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薩摩いろは歌 幕末編17 元治国是会議  (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2013年3月17日 10時39分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 幕末編17 元治国是会議
古賀宣子



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概・元治国是会議
 朝廷に委任された破約攘夷実現に重い腰を上げた慶喜と神州挽回を念頭に置く島津久光。その意識の差は・・。


作者プロフィール:
ひっそり年金暮らしの老夫婦。


これまでの作品:
薩摩いろは歌 幕末編1 口上
薩摩いろは歌 幕末編2 率兵上京に向けて
薩摩いろは歌 幕末編3 時に到りて涼しかるべし
薩摩いろは歌 幕末編4 久光入京
薩摩いろは歌 幕末編5 寺田屋事件 
薩摩いろは歌 幕末編6 舞台裏  
薩摩いろは歌 幕末編7 勅使東下
薩摩いろは歌 幕末編8 無明の酒
薩摩いろは歌 幕末編9 極密献策
薩摩いろは歌 幕末編10 外交初陣
薩摩いろは歌 幕末編11 中川宮朝彦親王
薩摩いろは歌 幕末編12 戦端
薩摩いろは歌 幕末編13 戦禍
薩摩いろは歌 幕末編14 八月十八日政変
薩摩いろは歌 幕末編15 生麦事件の総括
薩摩いろは歌 幕末編16 西郷召還

                  
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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 幕末編17 元治国是会議
古賀宣子



      
 一 高崎猪太郎

 それは、高崎猪太郎が慶喜に呼ばれて江戸の一橋邸で面会したことに、始まる。時は文久三年八月二十三日、京都の政変はまだ伝わっていない。
「昨日の幕議において、鎖港問題で議論があり、幕府は一港鎖港の方針に決定した」
 将軍家茂は横浜一港鎖港の定論で、老中板倉勝静も当初からそうであったという。
 この時、江戸の薩摩藩邸には、他に岩下佐次右衛門(方平)、重野厚之丞(安繹)、吉井中助(友実)らがいて、生麦事件の賠償と薩英戦争の事後処理にあたっていた。薩摩藩が抱える重大な対英国外交問題である。
 一方幕府も、朝廷に委任された攘夷の実行、つまり国是でもある破約攘夷の実現のために、重い腰をあげて駐日公使との外交交渉に動き出そうとしていた。
 幕府の破約攘夷交渉の内容次第で、英国との交渉にも影響が及ぶに違いない。そう踏んでいた薩摩藩は幕府の方針や出方を、手を尽くして探索していたところであった。そうした折りに、幕府側から情報の提供がなされたのである。無論、それなりの理由があってのことであろう。高崎猪太郎はそれを念頭に慶喜の話を聞いた。
「よって」と、涼しい眼元が続ける。
 鼻筋が通り、口元は大きくも小さくも、分厚くも薄すぎもない。さすがは徳川御三家と皇族の血が総身に流れているだけあって、噂に違わぬ端正な顔立ちである。年齢は確か同年のはずだ。
「二十八日から駐日公使との交渉談判に入るつもりであるが、本国との連絡や指示のやり取りがあるようだから、すぐに結論が出ることはあるまいし、兵争になるようなこともないであろう」
 外交交渉の模様が明らかになったら、早々に、来月三日にでも上京のつもりである(実際は十月二十六日品川発)。
 そこで一旦言葉を止め、慶喜は口調を改めた。
 先日(十七日付)、久光に「国事之義に付き御相談」したいので上京するよう「頼申入」との書状をだしたがと、前置きした上で、
「是非、三郎様にもご出京遊ばされ」
 久光の上京を望んでいることを重ねて告げ、さらに「越前、土佐、因州、筑前等の名賢侯」にも上京を望み、「会合」の場をもちたい。
 そして・・。破約攘夷については「三港(函館、横浜、長崎)拒絶」はとても難しいので、ひとまず一港鎖港で交渉・応接に取り掛かることにした。
 慶喜はそのように告げ、前関白近衛忠熙にこの旨を伝え、朝廷の反応や意見を報告してほしいと述べ、高崎猪太郎に上京することを依頼した。
 同じ日、老中板倉勝静からも、久光の上京を希望することを告げられており、その夜、高崎猪太郎は江戸を発ち、京都に向かった。
 
 慶喜から久光に宛てた書状は、藩邸をとおして八月末に鹿児島に届いている。そこには「委細之義は猪太郎に可申述候間」とあり、続いて二十四日付の「急報」が、九月に入って一蔵宛てに送られてきた。
「久光公の入京前に、破約攘夷について、幕府の基本方針を知り得たことは大きい」
 小松帯刀は思慮をめぐらすような視線をむける。
「京都政局の最重要課題ですからね」
「久光公の協力を期待しておられうわけだ」
「朝彦親王や近衛様父子に入説して、横浜一港鎖港方針を容認する方向に、朝議を誘導するお積りで」
「加えて、上京してくる有力諸侯の意見を調整して、幕府の方針を支持する衆論を形づくるよう」
 それが慶喜の狙いと二人は頷く。
 久光の上京は幕府の希望するところであったのだ。
 久光三度目の率兵上京にあたって、幕府所有の蒸気船拝借を申し込まれた幕府が、すぐに応じて、大坂から豊後佐賀関に気船を回航させたのには、このような背景があったからである。
「しかし」
 小松帯刀は改めて言う。
「久光公の上京は、幕府や朝廷から要請があったからなされるものではない」
「不穏な京都情勢をどうするか。政変の起きる以前から、諸侯間で意見交換が進み、同志としての連携や公武周旋に関する合意は成立していましたゆえ」


二 神州挽回

「我等薩摩藩の破約攘夷についての考えだが」
 江戸からの急報を読みながら小松帯刀は、まず薩英戦争について、久光が伊達宗城に宛てた手紙で触れたという考えを代弁する。
「英国より兵端を開き、拠無く戦争になったが、全敗に至らず、戦勝のかたちとなったことは幸運であったと」
「率直な心境ですね。戦争後の講和談判についてはいかがですか。我等もずいぶん議論しましたが」
「外国が同盟して、軍艦で鹿児島に押し寄せてくるだろうから、これから先も薩摩藩単独で、諸藩の応援もなく掃攘を続けていくことは困難である」
 だからこの際は英国と講和を結び、将来、富国強兵が実現した時節の「掃攘の成功」を期したい。「無謀之攘夷」は天皇の叡慮ではないと伺っている、と。
「久光公の主張は、欧米列強との武力・国力の差の自覚が肝要で」
 その上で武備充実を専務として、将来の制夷(夷を制圧)目指すべきであるというものである。
「つまり、破約攘夷の実現などは、およそ不可能な議論だと、非常に現実に即した考え方です」
「それゆえ、上京の目的は天皇の説得にある」
「いかにして天皇に理解して頂くか、ですね」
「加えて、幕府との協議だが、難航が懸念される」
 十月十三日に京都二本松藩邸に入ると、久光は直ちに建白書作成を命じた。久光の考えを基にして、一蔵が草案を練り、それを叩き台にして小松帯刀とさらに議論を深め、最後に久光の意見を訊いて仕上げていく。
 出来あがった建白書は十一月下旬、孝明天皇に提出された。といっても直接では無論ない。従来通り、近衛家を通じて天皇に届けられたもので、内容についても同家が検閲している。手続きの上ではまぎれもなく間接的だ。
 しかし、意識して直接天皇に語りかける方法・内容で意見を主張したことは、今までになかったことである。鎖港論が現実に即したものでないことを、近衛家の言葉ではなく、久光の言葉で、天皇に訴えていった。
 またこれまでは、朝彦親王や近衛家に働きかけて、朝議に一定方向の流れを作り出し、その上で朝彦親王と近衛家によって天皇を動かす、という方法をとってきた。
「しかしこの度は」と、久光は言った。
 直に天皇へ訴えて、直に天皇を動かし、天皇の意見で朝議の方向即ち流れを作りださねばなるまい。
「八月十八日政変を決断あそばされた天皇ゆえ」
 久光はそこに期待を寄せていた。
「とは申せ、我等久光・薩摩藩は」
 二人になった時に小松帯刀が言った。
「朝議と朝議に出席する朝彦親王や公家方を軽視しているわけでは決してない」
「無論、上京の目的は、天皇を含めた朝廷の改革を目指す点です」 
「松平春嶽様への書状でも述べられたようだが」
 強硬攘夷論者のような暴論ではなく、公平正大な議論で朝廷を助けなければ、神州の挽回は難しい、と。
「上京して間もない十五日、朝彦親王に呈した建言でも」
 これも草案は一蔵による。
「相当に手厳しく天皇を含む朝廷批判をなさっておられる」
「旧弊体質を根本から改めなくては、どのような良策や奇策を用いたとしても、皇国挽回の道はひらけないと」
 旧弊とは、天下の形勢、人情、事変についての深い洞察を欠いており、遠大の見識にも欠き、いささかの事にも動揺するとの指摘だ。
「つまり、今年三月に上京した際に、久光公が直面し、深く失望なさった朝廷の状況を踏まえて、その後の攘夷強硬論者の言動に翻弄された朝廷の現状を鋭く指摘なされた」
 その改革がなった上で、列藩の公議を採用して、新しい国是を定めるべきと説いた。久光等諸侯は、国是樹立のために最大限の尽力をする。それが朝廷を「助ける」ことであると。
「久光公が三度目の上京を決意した目的は」
 小松帯刀は繰り返すがと、念を入れる。
 天皇に直接働きかけること、その天皇をはじめとする朝廷に、自己改革を要求すること、そして新しい国是を樹立することにある。


三 暴論之輩

 建言書は朝彦親王から孝明天皇に差し出され、さらに写しが武家伝奏に渡されたという。建言に込められたものは公家全体に対する要望でもあったから、親王から伝わるよう指示されもしたであろう。
 また武家伝奏からは諸藩へ、要約ではなくそのままの形で伝えられたようだ。当然のことながら、後に入京する慶喜も目にしたであろう。
 久光がこのように正面から、天皇を含む朝廷の旧弊を指摘し、批判することが出来たのは、久光自身が、自分に対する天皇の信頼が厚いと認識していたからである。実際この建言に対して、孝明天皇が感情を害することはなかったらしい。
 それどころか、十一月十五日、近衛邸へ参上し忠熙に面会した際に、久光は天皇からの宸翰を手渡されたのだ。
「極密宸翰を拝戴仰せ付けられ、誠に以て恐れ入り冥加の至り」
 久光は喜びを隠さなかった。
 極密宸翰すなわち密勅のことであり、天皇から久光に、二十一カ条にわたって質問し、久光の意見を求めたもので、武家に与えた勅書としては異例なものであった。
 久光は奉答書(宸翰請書)の草稿を十七日に近衛忠熙にみてもらい、闕字等の体裁も問題なく、内容も「逐一御尤」との返事を得た。そして二十六日に清書を終え、二十九日に近衛忠熙に提出。近衛忠熙から天皇に差し出されたのは十二月二日という。
 近衛忠熙の検閲を受けたあと、久光は直ぐには清書をしなかった。二十三日には、近衛家から奉答書の催促を受け、風邪を理由に両三日の猶予を申し出ている。しかも二十六日には清書が済んでいたが、提出したのは二十九日。
 実は、猶予を申し出た間に、小松帯刀と一蔵は許されて宸翰と奉答書の草稿に目を通している。久光の考えを確認し、薩摩藩の方針を固めるためである。
 小松帯刀が先ずは宸翰の前文にあたるところを、読み上げていく。
「暴論之輩」に惑わされて関白鷹司輔熙は権を失い「朕座前ト退語」とでは全く相違して「両舌」である。「両役」は「唯々時宜ヲ見ノ勤方」で信頼できず深く心痛するばかりである。
「関白の二枚舌や議奏と武家伝奏が周囲のいいなりになっていることも見抜いておられる」
 さすがは噂に聞く孝明天皇だと思ったが一蔵は口にはしなかった。
「しかし」
 と小松帯刀は読み続ける。
「股肱之連枝」である「尹宮(朝彦親王)」と内密に相談し、会津藩を頼んで八月十八日の一件となり「深喜悦之事」である。また「前関白(近衛忠熙)」は「深倚頼」している。まずは政変前の「憂患」は払うことはできたが、なお「一大事」であることに変わりない。だから「其方ト手ヲ組」んで「一改革」を成し遂げたい。自分の「愚昧」より起こったことであるが、国家・朝廷のため、恥を顧みず打ち明けて相談したい。
「お考えと心情を率直に吐露しておられる」と一蔵。
「それにしても」と小松帯刀が嘆息する。
「天皇が心を許しておられるのは朝彦親王と近衛忠熙だけとは」
 その言に、孤独な姿を思い浮かべて一蔵は頷いた。
 以下、長文の宸翰は質問の内容に入っていく。
「攘夷之一件」に関しては「無理之戦争」を避けたい。従って「皇国永代無穢安慮」となる攘夷を、迅速に行えるような方策を建白してもらいたい。
「攘夷については、将軍上洛後に、一橋様をはじめ諸大名の会合で、基本方針を決めるお積りとのご返答だ」
「久光公ご自身は急速之攘夷には反対しておられるが」
「今外国と戦争すれば、どのような結果になるか。薩摩藩は痛いほど解かっておる」
「攘夷之戒馬ニ被穢」というのが久光の口癖だ。
「鎖港については、我が国の軍事力は弱体で、開鎖の権は外国が掌握しておるようなものだ、というお考えで」
「それゆえ、こちらから鎖港を宣言しても相手にされぬ、であろうと」
「幕府との話し合いも難航しそうですね」
 実際に、年が明けて横浜鎖港問題を議論した際、久光は慶喜・幕府の「当座之人気」を理由にした姑息な対外方針に直面することになる。
 その一つは、正月二日。慶喜と久光、松平春嶽、伊達宗城の会談でのことだ。久光が横浜は鎖港としても函館と長崎はどうするのかと質問したところ、慶喜は函館と長崎は永久開港であると答えた。それではいかにも便宜的で、「実之鎖港」すなわち国家の方針としての鎖港とはいえず、あいまいだと反論。この発言に対して慶喜は、自分だけでは決めかねるので、閣老にもよく話しておくと答えるだけであった。
 二つ目は、二月二日、久光が引き移り料(費用)は「何百万両」になるのかと水野老中に尋ねたところ、老中は「何百万々両」になるだろうと。これに対して、久光、春嶽、宗城の三人が反論。
「それだけの大金を充てたなら十分な海岸防備が整うのでは」
 三人は是非その方に振り替えるべきであると主張したところ、水野老中は眉をひそめ「御尤も・・実に正論」ではあるが、諸藩「居合六ケ敷」ゆえ、今一度熟考いたし評議したいと述べた。何を言っても今一度熟考・評議なのである。
 話を会談前の時点に戻そう。
 幕府との話し合いも難航しそうだという一蔵に、
「当面なすべきことは、武備充実の外に策略はないはずなのだが」
 頷く小松帯刀。暫らくの沈黙のあと、小松帯刀は思い直して読み上げる。
「関東へ委任」と「王政復古」の両方の説が唱えられている。しかし「王政復古」は「暴論之輩」が強く主張して種々計略をめぐらしているもので、朕は初発より「不承知」である。自分は「大樹へ委任」の所存である。この考えは将軍と一橋慶喜にも伝えてあり「公武手ヲ引、和熟之治国」にしたいので、そのように心得てもらいたい。また将軍が上洛した際には、久光にも「出格之助勢」を頼みたい。
「久光公も、大政を大樹に委任するのが至当の事であり、今にわかに王政に御復古はとても難しいとのお考えだ」
「ただし、幕府が武備充実のための指揮を怠り、朝廷尊崇之道が欠如した場合は、その時こそ<顕然と罪>を正すべきであると言われる」
「<暴論之輩>とは、三条実美や真木和泉・・」
「奴等の主張は、例の大和親征からも解かるように、天皇が軍事の最高指揮権を握るということだ」
「ただ、軍事行動は征夷大将軍を統領とする武家の役割とし」
 大名に対する行政権、すなわち指揮権や領有地処分等の処分権をふくめた全国の行政権も天皇に帰すると。
「そうなると、征夷大将軍と幕府の在り方が問題になるのでは」
「しかし、政変以前の言動、噂も含めてだが、奴等が将軍と幕府の権力を考慮しているとも思えぬが・・」
「明確な構想をいだいているかどうかは別として」
久光公は三条等の言動を、<関東御征伐>とか<征幕府>また<討幕>と評しておられる。
「我等も然りだ」


四 孝明天皇

 小松帯刀は読み続ける。
 八月十八日一件は「真実朕腹発之事」(自分の決断)であり、会津藩の「忠働」には深く「感悦」している。しかし、政変は、尹宮・会津・右大臣二条斉敬の「所作」(しわざ)であるとの風説が流されており、また政変に疑義を持ち三条実美らを「惜候模様」の向きもある。これらに対する対策を考えてもらいたい。
「これは、長州藩や<浮浪、暴論輩>が人心を疑惑せしむるために流した<造意>であると久光公は言われる」
「我等も同感です。お気になさらぬ方がよい」

 八月十八日以来は、すべて朕の「座前之評決」となって安心である。しかし以前のように自分が知らない所で評議が行われるようになる恐れもある。どのような対策を講じるべきか、建白してもらいたい。
 これに対して久光はこう考える。
 政変以後、すべて天皇の「座前」で評議され「万機ニ叡念」を用いられるようになったことは「啼泣感拝」のほかない。この状態に関しては、朝彦親王も近衛忠熙も異論があるはずはないが、この体制が維持されるよう、二人に談判しておきたい。

 関白鷹司輔熙を辞職させたいがどうか。正親町公董(きんただ)を実家の中山忠能家で「籠居」させたいので、父の中山忠能を説得してもらえないだろうか。
 途中で一蔵が言葉をはさむ。
「正親町公董の処分とは」
「八月に攘夷監察使として長州藩に派遣された件ではないか」
「三条実美と会見したことで、帰京後差し控えを命じられているのだな」
「続けるぞ」
 三条実美らが長州で「姦策」をめぐらしているようで心配だから、帰洛させ、復職など決してないようにしたいので、そのための「美策」を頼む。
「驚くほど率直に書かれておられますが」
 関白鷹司の辞職や正親町公董の処分問題など、廷臣の処遇にまで久光に相談せねばならないのだろうか。
 小松帯刀も一蔵の疑問に同調する。
「岩倉様の存在ではないですか」
 初対面の衝撃がよみがえる。今の朝廷に必要なのは、あの唐人服の面魂だ。
「岩倉様なら、充分にお答えになられる」
「朝彦親王や近衛忠熙様では・・」
 八月十八日政変を伝える高崎左太郎の書面に滲んだ二人の様子をなぞりながら、一蔵は声音を下げた。
「久光公のお考えは」と小松帯刀。
 関白鷹司輔熙の辞表は「至当」のことと。正親町公董と三条実美らの処分については、熟考を要するが、「武臣(諸藩)之面々」とも評議して、意見を申上げたいと。

「その他、久光公が注意すべき点として述べておられることは」
 小松帯刀が久光の言葉をなぞる。
 天皇は「服心之人材」を「能々御観察」し、「小人」を遠ざけ、「賢臣」に親しまれ、「取違」することのないようにと。
「つまり、人を見る目を磨いて、人材を正しく評価する重要性を説いておられる」
「天皇への率直な発言だな」
「それと、松平容保への宸翰についての問いがありました」
 天皇は、同じ宸翰を遣わすべきかどうか否かと相談している。
「それについては、猶予されたいと」
「久光公ご自身にも同様の扱いを望んでおられる」
 度々このような内密の「勅書」が遣わされることになっては、朝彦親王と近衛忠熙にたいして「別而恐入」から、今後は親王と近衛にだけは相談してから遣わされたいと。
「無論、久光公は」と小松帯刀は補足する。
 天皇が松平容保に宸翰を遣わす事に否定的なのは、天皇と久光だけの特別の関係を持つことを望んでいるからではない。
「宸翰を諸侯に乱発するようなことは、しない方がよいというお考え故では」
「今後は朝彦親王と近衛忠熙様を通すようにと要望なさっとのも同様の理由からであろう」
「朝廷と武家が、それぞれの秩序を重視する立場をとっておられる」
「まさに秩序の乱れこそが八月政変の背景であったゆえ」
 そこで一旦言葉を切り、小松帯刀は続けた。
「同志諸侯と協力して、<公武合体>という新たな秩序、新たな朝幕関係を樹立しようとなさっておられる」
「宸翰や勅諚は、その新たな秩序に基づいて発せられたい。そう仰ろうとしておられる」
 なお、これは後に知ったことだが、奉答書に対して孝明天皇は、朝彦親王に尋ねたという。
 これは三郎(久光)の本音なのか。近衛が文言などに手を入れたのではないかと。
 天皇は近衛忠熙の行為に不信を抱いているのではなく、遠慮のない、飾らない、久光の本音・本心を聞きたいという天皇の気持ちの表れではないだろうか。それほど天皇の久光への期待と信頼は、並のものではなかった。
 しかし、この事が参豫会議とも呼ばれる国是会議が失敗に終わる原因の一つとなるのである。


五 己ヲ罪スル詔

 十月二十六日に品川出航した一橋慶喜が京都に入ったのは十一月二十六日であった。兵庫まで蒸気船で直航すれば三日間の航程だが、時間をかけたのは、陸行させた従兵(講武所兵二百余名、一橋家の床几廻若干名)にあわせ浦賀、下田、清水の諸港に寄港し、十一月十二日に兵庫着。大阪城入城は二十一日だった。
 家茂は十二月二十七日に江戸を発ち、海路をとり、翌年正月八日に大阪城着。十五日に二条城に入った。
 国是会議とは、公(朝廷)と武(幕府・諸藩)の代表によるもので、中心議題は国是(国家の基本方針)を定めることである。幕府を代表する形で一橋慶喜が、諸侯を代表して松平容保、松平春嶽、伊達宗城、山内容堂そして島津久光の参豫諸侯で構成されている。
 一方、朝議参豫を命じられた諸侯は、武家側の意見調整のために二条城で幕府閣老と会議を行い、参豫諸侯だけの意見調整の会議が一橋慶喜の宿舎である東本願寺で持たれた。意見をまとめた上で国是朝議に出席するのである。すなわちこの会議は、国家の最重要会議として位置づけられていた。
 なお、譜代大名の老中政治を伝統としてきた幕政にとって、外様雄藩の幕政参加は大きな幕政改革だ。つまり久光・薩摩藩の積極的な運動によって、参豫諸侯の朝議参加と幕政参加が実現したことで、朝廷政治と幕府政治の同時改革がなされたのだ。
 もしこの体制が持続され、制度化されていたならば、幕末政治史の大画期となるはずであったが・・。
 国是朝議は慶喜と久光・松平春嶽・伊達宗城との対立となって、二月下旬には解体状態になり、同時に幕政参加も事実上解消する。
 時を一月七日まで戻そう。
 その日、久光は朝彦親王と近衛忠熙に建白書を提出しており、その趣旨を直接口頭で説明している。
 将軍が上洛したら、諸大名と共に将軍を玉座の下に召して「至誠ノ綸言ヲ以テ諭告」し、さらに宸翰をもって、八月十八日政変のような事態を招いたことにたいして「己ヲ罪スル」詔を下して、天皇自ら反省の意をしめす。そうすれば「衆心感佩欣戴シテ、天下挽回ノ道ヲ開ク可キ歟」と述べ、この詔によって天皇、将軍、諸大名が一体となって国家の危機を挽回する道が、開けてくるであろうと。
 実は久光は建白書に添えて、宸翰の草稿も作って差し出している。
 草稿を練ったのは一蔵で、小松帯刀が目をとおしたことは言うまでもない。練るにあたって注意したのは、天皇自身が使用したことのある言葉や表現であるかどうかという点だ。
 この宸翰の草稿を差し出したのは、久光としては、そこまで提案する以上は、という気持ちからではなかったか・・。ただし、将軍に下した宸翰が、自分が起草した草稿とほとんど変わらぬまま綴られるとは、全くの想定外だったに違いない。
 久光の提案は伊達宗城の後押しもあって、一月二十一日、将軍家茂が参内し、小御所で天皇と面会し、宸翰を受け取るという形で実現している。
 その内容は要約すると以下のようになる。
 外国列強の「凌侮」をうけ「併呑」の危機を迎えたのは「朕カ不徳」のいたすところであり、汝(家茂)の罪ではない。汝は朕の赤子であり、子のごとく汝を愛している。汝は征夷府の職掌を尽くして天下人心の企望に答えねばならぬ。「醜夷征服」は「国家の大典」ではあるが、「無謀の攘夷」は好むところではない。征夷のための「策略を議」して、朕に奏上してほしい。それに基づいて「一定不抜の国是」を定めたい。また大業をなすためには人材が必要である。会津中将(松平容保)、越前前中将(松平春嶽)、伊達前侍従(伊達宗城)、土佐前侍従(山内容堂)、島津少将(島津久光)は「国家の枢機」を任せられる諸侯である。汝もこれらの諸侯と親しみ、協力し合って「衰運」の挽回に力を尽くしてもらいたい。
 久光は無論、草稿には自分の名は記していない。遠慮もあるが、それよりは、一月七日の時点では未だ無位無官だったからである(左近衛権少将任叙は、一月十三日)。
続く二十七日には、家茂が一橋慶喜以下、計四十二名の在京諸侯を引き連れて参内。小御所で天皇と面会し、宸翰を受け取った。そして諸侯も、小御所中段に据えられた宸翰を、「四五侯ツゝ進ミ出て拝見」した。
 この宸翰が久光のいう「己ヲ罪スル詔」である。この草稿も一蔵らの手による。
 実はこの二通の宸翰に一橋慶喜や幕府閣老が違和感を抱くことになるのだが・・。
 まずは小御所中段に据えられた宸翰の要点を記してみる。
・・三条実美等が「匹夫の暴説」を信用し、天皇の意志をいつわって「攘夷ノ令ヲ布告」し、かつ「妄ニ討幕ノ師ヲ興サン」とした。また長州藩の「暴臣」は「故ナキニ夷船ヲ砲撃」したが、これらの「狂暴ノ輩」は「必罰」しなければならない。しかしながら、このような事が起こったのも「朕カ不徳ノ致ス処」であり、実に「悔慙ニ堪」ない思いである。
 このように「己ヲ罪スル」言葉を述べた上で、将軍と「各国ノ大小名」に「天下ノ事」を、自分と共に「一新」するための、協力を求めるというものだ。
 この宸翰が出された翌日である。源助がやってきた。
「一橋慶喜が何やら探っている模様です」
「何やら、とは」
「何でも宸翰が出された経緯に不審を抱いているとか」
 一蔵は直ちにそれを小松帯刀へ。小松帯刀は引き続き源助に探らせると同時に高崎猪太郎を呼んで情報収集にあたらせた。そして自身も行動を起こす。月が変わった二月二日、松平春嶽邸へ。
その夜のこと。
「例の先月二十七日の宸翰だが」
 慶喜が文中に「開港の意味を含蓄せるものゝ如し」と話していたと、松平春嶽から直接聞いたという。
「それは内容が、ですか、それとも文中の言葉に、ですか」と一蔵。
「両方ではないか」
 小松帯刀は言う。「軽率ニ攘夷ノ令ヲ布告」し「故ナキニ夷船ヲ砲撃」したことへの強い批判や、日本の砲艦では「洋夷ノ軽侮」を受ける、といった表現をさしているらしいと。
「また、将軍が受け取った宸翰があるだろう」
「二十一日に小御所で渡された方の」
「あれにも」
「無謀ノ征夷ハ実ニ朕カ好ム所ニ非ス」といった文言にも、同様の感想をもったらしいと。
「しかし、そのような三条実美や長州藩の暴臣批判は、以前から孝明天皇が口にしてこられたではないですか」
 久光に下された宸翰にも見られる言葉なので、一蔵は草稿を練る際に忠実に盛り込んだのだ。
「恐らく慶喜や幕府閣老等は、そういった天皇の発言に接する機会が余りなかったのではないか」
「それで、違和感をもった」
「いつ、どのようなことがあって、孝明天皇は開国論者のような発言をなさるようになったのかと」
「それが、宸翰自体への疑念に変わった」
「二十一日の宸翰には五侯の名があるが」
 それについても、「幕府の諸有司は少しく疑義の念を起し」ている旨も、松平春嶽に伝えていたという。
「こういう事情が裏にあって、慶喜は探らせている」
 その半月余り後、源助が走り込んできた。
「一橋慶喜は例の経緯を探り当てていたようです」
久光・薩摩藩が草稿を作成し、薩摩藩士高崎猪太郎が朝彦親王のもとに届けたと。


六 慶喜酩酊

「裏事情が判明してみると、すべての謎が解ける」
 小松帯刀は一つ目はと、人差し指を立てる。
「請書の件だ」
「あの一月二十七日の宸翰に対して、二月十四日に将軍が呈した、あれですね」
「十五日に公家側から、請書の文言に疑義があるとの発言があった」
 十五日とは小御所中段で開かれた朝議のことを指している。孝明天皇も御簾を垂らした上段に出席(垂簾出御)。小松帯刀も含め一蔵等諸侯の家臣は吹きさらしの板の間に控え、小用に立つ以外は、正座して待ち続けるのが常である。あの日は晴れていたのでまだ良かったが、風雨の強い日であったなら・・と一蔵は言葉をのんだ。
「慶喜だけが先に五公の席に呼ばれたと聞いています」
 五公とは朝彦親王、晃親王、二条斉敬、徳大寺公純、近衛忠房を指す。
「鎖港并攘夷の趣意が分明でないという」
「成功仕りたく存じ奉り候得とも夷情も測り難く・・」の「得とも」が曖昧な言い方だというのが公家側の指摘だ。
「二つ目が朝彦親王から示された書面だ」
 これでは攘夷が貫徹しない。叡慮は無謀な攘夷を好まないが、三港鎖港は無理であるなら、せめて横浜一港だけでも「急速」に鎖港を実現するように。そういった内容を、親王は自身で認め、天皇はこのように要望していると、慶喜に「請書」の修正を要求。
「つまり」と、小松帯刀がそれぞれの主張を整理する。
 幕府が責任をもって、それに取り組むことが朝廷側の要望である。一方、幕府も、極めて難しいことを承知の上で、横浜鎖港のために努力する覚悟であった。久光、春嶽、宗城は、基本的には開港論者であるが、朝廷と幕府の意向を汲み取って、幕府の方針に従うことにした経緯がある。
「ところが慶喜は朝彦親王の修正要求には応じなかった」
 宸翰に「無謀之攘夷」は好まないとあったので、攘夷についての表現を緩めたのだと答えている。
「宸翰にはそのような文言はないであろう」と朝彦親王。
「お手元の草稿か控えをご覧になればわかるのでは」と慶喜は反論。
「いずれも手元にはない」と答える朝彦親王。
「事実、二十七日の宸翰には、そのような文言はなかったはずです。それゆえ朝彦親王の発言はごく自然なものだったのでは」
 さらに一蔵は付け加える。
「二十一日出された宸翰には確かにその文言が入っていたが、それは将軍にだけ出された内諭です」
「しかし、慶喜は別の意味にとった」と小松帯刀は推察する。
「別の意味・・」
「この時すでに、慶喜は探り出していたに違いない」
 宸翰が、久光・薩摩藩が起草して朝彦親王に届けられていたことを。そして親王の発言を聞いて、重要な文言を覚えていないのは、親王が久光の宸翰草稿を深く検討することなく天皇に差し出したからではないかと推測。
「まさか、朝彦親王と久光公が天皇を意のままに動かそうとしていると、あらぬ疑いを」「そのまさかだよ」
「それで、あの十六日の酩酊に」
 朝彦親王邸での会談に酒が出された時である。
「親王と外様藩が結託し天皇を動かそうとしておる」
 酔いに任せて慶喜は尚も・・。
「それを見て見ぬふりをする輩が」と吐き捨て、「頗る過激の議論」に及んできた。
「一橋殿、言葉が過ぎますぞ」
 戒めるなり松平春嶽は隅に控える家臣に目配せし、慶喜を立ち去らせた経緯がある。
「高崎猪太郎が聞きつけてきた噂によると」
 親王の大壅蔽(ようへい)、三奸(久光・春嶽・宗城)の大狡計を一言に打壊し痛快このうえ無し、と語ったという。
「つまり、こういうことですか」
 親王と久光公が結託し、奸計をめぐらせ、天皇の信頼を利用して、親王が天皇を動かしている。
「そして、春嶽と宗城が、事情を知りながら、久光公に協力して歩調を合わせている、と」
「これが、慶喜が描いた疎ましい構図、ということになる」
「そして、ついに暴言となった」
 なお慶喜は酔っていたが、一瞬、酔眼が正気にもどり「横浜鎖港ハ是非共成功仕候心得ニ御座候」との書付けを明日差出すといって退出した。
「どう考えても成功する自信などないであろうに、なぜ出来ると約束したか」
「理由はただ一つ。天皇と朝廷が望んでいることを実行すると断言して、天皇と朝廷を幕府の側に取り戻すことだ」
「我等は己に言い聞かせるしかあるまい」
 小松帯刀は正座した膝に両手を置くと、「た」ではじまる日新公いろは歌を諳んじた。一蔵も続いて・・。

 種となる心の水にまかせずば
         道より外に 名も流れまじ


 欲望の心は捨てて、良心に従って行動すると道も外さない。正しい道を歩きなさい。いかなる時でも、心が迷い煩うことのないように、平常から修行しなさい。二才衆からそう学んだ。
 以後、慶喜は久光との間に、はっきりとわかる程の距離をとるようになった。それを察知した久光は小松帯刀、一蔵らと帰国について話し合う。
「国是会議のもう一つの議題である長州藩処分問題も」
 小松帯刀が声音に皮肉な色を込める。
「結局は解決のための交渉の場を、大坂にすることが決まっただけのことだ」
 長州藩家老井原主計が伏見に到着してから三カ月以上もかかっていたのである。
「三条実美等七卿を召還して罪に問うという久光公の御主張も、十分に議論されることもありませんでした」
 これは、孝明天皇以下朝廷首脳部の政治指導力の弱さを表わしていると同時に、幕府側にも責任があった。
「老中三名を加えた首脳部が京都に来ていながら、事態への対応と
決断が、あまりにも緩慢であったゆえ」と小松帯刀。
「こともあろうに朝廷から因循であるとの批判を浴びせられるありさまでしたから」
 四月帰藩に際して一蔵は、京都の形勢を江戸留守居役新納嘉藤次へ綴った。
「独木(一橋慶喜)中央より相変し」






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