このブログのトップへ こんにちは、ゲストさん  - ログイン  - ヘルプ  - このブログを閉じる 
薩摩いろは歌 雌伏編(十)祝言(無料公開)
[【時代小説発掘】]
2011年5月29日 10時31分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 雌伏編(十)祝言 
古賀宣子


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


これまでのあらすじ: 
 大久保利通の原点はお由羅騒動ではなかったか。斉彬派に属し、喜界島遠島に処せられた父次右衛門は、「激しては負け」との言葉を残し、果たせなかった志を、正助(大久保利通)と吉之助(西郷隆盛)に託していく。一網打尽と思われた処分に、四人の脱藩者が判明し、敵方(庶子派)は探索の目をゆるめない。昨年はとうとう吉之助が斉彬出府に随従し江戸へ。そのほか多くの会読仲間も。一人取り残された正助を脇から支援する錦屋源助(黒田家隠密)。心の柱は郷中教育で叩きこまれた日新公いろは歌だ。


梗概:
 大きく動く天下に身を投じていく吉之助を見送った安政四年十二月、正助はひっそりと祝言を挙げる。

「満寿は着痩せしておるな」
 恥じらいの息遣いで満寿は正助の胸に顔をうずめた。
「丈夫な子を産んでくれ」
 正助は行灯の火を吹き消した。(本文より)


作者プロフィール:
古賀宣子。年金生活の夫婦と老猫一匹、質素な暮らしと豊かな心を信条に、騒々しい政局など何処吹く風の日々です。新鷹会アンソロジー『武士道春秋』『武士道日暦』『花と剣と侍』、代表作時代小説『剣と十手の饗宴』などに作品掲載。
 当コーナー【時代小説発掘】では、編集担当。



薩摩いろは歌 雌伏編(一)
薩摩いろは歌 雌伏編(二) 血染めの裃(かたぎぬ)
薩摩いろは歌 雌伏編(三)島からの手紙) 
薩摩いろは歌 雌伏編(四)十六夜の空)
薩摩いろは歌雌伏編(五)慈父の眼差
薩摩いろは歌 雌伏編(六)耳目の門(みみめのかど)
薩摩いろは歌 雌伏編(七)父の生還
薩摩いろは歌 雌伏編(八)心の駒
薩摩いろは歌 雌伏編(九)吉之助帰藩


↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓   ↓  ↓  ↓  ↓                                      



【PR】システム構築、ソフトウェア開発はイーステムにお任せ下さい


************************************************************
当サイトからの引用、転載の考え方
・有料情報サイトですが、引用は可能です。
・ただし、全体の文章の3分の1内程度を目安として、引用先として「ニュースソース・NewsSource(有料版)」と必ず明記してください。
・ダウンロードしたPDFファイル、写真等は、透かしが入っている場合があります。これは情報管理上のことです。現物ママの転載を不可とします。ただし、そこから情報を引用しての表記は可とします。その場合も、全体の3分の1内程度を目安として、「ニュースソース・NewsSource(有料版)」と引用先を必ず明記してください。
・商業利用の場合は必ず、連絡下さい。
 メールは、info*officematsunaga.com
(*を@にかえてください)
************************************************************

【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 雌伏編(十)祝言 
古賀宣子


 

 吉之助が急いた足取りでやってきた。
 昼になってようやく晴れてきたが、まだ道はぬかるんでいて、袴の裾や下駄履きの指先に泥が撥ねている。が、一向に気にする様子はない。それを見た家僕の平吉が井戸端へ走っていった。
 十月に入って間もない夕刻のことである。
「縁談でん、吉之助さぁ」
 三年ぶりの帰藩だ。再婚話があっても不思議ではない。
 昨年来、吉之助は五年前に亡くなった父吉兵衛の名を継いでいたが、正助は馴染んだ方の名前を呼んでいる。
 一瞬、深い二重瞼が瞬いたが、明快に否定した。
 首を縮めて戸口を潜った吉之助の足元に、平吉が桶を置き、絞った雑巾を差し出した。「平吉、気が利くのう」
 それにしても、上がりがまちに腰を下ろす吉之助の物言いが、いつになく弾んでいる。要領良く雑巾を扱い、小座に入ってきた。
 隣は座敷だが、父は出先からまだ戻っていない。母も叔母のところへ出かけている。嘉介は風邪で寝込んでおり、昨日、今日と平吉が嘉介の分も働いている。
 座敷を背にして座るなり吉之助は目を輝かせた。
「殿様よい先に江戸へ戻うこっになった」
「いつ」
「来月早々だ。庭方兼務で徒目付と鳥預を仰せつかったのだ」
「それで、撥ねう泥も厭わず来てくれたのだな」
「順を追って話さねば」
 吉之助は時折このように、自分だけで納得したような言葉を吐く。
「西郷家も吉二郎さぁが郡方書役助から勘定所書役にない、信吾は龍庵と名乗い表坊主になったちゅうし、心置きなく参れうぞ」
 それには答えず、吉之助の視線が引き締まる。
「一ツ橋慶喜の将軍継嗣擁立を推し進めるためだ」
「殿様も江戸を離れておられうゆえ」
「紀州藩主(徳川慶福)を推す反対派の動きが気になっておられうごとだ」
「何しろ、こん問題は一朝一夕に起こったわけではなく、先の将軍が亡くなられて以来と聞いておう」
「亡くなられたのが、ぺルリが浦賀を去って半月もせぬうちで、現将軍はそん当時三十歳になっておられたが、お子様がお生まれになる見込みは薄かった」
「四年前じゃったな。何よりも、そん性格が危惧されておるとか」
「詳細は言えぬが、難しか時勢に対処していくには、将軍を補佐する有能な継嗣を定めるのが重要な課題と言われておる」
「血筋としては、従弟にあたる紀州公が最も近いであろうが、今年やっと十二歳ちゅうじゃなかか」
「徳川治世も、天保期前まではそれでん良かったのかも知れぬが、内外多事の時局にあっては難しかと、殿様のご懸念はそん点にあう」
「それで、指示を出された」
「公武の一和を計い、国内一致して対外の策を定めうため、越前公への伝言や大奥工作に赴かなくてはならなくなった」
「大役であるのう」
 縁談とは次元が違う。一瞬、冷たい感触が胸中を覆ったが、それを吹き消すように正助は言った。
「これまでの働きがきっと役に立つ」
「慄いていてははじまらぬゆえ、一歩を踏み出すまでだ」
 板戸の方に視線を止めていた吉之助は、膝においた両拳を握り締め、呟いた。
「知恵能は身につきぬれど荷にならず」
 正助も唱和する。
「人はおもんじはづるものなり」
「拙者は武芸で名を馳せるこたあ叶わず」
 吉之助は、腕の回転が意のままにならない右腕をさすりながら、言った。
「拙者も同じど。胃弱のため稽古が思うごとできなかった」
「さいとて学問に秀でとうわけでんない。それに家の事情も遊学でくう状況ではなかったし」
「同様だ」
「そいどん、志だけは誰にも負けぬ」
 二人は口を揃えた。
「それゆえ、我等は与えられた日々で己れを磨いていくしかない」
 正助は自分に言い聞かせるように胸を張る。
「能力はどれほど身につけても邪魔にならぬとは、上手かちゅうことを言われたものだ」「世のひとから敬われうほどにならねば、のう」
「日新公はさらにそん上を見ておられう」
「うむ。世の人が己れの無知を恥ずかしがっほどに・・であろう」
「ところで」
 吉之助が再び目を輝かせて話題を転じた。
「実は帰藩の折、肥後藩家老の長岡監物を訪問した」
 同藩上級武士の津田山三郎に案内されたという。
「家老を」
 正助は息を飲んだ。各藩士たちとの交流については、江戸に赴いた仲間からも知らされていたが、流石に家老までは・・。
 薩摩藩の家老にすら会ったことはないというのに。天下はもうそこまで動いているのだろうか。正助は吉之助を眩しげに眺めつつ尋ねた。
「どのようなお方ですか」
「拙者よっか一回い以上年上で、筋道じゃった物言いで大局を論じられう。拙者はそげな方にすぐ惚れ込むゆえ。敬服した旨を殿様に申し上げたところ、出府のおり、大久保を肥後まで同伴せよと命じられたのだ」
「殿様のお許しが出たのか」
「いずれ徒目付の内示が出うらしか」
「泥道どころか、たとえ嵐になろうとも、喜んで」
 勇んで応じたものの、その直後から、顔が引きつるほどの緊張感が覆う。
「先ずは座の話に耳を傾け、何かを問われたら、日頃の考えを述べればよかのさ」
 正助のようすに、吉之助は飾らぬほうがよいと、先年亡くなった藤田東湖に、小石川の水戸屋敷で初めて会ったときの体験を語った。


 

 日暮れて母が新照院町に住む叔母の家から戻ってくるなり、たすきをかけて台所に立っている。
 出かける前に出汁をとり、牛蒡と蒟蒻の灰汁だしを済ませていったようで、大根と人参を刻み、買ってきたさつま揚げの包みを解いている。ほどなく味噌汁の香が空腹をそそる。母は万事に几帳面で手際がよい。
「平吉も、どうやらご飯の炊き方を覚えたよなあ」
 杓文字で麦飯をかき混ぜながら、つまんで出来具合をみている。
 膳を出す頃に父も戻ってきた。
「捗りましたか」
「順調だ。八田知紀殿がよく調べておられ」
 父は京都御所の警衛をどのようにすべきか探求せよと、斉彬公からの命を受けての任務についている。
「警衛となりますと、藩邸はなうべく近い方が宜しかでしょうね」
「そん通いだ。それともう一点。調練の場が必要であろうな」
「嘉介の具合は」
 膳を整える平吉に母が視線を止める。
「明日は起きられうと思いますが」
「そや良かった。あとはよかから、冷めないうちに運んでやいなさい」
 膳を重ねて、台所奥の小部屋に行きかけた平吉が、思い出したように立ち止まった。
「今日、里よい嘉介叔父さぁ宛てに手紙がきまして、一昨日、おいの弟が生まれたそうです。母も元気とか」
「それは、おめでとう」
 三人は同時に箸を止めた。
「確か平吉は三男であったな。すうと・・」
「六男になりもす。妹たちを入れもすと十番目です」
「みな息災なのだろう」
「今のとこいは。弟はおいの赤子のころにそっくいとか」
「では、算術が得てやも知れぬのう」
 豪快な笑い声の陰で、母の眼差しに寂とした光が点る。正助の姉なか子は初産の折に亡くなっているのだ。
「名は」
「正助さぁの正に太いと書いて、正太です」
 平吉が土間奥の小部屋に消えると、母が私もいいお話をと笑顔を作った。
「お秋が正助に縁談を」
 秋は母の末妹だ。妹といっても、年齢は正助のほうに近い。叔母は十代のころ、悪性の熱病を患ったことがある。臭気が強くまた感染を恐れて誰もが看病するのを避けたがったが、正助は昼夜を問わず看護に努め、ついに快復させたことがある。
「おお、そや、有難かちゅうこっだ」
 最近の父の口癖は「正助もそろそろ嫁じょを」だったから、ほっとした物言いだ。父も今年六十五になる。早く内孫の顔が見たいに違いない。
 輝きを増していく吉之助と間近に接しながら正助は気づいていた。日々何か変化を求めている自分に。言い換えるなら、新たな暮らしを形作ることで、自身を成長させていきたいと願っている自分に・・。
吉之助と張り合っても仕方ない。
「御小姓組の早崎七郎右衛門という方の次女で、十八歳とか」
「正助とは十歳違う。ちょうど良かじゃなかか。住まいは」
「西田橋の先、水上坂入り口までん中ほどと聞きました」
「丈夫な方でしょうか」
「ええ、そやもう。外見はほっそいとして小柄だが、これまで年に一、二度風邪を引く程度で、元気なお嬢さぁだそうよ」
 正助は心動くものがあった。が、その前に・・。
「今日、吉之助さぁが来まして」
 吉之助が江戸詰めになり、来月早々、肥後国まで同行することを、そして斉彬公の了承を得ていることなどを語った。
「ですから、話を進むうのはそん後にして頂きたいのですが」
「良かちゅうことは続くのう」
 
 吉之助は飾らぬほうがよいと言ったが、肥後行きに捉われ、村の巡回をしていても道を間違え、遠回りをすることが何度あったことか。肩の力を抜く難しさを知った。
 源助が訪ねてきたのは、そんなある夜、幾度となく読み返している近思録を開いた時であった。
「肥後行きのこと、西郷さぁから聞きましたど。それに十一月一日付けで、大久保さぁも徒目付になられるそうじゃなかですか」
「殿様のご配慮を感謝しておう」
「これからお引き立て下さうお積もいですよ」
「江戸にはやれぬが、先ずは肥後の空気を吸って来い。そんごと受け止めておう」
「こん度は堂々と出水筋を行けもすね」
「そうだ。密かに国境まで見送った、三年前とは大違いだ」
「あん時の加世田屋に知らせておきもすから、宿泊なさってはいかがですか」
「ああ、渡唐口の・・」
 加世田屋は川内川南岸に店を構える廻船問屋だ。
「あん時は、見つかいはしまいかと緊張し通しじゃったが、それだけに思い出も深か」
 硬くなっていた気持ちが、懐かしさでほぐれていくのが分かった。


  

 出発の日の早朝、二人は水上坂の入り口で待ち合わせ、自然石で固められた山道を黙々と登っていった。時おり交わす会話は、仲間の近況など当たり障りのない内容ばかりであった。が、伊集院郷で立ち寄った徳重村の妙円寺山門へ向かう石段を上がりながら、吉之助が唐突に話題を変えた。
「正助、借金はいけんなった」
「なんとか返済にこぎつけた」
「西郷家はまだ、遠い」
「例の水引郷の豪商からの二百両であろう」
「他にもあってのう」
 先々月、四十両の借金返済に困り、義弟の名義で御製薬方から借りてもらったという。 その時、伏せた視線が鋭く動いた。
「振り返るな、誰かがつけてきとっと」
「川田丙蔵じゃなかか」
 正助は直感した。二人はそのまま本堂まで歩を緩めなかった。
「あん庶子派の隠密か」
 二人は賽銭を投げ、両手を合わせた。
「江戸でん動きと連動しておうらしか」
「城代家老島津豊後の一派であろう」
「昨年二月、源助が菩薩堂の角で襲われたのだ」
「樺山三円に聞いた。幸い身分は覚られなかったごとじゃなかか」
「そう、三円が東上すう直前じゃった」
「八月に島津豊後の更迭を殿様に言上したこっがあう」
「殿様は、何と」
「老中阿部正弘に相談せよと命じられた」
「それで」
 吉之助は竹筒を取り出し、休息をとる振りをしながら、燈籠の際に腰を下ろした。ここからだと山門の外が見下ろせる。二人とも話しながら視線は絶えず前方に這わせていた。「早速伺い、お側衆に申し上げたが、ご多忙じゃったからな」
「篤姫様入與だろう」
「それにあんころから、ご体調もすぐれなかったごとだ」
 近隣から来たと思われる女や老人の参詣客に混じって、菅笠を被った男が数人山門を出て行った。それを見て吉之助が飛び降り、正助も続いた。
 串木野の宿で、風呂から上がり、夕飯を待っていると、隣室の襖が開いて、源助が顔を出した。
「源助じゃったのか、つけていたのは」
「両方です。西郷さぁの動きを察知し、殿様がまた何を考えておられうのか、警戒しておるです」
 川田丙蔵等は上の部屋で、いま風呂へいったという。
「源助と逆ではなくて良かった」
 吉之助が大げさに胸を撫でる。
「二人がどの宿に入るか、奴ら、茶店から窺っていたですよ」
 だから彼等に先んじて入り、番頭に一分金を二枚渡して、その後の動きも知らせてくれるよう頼んだという。
「渡唐口では、加世田屋へ参うと断わって、ここん茶店に入ってください」
 源助は店名の書かれた紙片を差し、夜中も油断のないようにと付け加えた。
「すうと吉之助さぁ、あまい暗いうちに出うのも考えものなあ」
「早めの朝飯を済ませてからにすうか」
「それが宜しかでしょう」
 襖が閉まるのを待って、吉之助が胸に触れ、囁く。
「殿様から大事なものを預かっておうゆえ」
 恐らく松平慶永に宛てた手紙であろう。正助にも、そのくらいの察しはつくようになっていた。
 翌早朝、出立姿の源助が知らせてくれた。
「奴ら出もすね」
 同じような旅人が何組かあるらしい。
「考ゆっこたあ変わらぬのう」
「途中で気づかれうかも知れぬぞ」
「そん時は何らかの方法を講じもすで」
 源助に遅れること一刻。二人は日の出間近に出立した。大気は黒から灰色に変じ、景色は充分に見渡せる。
 着古した綿入れ半纏をはおった小僧が近づいてきたのは、古戦場の辺りであった。
「さいごうさぁちゅうお人ですか」
「いかいも」
「旅の人から頼まれました」
 小僧は糊付けした手紙を差し出した。
「拙者が西郷だとなぜ判ったか」
「目印は背の高いお侍さぁの二人連れで、人一倍目のデカイ方の人と聞いたから」
「坊は、こよ、どの辺で預かった」
「十里塚」
「ありがとう」
 西郷が懐から財布を出すと、沢山貰っているからいいと踵を返した。山道に慣れているのか、小僧は跳ねるようにして駆け上がっていく。
 二人は左右手分けして注意を払いながら山道を進んでいった。やがて一丁ほど前方左手が明るくなってきた。
「あん辺いだな」
「峠が近い」
「笠を被ろう」と吉之助。
 立ち止まって紐を結んでいると、山には不釣合いな白い玉砂利が正助の黒足袋を打った。斜面雑木に目を凝らすと、蹲る源助が峠右手を指差している。
「茶店の陰だ」
「ならば海を見下ろす側へ寄ろう」
 ここからは敵に見下ろされながらの歩みになる。途中、小用を足しつつ木々の間から後方を窺うと、道端で同様な動きをする二人連れが見えた。
 網津村に入ってしばらくすると、街道は静かな田園から町の賑わいを呈してきた。
「追手から行方をくらまそうとして渡唐口に臨むのは初めてだが、そげな目で眺むうとなかなか興味深か景色だ」
「逃げ場所はどしこでんあいそうじゃが、そや敵も同じこっ」
「隠れたつもいが、すべてお見通しちゅうこっだって有い得る」
「目指す茶店は、松並木の端から一丁ほど入った所と書いてあう」
「あれだな。茶の地に白抜きで泉屋とあう」
 吉之助が左手を指した。
 二人は店の奥にいき、源助の指示通りに告げると、裏口へ案内され、用水路に舫っている小舟の櫓を主人自ら漕いでくれた。加世田屋はこの並びにある。


  
 
 抱きしめたら全身の骨が音を立てて折れそうだ。
 ささやかな祝言が終わり、小座で花嫁と向き合ったときの印象である。
 その人は満寿といった。細い首に卵形の顔。際立って大きくもなく細くもない目元をはじめ、中の造作はみな輪郭に合って整っている。髷を解き、背で束ねた艶やかな髪。夜着におおわれた肩は撫で肩で、腰もほっそりとしている。年に一度か二度風邪を引く程度の丈夫な質というが、出産はまた別であろう。脳裏には亡くなった姉なか子の面差しが浮かんできた。しかし、今からあれこれ悩んでいてもはじまらない。祈るのみである。
 蒸気を立てている薬缶を外し、炭火に灰をかけようとする満寿を、正助は制した。
「もういっとっそんままで。ちっと話しておきたかちゅうこっが」
 正助は掛け布団を折り、床の上に正座するよう満寿に勧めた。素直に従う満寿の膝頭に湯たんぽを当て、脱いだばかりの花柄の綿入れ半纏を肩にかけてやった。十二月の半ば夜半、火鉢で暖はとっていても、大気は刻々と冷え込んでくる。
 丈夫な子供を沢山産み、自分が留守のときは、親を労わり、家をしっかり護ってほしい。単刀直入にそう述べてもある程度は満寿に伝わるであろう。が、今の正助には、それでは不十分であった。
「今から四年前、江戸に近い相模国浦賀に、異国船が来て開国を迫ったのを、存じておうか」
「はい、父よい伺ったこっがござおいもす」
「それならば話はしやすか」
 正助は噛んで含めるように昨今の諸藩がおかれている状況について語った。
「大まかに分けうなら、天下つまい日本は二つの考え方がせめぎあっておう」
「大きく分けうと二つ・・」
 満寿のまつ毛は長い。目元の可愛らしさは瞳の黒さとまつ毛ゆえであろう。
「従来通い、あくまでん幕府を中心に、異国とはなうべく関らずちゅう考え方ともう一つは」
 正助は今年六月に亡くなった老中阿部正弘と越前公や斉彬公等諸侯が推し進めようとしている考え方を平易な言葉で語った。
「天下は大きく変わうやもしれぬと、父が申しておいましたのは、そんよなこっじゃったのですね」
 正助は満寿の眼差しに聡明な光を見て勢いづき、話すつもりのなかった郷中仲間のことまで触れた。
「小さい時から親しゅしている西郷吉之助ちゅうのがおうのだが」
「西郷吉之助さぁ」
「存じておうのか」
「目が非常に大きい方では」
「吉之助さぁの風貌は目立つゆえ」
 強く肯きながら、源助の手紙を届けにきた小僧が思い出された。
「何時でしたか、お相撲を観に参いましたとき、母たちがあん人は誰かと話しておいましたので」
「記憶にとどめていたのだな」
 何気ない会話に正助の心は和らぎ、満寿の物言いも滑らかになっているのが判った。
「五月に帰藩した吉之助さぁが、先月再び江戸に発ったのだが、途中肥後まで同伴し、細川家の有志を紹介された。国境を越ゆっとははじめてで」
「肥後藩のご城下はどのごとでしたか」
「周囲に心を動かす余裕もなく、先ずは家老宅へ案内された」
「ご家老で、ござおいもすか」
 満寿は、思わず声を高めたのを慎むように右手を口に当てた。
「で、あろう。それがしも吉之助さぁから聞いたときは息を飲んだ」
 だがなあと、正助は満寿の手をとった。指先はすでに冷え切っている。正助は両手でそっと包んだ。
「温かいこと」
 満寿の反応に強く握り返し、続ける。
「長岡監物ちゅう方で、年齢は斉彬公よいちっと若い。高く幅広い目線で世の中を眺め論じておられう。吉之助さぁが惚れ込むはずだ」
「お話を伺っておいもすと、同じ目的を持つ同士なら、藩内の地位などはそれほど気にならぬごとお見受けいたしもしたが」
「まさしゅそん通いなのだ」
 正助は満寿の両肩をつかんだ。行灯は正助の背中を照らす位置にあり、満寿からは細かい表情までは見えにくいであろう。
「それでだ。これからが拙者の申したかちゅうこつじゃあ」
 満寿は僅かに首を傾げた。
「天下を変えごととすう一派と従来の体制を護ろうとすう側。どちらも見方が違うだけで、真剣じゃあ。拙者もいずれ藩の命令で、京へ上うこっも江戸へ赴くこっもあうであろう」
「お父上様、お母上様のもとで、留守をしっかりお護い致しますゆえ、存分のお働きを。ただ・・」
 満寿の声音が曇る。
「不穏な動きもあうと聞いておいもす。いつぞやの晩、菩薩堂の辺いで商人が間違って襲われた由」
「どちらにも穏やかな考えもあれば過激派もいるが、つまい、あくまで話し合いで推し進めごととすう者と力でねじ伏せう者達がおうちゅうこっだ」
「力でねじ伏せう・・」
「有無を言わせず剣術に訴ゆっ」
「古来よい果し合いや敵討ちといわれとうものはあいもすが」
「それとは異ない、相手の隙を狙って殺したい、闇にまぎれて不意に襲撃したい・・」
「隙を狙って。闇にまぎれて」
 満寿の瞳に翳が差し、身体が小刻みに震えている。
「案ずうな。拙者は陰で戦略を考えゆっ役回いに向いておうゆえ、外部には目立ちにくいはずだ」
 きっぱり言い切った正助は、満寿を抱きしめた。胸元から覗く乳房は思いのほか豊かで、襦袢を通して触れた腰も肉づきがよく安定している。
「満寿は着痩せしておうな」
 恥じらいの息遣いで満寿は正助の胸に顔をうずめた。
「丈夫な子を産んでくれ」
 正助は行灯の火を吹き消した。

    
(続く)





このブログへのチップ   101100pts.   [チップとは]

[このブログのチップを見る]
[チップをあげる]

このブログの評価
★★★★★

[このブログの評価を見る]
[この記事を評価する]

◆この記事へのコメント
コメントはありません。

◆コメントを書く

お名前:

URL:

メールアドレス:(このアドレスが直接知られることはありません)

コメント:


くる天
officematsunaga
速報情報は、オリジナル取材ネタも含めてtwitterで無料公開!
twitter

【オフイス・マツナガのブログ】

【CONTACT/連絡先】

カレンダー
<<2011年05月>>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
マーケット情報
by 株価チャート「ストチャ」


FX経済指標


会員制システム
会費は月額1000円で、すべての記事、すべての連載、バックナンバーを見ることができます。また、一般には入手困難な資料等をダウンロードできます。
 購読の規約に関しては、くる天 よくある質問を参考ください。


会費の支払い方・課金の仕方

1:くる天へ会員登録する。
2:ポイントを購入する。
3:記事を購入する 。
 という手順となります。
 初めての課金の申し込み方

返金システムに関して

なお、会費を支払い購読されて「これは課金に値しない」と判断された方には、すみやかに返金に応じます。詳細は、返金システムに関してを参考ください。

入稿後は加筆・修正しません

有料会員制度のサイトという性格と、くる天さんのシステムから、有料記事に関しては入稿後の修正、訂正はきかないようになっています。そのため誤字・脱字・錯誤が含まれる場合があります。誤字・脱字・錯誤等の修正に関しては、別途、指摘させていただく場合があります。誤字・脱字・錯誤  修正情報

皆様へのお願い

 申し込まれたアクセスコード、パスワードを他人に教えたり、譲渡する行為は犯罪行為です。すでに、第三者におしえてしまった!という方は、すみやかにパスワードの変更をお願いします。やむなき場合は、しかるべき対応をさせていただきます。
皆様へのお願い  
当サイト連載コラム
週刊日程表

本日のマーケット

今週の永田町

永田町レポート

本日のオフレコ情報

遠藤顧問の歴史だよ

時代小説発掘(無料公開)

カテゴリ
全て (3356)
2014衆議院選挙当落予想 (12)
無料公開記事 (7)
週間日程表 (154)
選挙 (26)
政治 (86)
経済 (6)
社会 (17)
永田町レポート (67)
今週の永田町 (326)
本日のオフレコ情報 (71)
本日の日経225 (29)
本日のマーケット (1654)
特オチ最前線 (75)
瘋癲老人のレイジーな日々 (25)
扱い注意 (38)
ネットでメシウマ!ウェブマーケティングの虚実 (32)
伊藤博一の事件の眼 (23)
鬼デスクの酔いどれ日記 (44)
アダルトサイト運営奮闘記 (3)
遠藤顧問の歴史だよ (30)
業界記者の覆面レポート (2)
真名のケーザイ探検 (27)
ホッピー・モツ焼・闇市の世界 (4)
ネットでビビるな!ネット音痴の業界人へ (14)
今週のマスコミがびびったネットネタ by 野次馬 (10)
アラカルター久里&占い軍団 (46)
コーヒーブレイク・エクササイズ編 (64)
コーヒーブレイク・ボイスエクササイズ編 (12)
医読同源 (1)
永田町奥の院を新人記者「僕」行く (12)
アンコール (2)
「永田町に棲んだ女たち」2 (13)
「永田町に棲んだ女たち」 (15)
ぼやき三毛猫 (49)
白川司郎訴訟関係 (4)
動画で go !!!! (7)
縄文だよ!!!! (4)
【時代小説発掘】 (204)
2009年 衆議院選挙  最新調査データ (26)
衆議院選挙 選挙区レポート (4)
島田が行く!報道現場の盲点 (2)
誤字・脱字・錯誤  修正情報 (6)
見落とすな!ネット情報・リンク先・保存先 (3)
「永田町に棲んだ女たち・特別番外編」 (8)
雑誌販売動向 (7)
最近の記事
12/06 12:26 江戸浅草物語14「月こそ心よ花こそ心よ」 (無料公開)
11/15 15:30 〈助太刀兵法46〉北斎蛸踊り(8) (無料公開)
10/26 08:49 「本日のマーケット」(FX編)・・・今週は日米の金融政策イベントに注意。
10/26 08:40 「本日のマーケット」(株式編)・・・ 続伸後に日経平均株価が1万9000円台を回復。
10/21 08:39 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円ちょうどの壁を意識。
10/21 08:25 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、方向感の出づらい展開。
10/19 08:33 「本日のマーケット」(FX編)・・・午前11時に発表される中国の一連の経済指標に注目
10/19 08:23 「本日のマーケット」(株式編)・・・午前11時、中国経済の指標しだい。
10/14 08:48 「本日のマーケット」(FX編)・・・昨日に続き中国の経済指標。米9月小売売上高。
10/14 08:31 「本日のマーケット」(株式編)・・・前日の動きが継続し軟調な展開。
10/13 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円大台を中心に方向感に欠ける動きが当面続きそう
10/13 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・5日線(前週末9日時点で1万8218円)が下値を支え
10/05 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京タイムではドル円やクロス円は押し目買いが優勢
10/05 08:34 「本日のマーケット」(株式編)・・・続伸後、日経平均株価が1万8000円に迫る。
10/04 12:07 江戸浅草物語13「天海僧正の結界が破られる時、魔界の者たちの進撃が始まるのか」 (無料公開)
10/02 08:44 「本日のマーケット」(FX編)・・・米雇用統計を控えた様子見姿勢
10/02 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・週末要因や米雇用統計を前にポジション調整
10/01 08:47 「本日のマーケット」(FX編)・・・9月日銀短観、9月中国製造業購買担当者景気指数(PMI)などが材料。
10/01 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・欧米株式の上昇を受けて買いが先行後、もみ合い。
09/30 08:52 「本日のマーケット」(FX編)・・・日中は119円後半のもみあい
09/30 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・反発後、上値が重い展開。
09/29 08:55 「本日のマーケット」(FX編)・・・株安・円高パターンの継続はドル高圧力を後退
09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
09/20 10:55 〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)(無料公開)
オフイス・マツナガのサイト
[現役雑誌記者によるブログ日記!by オフイス・マツナガ]

[オフイス・マツナガ書籍部]

[今週のキーワードbyオフイス・マツナガ]

[オフイス・マツナガのブログWordPress版]

[週刊日程表(アクセス規制有)]

[調査分析報道・資料倉庫]

【公にされない公の資料を公開】

【その他 オフイス・マツナガweb管理人】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最近のコメント
風雲 念流剣 七 (無料公開)(鮨廾賚此丙郤圈)
宿志の剣 三 (無料公開)(会話スキル★吉野)
週刊・月間誌 販売動向13年3月6-7日(管理人:kitaoka)
週刊・月間誌 販売動向13年3月6-7日(珈琲好き)
■この国の最大の問題点は「スパイ防止法案」がない点。マスコミだけでなく、政党にも外国勢力が跋扈。(珈琲好き)
イチローストレッチが止まらない!(バーバリー 時計)
■あまりにあっけなく、野田民主党惨敗。あまりにあっけなく、安部自民党大勝利(takeshi.komi)
時代小説発掘 !!!!!告知!!!!!()
〈助太刀兵法21〉 尾道かんざし燈籠 (無料公開)(モンクレール ダウン)
薩摩いろは歌 雌伏編(十一)痛撃(無料公開)  (株式の初心者)
ブログ内検索

RSS
携帯からも見られます!
QRコード対応の携帯で、このコードを読み取ってください。

Copyright (c) 2006 KURUTEN All right reserved