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薩摩いろは歌 幕末編10 外交初陣 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2012年7月8日 12時55分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 幕末編10 外交初陣
古賀宣子


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概・外交初陣
 久光のもとで実務の多かった一蔵だが、初めて京都から江戸へ外交の現場を任されることになる。その帰り、大坂から乗船した永平丸が明石沖で座礁し、急死に一生を得る羽目に。

作者プロフィール:
古賀宣子。年金生活の夫婦と老猫一匹、質素な暮らしと豊かな心を信条に、騒々しい政局など何処吹く風の日々です。新鷹会アンソロジー『武士道春秋』『武士道日暦』『花と剣と侍』、代表作時代小説『剣と十手の饗宴』などに作品掲載。
 当コーナー【時代小説発掘】では、編集担当。


これまでの作品:
薩摩いろは歌 幕末編1 口上
薩摩いろは歌 幕末編2 率兵上京に向けて
薩摩いろは歌 幕末編3 時に到りて涼しかるべし
薩摩いろは歌 幕末編4 久光入京
薩摩いろは歌 幕末編5 寺田屋事件 
薩摩いろは歌 幕末編6  舞台裏  
薩摩いろは歌 幕末編7  勅使東下
薩摩いろは歌 幕末編8 無明の酒
薩摩いろは歌 幕末編9 極密献策


                  
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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 幕末編10 外交初陣
古賀宣子



一 帰藩

 肩から腰へと僅かに疲労感が残る。それを吹き消すように一蔵は、ひんやりとした大気を深く吸い込み、唇を僅かにすぼめて吐き出した。
 久光に随従して鹿児島を出立したのが三月十六日。そして閏八月を経て、昨日九月七日、水上坂を下り、この西田橋を渡って目出度く昼、午の刻に着城した。
 勅命を奉じて幕政を改革し、一橋慶喜と松平春嶽の登用を周旋することによって公武の一和を計り、対外の策を講じていく。この度の京都と江戸における薩摩藩の活動は、まさにその一端を実行したものである。
 が、実際は気を抜く間もないほど対応に追われた七カ月であった。その上、戻って来た京都は攘夷へと形勢が一変しており、また生麦での一件から、英国軍艦が鹿児島へ向かうかもしれぬという情報に、海防の強化を急がねばならない。この先も難題山積である。
 父とはゆっくり語りたかったが、予断を許さぬ状況を話して、床に就いた。そして暁天に西田村天満宮へ赴き、無事の帰藩を感謝しつつ、願望成就を祈念し、百拝しての帰りである。辺りはもうすっかり明るい。
 一蔵は西田橋を渡り、そのまま千石馬場通りを城へ向かった。二の丸に出勤し、退出後は帰途、南林寺へ参詣。丹誠こめて百拝し更に先祖の墓参りを済ませて漸く旅装を解いた心地になった。
 翌日は夕方七つ過ぎに退出後中山中左衛門、谷村愛之助等と福昌寺へ。順聖院御廟に参詣し、受け継いだ遺志が少しずつだが現実になりつつあることを深謝。そして尚、今後も見守って頂きたいと祈願したのだった。
「先月末に、御用取次見習になられたそうではありませんか」
 十月半ば夜、後れて戻って来た源助が訪ねてきた。小松帯刀の命を受けて、その後の京都情勢の探索を任されていたのだ。
「身命を賭して尽くし奉らねばとの覚悟だ」
「御幾つになられましたか」
「三十三歳だ」
「二年前は未だ、君側の諸士に頼って、その意思が久光公に通じるよう努めておられましたのに」
 源助も感慨深い面持ちだ。
「ところで」と、一蔵は話題を転じた。
蟄居させられた岩倉具視のその後は。攘夷派公家等の動向は。知りたいことが山ほどあり、自分自身の喜びに浸っている気分ではなかった。
「土佐の武市半平太らの斡旋によって、勅使をもって攘夷の勅命を幕府に出すよう奏上して、御裁可を請うたと聞きましたが」
 源助は首を傾げつつ語尾を濁した。
「何か気になるこっでも」
「それが、薩摩・長州・土佐各藩主が連署しておるそうで」
「それは、ないであろう。少なくとも薩摩藩は」
「小松帯刀様も同じ反応でした」
「偽造か」
「それで、御裁可が下りまして」
「何日に」
「九月の二十一日の朝議で」
 三条実美・姉小路金知小路を勅使として、幕府に攘夷勅旨を伝達することが決定されたという。
「護衛には土佐藩主山内豊範以下土佐藩兵と長州藩兵数百名が随従と漏れ伝わっておいもす」
「出立の日は」
「十日過ぎと聞いておいましたから、恐らく今頃はもう」
 源助は藤井良節に従って十月三日に京都を立っている。
「我々が京を立つ直前だったか。雨の降る四条河原で梟首にされた志士がおったであろう」
「木屋町で暗殺された越後の本間精一郎ですね」
「暗殺したのは薩摩藩の田中新兵衛か土佐藩の岡田以蔵ともいわれておるらしいが」
「分かりません」
「その他は」
「二日後には九条家の諸大夫の宇郷玄蕃が・・」
「九条家は家士の島田左近に続いて二人目だな」
「鑓に突き刺し、松原河原に梟首されました。札にはその訳が」
 右の者島田と同腹いたし、主家をして不義に陥れ、その罪彼より重し、依って天誅を加える者也、と。
「いずれも攘夷派の仕業であろうが」
「まだ有ります。ちょうど一月後になりますか、京都町奉行所与力と同心三人が、近江石部宿で暗殺され、粟田口に梟首です」
「一度に四人も。名は」
「渡辺金三郎と同心は森孫六、大河原重蔵に上田助之丞とか」
「嫌な状況だ」


二 御沙汰書

 翌日一蔵は中山中左衛門と共に、小松帯刀邸で藤井良節に会った。
「先ずは近衛様からの上京を要請する書状だが」と小松帯刀。
 十月一日に書かれたもので、孝明天皇の宸翰の写しと上京を命ずる「御沙汰書」があわせて京都藩邸留守居役の本田弥右衛門に渡されたのだという。
「在京の長州・土佐両藩士の国事周旋は『大幸』であるが、『所意区々』で心配であり」 小松帯刀が宸翰の写しを読み上げる。
 源助の報告が甦り、一蔵は「所意区々で心配」のくだりで大きく頷いた。
「かつ一橋慶喜が上洛することでもあり・・」
 小松帯刀は続ける。
 この際久光に尋ねたい次第もあるゆえ、早急に久光に上京するよう議奏に命じておいたから、近衛関白からも念のため久光に通達を頼む・・。
「このように記されておる」
「その他の書状は」
「青蓮院宮様と両奏からだ」
 両奏とは議奏の正親町三条実愛と中山忠能のことである。
「両奏も近衛様と文面は、ほぼ同じだ」
「青蓮院宮様は」
「朝議常変の二道、いずれに定めらる然るべき事。二点目は、京地に藤房卿これ無き、呉々も早々出京、藤房卿、正成の所為頼み入り候事。そして三点目に、良節に京地形勢聞き取り、勘考も候へば、申し越さるべく候事とある」
 藤房卿とは南北朝の動乱期、後村上帝の治世に東国漁村に配流され、時機到来を待ったと伝えられている公家で、正成は一蔵等が尊敬してやまない大楠公のことである。
「久光公の上書が待たれるところだ」
「実は」
 藤井良節が膝を進める。
「宸簡にもその他の書状にも一言も触れられておりませぬが、口頭で告げられた事がありまして」
「うむ」
 小松帯刀と一蔵は同時に身を乗り出す。
「天皇が松平容保様に加えて、久光公を京都守護職に就任させたかご内意じゃぁ事を、久光公に伝え、返事を持ち帰るように命じられておいもす」
「それは・・誠に恐悦・・冥加」
小松帯刀の顔が思わずほころぶ。
「天皇の内意は、宮と両奏にも伝えられておうわけですな」
「当然であろう、な。それゆえお三方から同時に久光公の上京を求める手紙が寄せられた」
「久光公も、京の警衛を大藩で行うべきと主張しておられうゆえ」
「つまい、提出なさった幕府と朝廷への建白書に沿ったわけですね」
「会津藩主の就任はいつだったのか」
「閏八月一日と聞いております。当初会津藩は固辞する姿勢だったそうですが・・」
「その日、我等は尾州熱田に宿泊した日であったのう」
「翌日は佐屋川が渡れず、一日滞在となり、ちょうど貴殿が京より参った」
 一蔵も慌ただしかった道中を束の間懐かしむ。
「問題は、すでに幕命で京都守護職に就任しておられう松平容保様との兼ね合いになるが、着任はしておられうのか」
「未だです。京を発つ時点では、何日着任の報せも伝わっておりませんでした」
「別段の叡慮を以って、久光公に守護職仰せ出、ちゅうこたあ、幕府も定員一名と決めておうわけじゃなか、と受け止められもすが」
「町奉行のような定め方も、あり得る」
 その数日後・・。
 久光は京都守護職就任を内諾し、それぞれへの返書を認めたが、青蓮院宮からの朝議常変の二道、いずれに定められる然るべきやの事については、小松帯刀が特別に読み上げて側近へ確認を求めた。
 右は、方今の時勢につきては、恐れながら朝議の大本を居らせられ、幕府は勿論下庶民の激論に御動揺あらせられざる様存じ奉り候。当時関東に於いても、大変革の処置これ有り・・。
「例の後見一橋慶喜・政事総裁職松平春嶽らの改革ですね」
 小松帯刀は黙って頷くと、先へ進めた。
 武備を充実して外夷を掃攘するの基本相立て候儀と遠察仕り候につき、関東へ仰せ下され候御事ども、篤と御評定の上にて、遵奉相成り易き事件を仰せ出され、行われ難き事共は、先づ御猶予の方然るべきやと愚考仕り候。
 よいな。小松帯刀は書面から顔をあげ、無言のまま座に視線を投げた。
 若し御無理の儀を仰せ出され、万一関東に於いて御断わり申し上げられ候様にては、恐れながら朝威にも拘はらせられ、且つ天下有志の輩、伝承仕り候はば、関東違勅の説、又々沸騰仕り、紛々の世態に相成るべきやと、別けて懸念に存じ奉り候事・・・。
「従来のお考えを改めて述べておられる」
「一つも心のブレがありませぬ」
「そこが頼られる所以であろうな」
それから間もなく藤井良節は鹿児島を出立。


三 迂路

 十一月二十六日、近衛関白の手紙を運んできた高崎左太郎と、一蔵は小松邸で再会。
「いつ京を発ってきたか」
「今月十六日に。久光公の御返書が届きましたのが三日で」
 その足で藤井良節は、近衛関白に久光の返事を伝えた。そして久光を守護職に就任させたいとの勅諚が、武家伝奏から所司代に渡されたのが十一月十二日という。
「同じものが近衛様から藩邸の本田様にも手渡されました」
「上京するようにとの天皇の思召しであるから」
 小松帯刀が近衛関白の添え状を読む。
「十二月下旬までに是非とも上京するようにと、記されておるが」
 十三日付の書面を広げたまま、年末迄とは・・と、小松帯刀は複雑な表情だ。守護職就任は冥加だが、鹿児島の現況を思えば無理もない。
 この朝命に対する久光の正式な返事は、久光の意向をもとに、小松帯刀等と協議を重ねた。
 そこへ十二月三日、江戸から吉井仁左衛門が順聖院に賜った追贈の沙汰書を奉じて船で帰藩した。
「京都守護職就任についての幕府の反応はいかがか」
「営中で先月二十二日に評議されたが、会津藩主が強く反対の模様で、以後引き続き協議がなされておうごとだ」
 吉井仁左衛門は結果を知る前に江戸を発ってきたという。
「横浜の方は」
「幕府側の通告の件だが」
「勅使旅程を知らせた、例のものだな」
 薩摩側がこちらに非はなしと突っぱねている一つが、この通告だ。
「ある筋からの話ですが、遅延があり、間に合わなかったごとです」
「遅延。どういうこっだね」
 呑み込みの早い小松帯刀も、さすがに戸惑っている。
「オランダ語という迂路が」
「つまり、通告はオランダ語で記されていた」
「それを英国の日本語書記官が英訳する」
 一蔵も遅延の筋が見えてきた。
「それが漸くニ―ルに届けられ」
「ニ―ルというのは公使か」
「正式には代理公使です。オールコックと申す公使が休暇を願い出て不在のため」
「賜暇をかねて帰国の途についておるのだな」
「ニ―ルがこの英訳を手にしたのが八月の二十一日で、領事に、ヴアイスと申す者ですが」
幕府側の通告の趣旨を伝えることを約束はしたが、直ちに果たしたがどうかは定かでないと吉井仁左衛門はいう。
「二十一日といえば事件の当日じゃなかか」
 島津久光の一行は勅使一行より一日早く出立している。
「あれは確か」
 通告の写しは、大原重徳の家臣として山科兵部を名乗っていた吉井仁左衛門によって、出立前に渡されていた。その中身を一蔵は改めてなぞっていた。
 二十二日、江戸出立、川崎駅泊、二十三日、神奈川駅通行とあり、さらに次のように付け加えられていた。
・・供連れも数多なるに付け途中雑踏致す可く、殊に外国の事情にも不慣れな者多ければ、自然行き違いも生ず可くと懸念にこれ有り候・・
「両日は神奈川の辺りへ出向かないようにという要請を行っていた」
「あの通告も、生麦での事件勃発を阻止し得なかったのだが」
 小松帯刀は、それ以上はあえて口にしなかった。
「後日談がありまして」
「それは更なる遅延の、か」
 小松帯刀が首を傾げる。
「ニ―ルが記した幕府への返書をオランダ語に訳している最中に、あの事件は起きていたのです」
「迂路は二度ある」
 外国との交渉を滑らかにするためにも、英語の習得は必須ではと一蔵は小松帯刀に告げた。
「同じことを英国側も考えはじめておるようで」
「どういう意味だ」
「日本向けの通訳官は、先ず上海と北京で漢字の習得をさせよと」
「ははあ」座は一同に心もとなく頷く。が、暫らくして・・。
「それは、文書に詳しい人物の育成を意味するのか」
 小松帯刀が問う。
「会話にではなく、文章を直接読める者が必要と」
 一蔵も納得。
「新しく着任したアーネスト・サトウと申す通訳官はその教育を受けておいもしたとか」「おいもした・・とゆうこたあ、途中で参ったのか」
「第二次東禅寺事件のために」
 第一次東禅寺事件は、前年の五月二十八日に起きている。幕府の御用出役と郡山・西尾両藩兵約三百人の守備する高輪東禅寺の英国仮公使館が水戸浪士有賀半弥ら十五人によって襲撃され、書記官オリファント・長崎駐在領事モリソンが重軽傷を負っている。
 第二次は今年の五月二十九日、その仮公使館を警備していた松本藩士伊藤軍兵衛が、英国水兵クリムプとスウィートを死傷させた事件だ。
「幕府側との正式の交渉の場の列席は」
「十月十三日に行われた和泉守様宅が最初だそうです」
 和泉守とは老中水野忠精(ただきよ)を指す。
「そこでは生麦の一件も俎上にのぼったのだな」
「第二次東禅寺事件の賠償問題だけで、生麦の件も公使は口にしたが、立ち入った議論はなされなかったようでして」
「つまい、本国からの訓令がまだ届いておらぬ、ちゅうこっか」
「船で運んでおりますゆえ、報告の発送と訓令の受領までは五カ月程を要するようです」「五か月・・。するとまだ」
 閏八月、九月と指を折りながら一蔵は小松帯刀と視線を交わした。
「久光公のご上京より海防など武備充実を優先せねばなるまい」


四 上京

 十二月九日、朝命に対する久光の正式な返事を携えて、一蔵は江戸へ戻る吉井仁左衛門と鹿児島を出立。同月二十日に京都に着いた。その足で近衛邸を訪問。裏門前で膝や爪先の土埃を払う。ここ数日晴天つづきと、一服した洛外の茶屋の主人がしきりと道に水を撒いていたな。
 思えば久光以下薩摩藩首脳等の意見を携えて、昨年暮れに鹿児島を発ち、初めて京の地を踏んだのが正月十三日だった。初めてづくしの緊張感からか、新春の京をめでるゆとりもなかったことが懐かしい。この一年の体験は一蔵にとって十年のそれに等しいだろうか。
 徳川治世が盤石な頃であったなら、藩主茂久の父とはいえ、本来は陪臣であり、無位無官の久光が率兵上京し、その上勅使に随行して江戸へ赴くなどとは、考えられない暴挙といえよう。それを成し遂げ、幕政を大きく回転させたのである。それだけ幕府の力が弱まったとはいえ、決行した久光自身の実力が本物であったからに違いない。
 鎌倉以来の歴史ある名家に恥じぬ教養と知性を研鑽してきた点は、前藩主斉彬の認めるところである。それに裏付けされ、初めての出国にも関わらず、近衛家との対応も出過ぎず卑屈にもならず、堂に入っていた。また薩摩の出方を快くは思っていない幕閣も、一方でその力を認めざるをえない面があった。
 しかしこの率兵上京という義挙を成し遂げていくには知性や教養だけでは不十分だ。外国の情勢にも長け、現実と将来を冷静に見据えた洞察力を備え、また京都と江戸への地ならしを欠かさぬ周到さ、そして何よりも、確たる決意で立ちあがる胆力が必要だ。久光はそのすべてを持ち合わせている。
 そして大藩ならではの兵力と財力である。その財力だが、今回の久光江戸滞在中に、薩摩での鋳銭を幕府に認めさせたことは大きい。
実際、この十二月末から鋳銭を開始する予定で準備を進めている。
 近衛邸ではすでに顔なじみになった一蔵だ。
 久光直筆の「建言書」を差し出し、久光に言い含められてきた事を言上した。
 それは、京都守護職就任の朝命に対する答礼と久光の上京を猶予されたい旨を陳述すること、そしてもう一点は、将軍の上洛を中止するよう願い出ることであった。つまり、中止させる工作をしなくてはならない。
中止の理由は建言書に記されているが、読んでもらうだけでは弱く、具に述べて訴え、説得せねばならない。これは偏に一蔵の姿勢にかかっている。
 何しろそれは、長州・土佐藩等の攘夷派及び諸浪士等が最も熱心に主張している点だ。その変更は実に至難の問題である。しかしこれは、ただ単に薩摩藩の面子や意地に拘るといった偏狭な姿勢からではない。朝廷を頂く日本国のために説くのである。
 それについては道中、吉井仁左衛門と何度も確かめあった。
「無勢とて敵を侮ることなかれ・・あれだな」
 吉井仁左衛門が淀川の船中で囁いた。
「拙者も同じことを考えておった。多勢をみても恐るべからず」
 二人はどちらからともなく声を揃えた。

  無勢とて敵を侮ることなかれ
       多勢をみても 恐るべからず


 この歌は文字通りの意味なので理解しやすい。しかし・・
「常に自分を見失うことなく事にあたれとの教えは、言うは易しく行うは難し」
 今、一蔵は、近衛父子の前でそれを噛み締めている。
 一蔵は一歩を踏み出した。
「今回の意見が薩摩藩に基づくとの事実が漏洩するならば、議論が生じ人心が沸騰するであろう」
 故に殿下等がこの議に賛成あらば主上に奏聞あらせられ、幸いに嘉納し給わば、希わくは、叡慮として発表し給わんことを望む。
 これに答えて近衛忠熙は述べた。
「関白の職にはあるが、一己の意見を以って之を専決することはできぬゆえ、明日、青蓮院宮と両奏に説くように」
 両奏とは議奏の中山忠能と正親町三条実愛のことである。
 一蔵はこの日の様子を側役中山中左衛門へ次のように記した。
 御両殿様如何ニも御尤之御趣意と一同ニ御感賞被為在候・・。
 一蔵が説いた内容は建言書に記されている通りだ。
 久光はまず、守護職就任を要請する「御内勅」に対して「武門之冥加」であると謝辞を綴る。ついで上京すべきところであるが、攘夷の勅命が出された以上、現在着手した海防をはじめとした武備充実に専念したいと述べ、かつ生麦一件の後始末もあり、今は鹿児島を離れにくい。しかし来る正月中には発足するつもりだと記した上で、本題の上洛については「決して不可然儀」であると主張。その理由とするところを綴っている。

?攘夷の命令を下せば「彼ヲ制御スル」実備が必要で、そのためには各藩が「寸陰ヲ惜ミ必死ニ奮励」して陸海軍の充実に努めねばならない。
つまり、それゆえ、上洛のために諸大名を動員するようなことはしてはならないと久光は強調しているのだ。

?幕府の改革が行われている時に、江戸城を将軍や幕閣がいない「空城」にすべきではない。

?上洛のために、先例(家光上洛)にならって大名を動員してはならない。大名は藩地にあって「海防守衛之策」を専要とするべきである。

?上洛の節の、駅々の助郷の負担を考えねばならない。

?諸大名が上洛してきて、それぞれ朝廷に建議するようなことがあっては、取捨も難しく「一和」の妨げになる。
以上が、久光が述べる「大樹公御上洛之害」である。そして最後
に久光は、将軍上洛を止めて、代わりに一橋慶喜と松平慶永(春嶽)を将軍の名代として上京するようにとの勅命を幕府に下すことを要望しているのだ。
 この建言の眼目するところは、攘夷督促の勅旨に答えて将軍が上洛することは、攘夷の実行を国是とすることになるから、今は上洛すべきでないという主張である。


五 江戸へ

 勅使三条実美が家茂の奉答書(攘夷勅旨遵奉、上洛)をもって京都に帰着したのは、一蔵の近衛邸訪問の三日後である。
 薩摩側は奉答書の内容を知らずに建言していたのだが、その主張は、事実上この奉答書を棚上げしてしまうというものだ。
 勅使が帰着した同じ二十三日、近衛関白と中山・正親町三条両奏は青蓮院宮邸で協議し、一蔵と藤井良節も末席に列席した。
 そして・・。
「三郎の建言は実に適切な意見であるが、上洛の議は既に決定し、その時期も世に発表しておる」
 四名はともに、趣旨には賛成だが、とうてい長州藩を納得させることは難しいとの見解を示した。
 そこで、薩摩藩は国家皇室のために建言しているのだと前置きした上で、一蔵は独自の判断で、新たな策を提言した。
 協議の模様について一蔵は、二十五日付けの手紙で中山中左衛門に報告しているが、それは無論、久光が読むことを念頭に置いて記したものである。
 松平春嶽と山内容堂が、正月七日に江戸を発って上京する予定のようだが、まず彼らの発足を延期させることを先決したい。その交渉のため、一蔵は江戸へ急行し、久光の建言の趣旨を伝える。その結果彼らにも異存がなく、将軍の上洛を見合わせたい旨の勅命を下すことに賛成したならば、その上で勅命を発することにしてはどうか、と説いた。
 この提案は直ちに採用され、近衛関白の直書を携えて、一蔵は吉井仁左衛門とともに二十五日に京都を発った。
 松平春嶽と山内容堂に宛てた直書の内容は、三条勅使が復命して、幕府の意向を天皇も承知したが、将軍上洛に関しては「叡念」があり「密々大久保市蔵江申含」たから、腹蔵なくお答えありたい、尚、発足をしばらく見合わせられたい、というものであった。
 一蔵がここまで思い切った決断ができた裏には、小松帯刀からの情報があったことは否めない。
 小松帯刀は順聖院の追贈の件で朝廷に赴くため、一蔵より遅れて鹿児島を発っている。が、下関からは蒸気船で大坂まで来たため、京都着は同じ日になった。
 実は下関で小松帯刀は、図らずも十二月一日に江戸を発ってきた高崎猪太郎と行き逢ったのだ。
「久光公の上京を促す松平春嶽と江戸藩邸滞在中の山内容堂の手紙を運んできたというではないか」
「面識のない山内容堂公からも」
「松平春嶽様に頼まれたのでは」
 それよりもと、旅装を解かぬまま小松帯刀は言う。
「慶喜・春嶽・容堂のお三方は攘夷強硬論に反対で」
 将軍上洛の前に久光も上京し、国是について話し合い、基本方針を定めたいという計画らしいと。
「それは単に久光公を情報源としてではなく、国是確定のために不可欠な存在と受け止めておう」
 一蔵は「所意区々」で心配という天皇の宸簡をなぞりながら、朝廷に深く食い込んでいる点では、久光は貴重な人材なのだと確信したのだった。
 折から東海道は江戸藩邸を引き払い、帰藩する諸侯とその妻子で混雑を極めていた。今年の閏八月二十二日に幕府が参勤交代制を緩和したからである。これは久光の建言を具体化したもので、隔年参勤・一年在府は、三年に一回出府・百日在府に、そして大名の妻子の帰国が許可された。
 そこで先ず、吉井仁左衛門が江戸まで馬を駆け、近衛関白の書を松平春嶽に渡し、一蔵は文久三年正月三日、江戸に到着した。が、一橋慶喜はすでに出立していた。翌四日に越前邸に於いて、容堂、春嶽同席のもとで交渉を開始。話し合いを終えて江戸を発ったのは、九日であった。


六 公と武

「順を追ってお話します」
 錦小路薩摩藩邸に着くや、一蔵は小松帯刀の部屋へ。
「先ずは建言書のこっですが」
 鹿児島を出発する際は、青蓮院宮と近衛関白を除いて、あえて外には示さぬことに内決していたが、近衛関白の注意を受けて一蔵は考え直した。
「これを秘密にするよりは寧ろ、春嶽・容堂両様に告げて、詳らかに開陳する方が得策ではと悟りまして」
 江戸到着の日、両邸を訪ね、久光建言書をそれぞれに見せ、その趣旨を詳述した。
「すると四日の話し合いは、その上に立ってのものであったのだな」
「ともに趣旨にはご賛同頂きまして、幕閣との交渉にあたって下さいました」
 その結果、水野忠精・板倉勝静両老中も、将軍上洛を見合わせることに一度は同意した。
「ところが八日になりまして」
 すでに布告までしてしまった将軍の上洛を、際限なく延期するのは都合が悪いと。
「それは老中からの申し入れだな」
「そうです。ちょうど同じ時に藤井良節からの書がとどきまして」
攘夷強硬論者が救い難いほどの暴論を吐くようになってきたとの報せが入った。
「それで見合わせ案を撤回しまして、二月七日出発予定を三月中旬まで延期させ」
 その前に、春嶽、容堂、久光が上京して、在京の慶喜とともに熟議した上で「国是一定の朝議を促す」ことを提案し、春嶽、容堂、幕閣の同意を取り付けたのだった。
「当方の考えを押し切って、朝議幕論が一変したとなれば、この為に異説謬論が流布して、かえって薩摩藩の本志にあらざる結果を招きかねぬ、しのう」
「久光公が将軍上洛に反対しておられるのは、破約攘夷が充分に検討・議論されることなく、強硬論者が主張する方向で国是が決まることを懸念しておられるのであって」
 二人は、久光の考えをもとにして練り上げた藩是を、念のためもう一度確認しあった。「現状では、攘夷は力関係からいって極めて困難であるゆえで、攘夷そのものを否定するものではない」
「破約攘夷は、日本が武備充実を達成した暁の課題となるべきもの」
「そのためにも最優先すべきは武備充実であって、激論に煽られて暴発することを恐れておられるのだ」
「暴発して列強との武力衝突となった場合、ほとんど勝ち目はない」
「そして、その先には英国をはじめとする列強による植民地化の危機にさらされている清国の姿を、見ておられる」
「また激論に含まれる過激な幕府攻撃をも批判しておられる」
「それが過熱してゆけば、幕府との全面対立となり」
「あらゆる困難を乗り越えてでも避けなければならないはずの内乱にまで、発展する恐れがある」
「繰り返すが、そうなると、太平天国の乱にあえぐ清国の姿が迫ってくる」
「ゆえに久光公は節度が必要と」
「公武合体だが、公と武は朝廷と幕府ではない」
「公は天皇・朝廷であり、武は将軍・幕府と大名・藩となる」
「すなわち挙国体制とは、天皇・朝廷―将軍・幕府―大名・藩が協力する体制で、これまでの捉え方とは異なる新たな朝幕藩の関係を造り上げていく。これが久光公の公武合体構想だ」
「長州藩の考えですが、昨年、江戸で周布政之助らと話し合った際、長井雅楽とはちっと違っておいもした」
「それは攘夷の意味が、か」
「攘とは、力で押し開く排のことで、従って排は開の意味につらなる。つまり攘夷を実現した後に、真の開国となすべきだ、と」
「真の開国のために攘夷があうと、いうこっだな。だが、それは容易ではないぞ」
「同じことを拙者も」
「そうしたら、何と」
「ゆえに、軍事改革を断行して軍事力の増強に励むと」
「と、なると掲げる題目は」
「今直ぐにも外国に破約攘夷を迫る“即今攘夷”と攘夷の叡慮を実現するために尽力する“奉勅攘夷”を掲げ、危機意識を高揚させる」
「必戦の構えで軍事改革に臨むということだな」
「しかも、それは長州藩だけではなく、幕府も諸藩も同様に臨まなくてはならない」
「つまり、挙国体制で武備充実に努めることが急務というのなら、それは薩長両藩同じゃなかか」
「何をもって急務とするか、その力点の置き方に違いがあう」
「長州藩は攘夷を国是として挙国体制を作り、薩摩藩は公武合体の体制を確立することにより、挙国体制を構築する」
「繰り返しますが、久光公は攘夷そのものに反対ではなく、過激な攘夷に反対なわけで。長州藩も基本的には公武合体に反対ではない」
「それはそうであろう。幕府を排除した挙国一致体制など考えられぬゆえ」
「反対の主眼は、幕府が権力維持のために政治的手段として策謀していると」
「欺瞞に満ちた公武合体と見做している。そういうこっだな」
 確認し合ったところで、話は将軍上洛に戻った。
「その後、将軍出発の日程は二転三転しました。京の情勢の変動や幕府の事情から、結局二月十三日陸路で上京と決まり」
「陸路なら着京もかなり遅れるであろう。考えたものだ」
「拙者も同感です」
 暫らくして小松帯刀が聞き忘れたがと口を開いた。
「容堂公のお側には誰がいたか分るか」
「乾退介と小笠原唯八で、拙者とこの説をともにしました」
なるほどと、小松帯刀は深く頷いた後、口調を変えた。
「昨年の十二月十二日に、品川御殿山の英国公使館が焼き打ちされたというではないか」「建設中ではなかったですか」
 春嶽、容堂との交渉に追われ、とてもそこまでの情報を得る余裕はなかった。
「竣工目前に、だ」
「また水戸浪士に」
「長州藩の高杉晋作、久坂玄瑞、井上聞多、伊藤俊輔等十二名ほどによる」
「上洛日程が二転三転した裏には、英国との賠償交渉も絡んでいたかも知れませぬ、な」「充分に有り得る」
 憂えつつ小松帯刀は京都の情勢を語った。


七 永平丸座礁

「先日十一日に、長州藩士と土佐藩士等が」
 将軍上洛を期して攘夷の期限を確定させようとし、本願寺に宿泊する一橋慶喜に迫ろうとしたが、一橋慶喜は面接に応じなかったという。
「長州藩は久坂玄瑞ですな」
「それに寺島忠三郎。土佐は武市半平太。肥後藩士の轟武兵衛も」
「薩摩藩はおりましたか」
「美玉三平が、と聞いておる」
「着京したその足で宮様と近衛様に謁し、復命いたしましたが」
 今の勢いは、とても手には負えぬといった暗いものだった。
「近衛様は関白辞職を決しておられるようだ」
「脅迫もあるのでしょうな」
「恐らく。両奏の方々もいずれ、ではないか」
 薩摩藩・久光と協調路線にある実力者たちが朝廷の政治の場から去るのも時間の問題と沈む小松帯刀に、一蔵も無言で頷いた。
 抗えぬ情勢を認めつつも、このまま諦めたら日本はどうなるか。清国のようになることだけは避けねばなるまい。こうなった今は、せめて足元だけは・・。
「先ずは英国との対峙である」
 小松帯刀も同じ決意をしたようだ。
 二人は一月二十三日に京都を発ち、そのまま大坂から永平丸に乗船したが、同じ日に近衛忠熙が関白を辞し、翌日後任として鷹司輔熙が就任。ついで二十七日には中山忠能と正親町三条実愛が辞職し、代わって三条実美を中心とした攘夷強硬論者五名が議奏となったことを後で知った。
「奸吏へ通じた逆賊として儒者池内大学が尼崎で殺害されたという噂は、あの時、聞いたであろう」
 帰藩後、二の丸退出時に、小松帯刀が囁いた。
 あの時とは、永平丸乗船前を指す。
「遺体の耳が京都に運ばれ、二十四日に中山忠能と正親町三条実愛両邸にそれぞれ投げ込まれたそうだ」
 添え状には改心して退隠するようとの諫言が記されていたという。
「同じ日に、両奏を糾弾する書が近衛様や宮様邸にも投ぜられたと」
 小松帯刀は口にするのも嫌だといわんばかりの表情だ。
「犯行は尊攘急進派志士によるもので、明らかに攘夷強硬論に批判的な四名への弾劾ですね」
 二月十一日には、久坂玄瑞と寺島忠三郎そして轟武兵衛が鷹司輔熙邸に押しかけ、攘夷期日を速やかに決定するよう迫り、自分たちの意見が採用されなければ、今夜にも同志が決起し、自分たち三人はここで切腹すると脅迫したという。
 朝廷内では三条実美らが彼らの発言や行動を支持し、外では長州、肥後、土佐、水戸各藩らの攘夷急進派の志士たちの集会に、長州藩世子毛利定広が出席して、慰労酌杯をしているという。
 このような京都に、山内容堂が一月二十五日に入京、そして松平春嶽は二月四日に着京したが、もはや朝議の流れを変えられる状況にはなかった。こうしたなかで久光の京都守護職への任命もおのずと立ち消えになっていく。
 さて、一月二十三日に大坂河口を出帆した永平丸だが、同夜夜半ごろ事故に遭遇した。播州明石潟を蒸気で走行していたところ、闇夜のため水先が分らず、明石より十町ほど沖にある暗礁に乗り上げたのだ。
 雷が船に落下したかと思えるほどの轟音と同時に、下から突き上げるような大震動が・・。一蔵は高い寝床から転げ落ち、咄嗟に目の前で跳ねる刀を握り締めると、壁に向かって大声を張り上げた。
「帯刀殿」
 叫びながら、衝撃で開いた扉が視野に入る。斜めの床を這うようにして戸口まで行き、立ちあがって通路へ。
「すでに水が・・」
 小松帯刀が同時に現れ、甲板への階段を指す。
 考えることは皆同じだ。混雑する通路からどのように逃げ出したか、無我夢中で覚えていない。
 気がつくと船は中程まで岩に乗り上げ、船底が破られ甲板下まで水が入り込んでいた。 間もなく、轟く座礁音に事故を察知してか、兵庫に寄港していた公儀船が近づいてきた。
「天はいまだに薩摩藩の誠意を捨ててはおりませぬ」
 二人は強く頷き合った。






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