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「払暁の風」第一章 黒田の合戦 (無料公開) 
[【時代小説発掘】]
2011年11月6日 10時45分の記事


【時代小説発掘】
「払暁の風」第一章 黒田の合戦
鮨廾賚


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)



【梗概】: 
 本コーナーで、著者初の長編です。一章ずつ発表していく予定です。
〈全体〉
 南北朝末期、室町三代将軍足利義満の時代。美濃、尾張、伊勢三か国の守護土岐氏は、惣領康行の弟満貞が、自ら惣領にならんとする野望を抱いていた。主人公沼田又太郎は、満貞の信頼厚い家臣であり、土岐頼益の内室玉木の方に仕えている早希とは、互いに慕い合う関係にあった。ある日、又太郎は主人満貞から土岐頼益の暗殺を命じられる。
〈第一章 黒田の合戦〉 
室町三代将軍足利義満から尾張国守護を命じられた土岐満貞は、勇躍任地尾張に赴く。だが、満貞の守護を認めない守護代土岐詮直は、実力でそれを阻止しようとしていた。怒った満貞は、黒田の地で詮直と合戦することになるが、初陣の主人公沼田又太郎は、その合戦の場で恥辱の出来事を経験することになる。


【プロフィール】:
鮨廾賚此 昭和33年(1958)生まれ。大阪在住。平成22年(2010)第40回池内祥三文学奨励賞受賞。現在、新鷹会会員、歴史研究会会員、大衆文学研究会会員。



鮨廾賚困里海譴泙任虜酩福

秘太刀「一心の剣」
風烈廻り昼夜廻り同心朽木重四郎 
雲、流るる
猿御前
信綱敗れる 
中条流平法 
沼田法師 
女忍び無情
ぼろぼろ系図 
帰心の風 


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【時代小説発掘】
「払暁の風」第一章 黒田の合戦
鮨廾賚



一 至福の時

 澄んだ鴨川の流れが、さらさらと心地よく沼田又太郎の耳に響いた。
 遠く比叡の山の上、白いほっこりした雲が少しずつ動いている。
 うららかな仲春(二月)の昼下がり。川も空も、そして時さえもがゆっくりと流れていくようであった。
「それで、兵法の修行をなさっているのですね」
 気がつくと愛くるしい早希の顔が間近にあった。
 陽はすでに中天を過ぎ、西に傾いている。
 はっとして、
「すまぬ。つまらぬ話を聞かせてしもうたようだな」
 自分のことをしゃべるのに夢中で、つい時を過ごしてしまったようだ。
 又太郎は後悔したが、早希の顔は思ったほど不興げな様子にはみえなかった。
 示し合わせたわけではないが、二人はいっしょに向岸をみた。
 そのとき、賀茂河原の春風が、くるりと一つつむじを巻いた。二人をからかうような風の動きに、
「まあ!」
「これは珍しい」
 いっしょに声をあげた。
 顔を見合わせてくすりと笑う。童じみた互いの仕草だったが、又太郎にとっては、この上なく幸福な一時のように思われた。
「今までは弓馬の道に精進してきたが、これからは徒立ちの戦が増えよう。黒田の戦いで、そのことがよく分かった」
「また、戦のお話ですか」
「いや、そういうわけではない。兵法は陣中のみならず、平中にも役に立つ。腕を磨いてこなたを守ってくれようほどに」
 又太郎が力強く言うと、早希は「嬉しい」と大胆にも身体を寄せてきた。その柔らかい肢体に触れて、又太郎は思わずぐっと抱きしめた。
 若く奮い立つような女の香りといっしょに、薫風になびいた黒髪が、意地悪く又太郎の鼻腔をくすぐった。
 又太郎は今年二十歳になる。丈は五尺七寸を越え、がっちりとした体躯で、目鼻立ちの整った美丈夫である。尾張国の守護土岐伊予守満貞に仕えていた。
 早希は今年十八になる。丸い顔立ちでくりっとした大きな瞳、真っ白な肌、すっきりとした肢体は、人よりやや長い両の耳朶と合わせて野兎を思わせる。身のこなしもすばやくて、又太郎はよく〈やと〉(野兎)と呼んでからかった。
 二人は一年ほど前から互いに慕い合う間柄なのである。
「大殿と殿が、土岐康行さまの征討を仰せつかりましたとか。屋敷内では合戦支度に大わらわでござります」
 又太郎に抱きしめられて安心したのか、早希が不安げに呟いた。
 早希の言う大殿とは土岐頼忠、殿とはその子頼益のことである。
 土岐頼忠は頼世ともいい、土岐康行には叔父にあたる人物である。高齢ですでに七十に近いのだが、なお矍鑠として武辺を誇っていた。その子頼益の室を玉木の方という。早希の主である。そのため、頼益を殿、その父頼忠を大殿と尊称しているのだった。
「聞いた。我が殿が公方様に訴えて出たのだ」
 公方様とは三代将軍足利義満のことである。
「まあ! 満貞さまと康行さまは、ご兄弟ではござりませぬか」
 吃驚して早希は、又太郎から身体を離した。
 早希が驚くのも無理はない。又太郎の主満貞は、土岐家の惣領康行の実の弟なのである。
「何故にそのようなことに・・・・」
 はっ、として早希は、それ以上の言葉を言い淀んだ。女が口を差し挟むことではないと思ったのだろう。
「よいのだ」
 又太郎は優しく言って、早希の腰に手を回した。そのまま自分の方に引き寄せる。
 だが、目は正面を向いたままである。
「黒田の合戦で敗れた我が殿は、康行どのに謀反の疑い有りと訴えたのだ。それゆえ、土岐頼忠どの、頼益どのに討伐の命が下ったのであろう」
「一族同士で戦を仕合うとはなんと因果な・・・・」
 早希が悲しそうに頭を垂れた。
「やむを得まい。これも武門の定め」
 遠く比叡の山脈を見つめながら、ぽつりと呟いた又太郎は、ふと思い出したように、
「そなたは、戦支度を手伝わなくても良いのか」
「はい。今日はお方さまにお許しをいただいておりまする」
 お方さまとは、むろん玉木の方のことである。早希が仕えて五年が経とうとしていた。 玉木の方は、近江国の京極氏の出である。早希は北近江坂田郡の国人の娘だった。その国人は、京極氏の有力被官だったことから、早希は玉木の方に望まれて仕えることとなった。利発で明るく正直な早希をとくに気に入ってのことだったという。
「お方さまは、我らの仲を認めておられるとか。此度の合戦で土岐頼益どのが勝利を収めたら、そなたとの縁組みを頼んでみるか」
「はい。嬉しい」
 早希はくりっとした目を閉じて、顔を又太郎の胸に埋めるように、再び身体ごと預けてきた。
 おれは幸せ者かもしれぬ、と又太郎は思った。
 沼田家も土岐家の被官である。美濃国に領地を持ち、早希の家とはちょうどよい釣り合いであった。郎党の渡辺源左衛門を通じて、すでに内諾は得てある。
 又太郎は先日美濃の父母にも従者を遣わしたが、こちらも、
「自ら嫁を見つけるとは頼もしき奴よ」
 と、大いに喜ばれたと聞いている。
 河原の柔らかな日だまりの中で、又太郎はいま至福の時を過ごしていた。
 ただ一つ気になるのは、主家である土岐一族の動向であった。


二 土岐家の兄弟

 昨年の黒田の合戦から、明らかに土岐氏一門は、内紛の様相を呈しつつあった。
 実は沼田又太郎にとって、その合戦こそ思い出すだに恥ずかしい強烈な思い出である。と同時に、兵法を学ぶきっかけとなった戦いでもあった。
 ことは昨年、すなわち嘉慶二年(一三八八)、土岐満貞が尾張国の守護職に任命されたことに始まる。
 守護とは、鎌倉幕府から始まった武家の役職で、原則として国毎に任命される。
 鎌倉幕府が与えた権限は、いわゆる大犯三箇条のみだった。国内の御家人に対する大番役(宮廷の警護)の催促、謀反人、殺害人の検断の三つがそれである。
 始め室町幕府も、その役職を引き継いだが、南北朝という内乱を経て、守護の権限は大幅に強化されていた。
 戦となれば、国人と呼ばれる在地領主を率いて出陣する。国内に南朝方がいれば、討滅し、その領土を奪う。その際の論功行賞を仕切るなど、その影響力は計り知れないものがあった。中には、そうした力を背景に、国人を被官化している守護もいる。
 ちなみに〈国人〉とは、南北朝時代から室町時代にかけて在地の領主を呼ぶときの一般的な名称である。鎌倉時代の御家人であり、地頭でもあった。守護が命じられて他国から来ることに対してそう呼んだのである。被官とは、郎党、従者、家来のことである。
 そのような大きな力を持つ守護に、満貞は、将軍義満の直々の命で任じられたのである。
 ところが、義満のこの決定に反旗を翻した人物がいた。尾張守護代土岐詮直である。
 守護代とは守護に代わって国を治める役職で、守護の一族や譜代の家臣が任命されることが多い。
 詮直は、康行と満貞の従兄弟で、康行の娘婿でもある。本来なら歓迎する立場なのだが、満貞を拒否するのには理由があった。
「美濃、尾張、伊勢三か国の守護職は、土岐家の惣領が受け継ぐべきもの。いったん康行殿の惣領職を認めておきながら、ご奉公に落ち度があったわけでもなし。謀反を企んだわけもなし。にもかかわらず、満貞どのを尾張守護職に任じるとは、いかに公方様とて我が儘がすぎる。許せぬ」
 と、いうわけである。
 それは満貞を重用する公方義満への反感という形をとりながら、実際は満貞その人への嫌悪であった。なぜならば、満貞は野心ある人物とみられていたからである。
 黒田の合戦とは、この詮直と満貞の戦いだったのである。
 ところで土岐氏とは、いったいどのような氏族なのであろうか。
 土岐氏は清和源氏の流れをくむ。足利氏と同じく、元をたどれば清和天皇の皇子貞純親王に行き着くが、実際の祖は、大江山の鬼退治で有名な源頼光といわれている。
 源頼光は、貞純親王の子で源姓を賜って臣籍に降った経基王の孫である。摂津源氏の祖でもあり、子孫に鵺(ぬえ)退治で有名な源三位頼政がいる。
 それがなぜ美濃源氏の祖であるかというと、頼光とその子頼国が、続けて国司である美濃守に任じられたことによる。
 父子二代に渡る美濃守の受領の間に、国内に勢力を扶植したのである。
 そして頼国の曾孫光信が、美濃国土岐郡土岐郷に住して土岐氏を称した。これによって、土岐氏が始まったのである。
 頼光の弟頼信は、河内源氏の祖といわれており、清和源氏といえば、東国が地盤と思われがちだが、当初は畿内近国にこそ勢力を蓄えていたのである。
 東国を舞台に活躍するのは、頼信の子頼義の代になってからである。ちなみに足利氏は、頼信の流れである。
 さて、土岐氏である。
 鎌倉時代はそれほど目立った一族ではなかった。だが飛躍の契機は、南北朝時代になってから訪れる。惣領土岐頼貞のもとに一族が一致団結し、一貫して足利尊氏に従った。その功により美濃国の守護職を獲得して後、頭角を現していった。土岐家の家紋が桔梗であることから、〈桔梗一揆〉と呼ばれ、その結束は他家の羨むところでもあった。
 やがて土岐氏の惣領は、頼貞から婆娑羅大名として名高い頼遠を経て頼康にいたる。
 三代目の頼康は、大膳大夫頼康といい、頑固で一徹なところもあったが、武将としては優れた人物だった。守護職に補任される国を美濃、尾張、伊勢、三か国に増やして力を蓄えるとともに、宿老として幕府内でも重きをなした。
 ただ、なぜか跡継ぎに恵まれなかった。そこで、早くから甥の康行を養子としていた。 康行は温厚でおとなしい人物であった。
「南北朝の内乱も治まりつつある。これからは、武功による土地の獲得よりも、今までに得た領国の経営こそ求められよう」
 そう考えていた頼康の意に沿う人物だったのである。
 暮れも押し迫った嘉慶元年陰暦十二月二十五日、その頼康が七十歳で没した。
 温厚で実直な康行は、四代目の惣領となった。養父の後を襲って大膳大夫に任じられると、すぐに領国経営のために美濃国に下った。かねてからの頼康の教えを実行するためである。
 だが幕府は、京都にあって、将軍足利義満への伺候も欠かせない。そのため康行は、弟の満貞を自分の代官として京都に置いた。質朴で寡黙な自分より、饒舌で臨機応変の才がある満貞が相応しいと考えたのである。
 はじめこの兄弟は、うまくいくかと思われた。ところが、
「守護職が三つもあるのだ。一つくらい実の弟に譲っても良いではないか。せめて美濃国守護代でも良いのだ」
 二人だけの兄弟である。やがて満貞が、兄の代理とでもいうべき己の地位に満足しきれなくなってきた。
 そのうえ康行が、尾張国守護代に従弟の詮直を命じたと聞いて、
「ううむ。何としても守護になりたい」
 満貞の思いは、注いだ酒が瓶子からこぼれるように胸の内に溢れた。
 土岐氏は大族である。あまた居る一族から詮直だけが守護代に任じられたことが、満貞の矜持を傷つけた。確かに詮直は康行の娘婿だが、
「わしは実の弟ではないか」
 と、いう思いがある。
 満貞は兄に対する不平がいや増した。
 嘉慶二年も孟春(一月)を過ぎる頃、将軍足利義満から、
「康行はいかがいたした。近頃、とんと顔を見ぬが」
 と、不興げに下問された。
「伊勢の南朝方が騒がしいと聞き及びまする。それゆえ、それがしが兄に代わりまいて伺候いたしおりまする」
「ふん。伊勢などいつも騒がしいわ。惣領が京に居らいでなんとする。予を軽んずるか」「滅相もござりませぬ、御所様。代わりにそれがしが」
 御所様とは将軍足利義満のことである。永和四年(一三七八)、室町北小路に御所を築いて、その地を政庁としたことからそう敬称されていたのだった。四季折々の花々が植えられており、その見事さから〈花の御所〉と敬称された。
 ちなみに〈室町時代〉〈室町幕府〉の呼称も政庁が室町にあったことによる。
「よい。退れ」
「はっ」
 いかに惣領康行の代理とはいえ、しょせんは代理でしかない。満貞は惣領でないがゆえに、将軍義満から軽んじられていると思った。
(これが一国でもよいから守護ともなると御所様の覚えもめでたいのだが)
 いったん不満の念が兆すと、満貞は、兄の代理という大役も康行の嫌がらせのように思えてきた。
「康行はまだ都に出てこぬか」
「美濃国に引きこもったままでござりまする」
「都より鄙(ひな)の方が良いと申すか?」
「はて、そのようなことは・・・・」
「無いというか」
「御意にござりまする」
「そうかのう・・・・」
 度重なる義満の下問に、満貞は康行への不信を感じ取った。
「土岐氏の惣領ではないのか?」
「御意にござります」
「守護は京に在るが定めぞ」
 そのために守護は、京に大きな屋敷を構えていた。
「所領の統治に懸命かと思われまする」
「美濃、尾張、伊勢の三カ国では多すぎるか。それゆえ我がもとに来ぬのだな」
 やがて、義満の下問には怒りの情が感じられるようになった。 
(御所様の兄者への不興はかなりなものよ。だがまてよ。もしや、これは好機ではないのか)
 兄への不満を募らせていた満貞は、いつもの義満の下問に、意を奮って答えた。
「いかがしたことでありましょうか。まさか、謀反など企んでいるとも思われませぬが・・・・」
「なに、謀反!」
「滅相もござりませぬ」
「さもあろう。先の頼康は、わが足利家にとって無二の忠臣であった」
「深い信頼を賜り、ありがたき幸せに存じまする」
「それゆえに、頼康の意を察し、康行の惣領職を安堵いたしのじゃ」
「御所様のご恩を蒙りながら、不埒千万な兄にござりまする。それがしならば、かようなことは、ゆめありませぬ」
「おお、そなたは真に忠臣よな」
「御意にござりまする」
 満貞は、ここぞとばかりに自分を売り込んだ。
 義満は、何度か康行の行状に不審を呈し、満貞はその都度己を売り込んだ。
(いくら悪し様なことを言っても、兄者の耳に入ろうはずはない。わしは京における土岐家の目代なのだ。わしに対する御所様の信任は厚いのだ)
 満貞の名前の〈満〉の字は、義満から一字賜ったものである。〈偏諱〉(へんき)といって、拝領する者にとっては、たいへん名誉なことであった。兄康行よりも信頼されている、と満貞が思ったとしても不思議ではない。
 そう思い定めると、だんだん満貞は、大胆になっていった。
 このとき義満は三十歳。南北朝という乱世の中、わずか十歳で将軍となってから、すでに二十年の歳月が過ぎていた。いまや単なる飾りではなかった。
(足利も予で三代目。父や祖父のように大名に遠慮ばかりもしておれぬわ。そろそろ公方の力を見せつけてやらねば)
 幕府の基礎を固めるため義満は、有力な守護の力を削ごうと考えていた。
 山名、大内、赤松等有力な守護は多い。いくつかの国の守護を兼ねて兵を養い、惣領のもとに結集し、なかなか義満に付け入る隙を与えなかった。
「まずは土岐の力を削いでやろうぞ。満貞と康行を咬ませてみるか」
 土岐康行、満貞兄弟の不和は、義満にとってかっこうの餌食にみえた。
 仲春(二月)のある日。梅の開花の噂が出始めた頃、義満は近くに満貞を召して、直接声を掛けた。
「そなた尾張国の守護をやってみるか」
「ま、真でござりまするか!?」
 ついにきたか、と内心では思ったが、満貞は恐懼の体を装った。
「その代わり、侍所は辞めてもらわねばならぬぞ」
 満貞は、侍所の頭人(長官)を至徳四年(一三八七)陰暦六月から務めている。
 侍所とは、鎌倉幕府にならって室町幕府でも設けられた役職だが、鎌倉幕府と違い、京都の治安維持が大きな職務である。
 満貞は頼康が存命の頃に、その後押しで任命されたのだった。
(このまま侍所の頭人に止まっていても、体の良い兄者の京都目代のままじゃ。御所様の命は渡りに舟というもの)
 満貞はとっさに利害を計算した。
「侍所に未練はござりませぬ。それよりも尾張国守護にて御所様にご奉公をいたしとうござりまする」
「あい分かった」
 直ちに、美濃、伊勢両国の守護は土岐康行に安堵し、尾張国の守護は、土岐満貞に命ずと布告された。
「念願が叶いましてござりまする」
 正式に尾張国守護に任じられた満貞は、喜び勇んで将軍義満の元へ伺候し御礼を言上すると、
「任国へ赴いてもよろしゅうございましょうか」
 と、恐る恐る伺いを立てた。
「よい。許すぞ」
 将軍義満は上機嫌であった。
「ありがたきお言葉。さらにご奉公致しまする」
 直ちに満貞は、京下りの支度をするよう家の子、郎党たちに命じた。
 むろん側近く仕える又太郎も、満貞に従って尾張へ向かうこととなったのである。


三 内紛

「京から尾張国へ向かうとすれば、殿はどの道をとるであろうか?」
 又太郎は、郎党の渡辺源左衛門に訊いた。
 問う、というほど強いものではない。いつもの雑談の延長であった。
 源左衛門は、初老の家臣で、又太郎が、生まれてからずっと側近く仕えている。守役といってもよい存在だった。父に代わって又太郎が当主となってからは、京の沼田家の執事でもある。
 満貞の屋敷を出て、姉小路の自邸に帰る道すがら、互いに馬上である。主従は駒をゆっくりと進めていた。
 仲春(三月)の夕暮れは、まだ明るさを残して、吹き過ぎる風は柔らかかった。
 満貞は京下りの支度を命じたが、急ぐ必要はない。尾張への旅立ちには、しばらく間があるだろう。じっくりと準備すれば良いのである。それもあってか、
「さて。東海道が順路でござりましょうが・・・・」
 源左衛門は、下を向いて真剣に考え込んでしまった。
 本来東海道は、京からいったん近江国へ出て、鈴鹿峠を越えて伊勢国から尾張国へ至る。五畿七道という古代の行政区分では、鈴鹿の関から東が東海道であった。
「じい・・・・」
 軽い雑談のつもりだったのである。又太郎が黙り込んだ源左衛門を案じていると、
「おそらく東山道をとるものと思われまする。近江の柏原から不破の関を経て、美濃国から尾張国へお入りになるのではありますまいか」」
 むくりと頭を上げて、断定するように言った。
「鈴鹿の峠だな」
 又太郎も源左衛門の言わんとしている意味が分かった。
 本来の東海道は、軍勢を率いた規模の大きい人員の移動には適していない。鈴鹿峠という険路を通るためである。
 鈴鹿峠といえば、箱根と並んで東西の難所である。又太郎が言ったのはそういう意味だったが、
「いえ」
 暗に相違して、源左衛門は又太郎の言を否定した。
「満貞さまは、康行さまの元にお立ち寄りになるのではないかと思量仕る」
 あっ、と又太郎は叫びそうになった。
 じいの言う通りかもしれない、と思ったのだ。
 傲慢で自己顕示欲の強い満貞は、義満に尾張国守護を命じられたのを奇貨として、美濃国へ入るということは十分考えられることだった。将軍の信任を背景に、美濃国内の国人に対する大きな示威になるはずだからである。
「惣領職への野心を持つお方ゆえ、康行様に対して何ほどのことやある、と軽んずるお気持ちがありましょう」
「じい。ちと言葉が過ぎよう」
 又太郎は慌てて周りを見回した。
「戯れ言でおざりまする。お忘れを」
 と言って源左衛門は、呵々と大笑した。
 陪臣でありながらなんと大胆な、と又太郎は鼻白む思いだった。頼康という傑物を知る源左衛門にとっては、やはり満貞は器量が小さく見えるのだろうか。
「十分に用心してかかりませぬと・・・・」
 源左衛門が笑いを納めて言った。その言葉に、又太郎は、うむと大きく肯きながら、不吉なものを覚えていた。
 二月に尾張国守護に任じられた満貞だったが、案の定すぐに尾張国へは向かえなかった。
 侍所の後任を誰にするかでひと揉めあったからである。満貞は、わずか一月で自分と交代した前任の山名満幸を押した。それに対し、管領斯波義将が佐々木氏を推薦したのである。双方譲らず、結句後任は、義満の裁定で、赤松義則と決した。それが、孟夏(四月)十日のことだった。
 その後、引き継ぎや支度に時を要し、結局満貞主従が京を出発したのは、四月の下旬のことであった。それも、ぐずぐずしていては五月雨の季節になるわ、という満貞のきつい叱咤で、何とか下旬に間に合わせたのである。
 順路は、渡辺源左衛門の予想した通りであった。
 京を出発した満貞は、東山道(後の中山道)経由で美濃国へ入り、不破の関を経て、康行の居る美濃国の守護所革手城に着いた。革手城は〈川手城〉とも書く。
「婆娑羅で行こうぞ」
 満貞は、京でかき集められるだけの人数を集めて、武者揃えを仰々しく飾り立てた。今度の尾張入国に際して、惣領である兄への挨拶という名分を借りて、公方の信任の厚さを見せつけておこう、という腹積もりは明らかで、これも源左衛門の予想したとおりだった。
 そのうえ、又太郎の抱いた不吉な予感は、見事に当たることとなった。なぜなら、革手城に着いた満貞は、兄康行から驚愕の事実を聞かされることになったからだ。
「尾張国の守護代詮直がそなたの守護を認めぬというのだ」
「何を寝呆けたことを言うておる、兄者。わしは御所様に命じられたのだぞ」
「分かっておる。わしとて困り果てておるのだ」
「守護代を免ずれば良いではないか」
 もともと詮直を守護代に命じたのは康行である。罷免もまた康行が命じれば良いことだった。
「すでに言うたわ。だが聞かぬのだ。守護所に兵を集め、そなたを尾張国に入れぬというておる」
「何、兵を・・・・!」
 まさか一族同士で合戦に及ぼうというのだろうか。半信半疑の満貞は、直ちに土岐詮直のもとへ使者を遣わした。
 ――新守護土岐満貞を出迎えるように。
 と、いうものである。
 だが詮直は、康行の言ったように満貞が尾張国へ入ることを拒んだ。
「惣領の目代という重責を担いながら、役目を果たすどころか公方様に取り入り、いままた尾張国守護を命じられて、嬉嬉として下向するとは何事か。これでは土岐氏は分裂ではないか。出直して、頭を冷やしてよく考えられよ」
 使者が詮直から言われたことをそのまま伝えると、
「おのれ詮直。我を拒むは、すなわち御所様へ弓引くことと同じ事。謀反ではないか」
 満貞は激しく怒った。
「よし。向こうがその気構えながら、やむを得ぬ一戦に及ぼうぞ。むろん兄者も合力してもらえような」
 満貞は一戦を覚悟した。
 当然のことであろう。この場合、詮直の主張は筋が通らない。謀反と断定されても抗弁できないところである。
 だが詮直には詮直の言い分があった。
「満貞どのは、惣領康行どのの京都代官ではないか」
 康行の美濃、尾張、伊勢三か国の守護職安堵にこそ奔走すべきだったのである。
「それがあろうことか、自らが尾張国守護に任じられるとは・・・・」
 そのうえ、恥ずかしげもなくあからさまな示威行動を示しながら赴任してくるとは、京の役目を放棄しているにも等しい行為である。
 詮直とすれば、これもまた当然の帰結であったろう。
 このときの康行の立場は微妙であったが、
「わしはいずれにも加勢できぬぞ」
 と、中立の立場をとった。
 温厚な康行とすれば、やむを得ぬ判断ではあったが、満貞はそれを兄の逃げととった。力量は自分の方が優れているという自負が満貞にはある。
「ふん、臆病な。ならば、我が軍勢で詮直を蹴散らしてくれるわ」
 満貞は侮るように言うと、家臣たちに戦支度を命じた。
 めぼしい家臣たちの所領は美濃国にある。主の命を受けた満貞の家臣たちは、伝令を所領に走らせて、直ちに戦支度にかかった。
「合戦か・・・・」
 又太郎は、ぽつりと呟いた。
 革手城に在る正法寺の、とある塔頭の一室である。
 城とはいいながらも、この時代、城そのものはだいたい山の上にあって、普段は麓の居館で暮らしていた。戦のあるときに城に籠もるのだが、居館も含めて城と呼んでいた。いわゆる山城である。
 だが、革手城は山城ではない。木曽川と荒田川に挟まれた地の利を活かした天然の要塞というべきで、平城であった。守護の住む居館は、都風の平屋建築で、正法寺や八幡神社など神社仏閣はいうに及ばず、町屋を含む広大な土地全体を〈革手城〉と呼んでいたのである。城というよりは、都市(まち)といった方が正確であろうか。
 守護所とは、その国の行政の中心地で、守護所を革手城に定めたのは、先代の頼康である。
 革手の地は、濃尾平野の北方に位置し、尾張、伊勢にも近い。頼康以後単に美濃国の守護所としてだけでなく、三か国の中心として栄えていく。後のことだが、応仁の乱で焼け野原となった京都から、一条兼良、雪舟らの貴族、文化人が大勢訪れて、西の大内氏の山口とともにさらに隆盛を極めていくのである。貴族や文化人が訪れたのも、それまでの革手の繁栄があったればこそであろう。
 はじめ満貞たちは、居館の数室を借り受けていたが、戦の準備のために革手城の北にある正法寺に移った。
 正法寺は、頼康によって建立された禅宗の寺院で、土岐氏の菩提寺でもある。革手城の北にあり、七道伽藍はいうに及ばず多くの塔頭を有していた。
「弟にも娘婿にも、いずれにも加勢しない」
 と、康行が中立を宣したことから満貞たちは、やむなくここ正法寺へ移ったのである。 めぼしい家臣たちは、それぞれ塔頭を借りて、合戦の支度に余念がなかった。
 沼田家の借りた塔頭にも、所領から鎧、兜の甲冑とともに、弓、槍などの武具が、雑兵とともに続々と届いている。
「初陣でござりまするな、殿」
 渡辺源左衛門が、弾むような声で言った。楽しくて仕方がないのだ。
「小さい頃より、それがしがお教えしたことをそのまま行えばよいのです」
 又太郎は、源左衛門から武芸を仕込まれ、武士としての礼式を学んだ。いよいよその成果が現れることとなる。
「何の怖がることはありませぬぞ。このじいが付いておりますれば」
 源左衛門はきっぱりと言った。
 若い頃から又太郎の父に従い、土岐氏の軍勢として諸国を転戦した源左衛門は、歴戦の勇士でもある。何よりも、南北朝という乱世の中で、東奔西走し戦を知り抜いてもいた。幼い頃から手塩に育てた又太郎の初陣は、源左衛門にとって何にも代え難い喜びであったかもしれない。
「うむ・・・・」
 源左衛門の気持ちは分かるが、又太郎の返事は冴えない。
 合戦とは殺し合いのことである。刀槍を取って互いに命のやりとりを行うのだ。父や源左衛門から徒然に聞いてはいたが、いざ自分が戦うとなると、やはり緊張せずにはいられなかった。
 勝負は時の運とはいえ、どうしても負けたときのことを考えてしまう。それが自分の力不足で負けることにでもなれば、父に合わせる顔がないし、先祖に対しても恥ずかしい限りである。
(もう少し弓馬の道に励んでおけばよかったか)
 つい弱気な気持ちが出るのはやむを得ないことであった。
 足利義満の代になって二十年、南朝はかつての勢いを失っている。戦らしい戦もなく、都は平穏で、又太郎のように戦を経験しない若者も増えていたのである。
 そのとき又太郎は、兵法を学んでいるのだ、と言った土岐新次郎のことを思い出した。「わしも兵法を修行しておけば良かったかのう」
 又太郎が戯れ言めかして言うと、
「とんでもござらぬ。兵法などは足の軽い武者が使うもの。将たる者は、弓矢でこそ勝敗を決すべきものでござろう」
 源左衛門にぴしゃりとたしなめられた。
 梅雨入り前の嘉慶二年仲夏(五月)九日――。
 満貞と詮直は、黒田というところで干戈を交えることとなった。『後鑑』(うしろかがみ)には〈黒田口合戦〉と書かれている。


四 初陣

 黒田の地は、揖斐川と粕川の交わる平地で、広大な濃尾平野の真ん中辺りにある。ここには東海道と東山道をつなぐ鎌倉街道の〈宿駅〉も設けられていて、美濃国と尾張国の国境に近く、交通の要所といって良い。
 そのためか南北朝になってからこの辺りでは、大がかりな合戦が二度行われている。一度目は建武五年(一三三八)、二度目は観応元年(一三五〇)であった。このうち建武五年の合戦は、年の初めに関ヶ原に近い青野原で激闘を演じ、その名を歴史に刻んでいる。青野原は、黒田の地から乾(北西)の方角にある。ちなみにこの年は、八月に改元があり暦応元年となる、
 この激戦で名をあげたのが、土岐家の先々代の惣領頼遠である。北畠顕家軍五十万にわずか一千で突撃したと伝えられている。五十万の軍勢にわずか一千とは、にわかには信じられないことだが、小勢だったことは事実のようである。それほどの結束を誇ったということである。〈桔梗一揆〉の面目躍如といったところであろうか。
 中世は、一揆の時代、徒党の世紀といって良い。器量ある惣領のもとに結集した氏族は、発展し栄えているが、親子、兄弟で分かれて争った氏族は、多く衰亡し、没落している。美濃、尾張、伊勢の三か国の守護職を得、土岐氏の勢いは盛んであったが、惣領が代わり、今はこうして一族で争うという不幸が生じている。それが何を意味するのか、満貞に特段の意識はなかったであろう。あるのは尾張国守護としての己の晴れ姿だけであった。 ところで、土岐満貞の軍勢はいくらぐらいだったのだろうか。京で人数を集めたといっても限りがある。まさか合戦になるとは思ってもいなかったであろうし、康行の加勢を得られなかった。そのうえ、美濃国で戦支度をしたとはいえ、尾張や伊勢から味方に駆けつける国人はなかったであろうことから、おそらく数千人規模であったと思われる。
 これに反して詮直の方は、早くから戦支度ができたこと。尾張国内の国人をほとんど押さえたであろうことから、万を越えていたのではなかろうか。康行に同情を寄せる美濃や伊勢の国人の中には、ひそかに詮直軍に加わった者もいたかもしれない。
 決戦の支度が調うと、満貞は革手城を出て、近くの野に陣所を設けて軍議を催した。
「はて? 何故に野営など」
 源左衛門は合点がいかないようだ。
「正法寺は土岐家の菩提寺ゆえ」
 一族同士の争いを危惧する住職に遠慮したものであろう、と又太郎は思ったが、口にはしなかった。このまま続けると主への非難になるおそれがある。
「じい。軍議に心得があろうか?」
 又太郎はさりげなく話題を転じた。
 沼田家は満貞の有力な家臣である。若いとはいえ、又太郎は沼田家の当主であるから、軍議に出るのは当然のことだった。
「初めての軍議でござりまするな」
 又太郎の問いに、源左衛門が嬉しそうに目を細めた。
「まずは・・・・」
 又太郎は源左衛門の意見を入れて、早めに陣所に入り、末席に腰を下ろした。他家の年長者に遠慮してのことである。
 やがて、宿老やめぼしき家人たちが入ってきて、めいめいの座についた。
 最後に満貞が入ってきた。これから軍議が始まるのか、と思うと又太郎は、胸が高鳴ってくるのを感じた。
 満貞の前には、美濃と尾張の国境を中心として、山川、港津を描いた絵図面が置かれている。
「敵は多勢。味方は無勢。とはいえ、武士の面目にかけて一戦せずにはおかぬ戦ぞ。何か良い策はないか」
 その絵図面を見ながら、満貞がやや興奮したような口調で問うた。
 満貞の思いとは別に、座は静まりかえっている。又太郎はこっそりと座を見回したが、誰しも圧倒的な兵力の差に戸惑っているように見受けられた。
 たとえば〈孫氏の兵法〉と呼ばれるものがある。古代中国の孫武という人物の軍略をまとめたものである。その他にも〈六稻三略〉といって、中国では兵学や軍学が盛んに研究された。春秋から戦国にかけて、諸子百花の時代に学問として確立もされていた。
 この時代我が国では、軍略、兵学としての兵法は確立していなかった。兵法とは剣を中心とした武術のことをいい、中国の兵法とはおのずと意味が異なっていたのである。源義経の兵法とか、楠木正成の軍略とか呼ばれるものは、後世、戦のなくなった江戸時代に作られたものである。
 では、軍議では何を議論したのだろうか。おそらく戦の日取り、持ち場の確認、各自の段取り等々ではなかったろうか。
 むろん作戦も議論したであろう。戦の経験ある者、上手の者の言には耳を傾けたには違いない。ただ、それを専門にする者がいなかったし、体系化されたものがなかったということである。後に現れる〈軍配者〉とは、陰陽道などによって戦の日取りを占う者で、軍略を献ずるいわゆる〈軍師〉とは別の者である。
「近頃の若い者は、戦の仕方も思い浮かばぬか」
 突然、口髭を蓄えた人物が、立ち上がって口を開いた。歳の頃は五十くらいであろうか。六尺は優にあろうかと思われる程に背が高い。そのうえ、がっしりとした体躯は、見るからに荒武者と形容するに足る人物であった。
「敵は多勢、味方は無勢。さすれば、兵の士気こそ肝要」
 沈黙が不本意とでもいうような口調であった。
 又太郎は思わず、あっ、と叫びそうになった。口髭を蓄えた武者をよく見ると、眼孔鋭く、頬に太刀傷があり、右耳が削がれたように下半分が切れている。南北朝の合戦を幾度も経験している歴戦の勇者として聞こえた人物であった。顔と名前は承知していて、密かに畏敬の念を抱いていた人物だったのである。
「おう、成る程のう」
 満貞が身を乗り出した。場の沈黙に、やはり不満を持っていたのだろう。
「で、いかがいたすのだ」
「さすれば、いやが上にも士気があがるようにすれば良いのでおざる」
「ほう。どのように?」
「尾張と美濃は、木曽川を国の境にしておりまする。土岐詮直どのは、守護所に軍勢を集めておるとか」
 この頃の尾張国の守護所は、下津に置かれている。
「いかにも。そう聞いておる」
「ならば我らは、ここに陣を張り、敵と戦い申そうではおざらぬか」
 そう言って、口髭を蓄えた武者は、絵図面の一か所を指さした。
「黒田か!」
 満貞が叫んだ。
 黒田の地は、守護所の下津から艮(うしとら=北東)の方角およそ二里ほどのところにある。国境に最も近い尾張国側の宿駅もある。
「いかにも。木曽川を渡り、川を背にして敵を迎え討つのでおざる。前は敵、後ろは川となれば、我が軍勢は死にもの狂いで目前の敵と戦いましょうぞ。我らはかつて青野原の戦で名を上げた〈桔梗一揆〉でおざる」
「おお。背水の陣だな。唐土の漢と楚という国が争ったとき、漢の名将韓信が用いて、寡兵よく大軍を破ったという。公家から借りた漢籍にあった話ぞ」
 満貞は我が意を得たりと、滔々とその故事について語り出した。
「よし。此度はそれでいこう」
 背水の陣とは故事である。由来は『史記』の「淮陰侯伝」で、この頃から千五百年以上前、漢の高祖に仕えた韓信という将軍が用いたことによる。韓信はわざと川を背にして陣を敷き、兵士に決死の覚悟をさせて趙という国の軍を破った。そのことから、絶体絶命に陥ったとき決死の覚悟をさせて全力を尽くすことの意となっている。
 だが当たり前のことだが、これは勝ったことで有名になった話である。
 元来、中国の軍略では、川を背にして戦うことは下策として退けてきた。なぜなら、勝てばよいが、もし負けたときは逃げ場を失い、味方の被害がより甚大になるからである。 韓信はそのことを承知で、かつ双方の兵力を冷静に分析し、そのために用意周到な準備をして戦に勝ったのである。あえて常識に逆らった勝利であり、知識と成り行きで勝ったわけではなかった。
 そのうえ〈桔梗一揆〉の勇猛を讃えるならば、敵となる詮直軍もまた〈桔梗一揆〉なのである。よく考えれば、口髭の武者の言っていることは、極めて荒っぽい作戦だということは分かっただろう。だが初陣の又太郎には、まだそこまで考え及ばなかったし、経験ある源左衛門も傍らにいなかった。何よりも満貞が、威勢の良い口髭の武者の言に乗せられていたし、宿老たちも圧倒されていた。
 むしろ又太郎は、畏敬する口髭の武者の策をうっとりとするような思いで聞いていた。「これで我が軍が勝ったも同然ぞ。よいか決死の覚悟で戦おうぞ」
 気をよくした満貞の一言で軍議は決し、後はそれぞれの持ち場や役割の点検に入った
〈決死の覚悟〉
 それはいまの又太郎の気持ちを、直截に言い表した言葉でもあった。
「そうだ、決死の覚悟さえあれば負けはしないのだ」
 又太郎は、以前に抱いた弱気は嘘のように忘れ去って、今は酔ったように〈決死の覚悟〉と呟いていた。
 軍議は終わった。又太郎は手勢を率いて満貞を守ることになった。馬廻りといって、後の旗本のような役割である。
 翌日、満貞軍は、木曽川を渡り黒田の地に陣を張った。
 そして九日になった。
 その日は、梅雨入り前の雲一つ無い晴天であった。平地では遠くまでよく見渡せた。
 やがて、彼方に詮直軍が現れた。
「思った以上の大軍でござるな」
 又太郎の傍らには、渡辺源左衛門が控えている。
 桔梗紋の旗印が、此方のみでなく、彼方にもへんぽんとはためいていたが、風がどちらからどちらへ吹いているのか、又太郎は見ていなかった。戦を控えた気持ちの高揚感に支配され、頭の中は何も考えられなかったのである。ただ一点、彼方の先陣をじっと見据えたままである。敵勢の動き以外は全く目に入らなかった。
 口の中に生唾が溢れて、思わず又太郎は、ごくりと飲み込んだ。それを喉の渇きと思ったのか、
「これを」
 源左衛門が竹筒を差し出した。
「要らぬことだ」
 又太郎は竹筒を受け取らず、正面に展開する詮直軍をじっと見つめたままである。
 いよいよこれから戦が始まるのだ、と思うと背筋に冷たいものを感じて、身体がぶるっとふるえた。
「殿。これを」
 再度、源左衛門に促されて、やむなく竹筒を受け取った。
 正面を向いたまま、竹筒の水を一口含んだとき、又太郎の身体がかっと熱くなった。そのまま飛び出そうとするのを、
「まだ、早うござるぞ。殿!」
 しっかと源左衛門に右腕を掴まれて、
「分かっている」
 はっ、として冷静に戻った又太郎は、照れ隠しに持っていた竹筒を地に投げつけた。
 そのときである。地が轟いたかと思うような鯨波の声があがったのは。両軍の先頭が早くもぶつかったようである。
 この時代の戦は、通常、矢合わせから始まる。合戦といっても、武士は礼節を重んじた。矢の射掛け合いから、接近戦となり、互いに名乗りを上げての一騎打ちとなる。合戦は己の武勇の最大の見せ場でもあった。その一騎打ちが華やかであればあるほど武名が上がり、家の名誉にもなる。
 この戦も矢合わせから始まったが、双方がもどかしいのか早くも両軍入り乱れての混戦となった。
 大将の満貞のところからは、両軍の動きが手に取るようによく見える。また、視界に入らないところは、伝令がひっきりなしに行き交い、それぞれの戦況を告げてくる。
 正面彼方は砂煙が舞い、騎馬が行き交い、徒立ちの者が手に手に獲物を振り回して右往左往していた。
 旗が倒れ、血しぶきが舞う。そのすさまじいばかりの光景は、武者に生まれた者の血をたぎらせずにはおかなかった。
 又太郎は満貞の側近くに控えてはいたが、いまにも飛び出していきそうなほどに逸りに逸っていた。
 目は瞬きもするのも惜しいくらいに、はったと戦場を睨みつけている。
 源左衛門が見ると、又太郎の両手はぐっと握りしめられて、ぶるぶると小刻みにふるえていた。
「落ち着かれませ。殿」
 源左衛門は又太郎の耳元で囁いて、ふるえている手を握った。
 又太郎はそんな源左衛門には気づかずに、彼方に展開される戦の成り行きに一喜一憂している。
 満貞軍が優勢になれば、
「おお、お味方が押しているぞ。それいけ」
 と声を励まし、押されてくれば、
「えい、悔しや。このままでは御本陣も危のうございますぞ」
 源左衛門の手を振り払って、地団駄踏んで悔しがる。
 周りの者が眉を顰めているのも全く気にならなかった。
 そんな又太郎の動きを、源左衛門一人がはらはらしながらも止めかねていた。
 やがて、混戦の中から突如現れた一騎が本陣に向かって駆けてくる。赤糸威しの鎧に鉢形の兜、金覆輪の鞍を置き、連戦芦毛の馬に跨った人物は、いずれは名のある敵方の大将と見受けられた。後ろに徒立ちの者が従っている。
「あっ。敵将が・・・・」
「これ。少し落ち着かぬか」
 さすがに主君満貞がたしなめたときには、
「おのれ。儂が相手ぞ」
 又太郎は敵将目指していっさんに馬を駆っていた。
「あっ!」
 と、源左衛門が気づいたときには遅かった。
「殿。長刀を・・・・」
 あわてて源左衛門が、又太郎の武器を持って後を追う。
「血気に逸るでない。向かい来る敵はわずかな人数じゃ。陣を乱すでない」
 満貞の怒声が響いたが、又太郎は聞いていなかった。
「殿。お待ちを」
「おお。すまぬ」
 又太郎は、長刀を受け取るのももどかしく、
「御大将もああ言うてござりまするぞ」
 制止する源左衛門を、
「ええい。悠長なことを言うでない。決死の覚悟ぞ」
 と言って、振り切った。
 さらに、深入りはお避けくだされよ、という源左衛門の忠告も無視して又太郎は、本陣近く迫った敵将に向かって馬を駆った。


五 恥辱の出来事

 沼田又太郎は、敵将に向かってまっすぐに駆けた。群がり来る雑兵どもには構わなかった。
「・・・・!」
 敵将は、又太郎を見て、何事か叫んだようだったが、逸っている又太郎の耳にはよく聞き取れなかった。
 立ちはだかった又太郎を見て、突然敵将は、馬の向きを変えた。
「敵に背を見せるは卑怯なり。返せ」
 かっ、と言い知れぬ憤怒がこみ上げてきて、又太郎は、そのまま敵将を一散に追った。 敵将の逃走が、又太郎の闘争心にいっそう火をつけたようだ。そのうえ、背を見せたことが、追ってこれるものなら追って来るがよい。馬さばきを見てやろうわい。とでも言われているような気がして、又太郎はすでに冷静さを失っていた。
 周りの景色も、敵も味方も全く目に入ってこない。又太郎の目は、逃げる敵将の背中に、蛭が吸い付いたように離れなかった。
 どれぐらい駆けただろうか。やがて、振り切れぬと思ったのか、敵将の馬がぴたりと止まった。
 辺りは草地のように見えたが、本来は田んぼのようである。梅雨入りまえに田掻きとかを行うのだろうが、今年は遅れているのだろうか。それとも、今日の合戦を見越して、わざと遅らせているのだろうか。
 そのとき又太郎は、気づいていなかったが、味方の陣から遠く離れてしまっていた。
「逃げるな。尋常に勝負したまえ」
 大音声に呼ばわって近づくと、又太郎は勢いよく持っていた長刀を振り下ろした。
 狙いは過たず、敵将の背中を斜め斬り、と見えた刹那である。草叢から現れた敵兵の繰り出した槍で、乗っていた愛馬の腹を刺されてしまった。
「しまった、伏兵か!」
 どうと横倒しに倒れた又太郎には構うことなく、敵将はそのまま駆け去った。
「待て!」
 ようやく立ち上がった又太郎を、別な逞しい身体つきの敵将が、馬上から襲ってきた。その者もまた名のある武者と思われた。
「う、しまった!」
 起き上がるのに気をとられて又太郎は、その武者の繰り出す槍に長刀を飛ばされてしまった。慌てて腰の太刀をすらりと抜き放った。
「土岐伊予守満貞が郎党沼田又太郎なり。尋常に勝負したまえ」
 又太郎は馬上の敵に名乗りをあげた。
 だがすでに又太郎は、死を決している。馬上と徒では、徒の方が圧倒的に不利なのである。
「うん・・・・?」
 その逞しい身体つきの敵将は、又太郎の前に栗毛の馬からひらりと下り立った。
「我こそは、土岐宮内少輔詮直に加勢する土岐頼益が臣、長井掃部介」
 持っていた槍を構え直すと、破鐘のような声で名乗りをあげた。
「おお!」
 尋常に五分の勝負をしようというのだろう。又太郎は思わず胸が熱くなった。
 長井掃部介は、
「いざ、勝負」
 と、声を掛けて、又太郎に対して真っ向から槍を突き出してきた。
 ビュッ・・・・。
 掃部介の槍は、直刃のもので真っ直ぐに又太郎の首筋を狙ってきた。
 すんでのところでかわした又太郎だったが、首筋に軽い痛みが走った。槍先がかすめたようである。
 又太郎は、ふう、と一息吐いて太刀を構えなおした。
 掃部介もしくじったと見たのか、槍先をさっと引いて、改めて腰元で構えをとった。 「いかに!」
 掃部介は余裕だろうか、頬に笑みを浮かべているように見えた。又太郎はと見れば、頬が引きつっていたかもしれない。
「む・・・・」
 掃部介が、じりっ、じりっと少しずつ進んで来るのに対して又太郎は、一歩一歩後退って行く。
 突然、掃部介が、
「臆したか!」
 と、大音をあげてにやりと笑った。
「くっ!」
 その言葉と小馬鹿にしたような顔に、思わず血が沸き立つような怒りを覚えた又太郎は、
「なにを」
 とばかりに、太刀を突いて出た。
 だがそれは、掃部介の誘いだったようだ。薄笑いを浮かべたまま、槍先で軽く払うと、体制をくずした又太郎に、やっ、という気合いとともに突いてきた。
(早い!)
 又太郎は槍先を太刀ではずすのが精一杯だった。
「ふふ・・・・」
 掃部介は、蛙を睨みつけた蛇さながらに鋭い眼光とともに、再び槍を突いてきた。
 今度も又太郎は、まるで銀蛇の如き槍を太刀で受けるのがせいぜいだった。
 二合、三合・・・・。
「む。むむ・・・・」
 掃部介の鋭い槍先に又太郎は、なかなか反撃できない。いや反撃どころではない。
(このままでは負ける。何とかしなければ・・・・)
 彼我の力量の差は歴然としていた。
 正法寺でのことが又太郎の頭をかすめた。勝負は時の運とはいえ、自分の力不足で負けることになれば、父や先祖に対して合わせる顔がない。あのとき、もう少し弓馬の道に励んでおけばよかったか、と思ったのだが、この掃部介との戦いには、弓馬の道は役に立たないようだ。
 五合ほども打ち合った頃、又太郎は負けを覚悟した。
(このまま戦場に朽ち果てるか)
 死んでも悔いはない、と思った。武士が戦場で死ぬのは本望というものである。
(このうえは見苦しくない死に方をしたい。せめて、長井掃部介に一太刀なりと)
 と、又太郎が覚悟を決めたとき、
「伊予守どのの本陣に討ち入ったぞ!」
 興奮した甲高い声が聞こえてきた。
「なに! しまった、殿が・・・・」
 又太郎は、冷水を浴びたように、燃え上がっていた闘争心が、じゅっと一気に消えた。「何という迂闊・・・・」
 歯がみしたが、もはや後の祭りだった。
 又太郎は、満貞の馬廻り衆なのである。合戦の際は、まずは大将を守らねばならないのだ。
「殿! 殿・・・・」
 早くこの場を切り上げて満貞のもとに戻らなければならない。
「どうした?」
 掃部介も又太郎の心の変化に気づいたようだ。又太郎の前方を塞ぐように動いていく
「うぬ・・・・」
 気ばかり焦るが、目前の掃部介の方が腕は上である。満貞を追おうにも、
「こなたの相手はここにござるぞ」
 大きな声を響かせながら、又太郎の眼前に立ちはだかってくる。
 そのとき、一団の雑兵がどっと押し寄せてきた。崩れたっているところを見ると、味方の雑兵が逃げるところと思われた。
「しめた」
 又太郎は、雑兵の一団の中に身を躍らせると、彼らに紛れて掃部介の槍先を逃れた。
「卑怯者め。返せ」
 掃部介の叫びを後ろで聞いて、受け流すようにそのまま満貞の本陣へ向けて駆けに駆けた。
「伊予守の軍勢が崩れ立ったぞ」
 又太郎が漸くにして本陣近くに戻った頃、ときすでに遅く、味方は潰走した後であった。満貞の生死も分からない。
「不覚! 殿、ご無事でいらせたまえ」
 又太郎は、近くの敵兵から無理矢理奪い取った馬に飛び乗ると、敗走する味方の軍を追っていっさんに駆けた。
 そのとき、同じく馬に乗った掃部介が後ろから近づいていた。
「敵に背を向けるとは臆したか。返せ、腰抜け奴。勝負は終わっておらぬぞ」
 後ろから聞こえてくるのは、掃部介の胴間声である。その声は矢よりも鋭く又太郎の背に突き刺さった。恥辱で顔面が朱に染まりそうであった。
「くう。この悔しき思いは二度とすまいぞ」
 又太郎が堅く心に決めたとき、脳裏に親友の土岐新次郎の顔がくっきりと浮かんだのだった。
(続く)






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10/02 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・週末要因や米雇用統計を前にポジション調整
10/01 08:47 「本日のマーケット」(FX編)・・・9月日銀短観、9月中国製造業購買担当者景気指数(PMI)などが材料。
10/01 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・欧米株式の上昇を受けて買いが先行後、もみ合い。
09/30 08:52 「本日のマーケット」(FX編)・・・日中は119円後半のもみあい
09/30 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・反発後、上値が重い展開。
09/29 08:55 「本日のマーケット」(FX編)・・・株安・円高パターンの継続はドル高圧力を後退
09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
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