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薩摩いろは歌 幕末編14 八月十八日政変 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2012年11月18日 14時28分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌  幕末編14 八月十八日政変
古賀宣子




(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


八月十八日政変・梗概
 姉小路金知が謀殺された朔平門外の変は、まさに八月十八日政変の導火線だった。政変の立役者である高崎左太郎は、その一部始終を大久保一蔵に宛てて、認めていた。

作者プロフィール:
質素な暮らしと豊かな心が信条の年金生活者。騒々しい政局などどこ吹く風と言いたいところだが、三代続く民主党政権に辟易な日々。愛猫はこの夏十八歳の天寿を全う。


これまでの作品:
薩摩いろは歌 幕末編1 口上
薩摩いろは歌 幕末編2 率兵上京に向けて
薩摩いろは歌 幕末編3 時に到りて涼しかるべし
薩摩いろは歌 幕末編4 久光入京
薩摩いろは歌 幕末編5 寺田屋事件 
薩摩いろは歌 幕末編6 舞台裏  
薩摩いろは歌 幕末編7 勅使東下
薩摩いろは歌 幕末編8 無明の酒
薩摩いろは歌 幕末編9 極密献策
薩摩いろは歌 幕末編10 外交初陣
薩摩いろは歌 幕末編11 中川宮朝彦親王
薩摩いろは歌 幕末編12  戦端
薩摩いろは歌 幕末編13 戦禍

                  
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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌  幕末編14 八月十八日政変
古賀宣子



一 導火線

 姉小路金知は、即今破約攘夷派の旗頭です。しかも、尊王志士と最も親密であり、その尊敬と期待を受けていました。それが、なぜ謀殺されたのか。
 主因は姉小路自身が通商条約容認説に傾いており、変節の事由が勝義邦との邂逅にあったのではと、考えられていることは、既にお聞き及びのとおりです。
 一蔵は届いたばかりの書状を日付の古い順に読んでいた。先日二十九日に、政変報告のため急ぎ帰藩した奈良原幸五郎(繁)によってもたらされたもので、すべて高崎左太郎の筆跡である。書状といっても書付に近く、却って生々しい空気が伝わってくる。
 一蔵のもとで行動していた高崎左太郎は、昨年の文久二年閏八月二十日京都藩邸に於いて、御徒目付、伏見御仮屋守勤を、小松帯刀の名を以て命じられた。そして二日後の二十三日、久光が京都を発って下坂する途上、伏見藩邸で御目見を許された経緯がある。
 勝義邦との邂逅のきっかけは何であったか。まずは、その辺からお伝えせねばなりません。何故ならば、今年五月の朔平門外の変は、まさに八月十八日政変への導火線だったからです。
 将軍家茂が摂海巡見のために下坂したのは四月二十一日ですが、それに託して実際には東帰されるのではと恐れたのが、即今破約攘夷派です。そのため、姉小路に沿海警備巡見を命じて、家茂の動静を監視させました。
 二十三日に姉小路は長州、紀州、熊本等の諸藩志士百二十余人を率いて下坂しましたが、二十五日の朝には早速、軍艦奉行並勝義邦が訪れております。勝義邦という人物、よく見れば機をみるのに敏といいますか、意地の悪い見方をすれば抜け目ないといいますか。 その際、姉小路は長時間にわたって会談したといわれています。恐らく摂海警衛について質問し、勝義邦はそれに対して、海軍の必要性を充分に進言したのではないでしょうか。
 午後には従士とともに幕府軍艦順動丸に乗り込み、兵庫に向かったと聞いております。 航海中も勝は重ねて海軍設置を説き、姉小路一行と激論を戦わせ、自説に同調させたようです。
 源助が申しますには、勝義邦という人は豊富な知識と高邁な見識や世界観を持ち、それらを論に長けた独特の話術で語るので、一行を魅了したことは想像に難くないと。
 姉小路に従ってきた志士たちも、姉小路の賛同には逆らえず、その場では同意の態度を取ったとも充分考えられます。
 以後、京都では、勝が姉小路に影響を与えているという言説が流布し、我々攘夷実行慎重派にとっては有利な空気になりつつありました。何せ勝義邦の主張の中核は海軍創設・殖産興業です。そして対外政策としては、通商条約容認を採り、海軍を興して充分な戦闘・防衛体制を整えた後、外国に打って出るとする大攘夷主義を唱えていることはご存じの通りです。これは長井雅楽の航海遠略策にも通じるものです。
「これでは、即今破約攘夷派は危機感を持つであろうな」
 一蔵は読みながら呟いた。
 また、と高崎左太郎は綴る。
 傑出する献策として、アジア重視論・征韓論があります。征韓論については、対馬藩を中心に盛んに議されているもようですが、はかどり具合は今一つの感があると聞いておりますが・・。
「ううっ」
 一蔵が突然、紙面を近づけ、目を向いた。
「学習院出仕だと」
 学習院といえば、即今破約攘夷派廷臣の溜まり場と化しているところではないか。
 そこで勝が自説を開陳するとは・・。これは明らかに姉小路の存在があって初めて可能な事だ。
 高崎左太郎もそう綴っており、勝の出仕は実に大胆であり、即今破約攘夷派にとっては、いかに忌々しき事態であったか。
 つまり、あの変は・・と、一蔵は結論付けた。
 姉小路金知が勝義邦との親密な交渉によって、海軍創設・殖産興業・征韓論といった国家防衛に関わる言説を受け入れ、それまでの単純な無二念打払から穏健的な攘夷論に転向した。そして、その先にある漸進的な通商条約容認論に向かうことに危機感を募らせた即今破約攘夷派によって姉小路金知が亡き者にされた、ということか。
 これでは、攘夷運動そのものの実行が危ぶまれる由々しき事態になりかねぬ。そう捉えたのであろう。
・・士気の低下は免れずと、高崎左太郎も同じ思いを綴っている。
同派にとっては死活問題となり、その影響は三条実美にも及びかねない危険な状況だったのでしよう。
 加えて勝は、即今破約攘夷派内では知識派と見做されている桂小五郎なども、一目置く存在です。その勝の学習院出仕まで画策されて、焦燥感は頂点に達したのではないでしょうか。 
 しかし、同派にとって幸いだったのは、その頃、姉小路金知は変節したばかりであったこと。また、攘夷実行のため尊王志士が長州等に散っており、姉小路変節を知る者は限られていたことです。
 懸念の芽を摘むのは早いうちに、とはいうものの、堂上に刃を向けるなど前代未聞のこと。しかも当代きっての実力者です。暗殺は躊躇されるものであったでしょう。ですから、即今破約攘夷派のうちでも身分が低く、国事参政・寄人でもない滋野井公寿、西四辻公業がその黒幕となり、田中新兵衛を巻き込んでの犯行となったのではないでしょうか。
 高崎左太郎は事変時の様子をさらに綴る。
 三条実美邸と学習院門扉へ、次のような張り紙がなされました。
「右の者は姉小路と同腹にて、公武御一和を名として実は天下の騒乱を好み候者につき、急速辞職隠居致さずに於いては、殺戮すべき天誅に代わって、旬日(十日間)不出の者なり」
 これは攘夷実行慎重派に罪を着せるためと、もう一点、姉小路同様に通商条約容認に変節しそうな三条への脅しでもあったのでしょう。
 結果として、薩摩藩関係者が捕縛され、疑惑が濃厚と見られたために、即今破約攘夷派によって薩摩藩は十分に利用されることになったわけです。
「敵対勢力の中心である薩摩藩の威信を排除する画策に使われた、ということだな」
 一蔵は深く頷きつつ更にと、思った。
 親薩摩藩の朝廷内最大の実力者である中川宮への圧力手段にも利用された。薩摩藩と中川宮は追いつめられていく・・。
「まさに導火線だ」


二 御智謀

 さて、八月十八日政変に向けて、どのようにして一歩を踏み出したか。無論何の確証もないままに動き出したわけではありません。たとえ日新公いろは歌の「み」で始まる一首を叩き込んでいたとしましても。
 一蔵は束の間、ねぎの泥をふるう嘉介の背に視線を向けた。新照院町に越して二カ月が経つが、まだ加治屋町の家にいるような錯覚をおこすことがある。それだけ慌ただしい日々だったといえよう。
「道にただ身をば捨てんと・・」
 呟きかけて、一蔵は心中でなぞっていった。

   道にただ身をば捨てんと思ひとれ 
              必ず天の 助けあるべし


 正義のためには、命を捨てる覚悟で事にあたれば、必ず天の助けがある。何事にも命がけであたりなさい。
 高崎左太郎も、これを念じて事にあたったのは言うまでもない。それでもなお、一歩は、確かな手ごたえがなくては動けぬ。そう言いたいのであろう。
 では、その手ごたえとは・・。

「三郎は昨年までこう述べておった」
 中川宮は高崎左太郎に、近くへ寄れと手まねきをする。面長で両目はやや離れ、小ぶりの鼻に大きめの唇と、どう見ても整った顔立ちではない。それなら品がないかといえば、さにあらず。若いころ、月代はよほど天気が良くなければ剃らず、五分月代というよりも長髪の日々だったとか。また風呂嫌いで、月に一度がやっとだが、入るとなると、一日遊んでいたという。これら奇癖と結びついた型破りな骨格は、幾つもの偶然と幸運によって天台座主への段階を経てくることで、一種独特の風格を醸し出している。
 三郎はと、中川宮は続ける。
 匹夫の建言は激烈に過ぎており、かつ自己の名利のためにすることが多い。よって妄りに採用されぬよう・・と。
「では久光公は、今年入京なさったときは何と」
 今年とは将軍上洛後の三月十四日を指す。
 久光は昨年初冬より、再三の上京要請があったにもかかわらず、出国はしなかった。英国艦隊を迎え撃つ準備で、その間もなかったのだ。国全体に備えた台場も、完成の目処がついたのが今年三月である。
「こたびは堂上にも触れてのう」
 尊王志士激徒の暴説を信用している堂上は速やかに引退させ、浮浪藩士の暴説家は、幕府が処罰するようとの建言だったという。
「一歩踏み込んでおられますね」
「即今破約攘夷派廷臣をも排除せよと申しておるゆえ」
 細い眼が覚悟の光を放つ。それをしっかり受け止めた高崎左太郎。その弾みを受けて中川宮は、病を押して四月十一日に石清水八幡宮に行幸した孝明天皇の胸中も明かす。
 血気にはやる公卿たちは、このままでは万事ただただ我儘がつのって、天皇と関白は権を失い、議奏・伝奏は公卿の言いなりであり、朝廷は危うい。よって、右の次第をあらまし親王にお話したい。
「この上は一かどの“御智謀”を発揮し」
「御智謀、そう仰せであられる、のでございますね」
胸が早鳴るのを聞かれまいと、高崎左太郎は身体を縛るように固く腕を組んだ。
 強く頷くと中川宮は続けた。
「何とぞ、予および島津三郎と一致して」
 暴論の公卿たちがきっと目が開くように致さねば、日々夜々、心配でならない。何分、参政・国事寄人を止めにして、改革を行わなければ、とてもとても混乱の基になるであろう。
 この時点での天皇は、久光公の上京・応援を得て、即今破約攘夷派の覚醒を企図しておられたようです。つまり排除ではなく転向を。
それが排除を志向し始めたのは、朔平門外の変が起きた後からです。
 如何ですか。確かな手ごたえと感じた経緯を、お解かり頂けましたでしょうか。
 久光帰藩後の中央政局については、一蔵も在京藩士からの報告で掴んでいる。
 即今破約攘夷派によって朝議が牛耳られており、四月に入ると在京藩士も表だった行動は一切行わず、中川宮や近衛家への出入りも密かに、細心の注意を払わねばならなかったようだ。即今破約攘夷派が猛威を振るい、孝明天皇をして憂慮に堪えない言語道断の有様であり、「大機会ヲ生ミ候ヲ待チ申候外コレ無キ」と、千載一遇の機会を待つしかないとの悲痛な状況が窺えた。
「しかし」と一蔵は煙草盆を引寄せ、一服味わう。
 まだその頃は政変という意識までには至っていなかったようだ。ただ現状打破の機会を捉えたいという思いは感じ取れる。
 それが・・。
 一蔵は思い切り灰落としを叩いた。
 高崎左太郎は綴る。
 政変に向けて大きく一歩を踏み出したきっかけは、大和御幸の決定と分担金の負担、三条実美らの即今破約攘夷派廷臣の横暴、中川宮の西国鎮撫大将軍への任命問題が起きてきたからです。
 これ以上追いつめられては・・。絶体絶命。その認識から、八月十日頃より、諸藩の模様を頻りに窺うようになりました。
 驚いたことに、藩主毛利敬親に御親征の建議をしたのは真木和泉でした。五月に勅命によって幽閉を宥免された真木和泉は、京へ上る途中、萩へ寄り、自分の意見を陳述し、六月には入京を果たしております。その意見とは・・。
 長州では天下に率先して攘夷をなされておるが、一藩だけでなさっても、到底成功は覚束ない。全国挙げて攘夷をするようにしなければならぬ。ついては恐れながら主上が御親征ということになれば、天下の人が毅然として応じ、全国一致するのは眼前ですと。
 しかし、表向きは夷狄御親征という論であったが、内実は御親征という名義で鳳輦(ほうれん・天子が乗るお車)を進めて、討幕の軍隊を起すつもりであったようです。


三 西国鎮撫大将軍

 入京した真木和泉を長州藩では東山翠紅館に招いて攘夷を議していたことが判りました。翠紅館会議と呼ばれています。
 八月に入って、御親征について即今破約攘夷派の圧力が厳しさを増し、中川宮や近衛忠熙・忠房父子へその実行を繰り返し迫っておりました。
 あれは九日でしたか、中川宮家諸大夫の武田信発が二本松藩邸にきましたのは。
「宮様の西国鎮撫大将軍任命が」
 武田信発は唇を震わせて訴える。中川宮は立っていられぬほどの驚愕狼狽ぶりで、どうしたものか意見を徴するように命じられてきたという。
「それは容易ならざる奸策、すぐに拒否されるよう」
 高崎左太郎の回答を受けて、中川宮は翌十日に、孝明天皇に辞退を直奏したようですが、武田信発の報告は要領を得ません。
 これは後に判明したことですが、中川宮は真木和泉を呼び、辞退を告げておられたのです。真木和泉は正直な尊王家の面があり、九州鎮撫が天皇の兵権を強めると本気で信じている所があったのでしょう。真剣に翻意するよう働きかけたようです。この辺が、三条実美が発する言葉とは、漂う雰囲気が異なっていたのではと思われます。しかも孝明天皇ご自身は、いよいよ親征しなければならないとしてご当惑のご様子であったようです。
 そのため、中川宮は容易に決断ができなかったのでしょうと、高崎左太郎は綴っている。
 十二日になり、高崎左太郎は直に呼ばれ、対策を講じるよう命じられた。中川宮は、どう対処したらよいか分からないといった体で、深刻なほどの当惑ぶりが窺えたという。
「宮様がもし、西国鎮撫大将軍を承諾なされると」
 大和御幸が同時に仕組まれることは必然である。この姦計に陥ってしまえば孝明天皇は即今破約攘夷派の掌中に帰してしまい、まったく手出しできず、大事(政変の機会)は去ってしまう。
「どうかご英断の上、これまでの奸謀の次第を直奏し、悔悟されれば『御処置被為在度』」と政変の決断を迫る高崎左太郎。
 高崎左太郎がここまで危機感を募らせたのには、長州藩士らの過激な言動を伝え聞いたからでもある。
 この頃中川宮は日光宮(日光東照宮門跡)の御里坊に仮住まいしていた。そこは、表は河原町通に面し、裏は鴨川に沿っている。賊はここに火を放って、中川宮を奪い去ろうと謀っていると。また、鳳輦が御進発になったら、後顧の憂いがないように、京都を焼いてしまうといったことがしきりに噂されていたのだ。
 中川宮は熟考の末に承知した。
 しかしと、高崎左太郎は綴る。
 薩摩藩は兵力が過少であるため、連携する藩を我々は模索しました。探索の結果、会津藩に白羽の矢が。なぜなら、「以ての外奮発致し居り候事情確かに探索し得て」おりましたので。高崎左太郎はその旨を中川宮に進言して、その日は退出したのだった。
 では、私が実際どのように動いたか、勿論その指示は中川宮から出されました。つまり許可を得てのことです。
 最近の勅旨は長州藩および真木和泉らと三条実美の結託による偽勅であり、大和御幸もその途上で陰謀を巡らしており、実現となれば手遅れになる。孝明天皇も既知で中川宮に諮られたが、武臣で奸臣を排除するものもないとお嘆きである。この状況を傍観できず、薩摩藩は意を決したが兵力が乏しい。そのため、京都守護職である会津藩なら兵力もあり、ともに立ちあがることが出来るのではないか。そう思い、突然であったが、秋月悌次郎を三本木の旅寓に訪ねました。
「どのような策略か」
 秋月悌次郎は当然と思える疑問を投げかけてきた。
「聡明なる中川宮は、既に機微を察して鎮撫大将軍を辞退しておりまする」
 また他にも中川宮に同調する廷臣もいるので、彼らを頼れば必ず成就できると回答しました。当方も必死です。
 一蔵はその行りで、口元をほころばした。
語彙も豊富な左太郎のことだ。そこは相手が納得できる言葉を用いて説得したのであろうな。
 それでと、高崎左太郎の文は続く。
 秋月悌次郎は直ちに黒谷の会津藩邸に馳せ、松平容保に高崎の申し入れの諾否を求めると、松平容保の決断は早かった。
 薩摩藩からの正式の申し入れであり、中川宮が自ら政変を指揮すると判断したようです。また、当面の政情を打破し、その上叡慮を安んじる事ができるならと決意し、即諾したに違いありません。
 これは後に秋月悌次郎から聞いたのですが、兵力を備えるために、松平容保は、帰藩中の交代部隊に対して、大和御幸を口実に残らず引き返すこと、そして各兵営に外出を禁ずる命令を発したそうです。驚くべき決断力と迅速な対応です。


四 十六日政変に向け

 その後私は中川宮を訪ねて、薩会連携がなったことを告げました。
「天皇は十六日までは神事があり」
 中川宮は困った表情で続けた。
 中川宮自身は法体のため、その間は拝謁できないので、近衛忠熙による天皇への密奏を周旋するようにと命じられました。
 高崎左太郎は直ちに近衛邸に赴き、政変への参画について嘆願しましたところ・・。
「とてもこの策は成就覚束なく、殊に一大事の義なり」
 そう言って拒絶されるではないですか。
 私も引き下がってはおられません。
「それならば、天皇の思し召しによって宮を御前に召すことを奏聞していただけないでしょうか」
 この言上には、何とか承知頂けました。
 しかし、その夜賜りました近衛忠熙様からの書には、次のように認められておりました。
 宮中の状況は混沌としており、政変の計画を奏聞しても孝明天皇は即決出来ず、いたずらに混乱を招くだけである。かえって、「奉悩宸襟候ニ陥り候テハ、実に重大之大功モ水泡ト相成」、とても成就は叶わないであろう。
 計画を重ねて退けられ、さらに熟慮したいとし、その旨を宮にも申し入れたいとも。
 一方、父忠熙様から私の周旋内容を聞かれた忠房からも書状が届きました。内容はほぼ同じでしたが、いざという時には自身も尽力するとあり、薩摩藩の油断なき尽力と大きな成果を期待していると追記されているではないですか。
「これは」
 一蔵は思わず呟いた。
「政変に関し、一歩踏み込んだ物言いだ」
 父近衛忠熙の影に隠れた様な印象だった忠房を少し見直す思いだった。
 高崎左太郎の書は続く。
 十六日の政変に向けて、十四、十五と会合を続け、特に十五日の夜には、富田亭に再び集まり、秋月悌次郎や広沢安任ら会津藩士四名と念入りに当日の動きを確認し合いました。
 その時点での当日とは、十六日の中川宮の参内のことで、その日の政変実行の綿密な打ち合わせが繰り返しなされ、富田亭での会合がその最終確認だったわけです。
 具体的な内容は勅命によって、主として会津藩の武力で禁門を固め、勅許を得ない廷臣の参内を禁じ、それ以降は孝明天皇の意に適った勅旨を発する、というものであった。
 一方、孝明天皇ですが、八月十三日の大和親征決定後、中川宮へ宸簡を下しておられたことを、中川宮から知らされました。
 この宸筆が中川宮にとって大きな後ろ盾になり、決行への動因になったと思われますので、長くなりますが記します。
 堂上過激の輩が家茂の違勅の罪を問うことを奏請し、それを実行すると和宮も同時に討たざるを得ず、それは忍びない。もしも、家茂の罪悪が皇国のために征討すべきものであれば、その累が和宮に及ぶことは仕方ないが、その段階にはない。しかも、軍備が十分に充実していないことからも、親征実行は時期尚早であり、後悔を後に残すことになる。よって大和親征は中止する意向であるが、激徒廷臣を至急説諭して改心させないと、内政の大混乱が勃発する。
 ここにおいて初めて、天皇は中川宮に、政変の計画を依頼なさいました。しかし、八月十六日政変は失敗に終わり・・。
 あの日、中川宮は西国鎮撫大将軍辞退の奏上を装い、寅刻(午前四時)に参内なさいました。叡慮を伺うや否や、薩摩・会津両藩に召命を下す算段で。しかし、孝明天皇は起床前であり、特に「御目覚を願ひけれとも兼て御痔痛在らせられ、御用場にて殊の外刻を移せられ」たため、卯刻(午前六時)を過ぎてようやく拝謁が叶ったのです。
 中川宮は親征問題について、否定的な真の叡慮を伺い、宮および薩摩・会津両藩による武力政変によって、即今破約攘夷派廷臣の排除を進言なさいました。天皇もその趣意自体には理解を示されたようですが、慎重な態度を崩されなかったのです。
 理由は、「何分奸党勢いさかん故、容易ニ軽率の事ハ不宜」、そして朝廷では中川宮以外に頼りになる人物がおらず、なお熟考すべきとして、その計画を退け、中川宮にも手を引くように示唆なさいました由。
 一方我ら両藩は、いつでも召命に応えられるように軍備を万全にし、今や遅しと待機しておりましたが、勅命はなく、とうとう即今破約攘夷派の国事御用掛らが参内を始めてしまいました。
 そして辰刻(午前八時)に至った時でした。
「宮様が帰邸なさいました」
 武田信発の報せに、一瞬、高崎左太郎等は頭も心も空白状態になった。が、硬化した筋はすぐさま解れ、今、せねばならぬことに心を集中。会津藩士大野英馬・柴秀次らはその旨を松平容保に伝え、高崎左太郎は秋月悌次郎・広澤安任らと、事情確認のために宮邸に向かった。
中川宮に拝謁し、経緯を聞き及んだ高崎左太郎は
「残念至極でなりませぬ」
 切歯扼腕の思いであるが、なお熟考頂きたいと懇願した。
 藩邸内では政変未遂の報告を聞いた藩士が大いに憤激。
「最早堪え難い」
「三条実美邸に押し寄せよう」
 口々に騒ぎ出す始末だった。
「事はたやすくない。それだけお上のご苦慮も深く慎重で在らせられるということだ」
 高崎左太郎は、言葉を尽くし汗だくになり、一日かけて説諭し、ようやく鎮静させた。が、それでも異を唱える強情者を召し連れ、高崎左太郎は酒楼に出向いて酒を酌み交わしていた。そこへ、十七日四つ過ぎ(午前十時頃)に秋月悌次郎が走り込んできた。


五 道にただ身をば捨てん

「宸翰が下りたぞ」と、注意深くはあるが、声音が弾む。
「それだけでは判らぬ」
 もう少し詳しくと、高崎左太郎は促す。
「たったいま中川宮を訪ねたところ」
 武田信発から、今日孝明天皇より宸翰が下り、薩摩・会津両藩が申し合わせて、早々に奮発せよと命じてきたと伝えられたという。
 事態の劇的な展開の兆しに、傍らの藩士が歓声を挙げる。が、「待て、待て」と、それを抑えて高崎左太郎は言った。
「昨日のこともあるゆえ、今一度宮様に確認して参る」
 何か鵜呑みにできぬものを感じたからである。
「念には念を入れだ」
 それまでは決して先走らぬよう。秋月悌次郎に告げ、藩士を帰して中川宮に拝謁に上った。
「真でございますか」
「いや、それは間違いだ」
 中川宮は戸惑ったように言い淀む。
「間違い、とは」
「会津・鳥取両藩が申し合わせて政変を実行せよとの沙汰であり」
 中川宮はもちろん、薩摩藩も一切関わらないようにとの叡慮だと。
「鳥取藩は八幡行幸を進言しておるのではありませぬか」
「孝明天皇としては」
 今回の政変を画策している会津藩と早急な攘夷親征を考えてはいない鳥取藩が談合の上、その夜に政変を起こすことを期待している。
「それは、失敗した時の事態を慮られての、ことでは」
 つまり、天皇の側近である中川宮と、後ろ盾であり、最も信頼を寄せる薩摩藩の失脚という最悪の事態を考え、中川宮と薩摩藩が政変に参画しないことを求めたのだ。
 時と距離を隔てた時点で振り返ると、孝明天皇のお気持ちも解からぬではない。が、これこそ分岐点だと一蔵は強く感じた。しかも決断を迫られる事態に直面した時、必ず頭をもたげてくる弱気だ。
 それでもなお、この間、非常に慎重であった天皇が、ここに至って初めて即今破約攘夷派廷臣の排除を決意し、熟慮の上、千載一遇の機会と思い直したことは確信できる。
 一方、と一蔵は正面を見据えた。
 一歩踏み込んだこの時こそ、高崎左太郎の身体中に、「道にただ身をば捨てんと・・」の歌が、木霊していた違いない。
 高崎左太郎は喰い下がった。
 御義恐れ入り候得とも、何分その天意にて、とても禍転じて福となす運びには相至らずとして、中川宮が総指揮を執り、いかなる難問が後日に降りかかろうが構わない。会津藩との政変計画もできているので、他藩ではなく薩摩藩に依頼賜りたい。さらに、近衛忠熙および二条斉敬にも決心を迫り、先日のごとく不容認の場合は身命を投げ打って諌止する旨を言上。中川宮はその覚悟ならと決意し、実行に移されることになった。
 お由羅騒動時が思い出され、一蔵は懐の手拭いで、しばし目頭を押さえた。
 高崎左太郎は二条斉敬との繋がりのある会津藩にその周旋を依頼。自身は近衛忠熙を訪ね、この間の事情を述べたところ、十六日とは打って変わっての態度を示した。
「この上は父とともに参内し、尽力致す」
 近衛忠房は政変参画へ断然と決心した。
 この突然の翻意の裏には、大和御幸供奉の具体的な陣容が十六日に決定し、近衛父子もそれに加えられていたことがあったのではと高崎左太郎は綴っている。
 二条斉敬も同意し、高崎左太郎は会津藩と最終政変計画を策定。慌ただしい激動の一日が過ぎる。
 そして十八日午前一時頃、中川宮派、松平容保、所司代稲葉正邦
が参内し、会津・淀・薩摩各藩兵による禁裏守衛配備が四時に完了した。続いて、在京諸藩主の参内および議奏・伝奏の両役、国事御用掛等の参内停止を命じた。
 この時点で朝議があり、三条実美以下即今破約攘夷派廷臣の参内・他行・他人面会禁止、国事参政・寄人の廃止、長州藩の堺町御門守衛停止、藩兵の京都追放を決定。
 十一時頃参内した鷹司関白は朝議決定を覆せず、夕刻には鷹司邸に参集していた即今破約攘夷派が妙法院まで退散したため、政変は無血による成功を収めたのだった。


 


      

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