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薩摩いろは歌  幕末編21 薩長盟約 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2013年8月11日 8時22分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌  幕末編21 薩長盟約
古賀宣子



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概・薩長盟約
 慶応元年九月十六日、将軍家茂は大坂城から二条城へ。長州藩征討の勅許を得るためである。一度伏罪した長州藩に罪はないと征討勅許阻止へ動く大久保一蔵。薩長盟約に向けて、薩摩藩による布石が着々と打たれていく。 


作者プロフィール:
ひっそり年金暮らしの老夫婦。


これまでの作品:
薩摩いろは歌 幕末編1 口上
薩摩いろは歌 幕末編2 率兵上京に向けて
薩摩いろは歌 幕末編3 時に到りて涼しかるべし
薩摩いろは歌 幕末編4 久光入京
薩摩いろは歌 幕末編5 寺田屋事件 
薩摩いろは歌 幕末編6 舞台裏  
薩摩いろは歌 幕末編7 勅使東下
薩摩いろは歌 幕末編8 無明の酒
薩摩いろは歌 幕末編9 極密献策
薩摩いろは歌 幕末編10 外交初陣
薩摩いろは歌 幕末編11 中川宮朝彦親王
薩摩いろは歌 幕末編12  戦端
薩摩いろは歌 幕末編13  戦禍
薩摩いろは歌 幕末編14 八月十八日政変
薩摩いろは歌 幕末編15 生麦事件の総括
薩摩いろは歌 幕末編16 西郷召還
薩摩いろは歌 幕末編17 元治国是会議
薩摩いろは歌 幕末編18 長州藩処分問題
薩摩いろは歌 幕末編19 藩政改革
薩摩いろは歌 幕末編20 薩摩藩の周旋運動  



               
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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌  幕末編21 薩長盟約
古賀宣子



一 至急上京の報

 英国から帰国したばかりの長州藩士伊藤俊輔と井上聞多が、薩摩藩士と称して長崎に現われたのは慶応元年七月。六月下旬より長崎に滞在していた小松帯刀と会談し、薩州買入れの名目で、武器と軍艦購入周旋を依頼した。
 時はそれより以前の四月二十五日。家老島津伊勢、内田仲之助等が着京するに及び、小松帯刀は西郷吉之助と坂本龍馬を伴い、胡蝶丸で大坂を発ち、五月一日に帰藩した。
 それぞれ多忙な身だが、一蔵と吉之助は一日だけじっくり話し合う機会があった。
「長州再征に出兵拒否の藩論をまとめねばならぬ」
「拙者は二十一日に発つ予定だ」
 今年になって二度目の入京である。それまでになんとか一つになっておればと希望を述べた。
 別れ際、吉之助が源助からの伝言を思い出す。
「名を徳三に変えたと挨拶にきた」
「何かあったのか」
「加世田屋からの命令らしい」
 加世田屋は川内川渡唐口にある廻船問屋だ。順聖院と黒田長溥の息がかかった店であることはあまり知られていない。その加世田屋手代の弥助も八兵衛に変えたとも。黒田家の内紛と関わりがあるのではないかと吉之助はつけ加え、そして・・。
「月形洗蔵の身が」と呟いた。
「拙者は博多までは陸路を参るゆえ」
 筑前の状況を探ってみよう。そう約して二人は別れたが、途中一蔵が得た情報は、筑前の内紛どころではなかった。
 幕府が長州藩征討のため、五月十六日を期して将軍が進発することを布達したという。「不容易企」すなわち、朝敵である長州藩が、禁止されている貿易を企てているというのが征討の理由だ。
 つまり「武備恭順」の藩論のもと、外国からの銃砲購入の道を探るなどして抗戦の姿勢を強めていることを、幕府が知ったのである。
 一蔵は直ちに出京を促す書簡を筑前より吉之助へ送った。一蔵の入京は閏五月十日。十三日遅れて岩下佐次右衛門とともに吉之助も入京。
「大番頭昇進おめでとう」
 決まったのは、一蔵が鹿児島を発った後のことである。
「役料高は」
「一八〇石・一身家老組となった」
 しばし二人は沈黙を噛み締める。交わす言葉など何も要らない。それぞれに濁流を必死で泳ぎきってきたという感慨が胸を塞いでいた。
「薩摩藩一藩だけでも」
 ふたたび吉之助が口にした言葉は私のものではない。
 一蔵は強く頷き、あとをつないだ。
「天朝を護り奉り、皇威を海外に光り輝かせるような大策に着眼する以外に道はない」
「おはんが発って間もなくじゃった。土州浪人の中岡慎太郎が参ってのう」
 薩長協和を説き、下関で木戸貫治と名を変えた桂小五郎と会うことを勧めたという。その旨は木戸にも伝えてあるとも。
「薩摩藩の考えを嗅ぎつけたか」
「判らん。が、禁門の変後、潜伏していた木戸が四月末に帰藩し」
 藩首脳部に加わると薩摩藩との関係改善の模索が始まったようだと吉之助。
「武備恭順」を唱える長州藩首脳部にとっては、現実問題として外国からの武器調達が急務であった。だが、交戦した英仏米蘭は長州への武器販売を禁じており、また「朝敵」の立場では幕府の掣肘を受けざるをえず、自藩名目では入手困難な状況にある。
「仲介役こぅて出たちゅうこっか」
「とこいが、佐賀関でおはんの至急上京を促す報に接し」
 下関寄港を取り止めたという。
「木戸の心証を害しただろうが」と声がくぐもる。


二 叢裡鳴虫

 六月になって、徳三と名を変えた源助が現れた。
「井上石見様から預かって参りました」
 それは岩倉具視から密かに託された時事意見書である。
「乙丑仲秋叢中有鳴虫」と自筆で題された所謂世に知られた「叢裡鳴虫」で、小松帯刀と大久保一蔵にみせて意見を聞きたいといって渡したものらしい。
 三月に京都を発つ前に、一蔵は岩倉具視への手紙を徳三に託している。一蔵はそこに、今の朝廷に必要なのは岩倉様の存在ではないかと小松帯刀と話し合ったことを記したのだった。
 孝明天皇が久光に意見を求めた二十一カ条の質問書で率直に感じたことだが、勿論そのことには触れていない。一蔵の文面から二人を名指ししたに違いない。
 この長文の意見書の主要な論点は「今日の急務は確固不抜の廟議を定めて天下の人心を収攬するに在り」と指摘している点である。
 そのためには将軍が和宮を江戸から呼んで二条城を居城とし、日々参内して天皇との君臣の関係が「水魚の如く」密接であることを天下に示す。そして先ず朝廷と幕府が施政の大綱を起案し、ついで諸藩主を招集した上で、諮問して意見を上奏させ、最終的に天皇が裁可して、国是を天下に布告する。この国是決定の制度によって、確固不抜の廟議が定まり、それこそが真に「万機一途に出る」体制になると・・。
「こや、昨年四月以降の庶政委任体制を踏まえての発言だが、岩倉様はこん体制に満足しておられぬ」
「幕府の長州藩征討方針が、朝廷の意に適うものではないとの認識がおありです」
「有力諸藩も反対しておるゆえ」
「幕府が悪用していると」
 だから岩倉具視が理想とする体制を創るために、薩摩藩に尽力を頼むというのである。 数日おいてさらに小松と一蔵宛ての「続叢裡鳴虫」(原題「叢鳴虫の註秘中秘」)を、徳三が携えてきた。
「薩摩藩としての礼は尽くしておうな」
「それは、もう。井上石見様がきちんと」
 岩倉具視は綴る。
 薩摩藩を頼りとするのは、文久二年に久光に面会した際に「非常の偉器」であることが解かり、ともに天下の大事を語り合える人物と認めたからである。また薩摩藩が長州藩問題に関して「定論」を説いていることも評価する。
 そこには久光が常に訴えてきたのと同じ内容が記されており、三家老の切腹で、謝罪の条理は立ったというべきであると。
 そして幕府と長州藩が戦争になった場合、どちらが勝ったとしても、朝廷にとっては大患となる。
「幕府が勝てば諸藩もなびき幕威が強大化して朝廷をないがしろにするようになると懸念され」
「長州が勝てば、過激の暴説が再燃し、文久政変以前のような事態になる恐れがあると、井上石見様とも話しておられました」
 ではどうすればよいか。岩倉具視は考える。
 当初長州藩は勅命を奉じて朝幕間の周旋にあたった功労がある。だから寛大な処分とし、禁門の変の首謀者一人を罰する(家老一人を追罰する)ことにとどめて、これ以上は罪に問わない。その上で藩主に上京を命じて、国是諮問の列に加える。そうすれば天下の人心も納得することだろう。
 虎視耽々と獲物をねらっているような戎夷(じゅうい)をまえにして、骨肉相食む内戦は避けなければならない。長州藩問題が紛糾するのは、朝廷が優柔不断で朝議も曖昧模糊の空論だからで、これを改めなければならない。
「岩倉様が幕府を酷評なさうのは当然としても」
朝廷・朝議にたいする厳しい批判がなされていることは注目すべきである。
「長州藩問題での戦争阻止と朝政政治の改革は、薩摩藩がずっと主張し続けてきた点ではないですか」
「それゆえ朝廷要人との接触が深い薩摩藩に、改革のために尽力してくれるよう頼んでおられるのだ」
「時、すでにおそし、ですか」
 薩摩藩首脳部が幕府への失望感を深くしているのを、徳三は気付いているのだ。
「そいどん、だ」
 目指すは神州挽回である。そのためには、岩倉具視の存在がどれほど必要か。二つの意見書を読んで、一蔵は意を強くした。
 この時の朝廷首脳部は朝彦親王以下十二名。そのうち薩摩藩と接触の深い、例えば一蔵が参邸して直接話ができるような関係にあるのは、朝彦親王、晃親王、二条斉敬、近衛忠房そして正親町三条実愛だ。
 特に近衛家と島津家は婚姻関係もあり、朝廷内の情報はほとんど同時点で在京薩摩藩士に届けられている。上層部公家とこのような接触があるのは薩摩藩だけで、他の藩はもとより幕府にもない。薩摩藩の際立った特徴である。岩倉具視が薩摩藩を通じて、朝廷首脳部に自分の考えを届けようとしたのは、それがもっとも近道と判断したからであろう。


三 薩摩藩の真意

 そして一蔵三度目の入京となった九月。
 同月十六日に、将軍家茂は大坂城から二条城へ移った。長州藩征討の勅許を得るためである。
 以前に西郷吉之助が推測した通り、幕府は天皇・朝廷の力に頼って諸藩を動員しようとしているのだ。
 この時、西郷吉之助は大坂出張中であった。兵庫開港を求めて兵庫沖に集結したイギリス、フランス、アメリカ、オランダの軍艦九隻の動静を探るためである。そこで、征長勅許を阻止する運動は、おもに一蔵が担当。
 将軍進発による征長に関して、朝廷は賛成・反対の二派に分かれていた。
 ざっと見渡したところ、反対派は晃親王、近衛忠房、正親町三条実愛、久世通熙で、幕府支持の賛成論者は朝彦親王、徳大寺公純、野宮定功、飛鳥井雅典、六条有容等だ。関白二条斉敬の立場が微妙だが、少なくとも反対論者ではなく、朝彦親王と同論であろう。一蔵はそのように受け止めていた。
 そこで一蔵は晃親王、近衛、正親町三条に説いてまわった。
「長州征討と兵庫開港問題は国是に関わる難題」
 すなわち国家の重要課題であるから、諸侯を京都に招集して衆議せしめ、それによって方針を定めるべきであると。
 九月二十日の朝議で近衛忠房は諸侯の招集を主張した。しかし二条関白は次のように反論。
「外交に関わる討議ならば諸侯に意見を問うことは適切であろうが」
 長州藩は「朝敵」であることが判然としている。改めて諸藩に尋問するには及ばないと。
 この意見に一同が同意。そこで朝彦親王からの提案があった。
「外国への対応はどのようにするつもりであるか、幕府側に尋ねてはどうか」
 これを受けて関白が別席に待機していた「一会桑」に尋問したところ、慶喜はこう答えた。
 外国には応対して「退帆」を承認させるが、「朝敵」である長州藩の処置をいまさら諸藩に尋ねることは「朝憲」も無きに等しいものであろう。
そこで再び朝議となり、天皇にも「内々」に伺いをたてた。その結果、長州征討が勅許となる。
 この間、孝明天皇は垂簾のなかに出御していた御前会議であった。
 文章に綴るとこれだけのことなのだが、前日からの朝議が終わったのが、翌二十一日の朝六時頃と徹夜になったのである。
 この模様を近衛忠房から伝え聞いた一蔵は、朝彦親王の邸に赴き、強く主張した。
 一度伏罪した長州藩に罪はないので、長州征討の勅許は止めにするべきであると。
 一蔵は朝彦親王に述べた言葉を、大坂にいる吉之助に宛てて九月二十三日付の長文の手紙で綴る。手紙の形式はとっているが、内容は私信ではなく、公信(報告書)である。
 その主張をまとめると 。
 長州藩を追討するというが、その名義名分が立たない。そのような行為に対して勅をもって許すとすれば、その勅は「非義(正義にあらざる)」の勅命であろう。正義でない勅命であれば、真に朝廷のためを思う列藩は、一藩・一人といえどもうけたまわることはないだろう。天下万人が納得するものこそ勅命というべきで非義の勅命は勅命とはいえないから、うけたまわることはできない。
 今勅命に従わないという理由で長州藩を追討するというが、もし列藩が非義の勅命であるから奉じないとすると、前後左右多数の藩が、長州藩と同様になってしまうことになるが、その場合どのように処罰するのか。朝彦親王に詰め寄ったところ、親王は当惑の体で、一会桑が手強いため自分の力ではどうにもならなかったと弁解して、二条関白宛ての直書を渡し、関白に会いに行くよう勧めた。
 一蔵が関白邸に着いたのが午後二時で、間もなく関白と会うことが許された。関白にたいしても一蔵は、幕府の征長は「私闘」であり、謝罪したものを元のごとく「朝敵」とするというのはどういうことか、それでは諸藩は納得しない。
 一蔵はそのように述べ、関白の返答に一つ一つ反論したところ、関白は「閉口」し、ではいかがいたせばよろしいか、一会桑が辞職するなどといった場合はどうすればよいのか等々、何一つ自分の意見を述べることがなかった。一蔵は四時間ちかく、関白を問い詰めていた。
 問い詰めながら何故か一蔵の脳裏に大音響で鳴り響いていたのは、日新公いろは歌の「せ」の歌だ。

   善に移りあやまれるをば改めよ
           義不義は生まれ つかぬものなり


 人の善し悪しは生まれついたものではないで始まる解釈は、飛躍した捉え方をするならば、説得する側に寛容と忍耐をもって努める大切さを訴えている。
 が、修行の足りない一蔵は、悟りきった心境などにはなれなかったし、それ以上の力が一蔵を突き動かしていたのだ。
 己がどう思われようと知ったことか。後ほど公家たちにどう罵られようと構わぬ。今一蔵の心中を塞いでいるのは、日本国の危機であった。
 翌二十二日、一蔵は再び朝彦親王邸と二条関白邸へ。しかし朝議は改まってはいなかった。
 朝彦親王は、一蔵の志にもかかわらず、朝議を変えることができず「遺憾」であるが、これからも「返す返す宜しく」という「浅間敷」挨拶であった。また二条関白は「不平ヲ不生」ようにと「クトクト敷」言い訳をするだけであった。一蔵は、このようなことでは「皇国忽(たちま)チ暗夜」となるような気持ちだと関白に告げて退出した。一蔵が「朝廷是カキリ」と言葉を投げ捨てて、朝彦親王のもとを去ったのも同じくこの日である。
 この長文の手紙(報告書)で、一蔵は一会桑が強引かつ高圧的であったことを厳しく指摘しているが、そのこと以上に朝廷首脳部に対する批判が強烈だ。
 一蔵の背中を押していたのは、清国の轍を踏んではならぬという、身体の深奥から震えが沸き起こるほどの危機感だった。
 このままでは皇国日本が潰滅する。そうなっても構わぬ、のか。
 怒りに燃え盛る体熱と余りにもかけ離れた親王・関白の生ぬるさ。これは勿論、久光以下薩摩藩首脳部共通の念であるのだが。
 この両日における一蔵の行動・発言は、幕末政治運動の潮流を変える出発点となる、画期的な出来事であった。
 一つは正義でない勅命は勅命と認めないと、勅命に新しい意味づけをした点である。
 二つ目は朝彦親王と関白二条斉敬に、現状の朝廷であるならば、薩摩藩は朝廷を見限ると断言し、さらに幕府による征長は非であり、その非を許した責任は天皇と朝廷にあると、その責任を明確に主張した事だ。
 三点目は割拠体制下における、有志雄藩の同志として長州藩を選び、薩摩藩の方から一歩踏み出すことになるからである。
 手紙を大坂で受け取った西郷吉之助は、一旦京都へ戻って来た。「こよ薩摩藩の真意として長州藩に渡してはいけんか」
 そう思い藩庁への報告書の写しをとったと吉之助は巻紙を広げた。
「いいだろう。下地はできておうゆえ」
 下地とは禁門の変後に行った高崎猪太郎による周旋活動や長崎での武器斡旋を指している。
「だが信頼を得るには使者は薩摩藩士じゃなか方がよか」
「他藩に漏れず、薩摩藩を裏切らぬ者となれば、坂本龍馬か」
 亀山社中の設立に薩摩藩は密かに関わってもいるし、異論はあるまい。
「兵糧米が不足しておうので、下関で受け渡してほしかと、龍馬に伝言を依頼してあうゆえ」
「そやちょうど良か」
「大久保直筆の報告書と一字一句違わぬと坂本に確認さすっためにも、先ずは両方を見せねばなうまい」
 そういう次第となり、西郷吉之助は坂本龍馬を伴って九月二十六日に兵庫を出航。鹿児島へ向かう途中、周防上関で龍馬は下船した。上関から柳井、宮市、山口と辿った龍馬は、政事堂へ連絡して用件を告げ、その結果十月四日に、長州藩重役広沢藤右衛門(真臣)と三田尻で面会することになる。
 坂本龍馬は薩摩藩の真意を伝える極めて重要な役割を担っていたと同時に、西郷・大久保薩摩藩が偽っていないことを証明する、証人として派遣されたのである。


四 長州藩主父子の親書

 十月四日に帰藩した西郷吉之助によって、在京の方針が報告され、了承を得た。ところで吉之助が帰藩して初めて知ったことだが、毛利敬親・広封長州藩主父子の親書が鹿児島に届いていたのだ。
 武器周旋への礼状だが、今後の連携を求めた趣旨のものである。
 朝廷のためと微力ながら尽力してきたが「諸事齟齬多く、赤心も貫徹不致」それのみか今日の長州藩の境遇となったことは、なんとも残念である。しかし家来から貴藩の様子を詳しく聞き「万端氷解」におよんだ。薩摩藩の「勤王之御正義」にたいしては「欣慕之至」である。長州藩は日夜朝廷の「御様子を懸念」することしかできないが、薩摩藩の尽力には、蔭ながら「欣躍」しかつ「御依頼」したい。親書にはこのように述べられていたという。
 長州藩主からも歩み寄りの声が寄せられていたのである。
 そして西郷吉之助が鹿児島を立つ十四日までの間に、「薩長両藩の提携」が、薩摩藩の基本方針として定められた。
「よって」
 京都に戻ってきた西郷吉之助は念を押す。
 非義の勅命には従う必要がなく、幕府が長州藩を武力攻撃した場合、それは一方的な攻撃、つまり私戦であって、防戦することは正当防衛となる。
 十二月、小松帯刀、西郷吉之助、大久保一蔵の在京薩摩藩首脳部
は、「薩長盟約」に向けての動きとして、藩士黒田了介を山口に派遣し、長州藩を代表しうる人物の上京を求めた。
 これに応じて藩主毛利敬親が、木戸貫治に京・大坂の形勢視察を名目として上京を命じる。十二月二十七日、木戸は品川弥二郎を伴い、黒田了介とともに三田尻を出港。翌慶応二年正月七日に着坂し、八日に京都二本松の薩摩藩邸に入った。
 その前に事実関係について触れておこう。
 幕府の長州藩処分案が確定したのが一月十九日で、二十日に朝廷に奏上された。それは即日近衛忠房から薩摩藩在京首脳部へ。木戸へも知らされた。
 処分案の内容は・・。
 長州藩の一〇万石減地、毛利敬親は蟄居隠居、広封は永蟄居、家督はしかるべき者に相続させる、というものであった。もし長州藩がこの処分に従わなければ戦争に突入するという段取りへ。が、無論長州藩は従わないであろうから、このままではほとんど戦争は避けられない形勢だ。
 盟約はこのような緊迫した状況のなかで結ばれたわけである。
 ただし、話し合いは初めから滑らかに進んだわけではない。つまり木戸の方からは薩摩藩と長州藩との協力関係を結ぶ事を言い出せないでいた。木戸は後に回想記に記している。
 長州藩は「危険ノ極」というべき状況であり、薩摩藩と誓約を結ぶことは、薩摩藩を危険な立場に誘うことになるとともに、薩摩藩に援助を乞うようなもので、屈辱だったからである。また公的な活動の不可能な長州藩は、薩摩藩と同じ質の運動ができないから、そもそも対等な関係における盟約は無理とわかっていた。
 一方薩摩藩側も、長州藩のおかれている立場は理解しており、政治的な運動が出来ないことは承知の上なのだ。ではなぜ木戸は薩摩藩邸に呼ばれたのか。
 それは薩摩藩側が、長州藩の責任ある立場の人物から、長州藩の真意を聞き出し確認したかったからである。そのために薩摩藩から先に、薩摩藩の真意(一蔵の手紙)を長州藩に伝えるという手順をとった。
 また、なぜ薩摩藩は長州藩と密約を結ぼうとしたか。
 第一には、薩摩藩は「割拠」を支持する有力な協力者(藩)を求めており、長州藩がこの時点で最も鮮明に「割拠」の姿勢を表明していた藩であったことは言うまでもない。
 第二には、薩摩藩が、止戦・終戦のための工作・運動を積極的に行うこと、たとえ戦争に突入しても、早期に終戦となるよう工作・運動を必死で続けると、長州藩に理解させることにあった。
 これは内乱の種となる戦争は中止するべきであるが、止むを得ず戦争となっても、泥沼のような内乱となる前に、終結させるためである。そのためには、長州藩の暴発や、長州藩側から挑発的な行為に出たりしない。たとえ戦争となっても、防戦を旨として、藩の犠牲・消耗を最小限に保つことを理解させるためであった。有力な協力藩の、力の温存を考えてのものである。
 木戸が伝えた長州藩の真意は、薩摩藩在京首脳部にとって十分納得のゆくものであった。だからこそ「盟約六カ条」のような、具体的な目標・行動を掲げた約束をしたのである。なお、六カ条については後でまとめて記したい。
 では薩摩藩が確認したかった長州藩の真意とはいかなるものであったか。また木戸は長州藩がなすべきことを、何も約束しなかったのだろうか。


五 盟約六ケ条

 公武合体を唱えていた薩摩藩が、神州挽回のために「割拠」へと大きく舵を切ったわけである。その相手に長州藩を選んだ、小松、西郷、大久保らの薩摩藩在京首脳部としては、長州藩の幕府に対する態度を確認したかった。
 長州藩は、慶応元年五月から六月にかけて、つまり元治の内戦が収束する過程において、幕府に対する徹底抗戦の方針が確定していたように薩摩藩は受け止めている。その方針が将来においても不変であるか。薩摩藩側は、長州藩の責任ある立場の者から直接確認をとりたかった。
 繰り返しになるが、「割拠」を藩の基本方針とした薩摩藩は、同じく「割拠」の方針とみられる長州藩と協力関係を結びたかったが、そのためには長州藩の方針が不変であることが前提条件となる。
 実はこの点において、薩摩藩側には長州藩への一抹の危惧があった。なぜなら薩摩藩は文久二年の久光上京以来、挙藩一致で政治運動を展開してきたが、それに対して長州藩は、藩論を二転三転してきた経緯がある。
 木戸は「割拠」が長州藩の方針であり、以後も不変である旨を確約したことは言うまでもない。
 今一つ確約したかった点は、朝廷にたいする基本姿勢だ。
 政令の一元化を掲げた庶政委任体制のもとで、幕府は「幕命は朝命」であるという態度で長州藩処分を行おうとした。が、長州藩は、謝罪はしたけれども、朝廷が承認した処分には従わなかった。すなわち直接的に朝命を批判することはなかったが、事実上の朝命拒絶である。
 しかしその一方で長州藩は、これまでの行動を「奉勅攘夷」つまり天皇の意志である攘夷の勅を奉じて行ったものであると主張してきたのであり、「冤罪」を唱えるのも、その根拠としているのが「奉勅攘夷」論である。
 薩摩藩は、以上のような長州藩の勅・朝命にたいする便宜的な対応について問いかけたかった。ただし、薩摩藩の立場は明快だ。
 正義の勅は奉じるが、非義の勅は勅として認めない。しかも非義の勅にたいしては、批判を加え、修正・訂正を要求し、場合によっては撤回を迫るというものである。
 このような薩摩藩の方針に、賛同・協力できるかどうか。その点を問いかけ、木戸は無論、賛同・協力を誓った。その結果が反映されたのが後に掲げる盟約第四条だ。
 このようにして木戸は薩摩藩の方針に賛同し、長州藩の真意を伝え、長州藩のなすべきことを約束したのである。それこそが、薩摩藩の望むものであった。その結果が第六条で、薩長両藩が「今日より」全力で取り組むことを約束した条項である。
 そして一月二十日。木戸がいった。
「無事、盟約が成立し、安堵と申上げたいが」
 大事な話し合いを終えた薩摩藩側のほぐれた空気のなかで、木戸の頬はこわばったままだ。
「帰藩し藩主以下重役等に伝える際の保証を頂きたい」
「間違いないという内容の、ですな」
 小松帯刀が念をおす。
「それならば坂本龍馬しかおいもすまい」
即座に西郷吉之助が反応。
「薩長盟約の出発点と到達点を見守う人物ですか、なうほど」
 木戸は毛利家を背負ってきたのだと、改めて気付かされた一蔵である。重大な話し合いに臨んできたこの間、そこに神経が集中するあまり、木戸の心中までは思い及ばなかった。
「それならば明後日、ここで送別の宴を開こう。そこでもう一度六カ条を申上げることに」
 こことは小松帯刀邸「御花畑」を指す。話し合いの後半は室町頭のこの屋敷で行われてきた。
 実は自分なりに筆記したものがあるのだがと、木戸は懐から書面を出す。
「では先ず明日に、それを一つ一つ確かめた方が宜しいな。当日は、懐中に」
 書面を指す小松帯刀の言わんとするところを、木戸は即座に納得。
 そして翌二十一日・・。

一 戦と相成候時は、直様二千余之兵を急速差登し、只今在京之兵と合し、浪華へも千程は差置、京坂両処を相固め候事
 「この第一条は戦争が始まった場合、二〇〇〇の藩兵を鹿児島から派遣し、在京の兵(禁門の変以降約一〇〇〇人が常駐)とあわせて」  
 京都と大坂を固める。藩兵の派遣は、藩是である禁裏守衛の名目でなされるが、目的は天皇・朝廷を幕府・「一会桑」に独占されるのを防ぐためであり、第二条から五条にいたる行動の背景として不可欠のものと考えているからである

一 戦自然も我勝利と相成候気鋒有之候とき、其節朝廷へ申上、訖度尽力之次第有之候との事
 「第二条は、戦争が長州藩に有利な戦況となったら、そのときは薩摩藩が朝廷と交渉し て、戦争を終結させるよう相違なく尽力する」

一 万一戦負色に有之候とも、一年や半年に決而潰滅致し候と申事は無之事に付、其間には必尽力之次第訖度有之候との事
「第三条は、万一、戦況が長州藩にとって不利な状況となっても、長州藩は半年や一年では決して降参しない」
 だからその間に、薩摩藩が朝廷と交渉して、必ず戦争を終結させるよう、相違なく尽力する。
 先ず終戦であると強調。終戦工作には有力藩の協力も必要で、その面でも尽力することが含意されているし、また幕府側に立って戦争に協力する藩を、最小限にとどめる働 きかけも含まれている。

一 是なりにて幕兵東帰せしときは、訖度朝廷へ申上、直様冤罪は、従朝廷御免に相成候都合に、訖度尽力との事。
「第四条は、このまま幕府軍が江戸に引き上げて、戦争が行われなかった場合は、薩摩藩が朝廷に交渉して」
 すぐさま長州藩の「冤罪」を、朝廷からの命で「御免」になるよう、薩摩藩は相違なく尽力する。「冤罪」の「御免」とは長州藩毛利父子の官位復旧のことであり、冤罪が晴れれば、その時点で長州藩の政治的復権がなされるのである。

一 兵士をも上国之上、橋会桑等も如只今次第に而、勿体なくも朝廷を擁し奉り、正義を抗み、周旋尽力之道を相遮り候ときは、終に及決戦候外無之との事
「第五条は、戦争とならなくても、幕府が軍勢を京・大坂に滞在させ、かつ一橋、会津、桑名の在京幕府勢力が、今と同じく」
 朝廷を擁して、正義の主張を拒み、長州藩の雪冤と政治的復権のための周旋尽力の道を遮る場合は、薩摩藩は一会桑と「決戦」におよぶことを覚悟している。「決戦」とは直接的な武力衝突を意味するものではなく、不退転の決意で対決することを表現するものである。

一 冤罪も御免之上は、双方誠心を以相合し、皇国之御為に、砕身尽力仕候事は不及申、いづれ之道にしても今日より双方、皇国之御為、皇威相暉き、御回復に立至り候を目途に誠心を尽し、訖度尽力可仕との事
「第六条は、冤罪が免罪となった場合、薩長両藩が誠心をもって協力しあい、皇国のために砕身尽力することは当然であるが」
 今日からでも、薩摩藩と長州藩は「皇国」のため「皇威」が輝いて回復にいたらしむることを目標に、誠心を尽して尽力する。ここでは薩長両藩にとって、最高・至重(非常に重い)の目標は「皇威の回復」であることが謳われている。

「とは申せ、正直なところ」と小松帯刀。
「皇威」の「回復」とは、どのような状態か、あるいは内容か、そして、いかにして実現するかについては、明確な像は描けていない。その方法も模索の段階である。
「はっきいしとっとは、皇威低落への強い危機意識だ」
 一蔵は改めて、朝彦親王邸と二条斉敬邸での情景を噛み締める。
「それは我が藩も」
「低落をもたらしたのは、廷臣の責任じゃぁ」
 西郷吉之助は朝議の体質とつけ加える。
「先ずは意識改革を含めた朝廷改革から」
 全員が頷いて、話し合いは終わった。
 そして、小松邸を出る際・・。
「拙者は明早朝、帰藩致しますゆえ」
 一蔵は木戸貫治と固く視線を交わした。     






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