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蝉丸無明剣(前編)(無料公開)
[【時代小説発掘】]
2012年1月22日 12時42分の記事


【時代小説発掘】
蝉丸無明剣(前編)
鮨廾賚



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)

【梗概】: 
 中条出羽二郎の家人山中衛門四郎は、中条氏家伝の兵法に長じていたが、若くして失明の危機にあった。完全に失明する前に、赤坂城に籠もる悪党楠木正成を討って手柄にしたい衛門四郎だったが、その気持ちは主人に理解されなかった。そのうえ赤坂城攻めも、華々しい武者の戦いとは、ほど遠いものだった。絶望し、失明の危機に怯える衛門四郎は、逢坂山である人物に出会う。


【プロフィール】:
鮨廾賚此 昭和33年(1958)生まれ。大阪在住。平成22年(2010)第40回池内祥三文学奨励賞受賞。現在、新鷹会会員、歴史研究会会員、大衆文学研究会会員。


鮨廾賚困里海譴泙任虜酩福

秘太刀「一心の剣」
第一話 はるいち−風烈廻り昼夜廻り同心朽木重四郎−  
雲、流るる
猿御前
信綱敗れる 
あかね空
中条流平法 
沼田法師 
女忍び無情
ぼろぼろ系図 
帰心の風
「払暁の風」第一章 黒田の合戦
第二話 筑波ならひ−風烈廻り昼夜廻り同心朽木重四郎−




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一 逢坂山

 逢坂山は山城国と近江国との境を成す山である。
 東海道、東山道から京都(みやこ)への入り口、あるいは出口として、政治上、軍事上の要衝でもあった。そのため、ここには関所が設けられていた。逢坂の関という。
 延元元年(一三三六)五月八日。
 入梅を前に強い日差しが、山中衛門四郎改め蝉丸の顔を照りつけた。木陰から日の当たる道に出たようだ。
「確か、この辺りだと思うたが・・・・」
 蝉丸は一人ごちながら、周りに目を近づけては遠ざけ、時に手で触って感触を確かめた。
 街道を行き来する旅人であろうか、怪訝な面持ちの視線が痛いように感じられる。かつてはそんなことは感じなかったのだが、往来の旅人の足音、匂い、まるで身体全体が反応するような錯覚に、
「いかん。いかん」
 慌てて蝉丸が、己の五感を閉じようとしたそのとき、
「何かをお探しですかな?」
 情のこもった、柔らかな声音で問われた。
 声の質から、歳の頃は四十前後か、法師か商人であろうか、と思いながら、
「蝉丸社を探しているのです」
「なるほど。ならば、ほれ真っ直ぐ行くと良い。直に祠がありましょう」
「ありがとうござりまする」
 丁寧に礼を述べながら、蝉丸は教えられた通り、真っ直ぐに歩いて行った。
 ありがたいことだ、と蝉丸は素直に思う。人の情けをそのまま受けられるようになって、蝉丸は、己の内で確かに何かが変わった、と思う。それが何なのか、うまく口では言い表せないもどかしさがあるが、お師匠ならうまく言い当ててくれるだろう、という期待もあって、蝉丸の内心は踊るような気持ちだった。
 そのとき、その昔蝉丸が詠ったという和歌が思い出された。

 ”これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関”

 古来より旅人が往来する逢坂の関で、様々に離合集散を繰り返す人々の流転の姿を詠んだ歌とされている。「百人一首」第十番の歌でもある。
 もう何十回となく呟いたその歌を、蝉丸は今一度呟きながら進んだ。衛門四郎は、師の教えに従い、かつて琵琶を弾き、歌を詠ったという盲目の隠者蝉丸の名をいただいたのである。
 しばらく歩くと、確かに小さな祠にぶつかった。手で触って、
「おお。ここだ」
 と、嬉しそうに呟くと、下の草地を確認して、どっかと腰を下ろした。
「お師匠は、まだ来ておられぬようだ」
 ぐるりと首を回して気配を確認し、背に負った太刀を左に掻い込むよう持ち直した。
 それにしても、と蝉丸は改めて思った。師との再会を思うと、胸が躍るようで、まるで、故郷に残してきた恋しい女性(ひと)との再会を待つようでもある。否、それ以上かもしれない。
 蝉丸がそれほどまでに慕う師は、明石覚一という名の琵琶法師である。自身は盲目の兵法者で、本来なら、盲目と兵法とは相容れないはずである。
 ちなみに、ここでいう<兵法>とは<軍略>のことではなく、剣(太刀)を中心としたいわゆる<武芸>のことである。
 はじめ蝉丸もそのことに深く悩み、剣を捨て、一時は覚一に琵琶を習おうとまで思いつめたものだった。それが覚一の強い勧めで、剣の道を捨てず、ついには失明しながらも、剣を自在に操れるところまで達し得たということは、全く奇跡といって良いことだった。 覚一と別れて三年、今日が再会を約したその日なのである。
 この三年の間に口では言えぬ修行の辛さを味わったのも事実である。にも係わらず、こうして師と会うのが待ち遠しいのは、それが全て剣の道の完成につながったという感謝の念があるからであった。
「いまや盲目であることの不利は、全く無い」
 蝉丸は断定できる。
 仮に失明していない者と立ち合っても、負ける気がしない。現に、ここに来るまでに、兵法者とおぼしき二人の武士と立ち合ったが、いずれも一撃のもとに倒している。それこそ、
〈剣の道の完成〉
 であろう、という自負がある。それこそが師の言った、
<悟達の境地>
 と呼んで良いものだ、と蝉丸は思っていた。
 優れた仏教者でもあった師の言に、盲目でありながら、ついに剣の道で達した喜びを師とともに味わいたいと蝉丸は心の底から思うのだった。
 始まりは今からおよそ五年前のことである。蝉丸の脳裏に、まるで昨日からのことのように鮮やかに蘇ってきた。


二 赤坂城攻め

「それがしも供をさせてくだされ」
 山中衛門四郎は、必死の面持ちで訴えた。
「ならぬ」
 そんな衛門四郎の申し出を、中条出羽二郎は、あっさりとはねつけた。
 出羽二郎は、衛門四郎の主人である。館の簀の子縁に胡坐を組んで、先ほどから庭先に控える衛門四郎を見つめていた。
 ここは三河国賀茂郡高橋庄挙母にある中条館である。
「火急の用向き、とのことゆえ何事かと思えば、そのような自明のことが叶えられるわけがなかろう」
「何ゆえに?」
「わけを問うか。そなたがよく知っているはず」
 出羽二郎はにべもない。
「殿のもとでの長年の兵法修行。決して遅れをとるものではござりませぬ」
「む・・・・」
 出羽二郎の声が一瞬詰まったのは、衛門四郎の申し出が真実だったからである。
「確かに、そなたの兵法は抜きん出ている」
 中条氏は家伝といっても良い兵法を代々伝えている。それは当主のみでなく、家の子、郎党にも伝授しているが、分けても衛門四郎は筋が良い。
 衛門四郎は、出羽二郎より四つ少ない二十二歳になる。背は六尺を越え、筋肉隆々たる偉丈夫である。兵法のみばかりか、幼い頃から弓馬の道にも優れ、武士として申し分のない人物であった。
 だが衛門四郎には、たった一つ短所とでもいうべきものがあった。
「とは申せ、夜目が利かずば戦に遅れをとる事は必定」
 そのうえ視野も狭くなっていよう、とまではさすがに出羽二郎も言いかねた。
「む、む・・・・」
 今度は、衛門四郎が声を詰まらせている。
 幼い頃から衛門四郎は、夜になると全く目が見えなくなった。始めはそれを普通と感じていたのだが、やがて、それは自分のみであることが分かってきた。そのうえ、視野の角度も他者に比べて狭いようなのだが、そのことを知っているのは、父母、兄と主人のみである。
 にも係わらず、兵法の技前は衆に抜きん出ている。多くの家の子、郎党が残念がるのも無理はない。出羽二郎もまたそんな一人である。
「こらえてくれ。此度の戦は、たかの知れた河内の悪党を山城に攻めるもの。諸国から兵が集まるゆえ手柄の立てようもなかろう」
 おっかぶせるように、出羽二郎は一気にしゃべった。
 この年、すなわち元徳三年(一三三一)は、八月九日に年号が改まり元弘元年となる。すでに年初から〈主上御謀反〉の噂がながれ、世上は騒然としていたが、八月になって、ついに主上すなわち後醍醐帝が、京都を脱して笠置に立て籠もられた。そして九月、後醍醐帝に応じて、河内の土豪楠木正成が、赤坂城に挙兵したのである。同じく備後国でも桜山四郎入道が呼応し、後世<元弘の変>と呼ばれる事件が起きた年である。
 時の幕府の実力者北条高時は、直ちに楠木討伐の命を下した。大仏貞直、金沢貞冬など北条一門ばかりでなく、幕府の有力御家人足利高氏にも討伐の命が下ったのである。
 足利氏は代々三河国の守護職に任じられている。源頼朝の家系が、三代将軍実朝で途絶えた後は、源家の嫡流を自負し、周囲もまたそれを認めていた。
 高氏は、直ちに早馬を仕立てて、三河国内に触れを廻した。兵を招集し、鎌倉を発つ高氏軍に合流せよ、ということである。
 中条家もまた若き当主出羽二郎のもとで、合戦支度に余念がなかったのである。
「赤坂城に籠もる楠木の手勢を知っておるか」
「噂では四、五百とか」
「そのとおりよ。その小勢に、幕府では万を越える大軍を遣わすとか。バカバカしいにもほどがある」
 出羽二郎は、吐き捨てるように言った。
「親父殿が生きておれば、真っ先に止めたものを」
 元来中条氏は、尾張守護職や評定衆にも任じられた鎌倉幕府の有力御家人である。出羽二郎の父出羽守も、永仁三年(一二九五)に検非違使に任じられている。このとき出羽守に従ったのが、衛門四郎の父左衛門少志(さえもんさかん)であった。
 だが、その出羽守が若くして没すると、中条氏の勢いは大きく後退する。出羽二郎の兄伊豆守は、父亡き後鎌倉で幕府に出仕していたが、要職を得ることなく、先年病を得て亡くなった。跡を継いだ出羽二郎はまだ若く、三河国の守護足利氏の後ろ盾を得て、なんとか家を保つ状態だったのである。
 出羽二郎が憤慨するのも止むを得ないことであった。
「さりながら・・・・」
「もう言うてくれるな。我らの外にも此度の合戦には、疑念を抱く者も少なくない」
 出羽二郎は、そう言って長い溜息をついた。
 たかだが四、五百の軍勢で籠もる山城を、万を越す大軍で攻めるのである。出羽二郎ならずとも、今度の出陣に二の足を踏むのは仕方のないことではある。
「噂では、総勢は二十万を越すともいわれている。我らは後ろで黙って見ているばかりやも知れぬ。つまらぬ合戦よ」
 自嘲の呟きすら口をついて出た。
 九月二十日に鎌倉を発った軍勢は、二十万余騎と称された。
「なれば。なおさらそれがしも供にお加えくだされ」
「なに! まだ言うか」
 衛門四郎の聞き分けのなさに、さすがに出羽二郎も腹が立ってきた。
「それがしにとっては初陣でござりまする。なにとぞ、なにとぞ、お願い仕る」
 衛門四郎としては必死であった。
 目にやや障害があることは確かである。とはいえ衛門四郎は、武士として合戦の用に耐えられる、ということを自ら証明したいと強く願っていた。合戦に出られなければ、武士として役にたたないばかりか、幼い頃から学び覚えた兵法すら意味が無くなってしまうではないか、と。
 衛門四郎は、縷々訴えたが、
「分からぬ奴め。合戦はまたの折もある」
 機会を待て、と出羽二郎は諭そうとしたが、
「待てませぬ。いま出陣できなければ、衛門四郎は武士にあらず」
 とまで言い切った。
 後から思えば、強い焦りがあったであろうことは確かである。目が悪いという引け目があったのも事実である。合戦に出られない、というそのことが己の存在を否定されたように感じて、衛門四郎は返って依怙地になったのである。
「ええい。聞き分けのない奴。かほどに主の言うことが聞けぬなら、そなたとの縁を切る」
 さすがにその一言は、効き目有り、と思われたが、
「けっこうでござります。縁を切られても従(つ)いて行きまする」
「ならぬ。そなたとの縁はこれまで。いっかな目の悪いそなたが、なまじに武士としてものの役にたつと思うか」
「立つか立たぬかは、それがし次第と心得る。見事、立たしてみせましょう」
「勝手次第にせい。もはやそなたは我が郎党にあらず」
 互いに若い主従であった。近くに居た年配の家の子、郎党が二人を取り成そうとしたが、売り言葉に買い言葉である。激昂した二人に歩みよりは見られなかった。
「勝手にいたし申す」
「評定があるゆえ、ここまで」
 出羽二郎は立ちがると、そう言って館の奥に引っ込んだ。
 ここ三河国賀茂郡の九月の下旬は、晩秋とはいえ昼はまだまだ暑い。日差しよりもさらに熱い二人の興奮であった。
 後日、事の次第を聞いた衛門四郎の父左衛門少志や家の子、郎党の主だった者が取り成したが、出羽二郎、衛門四郎ともに和解することはなかった。

 その戦い、すなわち赤坂城攻めは、何とも不細工な合戦だった。
 赤坂城は生駒山系の要害に建てられていたとはいえ、四町四方の小さな城であった。にわか作りの堀と切り立った崖の上に塀が一つ、二、三十ばかりの櫓があるきりである。
「なんともあわれな有様よ」
「せめて一日は持ちこたえてもらわねば、手柄をたてて恩賞にも預かれぬではないか」
 幕府軍は余りのみすぼらしさに、そう言いながら、我がちに堀の中に飛び入った。一番乗りを果たそうというのだろう。
 だが楠木正成は、奇襲を得意とする山岳戦に熟達していた悪党である。幕府軍は功を焦って自滅する結果となった。
 ところで<悪党>とは、この時代を象徴する独特の言葉である。すなわち、鎌倉幕府の意に従わない反体制の者たちを指してそう呼んでいたのである。単に悪逆非道をなす者たちを意味していないところに注意が必要である。
 さて幕府軍の戦い方である。彼らは真っ先に城の中に入ろうとして、堀を越え、
「我こそは何某。いざや尋常に勝負したまえ」
 名乗りを上げて、敵の名のある大将との一騎打ちを夢想しながら塀に取り付こうとすると、いきなり城のあちこちから次々と矢を射掛けられた。あっという間に千人ほどの死傷者が出る。
「なんの命を惜しむな」
 矢には限りがある、とばかりに、遮二無二に塀に取り付くと、今度は大石が降ってくる、大木が落ちてくる。さらには熱湯が降り注がれる、といった按配である。
 大石に当たって死んだ者、熱湯で負傷した者は、
「坂東武者として恥ずかしい限りよ」
 と嘆き悲しみ、
「なんじゃこれは! このような戦があろうか」
 早くも厭戦気分が蔓延しだしたのである。
 鎌倉武士にとってそもそも合戦とは、互いに名乗りを上げて、正々堂々と戦うものである。戦の始めに矢合わせ、といって矢の飛ばし合いはあるが、一方的にしか飛んでこないということは考えられないことだった。まして、大石や熱湯が相手の合戦など想定外である。おそらく城攻め、ということ自体がかつて無いことだったのではないだろうか。そのため、たかが小城一つ一気に揉み潰せ、という当初の勢いはどこへやら、すっかり気勢を削がれてしまった。
 幕府勢の息は上がらず、城を取り囲んだまま、誰も打ってかからなくなってしまった。 それこそ楠木正成の術中に陥ったようなものだが、幕府方首脳もなすすべも無く、
「兵糧攻めにするしかあるまい」
 と、いまは諦めた風であった。
「これが、これが合戦なのか」
 意地を張って陣列に加わった衛門四郎だったが、赤坂城攻めは少なからぬ衝撃であった。
「これでは習い覚えた兵法など、何の役にもたたぬではないか」
 衛門四郎は絶望とともに、密かに中条軍の陣中を抜け出た。もっとも勝手について来ただけだから、断ったとして誰も相手にはしなかっただろうが。
 陣を出た衛門四郎は、賀茂郡高橋庄には帰らなかった。そのまま流浪の旅に出たのである。


三 琵琶法師

 あれから日を置かずして赤坂城は落ちた。にわかの旗揚げで、食糧が持たなかったことが原因だが、幕府軍の兵糧攻めが効を奏したといえなくもない。
 早いもので、それから二年が過ぎた五月八日のこと。衛門四郎は京都を目指していた。目前に逢坂の関がある。
 西暦一三三三年のこの年は、本来ならば元弘三年となるべきはずであった。
 元弘の変で捕らわれた後醍醐帝は、鎌倉幕府によって退位させられ、後鳥羽院の先例に倣って隠岐島に流された。新たに擁立された光厳帝は、元弘の元号を廃し、昨年正慶と改められた。従って、このときの正確な年は、正慶二年ということになる。ところが、この月、すなわち五月に鎌倉幕府が滅び、後醍醐帝の在位が肯定され、光厳帝は否定されることとなる。そのため、元弘という年号が復活し、この年は元弘三年ということにもなるのである。
 元号で表現しようとすると、まことにややこしい時代であったが、そうした政治の動きは、衛門四郎にとってどうでも良いことだった。
 まだ自分の目は、何とか見えるのである。失明の前に、武士として、中条家の兵法を学んだ者として、何か手柄を立てたいと思ったのである。それが、武士として、鎌倉の御家人中条氏の家人として、己が生きている証だと信じて。
 よしんば敗れて死んだとしても、正々堂々と戦い、
「中条家の臣山中衛門四郎は、あっぱれな武者ぶりぞ」
 と賞賛されるならば、悔いのない命でもあった。
「もはや戦とは、名乗りをあげて、正々堂々と戦うものではないのではないか」
 衛門四郎は寂しく呟いた。
 赤坂城を離れた衛門四郎は、好んで修験の地へ入った。生駒から高野山を経て熊野へ。滝に打たれ、修験者とともに修行し、赤坂城での出来事を忘れようと努めた。だが、できなかった。身体を苛めれば苛めるほどに意識が冴え渡り、己への不満が後から後から湧いてでる。
「やむを得ぬではないか。いつか失明するこの目を持っていては」
 やがて思いは、その一点に集中され、
「なぜそれがしだけが・・・・」
 尽きぬ悔いが、後から後から溢れでて、自らの運命への呪いとなって、己の意識を責め苛み始めるのだった。
 父や母を恨んだこともある。どうしようもない事だ、と諦めようとしたこともある。かつて大叔父が同じように失明した、と聞いたことを思い出し、山中に流れる血を憎んだこともあった。
 そしてついに、剣あればこそ、武士なればこそ、と観念し、剣を捨て、武士を捨てることを決心したのである。そのことによって悔いが消えるとは思われなかったが、修験の者や神官と語り合い、高名な知者、高僧を訪ねて道を問えば、あるいはいま、己が置かれたこの業火に焼かれるような意識の苦しみから逃れられるかも知れない、と思い至ったのだった。
「まずは京都に行かれるが良い。何といっても日の本一番の賑わい。高僧、知者の数も多い。そこから始められるがよろしかろう」
 熊野の神官の言を入れ、衛門四郎は都へ向かうことにした。
 途中、伊勢神宮に参拝し、鈴鹿の関を越えて近江国に入ったとき、
「おやめなされ。いま都は騒動の真っ最中におざるぞ」
 と、親しくなった行者に止められたが、気持ちは変わらなかった。衛門四郎は会いたい人物がいたのである。
 熊野の神官は、高僧、知者の一人として、歌人にして僧侶の<頓阿>という人物の名をあげた。
「頓阿法師は、俗名を二階堂貞宗と申しましてな。鎌倉幕府の重鎮二階堂氏の一族でござった。下野守光貞どのの子に生まれながら、二十代で出家、その後金蓮寺の浄阿どのに弟子入りしたお方でありまするよ」
 頓阿の師浄阿は、始め忍性から律宗を、ついで心地覚心から禅宗を学び、熊野で修行した後、さらに他阿真教に時宗を学び、金蓮寺住職となった異色の人物である。
 そんな浄阿に学んだ頓阿は、
「二階堂氏家伝の兵法を修めた人物でもありまするよ」
「なんと! 兵法者でござりますか」
「さよう。剣を捨て、浄阿どのに学び、和歌の道に入ったと聞き及んでおりまする」
 今では二条門の四天王と称せられているという。
 ――家伝の剣を捨て、和歌の道に入った。
 ということに衛門四郎はこだわった。
「できうれば、己もまた剣に替えて何ものかを」
 と願わずにはいられなかったのである。そのため、完全に失明する前に是非とも会って、教えを請いたいと固く決意していたのだった。
 やがて衛門四郎は、逢坂の関を通って、近江国から山城国へ入った。
 逢坂の関は警戒が厳重で、牢人の衛門四郎は、はじめから胡乱な目で見られた。厳しい詮議があるか、と覚悟したが、倒幕を図る者どもの一味ではないと分かると、
「とっとと行くがよい」
 あっさりと通してくれた。
 逢坂山を下ると、道は右に日ノ岡越え、左に苦集滅道(くずめじ)と別れるが、衛門四郎は、四宮河原に出て、往来の少ない日ノ岡越えを選んだ。苦集滅道よりも、人馬の往来が少ないからである。
 苦集滅道の方が、日ノ岡越えよりも人馬の往来が多いのは、京都に鎌倉幕府の出先機関である六波羅探題が設置されてからのことである。そのためか、あるいは行き交う人馬の多さと関係あるのか、苦集滅道はどことなく往来の者たちに、殺伐としたものが感じられた。つまらぬもめ事に巻き込まれることも考えられて、衛門四郎としては、できればもめ事は避けたかったのである。
 このまましばらく行くと、やがて松坂の上り道で、右手に法勝寺九重の宝塔が見えてくるはずである。京都はもう目と鼻の先であった。
 その日は入梅を思わせるどんよりと曇った日和だった。やけにじっとりとした日で、衛門四郎もいやな汗が身体を這うように流れていた。
「お助けくだりませ」
 ふと女の哀願するような声が聞こえた。
 衛門四郎の視力は、すでにかなり衰えている。周りの景色もぼんやりとしか写らない。色が混ざり合う、というよりも白黒に溶け合うといった感じだろうか。それでもじっと目を凝らせば、何が起きているかはおおよその見当がついた。
 二人の女を何人かの男が取り囲んでいるのである。一人の女は、被衣(かつぎ)を被った若い女である。いずれは名のある家の娘に違いなかろう。今一人の女は、その従者であろうか。萌黄色の小袖を着た臈たけた女性(にょしょう)であった。
「良いではないか。我らと一夜を過ごしても」
「妾(わらわ)は遊女(あそびめ)ではありませぬ。どうぞ、都の逗子君とお過ごし下さりませ」
 どうやら取り囲んだ男たちが、二人の女に契りを強要しているものらしい。逗子君も遊女のことだが、辻に立つ辻君と異なり、専用の屋(おく)の内で契るのが特徴だった。
「銭がかかろうわい。我らは銭を持っておらぬのよ」
 取り囲んだ男が吐き捨てるように言った。
「さ、しばらくつきおうてくだされ。良いところに祠もある。あの裏辺りでいかがか」
 男の指差す彼方には、確かに祠のようなものがあった。いまその傍らには一人の琵琶法師が座っている。とはいえ衛門四郎には、ぼんやりとしか見えない。その祠が醍醐帝の第四の皇子と伝わる歌人蝉丸を祀ったものであるとは、後で知ったことである。
 取り囲んだ男たちは、いずれも髭は生やし放題、紙の衣を着て、黒い袴を着しているが色は褪せ、相当にくたびれている。烏帽子は被らず、腰刀を差しただけである。
(暮露だな)
 衛門四郎は見当をつけた。暮露とは有髪の宗教者で、ぼろんぼろんと唱えながら、諸国を乞食行(こつじきぎょう)して流離う者たちである。四、五人で連れ立って流浪するのが特徴で、単独の行動は余りとらない。元来が僧侶に近い存在なので、不心得をなす者は少ないが、その数少ない者たちなのであろう。
 この時代、女性もよく一人旅をしていたといわれている。そして、求められれば契ることもあったという。ただし、それはあくまでも双方が合意の上である。
「良いではないか」
 どうやら暮露たちは、明らかに強要しているように思われた。
 一人が強引に若い方の女の被り物を剥ぎ取った。
 行き交う旅人は多くない。遠巻きにして伺う者、足早に行き過ぎる者、態度は様々だが助けようという者はいないようだ。
 衛門四郎を除いて、武士も通らない。実はこの日は六波羅において探題側と足利高氏が交戦中であり、京都から日ノ岡越えをして来る者は、合戦に妨げられていて、逆に合戦に参加する武士は、苦集滅道を急いでいたのである。
 助けてやろうか、と思いながらも、当人たちのことであろう、という投げやりな気持ちもあって、そのまま通り過ぎようとした。
「あれ。無体な。乱暴はおやめくださいまし」
「ならば、そこまで参ろうか」
「お断り申しまする」
「なにっ!」
 強情な女たちに、暮露たちが力づくで迫っているところ、らしい。
 衛門四郎が歩を進めようとした、まさにそのとき、
 ――びいぃん、びいぃん。
 という琵琶の音が響いてきた。
「むっ!」
 暮露の無体な行動が、一瞬止まったように思われた。
 琵琶の音は、ゆっくりと、やがて、びん、びんと強く早くかき鳴らされた。
「むむ・・・・」
 その音は衛門四郎の心の内にある変化を呼び起こした。
「またれい」
 気づいたときは、女二人を取り囲んだ暮露たちに声を掛けていた。
「見れば、お二人の女性は嫌がっているご様子。お放しなされ」
「なにっ!」
 暮露たちは一瞬気色ばんだが、衛門四郎は六尺を越える大丈夫である。そのうえ太刀をたばさんだ武士でもある。
「おい。よせ」
 争いは面倒と感じたか、思慮のありそうな男の一言で、何も言わず、そのまま足早に去っていった。
「お助けいただき、ありがとうござりました」
 女が代わる代わる礼を述べるのを、
「気をつけて行きなされ」
 そこそこに受け流して、衛門四郎は祠へと急いだ。
 すでに琵琶の音はやんでいるが、琵琶法師は、祠のところに端然と座している。ぼんやりと映じるその姿は、衛門四郎にとってこの世の人とは思えないものだった。先ほどの琵琶の音といい、さぞや名のある法師に違いない。
「もし。そこな法師どの」
 衛門四郎は声をかけた。我知らず声が丁重になっていた。


四 蝉丸の名乗り

 衛門四郎の問いに、琵琶法師は、
「明石覚一」
 と名乗った。
「僧侶でござりまするか?」
「いかにも。かつては播磨国書写山で学んだこともある」
「それが何ゆえに琵琶法師などに・・・・」
「話せば長い」
 衛門四郎は、はっとして、
「ご無礼を仕りました。決して御坊を貶めるつもりはござりませぬ」
 丁重に詫びを述べた。
 法師もまた己と同じように失明したのではないかと思ったのだ。
「ははははは。気にせずと良い。理由はこの目じゃ」
「失明なされましたか」
「まだ、全てを失ってはおらぬが、早晩盲目となるは必定。すでに医師(くすし)にも見放された身じゃ」
 覚一法師の言葉に暗さは微塵もなかった。やはり僧侶として修行した身は、我ら俗人と違って、何か悟るところがあるのであろうか、と思いながら、恐る恐る問うと、
「何の。煩悩の塊でおざる。それゆえ、こうして琵琶の音に縋りながら生きている」
「琵琶の音にすがりながら・・・・!」
 その答えは衛門四郎の夢想もしないものだった。
 明石覚一は、正安元年(一二九九)の生まれである。このとき三十三歳であったが、痩せて法師衣に身を包んだその姿は神々しく、悟りを得た高僧を彷彿とさせるものだった。 衛門四郎は、先ほどの琵琶の音を思い出そうとしたが、どうしてもできなかった。女二人の危難を見過ごそうとしたとき、あの琵琶の音を聞いて、なぜかできなくなったのである。
 衛門四郎はそのときの不思議な気持ちの変化を語りながら、
「なにとぞ、それがしに琵琶をお教えくださりませ」
 と、頼み込んだ。
 さらに自らの負った失明への宿命を語るとともに、
「ぜひとも、弟子の一人にお加え願いたいのです」
 最後は、その場にひれ伏すような形になっていた。
「お手をお挙げなされ」
 覚一法師はやさしく言って、衛門四郎を自らの横に座らせると、
「世の中には、そのような宿命を背負って生まれてくる者がいると聞き及びます。あなたもそのお一人でありましたか」
 感に堪えぬように言った。
「前世の報いでありましょうか?」
「違います。心得違いをしてはなりませぬ」
 衛門四郎が自嘲気味に、聞きかじった仏教知識を披瀝すると、覚一法師は言下に否定した。きっぱりとした声音だった。
「あなた方の目は宿業や罪業ではありませぬ」
「では・・・・」
 覚一法師の断定するような言葉に、衛門四郎は新鮮な驚きを覚えた。生駒や熊野の有識の者と話したときは、前世の報い、宿業とも言われ、納得はしないながらも、なんとなく己の気持ちを慰めてきたものだった。しょせん仏法とは慰藉ではないか、と斜に構えたときもあったのである。
「この祠をご存知か?」
「はて・・・・」
「蝉丸と申す盲目の歌人の祠でありますよ」
「せみまる?」
「この逢坂の地に住んでいたと伝わっております」
 すでに伝説の人だが、琵琶法師の厚い信仰を受け、この祠ができたのだという。
「蝉は七年間地中で暮らした後、七日間だけ地上に現れ、その間他の虫を害することなく、ただひたすらに鳴いて死んでいくのです」
「七年間も地中で暮らし、地上の暮らしはわずか七日間だけですか」
「いかにも」
 覚一法師は、そこでいったん言葉を切って、
「そのような生もあるということです」
 と、静かに言った。
「拙僧はおよそ三十数年にわたり光明の世界を生きて参りました。直に無明の世界に参りますが、蝉の生き方を知った後、拙僧のような生もあると悟ったのです」
「御坊のような生ですか?」
 覚一法師は一つ大きく頷いて、
「あなたに問いましょう。あなたの生の在りようは?」
「えっ!」
 突然の問いに衛門四郎はびっくりして、次の言葉が出てこなかった。
「先ほど琵琶を習いたいとおっしゃられた。その前に女性を救ったところを見ておりました。むろん薄ぼんやりとしか見えませんでしたが、それでもあなたが並々ならぬ兵法者であることは分かりました。何ゆえに兵法を捨て、琵琶を求められるのです」
「盲目となっては、太刀は振るえませぬ」
 分かりきったことを、といささか衛門四郎は拍子抜けする思いだった。
「と、断じられるまで、あなたは兵法を突き詰められましたのか?」
「えっ! いや・・・・」
 衛門四郎はあまりの問いに思わず絶句してしまった。
「拙僧は書写山を降りました。それは仏道修行をやめたわけではなく、この琵琶により修行を続けるために降りたのです」
「なんと・・・・」
「失明するからといって、あるいは失明したからといって、すぐに諦めるのではなく、いましばらく修行を続けられてはいかがでしょうか。さきほど、危難にあった女性たちをあなたが救ったは、わたしの琵琶の音にあらず。あなたの心の内の兵法に対する思いと見ました。わたしの琵琶は、その素直な吐出を助けたまでのことです」
 覚一法師は優しくそう言って、ぼろんぼろんと琵琶を爪弾きだした。
「それがしが浅はかでありました。いましばし、兵法修行を続けて参ります」
 衛門四郎は座をすべって、覚一法師の前に手をつくと、深々と頭を下げた。
「お手をお挙げくだされ」
 覚一法師は優しく衛門四郎の手を取って、
「そうだ。三年後の今日、ここでもう一度会いませんか」
「えっ!」
「そのときまでにさらに兵法を修め、しかしながら盲いてどうにも兵法を使えなくなっていたら、そのときは拙僧の琵琶を伝授いたしましょう。生業(たつき)なしには生きていけませぬゆえ」
「おお。ありがたきお言葉」
「拙僧は無明の方の生業(たつき)を立てるために<座>を作ろうと考えているのです。まだそれは形を成すに至ってはおりませぬが、その際はぜひともお手伝いくだされ」
「ぜひに。ぜひにもお手伝いをさせてくだされ」
「そのためには、まず己の生をまっとうすることです」
「よく分かり申した。では、三年後に」
 こうして衛門四郎は、三年後の再開を約して覚一法師と分かれたのだった。
 覚一法師が語った<座>は、後に<当道座>として結実している。当道座とは、盲人の自治的な互助組織として江戸時代まで続くこととなる。

 そして今日が、その三年後なのだった。
 あれから衛門四郎は、諸国を流離い、伊賀国の洞穴に住んで兵法を修行した。
 光のない地中で七年を過ごすという蝉にあやかって、光の射さない暗い洞穴で修行を積んだのである。
 それは、やがてくる完全な失明後を想定しての暮らしであった。
 結果、衛門四郎にとって、それは一つの自信を得ることにつながったのである。
 いま衛門四郎の目は、かろうじて昼夜の別を判断できるくらいである。だが、日常の暮らしに支障は生じず、兵法においてもいまだ敗れたことがなかった。
 衛門四郎は、覚一法師に会えたなら、まずは三年前の礼をのべ、次に琵琶ではなく人生の師として、弟子の礼を取りたいと頼み、最後に、
「いささか悟ることがござりました。不遜とは思いまするが、向後は<蝉丸>の名を名乗りたいのでござりまする」
 と、申し出るつもりであった。
(続く)






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