだ」
「おっ、落ち着いてくだせえ。まずは……そう、小雪……ちゃん……てのがいなくなるめえに、花魁がどうしていたか、お聞きしましょうか」
「どうして。探すのは、わっちじゃなくて小雪だろう?」
「ほら、どこに手がかりがあるか、わかりやせんから。どれ、まずは前の晩あたりから」
 深山を宥める庄太の本心は、どうせ見つかりっこないねずみ探し、とりあえずは深山の話でも聞いて、時を潰そうというものだった。あてがなくたって、何かはしなければならない。
 しかし庄太の言葉に深山は納得したらしい。大きく頷いて、小雪がいないと分かる前の晩は、常連の油問屋の主人や蝋問屋の隠居、さる藩の留守居役、それから年に二度ほど京都からやってくる羽振りの良い商人が一度に来て、目の回る忙しさだったことを語った。
「どれも名代をたてて済むようなお人じゃありんせん。泊まっていかれたのは京都のお人で、わっちは一度もこの部屋には戻らずにおりんした。だから小雪を最後に見たのは三日前の夜見世の前。翌朝見たら、金網の蓋が外れていて、中が空で……」
 そこでまた新たな涙が深山の両目から溢れ出す。
「ねえ、庄さん。わっちは福丸が怪しいと思っておりいす」
「福丸?……ああ、菊舟さんとこの」
「あの猫畜生、一度この部屋に入ろうとしたことがありんした。だからまたいたずらしようとして、それで小雪は、でも小雪は賢いから、きっとうまく逃げ出して……」
「……わかりやした。菊舟さんのところに行ってみやしょう」
 泣きじゃくる深山を持て余し、庄太が腰を浮かせる。すると深山は「あっ」と声を出して、火鉢の横に置いてあった紙包みを掴むと庄太の胸に押しつけてきた。
「これ、小雪のご飯。きっとお腹を空かせておりんしょうから、ねずみの通りそうなところに、盃に入れた水と置いておいておくんなまし。わっちよりも、日頃掃除をしている庄さんの方が確実だ」
「……へえ、確かに預かりやした」
「どうか、どうか、頼みんす」
 いつもは権高な深山が、額を畳につけんばかりにして、庄太に手を合わせる。


(三) 福丸、見つめる

 丸岡屋で深山に次ぐ人気を誇る菊舟は、荒れ狂っていた。少し吊り気味の目や眉が、より一層吊り上がっている。
 理由は聞かずとも分かる。菊舟の愛猫が、小雪の一件が落ち着くまで用心のためと、彼女の居室から出るのを禁じられているのだ。しかも人の出入りがあるときは、いちいち首につけた紐で繋がれる。
「挙げ句、深山さんは、今回のこともこの子に濡れ衣を着せているそうだね。わっちはもう、我慢がならない」
 腕の中の猫を抱きしめながら、菊舟は庄太に向かって吠えた。
 福丸という名のその猫は虎毛の雄猫で、大きな目とすっきりと通った鼻筋が特徴の顔を、まっすぐに庄太に向けており、庄太は福丸の鼻が動くたび、猫にまで責められているような気持ちになった。
「ねずみが何だい。あんながさがさ動くだけのもの。福丸はね、わっちの気持ちを誰よりも分かって、わっちが辛いときはいつも寄り添っていてくれる、気持ちの細やかな子なんだ。金と客とに追いまくられる女郎暮らしでわっちがこうして荒まないでいられるのは、他ならぬ福丸のお陰だよ。そんな子なのに、罪を着せられて、閉じ込められて、可哀想じゃないか」
「……へえ」
「前だって、福丸が深山さんの部屋の前にいただけで、福丸がねずみにいたずらしようとしたと言って、深山さん、そりゃあひどく、福丸をぶったんだよ。もうたくさんだっ」
 菊舟は、しばらく荒い息を吐いた後、庄太に向かって話す声とは全く違う甘い声で「ごめんよ、福丸。もうちょっとで好きにお散歩出来るからねえ」と言いながら、再び福丸を抱きしめる。
 深山に言われて、一応やって来た庄太だったが、実のところ深山の部屋は、福丸や野良猫を警戒して、日頃からしっかりと閉じられていたし、金網の蓋も、外れにくい工夫がなされていたと分かっている。
 庄太自身、多分福丸は違うと思っているのだ。加えて、こちらを見つめている福丸の目が、やりにくいことこの上ない。
 もう話すことは何もなく、庄太が部屋を出ようとしたそのとき、菊舟が面倒を見ている禿が部屋にやってきて、姉女郎にそっと耳打ちをした。途端、菊舟は鬼の首を取ったような顔になり、顎を上げて庄太に言い放った。
「庄太さん。この子がよしののねずみを調べた方がいいと言っておりいす」
「よしのの……?」
「よしのは白に黒ぶちのねずみを飼っているが、日頃から、深山さんの白ねずみを羨ましがっていたそうな」
 庄太が「わかりやした。確かめてみます」と頭を下げた瞬間だった。福丸が菊舟の腕を抜け、禿の開けた襖を抜け、外へと飛び出していった。あっという間の出来事だった。
 しかも、二日間閉じ込められ、紐にまで繋がれたことが余程嫌だったのか、それきり帰ってはこなかった。
 福丸が別の見世に居ついたらしいという噂が丸岡屋に届いたのも、菊舟が何日もの間、「人も猫も、男なんざうんざりなんだよ」と荒れ狂い続けたのも、後の話である。


(四) よしの、悲鳴を上げる

 よしのは、菊舟のところの禿より一つ年下で、今年九つになる禿である。
 庄太は、よしのが黒ぶちのあるねずみを二匹飼っていることも、深山のところの小雪に興味を持っていたことも知っていた。そして、菊舟のところの禿が、見せてと頼めば見せてもらえはしても、本当は自分でもねずみを飼いたくて、よしのを羨ましがっていたのも知っている。姉女郎が猫好きでは、ねずみを飼いたいなどとは言い出せないのだ。
 ただよしののねずみを見てくれば良いだけなら、楽な仕事だった。だが、菊舟のところの禿の言い分は、すさまじいものだった。
「いくらよしのでも、二匹のねずみが三匹になったのを隠せるわけがない。きっと、飼っているねずみの一匹が死ぬか何かでいなくなったのを、いい機会だとばかりに、花魁のとこから小雪を盗ってきて、墨でぶちを染めて飼っているんでありんしょう。ねずみはみイんな似たような顔をしているもの。よしのなら、それくらいやりんす」
と言うのだ。
 福丸の姿が見えなくなり、興奮している菊舟もそれに加勢し、庄太としては知らぬふりが出来なくなった。
 一応よしのの姉女郎に断りを入れにいくと、姉女郎は常日頃から感情の動きのない女で、たいして興味もなさそうに「好きにしてくれ」と言う。
 庄太はひどく億劫な気持ちで、よしのを探し、台所で魚屋が置いていった魚を眺めていたのを捕まえると、井戸横に飼っているねずみを連れてくるよう告げた。
「庄太さん……この子らが何かしいしたか?」
 よしのは二匹のねずみを、素焼きの小ぶりな火鉢に入れて飼っている。それを持ち運ぶときに使う壺に移し、井戸端に現れたとき、よしのはひどく不安げで、今にも泣き出しそうだった。
「深山さんのとこの小雪がいなくなったのは知っているだろう? 念のため、おいらもいろいろ調べなきゃなんねえのよ」
「わっちは小雪を盗ったりしないっ。この子らの名は白と黒っ。毛の色だって全く違いんすっ」
「だから念のためだ。見せてみねえ」
 とんでもない敵役、憎まれ役になった気持ちで、庄太はよしのの手から壺を奪い取る。壺の中では、白毛に黒ぶちのある二匹のねずみが、落ち着かぬ様子で壺の内側を爪で引っかいたり、狭い底を走ろうとして転がったりしていた。庄太の目にはどちらも同じに見えるねずみだ。
 溜息をついて、予め水を汲んでおいた半挿(はんぞう)を手元に寄せる。
「庄太さんっ、何をしいすっ」
 よしのが悲鳴を上げて飛びかかってきたが、庄太は構わず、二匹のうちの一匹を掴み、半挿の水に浸して揺する。庄太に食らいついたままのよしのの悲鳴が泣き声に変わったが、黙って黒ぶちのあたりを指でこする。
 水から引き上げたねずみは、きしむような泣き声をたてながら暴れていた。しかし毛の模様に変化はない。
 庄太は文字通りの濡れねずみを元に戻しながら、泣きじゃくるよしのに、「洗って落ちなけりゃ、おめえの疑いも晴れる。少しの辛抱だ」と声をかけ、もう一匹も同じようにする。
 あれこれ説いて聞かせるよりも、さっさと疑いを晴らしてやるのが庄太なりの、幼い禿に対する気遣いだったのだが、ただならぬよしのの泣き声に人が集まってきて、そのなかに深山の姿もあった。
「まあ、庄さん。一体何をしておりいす」
 泣きじゃくるよしのから、何とか訳を聞き出した深山は、怒りをあらわにした。
「わっちはそんな惨いことをしてくれと頼んだ覚えはありんせんっ。第一小雪かどうかは、わっちが見ればすぐにわかること。こうしている間にだって、小雪は難儀しているに違いないのに、正気かえ」
 吐き捨てるように言った後、よしのと肩を並べて壺の中のねずみを覗き込む。
 ねずみは衝撃のあまり、踞って動かずにいたが、しばらくその様子を見ていた深山が、
「この様子なら……」
と溜息まじりに呟いて、よしのの頭を撫でた。
「心配いらない。じきに元気になる。体を拭いてやりたいところだが、今は怯えているから、そっとしておいた方がいい」
 しゃくりあげていたよしのが「本当に?」と深山の顔を見上げると、深山はよしのの頬に両手をあてた。
「今回のことは、わっちにも責任がある。だから一つ相談。よしののねずみに、小雪が住んでいるのと同じ家をあげたいのだが、どうだろう。周りにはわっちから断りを入れておこう。それで許してはくれないかえ」
「……小雪と同じって、あのおっきな火鉢を白と黒に?」
 深山が頷くと、よしのが、今度は喜びのあまりに悲鳴を上げた。


(五) 勢八、狼狽する

 庄太は不貞腐れていた。なにせいたずらに禿を泣かせたと、一方的に非難されているのだ。
 しかしここまで騒ぎが大きくなってから、菊舟とのやりとりを皆に告げることは出来なかった。廓のなか、一つの見世に閉じ込められた女たちの関係は複雑だ。しかも菊舟は気性が荒く、敵も多い。何が起こるか分かったものではない。
 だから今、庄太に出来るのは、不貞腐れることだけなのだ。
 ただ、もう小雪探しはやめたいと思っていた。どうせ見つかりっこないのだ。
 後は深山に言われた餌と水の支度だけして、と心に決めた庄太のところへ寄って来たのは、お針のおかつだった。そろそろ四十になろうかという女で、丸岡屋には住み込みで働いている。
「小雪ってねずみを探しているんだろう? 私はね、勢八さんが怪しいと思うんだよね。あの人、畜生の類は犬だろうと猫だろうと、嫌って、すぐ悪態をつくし、この前、行灯をねずみに齧られたって怒っていたし。それで、そこいらの奴より大事にされている花魁のねずみに、ついかっとなったんじゃないかね」
 勢八は、遊女たちの部屋の行灯に一晩中油をさして廻る、油さしや不寝番(ねずのばん)と呼ばれる役目の男で、年は四十半ば、おかつとは仲が悪く、日頃から何かとやり合うことが多い。庄太は適当にあしらおうと思ったのだが、強引なところがあるおかつは、早速庄太の袖を掴んで、「とりあえず話は聞いてみなくっちゃ」と引っ張っていく。
 勢八は一階の廊下のつきあたりで、まだ年若い振袖新造の初音(はつね)と立ち話をしていた。
「ほら、庄さん」
 おかつに背を突かれて、庄太は半ば自棄っぱちで勢八に歩み寄る。もう、誰に嫌われてもいいような気持ちになっている。
「あの……勢八さん、すみませんが、ちょいといいですか」
「ああ、どうした」
「花魁のねずみのこと……」
「……どうして俺に聞くんだ?」
「だって勢八さん」
 後ろからおかつが、強力な助け舟で庄太の後頭部を殴る真似をした。
「勢八さん、畜生の類が大嫌いだろう? だから何か知っていることがあるんじゃないかって、庄さん、気にしているんだよ。答えておやりよ」
 勢八の顔が、みるみる怒り顔となった。突然、一方的な言い分で罪を着せられたのだから当然である。
 だが、同時に甲高い笑い声を上げたのは、傍らにいた初音であった。
「それは見当外れもいいところでございんすよ、庄さん、おかつさん」
と言いながら、撫子柄の、薄紅色の着物の袖を、口許にあてて笑っている。
「勢八さんはね、本当は、いわゆる畜生の類が可愛くって仕方がないってお人でありんすよ」
「どういうことだい?」と眉を寄せたおかつ、何がなんだかの庄太、そして勢八を順に見比べながら、初音は笑い続ける。
「ごめんね、勢八さん。隠していたのは知っていたのだけれど……。でも、振袖だろうが、若かろうが、女郎は女郎。見世内で、女郎の目を見くびってもらっては困りんすよ。勢八さん、よく隠れて犬猫を撫でたり、餌をやったりしておりいすもの。第一犬猫が勢八さんを、ちっとも嫌っていない。おかつさん、見ていても気がつかずにおりんしたのかえ?」
 嘲るように言われ、少々むくれたおかつに向かい、初音は「嫌って見せるは照れ隠しイ」と節をつけて声を響かせた。実に楽しそうだ。
「ここまできたら、隠しっこなんて野暮はなし。勢八さんの照れ隠しは、おかつさんに対しても同じことと見たりイ」
「お……初音っ」
 狼狽した声を出した勢八の顔が、突然真っ赤になった。
 口を開けてそれを見ていたおかつの顔も、ゆっくりとであるが、赤味を帯びていく。急に顎を引いて唇をすぼめた表情は、今まで見たことがないものだった
「いくつになっても、色恋とは良いものでござんすねえ。勢八さん、これに懲りて、もうおかつさんに意地を張るのは止めるでありんすよ。あい、それではお二人とも、仲むつまじゅう……」
 好き放題言って、初音は心底面白くて仕方がないという様子でその場を去っていく。
 庄太も慌てて後に続こうとしたが、なぜかおかつに目で引きとめられた。ゆえに立ち去ることも出来なければ、他に出来ることもなく、落ち着かないまま体を揺らしていた。
 だから後ろから、
「庄さん」
と自分を呼ぶ声がしたときは、一瞬、救いの神だと思った。
 だが振り向いて、小走りで近づいてくる女を見て、げんなりとした。
「ねえ、小雪の手がかり、ありましたかえ」
 深山だった。


(六) ねずみと事の行方

 まだ正月飾りを外したばかりの江戸の町を、穏やかな陽光が包んでいる。
 神田佐久間町の油問屋、高田屋の店先に、今年八つになるこの店の一人娘が出て来た。
 娘が大事そうに両手で持っているのは、木と硝子(ぎやまん)で作られた、太鼓のような形の金魚鉢で、中には白ねずみが入れられている。
 さくら、と名付けられたこのねずみは、普段は娘が親に頼んで特別に作ってもらった金網の箱の中で飼われているのだが、たまにこうして金魚鉢に入れられて、持ち運ばれる。家の庭や近くの遊び場で、娘の話し相手になるのだ。遊び相手に見せびらかされることもある。
 娘の父親、徳兵衛は、吉原角町丸岡屋の遊女、深山の馴染みである。
 深山が飼いねずみの姿がないのに気づき、大騒ぎになる前夜、徳兵衛は苛立っていた。
 徳兵衛は、深山と馴染みになって久しい。これまでも、何かにつけて必要な金を、請われるままに出してやってきた。深山にとって一番頼りになる男、一番待ち遠しい男との自負があったからだ。
 しかし最近、深山の人気は上がる一方で、せっかく徳兵衛と二人きりになっても、廓の若い者が「深山さん、ちょっと」と呼びに来ることが立て続いた。
 廓とは、売れっ妓とはそのようなものだと分かっている。分かっているが、言われるがまま、部屋を出て行く深山が腹立たしい。私は他の客と同じかと、嫌みの一つも言いたいが、それで見世中の者から白い目で見られるのはもっと嫌だ。
 やり場のない怒りを持て余した徳兵衛はあの夜、深山との共寝の後、前から知っていた深山の居室に忍び込んだ。
 狙いは深山の自慢の飼いねずみだ。困らせてやろうと急に思いついたのである。
 無論、万が一見つかっても、上客である自分が見世に厳しい扱いを受けることはないだろうとは計算済みである。
 部屋に入るのは予想以上に簡単で、もっと気の利いた布の袋でもあれば、と思いながら、財布の中身を別に移し、手探りで掴んだねずみを財布の中に入れた。
 当然ながら、ねずみは、きしむような悲鳴を上げながら身をよじった。だが、このねずみこそが、深山に最も大切にされているのだと思えば、憐れみは感じず、躊躇なく財布ごと懐に入れた。
 後は、辺りを確かめながら深山の部屋を出て、手にした襟巻きで懐をかばいながら一階へと下り、見世を出るだけである。
 入り口でおかみの挨拶を受けたが、入り口付近は客の出入り、女たちの声と、とにかくやかましい。不審に思われるようなことはなかった。
 そのまま帰るつもりでいたが、まだ大門を出ぬうち、足を止めたのは、懐のねずみの暴れようが尋常ではなかったからである。(このままだと狂い死にするな……)と思った。
 途中で川にでも打っちゃったら小気味よかろうかと、頭に血を上らせて盗んだねずみだが、秋の夜風に吹かれてみると、事が露見した後のことや、深山の顔が思い浮かんだ。生きて返せるのとそうでないのとでは、話が違うかもしれない、と思ったのだ。
 とんでもない災厄を背負い込んだ気分で、何か手頃な物はないかと裏路地に入ると、並べられた植木鉢が目にとまった。
 ここまで来れば行きあたりばったりである。
 周囲を気にしながら歩み寄り、一つ手にとって土ごとひっくり返す。襟巻きで全体をくるんでから、中にねずみを放した。そうして、出来上がった風変わりな荷を脇に抱え、表通りへ戻る。
 刻一刻と冷え込んでいく夜気に、襟巻きをねずみにとられた首をすくめ、どうして自分はこのようなことをしているのかと忌々しさを持て余した。
 だいたいこのねずみ、どうするのだと、帰り道を急ぐ間ずっと考えていたが、娘にでもやるしかないようだった。
 家が近づくにつれ、〈一寸の虫にも五分の魂〉なぞという言葉が頭に浮かぶようにもなっていた。今更、寒空の下に捨てられない。
 それ以上は、もう、考えるのも億劫だった。
 ねずみを与えられた娘は、親の予想以上に喜んだ。
 今、ねずみは、娘が目の高さに掲げ持った金魚鉢の中で、毛繕いに勤しんでいる。娘はねずみに、
「ねえ、さくら。お前も着物の一つ、着てみればいいのに。私とお揃いがいいよ。お前なら何でも似合うよ。でも、嫌がるんだろうねえ」
と楽しそうに話しかけ続けている。
 だが、遠くから、
「いたずらものはいないかね。いたずらものはいないかね」
という特徴的な物売りの声が聞こえてくるや否や、娘の笑顔がこわばった。徐々に近づいてくるその売り声は、〈石見銀山ねずみ取り〉という名の殺鼠薬を商うものである。
「怖い怖い。退治されてしまう。さくら、中に入ろう」
 小走りに店の奥へと戻った娘は、今度は中庭に面した縁側に座り、ねずみの白く柔らかな毛や桃色の小さな足の動きを、いとおしげに眺めている。
 同じ頃丸岡屋では、深山が、新しく来たばかりの禿に菓子を与え、うまそうに食べる様子を、いとおしげに眺めていた。
 禿の名は、〈こゆき〉と言う。
 深山に言わせれば、黒目がちな目や、小さく尖った鼻が小雪にそっくりなのだという。
「小雪が、人に姿を変えて、わっちのところに戻って来たでありんしょうか」
と言う口ぶりは、冗談とも思えず、内所で緊張のあまり縮こまっていた子供はこゆきと名付けられ、深山が面倒を見ることになった。
 「嬉しい」と深山は無邪気に喜び、小雪が行方知れずとなってからずっとふさいでいたのが嘘のように元気を取り戻した。
 これで一件落着かと思われたのだが、深山はこゆきを、むやみやたらに可愛がる。
 あれじゃあ、仕込みも何も出来たもんじゃないと、主人夫婦は新たな頭痛の種を抱えている。
 だが、庄太はそのことを知らずにいた。頭のてっぺんから爪先まで、ねずみにも女にもうんざりして、丸岡屋の仕事を辞めていたのだ。
 とりたてて将来(さき)があるわけでもない、明けても暮れてもの下働きに、さして未練はなかった。
「いたずらものはいないかね。いたずらものはいないかね」
とお定まりの売り声を響かせて、男が一人、高田屋の前を通り過ぎる。
 それは、ねずみ取りを売る仕事に商売替えした庄太だった。
「いたずらものはいないかね」
 庄太の売り声が、あたたかな冬空に吸い込まれていく。
                   了

参考 三谷一馬『江戸吉原図聚』(中央公論新社 1992年)







最終編集日時:2011年5月8日 12時44分

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11/15 15:30 〈助太刀兵法46〉北斎蛸踊り(8) (無料公開)
10/26 08:49 「本日のマーケット」(FX編)・・・今週は日米の金融政策イベントに注意。
10/26 08:40 「本日のマーケット」(株式編)・・・ 続伸後に日経平均株価が1万9000円台を回復。
10/21 08:39 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円ちょうどの壁を意識。
10/21 08:25 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、方向感の出づらい展開。
10/19 08:33 「本日のマーケット」(FX編)・・・午前11時に発表される中国の一連の経済指標に注目
10/19 08:23 「本日のマーケット」(株式編)・・・午前11時、中国経済の指標しだい。
10/14 08:48 「本日のマーケット」(FX編)・・・昨日に続き中国の経済指標。米9月小売売上高。
10/14 08:31 「本日のマーケット」(株式編)・・・前日の動きが継続し軟調な展開。
10/13 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円大台を中心に方向感に欠ける動きが当面続きそう
10/13 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・5日線(前週末9日時点で1万8218円)が下値を支え
10/05 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京タイムではドル円やクロス円は押し目買いが優勢
10/05 08:34 「本日のマーケット」(株式編)・・・続伸後、日経平均株価が1万8000円に迫る。
10/04 12:07 江戸浅草物語13「天海僧正の結界が破られる時、魔界の者たちの進撃が始まるのか」 (無料公開)
10/02 08:44 「本日のマーケット」(FX編)・・・米雇用統計を控えた様子見姿勢
10/02 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・週末要因や米雇用統計を前にポジション調整
10/01 08:47 「本日のマーケット」(FX編)・・・9月日銀短観、9月中国製造業購買担当者景気指数(PMI)などが材料。
10/01 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・欧米株式の上昇を受けて買いが先行後、もみ合い。
09/30 08:52 「本日のマーケット」(FX編)・・・日中は119円後半のもみあい
09/30 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・反発後、上値が重い展開。
09/29 08:55 「本日のマーケット」(FX編)・・・株安・円高パターンの継続はドル高圧力を後退
09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
09/20 10:55 〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)(無料公開)
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