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春の床
[【時代小説発掘】]
2010年9月22日 12時10分の記事


【時代小説発掘】
春の床
篠原 景


【梗概】: 
情(じょう)なし女の心にひそむ春の床

・・・吉原の女には、床入りのときの着物の脱ぎ方一つにも作法があるのだが、玉井は、
「さあ……」
と仙助を伴って、屏風に囲われた床へ移ると、仙助の着物を脱がせながら、自らも共に急いで脱ぎ始めた。
 恥じらう素振りなど煩わしかった。簪も抜き取り、すべて脱ぎ捨て、周りに散らかした。着物が皺になろうと構わなかった。
 そうでもしなければ、この男に、置いていかれてしまうと思ったのだ・・・ (本文より)

【プロフィール】:
篠原 景。2000年より大学で史学に没頭、時代小説の道へ。敬愛するのは東西のロックの神様。


これまでの篠原 景の作品:
「かまきりと遊女」
「遊女の絵筆」 
「廓の子供 」
「花魁のねずみ」


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【時代小説発掘】
春の床
篠原 景



(一) 骸骨の音がするよな春の床

 密やかな女の喘ぎ声。客の男の戯れ声。畳の擦れる音。衣擦れの音。人肌の気配。
 夜の妓楼、八間(はちけん)が灯された仄暗い廊下の左右から漏れてくるのはいずれも、どこか怠惰で湿っぽく、柔らかなものたちである。自然、廊下にも、軽い酔いのような雰囲気がたちこめている。
 しかしその廊下が瞬時に強張るときがある。
「ほれ、このお膳、さかさか片付けな」
「そんなところで油を売っているんじゃないよ。さかさか客のところへ戻るんだ」
 安政元年、桜が盛りの江戸吉原、京町一丁目、錦屋。
 低く抑えながらも鋭く荒っぽい言葉遣いの主は、今年四十になる小太りの女、遣手(やりて)のおきわである。
 遣手とは、遊女や遊女見習いの少女たちのしつけや管理、監視、他にも登楼してきた客の見極めから歓待の補佐までを行う、妓楼の要とも言うべき存在である。この役目の者は等しく、客の前でしくじりがあったり客がつかない女、教えを守らなかった子供などに容赦ない折檻を加えるので、妓楼の憎まれ役と言った方が通りがいい。
「何をしているんだい。このお膳、さかさか片付けなと言っただろう」
 おきわがそばを通りかかった若い者に声を荒げる。若い者とは、接客にたずさわる男の奉公人の総称である。首をすくめた若い者は膳を抱え小走りに去っていった。去り際の顔つきだと、向かった先でおきわの悪口でも言うつもりだろう。
 おきわは妓楼の者たちに、陰で〈さかさか〉と呼ばれている。無論、彼女の口癖からつけられた渾名だ。
 おきわがあまり頻繁に「さかさか」を使うので、主人夫婦が、
「お前のその、虫けらが紙の上を歩くような口癖は何だい?」
と尋ねたことがある。
 しかしおきわは、
「さかさかは、さかさかですのさ。多分、故郷(くに)の言葉なんでしょう。どうにも出てきちまうもんで、勘弁しておくんなさい」
と悪びれる様子もなく答えるだけで、一向に止めようとしない。挙句、
「どこかの田舎侍(あさぎうら)あたりが同じ物言いをしていたら、教えてくださいましよ。わたしは自分の故郷(くに)がどこだったのか、どんなだったのかも忘れちまいましたのさ」
とまで言う。
 客の前では控えているし、万事に目を行き届かせるおきわの働きぶりに不満のないこともあって、主人夫婦も強いて言葉を改めさせようとまではしなかった。
「あの、おきわさん」
 年若い振袖新造が、騒ぐ酔客の相手をきちんとこなせているか、部屋の外から確かめていたおきわを、先刻とは別の若い者が呼びとめた。
「なんだい」
「海老屋さんのところのお客様が、浅妻さんをお見立てで」
「ほう、そうかい」
 海老屋は引手茶屋の名前、見立てとは、格子の前で遊女を選ぶことである。吉原において、ある程度以上懐の豊かな客や、格の高い見世に上がりたい客は、まず引手茶屋に行き、茶屋に遊女を紹介してもらうか、茶屋の者の案内であちらこちらの見世をまわるかする。
 中見世、半籬と呼ばれる格を持つ錦屋にとって、茶屋を通してきた客は、それだけで上客の可能性がある。
「どんなお客だい?」
と若い者に顔を寄せて聞くおきわの声は、新しい客をしっかりと捕まえなければという張りに満ちていた。浅妻はこのところ客足があまり良くない。
 ええっと、と言いながら、若い者は天井に目をやった。
「乾物問屋の若旦那。屋号が少しばかり変わっておりやして、嘉乃八屋とおっしゃるそうで」
「乾物問屋の……嘉乃八屋……?」
「あれ、おきわさん、ご存じで?」
「ああ、ちょいとね」
 咄嗟におきわは若い者から顔を背けた。狼狽を悟られたくはなかったのだ。 
 ーー乾物問屋の、嘉乃八屋。
 若い者の言う通り、そうそうある屋号ではない。
 ーー若旦那と言うからには、……あの人の息子だろうか。
 初会の客は、階段を上がってすぐの、遣手の部屋にも近い引付座敷に通され、見立てた妓と対面する。そこで遣手であるおきわの仕切りで型通りの挨拶が行われ、続けて宴席が設けられる。無論、宴席においても、おきわは細かな気配りをしなければならない。床入りはその後、というのが決まりきった流れだ。
 その流れを思い、おきわは言いようのない苛立ちを覚えた。とうに忘れたはずの昔を思い出した苛立ちだった。
 (何やっているんだよ、おきわさん。こんなんじゃア、せっかくの新しい客を逃しちまうよ。浅妻にもしっかり稼いでもらわないと)引付座敷に向かいながら、おきわは急いで己に言い聞かせる。(第一、大店にゃいろいろあるって言うじゃないか。必ずしも息子たア限らない。仮に息子だとしても、あの人じゃアない……)
 しかし、伊助という若旦那が既に案内されている座敷の襖を開けた途端、おきわは「あっ」と声を出しそうになるのを抑えるのが精一杯だった。
 痩せて長身の体つき。薄い唇。おかしな顔をしたに違いないおきわを見て、困惑したように笑い、笑ったときだけ僅かに下がる目尻。
 二十年程前の若旦那、仙助と瓜二つだった。
「まあ、ほほほ。ようこそおいでくださいまして。仲之町の桜は見頃でございましたでしょう?」
 声が、かすれた。
 おきわは元々、錦屋抱えの遊女であった。
 玉井(たまい)というのが当時のおきわの名だった。
 ーーいくら女郎でも、玉井さんにゃ、これっぽちの情もない。
 朋輩たちにそうこきおろされていた玉井は、後に腕も腹も膨れたようになるとは誰も思わぬ痩せぎすな女で、いつかはこの境遇から抜け出してやるということだけを、強く心に決めていた。
 ゆえに、客の相手は熱心だが、それ以外は無口で、周りの者たちと打ち解けたり、楽しみを見つけるようなこともしない。暇さえあれば客への手紙をしたため、日々の暮らしでいらぬ出費をせぬよう、細かく気をつけていた。
 「ちったア、玉井を見習いな」とは、先代のおかみの口癖で、これでは朋輩たちに好かれるはずもない。そのことは独特の陰気さへとつながり、勤めぶりのわりには、借金を返しきり年季明け、というところまではなかなか至らず、当人も、一生「泥水に浸かった暮らし」を送ることを覚悟しかけていた。どれだけ白粉を塗り重ねても、年齢が隠しきれなくなりつつもあった。
 そんな玉井を、遣手に据えてはどうかと思いついたのは、今の主人夫婦である。残った借金は、客からの祝儀の一部をしばらく見世に渡すことで、足りないながらも帳消しにしてやっても良いという条件に、当然、玉井は一も二もなく飛びついた。そうして三年ほど、番頭新造という、遊女について少しでも良い客がつくようあれこれ面倒を見る役目を勤め、その後、押しも押されぬ錦屋の〈さかさか〉となったのだ。
 情なしとこきおろされた性格が、これ以上ない形でおきわの身を救ったと言っていい。
 振り返れば、玉井であったおきわにとって、朋輩は皆、客や格付けを争う相手、客は皆、何としてでも金を引き出す相手で、つまるところ玉井という女の暮らしは、どこを切り取っても金しかない、単調なものであった。
 しかし、たった一つだけ、他と紛れることのない、忘れられない記憶があった。それが嘉乃八屋仙助のことである。
 仙助が父親の代理として、商いのつきあいで吉原を訪れたのは、二十年前の、ちょうど今頃であったはずだ。仲之町の桜見物も兼ねた集まりだった。
 引手茶屋で開かれた宴の最中、集まりの中で一番年が若い、痩せて長身の青年は、実に明るく振る舞い、年長者たちを追従ではなく巧みに立て、場を和ませていた。
 しかしその青年の敵娼(あいかた)として宴にいた玉井は、笑うたびに僅かに目尻が下がる青年の目が、少しも笑っていないこと、常に独特の緊張をたたえていることに気がついていた。緊張と言っても、目下の者が目上の者を前にかしこまる緊張とは全く違う。周囲と自らの間に線を引いた緊張だった。
 玉井は、仙助という名のその青年に、言いようのない親しみを覚えた。
 錦屋へ移り、二人きりになったとき寛いだ姿で胡座をかいた仙助は、まったく表情のない顔で、手酌で酒を飲み始めた。そして黙ったまま、床の間の桜の掛け軸を眺めていた。
「桜が、お好きでありんすかえ」
 玉井の問いかけに、仙助は身動きもせず「ああ」と答え、その返事で玉井は、仙助が花になど興味を持たない男だと知った。
 これ以上つまらぬ機嫌取りや嬉しがらせの類を言っても仕方がない気がして、玉井は宴のときからずっと疑問に思っていたことを口にした。
「……主さんは、何を目指して、四六時中そんな風に張りつめておりんすか?」
 仙助がこちらを見た。決して笑わない目。女としてでなく、玉井を値踏みする目。
 玉井は、胸の奥で何かが動いた気がした。
「わっちは……わっちは、何としてでもこの稼業から抜け出しとうござんす。主さんは、立派な問屋の若旦那でいらっしゃって、……それでも、まだまだうんと欲しいものがあるんでござんしょう?」
 仙助の表情が和らいだ、気がした。
「……軒並み全部かなあ」
「全部?」
「……どんなしくじりも、したくないんだよ。手に入る物はみイんな欲しいじゃないか」
「つまり、お金でも、信用でも評判でも、何でも?」
 ついに仙助が吹いた。
「ああ、そうだ。鼻持ちならない男だろう?」
「いいえ」
 玉井は、きっぱりと言いきる。
「手に入る物なら、あれもこれも、みイんな欲しいなんてのは、誰でも一度は思うこと。けれども、本当に手に入れようと決めなさるのは、並大抵のことじゃアありんせん。だって、まあまあ良い人生だったなんて笑って死ねなくなりいすもの」
「……やっぱり、吉原(なか)の女は凄いのがいるな。前から、こんなところで働かされている女は、どんな心持ちでいるんだろうとか、そんなことをぼんやり考えていたんだ。想像がつかない」
「そりゃア、主さんのようなお立場の方からすれば」
「だから、本当はこういうところ、あんまり好きじゃないんだよ。金は途方もなくかかるし、いろいろと一筋縄じゃアいかない気がしてサ」
「ふふ、主さんなら、すぐにしれっとしていなさるようになりんす」
 仙助のあけすけな物言いが、少しも嫌ではなかった。それどころか体中が熱くなってくるようだった。
「そろそろ横になりますかえ」
「そうしよう」
 吉原の女には、床入りのときの着物の脱ぎ方一つにも作法があるのだが、玉井は、
「さあ……」
と仙助を伴って、屏風に囲われた床へ移ると、仙助の着物を脱がせながら、自らも共に急いで脱ぎ始めた。
 恥じらう素振りなど煩わしかった。簪も抜き取り、すべて脱ぎ捨て、周りに散らかした。着物が皺になろうと構わなかった。
 そうでもしなければ、この男に、置いていかれてしまうと思ったのだ。
「玉井、だったか……」
「あい、主さん……」
 こういうところは好きじゃないと言っていた仙助だが、ためらいなく、それも勢いよく玉井の上にのしかかってきて、玉井の体は、厚い布団の上で弾んだ。だがすぐに手や足が絡みついてきて、玉井の体は強く押さえつけられたようになっていた。体が、きしんだ。
 仙助は骨張って痩せた男だが、玉井も女としてはかなり痩せている。骨がぶつかっている、擦れている、と感じた。
 陰部から頭の中心までを結ぶ一本線に、柔らかで激しい痛みを覚えて、玉井は、床の中で初めて泣いた。仙助に悟られぬよう、泣いていた。


(二) 恋桜(こいざくら)食(は)みて謎は謎のまま

 何かの信心を名目とした集まりの、だらだらと続いていた宴が果て、客も一通り床に納まった。遊女や遊女の妹分を除く妓楼の者たちの間には、とりあえず一息という空気が流れていた。
 おきわは、遣手の部屋にいて、長火鉢にもたれながら、意味もなくその縁を撫でていた。
 嘉乃八屋伊助は泊まっていくという。浅妻に他の客はなかったから、今晩はずっと伊助と共にいることになるだろう。
「嫌になっちまう。あんなに似てるってことがあるもんかね……」
 遣手としては不心得と言わざるをえないが、引付から宴まで、おきわは伊助の目をまともに見ることが出来なかった。だが、伊助がこちらを見ていないときには、何度も何度もその姿を盗み見た。
 伊助が仙助の息子であることは間違いない。そして伊助の身なりや立ち振る舞い、金払いの良さから見るに、嘉乃八屋は、相当商いを大きくしたものと思われた。
 (そりゃア、あの仙助さんが主人になれば、当たり前サ……)
 仙助は、二年ほど錦屋に通ってきて、あるときから急に来なくなった。最後に来たのも桜の季節であったように思うのは、記憶が少々入り乱れているからだろうか。泣いても金にならないので、玉井は泣かなかったし、恨みもなかった。
 思えば櫛一つ誂えてはくれなかった男で、玉井の元には何も残らなかった。だから長い間忘れていた。
「何サ、今更になって、煩わしいだけじゃないか。あの息子の奴ア、親父もここの客だったって知ってるのかね……」
 今頃、浅妻はあの男に抱かれているのだろうと思うと、おきわは苛立ちを抑えきれずにいる。
 あの男は骨張って痩せていて、浅妻も、かつての玉井ほどではないが、痩せた女だ。
 ちっとも気の利かぬ浅妻が、全身であの男に触れているのだと改めて思い、喉のあたりが焼けつくような気がした。
 ーー許嫁だの、女房だのがいても構わない。けれども浅妻みたいな半端な女ア嫌だ。
 弾かれたように立ち上がったおきわは、部屋を出ると浅妻の部屋へと足を向けていた。
 そんなことをしてどうなるってんだ、目を覚ましやがれ、という、おきわの声でおきわを、いや、玉井を叱る大きな声が、頭の中で響き渡る。
 こんなのは遣手の名折れだよ、という、おきわ自身の嘆息も小さく聞こえる。
 お前はいくつになると思っているんだい。四十だよ、四十。この色惚けが。
 だが、おきわの足は止まらなかった。どうしてもあの男が浅妻を抱いているのを覗いてやりたかった。それが苦痛でしかないとわかっていても、待ち続けた男が、やっと、錦屋に来たのだ。頭で思い浮かべて苦しむよりも、いっそこの目で見て、耳で聞いてやれ、と思う。
 しかし急ぎ足で廊下の角を曲がりかけたとき、そこにいて、ぶつかりそうになったのは、他でもない若旦那、伊助であった。
「あれ、すみません」
 飛び退いて頭を下げたおきわに、伊助は「こっちこそ、悪いね」と鷹揚に応える。
 伊助は、女の着物を緩く着ており、八間に照らされた右頬から顎にかけて、白粉がこびりついていた。
「なんかぶらぶらしたくなってね」
「あの、浅妻さんが、何かお気に障るようなことでも……」
「いやいや……」
と言って、伊助は破顔し、手を振った。
「ここの女子(おなご)は皆、綺麗だね。不満なんぞあるものか」
「お気に召していただいて、何よりです」
 おきわは初めて、伊助を正面から見ながら話していた。
「そうそう……」
 急に伊助が声をひそめ、顔を近づけてきた。
「こっそり聞きたいことがあるんだ」
「……何でございましょう」
「吉原では、一度馴染みとなった女以外に会うのはご法度と皆言っているが、それも実は金次第だったりするのかい?」
 おきわは笑いながら首を振った。
「よしてください、ご法度はご法度でございますよ、若旦那。ほほ。女郎とお客なんて、かりそめに見える間柄でありながら、お客が一人と決めなすって、女郎もそれに応えるよう、懸命にお仕えさせていただく、それが吉原の粋なんでございますよ」
「ああ、やはりそういうものなのか。……ここだけの話にしておいてくださいよ。茶屋の者とあちこち歩いている間も、散々目移りしたが、見世に上がってからも、どうにも目移りしてしまってね」
「まあまあ、まあ。でもね若旦那。浅妻さんと若旦那には、何かこう、縁のようなものがございます。遣手なんてやっているとね、分かるんでございますよ。何より浅妻さんは、会ったばかりというのに、もう若旦那にぞっこんだ。どうか末永く可愛がってくださいまし」
「そうまで言われちゃ仕方ないな」
 伊助は育ちの良さが分かる、小さなことにはこだわらぬ笑顔で肩をすくめた。
「さて、もう戻るよ」
 おきわは、浅妻の部屋へ戻っていく、着崩れた女の着物の後ろ姿を見ながら呆然としていた。
 一体あの男のどこが、仙助と似ていると思ったのだろう、と、頭の中心が痺れてしまったような心持ちだった。
 何もかもが面倒臭くなって、自分の部屋へ戻ろうとしたとき、欠伸をしながら歩いている禿が目に入った。厠にでも行こうとしているのだろう。
 足早に近づいて、小さな背中を掌で打ち、
「もっとさかさか歩きなっ」
と耳許で叱りつけた。
 その夜、おきわは遠い昔の夢を見た。とっくに忘れていたはずの記憶の夢だった。
 一体いつのかは分からぬが、春だった。まだ玉井であったおきわは床の中にいた。玉井は俯せでいて、隣で仰向けに寝ているのが仙助だった。
 二人は体を重ねた直後で、玉井は一応着物を羽織っていたものの、全身が気怠く、動きたくなかった。仙助といる床から出たくないという気持ちもあった。
「……ああ、嫌だな」
 裸のままの仙助が大きく伸びをした。その骨張った肩に頬を寄せて、玉井は、
「何がでござんすか」
と尋ねた。尋ねながら、男の汗のにおいをかいでいた。
「明日はね、どうでもいいのに抜けられない用事がいくつも入っていて、忙しいんだ」
「あれ、まあ」
「とにかく、さかさか動かないとな」
「……さかさか……?」
 聞いたことのない言葉に、玉井が少し顔を上げると、仙助は、
「しまった」
と言って、笑いながら眉を寄せた。
「いつのまにかついた口癖でね。一体どこで覚えたのか……。親父にもよく注意されるから、気をつけていたんだが。聞かなかったことにしておくれよ」
「あい」
 玉井は笑って、仙助の腕に頭を置いた。
「さかさか……面白い言葉……」
「だから忘れておくれよ」
「あい」
 おきわは眠りながら、昔の夢に微笑んでいた。
 だが、それは目覚めたら忘れてしまう儚い夢であった。ゆえにおきわは、櫛一つ残してくれなかった男が自分に残したものを、生涯気づかずに過ごすことになりそうだった。

            了





最終編集日時:2011年5月8日 12時46分

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