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〔助太刀兵法18〕大江戸人形始末 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2012年5月27日 9時26分の記事


【時代小説発掘】
〔助太刀兵法18〕大江戸人形始末
花本龍之介 



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概
 深川・海辺大工町の飛十郎の長屋に住む佐吉は、節句人形を売る際師と呼ばれる仕事をしている。備後尾道生まれだが、幼な馴染の弥助と少年の頃生まれ故郷を出て苦労の末、はるばる江戸へ来ていた。ある日飛十郎の部屋へやって来た佐吉は、とんでもないことを依頼する。かた苦しいことが大嫌いな飛十郎は、にべもなく断わり、怒った佐吉は啖呵をきって帰ってしまう。だが、あとからやって来た弥助に、酒と鰻串を喰わせると言われて、情け無くも引き受けてしまう。なんとか苦手な役目を終えて、ほっとしながら酒をあおっていると、思いがけない事件に巻き込まれる。久し振りに江戸を舞台に、早船飛十郎の謎解きと助太刀居合剣が冴え渡る。


【プロフィール】:
尾道市生まれ。第41回池内祥三文学奨励賞受賞。居合道・教士七段。
現在、熱海に居住している。



これまでの作品:
[助太刀兵法1]鎌倉しらす茶屋  
[助太刀兵法2]人助けの剣
[助太刀兵法3]白波心中
[助太刀兵法4]おとよの仇討 
[助太刀兵法5〕神隠しの湯
〔助太刀兵法6〕秘剣虎走り
〔助太刀兵法7〕象斬り正宗 
〔助太刀兵法8〕討ち入り象屋敷 
〔助太刀兵法9〕夜桜お七
〔助太刀兵法10〕夜桜お七 (2)
〔助太刀兵法11〕柳生天狗抄 (1)
〔助太刀兵法12〕柳生天狗抄 (2)
〈助太刀兵法13〉柳生天狗抄(終章)
〈助太刀兵法14〉山の辺道中
〈助太刀兵法15〉山の辺道中(2)
〈助太刀兵法16〉十五夜石舞台)
助太刀兵法17五夜石舞台 (2)

猿ごろし

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【時代小説発掘】
〔助太刀兵法18〕大江戸人形始末
花本龍之介 



一 一升徳利

 際師(きわし)の仕事は、正月が過ぎてからはじまる。
 七草粥を食べる頃に、日本橋十軒店に雛人形の仮店を作るのが、佐吉の仕事初めであった。芹、薺(なずな)、御形、繁縷(はこべ)、仏の座、菘(すずな)、蘿蔔(すずし)の七種の春菜を包丁で叩いて粥に入れて食べるのが七草粥だが、佐吉はまだ江戸では一度も口にしたことがない。
 佐吉にかぎらず深川・海辺大工町の裏長屋に住み暮らす住人は、早船飛十郎も鰻屋の弥助もまだ喰ったことがなかった。七草粥などは、屋敷町に住む武家の家族か、表通りに店を構える裕福な商家がする行事である。
 名物の空っ風が江戸の町を吹き抜け、目を開けていられぬほど土埃りが舞いあがっているある日、腰高障子を引き開けて、佐吉が飛十郎の長屋へ入ってきた。
「お寒うございます、旦那」
炬燵(こたつ)布団に足を突っ込み、うとうとしていた飛十郎は、その声に目をあけた。
「おう。どうした佐吉。いい正月だな」
 小名木川に面した障子が、細めに開いている。からりと晴れ上がった江戸の空に、高々と揚がったいくつもの凧が見えた。
「へい、まったくで」
 寒そうに首をすくめると、袂から出した紙で佐吉は、ちんと鼻をかんだ。
「どうした、風邪でもひいたか」
「情けのうござんす。鬼の霍乱(かくらん)というやつで」
「馬鹿をいえ。霍乱というのは、暑気あたりを言うのだ。冬にあってたまるか」
「へ、へへ、知りませんでした」
「そんなところで水っ洟(ぱな)をすすってないで、炬燵にはいったらどうだ」
「とんでもねぇ。そんなことをしたひにゃあ、罰が当たりまさあ」
「際師の仕事のほうはどうだ。まだ暇なんだろうな」
 なにか用があって顔を出したと察して、飛十郎は起き上った。
「ところが、それが大違いで。今日は朝から、雛人形を並べる棚を組み上げるのに大忙しで。目を廻しやした」
「ほう、そんなに早く人形を出すのか」
「へい。気の早い客は、まだ雛を並べてねえのに顔を見せておりやしたよ」
「そうか、よほど孫が可愛いんだろうな」
「へっ、へへ。そこが、あっしら際師のつけ目でございやして」
 首の後に手を当てて笑う佐吉の顔を、飛十郎はじっと見た。日頃図々しい佐吉に似合わず、もじもじしている。
「どうした、なにか用事があってきたのだろう。おれに出来ることなら引き受けるぞ」
「まいったね。旦那にあっちゃあ、なんでもお見通しだ」
「おい、佐吉。うしろに持っているのは酒だろう。早く出せ」
 背後に隠し持っている一升徳利を目ざとく見つけると、飛十郎は笑いながら催促した。「流しに置いてある茶碗を、持ってくるのを忘れるなよ」
「お出ししますが、その前にちょっと……」
 耳たぶを引っ張りながら佐吉は言った。この男は、そんな仕草をしない男である。
「呑む前に、こいつを見てほしいんで」
 徳利を板の間に置くと、その横に色褪せた桐の小箱を出した。
「なんだ、そいつは?」
「へい、雛人形でございます」
 飛十郎は、無精髭をこすって首をかしげた。
「雛だと……。そうか、用事というのは、これのことか」
 小指を見せて、にやりと笑うと飛十郎はその指で鼻の脇をかいた。
「図星で。どうして、わかりやした」
「日頃、ろくに顔を見せぬおぬしが、酒と雛人形を持ってくる。となれば女のことだということは、馬鹿でもわかる道理だ」
「なある……。やっぱり旦那は、くえねえや。ま、こいつを見ておくんなせえ」
 桐箱の蓋を引き抜くと、中から男雛と女雛を取り出して、飛十郎のほうへ押しやった。「ふむ。なかなか由緒ありげな人形ではないか」
「本物の有職雛(ゆうそくびな)でございます。めったにねえ、珍しい品物で」
「有職だと? なんだ、それは」
 そう訊きながら、ちらりと酒徳利に目をやる。飛十郎にとっては酒のほうが、人形よりよほど大切だ。
「旦那は、有職故実ってのを知ってますかい」
 顔をしかめると、飛十郎はごしごしと頭をかいた。
「どっかで、聞いたような気がするな」
「大昔の古い京の御所のしきたりや、礼儀のことを言うらしいんですがね。じゃ、有職文様というのは?」
「知らん」
「平安このかた京のお公家さまの、装束や道具につける模様のことですがね」
 小難しいことを言う、とばかりに飛十郎がそっぽをむく。それに気付かず、佐吉は雛売りで覚えたらしい知識を巻くし立てた。
「いろんな柄がありましてね。雲鶴(うんかく)、立ち湧き、小葵、浮線綾(ふせんりょう)、幸い菱なんぞが代表的なものでしょうな」
 いつものことだが、佐吉は饒舌である。それにしても、なかなか用件を切り出さない。「わかった。まあ、いいから上がれ。酒でもやりながら、おぬしの話を聞こうではないか」
 そう言って飛十郎は、一升徳利にむかって顎をしゃくった。
「あ。こいつは、気がききやせんで。じゃ、遠慮なく」
 着物の裾を降ろして手ではたくと、流しの茶碗を二個持って、すっと上がる。小気味のよい機敏な動作である。飛十郎の前に茶碗を置くと、ぽんと音をたてて徳利の栓を抜き、とくとくと酒をそそぎ入れた。
「むむ。こいつは、うまい。下り酒だな、佐吉」
 ひと口ふくむと飛十郎は、唸るような声を上げた。
「へい。伏見の〔ふり袖〕が、お好きだと聞きましたんで、思い切っておごりやした」
「このおれも、めったにお目にかかれぬ上酒だ。おまえも呑んだらどうだ」
「いえ、こいつは早船の旦那に持ってきた酒でございます。あっしは、けっこうで」
「そうか、悪いな」
 うまそうに喉を鳴らして呑み乾すと、すかさず佐吉が茶碗に酒をつぐ。
「うまい酒には肴はいらぬ、というが本当だな……。しかし」
 と言って飛十郎は、佐吉の顔を見て首をひねった。
「こんないい酒を持ってきたところをみると、むずかしい相談ごとか? おまえに変わって女をくどけ、ということなら唐変木のおれには無理だぞ」
 佐吉は、慌てて手を横に振った。
「とんでもねえ。とっくに話はついちまってるんで。旦那に、婚礼の仲人(なこうど)をお願いしにきたんでさあ」

 
二 京人形

 とたんに飛十郎は、酒が喉に引っ掛かったように、むせ込んだ。
「な、なんだと――。おれに、仲人をやれというのか、佐吉。馬鹿をいうな、独り身だぞ、おれは」
 破れ畳の上にこぼした酒を、飛十郎はもったいなさそうに見た。誰もいなければ口をつけて、すすり込みたいところだ。
「いえ。旦那ひとりで、けっこうなんで。婚礼たって、あっしと女と弥助のほかには、長屋の連中が顔を出すぐらいなもんで」
 茶碗を置くと、眉間に皺を寄せて、飛十郎は腕組みをした。
「どこでやるつもりだ」
「へい。むかいの、あっしの部屋で」
「ふうむ。長屋の婚礼か……」
 長屋の花見というのは寄席で聞いたことがあるが、長屋の祝言というのは初耳である。もっとも武家や豪農や富裕な商家ならばともかく、裏店住まいの庶民は婚礼の式などしない。長屋の男の部屋へ、いつの間にか女が入り込み、一緒に暮らしているうちに腹が大きくなって子供が生まれ、なんとなく周囲が夫婦(めおと)と認め、大家が人別帳に届け出る。という大雑把な仕組みだった。
「まあ、佐吉はいいとしてもだ。嫁になる相手の女の親は、承知するまい。そこのところは、どうなんだ」
「そこんとこも、大丈夫なんで。お篠ってのが女の名ですがね。お篠も、あっしと同じ身の上なんで。両親(ふたおや)はとうに死んじまって、おまけに生まれ故郷を遠く離れて暮らしてますんで」
「お篠は、どこの生まれだ」
「雛人形の本場の、京でございます」
 それを聞いて飛十郎が、にんまり笑った。
「のろけか? お篠の顔がその女雛にそっくりだ、なぞと言うつもりではなかろうな」
 飛十郎の冗談に、うれしげに目玉をくるりと廻すと、佐吉は眉に唾をつけて頬っぺたをつねって見せた。
「それが旦那、その通りなんで。お篠が、あっしになびいた時にや、まるきし狐に化かされてるんじゃねかと思いやしたよ」
「ふん。京女に東男(あずまおとこ)を気取るつもりか、佐吉」
 面白くない顔で徳利を持ち上げると、飛十郎は茶碗にたっぷりと酒を注いだ。
「あっしは、ご存知のように備後の尾道の生まれでございますよ。東男は江戸で生まれた、早船の旦那のほうでござんしょう」
「そうか。京女に備後男、ときたか。たしかに、おれは東男に違いないが、かんじんの京女が影も形も見えんぞ。どうしてくれる」
ぐいと茶碗をあおると、飛十郎は膝の前に置かれた男雛女雛を、じろじろ眺めた。
「どうしてくれるたって……。この長屋じゃ、旦那は女嫌いだってもっぱらの評判ですぜ」
 佐吉は口の中で、こぼすように小さく言った。
「なんだと。いいたいことがあるなら、もっとはっきりいえ。聞えんぞ」
「いえ、こっちのことで。とにかく旦那、仲人を引き受けてくださいよ。お願いですから」
「だめだ。ことわる。仲人なんか真っ平だ。おれなんぞに頼むより、大家の薬缶頭か、人形屋の主人に頼めばいいではないか。そうしろ、そうしろ」
 左手をひらひら横に振りながら、飛十郎は言った。
「冗談じゃねえ。長屋の連中は、軒並み店賃(たなちん)をためてるんだ。あの薬缶頭が仲人をしたひにゃあ、けむたがって誰ひとり寄りつかねえや」
「なら、人形屋だ」
 そう言いながら飛十郎は、空の茶碗を畳の上で廻しはじめた。
「なんにも知らねえから、おっしゃいますがね。ああいった十数代つづいた京の老舗の人形屋っていうのは、えらく格式が高くって、あっしらのような際師なんざ塵(ごみ)芥(あくた)の扱いで、鼻もひっかけられませんや。仲人なんか言い出せば、笑われるのが落ちでござんすよ」
 佐吉は、自嘲するように言った。
「まて、おかしなことをいうな。際師を塵と言うのか? だが、佐吉のような際師が雛を売らねば、人形屋は立ちゆかぬだろう」
 ふところに入れていた指を襟元から出して、顎の先をかくと飛十郎は不審そうに聞いた。
「へ、理屈じゃ、そうですがね。江戸店の主人、番頭、手代から丁稚の末にいたるまで、際師ってのは犬猫同様、人間扱いしねえ仕来たりなんでさあ。じゃんじゃん売ってくれるうちは、ちやほやしてるが年を取って使えなくなりゃ、ぽいと放り出す世界ですよ」
 口調は荒いが、悔やしくもなさそうな顔で、佐吉は言った。
「このような美しい雛人形や、五月に飾る勇壮な武者人形の裏に、そんな冷酷な人の世があるとは。いや、まったく知らなかったな」
 小名木川を行き来する船頭が酔って歌う舟唄が、障子のむこうから聞こえてきた。思わず開けると、睦月(むつき)の冷たい風が吹き込んでくる。首を縮めて、飛十郎は障子を閉じた。
「まあ、あっしらも悪いんで。ちゃんとしたお店づとめや職人の徒弟にでもなって、小いせえ時から苦労してりゃ、こんな浮き目にも合わず、今頃は人並みに店の一つも持つか親方にでもなって、お天道さまの下を胸を張って歩けるんだが……」
 佐吉は言葉を切ると、頬に苦い笑いを浮かべた。
「今のあっしは、どぶ川を流れる根なしの浮草みたいなもんでさあ。それでも旦那、そんなあっしに惚れて所帯を持ってもいいって可愛い女があらわれたんだ。流れ者のあっしにゃ、夢みたいな話なんだ。なんとか、仲人になっちゃくれませんかねえ。おがみます、この通りだ」
 両手を合わせて飛十郎を拝むと、佐吉はがばと平伏して畳に額をこすりつけた。
「やめろ佐吉。おれは、そんなみじめったらしい姿を見るのは嫌なんだ。いくら頼まれても仲人なんかする気はない。悪いが帰ってくれ」
 呑み残りの酒が入った徳利を、佐吉のほうへ押しやりながら飛十郎は言い切った。ゆっくりと畳から上げた佐吉の顔が、恐ろしいほど青ざめて見えた。
「早船の旦那。あっしがこれほど頼んでも、どうしても駄目なんですかい」
「ああ、駄目だ」
「じゃあ旦那は、あっしに死ねとおっしゃるんですね」
思い詰めたような白い目で、佐吉は飛十郎を睨んだ。
「馬鹿をいうな。誰が死ねといった。おれは仲人なんか、真っ平ごめんといっただけだ」 飛十郎は、閉口したような声を出した。
「……ねえ旦那。お篠は、この雛人形そっくりな顔をしてるんですよ。ちまちまっとした目鼻立ちの、古風なちょっと淋しい顔で、三年前に京の都から雛と一緒にやってきて、あっしと働き出したんだが。男なら誰でもかばってやりたくなりそうな……、朝日にあたりゃあたちまち融けて消えそうな、淡雪のような女なんでさあ」
 そっぽを向いて天井の染みを見ている飛十郎に、しみじみとした口調で佐吉は語りつづけた。
「ああ……こいつだ。ひと目見たときから、あっしはそう思った。尾道にいた頃も、江戸へ出てからも、これほど好きになった女はいなかった。一生一度の恋なんだ。旦那、どうか助けておくんなさい」
 飛十郎は、無精髭をこすりながら佐吉に目をやった。
「それほど好きならば、婚礼などせずとも二人で暮らせばいいだろう。祝言なぞあげずとも人の幸せにかわりはあるまい」
「おっしゃる通りだ。あっしもそう思ったし、お篠にもそういった」
 佐吉は、女雛を自分のほうへ向けた。いとおしい目で、人形の顔をじっと眺める。それを見て飛十郎は鼻の奥を、ふんと鳴らした。
「だけど、お篠はどうしても、うんといわねえ。京女ってのは、おとなしやかで優しそうに見えても、どうして頑固でござんすねえ。いい出したら聞きゃあしねえ。祝言しねえうちは、どうあっても一緒に暮らさない。とこうだ」
 ほとほとまいった、という顔を佐吉はした。
「よほどの事情がありそうだな」
「それが、どう問い詰めても、わけなんかないの一点張りでございます」
「そいつは気の毒だったな。けどな、佐吉。おれは四角張って正座になり、高砂をうなる仲人なんてのは金輪際お断わりだからな」
「ああ、そうですかい! でも旦那の商売は、たしか助太刀人でござんしたねえ」
 佐吉は、ひらき直ったように言った。
「うむ。助太刀人だ」
「なら、人助けが商売だ」
 何を言い出すのかと思って、飛十郎は袖に入れていた手を抜き出した。
「まあ、そうだな」
「じゃあ、困ったやつに頼まれて仲人をするってのも、立派な助太刀人の商売じゃないんですかねえ。どうです? 旦那」
 やり込められて、飛十郎は目を白黒させた。
「う、うむ」
 日本橋十軒店には、十軒どころか百軒以上もの人形屋が並んで、商いに鎬(しのぎ)をけずっている。際師は口が達者でなくては、とうていつとまらないと言われている。生き馬の目どころか、舌や歯まで抜きかねない際師の仲間うちでも、一流といわれる佐吉だ。居合では目にも止まらぬ早技で人に負けぬ飛十郎も、口ではとうてい佐吉には太刀打ち出来なかった。
「たしかに、人助けのつもりで、おれは助太刀商売をしてきたが……。仲人だけは別だ、なんと言っても断わる。引き取ってくれ」
 佐吉は、がっくりと肩を落としたが、すぐに拳を固く握って飛十郎を見据えた。
「あっしは、旦那を見そこなっていましたよ。お侍には珍しく情に厚いお人だと思っていたが、大間違いだ。 紙風船みてえに軽い、人情じゃあねえか。もう頼まねぇ。おおきに邪魔をしやした。ごめんなすって!」
 啖呵をきって、ぱっと立ち上がると、一升徳利を掴みざま佐吉は後も見ずに飛び出していった。
 置き忘れられた雛人形が、佐吉のやるせない思いをあらわしているように、背中あわせになっている。
「ふ、ふ、人情紙風船か……。佐吉のやつ、うまいことを言いおる」
 ほろ苦く笑って、飛十郎は障子を細めに開けた。一月の冷たい風と一緒に、小名木川を行く川舟の艪を漕ぐ音や、帆が鳴る音が吹き込んでくる。大川の川面に映る、空の高みに揚がっていた凧も、いつの間にか数が少なくなっていた。
――助けてやりたいのは、やまやまだが……
 そう思いながら飛十郎は、ごろりと横になると、組んだ両手の上に頭をのせて天井を見上げた。
――ほかのことなら、なんでもしてやるが。仲人だけは嫌だ……
 天井板の雨漏りの染みが、見ているうちに目や鼻や口のような形になって、正月遊びの〔福笑い〕の泣き笑いのような顔になってきた。さっきの佐吉の表情にそっくりだ。
 こいつは、かなわん。天井から視線を離すと、寝がえりをうって肘枕をした。今度はすぐ目の前に、そっぽを向きあった男雛と女雛が目に入ってくる。
「人形ならば。こう、ちょいと動かせば」
 飛十郎は古びた女雛を掴んで、男雛の横に寄り添うように置き直した。
「かんたんに添わせることも出来るが。人というものは、むずかしいものだ」
 そう呟いたとき、腰高障子を叩く音がした。
「おう、佐吉か。商売物の雛人形を忘れてはいかんな。早く持っていけ」

 
三 幼な友達

 飛十郎の呼び掛けに答えるように、おずおずと戸が開いた。
「なんだ、弥助か。どうした?」
 顔を出したのは、向かい長屋に住む鰻屋の弥助だった。小太りで背が低い、目鼻立ちのちまちました、気のいい男である
「へえ。佐吉が、お篠さんの大事な人形を忘れてきて、困ってたんで、わしが取りにまいりました」
「そうか。ほら、これだ」
 無精に寝そべったまま、飛十郎は男雛と女雛を押しやった。
「遠慮せずにあがってこい。今日は、鰻屋台は出さんのか」
「いえ。これから、店出しの仕度にかかります」
「そいつは、ご苦労だな。いや、おまえが元旦から閻魔堂橋へ屋台を出してくれたので、助かったぞ。独り者のおれは、餅やおせちを喰えるわけもなく、空っ腹をかかえて寝正月とあきらめていたが、おかげで鰻串が食べられて大助かりだったぞ」
 その時のありがたさを思い出したのか、飛十郎は起き上ると弥助にむかって頭を下げた。
「と、とんでもない。元旦に休むなんて、わしみたいな貧乏人には、とうてい出来ねえ相談です」
 ゆっくり横に手を振ると、この寒さに汗をかいているのか、腰に下げている汚れた手拭いを抜き取って額をぬぐう。尾道で生まれ育った幼な馴染と聞いているが、佐吉と弥助ほど見掛けと性格が違うのも珍しかった。
「しかし佐吉は、昨日まで休んでいたそうではないか」
「そりゃあ、旦那。あいつとわしは、どだい頭の出来が違いますんで。こっちは鰻を売って、二十文三十文の商売。佐吉は、京雛の七段飾りを売れば、何両という大金の歩合(ぶあい)が入ってきます」
「なんだと。際師というのは、そんなに稼げるのか」
 目が覚めたような声を、飛十郎は出した。
「へえ。なんでも歩合は五分だそうで。去年の節句に、京の有名な雛人形師が作ったという百五十両もする十五人揃いを、一見(いちげん)の客に売ったと、たいそう自慢しておりました」
「まて、まて、百五十両の五分ならば七両二分だぞ。なんと、人形ひとつでそれほど稼げるのか。たいしたものだなあ」
 畳の上の雛人形を見ながら、飛十郎は溜め息をもらした。
「けど、そんな大当たりの客はめったにないそうで、ほとんどは安い関東雛や、市松人形や、舞踊人形を買う、ごみ客ばかりなんだそうです」
「その関東雛というのは、どこで作っているのだ」
 飛十郎、儲かると聞いて、がぜん雛人形に興味を持ったらしい。
「岩槻(いわつき)という町だそうです」
「ほう。岩槻といえば、たしか阿部家十二万石の城下町だったな。知らなかったな、あんなところで雛人形を作っていたとは」
「でも京製の人形とくらべると、えらく値段が安いそうで。佐吉が、ぼやいておりました」
「やはり伝統の力というものは、たいしたものだな。だが、それほど稼げるなら、佐吉のやつ相当ためこんでいるだろう」
 飛十郎は、うらやましそうな声を出した。
「それが、旦那もご存知のように、あいつは呑む打つ買うの三拍子がそろった道楽者で、いつも空っ穴(けつ)なんです。へえ、わしのほうが、まだ持っているぐらいで」
「ふん。そんな金無しの道楽者が、よく所帯を持ちたいと思ったものだな。それに安い品を買う客を、ごみなんぞと言う根性が気にくわん。おい弥助、おれは佐吉の仲人など真っ平ごめんだからな。その雛人形を持って、とっとと帰ってくれ」
 取り付くひまがないとは、このことである。今日の飛十郎は、よほど虫の居所が悪いらしい。万年床の炬燵に足を入れたまま、ごろりと寝転ぶと弥助に背中をむけた。
「へえ……、じゃあ、旦那、ごめんなすって」
 泣くような声で挨拶すると、忍び足で雛人形の傍へ寄って桐箱へ入れはじめる。入れ終わっても、弥助はしょんぼりと俯(うつ)むいたまま立とうともしなかった。
「ねえ、早船の旦那。わしと佐吉は十五の夏に故郷の尾道港を飛び出して、ずうっと一緒に苦労してきたんです」
「知っておる」
 背中を向けたまま、にべもない声で返す。
「大坂へ出たときには、それこそ死にたいような、ひどい目にも合いました。どぶ浚いや、ごみ拾いや、肥え運びや、墓掘り人夫までいたしました」
「それも知っておる! もう何回も聞いた」
 うんざりした声を出したが、弥助はかまわず言葉をつづけた。
「喰うために、それこそ泥棒いがいは何でもやってきたんです。わしが病みついた時に、どこで工面したのか医薬代をつくって来たことがある。旦那、後生だ。佐吉のやつを死なせねえで、ください」
「くそ! なぜだ。 おれが仲人をしないと、どうして佐吉が死ぬんだ!」
横になったまま、飛十郎が怒鳴り声をあげた。
「旦那。くそってのは、悪い言葉だ。町人ならともかく、お侍さんがそんな汚い口をきいちゃ、いけませんよ」
 妙に静かな声で、弥助は言った。
「うっ」
 意外な弥助の逆襲に、喉が詰まったような音を、飛十郎は出した。首をすくめて髭をこすると、驚いたように弥助を見た。おとなしい人間が思い詰めると、これだから怖い。
「ねえ、旦那。佐吉は、恋に目がくらんでるんですよ。そりゃあ他人にとっちゃあ、お笑い草でしょう。けど、あいつはお篠さんと添えなきゃ、死んでもいいと思ってるんだ。このままじゃ死にますよ、佐吉は」
 飛十郎に白い視線を当てたまま、弥助は動こうとしなかった。
「だがなあ、弥助。おれは知っての通り、四角四面のかた苦しい席は、いちばん苦手なんだ。かんべんして貰えんか」
飛十郎は頼み込むように言った。
「もし佐吉がお篠さんと心中でもしたら、寝覚めが悪いでしょう」
「そりゃあ、当たり前だろう」
「じゃ、これでどうです。もし旦那が仲人をしてくださったら、むこう半年間わしの鰻屋台の呑み喰いを全部ただにするってのはどうでしょう」
 思いがけないことを、さらりと弥助は言ってのけた。
「う、うむ……。それでは、あまりに悪いではないか」
 鰻の串焼きと枡酒が、半年も呑み放題喰い放題とは、まるで狐につままれたような話だ。飛十郎の気持が動いた。
「なあに、それで幼な馴染の命が救えるんなら安いもんだ。ね、旦那、そうじゃありませんか?」
「それは、そうだが」
「早船の旦那は、これまで朝になるまで眠れないほど、女を好きになったことがありますか」
「いや、ない」
 憮然として飛十郎は、顎の先をつまんだ。
「昔から横になったとたんに、すぐ眠るたちだ」
「わしと同じだ。どうも、惚れただの、はれただのってのは流行り病いと同じようですね。やたらと溜め息をついたり、うめいたり、熱をだしたりと、わけがわからねえ。なんでも恋わずらいってのは、八百八病のうちにも無いそうで、つける薬もないそうですよ」
「ならば、馬鹿と同じだな」
手を伸ばして、ぴしゃりと障子を閉じると、飛十郎は勢いよく起きあがった。
「わかった。たしかに佐吉の仲人、引き受けよう」
「ありがてえ、これで佐吉も安心して眠れるというもんだ。旦那、わしの前で馬鹿はいいっこなしだ。わかってるけど、いい気はしねえや」
 喜びながらも、弥助は飛十郎に文句をつけた。
「それは違うぞ、弥助。おまえは少し鈍そうに見えるが、どうしてたいしたものだ。あの口が達者な佐吉がくどいても駄目だったおれに、仲人を引き受けさせたんだからな。馬鹿でなんかあるものか」
「そういやあ、そうですが。でも旦那、どうして気が変わったんですかい」
 真剣な表情で、弥助は聞いた。
「それはだな……」
 ふところに手を入れて無精髭をこすると、飛十郎は天井を見た。気のせいか雨漏りの染みが泣き笑いから、笑顔に変わっている。
「おまえが、呑み代をただにしてくれたからだ」
 気が変ったのは、故郷の尾道を出奔してから言葉に出せぬ辛酸をなめた友を思う、弥助の真情に打たれたためなのだが、飛十郎はそんな柄にもないことを口にすることは出来なかった。


四 十軒店

 雛市は旧暦二月に入った頃から、ぼちぼち忙しくなるが書き入れは二月半ばから三月三日までである。佐吉に言わせると、その間は際師たちが目の色を変えて殺気立つ激戦場で、昼めしを食べるのはおろか厠(かわや)へいく暇もないそうだ。
 飛十郎は日本橋を渡ると、魚河岸を右に見ながら、ぶらぶらと越後屋のほうへ歩いていった。ここから
通白銀町までは、江戸で一番の目抜き通り。両側には古く色褪せているほど格式が高いといわれる暖簾が下がった老舗の大店が、ずらりと軒(のき)を並べている。
「おう。さすがは天下の越後屋、客も多いが富士も見せてくれる」
 ふところ手をして立ち止まった、駿河町の四つ角のむこうには、絵のような富士山が春霞みに浮かんで見える。よく晴れた気持ちのいい昼下がりで、背後から吹いてきた春風が飛十郎の髷(まげ)と頬と袂と袴のすそを、なぶるように軽く揺すって過ぎていく。
「さてと。雛市のある十軒店は……、まだ先か」
 越後屋がある室町通りをまっすぐ進めば、いやでも雛を並べた仮店が見えてくる、と出がけに弥助が教えてくれた。歩いて行くうちに目の前に、桃の花が満開に咲き揃った道筋が見えてきた。
「あれだな」
 両側の人形屋の店先と道の真ん中にも、仮店がずらりと並び、そのどれにも桃の造花と雛人形が数え切れぬほど飾ってある。いや、ものすごい喧騒である。飛十郎は刀の柄頭を握ると、ぐいと落とし差しにしたが、それでも鞘が人に当たる。
「これは、かなわぬ」
 飛十郎は首をすくめた。町人たちが手に持つ笠や荷物に当たるのはもちろんだが、雛市に見物に出た勤番侍の鞘にも当たって音を立てる。昔なら、すわ鞘当てだとばかりに刀を抜いて斬り合うところだが、今はそんな馬鹿な侍は、めったにいない。軽く会釈したり、いやどうもと目礼して通り過ぎるだけだ。
「たしか、光月とかいったな」
 うるさく声を掛けてくる売り子女や、呼び込みの際師たちの間を抜けて、いかにも女の節句らしく派手やかに飾り立てた店先の看板に目をやった。人形問屋・光月は十軒店の真ん中あたりにあった。間口がおよそ六間(十メ−トル)はありそうな大店である。佐吉の話では、十軒店のほかにも浅草橋にも江戸店を構えているらしい。
「なるほど、聞きしにまさる老舗のようだな」
 店先に立って眺めていると、古びた軒下暖簾をかきわけて次から次へと客が入っていく。京雛らしい大きな七段飾りが中央にでんと飾られ、壁に添ってやはり七段飾りが目の届くかぎり店の奥まで並んで、花やかな色彩をあふれさせている。
「あ。早船の旦那、きてくれたんだ。待ってましたぜ!」
 背後から、いきなり佐吉の声がした。振りむくと飛十郎は、眩(まぶ)しげに佐吉の顔を見た。長屋にいる時とはうって変わって、佐吉は海から躍りあがった鯛のように威勢よく見える。
「てっきり店にいると思って、見ていたんだが」
「へ、旦那、。こういっちゃなんだが、雛は今が旬(しゅん)ですぜ。店で腰なんざ、すえられませんや。あっしら際師の持ち場は仮店でござんすよ」
 指差されて見た飛十郎の視線の先で、仮店の軒先に飾り付けた桃の造花が、雛市を吹きすぎる微風に、かすかに揺れている。
「おっと、いけねえ。こんな所で立ち話をしている場合じゃなかったんだ
 握り拳で手の平を、ぽんと打つと佐吉は歩きはじめた。
旦那、こっちへきてくだせえ
 初孫を抱いた、祖父母や若嫁たちの群れを器用にすり抜けると、佐吉は人形屋と人形屋の間の脇道へ入っていく。京・大坂と同じように、江戸の商家も間口に比べて奥がずんと深い。狭くて暗い裏路地をかなり進んで、佐吉は足を止めた。
「ちょいとお待ちを、お篠を呼んできますから」
 木戸を開けて入っていくと、すぐに若い女を連れて引き返してきた。飛十郎は慌てて、ふところから手を抜き出した。
「おい、お篠。こちらが、お仲人をして下さる早船の旦那だ。おめえからも、お礼を言わねえか」
 祝言が決まって安心したか、飛十郎の前で虚勢を張っているのか、佐吉は惚れた女にもなかなか威張っていた。
「へえ、おおきに。ほんまに、ご面倒なことを、お頼みしてすいません」
 これだけの挨拶をする間にも、何度も頭を下げる。やわらかい絹のような声で、色の白いおとなしそうな小柄な姿態は、いかにも男心を引き寄せる力がありそうだった。
「いや、なに、おれが早船飛十郎だ。まあ、よろしくたのむ」
 うろたえた声を出すと、飛十郎は目のやり場に困って、お篠の背後を見た。そこは人形を納める蔵の前らしく、何十人もの男や女たちが忙しく人形を紙箱から出したり、木箱に入れて荷作りをしていた。
「すいませんねえ旦那。本当なら一席もうけて、口上を言わなきゃいけねえとこだが、なにしろこの騒ぎだ。年に二回しかねえ、かき入れの真っさい中ですからね。ご勘弁なすって」
 手を首の後の当てて、すまなさそうに頭を下げる。
「かまわん、気にするな。それより忙しそうだ、早く仕事にもどしてやれ」
「ありがてえ。さすがは、あっしが見込んだ旦那だ。お篠、お言葉に甘えて早く中へ入れ」
「へえ。それじゃあ、また……」
 ちんまりした目鼻立ちの形のいい唇をほころばせると、お篠は小腰をかがめて木戸口から作業場へ戻っていった。
「ふうむ……。たしかに、あの京雛にそっくりだな」
 唸り声をあげると、飛十郎は佐吉をみた。
「でしょう。お見せした有職雛は、お篠が京で手に入れて、はるばる江戸へ持ってきたんですが、まったく瓜二つとはこのことで、不思議でございますよ」
 真顔で首をひねる佐吉を見て、にやりと飛十郎が笑った。
「どうだ。安達屋に頼んで、両国の小屋で〔京下りの生き人形〕と名付けて、お篠に雛と同じ装束を着せて見世物の出せば、押すな押すなと人がやってくるのではないかな」
 笑いながら飛十郎が空を見上げると、高い商家の壁がせまった狭い青空に、雲の筋がゆっくりと流れていく。
「なある……。そいつは、いい金儲けになりそうですね。ようがす、すぐにお篠は店をやめさせましょう。旦那は、安達屋さんに話を通しておくんなさい」
「馬鹿め。おれは冗談を言ったんだ。これから恋女房にする女を見世物にしょうとは、どういう料簡だ。そんなやつの仲人なんぞ真っ平ごめんだぞ」
 怖い顔をして、飛十郎がきめつけた。
「へ、へ、旦那あっしも冗談を返したんでさあ。見そこなっちゃいけませんぜ。たとえ千両箱を積まれたって可愛い女房を見世物に出すなんざ、この佐吉は殺されたってしませんぜ」
 口から先に生まれたと言われる際師らしく、佐吉は揉み手をしながら、にんまりと笑った。
「ようし、それでこそ江戸っ子だ。ゆるしてやろう」
「いえ、あっしは尾道っ子で。江戸っ子は、早船の旦那のほうでしょう」
 佐吉の揉み手を見ながら、飛十郎は首をかしげた。
「たしかに、おれの家は三代つづいた浪人暮らしだが……。宵越しの銭を持たぬと言うのがそうなら、おれは立派な江戸っ子だ」
「旦那が金がねえのは、せっかく助太刀人で稼いだ金を長屋や、通りがかりの貧乏人にやっちまうからでさあ。まったく、あきれますぜ」
仕方があるまい。食い物や、薬代にこと欠く者に頼まれたら、断われんからな。それに渡すのはほんの少しだ。助太刀料のほとんどは、酒に使った。あまり、ほめるな。背中が痒(かゆ)くなる
 飛十郎は背中に腕を廻すと、ぼりぼりと指で掻いて見せた。
「おれに揉み手をしたって、人形は買わんぞ。商売用にとっておけ」
「ちげえねや。こんな路地で、いい大人が冗談を言い合ってもはじまらねえ。どうです、そのへんで軽く一杯てのは」
 佐吉は、親指と人差し指を丸めて、盃を傾ける真似をした。
「おれは、かまわんが。おまえは仕事があるだろう。いいのか」
「なあに。なにしろ、あっしは光月の筆頭際師でござんすからね。それぐらいの無理はききますよ。といっても、あっしのほうは昼めしを喰いにいくんですがね」


五 備後男に京女 

 佐吉が飛十郎を案内したのは、路地を抜けた先の裏通りの一膳飯(いちぜんめし)屋だった。
「おやじ、お茶と日替わり飯だ。こちらの旦那には、お酒と、なにか肴をたのむぜ」
 縄暖簾を手ではねると、奥へ声を掛けて、入れ込みの座敷へさっさと上がっていった。飛十郎が座るのを待って佐吉もあぐらをかく。二人が席についたのを見はからって、十五、六歳に見える小女が両手に膳を持ってやってきた。無愛想に飛十郎の前に膳を置き、次に佐吉の前に膳を据えると足早に立ち去ろうとした。佐吉の腕が伸びて、素早く小女の尻を撫ぜあげた。
「きゃあ。なにをするだよ! お篠さんに言いつけるからな」
真っ赤になった顔を袂でかくすと、小女は奥へ逃げていった。
「嫁を貰う身が、あんな悪さをしていいのか。お篠に知れたら破談になるぞ」
「なあに、常連客は皆やってまさあ。妙なことに尻や足をさわられているうちに、山出しの田舎娘がみるみるうちに綺麗になるんで。これも功徳ってやつですよ」
「ふむ。俗に江戸の水に磨かれると、言うが。男に尻をさわられて綺麗になるというのは、初めて知ったぞ」
 杉枡の酒を、ぐいと喉に流し込みながら、飛十郎は苦笑した。
「じつは、あっしとお篠の馴れそめも、それでして」
「ほう、どういった出逢いなのだ」
「お篠は、荷ほどきや荷造りだけではなく、店へ出て手伝いもいたします。あれは仮店が出来てすぐのことでしたが、酔って人形を買いにきた質(たち)の悪い客にからまれて、尻どころか前までまくりあげられそうになりました」
「むごいことをするもんだな。悪戯をされそうになった所を、佐吉が助けてやったというわけだな」
「へ、へへ、それがきっかけで、まあ仲良くなっちまったわけです」
 鯵の干物を箸でほぐしながら、佐吉がうれしそうに答えた。
「その酔っぱらい男は、おまえが金で雇ったというわけではあるまいな」
 佐吉を睨みながら、飛十郎は意外なことを言った。
「と、とんでもねえ」
 驚いた佐吉の口から、めし粒が飛び出して畳の上に落ちた。
「やさしげな京女にひと目惚れした佐吉が、どうにも取っ掛かりがなくて書いた筋書きかもしれぬ。頭の切れるおまえなら、ひと芝居うっても不思議はないからな」
 煮豆腐を口に放り込みながら、にやりと笑う。豆腐半丁を熱湯で茹であげ、上に辛子をたっぷりと塗って刻み葱と削り節を、まんべんなく振り掛けた煮豆腐を飛十郎は初めて食べたが、これがまたうまかった。
「冗談じゃねえや。こう見えても、あっしは吉原や岡場所でけっこうもてるんですぜ。そりゃあ人並みに若い頃には女に迷惑をかけたが、今は心を入れ替えたんだ。惚れた女に小細工はしませんぜ」
 塗り箸を斜めに構えて片手を突き出すと、佐吉は目をむいて見得を切った。
「は、はは、そいつは悪かったな。それにしても十軒店通りは、たいそうな人出だった。年寄りが多そうに見えたが、あの混雑の中で怪我人や病人は出ないのか」
「ありませんよ。江戸広しといえど、この町ほどお年寄りを大切にする所はねえんで。旦那、節句人形ってのは誰が誰に買うと思います? おじいちゃんや、おばあちゃんが目に入れても痛くねぇほど可愛いい初孫の、初節句を祝ってやるために買う雛人形ですぜ」
「む。まあ、そうだな」
 口に運びかけた枡を、飛十郎は止めた。
「ですから、あっしら際師が血まなこになって捉まえようと手ぐすね引いて待っているのは、白髪か禿げ頭の年寄りなんですよ。その証拠に、早船の旦那には誰も声を掛けなかったでしょう」
「そういえば、たしかに鼻もひっかけられなかったな」
 飛十郎は、憮然とした。
「へ、そりゃ、そうでさ。ふところ手をして、ぶらぶら冷やかし半分にくる人は、際師にとっちゃあ一番迷惑な客ですからねえ。誰も寄りつかねえはずだ」
 佐吉にやり込められて、飛十郎は顔をしかめた。
「おい、人を厄病神のみたいに言うな。おれは呼び出されたから、ここへ来たんだ。それを忘れてもらっては困るぞ」
「ちげえねえや。お篠の顔を見てほしいと言って、呼び出したのはこっちだ。あっしが悪かった。旦那は厄病神どころか、福の神ですぜ。それも恵比寿、大黒、昆沙門天、布袋、福祿、弁天、寿老人が宝船に乗ってやってきた、めでてえ七福人みてえなありがたいお人だ。仲人をしてくれて恩にきてます。長屋で寝ている時も、けっして早船の旦那に足を向けねえようにしてますぜ」
 ぺらぺらと油紙に火をつけたようにしゃべりまくる佐吉の舌技にかかっては、飛十郎の居合の技もまるきし歯が立たない。
「うむ、そうか、ま、わかればいい」
 なぞと呟やきながら、苦笑しつつ枡酒をあおるだけである。
「そんなわけで旦那、よろしく頼みまさあ。お、酒が空だ。おおい、おかわりを持ってこい。いや枡じゃ、まどろっこしいや。一升徳利ごと持ってこい!」
「へええい。いますぐ」
 亭主の声がしたかと思うと、さっきの小女が恐る恐るやってくると徳利を置くなり、ばたばたと逃げていった。
「旦那、さあ、どうぞ。じゃんじゃんやってください」
「ふ、ふふ、だいぶ景気が良さそうだな。昼間だ、そうは呑めん」
 それでも佐吉が差し出す一升徳利の下に枡を差し出すと、飛十郎はつがれた酒をうまそうに喉をならして呑んだ。
「ところで、祝言はいつやるつもりだ。こう忙しくては、すぐには出来まい」
「へい。旦那もご存知のように、雛節句は三月三日に終ります」
「しばらく休めるというわけか。式は、そのあとだな」
 わかった、というように飛十郎は頷いた。
「いえ、次の日からすぐに五月の端午の節句の準備がはじまりますんで」
 桃の節句が終われば、際師はゆっくりと骨やすめが出来るとばかり思っていた飛十郎は、驚いて枡を下へ置いた。
「なんだと。まさか、柏餅を喰うまで婚礼はお預け、ということではあるまいな」
 飛十郎は、渋い顔をした。
「心配いりやせん。ほかの際師連中は雛人形を片付けたあと、すぐに五月人形の鎧兜や、鍾馗や、神武や、金時や、桃太郎を飾りますが、あっしは三日ほど休みをもらいます」
「そのとき祝言するわけだな。しっかりたのむぞ、佐吉。なにしろ、おれは高砂を、」
 と言って、うろたえたように飛十郎は言葉を切った。
「高砂が、どうしたんです、旦那」
「いやなに、こっちのことだ。なんでもない」
 慌てて手を横に振ると、飛十郎は枡の酒を口に含んだ。
「なんだか、気になりますぜ。ごまかしようが普通じゃねえや」
「なに。あまり待たされるとだな、せっかく覚えた高砂を忘れてしまう。と言っているのだ」
 今度は、慌てるのは佐吉の番だった。
「おどかしちゃあいけねえや、旦那。あっしにとっちゃ一生に一度の祝言だ。高砂やをとちって、台無しにしねぇでくださいよ」
 不安そうに、佐吉は飛十郎を見た。
「まかせておけ! この早船飛十郎、いいかげんに見えるが、引き受けたことはちゃんとやる。これまで一度も仕事をしくじったことはない」
 勢いよく胸を叩いたはずみに、枡からこぼれた酒が飛十郎の袴に大きな染みをつくった。


六 長屋の婚礼 

 受けた仕事はちゃんとやる、といった飛十郎の言葉に間違いはなかった。
 三月五日の祝言の日、飛十郎は高砂を一度も間違えずに朗々と謡いあげ、堅苦しい仲人の役をとどこおりなくやってのけた。祝言といっても、表通りに店を構える裕福な商家のような豪華な輿入れではない。仕出し屋からとった形ばかりの膳料理に、これだけは仲人への礼心か酒はたっぷりと用意されていたが、ほんの一刻(二時間)ほどで終わったような質素な婚礼だった。
「どうであった弥助、おれの高砂は?」
「たいへん、けっこうでございました」
 佐吉の婚礼がよほどうれしいのか、弥助は珍しく酒を呑んだらしく、真っ赤な顔で答えた。
「ひさし振りに冷や汗をかいたぞ。だが佐吉とお篠の幸せそうな顔を見ていると、高砂をおぼえた苦労も
吹っとんだがな」
「それに女蝶、男蝶の三三九度の盃役を、辰巳芸者の小吉姐さんがやったのには、びっくりしました。佐吉のやつは本当に果報者でございますよ」
 飛十郎は、膝を叩いた。
「それだ。あれには、おれも驚いた。小吉のやつ、どこで聞いたのか頼みもしないのに、しゃしゃり出おった。地獄耳というやつだ。油断がならん。女には気をつけたほうがいいぞ、弥助」
 小声で言ったつもりが、祝い酒を呑み過ぎたせいで油断したらしい。
「なんですって! ちょいと旦那、誰がしゃしゃり出て、誰が地獄耳ですって。言ってもらおうじゃ、ありませんか」
 柳眉(りゅうび)を逆立てた小吉が、袖をまくり上げない勢いでまくし立てる。
「いや、その、なんだ……。べつに、小吉のことを言ったのではない」
 無精髭をこすりながら、慌てたように飛十郎はごまかそうとした。これまでに悪酔いした小吉にからまれて、閉口したことが何度もある。
「そうですとも。小吉姐さんが顔を出してくださったので、たいへん助かりました。新郎新婦のまとめ役の仲人が、早船の旦那ひとりでは片仲人。これは困ったと頭を痛めていたところですから。みんな似合いの仲人だと喜んでいましたよ」
 盃三杯の祝い酒で酔っぱらたのか、日頃無口な弥助がとろんとした目で、二人を見くらべながら言った。
「あらまあ、そう。じゃ、あたしが来て良かったんだ。似合いの仲人とは、弥助さんもうれしいことを言ってくれるじゃないか」
 返盃の酒を相当呑んで酔ったのか、小吉は横ずわりになって、だらしなく目尻を下げて弥助に酌をした。
「姐さんのような綺麗な芸者さんに、酌をされたのは生まれて初めてだ。これも佐吉のやつが祝言をしてくれたおかげだ。旦那、ほんとにうれしゅうございます」
 上座にすわった男雛女雛のような、佐吉とお篠をうっとりと眺めながら、弥助の両の目から大粒の泪がぽろぽろと零(こぼ)れ落ちた。
「は、ははは。似合いの夫婦雛を見て、感きわまったようだな。泣くな弥助、次はおまえの番だぞ」
 盃の酒を一気に呑み乾すと、けしかけるように飛十郎が言う。
「とんでもない。わしは早く一人前の鰻屋になって、尾道から母親と妹を呼ばなきゃいけません。嫁なんか、まだまだ先の話ですよ」
「そうでもあるまい。二人口は、なんとかと言うぞ。気立てのいい嫁を貰って、二人で稼いだほうが近道だと思うがな」 
飛十郎は、昆布と蒟蒻の煮しめを噛みながら、弥助の顔を見た
「おらなんぞより、旦那のほうが先だ。今日あらためて仲人席の早船さまと小吉姐さんの姿を見て、しみじみ感じましたよ。ほんとに江戸一番の似合いの二人だ。早く夫婦になりなせえ」
 呑みつけぬ祝い酒に酔って、遠慮なく胸の内をもらした弥助の言葉に、飛十郎と小吉は口に含んでいた酒を、ぷっと吹き出した。
「ば、馬鹿をいうな弥助、呑みつけぬ酒で悪酔いしたな。誰がこんなお転婆で、おきゃんな男みたいな芸者と一緒になるか」
「ふん。こっちだって、お断わりさ。きゃんは昔から辰巳芸者の金看板だ。よくも、けちを付けておくれだね。なにさ、三代つづいたと威張っているけど、ただの呑んだくれの貧乏浪人じゃないか。あたしゃねえ、つつましくたっていいから、ちゃんと手に職を持った真面目な男と所帯をかまえるのさ」
いよう、ご両人!と大向こうから声が掛かりそうな啖呵に、向かいの席にいた大家の儀兵衛が慌てて止めに入った。
「まあ、まあ、なんだねえ、早船の旦那も小吉姐さんも。めでたい婚礼の席で、仲人同志が喧嘩をおっぱじめるなんざ、聞いたこともねぇや。新郎新婦が笑ってるじゃねえか。よしなよ」
 大家が言った通り、佐吉が笑いながら新妻の耳に口をを寄せて、何かささやいている。ほかの連中も面白そうに、二人を眺めている。
「弥助。まさか今夜は、鰻屋台は出さないだろうな?」
 照れたように無精髭をひとこすりすると、飛十郎は立ち上がった。
「出します。貧乏ひまなし、休んじゃおれませんよ」
「なるほど。稼ぐに追いつく貧乏なし、というからな。ならば呑み直しに行ってやろう」「へえ、お待ちしております。それにしても、これから旦那はどこへ行きなさるんで」
「おれの長屋で騒いでいる女房・子供の様子を、ちょっと見てくる」
 なにしろ裏長屋の部屋の間取りは、畳敷きの四畳半と板敷きの三畳だけである。どう詰めても、佐吉とお篠のほかには十二人しか座れない。あぶれた連中は、真向かいの飛十郎の長屋で祝い膳に箸をつけては、時おり祝言を覗きにきていた。
 悔しそうに唇を噛んで睨みあげている小吉を、ことさら無視して刀を帯に差すと、飛十郎は草履を突っかけて自分の長屋ヘむかった。


七 鰻屋台

 けっきょく飛十郎は、部屋へは入らなかった。どぶ板の上に立って、女房や子供たちがうれしそうに婚礼を祝っているのを、ちらりと眺めただけで、ふところ手をしたまま、ふらりと路地から出て行った。
 長屋を出て右へ進めば、すぐに大川端へ突き当たる。広々とした明るい水面を見ながら、飛十郎は気持よさそうに伸びをした。深川あたりの船宿から出てきたのか、太鼓や三味線をかき鳴らして屋根舟や屋形船が上流めざして漕ぎのぼって行く。
「花見舟か……。ふ、ふふ、花見もいいが、婚礼にはかなうまい。なにしろ一生一度の祝い事だからな」
 旧暦三月五日頃といえば、向島の墨堤をはじめ王子の飛鳥山、品川の御殿山といった桜の名所へ、どっと侍や町人たちがくり出して行く、花の盛りだ。
 長屋で祝言をするなぞ、恐らくこの路地裏長屋が建てられて初めてのことであろう。独り身の男の部屋へ知らぬ間に女が転がり込み、半年ほどすると女の腹がせり出し、十か月ほどしてめでたく赤子を産み落とす。それを見た大家が近くの寺へ行って、ちびた筆で人別帳へ女と子供の名を書き入れる。ほとんどの裏店住まいの夫婦がそんな所だったから、佐吉の祝言に長屋は盆と正月が一緒に来たような騒ぎだった。
「長屋の連中は、うれしそうだったな」
 思い出し笑いをしながら、飛十郎は川面に目をやった。満潮なのか、水は豊かなふくらみを見せて、時おり背鰭を銀色に光らせた魚影が、矢のように速く波の下を横切っていく。河岸の土手に腰をおろしたまま、飛十郎は万年橋のほうを見た。橋の上を夜桜見物に行くのか、手に重箱や酒徳利を持ち、小脇に毛氈や茣蓙を抱えた人の群れが楽しげに話しながら歩いて行く。
 ――夜桜も、悪くないな……
 そう思って立ち上がりかけたが、すぐに腰をおろした。海辺大工町から向島の桜堤まで、かなり距離がある。それに酔ってもいる。
「やめた」
 花見客が巻き起こす、土埃りや騒音を思っただけでうんざりする。飛十郎は空を見上げて、江戸湾へむかって傾いていく太陽を見た。あと一刻(二時間)ほどで日が沈む。そうなれば、弥助の鰻屋台が店を開ける。
「よし。ひと寝入りして、閻魔堂橋ヘ呑みに行くか」
 声に出して言うと、飛十郎は春の土手の雑草の中へ、ごろりと横になった。

 酔い醒めと、花冷えに身ぶるいしながら閻魔堂橋の北詰めにやって来た飛十郎は、屋台の灯りを見てほっとした。
「ありがたい。やっていたか」
焼き台の炭火を汚れた渋団扇であおいでいた弥助は、うれしげに顔を上げて挨拶した。
「あ、旦那。昼間はどうも」
「弥助、ひと通りと酒だ。あのあと、どうだった? 長屋は」
「へい。もう、皆んな大騒ぎで。小吉姐さんもかなりお酔いでしたが、お座敷があるそうで、ふらふらしながらお帰りになりました」
 そう言いながら弥助は、銚釐(ちろり)を湯に入れて、串に差した鰻肉を焼き台に並べて渋団扇であおぎだす。ひと通りというのは〔えり、鰭(ひれ)、胆、正肉、頭〕の五種類の鰻の身を、垂れに付けて焼いたものを言う。もちろん注文すれば、塩焼きも頼むことが出来る。
「は、はは、そうか。今夜、小吉を呼んだ客は災難だな。からまれて大変だぞ」
 杉枡に銚釐からそそいだ、ほど良い熱さの燗酒に口を付けながら、飛十郎はにやりと笑った。
「ですが、座敷で酒を呑ませる手間がなくてよいと酔った芸者を喜ぶ客や、悪酔いしてからむ芸者を好む客もいると、小吉姐さんが言っておりましたが」
 忙しく焼き台の上の鰻肉を引っくり返しながら、弥助は言った。
「ふん、世の中には変わった人間がいるものだな。おれなんかには想像もできぬ世界だ」 目の前に出された熱い鰻串を口に頬張って、飛十郎は思わず声をあげた。
「うまい! いつ喰っても最高だな。これが、ひと通り八十文とは、じつに安いな」
 そう言いながら、一杯十五文の枡酒を口に運ぶ。酒を三杯呑んで、ひと通りを五本食べて百二十五文にしかならない。満足そうに、飛十郎は舌を鳴らした。
「じゃ、勘定はここへ置くぞ」
 袖をまさぐって、銅銭をひと掴み取り出すと、手の平の上で数えた。
「四文銭が三十枚で、百二十文と……。あと一文銭が五枚か」
「いりませんよ旦那。仲人のお礼で、お約束通りむこう半年は無料(ただ)でございます」「お。そうか、忘れていた。いや悪いなあ、弥助」
 無料と聞いて、胃の腑におさまった酒と鰻が一段とうまくなった気がする。ゆるんだ頬の皮をこすりながら傍の柳の木を見上げたとき、背後から駆け寄ってくる足音がした。
「居やしたか! は、早船の旦那。大変なことが起きやしたぜ!」
 聞きなれた喚き声は振り向くまでもなく、長屋の隣りの部屋に住む駕籠屋の太十だった。
「どうした。祝言をあげたばかりの佐吉と女房が、さっそく派手な夫婦喧嘩でも、やらかしたか」
「そ、そんな、のん気な話じゃありませんよ。佐吉さんが、殺されやした」
 思いがけぬ知らせに、飛十郎は茫然として立ちすくんだ。弥助は手に持っていた皿を取り落とした。瀬戸物が割れる音が、あたりに響いた。


八 佐吉の死

「まて。落ち着いて、わけを話せ。まさか酒に酔ったあげくの、冗談や悪ふざけではあるまいな」
「と、とんでもねえ。誰がこんなとこまで、冗談を言いにきますかい」
「よし。ならば、佐吉が殺された、ことのしだいを順序を追って話してみろ。弥助、水を一杯やってくれ」
 太十は弥助が出した水をうまそうに飲むと、手の甲で口をぬぐった。
「へい。旦那や弥助さんは、早くに部屋を出たからあとのことは知りますめえ。宵の七つ半(午後五時)すぎのことでさあ。祝い料理も食べつくし、祝酒も呑みつくしちまったもんで、あとは新郎新婦ふたりのお床入りだとばかりに、冷やかしながら皆んなぞろぞろと自分の長屋へ引き上げちまいました」
 ごくりと喉を鳴らすと、太十は言葉を切った。ふところ手を袖から出して腕組をすると、飛十郎は無言で弥助の顔を見た。太十の酒好きは弥助もよく知っている。飛十郎の目くばせに、弥助はすぐに酒を運んで来た。
「ありがてえ……。あっしが部屋に帰って半刻(一時間)ほどした頃でしたか、いきなり女の悲鳴が聞えやした。また、どっかの亭主とかかあが大喧嘩をおっぱじめたかと思いやしたが、けたたましい女の声はその一声だけで、あとはうんとも、すんともありやせん」
「うむ。夫婦喧嘩なら、大騒ぎになるからな」
「こいつは妙だと思って外へ出てみると、佐吉さんの部屋の腰高障子が路地のどぶ板の上へ倒れておりやす。怖る怖る近づいて見ると……」
「佐吉が殺されていたわけだな」
「へい。左の肩先から右の脇にかけて、ばっさりと。そりゃあもう、血だらけでございました」
 思い出すのも嫌だとばかりに太十は目を閉じると、枡に残った酒を一気に呑み乾した。「袈裟がけとなると、下手人は侍ということになるな」
 飛十郎は顔をしかめると、立ち上がって袴の股立ちを取った。
「おれは、これから海辺大工町まで、ひとっ走りする。お前は屋台を片付けて、太十とあとからこい」
 たちまち弥助は、血相を変えて道具をしまい出す。
「あわてず落ち着いて、火の始末をしろよ。火事になったら大変だからな」
 真っ赤になった焼き台の炭火に、弥助が水をぶっ掛ける。とたんにあたりは、もうもうと灰神楽が立ち込めた。それを尻目に、飛十郎は腰の刀を左手で押えると、一散に走り出した。
 飛十郎が汗びっしょりになって長屋の路地へ着くと、木戸番が六尺棒を手にして弥次馬たちを追い払っていた。
「いや、どうも、早船さま。とんだことになりました」
 声を掛けながら、大家が飛十郎の方へ歩いてきた。
「太十に聞いて、すっ飛んできたが、佐吉はもう駄目か」
「はい。すぐに町内の医者を呼びましたが、間にあいませんでした。もう、即死でございます」
 頷くと、飛十郎は路地を見廻した。
「定廻り同心はまだのようだな。町方が顔を見せる前に、ちょっと見せてくれんか」
「どうぞ。ですが、このあたりを縄張りにしている六間掘の万五郎親分が、もうすぐ駆けつけてまいります」
 気がかりそうに大家は、路地の入り口を見た。
「ならば、急がねばな」
 無精髭をひとこすりすると、佐吉の長屋へむかう。
「む……。こいつは、ひどい」
 一歩、足を踏み込んで飛十郎は、ぎょっとして立ちすくんだ。土間の上に、斬られた指が二、三本散らばっている。
 ―――曲者は、一人ではないな。おそらく三人か………
 そう思いながら、飛十郎は板の間にあがった。奥の四畳半の婚礼布団の上に、佐吉がかっと目を見張って、あお向けに倒れている。傍に二つに切られた心張り棒が落ちている。花嫁を攫われそうになった佐吉が、かなわぬまでも必死で立ち向かったのであろう。一刀のもとに心張り棒を握った指もろとも、左肩から袈裟に斬り下げられたのであろう。
「ふうむ……」
 真新しい白い布団が、血潮のためにぐっしょりと朱色に染まっているのを見ながら、思わず飛十郎は溜め息をついた。下手人は、町人のはずはない。武士か浪人かわからぬが、凄まじい腕をもつ剣客に違いなかった。飛十郎は、背筋にぞっとする感覚をおぼえていた。
「佐吉、成仏(じょうぶつ)するんだぞ。仇は、弥助とおれが必ずとってやる」
 飛十郎は膝まづくと、かっと見開いた佐吉の目の上に指を当てて、静かに瞼を閉じさせた。

                    
 
 了 〈助太刀兵法19・大江戸人形始末−2−につづく〉





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