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遙かなるミッドウェー『父からの手紙』後編 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2013年6月30日 15時4分の記事


【時代小説発掘】
遙かなるミッドウェー『父からの手紙』後編
斎藤 周吾


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


【梗概】:
 扶桑映画社に勤務するカメラマンの林定彦は、太平洋戦争のミッドウェー島攻略に、報道班員(従軍記者)として出征するよう、命じられた。太平洋戦争のターニングポイントになった海戦を通して、家族のありようを創作した。


【プロフィール】:
斎藤周吾 (さいとうしゅうご)
受賞歴
 平成20年8月、日本文学館『最後の家康』で、短編部門の審査員特別賞。
 平成20年1月、(財)斎藤茂吉記念館にて、『短歌部門』で、川嶋清一選で佳作。


これまでの作品:
女帝物語−わが子に
血染めの染雪吉野桜

遙かなるミッドウェー『父からの手紙』前編


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【時代小説発掘】
遙かなるミッドウェー『父からの手紙』後編
斎藤 周吾



(三) 海 戦

「総員起こし、総員起こし」
 6月5日未明、眠れぬ頭上に拡声器が響いた。朝食として、『戦闘配食』、が渡された。名前こそ勇ましいが、握り飯と沢庵と塩鮭を竹の皮に包んだ質素な物だ。
 綿に包んで皮袋に入れて大事にしまっていたアイモという米国製の16ミリレリーズを持ち、峰吉を従えて飛行甲板にのぼった。全財産であるリュックサックは峰吉に背負わせた。
 夜は微かに明け始めている。空が曇っている。雲量7〜8、雲高500〜1000。この雲は、我が四隻の正規空母群を敵の偵察機から隠してくれる。神国日本の艦隊を住吉神が守ってくれるのだ。
 冷たい朝風に身震いすると不眠で冷えた体が一気に引き締まり、眠気がとれる。まもなくミッドウェー島上陸だ。思わず、腰の水筒に手をやった時、
「……おかしいな……、艦隊はもう、日本に帰るのかな……」
 北極星が日本よりだいぶ下の厚い雲間に見え隠れする。ずっと左舷に見えていた北極星が、今は反対の右舷の暁の空に、消え入るまいと必死にあらがうように輝いている。日本に向かっているのだ。撤退は攻めるより難しいと言う。士気が落ちぬよう戦闘態勢で撤退するのだろうか。思わず、安心ともつかぬ、気が抜けたような気持に襲われた。
 少尉の肩章に未だ桜花のバッジが着いていない、少尉候補生がすれ違う。人の好さそうな若者をよび止めた。
「今は、機体が軽く航続距離の長い零式艦上戦闘機、いわゆる零戦を発艦させています。次に、爆弾を抱えた重い艦上爆撃機、通称、艦爆を飛ばせる風速10メートル以上を確保する為、風上に向かって速力をあげている所です……。ちなみに、魚雷を積んだ飛行機は、米軍は雷撃機と呼んでいますが、我が国では艦上攻撃機、通称を艦攻と呼んでいます……」
 軽く敬礼し、そう言う返事が返ってきた。
 また、艦爆も、軍艦目がけて降下して爆弾を落とすと急降下爆撃機と呼ばれる。いずれも積載する爆弾の種類が違うようだが、何やらややこしい。
「……あっ……、それから……、すでにご存じとは思いますが、もし、敵の雷撃機が左舷に魚雷を落とせば、空母は反対の面舵(おもかじ)、すなわち右に操舵して回避します。31ノットという速度一杯の赤城と、米軍のMK13航空魚雷の水速は33ノットでほぼ同じなので、右方向に円運動かジグザグ航行すれば悠々と回避できるからです……。空母は用兵上、逆三角で浮くトップヘビーの不安定な形状のうえ、赤城は図体が大きく揺れも大きい。復原力もそれに比例して増大するので、揺れ返しも大きくなります……。敵機が魚雷を投下すれば急激な回避運動をとる為、艦体が遠心力で反対側に相当傾きます。写真を撮る時には十分注意して下さい……」
「……ありがとうございます……」
 よし、これで戦争撮影に臨む心構えが十二分にできた。親切な少尉候補生に、感謝の頭を深々と下げたのであった。
 速力24〜27ノット、何かに捕まっていなければ立って居られない。戦争がないと一度緩んだ緊張を再び戻すのは大変だ。飛行機の発動機音や兵達の叫び声で、昨日までの静けさが嘘のような修羅場になっているのが、余計耳に障る。
 大尉を一番に撮ってあげると言ったが、フラッシュを焚いても暗い。強風で立って居られない。意外に難しい。
 ようやく夜が明ける頃、大尉の操縦する爆撃機の一番機が発艦した。ゆっくりと上空を旋回する大尉機をまたもやカメラに収めたが、暗い。撮らないよりましだ。掩護の零戦九機の後に、大尉の隊長機を先頭に艦爆十八機、全機故障もなく大空に揃うと東南のミッドッウェー島に向け、翼を左右に揺らして合図をしながら、雁の群か魚鱗の陣のような編隊を組んで飛び去った。
 艦船が撃沈されれば、大概、喫水線の低い艦尾から沈む。社長から艦首が最も安全だそうだと教えられ、艦首に向かった。全機、無事に飛び立ったのを見て、甲板の上には仮眠をむさぼる沢山の整備兵が転がって居た。艦首に着くと、整備兵が飛行機の発着時に避難する右舷側のポケットに入った。ここにも、峰吉に精神を注入した班長始め、整備兵らは所狭しと寝転んでいる。彼らを踏まぬようにデッキに立った。
「新型らしい、初めて見る敵編隊が十数機、ミッドウェー島方向より海面近くを接近!……。雷撃機のようだ……」
 拡声器が響く。味方機が飛び立ったばかりなのに、ばかに早い敵襲だ。
 飛び立つのがもう少し遅ければ、甲板に並ぶ攻撃機に爆弾を落とされて誘爆し、赤城が大破するところであった。さすが、世界一の技量を誇る旗艦赤城の整備陣だ。
 直奄機の零戦が邀撃に向かって行く。
「逆光だ、蝙蝠傘を広げてくれ……」
 唐傘しか知らない峰吉は、蝙蝠傘を持つのが初めてのようで、まごついて広げられない。
「こうして広げる……。違う……。私に傘をかけてどうする……。カメラにかけてくれ……。デッキから身を乗り出すから、私の足をしっかりと押さえてくれよ……」
 峰吉に次々と指示をだし、敵機が魚雷を落とす決定的瞬間を逃さぬよう、一つ眼式カメラの望遠レンズを構えた。
「左舷10時、敵雷撃機隊が、三海里先に魚雷を次々に落としました!」
 峰吉が叫ぶ。
「ワー!……」
 夢中でシャッターをきっている時、予想通り右回頭したと思ったら、突然、艦が左回頭に切り替えた。遠心力で艦体が大きく右に傾いた。思わず均衡を失い、危うく防網を飛び越えて海に転げ落ちる所であった。
「何で急に取舵(左操舵)をきるんだ!。危ないじゃないか。命より大事なカメラが壊れるじゃあないか……。安全第一を考えろ!」
 百五十メートル先の艦橋に向かい、思わずどなった。
「整備班長が海に落ちた!……」
 峰吉が叫んだ。防網によりかかって眠る整備班長が、防網の破れた上部隙間から海に転げ落ちたようだ。
「艦橋に知らせて赤城を止めろ…………。赤城はどうして止まらないんだ!……」
 気がふれたように叫んだが、整備兵達は、我関せずと眠るだけだ。
 峰吉はとっさに、浮き輪を投げ落とした。
「きみっていうやつは……。自分を懲らしめた整備班長を救うとは……」
 思わず胸を詰まらせ、峰吉の背後に叫んだ。
「見張り員の手信号を見ると、班長の他に何人かが落ちています。戦闘が終わったら駆逐艦が救助するようです……」
 峰吉は言った。こちらからは見えないが、信号兵が信号灯でも整備班長に知らせている筈だという。
「きみは、200メートル以上も離れている艦尾の手信号が見え、しかも分かるのか?……」
「はっ?……」
 峰吉は、何でそんな当たり前の事を聞くのですか、という目をしている。さらに、
「自分の視力は4.0あります。目だけは良いです。檣頭(マスト)で見張れば、夜の真っ暗闇でも三海里先の艦種は見分けられます……」
「……おお!……」
 感心している場合ではない。魚雷がこちらに向かってくるのだ。
 何でわざわざ恐い魚雷を迎えに行くのだ。取舵を命じた艦長は、敵機の大軍を見て頭がおかしくなったのではないのか。赤城は、六缶全ての蒸気タービンを稼働して最大戦速で航行している。敵魚雷は時速120?の相対速度でみるみる縮まり、三本の魚雷が艦首にいる自分めがけて突進してくる。
「わあ!…… 艦首が一番危ないではないか……」
 三角の背鰭こそ見えないが、鮫に襲われる恐怖に体ががくがく震え、手ぶれしないようにカメラを持つだけで精一杯だ。背鰭が見えないぶんだけ、むしろ恐怖が倍増する。
 ポケットにいる整備兵等は睡魔に襲われ、魚雷がこちらに向かって来るのにあいかわらず眠りほうけている。整備兵と言う奴は、何と冷たい、どうしようもない、ごろつきの連中なのだ。
「ぶつかるぞ……、南無三宝……」
 魚雷は、青白色の雷跡を引いて艦首の両側すれすれに三本が去っていった。近接信管が付いていれば即死であった。
「さては艦長め。敵機の魚雷投下を私に撮らせ、それを避けるかっこよさをカメラに収めさせようと、わざと魚雷に突進したのか!……。功名心の強い悪趣味な艦長だ。それとも、神国日本の艦隊は神に守られているから、平然と魚雷を降伏(ごうぶく)しに行ったのかな……」
 ホッと胸をなで下ろしながら外れた雷跡をカメラで追うと、その先には二隻の空母がいる。
「危ない……、飛龍、蒼龍、逃げろ!」
 とうてい両空母には聞こえないのに、思わず大声で叫んでいた。二本は外れそうだが、両艦が右に左に回避してもどちらかに一本は確実に中る。着弾観測用の複葉げたばき機が宙返りをして魚雷の方向を知らせ、魚雷の上を一直線に飛んで行く。映画用カメラを、赤城の上空を飛び去る観測機に向け、カチャカチャと回して撮った時、観測機が突然、レンズから消えた。
「……邪魔な艦橋だ……」
 シャッターチャンスなのに、機影が、小山のようにそびえる艦橋に隠れたのだ。
「……敵魚雷に体当たりしようと、観測機が海に突っ込んだようです……」
 峰吉が、声を震わした。
「……な……なぜ……」
 茫然とカメラをおろすと、赤城と並走していた二艦とも、急回頭してようやく魚雷を避けていた。大きな水柱が上がらなかったので、観測機体が魚雷に絡み、スクリューか舵を壊して魚雷を沈めたのだろうか。
 観測機は、己がカメラを向けたから気張って突入して死んだのか。そんな事はない。己のカメラを振り向く余裕などないはずだ。そんな事で人は簡単に死なない。
 どん、と思わず座り込んでいた。
「……すみません、大事な蝙蝠傘を海に落としてしまいました……」
 峰吉が謝った。
「あっ!……」
 と叫んだ。
 観測機の捨て身を見て思いだした。左急回頭した時、カメラを海に落としそうになったが、体は宙に浮いたままだった。峰吉が、持っている蝙蝠傘を捨て、身を呈して必死に支えてくれたのだ。
「……峰吉君、きみはどうして艦が左に回頭すると分かったんだ……」
 礼を言うのも忘れて不思議がった。もしやこの少年は、海神の申し子かも知れない。
「あの時、右後方には、別の敵雷撃機隊が飛来して来ました。零戦に撃墜されてしまいましたが、その直前、黒い魚雷を三本落として水柱をあげたのが見えました。赤城が面舵をとると予測し、艦の行き足を計算して十字砲火を浴びせるように、後方に魚雷を落としました。それで赤城は急遽、左回頭したのです……」
 右後方に敵雷撃機が飛んできた事など、全く気づかなかったのだ。
 さらに峰吉は、
「昨夜、霧の中で軽巡長良が異常接近しましたが、小さい長良の方が逆ハの字型に艦尾の方をすり寄せて来ました。尻合わせゆえ、簡単にはぶつからないと分かっていました。あれでぶつけるようでは、長良の航海長は首です……」
 少年のくせに、身に危険が迫っている時に、何と冷静な分析をしたのだ。
 そう言えばあの時、大尉も平然としていた。急降下爆撃隊長ともなると、一身の危険には動じないのだ、と感心していたものであった。
「……きみの家は代々、伊予の大島の漁師だと言ったね……。先祖は、伊予の村上水軍か……」
 このませた少年は、先祖の血がそうさせるのであろうか。
「先祖が水軍と言えばかっこいいのですが、瀬戸を荒らし回った海賊でした……。家は網子で貧しかったのですが、海軍に進みたいと言ったら、網元に、高等小学校までは援助していただきました……。もちろん、その上の特年兵は、授業料や全てが只ですから……」 己のように戦争が嫌いな者も居れば、満州事変以来の長い戦争が、血が騒ぐ峰吉のような少年を作ったのかも知れない。大和魂は、そうやって形作られたのだろう。この少年も飛行機乗りにあこがれた。難関な予科練の試験に落ちて特年兵になったが、夢を捨てきれず、空母に潜りこんだのであろう。
「自分は毎日、目の前を航行する軍艦を見て育ちました……。戦艦が通ると、みんなで授業を抜けだして沖まで泳いで行きました。手を振ると、危ない、近寄るな、と戦艦の拡声器でどなられました……。それよりも先生に叱られ、水の入ったバケツを両手に持って廊下に立たされる方が辛かったです……。実は、戦艦大和の砲手に憧れました。非常手段で乗り込まなければ死ぬまで大和には乗れないと思い、大和に運ばれるハンモックだと聞いて潜りこんだのですが、赤城に運ばれてしまいました……。空母で、最も苦手な機械整備をやらされては、神経衰弱になります……」
 この若者でさえ、未だ、飛行士より、世界最強の超ド級戦艦大和の砲手にあこがれているのだ。
「どこにいても危険は同じです。艦橋にいきましょう……」
「……そうだな。艦首にいても良い映像など撮れないしな……」
 峰吉に海戦を教えられた。さすが、大和に潜り込もうとしただけの事はある。鮫のような魚雷の怖さを肌身で知ったので、素直にうなずいた。船酔いもいつの間にかなくなっていた。船酔いどころではないのだ。艦橋の一部には飛行機の発着艦指揮所もある。
(どいつも、こいつも……)
 ここでも整備兵達は、飛行甲板の下の、格納庫でもある最上甲板上に眠っている。殺されても起きやしないだろう。こいつらの仕事だけは絶対写真に撮ってあげない、と思って飛行甲板に上った。
「ばかやろうめ、敵味方の区別ができないような駆逐艦の砲術長など、首にしてしまえ……」
 ミッドウェー島攻撃から帰還した大尉は、大股で発着艦指揮所にやってきた。味方の駆逐艦から射たれ、危うく撃墜されるところであったという。
「お前たちは間違っても味方機を射つなよ。名誉ある旗艦赤城の砲術陣だからな……」
 怒りのやりばのない大尉は、砲兵に当たり散らしている。
「攻撃機の魚雷を外し、陸用爆弾に切り替えよ」
 突然、拡声器が鳴り響いた。
 これは摩訶不思議。死んだように眠りこけ、魚雷が向かって来ても起きなかった整備兵が、ともすれば騒音でかき消される拡声器の命令一つで一斉に飛び起きた。目をらんらんと輝かせて持ち場に散った。
 整備兵の手際よい作業をカメラに収めるべく、追いかけるように慌てて格納庫に下りていった。戦闘中は司令長官でも艦橋を離れられないが、報道班員だけは自由に動き回れる特権がある。
 撮影中はその場の一員になること。傍観者になるなというのが鉄則である。できるだけ被写体に近づき、屈むか伏せるかして下から撮ると生き生きした動きが撮れる。良い写真には詩情性がある。説明はいらない。兵の息吹を伝えるのが、報道班員である。
 攻撃機から魚雷をはずして弾薬庫に仕舞い、爆弾を弾薬庫から引き揚げて換装している。
「どけ!。邪魔するな!」
 腕に『報道班員』の腕章を付けているが、罵声を浴びせられた。必死に動き回る整備兵は気が立っている。怒鳴られても周りがうるさく、撮影に没頭して聞こえない。ふり返れば、峰吉を怒鳴ったようだが、目は明らかに己を見ていた。
「汗をかいていますよ……」
 見かねた峰吉が、額からしたたり落ちる冷や汗を手拭いでぬぐってくれた。
「……こんな事に気づかう暇があったら、右に避けなれば左を、左は右を。半身避けるのは一つ、体一つ避けるのは二つ、大きく避けるには三つ、私の脇腹を思いっきり突っついて知らせてくれ」
「急ぎ、爆弾から魚雷に換装せよ」
 艦内拡声器が、またもやけたたましく叫んだ。
「了解、只今、爆弾に換装を終了しました」
 整備長が、手際よく応える。
「……違う、敵空母を発見した。爆弾を外して魚雷につけ替えるんだ。もう一度繰り返す。攻撃機の爆弾を取り外し、魚雷につけ替えよ」
 陸用爆弾でさえ八百キロ。九一式魚雷も同じ八百キロの重量と長さ5メートルもある。狭い格納庫内で、数人がかりで動かすのさえ骨がおれる。誤って落として爆発すれば、赤城は一瞬にして沈んでしまう。たった今、魚雷を下ろしたばかりなのに、またもや、魚雷をつけ戻せというのだ。
「司令部は一体、何をしているんだ。我々は奴隷では無いぞ。うまい物ばかり食って高枕で寝る司令部の連中は、たかが整備兵と思って我等の苦しみなど屁とも思っていないんだ。どうして直ぐに飛び出せる艦爆を出さないんだ!」
 普段は黙々と、忠実に走り回る整備長は怒りだした。
 爆弾や魚雷を積む飛行機が飛行甲板にぎっしり並んでいる。軍事にうとい写真屋でも、今、敵に攻撃されれば大惨事になることぐらい分かる。
「お前たちは整備しているだけで善いだろうが、命を張って敵と戦うのは俺達だ。つべこべいわずにすぐやれ。命令だ!」
 飛行長の大声で、伝声管が破れそうであった。
 整備長は、あわてて走った。
「どうして艦爆を飛ばさないのですか」
 発着艦指揮所に行って、飛行長に聞いた。
「相手は商船ではなく軍艦だ。急降下爆撃は体当たりしない限り、命中率が悪い事は戦争に突入してから実証済みだ。陸用爆弾では、800キロあっても弾殻が薄い。米空母甲板の厚い装甲を貫くことなどはできない。精々甲板に穴があくか、めくれるだけだ。敵艦は対空砲火も強化している。マレー沖海戦の英国戦艦のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを見よ、仕留めたのは爆弾ではなく、一式陸攻の魚雷だ。戦艦の装甲を持つ赤城でも、喫水線下に魚雷が一発でも当たれば、一分以内で沈む轟沈だ」
「その前に、わが空母を敵機が襲って来たらどうするのですか……」
 なおも食い下がると、
「……では、逆に、敵機が襲って来なかったらどうなのだ。赤城の周りを旋回している世界最強の虎の子の零戦は、艦爆の発艦の為に着艦できず、全機が燃料切れで海に落ちる。直掩する零戦なしの丸裸の爆撃隊は、敵の空母に到達する前に、全て、グラマン戦闘機の餌食だ。連戦連勝の快進撃している時に全ての飛行機を失えば、ばかかあほうかと言われ、司令部は全員、首だ。予備役編入だ……。いや、自決を強要される。まずは零戦を収容するのが先だ。その間に魚雷への換装ができる」
 今まで負け知らずの常勝軍が、お祭り騒ぎ同様に進攻した今回の作戦だ。零戦を海に落として勝っても飛行戦力は大きくそがれ、飛行機乗りの突き上げを食って赤城の司令部は左遷される。敗れても、GF(連合艦隊)司令部は理解して同情してくれる。
 この性情こそが日本軍の強さの根源であり、切所での弱さであった。
「……ああ……」
 それを理解できる己もまた、日本人の一人であったのだ。
 
 敵空母を発見してから2時間が経っていた。
 敵の空襲はない。まもなく攻撃機が飛び立つ。
 飛行長の言った通り、戦争を職業とする司令部の、ぎりぎりのヨミは正しかったようだ。うぬぼれかも知れないが、カメラを向けると、整備兵の動きが更によくなったのも一因かも……。
 じりじりとしたが、ほっと胸をなでおろした時、
「敵雷撃機の大軍が、海面すれすれに襲来!」
 飛んでいる零戦からの報告であった。
 見張りの兵も水平線の彼方から敵機の大軍が襲来するのを報告した。整備兵の必死の作業で、ようやく、ぴかぴかに磨かれた魚雷に換装し終わろうとしている時であった。
 敵は攻撃のタイミングを図ったように、最も恐れている時に来襲したのだ。
「ほいほい……。来たか……」
 飛行長は唇を真一文字にぎゅっと結び、苦笑してつぶやいた。極限状態になって観念した笑いだ。
「上空の直奄機は全機、敵雷撃機を邀撃すべし」
 上部にある艦橋から、中段の発着艦指揮所に命令が来た。
「未だ雷装中です。今は魚雷数発より、急降下爆撃機の爆弾一発の方が恐い。艦爆迎撃用に、数機、上空に残したい」
 飛行長は言った。
「急降下爆撃機襲来の報告はない。来れば対空砲火の備えがある。急降下爆撃より魚雷が恐いのは海戦の常道だ。大軍で囲まれ、赤城に向かって魚雷を四方八方から投下されたら、一発は確実に命中する。全機、敵雷撃機を邀撃せよ。命令だ!」
「……了解……」
 最上階にどんと鎮座する司令部に命令と言われれば、飛行長は従わざるを得ない。
「飛行機という三次元戦域の時代に入っているのに、司令部は二次元の水雷屋の発想から抜けきれない……。さきほど、からくも魚雷をかわしたのがトラウマになって魚雷の恐怖に取り憑かれ、三次元戦域への思考転換ができないのだ……。いや、時間との戦いでもあるから四次元戦域だ……」
 飛行長は鉄柱を思い切り蹴り上げたが、つま先を痛めてうずくまった。
 零戦が、敵雷撃機を全機撃墜したと叫んだ時、真っ黒い物が上空の雲間から現れた。
 来ないはずの、運命の、三機の飛行編隊が現れた。
 上空は、がらあきだ。
 時計を見ると、日本時間で6時55分、現地時間は9時55分。
 三角形に編隊を組む姿は、初め、海の上を飛ぶ三羽の雁と思った。雁なら夜明け前の暗い内に飛ぶのが普通だ。良く見ると翼が動いていない。飛行機だ。
「敵の急降下爆撃機か……。いや、味方の零戦が帰って来た……。グラマン戦闘機でさえ零戦を見ると隼に襲われた雀のように震え上がる。それなのに、鴨が葱を背負って来るように、戦闘機の護衛なしで、鈍重な爆撃機がのこのことやって来るはずがない……。それもわずか三機で……」
 飛行長は、空を見あげてつぶやいた。
「……零戦ではない、敵機だ。SBDドーントレス急降下爆撃機だ……。高角砲、射て!」
 飛行長が砲術長に叫ぶと同時に、低空にいる零戦に、急ぎ戻って迎撃するよう命じた。 射撃命令を出すのは砲術長だ。射った責任を取るのは飛行長ではなく砲術長である。さっき大尉が味方から射たれた、とかんかんに怒って帰ったので、砲術長は慎重である。友軍機を誤射すれば、赤城に同乗する特権階級の飛行士連中からつるし上げを喰い、それこそ精神注入棒ものだ。
 頭でっかちで水兵尾翼が富士山の形をしている。零戦とそっくりなのも迷う一因だ。先頭の一機が急降下し、発動機音と機体識別表示を見て初めて敵機と確認した。
 砲術長はようやく射撃命令を出した。続いて砲座にいる中隊長の指揮棒が振りおろされると、味方の十二サンチ(?)高角砲十六門がまず火を噴いた。
 全くあたらない。歓迎の花火をどかどか打ち上げているようなものだ。
 先頭の一機が急降下してくると、体は、わけもなくぶるぶると震える。
(落ち着け、ゆっくり落ちついて撮らぬと、映画館で客が見ても分からない絵になるぞ) 自分に、必死に言い聞かせた。
「米兵など臆病で、急降下爆撃など子供だましだ。死ぬと分かって急降下して突っ込んでくる米兵など居ない。我等の大和魂が恐いのだ。それ見ろ、あんな高い所から爆弾を落としてやがる。止まったマトに当てる流鏑馬(やぶさめ)でさえ難しい。それが大きく揺れる空中ブランコにぶらさがり、下を駆け回る蒲鉾板のボード目がけ、ヘソにくくりつけたダーツを落下させる曲芸のようなものだ。あの爆弾は当たらない」
 飛行経験豊かな飛行長が大声で笑った。飛行長は、対空砲火陣を落ちつかせようと思って叫んでいる。今の言葉で自分も落ちついてきた。
 今度は、二五ミリ二連装機関砲三十門が、1000〜3500メートルという有効射高内に急降下する敵機が入ると、キャンキャンと一斉に射ち始めた。曳光弾の火箭が大空に直線を引いてゆく。二十サンチ以上の大砲を射つ時は大きな太鼓を叩くようで耳栓は必要としないが、高角砲と機砲のつんざく音は、耳に綿栓を二重に詰めても錐で刺されるように痛い。
 陸上なら、真上に射って中らなければ射った所に破片が落ちて来るが、30ノット以上という、汽缶が壊れるほど一杯の全速でジグザグや円運動している赤城は500〜1000メートル進む。落下する恐れはない。だが今は攻撃機を飛ばす為、風上に向かって全速で直線航行をしているのが不安だ。
 一機目の爆弾が、飛行長の言った通り、離れた海面で間欠泉のような水煙を高々とあげている。やはり、米兵は戦争が恐いのだ。米兵の恐怖を見て、幾らか落ちついた。厚い雲が邪魔をして敵機がよく見えない。
 二十サンチ以上の砲手は有能な者が選ばれる。戦時下の航空機時代に入り、対空砲火を一斉に強化した為、十二サンチ高角砲や二五ミリ機関砲という小口径砲は、補充された未熟な砲手に射たせている。隊長と射手の目は違う。素早く動く敵機に、爆弾に予想炸裂点を設定する時間がない。開戦以来、名機零戦に守られ、艦爆に襲撃された経験もない。
 対空砲火はうなるが、初めて鴨射ちするようにあがってしまい、恐怖で盲射ちをしているから当たらないのだ。何が帝国海軍軍人は精鋭だ。何の事はない、己と同じく臆病じゃないか。
 耳栓なしでも平気な峰吉だ。こいつらより、勇敢な峰吉を射手にすれば撃墜できるだろうに、と思わず、くやしげに敵機を見あげる峰吉を振り返った。
 夢中で射つ砲手を撮りたいが、映画館で映像を流しては彼らが傷つく。その前に検閲でボツになる。彼らにカメラを向ける事には気が引けた。飛行甲板で、きびきびと懸命に動き回る整備兵を写した。
 二機目は、一機目の失敗を学んで微調整してきたが、からくも至近弾で外れた。空中にいる敵機はもう、一機しか残って居ない。高高度から爆弾を投げ捨てて逃げても分からないのに、ご苦労なことに、最後の敵機は向かってくる。複座だから操縦士は独断できないのか。
「前の二機より遙かに切れが鋭い……。良い位置に着けた。こんどは危ない……」
 側で、飛行長がつぶやいた。
 太陽を背にして急降下してくる。一瞬後、対空砲火が鳴り止んだ。どうして射たないのだ。弾がなくなったのか。突然、敵機が煙の尾を引き始めた。零戦がようやく駆けつけて射ったのだ。敵雷撃機隊の逆放射状攻撃の為に零戦隊はバラバラにされていた。零戦の上昇力は6000メートルまで8分弱。水平に飛んで来ても2〜3分はかかる。対角線上を飛びあがるので、敵機に接触するまでその倍の時間がかかった。
「零戦よ、よく来てくれた。これで助かった……」
 喜んだのも束の間、敵機が、空中でホバリングして止まっているように見えた瞬間、プロペラと翼の前端が見る見る大きくなってくる。零戦から逃げられないと思い、どうせやられるならと真っ直ぐに体当たりして来るのだ。零戦からは、赤城に中るから上から下に射てない。零戦に中るから対空砲火も射てない。高角砲陣が、零戦よどけ、と叫んでも、その間の時間は秒単位だ。間に合わない。敵機の発動機音がどんどん高鳴ってくる。
 望遠のファインダーを覗くと、急降下爆撃機の操縦士は、自分の照準器に写る己のカメラに向かい、目を大きく剥き、敵愾心を露わにして何か叫んでいる。
 いや、違う。敵は口を大きく開け、笑っているのだ。
「……やや!、ヤンキーは、カメラを向けると戦闘中も敵のレンズに向かい、笑うポーズをとるのか……」
 茶を摘む若い女達と同じ笑いか。悪魔の笑いか。断末魔の笑いか。
 突然、ダーツのような黒い物が敵機の胴体から離れ、飛行機と並んで落ちてくる。見る見るダーツだけが、頭上に吸いこまれてくる。
「1……2……3……」
 と数えた。
 人一倍臆病だが、もう、恐さも忘れてカメラを覗いている。心は集中し、手ぶれしないよう脇をしっかりと締め、変化に応ずる為に肩の力を抜き、躍動感をだせるよう体は緩ましている。目はファインダーに釘付けにされ、落ちてくる爆弾にフォーカスされて動けないのだ。
 頭上から爆弾が降ってくるのに、飛行甲板にいる整備兵達は逃げようとしない。一機でも早く飛ばそうと懸命に走り回っている。ようやく攻撃隊の隊長機の一番機が飛び立ち、二番機の攻撃機が発進した所であった。
「7……8……」
 そこまで数えた時、時計は現地時間の10時24分。
 運命の爆弾が一発、魚雷や爆弾を抱えた攻撃機で混雑する飛行甲板に命中した。
 魚雷を抱えた二番機が、直撃弾の爆風によって、滑走の途中で吹き飛ばされた。抱えている800キロ魚雷が大爆発すると、待機する艦攻や艦爆共々、魚雷や爆弾が次々に誘爆した。
「わあ!」
 体が突然、マンドレットに叩きつけられ、さらに爆風の吹き返しを受けた。
 峰吉が抱きついてきた。彼の目は爛々と光り、口を大きく開けている。抱きついたまま離れない。何だかんだ言ってもまだ子供だ。やはり恐いのだ。と己の恐さも忘れて思わず苦笑した。
 この期に及んで自分は苦笑している。先程、ミッドウェー島に飛んで行って被弾し、帰れないと思うと滑走路に駐機する敵機に体当たりした零戦がいたと言う。今まで側にいる人が余りにも多く死ぬと、死ぬという感覚が麻痺してしまうのかも知れない。
「敵操縦士の笑い顔を撮れたのは特ダネだ。此度の戦争が終われば、米国のピューリッツァー賞を貰える。私は世界的に有名なカメラマンになる。ミッドウェーに来た甲斐があった。ばんざーい」
 興奮のあまり、感激の雄たけびを上げていた。
「もう敵機は居ない、手を離して大丈夫だ……」
 なおも、峰吉に言った。
 眼鏡が吹き飛んでモノが見えない。それでも目を凝らしてじっと見つめると、峰吉の首から下がない。それでも不思議そうに、目を見開いたままじっと己を見ているではないか。周りは血の海だ。自分は寝転びながら峰吉の首を持っているのだ。
 いや、峰吉は私を庇おうとして楯になってくれたのだ。絶命して可哀想だと思うと同時に、自分は報道班員だ、カメラマンだ。発表するしないにかかわらず、鬼になって写真に収めてやるのが峰吉に対する最大の供養だ。特年兵の若い峰吉でも、大和魂をもって立派に国に準じたのだ。己もやはり日本国民だ。早く、早く写真を撮らなければ、と焦るが、体が動かない。足を出そうとするが、足も動かない。
「……ああ 両足がない……」
 みれは、己の両足はなく、腸が飛び出て鉄床一面に広げている。辺りが真っ黒い煙に包まれても苦しみがなく、涙もでなかったのは、意識が遠ざかっていたからだ。
 艦内では魚雷や爆弾が次々と誘爆し、格納庫の揮発油にも火がついた。加賀、蒼龍の空母も燃えている。間もなく赤城も沈む。
「これが、神州不滅の、無敵艦隊なのか……」
「おーい……、報道班員……、報道班員はいるか。赤城から退艦するぞ……」
 がなりたてる、大尉の大声が、もはやほとんど聞こえない。
「これを……。このカメラを、会社に……。田鶴子……定子……」
 渾身の力を振り絞る、最期の言葉であった。
 カメラとリュックサックが吹き飛ばされないのは、せめてもの天祐であった。被弾すると思った峰吉が、冷静に、鉄壁の隙間にカメラとリュックサックを押し込んでいたのだ。直後に身を挺して林を庇ったが庇いきれなかった。
 火傷した大尉は、林と峰吉に最敬礼し、部下の肩を借りて去った。
 不沈空母とうたわれた赤城はもう、多くの英霊を乗せる棺桶と化していた。


 
(四) 海ゆかば
 

 内火艇で運ばれる大尉は、海に停止した軽巡長良に乗り移る順番を待つ間、思いだしたように林のリュックサックからナナカマドの苗木を取り外し、水筒に入れた。
「苗木を水筒に入れて、どうするんですか……」
 側に居る、あの、少尉候補生が不思議そうに聞いた。
「林さんが語っていた……。社長からナナカマドの苗木を分けて貰い、林さんの借家の庭にも植えた。奥さんが、可憐な白い花を早く咲かせようと懸命に育てているそうだ。せめてナナカマドだけでも、ミッドウェー島に漂着させてあげたい……」
「……日本はどの方角ですか?……」
 島陰の全く見えない大海原で、少尉候補生は、大尉にけげんそうに聞いた。
「……今は正午近い太陽の高さだ。回帰する太陽の位置は丁度南中しているように見えるが、ここより3度ほど南にある……。日本のある西は、帰って来いよとなびく、波の流れる方角だ……」
 大尉は天測し、波の流れて行く方向が日本だと言った。
「……そうですよね……、それなら、流せば東のミッドウェー島には行かず、西の日本に向かって行くではありませんか……」
「……今は東の風、風速5メートル、風力3の軟風だ。水面の波は、吹く風によって引き起こされる逆波だ。この海域は北太平洋海流と言って、東のミッドウェー島方向に流れている。水面の波は西に向かうが、水筒は波に従わず、とうとうたる大海流に乗って東に流れてゆく……。今の若い者には攻撃の為の天測航法は教えるが、海に落ちた時の漂流教育はしていないようだ……。嘆かわしいことだ……。生死にかかわる事だから、しっかり、風向・風速・海流・漂着できる諸島の位置や方角を頭に叩きこんでおくように……」
 大尉は、ナナカマドの入った水筒を、そっと流した。
 大尉は動き始めた長良の艦上から、東に流れ去るナナカマドに、祈るように敬礼したのであった。
「大尉は、非情で恐い人だとばかり思って居ました。本当は優しい人なんですね……」
 暑い南の太陽のもと、少尉候補生の目から熱いものが流れ落ちていた。
 
 この海戦の結果は、投入した日本海軍の主力空母四隻の全てが沈没した。米海軍は三隻待機した空母の内、翌々日潜水艦によって撃沈されたが、一隻大破のみであった。
 人・士気・物を総合した戦力損耗2乗の法則からすると、4隻の2乗:1隻の2乗、すなわち16:1。日本は米国の16倍の損耗を被った事になる。小国日本にとり、一度でも負けてはならぬ海戦であり、余りにも大きい損耗であった。ミッドウェー島を占領し、ハワイを攻める勢いを見せて休戦講和に持っていくという目論見が、この敗戦によって完全に失われ、日本の勝ちは永遠に閉ざされた。
 人の意志は、損耗2乗の法則を超越する。戦いの勝敗は常に、損耗の多寡より戦場に居残った方が勝ちである。ミッドウェー島占領部隊である戦艦大和始め後続部隊は撤退した。この海戦は、GF(連合艦隊)司令部が完全な敗北と認めた証しに、本海戦に参加した水兵達は、敗戦の秘匿保持の為に上陸禁止となり、南方方面に回された。ますます士気を損耗させる結果でしかなかった。
 大本営海軍部は、陸軍出身の東条英機首相にさえ、この敗戦を隠蔽した。
「海軍からは、何の報告も受けていない……」
 東条閣下も、他国からは絶対に理解されない、極めて日本的に処断したようだ。
 これが、和を貴ぶ日本軍の弱さであり、日本軍の強さでもあった。
 この敗戦以降、国家としての戦争戦略遂行機能を失い、いたずらに米国の損耗戦に引きずりこまれていくことになる。
 林の撮った写真は現像もされず、海軍倉庫に厳重に封印保管された。東京空襲か戦後のどさくさで、行方知れずになったという。
 
「大本営発表……。敵根拠地のミッドウェーに対し、猛烈なる強襲を敢行し、敵空母二隻を撃沈した。我が方の損害は空母一隻を失い、同一隻大破、巡洋艦一隻大破した。今次の一戦において、米国の航空母艦勢力を殆ど零ならしめ、太平洋の覇権の帰趨、全く決した」
 5月8日の珊瑚海海戦は即日発表した。ミッドウェー海戦は、6日後の6月11日の新聞に、前日10日の午後三時三十分、大本営陸・海軍部の発表があったと載った。
 勇ましい軍艦マーチと共に、例のごとく、報道課長平出英夫大佐のラジオ放送であったろう。
 
 
 夫の戦死の報を告げられた田鶴子だが、四十九日の忌が明けても未だ仏壇を置く気にはならない。
 夫の出征と共にしつらえた神棚に、夫の遺影を安置していた。停車場の昇降台で、みんなで撮ったのを夫だけ引き延ばした写真であった。妻を見つめる夫の横向いた写真を見れば見るほど、悲しくなる。あたかも、日本に写真機が入った頃、異国人に写真を撮って貰う時、魂を吸い取られないよう、横向いて撮ったのと同じ格好だ。
「……もしや……、写真の私の微笑が、夫の魂を奪って戦死させたのではないだろうか……」
 田鶴子は丙午(ひのえうま)年生まれだ。
 夫を食い殺す丙午の女、と前夫に罵声を浴びせられた事が、離婚する直接の引き金となった。
 生まれた年月など一生変えられない。
 前夫も再婚したが、今年のフィリピン進攻作戦で戦死していた。
 手許には、もう一枚の写真がある。
 停車場の乗降台で、出征する夫が部下からひったくるように写真機を奪い、田鶴子だけを急いで撮った、夫の気迫の籠もった写真であった。社長が、故人の意思を継ぎ、展示会に田鶴子の微笑の写真を出したいと言ったが、拒み続けていた。私の微笑する写真を人様の前に出せば、二人の夫を殺して微笑している、とどれだけそしられるか分からない。
「お父ちゃん、いつ帰ってくるの……」
 写真を見つめる母に、娘の定子は尋ねた。
「……何度も言ったでしょう……。お父ちゃんはもう帰って来て、写真の中にいるのよ……」
 神棚には、夫が呉軍港から定彦自身に宛てた手紙が供えてある。
 恐くて、今まで封を切る事ができなかった。
 間もなく子が生まれる。ついに意を決し、手紙を神棚から下ろして封を切った。
 
《私が死んだら読んで下さい。田鶴子、定子、真木(男女どちらが生まれてもよいように付けました)。お父ちゃんは今、広島の呉軍港の旅館に泊まって居ます。明日早朝、柱島に停泊する空母赤城に乗りこみます。お父ちゃんは昨夜、定子ちゃんを抱いて一晩中泣きました。定子ちゃんはあの時、お父ちゃんは涙を出しておかしいなあ、と言って笑いました。それでお父ちゃんは安心して定子ちゃんと別れて来ました。お父ちゃんの気持が分かるのは、これから十年、二十年の遠い遠い先でしょう。残して来た本はみんな定子ちゃんにあげます。定子ちゃんは字を習って一日も早くこの手紙を読めるようによく勉強して、お父ちゃんにお便りを下さい。お父ちゃんは、お母ちゃん定子ちゃん真木ちゃんをとても大切に思っています。お父ちゃんは、涙が一杯になって字が見えなくなりました。苦しくなってもうこれ以上書けません。家族に出すよう艦隊から配られた便箋の表裏に書き、余白もなくなりました。悲しみが極ると笑うしかないのです。悲しみに耐えてつくる笑顔が最も美しいのです。定子ちゃんは美しく笑う気持をいつまでもずうっと大切に持ち続けて下さい。写真屋は人を笑わせて撮るのがお仕事です。お父ちゃんは日本人として立派にお勤めを果たし、自分を笑わせて誇りをもって死んでいきます。定子ちゃんも、人の苦しみや痛みが分かる立派な大人になって、誇りをもって生きて下さい。これから後は、お母ちゃんに語って貰いなさい》
 
 手紙の文字は、夫の落とした涙でところどころ滲んでいた。その上に新たな涙がしたたり落ちた。
 突然、あの、南部桐下駄の足音が聞こえてきた。
 田鶴子は憑かれたように立ち上がり、大きなお腹を抱え、急いで玄関の戸を開けた。
 静かに笑うかのように、南風がかたかたと戸を叩いているだけであった。
「私は、お母ちゃんという素晴らしい女性と結婚し、定子というかわいい子も得た。新しく子も生まれる。お母ちゃんには申し訳ないけど……、男として父として、人生最大の幸福を味わった。夕べ泣いてすっきりした。もう思い残す事はない……。お母ちゃんや子供達の為に、死ぬ覚悟がようやくできた……」
 出征の朝、夫が、唇に微笑を湛えながら残した言葉を、かみしめていた。
「私はもう嘆かない……。私は負けない、私は男勝りの丙午だ。私は生き抜く。この戦争を絶対に生き延びて見せる……。定子が結婚して子供を持ち、この手紙が分かるようになるまで……。それに……、夫の忘れ形見の為に……」
 庭の隅に植えてあるナナカマドの葉が、微かな南風に揺れる。小さな風が体中を暴風のように大きくなって駆け巡り、やがて、東の太平洋の遠い島の方に吹き抜けていった。
 大きなお腹をかかえながら、いつしか、唇に微かな笑みを浮かべていたのであった。
                                         

                                       了   
 
 


 参考文献
 牧島貞一『ミッドウェー海戦』河出書房新書
 東京在住、源氏物語講師、『父からの手紙』より
 中田整一『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津夫自叙伝』講談社文庫
 千早正隆『連合艦隊興亡記』中央公論社
 秦郁彦『太平洋戦争航空史話』中央公論社
 朝日新聞
 東京日日新聞(現在の毎日新聞)





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