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薩摩いろは歌 雌伏編(十一)痛撃(無料公開)  
[【時代小説発掘】]
2011年6月26日 10時23分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 雌伏編(十一)痛撃 
古賀宣子


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)

   
これまでのあらすじ:
 大久保利通の原点はお由羅騒動ではなかったか。斉彬派に属し、喜界島遠島に処せられた父次右衛門は、「激しては負け」との言葉を残し、果たせなかった志を、正助(大久保利通)と吉之助(西郷隆盛)に託していく。一網打尽と思われた処分に、四人の脱藩者が判明し、敵方(庶子派)は探索の目をゆるめない。昨年はとうとう吉之助が斉彬出府に随従し江戸へ。そのほか多くの会読仲間も。一人取り残された正助を脇から支援する錦屋源助(黒田家隠密)。心の柱は郷中教育で叩きこまれた日新公いろは歌だ。


梗概:
 翌年七月斉彬が急逝。反対派が勢力を盛り返し、正助は閑職においやられる。一方中央では、井伊大老による、一橋派や幕政批判を強める志士たちへ粛清がはじまり、吉之助は追われた月照と入水事件起こす。
「自分独り死にそこない、生きておうのは残念至極だ・・・」(略)
「吉之助さぁ独り生存したのは、決して偶然じゃなか。こや天が国家皇室のために尽くさせんとしたゆえだ」(本文より)


作者プロフィール:
古賀宣子。年金生活の夫婦と老猫一匹、質素な暮らしと豊かな心を信条に、騒々しい政局など何処吹く風の日々です。新鷹会アンソロジー『武士道春秋』『武士道日暦』『花と剣と侍』、代表作時代小説『剣と十手の饗宴』などに作品掲載。
 当コーナー【時代小説発掘】では、編集担当。



薩摩いろは歌 雌伏編(一)
薩摩いろは歌 雌伏編(二) 血染めの裃(かたぎぬ)
薩摩いろは歌 雌伏編(三)島からの手紙) 
薩摩いろは歌 雌伏編(四)十六夜の空)
薩摩いろは歌雌伏編(五)慈父の眼差
薩摩いろは歌 雌伏編(六)耳目の門(みみめのかど)
薩摩いろは歌 雌伏編(七)父の生還
薩摩いろは歌 雌伏編(八)心の駒
薩摩いろは歌 雌伏編(九)吉之助帰藩
薩摩いろは歌 雌伏編(十)祝言


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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 雌伏編(十一)痛撃
古賀宣子



一 暗雲

「申し訳ない」
 徒目付から閑職に追いやられた正助は、新妻満寿の面前で両手をついた。安政五年七月下旬のことである。
「どうぞお手を」と満寿は恐縮する。
 前年に徒目付になり、いずれ吉之助のように藩主に従って江戸へ出る機会もあるだろう。その節は国事に奔走する他藩の有志たちと存分に交わりたい。そういった将来の見通しが漸く立ってきた矢先であった。
 お由羅騒動に連座した罪で遠島になった父は赦免されて戻り、弱っていた身体も回復していた。当時子供だった下二人の妹も嫁ぎ、苦しかった家政が一息ついた状況にある。そのような大久保家の一連の流れのもとで、昨年十二月に満寿を娶ったのだが、これも将来の見通しと決して無縁ではなかった。
「但しこや、単に薩摩藩の一平侍の身に起きた些細な出来事として、片付けられうものじゃなかのだ」
「と、仰言いますと」
「幕府の方針が変じたこっに加え、こん十六日に斉彬公が薨去なさったこっと大いに関わいがある」
「仲間の方々と南林寺へ何度も平癒祈願に参られましたのに」
南林寺には戦国大名島津氏の祖といわれる貴久の肖像を奉安する御影殿がある。
「熱祈誠願もついに効なく・・」
 訃報に接したときは、一瞬、眼前が真っ暗になり、足元がふらつき、辛うじて身を支えたほどであった。
 吉之助は先月十日ほど鹿児島に滞在し、再び京へ戻ったが、訃報をどこで知ったであろうか。滞在中、多くは語らなかったが、恐らく磯邸で斉彬に拝謁し、松平慶永ら一橋派大名からの書簡を呈し、江戸や京の形勢を伝え、斉彬の返書を携えていったに違いない。福岡で黒田斉溥に拝謁するといっていた。こういう時期だからこそ、己れの使命をより確かにしていくのだとも。
「そう致しますと」
 満寿の声に正助は我に返った。
「斉彬公の施政に反対しておられう方々の勢いが、再び増したということでござおいもすね」
「満寿は賢いのう」
「日本は内においても、外に向けても、大きく分けうと二つの考え方がせめぎ合っとうと、ご覚悟を語られましたでしょう」
 満寿が頬を染め、視線を落とす。
 時機を失しては困る。思い返せば焦りに似た気持ちが、滑稽なほど大真面目にさせ、祝言を挙げた晩の語りとなった。それが一年も経たぬうちに覆されるとは・・。
「ならばそん先からでよかな」
 正助はことさら冷静に「四月に掃部頭が大老にない」と続けた。
「彦根藩主の井伊直弼様ですね。確か紀州藩主の徳川慶福様を将軍継嗣に推しておられたでは」
「そん通い。先月二十五日、世子と定めたられた旨が公になった。こん五日にな将軍家定公がご逝去なさい、幕政は大きく動くであろうこたあ、南端の地にいても想像はつく」
「一橋派の方々はさぞ落胆なさいましたでしょうに」
 正助は大きく頷き、両膝におくこぶしを握り締める。
「徳川慶福様は未だ十三歳で、内外多事の昨今、国家の大政を処理なさるには・・」
「一橋慶喜様はお幾つでござおいもすか」
「二十二歳、しかも聡明な方で、最も適任といわれておうのだが」
「それでは一橋慶喜様を推しておられた方々も、排斥せられておられるのですね」
「鋭いぞ、満寿。吉之助さぁからの手紙にようと、優れた方々が他に転ぜられておうとか」
 それにと、正助は冷えた茶を飲み干した。
「勅許を仰がずして、米国との修好通商条約に調印したちゅう。そんため違勅調印の責任を追及した一橋慶喜公や翌日異議を申し立てに不時登城した水戸前藩主斉昭様をはじめ、水戸・尾張・越前三藩主に処分が下されたそうだ」
「天朝のご沙汰をお待ち遊ばされずに・・。斉彬公ご存命でしたら、いけんなふうに思われたでしょうか」
「謦咳に接したことはないが、皮相だけで判断なさうお方じゃなかで、あらゆう角度から大老の置かれた状況をご覧になられうのではと思う。ただし、常に心の中心にあったのは、朝廷の尊崇じゃった」
 五年前、吉之助と密かに差上げた建言書に対して、思いがけず諭告書が届いたが、その内容から広く深い視野が感じられた。
「重罪はご覚悟ん上でなさったちゅうことでござおいもすか」
「人心の怒いは天朝無視にあうが、大老ともあろうお方が、そいをご存じんとは思われぬ。ただ・・」
 正助はいったん言葉を切り、続けた。
「異国に対すう確たう方針や見識もなく、武力の圧力に負け、やむを得ず条約を結んだのは事実で、国家にかかわうこれほどの大問題を専断で結んでおいて、後になって勅許を仰いだこっに違おらん」
「そん点が、正助様のごと朝廷を重んじう方々を刺激したでござおいもすね」
「従来、幕府は朝廷を軽んじた政をやってきたゆえ、それに拍車がかかったと見うべきじゃなかか」
「こん先、いけなふうになうでしょうか」
 正助も胸中で同じ言葉を吐いていた。


二 吉祥院

「税所様がお見えです」
 板戸の向こうから平吉の声がした。正助は吉井仁左衛門から借りた『古史傳』を読んでいた。吉井仁左衛門は国学者平田篤胤の門下で、その著書『古史傳』(全三七巻)を申し込んでおり、次の巻が届くたびに借りて、仲間と回読している。
「入るよう言ってくれ」
 間もなく現れた税所喜三左衛門が「おっ、きたか」と声を弾ませる。税所喜三左衛門も、嘉永六年に東上した際に、平田の家塾で学んでいる。年齢は吉之助と同年で、正助の最も親しい仲間の一人だ。
「正助は先日、藩主又次郎様の実父周防様とはいけな方だろうかと申しておったであろう」
「斉彬公が亡くなられ、頼う方を失った我等だ」
 このままでは、我等が今まで目指してきたものが水泡に帰す。そんなことは絶対にあってはならない。
「なんとかせねばと、突き詰めていった先に周防様のお名前が。それに、家老の島津豊後や新納駿河の目も届きにくいのじゃなかか」
「実は朗報があっとだ」
 税所喜三左衛門が意気込む。
「僧侶の兄乗願が」
「囲碁の達人であられう兄上だな」
「今は南泉院の支坊吉祥院に転住しておうのだが、かつては重富郷の寺におい、そん頃から周防様の囲碁のお相手をしていたちゅうじゃなかか」
「すうと今もお相手を」
「無論。それでだ。正助の唯一の楽しみは囲碁であろう」
「最近は、それどころじゃなかが」
「実益を兼ねう時が到来したぞ」
「なにっ、達人とお手合わせ願ゆっとか」
「先ずは正助自身が面識を得うこっだ」
「世の中がいけなふうに変わろうとも、真心をもって己れの本文をつくせ、でなくてはのう」
「いろは歌か。神様は必ず公平に取り扱って下さう。天にはじうことはないか、自分をみつめよ。そげん意味であったな」
 二人はどちらからともなく諳んじた。
 
ねがはずは隔てもあらじいつわりの
          世にまことある 伊勢の神垣(しんえん) 

       
 吉祥院は南泉院の裏門前に建つ観樹院と隣接している。
 乗願は夏日の差し込む庫裏に端座していた。囲碁の達人だけあって、穏やかさの中にも勝負師のもつ鋭い光が見え隠れしている。いくら自分は囲碁好きとはいえ、知ったかぶりなどできない。その上、背後には、どのような方かを知りたい人物がいる。だからといって下心などは持つまい。すぐに見抜かれてしまうであろう。
 正助は無参和尚のことを思い出していた。十代後半のころ、父と南林寺へ講和を聴きに入ったこと。その後和尚は福昌寺の住職に転任した。そこでは吉之助とともに座禅を組み、教えを請うた。あの頃の気持ちに戻るのだ。いまは未だ見えないが、それが確かな糸となって繋がるかどうかは、偏に自分の姿勢にかかっている。
「斉彬公のご逝去は、さぞ、御心落としでござおいもしたでしょう」
 開口一番、乗願にねぎらわれ、どれほど緊張がほぐれたことか。
 乗願は聞き上手で、正助の身辺で起きた出来事などについてごく自然に触れていく。問われるままにお由羅騒動に連座して、父が喜界島遠島になったこと。記録所書役助だった自分も謹慎処分を受けたこと。三年後に自分は謹慎を解かれ、その後蔵役に転ぜられて、苦しかった家計が一息ついたこと。胸を張れる点は、その間も仲間との回読を怠らなかった等々。
「では東上は一度も・・」
「はい、一昨年の暮れに、東上すう仲間に付いて肥後藩城下まで参いましたのが、国外に出た初めでして」
「喜三左衛門が申すには、茶道坊などで国許と江戸を往来すう者も多いとのこっだが、そんよな事情がおあいなら」
「羨ましゅなかったと申しますなら嘘にないもすが、支えの一つは日新公いろは歌でした」
「あれは薩摩隼人の血とない肉となっておいもすゆえ」
 暗誦しているのか、唇を微かに動かす乗願。ややあって・・。
「仲間との回読は、どのよな書物を」
「近思録などを。近頃は古史傳が愉しみです」
「ほお、古史傳を」
 乗願は碁盤をなかなか正助に運ばせようとはしなかった。何故だろう。その思いが床の間の前へしばしば視線を向ける。それを見透かしたように乗願は問いかけてきた。
「おはんの目的は周防様ですな」
 単刀直入に聞かれ、思わず腰を浮かすほどであった。
「先日、税所の家に全く久しぶいに参い」
 話の自然な流れから、ふっと周防との交流を洩らしたら、喜三左衛門の顔が喜色に変じ、急用を思い出したと席を立った。
「そして今日の正助殿です」
 乗願は、それ以上は言おうとしなかった。
「おいに何をお望みで」
 観念して、正助は率直に答えた。
「周防様にお目にかかりたいのです」
「つまい、おいにそん仲介役をと、願われう」
「是非に」正助は額を畳にこすり付けるようにして両手をついた。
「そん旨をお伝え致しましょう。ただし、おいはそれ以上もそれ以下の振う舞いも致しませぬゆえ」
「ご仲介を頂くだけで、天にも昇う思いでござおいもす」
 嘘ではなかった。乗願への願いが、これほど滑らかに運ぶとは思ってもみなかった。
「しかし」
 吉祥院での話を聞いた税所喜三左衛門は、核心に迫る兄乗願の応対振りに唸りつつも、首を捻る。
「周防様の方は簡単ではあうまい」
 数日後に得た結果は案の定で、一瞬、心が揺らいだ。が、それを覚られまいとごく当たり前の言葉が出る。
「名も知られておらん平侍が、たったいっ度の申し入れで、一門家の当主に面謁でくうわけがあいませぬ」
「うむ、それもあうが」
 乗願は意外な反応を示した。
 どんな人物かと周防に聞かれ、私情は挟まず、身辺の事実をそのまま伝えたという。
「但し流石にお由羅騒動は憚られ、高崎崩れと言い換えた。ところが何もご存知んご様子で」
「お由羅騒動をご存じなかったですか」
「それ以上、深入りは避けたが・・。担がれた周防様の与い知らぬところでの騒動じゃったでは」
「中心はお由羅様とそん側近、そして島津豊後や新納駿河などの斉興派でしたで」
 それでも何かを感じたのか、周防はぽつりと呟いたという。
「余を誤解しておるのでは」
「誤解・・」
「つまい、恨みを抱いて近づこうとしておうと」
「そげなこっで、ござおいもしたか」
「警戒を解くには、根気よく意見書などを差し出しては如何か」
「お目にかかって申し上げたかったこっを綴いもす」
「それは、そうと。古史傳にご関心を示され、閲覧なりたいと」
「真でござおいもすか」
 正助には閃くものがあった。


三 揺れる京

 翌月下旬、幕府や京の詳しい動きが正助にも伝わってきた。その知らせをもたらしたのは源助だ。
「徳川慶福が将軍継嗣と決まうや、三家大老のうち一人急ぎ上京すべしとの勅命が下いたのだが、大老等はそれを一橋派の陰謀と捉えたごとで、それが処分の本意らしか」
 源助は事の次第をつかみやすいように、日を追って順々に話していく。
「公卿や有志者等もさぞ憤激しておうのでは」
「それはもう一方ならじ、天皇も大いに逆鱗あらせられ・・」
「そんほか市中の動きは」
「蛸薬師辻に貼紙が出されました」
「どんよな」
「異国との売買に携わう商家の名が三十軒ほど書き出され、商いをやめなければ<天誅>と書かれたものです」
「まさか殺害までは」
「仏光寺高倉の油屋八幡屋宇兵衛が殺され、三条河原にさらし首ですよ」
「物の道理として、抵抗が強まれば、それだけ抑え込む力も増すであろうな」
 正助はため息をつき、呟いた。
「吉之助さぁ、いけんしておうだろうか」
「今月はじめ、朝廷からの密書を持って江戸小石川の水戸藩邸にいき、家老の安島帯刀様に面会したそうですが、受取いを拒否されたそうです」
「藩主が処分をうけておうのではのう。吉之助さんはまた京へ戻ったのだろうか」
「有村俊斎に託して上京させ、月照を通して近衛家に返納させたそうです」
「月照・・。初めて聞く名だ」
「清水寺成就院の住持ですよ」
「そうか。清水寺成就院と薩摩藩は関わいが深いわけだな」
「そん他、あそこと因縁の深い藩は十指を超ゆっととか」
 幕府は公武の離間政策をとっていたので、公卿と武辺が直接にふれるのを困難にしてきた。議奏や伝奏の取次ぎなくしては接近できぬ仕組みになっている。但しそこには「祈祷寺院」という大きな抜け道があった。
「ここに至って、水戸藩に密勅が下されたそうです」
「密勅・・。そやまた、なに故に」
「どうやら幕府が勅許を経ずに条約に調印したことを、孝明天皇は歎かれ、退位を洩らされたらしゅ、譲位を止めるのはこれしかないと関白九条尚忠も、朝廷の協議を承知したごとだ」
「すると武家伝奏が水戸藩の京都留守居を密かに招いたのだな」
 正助にもそれくらいの動きは想像がつく。
「鵜飼吉左衛門ちゅう方だ」
「聞いたこっがあうな」
「御趣意書が与えられたらしか」
 源助は一段と声を潜める。
「御趣意書」
 源助が言葉を発するたびに正助は胸を突かれる思いだ。
「恐らく現藩主に内外の治安を安定さすっごと命じているのじゃなかかと思う」
「代替わいした藩主に、だな」
「いかにも。徳川慶篤様だ」
 御趣意書を持って江戸へ赴いたのは、鵜飼吉左衛門の子幸吉と薩摩藩士日下部伊三治だという。
「幕府は知っとうのだろうか」
「老中を招いて、勅書伝達の対応を談じたらしか」
「それで」
「幕府にも到達していたごとだが、それ以上、細かかちゅうこっまでは掴めず・・」
 源助は嘆息しつつ、付け加える。
「江戸は今、コロリが流行っておい」
 その療治方を幕府は通達したという。
「長崎に発生と先々月、仲間からの手紙にあったな。いつ薩摩でん流行らぬとは限らぬ。いずれ藩庁からの触れも出うだろうが、詳しゅ教えてくれぬか」
「調べてきましょう」


四 粛清へ

 この節流行の暴瀉病は、その療治方様々ある趣に候えども・・。
 正助は家族を前に、激しい吐瀉を伴うコロリについて、素人が心得べき法を読み上げていく。九月も半ば近くのことである。
 あらかじめこれを防ぐには、すべてその身を冷やすことなく、腹には木綿を巻き、大酒、大食を慎み、その外こなれ難き食物を一切給ひ申すまじく候。
 黙って聴いていた満寿が顔を上げる。
「もし、罹ってしまいましたら、いかが致しますか」
「それも記されておう」
 寝床に入りて飲食を慎み、総身を温め芳香散といふ薬を用ゆべし。
「芳香散の調合については別紙に記しておいたゆえ」
 正助は続ける。
 かつまた吐瀉甚だしく総身冷ゆる程に至りしものは、焼酎壱弐合の中に、龍脳また樟脳を入れ・・・
「量はどのくらいでしょうか」
 満寿の眼差しは真剣だ。
「焼酎と同量だな」
「一、二合ですね」
 満寿は自分に言い聞かせるように頷く。
「では先を読むぞ」
 あたためて木綿の切れにひたし、腹ならびに手足へ静にすり込み、芥子泥を以て下腹ならびに手足へ、小半時位に度々貼るべし。
「芥子泥の調合も別紙に記した」
 正助は書き写した一部を家族用にと満寿に手渡す。
「そん他、叔母上様方、妹たちのとこいへも用意しもした」
 両親にもそれらを見せる。
「仲間にも回すつもいです」
 正助はこの大事な時期に、有志を一人も失いたくはなかった。今の自分にできることはそのくらいだ。
「あまい出すぎたことはせぬごとだ。あくまでん仲間の範囲に留めておけ。時が時ゆえ」と父が諭す。
「心得ておいもす。琉球でん、親薩摩派の弾圧が始まっておいもすごとで」
「眞か。殿様ご逝去ゆえだな」
「内命で動いていた市来四郎に、すべての交渉を打ち切って戻うごと飛脚船がきたそうです」
「そうなうと、吉之助もいずれ戻ってくうであろうな」
 顎をなでる手の甲にはしみが目立ってきた。
 父の一言には深い意味はなく、正助のように徒目付を解かれ、以前の一下級武士を想像していたに過ぎない。
だが江戸や京では、まるで津波が沿岸地区を呑み込むような変動が起きていた。仲間からの手紙もなく、正助がそれを知ったのは十月も下旬になってからであった。
 暁七つ時、嘉介に起こされた。
「源助さぁが見えもした」
「ここへ通してくれ」
 正助は飛び起き、綿入れ半纏を羽織ると、布団を二つ折りにして隅へ押しやった。
「知らせが錯綜して確かむうのに時を要しまして」
 加えて、庶子派の隠密である川田丙蔵につけ狙われていたという。
「加世田屋の弥助が農夫に変装して昨夕来まして漸く・・」
 弥助は源助と同じ黒田斉溥が放つ忍びだ。
「事の発端は九月五日、水戸藩の使者として活動していた者が大津で捕縛され、京の六角獄へ入れられたこっです」
「名前は判っとうのだろうか」
「信濃の志士で近藤茂左衛門と申す者です」
「松本藩士か」
「二日後、儒者の梅田雲浜が捕らえられました」
「在京志士の中心人物じゃなかか」
「こや、あくまでも、後になっての憶測に過ぎませぬが」
 源助は言葉を切り、改めて息を整えて続けた。
「九条尚忠が内覧の職を免ぜられ、一橋派の近衛忠熙に代わったのですが、そいをつかんでいたのでしょう」
 内覧とは関白のことである。
「先手を打って、梅田雲浜を先ず捕縛した。誰か入れ知恵したのがおうのでは」
「長野主膳では、と睨んでおいもす」
「京でよく見かけると、吉之助さぁに聞いたこっがあう
「その後次々に志士たちが捕らえられ、例の密勅に関った鵜飼吉左衛門・幸吉父子も。日下部伊三治は江戸で。その上、鵜飼父子が水戸藩家老安島帯刀や薩摩藩士日下部伊三治に送った密書も押収されたとか」
「密書・・。中身は」
「老中等暗殺に関う内容です」
「実は今月六日に吉之助さぁが帰藩し、判ったこっだが」
 斉興は斉彬死の報に接し、帰藩途上にあり、交替した江戸藩邸守衛が大坂滞在中だった。斉興に面謁した吉之助はその藩兵をもって皇居警衛にあてることを請うたが、幕命でないと難しいといわれ、それでは大坂に兵をおくだけでもと懇願し、承諾を得たという。
「吉之助さぁは、京滞在中の老中間部詮勝が暴発すうよなこっがあったら、挙兵すう企てを立てていたごとで」
 それとは別に吉之助は、近衛家より月照の護送を依頼されている。
「はじめは奈良の知り合いに匿ってもらうごと頼まれ、有村俊斎とともに月照と従僕重助の四人で出立したが、街道筋は隠密らしき者が多く、安全じゃなかと判断し、薩摩へ落とすこっにしたとか」
 ひとまず難を避けて大坂に逃れたが、追跡され、吉井仁左衛門が入手した小倉船で五人は馬関に向かった。
「五人ちゅうと」と源助。
「月照と重助、堀仲左衛門と有村俊斎そして吉之助さぁだ」
「すうと月照は薩摩に」
「まだ馬関では。藩に月照隠匿を承認さすっために吉之助さぁだけ帰藩した」
 重臣のなかにかねてから志を同じくする方が帰藩していると聞き、大いに期待したが、肺患に罹っており、船中で没していたという。
堀、有村、吉井らもその後幕府の捕吏に追われ、やむなく帰藩中だ。皆で奔走したが、藩は幕府の圧力を恐れて、匿うどころではない。
「吉之助さぁは西郷三助と改名を命じられうしまつで」
「人相書が手配されとうでしょうから、月照も恐らく転々としているのでは」
 源助は馬関の薩摩屋や竹崎の白石正一郎の名をあげる。
「有村にようと、博多にいる藤井良節に託してきたちゅう」
 藤井良節とは、お由羅騒動のときに脱藩した四人の一人だ。もと諏訪明神神職の井上経徳である。
「藩は月照を受け入れもすかね」
 首を捻っていた源助は「そやそうと」と続ける。
「橋本左内はつい最近、江戸町奉行所に召喚・拘禁されたそうです」
「どうやら一橋派は四方に離散してしもたごとだな」
「公卿・諸侯は概ね退潮し、十月十九日に至って、近衛忠熙は内覧を辞し、九条尚忠が再びなりもした」
「処分は公卿にも及ぶな」
「近衛忠熙、鷹司政通、三条実萬は落飾退隠の命が下ったごとです」
「幕府方の一橋派はどうか」
「皆、免職謹慎を命じられました」
 暗澹たる胸中で、正助は再び、「ね」で始まる一首を諳んじていた。


五 吉之助と月照

 月が変わって十一月十一日の夜、吉之助の末弟彦吉がやってきた。今年十二歳になる彦吉は、吉之助や表坊主を勤める龍庵とは違い、顎が尖り目も細い。
「お住職が訪ねてきました」
 聞くなり月照の名が浮かぶ。
「わかった。参ろう」
 二人は川沿いの道を黙々と急ぎ、高麗町橋を渡って、吉之助の借宅へ。
 板戸を開けると、和尚と吉之助が向かい合い、男がもう一人、部屋の隅に。従僕の重助と後ほど判った。
 燭光に浮かぶ月照は、座高は吉之助の半分ほどで、肉付きは中位であろうか。顔色は青白く、長い眉が目を引く。眼元は内を見つめ、閑寂の境地を湛えている。年齢は四十半ばらしい。鋭い光が見え隠れする乗願の眼差しが脳裏をよぎる。年の頃は同じくらいだ。
 この人が、捕吏に追われるほど、国事に奔走していた僧侶とは・・。
「ここまでよく、ご無事で」
 それだけ述べるのが精一杯であった。
「筑前の志士平野次郎殿に伴われて参られたが、平野殿は先ほど戻られた」
 月照は明日早朝に、吉之助が送っていくという。
「そや残念」
 かねがね名前だけは知っていた平野次郎だが、正助は大事な客人を護送してくれたことへの謝意を表したかった。
「入国できぬ藤井良節に頼まれ、山伏に扮して陸路柳川に出られ、海路よい市来港までこられたそうだ。ご城下には昨夜。旧知の日高が住む存竜院に宿泊しておられう」
 ところがその翌日、災いが降りかかるのを恐れた日高が藩庁に訴えたため、藩庁は即時に月照等を旅舎俵屋へ移転させ、吉之助と日高以外の出入りを禁じた。そして十五日。東目(日向)追放と決定される。日向には薩州領が四箇郷あり、関外四箇郷と呼ばれている。これは永送りで、殺害を意味している。

 後にそのときの経緯を吉之助自身が語ってくれた。
 月照和尚をば薩摩に置いては、幕府に対して恐れがあり、国に留めてはならぬ。よって日向の方へ同道していけ。そこへ連れて行けという達しが藩庁から伝えられた。つまり逐払(おいはら)えということである。それほど甚だしくは言わないけれども、藩庁の命とあっては仕方がない。月照の旅宿へ赴いて話した。
「さて折角遠方までお尋ねに預って、御危急の場合をどうにかして、御安心のできるようにいたしたいと思って尽力いたしましたけれども、藩庁から斯く斯くの命令を受けて、いたし方ありませぬ。今関外日向の方へお連れ申さなければならぬ場合になりました」
 すると和尚はこう言った。
「自分は幕府の嫌疑を受けてより以来、どこに手便(たよ)る処もない。ただ薩藩に身を托する積りで、ことに薩藩にはそこもとが居られるので、遥々尋ねて来たことであるから、右の通りの藩庁の模様であれば、いたし方ない。日向の関外へ出て、おめおめと幕人の手に掛るよりも、愚僧は別に所存があるから」
 拙者は、成る程そうであろうと察して、別に言うべき辞もなく、ただ、「和尚がその思召しなれば、私もまた考えがある」と言うただけでその席を立って、それから仲間は無論のこと、家族にも何も告げず、旅立ちの用意をいたした。
 藩庁からは坂口何某という与力がつき、月照は平野次郎と従僕の重助をつれておる。丸木船を一艘仕立て、酒肴を用意して、船に乗った。錦江湾から日向の方に行くには、大隈の浜の市まで海上八里東に向かって行く。漕ぎ出して少しく湾を離れると、ちょうど西風が吹いて夜になった。帆を懸けて浜の市へと走り船でいく。携えてきた酒肴などを取出して酒を飲み、種々国事の話などをして、和尚と平野と拙者がおり、与力と重助は後ろの方にいた。
 時折、戸障子を僅かに開けては景色に目をやっていた。走り船であるから、はなはだ迅速で、ちょうど錦江湾を走ること三里ばかりのところに、海辺に面して心岳寺の在る龍が水の沖に出てきた。十五夜であるから月の色が冴えて明るい。拙者は艫の方へ出て、和尚に「ちょっとここへお出で下され」と呼んだ。出てきた和尚に、薩摩藩の者なら熟知しておる心岳寺の来歴を詳細に語った。
「豊太閤と和睦をした義久・義弘両人の兄に逆らい、降参せずにあくまでも戦を主張し、太閤帰陣の途中で待ち伏せし、狙撃せんとする企てを知られた歳久は、豊公から割腹を命ぜられる。その歳久の割腹をしたところが心岳寺で、院号も心岳寺殿と申します。今に殉死の墓などがありまして、薩摩藩士は、歳久の左様な目に逢ったのを不憫に思って、今もって参詣が絶えませぬ。和尚も欠縁ながら御一拝下され」と言った。
 すると和尚が「さて、そういうことでござるか、しからば一拝いたしましょう」と言って、心岳寺に向って合掌膜拝(もはい)いたされた。そこを拙者が大手を伸ばして抱き、そのまま海中にざんぶと投じた。
 そこまでは自分は知っておるが、それから先は覚えておらぬ。
が、後で坂口某に聞いたところによると、こうだ。
 両人が艫の方で海に投じた音がしたから、平野次郎や重助ら皆ことごとく驚愕して救おうとしたが、船が走るので留めようとしても仕方がない。
 そのとき坂口が太刀を引き抜いて、帆綱を次々と斬り払って走り船を止めたが、それでも投身した処より余ほど行過ぎておるから、数町漕ぎ戻して、およそここあたりという所で探りを入れ、船頭、水主残らず海に飛び込んで探ってみて、両人抱き合いながら沈んでおるのを引き揚げた。
 丁度その船のあるところから心岳寺の浜辺までは、半里以内であるからそこをば漕ぎつけて、心岳寺の海岸まで船を寄せた。そうして両人抱き合っておる死体を分けようとしたが、中々しっかり抱きついておって離れぬ。漸く死体を離して、両人とも水を吐かせた。 十一月のことで寒い時分だから、焚き火をして死体を火にあてて身体を温めたところが、拙者は少し体気がついてきたが、和尚はそのまま遂に気息がない。仕方がないからそれだけの手当てをして、また船に乗せて、鹿児島までおよそ三里を漕ぎ帰った。
 それから医薬をもって種々手当てをしたけれども、遂に和尚は再び蘇生せず。拙者は三日三晩人事不省であったが、およそ三日目に人事を覚えるようになった。


六 平野次郎

 十六日の黄昏に、吉二郎と龍庵に護られて家に帰ってきた吉之助を、正助は有村、吉井その他の仲間たちと迎え、交替で寝ずの番をしながら、介抱したのはいうまでもない。
 覚醒した吉之助は、月照が亡くなったのを知り、悲痛な声を洩らした。
「自分独り死にそこない、生きておうのは残念至極だ。士の剣戟を用いずして、身を投げうなどとゆうこたあ、おなごのしそうなこっで、誠に天下の人に対しても言訳がない」
 身体に障るからと押し留めるが、吉之助はなおも吐き続ける。
「ただ和尚は法体のこっであれば、剣戟を用いずして死んだ方が宜しかろうちゅう考えで、投身したけれども、いっそ死ぬるならば、初めから剣戟を用いたらよかったに、おなごのなすような真似をして、自分独り生き残って面目次第もない」
「吉之助さぁ独い生存したのは、決して偶然じゃなか。こや天が国家皇室のために尽くさせんとしたゆえだ」
 宜しく自重してくれと慰藉すると、少し落ち着いたようすをみせ、しばらくして死を決した経緯を語った。
 月照という人は、最初から深い交わりではなかった。ただ近衛家に近いところから、共に国事を談ずるようになったのであるが、その人となりは誠に穏やかな人品で、別に奇抜な処などはちっともない。ただこの和尚ならば生死を共にしようという考えが、初対面のときからあった。
 関外追放の命が下ったとき、和尚は所存があると言ったので、自分も所存があると言ったのは、以心伝心で、一言の下に死生をともにする覚悟になったのである。それから先は互いに心中で決しておるばかりであって、心岳寺を遥拝するまでは、船中などは誠に愉快に話をしておって、心岳寺の前であのような始末に及んだ。
                     
 吉之助の話に聞き入っていた正助の耳元で、使いが来ていると彦吉が囁いた。
「源助さぁが急用だそうです」
 平吉の一言を受けた正助は、土間で煮物をつくる吉之助の祖母に一礼をして外へ出た。
「平野様と重助は飛脚宿原田郷兵衛の家に移っておいもしたが、一昨日、福岡藩の盗賊方が重助を受け取りに来ました」
「平野殿は」
「大口街道から二十日には必ず立ち去うごと命じられておいもす」
「今日じゃなかか」
 叫ぶなり正助は平吉を走らせた。
「有村俊斎と森山棠園を呼んでこい」
 半刻後、正助と有村俊斎は飛脚宿原田郷兵衛宅を訪ねたが、平野次郎はすでに発った後だった。
「出発間際に、握り飯を入れた破籠(わりご)を差し出しもしたら、取うない壁面に投げつけられまして」
 番頭は戸惑いの表情を隠さない。
「藩庁の処置を憤い、その憤懣の情を表したのであろう」
 堪えてくれるよう、正助は代わりに頭を下げた。
 平野次郎はその直後、腰に挟んだ横笛をとり、吹き鳴らして出て行ったという。
 二人は真夜中の街道を重富宿へと急いだ。自然石で造られた白銀坂(しろがねざか)を下りきったところが目指す宿駅だ。そこの旅宿を片っ端から物色。二十一日未明、数軒目にして漸く平野次郎を見つけ出した。
 襖を開けると、刀を構えた総髪の武士が・・。足元の掛け布団は跳ね上がったままである。
 即座に有村俊斎が名乗り、九月に京で別れて以来と挨拶すると、表情が和らぎ、刀が棄てられた。
「捕吏の来襲と誤認いたしたゆえ」と陳謝する。
「お名前はかねがね承っておいもした」
 正助は初対面の挨拶をし、大事な客人の護送が徒労に終わった詫びをしたかったが、悔しさで言葉が続かなかった。
 二人は、入薩以来の経過と吉之助らの入水前後の様子を聞きながら、暫くの時を過ごし、森山棠園に都合してもらった五両を、同志からとして差し出した。
「忝い。手持ち不如意になり、今後は野宿をば覚悟致しておったところです」
 素直に喜びを表わす平野次郎に、正助は漸く肩の荷を下ろした。


(続く)






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1. 株式の初心者 2012年9月2日 15時41分 [返信する]
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

 


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