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宿志の剣 二 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2013年3月24日 13時29分の記事


【時代小説発掘】
宿志の剣 二
鮨廾賚


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


【梗概】: 
 上野国大胡の領主上泉信綱は、養子秀胤に城を譲り、兵法流布のため回国の旅に出ようとしていた。そのとき58歳。第2の人生を自らの創始した新陰流とともに生きようと考えたのだ。だが、その頃の上野国は、武田、上杉、北条の争奪の渦中にあった。そしてまた信綱にしつこく付き纏う忍者飛びの段蔵の陰があった。


【プロフィール】:
鮨廾賚此昭和33年(1958)生まれ。平成22年(2010)第40回池内祥三文学奨励賞受賞。現在、新鷹会会員、大衆文学研究会会員、歴史研究会会員、歴史時代作家クラブ会員。


これまでの作品:
傀儡子御前

宿志の剣 一
  


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【時代小説発掘】
宿志の剣 二
鮨廾賚



第一章 謁見

一 上泉秀胤

 仲冬(旧暦十一月)――。
 その日も空はよく晴れて澄んでいた。
 上野国は、国境の三方を厚い山脈によって区切られている。この山脈によって、里への大雪が防がれる反面、乾燥した冷たい風が、冬の間中渺々と吹き渡る。
 いわゆる赤城颪で、今日のように良く晴れた日は、身を切るような風が、殊の外ひゅうひゅうと吹きすさぶ。
 その日も秀胤と信綱は、大胡城のこの部屋で端座していた。そして、二人は同じく一言も発しなかった。ただ、戸外を吹き荒れる赤城颪の乾いた音に一心に耳を傾けていた。
 あのときのことを思うと秀胤は、いまでも胸が苦しくなる。なぜならば、秀胤は養父信綱を裏切ろうとしていたからである。
(もしかしたら、義父上は気づいていたのかもしれない)
 あの日、秀胤は沈黙に耐えられず、額にうっすらと脂汗が滲んでいた。そのうえ、無理に息を落ち着けようとする先から息が乱れてきた。兵法の達人と呼ばれた信綱が、秀胤の呼吸の乱れに気づかなかったはずがない。
 未の刻(午後二時)を過ぎる頃おい。その赤城颪が、突然、ぴたりとやんだ。
 訪れた静寂に秀胤は耐えられなかった。
「義父上。遅うございますな」
 思わず、秀胤の口から言葉が出た。
「うむ」
 だが、信綱は軽く肯いただけであった。

 大胡城は赤城山南麓の丘陵地に立つ山城である。南北に長く、北は近戸神社の出丸から南の大手口までおよそ四百十二間(七百五十メートル)、七つの郭を有していた。東には荒砥川をひかえ、赤城山麓一帯では堅城の部類に入るだろう。
 本丸は中央のひときわ高いところにあった。晴れた日に本丸から望む赤城山は絶景だといわれている。二の丸はその本丸を西から南へかけて囲い込むような形で設けてあった。その他に三の丸郭、稲荷曲輪、越中曲輪、西曲輪、南曲輪があって、合わせて七つである。
 城主は上泉常陸介秀胤である。
 上泉信綱の嫡男は〈常陸介秀胤〉といわれているが、二年前の国府台の合戦で討死していた。永禄七年二月のことである
 国府台の合戦とは、小田原の北条氏康と安房の里見義弘が下総国国府台で戦った合戦の名前である。永禄六年と七年の前後二回あるが、後の方の合戦に秀胤は、北条方として戦ったのだった。
 ちなみに、劇画「忍者武芸帳」の結城重太郎に秘剣を伝授した人物として、この戦いで瀕死の重傷を負った上泉秀胤が登場する。
 信綱は嫡子常陸介秀胤亡き後、一族の大胡氏に嫁いでいた娘てるの婿を養子に迎えた。それが、ここに居る秀胤である。同じく常陸介秀胤と名乗っていて、ややこしいのだが、信綱の子〈常陸介秀胤〉は実子と養子の二人いることになる。このとき、養子秀胤は大胡城の主だった。
 一説には、亡くなった秀胤は伊勢守秀胤と呼ばれ、養子が常陸介秀胤であったともいわれている。
 実は信綱には他にも男子がいる。主水正憲元というのだが、生来放蕩の気味があって、上泉の家督を継ぐことを好まなかった。そのうえ、父の血を濃く受け継いだのか生まれながらの兵法者だった。
 実子秀胤亡き後、
「小田原に兄上の子もいる。幼いというなら、元服までの間、養子を取れば良いではないか」
 と言い置くと、さっさと武者修行と称して気儘な一人旅に出てしまった。
 兄上の子というのは、実子秀胤の子で後の泰綱のことである。このときはまだ十二歳で、しかも小田原にいた。そのため、憲元の妹のてるが嫁いでいた秀胤を養子としたのである。上野国を巡る動きは急で、十二歳の少年にはとても城を維持して行くことなどおぼつかないことだったからである。
 これにより信綱の嫡系は二つに別れることとなる。後に、嫡孫泰綱は憲元とともに会津の上杉氏に仕えている。その後、関ヶ原の戦いを経て、米沢に減封となった上杉氏に従い、子孫はそのまま米沢藩に仕えることとなった。養子秀胤の系統は尾張藩、岡山藩に足跡が残っているという。
 ところで、上泉信綱には後妻として北条綱成の娘が嫁いでおり、こちらは二人の男子をもうけている。おそらく小田原にいたと思われるが、動向は不明である。いずれにしろ、信綱をめぐる妻子については不明なことが多い。

 やがて、時刻は申の上刻(午後三時)を過ぎた。そろそろ甲斐国からの使者が到着しても良い時分なのだが、その気配は微塵もない。
 信濃国から上野国に入るには、天険の碓氷峠を越えなければならない。昨日、それを見越して使者は早めに出立すると伝えて来たのだが・・・・。
 上泉信綱は、この頃〈秀綱〉と名乗っていた。
 秀綱は西上野の盟主である箕輪城の長野氏に属して、長年北条氏康や武田信玄と干戈を交えてきた。長野氏の後ろには越後の上杉謙信がいた。
 当時、長野氏の当主は業正といった。関東に知られた名将で、北条、武田の侵攻をよく防いでいた。
 均衡が敗れたのは、業正の死後である。当主が息子の業盛に代わると、徐々に武田信玄に押されてきた。
 永禄九年(一五六六)九月二十九日――。
 ついに武田軍一万の猛攻を受けて箕輪城は落ち、城主長野業盛は自害した。
 そのとき、救援に駆けつけた秀綱は、箕輪城の外郭にいた。本丸落城と聞き、
「武田軍と最後の一戦を」
 決意を固めたのだが、
「戦は終わった。早々に去れ」
 武田信玄に拒否され、やむなく上泉城に兵を返したのである。
 そのときの使者は穴山信君であった。後に梅雪入道を名乗ることになるのだが、このときはまだ、左衛門大夫を名乗る武田家の若き一武将にすぎなかった。
 しばらく経った後、その穴山信君が上泉城に自らやってきて、
「帰順されよ」
 と、説いた。
 それは穴山信君の好意であったといえよう。なぜならば、もはや武田と長野の勢力差は明らかだったからである。長野業盛傘下の諸城は次々と、あるいは陥ち、あるいは白旗を掲げていた。断れば圧倒的な兵力で上泉城を取り囲むことは目に見えていた。
 このときの秀綱の行動は、後に秀胤が考えても胸がすくような迅速果断であった。
 穴山信君の話を聞くと秀綱は、
「武田殿と戦をする気は最早ござらぬよ」
 すぐさま武田信玄に恭順の意を示したのである。
 その証左として、居城である上泉城をあっさりと穴山信君に預けると、自分は近臣数人を連れて、
「無用な戦はせぬものよ」
 さっさと養子秀胤の居城である大胡城に逼塞したのだった。
「知っておるか。穴山どののお話では、信玄公は上泉家を高く買っている」
 と、秀綱は言った。
 先日の箕輪落城のおりに見せた、最後の一戦を、というのも、
 ――上泉秀綱ここにあり。
 と、武田信玄の心胆を寒からしめて、戦後の講和を有利に導こうとの考えだったようだ。
 だが、その必要はなかったのである。当初から武田信玄は上泉秀綱に注目していたようである。それゆえに、信玄の側も無用な戦を避けたのだろうと思われた。
 上泉秀綱は上泉城を中心とした東上野の小豪族である。嫡男は北条氏康に属して討死にし、自らは上杉謙信の支援を得た長野氏に属し、いままた武田信玄に降る。こうした秀綱の動きは、この時代の上野国の小豪族の困難な生き方を良く示している。嵐にそよぐ葦のように、柔軟な身の処し方をしなければ生き残れない時代であった。
「国を保つことは難しい」
 と秀胤は、つくづく思うのだった。
 敵に降るを潔しとせず、城を枕に討死をする者も確かにいた。武門の意地とうものであろうが、その結末は哀れであった。自身だけでなく、妻子も死に、家も滅びるのである。 秀綱にそのような選択肢はない。一城の主として、無駄死はしないであろう。
 実例がある。
 十一年前の天文二十四年(一五五五)――。
 このとき秀胤は、まだ大胡氏を名乗って大胡城にいた。まだ部屋住みの身であったが、この年、北条氏康が一万六千という大軍を率いて、あっというまに上州を席巻し、厩橋城を抜いた。その勢いをかって、
「上泉城をひと揉みに揉みつぶせ」
 とばかりに、勇将猪俣能登守邦憲に命じたのである。
 能登守は勇躍五千の軍勢を率いて上泉城に押し寄せた。
 このとき、上泉城の軍勢は一千に満たなかったという。敵は大軍を頼みに士気は大いにあがっている。しかも総大将は勇将と謳われた猪俣能登守である。上泉城の将士は、誰もが城を枕に討死する悲壮な覚悟を固めざるを得なかった。
 ところがである。城主の秀綱自らが、
「逃げよ」
 と、命じたのである。
「無駄な戦はすまいぞ。いま、城を明け渡しても、いずれは我らの手に戻ってくる。平井城にて会おうぞ」
 と言い置くと、自ら先頭に立って、さっさと城から退去してしまった。
 勢い込んでいた猪俣能登守はあっけにとられてしまったという。名にし負う上泉伊勢守秀綱である。相当の激戦を予想していたのだろう。
 だが、秀綱はここで戦っても勝ち目はないと分かっていたのである。事実、隣の山上城の山上氏は、徹底抗戦して全滅している。
 そして、翌年の春。
 雪解けを待ちきれず、越後国から上杉謙信が一万の大軍を率いてやってくると、
「先ずは上泉の城を奪い返すべし」
 という命に、秀綱自らが真っ先かけて城を攻め立てて、あっさりと取り戻したのだった。
 全滅した山上氏と比較して、秀綱の面目躍如といったところであろう。
 秀綱が恭順の意を示したことで、
「ともあれ、武田殿との戦は回避された」
 戦名人として知られる信玄とまともにぶつかっても、上泉家だけで勝てるものではない。蟷螂の斧にも等しい行為というべきであろう。
「だが・・・・」
 と秀胤は思う。
「上泉家は、北条氏康とも好を通じているではないか」
 現に秀綱の後妻は北条綱成の娘であり、実子秀胤の子泰綱は小田原にいる。これは人質であるといってもよい。このあたりが小豪族の悲しいところで、
「義父上は、本当に武田家に仕えるのであろうか」
 というのが、そのときの秀胤の率直な気持ちであった。


二 二人の武田家臣

 
 永禄九年孟冬(旧暦十月)――。
 穴山信君の進めで武田信玄に降伏した秀綱は、箕輪城で信玄に謁見することとなった。「そなたもともに参れ」
 大胡城に謹慎していた秀綱は、無造作に秀胤に命じた。有無を言わせぬ響きがあって、「お供仕ります」
 と、秀胤は答えざるを得なかった。供回りを、
「猪山平四郎にいたしましょう」
 秀胤は最も信頼する近臣の名を上げたが、
「いや。二人のみで行く」
 秀綱は、秀胤以外の供回りを許さなかった。
 その日は曇り空で、上州名物のからっ風が吹きすさぶ寒い日であった
 大胡城から箕輪城まではおよそ五里の距離である。
 陽が昇ってから大胡の城を出た秀綱と秀胤は、昼前に箕輪城に着いた。ここは先月まで長野業盛の居城だったところである。秀胤も秀綱もともに籠城した城で、その後、落城とともに信玄が支配するところとなり、工藤祐長に預けられていた。後の内藤修理亮昌豊である。
 信玄が内藤昌豊を箕輪城代に命じたということは、いかに上野国を重要視していたかということでもある。
 内藤昌豊すなわち工藤祐長は、後に馬場信春、山県昌景、高坂昌信とともに武田の四名臣と呼ばれる人物である。このとき四十四歳の男盛りであった。かつて、信玄の父武田信虎の勘気に触れ、諸国を流浪したこともある苦労人でもある。
 昌豊には兄がいた。そのため、永禄十一年に内藤の名跡を継ぐのだが、このときはまだ工藤源左衛門祐長と名乗っていた。
 城は至る所で作事や普請の人足が目についた。先の戦で焼けたり傷んだりした箇所を修復している最中で、工藤祐長が自ら指揮を取っているとも聞いていた。
 風の吹く寒い日でありながら、片肌脱いだ人足も見受けられる。忙しく立ち働く人足の間を縫うようにして、秀綱は秀胤と本丸横の、にわか作りの控えの間に入った。そこは別棟になっていて、真新しい木の香りが強く匂った。
 控の間に入ると、すぐに一人の人物が単身訪ねてきた。杜若重の直垂姿に侍烏帽子を被っていた。身分卑しからざる人物であることは明らかだった。
「お!・・・・」
 その人物はすぐに分かった。立ち上がろうとする秀綱と秀胤に、
「そのまま、そのまま。内密でござれば」
 と、制した。
 侍烏帽子を被っていても分かる大きなさいかち頭に細く突き出た顎。その人物こそ工藤祐長だったのである。
 秀胤は、初対面のような感じがしなかった。
 祐長は先の箕輪城攻略戦において、武田家の中で抜群の功績をあげたと言われている。秀胤は秀綱とともに、そのときのめざましい働きぶりを望見したことがあった。それゆえであろう、戦場を駆け抜ける者同士特有の、奇妙な親近感といったらよいだろうか。
 それは祐長もまた同じ気持ちと見えて、
「よくぞ決意なされた。向後もよしなに頼み入りますぞ」
 と、親しみの籠もった言葉をかけてきた。決意とは武田に降ったことをいっているのだろう、と思われた。
 細く長い眉に温厚な眼差しの祐長は、
「ひとつ 穴山信君が預かった上泉城の秀綱への返還」
「ひとつ 上泉秀綱の所領一千貫は安堵」
「ひとつ 向後、上泉秀綱は武田信玄に従い工藤祐長の寄騎となる」
 という、降伏の条件を自ら確認に来たのだった。
 秀綱は降将である。謁見が終わった後で居丈高に申し渡されても文句は言えないのだが、そこはさすがに苦労人らしい祐長の心配りだと思われた。武将秀綱の面目を尊重してくれたのであろう。
「よしなに頼み入ります」
 秀綱は深々と頭を下げた。
 秀胤もそのことが分かるだけに、秀綱に続いて深々と頭を下げた。
 その後、二言、三言言葉を交わしたのだが、信玄の謁見が控えていた。話し足りないのか、祐長は未練を残すような表情で控所から出て行った。
 わずかな時間とはいえ、祐長が謁見の前にこっそり現れたと言うことは、武田家は上泉家を粗略には扱わないであろう、という内意を含んでいる。そのための顔見せであり、
「工藤殿自らお出でになるとは、武田の配慮に感じ入りました」
 秀胤は喜悦の面持ちだったが、
「抜け目のないことよ。向後我らは工藤殿の下知に従うことになるゆえにのう」
 秀綱は憮然とした表情で応えた。
 ――工藤祐長の寄騎となる。
 ということは、この後、合戦の際の信玄からの下知は、祐長を通じて行われる。と、いうことである。
 この場合、工藤祐長を寄親といい、上泉秀綱を寄子という。主従関係ではないが、二人には上下関係が生じることとなる。
 合戦という命のやりとりをする場での関係だけに、今日の職場での上司、部下の関係以上に相互信頼が求められる。そのためにわざわざ祐長の方から、年長であり、戦場経験の長い秀綱に礼容を示した、ということなのであろう。
「とはいえ、こなたの言うとおり、いかにも工藤殿らしき心配りよな」
 だが秀胤は秀胤なりに秀綱へ寄せる武田家の好意を感じていた。穴山信君の説得を受けたとはいえ、
(これなれば、帰順の遅れを咎められることはないだろう)
 工藤祐長の訪問にほっと胸をなで下ろした秀胤だった。
 ところが、案に相違して秀綱、秀胤への呼び出しは、なかなかかからなかった。
 上野国を席巻した信玄は慌ただしい。その合間をぬって、占領地の国人、土豪達を引見し、忠誠を誓う者達には親しく声をかけて所領を安堵する。
(我らもそのようなごく型通りの謁見になるはずなのだ)
 と、少なくとも秀胤はそう思っていた。
(まさか、揉めているのではあるまいか)
 先ほどの工藤祐長との合意がである。
(上泉城か大胡城のどちらか一つを差し出せと言ってくるのではあるまいか)
 呼び出しの遅さに不安が増す秀胤は、やがて落ち着かなくなった。いらいらとしきりに身体が震えてくる。
 控の間に暖を取るものはない。それを寒さのためと思ったのか、
「見苦しいぞ。静かに待て」
 秀綱から一喝されて、ぴたりと震えが止まった。
 やがて、夕刻に近い頃おい、やっと声がかかった。
「お待たせ致しました。ご案内仕る」
 控の間に顔を出したのは、何と穴山信君自身であった。信君は秀綱、秀胤と同じく白重ねの直垂に侍烏帽子姿だった。
「これはわざわざのお越し、いたみ入り奉る」
 秀綱の言には意外の感情がこもっていた。それは決して悪い感情ではなく、先の工藤祐長の訪問といい、降将に対して過分な扱いに対する驚きの感情といったら良いだろうか。 穴山信君はこの年二十五歳、端整な面立ちの貴公子然とした人物だった。母は武田信玄の姉である。ために信任すこぶる厚いという噂であった。そのうえ、近々信玄の娘(後の見性院)と婚姻することが決まっている。武田信玄一途に仕えるこの若者が、後年、武田家を裏切って徳川家康に通ずるなど、誰が予想しえただろうか。
 秀綱が信君に会うのはこれが三度目になる。箕輪落城の折の退去命令の使者、上泉城を訪ねてきての降伏の勧告、そして今日である。わざわざ控所まで足を運んでくれた信君が、秀綱に並々ならならぬ好意を抱いていることを、秀胤も痛いほどに感じていた。
 それはまた、秀綱に対する信君の主人武田信玄の評価とも思われた。秀胤とて悪い気はしない。
 親子ほどに年齢の違う穴山信君に深々と頭を下げながら、
「先々来よりお世話になりまする」
 秀綱は慇懃に礼を述べた。秀胤も続けて辞儀をした。
 主君である信玄が高く評価する上泉秀綱から礼を述べられたことが、よほど嬉しいのか、
「いえ。大儀にござりまする」
 信君は満面に笑みを浮かべ、はにかんだように答えた。内心の嬉々とした思いが伝わってくるようである。足利将軍に自らの兵法を講じた、剣名高き新陰流の秀綱と親しく言葉を交わしている自分が心地良いのだろう。
「工藤源左衛門殿は見えられましたか」
「先ほど」
「工藤殿は戦上手ゆえ、上杉、北条に遅れをとることは夢ありませぬぞ。それがしも深く信頼しておりまする」
「武名はかねがね風の噂に聞いておりました」
 穴山信君はさらに工藤祐長を褒めそやした後で、
「では、参りましょう」
 と、秀綱と秀胤を促して控の間を出た。謁見の場とは回廊で結ばれている。
 廊下に出ると、
「御屋形様は秀綱殿を高く買うておられる」
 そっと耳打ちしてきた。
 御屋形様とは武田信玄のことである。
 秀綱は瞠目したように信君を見た。
 その秀綱を真似るように秀胤も信君を見た。
 笑みを湛えた顔、邪心のない眼、秀綱への好意がはっきりと見て取れる。
 だが、その好意が分かりすぎるくらいに分かるはずでありながら、秀綱はすぐに目をそらせた。
「・・・・?」
 その真意は秀胤には分からない。
「粗相のないように」
 続けて言った信君の言葉は聞いていないように見えた。秀綱は黙って頭を垂れたのみであった。
「参ろう」
 秀綱から一言有ると思っていたのであろうか。予想外の行動を見て、信君は軽い咳払いを一つすると、自ら先に立って歩き始めた。口調も事務的なものに改まっていた。
(義父上は何をお考えなのか?)
 やや下を向いて歩く秀綱の後ろに続きながら、秀胤はその心のうちを図りかねていた。


三 信綱の涙

「上泉伊勢守秀綱殿と子息常陸介秀胤殿にござります」
 取次ぎの者が言上し、秀綱と秀胤は深々と平伏した。
 謁見は箕輪城大広間で行われた。落城の際、ここも火の手にかかっていて、急ごしらえの作りであった。正面に畳が積まれていて一段高くしてある。そこに武田信玄が着座していた。左右に幕下の重臣、名将達が居流れている。皆一様に直垂姿で、円座に胡座を組んでいた。いまは穴山信君も工藤祐長も神妙な面持ちで座っている。
 秀胤には妙な息苦しさがあった。歴戦の武田家宿将が居並んでいる謁見は、それだけで緊張するに充分であろう。しかも真正面には、高名な武田信玄が着座しているのである。 取次ぎの者の言葉でいったん顔を上げた秀綱と秀胤は、それぞれ自ら名乗りを上げた。 その後、秀綱が伺候の挨拶を述べると二人は再び平伏した。
「余が信玄じゃ。どうじゃ秀綱、余とともに京を目指して見ぬか」
「!・・・・」
 いきなりの信玄の言葉に、秀胤は仰天してしまった。
 それは居流れた重臣達も同様だったとみえて、左右にどよめきが起こった。
 秀胤は信玄の言葉を聞いて思わず面をあげたが、父秀綱が伏せているのを見て、慌てて面を下げた。秀綱は左斜め前に平伏している。気になって、秀胤は心持ち顔を上げて、秀綱を盗み見た。
 秀胤が見ると、信玄の親しい言葉を賜りながらも、秀綱は平然としているように見えた。
 やがて、秀綱はゆっくりと面をあげた。それに合わせるように秀胤も面を上げていく。 秀綱は信玄と目が合ったようである。秀胤もはっきりと信玄を見た。このとき信玄は四十五歳、丸い顔に濃い眉毛、鼻梁高く、唇は厚い。入道のために髪はなかった。だが、僧衣ではなく、鼠色の大紋姿がいっそうの重みを感じさせた。
 四十五歳、そのときの養父秀綱は、
〈上州一本槍〉
 と呼ばれ、関東に武名が知れ渡ったのが、まさにその頃であったろうか。
「男盛り」
 という言葉が、秀胤の脳裏をかすめた。そういえば工藤祐長もそれくらいではなかったか。
 炯々と光る眼、それは謁見する者の心の内をも見透かさずにはおかないような鋭さがあった。
(これが噂に名高い武田信玄公か)
 やはり並の武将とは何かが違う、と秀胤は心底から思った。
 だが、秀綱も信玄と目を合わせたまま微動だにしない。
「どうだ、そなた先駆けをせぬか」
 信玄は満面に笑みを称えている。
「有りがたき仰せ」
 そう言って、秀綱は再び平伏した。
「・・・・!」
 秀綱にならって面を伏せた秀胤に、感動がじわりとつきあげてきた。
 いくら降伏したとはいえ、ついこの前までは真っ向から敵対していたのである。
「京を目指す」
 それは秀綱にとっても魅力的な誘いであろうと思われた。いや、全国の大小名達の積年の夢であると言っても過言ではないだろう。
 足利十三代将軍義輝が三好家の執事松永久秀に暗殺されたのは、昨年、永禄八年のことである。爾来、松永や三好一族に対する反感は強い。専横を極める三好、松永の党を打倒し、衰微した足利将軍家を助けて天下を静謐に戻す。全国の大小名にとって、そのことを思わぬ者はいないと言って良かった。誰が真っ先に上洛するか、天下の関心はその一事にあった。
「信玄公なれば、必ずや京に入るであろう」
 実力、衆望、家柄ともに武田信玄は京に最も近い大名の一人と見られていたのである。 そのとき、上泉の旗を翻して、上洛する武田軍の先駆けをする喜び・・・・。かたばみ草の旗を翩翻と翻しながら、武田軍の先頭をきって入京する上泉軍一千余騎。その中央に連戦葦毛の駿馬に金覆輪の鞍を置き、先祖伝来の鎧兜に身を固めた養父の姿、その横に並ぶ自分の勇姿が鮮やかに想像できた。もしそれが実現するならば、それは武将として、男としてなんと至福のときであろうか。
(ああ、このような大きな器量の持ち主と戦ったわしたちが不幸であった)
 後悔の念がじわりと湧いてきた。
 と同時に、よくぞここまで戦ったという満足感もまた噛みしめていた。それはまさに秀綱の武勇あったればこそである。秀胤は改めて養父秀綱を誇らしく思うのであった。
 秀胤のそんな気持ちを知ってか知らずか、肝心の秀綱からはしばらく言葉がでなかった。
 謁見の場を沈黙が支配している。
 不思議な沈黙であった。
 しわぶきの音一つ聞こえない。
 天地が秀綱の言葉を待っている。大げさに言えば、秀胤にとってそんな感じの沈黙であった。
 ややあって、並居る重臣達に再びどよめきが走った。
 始め秀胤にはそれがなぜなのかよく分からなかった。それはそうだろう。秀綱の斜め後ろにいたのだから。
 だが、しばらくして、秀綱の横顔に光るものがあって、それが一条の涙が頬を伝っているのだと覚って、やっと理解できたのだった。
「感動の涙」
 と、それは見えたであろう。事実、秀胤もまた秀綱が感窮まったと思ったのだ。
 さりげなく目を左右に走らすと、穴山信君も工藤祐長の眼も心なしか潤んでいるように見えた。
 信玄の言葉は、過分なといっても良いものである。上州一本槍と称えられた上泉秀綱の武芸をそこまで評価していたのである。降将にそこまでの言葉を掛けることは、まずないと言ってよかった。
 ところが、続いて出た秀綱の言葉は秀胤を仰天させるに十分だった。いや、それは並み居る武田家の重臣全てがそうだったのではないだろうか。
 秀綱の顔は苦渋に歪んでいる。
 ように秀胤には見えた。そして、
「すでに齢五十八にござりますれば、隠居のお許しを願い奉る」
 絞りだすような声だった。
「ち、義父上・・・・」
 動転した秀胤もその言葉を発したまま固まってしまった。
 武将としての秀綱は、また、新陰流兵法の達人としても名高い。長い修行でものに動じない胆力が備わってもいる。それほどの秀綱ゆえに、その言葉を吐くには相当の心の葛藤があったものと思われた。それゆえの涙だったろうか。
 だが、その言葉は静かな水面に大石を投げ込んだような大きな波紋となってその場に広がっていった。それは重臣達の驚愕の表情を見れば十分であった。いや、とうの信玄でさえ動揺していたのではないだろうか。それが証拠にみるみる不機嫌になっていったのである。頬が心なしか上気している。
「年寄りじゃと申すか?」
 今度は、低い、ずんと腹に響く声が上から降ってきた。
 その言葉を聞いて、思わず秀胤は震えあがった。
「はぁッ!」
 つぶれた蜘蛛のように平伏した。それっきり、面をあげられないでいる。
(ち、義父上は何故に信玄殿を怒らすようなもの言いを・・・・)
 目前の板の目を見ながら、秀胤は泣きそうになった。
 信玄は好意を寄せてくれたのである。父の言い方はその好意を踏みにじるようなものではないか。
 盗み見ると工藤祐長は苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。無理もない、わざわざ降伏の条件を先ほど確認までしにきたのである。そのとき、秀綱は隠居の"い"の字も言わなかったのだ。面目を潰されたと思われても仕方のない場面だった。
(このまま下手をすれば、我ら親子、生きてこの城を出られないのではあるまいか)
 秀胤の思いは、悪いほうへ悪いほうへと向いていく。
 だが、盗み見ると秀綱はまったく動じるふうがない。それはさすがに新陰流兵法の達人と思われた。
(肝の座り方が違うのであろうか)
 秀胤には秀綱が信玄と同じく途方もなく大きく感じられるのだった。
「上泉の家は、倅秀胤へ相続を致させ、それがしは城を出て広く諸国を巡り歩き、兵法流布の旅へ出ることをお許し願いあげ奉る」
 秀綱は悠然と言った。兵法流布、すなわち新陰流の剣術を広めるということである。
「兵法流布の旅とな」
 信玄が小さく反芻した。
「馬鹿な」
「気でも触れたか」
 左右の重臣の間からざわめきとひそひそ声が漏れた。
 気がつくと、穴山信君の狼狽振りは特にひどかった。いまにも消え入りそうな顔つきである。無理もない。秀胤とて許されるのならば、この場を早々に立ち去りたい気分だった。
 だが、秀綱としては覚悟の上の申し出と思われた。堂々としてまったくひるむところがなかった。


四 謁見終わる

 武勇に秀でた武将は優れた大名に仕え、己の所領を増やしていく。それは戦国の習いであり、武将としての野望でもあった。仕える主人が大きくなれば大きくなるほど己の所領もまた大きくなる。それゆえ、大名はさらに所領の拡大を目指し、最後は京を目指すのである。そして、信玄はそれが可能だと思われる大名であった。
 にもかかわらず、信玄の好意を断ったことも事実である。
 ――降将の分際で。
 そのとき、明らかに周りの空気は、秀綱に対する好情を完全に失っていた。いや反感が支配的であった、といった方が良かっただろう。
 降した将を次の合戦で先駆けに使うのは、いわば武家の常識である。否やは許されない。仮に京入の先陣でなくとも、断ることは有り得ないのである。にも関わらず、隠居を理由に自らは出陣しないことを断ったのである。
 あまりにも直截な申し出だった。
(日を改めても良かったのではないか。何もこのような場で言うべきことではない)
 と思いながら、秀胤がそっと見上げると、信玄もまた口をへの字に結んで、何事かを考えている様子だった。
「追って沙汰致す。大胡城にて待て」
 吐き捨てるように秀綱に向かってそう言うと、信玄はそのままさっと立ち上がって座を去った。
 信玄を追うかのように、居並んでいた重臣達も次から次へと座を立っていった。工藤祐長も口を真一文字にに結んで、厳しい顔つきのまま座を立った。
 穴山信君のみ青い顔をして、鳥が飛び立つように、次々と座を立つ重臣達を見つめていたが、ふと思い出したように、
「控の間で暫時お待ちあれ」
 と、秀綱に告げると、信玄を追うように大広間を出て行った。
 謁見は終わった。
 秀胤はぐったりと疲れて控の間に戻った。そのまま倒れ込んでしまいそうであった。緊張のために気づかなかったが、下着は汗でびっしょりと濡れていた。
 だが、秀綱に動じた色はない。常のように涼やかな風情であった。
「秀綱殿。気でも触れられたか」
 しばらくして、穴山信君がやってきた。
 その口調は咎める、というよりも不安のこもったものだった。そのうえ、憂いを含んだ顔つきである。
 帰順を進めた信君としては、顔を潰されたようなものである。通常であれば、顔を真っ赤にして怒っても良いのだが、生来の育ちの良さと若さから、信君はどうしてよいのか分からないのだろう。それは秀綱に対する好意が心の奥底にあるからでもあるのだが。
「あれから御屋形様には会えませなんだ。側近く仕える者に聞いたところ、不機嫌を露にそそくさと甲斐国へ引き上げてしまったとか」
「申し訳ござりませぬ」
 秀胤が詫びを述べて頭を下げると、
「今宵の宴も取りやめとなりました。せっかく秀綱殿と語りあおうと思うたに」
 信君は残念そうに言った。宴とは懇親の宴のことであろう。
 謁見の後には、懇親の宴会を催すということがよく行われる。酒は彼我の壁を取り払う便利な飲み物である。信君は宴席で秀綱とさらに親睦を深めようと考えていたに違いない。
 そのうえ、上泉家にとっても、武田家に降った以上、信君だけでなく、他の武将たちとも懇親を深める良い機会なのである。秀胤としても願ってもない機会だったのである。それだけに今日の謁見の結果は残念でならなかった。
 信君は秀綱が動じる風もないのを見て、さらに不安が高まったのであろう。
「御屋形様の好意を踏みにじられたのでござるぞ」
 このままでは済むまい。と我がことのように心配しながら、座を立ったり座ったり、苛々としていた。
 そんな信君と秀綱を、秀胤は見ていられなかった。かけるべき適当な言葉も思い浮かばない。
「これから躑躅が崎館にお詫びの使者を立ててはいかがか・・・・。いや、いや、最早遅かろう」
 信君が一人ごとを言いながら、うろうろする様は、秀胤が見ても滑稽でさえあった。だが、それは紛れもなく秀綱のことを思ってのことなのである。その気持ちは秀胤にも伝わってくる。
 そんな信君に、
「穴山殿。ご造作をおかけした。工藤殿へよしなにお伝えくだされ」
 秀綱は礼だけを述べると、秀胤を促して早々に控所を後にした。
 秀胤は心中で詫びながらもどうすることもできなかった。がっくりと肩を落とす信君がひどく哀れに見えた。
 二人はぱちぱちと火のはぜる篝火の焚かれた城門を出て、まっすぐ大胡城へ馬を駆けさせた。
 すでに酉の刻(午後六時)を過ぎていよう。曇り空で月も星も見えなかった。それはまるで、いまの秀胤の心情をそのまま表しているかのようであった。
 暗がりの中を大胡の城に向かいながら、後を行く秀胤は懊悩していた。
 武田信玄は入京の先駆けをせぬか、と言ったのである。むろん、信玄も秀綱の年齢は承知のはずである。にも係わらず、信玄がそう言ったということは、数年のうちに京を目指すと言うことであろう。
〈人は石垣、人は城〉
 戦国の世を生き抜く武田信玄の思想を端的に表した言葉である。信玄ほど人材を求め、その能力に応じてしっかりと遇した戦国武将は少ない。そんな信玄なればこその秀綱への期待であったろう。
 だが、秀綱はその信玄にきっぱりと隠居と兵法流布の旅を願い出たのだ。秀綱とて熟慮した結果であったことは想像に難くない。
(思いが容れられなかったら、義父上はどうするのだろうか?)
 上泉領一千貫の領民、そして上泉家の縁に連なる者の顔が浮かんでは消えた。
(まさか、再び武田信玄と兵馬を交えることになるのだろうか)
 秀綱は無言でひたすら馬を駆けさせていた。
 闇の中でもある。先を行く秀綱の表情は分からない。聞くのもはばかられる秀胤であったが、幸いに闇の中、道を駆けているのは二人のみである。
「義父上」
 秀胤は馬の速度を上げて横に並ぶと、思い切って秀綱に声をかけた。
「何ゆえに京入の先陣をお断りなされました」
「京入り?」
「信玄公のお言葉でござります」
「京入りとは聞かなんだぞ。京を目指すとは聞いたが」
「えっ・・・・!」
 秀胤は慌てて手綱を引いた。
 秀綱はそのまま馬を進ませていく。みるみるうちにその差が開いた。
 秀胤は呆然として、馬とともにその場に佇んでいた。
 夜風がひときわ冷たく秀胤の心に沁みた。






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