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薩摩いろは歌 幕末編3 時に到りて涼しかるべし (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2011年12月18日 10時18分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 幕末編3 時に到りて涼しかるべし
古賀宣子



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


時に到りて涼しかるべし・梗概
 久光の命に背いてまで、西郷吉之助(隆盛)は何故無断先発したか。大久保一蔵(利通)は、その真相を探るため、下関から先発する。

 人柄などという狭義な意味ではない。西郷吉之助の茫として、凡人には測り難き人格そのものに触れ、一蔵は絶望の淵から救いあげられた思いがした。(本文より)


作者プロフィール:
古賀宣子。年金生活の夫婦と老猫一匹、質素な暮らしと豊かな心を信条に、騒々しい政局など何処吹く風の日々です。新鷹会アンソロジー『武士道春秋』『武士道日暦』『花と剣と侍』、代表作時代小説『剣と十手の饗宴』などに作品掲載。
 当コーナー【時代小説発掘】では、編集担当。


薩摩いろは歌 幕末編1 口上

薩摩いろは歌 幕末編2 率兵上京に向けて

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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 幕末編3 時に到りて涼しかるべし
古賀宣子



一 小倉屋怒濤

 下関に着くと、吉之助はいなかった。
 すでに上方に立った後という。出立に至るまでの状況を、廻船問屋小倉屋主人白石正一郎が語る。
 実はその前日の三月二十七日、黒崎に到るや一蔵は、彼に一筆送り、諸藩の形勢及び志士の動静を知りたい旨を伝えていたのだ。
 初めて上京した際、行きも帰りも小倉屋へ立ち寄ったが、諸藩の情勢についての情報量の多さと確かさに驚き、自分が知り得たのはごく一部でしかないと覚った。しかも日に日に変化しているに違いない。その辺が掴めたらと、考えたからである。
 藩としては十八日に、薩摩藩内の阿久根に到った際、浪士が上方に参集を始めているとの情報を得ている。そのため海江田信義(旧姓有村俊斎)と高崎猪太郎が、浪士の動静を探索するために先発急行。姫路において復命するよう久光は命じている。
 恐らく久光の考えには、下関で待つ吉之助のことがあったに違いない。そこで先ず動静を掴み、そして天祐丸で大坂へいけば、情報察知にそれほどの差異は生じぬで、あろうと。
 が、吉之助がいないと判った今、果たしてそれで間に合うのであろうか。焦りに似た気持ちを拭いきれない。
 一月に近衛家で久光の上京に向けた趣旨を言上し、帰藩する途中で、藩命によって江戸へ向かう柴山愛次郎と橋口壮介に出会い、彼らに藩の考えに従うよう説得した。のちに陰で彼らは一蔵のことを救い難いと皮肉ったという。しかし、彼らの苛立ちと今の自分を覆う焦りと、一体どこが異なるか・・。
「先ずは順序立てて、西郷様がお見えになるまでの情勢をお話せねばなりますまい」
 五十にして天命を知るとは、郷中教育でも最初の頃に素読で学ぶ論語の一節だが、白石正一郎はまさに、その天命を自覚して、志士たちを援助している。
 一月末から二月初めにかけて、柴山と橋口によって、久光公率兵上京は予定通り決定が伝えられ、西国志士の間に瞬く間に広がったという。
「西国勤皇の士申し合わせ、名分大義を明らかにし、鎌倉以前の大御代に挽回し、朝威を内外に輝すべきの時節到来なり」
 これが有馬新七の呼びかけである。
「有馬様のお考えは、久光公ご上京前に伏見にて義挙し、姦計を企てた酒井所司代らを斃し」
 その上で久光を押し立てて錦旗を翻し、江戸でも安藤老中らの幕賊らを斃して東西呼応すると明言。
「その後、坂下門外の変がございましたが」
「それで、具体案は」
「およそ七百人の志士が必要と説き」
 それらを牽引する人物として、宮部鼎蔵に平野次郎そして真木和泉父子や小河一敏など、白石正一郎は一蔵も熟知している十数名の名を告げる。
「何しろ有馬様といえば、薩摩藩尊王志士の中心人物と見做されておりますから」
 この具体案は、各地の志士たちを高揚させたようだという。
「そのような空気に」
 吉之助は何とかせねばと真っ先に考えたに違いない。そう思ったが、一蔵は口にしなかった。
「ええ、飛び込んで来られたのです」
 二十一日深更に大島三右衛門と名乗る西郷吉之助と村田新八が到着。翌日には、物資調達のための船の手配を終えて、森山新蔵(裳園)が。
「以前より太られましたが、すぐに判りました」
 吉之助によると、飯塚まで来たところ、森山新蔵からの書状が届き、下関には率兵上京を知って志士たちが集まっているので、急ぐようにとあったという。
「ご本人にも、急く気持ちはあったと思いますが」
 折から、豊後岡藩の小河一敏が二十余名を率いて大坂へ発つ直前だった。その中に筑前の浪人平野次郎もいた。
「月照様の一件で、亡くなられたと思い込んでいた西郷様ですから、驚かれるやら喜ばれるやら」
 白石正一郎はその場の空気をどのように表したらよいか思い浮かばず、ありきたりの言葉を口にしながらも、息遣いは興奮を抑えきれずといった面持ちだ。
 そうでなくとも上方へと意気軒昂だった志士達。それが爆発寸前まで盛り上がったに違いない。
 一方吉之助は、到着するなり懐かしい顔に出会い、たちまち興奮の渦に巻き込まれたわけである。若い村田新八はなおのこと、何がなにやら方向を見失い、吉之助の腕を引っ張るどころではなかったのではないか。
「それで」
 幕吏に追われた月照に薩摩まで付き添ってきた平野次郎は、入水時、船に同船していた人でもある。その平野に西郷は言ったという。
「またその方と死をともにすることになった。いずれ方策がきまったら、ともに戦死しようと」
「いささか誤解を招く言動では、あるのう」
「ですから平野様はいよいよ西郷様が同志とともに立ち上がると受け取られたご様子で」「西郷も一行の船に同船したのか」
「いいえ、森山様の船で。準備が整っており、やはり出発寸前でしたから」
 吉之助は藩宛へ連絡の文を残して、夕方村田新八とともに出立したという。


二 一蔵先発

 藩はあくまで諸藩の志士を排斥する方針だが、機に臨んで用いるべき時があるのではないか。いや、そうせざるを得ない事態が起こることを想定した策も用意しておく必要があるのではないか。
 白石正一郎の話を聞きながら、この懸念は確信に変わりつつあった。しかし、このまま小松や中山に状況を訴えても、果たしてどれだけ理解が得られるだろうか。それなら、執政に与ってはいない仲間に問うてみてからでも遅くはあるまい。
 そこで先ず一昨日の二十六日、飯塚に遅れて到着した若い高崎左太郎に、小倉屋で得た感触について、どう思うか聴いてみた。
 高崎左太郎の父はお由羅騒動主犯の一人として切腹に処せられ、左太郎自身も嘉永四年九月、十五歳の誕生月に大島遠島となるが、その後について少し触れておきたい。
 嘉永六年赦されて鹿児島に戻るが、士分に復籍するのは九年後の今年二月である。その間、青年血気の不平を抑え、気を腐らせなかったのは、歌門の道に励んでいたからであろうか。
 以前から左太郎を知る一蔵は、江戸遊学の許可が下りた左太郎を自身の命で伴わせることにしたのだ。高崎左太郎初めての出国であり、時代の風を感じる意味では、吉之助の感覚に最も近いのではと
踏んでのことである。
「大目付の懸念は当たらじとも遠からじ、になりもしたね」
 即座にそう反応してから、それはともかくと、高崎左太郎の眼差しが引き締まる。
「あん時、自分が思ったごとにしておけば、藩の命運も変わったでは。そんよな後悔を抱かぬごと策を講じては如何ですか」
「やはい、そう思うか」
「先ずは、薩藩の脱藩者と密かに連絡をとい、よく言い含める」
「同じ考えだ。吉井仁左衛門にも話そう。但し、有馬新七らの耳には入らぬごとにせねば」
 言いながら、彼らの苛立ちと自分の焦りの違いに気付いた。久光が目指す大業を中心に据えているかどうかだ。しかも久光の目線は日本国の行く末にある。無論、有馬新七らもそうであるが、道は一つではないはずだ。大名の覚醒ある動きは決して無駄ではあるまい。
「森山新五左衛門が脱藩し、陸路をこちらへ向かっておいもすゆえ、到着すうや、白石と謀い上坂させまそや」
 森山新五左衛門は新蔵の嫡男である。
「筑前に潜んでおう工藤・北条は、吉井に頼もう」
 二人はお由羅騒動の際にいち早く脱藩した井上出雲(工藤左門、後藤井良節と改称)と木村仲之丞(北条右門、後村山松根と改称)である。
「但し、脱藩者はややもすれば軽易に事を謀い、却って久光公の妨げにないかねん。よって公が目指す大事を破るに至らぬごと、公に先発を請うて、京・大坂の動きの把握に努めたい。今夜は幸い宿直ゆえ」

  のがるまじ所をかねて思ひきれ
        時に到りて  涼しかるべし


 どちらからともなく、この歌が口をついて出てきた。
 とても逃れることのできないと思うときは思いきって決断することである。命を捨てる覚悟であたれ。この覚悟で生きることが、爽やかなすがすがしい気持ちにさせてくれる。
 その夜、出勤前に小松帯刀や中山中左衛門に思いを告げる。が、中山の意見は変わらない。あくまでも諸藩の志士排斥を主張して譲らず、激論となった。言外には、それみたことかと、進んで西郷召還を建言していた一蔵を非難する気持ちが滲んでいる。
 それとこれとは別だろう。一蔵は気にせず現状をより細かく訴えた。これほど容易ならざる事態ならば、久光公の大挙を助けて機会が至るのを俟つことが果たしていいことだろうか。却って大事を破ることになりはしないか。せめて薩摩藩の脱藩者だけでも取り込んでおいてはどうかと。
 小松帯刀は、あくまでも従来の路線を守りぬく上での補助策ならば、それも必要ではないかと理解を示してくれた。
 その晩、不敬を顧みず建白に及んだ。「の」で始まる歌を繰り返し諳んじて、臨んだことは言うまでもない。
 久光も志士たちの動きを大いに憂え、京坂に至り、先ずその形勢と諸浪士の挙動を探り、うまく取り計らってくるよう命じた。
但し、たとえ薩藩の浪人であっても、これからなさんとする企てに組み入れるのは許さなかった。吉井と高崎と謀り、密かに行うしかあるまい。
 翌二十九日、先発に理解を示してくれた小松帯刀が船の手配をしてくれたが、夕方から風雨強く出船不可能となった。
「実は源助だが」
 その晩、小松帯刀が耳打ちした。
「拙者も同じ不安が拭い切れじ、己の一存で源助を探索に出してあっとだ。大久保先発を急飛脚で知らせておく」
 大坂の廻船問屋摂津屋を訪ねるよう付け加えた。
「それは心強い」
 この一言に尽きた。翌朝は随分と波静かになっていたので、乗船の届け出をして暇を取り、昼過ぎに出船。
 吉之助の身の上に思いを馳せ、一蔵は一首詠んだ。

   
  君が為め砕く心はあら磯の
        岩間にあたる浪はものかは



三 神気颯爽

 四月五日、大坂に着いてすぐ一蔵は摂津屋へ。源助は一瞬懐かしそうな眼をしたが、それがすぐに落胆の色に変わる。
「少し前に堀様が播州に向けて出帆したところです」
 吉之助は伏見にいるという。
「幕府の嫌疑を憚い、深編笠をかぶって世の耳目を避けておられたのですが」
 諸藩の志士たちはこれを聞知して、伏見薩邸に訪れる者が次第に多くなり、その応接に困り果てたという。
「そこで留守居附役らが大いに尽力して、宇治の高碧楼に避難させました」
 源助と別れた一蔵は、その晩は旅館寅屋に泊まり、翌六日淀川を遡り、伏見到着は、日差しがくすんだ色に変じつつある頃であった。
そこから小船に乗り換え、紀伊家や安芸浅野家などの白壁沿いを流れる濠川を遡れば、そのまま藩邸である。
 初めて伏見を訪ねたのは、今年の一月なのに、何年振りかのような感がある。それほど多忙な日々であったということか。
 藩邸に着いた一蔵は、すぐに吉之助へ帰邸を促す書状を認めた。
 間もなく吉之助は帰来。
「久光公の命令に背いてまで、なにゆえ下関を発して上京せねばならなかったのか」
 吉之助の性分を熟知している一蔵は、何故守らなかったかと、詰問する気はなかった。「鹿児島に在って思慮していた時とは大いに形勢が異なっておい」
 諸藩の有志の徒が悉く京・大坂に集結しつつあった。
「江戸薩邸からも、伊集院兼寛などが来ておうじゃなかか」
 伊集院兼寛は吉之助の別れた妻スガの弟だ。
「その他の動きは」
「田中河内介、清河八郎、平野次郎、真木和泉そして伊牟田尚平などは主として計画すうところがあうごとだ」
「久光公の上京が絡んでおうのか」
「まさしゅ。これを推して盟主となして挙兵し、九条関白と所司代を襲撃すうこっによって、天下の耳目を一新すう」
「そしてこん機に乗じて朝権を恢復し、幕威を挫いて、国是を決定すう、ちゅうこっか」 白石正一郎から聞いた話と一致する。
「王政復古じゃぁ」
「しかし、久光公のお考えは」
 徳川公儀体制を維持し、封建制度存続を前提とした「天皇親裁体制」を企図しているのだと、一蔵は強調した。
「だが、有力な志士達がここまで動いていては、薩藩一藩でん幕政改革は無理だ」
 吉之助は国元で述べた持論を、より強く繰り返す。
「つまい、平野次郎等と行動をともにすう気なのか」
 白石邸で聞いた、いささか誤解を招きかねない吉之助の言葉を念頭において一蔵は尋ねた。
「そこまでは」と、吉之助は即座に否定する。
「有志の徒はややもすれば軽挙妄動して大事を破らんとすう恐れがあうゆえ」
「そん懸念があって下関を去ったわけだな」
「じゃっでこそ、鎮静に努めておう」
 話を聞きながら一蔵は、鹿児島を発つ直前に久光が藩内に示した諭書を改めてなぞっていた。
 そこで最も強調されているのは、「慷慨激烈」の説を主張する志士や「浪人軽率」の所業などに共感して接触を持つようなことはしてはならないとする点である。さらにそのような者と私的に面会することを禁じ、止むを得ない場合には藩の其の筋之者(応接担当の者)が対応すると述べている。つまり志士たちとの私的な交際を禁じたものであるが、言い換えるなら、藩士個人で国事運動にかかわってはならず、国事周旋運動は挙藩一致で行うと主張している。
 吉之助は果たしてこの諭書をどこまで理解していたか。
 出発まえ、一蔵等が最も懸念していたのは、吉之助が大島へ流されていた三年の間に激変した時代状況である。だから、下関までの探索でその変化を体感できれば、西郷本来の力を発揮できるであろうと、判断した。
 しかし、体感はあくまでも体感に過ぎない。そこに頭での理解力が加わって初めて、本来の能力は構築されていく。絶えず時代の変化に晒されてきた一蔵はその点に思い及ばなかったし、小松や中山らも同様であろう。
 幸い吉之助は志士達と行動をともにしてはいない。むしろ止める側に立っている。救いはそこだ。
「久光公が発せられた諭書をもういっど思い起こしてくれ。そん上で、おぬしが志士達を説得してくれるちゅうなら、心強い」
「無論、覚えておう。だがなあ」
 吉之助は一蔵を見据えた。
「勤皇の大義を貫徹し、国家の面目を一新すうに当たい、そん原動力となうものは、まさに故郷を棄て、父母妻子を顧みじ、死を決して事を為さんと欲すう天下有志の徒にあうと確信しておう」
 一蔵は吉井や高崎と論じた内容を語った。万が一の事態を想定し、せめて薩藩の脱藩者数名とだけでも連絡がとれるよう白石正一郎を通して謀ったことを。また小松帯刀も同様の懸念が拭えぬようすで、源助を上京させているとも。
 吉之助は大きく頷き、もし自分がこの地を去れば、恐らくは無事を保つことは出来ぬであろうと言い、さらに続けた。
「死地の兵は自ら死地に入らなくては之を制御すうこたあ出来ぬ」
 吉之助は毅然として言い放つ。
 一蔵が安堵の息を漏らしたときは、鶏鳴に及んでいた。
 吉之助と別れた一蔵は、翌七日昼ごろ出帆。天気は格別よく、神気颯爽と淀川の風景を眺め、狐渡りより上陸して石清水八幡宮に参詣。至誠を以って皇国のために祈った。その後、下山して橋本より乗船。大坂には夕方着帆。久光を迎えるため、その晩大坂を出帆し、播州大蔵谷に向かう。
 新たな難題が待ち受けているとは無論、知る由もなかった。


四 万事窮す

 八日昼、八つ時(二時)大蔵谷へ着帆したが、久光一行は未着であった。
「大久保さん」
 振り向くと源助だった。浮かぬ顔をしている。
「摂津屋で別れてから知ったこっなのですが」
 京坂へ向かっていた海江田信義と高崎猪太郎は、淀川の船中で平野次郎と会ったという。
「平野さんと」
 一蔵は瞬時に源助の心中を理解した。
 平野次郎が討幕王政復古論を告げると、西郷が大いに奮発興起した事情を語ったという。
 またその方と死をともにすることになった。いずれ方策が決まったら、ともに戦死しよう。
 白石正一郎から聞いた吉之助の言葉が蘇る。
 あの時の不安が的中か・・。
「驚いた海江田様が姫路で久光公に報告したそうです」
「ああ、これは・・」
「それだけでは、ないのですよ」
 長州長井雅楽とともに江戸から上京していた堀次郎に、伏見で会った吉之助は、そこに居合わせた浪士たちに告げたという。
 堀が長井の公武合体説(航海遠略策)に同調するようなら、お前たちが堀を討て。
「そんごと言われたそうです」
「当然、堀は誤解したであろうな。吉之助は激派志士たちに同調すう考えらしかと」
 長井は海外の形勢を説き、開国の止むべからずと諭していた。また幕府のために朝廷に遊説する形跡がみえ、大いに公卿有志者の人望を失くしたようである。これでは朝権復興の道は望めぬと。遂に京都を斥けられて、本国に帰されていた人物である。
「堀の考えは外交の処置において緩急を異にしておうのだが」
 そこまで言いかけて一蔵は口を閉じた。
「今更何を申しましても」
 源助が代弁する。
 それもあるが・・。一蔵は船中でここに至るまでの状況を整理していた。有志の士とやや反目するに至った遠因は別にある。
 それは率兵上京については、執政に与る、いわゆる久光四天王と呼ばれる者たちが密かに決定し、その政策および着手の順序も告げなかった。鹿児島を発った後に、柴山や橋口がしばしば尋問したが、久光以下なお秘密にしていたため、いよいよ意思が相通じず、大いに意見を異にするに至っている。
 だが、と一蔵は思う。もしあの時点で公にしていたら、いやそうせずとも秘密が漏れていたならば、蜂の巣を突いたような状況になっていたのではないか。出発直前に出された久光の諭書の意図はそこにある。
 そういう状況のなかで、二人は伏見の藩邸で会合したのだろう。
吉之助は、堀が公武合体の説を採り、長井等と計画をともにし、勤皇有志を排斥する形勢があると見て、面責したに違いない。
 国家の大事を計るものは、智術を用いるのではなく、誠心誠意身を以って尽くさなくてはならない。そこ下は死を覚悟して国事に臨んでおるか。また身を以ってこれを継続するものであるのかと。
 吉之助にしてみれば、堀は親しい郷中仲間である。が、堀はあくまで執政の立場にあって、漏らすことの出来ぬ政策や着手の手順があり、それは郷中仲間の意識をはるかに超えていたであろう。
 齟齬は起こるべきして起きた。
 源助の声に一蔵は我に返った。
「そん旨を、久光公に訴えられたとか」
 源助は続ける。
「自分はそん場に居合わせたわけじゃなかが、長州藩士の山田亦介ちゅう人がたまたま語うのを耳にしまして」
 泉州(久光)六七分の勢いだが、大島(西郷)は十二分の勢いをふくみおり、五年以前に死すべき命を借りおる身ゆえ、この度は借銀払いを致すなどと申し、誠に先鋒暴発の謀主にて・・・。
「周辺の理解も同じであったではと考えられもす」
 その日の夕刻、久光一行は着帆。堀次郎と会った一蔵は、初めて久光の激怒及び西郷処分について聞知した。
「万事窮す」
 それ以外の言葉はなかった。
 それでも尚、久光の怒りを解くすべはないか、一蔵はその晩、小松や堀と論を尽くしたが、如何ともしがたかった。
「中山中左衛門の怒いも半端じゃなかゆえ」
 小松帯刀は嘆息する。
 この頃の中山中左衛門の勢いは小松帯刀を凌いでおり、その上、元から彼は西郷の参画を喜ばず、徒目付に留める考えも彼によったものである。そのため、遂に西郷を譴責するに至ったという。
「小監察喜入嘉次郎と横目志々目謙吉等が大坂に向かっておう」
 西郷に藩命を達するためである。
「志々目謙吉とは懐かしい名だ」
「懐かしい」
 小松帯刀が怪訝な顔だ。
「月照の一件に関わう処置についてですね」
 当時、金剛院(斉興)の侍医をしているという父親から得た情報を密かに伝えてくれ、真相が分かった経緯がある。
「すうと、あん処置は金剛院様の真意ではなかったと申すか」
 小松帯刀の反応は早い。
「種子島に潜伏さすっお積いであったとか」
「変えたのは家老方じゃぁな」
「いかにも」
 新納駿河(新納久仰)等が、船舶の出入りの頻繁な種子島では、幕府に知られる懸念が強い。そうなると薩藩の難事を惹起することになる、と。
「金剛院様にはいけなふうに申されたのか」
「月照の出願ないと」
 一瞬、目元を曇らせた小松だったが、
「政(まつりごと)は難しか」と、呟くだけであった。
「しかも、西郷は死んだと届けられていたこっも」
「そや拙者も後で知った」
「怒いをどこへぶつけごともなく、すぐさま岩下佐次右衛門の所へ」
「駿河様の甥じゃあからのう」
「月照を殺害したのも同然、自刃せしめるよう取い計らってもらいたいと詰め寄うと、顔を歪め・・」
「岩下には罪はないゆえ」
「解かってはいても、悔しゅて。おいも若かった」
 一蔵は自嘲し、暫時の沈黙ののち、堀に向けて、口調を改めた。
「江戸の様子は」
「京から到着した柴山・橋口・伊牟田から伏見でん義挙企てを聞かされたが」
 坂下門外の変によって、すでに厳重な警備が敷かれており、堀は江戸での義挙は不可能という認識だった。さらに久光の目的がそれによって頓挫するのを恐れたという。
「久光公は、初めから義挙のために率兵上京をすうのじゃぁから、関東で様々に画策するには及ばんと、義挙中止を納得させて、上京してきた」
「上京命令があったし、な」
「あわせて伏見義挙を頓挫さすっために、三月五日に江戸を発ち、二十日に着京した」
「柴山等は脱藩してん上京と、聞いておうが」
 この場には小松帯刀と堀次郎しかいないので、源助の名を出しても良かったが、控えた。
「和宮降嫁御礼のため、彦根藩主が滞京して警備が厳しく」
 志士たちは京都錦小路および大坂薩摩藩邸に保護を求めていたが、留守居役がそれを拒否していた。
「かえってそれは危険と考え、拙者の一存で、田中河内介、清河八郎等数十人を大坂藩邸に収容させた」
「幕吏は当然探索しておうな」と小松帯刀。
「危うく拘束されそうになったが、逃げ切った」
「お主の機転がなにゃ、不測の事態が生じていたやも」
「しかしのう」
 堀次郎は束の間遠くを見つめる視線になったが、すぐに戻した。
「江戸藩邸も動揺し、柴山・橋口の他いも上方に無断脱出すうもんが出て」
「伊集院兼寛ら、か」
「源助から聞いたのであろう」
堀次郎は声を潜める。一蔵は黙って頷いた。
「よって藩邸からは、大目付並の菱刈杢兵衛と留守居役汾陽(かわみなみ)次郎右衛門が派遣され」
 蒸気船で直接出府すべきと、久光に面談して自重を促したが、それは我が意でないとし筋道立てて自分の意見を述べ、申し入れを拒絶し、二人を大坂藩邸に留めているという。 その他、佐土原藩主島津忠寛も江戸から使者を派遣してきたが、久光はそれに対する返書を認めた。
 上方に群集している諸浪人と一心同体などあり得ない。しかし、今回の率兵上京について、家臣のなかで趣意を取り違え、心得違いの者がおり、その言動から今回の誤解を招く事態に至った。些細な程度であっても、幕府に嫌疑を受けることは誠にもって心痛至極であると、甚大な懸念を示した。
 また、久光自身は幕府に対して異心など毛頭ないことを汲み取ってもらい、島津忠寛から老中久世広周への斡旋をして欲しい旨を依頼。加えて、堀次郎による一橋慶喜・松平春嶽の登用建言は国家のためであり、浪人とは一線を画していることを強調した。
 そして、藩主でもない身分の自分が、差し出がましいことをするとの指摘も承知している。しかし、何百年来徳川家の御厚恩を蒙りながら、このような時節に黙っているのは却って不忠と考え、徳川家に忠節を尽くすための率兵上京であり、江戸参府であると。
 なおこの書中では、久光の大叔父にあたる福岡藩主黒田長溥、八戸藩主南部信順が先年より久光の政策は宜しくないとの反応を示しており、家老を更迭し、小松帯刀を柱とする人事刷新を行ったことにより、いっそう久光への不信を深くしていることにも触れている。
 このように藩内外で必ずしも十分には理解されてはいない率兵上京であった。


五 拙者覚悟

 翌九日、一蔵等は久光に随行し、夕方(四時頃)兵庫に至った。
 ところが旅宿の玄関に、村田と森山を伴い、吉之助が風(ひょっこり)と現れたではないか。それも手を挙げて大笑いをしながら・・。
「どうもよか形勢になってきた。誠に賀すべきこっじゃぁ、今御出になれば至極よか。案外な形勢だ」
 あたりに轟くような声でいう。
「大坂ではなかったのか」
「志々目謙吉等と一緒に参った」と平然としている。
「志々目は何と」
「直ちに戻れとの命が下っておると」
 これはのちに知ったことだが、藩命を告げると、吉之助は従容として拝した。その普段と変わらぬ落ち着いた様子に、志々目等の気は挫け、手を下すに忍びず、そのまま共に兵庫まで来たようだ。
「それどころじゃなか。貴様は何も知らぬが、大変なことが出来しておう。だが、ここでは話されぬ、先ずはこちらへこい」
 一蔵はあとの二人を残して外へ。
 宿は街道に面しており、その先は田圃が広がり、さらに向こうは卯浪寄せる浜辺だ。一蔵は、人も通らず見咎められぬ田圃のなかへ吉之助を連れていき、言った。
「さて、貴様は下関で久光公をお待ち申さずして、自分専らに上方に行ったこっぉば、大変に御立腹で、ただは置かれぬから国法に処せよちゅう思召しだ」
 一蔵の言葉に、吉之助ははじめて己の迂闊さに気付いたらしく、目に力がこもり、それが瞬時に驚きへと変じてきた。
「切腹を仰せつけられうこっになっておって、我々がいけなに申し上げても御聞入れがない。誠に残念千万と思うが致し方ない。貴様と拙者とはこれまで兄弟の如くして、共に国事を図ってきたが、かかう時宜になっては、貴様ばかりを死なせてはならぬ。刎頸の交わいゆえ、拙者刺し違えて死ぬ覚悟だ」
 これまでも心肝を砕いて対処してきたことを挙げれば数え切れぬほどあった。特に順聖院(斉彬)の死や月照一件を経て吉之助が謫居した際もまた度重なる精忠組仲間の突出など。しかしそれでも、一度たりとも死を決したことはなかった。
 その一蔵に死を覚悟させたものは、久光の激怒と中山中左衛門等の勢力がすこぶる強大にして、殆ど救済の道なきに失望したからである。
「そや飛んだこっであった。自分が御沙汰を待たじ、自儘(じまま)に挙動したのを御咎めになれば、申し訳ない」
 実は上方の者どもが軽挙妄動をするから、それを鎮静しようと思って行ったのであるが、君命を須(もち)いぬという御咎めであれば仕方ない。拙者が悪いから尋常に切腹するが、貴様まで一緒に死ぬというのは、甚だ宜しくないことである。貴様はどこまでも活き長らえておって、拙者の志を継ぎ、予(かね)て約束した通り、国事に充分尽くしてくれ。そうすれば拙者が一人死んでも、拙者の志を貫くことができるが、二人とも死んではどうなるものか。そんな馬鹿な事をしてくれるな。是非活き長らえて、後のことを充分し尽くしてくれ。
 人柄などという狭義な意味ではない。西郷吉之助の茫として、凡人には測りがたき人格そのものに触れ、一蔵は絶望の淵から救いあげられた思いがした。
 もう一度、久光公に吉之助の助命嘆願をしてみよう。なんとしても訴えねば。
「時に到りて涼しかるべし」というあの語句が、心の襞深く沁み込んで、勇気と意欲が胸底から湧き出てきたのだった。







  

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