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薩摩いろは歌 雌伏編(一) 
[【時代小説発掘】]
2010年8月8日 23時13分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 雌伏編(一)       
古賀宣子



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概:

 大久保利通の原点は「お由羅騒動」ではなかったか。喜界島遠島に処せられた父次右衛門は、流人船で発つ日の朝、正助(大久保利通)とその盟友西郷吉之助に、果たせなかった志を託していく。

・・・・正助は両拳を強く握り締め、錦江湾を進みいく船尾を食い入るように見つめていた。今朝方の父の言葉が蘇る。
「此度の騒動が発覚した一番の因(もと)は、近藤様のご性格にある」
 高崎五郎右衛門とともに自刃した近藤隆左衛門は、物頭町奉行を勤めていた人だ。斉彬襲封に向けて、ことが思うように進まぬため、焦り、激した挙句の猪突猛進振りを、父は指摘した。
「企ては発覚しては何もならぬ。慎重に、念には念を入れど。激しては負けだ」
 よいな。父は吉之助と正助を見据えて、無言で命じた・・・・(本文より)


作者プロフィール:

古賀宣子。年金生活の夫婦と老猫一匹、質素な暮らしと豊かな心を信条に、騒々しい政局など何処吹く風の日々です。新鷹会アンソロジー『武士道春秋』『武士道日暦』『花と剣と侍』、代表作時代小説『剣と十手の饗宴』などに作品掲載。
 当コーナー【時代小説発掘】では、編集担当。

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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 雌伏編(一)       
古賀宣子



仙巌洞

一 生温かい臭気

 軽いいびきが聞こえてきた。父次右衛門である。普段とちっとも変わらぬではないか。この胆力はぜひ受け継ぎたいものだ。大久保正助は座敷を窺いながら、枕元に用意した紙袋を手探りし、二つ折りにした。
 昼間はこの六畳間で客人や仲間と語らい、時には夕刻に会読の集まりを持つ。だから目を閉じていても方角を誤ることはない。立ち上がりざま、跳ね除けた掛け布団に、昼間切った親指の爪がかすかに引っかかる。今朝に備えて父の手足の爪を切りそろえたついでに、自分にも鋏をあてたのだ。
 居間寄りの障子を開け、雨戸を一枚戸袋にしまった。暁の冷気に触れ、思わず肩をすぼめる。この季節になると、さすがに夜着だけでは心もとない。とりあえず木綿羽織に袖を通した。  
 部屋の隅に座し、座敷のふすまを開けると、生暖かい臭気が鼻をつく。が、いつの間にか顔をそむけることもしなくなった。両手を添えて蓋をした木製の角型便器を取り出す。深さは一尺ほどあろうか。下に敷いた油紙が乾いた音を立ててゆがんだ。この春から二百日近く繰り返してきた動作である。
 闇に慣れてくると、斜め前方、細い髷が見てとれる。仏間の方を向いているらしい。父は恰幅がよく、五十七歳という老齢にしては肌につやがあり若々しかったが、この半年ですっかり頭髪は薄くなり、白髪が増えた。
 便器を一たん濡れ縁に置き、昨夜のうちに用意しておいた雪駄を下ろす。植え込みの先は野菜畑だ。月明かりが一面を照らし、手燭の必要はない。手前の、大根を抜いた辺りにしよう。
 戸口と庭を仕切る植木の陰に立てかけておいた鋤で、植え込み近くを掘った。慣れたもので深さの見当は直ぐにつく。先ずは中の物を一度に出してしまう。湿った土や藁に混じって、大便がのぞく。地中に刺した竹箸を使って形と色を確かめ、体調を押し測る。硬さもほどよく、異常はないようだ。続いてちり紙を箸でつまみ、懐から出した袋に入れて捻じ曲げた。
 昨日までは朝餉の後で行うのが常だったが、最後の日ぐらい厠で用を足させてやりたい。藩庁とて、そのくらいは大目にみてくれるだろう。それゆえ父が目覚める前に片付けておきたかった。
 本丸の堀に架かる新橋を渡ったところに琉球館があるが、父はそこの蔵役を勤めていた。そして今年の春、言い換えるなら、嘉永三年(一八五〇)四月八日、次期藩主をめぐっての抗争に連座したとして藩の厳しい咎めをうけ、喜界島遠島が決まった。
 ところが薩摩諸島との往来は三月と十月の二度のみで、秋まで待たなくてはならず、その間、座敷牢を命じられたのだ。ちなみに主犯格と目された高崎五郎右衛門・近藤隆左衛門など六名は、前年十二月三日評定所出頭を命じられた晩に自刃している。処罰はこの四月までの間に行われ、家老島津久武以下切腹十三名、遠島十七名、免職・謹慎十八名など多数に及んでいる。
 仲間内では、嫡男斉彬を擁立する父たちの一派を正義党と、相手方を庶子派と呼んでおり、正助自身も詳しい事情を知らぬまま、手紙の運び役などを担っていた。その罪もあって、正助も記録所勤めを解かれており、しばらくは外部との接触も控えていたのだった。
 薩摩藩では今回のように大量の藩士を処罰した騒動が、四十年ほど前にもあった。文化五年(一八〇八)に起きた「近思録崩れ」である。先々代藩主の島津重豪(しげひで)がその子斉宣の起用した秩父太郎等の政策に激怒、近思録党と呼ばれた一党百十余名を処罰した一件である。いずれも父がその子を取り巻く藩士層を罰したわけだが、近思録崩れは、その後父が子を藩主の座から追い出して決着した。が、果たして今回は・・・。
 この年、正助二十一歳。一昨年までは貧しいながら充実した日々であった。三が日は新年の挨拶回りに費やし、その後は訪ねてきた親類と囲碁を楽しみ、郷中仲間とは、破魔投げといって、両陣に分かれ、棒で破魔を打ち合うのを競い、あるいは父の来客に備えて障子の張替えをするなど・・。
 五月二十八日の夜は、不要になった古傘を集めて墓地の空き地で焼きながら、傘の火を松明代わりにして父の仇を報いた曽我兄弟に、思いを馳せる。
 十月には、夕刻七つ(四時)過ぎから、修理した甲冑に身を固めて妙円寺参りに参加。父の勤める琉球館内の役宅から新橋を渡り、造士館の前を通って千石馬場へ。進むにつれ見物人は次第に増え、貴賎の老若男女数しれぬほどだった。途中水上坂(みつかんざか)の上で、西郷吉之助ら加治屋町方衆と待ち合わせて同道。翌朝戻るまでの四里半の行程は、あたかも戦場に臨むごとく気分が高揚し、そして迎えてくれた父の笑顔が疲労を吹き飛ばした。
 一昨年の十一月末には父や叔父たちと桜島の温泉で数日を過ごした。同じころ、このたびの主導者の一人とみなされた高崎五郎右衛門も入湯しており、父が部屋に呼ばれることも何度かあった。自刃するまで高崎五郎右衛門は船奉行家老座書役勤奥掛を勤めていた。
 これは後になって分かったことだが、すでに嘉永元年の時点で正義党の鬱憤は破裂寸前だったようで、ある者は、現藩主斉興を鼻毛の長い「大愚州」と、露骨に批判していたという。騒動について詳しい経緯は聞かされていないが、正助からみても斉興の姿勢には首を傾げざるをえない。というのは、亡くなった正室の子である斉彬は、すでに四十歳を過ぎており、しかも英明といわれている人だ。なぜ跡を継がせないのだろうか、と。それはどうやら、斉興が寵愛している側室お由羅の存在が大きいらしいのだ。
 二人の間には、一門家の一つである重富家を継いでいる忠教(ただゆき)がいて、お由羅は実子を次期藩主にと推し、斉興もその積りらしい。斉彬の子女が次々に夭死するのは、お由羅が調伏(じょうぶく・のろう)しているからだと。そのため正義党ではお由羅を姦女(かんじょ)と罵っている。
 斉彬擁立を阻止する庶子派をいかにして除くか・・・。
 今にして思えばあの日も、父は高崎五郎右衛門に呼ばれて密談していたのかもしれない。その斉興に従って出府していた家老の調所笑左衛門が、江戸で服毒自殺したと知ったのは、温泉から戻った、その年の瀬も迫ったころであった。
 それから二年を経た十月四日の今日、父は流刑地へ向けて、御城下から一里ほど離れた吉野村の海浜から出帆する。家族もそこまで見送るつもりだ。台所ではすでに、母ふくが家僕嘉介になにやら命ずる声がしている。


二 母方祖父


 昨夜母は、台所で父の荷物の最後の改めをしていた。この一月ほど何度荷を開いていたことであろう。中の物を取り出しては一つ一つ確かめていく。それを繰り返していた。その荷を正助は浜まで背負っていく。そのため裏の納屋から出してきた背当(せなあて)を背負い梯子に縛り付けているところであった。荷を閉じ終えた母は、しばらく座敷の方へ視線を向けたまま動かない。春以来、気が張っていたせいか持病の癪を一度も起こしていない。
「母上様、ゆうと気丈に」
 父が赦されて戻ってくるまでは口にすまい。そう心していたのだが、つい・・・。それでも「よくぞ」の「ぞ」だけは呑み込んだ。
「平気と申せば嘘にんもんでが、おや、こういう境遇に馴れておいもすゆえ」
 母は膝をこちらに向けた。表情はいつもと変わらない。
「藩医をしておられたお祖父様のこつですか」
 ふくの父皆吉鳳徳は長崎と江戸へ十数年遊学し、蘭学を学んで西洋の事情に通じ、後に藩に仕えるようになった。
「あん秩父騒動に加わって咎めを受けられたのでしょう」
「出水郷の、ちっと名前は忘れましたが、お寺に蟄居させられて」
「無参和尚も嫌疑をかけられて退隠させられたとか」
 無参和尚とはこの八月まで島津家の菩提寺である福昌寺の住職を勤めていた高僧だが、秩父騒動のころは藩に仕えており、その後僧籍に入った経緯がある。無参和尚には父を通して正助や西郷吉之助も教えを請うている。
「老梅軒はそんころのお住まいと聞いておいもす。正助が生まれたころは」
 母は眼前に迫った辛さから逃れるように、祖父の、母にとっては父親の話に熱中している。それで気持ちが鎮まるならばと、正助は相槌を打ち続けた。いつの間にか妹たちが炉辺に集まり、白湯の用意を始めている。
「遠島・寺入を命じられた方々が鹿児島に戻ってこられ、またちっとずつ近思録の教えが広がいつつあったことです」
 皆吉鳳徳は赦された後は在野にあって医業を営み、長男と次男はともに藩に仕えている。
「お祖父様にな船の話を胸膨らませて聴いたのを思い出しもんで」
 記録所でも話題になったことがある。
「わが国は海国にして、薩国は海国中の海国ない、が口癖で」
 わが国の船は沿岸を回航するに過ぎず、遠く荒波を乗り越えての航海に耐えられるものではない。西洋諸国の船が万里の波濤を意に介せずわが沿岸に来航するのは、船舶が巨大なのによる。
「今後わが国に必要なものは、大船巨舶にしてそん製造は実に国家経営の大本ないと、前髪のおいに向かって大真面目に」
「お祖父様がお偉かったのは考えゆっだけでなく、本当に造られたこっです」
 造船学や航海術を蘭学書で独学し、数年後ついに自邸で西洋型風帆船の模型を製造した。
「長さ六尺、幅三尺ほどでしたか。私がまだ嫁じょぐ前のこっほいならした」
「そいから藩庁の許しを得て、三本檣(ほばしら)風帆船も建造なさったとか」
「ええ、確か寺師正容(てらしまさかた)ちゅう方のもとで、竜骨製のもんで、甲板を備え縄梯子をかけた西洋型帆船でした。川内川下流の京泊でしたか。伊呂波丸と命名して」
 当時幕府は大船の製造を禁じていたので、琉球船の模造として届け出たという。
「本当に動いたですか」
 十四歳のすま子が湯呑を口に当てながら、上目遣いに悪戯っぽく笑った。正助には四人姉妹がおり、三歳上のなか子は四年前に産後の肥立ちが悪く、亡くなっている。二歳下の長妹きち子は既に嫁いでおり、いまはすま子と十一歳になるみね子の四人暮らしだ。
「琉球に向かう途中で暴風に遭い、暗礁に衝突して、破壊したそうですよ」
「ゆうと助かいましたね」みね子が真顔でおびえる。
「お祖父様といえば、相撲取りのようなお身体に筒袖を着用して、牝牛にまたがい市中を行き来しておられたのを憶えておいもす」
「変わい者の父で」母は笑みを湛えながらも嘆息する。
 道で門閥者に出会えば、普通の藩士なら降りて礼をするのだが、鳳徳は牛首とともに坊主頭を路傍の目の粗い垣根に突っ込んで降りることはなかったという。
「鳳徳の頭隠して尻隠さずと笑われても平気で」
 妹たちが「くすっ」と顔を見合わせる。
「亡くなられたのは、ちょうどすま子が生まれた年でした」
「私など影も形もんとき」と一番下のみね子。 
「おいが八歳じゃったで」
 病床の祖父が脳裏に甦る。鳳徳は自身の病状をよく心得ていて、三十日余の間、薬を一切受け付けなかった。
「坂本村の近衛水やその他各地の清水だけを飲み続け・・」
 母は目頭を熱くしたが、すぐに表情を改めた。
「お祖父様とお父上様が大きな二つの騒動に連座なさったのは、国を憂い、国のためを思ってのしでした。己れの欲得のために動いたのではありませぬ。これから辛い日々が続くでしょうが、そんこつを決して忘れてはんもはん」
 誇りを失うな。母の厳しい視線が正助の心をわしづかみした。


三 はにふの小屋


 軽く地ならしをしていると、正面垣根の向こう、甲突(こうつき)川沿いの道を、小石を踏みしめ早足で曲がってくる足音がした。
 ここは鶴丸城の南に位置する下加治屋町で、御小姓組に属する下級武士が住む一角である。方位が屋敷の角に当たり、足音が曲がった角がちょうど西になる。そして直ぐ屋敷の入り口だ。その前は「猫のくそ小路」という。この周囲はみな「山之口馬場」「二本松馬場」「番所小路」「柿本寺通」と、いかにも武家屋敷らしい名前がついているのに、何故ここだけ・・。子供心に不思議に思い、濡れ縁に腰かけながら父に尋ねたことがある。すると父は、色白の頬を顔一杯に広げて笑った。
「よほど猫が大小便をしやすか道とみゆっ」
 ふくよかな肩が大きく上下するさまが目に焼きついている。
 甲突川では、弘化二年(一八四五)から新上橋、同三年西田橋、同四年高麗町橋、嘉永元年(一八四八)武橋を木橋から石橋とし、昨年上流に玉江橋が新設され、すべて石橋となった。この辺は四丁ほど東にある高麗町橋が最も近い。
 背の高い痩身の男が現れた。ここよりも高麗町橋に近い山之口馬場に住む西郷吉之助だ。痩身といっても柳のような印象ではなく、骨太で余分な肉のついていない体躯、というべきか。これは父方のほうの血筋らしい。太い漆黒の眉に大きな目が特徴だ。これだけ大きいと雰囲気によっては威圧感を与えるだろうが、吉之助の面立ちはむしろ逆で、妙に人の心をひきつける何かを湛えているのだ。それは年下の者ばかりではなく、父のような年長者にも同様な印象を与えているようだ。
 正助も目線の高さは同じで、生来の胃弱体質で痩せている。
「護送の役人はいつくう」
 吉之助は下加治屋郷中で、二才(にせ)衆の頭を勤めており、正助より三歳上である。
「六つころです」
「正助は見送うのだろう」
「父が流人船に乗うとこいなど母や妹たちには見せうに忍びなく、初めは拙者一人のつもいじゃったが、皆で参う」
「もっと教えをこうむいたかった」
 父は禅学への関心が強く、無参和尚との友情はきわめて固い。無参和尚は鹿児島上山寺・妙国寺そして南林寺などの住職を歴任した後、福昌寺の住職に就いており、正助は父に連れられて、南林寺へも度々講和を聴きに行っている。父は志が大きくて小さなことにこだわらない人だ。そういったところが、吉之助をひきつけてきたようだ。
「父上はゆうと申しておいもした。吉之助は並みの人間じゃなか、と」
 二人は井戸端へ移動していた。井戸は勝手口を出たところにある。猫のくそ小路に面した裏庭よりだ。正助は便器を井戸端に置くと、勝手口に続く風呂の焚き口へ。最後の紙袋を脇のくず入れに放り込んだ。絣姿の吉之助は、用意してきた紐を襷(たすき)掛けにして、桶に水を汲んでいる。
「便器を洗うのだろう。こげんこっすうのは初めてだ」
「半分ほど入れてくいやんせ」
 郷中には六歳から入り、十歳までは小稚児(こちご)と呼ばれ、続いて十五歳までは長稚児(おせちご)そして二才衆の仲間入りをする。小稚児のころから吉之助とは馬が合い、行き来していたが、言動は常に三歳という年齢差を弁えていた。自分に強いていたわけではなく、それが自然の振る舞いであり、郷中のしつけであった。
 吉之助が注ぐのを待って、柄の短い手箒で丹念にすすいでいく。
「中は銅張いじゃなかか」
「嘉介の知恵ですど。木だと汚れが取れにくくて。素人技だが・・」
「立派なものだ」
 固く絞った雑巾を持って、すすいだ水を畑へ撒きにいく。吉之助も後からついてきた。正助の手は休むことはない。空になった便器の水気を雑巾で拭き取っていく。今日が最後と思うと、手首にも一層力がこもる。まるで碁盤を乾拭きするときのように。
「お父上様にな殊のほか可愛がってもうたからのう」
 余韻を残した声音に視線を上げると、吉之助は唇をかみ、月を睨んでいた。
「正義党の遺志を継ぐのはおい等なあ」
「なにせ家老の島津久武様をはじめ五十名いも及ぶ処分であったからな」
「三月に見せてもらおいもしたあん肩衣が忘れられませぬ」
「赤山様の、血染めの・・」
「高崎家と近藤家は士分を剥奪された上に、嫡男左太郎様(後の高崎正風)と欽吉様が十五歳になられたのを待ち、こんたび大島遠島ですからね」その点、自分は免職をこうむっただけで、父の世話ができてきた。まだ幸いと思わねば・・。
 胸中から搾り出された言葉に、吉之助が反応した。
「西郷家もなあ」
 祖父竜右衛門の兄覚左衛門が江戸でなんらかの罪を犯し、割腹して士籍を除かれるという事件があった。曽祖父吉兵衛が当主だったころの話らしいが、そのため養子に出ていた祖父は復籍させられたという。
「詳しいいきさつは知らぬが、西郷家はかないの打撃を受けたようだ。いまだに借財を抱えての茅屋さ」
「大久保家も、この後・・・」
 どれほどのと、言いかけて言葉を呑んだ。
「楼(ろ)の上もはにふの小屋も住む人の」吉之助がつぶやく。
 はじめは母の膝で聞き、小稚児のころから仲間と暗誦してきた島津日新公のいろは歌だ。
 日新公とは、鹿児島で旧来の島津本家に替わって、薩摩半島を主とする戦国領国を治めた戦国大名島津家の初代忠良のことである。忠良は家臣団の指導と育成に関心をよせ、その規範を理解しやすいように、暮らしになじみやすいようにと、いろは順に歌にしていった。これが戦国島津家の家臣団に加え、徳川治世における薩摩藩家臣団の精神鍛錬の場である郷中教育でも重視され、藩士の心の支柱となるのに大いに役立ってきた。
 正助も後を続ける。
「心にこそは たかきいやしき」
「立派な家に住んでいても、みすぼらしい草葺(くさぶき)の家に住んでいても、人の値打ちには変わりない」
「心がけが立派であれば、その人は尊敬される。二才衆からそう叩き込まれたものだ」
「ところで」
 吉之助が素早く辺りに視線を投げながら、膝をついた。
「一網打尽と思われた断罪じゃったが、数名の漏れがあったらしか」
「漏れ・・」
「うまく逃走脱藩したのがいうのだ」
「誰だ」
「諏訪明神神職の井上経徳や木村時澄とか。井上経徳は、こっが発覚してすぐ、近藤様が命じたらしか。正月に逃亡しておう」
「行く手は黒田家だな」
 福岡藩主黒田斉溥(なりひろ)は斉彬の曽祖父島津重豪(しげひで)の子で、黒田家の養子となった。つまり斉彬の大叔父に当たるが、年齢は三十九歳と、斉彬より二歳若い。
「無事を祈うのみだ」
「いずれにしても、建て直しにな時を要しもんでね」
「さっ、正助も支度を。あとは拙者が」
「かたじけん」
「干すのは、そこん下でよかな」
 吉之助は物干し場のほうを振り返った。
「裏の納屋か薪小屋の傍らにたもいやはんか」


四 錦屋源助


 井戸端で顔を洗っていると、名前を呼ばれた。物言いから出入りの商人とわかった。父は物事にこだわらぬ性格から、人と接するときも壁をつくらず、士分以外のものたちもよく厚遇してきた。そのせいか、処分を受けた後も、農家や商家とのつき合いは続いている。相手は二人いて、正助は年配者のほうに向かって言った。
「こげんに早く何用かね、錦屋」
 名前は錦だが、古着屋と羅宇屋の商いをしている。煙管の竹を「らう」と呼ぶところからこの名がついたという。造士館の東南、数丁先にある呉服町の裏通りに、女房のはつが小さな古着の店を構え、主人東兵衛は羅宇を売り歩いている。
「南林寺鎮守宮の石段でこよ見つけまして」
 松原山南林寺は日新公の子貴久(大中公)の菩提所で、山全体が松で蔽われ鬱蒼としている。鎮守宮は山門を入った右手だ。
「拙者の煙管じゃなかか。探しておったのだ。仕方なく新しかのをおろしたが・・」
 その時、母ふくが勝手口から顔を出した。
「正助、父上様と早くお食事を」吉之助の分も用意してあるという。
「ゆうと分かいましたね。吉之助さぁが来とっと」
「話し声に、嘉介がのぞいたですよ」
 錦屋に気づいた母に、東兵衛が素早く口をはさむ。
「いつの頃からでしたか、正助様が」
 未明にどこかに通うのを見て、怪しんで後をつけたという。足を速めて正助は、大鐘楼の側にある鎮守宮の石段に伏して、しばし黙祷しているではないか。
 父の境遇と一家の不幸を深く悲しんで始めたことだが、無論、家族には話してはいない。煙草好きの正助は、袋をいつも腰に下げていた。それを知っている東兵衛は、昨日、石段に落ちていた煙管を偶然見つけ、すぐに分かったという。
「まあ、そんよなこっが・・・」
 母は正助を見ながら右手を口にあて、目を細めた。
「長居をしてはお邪魔でしょうから」
 東兵衛はそのほかの用件を簡潔に述べた。
「お餞別に煙管をと存じまして」
 手渡された紙包みは数本の感触だ。父も煙草好きなので何よりだ。
「それと、こんたび一人雇い入れ」
「繁盛で結構なこっじゃあ」
「それほどではございませんが、おいどもにな子供がおいませんもで」
「源助と申しもんで。ご城下、特に甲突川周辺は、今後は手前が回らせてもれもす」
 物怖じしない様子に、正助は好感をもった。

「二人に話があう。ふすまを閉めてくれぬか」
 膳を片付けにきた母に、父が言った。
 大気はすでに灰色に変じている。江戸に比べると、薩摩の日の出は遅いらしいが・・。
「おいも、宜しかでしょうか」
 父のただならぬ口調に、吉之助は恐縮する。
「これから述べうこたあ、他言は無用」
 吉之助には応えず、父は二人を見据えた。
「じつは正義党のなかに脱藩したもんがおうが、無事、筑前侯のもとに逃れたもごとだ」
 彼等は同志を見捨てたわけではない。むしろ、その逆。筑前侯を頼り、先ずは国難を救い、もってその目的を達するためである。
「斉彬公の藩主就任に響いては、何もならぬゆえ」
 正助は一言一句聞き漏らすまいとしていたし、吉之助も両膝で拳を握り締め、微動だにしない。
「何か訊きたかちゅうこつは、あうか」
 正助は肩で大きく息をした。
「そんよな知らせを、いずこから」
 刑を受けて以来、父は誰とも接触していない。母と自分を除いては。その自分とて、先ほど吉之助から聞くまでは知らなかったことだ。吉之助も大きくうなずいている。
 父は目元をかすかに和らげて、脇に置いた包みを取り上げた。錦屋の餞別だ。そういえば、二人が部屋に入ったとき、父は包みを開いて煙管に触れていたが・・・。
「父上、そけ文でん」
 父はわずかに視線を引き締めた。息子を認めたときの眼差しだ。
「同志の脱藩を知ったのは、今年の初めであったが」 
 父は筒の部分をはずし、小さく巻いた紙片を取り出した。
「いずれ己いも処罰は下されう。そう覚悟して、吉之助と正助の名を錦屋に伝えておいた。おそらく井上正徳にな伝わったであろう」
「と、申しもんでと、あん源助は」吉之助が先に口にした。
「黒田斉溥様の忍びだ」
 正助は唇をわずかに開けたまま、声すら出なかった。吉之助も同様の息遣いだ。
 つかの間の沈黙の後・・・。
「何か困った際は処分の軽い関広国殿に計らうごと」
 関広国とは同じ小姓組で甲突川の南に住んでいる。父はそこで一旦言葉を切ると、口調を改めた。
「正義党の火を絶やしてはならぬ。が、拙者はもう」
 無念さをあらわにして、父は言葉を呑み込んだ。


五 流人船


 先に出発する旅姿の父を、吉之助は正助の後ろ、物干し台の陰から見送った。猫のくそ小路へ出る間際、父は瞬時、こちらへ強い視線を投げてきた。
 留守を嘉介に頼んで荷を背負った正助と母達も間もなく続く。歩き易いように手甲脚絆をつけた出で立ちだ。川沿いの道から山之口馬場通りを真っ直ぐ進む。途中西郷家の門前で、正助は軽く会釈をして吉之助と別れた。菩薩堂の建つ辻で広い通りを渡り、そのまま菩薩堂通りを下って海辺の道に出た。釣り船が舫(もや)う潮見町を北東へ。波戸場の遥か先を走る幾艘もの帆船に時折視線を投げながら・・・。道はいったん石燈籠(いずろ)と呼ばれる広小路へと入り、名山堀を右手に見ながら新橋へ。左手は大きな蔵が並ぶ一角に続いて一所持ち家の屋敷が並ぶ。そのさらに北西には城山が。
 やがて新橋が見えてきた。そこを渡ると琉球館がある。処分が下るまでの数年間、一家はその中の役宅で暮らしてきた。そこは薩摩にいながらにして、僅かでも異国の空気に触れられる空間であった。会読の仲間と藩の行く末を論じていた正助にとって、どれほどの刺激になったことか。
 橋を渡り終えたとき、父の足取りが微かに乱れた。が、直に確かな歩調に戻る。迂回した道から再び幅広い堀端に出た。左手には町屋が並ぶ。やがて稲荷川の河口に架かる祇園之橋を渡ると岸壁が迫り、景観は一変する。この辺りから吉野村の海辺にかけては、別名仙巌洞とも呼ばれている。母の呼吸が僅かに乱れてきた。
「ちっと休みもそやか」
 前方の父たちを気にしつつ正助は立ち止まった。       
「大丈夫ですよ」
「私たちも」
「田ノ浦を過ぎれば直に大磯だな」
「あん小山は」とすま子。
「多賀山だ。坂本村の外れに近い」
「隣が吉野村ね」
 兄たちの会話に入りながら、みね子は力ない視線を海に向ける。 
 父たちの歩に変化はない。少しの油断でその距離は広がってしまう。朝日で煌めく錦江湾の風景を味わうゆとりなどない。
「急ぐか」正助は歩を速める。
 土橋が見えてきた。袂に碑があり、ここより仙巌別館南門への岐路口まで五町二五間とある。今から一九〇年ほど前に、二代藩主光久公によって設営された別邸である。
「船が出んのは別邸よいちっと手前なのでしょう」
 母は決っして流人船とはいわない。
「もうここまで来れば・・」沿岸に松が見える地点と聞いているが口にしなかった。遠くからそれと覚らす必要もあるまい。
「家を出てからまだ一刻は経っておらんでは」とすま子。
「こんままお父上様の後ろを歩き続けていけたら・・」
 意識してか知らずか、みね子は兄の願いを口にした。恐らく母もすま子も同じであろう。
 松の根元で父は立ち止まった。なにやら役人に話しかけている。役人が肯くと、父は向きをかえてこちらをみた。着ている小袖と羽織は、この日に備えて母が縫った冬物である。襦袢も下帯もすべて新しいのを着けている。蓄えはいつか底をつくと覚悟していた母は、何はさておき木綿とさらしの反物を購入していた。母の心中を察知した錦屋が、知り合いの呉服屋から安く都合してくれたものである。正助が担いでいる行李には、着替えや干飯(ほしい)・梅干・干芋といった当座の食料品に煙草・紙・筆墨などの日用品を入れ、あとは書籍を詰めている。
 父は島の暮らしを全く知らないわけではない。亡くなった姉なか子が生まれた文政十年とすま子が生まれた享保八年の二度にわたって、沖永良部島へ代官附役として赴任している。いずれも任期は二年だった。遠島に処せられる者は、主に国事犯のような重罪人である。流される島は罪の重さによって、大島、喜界島、徳之島、沖永良部島と、だんだん遠くの離れ島になっていく。
 父は軽く顎をしゃくった。ここ迄でよい。そう伝えている。船牢に入る姿を見せるのは忍びない。父も同じ思いに違いない。
「別れの挨拶を」正助は一列に並ぶよう告げる。力強くうなずく父に、一斉に頭を下げた。
 岸に降りていく父。それに遅れまいと、嗚咽を背に正助だけが近づいていく。潮を含んだ風が悲哀の情を逸らしてくれる。
 船着場には二人の横目が待ち受けていた。
「いけんか、ご無事で」
 正助は背当ての紐を解き、背負い梯子ごと父に渡す。
「留守を頼むぞ」
 船に乗り込んだ父は横目にも何か話しかけている。その横顔には笑みさえ浮かべ・・。やがて父は暗い船牢へと入っていった。再び振り返ることはなかった。
 喜界島は鹿児島から里程約八十里強と、処分が決まった直後、父は言っていた。 
 奄美大島北端のほぼ東に位置する小さな島だとも。八十里の船旅がどのようなものか、正助には全く想像もつかない。そこまでにも幾つかの島がある。正助が知っているのは、鉄砲が伝えられた種子島や杉で知られる屋久島だ。
「種子島までが約二十七里。海と陸とでは異なうが、数の感じとしては出水筋よい一里遠いといったとこいか」
 出水筋は妙円寺参りの伊集院までしか知らない。川内川上流に入来の温泉があり、元服前の腕白盛りの頃、父に連れられて何度か行ったことはあるが、宮之城への山道を越えている。かなり歩いた記憶はあるが、あんなものではないだろう。
 いつか殿様の参勤交代に従って、出水筋を肥後国へと越えていきたい。あの時その思いがのどまで出かかったが、呑み込んだ。
 父が赴任した沖永良部島は、喜界島よりはるかに遠いという。
「大島本島と琉球のちょうど真ん中あたいじゃぁからのう」
 流罪とはいえ、父のあの余裕は、あそこよりはましと思っているからだろうか。正助の乗船といえば、甲突川で釣り糸を垂れるか、櫻島への渡船くらいだ。しかし、湾内と大海では海面の状態も桁違いであろう。
「ご無事のご到着を」
 正助は両拳を強く握り締め、錦江湾を進みいく船尾を食い入るように見つめていた。今朝方の父の言葉が蘇る。
「此度の騒動が発覚した一番の因(もと)は、近藤様のご性格にある」
 高崎五郎右衛門とともに自刃した近藤隆左衛門は、物頭町奉行を勤めていた人だ。斉彬襲封に向けて、ことが思うように進まぬため、焦り、激した挙句の猪突猛進振りを、父は指摘した。
「企ては発覚しては何もならぬ。慎重に、念には念を入れど。激しては負けだ」
 よいな。父は吉之助と正助を見据えて、無言で命じた。

(続く)


『島津日新公いろは歌』については高城書房編を参照。                                             






最終編集日時:2010年12月14日 13時31分

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